九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
音声に対する聴性脳幹反応を用いた残響下における 高齢者の音声聴取に関する研究
藤平, 晴奈
https://doi.org/10.15017/1654896
出版情報:Kyushu University, 2015, 博士(芸術工学), 課程博士 バージョン:
権利関係:Fulltext available.
音声に対する聴性脳幹反応を用いた
残響下における高齢者の音声聴取に関する研究
The Study on Elderly Listeners’ Speech Understanding Under Reverberation Using Auditory Brainstem Responses to Speech
藤平 晴奈 FUJIHIRA Haruna
2016 年 3 月
概要
聴覚は人間が生きていく上で極めて重要な感覚である。しかし,高齢になると多くの人が ノイズや残響の存在する日常生活での音声聴取が困難になる。その要因としてCommittee on Hearing and Bioacoustics and Biomechanics: CHABA (1988) は,①末梢説,②中枢説,③ 認知説を提唱しており,これまで多くの検討が行われてきた。しかし,残響に関しては未だ 明らかになっていない部分が多く,特に聴力以外の要因に対する検討は,ほとんど行われて いない。本研究では,CHABA (1988) が提唱する全ての説から,聴こえの良い高齢者の残響 下における音声聴取成績の低下に関わる要因について検討を行った。
まず,聴こえの良い高齢者と若年者を対象に残響下での単語了解度を測定し,それらの音 声聴取成績を比較することで,年齢による単語了解度の違いを調査した。その結果,残響の ない条件下では若年者と高齢者ともに90%以上の単語了解度を示し,有意差は認められなか ったが,残響がある条件下では高齢者の方が若年者に比べて有意に単語了解度が低下した。
また,高齢者の残響下における単語了解度の個人差は大きく,残響下においても良く聴き取 れている人もいれば,大きく低下する人もいることも明らかになった。高齢者において聴力 を統制していたにも関わらず残響下での単語了解度に大きな個人差が生じたことから,聴力 レベル以外に残響下での単語了解度を低下させる要因がある可能性,もしくは統制した中で のわずかな聴力レベルのバラツキが単語了解度に関与している可能性が示唆された。
残響下での単語了解度の個人差に影響を与えている要因を明らかにするために,臨床で用 いられている種々の聴覚機能の測定と,残響下における単語了解度との関連性について検討 した。聴覚機能の測定としては,純音聴力測定,ティンパノメトリー,耳音響放射測定,ク リック音に対する聴性脳幹反応 (auditory brainstem response: ABR) の測定,語音聴力測定 を行った。その結果,8 kHzにおける聴力レベルと残響下での単語了解度との間に相関があ る傾向は観察されたが,明確な関連性を示すことはできなかった。
次に,聴覚伝導路における音声の時間情報の処理の観点から,残響下での単語了解度の個 人差に影響を与えている要因を検討した。そこで着目したのが音声に対する聴性脳幹反応
(speech ABR) である。Speech ABRは,脳幹における神経発火のタイミングや神経発火する
神経の数の情報,そして内耳での位相同期による発火に関連する時間情報を反映すると考え られるため,CHABA (1988) の①末梢説の時間情報の処理の劣化や②中枢説への検討が可能 だと考えた。
高齢者におけるspeech ABRの検討に入る前に,若年者を対象としてspeech ABRの測定 や分析に関する 2つの基礎的な検討を行い,次のことを明らかにした。まず,正弦波的振幅 変調音に対する周波数対応反応を測定し,speech ABRの測定で用いられているAiken and
Picton (2008) が提案した平均処理を行い,彼らが示した理論通りの波形が実際の測定におい
ても得られていることを示した。次にspeech ABRを測定し,従来多く用いられてきた分析 方法により本実験の測定環境における若年者の値を示した。さらに,新たに提案した計算方
法による“音声刺激波形とspeech ABR波形との最大相関係数”が従来方法の値よりも高く なったことから,類似性を評価するには新たに提案した方法の方がより適した方法であるこ とを示した。
聴こえの良い高齢者から音声刺激/da/に対するspeech ABRを測定し,聴覚伝導路における 音声の時間情報の処理の観点から,残響下での単語了解度の個人差に影響を与えている要因 について検討した。その結果,speech ABRの500 Hzに対する振幅が小さい高齢者ほど,残 響下での単語了解度が低いことが明らかになった。また,500 Hzの周波数はフォルマント遷 移の第 1フォルマントに含まれる周波数であることから考えて,遷移する周波数を符号化す る能力の低下が残響下における単語了解度の低下に関与している可能性が示唆された。
次に,残響を付加していない音声と残響を付加した音声の 2 種類の音声に対する speech ABRを聴こえの良い高齢者から測定し,残響がspeech ABRに及ぼす影響と残響下での単語 了解度との関連性について検討した。さらに,CHABA (1988) の③認知説の検討を行うため に,知的能力の検査の 1 つであるレーヴン色彩マトリックス検査を行い,高齢者の残響下で の単語了解度と知的能力との関連性についても検討した。その結果,残響によりspeech ABR 波形の形状が大きく変化する高齢者ほど,残響により単語了解度が大きく低下すること,そ してレーヴン色彩マトリックス検査の結果は,残響下での単語了解度と関連がないことが明 らかになった。
以上のことから本研究では,聴力測定の結果に問題がなくとも高齢者では残響下における 音声聴取成績が低下すること,その音声聴取成績の低下の程度には個人差があること,そし て電気生理学的反応であるspeech ABRが確かに残響下での音声聴取成績に関連づけられる という3つの事柄を発見した。これらの成果により,speech ABRが高齢者特有の残響下に おける音声聴取の問題を調べるための貴重な手がかりとなることが明確となった。
目次
略語の説明 ... 1
第1章 序論 ... 3
1.1 はじめに ... 3
1.2 聴覚伝導路と難聴の分類 ... 3
1.2.1 聴覚伝導路の構造と機能 ... 3
1.2.2 難聴の分類 ... 5
1.3 加齢性難聴のメカニズム ... 6
1.3.1 聴覚末梢系 ... 6
1.3.2 聴覚中枢系 ... 7
1.4 聴覚機能の測定 ... 7
1.4.1 純音聴力測定 ... 8
1.4.2 ティンパノメトリー ... 9
1.4.3 耳音響放射 (otoacoustic emission: OAE) ... 9
1.4.4 聴性脳幹反応 (auditory brainstem response: ABR) ... 10
1.4.5 語音聴力測定 ... 11
1.5 高齢者の音声聴取能力の低下 ... 11
1.5.1 静かな環境 ... 11
1.5.2 ノイズのある環境 ... 11
1.5.3 残響のある環境 ... 12
1.5.4 音声聴取成績低下の要因 ... 13
1.6 音声に対する聴性脳幹反応 (speech ABR) ...15
1.6.1 歴史 ... 15
1.6.2 起源 ... 15
1.6.3 平均処理の方法 ... 16
1.6.4 Speech ABRによって示される情報 ... 17
1.6.5 従来の研究 ... 18
1.7 本研究の位置づけ ...19
1.8 本研究の目的 ...20
1.9 本論文の構成 ...21
第2章 若年者と高齢者の残響下における単語了解度 ...22
2.1 実験方法 ...22
2.1.1 実験参加者 ... 22
2.1.2 音声素材 ... 23
2.1.3 残響付加 ... 23
2.1.4 使用機器と測定手順 ... 24
2.1.5 分析 ... 25
2.2 結果...26
2.3 考察...28
2.4 小括...30
第3章 高齢者の聴覚機能と残響下での単語了解度 ...31
3.1 実験方法 ...31
