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7y イデオロギーとしての、あるいは言説としての<教育>をめぐって

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(1)

3

イデオロギー としての、 あるいは 言説 としての <教 育 >をめ ぐって

‑ 1 9 世紀イギ リス教育史研究‑

上 野 耕三郎

Ⅰ‑ 1 <教 育 > とい うこ とば をめ ぐる争 い

教育 に関 して言及 された 1 9 世紀 の前半 の著作、報告書 をひ もといた者 な ら ばわか るであ ろうが、 それ らを少 し読 み慣 れ る と意外 な消化不良感 におそわ れ る。 とい うの は、 なか なか知 りたい と思 う 「 事実」 に突 き当た らないか ら であ る

た とえば、 いったい労働 者大衆 の子 どもたち はどこで、 どの ような 教育 を受 けていたのか、彼 らの教育実態 はどの ような もので あったのか、 と い う素朴 な問 いか けに対 して、 これ らの資料 はス トレー トに は答 えて くれ な い。 これ に対 して 「 無 い ものねだ り」 とい う失笑 が聴 こえて きそ うである。

あるい は、 と くに近年、労働者階級 の自叙伝 の分析、聞 き書 きによる教育史 が、従来 の教育史 の枠組 み に果敢 な挑戦 を試 みてい るの を知 らない はず はな か ろう、との声が上が るの も充分承知 してい る( 1 ) 。だが この消化不良感 はなか

なかいや され ない。

なぜ この ような消化不良感 にお そわれ るか は、 あえて言 うまで もない こと

(1) Da vi dVi nc e nt ,Br e a d ,Kno u ) l e d gea ndFr e e do m. ・A St u

dy

o fNi ne t e e nt h‑

Ce nt u 7 y Wo 7 1 k i n g Cl a s sAut o b i o gr a ph y ,Eur opaPubl i ca t i onsLi m i t e d,1 9 8 1 .

( 川北稔、松浦京子訳『 パ ンと知識 と解放 と‑ 1 9 世紀イギ リス労働者階級の自

叙伝 を読む』岩波書店、1 9 9 1 ) 、St e phe nHumphr i e s , Ho o l Z ka nso rRe b e l s P IAn

Oy l alHi s i o 7 y O f Wo r ki n g‑ Cl a s s Chi l dho o d a nd Yo ut h 1889‑ 1939

,

Bas i l

Bl ackwe

l

l , 1 9 8 1 .( 山田潤、P. ビリングズリー、呉宏明監訳、『 大英帝国の子 ども

たち‑ 聞 き取 りによる非行 と抵抗の社会史』柘植書房、1 9 9 0)

(2)

か もしれない。 それ らの著作 や報告書が ある一定 の立場 、視 角か ら 「 事実」

「 現象」 を叙述 してい るか らで ある

だか ら現代 の読 み手 が それ らを読 む と、

前面 に躍 りで た書 き手 の規範 的 ことら ぎ‑ 「この教育現象 は望 まし くない」

「 教育 はこうあるべ きだ」 ‑ に阻 まれて、 なか なか知 りたい と思 ってい る こ とに到達 で きない苛立 ち を感 じる。 これが批判 的読 み とい うものが要請 され る由縁 で ある ことは常識 で あ ろう

ところで この批判 的読 み とい うことに関連づ けて、 ジ ョンソンは公的報告 書 は大 き く分 ける と三 つの用 い方が あ り、 そのひ とつ はそ こか ら教育観 を析 出で きることである、 と指摘 してい る

とい うの も 「 教育 は ( 救貧 の ような) 一連 の公的問題 に属 してお り、 そ こで はイデオ ロギーが もっ とも侵入 してお

り、科学 に対 す る熱望が もっ ともらし く見 える」 領域 だか らであ る。 また「 報 告書 は子 ども、貧 困 あるい は階級 に対 す る態度 を研究 す るために も用 いる こ

とがで きる。学校教育 は多 くの顕著 なデ ィレンマ に関係 し、原則、偏見 に関 して豊富 であ るので、イデオ ロギーの研究 のために優 れた媒介項 を提供 す る」

と述べてい る( 2 ) 。実際 に、他 の領域 に較 べてみて も、と くに教育領域 で はイデ オ ロギーの浸透が顕著 であ る。

イデオ ロギー とい うこ とばは頻 繁 に用 い られ るが、 それで はイデオ ロギー とはいったい何か、 もう少 し限定 して教育 に関す るイデオ ロギー とは何 か、

いったいそれ はどの ように形 づ くられ、作用す るのか とい うことにな る。 ド ナル ドが言 うように、さまざまな教育 に関す る主張 は分業 や労働 過程 の変化、

家族法 や福祉制度 な どの さまざ まな変化 と一緒 に考 える と、社会規制 の新 し い戦略 のひ とつ として読 む ことがで きる。 そ もそ もその主張 は 「 現行 の制度

●● ●●

を叙述 してい る とい うよ りも、 なぜ学校教育が提供 され るべ きであ り、いか

●●●

に して それ らは組織 され るべ きか につ いての命令 的主張 で あ る。」 す なわ ち

(2)Ri c ha r dJ o hns o n,̀ El e me nt a r yEd uc a t i o n:TheEduc a t i o noft hePoo r e r

Cl a s s e s ' ,i nGi l l i a nSut he r l a nd e t a l . ,Educ at i o n

i

nBr i t a i n ,I r i s hAc ad e mi c

Pr e s s ,1 9 7 7 ,pp. 2 4 ,2 6 .

(3)

イデオ ロギー としての、 あるい は言説 としての <教育 >をめ ぐって

5

●●●●●●●●

「 教育 イデオ ロギー は一連 の相反す る信念 、知覚 、主張、価値、嘆 き、そ して 希望 が 『 教育』とい うこ とばの回 りに表現 され た もの」( 強調 は原文イタリック、

以下同様)である

(3)

。 だか ら、 あ る主張 の受 け手 あ るい は読 み手 は、「 教育」の 現実 を認識 しことを必ず しも意味 していない。 あ る主張 を受容 す る ことは、

その ことばの背後 にあ る現実 を認識 した とい うので はな く、 その ことばが依 拠 してい る暗黙 の前提 を確証 す る作業 を行 な うことで もあった。 「 教育」とい うことばは現実 自励 教育構造 によって直接規定 され る、 あるい はそれ を直 接反映 した もので はない、 とい うこ とで あ る。 ところが、 イデオ ロギー とし てそれが高度 になれ ばな るほ ど、表象 された現実 はひ とつの、所与 の、統一 的、不変 な もので あ り、超 階級 的意味 を もつ もの として固定化 され る傾 きを 持 つ。そ もそ も意味 は辞書的 な ことばその ものか ら生 じるので はない。「 教育」

とい うことばによって どの ような支配 的 な意味 を人 々 の頭 の中 に喚起 す るか は、 さまざ まな社会 的実践 を媒介 としてな され る意味表 出の活動 に条件 づ け られてい る。言 い換 えれ ば、最終 的 に 「 教育」 とい うこ とばに どの ような意 味が押 しつ け られ たか は、相争 う諸階級、諸権力 の関係 を介 して実現 され る

とい うことである

これ はまさに 「 意味表 出 の政治」で ある

ところで、 イデオ ロギーがいか に形 づ くられてい るか について、新 たな視 角か ら理解 の深 ま りを与 えて くれ るひ とつの契機 を提供 したの は、言説 ( di s‑

cour s ,di s cour s e)についての、 あ るい はその作用 についての M . フー コーの 洞察 である

よ く知 られ てい るように、 フー コー はイデオ ロギー概念 自体 を 拒否 してい る

言説形成 ( あるい は言説 の規則性 を通 して作用す るイデオ ロ ギー形成) はそれ 自体 の知識 の対象 を形成 し、 それ 自体 の主体 ( s uj et s ,s ub‑

j ect s)を も形成 す る

だか らイデオ ロギー とい う概 念 は不用 とされ る

主体 とい う ものが地 耕 され、言説 に よって主体 は形 づ くられ る とす るア ンチ ・

(3)J ame sDonal d

,

̀ Beac onsoft hef ut ur e:s c hool i ng,s ubj e c t i on and s ub‑

j e c t i f i c at i on' ,i nVe r oni c aBe e c hyandJame sDonal d( e ds . ) ,Sub j e c t i v i t ya nd

So c i alRe l at i o ns ,Ope nUni ve r s i t yPr e s s ,1 9 8 5 ,pp. 21 5 ,2 1 6.

