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マ レーシアの工業化 と外資系企業

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(1)

マ レーシアの工業化 と外資系企業

穴 沢 真

1957年の独立以降のマ レーシアの急速な経済発展を牽引 して きた産業 は製 造業であった。本稿ではこのマ レーシアの製造業の成長を分析 し, これに伴い 同国が採用 した工業化政策 と戦略を考察す る。その後 に製造業における外資系 企業の比重の高さに注 目し, これ ら企業の実態を明 らかにす る。また,マ レー シアは外資に対 して導入促進 と抑制の双方の政策をとってきたが,それ らにつ いて も検討を加える。

1.経済構造の変化

1957年 にマ レーシアは英国よ り独立 したが,当時のマ レー シアの社会,経 済構造の基礎 はこれに遡 る約 2世紀に及ぶ英国の植民地政策 (第二次大戦中の 一時期 は日本が占領)により形成 された といえる。従 って,独立後の同国の経 済発展に関わ る諸政策 は植民地時代 に形成 された社会,経済構造を自らの意志 と力により変革す ることを目的 として施行 された。より具体的には同国は典型 的なモノ ・カルチャー経済か らの脱皮をはか る必要に迫れ らてお り,そ して69 年の人種暴動後 は多人種国家における人種間の経済力格差の是正を も目指す こ

ととなったのである。

a.独立以前

まず,植民地時代を振 り返 り,その経済的な影響を考察す る。 ヨーロッパ列

47

(2)

強 によるマ レー シア支配 は1511年 のポル トガルによるマラ ッカ占領 に始 まる が, ポル トガルが 目指 した もの は海上貿易の独 占であ った。つ いで1641年 に オランダがマラ ッカを占領 したが, これ もポル トガル同様,貿易の独 占を狙 っ た ものであ った。両国の植民地支配 は東西貿易の要であるマラッカのみに集 中 し,マ レー半島の他の地域 には及ぶ ことはな く,農村部では依然 として 自給 自 足的生活が営 まれていた。

両国に続 いてマ レー半 島に進 出 して きたのが英国であ る。英国 はまず1786 年 にペナ ンを占領,つ いで1795年 にマ ラ ッカ,1819年 に シンガポールを 占領

した。 この時期の英国のマ レー半島進出 もポル トガルやオラ ンダ同様,貿易の 独 占を 目的 としていた。 しか し,その後,英国は錫, ゴムの開発 に も着手 し, 英国の植民地時代にマ レーシアの特徴である一次産品輸 出に依存す る経済構造 と多人種社会が形成 され ることとな った。この英国の植民地時代をK比orRok Pengに従 って5つの時代 に区分 し,その特徴をみ る1) 。

1873年以前 には英国 はペナ ン,マ ラ ッカ, シンガポールの海峡植民地 を支 配下にお き, もっぱ ら中継貿易 による利益を享受 していた。 また,中国人に続 き1840年代以降,英 国商人 も錫採掘 に参入 を開始 した2)。1874年 か ら1899年 にかけては海峡植民地 に続 き,半島諸州‑の進出が本格化 し,行政的な支配の 確立が進み,社会的間接資本の整備が開始 された。 ゴムのプランテーシ ョンが 開始 されたの もこの時代であ る3)。 しか し,依然 と して錫が最 も重要 な一次 産品であ り,主 に中国人 による労働集約的な採掘がお こなわれていた。つづ く

1900年か ら32年 までは英国による錫採掘 とゴムのプラ シテ‑ シ ョンへの投資 と移民労働者の増大が相侯 って一次産品輸出が拡大 した時期である。 この時期 にゴムは錫を抜いてマ レーシア最大の輸 出品 となったが,錫の採掘で も資本集 約的な大規模採掘法を用いた英国の採掘業者が中国人の採掘業者を圧倒す るよ 1)KhorRokPeng,TheMalaysianEconoTnyIStructuresandDependence,

Marican&Sons,KualaLumpur,1983,ch.3.

