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Vol.68 , No.2(2020)047山口 弘江「中国南北朝期における止観」

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印度學佛敎學硏究第六十八巻第二号   令和二年三月 二五六

中国南北朝期における止観

はじめに

止 観 と は、 一 般 に 止 śamatha は 心 を 特 定 の 対 象 に そ そ ぐ こ と、 観 vipaśy anā は 正 し い 智 慧 で 対 象 を 観 る 修 行 と し て 知 ら れるものであ る 1 。近年では、マインドフルネスのブームと相 俟って、仏教の実践法の一つとして注目されるに至っている が、歴史的に見て東アジアの実践論に最も大きな影響を与え た 止 観 の 体 系 と い え ば、 天 台 智 顗 ︵五 三 八 ︱ 五 九 七︶ が そ の 晩 年に確立した﹁天台止観﹂であることは論を俟たないところ であろう。 三 種 止 観 ︵円 頓・ 漸 次・ 不 定︶ が 掲 げ ら れ る よ う に、 天 台 止 観 は 重 層 的 に 理 論 が 構 築 さ れ る 点 を そ の 特 色 と す る。 ﹃摩 訶 止 観﹄ の 冒 頭 に﹁止 観 明 静、 前 代 未 聞﹂ ︵大 正 四 六、 一 上︶ と 高らかに謳われ、また後代に与えた影響が多大であるがゆえ に、天台止観の成立がそれ以前の止観の系譜を刷新したかの ごとく理解されることが少なくない。しかし、これだけの壮 大な実践論が智顗による全くの独創であるはずはなく、断片 的に知られるものだけでも智顗に先行する止観の実修の例は 少なくな い 2 。 智顗が止観の語によって自身の実践論を説示しはじめたの は、 現 存 す る 文 献 よ り 見 る 限 り、 ﹃天 台 小 止 観﹄ 以 降 と い う のが通説であ る 3 。その﹃天台小止観﹄の成立は、智顗が三八 歳から約十年間天台山において修養に励んだ時期とさ れ 4 、天 台 山 よ り ふ た た び 金 陵 に 出 た の は 陳 の 至 徳 三 年 ︵五 八 五︶ で あ る。 そ の 後 ま も な い 開 皇 九 年 ︵五 八 九︶ に は 隋 に よ り 陳 が 滅ぼされ、一五〇年続いた南北朝期は幕を閉じる。 本稿では智顗による止観の受容を南北朝最末期の実例と位 置づけ、このような体系が確立するにいたる背景を漢訳経論 の用例から検討する。

