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こぺる No.214(2011)

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日(毎月l固25日発行)

2011

こべる刊行会

NO

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214

ひろば⑬ なぜ学生たちは部落に対して マイナスイメージをもってしまうのか 石 元 清 英 「韓国併合百年

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を考える② ある無縁墓のこと 一島根の聞き取り調査から 森 昌 義 いのちを生きる⑨ 冬の到来 長谷川洋子 記憶の旅から明日へー写真と文 小 林 茂

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写 真 と 文 小 林 茂 この写真の中にきっと、私ゃあなたがいる。人は過去にさかのぼり、そして、また、現在にも どってくる。記憶の中に明日がある。 アフリカ・ウガンダの子どもたち(1994年) 明け方、 NHKラジオを聴いた。幼いわが娘を締め殺した母親が出演した。心身喪失状態だった。 母親は下の男の子を連れて家を出て、魚の行商、飯場の飯炊き、何でもやって、その子を育てた。 息子が二十歳の頃。テレビから「子殺しjのニュースが涜れた。 「子どもを殺すなんて、ひどい 母親だな」と息子がつぶやいた。そのとき、 「今こそ話すべき」と母親は思い、真実を伝えた。 台所で泣いた。雪が降っていた。 「涙でぬれて見た雪は真っ白でした。ぞれまで雪は灰色だ、った のです」。 息子と歩いてくる婚約者を見て、母親は「わが娘が帰ってきた」と思ったそうだ。最後にその 母親は言った。 「どんなデコボコ道も、人生なら均せば一緒」。 私は脳梗塞を経験し、今、透析をしながら、生きている。楽ではない。それまで元気だ、った。 「人生均せば一緒」。負荷ばかりを見ていると落ち込む。しかし、今までとは違う空の色が広が っていないか一一 連載を終了します。いつのまにか 3年にわたりました。読者のみなさんや編集部に感謝します。ありがとう。

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﹁ ひ ろ ば ﹂ ⑬ 金華橋付近の堤防一 を夕方歩いていると目つきのおかしい人聞がよく散歩一 している。一見暴力団かと思うが実は部落民なのであ一 る。︵日日新聞の人の証言から︹中には暴力団もいる一 らしい︺︶中年以上の人々は彼らは血が濃くなりすぎ一 ておかしくなっているのだという。皇族︵天皇家︶は一 それを恐れて民聞から嫁をもらいはじめたという話も一 聞 い た よ う な 気 が す る 。 ︵ 藤 田 敬 一 ﹃ 同 和 は こ わ い 考 ﹄ 阿 昨 社 、 一 九 八 七 年 、 一 三

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一 四 ペ ー ジ ︶ 藤田敬一さんが﹃同和はこわい考﹄で紹介している岐一 阜大学教育学部の学生が提出したレポートの一部である。 これほど現実離れした部一

なぜ学生たちは部落に対してマイナスイメージをもってしまうのか

石元清英︵関西大学・高槻市在住︶

金華橋︵早田の一部︶などに部落があるらしいこと その地域をよく知っている職人さんた ちはめったにそこへは近づかないらしい。何をされる かわからないからだという。聞くところによればそう は 知 っ て い る 。 いう地域では殺されるのを承知でなければはいりこめ ないという。名前︵名字︶で部落民であるか否かを推 測できるという話も聞いた。肉屋の冷凍庫にはブ夕、 牛のみならず、犬やネコの死骸がつるされ、近所には それらの姿はないといわれる。保健所も立ち入り調査 はこわくて行えないという。︵閉じ込められて冷凍に されるかもしれない。昔はよくあったという。今でも 行 わ れ つ つ あ る か も し れ な い が 。 ︶ こぺる これを読んだとき い ま ど き 、 1

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落のイメージをもっ若者がいるのかと、違和感を覚えた。 それは、村越末男さんが﹃差別の論理と解放の思想﹄ ︵明治図書、一九七二年︶で紹介している小松左京の ﹃失格者﹄という小説︵一九六七年︶の一節︵﹁丸部落は ずっと山奥の、どこの地方にもあるあの隔絶された歴史 をもっ部落の一つだった。戸数=一十戸あまり、生業はわ ずかな田畑の耕作と炭焼き、ひどく貧しく、戦前はひど く差別され、ひどくしいたげられてきた。戦後だって同 じ よ う な も の だ 。 血 族 結 婚 で 精 神 薄 弱 や 精 神 異 常 も 多 い | | あの戦時中の食糧危機の冬、精神薄弱の母親が継子を殺 して、子どもたちといっしょに煮て食べた戦懐すべき事 件 は 、 この地方の連中なら誰でもおぼえている﹂︶と重 なったからである︵﹃前掲書﹄九二ページ︶。まるでひと 昔も前の偏見に満ちた部落のイメージを学生がもってい る こ と を 奇 異 に 感 じ た の で あ る 。 しかし、そののち大学に就職し、学生たちに部落問題 を教えるようになって、この岐阜大学の学生と同じよう な部落のイメージをもっ学生が多いことに気づくように なった。そして、現在でもそうした学生は数多く存在す る 。 三

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年四月、私が担当している講義の第一週目に一 その講義を受講している学生たちを対象に、部落に対し一 てもっているイメージと小中高校で受けた部落問題教育一 の内容に関するアンケート調査を行った。このアンケ

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一 トに回答した学生は三四九人で、高校までに部落問題に一 関する教育を受けたことがあるという学生は一一四八人一 ︵ 七 一 ・ 一 % ︶ 、 受 け た こ と が な い と い う 学 生 は 一

