九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
「テニハ」と「詞」との関係 : 手爾葉大概抄之抄を めぐって
佐田, 智明
https://doi.org/10.15017/12275
出版情報:語文研究. 18, pp.56-64, 1964-08-31. 九州大学国語国文学会 バージョン:
権利関係:
五六
﹁テニハ﹂と﹁詞﹂との関係
一手爾葉大概抄之抄をめぐって一・
佐
田
智 明
一︑は し が き
テニハと︑う用語は訓点から出たものであって・︑八雲御抄以下の
歌論に表われる時には︑﹁本末かけあはずし﹁てにはも合はず﹂とい
うように︑修辞的な︑いわゆる表現法︵いいまわし︶の義に用いら
れ︑歌病等の説明に利用せられたことは周知の寮であろう︒勿論︑
テニハに相当する︑歌の切れ目にある文字が︑三韓な意義を持つ票
がとくに注目せられた事によるのである︒強含においてもテニハの
類がしばしば論ぜられたが︑歌合の歌病の指摘のしかたは︑ほぼ岡
掌から同心へと進み︑萸には類義語の問題に立ち至ったけれども︑
時代を下るにつれヴ︑︑それらの判詞が語把握の点において必ずしも
正しくなくなってゆく︒いわゆるテニハの研究が古語︑とくに三代
集の諮の正しい効果的な使用という文芸的な要請に塞つくものであ
ったから︑テニハの云いまわしとともに︑古語化したテニハの例に
基づく理解が求められたわけである︑こうして︑テニハが複雑な・肉
容を含むことになり︑明確な定義を得られなかった原因になってい ると思われる︒
二︑ ﹁テニヲハの字﹂と﹁休め字﹂
さて仙覚抄に︑
ω発句︑葦辺波ノ波ノ字ハテニオハ!字ニモチヰルコトッネノ習
也︑アシヘナミトイフヘキニアラス︵仙覚全集一一五︶註ωと・
見えるのをはじめ︑
㈲てにはの字もしは物名詞字にてもみ︑に立つを帰臥なり
︵竹園抄︑読群書類従十七・上︒一︶
㈲てにはの字とザ︑句をへだてて二所におかぬなり︑たとへばあり
てとて一句も二句もへだて︑いでてなどもあるべからずにもは
も以同前也
︵和歌巌巌︑歌学丈庫四︑桶四〇︶
.︵見目抄︑新菊群書類十三︑二六六岡じ内容∀
ω総てにをはの宇あまたある黎
浦ちかきあ屋の里に日はくれて波路の霧に海士のいさり火
︵説明略︑傍線筆者︶︵属望井蛙抄︑五︑続群書難従亭六︑九〇三︶
㈲てにをはの宇相合て付ぺからず︵連理秘抄︑岩波丈庫運歌論集
上︑四五︶
ω九連歌の切めにあらんずるてにはの字のひ零きおなじく適ふ梯︐
に字を置旧︵知連理︑同︑=二三︶ イ ωてには︵の︶字と又籍の宇とに心得べし︵三五紀︑鷺本︑新校
群一型麺曙従十一二・五六五︶
の例はいずれも﹁テニヲハの字﹂について述べており︑以下の代忙
も現われる︒註釈であるω以外は︑一首の中で重要な役割をもつテ
ニハの一つであると見たものであろう︒しかもこれを語としてで憾
なく︑選書として︑音声を持ちながらそれに対応する概念をもたな
い音節という面を考えたものと思われる︒このテニハの字ともっと︐も関連がある術語に︑中古以来の﹁休め字﹂﹁助け詞﹂の類があって︑
・歌の修辞上の意図をもあわせヴ︑説明に用いられた︒休め字は語の持
つ本来的な機能が忘れられて︑語数を脅せたり︑語調をと〜のえる
ために使用すると記述されているが︑同様な意昧で助辞以外の﹁休
める﹂という用例も見られる︒三明が︑﹁うば玉の﹂を云い︑八雲 詑︵2︸御三が﹁さらに﹂を︑ささめごとが﹁から衣﹂をさして述べるなど
である︒このような休め字を瀧交において求めれば︑いわゆる丁字
の類がそれに相手すると見られる︒
三︑テニハと﹁テニハの字﹂
手爾葉大概抄の冒頭には︑周知のように漁宇としてテニハを規定
し︑宗祇の抄之抄では鷺 の類であると注しているから︑助辞類を もってテニハに相当すると考えたことは明らかである︒宗蔽自身. 籠︵3︾も︑﹁打や衣﹂﹁ふるやあられ﹂のやを措宇と記し︑︐﹁なぎさしょる﹂ 註︵4︶﹁たれしかも﹂のシを﹁をき字﹂と記している︒また拾遺愚草抄出﹁.