3.1.1 実験参加者 ... 31
3.1.2 聴覚機能の測定と使用機器 ... 31
3.1.3 分析 ... 34
3.2 結果...35
3.3 考察...38
3.4 小括...39
第4章 若年者を対象としたspeech ABRに関する基礎的検討 ...40
4.1正弦波的振幅変調音に対する周波数対応反応の測定 ...40
4.1.1 Aiken and Picton (2008) の理論 ... 40
4.1.2 測定方法 ... 42
4.1.3 結果 ... 47
4.1.4 考察 ... 51
4.1.5 小括 ... 53
4.2 若年者におけるspeech ABR ...54
4.2.1 測定方法 ... 54
4.2.2 結果と考察 ... 61
4.2.3 小括 ... 64
第5章 高齢者の残響下での単語了解度と残響を付加していない音声に対するspeech ABRと の関連性 ...65
5.1 実験方法 ...66
5.1.1 実験参加者 ... 66
5.1.2 音声刺激 ... 66
5.1.3 使用機器と測定手順 ... 66
5.1.4 記録と波形処理 ... 66
5.1.5 分析 ... 67
5.1.6 統計 ... 67
5.2 結果...68
5.2.1 反応波形と周波数スペクトル ... 68
5.2.2 相関 ... 69
5.3 考察...72
5.4 小括...74
第6章 残響がspeech ABRに及ぼす影響と単語了解度との関連性 ...75
6.1 実験方法 ...75
6.1.1 実験参加者 ... 75
6.1.2 レーヴン色彩マトリックス検査 ... 76
6.1.3 Speech ABRの音声刺激 ... 77
6.1.4 測定手順と使用機器 ... 77
6.1.5 記録と波形処理 ... 77
6.1.6 分析 ... 78
6.1.7 統計 ... 79
6.2 結果...80
6.2.1 成績上位群と成績下位群における聴覚機能の比較... 80
6.2.2 成績上位群と成績下位群におけるレーヴン色彩マトリックス検査結果の比較 .... 81
6.2.3 波形と振幅スペクトル ... 82
6.2.4 分析結果 ... 84
6.3 考察...89
6.4 追加分析:Response consistency ...92
6.4.1 分析方法 ... 92
6.4.2 統計 ... 92
6.4.3 結果と考察 ... 93
6.5 小括...94
第7章 総括 ...95
7.1 各章の要約 ...95
7.2 総合的な考察 ...96
7.3 結論...97
謝辞 ...98
文献 ...99
1
略語の説明
本論文で使われる略語の説明を与える。
S/C
TEOAE
DPOAE
ABR
CHABA
HINT
TFS
FFR
Speech ABR
SD
QD
Hz
Static compliance 静的コンプライアンス
Transient evoked otoacoustic emission
短音またはクリック音に対する誘発耳音響放射 Distortion product of otoacoustic emission 歪成分耳音響反射
Auditory brainstem response 聴性脳幹反応
Committee on Hearing, Bioacoustics, and Biomechanics, Working Group in Speech Understanding and Aging
Hearing in Noise Test ノイズ下での音声聴取実験 Temporal fine structure 時間微細構造
Frequency following response 周波数対応反応
Auditory brainstem response to speech 音声に対する聴性脳幹反応
Standard deviation 標準偏差
Quartile deviation 四分位偏差
Hertz ヘルツ
2 μV
ADD response
SUB response
FW07
SAM音
fc
fm
DFT
RMS
PLV
GABA
RAU
Micro volt
マイクロボルト: 100万分の1ボルト
Speech ABRの平均処理過程において,極性が(+)から始まる
音声刺激に対する反応と(-)から始まる音声刺激に対する反応 を加算して呈示回数で除して平均する計算方法により得られ る反応波形を指す。
Speech ABRの平均処理過程において,極性が(+)から始まる
音声刺激に対する反応から(-)から始まる音声刺激に対する反 応を引き算して呈示回数で除して平均する計算方法により得 られる反応波形を指す。
Familiarity-controlled word lists 2007 親密度別単語了解試験用データセット2007 Sinusoidal amplitude-modulated tone 正弦波的振幅変調音
Carrier frequency 搬送周波数
Modulation frequency 変調周波数
Discrete Fourier transform 離散フーリエ変換
Root mean square 実効値
Phase locking value 位相同期度
Gamma-aminobutyric acid γ-アミノ酪酸
Rationalized arcsine unit 逆正弦変換値
3
第 1 章 序論
1.1 はじめに
我々は生きているかぎり歳をとる。そして,高齢になるにつれて身体のさまざまな機能が 衰えていく。例えば,筋力が低下して歩くことが困難になることや,目の水晶体が硬くなり ピントを合わせることができなくなる老眼も加齢による衰えである。聴覚も例外ではない。
加齢に伴い聴覚機能が低下して音が聴き取りにくくなることや,会話をしている時に音声は 聴こえているが内容が理解できないという訴えは多くある。
聴覚は人間が生きていく上で極めて重要な感覚である。聴覚の主な機能として音の到来方 向を知る音源定位と,何の音であるかを認識する音の識別があり,これらは危険を察知する ことや,その場の状況を把握する際の手がかりとなる。2011年に発生した東日本大震災では 多くの犠牲者が出たが,聴覚障害のある人の死亡率は全体の死亡率に比べて 2 倍であったと いう事実は,非常時における聴覚の重要性を物語っている(NHK 「福祉ネットワーク」 取材 班, 2011)。音の中でも特に音声は,危険を察知するための手がかりになることはもちろんの こと,安全を確保するための場所や行動といった多くの情報を含む重要な伝達手段の 1 つで ある。また,音声を使ったコミュニケーションは,人間の社会生活における多くの場面で用 いられており,音声の聴き取りが困難になると,会話意欲や外出志向性が少なくなり,社会 との関わりを持てなくなるため孤独感や疎外感を感じる人は多い。こうしたことから音声の 聴こえにくさは,その人の生活の質 (quality of life: QOL) にも関わる重大な問題である。
1.2 聴覚伝導路と難聴の分類
1.2.1 聴覚伝導路の構造と機能
本項では,音が耳に入り聴皮質まで伝えられるまでの聴覚伝導路の構造とその機能につい ての概略を述べる。聴覚伝導路と各器官の名称を図1-1に示す。
聴覚末梢系
聴覚末梢系は,外耳から内耳(蝸牛神経を含む)までで構成されている。
外耳
外耳は,耳介と外耳道で構成されており,音を集音して鼓膜まで音を伝達するのが主な役 割である。外耳道の共鳴特性によって,2.5~3 kHzの音が外耳道の入口よりも鼓膜付近で約 10 dB増幅される (内川, 2009)。
4 中耳
中耳は,鼓膜と耳小骨(ツチ骨,キヌタ骨,アブミ骨),中耳腔,耳管で構成されている。
中耳では,鼓膜とアブミ骨底の面積比,耳小骨連鎖のテコ比,空気振動である音と鼓膜の振 動のインピーダンス整合性の効果によって,音の振動を効率よく内耳へ伝えている (田中, 2004)。
内耳
内耳は,音を受容する蝸牛と平衡感覚を担う前庭器で構成されている。音の振動が中耳か ら蝸牛へ伝えられると,リンパ液に満たされた内耳の中にある基底膜が振動し,進行波が生 じる (Békésy, 1949)。この進行波は入力音の周波数によって最大振幅となる場所が異なり,