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一 人 一 ︵二八・九%︶であった︵部落問題に関する教育といっ ても、副読本を用いて、ある程度の時間をかけた授業か一 ら、日本史の授業のなかで、近世の身分制度について簡一 単にふれたというものまで、さまざまであろうが、ここ で は す べ て を ひ と ま と め に し て 部 落 問 題 教 育 と い う ︶ 。 表 1 は部落のイメージに関する設問への回答を示した一 ものである。この設問は、表 1 に あ げ た 、 ﹁ 暗 い ﹂ か ら 一 始まる一四の項目を選択肢として示し、学生が現在もっ ている部落に対するイメージに近いものをいくつでも選一 ぶというものである。そして、この表の左側、﹁全体﹂ とあるのは、一二四九名の回答を部落問題教育の有無別に一 暗い・貧しい・閉鎖的

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部落に対する部落に対するイメージ(部落問題教育の有無別) ノjへ二 体 イメージなしを除く あ る な ミし あ る な ミし 数 248 101 187 78 暗い 35.1 42.6 46.5 55.1 明るい 1.2 2.0 1.6 2.6 こわい 19.4 25.7 25.7 33.3 やさしい 2.4 1.0 3.2 1.3 遅れた 12.1 12.9 16.0 16.7 進んだ 0.8 1.1 貧しい 31.0 36.6 41.2 47.4 豊かな 0.8 1.0 1.1 1.3 閉鎖的 46.4 44.6 61.5 57.7 開放的 1.6 1.0 2.1 1.3 皮革業が盛ん 10.5 6.9 13.9 9.0 食肉業が盛ん 10.1 10.9 13.4 14.1 高校進学率が低い 9.7 6.9 12.8 9.0 どのようなイメージももっていない 24.6 22.8 * * 表1 のが、表の右側に示した﹁イメージなしを除く﹂である。 右側の﹁イメージなしを除く﹂のほうをみると、部落一 問題教育を受けた学生も、受けたことがない学生も、部一 落 に 対 し て 一 示 し た も の だ が 、 そこにみられるように、高校までに部 落問題に関する教育を受けた学生、受けたことがない学 生 と も に 、 ﹁ ど の よ う な イ メ ー ジ も も っ て い な い ﹂ と い う回答が二十数%もあがった。部落問題に関する教育を 部落に対して 受けたことがあると回答していながら、 ﹁どのようなイメージももっていない﹂ というのは理解 しがたいが これは部落に対して偏見や差別的なイメー ジを自分はもっていないという意味の回答であると解釈 できる。部落問題に関する教育を受けたことがないとい う 学 生 に つ い て も 、 こうした回答が少なからず入ってい る も の と 考 え ら れ る 。 そ こ で 、 ﹁どのようなイメージも も っ て い な い ﹂ という回答を除いて構成比を算出したも ﹁ 暗 い ﹂ ﹁ 貧 し い ﹂ ﹁ 閉 鎖 的 ﹂ と い う イ メ ー ジ をもつものが多くいることがわかる。とくに﹁閉鎖的﹂ は、部落問題教育を受けた経験がある学生︵以下、 ー−, 経 験 あ り ﹂ 五 % 、 その経験がない学生 と い う ︶ で 六 こぺる ︵ 以 下 、 ﹁ 経 験 な し ﹂ と い う ︶ で五七・七%と高くなって ユ ﹀ 。 し 之 そして、部落問題教育を受けた経験の有無で比較 3

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す る と 、 ﹁ 暗 い ﹂ ﹁ こ わ い ﹂ ﹁ 貧 し い ﹂ というイメージを もつものが経験なしのほうにやや多くみられる。 一 方 、 経験ありのほうが構成比が高くなっているのは、 ﹁ 閉 鎖 自 包 ﹁ 皮 革 業 が 盛 ん ﹂ ﹁ 高 校 進 学 率 が 低 い ﹂ な ど で あ る 。 このように、部落問題教育を受けた経験の有無に関わら ﹁ 閉 鎖 的 ﹂ と い っ た ず、部落に対して ﹁ 暗 い ﹂ ﹁ 貧 し い ﹂ マイナスイメージをもっ学生が多くみられるのである。 表 2 は、部落や部落問題に関する意見や考え方に対す る評価について問うたものである。これによると、 落では部落民ではない人との結婚がむずかしいため、近 親結婚が多い﹂という考え方に対して、﹁そう思う﹂は 経 験 あ り で 一

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・五%、経験なしで一四・九%と、部落 問題教育を受けたことのある学生のほうが ﹁ そ う 思 う ﹂ が や や 少 な い も の の 、 ﹁ そ う 思 う ﹂ と ﹁ ど ち ら か と い え ぼそう思う﹂を合わせれば、経験ありでも五六・一%と、 そ し て 、 過 半 数 を 超 え る 。 ﹁ そ う 思 わ な い ﹂ は 経 験 あ り 、 な し と も 一 六 % ほ ど し か な い 。 身分制社会であった近世においては、賎民身分どうし の結婚がほとんどを占めていたが、賎民身分どうしの結 婚が同一集落内だけで行われていたわけではなく、また、 同一集落内の結婚であっても、近親結婚とは限らない。 近世においては、向 じ賎民身分の集落聞 での通婚が多くみら れ、それらの集落は 距離的にかなり離れ ていることが多かっ た。したがって、賎 ﹁ 部 民身分の通婚圏は周 辺の百姓身分と比較 して非常に広く、近 世において賎民身分 のほうに近親結婚が 多かったという事実 はない。通婚圏が広 いという特徴は、近 代 に な っ て も 同 様 で 、 戦後になると、部落 外の出身者との結婚 が急増し、現在の部 落では、部落民どう しの結婚︵それは昔 部落や部落問題に関する意見や考え方 どちらか どちらか 同和教育 総 数 そう思う といえ』ま といえば そう恩わ の経験 (人) そう思う そう思わ ない ない 部落では部落民ではない人 あ る 248 10.5 45.6 27.0 16.9 との結婚がむずかしいため、 近親結婚が多い な い 101 14.9 45.5 23.8 15.8 企業の採用に際して身元調 あ る 248 11.3 44.0 27.4 17.3 査により部落民が採用され ないことが多い な い 101 10.9 47.5 23.8 17.8 表2