先行研究に指摘される

﹁止観﹂

の用例

漢訳における﹁止観﹂の用例は枚挙に暇がない。ここでは

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二五七 中国南北朝期における止観︵山 口︶ 先行研究で言及される用例を概観することで、南北朝期に重 視された止観に関説する文献を整理してゆく。 天 台 止 観 と そ の 背 景 を 網 羅 的 に 研 究 し た 関 口 真 大 ︵ 一 九 七 五 ︶ は、智顗が晩年になぜ止観を重視したのかという問題の解決 にあたり、広い視野で他の思想との対応を考えるべきことを 説 く。 そ の 具 体 的 課 題 と し て、 ﹃大 乗 起 信 論﹄ 、﹃大 乗 止 観 法 門﹄ 、﹃成実論﹄止観品および成実宗を挙げるほか、三昧経典 や三昧行法、懺法などにも言及す る 5 。 漢 訳 経 論 の 用 例 を 精 査 し た 楠 山 春 樹 ︵ 一 九 七 五 ︶ は 、 そ も そ も漢字の﹁止﹂には﹁とめる﹂ ﹁やめる﹂という﹁止息の止﹂ と、 ﹁とどまる﹂ ﹁おちつく﹂という﹁安止の止﹂が混在する こ と に 着 目 す る。 そ し て 訳 語 に お い て も śamatha と vipaśy anā の 訳 語 と な る﹁い わ ゆ る 止 観﹂ と sthāna と upalakṣanā の 訳 語 と な る﹁六 息 念 中 の 止 観﹂ の 二 系 統 が あ る こ と を 踏 ま え、 śamatha を 止 息、 sthāna を 安 止 に 対 応 さ せ た 上 で、 智 顗 以 前 に訳出された経論を対象に、止観の用例を上述の二系統に整 理した。その結果、後漢の安世高以来、二系統の止観が同一 訳者の中でも混在して用いられること、鳩摩羅什訳に多出す ることから、東晋には二義の訳語として定着していた可能性 を 示 唆 し て い る 6 。 ま た そ の 中 国 的 変 容 と し て、 ﹃維 摩 経﹄ の 注 釈 で あ る﹃注 維 摩 詰 経﹄ で は śamatha に 対 し て 安 止 と し て の意味を与えていることに着目し、最終的には智顗において は二系統の止観が同一視された経緯を指摘す る 7 。 藤 井 教 公 ︵二 〇 〇 三︶ も 同 様 に 漢 訳 語 と し て の﹁止 観﹂ を 検討する。その初見を安世高﹃安般守意経﹄や﹃道地経﹄に 求 め、 道 安 ︵三 一 二 ︱ 三 八 五︶ ﹁陰 持 入 経 序 8 ﹂ と﹁道 地 経 序 9 ﹂、 支 謙 訳﹃維 摩 詰 経﹄ 、 同 箇 所 の 鳩 摩 羅 什 訳、 お よ び﹃注 維 摩 詰 経﹄ に お け る 当 該 箇 所 に 対 す る 鳩 摩 羅 什 釈 に 着 目 し、 ﹁止 観﹂の熟字化を指摘する。また同論文では、鳩摩羅什以降の 用 例 と し て、 南 朝 梁 代 に 編 集 さ れ た﹃大 般 涅 槃 経 集 解﹄ 巻 二 十 八 の 僧 宗 ︵四 三 四 ︱ 四 九 六︶ の﹁釈 四 止 観﹂ に 着 目 す る ほ か、 北 朝 の 例 で は、 浄 影 寺 慧 遠 ︵五 二 三 ︱ 五 九 二︶ ﹃大 乗 義 章﹄ の諸説を取り上げ、止観が﹁実践修行の要であり、諸行を統 摂するものとして重視されていることがわか る 10 ﹂とし、智顗 への影響の可能性を言及する。 坂 本 廣 博 ︵二 〇 一 八︶ は、 智 顗 在 世 時 の 梁、 陳、 隋 の 教 学 を対象とし、成実・涅槃宗、地論宗、摂論宗、毘曇宗で所依 とされる経論を中心に考察する。具体的には﹃成実論﹄止観 品、 ﹃涅槃経﹄師子吼菩品、菩提流支訳﹃十地経論﹄ 、真諦 訳﹃摂大乗論﹄ 、真諦訳﹃摂大乗論釈﹄ 、鳩摩羅什訳﹃維摩詰 所説経﹄方便品、僧伽跋澄訳﹃婆沙論﹄ を検討す る 11 。 以上は天台止観の背景としての考察であったが、この他に も 重 要 な 受 容 例 と し て 曇 鸞 ︵四 七 六 ︱ 五 四 二︶ ﹃浄 土 論 ﹄ における奢摩多・毘婆舎那の解釈に対する研究も多い。この