(4)

ヒューマニズム は、 フー コー に共感 を寄せ るマル クス主義者 との決定的差異 であ り、 この点 はもう一度検討 しなけれ ばな らない点であろう

ともあれ、

還元論 あるい は規定論 に類 したルー ト・ セオ リーを拒否 してい るフー コー は、

社会経済的基盤 あるい は階級 とい うような真理 の認識論 的基礎 の起源 をた ど る代 わ りに、「だい じな ことは、ひ とつの言説 のなかで、科学性 とか真理 の領 域 の属す る もの と、 それ以外 の領域 に属す るもの との間 に分割線 を設 けるこ

とで はな くて、 それ 自体 は真で も偽で もない言説 の内部 に、 どの ようにして 真理 としての効果が生 じて くるのか、を歴史的 にみ きわめること

(4)

」の方が有 益 と考 えてい る

すなわち、真理が言説 の内部でいか に生 み出 され、社会的 実践 のなかで どの ような意味 を もち、展開 されたのか。 そしてその確立 され た 「 真理 の体制」 はいか にして社会 ・文化的影響 をもったのか。 その 「 真理 の体制」内部 でいか にして正 しい もの を認 め、間違 った ものを排除す る方法 を打 ち立 てたのか。 その ような課題 に答 えることこそが フー コーのめざした ものであった。

『フー コー と教育』の編者 ボール はフー コーの 「 言説」について次 の ように 記 している

「フー コーの分析的枠組 みの中で言説が中心的概念 とな る。言説 は言 っ た り、考 えられた りす る ことについてばか りで な く、誰が、 いつ、 どの ような権威 を もって言 うことがで きるのか とい うことについての もので もある

言説 は意味 と社会関係 を具現化 し、主体 と権力関係 の両者 を形 づ くっている。『 言説 は彼 らが話 している対象 をシステマテ ィックに形成 す る実践 であ る

‑‑言説 は対象 について語 ってい るので はない。 すな わち、言説 は対象 を認知す るので はな く、それ らを形づ くるので あ り、

そうす ることのなかで、言説がそれ らを作 りだ した とい うことを隠 して

(4 )北山晴‑訳 「 真理 と権力」 、桑田穫彰他編 『ミシェル ・フーコー 1 9 2 6 ‑ 1 9 8 4

所収、新評論 、1 9 8 4 、8 4 貢。

(5)

イデオロギー としての、あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって 7

しまう

』 ( 『 知の考古学』 )か くして意味 そ して定義 の可能性 はそれ を用い る人 々 に よって とられ る社会 的 そ して制 度 的視座 を とお して先取 りさ れ、封 じられて しまう

したが って意味 は言語 か ら生 じるので はな く、

制度的実践か ら、権力関係 か ら生 じる

単語 や概念 は異 なった言説 の内 部 で展開 され る時 には、 その意味 と趣 旨を変 えて しまう

言説 は考 えの 可能性 を抑圧 す る。言説 は単語 をある特殊 な方法で指示 し、つなげ、 そ の他 のつなが りを排除 し、置 き換 えて しまう

しか し、言説が吸収 と同 様 に排除 によって、言 うことので きる ことと同様 に言 うことので きない ことによって構成 され るか ぎりは、言説 は他 の言説、意味 の他 の可能性、

他 の主張、権利 そ して視座 と敵対 的関係 に立 つ。 これ こそが フー コーの

『 断絶 の原理』すなわち 『それ によって言説が権力 の道具 そ して効果 とな るばか りでな く、障害、抵抗点 そ して敵対 す る戦略 の出発点 とな るよう な複雑 なそ して不安定 な権力 を酌量 しなけれ ばな らない 』( 「 主体 と権力

」)

とい うことで ある

(5)

もう一度簡単 にまとめてお けば、 「 1 9世紀 の教育 イデオ ロギー は現実 の反 映で はなか った。一連 の相反す る展望、価値 そ して戦略 を通 して、現実 を屈 折 させた ものである。‑‑ もう一歩進 めれ ば、教育 の目的、実践、性格 を規 定す ることによって現実 にある特殊 な意味づ けを押 しつ ける試 みを構成 して い る。か くして、『 教育』とい うことばその もの は争 い、闘争 の場 となった

。 (6)

あるい は 、1 830、40 年代 の報告書、具体的 には統計協会 の教育調査報告書、

1 8 35 年 のケ リー卿 の教育報告書、勅任視学官報告書、工場査察官報告書 な ど は、「 法律 や行政が よ り明確 にしなけれ ばな らない教育 問題 に少 しも負 ってい ない。 それ らは複雑 な教育 の政治的駆 け引 きそ して社会闘争か ら生 み出 され

(5)St e phe n ∫.Ba l l , ̀ I nt r oduc i ng Mo ns i e urFo uc aul t ' ,i n S.∫.Bal l( e d. ) ,

F

ouc

a ul

t

a ndEd u

c

a t i o

n

IDi s c Z i

)lin

e

s a

ndKno w l e d g

e

,Rout

l

e dge ,1 9 9 0 ,pp. 2 1 3 .

(6)J a me sDonal d , o pc i t . ,p. 21 6 .

(6)

る熱望 に多 くを負 ってい る

(7)

」との指摘、 これ こそが 「 意味表 出の政治」的争 いで あ り、「 教育」とい うことばをめ ぐって、その ことばで何 を含意 させ るか、

どの ような意味 を押 しつ け、 どの ような意味 を排除 させ るかの「 真理 の体制 」 を築 く争 いで あったので ある。と りわ け1 9 世紀前半 には、労働者大衆 を隅か ら隅 まで監視 す る体制 が張 りめ ぐらされ、 あ りとあ らゆる情報 がか き集 め ら れ るようになった。 だが、 それ らを もとに労働者大衆 の教育 について教育政 策担 当者、社会調査家が 口に出 し、書 き、論 じた こ とは所与 の社会現実 その ものの反映 で はなかった。 それ らは知識 の きわめて特殊 な体制 そ して権 力関 係 の能動 的 な所産 で あった。

Ⅰ‑ 2 道徳環境主義

1 8 4 8 年以 降勅任視学官 を務 めたサ イモ ンズ ( J e l i nge r C .Symo n s ,1 8 0 9

1 8 6 0 ) はその著作 『 危 険 な諸 階級 の状 態 お よび その処 遇 に関 す る当面 の戦 術

(8)

』のなかで、特 にその第 二章 で、内務省 ( Ho meOf f i c e ) の統計 を もとに

して 、1 8 3 5 年 か ら 1 8 4 7 年 までの 1 2 年 間 にわた る犯罪 の分布 に関す る詳細 な 統計分析 を行 なってい る。 それ は犯罪 をひ きお こす要因が いったい何 で ある のか、 そ して犯罪 を防 ぐ方策 は何 か とい う答 えを探 り出す試 みで あった。サ イモ ンズ は、地域性 、職業 、性別 そ して年齢 がいか に犯罪 に影響 を与 えてい るか、 あ るい は犯罪 と不況 との関連 はいかな る ものなのか、飲酒 に よる犯罪 は どの程度 なのか な どについ て の情 報 をわれわ れ読者 に提 供 して くれ てい る

もち ろん提供 された これ らの情報分析‑ た とえば どの地域 で犯罪数が 増大 あ るい は減少 してい るか、 そ してその要因 は何 か‑ が、 どの程度 の信 悪性 を持 ち得 ていたか は避 けて通 れぬ問題 で ある

しか し、 あえて ここで は

その間題 の検証 はひ とまず脇 へ置 いてお くことにす る

なぜ な らば、私 の当

(7)

Ri c ha r dJ o h n s o n ,o Pc i t .

,pp.7

‑ 8 .

(8)

J e l i n ge r C .Sy mo n s ,Ta c t i c sj T o rt heTi me s ,a sr e gwd st heCo ndi t i o na nd

Tr e at me nto ft heDa n ge r o u sCl a s s e s ,1 8 4 9 .