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も今も近親結婚とイコールではないことは、いうまでも ないが︶は非常に少なくなってきている。したがって、 部落では近親結婚が多いという考え方は、実際の部落と はまったくかけ離れたものであり、誤解である。 ﹁企業の採用に際して身元調査により部落民が採用さ れないことが多い﹂という考え方に対しては、経験あり、 経 験 な し と も に 、 ﹁ ど ち ら か と い え ば そ ﹁ そ う 思 う ﹂ と の 合 計 が 過 半 数 を 超 え て お り 、 は二割にも満たない。多くの学生が現在でも部落民は就 職に際して差別を受けていると考えているのである。し かし、現在、企業が採用に当たって身元調査を行い、部 落民を採用しないということは、ほとんどないといって Vつ 回 ん ? っ ﹂ ﹁ そ う 思 わ な い ﹂ よい。たしかに、部落に住んでいるという理由だけで、 企業が採用しないという時代がかつてはあったが、企業 の社会的責任が重要視されるようになった現在、身元調 査を行い、部落民を採用しなかったことが発覚すること によって失う企業の社会的信用は、計り知れないほど大 きい。それだけではなく、人権問題に関する社員研修に 積極的に取り組む企業も多くなってきた。したがって、 企業が身元調査により部落民が採用されないという考え 方は、現在の企業による採用の実態とはまったくかけ離 ﹁ ロ 臥 H 一 一 立 口 ﹁部落解放運動について﹂の一 一一つが四O%台となっている。以上の六つの構成比が高一 く、他の選択肢の構成比を大きく上回っている。すなわ一 ち、高校までの部落問題教育では、歴史を扱うか︵﹁江一 戸時代の身分制度について﹂︶、結婚差別や就職差別が未一 だに厳しいという部落差別の実態と、それに対する部落一 ︵ ﹁ 結 婚 差 別 に つ い て ﹂ ﹁ 就 職 差 一 部落差別の不一 れ た も の で あ り 、 誤 解 な の で あ る 。 学生はどのようなことを学んだか では、部落問題教育を受けた経験をもっ学生は、どの ようなことを教わったのであろうか。それを示したもの ︵表にあげた一六の選択肢から該当するも の を 重 複 回 答 ︶ 。 が 表 3 で あ る こ れ に よ る と 、 ﹁ 江 戸 時 代 の 身 分 制 度 に つ い て ﹂ が 六 0 ・ 五 % と 、 もっとも多く こ れ に ﹁ 差 別 は し て は な ら な い と い う 注 意 ﹂ ﹁ 結 婚 差 別 に つ い て ﹂ ﹁ 就 職 差 別 に つ い て ﹂ が つ づ く 。 これら三つが四五%を超えており 落差別の不当性について﹂ 民の闘いが教えられたり こベる 別 に つ い て ﹂ ﹁ 部 落 解 放 運 動 に つ い て ﹂ ︶ 、 当性と部落差別はいけないということが強調されるので 5

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︵ ﹁ 部 落 差 別 の 不 当 性 に つ い て ﹂ ﹁ 差 別 は い け な い という注意﹂︶。そして、部落における生活や仕事がどの あ ろ う どのようなことを教わったのか (M.A.%) 248 60.5 17.7 40.7 50.8 10.5 8.9 5.6 48.0 46.4 18.5 41.5 6.0 9.7 7.7 8.1 3.6 高校までに部落問題について、 表3 総 数 江戸時代に身分制度について 現在の部落差別の厳しさについて 部落差別の不当性について 差別はしてはならないという注意 部落民の人間らしさについて 現在の部落の生活について 現在の部落の仕事について 結婚差別について 就職差別について 同和対策事業について 部落解放運動について 部落差別は解消しつつあることについて 部落の住環境の変化について 部落の仕事や生活の変化について なぜ部落差別がなくならないのか、 その他 その理由について よ う に 変 化 し 、 現 在 、 それらがどうなっているのかにつ いては、ほとんどふれられていないと考えられる。 このことは、私が学生たちから聞いたり、学生たちの 小中高での部落問題教育の内 容と一致する。小中高における部落問題教育では、どこ に何という部落があり、そこではどのような人たちがど レ ポ ー ト に 書 か れ て い た 、 んな生活をしているのかといった、具体的な部落の様子 に つ い て は 、 一切ふれられることはない。あるところに A 地 区 と い う 部 落 が あ っ て 、 そこは周囲から強く差別さ れている、部落の人たちは結婚に際して未だに相手方か らの反対に遭い、差別されるなどといった、非常に抽象 的な言い方で部落問題を教えられるという。また、現在 の 部 落 に つ い て は 、 ま っ た く ふ れ る こ と は な く 、 た だ 江 戸時代の身分制度の話だけをして終わるということも多 い と い う 。 その結果、こうした教育を受けた児童・生徒たちは、 現在でも部落が周囲から強く差別されているのだから、 部落というところは周囲に比べてよっぽど異なったとこ ろ な の だ ろ う と 思 っ て し ま う 。 そして、歴史の話だけで 終わるという部落問題教育は、児童・生徒たちに部落と いうところは江戸時代の賎民身分であった人たちの子孫