闘書に亀︒﹁涙やは﹂を﹁漉灘霧としてヤ孝﹁をき竿﹂と記し
ているなど︑宗祇以外の著書にも見えている︒
大概抄に説いている語は︑係助詞︑終助詞を主に︑刎詞の類以外︐
は助動詞に関するものは少い︑かなり異質的なものが含まれてはい
るが︑大概抄の著者には︑今コいう助詞に相当するものを念頭にお・
いで︑テニハを考察したことは当然ながら注意すべきである︒これ
らの語は︑個々にはおおむね字と呼んで説明されている︒
ところで大概抄において︑テニハを荘厳にたとえ︑詞を寺社にた
とえて︑テニハが寺社の尊卑を定めると説く︒とれはいわゆる詞辞
の対立関係として今日解釈されているが︑抄之抄に考察の中心をお. 腔︵6︶いて見れば︑この対立には時枝誠記博士の説かれる次元とや〜趣を・
異にするものがある︒ここで詞とテニハの関係を示す例を抄之抄に
よって考察してみたい︒例の荘厳の説は
袖くつるといふは寺社のことく︑袖は朽けりといふは荘厳のこ
とし︑手爾葉のあはざ番は民の器を仏神にそなふるかことく也
と見え︑つづいて︑
うらむといふは一習の外なし︑浅深しれがたし︑恨みつる哉と
いふにて新之自在回して深さの程しらしむるなるへし
と註している︒ここではテニハが り り 袖朽けり一1袖は朽けり り リ ロ
うらむ一恨みつる哉
五七
ご ロ リ ロ という関係において︑は︑けりやつる哉だけにあるのではなく恨み
つる哉︒袖は朽けりの全体にテニハがあるとも考えられるのであ
る︒赴し推諭が許されれば︑休め字がテニハであるよりも︑休め字
を使うことにテニハが存するということになろう︒テニハが云いま
わしに使われることは先学のひとしく説かれる所であるけれども︑
この事と︑テニハを詞と対立する再三分類的な範疇として説くこと
には矛盾があると思われる︒さらに︑大概抄には次のような説があ
る︒①羅字有二中晶二也屋︑二疑心︑﹂二串心葉︑四道︑五だ︑六詞︑七
様︑入推量︑九残詞︑+略屋宇︒
⑨刎掌有二三晶︒一極︑ゴ手爾葉w思詰刎︒
③哉有二六晶一︒一面︑二贅︑三治定︑四有心︑五手落葉︑六吹流
︹哉∪也︒ ロ いずれにもテニハという分類目がみえている︒この分類のしかた
が意味範疇によるものであることは勿論である︒抄之抄には︑
①手爾葉ノヤはに通ふあり︑のに通ふあり︑とに通ふありそに通ふ
あり︑た〜てにはまてのやあ11︑そに漣ふやはうくすつの通音の
内にて留まる︒
むさしの︑霞もしらずふる雪にまた糖草のつまやこもれる
のに通ふやは献融棚舳のやといふに
新古神かきやよるへの水も名のみして祈るちきりのなととよ
むらん
はに通ふやは
続古名にしおふさかひやいつく明石輪重浦遠くすめる月かな 五八
とに通ふやは梅や桜に雲や霞にといへるやなり勲離紳初開門聡る
二字此やなり
た〜てにはまてとは
千さ︑なみやしかの都はあれにしをむかしなからの山さくら・
かな
②ニッニ手爾葉 てには刎は︑けんみんなんてんねんはんせん等な・
りこれはてにはまて押へ字にも不重心も射し麟無規醜聞
②五手爾波ノカナ てにはの哉に又憾あり︒轍にはすその哉なりか蝋首の躰なら
す︑或は詞︑或はてにはプ︑哉と留り︑共哉に心も感もなく︑落