2)南イングランドのコ‑ウェル錫鉱山の枯渇と缶詰の発明がその背後にあった。

3)1895年のスランゴール州での開発に始まる。種々の作物が試験的に栽培されたが, 成功 したのはゴムだけであった。

(3)

マ レー シアの工 業化 と外 資系企 業 49 うになった。また,当時の移民労働者 は錫採掘に従事す る中国人 とゴムのプラ ンテーシ ョンでゴムの採取に従事す るイ ン ド人に大別でき,彼 らの流入が後の 多人種国家形成の原因となった。 この時期にマ レーシアは自給 自足的な農村社 会を中心 とす る経済か ら外国経済 に依存す る植民地経済‑ と完全に移行 したの である。1933年か ら41年 までの時期 は大恐慌 によ りマ レーシアか らの錫, ゴ ムの輸出も停滞 し,中国,イン ドか らの移民労働者 もかな りの数が帰国 してい る。一方で英国による経済支配がさらに強化 されたの もこの時期である。すな わち,大恐慌時の英国の錫,ゴムの輸入制限は中国人による錫 とマ レー人によ るゴムの生産 と輸出を急減 させ,英国企業の これ ら産業での優位を確固たるも のに したのである。その後,第二次大戦中の 日本軍の占領 により英国の植民地 支配 は一時中断す るが,1945年以降57年の独立 までマ レー シアは再 び英国の 植民地 とな り,48年 にはマ レー半島の 9州 と 2つの海峡植民地 (ペナ ン,マラッ

カ)か らなるマラヤ連邦がで き,独立‑むけての準備が進め られた。 しか し, 英国は依然 として経済的な支配を続 けていたのである。

b.独立後の社会 ・経済政策の要諦

1957831日にマラヤ連邦 は正式 に英国か らの独立を果た したが, シン ガポールは依然 として英国の植民地であり,サバ,サラワクもマラヤ連邦 には 参加 してはいなか った。その後,63年 にシンガポール,サバ,サラワクがマラ ヤ連邦 に加わ りマ レ‑シア連邦の成立をみた。 ところが, 2年後の65年にシン ガポールが分離独立 し,現在 に至 っている。英国の植民地時代に形成 された社 会,経済構造 は独立後のマ レーシアの経済発展を規定す るものであった。特に 中国系住民,イ ン ド系住民の移民の結果形成 された多人種国家の様相 と各人種 による特定産業の支配 とそれに伴 う人種間所得格差 はマ レーシアが直面す る最 大の問題であった。そ して人種間の抗争はついに69513日の人種暴動へ と 発展 し,その後,政府 はブ ミプ トラ (マ レ一系住民)優先政策4)を強化す る

こととなる。

4)ブ ミプ トラとはマ レー語で土地の子を意味 し,マ レ一系住民を さすo

(4)

ブ ミプ トラ優先政策 は1971年 に90年を 目標年 として発表 された新経済政策

(NewEconomicPolicy:NEP)のなかでよ り鮮明に打 ち出され ることと なる。 この新経済政策の二大 目標 は貧困の撲滅 と社会の再編であ り,前者は人 種に関係な く,すべてのマ レーシア人の貧困を撲滅 しようとす るもので,生産 性の向上,低生産性部門か ら高生産性部門への移動機会の拡大や,低所得者層 への社会サー ビスの提供などにより達成 されるとしている また,後者 は特定 の経済機能 と特定の人種が結びつ く状況を排除 し,経済的不平等などを是正 し ようとす るものである 具体的には農業従事者の多いブ ミプ トラのより生産性 の高い商工業部門への進出機会の拡大を促す ことである。そ して, 「これ ら上 記の目的を達成するための努力は,如何なるグループもこの過程で損失を蒙 ら ないように,急速な構造変化 と経済の拡大 とい うコンテクスのなかでお こなわ れ るであろ う。」 5)とされている。換言すれば経済の急速 な成長 によ りパイを 拡大 し,拡大 した部分をより多 くブ ミプ トラに分配す るとい うものである。 も

ともと新経済政策 においては具体的な数値 目標 は設定 されていなか ったが,後 に具体的な目標 として90年 までに人種別の資本構成比率をブ ミプ トラ30%,他 のマ レーシア人40%,外国人30%とす ることや,産業別の就業者の人種別の比 率をマ レ‑シアの人種構成比 (おおよその比率はブ ミプ トラ55%,中国系35%,