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が代々住み続けている特異なコミュニティであるかのよ うな印象を与えてしまう。それが部落の人たちは血筋が 異なるというイメージを児童・生徒にもたらすのだろう。 具体性を欠き、差別の厳しさを一面的に強調する部落 問題教育は、かえって部落に対する異質視を強めてしまっ ているのではないだろうか。そして、部落には近親結婚 が多く、企業は身元調査を行い、部落民を採用しないと まったく現実離れした部落観をもたせているの ではないか。換言すれば、部落問題教育は、部落に近親 婚が多いという偏見や、企業は現在でも部落民を採用し ないという誤解に対して批判できる力を児童・生徒につ けさせることができていないのである。 い っ た 、 ある学生の答案 ある学生の試験の答案を紹介したい。それは私の講義 の テ ス ト で 、 4 つのキーワード︵血筋、近年の結婚、近 世賎民、人口の流出入︶を用いて、﹁部落民とは何か、 説明しなさい﹂という設問に対する学生の解答である。 部落民とは、ある特定の地域に固まって住んでいる 人 々 の こ と を い う 。 その人々とは、昔の身分制度においてえた、非人な どの低い身分に置かれ、差別されてきた人々の血筋を 持つ人々である。そのため、現在でも差別は続いてお り、﹁部落﹂という閉鎖的な地域に住まざるをえない の で あ る 。 農民から年貢一 農民の不満をそらす目的で作られた身一 分である。えたは、死牛馬の処理や犯罪者の逮捕など、 一般の人が嫌がる仕事をさせられてきた。そして、近一 世賎民たちは、農業条件の悪い所や飲料水のない所な一 ど、生活しにくい所へ住まわされた。そして、その人々 の 子 孫 が 部 落 民 と し て 今 現 在 も そ の 場 所 に 住 ん で い る 。 しかし、部落民に対する対策などが少しずつ行われ一 て い る 近 年 で は 、 さ ま ざ ま な 変 化 が 起 こ っ て き て い る 。 結婚についてである。昔は、部落内での結婚一 近 世 賎 民 と さ れ た え た 、 非 人 な ど は 、 を 得 る た め に 、 例 え ば 、 を す る 者 が ほ と ん ど で あ っ た 。 そ の た め 、 血が濃くな りすぎて障害を持つ子が生まれてきたりと、 問 題 が 生 じ た 。 し か し 、 近年の結婚では部落外の人と結婚する こぺる 者 も 出 て き た 。 が、結婚して部落から離れようとする者も少なくない それにはやはり多くの問題点も生じる 7

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そのため、最近では部落の人口の流出入も 多くなってきた。それは、今述べた結婚も一つの原因 であるが、部落外に仕事を求めて部落を出る人々もい るからである。しかし、部落民だからという理由で、 一般の人とは同じようには仕事をさせてもらえないの の あ る 。 が 現 状 で あ る 。 このように、部落民は昔から現在までさまざまな差 そ の 差 別 と 戦 っ て い る 。 別 に あ い 、 私の授業では、部落とは社会通念によって長いあいだ 部落であるとみなされ、現に部落であるとされている地 そこに住んでいたり、かつて住んでいたとみ なされる人たちが部落民とされることが多いと教えてい る。すなわち、部落とみなされたところが部落であり、 区 で あ り 、 部落民とみなされた人が部落民であるとしかいえないと いうことである。部落差別が部落、部落民をつくるので あり、血筋は部落差別の根拠ではない。 一 九 九

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年に大阪府が実施した同和地区生活実態調査 によれば、大阪府の四八の同和地区では、同和地区内に 居住しているが、自分たちは外部から同和地区に流入し てきたので、部落出身ではないと回答した世帯が九八八 五世帯、把握された。これらの世帯の世帯主に部落差別一 を受けた家族がいるかと聞いたところ、二二・八%がい ると答えている︵部落出身であると回答した世帯の場合一 は二八・九%︶。自分は部落民ではないと思っていても、 部落民とみなされれば、部落差別を受けるのである。こ一 の場合、血筋は部落差別の根拠となっていないのである。 また、結婚についていえば、一九六

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年代以降、部落民一 と非部落民との結婚が増加しており、部落に居住する部一 落民の近年の結婚では、部落民どうしの結婚は一割程度一 にすぎなくなっている。たとえば、父親が部落民で、母一 親が非部落民であるという人が非部落民と結婚した場合、 そのあいだに生まれた子どもからみて、祖父母四人のう一 ち部落民は一人ということになる︵非部落民の祖先には一 部落民はいないものとする︶。そして、この人が非部落一 民とのあいだに子どもをもてば、その子どもからみて曾一 祖父母八人のうち部落民は一人となる。非部落民との結一 婚の増加は、こうした四分の一部落民や八分の一部落民、 さらには一六分の一部落民を増加させている。そうする一 と、この一六分の一部落民は部落民なのだろうか。高祖− 一六人のうちに一人でも部落民一 い ま の 時 一 父 母 ︵ 祖 父 母 の 祖 父 母 ︶ がいれば、その人は部落民であるとするなら、

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代、自分は部落民ではないと言い切れる人はいなくなる であろう。自分の高祖父母一六人がいつどこで生まれ、 何をしていた人なのか、すべて知っている人など、いな つまり、部落民か部落民でないか、血筋 い か ら で あ る 。 で線を引くことなどできないのである。 人口の流出入については、一九一

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年代以降、都市部 の部落で顕著にみられ始め、戦後になると、人口の流入 により人口が大幅に増加した大規模な都市部落がいくつ もでき、近年では二

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代、三

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代の人口の流出の結果、 高齢化が急速に進行している都市部落が目立ってきてい る。このように、都市部落を中心に人口の流出入がダイ ナミックに生起しており、三代つづけて同じ部落に住ん でいるという人は、都市部落ではめずらしい存在となり つ つ あ る 。 以上のようなことを私の授業では話している。したがっ て、さきにあげた答案を書いた学生は、私の授業をまっ たく聞いていないに違いない。その答案をみると、織多・ 非人という身分は江戸時代に政治的につくられたもので あり、その臓多・非人の子孫が部落民で、部落民は部落 という閉鎖的な地域に固まって住んでおり、血族結婚が さまざまな差別を受けているなどといった内容で、 多 く 、 化 学 無 て で 理 ま 晩 す や ず 婚 」 り い 化 と ま こ 答 っ と 高 え た を 齢 た く 聞 者 な 別 い の ら の て 介 、 話 し 護 相 を ま 手 始 つ 子 は め た ど 少 る 存 も 子 。