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二五八 中国南北朝期における止観︵山 口︶ う ち 石 川 琢 道 ︵二 〇 〇 九︶ は、 曇 鸞 が 接 し た 文 献 に お け る 止 観の用例として、 ﹃注維摩詰経﹄の羅什釈、 ﹃成実論﹄止観品 を挙げるほか、曇鸞が浄土教へと帰依する前に修学した﹃大 集経﹄の虚空目分声聞品に説かれる奢摩多と毘婆舎那の説示 に着目す る 12 。 ま た 前 述 の 関 口 真 大 の ほ か 多 く の 研 究 者 が 関 心 を 寄 せ る ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ も 、 北 地 の 止 観 実 修 の 隆 盛 を 物 語 る 資 料 と し て 注 目 さ れ よ う 。 近 年 、 大 竹 晋 ︵ 二 〇 一 七 ︶ に よ っ て 北 朝 人 述 の擬論と決定づけられた﹃大乗起信論﹄は、修行信心分にお い て 止 観 を 主 要 な 実 践 と し て 位 置 付 け る 。 こ の 中 に 奢 摩 他 観 ・ 毘鉢舎那観、つまり止観・観観に相当する奇異な表現がある こ と が 竹 村 牧 男 ︵一 九 八 五︶ に よ り 指 摘 さ れ、 そ の 後、 石 井 公 成 ︵ 二 〇 〇 四 ︶ に よ る 文 体 の 面 か ら 検 証 や 、 大 竹 晋 ︵ 二 〇 〇 五 ︶ による諸経論からソースを抽出する作業により、修行信心分 は中国人僧によってまとめられた可能性が一層高いことが明 らかとなっている。したがって﹃大乗起信論﹄の止観につい ては、漢訳経論そのもの用例と見るよりも、中国での依用の 一例として扱うべきであろう。

漢訳経論にみる

﹁止観﹂

の用例

諸研究の指摘を踏まえつつ、南北朝期の止観受容の様相を 解明するうえで考察が必要となる﹁止観﹂ないしは止の音写 語﹁奢 摩 他﹂ 、 観 の 音 写 語﹁毘 婆 舎 那﹂ な ど の 主 要 な 用 例 を 整 理 す る と、 ① 漢 訳 経 論 ︵イ ン ド か ら 伝 え ら れ た 止 観 の 系 譜︶ ② 中 国 成 立 文 献 ︵止 観 の 中 国 的 受 容 の 実 例︶ と に 大 別 さ れ る。 こ こでは紙幅の都合上、①を中心にさらに検討を加える。 前述の先行研究で指摘される経論は、おおむね以下の五系 統に分類されよう。 A 阿 含 経 後 漢 安 世 高 訳﹃長 阿 含﹄ 十 報 法 経、 後 秦 仏 陀 耶 舎・竺仏念訳﹃長阿含﹄十上経、東晋僧伽提婆訳﹃中阿 含﹄三十喩経、同訳﹃増壱阿含﹄巻十一、劉宋求那跋陀 羅訳﹃雑阿含﹄巻四十四 B ア ビ ダ ル マ 後 秦 鳩 摩 羅 什 訳﹃成 実 論﹄ 止 観 品・ 出 入 息 品、陳真諦訳﹃阿毘達摩倶舎釈論﹄巻十六、僧伽跋澄訳 ﹃婆沙論﹄ C 禅 観 経 典 後 漢 安 世 高 訳﹃陰 持 入 経﹄ 、 同 訳﹃道 地 経﹄ 散 種 章・ 神 足 行 章、 同 訳﹃安 般 守 意 経﹄ 、 西 晋 竺 法 護 訳 ﹃修 行 道 地 経﹄ 神 足 品・ 数 息 品 ︵以 上、 小 乗 系︶ 、 後 秦 鳩 摩羅什訳﹃坐禅三昧経﹄第四治思覚法門 ︵大乗系︶ D 唯 識 関 連 経 論 北 魏 菩 提 流 支 訳﹃十 地 経 論﹄ ・ 同 訳﹃深 密 解 脱 経﹄ 聖 者 弥 勒 菩 問 品、 陳 真 諦 訳﹃摂 大 乗 論﹄ 、 同訳﹃摂大乗論釈﹄ E そ の 他 大 乗 経 典 呉 支 謙 訳﹃仏 説 維 摩 詰 経﹄ 善 権 品・ 諸 法言品、後秦鳩摩羅什訳﹃維摩詰所説経﹄方便品・問疾