(7)

イデオ ロギー としての、あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって

9

面 の関心 は当代 のイデオ ロー グが <教育 > とい うことばの内 に何 を内包 させ ようとしたか にあ り、 それがわかれ ば充分 だか らで あ る

さて当然 の ことなが ら、当代 のイデオ ローグの多 くは、犯罪 を産業革令 を 契機 とした社会構造 の転換 に よる構造 的矛盾 の顕在化 として位置づ けて はい なか った。サイモ ンズ も違 わず こんなふ うに説明 してい る。

「 工業 はイ ングラン ドに とって きわめて重大 な もので あるが、 事 実 は明 らか に次 の ような もので ある

イ ングラン ドでの犯罪 の急増 は主 として 人 口集 中 した地域 の害悪 、 そ してそれ に伴 うごみ ごみ とした住宅 とふ し だ らな仲 間 とい う害悪 に、 またそれ に対 して充分 な道徳 的反撃 を くわ え られ ない こ とによるもの にちが いない。 とい うの もその ような地域 に犯 罪 は集 中 し、蔓延 してい る ことか らもそ うで ある。」

「 不況が犯罪 の増大 と合致 してい るが ゆ えに、 貧 困 は犯罪 の有機 的 あ る

●●

い は不変 な要因 と考 える ことほ ど誤 った もの はない( 9 ) 。」

この引用か らだ けで も、犯罪 は貧 困 とい う構造 的要因 と関連 させ られず、

もっぱ ら都市化 に伴 う社会諸現象 と結 びっ け られてい る ことがわか るであ ろ う。ところで、犯罪 を多 くの人 々が時 の社会問題 として論 じた理 由の一 つ は、

犯罪 による損失 と犯罪者 の処罰 にかか る費 用 とい う財政 的観点 か らで ある。

「 犯罪 を罰す る ( 言 い換 えれ ば、育 てる)の に毎年支払 ってい る 20 0万 ポ ン ドのなか に、窃盗 に よって失われ る 200万 あるい は 300万 ポ ン ドの なか に、 あ るい は救貧 のために支払 われ る 7 00万 ポ ン ドのなか に、な さ れ るべ き節約 はないのだ ろうか。私 たちの間 で育 ててお り、多 くの大衆 の生 き血 を横 す盗人 や ごろつ きの一群 の悪 い実例 に よって染 まった り、

(

. 9) Z b i d. ,pp. 5 0 ,5 5 .

(8)

民 にか け られ破滅 した りした召使 や労働者 の頑廃 そ して堕落 によって坐 C l じた、労働 の損失か らの数百万 ポ ン ドをさらに これ に加 えて もよい。金

00⊂ )00000

銭 とい う観点か らだけで も危 険 な階級 を訓練 し、彼 ら自身 に とって も他 の者 に とって も安全 にす る ことは、王 国 の産業 と財産 の利 害 となる( 1

0)。」

( 傍円強調 は引用者、以下同様)

犯罪 は財政 的観点 か ら時代 の焦眉 の解決課題 とされ、犯罪 が構造 的な もの に起 因す るので はない とすれ ば、教育 が この ような社会問題一一‑犯罪、救貧 な ど‑ と、 どの よ うに結 びつ き、結 びつ け られていたか、 とい う問題 が浮 かび上 が って くる

民衆教育 を犯罪 と関わ らせ て論 じる風潮 は特殊 な もので はな く、かな りな程度 まで時代 の一 つの潮流 となっていた。 た とえば、幼児 学校 の提 唱者 であ るウイル ダース ピン ( SamuelWi l de r s pi n,1 791 ‑ 1 866) は

その著作 『1 歳 か ら 7 歳 までのすべての子 どもの知的 お よび道徳 的力 を発達 させ るための幼児 システム

(

l l ) 』を、 「 年少非行」の章 か ら書 き始 め、犯罪予防 のために幼児学校設立 の必要性 を説 いてい る( 1 2 ) 0

( 1 0 )Z b i d. ,pp. 1 4 5 ‑ 1 4 6.

( ll) Samue lWi l de r s pi n,TheI n f t mtS y s t e m,j T o rde v e l o pi n gt hei nt e l l e c t uala nd mo r alpo we r so fal lc hi l dr e n ,j T r o m o net os e v e nye wso f

e ,S i xt he di t i on , r e vi s e dt hr oughout ,1 8 3 4 .

(12)

ウイルダースピンは教育特別委員会で幼児学校 についての見解 を求められた 際に次のような証言をしている。

「 質問 1 7 4. その ( 幼児学校)システムの普及の最終的成果 はどのようなものと 期待 していますか ?‑ 年少非行 は減少 し、監獄の必要性が減 じると思います

というのも、一般 に良 きものと考えられるもので心を満たせば、予防は治療 より も望 ましいし、 幼い年齢の人間か ら始めることによって刑罰の費用をたいへん減 じることがで きると結論づけられるかな りな希望があるか らです 。」

「回答 3 3 9 . 幼児学校 4 校で、一年に 8 0 0 人の幼児が教 えられている。最初の逮 捕、公判、移送の費用を考 えると、各々の個人 を変えるのに国が負担する費用で 幼児学校 は維持で きる。」

「 質問 3 4 3. そうすると警察官 よりも幼児学校 を持つ方が経済的 とい うことに なるのでしょうか ?‑ そう思います

.

」( Re por t f r o m t heSe l e c tCo mmi t t e eo n Educ at i o ni n

E

n gl a nd a nd W al e s ;t o ge t he rwi t ht heMi nut e so f Ev i de nc e

,

a p pe ndi

x

,a ndi nde x

,1835

, 以下 R e po y t 1835

と略)

(9)

イデオロギーとしての、あるいは言説としての<教育>をめぐって 1 1 さ らに、 ウイル ダース ピンの考 えをグラスゴー のモデル ・ス クールで発展 させ たス トウ ( Davi dSt ow,1 793‑ 1 8 64) は、1 836 年 に 『 教育 の トレーニ ング・

システム(

13

) 』を著 し、 そのなかで、教育 と犯罪 との関係 に言及 し、民衆学校 と りわ け彼 の提唱す る教育学校 ( t r ai ni ngs choo l ) の必要性 の根拠 の一 つ と して犯罪予 防 をあげてい る

そのモ ッ トー は 「 治療 よ りも予防 の方が望 まし い」 ( Pr e vent i oni sbet t e rt hanc ur e) とい うことで あった。

● ●

「すべ て のキ リス ト教宗派 の人々 は予 防 よ りも治療 の方 に注意 を奪 わ れてい る

誰 も予防 の原則 に信頼 を置 いていない。非行少年 のための機 関 あるい は売春婦更生所 の設立 のため には諸手 をあげ賛成 し、お金 を出

●●●●● ●●

すが、 ‑‑ しか し犯罪 の予 防のための直接 の手段、 あるい は道徳 的学校 教育 ( Mor als choolt r ai ni ng) を用 い る ことに関 して は、人 々 は懐疑 的 で ある

しか し予防 のために一千 ポ ン ドが使 われれ ば、少 な くとも罰 す るためあ るい は治療 のために使 われ る一万 ポ ン ドを節約 す るであ ろう。」

「 泥棒、ス リ、その他 の社会 のペ ス トともい うべ き者 の次世代 の人 数が

●●●●●●

減 らされ るべ きな らば、道徳教育学校 ( t r ai ni ngs c hoo l ) を もつべ きで ある

それ らは最 も安上が りな警察 で あ るこ とがわか るで あ ろう。」

「 得 られ る利益 を最低 限 に見積 もって も、犯罪 の減少、そ して社会 の一 層 の平和 と安全 によって 2 千万 ポ ン ドが浮 くで あ ろう( 1

4)。」

だか ら犯罪 を予防す るための教育論 ともい うべ きこれ らの主張 を、 さらに

( 1 3)Da vi dSt ow ,TheTr ai ni n gS y s t e m o fEduc at i o n,i nc l ud 2 ' n g mwals c ho o l t r a i ni n gj T o r l a r get o wns ,a nd no r mals e mi na

7y

,f o r t r a i ni n g t e a c he r st o c o nd uc tt hes y s t e m,1 8 3 6. 「その著作 は 1 9 世紀に発行 された教育実践 について の本のなかで最 も影響力のある本の一冊 となった 」( Mal c ol m Sea bor ne ,The En gl i s hSc ho o l ,i

t

s wc hi t e c t uy l ea nd

o7

g

a

ni z a t i o n1 37 0‑ 1 87 0,Rout l e d geand Ke ganPa ul ,1 9 7 1 ,p. 1 4 4 . ) と評価 されている。

( 1 4)Da vi dSt ow ,o p. c i t . ,pp. 7 3,8 2 ,8 5 .