基底膜の基底回転部では高周波数,頂回転部へ行くほど低周波数となる。このように場所に よって周波数が表現されることは周波数局在性 (tonotopicity) と呼ばれ,こうした仕組みは 帯域通過フィルタのようにとらえることができるため,それぞれのフィルタは聴覚フィルタ と呼ばれている。
内耳では,伝達された振動が電気信号に変換される。基底膜上には感覚毛を有した感覚細 胞である内有毛細胞と外有毛細胞が,それぞれ内有毛細胞が1列(ヒトでは約12,000個),
外有毛細胞が3列(ヒトでは約3,500個)並んでおり,音により基底膜が振動すると感覚毛 が傾き,一定の方向の傾き(音の一定の位相)に対して有毛細胞内の電位は上昇する(脱分 極)。脱分極すると,有毛細胞とシナプス結合している蝸牛神経(ヒトでは約30,000本)に
図1-1:聴覚伝導路と各器官の名称
(切替, 2004のp.27 図Ⅰ-38を出版社の許可を得て掲載:一部改変)
5
対して神経伝達物質が放出され,蝸牛神経の内部電位が閾値を超えると神経発火(インパル ス)が発生する (野村 他, 2000)。このようなメカニズムにより,刺激音の一定の位相に同期 して発火する。
内有毛細胞と外有毛細胞では機能が異なる。内有毛細胞の機能は,前述した振動により脱 分極し,有毛細胞とシナプス結合している蝸牛神経に対して神経伝達物質を放出することで ある。外有毛細胞においても同様の機能を担っている細胞は少数あるが,主な役割は弱い音 刺激の時に作動する外有毛細胞の収縮や伸長といった能動的な運動による基底膜の振動の増 強,すなわち蝸牛増幅 (cochlear amplifier) である (Davis, 1983)。この働きによって,広い ダイナミックレンジと低い閾値を保つことができている。
聴覚中枢系
聴覚中枢系は,脳幹から聴皮質までで構成されている。聴覚中枢系は聴覚末梢系に比べて そのシステムが非常に複雑であるため,明らかになっていない部分が多い。
脳幹
脳幹は,延髄,橋,中脳,視床を合わせて脳幹という。これらの器官には聴覚伝導路の蝸 牛神経核,上オリーブ核,外側毛帯核,下丘,内側膝状体といった神経の中継核が含まれる。
上オリーブ核は,大脳聴皮質へと向かう両側の求心性神経が初めて収束する部分であり,音 源定位で用いられる両耳間時間差や両耳間音圧差がここで抽出される (内川, 2009)。
聴皮質
聴皮質は,内側膝状体からの神経による情報伝達を受けて,音刺激に対して応答する領域 のことで,ヒトでは上側頭回上のヘッシェル回にある。周波数局在性は内耳から聴皮質まで 保持されており,聴皮質の周波数地図としてヒトに関する報告もされている (Romani et al., 1982; Saenz and Langers, 2014)。
1.2.2 難聴の分類
音が聴こえにくくなる状態のことを難聴といい,聴覚伝導路における障害部位によって 2 種類に分けられている。外耳と中耳は,その働きから伝音系と呼ばれ,伝音系に障害が生じ る難聴は伝音難聴という。また,内耳から聴皮質までは感音系と呼ばれ,感音系で障害が生 じる難聴は感音難聴という。高齢になると聴覚伝導路のあらゆる場所で変化が生じるため,
難聴を有する高齢者は多い。そうした加齢に伴い生じる難聴は,加齢性難聴 (presbycusis) と 呼ばれ,その特徴は高い周波数域から聴力が低下し,それが両側の耳で生じることである。
次節では,加齢性難聴のメカニズムについて詳細に述べる。
6
1.3 加齢性難聴のメカニズム
本節では,これまで明らかになっている加齢性難聴に関連する聴覚伝導路の各部位の変化 について概説する。
1.3.1 聴覚末梢系
外耳と中耳
外耳では,加齢による変化として耳介と外耳道の弾性が失われて硬くなることや,外耳道 の軟骨部で脂腺や耳垢腺の分泌能力が低下し,乾燥を引き起こし外傷が起こりやすくなるこ とが報告されている (Katz et al., 2009)。
中耳では,鼓膜の硬化や肥厚,血管の減少,耳小骨連鎖部の軟骨は厚さが薄くなり石灰化 が起こる。耳小骨筋や靭帯における線維では委縮や変性,耳小骨と耳管軟骨では硬化と石灰 化が報告されている (Etholm and Belal, 1974; Rosenwasser, 1964)。中耳は,内耳へ振動を 伝える働きをするため,このような硬化や石灰化といった動きが妨げられる変化は,内耳へ の振動の伝達効率を低下させると考えられる。しかし,こうした変化は聴力や中耳機能検査 の結果に大きな影響を与えないことが報告されている (Katz et al., 2009)。また,外耳や中 耳の加齢による変化は,内耳や中枢の聴覚伝導路における加齢による変化に比べると,その 影響は小さい (Hnath-Chisolm et al., 2003)。そのため加齢性難聴は,加齢に伴う感音難聴の 総称とされている (村上, 1991)。
内耳
内耳は加齢による影響を受けやすいため,加齢性難聴に対する研究の多くは内耳の変化に ついて報告している。Schuknecht and Gacek (1993) は,加齢性難聴を内耳に関する病理組 織学的な所見から 6 つに分類した。この分類では,障害が生じる内耳に関連する部位によっ て分類されており,純音の聴こえ方,言葉の聴き取りに関するところまで詳細に対応付けら れている。
① 感覚細胞性 (sensory)
蝸牛にある有毛細胞やその支持細胞において加齢による変性や消失が生じる。この変 性や消失は,高周波数の音を知覚する部分にあたる蝸牛の基底回転の部分で著しいため,
高音障害急墜型難聴を示す。
② 蝸牛神経性 (neural)
有毛細胞で振動から変換された電気信号を受け取る神経細胞がラセン神経節細胞で あり,この細胞から出るのが蝸牛神経であるが,これらの変性や消失のために生じる難 聴がこの型に分類される。蝸牛神経の線維の消失は,蝸牛の基底部に対する部分におい て大きいことが報告されており(Crowe et al., 1934),高音障害漸傾型の聴力となること
7
が多い。この型の難聴では,純音に対する聴こえと比較して言葉の聴き取りが非常に悪 くなることが特徴である。純音を正常に知覚するためには,蝸牛神経線維の数が正常の 25%以上あれば十分であるが,音声のような複雑な信号を知覚するためにはより多くの 神経線維の数が必要といわれている (鈴木ら, 1985)。
③ 血管条性 (strial)
血管条は蝸牛管内の正の直流電位の発生源であり,また蝸牛管内リンパの産生部位で あることから,蝸牛の機能維持において重要な構造である。この型の難聴では低い周波 数の純音に対しても聴こえの悪化があるが,音の増幅により言葉の聴き取りは良好に保 たれることが特徴である (村上, 1991)。
④ 蝸牛伝音性 (cochlear conductive)
蝸牛においては,音刺激により振動する基底膜によって有毛細胞の感覚毛を屈曲させ て電気的な信号を神経へと伝えている。加齢によって,その基底膜の弾性の低下が生じ る難聴がこの型であり,内耳の電気信号への変換に影響を与えると考えられている。
⑤ 混合性 (mixed presbycusis)
①から④のうち,2つ以上が合わさった加齢性難聴を指す。
⑥ 中間型 (intermediate presbycusis)
代謝を調整する蝸牛の構造の変化や有毛細胞のシナプスの減少,内リンパの化学的な 変化による加齢性難聴を指す (Hnath-Chisolm et al., 2003)。
1.3.2 聴覚中枢系
聴覚中枢系における加齢による変化としては,神経細胞の大きさの変化や細胞体や細胞 核・核小体の大きさの縮小,樹状突起の縮小や消失に伴う分枝の減少が報告されている (Powers, 1994; Willott, 1991)。特に,聴皮質における細胞の消失は多く,ほぼ年齢と相関し ている。そのため,聴皮質のあるヘッシェル回では厚さの減少が報告されている (Brody, 1955)。
1.4 聴覚機能の測定
本節では,1.3節で述べた加齢性難聴などの難聴の鑑別を行うために臨床で用いられている 種々の聴覚機能の測定(純音聴力測定,ティンパノメトリー,耳音響放射,聴性脳幹反応,
語音聴力測定)について述べる。また,これまで報告されている聴覚機能の測定結果におけ る加齢による変化についても述べる。
図 1-2 には中耳から聴皮質までの聴覚伝導路と聴覚機能の測定により障害が推定される可 能性のある部位を示す。次項以降に,それぞれの聴覚機能の測定の概要を示す。
8
1.4.1 純音聴力測定