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二五九 中国南北朝期における止観︵山 口︶ 品、北涼曇無讖訳﹃涅槃経﹄師子吼菩品、同訳﹃大集 経﹄虚空目分声聞品 こ れ ら は さ ら に 小 乗 系 文 献 と 大 乗 系 文 献 と に 大 別 さ れ る。 これらは時代的に見て、訳経史の大きな流れと同様に、安世 高訳など早い時代のものは小乗系が多く、大乗系の文献が後 を引き継ぐように訳出されている。よって、中国における止 観の理解は、初期においては小乗系文献に見られる部派の実 践論における止観の基本解釈が主体であったのに対し、南北 朝に入ると大乗経典が数多くもたらされる中で、中国仏教界 における止観の受容も大乗的理解になっていった、という大 まかな予測が立つ。 ①漢訳経論の検討にあたっては、②中国成立文献への影響 を鑑み、南北朝期までに訳出されたものだけではなくそれ以 前の現存文献を網羅する必要がある。現代のテキスト検索技 術を活用すれば、さらに多くの経論から断片的な用例は見つ か る で あ ろ う が、 ② 中 国 成 立 文 献 へ の 影 響 と い う 点 で い え ば、 特 に 重 要 な の は、 南 北 朝 の 教 学 に 大 き な 影 響 を 与 え た ﹃成実論﹄と﹃涅槃経﹄ 、および﹃大乗起信論﹄や特に地論教 学への影響が大きい唯識文献ということになろう。 な お、 ﹃大 乗 起 信 論﹄ は 近 年、 中 国 北 朝 成 立 文 献 で あ る こ とが確定的に論じられるに至ったので、本稿では②中国成立 文献として扱うこととする。同様に南北朝期までには中国に おいてすでに多くの疑偽経典が成立しているが、これらも本 発表の意図からすれば中国的な受容の実例として扱うべき資 料といいうるので、 ここには加えない。 さて、これらの中で、南北朝期の止観に対する基本的な理 解を与えたものは﹃成実論﹄止観品であろ う 13 。この中には今 日でもよく知られる、止と観とを定と慧に対応させる解釈が 説 か れ る か ら で あ る 14 。﹃成 実 論﹄ に つ い て は 南 北 朝 期 よ り す でに大乗の論とみなすか、小乗の論とみなすかの議論があっ たが、特に南朝では﹃涅槃経﹄とともに競って学ばれた。そ れゆえに広くその解釈が知られるにいたったと考えられ る 15 。

  ﹁止観﹂

の原語に関する諸問題

漢訳経論における止観の用例については、次のような問題 が あ る 。 ま ず 前 述 の 楠 山 春 樹 ︵ 一 九 七 五 ︶ の 指 摘 の よう に 、 文 献 中 に 散 見 さ れ る﹁止 観﹂ す べ て が śamatha と vipaśy anā の 意 訳 と い う わ け で は な い。 ま た 藤 井 教 公 ︵二 〇 〇 三︶ が 論 じ るように、 ﹁止﹂と﹁観﹂という文脈もあれば、 ﹁止観﹂を合 成語的に用いる場合もあるなど、 その意味は一様ではない。 こ の こ と に 関 連 し て、 ﹃維 摩 経﹄ の 止 観 を 例 に 見 て い き た い。 諸 研 究 に 考 察 さ れ る よ う に、 ﹃維 摩 経﹄ に は 以 下 の 二 カ 所で ﹁止観﹂ の語が用いられている。