イ ン ド系10%である) と同 じくす ることなどがかかげ られた。新経済政策は人 種間の富の分配の是正をはかるもので,ブ ミプ トラの所得の向上 と他の住民 と

の格差の縮小を目指 してお り,重点は分配にあったが,その達成のためには成 長を不可欠な ものとしていた。 しか し,85,86年の不況を契機 として政府の経 済政策 は成長中心へ と軌道修正 され,実質的に新経済政策の目標の一部は棚上

げになったのである6)。

この新経済政策 に続 いて1991年か ら2000年の間のマ レーシア経済の全体像

5)MalaysianGovernment,Mid‑TerTnReview ofSecondMalaysianPlan 197111975,MalaysianGovernment,Kualalumpur,1973,p.1.

6)佐藤寛 「マ レー シアの開発戦略転換 ‑ 「脱 ブ ミプ トラ政策」の形成『ア ジア経 済』第35巻 第 9 1994 9月を参照のこと。

(5)

マレーシアの工業化と外資系企業 51 を示 した ものが新開発政策 (New DevelopmentPolicy:NDP)である7'。

これは基本的には新経済政策の方針を踏襲 した ものであり,同 じく貧困の撲滅 と社会の再編を 目標 としている。ただ し,新たに最貧層の撲滅,ブ ミプ トラの 近代部門への参加の拡大,民間部門の役割の拡大,そ して,人材育成を強化項 目としてあげている。また,人種間資本構成, とりわけブ ミプ トラの比率につ いては引き続 き努力す るとしているが, 目標年次などは設定 されていない。た だ し, これについては2000年 に見直 しがなされ る予定である8)。 同 じく91年 にマハティ‑ル首相によりVision2020が提唱され,近年人 々の注 目はむ しろ こち らに集 まっているといえよう これは西暦2020年 までにマ レーシアは先 進国の仲間入 りを果たす というものであり,そのための姿勢や国家 として挑戦 すべ き内容が説かれている。

C.経済構造の変化

つ ぎにより真体的にマ レーシアの経済構造を考察す る。まず,各年代 ごとの GDPの実質成長率であるが, これ は1960年代 には年平均約 6%であ り,70 年代 には年平均7.5%へ と上昇 した。80年代 に入 り,85,86年に主 に一次産品 価格の低迷により不況に見舞われ,独立後 はじめてのマイナス成長を記録 した こともあ り,80年代のGDPの実質成長率 は年平均5.9%へ と低下 した。 しか し,87年以降外資の導入を挺子に して経済 は急速な回復をみせ,90年代に入 っ て も毎年8%以上の高いGDP成長率を維持 している。

このような全体 としての高 い経済成長率 は経済構造の変化 を伴 うものであ り,その様子が表 ト 1に示 されている。民間部門の産業別のGDP構成比香 時系列で観察す ると,独立直後 の1960年 にはGDP37.9%を 占めていた農 業の比重の低下が著 しく,93年 にはその シェアは15.5%にまで低下 した。ま

7)マハティール首相はNationalDevelopmentPolicyとも言っており,時として 名称が混同されている。

8)MalaysianGovernment,TheSecondOutlinePerspectivePlan1991‑2000,

MalayslanGovernment,KualaLumpur,1991,p.4.

(6)

1‑1 マ レー シアの産業別GDP (100万 リンギ)

1960 1965 1970 1975 1980 1985年 1990 1993 良美 1,976(37.9) 2,066(31.5) 3,43232.3) 4,563(30.0) 6,255(24.6) ll,914(21.0) 14,799(18.4) 15,895(15.5) 鉱業 306(5.9) 587(9.0) 613(5.8) 612(4.0) 1,171(4.6) 5,985(10.5) 7,760(9.6) 7,991(7.8) 製造業 453(8.7) 682(10.4) 1,307(12.3) 2,197(14.4) 4,875(19.2) ll,263(19.9) 21,340(26.5) 30,216(29.5) 建設 158(3.0) 269(4.I) 481(4.5) 711(4.7) 1,209(4.8) 2,738(4.8) 2,835(3.5) 4,013(3.9) 電気・水道 70(1,3) 150(2.3) 245(2.3) 401(2.6) 605(2.4) 948(1.7) 1,526(1.9) 2,153(2.1)