純音聴力測定は最も一般的な聴覚検査であり,純音に対する閾値として聴力レベルが求め られる。一般的には125 Hzから8 kHzまでのオクターブステップの周波数に対して測定が 行われる。求められた聴力の障害の程度は,平均聴力レベルによって表現されることが多く,
4分法の平均聴力レベルは500 Hz, 1 kHz, 2 kHz, 4 kHzにおける聴力レベルの平均値を指し,
この値が25 dB未満であれば正常,26 dBから40 dB未満は軽度難聴と判定される(日本聴
覚医学会 HP)。
図1-3に日本人における各年代別のオージオグラムを示す (Kurakata et al., 2011)。加齢 に伴い聴力レベルが上昇し,特に高周波数域における上昇が著しいことが分かる。
図1-2:聴覚伝導路と聴覚機能の測定により障害が推定される可能性のある部位
(切替, 2004のp.87 図Ⅰ-98を出版社の許可を得て掲載:一部改変)
図1-3:各年代別のオージオグラム
(Kurakata et al., 2011のp.18 Fig. 1を著者の許可を得て掲載:一部改変)
9
1.4.2 ティンパノメトリー
ティンパノメトリーは,中耳の伝音機構(鼓膜,耳小骨連鎖など)の機能を検査するもの である。検査の原理としては,耳穴にプローブ(刺激音を出力するイヤホンとマイクロフォ ンを内蔵)を挿入して外耳道内を連続的に陰圧から陽圧まで変化させて,コンプライアンス の変化を測定する。コンプライアンスは振動系の動きやすさを示し,等価空気容量(ml)で表 される。横軸に外耳道内の空気圧,縦軸にコンプライアンスを図示したのがティンパノグラ ムとなる(図1-4)。検査の判定には,コンプライアンスが最大となる時の外耳道腔の圧力(ピ ーク圧力)と静的コンプライアンス (static compliance: S/C) の値を用いる。静的コンプラ イアンスはティンパノグラムの山の高さを示し,ティンパノグラムのピークのコンプライア ンス値(C2)から外耳道に+200 daPaの加圧をした際のコンプライアンス値(C1)を引い た値で求められる (立木, 2009)。
Jerger et al. (1972) は700名の各年齢における男女の静的コンプライアンスを測定し,男
女ともに60歳以降で静的コンプライアンスの値が低下するが,大きな変動はみられないこと を報告した。
1.4.3 耳音響放射 (otoacoustic emission: OAE)
音が入力されたことにより内耳の蝸牛にある基底膜に振動が生じた際,外有毛細胞の収縮 や伸長といった能動的な運動により基底膜の振動の増強が起こる。その増強された基底膜の 振動が,中耳・外耳道方向へと伝播し,外耳道に放射されたものがOAEであると考えられて いる (Kemp, 1978; 田中, 2004)。
図1-4:ティンパノグラム(立木, 2009のp.90 図Ⅱ-3-4参照)
10
臨床で主に用いられているOAE検査は,音刺激としてクリック音を用いる誘発耳音響放射 (transiently evoked otoacoustic emission:TEOAE) と,異なる周波数の2音を同時に呈示 することで得られる歪成分耳音響反射 (distortion product otoacoustic emission:
DPOAE) の2種類がある。TEOAEでは基底膜上の広い周波数部位の場所情報がまとめて反
映されるが,DPOAEでは与える2音 (f1, f2) の間の比較的狭い範囲の情報が反映されると考 えられている (田中, 2004)。OAE の測定は,外耳道にプローブ(刺激音を出力するイヤホン とOAE を検出するためのマイクロフォンが内蔵)を挿入して行う。
Stover and Norton (1993) は,聴力が正常な20代から80代の実験参加者に対してTEOAE を測定した結果,加齢に伴いTEOAEの振幅が低下することを示した。そして聴力が正常の 範囲においても,TEOAEは聴力レベルに伴い変動することも報告している。
また,Lonsbury-Martin et al. (1991) は31歳から60歳においてDPOAEを測定した結果,
加齢に伴いDPOAEの振幅が低下することを示した。
1.4.4 聴性脳幹反応 (auditory brainstem response: ABR)
聴性脳幹反応は,主として脳幹(蝸牛神経核から内側膝状体)から発生する音に対する電 気生理学的な反応である。聴性脳幹反応は「音の聴こえ」の客観的な指標として用いられて おり,乳幼児に対する聴覚検査や詐聴の診断などに役立てられている。臨床においては,刺 激音としてクリック音(例:100 μsの矩形波)などの短音が用いられている。聴覚伝導路の 各神経核から発生する電位が特徴的なピークを形成し(図1-5),そのピークの有無や音を与 えてからピークが現れるまでの時間(潜時)から診断が行われている。各ピークは,Ⅰ波:
蝸牛神経,Ⅱ波:蝸牛神経核,Ⅲ波:上オリーブ核,Ⅳ波:外側毛帯核,Ⅴ波:下丘,Ⅵ波:
内側膝状体が起源と考えられている (Møller et al., 1988)。
加齢の影響としてはⅤ波の潜時の延長,そして振幅の低下が報告されている (Jerger and Hall, 1980)。
図1-5:クリック音に対するABR
11
1.4.5 語音聴力測定
語音聴力測定は,ことばの聞き取りや聴き分け能力を測定する検査である。方法は平均聴 力レベルより大きなレベル(例:40 dB上)で単音節リストを呈示し,聴こえた通りに言葉 を書き取ってもらう。1リストごとに10 dBずつ呈示レベルを下げていき,各リストにおけ る正答率(%)を求め,その最高値を最高語音明瞭度と呼ぶ。語音聴力測定で用いられる単 音節の素材には57-S語表,67-S語表(日本聴覚医学会)がある。57-S語表は1リストにつ き単音節50語,67-S語表は20語で構成されている。
八木ら (1996) は,65 歳以上の 1,192 例に対して語音聴力測定を行っている。その結果,
高齢になるほど最高語音明瞭度が低下し,さらに平均聴力レベルの上昇の程度に比して,語 音弁別能の低下が著しいことが報告されている。
1.5 高齢者の音声聴取能力の低下
1.3節で述べたように,高齢者は聴覚伝導路における変化により音の聴こえが低下する。そ のため,従来の高齢者の音声聴取に関する研究では,純音聴力測定の聴力レベルによって高 齢者を聴力が正常な群と難聴の群に分けて検討が行われてきた。さらに静かな環境や,日常 生活に多く存在するノイズや音の響き(残響)がある環境下といった,様々な聴取環境にお いても研究が行われている。本節では,それぞれの聴取環境における高齢者の音声聴取に関 する研究について述べる。
1.5.1 静かな環境
静かな環境下でも加齢性難聴といった聴力の低下により,音声聴取成績は低下する(前田 ら, 1990; Nábělek, 1988)。しかし聴力が正常であれば,音声聴取に加齢による大きな変化は 見られないことが報告されている (Gelfand et al., 1985; Van Rooij and Plomp, 1990)。
1.5.2 ノイズのある環境
ノイズは日本語では雑音や騒音として訳されるが,本研究では騒音の意味として用いてお り,音声や音楽の聴取を妨害する音として定義する(日本音響学会, 2003)。音声聴取実験で 用いられているノイズの多くは,複数の人の声が合成されたバブルノイズやカフェテリアバ ブルノイズ,スピーチノイズなどであり,これらは日常生活の多くの場面に存在する人の話 し声や街の雑踏を模擬したものであると言える。ノイズのある環境下での音声聴取実験は,
SN比(信号とノイズの比)をいくつかの条件 (例:+10 dB, +5 dB) で固定して正答率を求 める方法 (Gelfand et al., 1986) や,ノイズと文章を同時に呈示した状態で文章の聴取実験を 行い,正答率が50%となる際のSN比を求めるHearing in Noise Test (HINT) などがある
12 (Nilson et al., 1994; Füllgrabe et al., 2015)。
聴力が低下した高齢者では,静かな環境下と同様に,ノイズのある環境においても若年者 に比べて音声聴取成績が大きく低下するが,聴力が正常な高齢者においてもノイズ下では若 年者に比べて音声聴取成績が大きく低下する (Dubno et al., 1984; Füllgrabe et al., 2015;