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二六〇 中国南北朝期における止観︵山 口︶ 諸 仁 者、 此 可 患 厭、 当 楽 仏 身。 所 以 者 何、 仏 身 者 即 法 身 也。 従 無 量 功徳智慧生、⋮ 従止観生 、⋮。 ︵方便品第二、大正一四、五三九中︱下︶ み な さ ん、 こ れ︵身︶ を 厭 い、 仏 身 を 求 め る べ き で す。 な ぜ な ら ば、 仏 身 は 法 身 に ほ か な ら な か い か ら で す。 ︵仏 身 は︶ 無 量 の 功 徳 と智慧から生じ、⋮︵中略︶⋮ 止観から生じ 、⋮。 *傍線部、支謙訳﹁従止観生﹂ 、玄奘訳﹁修止観生﹂ 雖行止観助道之法 、而不畢竟堕於寂滅、是菩行。 ︵問疾品第五、大正一四、五四五下︶ 止 観 と い う 助 道 の 法 を 行 っ て も 、 究 極 的 に 寂 滅︵涅 槃 の 境 地︶ に 陥 らない、 これが菩行なのです。 *傍線部、支謙訳﹁以止観知魔行﹂ 、玄奘訳﹁若求止観資糧所行﹂ いずれも鳩摩羅什訳から引用したが、鳩摩羅什訳に先行す る支謙訳および後となる玄奘訳でも、前後の語句は多少異な るもののいずれも止観を用いる。 両 品 か ら の引 用 は と も に 維 摩 の 発 言 の 一 部 で あ るが 、 両 例 ともに﹁止観﹂に対する特別な思想を意図しているとは読め ない文脈で、他の実践徳目などが列挙される中で﹁止観﹂の 語が織り込まれた、 といった程度の内容といえよう。 さ て 、 こ の ﹁ 止 観 ﹂ に 対 応 す る サ ン ス ク リ ッ ト 語 は 、 高 橋 尚 夫 ︵二 〇 一 七︶ ︵二 〇 一 八︶ に よ れ ば、 両 例 と も śamatha vidarśanā で あ っ た 16 。 vidarśanā は 慧、 見、 観、 示 現 と 訳 さ れ る 語 で あ る 17 。 よ っ て 、﹁ 止 観 ﹂ の 訳 に 対 応 さ せ る こ と は 可 能 で あ る。ここで問題となるのが、訳出当時から観に相当する部分 が vidarśanā で あ っ た か ど う か で あ る が、 現 時 点 で 確 認 す る す べ が な い。 た だ し、 ﹃仏 教 漢 梵 大 辞 典﹄ に よ れ ば、 一 般 に 知られる śamatha vipaśy anā 以外にも śamatha bhāvanā が挙げ られるほ か 18 、維難訳﹃発句経﹄ ﹁深入止観﹂ ︵大正四、五七二 上︶ の 止 観 が padaṃsantaṃ と い う 語 に 対 応 す る と の 指 摘 も あ り 19 、﹁止観﹂ の訳語が幅広く用いられていたことがわかる。 な お、 ﹃注 維 摩 詰 経﹄ に は 方 便 品、 問 疾 品 の ど ち ら の 用 例 に対しても、訳者である鳩摩羅什と僧肇の釈がついている。 什 曰。 始 観 時、 係 心 一 処、 名 為 止。 静 極 則 明、 明 即 慧、 慧 名 観 也。 肇曰。止定、観慧。 ︵方便品釈、大正三八、三四三頁中︶ 鳩 摩 羅 什 は、 ﹁観 を は じ め る 時 に、 心 を 一 箇 所 に 繋 ぎ 止 め る こ と を、 止 と い う。 静 ま り か え れ ば 明 と な る、 明 と は と り も な お さ ず 慧 の こ と で、 慧 を 観 と い う﹂ と い っ た。 僧 肇 は﹁止 は 定、 観 は 慧 で あ る﹂ といった。 什 曰。 初 係 心 在 縁、 名 為 止。 止 相 応、 名 為 観 也。 ⋮ 肇 曰。 係 心 於 縁、謂之止。分別深達、謂之観。 ︵問疾品釈、大正三八、三八〇下︱三八一上︶ 鳩 摩 羅 什 は、 ﹁は じ め に 心 を 対 象 に つ な げ る こ と を、 止 と い う。 止 が 相 応 す る こ と︵= 心 と 対 象 が つ な が っ て い る こ と︶ を、 観 と い う﹂ と い っ た。 ⋮ 僧 肇 は﹁心 を 縁 に つ な げ る こ と を、 止 と い う。 心 の働きが深く達していることを、観という﹂ といった。