(10)

一歩押 し進 めれば、 必然的 に一部 の開明的 ブル ジ ョア・ イデオローグが展開 し てい る国民教育論、 義務教育論 に対 してひ とつの論拠 を提供す ることになる。

「 害悪 を比較す ることによって、現在焦眉 の問題 となっていることは解 決 され るであ ろう。 とい うの も犯罪者 を自由に育 て ることによる大衆へ

●●

の害 は、無償学校 へ子 どもをお くる こ とを個人 に強制 す る こ とよ りも 1 00 倍 も大 きい。 ロン ドン警察が現在 の賞賛 すべ き状 態 におかれていた 時 には、軍事 的専制、主体 の自由等々 について話 した り害 いた りす るの はたいへんナ ンセ ンスであった。 ‑‑‑ロン ドンや他 の大 きな都市 の街頭 に出没 してい る子 どもたちを、強制 して学校へ送 る ことに私 はまった く 蹟躍 しない( 1 5 ) 。」

民衆教育 は犯罪 の予防 あるい は犯罪率 を押 し下 げる手段 として位置づ けら れ、華々 し く喧伝 もされたのである。 ところで、なぜ ゆえそ うなのか、民衆 教育 の言説がなぜ ゆえ常識化 され、イデオ ローグたちを衝 き動か したのか、

とい う疑 問が当然 の ことなが ら湧 き上が って くる。民衆教育 の言説 は、犯罪 の予防のための政策立案 の場 でかたちづ くられた ものであることを示唆す る に こ、 こで は とどめてお く。ともあれ 1 9 世紀前半 の教育政策 の立役者であ るケ イ ( James Phi l l i ps Kay ,のちのSi r James Phi l l i ps Kay‑ Shut t l e wor t h , 1 8 04‑ 1 877)も 「 犯罪件数 は共同体 の道徳状態 を確か める一 つの主要 な手段 で ある

(16)

とのゆるぎない確信 を披歴 してい るように、犯罪件数 ・犯罪率 は労 働者大衆 の道徳状 態 の指標 として とりあ げ られていた。犯 罪 を第 一義 的 に

<道徳 >状態 に関わ らせて考 えてゆ くことは、 この時代 の思想潮流 のなかで

( 1 5 )J ame sSi mps on ,ThePhi l o s o ph yo fEduc at i o n ,u ) i t h i t s pr a c t i c a la p pl i c a t i o n t oas y s t e m a ndpl a no f P o pul a re duc at i o na sana t i o nalo b j e c t ,s e c o nde d. ,

1 8 3 6 ,p. 1 7 1 .

( 1 6 )J ame sPhi l l i psKa y ,TheMwala ndPh y s i c alCo ndi t i o no f t heWo r k

i

ng

Cl a s s e s ,s e c onde d. ,1 8 3 2( r e p.1 9 6 9 ) ,p. 6 0.

(11)

イデオ ロギー としての、 あるい は言説 としての <教育 >をめ ぐって

13

は、犯罪 を民衆教育状態 の基本 的指標 として とりあげていた ことと同義 であ る。1 835 年 の教育 に関す る特別委員会 の報告書 もまた、犯罪者数 の急激 な増 加 による国家財政 の支出増大 は、宗教 的そして道徳 的教育が不足 あるい は欠 如 していることに起 因 している、 とのステレオタイプ化 した結論 を導 きだ し てい る

(17)

もち ろん、民衆教育 の言説 は、犯罪 の予防 とい う政策立案 の場 でのみかた ちづ くられたわ けで はない。救貧費用 の増大 そ してその非効率的管理 に対 す る関心 のなかか らも民衆教育 の言説 は現れて きてい る。言 うまで もな く、 そ れ は救貧対象 とな る貧困状態 ( paupe r i s m) に対 す る防壁 としての教育 とい う 意味 である。

「 教育 は将来 の世代 か ら貧困 ( paupe r i s m)の芽 を とり除 き、 そ して大 衆 の精神 と道徳 のなかに社会 の諸機 関のためになる最良の保 障 を獲得す

るための、最 も重要 な手段 の一つ として見 なされ るべ きである

(1

8 ) 。 」

「 薦槽 な く次の ように言 える

貧困 ( paupe r i s m) や犯罪 を予防す るた めの、 そ して貧民階層の状態 を向上 させ るための道徳 的手段 は、犯罪 あ るい は貧 困の直接的抑圧や防止 のために採用 されてい る物理的手段 の ど れ よ りも長 い期 間 にわたって効力 あるものの ように見 える

(1

9

)。」

「 悪徳 と肉体的頚廃 の源 は貧 困 ( pauper i s hl ) の原因 と同類 である。貧 民 の間 で最 も貧 困 ( de s t i t ut e) な者 は、 しば しば最 も道徳 的 に低 い者 ( demor al i z ed) である一一 徳が最 も確実 な節約策である一一一悪徳 は浪費 と欠乏 によって絶 えずつ きまとわれ る。最 も被救貧民 ( paupe r)が多い 場所 に、 ジン ・シ ョップ、 タバー ン、 ビア ・ハ ウスが最 も多 い( 2 0 )

。」

(17)R

@

0

7 1 1835 ,報普 p. V.

( 1 8 )J ame sPhi l l i psKay ,Th eTy m' ni ng o fPa u pe rChi l dr e n ,1 8 3 9( r e p.1 9 7 0 ) ,p.

4.

( 1 9 )R 勿o d1835 , 報告 質問 2 79 に対するケイの証言

( 2 0 )J ame sPhi l l i psKay ,Th eMo 7 1 a la ndPh y s i c a lCo nd i t i o n". " . ,p. 5 7 .

(12)

もしケイが時代 の典 型 だ と考 え られ な い な らば、 チ ャツ ドウイック ( Si r Edwi n Chadwi c k , 1 8 0 0 ‑ 1 8 9 0 ) とシーニ ュア ( Nas s au Wi l l i am Se ni o r , 1 7 9 0 ‑ 1 8 6 4 ) に よって書 かれた 1 8 3 4 年 の救貧法報告書 の最終 章 をあげて もよ

い 。

「 正 しい原則 と習慣 を一般 に広 めるために は、なん らかの経済的取 り決 めや規制 を求 めるよ りも、道徳 的 そ して宗教的教育 の影響 を求 め るべ き で ある。‑・ ‑ ( 私 たちが提案す るの は)教育 の進歩 を現在 阻害 し、 その 成果 を妨害す る障害物 を取 り除 き、貧民 階層 の知的 そ して道徳 的状 態 を 高 め るために用 い る ことので きるあ らゆ る手段 を自由 に操作 で きるよう にす る ことで ある

教育 のために現在割 り当て られてい る基金、 その多

くは社会 の現在 の要求 にはそ ぐわ ない方法で使 用 され てい るが、賢明 に そ して経済的 に用 い られれ ば、国家 によって提供 す る ことので きる援助 をすべ て の人 々 に与 え るの にそれ は充 分 で あ る、 と私 た ち は信 じてい る

(21)。」

ここには 1 9 世紀前半 の公式的見解 とで もい うべ きものが集約 されてい る。

政治 的 あるい は社 会的問題 は道徳 あるい は理想的 な ことばで語 られ、「 進歩」

に対 す る揺 るぎのない信奉 が示 されてい る

救貧 の問題 は労働者大衆 の道徳 問題 とい う枠組 みで考 え られ、民衆教育 の言説 は救貧 の問題 を労働者大衆 の 生活習慣、文化 の問題 へ と焦点 をず らす過程 で現れ て きた もので ある

道徳 問題 は当然 の ことなが ら教育 を合意 してお り、社会 ・経済諸問題 は教育 問題 として語 られ る こととな る。 こうして教育 に対 す る財政的援助 は、他 の支 出

‑ 救貧費 、犯罪者処罰 のための費用 な ど‑ を抑 える ことにな る、 とい う 言説が人 々 の頭 にのぼって くる。

( 2 1 )Po o rI , a u )Re po r t1834 ,pp . 4 9 6 ‑ 4 9 7 .