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の 高 も ユ 虐 齢 し き

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待 化 私 主 な の が 3 ど 問 「 Q 題 家 ヲ 現 や 族 子 在 未 社 与 の 婚 会 に 小中高の教育で得た断片的な情報を設間にあるキーワー ドと関わらせて、いろいろと手を加え、つなぎ合わせて 作文したのであろう︵最後に、部落民が差別と闘ってい ることを付け加えることも忘れていない︶。 小中高の部落問題教育では、江戸時代の身分制度につ いてだけふれ、現在でも厳しい差別がつづいていること が強調される。そして、現在の部落の具体的な生活実態 については一切ふれられない。そうした教育が現実とは かけ離れた部落の一面的なイメージを作り上げているの で あ る 。 対 話 が 成 立 し な い 部 落 問 題 lま 初対面の人に大学の教員をしていると言うと、その人 ﹁何を教えているのですか﹂と尋ねてくる。話の糸口 というか、会話の取っ掛かりを得ようとしての質問であ ろうが、私が﹁部落問題です﹂と答えると、相手は決まつ こべる 9

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家族に関するさまざまなことを聞いてくるであろうが、 部落問題となると、会話が途切れ、対話自体が成立しな い の で あ る 。 部落問題について何かうかつなことをいうと、 と ん で もないことになるのではないかという怖れがある。﹃同 和はこわい考﹄で藤田さんが指摘したように、一九七

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年代以降に顕著となった﹁差別語糾弾﹂や、自分の主張 を通し、相手を黙らせる手段として用いられた﹁資格の 絶対化﹂の前に多くの人たちが思考停止に陥ったことが 大きく関係している。この思考停止は教育の場でもみら れ、部落問題教育にあたって、大半の教師たちは﹁部落 のいま﹂に一切ふれることなく、無難に歴史の話で済ま せ、未だに部落差別は厳しいと、部落差別の存在を抽象 的に強調するのである。その結果、部落に対する異質視 は強まり、児童・生徒たちは部落に対して一面的なマイ ナスイメージをもってしまうのである。 部落に対してもたれている偏見や誤解を批判する力が 児童・生徒にどれほどついたのか、これまで行われてき た部落問題教育の効果を点検するとともに、具体的な ﹁部落のいま﹂が児童・生徒にみえてくる新しい学習手 法 の 検 討 が 急 務 で あ る 。 最後に、私の授業に対する学生の感想文の一部をあげ、 この論考を閉じることにしたい。 四月の履修のとき、この授業をとろうかどうか、も のすごく迷いました。差別とか、そういう同和教育を 今まで小中高と受けてきて、もううんざりしていたか らです。それに、そういった授業の時や、そういった 話題の時、みんなの間にただよう雰囲気が、何という か、わざとらしかったり、興味ないのに、わかったよ うなふりをしたり、あるいは最初から聞くのを拒否し て寝入ったりしていて、大嫌いでした。全員、偽善者 の よ う だ つ た 。 ︵ 一 二 年 生 ︶ 細かなデ

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タを載せた資料をもとに授業が進められ たので、感情的になりやすい部落問題が客観的にみれ た気がする。高校までの同和教育では、ビデオなどで、 ひたすら部落の悲惨さを見せつけられるか、なにかの 呪文のように、部落の人を差別してはいけないという ことの繰り返しだったので、部落そのものに対する暗 いイメージをよけい増殖させるものだったと思うが、 分析的に見ることで、学問としても、おもしろい分野 だ と 思 っ た 。 ︵ 二 年 生 ︶

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﹁ 韓 国 併 合 百 年 ﹂ を 考 え る ②

ある無縁墓のこと

|島根の聞き取り調査から 森 昌 義 ︵ 国 籍 条 項 撤 廃 を 考 え る 会 ・ 松 江 市 在 住 ︶ 石 川 啄 木 は 、 ﹁地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬり つつ秋風を聞く﹂と、韓国併合を批判した有名な歌を残 している。当時の日本政府は、 ﹁ 韓 国 ﹂ や ﹁ 朝 鮮 国 ﹂ いう呼び名も使わせなかったが、啄木は ﹁ 朝 鮮 国 ﹂ と 読 み込んでいる。当時のメディアを含め圧倒的な天皇制軍 国 主 義 の 中 で 批 判 的 精 神 を 維 持 し 、 たった一人で批判し た啄木の心根に改めて思いをいたしながら、 い ま パ ソ コ ン を 打 っ て い る 。 私の住んでいる島根県松江市から車で四十分程の所に き す き に し ひ の ぼ り ある雲南市木次町西日登の満福寺に、戦時中この地方で 暮らしていた朝鮮半島出身者︵韓国・朝鮮人︶の無縁墓 がある。私も参加している市民団体は、この墓をきっか と けにアジア太平洋戦争期における雲南地域の発電施設建一 設事業に従事させられた韓国・朝鮮人の労働や生活など一 について、聞き取り活動を続けてきた。 一 九 一