Gelfand et al., 1986; Kim et al., 2006; Nábělek, 1988)。また,日本においてもノイズ下での 語音聴力測定として古くから測定が行われており,高齢者における音声聴取成績の低下が報 告されている(亀井ら, 2005; 熊谷ら, 1969; 廣田ら, 2002)。このようにノイズが存在する環 境下では,高齢者の音声聴取成績が低下することは一般的な見解となっている。
1.5.3 残響のある環境
音声聴取を妨害する因子として,ノイズの他に残響が存在する。残響とは室内などの閉じ られた空間で音を出したとき,音源が停止した後にも連続的に徐々に減衰する響きが残る現 象のことを指す。また,残響の大きさを示す指標として残響時間 (reverberation time: RT) が あり,音を停止してから残響音が60 dB減衰するまでの時間と定義されている (日本音響学 会, 2003)。日常生活における残響時間としては,公民館や会議室などの空間では0.5 s程度,
大きな講義室などは1.0 s程度,ホールなどでは1.5 s程度に相当する (白石, 2014; 前川ら, 2000)。音声聴取に関して,ノイズと残響で大きく異なる点としては音声と妨害する音との関 連性が挙げられる。一般的にノイズ下での音声聴取の場合,聴取したい音声とノイズは関連 しないが,残響は音声自体が次の音声へと重なっていくため,聴取したい音声と重なってく る音声との間に関連が生じる。そのため,ノイズと残響下では音声聴取における手がかりが 異なってくると考えられる。
残響下における高齢者の音声聴取に関する報告は,ノイズ下の音声聴取に関する報告に比 べて非常に少ない。それは音声にノイズを付加することに比べて,残響を付加する方が技術 的に困難であったことが原因だと考えられる。そうした状況の中で,Nábělek and Robinson
(1982) は,壁や床に吸音パネルを備えた残響可変室を用いることで測定を実現させた。彼ら
は残響可変室で再生した音声を録音して,その録音した音声をイヤホンから呈示する方法を 用いて様々な年代の方に対して単語知覚の実験を行い,加齢に伴い音声聴取成績が低下する ことを示した。また,Nábělek (1988) は母音知覚の実験を行った結果,残響のある条件にお いて難聴の高齢者では若年者に比べて音声聴取成績が大きく低下したが,聴力が正常な高齢 者では若年者との間に差は認められなかったことを報告した。一方で,聴力が正常な若年者 と高齢者,さらに難聴の若年者と高齢者に対する音声聴取実験では,聴力の低下よりも年齢 の 違 い が 残 響 下 で の 音 声 聴 取 成 績 の 低 下 に 影 響 を 与 え て い る こ と が 報 告 さ れ て い る (Gordon-Salant and Fitzgibbons, 1993)。また,Halling and Humes (2000) は,難聴の高齢 者の音声聴取成績が,聴力が正常な高齢者に比べて低下することを示した。日本においても いくつかの報告があり,22 歳から 42 歳の聴力が正常な人では文章了解度の低下を示さない
13
ような残響条件下において,高齢者と難聴者では大きく文章了解度が低下すること (翁長と 加治屋, 1994) や,60歳代の平均的な聴力を有する高齢者の単語了解度が若年者に比べて残
響下では25%低下することを示した (佐藤ら, 2002)。
このようにノイズ下での高齢者の音声聴取に関する報告と同様に,残響が存在する環境下 においても高齢者の音声聴取成績が低下することは明らかである。しかし,聴力が正常な高 齢者が若年者に比べて音声聴取成績が低下するか否かについての統一された見解は示されて いない。
1.5.4 音声聴取成績低下の要因
ノイズや残響のある環境下において,高齢者では音声聴取成績が低下することを示してき たが,その要因について Committee on Hearing and Bioacoustics and Biomechanics:
CHABA (1988) は次に示す3つの説を提唱している。これらの説は聴覚伝導路の各部位の
障害で分類されている。もちろん複数の説が重なり合うことも考えられる。
① 末梢説
聴覚末梢系における加齢変化による聴力レベルの上昇や時間情報の処理,周波数情報 の処理における劣化を要因とする説。
② 中枢説
聴覚中枢系における加齢による機能障害を要因とする説。
③ 認知説
高次中枢における認知能力の個人差や機能障害を要因とする説。高次中枢では情報の 処理や貯蔵,想起といった機能があるため音声聴取に関連すると考えられている。認知 機能が低下すると,聴覚だけではなく他の感覚(例:視覚)にも障害が生じる点が他の 説とは異なる。音声聴取に影響を与えるもっとも著しい機能低下は,知覚や mental processingのスピードの低下だとされている (Martin and Jerger, 2005)。
本節で述べてきたように,①末梢説の中でも特に聴力レベルの上昇に対する検討は古くか ら多く行われており,高齢者の静かな環境下での音声聴取に関する個人差の30%から80%は 聴力レベルで説明できるとされ (Humes and Dubno, 2010),音声聴取成績に聴力レベルが関 与しているのは確かだと思われる。しかし,ノイズや残響のある環境では聴力レベルだけで は全てを説明できないこと (Dubno et al., 1984; Gordon-Salant and Fitzgibbons, 1993) や,
残響下では補聴器を装用して音を増幅しても成績が上がらない人がいること (白石 他,
2005) など他の要因に対する検討が必要となってきた。そのため近年,閾値上の聴覚処理に
関する①末梢説の時間情報の処理や周波数情報の処理における劣化,②中枢説,③認知説に 対する研究が行われ始めている。
時間情報の処理に関する研究では,音声の時間情報であるエンベロープ (envelope) と時間
14
微細構造 (temporal fine structure: TFS) を手がかりとした音声知覚実験がいくつか行われ ている。複数の帯域に分割された音声のエンベロープと,その帯域幅の帯域雑音を掛け合わ せた音声刺激に対して音声知覚実験を行った際,静かな環境下では音声を分割する帯域数が 少なくとも,エンベロープ情報で十分に音声は知覚できることが報告されている (Drullman, 1994; Shannon et al., 1995; Van Tasell et al.,1987)。しかし,ノイズのある環境下ではエン ベロープのみでは十分ではなく,より多くの分割帯域の数を必要とした (Qin and Oxenham, 2003; Stone and Moore, 2003)。さらにノイズのある環境下では,エンベロープ情報の中でも 高い周波数である音声の基本周波数が了解度に貢献するという報告もある (Stone et al., 2008)。このようにノイズがある環境下では特に,エンベロープの基本周波数や時間微細構造 の情報の重要性が分かる。
エンベロープ情報の感度は,振幅変調音の変調の深さである変調度を変化させて閾値を求 めて,その値を対数変換した変調検出閾値によって評価される (内川, 2009)。時間微細構造 情報の感度を調べるためには,基本周波数は同じだが倍音成分が異なる調波複合音と非調波 複合音を呈示して,その弁別ができるかを求める測定で評価される(Moore and Sęk, 2009)。
Füllgrabe et al. (2015) は,125 Hzから6 kHzの聴力レベルにおいて有意差のない,正常な 聴力を有する若年者と高齢者に対して,これらの時間情報に対する感度の測定と,ノイズ下 での子音知覚や文章了解度試験,さらには認知機能に関する数種類の測定を行った。その結 果,高齢者はエンベロープ情報と時間微細構造情報の両方に対して若年者に比べて感度が低 いことや,ノイズ下での音声知覚には,時間微細構造情報の感度と認知機能が大きく関与し ていることを報告した。