(13)

イデオ ロギー としての、 あるい は言説 としての<教育 >をめ ぐって 15

既 におわか りの ように、以上 の ような言説 の裏 に見 え隠れ してい る もの は ヴ ィク トリア ン ・モ ラ リズム とで もい うべ きものであ る

モ ラ リズム とい う ことばか らも推察 され るように、犯罪 は<教育 >言説 のなかで <道徳 >問題 として位置づ け られ、かたちづ くられてい ったのである。「 不幸 な こ とに犯 罪 0( )00000 は私 たちの住民 の大 問題 の うちで重要 な特徴 となってい る。犯罪 は道徳 的病

( )0( )00

弊 の派生物 で あ り、その道徳的病弊 はけっ して正確 に測 る ことはで きないが、

0 その重大 さだ けは立証 で きる

(22)。」

同 じことだが こうも述 べ られ てい る

「 犯

0000000

罪 は道徳 的病気 であ り、道徳 的治療 を必 要 とす る

‑‑ この義務 を遂行 す る のに失敗 す る ことは社会 に対 す る大 きな犯罪 で ある

(23)。」

モ ラ リス トとしての教育家 は、彼 らが多かれ少 なかれ その根本 で は信奉 あ るい は是認 してい る社会 ・経済制度 自体 に、社会 問題 の原因 を探 し求 める こ とはせず に、大衆 の上 へ と罪 を転嫁 した。 た とえば、既 に示唆 しておいた よ うに、犯罪 は貧 困の ような社会構造 的 な矛盾か ら生 じる とい う考 えは否定 さ れ、あ くまで も<道徳 >的窮乏 に こそその究極 的原因が探 し求 め られ る。「 最

も大胆 な若年常習犯 の犯罪 の要因 は物質 的窮乏 で はな く、教育 の欠如で もな 00 い。 その要因 は初期 の訓育 ( t r ai ni ng) の欠如 そ して親 の怠慢 か ら生 じた道徳

000

的窮乏で ある( 2 4 ) 」とい うように。「 道徳 的窮乏」の内実が いったい どの ような もので あるか は後 につ まび らか に しな けれ ばな らないが、 ここで は少 な くと もイデオ ロー グたちの多 くは<道徳 > とい うこ とばで多 くを語 ろう とした こ とがわかれ ば充分 で あ ろう。

この点 で 1 8 3 2 年 の コ レラの蔓延 そ して貧民大衆 の状 態 に精 通 していた ケ イの語 ることばは、資本主義 の擁護者 としての、 そ して時代 の主導的 イデオ

ローグた る彼 の面 目躍如 た る もので ある

( 2 2 )J e l i nge r C .Symons ,o p c i t . ,p. 1 5 . ( 2 3 )Z b i d. ,p, 9 6.

( 2 4 )Mar yCar pe nt e r ,Juv e ni l eDe l i nq ue nt s IThe i rCondi t i o n a nd Tr e at me nt ,

1 8 5 3( r e p.1 9 7 0 ) ,p. 3 6.

(14)

「ここで完膚 な きまで に暴 いた害悪 は、 産業 システムの必然的結果で は

く )0 JJIrrI ●

な く、大 いに異 なった、偶然的な起源 を持 ってい るし、思慮分別 のある

●●

統御 によって完全 に取 り除 くことがで きる

。」

「 制限 され ない商業 の自然 な傾 向が社会 のエネル ギー を発達 させ る も のであ り、生活 の快適 さや満足 を高 めるものであ り、社会 のあ らゆる棉

●●●●●●●●●●

成員 の物質的状態 を改善す る と信 じているので、 この町の産業 に関連 す る下層階級 の状態 を忠実 にしか し愛情 もって描 いて きた。 とい うの も、

●●●●●●■●●●●●●●●

状態 に影響 を与 える害悪 はそれ固有で はない外部 の要因か ら生 じるもの と考 えてい るか らである。 文明の進歩 を促 し、 世界 に広 め るシステム‑

それ は商業組織 の利益 に基づ き、恒久的国際法 を樹立 し、国家 の平和 を

●●●●■●●

維持 す ることを約束す る‑ は、 最大多数 の民衆 の幸せ とは矛盾 しない。

‑‑道徳的 そ して物質的頑廃 は野蛮 さ ( bar bar i s m) か ら切 って も切 れな い関係 にある。」

●●●●●●●●●●●●●●●

「 労働者階級 に影響 を与 える害悪 は、商業 システムの必然的結果 で はな

●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●

いが、 その活力 を脅かす もので はないにして も、 そのエネルギーを損 な

●●● ●●●●●●●●●●●●

う病弊 ( di s e a s e)である証拠 を提供 してい る( 2 5 ) 」

こうしてケイに典型 をみ ることので きるあまたのモラ リス トたちにあって は、現在 の 「 病弊」 は 「 遠 いあるい は偶発的な起源」 によるもので、 あ くま で も 「 病弊」 の控乱的影響 は一時的 な ものであ り、根本 においては現行 の社 会 ・経済制度への信仰 は揺 るぎのない ものであった。 そ して労働者大衆へ と

「 病弊」の原因 と罪が転嫁 された。 もち ろん原因 と罪が労働者大衆へ と転嫁 さ れた といって も、労働者大衆 の 「 生 まれなが らの」本性 あるい は出 自によっ て現在 の 「 病弊」が惹起 された とい うので はない。 そのような宿命論 に立 つ ことはブルジ ョア・ イデオ ローグにはで きなか った はずで ある。 もち ろん「 生

( 25 )Ja me sPhi l l i psKay ,TheMo r alandPh y s i c alCo ndi t i o n… … , pp. 1 5, 7 7 ‑ 7 8 , 7 9 .

(15)

イデオロギーとしての、あるいは言説 としての<教育>をめぐって

17

まれ なが らの」 本性 とい う考 え を裏 口か ら こっ そ り導 き入 れ て い る こ とが な いわ けで はな いが、 彼 らは基 本 的 に は環 境 論 を主 張 す る

労働 者 大 衆 を取 り 囲 む環 境 を望 ま しい状 態 に設 定 す る こ とに よって、彼 らは この 「 病 弊 」 か ら 逃 れ る こ とが で きる と説 くの で あ る

.

しか しそ の 「 環 境 」 はけっ して第 一 義 的 に は 「 物 質 的」 で はな く 「 道 徳 」 で あ る。 こ こに <道 徳 > とく環 境 > との 合体 が み られ る

それ を道 徳 環 境 主義 ( mor alenvi r onme nt al i s m) と呼 ぶ こ ともで きよ う( 2 6 ) 。 しか しだか ら とい って、労働 者 大衆 に対 して、 自分 た ち 自 身 の環 境 を設 定 し、 問題 を解 決 す る 自律 的能 力 が付 与 され るわ けで はな い。

付 与 され れ るべ き もの は、 あ くまで も 「 上 か ら」 の <道徳 的 >環境 、 それ も いわ ば家 父長 的 な傾 きを もった もので あ った。

( 2 6 ) 「 真 の衛生改革者 は肉体 に関 して と同様 に精神 について も顧慮 していた

すな わち、この ことが意味す るところすべて は、彼 は下水工事人、換気係 な どで ある と同様 に教育家である

o

」 ( G.Be l l ,' A Fe w Obs e r va t i o nsont hePr i nc i pl e so f Soc i alRe f or m' ,Vi s c ountl nge s t r e( e d . ) ,Me l i o y l aO rBe t t e rTi me st oCo me

,

s e co nds e r i e s ,1 8 5 3( r e p.1 9 7 1 ) ,p. 6 6 . )

ジェン トリーあるい はブル ジ ョアジーの利害 を体 してい る とみ られ る視学官 のひ とりは、 その報告書 に次の ように記 している。

「ミッ ドラン ド地 区の大衆 は大規模 にわたって国の工業 と商業 の繁栄、 そ して 国の富 に寄与 している。 ‑ その労働 によって富 を生 み出 している人々 に対 して は、その富 は道徳的改善 あるいは知的進歩 あるい は社会的幸せ とい う見返 りをも た らして はいない。

私の義務 の性格 か らいって も、私 はこの社会 の福祉 に関心 のある人々‑ 彼 ら は偏見 のない観察者、 そ してその点 に関 して判 断 をす る能力 を持 っている人々

‑ としばしば話 をす る機会が あった。それ らの人々 の一致 した意見で は、その もとで社会が苦 しんでいる害悪 は本質的 に道徳的であ り、た とえ労働 の報酬 を二 倍 に して も何 も変わ らない し、 物質的状態の全般 的そして よりあ きらかな環境 の

どんな変化 もそれ らに影響 を与 えないで あ ろう、 とい うことであった

」( Mi n‑

ut e so ft heCo mmi t t e eo fCo unc i lo fEduc a t i o n ( 以下 MCCE と略) , 1 8 4 5 , Vo l . 1 ,pp. 2 6 4 ‑ 2 6 5 ,Se e ,MCCE,1 8 4 6 ,Vol . 2 ,p. 1 7 8 . )

「 下層階級での肉体 の適切 な健康 と充分 な活力 とを獲得す るためには、 どのよ うなステ ツプを踏 めば よいか と間われた際 に、彼 ( ひ とりの内科医)はこう答 え

‑ I ‑‑ :‑ : :‑ I ‑I T ‑ ‑ ‑ : ‑ 三 主 L ‑ {= 喜 ‑ I ‑ ;一 三二 : : I : ̲ : I ‑ : ̲ : ‑ I . ‑ I : : I I I = ̲ : ̲ , : ∴ 主1 I +: I :I 二f :: 蓮三 三 三 三

にちがいないので、彼 らに教育 を強 いるよう案出 された どんな手段 も、私 の意見

で は衛 生状 態 の進 歩 で の最大 の ス テ ップで あ りま しょう。

」( MCCE

,

1 8 4 4

,

V o l

.