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年︵明治四十三年︶に日本が当時の大韓帝国一 と﹁韓国併合に関する条約﹂を締結し、一九四五年︵昭一 和二十年︶の敗戦まで朝鮮を植民地支配した。この間、 一九一九年︵大正八年︶の﹁コ了一独立運動﹂を武力で一 弾圧し、神社参拝や日本語の使用などを強制し、多くの一 韓国・朝鮮人を炭坑や工場などに強制的に動員した。 ﹁日韓併合百年﹂にあたり、島根県雲南地域の歴史を一 振り返り、旧植民地出身者に対する差別的な処遇が戦後一 六十年経った今も放置されている問題を考えてみたいと一 回 ? っ 。 雲南地域には大正時代から鉄道建設︵現在 J R 西 日 本 一 木次線︶にあたって朝鮮半島から多くの人々が﹁募集・ 徴用﹂の名目で強制労働に駆り出された。資料によれば、 その数は一九三四年︵昭和九年︶には四四七人にのぼる。 木次線完成には約十一年の歳月が費やされ、トンネル工一 その聞に亡くなった犠牲一 11 こぺる 事 な ど の 難 工 事 が 随 所 に あ り 、

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者 は 三 十 人 以 上 で 、 その大半が韓国・朝鮮人であったと 言 わ れ て い る 。 現在、木次線にはトロッコ列車が走り、紅葉の時期に は 多 く の 観 光 客 を 運 ん で い る が 、 その内、どれだけの人 がその歴史を知っているだろうか。おそらく大半の人は、 雲南地域の ﹁近代化︵?︶﹂に数多くの韓国・朝鮮人の 貢献と犠牲があったことなど知るよしもないだろう。 一 九 三

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年代後半からは戦時協力体制の電力確保のた ひ い めに斐伊川流域で大規模なダムや水路、発電所などの電 源開発が進められた。これらのほとんどは現在も使われ、 私たちの日常生活に活用されている。これらの施設建設 に動員させられた韓国・朝鮮人の多くが工事の完成と引 き換えに尊い命を犠牲にした。兵隊として駆り出され日 本人の代わりに、韓国・朝鮮人が電源開発などの難工事 で酷使され、多くの犠牲者を出したことは言うまでもな し ユ 冒頭にあげた無縁墓はそのお一人の墓であり、あろう ことか、肉親が判明するまでに六十年以上の歳月が費や された。この電源開発に動員された人数は延べ四十五万 人、使用されたセメントは十五万袋とも言われている。 一 九 四 三 年 一 ︵昭和十八年︶九月十日に発生した鳥取大震災で生き埋一 めとなった六十五人の内、朝鮮半島出身者の二十八人と一 日本人三人の遺体が確認されず、いまだに埋まったまま となっている。現地の住民と韓国居留民団は合同で、毎一 年慰霊祭を行うとともに、固に対して早期発掘を要望し一 ているが、現時点で日本政府は本気になって発掘調査す る 気 が な い 。 無縁墓の縁者を探すために市民団体のメンバーが幾度 か韓国に足を運び、ようやく一人の肉親と会えて、当時一 の 日 本 政 府 の 施 策 と 住 民 と の 交 流 の あ り さ ま が わ か っ た 。 冒頭の墓は俗名・美植伊︵カンシギ︶さんのもので、 一九四四年︵昭和十九年︶に亡くなっている。四男の金一 時出︵キムシチユル︶さんとようやくお会いして、当時一 の生活などについて聞くことができた。金さん一家は広一 島県から島根県美濃郡匹見村︵現・益田市︶へ、その後、 大 原 郡 日 登 村 ︵ 現 ・ 雲 南 市 ︶ 、 そ し て 大 原 郡 加 茂 町 ︵ 現 ・ へと転々とされたとのこと。金さんは当時の厳一 同じ時期に鳥取県岩美町の荒金鉱山では、 雲 南 市 ︶ しい生活体験を次のように振り返る。

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国民学校四年生、家庭は貧乏で、両親は七人の子 どもを食べさすのに苦労していて、生活はいつも苦 しかった。ある時は食べ物がなくなり、カエルやへ ビを取って食べたことがあった。どれだけ白いご飯 を食べたかったことか。 さらに、苦労だったのは ﹁ 朝 鮮 人 ﹂ という焔印を押されたことで、何よりも 屈辱的であった。お父さんが土方の仕事をしている 時に家に帰ってきた体を見ると、 ﹁ ベ ル ト で た た か れた痕﹂があり、体中のあちこちにアザが残ってい た 。 また、当時の田舎での暮らしぶりについて、 日本人男 性の石田さんは ﹁小学校三年生の頃、朝鮮の人が飯場み たいな家で五

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六世帯いて、男の子がたくさんいた。よ く喧嘩をした。川の向こうとこっちで石を投げたりして。 そのくせ、朝鮮の子どもらと飴を作った。山柿を取って 袋 に 入 れ て 日 暮 れ ま で 遊 ん だ ﹂ と 証 言 し て い る 。 石 田 さ んは、祖父の話として、 知り合いの朝鮮人労働者から ﹁仕事が難儀だ。広島の友達の所に行けば、良いことが あ る か も し れ な い ﹂ と相談を受けて、山を越えて逃亡を させたとのこと。今にして思えば、 ﹁ 広 島 に 無 事 に 着 い たかわからず、逃がしたことがよかったのか、 悪かった の か 。 今 で も 考 え ま す ﹂ と 話 す 。 同じく日本人の田中さんという女性は、隣家に韓国か の時に韓国にいた隣人の﹁いさぶろうさん﹂は、身に危一 険がおよび現地の人にかくまってもらって助かり、その一 時に助けてもらった思人の娘さんが後に奥さんとなり、 四人の子供さんに恵まれて、故郷の木次に帰ってきた。 しかし、木次での生活は大変で、近所の差別と排他的な一 目に耐えられず、夫と別居して六キロも離れた山の中に一 居を移して、そこで精米所をしながら子供たちを育てた一 とのこと。息子さんも、お母さんが朝鮮人だということ一 で、いくら日本人だと言っても差別を受けた。彼女は愛一 情で結ぼれて日本人の妻になったのに、日本に来て差別一 を受けようとは夢にも思わなかった。不信感に基づく民一 田中さんは、彼一 こぺる 族差別は彼女に襲いかかったのである。 女に可愛がってもらった昔を振り返った。 13