しっけんためにてもなく︑只荘厳まての哉をてにはの哉とい
ふ︒すその哉なり︒面し哉きく哉思ふ哉のたくひなり︒二には
中の哉なり︒中にをく哉皆てにはの哉なり︒若は心ありて吹流
ず哉もあり︒まれなる慕なるへし︒
古今・かつ見れとテとくもある哉月かけのいたらぬ里もあらし
とおもへ枇
とあって︑それぞれの分類の中で︑テニハはすべて﹁てにはまで﹂
とか﹁荘膳まで﹂という説明になつ︐ている︒とくに﹁哉しの説晦
で︑﹁一首の躰ならず︑﹂﹁心も感もなく﹂﹁落しつけんためにてもな
く﹂と云っている所からも或は
六昌︵吹流勇ナ也︒ ふきなかす哉は鳥類の尾のことし︑荘厳まで
のことにやと見ゆれと︑一身の飛行も尾を以て力とす︒歌も此哉
を以てこ〜ろ叫入つよく成なり︑吹流の名は馬の風に暫し尾を以
て吹流し︑力とするのをいひか︒有心の哉は叫首の魂ゐ︑吹流哉﹂
は歌の筋肉︑治定の哉は運座︑手爾波の哉は座具︑贅哉は人身の
こぶなり︒
の考え方からも︑テニハにいわゆる文の意味にあずからないという り荊があらわれていると思われる︒﹁テニハまで﹂に置かれた字が置
掌︑哉などの字である︒しかも看のような考え方は︑荘厳という比
喩にも感じられる︒吹流の例および手爾波ノ哉の例にみえているよ
うに︑﹁荘厳まで﹂と説いている所からである︒
次に大概抄の調について述べイ︑いる例から
六.詞ノヤ ことはのやとは︑やと続く詞のやなり︒き︑しゃとお もふやとなり礎於雑解と
九轟残ル詞ノや残ることはのやとは︑︐めやとややはなといひて詞を
のこせるやなり
世を捨は日よしと跡をたれイ︑けり心のやみをばるけさらめや
後の例は﹁物遠﹂についプ︑も云っており︑﹂またゾの条で︑
一︑又留り字不用そこあり︒一には下知のそ也︒・7らみそ︑かこ
ちそのたくひ︒二にはいひ捨るそなり
みそきしてむすふ川なみ薙ふ共いくよとむへき水のなかれそ
此二のぞはいひ残す詞に通音平字もたせたる物なり︒何れもし
れたる票ゆへ定譲卿筆したまはすと見えたり やとあるのを参照すれば︑下丈を省略して︑余惜を残す詞と考えたこ ︑ かはとが知られる︒同様にして詞と記した中に︑﹁物事波﹂を︑ ヤ 物加波者長ヲ比フル之詞也 たけくらへとて上にはの字を重て︑そ
れは物かはこれは物かはとくらへねはとまらす
待よひにふけゆくかねの声きけばあかぬ別の鳥はものかは といい︑ヵハ・ヤハ・メヤを瓢之詞︵反語︶とし︑ 瓢とはいひくたしたる詞の下に︑やはかはめやの三の内をさけは︑ 其心うちかへすなり︒ と述叉ているなど︑詞がそのま︑術語としての意図で用いら札ているわけではないが︑およそ︸つの内容の叙述ど云う意味において述べられていると思われる︒ところが︑ ル ワ ム〃 ︵ ニチ ル タル ゆ テリ不壕埋以・手爾婆所愉鮮場塑殖耀︒倣・云滑滑所盈焉︒ 云切詞定詞︑計里計留如ヒ此高所昌普知7人︒其数繁也︒抄之抄に︑ いひきらさb手爾波字にてとめたる歌は上へも中へもまはしてい ひ切也︒いひきりたる所へまはりて留るなり︒また︑云切る詞の例で︑ 如此の.類とは哉︑︑けり︑ける︑らん︑ぬらし︑ならし︑そ︑も︑ けん・.てん︑けらし︑すゼりし︑し観慌証しぬ感脳ぬつ凡㌶烈栃しつ とや とは 物を 物かは めり なり いっち いっこ なと・ いかイ︑ 下知の詞をあげている︒云切る詞はいわゆるテニハに相当する例であっイ︑︑不二云切一手爾波は抄之抄では手爾波となっている︒これに連闘しては︑冒頭の 和歌手爾波者唐上之置宇也︒についても︑抄之抄は︑ 一︑手測串の文字多しといへ共︑手爾遠波の四字は綱領のこと し︒