運輸・通信 189(3.6) 284(4.3) 606(5.7) 1,098(7.2) 1,803(7.i) 3,630( 6 . 4) 5,483(6.8) 7,132(7.0)

商業 817(15.7) 1,004(15.3) 1,432(13.5) 2,086(13.7) 3,529(13.9) 6,911(12.2) 8,825(ll.0) 12,315(12.0) 金融・不動産 316(6.1) 396(6.0) 836(7.9) 1,109(7.3) 2,041(8.0) 5.093(9.0) 7,759(9.6) 10,664(10.4) 政府 339(6.5) 404(6.2) 794(7.5) l,199(7.9) 3,202(12.6) 6,957(12.3) 8,579(10.6) 9,892(9.7) 他のサービス 596(ll.4) 710(10.8) 874(8.2) 1,237(8.1) 720(2.8) 1,300(2.3) l,678(2,1) 2,125(2.I)

GDP 5,220(100,0) 6,552(loo.0) 10,620(100,0) 15,213(100.0) 25,410(loo.0) 56,739(100.0) 80,584(100.0)102,396(loo.0)

荏 :リンギはマレーシアの通貨単位。括弧内はシェア(%)

1975年の数値は197時 のコンスタント・プライス。1980年以降は1978年のコンスタント・プライス。

出所・.MalaysianGovernment,MaklySianPlan,variousissues.

た,鉱業 は錫の生産量の減少 とともに60年代半ばか ら70年代半ばにか けて シェ アを低下 させ,その後,石油 と天然ガスの生産増 によ り70年代の後半以降 シェ アを増大 させたが,90年代 に入 り,再 び シェアは低下傾 向にある。 これにひき かえ,製造業の伸 びは目を見張 るものがあ り,独立後 のマ レー シア経済を主導 して きた ことが明 らかである。特 に80年代央以降の景気 の回復 に製造業が果 た した役割 は大 きい。そ して,第三次産業 は全体 と しては経済の成長 に歩調 を合 わせ るよ うに推移 して きた といえよ う

一方,前述の新経済政策の導入以後,GDPにおける政府部門の シェアが増 大 し,政府 も経済 を主導す る役割を担 うこととな った。 ブ ミプ トラの商工部門 への進 出を企図 して政府が直接,間接 にこれに関与す るに従 い, これ らのため に急増す る開発予算 は国家予算を圧迫 し,1980年代半 ばの不況 によ る税収 の 減少,財政赤字の増大を うけて,小 さな政府 を 目指 して公企業の民営化な どが 推進 され るに至 った。 これに伴 い,GDPに占め る政府 の シェア も80年代半 ば を ピークに減少 している。

ト 2はマ レー シアの産業別 の就業者数 とシェアを示 した もので ある。就

(7)

マ レーシアの工業化 と外資系企業 表 1‑2 マ レー シアの産業別就業者 (1,000人)

1957年 1965 1970 1975 1980 1985年 1990 1993 農業 1,245(58.2)

鉱業 58(2.7)

製造菓 135(6.3) 建設 68(3.2) 電気・水 12(0.5) 運鴇・通信 75(3.5) 商業 195(9.1) 金融・不動

政府

他のサービス

352(19.9) I;

i,310(50.4) i,714.6(50.5) 61(2.3) 88.6(2.6) 182(7.0) 386.5(ll.4) 162(6.2) 136.7(4.0)

26.5(0.8) 115.1(3.4) 884(34.0) 371.I(10,9)

31.5(0.9) 396.6(ll.7) 128.7(3.8)

1,923.5(45.3) 88.3(2.1) 572.0(13.5) 187.8(4.4)

33.2(0.8) 165.5(3.9) 503.4(ll.8)

40.7(0.9) 555.8(13.1) 176.9(4.2)

1,910.9(37.0) 80.8(1.2) 750.5(15.6) 267.a(5.5)

bo.8(I.0) 199.1(4.1)

597.8(12.4) 46.4(1.0) 692.7(14.4) 220.1(4.6)

1,759.6(31.3)

44.4(0.8) 855.4(15.2) 429.4(7.6)

43.5(0.8) 244.3(4.3)

917.3(16.3) lt札9(3.5) 819.5(14.6) 312.3(5.6)