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島根県雲南地域の韓国・朝鮮人の生活記録を掘り起こ す作業に参加する中で、戦争犯罪の実態を学んだ。そし て、旧植民地出身者に対する差別的な処遇は戦後六十年 以上経た今でも放置されたままになっていることも知つ た 教員採用試験に合格しても、在日外国人教員は ﹁ 常 勤 講 師 ﹂ と い う 、 日本人教員よりも一段低い職種に定年ま で留め置かれている。多くの地方自治体の職員採用試験 に お い て も 、 一部を除いて日本国籍のない永住外国人に 受験資格はない。 日本に永住している旧植民地出身者 ︵ 子 孫 含 む ︶ に国籍条項を適用するのは歴史を無視した 人権問題であり、法的地位を暖昧にしてきた民族差別で あ る 。 これは戦争責任を暖昧にしてきた日本人の問題あり、 永住外国人の国籍条項撤廃作業は日本人の手で成し遂げ なければいけない大切な作業でもある。 一九九七年︵平成十三年︶に東京高裁において、管理 職選考受験資格確認訴訟で、 ﹁国民主権の原理に反しな い限度においてわが国に在住する外国人が公務員に就任一 することは、憲法上禁止されていない﹂とする画期的な一 判決が出されたが、最高裁で逆転敗訴となった。 地方自治とは、地方︵地域︶の運営について、国から一 の関与によらず、地方の住民の意志に基づき行うことで一 ある。住民の構成員である永住外国人から地方公務員の一 地方自治の否定であ一 山 陰 地 一 道を閉ざすことは人権侵害であり る と 考 え る 。 朝鮮学校授業料無償化排除も含め、 方の片田舎でも ﹁ 日 韓 併 合 ﹂ に伴う日本人の責任が大き く 問 わ れ て い る 。

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いのちを生きる⑨ 三 島 郡 島 本 町 在 住 ︶

冬の到来

長谷川洋子︵大阪府小学校教員 突然の寒い朝。子どもも教員も身をふるわせて校門を くぐってくる。秋日和は数目だったような気がする。 五年生は、この時期、川の流れが岸を削ったり土を盛つ たりすることを勉強する。去年はクラス全員でベッドボ トルの水を土山にぶちまけ、人工川を作り楽しく遊んだ の だ が 、 も う 寒 く て 楽 し む 、 と こ ろ で は な い 。 ﹁ 先 生 、 グ ッ ピ

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が 変 ! ﹂ と 、 子 ど も が 知 ら せ に く る 。 見ると、グッピ

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が水槽の上の方に集まっている。秋口 に八年以上生きた大きな金魚がマツカサ病で死んだのを 皮切りに飼っていた魚が次々と死んだ。 マズイ!私の飼 い 方 の ど と が 悪 か っ た の だ ろ う 。 理科系出身ではないが、好奇心が強いので理科の勉強 を楽しくやらせてもらっているが、生き物の命がかかっ 数 人 が 教 一 こ ち ら の 反 応 一 京都の免疫ワクチンの学習会に参加した。 私がガンの免役療法に初めて出会ったのは、三年前の一 この学習会だった。あの日がなかったら、私は今このよ一 う に 存 在 し て い な か っ た だ ろ う 。 こ の 日 も た く さ ん の ガ ン 患 者 や そ の 家 族 が 見 え て い た 。 一 人 で 来 ら れ て い て 私 一 果たして休憩時間に堰一 てくると途方にくれる。六年生は魚の数が減っても知ら な い フ リ を す る 。 気 遣 い ゆ え な の で 、 か え っ て こ た え る 。 五年生は理科室に来ると真っ先に水槽に突進し、魚の 変 化 を 教 え て く れ る 。 熱帯魚が死んだときは 卓の前に並びニコニコして私を見つめた。 を う か が っ て い る の だ 。 こ れ も こ た え た 。 二 週 間 前 、 私 の 席 の 憐 は 年 配 の 男 性 だ っ た 。 に 話 を し た そ う な 風 情 だ っ た が 、 を切ったように自分の病歴を話された。 ガンが複数転移し、抗がん剤も効かない激痛の毎日だっ たという。担当医からトモセラピーをしている T 病院を 紹介されて治療、奇跡的に痛みは治まる。連れ合いさん こぺる を 亡 く さ れ た 彼 の 、 一人きりの闘病生活に共感し、話が 同 す ん だ 。 ﹁T 病院に通うのに、自転車を使ったのです 15

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が、坂が多くて毎日通うのが本当にしんどかったですよ﹂ と言われるので驚いた。放射線治療の経験がある方はみ な驚かれると思う。従来の放射線では考えられないこと だ 。 ﹁ そ れ は だ め で す よ 。 いくらトモセラピーでも放射 線治療なのですから、あとで副作用が出るかも知れない し 、 タ ク シ ー が い い で す よ ﹂ と ア ド バ イ ス す る 。 トモセラピ

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は、私が免疫治療とセットで使った I M R T とはまたちがう先端医療の放射線治療だ。 IMRT は、悪性腫療に八本の放射線を立体的に当て、 ピンポイ ントで治療するものだが、トモセラピ

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は 、 これまで放 射線治療は無理とされていた多数点在する悪性腫療に効 く 。 IMRT より多い立体三六

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度方向から放射線を当 てるそうだ。本当に医学は日進月歩だ! H 先生の免疫治療も、私が治療した頃よりまた変化し ていた。進行ガンでは血液にまじってガン細胞が全身を 駆けめぐるので、転移した腫療だけやっつけてもまたち がうガンが活性化する。そこでトモセラピ