と述べており︑手爾波を手爾葉の文字として説明している︒このよう
五九
な考えかたでゆけば︑テニハが詞を含むコ云まわし﹂としての機能
をもっていて︑同時に丈の救述内容から分離せられたものである一
方︑テニハが文の救述において一種の関係機能をもつこと︑しかも
いわゆるテニハ自体はテニハに関係がある五戸ないしは詞であっ
て︑主として助詞の類がそれに相当し︑これをテニハの名で総称し
ているのではないかと考えられる・そして後者の場舎が羅宇である
と考えられるのである︒ しかし右のような推定について︑いくつかの間題が指摘され
る︒ ︑ エケセテ . ノケテニ.ル 古馴者海幕世手之通音㌔志望加之手爾葉尤之垂柳㍗下留レ之
のうち︑シ︒シヵについて︑
一︑ししかのてにはとは︑こそうれし︑こそありし︑こそ思初
しか我こそ下に思ひしか
また︑ 昌テツラネタルハ タ ヲカニ ハノ レテ 座句手爾葉連続之留不レ能二容易 詠フ之多下句潮煮歌姿虚弱也
について︑
座句とは末の七丈字なり︒手爾波つ\きにして留ろ歌は上手なら
では読かたぎ鵬なり︒下手は思ふ事上にいひ尽して文字ふそくの
間︑手爾波の字をつ〜け侍ろゆへ歌の姿すそかれになるとなり︒
と述べている例がある︒大概抄においては例外的な用法であるが︑
抄之抄では座句の条にて︑﹁手爾波の宇﹂と述べている事から一応
説明できるのであり︑云切らざるテニハの場合も同様である︒この
外︑ 題を末に残すとは︑故郷と云題をよみ侍らんに︑上五文字にふ 六〇
る里のとおきて末ア\はうはさ座句は手爾波かちに留りたらん.
は︑すそ短かききぬきたるさまなるへし︵以下偉い
の﹁手爾波がち﹂も右に準じて考えられる︒もっとも﹁テ口上の
宇﹂は大概抄にはない︒叉置字も﹁テニハの字﹂と対応させない隈■
り.凡れ自体は矛盾するから抄之抄の立場と一致しなくなる︒しか・
し︑個セのテニハの説明が字彫は詞として説明せられず︑いるし︑そ
の上置宇が休め字を受けつぎ︑前述の﹁てにはまで﹂という意味肉
容の小さい存在のものをさすと考えられる故に︑﹁宇﹂であり︑仙覚.
以来のテニハの文字に相当すると考えられるのである︒かくて︑大
概抄そのものが︑抄之抄において祖述されていることが肯定される
と思われる︒
しかして抄之抄の説は︑宗紙の歌論書においても鳳応確かめるこ
とができる︒たとえば︑長六文では︑
a 桶︑そにをはの事︵如何成がちがひ如何なるかあひて侍ると・
いふ慕︶たズ句を吟じ可心得喜雨︒あるひはうたがひのや︑かな・
と又は畢ぬ︑惣じてとぢめたること葉侍りては︑て共︑にどもと︐
まり侍らず︵岩波文庫︑連歌論集・下ご.四︶
b 五文宇に云切り候はんてにはをもて下句までそれをうけて付.