最近では,音声のエンベロープと時間微細構造の情報が聴覚伝導路においてどのように処 理されているかについても注目されている。音声は広い周波数領域の音を含むため,蝸牛に おけるいくつもの聴覚フィルタを通る。各聴覚フィルタを通過した波形は,その周波数帯域 内で音声のエンベロープ情報と時間微細構造の情報を含んだ波形となり,その波形に対して 神経発火が発生すると考えられる (Moore, 2008; Sayles and Winter, 2008)。ここ10年ほど の間に,こうした聴覚伝導路における時間情報処理を,聴覚中枢系からの電気生理学的な反 応によって検討され始めてきた。それは“音声に対する聴性脳幹反応”を用いた研究である。
次節では,音声に対する聴性脳幹反応の歴史や特徴について詳しく述べる。
15
1.6 音声に対する聴性脳幹反応 (speech ABR) 1.6.1 歴史
これまで聴性脳幹反応 (ABR) は,さまざまな音刺激に対して測定が行われてきた。クリ ック音に対するABRは,1971年にJewett and Willistonによって頭皮上から初めて記録さ れた。その後,1973年にはMoushegian et al. によって純音に対するABRが報告され,そ の波形は純音の周期に一致したピーク間隔を示したため ,周波数対応反応 (frequency following response: FFR) と名付けられた。
一方,音声に対するABR (以下,speech ABRと称す)は,1980年にGreenbergによっ て初めて報告された。Greenbergは母音(例:[a], [I])に対するABRを測定し,その周波数 分析結果から与えた音声の基本周波数やフォルマント周波数が反応波形に反映されているこ とを示した。その後,母音に対するspeech ABR (Krishnan, 2002; Aiken and Picton, 2008;
Bidelman and Krishna, 2010),子音(例:/da/, /ga/)に対するspeech ABR (Cunningham et al., 2001; King et al., 2002; Russo et al., 2004; Johnson et al., 2005; Johnson et al., 2008;
Song et al., 2011; Vander Werff and Burns, 2011; Kumar et al., 2013; Neupane et al., 2014; Bidelman et al., 2014) が測定されてきた。
1.6.2 起源
代表的な音声刺激/da/とそれに対するspeech ABRの波形を図1-6に示す。音声刺激の各ピ ークに追随する波形となっていることが分かる。このようにspeech ABRやFFRは刺激の
図1-6:音声刺激/da/とそれに対するspeech ABR
Speech ABRの波形は,若年者20名の加算平均波形
16
形状を反映するため,測定で得られた波形が刺激のアーチファクトや内耳から発生する蝸牛 マイクロフォン電位である可能性がこれまで指摘されてきた。しかし,speech ABRやFFR の最初のピーク潜時は5-10 msであり (Moushegian et al., 1973; Sohmer et al., 1977),刺 激とほぼ同時のタイミングで測定される刺激のアーチファクトや蝸牛マイクロフォン電位と は異なること,さらには蝸牛神経を冷却すると蝸牛マイクロフォン電位には変化がないが FFRが消失したこと (Marsh et al., 1970) から,speeh ABRやFFRが蝸牛神経以降の反応 であることが示された。その後,脳幹の中の下丘を除去した動物や下丘で損傷のあるヒトで はFFRが生じないこと (Smith et al., 1975; Sohmer et al., 1977; Davis and Britt, 1984),
下丘付近から直接測定した電位と頭皮上から測定したFFRには強い関連があること (Smith
et al., 1975),さらに近年では多チャンネルで測定したspeech ABRの電気的双極子(ダイポ
ール)が下丘を示したこと (Bidelman, 2015) から考えて,speeh ABRやFFRの起源は脳 幹であり,さらに脳幹の中でも下丘であると考えられている。
1.6.3 平均処理の方法
Speech ABRは,頭皮上に配置された電極からでも測定することができる。一般的には,
国際式10-20法 (Jasper, 1958) の頭頂部に位置するCzを関電極として測定される(図1-7
参照)。
図1-7:国際式10-20法の電極配置 (Remijn et al., 2014のp.235 Fig.4から引用)
17
頭皮上から測定する脳波には,筋電位や体動,心電位,発汗などの生体ノイズや機器など の電気ノイズが混入する。そのため刺激に対する誘発反応の多くは,同じ刺激を繰り返し呈 示して,それに対する反応を加算平均することによって SN 比を向上させる。クリック音に 対するABRの測定の際は,極性を反転させた2種類のクリック音を用いて,それらに対する 反応を加算平均することにより,刺激音の波形と同じ位相で反応波形に混入する可能性のあ る刺激のアーチファクトや蝸牛マイクロフォン電位を取り除くことが一般的である。
一方,speech ABRの測定では加算平均だけではなく,減算による平均方法も用いられる。
Aiken and Picton (2008) は,極性が(+)から始まる音声刺激に対する反応と(-) から始まる
音声刺激に対する反応を加算して呈示回数で除して平均する計算方法と,(+) に対する反応 から(-) に対する反応を引き算して呈示回数で除して平均する計算方法を報告した。前者に より求められた反応をADD response,後者によって求められた反応をSUB responseとす る。Aiken and Picton (2008) は,ADD response は音刺激のエンベロープ情報,SUB
responseは音刺激の時間微細構造の情報を反映する形状となることを理論的に説明した。そ
して,これらの2種類の平均処理を用いたspeech ABRはこれまでいくつか報告されている (Aiken and Picton, 2008; Anderson et al., 2012; Anderson et al., 2013)。
1.6.4 Speech ABR によって示される情報
Speech ABRやFFRの波形形状がどのように形成されているのかについて,さまざまな説
が挙げられているが,中でもクリック音のような過渡的な音に対して生じるABRが重なり合 って形成される説が有力である (Dau, 2003)。過渡的な音に対して生じるABR波形において も波形の形成に関して不明な部分が多いが,現在では神経発火による活動電位によって成り 立っていると考えられていることが多い (舩坂ら, 2000)。このようにspeech ABRが神経発 火に関連する反応と考えると,その波形には起源である脳幹での神経発火のタイミングや発 火する神経の数の情報がもちろん反映されてくるが,内耳での位相同期による発火に関連す る時間情報も含まれると考えられる。そのため,speech ABR を用いて高齢者における音声 聴取成績の低下について検討を行うと,CHABA (1988) の①末梢説の時間情報の処理の劣化 や②中枢説への検討が可能だと考える。
さらに1.5.4項で示したように,音声刺激のエンベロープ情報や時間微細構造情報を聴覚伝
導路でどのように処理しているかについて多くの関心が寄せられているが,エンベロープ情 報に含まれる音声の基本周波数や,時間微細構造情報に含まれる音声のフォルマント周波数
などは,speech ABR波形の形状や周波数分析によって観察することができる。また,speech
ABRは客観的にその処理の様相を評価することができる点でも,新しい評価方法だと考える。
18
1.6.5 従来の研究
本項では,speech ABRやFFRを用いた加齢や男女差,そして音声聴取に関する従来の研 究について述べる。
加齢
加齢の影響を検討するために,若年者と聴力が正常な高齢者を対象としてspeech ABRが 測定されてきた。40 msの合成音声/da/に対するspeech ABRを若年者と高齢者で比較した結 果,高齢者では音声刺激の終わりに対する反応であるoffset 反応の潜時が若年者に比べて延 長することが報告されている (Vander Werff and Burns, 2011)。さらに Anderson et al.