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を 使 っ た り 、 抗癌剤も少し加えながら、全体的に抑える形に変わって ミ こ o ’ν 争 九 ﹁ H 先生の言うことがどんどん変わる﹂ という人 もいるが、六十歳を超えても、今までの実績に固執せず、 らず囲っていたところ、非常勤の年配男性が﹁僕、今日一 は空いているから入ってもいいですよ﹂と声を上げる。 すると﹁資格もないのに子どもが怪我したらどうするね一 ん﹂と女性の嘱託教員が声を荒げる。そのことをわざわ一 おぞましくって仕方一 柔軟に新たな道を模索する先生の姿勢はすごいと思う。 学習会は患者さんたちの熱気に包まれながら、どこか 澄 み き っ た 世 界 だ っ た 。 そう言えば一年前まで私もこん な 澄 み き っ た 、 ひ た む き な 世 界 に い た の だ 。 一 瞬 、 その世界を懐かしむ自分に驚いた。 いくら澄み き っ て い て も 、 それは死と直面する恐ろしい世界である。 わ い ざ っ それにひきかえ学校の世界は狸雑だ。子どもは何かあっ ても結局のところ可愛いが、大人はそうはいかない。 突 然 同 僚 が 入 院 し た 。 その日の代替がどうしても埋ま ざ私に告げにくる年配教員がいる。 、 v 、 A R I L 円 、 、 4 0 4 N + ん v v つくづくきれいに歳はとりたいものだと思う。 闘病の世界が懐かしいのは、人間は死に直面したとき、 お り 世間の澱を捨てるからかもしれない。こんなことを考え るのは、亡くなった患者友だちに対して失礼だろうか。

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濃水飛山記 マわたしのホ I ムペl ジを見てくだ さっている方には重複しますが、戸 田写植にふれた文章をホ lムペl ジ か ら 要 約 ・ 再 録 し ま す 。 ﹁戸田写植は、あのオグリキャッ プが世に出た笠松競馬の近く、木曽 川右岸沿いにあります。スタッフは 泳仰ゆ令い ν 主 の 戸 田 二 郎 さ ん 、 弟 の 三 郎 さ ん 、 あ っ こ 親戚の敦子さんの三人で、小ぢんま りした町の印刷屋さんです。七 0 年 代末、二郎さんは障害者解放運動の 活動家として太平天国社に顔を出し ました。それ以来の仲です。そのこ ろ、わたしは部落解放運動の真った だ中に身を置き、運動と組織の現状 への疑問がふくらみ、まわりの人び とに﹁愚痴﹂をこぼし続けていまし た。そのとき黙って、この酔っ払い の﹁愚痴﹂を朝方まで聞いてくれた 数少ない友人の一人が二郎さんでし た。その﹁愚痴﹂がまとまって﹁同 和 問 題 意 識 調 査 を 読 む ﹂ と 題 し て ﹃ 天 国つうしん﹄に連載しはじめたのが 八五年十二月。そして八七年の春に は 戸 田 写 植 か ら ﹃ 同 和 は こ わ い 考 ﹄ として自費出版する準備をしても らっていた矢先に阿件社からの出 版 話 が 転 が り 込 ん だ と い う わ け で す 。 印刷寸前まで準備してくれた戸田 写植の恩義を忘れたことはありま せん。今回、﹃こぺる﹄の発行を岐 阜 で 引 き 受 け る こ と を 決 断 し た と き 、 もちろん戸田写植の技術と知識が 念 頭 に あ り ま し た 。 ﹂ 二 郎 さ ん は 全 体 を 統 括 し 、 コ 一 郎 さ んは印刷原版の作成と発送業務を 担当、敦子さんは事務全般を扱う という役割分担です。この三人に わたしを加えた四人が、いま手作 りというか手探りの状態で作業を しているわけです。そのため初歩 的なミスも頻出。前号、佐々木文 四頁下段の︿﹀︵ギユメ︶は不等 号でした。濃水飛山記にも何か所 かミスがありました。すべてはわ べ た たしの校正下手のせい。ごめんな さ い 。 マ購読期限切れの二か月前から﹁お 願い﹂と振込用紙を同封し、期限 が切れた後も二か月間本誌をお送 りし、三か月目に発送をとめ、わた しから﹁お願い﹂の葉書を出してい ま す 。 三 月 切 れ の 読 者 の み な さ ん 、 ど う か 早 め の 手 続 き を お 願 い し ま す ロ マ今号の石元文は、これまでの﹁同 和教育・啓発﹂の手法と内容につい て重要な問いかけをしているのでは な い で し ょ う か 。 わ た し も 含 め て 、 部落︵同和︶問題の教育・啓発にか かわった者は、石元さんの﹁部落に 対するマイナスイメージがなぜ克服 できなかったのか﹂という聞いに応 える義務と責任がある。以前にも紹 介したことがある﹁二 OO 五年大阪 府民人権意識調査﹂によれば、﹁同 和地区はこわい﹂というイメージを 抱いている人が五三・五%、﹁同和 地区はこわいという話を聞いたこと がある﹂と答えた人が六 0 ・ 七 % だ ったという︵北口末広・大阪企業人 権協会編著﹃必携エセ同和行為に どう対応するか﹄解放出版社、問・ 7︶。大きな成果をあげたというけ れど、何か大切なものを忘れてきた 気 が し て な り ま せ ん 。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ ---40"2'.' 第214号 ー〆’、〈之J2011年 1月25日発行 発行者こベる刊行会(代表藤田敬一) 発行所岐阜市西改回字川向187-4 藤田敬一方 干5011161 Tel.&Fax. 058-239-5348 E mail k [email protected] 定価300円 年 間 購 読 料4000円 郵 便 振 替 01010-7-6141 銀行振替:十六銀行正木支店 こべる刊行会代表藤田敬一名義 普通口座 1418253

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二一四ロ守二 O 一 一 年 一 月 二 十 五 日 発 行 ︵ 毎 月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一九九三年五月二十七日第三種郵便物認可 ...『 厄 価 百 円

参照

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