候体落︑撃発に
うき物を沖津懸路の旅の空と申に
こえ行山のけふの雨風
憂き物をといふ調をうけて︵奥津舟路の旅の空とこえ行山の︶雨︑
風をうき物をと付て侍る︵全・二六︶ りのようにテニハを用い︑個々の語では︑﹁なむといふことば﹂︑﹁し
はやすめ字L.等と述べる︒
また源氏物語不審抄出には︑
起て行空もしられぬ明暮にいつくの露のか〜る袖なり
軍歌のてには有い先賢のかう尺にもてにはちかへりしかはあれ
とそのゆへあるよしいへるなり 但後撰集σ千載・穴和物語等に もこのたくひのてにはあり︵例略︶しょせん此てには閉にくきや
うにはあれと五いんにてさういなきか︑むかしみなかくのことく
ありけるよし︑心うきもの也︵未刊国文古註釈大系十一︑三六八︶ 詑︵7︸と記ざれ︑長六交と同じ考え方であると思われる︒雨夜紀にも︑
一︑第爾於葉の文宇にて付たる句
音する水は氷とけけり
雪うつむ深谷の小川春寒て
名残ある鵬は越なる山越て
聴るつはめ わか巻の空 ︵続群霧類従・十七︒=一〇六︶
脊のように︑明確に﹁丈字﹂と述べていて固様である︒しかし︑
こ〜には 一かけ手爾米点︑2うけ手爾於葉︑3.もと蕨手爾簗に付やうあり
4まて︵.私云まで︶と手爾於葉大切也︑5けなる︵私云﹁きよげ
なる﹂の類︶と云手爾於葉を写る事︵以上︑いずれも項目のみ︶
のような記述があって﹁やの字﹂ ﹁こ輔〆︑と云句﹂などという記述と
半々である︒これは畏六文などと異なり︑連歌に中心があるためで
ある︒この点では連歌秘伝抄も同一である︒
後者のような傾向は宗祇以外の連歌師の著書においても同様であ
ると見られる︒が︑これまた同様なるものとして姉ケ小路.式といわ れる手爾葉秘伝書をとりあげて考察したいと思う︒
四︑文とテニハ
ハ 姉ケ小路式と総称される秘伝の中で︑歌道秘蔵録においては茅︑の序に 和歌のてにば︑たとへ.はほの/㍉とあかしのうらの朝きりにし まかくれゆくふねをしそおもふの歌も船を思ふの義なり︑しはて には也てにをはの編綴に段々にしるすとの記述があり︑﹁嚢﹂は﹁船を思ふ﹂であって︑シはテニハであるとする︒.又一本には︑出葉説を否定した後に︑ 唯てにをはの四文宰いつれも詞をつ〜くる丈字なる故にで︑にをは の文字をさしていふなり︒︵静密議文庫蔵零︶とあるのは︑もっとも抄之抄に近い考えかたであろう︒しかし︑右の説は秘伝金般にわたるものではなく︑したがっイ︑秘伝命般にわたるテニハの性心は本・文によって辿るほかはない︒七かも本父では︑テニハは明確でなく︑対立する二つの内容を倉んでいる︒ a囲︑しかと云手爾おは︑このしかは吉方過去のしの手似はな り︒しをと宮盛爾はにも通侍る︒ b嚇.︑やはのはの字を略してた︑やと斗いへる手爾はあり︒ おも c思ひ残し云のこしたるのの手爾於葉是等の味ひ大切也 これは﹁云い方﹂﹁用法﹂に相当するテニハの用例であろ︒ d一︑物を云残す手爾はなり e帰︑物をと云てことはなる事の両側から︑詞とテニハの対立関係がうかがわれる例あ見える︒
六一
dの例は個々の語をさしていう名称と考えられるとしても︑後に述
べるような問題がある︒その他
f一︑かなと見手似はをかといへる事
9︸︑やすめてにはに用るか
なども明確でないし︑
b一︑おなしやはと云手爾葉に︑はを休め宇にしてやはといへる あり
i一︑かはと云︹てには∪にもはの宇をやすめてにはによむ事あり
9右のh・iによると︑ハの字を﹁休め字﹂にも﹁やすめてには﹂にも用いているから︑両者の区別が感じられない︒