(2012) は,170 msの合成音声/da/に対するspeech ABRを測定した結果,高齢者が若年者に
比べて音声のフォルマント周波数が遷移する区間に対する反応の潜時が延長すること,反応 波形の位相の同期性が低下すること,反応の振幅が小さいことを報告した。これらの結果か ら,高齢者では脳幹における音刺激に対する神経発火のタイミングの正確さが失われると考 えられている。また,Clinard and Cotter (2015) は若年者と高齢者から遷移する純音に対す るFFRを測定し,高齢者では遷移する音に神経が同期する能力が劣っていることを示した。
男女差
これまでクリック音に対するABRでは,女性の方が男性に比べて振幅が大きく,潜時が短 いことが報告されてきたが (Jerger and Hall, 1980),speech ABRにおいても女性の潜時の 短縮,そして高周波数に対しては女性の方が男性に比べて振幅が大きいという性差が報告さ れている (Krizman et al., 2012)。また,音声刺激の両耳呈示によるspeech ABRにおいても,
同様の女性における潜時の短縮,そして基本周波数や高周波数に対する振幅の増大が報告さ れている (Ahadi et al., 2014)。
ノイズ下での音声聴取とspeech ABR
これまで児童や成人,高齢者では,HINTによって求められたSN比(1.5.2項参照)とspeech ABRとの間には関連性があり,SN比が低い人(ノイズがある環境下においても音声が良く 聴きとれる人)ほどspeech ABR において呈示した音声のF0に対する振幅が大きいことが報 告されている (Anderson et al., 2010, 2011; Anderson and Kraus, 2010; Song et al., 2011)。
残響下での音声聴取とspeech ABR
これまでの残響に関するspeech ABRの研究は非常に少ない。残響を付加した音声に対す
るspeech ABRについての報告は,Bidelman and Krishnan (2010) が初めてであり,音楽
経験とspeech ABRとの関連性を示した。Ruggles et al. (2012) は,中高年に対して残響下
での多方向から数字を呈示して回答を求める選択的注意に関する実験を行っており,その成
19
績とspeech ABRとの間には関連があることを報告した。これまで残響下での音声聴取成績
とspeech ABRとの関連性についての報告は調べた限り見当たらず,まだ今後の研究の余地
はある。
1.7 本研究の位置づけ
ここまで高齢者のノイズや残響下における音声聴取成績の低下や,その要因に対する研究 について概説してきた。ノイズに関しては,CHABA (1988) が提唱した①末梢説,②中枢説,
③認知説の全ての面から要因に関する検討が行われてきたが,残響に関する研究では音声聴 取実験の数が少なく,要因に対する検討についても聴力レベルに関する報告以外ほとんど見 当たらない。
残響は,ほぼ全ての室内空間に存在し,日常生活における高齢者の音声聴取に大きく関与 する。そのため,高齢者の残響下における音声聴取成績が低下する要因の解明は,日常生活 における高齢者の音声聴取を改善するための足がかりになることが期待される。さらに残響 は音声自体が重なり合い音声聴取を妨害するという,ノイズとは異なる性質を示すことから,
ノイズとは異なる新たな知見が得られる可能性がある。
本研究では,高齢者における残響下での音声聴取実験,そして聴覚伝導路における加齢に よる変化を反映する聴覚機能の測定と音声聴取成績との関連性,聴覚中枢での反応である
speech ABR と音声聴取成績との関連性,そして知的能力の検査と音声聴取成績との関連性
について検討を行い,CHABA (1988) が提唱した①末梢説,②中枢説,③認知説の全ての説 から,高齢者の残響下における音声聴取成績低下の要因を追求する。そのため,本研究は高 齢者の音声聴取に関する研究の中でも,残響下での聴取に特化した研究である。そして,
speech ABR による検討を研究に取り入れることで,聴覚伝導路における音声の時間情報処
理の様相から高齢者の残響下における音声聴取成績が低下する要因の解明へとアプローチす る点が本研究の特色といえる。
20
1.8 本研究の目的
本研究の目的は,高齢者の残響下における音声聴取成績の低下に関わる要因を明らかにす ることである。そのため,CHABA (1988) が示した全ての説(①末梢説,②中枢説,③認知 説)について検討を行う。
残響のある環境において,聴力が正常な高齢者が若年者に比べて聴取成績が低下するか否 かについての統一された見解は示されていない(1.5.3 項参照)。そこで本研究では聴こえの 良い高齢者と若年者の残響下における音声聴取成績を測定し,その成績を比較することで年 齢による違いについて検討する。
高齢者では,聴覚伝導路のさまざまな部位において加齢性難聴に関連した機能低下が生じ るが,聴覚機能の測定によってそれらを評価することができる。そこで本研究では,高齢者 の聴覚機能の測定結果と残響下での音声聴取成績との関連性を明らかにして,高齢者の残響 下における音声聴取成績低下の要因について,聴覚機能の測定によって推測される障害部位 から検討する。
従来の音声知覚の研究によって,音声の時間情報であるエンベロープや時間微細構造の情 報は,音声を聴取する際に重要な手がかりとなることが示されてきた。最近では,こうした 音声の時間情報が聴覚伝導路でどのように処理されているかに関心が寄せられている。聴覚 伝導路の脳幹を起源とする音声に対する聴性脳幹反応 (speech ABR) は,脳幹での神経発火 のタイミングや発火する神経の数の情報,そして内耳での位相同期による発火に関連する時 間情報が含まれると考えられる。そのため,聴覚伝導路における音声の時間情報の処理につ いて検討することができると考え,本研究ではspeech ABRを実験に取り入れることにより,
CHABA (1988) の①末梢説の時間情報の処理の劣化や②中枢説の観点から,高齢者における
音声聴取成績の低下の要因について検討を行う。さらに,知的能力の検査の 1 つであるレー ヴン色彩マトリックス検査を実施し,CHABA (1988) の③認知説からも検討を行うことで,
全ての説から高齢者における音声聴取成績の低下の要因について追究する。
21
1.9 本論文の構成
第2章では,聴こえの良い高齢者と若年者において4種類の残響条件下 (RT = 0, 0.5, 1.0,
1.5 s) で単語了解度を測定し,その成績を比較することで年齢による違いについて検討する。
第3 章では,聴覚機能の測定として純音聴力測定,ティンパノメトリー,耳音響放射測定
(TEOAEとDPOAE),クリック音に対する ABR測定,語音聴力測定を聴こえの良い高齢 者に対して行い,測定結果と残響下での単語了解度との関連性を明らかにすることにより,
高齢者の残響下における音声聴取成績低下の要因について,聴覚機能の測定から推測される 障害部位から検討する。
第4章では,若年者を対象としてspeech ABR測定に関する2つの基礎的検討を行う。1 つ目は,振幅変調音に対する周波数対応反応を測定し,speech ABR の測定で用いられてい
るAiken and Picton (2008) が提案した平均処理を行い,彼らが示した理論通りの波形が実
際の測定においても得られるか否かを明らかにする。2 つ目はspeech ABRを測定し,若年
者の speech ABR の実効値,周波数分析による各周波数における振幅値,音声刺激波形と
speech ABR波形のとの相関係数の値を示す。また,音声刺激波形とspeech ABR波形のとの
相関係数における新たな計算方法を提案し,従来方法による値との比較を行う。
第5章では,残響を付加していない音声に対するspeech ABRを聴こえの良い高齢者から
測定し,speech ABRの分析項目と残響下での単語了解度との関連性について明らかにする。
ここでは音声の時間情報であるエンベロープや時間微細構造の情報の処理に関わる分析項目 に着目し,CHABA (1988) の①末梢説の時間情報の処理の劣化や②中枢説の観点から,高齢 者の残響下における音声聴取成績低下の要因について検討する。
第 6 章では,残響を付加した音声と残響を付加していない音声の 2 種類の音声に対する
speech ABRを聴こえの良い高齢者から測定し,残響がspeech ABRに及ぼす影響と単語了解