2 ,p. 2 7 1. )

(16)

か くして労働者 階級 の 「 病弊」 は教育 イデオ ロー グの診 断内で決定的 な意 味 を持 つ ことにな る

貧民 をその貧困 ゆえに責 め ることによって、教育家 た ち は自分 たちの対 応 は、取 り除 くこ とので きる害悪 に対 す る人 間的 そ して本 質的 にキ リス ト教 的対応 であ る、 と信 じる ことがで きた。

ところで、 イデオ ロー グたち は政治 的 あ るい は社会的問題 を道徳 問題 とし て捉 え、第一義 的 に教育 の問題 として論 じていたが、その <道徳 ( mor al s ) >

とはいったい何 なのだ ろうか。<道徳 > とい うことば はつか み どころのない、

とて も漠然 とした もので あるが、イデオ ロー グたちが この ことばを発す るの は、つね に労働者大衆 に責 め を負わす時で あった。<道徳 > とい うことば はそ うい う指 向性 とで もい うべ きものを もっていた

彼 らが <道徳 > とい うこと ばを口にのぼ らせ る とき、彼 らはその ことば を労働者大衆 の生活習慣全般、

その文化、 あるい は文化 的欠損 の同義語 として語 っていた。 もち ろん非難 を 込 めてであ る。そ してイデオ ローグたち はこの <道徳 > とい う項 目の もとに、

労働 者大衆 の家族生活 の崩壊、過激 な政治的扇動、飲酒、ギ ャンブル、売春、

祝祭 、 はた またタバ コに至 る までのあ りとあ らゆ る もの を詰 め込 んだ といっ て も過言で はない。 その結果、独特 のメタファーでち りばめ られ、断罪 され た 「 野蛮 な」生活習慣 のおそるべ きカタログが完成 された。

一例 を とりあ′ げてみ る と、勅任視学官報告書 あ るい は議会 の教育調査特別 委員会報告書 には非難 を込 めて タバ コについて記 きてい る。「 嘆 ぎタバ コや タ バ コが ビア ・ハ ウス 自体 と同様道徳 的進歩 に とって大 きな敵 とな らないか ど うか はたいへん疑 問で あ る

とい うの も母親 が喚 ぎタバ コにふ け り、父親 が タバ コにふ ける と、子 どもに対 す る彼 らの義務 はまった くないが しろにされ て しまう

(27)

」 「 噛 みタバ コは一般 的で あったのですか ?‑ はい、職人層 でそ うで あったが、 い まや 同 じ よ うな環 境 で はそれ はほ とん ど知 られ て い な

い (28)o」

( 2 7 )MCCE ,1 842,Vol

.

2,p. 1 07.

( 2 8)Re por t 1835 質問 792 に対するフランシス ・プレースの証言。

(17)

イデオ ロギー としての、 あ るい は言説 としての <教育 >をめ ぐって

19

留意 すべ きは これが教育 に関す る報告書 だ とい うことで ある

そ こにわ ざ わ ざタバ コについて記 されてい る事実 で あ る。 この引用 はあ くまで も氷 山の 一角で しか ない し、これ に類 した ことは 1 8 3 0 年代 の議会 の委員会 あるい は視 学官報告書 にあ きあ きす るほ ど見 られ る

なぜ ゆえ教育 とほ とん ど直接 関係 のない事柄 が めんめん と述べ られてい るのだ ろうか。 それ は労働 者大衆 の暮 らしぶ りの隅々 に至 るまで観察 し、 それ を媒介 として <教育 > といったい何 を関 わ らせ て い くか、<教育 > とい う こ とば に何 を内包 させ てい くか、<教 育 > とい うことばによって どの ような意味 を人々 に押 しつ けるか、 それ をめ ぐる争 いが展開 していたか らで ある。とくに 1 8 3 0 、4 0 年代 はこの ことの争 い が沸騰 した時代 で もあった。

犯罪、貧 困、道徳 的 ・肉体 的頑廃 は、 あたか もコレラが各地 とりわ け諸都 市 で猛威 をふ るい、人々 を次か ら次へ と呑 みつ くし、 その犠牲者 の数 を爆発 的 に増 やす <感染 >イメー ジ として、人 々 の脳裡 に焼 きつ け られた。だか ら、

この <感染 >の危険性 のなか に棲 む労働者 階級 の子 どもは、病気 と頚廃 の格 好 の標 的で あ り、したが って社会 に とって潜在 的 に危険 な もの とみな された。

なぜ、 あるい はどの ようにして この ようなイメー ジが生 み出 され たか は後 に 触 れ る として、 まず はこの危険性 の根 っ こはいったい どこにある と捉 え られ

ていたのだ ろうか、 とい う問いか けか ら入 ってゆ くことに しよう。

それ に答 えるため に は、<道徳 > とい うこ とばに当代 のイデオ ローグたち が い ったい何 を押 し込 め よう としていたのか、 とい う問 い に戻 ってゆ く。

Ⅰ‑ 3 「家庭 崩 壊 」 言 説 をめ ぐって

労働者大衆 の文化‑ それ をブル ジ ョア ・イデオ ローグたち は<道徳 > と 呼ぶが‑ をめ ぐる独特 のメタ ファーが数限 りない ほ ど生 みお とされてい る が、そのメタファーの絡 み合 いのひ とつ の磁場 は、独特 なイメー ジそ して「 意 味 を押 しつ け られ た」と言 うにふ さわ しい <家族 >へ と収赦 していってい る。

「 家庭 は労働者 に とって避難場所 ( s he l t e r ) とい う以外 に何 の関係 も持 ってい

ない‑ そ こにはまった く楽 しみ とい うものが ない‑ ⊥ 彼 に とって家庭 はそ

(18)

こにいっ ときで もいた くない肉体 的疲労 の光景 に しかす ぎない

(29)。」

「この階 級 の人 々 は住 む ところは持 ってい るが、家庭 ( homes ) を持 っていない ことは 悲 しむべ き真実で あ る

(30)。」

人々 を暗港 とさせ る この ような言説 が そ こここ で振 りまかれていた。 この労働者大衆 の 「 家庭崩壊」言説 が上 に立 つ者 を震 え上が らせ、彼 らを衝 き動 か し、教育 を含 めたブル ジ ョア的戦略 とで もい う べ きものの基盤 を形成 した ことは言 うまで もない。 た とえば家父長 的な「 家」

の再興 、 そのアナ ロジーでの家父長 としての教 師像 はこの戦略 の一翼 を担 う もので\ ある

ところで この言説 はもち ろん現実か ら析 出 された ことは確 かで ある

だか らこの言説 の読 み手 たるわれわれ は少 な くとも二つ の作業 を経 な くて は批判 的読 みへ と到達 で きないで あ ろう

ひ とつ はそれが現実 を どの程度 に反映 し たか、 とい うことで ある

この点 の検証 は実証 的 な研究 にゆだね ざるを得 な い

(3

1 ) 。ふたつめ は、 こち らの方が私 の主要 な関心で あるのだが、言説が逆 に 現実 を どの ように意味づ けたか、 とい うことで ある。現実 のあ る一 断面 を き りとり、 ことば化 す ることによって、人 々 に対 して現実 を見 る どの ような視 角 を押 しつ けたか、 といった方が よいか もしれ ない。

い うまで もな く、 この独特 の表象 を押 しつ け られ た労働者大衆 の家族像 、 そ して 「 家庭 崩壊」言説 の出所 はブル ジ ョア的家族 イ メー ジであ る。 中産 階 級 の人 々が労働者大衆 の家族現象 に直面 し、 それ を解釈 し、 ことば として表 現 した際、 その描 かれた像 は、家族 は どうあ るべ きか とい う彼 らが描 く家庭 像、 ブル ジ ョア的理想 か ら導 き出 された規範的概念 によって彩 られ ていた。

もう少 し言 うな らば、労働者大衆 の家族現象 とで も言 うべ きもの に対 して、

(29)

Jame sPhi l l i psKay ,TheMwa la ndPh y s i c alCo ndi t i o n. .