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二六一 中国南北朝期における止観︵山 口︶ 鳩摩羅什釈の中で﹁係心一処﹂という表現は、問疾品の釈 でも﹁初係心在縁﹂といい、僧肇も﹁係心於縁﹂とあること から、鳩摩羅什やその周辺の基本的な理解であったことがわ かる。前節に触れたように、 楠山春樹 ︵一九七五︶ はこの釈を 止息の止から安止の止への変容の例と見てい る 20 。鳩摩羅什訳 ﹃ 坐 禅 三 昧 経 ﹄ に は 六 息 念 の 止 の 説 明 と し て ﹁ 繫 心 一 処 、 是 名 為 止 ﹂ ︵ 大 正 一 五 、 二 七 五 中 ︶ と の 句 が あ る 。 こ の よ う な 表 現 が 、 ﹃維摩経﹄解釈の中でも意識されたものと考えられる。 また、観についてはいずれも慧と規定されるほか、特に鳩 摩 羅 什 の 釈 で﹁静 極﹂ ﹁止 相 応﹂ な ど の 表 現 が 見 ら れ る よ う に、止を前提とした観の理解であることが窺われる。

おわりに

本稿では﹃維摩経﹄の例から、止観の原語が一般に知られ る śamatha vipaśy anā に限定されない点を少しく考察した。異 なる原語が﹁止観﹂と漢訳されたという事実は、漢訳史にお い て ﹁ 止 観 ﹂ が 熟 し た 用 語 と し て 知 ら れ て い た 証 左 で あ る が 、 同 時 に 原 語 の 違 い を 意 識 し な い 中 国 的 な 理 解 を 生 ん で い る。 天台止観に代表される南北朝期の止観の解釈は、漢訳文献に 散見される﹁止観﹂の諸相を背景として、独自に展開したも のだと言えよう。 1   中 村︵ 一 九 七 五、 三 五 頁︶ 参 照。    2   池 田︵一 九 七 〇、 二 五 二 頁 ︶ に は 、 道 安 か ら 廬 山 慧 遠 の 系 譜 や 曇 鸞 と の 関 連 に 言 及 す る 。     3   関 口 ︵ 一 九 七 五 、 五 頁 ︶ 参 照 。     4   佐 藤 ︵ 一 九 六 一 、 二 五 九 ︱ 二 六 一 頁 ︶、 大 野 ・ 伊 藤 ・ 武 藤 ︵ 二 〇 〇 四 、 六 頁 ︶ 参 照 。    5   関 口 ︵ 一 九 七 五 、 一 五 ︱ 一 七 頁 ︶ 参 照 。     6   楠 山 ︵ 一 九 七 五 、 一 八 八 頁︶ 参 照。    7   楠 山︵一 九 七 五、 一 九 七 頁︶ 参 照。    8   ﹃出 三 蔵 記 集﹄ 巻 六﹁陰 入 之 弊、 人 莫 知 苦。 是 故 先 聖、 照 以 止 観﹂ ︵大 正 五 五、 四 四 下︶ 。    9   ﹃出 三 蔵 記 集﹄ 巻 十﹁有 喩 止 観、 莫 近 於 此。 故 曰 道 地 也﹂ ︵大 正 五 五、 六 九 中︶ 。    10   藤 井 ︵ 二 〇 〇 三 、 二 〇 二 頁 ︶ 参 照 。    11   坂 本 ︵ 二 〇 一 八 、 二 七 ︱ 二 九 頁︶ で は、 舎 摩 他、 毘 婆 舎 那 の 語 が 見 ら れ な い と し つ つ も 曇 無 讖 訳 ﹃ 菩 地 持 経 ﹄ の 九 種 大 禅 が 説 か れ る 部 分 を 取 り 上 げ る 。    12   石 川 ︵ 二 〇 〇 九 、 二 〇 四 頁 ︶ 参 照 。    13   関 口 ︵ 一 九 六 九 、 一 〇 四 頁︶ が﹃天 台 小 止 観﹄ に お け る 止 観 そ の も の の 説 明 は﹃成 実 論﹄ 止 観 品 の 語 句 に よ る と 指 摘 す る 通 り で あ る。    14   ﹃成 実論﹄巻十五﹁止名定、観名慧﹂ ︵大正三二、三五八上︶ 。﹃ 成 実 論 ﹄ に お け る 止 観 の 解 釈 に つ い て は 、 壬 生 ︵ 一 九 七 五 ︶ に 詳 し い。    15   大 竹 ︵ 二 〇 一 七 、 四 八 八 頁 ︶ で は 、﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 北 朝 人 述説 を 結 論 づ け る な か で 、﹃ 成 実 論 ﹄ と ﹃ 成 唯識 論 ﹄ も イ ン ド 仏 教 文 献 の 純 粋 な 翻 訳 で は な く、 イ ン ド 仏 教 文 献 が 漢 字 文 化 圏 の 人 々 向 け に 適 宜 編 集 さ れ た 著 作 だ と 付 言 す る 。    16   高 橋 ︵ 二 〇 一 七 、 一 八 七 頁 ︶、 同 ︵ 二 〇 一 八 、 一 〇 九 頁 ︶ 参 照 。 な お 前 者 に は 、 観 が ﹁ vi pa śy an ā は な く vi da rś an ā な っ て い る ﹂ と 注 記 す る が 、 そ れ 以 上 の 解 説 は 見 ら れ な い。 ま た チ ベ ッ ト 語 訳 に 基 づ く 欧 米 諸 訳︵ラ モ ッ ト 訳、 サ ー マ ン 訳︶ は こ の 部 分 を vipaśy anā に 同 定 す る。    17   萩 原 編 ︵ 一 九 七 九 、 一 二 一 四 頁 ︶ 参 照 。     18   平 川 編 ︵ 一 九 九 七 、