度との関連性について明らかにする。また,知的能力の検査の 1 つであるレーヴン色彩マト リックス検査も行い,CHABA (1988) の③認知説の面からも要因の検討を行う。
第7章では,第2章から第6章までの測定と分析結果を総括し,高齢者の残響による音声 聴取成績低下の要因についての本研究で得られた新たな知見について述べる。
実験参加者に関して,クリック音に対するABRやspeech ABRといった電気生理学的な反 応には男女差が生じることが報告されている (1.6.5項)。本研究では性差ではなく,高齢者の 残響による音声聴取成績の低下に関わる要因を追究することが目的であるため,高齢者を対 象とした第2章と第3章,第5章,第6章の実験参加者を全て女性とすることで,性差の影 響を除いている。
22
第 2 章 若年者と高齢者の残響下における単語了解度
第1 章で述べたように,残響が存在する環境下において聴力が正常な高齢者が若年者に比 べて音声聴取成績が低下するか否かについての統一された見解は示されていない。
そこで本章では,聴こえの良い高齢者と若年者を対象に残響下での単語了解度を測定し,
それらの音声聴取成績を比較することで,年齢による単語了解度の違いを明らかにすること を目的とした。
2.1 実験方法 2.1.1 実験参加者
実験参加者は,高齢の女性30名(61-73歳, 平均66.9歳)と若年の成人女性27名(20-29 歳, 平均22.6歳)とした。高齢の30名の実験参加者のうち,29名の右耳の平均聴力レベル
(4分法)は25 dB未満の正常範囲であったが,残りの1名の平均聴力レベルは26.3 dBで
あり,軽度難聴であった。しかし,本実験で行った純音聴力測定の呈示レベルのステップ幅 が5 dBステップであったため1.3 dBの差は誤差範囲と考え,この1名も正常群に組み入れ た。そして,これらの高齢者を本研究では音の聴こえに問題がない,“聴こえの良い高齢者”
とした。これらの高齢者30 名と若年者27名のそれぞれで平均したオージオグラムを図2-1 に示す。t検定の結果,全ての周波数において若年者に比べて高齢者の聴力レベルが有意に上 昇していた (p < 0.0001)。
実験は九州大学大学院芸術工学研究院の実験倫理委員会の承認(承認番号:134)を得てお り,実験前に実験手順を説明して全実験参加者から同意書への署名を得た。また,実験参加 者には謝金を支払った。
図2-1:高齢者と若年者の平均オージオグラム(エラーバーはSD)
23
2.1.2 音声素材
若年者と高齢者から単語了解度を測定するために,親密度別単語了解試験用データセット
2007 (FW07)の男性の声による16リストを用いた。FW07は4音節の単語で構成されてお
り,1リストには20単語含まれている。単語へのなじみの程度を示す親密度は4段階で統制 されており,本実験では最もなじみのある高親密度 (5.5-7.0) のリストを用いた。実験で用 いた単語リストの例を表2-1に示す。
2.1.3 残響付加
残響付加には建築と環境のサウンドライブラリ(日本建築学会, 2004)に収録されている4 条件の人工残響のインパルス応答(残響時間 0, 0.5, 1.0, 1.5 s) を用い,単語ごとにMatlab (ver. 7.7, The MathWorks, Inc.) で畳みこみ,64リスト(4条件×16リスト)を作成した。
使用したインパルス応答を図2-2に示す。
図2-2:各残響時間のインパルス応答
1 マナザシ 6 タビビト 11 ミヒラキ 16 モモイロ 2 サカダチ 7 イザカヤ 12 ダイナシ 17 ヨロコビ 3 チャンバラ 8 シアワセ 13 ワリバシ 18 ケイヤク 4 ジャガイモ 9 ヒキワケ 14 キタカゼ 19 キャラメル 5 カミガタ 10 ナガイス 15 コナイダ 20 ネンマツ
表2-1:呈示した単語リストの例
24
残響の直接音から50 ms以内は初期反射音と呼ばれ,直接音を補い音声聴取を向上させる ことが知られている (Bradley et al., 2003)。一方,残響の直接音から50 ms以降は後期反射 音と呼ばれ,ノイズのように働き音声知覚を阻害することが知られている (Crandell et al.,
2005)。本実験で用いた人工残響のインパルス応答は,直接音から50 ms 以降に残響音が到
来する波形であるため,音声聴取を妨害する効果が大きいと考えられる。
2.1.4 使用機器と測定手順
測定は九州大学大橋キャンパス厚生施設棟4階404号室 (1.9 m×3.0 m×2.2 m, 容積12.5 m3, 暗騒音レベル21.0 dB A) にて行った。実験のブロックダイアグラムを図2-3に示す。音 声刺激の呈示レベルは全てのリストを等価騒音レベル (LAeq) で統制し,1 kHz純音による校
正信号65 dB Aの条件で右耳に呈示した。左耳には,マスキングのためにスピーチノイズ※1 を
51.1 dB Aで呈示した。
実験参加者には1つの残響条件につき1リスト,計4リストの回答を求めた。呈示される 4 リストは異なるリストとなるように配慮した。さらに順序効果の影響を低減するために,
各条件の呈示順序はランダムとした。実験参加者には聴こえたとおりに回答用紙に記入し,
分からなかった部分にはバツ(×)をするように教示した。単語了解度は正答率(百分率)
で求め,4音節全て正解で正答とした。
※1 語音の長時間平均スペクトルに近いスペクトルをもつ広帯域雑音で,スペクトルレベルが 125 Hz から1 kHz まで周波数によらず一定で,1 kHz から6 kHz まで 12 dB/oct. 減衰す る加重不規則雑音のことを指す。
図2-3:実験のブロックダイアグラム
25
2.1.5 分析
若年者と高齢者の単語了解度の比較を行うために,各残響時間における単語了解度に対し
てMann-Whitney の U 検定を行った。各残響時間で4回検定を繰り返したため,Bonferroni
補正 (0.05/4 = 0.0125) によりp < 0.0125の場合を有意とした。
また,残響時間の効果についても分析するため,若年者と高齢者それぞれにおいて,残響 時間条件間における単語了解度の比較を行った(例:若年者のRT = 0 sの単語了解度 v.s. RT
= 0.5 sの単語了解度,高齢者のRT = 0 sの単語了解度 v.s. RT = 0.5 sの単語了解度)。検定
には Wilcoxon の符号付き順位検定を用いた。若年者と高齢者それぞれで 6回検定を繰り返
したため,Bonferroni補正 (0.05/6 = 0.0083) によりp < 0.0083の場合を有意とした。全て の分析はSPSS (ver.11.5 J, SPSS Inc.) で行った。
26
2.2 結果
高齢者と若年者における単語了解度の結果を図2-4に示す。残響のない条件 (RT = 0 s) で は,若年者と高齢者ともに90%以上の単語了解度となった。しかし,残響のある条件 (RT =
0.5, 1.0, 1.5 s) では,高齢者において単語了解度が大きく低下する人とあまり低下しない人
が観察され,個人間のバラツキが大きくなっていた。
各残響時間 (RT) 条件で若年者と高齢者の単語了解度の値に対して Mann-Whitney の U 検定を行った(表2-2)。その結果,残響のない条件(RT = 0 s)では,若年者と高齢者との 間には有意差が認められなかった。しかし,残響のある条件(RT = 0.5, 1.0, 1.5 s)では,高 齢者の単語了解度が若年者に比べて有意に低下していた。
図2-4:各残響条件における若年者と高齢者の単語了解度
( ***: p < 0.001 )
表2-2:中央値と四分位偏差,Mann-Whitney の U 検定の結果
Reverberation
time 0 s 0.5 s 1.0 s 1.5 s
Young Elderly Young Elderly Young Elderly Young Elderly Median
(QD)
100 (0.00)
100 (0.00)
95 (3.75)
75 (8.75)
85 (2.50)
50 (10.00)
70 (8.75)
40 (7.50)
z-score -1.272 -5.195 -5.793 -5.991
p-value 0.203 < 0.001* < 0.001* < 0.001*
*P value remained below 0.05 level after Bonferroni correction (0.05/4, p < 0.0125)