...

. ,9. 25.

( 3 0 )MCCE ,1 8 44,Vol . 2,p. 278.

(31)19

世紀 ランカシャーの労働者階級の家族に対する都市 ・工業化が及ぼした影

響 を、国勢調査書 を用いて分析 した M. アンダーソンの著作 ( Mi c hae lAnde r s on

,

Fa mi l y s t r uc t ur ei n ni ne t e e nt hc e nt uり La nc a s hi r e ,Cambr i dgeUni ve r s i t y

Pr e s s

,1971)

にここでは依拠することが多い。

(19)

イデオロギー としての、あるい は言説 としての<教育 >をめ ぐって

21

家族 的価値 へ の脅威 を感 じ取 った彼 らの過剰 ともい える防衛 的反応が、独特 のイメー ジを持 たせ られ た労働 者大衆 の家族像 を生 み出 し、増殖 させ たので あ る

「 家族 的価値 」 とい うこ とば はい ささか練 れ ていない感 が しないで もない が、「 家庭崩壊」言説 をめ ぐるい くつかのイメー ジを と りあげ るこ とによって、

その ことは明瞭 にな るであ ろ う

まず は 「 家庭崩壊」 の最右翼 の要因 のひ とつ として、産業革命 による女性 と りわ け母親 の労働 市場 へ の流入 を と りあ げてみ よ う。工 場 内 にお け る女 性 ・婦人労働 に対 す るステ レオ タイプ化 した構 図 は次 の ような もので ある。

「 母親 も ( 父親 同様 )外へ働 きに出 る

とい うの も父親 の稼 ぎだ けで は 家族 を養 うのに充分 で はないか らで あ る。 ・ ‑‑子 どもたち は少女 に預 け られ る

その少女 の親 たち はたぶ ん もっ と貧 し く、喜 んで娘 を稼 ぎに出 し、家計 の助 け とな るようにしてい る。こうして 1 2 歳 にな る前 に外へ働 きに行 く多 くの例 を私 は知 ってい る。 それ らの子 どもたち はその預 か っ てい る小 さな子 どもたち‑ まあなん とかわ いそ うな子 どもたち !‑

の最初 の悪 をチ ェ ックす る ことがで きない。彼女 らは街頭 で身 につ けた もの以外何 も教育 を受 けて はいない。 そ して彼女 らが面倒 見 てい る子 ど もたちに この ことが容易 に教 え られ る。 それ は一般 にペ てん、嘘、 こそ どろ、 そ して まった く卑 わいな ことで ある

(32)。」

「 少女 たち は幼 い年齢 で工場 に働 きにはい るので、家庭経済 ( dome s t i c e conomy)についてた くさんの知識 を得 る ことがで きない。 た とえ この 知識 を得 る とい う偶然 の機会 に恵 まれ たに して も、女性 は工場 で雇用 さ れ るので、結婚後 もこの原則 を実際 に応用す る ことはない。幼 い子 ども はその システムの犠牲者 で ある

すなわ ち、母親 が骨折 って働 いてい る

( 3 2)Sa mue lWi l de r s pi n ,O nt heZ mpo ク 勿nc eo fEduc at i n gt heI n f antPo o r ,f r o m

t hea geo fe i ght e e nt hmo nt h s ," " . ,s e c onde d. ,1 8 2 4 ,p. 8 7.

(20)

間、雇 われ た人 あ るい は近所 の人 の世話 に任 せ っぱな しにされ る以前 に、

既 に死 んで しまってい る。時 には小 さな少女が一人 の子 どもを、 あ るい は近所 の家 か ら集 めた

2

3

人 の子 どもたちの面倒 を見 てい る

この よ うに子 どもの養育 に対 して思 いや りも関心 も持 ってお らず、 あるい は秦 事 に時間 を とられてい る人 に預 け られれ ば、子 どもは食事 も満足 に与 え

られず、汚 く、衣服 も満足 で はな く、寒 さにさ らされ放置 され、 その結 果 貧 民 の子 ど もた ち の半 分 以 上 は 5 歳 に達 しな い うち に死 ん で し ま

う (33)。」

工場 で雇用 されてい る女性 は一 日中家庭 か ら離れ て外 で働 いてい るので、

子 どもたち を自分 の手元 において養育 す る ことがで きない し、当然 の ことな が ら、食事 の準備 その他 の家事 を充分 に こなす ことがで きない。 あるい は他 の人々‑ 望 まし くないその象徴 は子守女‑ によって提供 され る 「 嘆 かわ しい」 サー ビスに頼 る状況 で働 いてい る、 とい うので ある

労働者 階級 の母 親 をめ ぐる論争的 あるい は挑発 的 ともい える一連 の主張 は、長時間工場労働 の結果 として、多 くの働 く女性 は時間 も余裕 もな く、家庭 と家族 の世話 もゆ きとどかず、 ひいて は安 らぎのない家庭 に嫌気 が さ して父親 や子 どもたち は 街 の悪 い仲間や飲 み屋へ と吸 い寄せ られてい く、 とい うもので あった( 3 4 ) 。か

くして、子 どもの養育が無視 され る要 因、親 に対 す る子 どもたちの態度 に影 響 を与 える要素 として、 「 働 く母親」は決定的 ともい える重要性 を持 つ ことと

なる。

なぜ ゆえ家族収入 に対 す る 「 働 く母親 」 の貢献 が積極 的 に評価 されず に、

( 33)Jame sPhi l l i psKay ,Th eMo r a la ndPh y s i c a lCo nd i t i o

n

…… ,pp. 69 ‑ 7 0.

(34)

「 男性の余暇時間は主 としてパブで過 ごされている。事実 は次のようなことで

ある。女性 はや りくりのこつやすべを欠いてお り、家庭管理あるいは家庭の安 ら

ぎについての考えをまった くもってお らず、 居酒屋を家庭の炉辺 よりもより安 ら

ぎのある場所 にしている。その結果、 家族のすべての時間 とお金 は浪費 され、 誤っ

て用いられている

」( MCCE ,1 84 6,Vol . 1 ,pp. 201 1 2 02 . )

(21)

イデオ ロギー としての、 あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって 23

逆 に唾棄 され るべ き存在 として定 め られ、 し りぞ け られ たのだ ろうか

(35)

. と い うの は第一 に、完全 な るヴ ィク トリア ン ・レデ ィー は働 か ない こ とを理想

としていたか らで ある。レデ ィー は家庭 内 にいて、子 どもたち をよ くしつ け、

夫 にか しず き、全面的 に依存 す る ことが その理想 とされていたので ある。 し たが って、「 働 く母親」の ように自分 自身 の稼 ぎを もっ ことは、「自然」と「 男 の保護本能」へ の侮 辱 に他 な らなか ったので あ る。

第二 に、 ヴ ィク トリア朝 の人々 は、女性 は無垢 で純潔 で あ るべ きとの根強 い信仰 を持 ってお り、 その ような信仰 あ るい は観念 か らすれ ば、工場 での女 性 労働 はふ さわ しい もので はなか ったか らであ る

なぜ な らば工場労働 は蔓 延 す る 「 性 的ふ しだ らさ」 ゆ えに純潔 さを積 す ものであった。 この ことに多

くの言及 をしてい るギ ャスケル ( Pet erGas kel l ) に よれ ば、

「 工場 内 に多数 の若 い男女 が一緒 に押 し込 め られ てい る ことが道徳 的 過失 の原因 となってい る

高温 の環境 とい う刺激 ( 工場 内での平均室温 は華氏 70 度 か ら 75 度 で、以前 はもっ と高温 であった)、男女 の接触、動 物 的情欲 へ の挑発例‑ すべてそれ らの こ とが あい まって本能 的性欲 を 早 い うちか ら刺激 して引 き出す ことになった。実際 この点 で は製造業 で 雇用 されてい る女性 は、南国 の気温 で働 いてい る女性 にほぼ等 しい。‑‑

観察が教 える ところに よれ ば、個人 が傷 ついてい るばか りで な ぐ性的 交渉 を享受 してい る とい う疑 う余地 のない証拠が あ る場合 には、女性 の この時期 ( 思春期) に伴 う、 そ してそれ に先立 つ一般 的特徴 が欠如 して い る