1,837.6(278) 39.1(0.6) 1,290.2(19.5)

426.9(6.4) 45.9(0.7) 285.4(4.3) 1,239.4(18.7)

231.3(3.5) 850.2(12.8) 375.0(5.7)

53

1,577.3(21.4) 弧 9(0.5) i,761.5(23.9)

552.8(7.5) 51.6(0.7)

316.9(4.3) 1,290.0(17.5)

339.0(4.6) 862.4(ll.7) 582.3(7.9) 合計 2,140(100.0) 2,599(100.0)3,395.9(loo.0)4,247.1(100.0)4,816.9(100.0)5,624.6(100.0)6,621.0(100.0)7,370.6(100.0) 労働力 2,165 2,774 3,681.9 4,538.8 5,108.9 6,039.1 7,046.5 7,646.3 失業者 25 175 286.0 291.7 292.2 414.5 425.5 275.7 失業率 1.1% 6.5% 7.8% 6.4% 5.7% 6.9% 6.0% 3.0%

荏 :括弧内はシェア(%)

出所:DepartmentofStatistics,PopuhtionCenstLS1970,DepartmentofStatistics,1970. MalaysianGovernment,MalaysianPhn,variousIssues

業構造 は新経済政策 の施行 を うけて1970年代 か ら急速 に変化 した。全体 と し て は産業構造 の変化 を反 映 して第一次産業,特 に農業 の シェアの低下 と第二 吹,第三次産業の シェアの増大が観察 され る。そのなかで もとりわけ製造業 と 商業での就業者 の増大がみ られた。 また,70年 には7.8%であ った失業率 は70

年代 を通 じて低下傾 向にあ ったが,80年代 に入 り,不況 に直面 した85年 には

6.9%に上昇,その後,景気 の回復 とともに低下 し,93年 には3.0%とな った。

なお,同表 には示 されていないが,人種別の構成で は, ブ ミプ トラの農業,政 府関連での シェアの高 さは特筆 に値 し,一方で製造業,商業 など‑の彼 らの進 出が進行 している様子 も窺 え る。ただ し,よ り詳細 に観察す ると,依然 として 専門職‑のブ ミプ トラの進 出は満足のゆ く水準,すなわち人種構成比 に見合 っ

た水準 には達 していない。

マ レー シアの経済構造 の きわだ った特徴 と して輸 出依存度 (輸 出額/GN

P)の高 さがあげ られ る。小国であ り,前述のよ うなモ ノ ・カルチ ャー経済が

(8)

1‑3 産業別輸出 (100万 リンギ)

1960 1965 197 1975 198 1985 農林業 2,400(66.1) 2,062(54.5) 3,055(59.2) 4,879(52.8) ll,202(39.8) ll,281(29.7)

ゴム 2,001(55.1) 1,462(38.6) 1,724(33.4) 2,026(21.9) 4,617(16.4) 2,872(7.6) パーム抽 72(2.0) 116(3.I) 275(5.3) 1,426(15.4) 2,515(8.9) 3,951(10.4) 木材 194(3.7) 360(9.5) 852(16.5) 1,ill(12.0) 3,800(13.5) 3,908(10.3) その他 133(3.7) 124(3.3) 204(4.0) 316(3.5) 270(1.0) 550(1.4) 鉱業 808(22.2) 1,134(30.0) I,339(25.9) 2,083(22.6) 9,391(33.3) 12,646(33.3)

508(14.0) 872(23.I) I,013(19.6) 1,206(13.1) 2,505(8.9) 1.648(4.3) 石油 147(4.0) 87(2.3) 202(3.9) 853(9.3) 6,709(23.8) 8,698(22.9) その他 153(4.2) 175(4.6) 124(2.4) 24(0.2) 177(0.6) 2,302(6.1) 製造業 310(8.5) 460(12.2) 615(ll.9) 1,978(21.4) 6,lo(21.7) 12,471(32.7)

その他 115(3.2) 127(3.3) 153(3.0) 291(3.2) 1,472( 5 . 2 ) 1,620(4.3)

1990 199 15,099(18.9) 15,945(13.3)