﹂輔︑もの宇をおなし心の手爾はといへり︒是も一首のうちにあ
また置事有し︑
め例は明確に個々の語について云ったものである︒また︑
k鰍︑いひかけ手爾はすみにこりの購
のように︑全くの修辞上の意味をもつ例もみられるので︑これらの
例から統罪した定義を見出すことは難かしい︒
そこで先に保留した連歌論の中から︑古の秘伝に関する考察法を
示しつつ︑修辞的ないしは文芸的な意昧にも用いられるテニハの内
容を考察したいと思う︒宗瑚の密伝抄に極々のテニハを挙げている
中で・諌めてには︑戒めてには等というテニハがあつで・
一︑練めてにはと云は︑月にとへ 花にとへ︑月を見よ︑花を見
よ︑此等をおどろかしてにはと云也 いましめ 一︑戒めてにはと云はかはるなよ︑いそぐなよ︑うとむなよ︑此
等をば定めてにはと云也︵岩波文庫︑連歌論集上二四七︶ 六二
それぞれ命令表現︑禁止表現をさしている︒また連歌秘伝抄に︑
一︑もど云手仁はに付る様
とあっ・て︑i井たるも 2井ざるも に分け︑それぞれ
1我うき人も袖や露けき ふけ過る月も今はとねたる夜に
2秋も今はになるぞかなしき 萩にふく風はむかしの夕にて
の如く︑それぞれ付句を示している︵連歌論集下︑一〇ニー一〇三︶︒ ころ なほ ︵は︸. ︵は︸この他比・猶・又・は・か︒わ.・ぞ等付句の法を説いていて︑ ︵ほ︶ 嚇︑はと云手仁は付様︑是も皆おさへたる手仁葉也
山あればこそ月は入らめ
雲霧の八翼のしほ路のわだの原
の如く記しており︑また︑
一︑らんと留りて付る様犬事也
一︑下知の手仁葉・犬嘉也
の例など見てゆけば︑ ︵同︑一〇四︶︵同︑九三︶︵同︑九八︶ 許︵9︶ ﹁テニハ﹂は表現の型に相月する︒そして︑
その表現の型を決定する最も重要な音︵字︶として存在するものを
もテニハと呼んだと云うことができる︒右の例を端的に示している
のは︑たとえば長短抄に︑
アワセテニハ
吉野立田ニヲシキ春秋
山々ノ花や紅葉二年暮テ
此ヤヲアワセテニハト云也︑テト留ロワヅライナシ︒
また︑つづけ︐て
山トヲキ雲や霞二日ノ入テ ︵岩波︑上︑一九桶︶ アワのやについて智﹁二物ヲナラベテ一二合スルヤナリ﹂と述べている
例である︒
このような考察法ははなはだ雑駁であると先学が説かれている
が︑その程度の差こそあれ現代︑推量の助動詞や願望の助詞などと
云うのと本質的な相違はないのではなかろうか︒表現文型とその中
心的な存在としての文末の文字とが交錯している所にテニハの本態
があるといえるのである︒ところが︑この連歌秘伝抄は更に︑
だに︒さへ・ばかり・なに・いつ︐\・いつれ・いかで・中々・ご へばぜ とく・まじる.ごとに︒ほど︒心から・なをざり︒なれも・夜も ︵進一 すがら・つれて
についても﹁⁝⁝と云奉三葉選る坐しとしてそれぞれ説いている
が︑遂には︑ とりなし かけ手仁葉・うけてには・執成乎下葉・真名の字にて︑云かけて
付る一項葉︵項目のみ︶
のように表⁝現手法に及んでいる︒後者は二条良塞以下の諸欝にふれ
る所である︒このテニハは前二者と甚だ異質的のように思われるが る の 表現型が内容から形態へと移ったのであって︑下知とうけにおける
ごとき︑そこにある関連性がうかがわれるのである︒
たとえば畏短抄には︑次の例がある︒
A一︑カエテニハ
武サシ野や草ノ葉分三富士ミエテ
難波ヅヤミヤコニチ勇ク舟倉テ