そ うであ るばか りで はな く、若干 の場合 には妊娠 してい ることが ある

(36)。」

( 3 5 )Ne i lMc Ke ndr i c k,̀ HomeDe ma ndandEc ono mi cGr owt h:ANe wVi e w o f

t heRol eo fWome n a nd Chi l dr e n i n t heI ndus t r i alRe vol ut i o n' ,i n Ne i l

Mc Ke ndr i c k ( e d . ) ,Hi s t o r i alPe

y

申e c t i v e :St udi e s

i

n En gl i s h Tho u ghta nd

So c i e t y ,Eur opaPubl i c at i onsLi mi t e d,1 9 7 4 参照。

(22)

事実 としての 「 性 的放縦」 を どの ように位置 づ けるか は ここで はで きない が、 その よ うな言説 が あ る事実 に意味 を押 しつ け、 それ を増殖 させ た ことを ここで は確認 してお けば充分 で あ ろう

だか ら矛盾 してい ることに、工場 で 働 く少女 たち は 「 性 的放縦

‑ その基準 は私生児 の多 さによって はか られ る‑ そ して避妊 その基準 は私生児 の少 な さに よって はか られ る‑ に よって非難 され る ことにな る

同様 の ことは次 の ように もまことしやか に語 られ る

綿工場地 区で 「 庶 出が広 まっていな けれ ば、淫乱以上 の悪 が それ を 抑 えてい る

最近 明 らか になった ことは埋葬 クラブか らの埋葬金欲 しさに母 親 が子 どもに毒 を しば しば飲 ませ ていた

(3

7 ) 。」婦人 ・ 女性 が家事能力 を失 った

ことについて も、事実 としてそ うなった とい うことと同時 に、 ヴ ィク トリア 朝 的 <女性 ・婦人 >概念 の視座 か らの批判 で あ る とい う点 に留意 すべ きであ

この ような言説 に囲 まれ て、「 無性 の母」はよ りその神聖 さを増 す ことにな る。

「 女性 に対 して、その さまざ まな関係 の中で も、とりわ け次 の世代 を担 う若 い人 々 の幼 い時 の監視 ・監護 が託 されてい る

す なわち、精神 的性 質 の最初 の芽生 えを呼 び起 こし、育 て るの は女性 であ る

女性 は幼 い心 に愛情 を注 ぎ込 むべ きで あ る

その愛情 は幼 い心 の内部 で、神 聖 な、情 の深 いそ して純粋 な源 として常 にな るべ きもので あ る。他方で、 は、少年 のエネルギー と衝動が 自己統制 の限界 を超 えて まで 自 らを猛烈 に示 した 場合 には、‑‑女性 は少年 を抑 え、彼女 の弱 さを使 ってで も彼 を強 くし な けれ ばな らない。成人 してか らも重要 な義務 はその性 に与 え られ るベ

( 3 6 )Pe t e rGas ke

ll

,TheMa nu f a c t ur i n gPo l ) ul at i o no fEn gl a nd, c h. 2 , quo t e di n E.

Roys t o nPi ke( e d . ) , Huma nDo c ume nt so ft heI ndu s t r i alRe v o l ut i o ni nBn' t a i n

,

Geo r geAl l e nandUnwi n,1 9 6 6,pp. 2 8 0 ‑ 2 8 1.

( 3 7 )J e l i nge rSymons

,

o pc i t . ,p. 3 9 .

(23)

イデオロギー としての、あるい は言説 としての<教育 >をめ ぐって

25

きで ある

自然 の創造者 はその性 に対 してそれ ほ ど力強 くはないが、精 神的 ・肉体 的力 をあたえ、肉体 と精神 のたいへんな感受性、感情 の繊細 さ と洗練 さをあたえた。女性 に対 して家庭 の神聖 さが託 されている

す なわ ち、 そ うで もしなかったな らばその毎 日の営みがみずか らの性質 ・ 自然 を駄 目にして しまい、 自分 たちの魂 を世俗 の動揺 に鎖でつな ぎ止 め て しまう人 々の中に、女性 は柔 らかなそして純粋 な感情 を喚起 し、育 て るべ きで ある

救世主 はまず最初女性 に対 して不滅 の形 で 自らを示 し、

女性 に近 づ きつつある彼 の賛美 の最初 のメ ッセー ジを託 したように、母 親 の膝で あれ‑ あるい は家族 サー クルでの神聖 な会話 の中で あれ‑

悲惨 なそ して悪徳 のす まいのなかで あれ一一 一 一 . 死 にゆ く床 であれ、幼 い子 どもに対 して伝 えられ る福音 の神聖 なメ ッセージは、女性 にゆだね られ ている

(38)。」

家族 的価値 への脅威 と映 った もの はなにも母親 の工場労働 だけで はない。

子 どもの労働 のあ りようもそのひ とつである

当時の人々の公約数的解釈 に よれば、親 はその子 どもたちを養育 し、学校へ送 り、教育 を受 けさせ る義務 を放棄 し、幼 い年齢 で労働市場 に投 げ入 れ、 その労働力 を搾取 している

そ れだけで はな く、 この関係 はある時点で逆転 し、親 はその子 どもか ら手痛 い

「しっぺ返 し」 を受 けることになる、 とい うのだ。

「しばしば父親 は、健康 になん ら問題 もな く、雇用 の機会 もきわめてた くさんあ るに もかかわ らず、ぶ らぶ ら怠 けてお り、 その働 か されてい る 子 どもたちの賃金 によって生活 してい る

他方で は、老年や衰弱で親 の エネルギーが損 なわれた場合 には、成人 した子 どもたち は親 たちを教 区 の救貧か ら得 られ るわずかな生活費 に委ねて しまう( 3 9 ) 。」

( 3 8 )Ma r yCa r pe nt e r , o Pc i t . ,pp. 8 1 ‑ 8 2 .

( 3 9 )Jame sPhi l l i psKay ,TheMwala ndPh y s i c alCo ndi t i o n" . . . . ,p. 6 4 .

(24)

「 子 どもの労働 は親 の労働 を超 え勝 ちである。ここに想像 で描 き出す こ とのたいへ んや さしい社会生活 の状 態‑ それ を家族 とは私 は呼 ばない

‑ が出現 す る。 す なわち、 もの ご とのすべての秩序 をひっ くりか えす 状態 で あ る

金 の力が支配 す る、 あ るい は少 な くともか な りな影響力 を もっ ことは、世 の中で そ うで あるの と同様家族 で も真実 である。かつて 幸せ に も 『 一家 の稼 ぎ手 ( t hebr e a d‑ wi n ne r s ) 』 と呼 ばれて きた ように、

子 どもたちが 『 一家 の稼 ぎ手』であ る家族 で はそ うなってい る

子 ども が望 む ことを、家族 はしな けれ ばな らない し、 またそ うしてい る

この ような小 さな絶対君主が 3人 あるい は 4人 いる家族 で は、彼 らは自分 自 身 の価値 を知 ってお り、 その価値 に もとづいて行動す る

それ に続 く混 乱 は悲惨 な もので、額廃 的で あ る。 ‑‑

親 は命令 す るが、実際 は子 どもは親 に従 わない。 そ して さらに従 わ な い ことを誇 る。子 どもの親 は毎 日のパ ンを子 どもに食 べ させて もらって い るし、 子 どもは親 に苦 いパ ンを食 わせ てや ってい る ことを知 ってい る

この驚 くべ き邪 悪 さが どの程 度 広 が るか を言 う こ と は不 可 能 で あ る

(40)。」

この家族現象 をお どろお どろし く措写 させ るように衝 き動 か してい る もの は何 なのだ ろうか。 それ は本来情愛 とい う杵 に よって結 びつ け られ るべ き親 子 関係が、 きわ めて ドライな経済 的手段 的関係 として捉 え られてい る ことへ の恐怖 で あ る

中産 階級 を震据 させ るの に力 あったで あ ろうこれ らの言説 か らも、親 と子 どもとの 乳 樺 に決定的 ともい える影響 を及 ぼ した要因 は、子 どもが稼 ぎ出す 賃金 で あった ことが みて とれ る

実際、子 どもの賃金 は低賃金で あ る とはい え、 しば しば親 の賃金 を上 回 るこ ともあったので あ り( 4 1 ) 、親 と子 どもとの逆

( 4 0 )MCCE ,1 844,Vol . 2,p. 28 3.

参照

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