3,028(3.8) 2,137(1.8) 4,399(5,5) 5,841(4.9) 7,106(8.9) 7,622(6.3) 566(0.7) 345(0.3) 13,767(17.3) ll,173(9.3) 902(I.i) 560(0.5) 10,637(13.4) 7,848(6.5) 2,2 28(2.8) 2,765(2.3) 48,047(60.4) 85.349(71.0)

2,635(3.3) 7,758(6.5) 合計 3,633(loo.0) 3,783(100.0) 5,162(100.0) 9,231(100.0) 28,172(100.0) 38,017(100.0)79,548(100.0)120,225(100.0) 輪出依存度 69.6% 57.7% 46.1% 47.1% 61.5% 52.8% 72.0% 75.6%

荏 :括弧内はシェア(%)085年以降の鉱業のその他の項目はほぼ全額天然ガスである。

出所:MalaysianGovernment,MalaysianPhn,variousissues.

植民地時代 に形成 されていたために,一次産品の輸出と工業製品の輸入 という 構造が独立時点 には確立 されていた。そのため1960年の輸 出依存度 は69.6%

と高い数値を示 していた (表 1‑3参照の こと)。その後,70年代前半 まではそ の数値 は減少 したが,70年代後半か ら上昇傾向をみせ,80年代央 に一旦低下 し た後 に急速に増大 し,現在 は70%を超えるに至 っている。 しか し,輸 出品 目は 独立以降今 日までに大幅な変化を見せている。同 じく表 ト 3か らその様子が 窺える。同表か らも明 らかなように当初マ レーシアの輸 出はゴムと錫 に偏 って いたが,その後60年代を通 じてのゴムの輸出価格の低下傾向を うけ,一次産品 内では新たに木材,パーム池,石油,天然ガスの比重がたかまっていったO工 業製品の輸出 も70年代より徐 々に増加 し,80年代後半にはついに工業製品輸出 のシェアが50%を超えるに至 った。 しか し,後述す るように,その内実は電機 産業に極端 に偏 った ものであり, これ らは主 に自由貿易地区内の多国籍企業や 保税工場の資格を得た多国籍企業によ りお こなわれているのである。

(9)

マ レー シアの工業化 と外資系企業 55

2.マレーシアの工業化

前節においてマ レ‑シア経済の成長 と,その中での製造業部門の貢献を簡単 に振 り返 った。本節ではより詳細に製造業部門の変化の実態を検討 し,同国の 製造業部門の特徴の抽出を試みる。その後,成長の背景にある工業化政策 と特 定の戦略について言及 し,最後 に製造業の発展を担 った経済主体 についてみ

る。

a.製造業部門の実態

2‑1は工業セ ンサスとサーベイか ら産業別の生産額をみた ものである。

独立後の1963年以降73年 までは資源ベース (食品,木材, ゴム,エステー ト 内の生産を含む)を中心 とした産業が依然 として生産額において上位を占めて いた。む しろ63,68年の時点ではエステー ト内での加工が多 く,植民地経済 の様相を色濃 く残 していたといえる。 これ ら産業での輸入代替が終了 し,後述 するように70年前後に工業化戦略の重点が輸入代替か ら輸出指向‑ と移行 した ことにより,産業構造が急速に変化す ることとなった9)。81年のセ ンサスで は依然 として食品が単独では最 も生産額が多かったが,その一方で輸出指向性 の強い電機産業が一気にその重要度を高め,生産額で食品につ ぐまでに成長 し た。繊維 も同様の理由により生産額を増加 させた。これ らは自由貿易地区の設 立 と外資系企業の誘致によって達成 されたものである。また,石油精製 も一気 に生産額を増加 させ,第 3位 となった。81年以降センサスがだされていないた め,産業構造の変化を考察するにあたって,サーベイで これを代用することと する。カバーされる企業数は限 られるが,相対的な変化についてはその傾向を 把握することは可能である。90年のサーベイか らは電機のさらなる拡張が観察 され,そのシェアは25%を超えるに至った。電機 と並ぶ輸出指向産業である繊

9)輸入代替 と輸出指向はそれぞれの産業 により開始時期 と継続期間が異なるため,全 体 としてはこれ らが混在す る形である。ただ し,その ときどきの重点,中心 はある 程度規定 され得 る。

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