の 此ヤワ︑ハノヵ工詞也︑ヲト云エパダルルホドニヤト云ナリ・
此ヤハテトト・ムル温語州子細
B一︑云ツメテニハ のとみなされる︒ ロヨリノ嵐ハサムシ汐入テ タ.ヨリ今夜ハスズシ製出テ 今朝ダニモミャコハ恋シ関コエテ ヵ様二期ノメタルシバァト留ルニモワヅライ無︑能可画龍︒ ︵岩波︑連歌論集上︑剛九二︶ 註︵3Aは﹃助ケ宇﹂で︑文字をかえるというテニハである︒後者は云ツメル場合で︑先に述べたうちで形式瓦町内容をあわせ持つ例噛︑あ カさヨる︒テニハの中閥的な旧例である︒﹁璽テニハ﹂においては︑アマリを受けて天の川とするなどの付句を示し︑ 寄合ナクテタゴヂニハ計也︒則寄合ニマサレル付様也︵同一七五︶と述べている︑チニハ計はこのような付句の方法が︑同音反復の口調上のものであることを︑テニハと云う語によって示している︒
五︑結
論
さて︑以上の考察を要約すると︑テニハが文の表現型であるとと
もに︑これを司る電要な存在であって︑これが前句に付る連歌に
おいて︑意味上の型から形態上の技法にまで一周されている︒今︑文の意昧上の衰現内容と文の主体的な表現︵ただし修辞上の意味も
含まれている︶との関係において考えると︑詞とテニハの関係は︑詞が前者に︑テニハが後者に関する︒ヤ・ヵナ等においても叙述の
上から見れば詞であり︑真名の類や詞であっても後者の面から見ればテニハとなるべきものである︒実際的には︑テニハに関する詞が
あって︑ ﹁テニハの字﹂の類が存在し︑これは叙述の面では文の関
係機能をあらわすもので︑ ﹁音声之により相続すろ﹂区画となるも
六三
ω塒枝誠紀博士︑国語学史六七頁に﹁てにをはの名称が国語の忠類 別に使用された時でも︑研てれは﹃漢文訓読に於ける所謂てにを は﹄の意に用ゐられたものと解される﹂として註にこの例他一例
があげられている︒
ω校本八雲御宴とその研究二二四ページ︒無名秘抄︑新校群書類従
十三ノ三三九・さざめごと︑︐岩波文庫中世歌論集三九二ページ︒
㈲長六文揖波丈庫︑運歌論集下︑三七べ!ジ︒﹁措字︑心なきな
り﹂とある︒
ω宗紙袖下︑続群書類従十七・一〇七七べ!ジ︒
㈲未刊国文宵註釈大系七所収︑七ぺ!ジ.同轡解説では東常縁かと の 説いておられる︒この書に︑はの字はピ︑にはなりという例があ
る︒︵三二ぺ!ジ︶︒
⑥国語学史六九ページ参照︒
ω宗畏の腰・文があって︑.宗餐が師説を襟き留めておいたのを宗弧が
補説して自説と認めた由紀されている︒
㈹姉ケ小路式については国語大系+四巻所収のものによって考察し
た︒亭爾葉・⁝︵概抄も同様である︒
㈲山田孝雄博士は国語学史︵三七七ぺ弓ジ︶に︑いわゆるコ云ひま はし方﹂のテニハについて︑テニハが単語をささず︑その語の用
法をさしていることから︑語格をさした名目であろうと述べてお
られる︒ここでいう表現の型とは︑たとえば疑問文推量・文その他
無限に存する陳述様式を︑かりにそういう名で呼んだのである︒ 六四
⑳姉ケ小路式第九仮名をやすむる事︑悦目抄︵新校群轡類従︑十三
の二六〇・二六嚇︶春樹顕秘抄第+八︑たすけ宇の事等に説かれ
ているが︑例えば
﹁たすけ宇をそんせよとはきとみとはひとしきなり.谷ふかき
とあらんは︑こはくもきこえ︑となりもさしあふへくは谷ふかみ
とかゆへし︒みときとはおなしひ〜き也﹂
とし︑この後︑﹁かも﹂と﹁かは﹂をあげて﹁はたらかせてたす
くるかゆへにたすけ宇といふ﹂と加えている︒ ︵烏丸本悦目障十
八ウ︑国語学大系十四による︶