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二六二 中国南北朝期における止観︵山 口︶ 六 八 二 頁︶ 参 照。    19   壬 生︵一 九 七 五、 一 四 三 ︱ 一 四 四 頁︶ で は、 古 い 訳 に 見 ら れ る﹁止 観﹂ に は śamatha と vipaśy anā の い わ ゆ る﹁止 観﹂ を 意 味 し な い も の が あ る と す る。    20   楠 山 ︵一九七五、一九二頁︶参照。 ︿参考文献﹀ 池 田 魯 参﹁天 台 智 顗 の 止 観 論﹂ ﹃印 仏 研﹄ 第 一 九 巻 第 一 号、 一九七〇 石 井 公 成﹁ ﹃大 乗 起 信 論﹄ の 成 立

文 体 の 問 題 お よ び﹃法 集 経﹄ と の 類 似 を 中 心 に し て

﹂﹃大 乗 起 信 論﹄ と 法 蔵 教 学 の 実 証 的 研 究、 平 成 十 三 年 度∼ 平 成 十 五 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金︹基 盤 研究 B ︵ 2 ︶︺研究成果報告書、二〇〇四 石 川 琢 道﹃曇 鸞 浄 土 教 形 成 論

そ の 思 想 的 背 景

﹄ 法 蔵 館、 二〇〇九 大 竹 晋﹁ ﹃大 乗 起 信 論﹄ の 止 観 と そ の 素 材﹂ ﹃禅 学 研 究﹄ 特 別 号、 二〇〇五 大 竹 晋﹃大 乗 起 信 論 成 立 問 題 の 研 究

﹃大 乗 起 信 論﹄ は 漢 文 仏 教文献からのパッチワーク

﹄国書刊行会、二〇一七 大 野 栄 人・ 伊 藤 光 壽・ 武 藤 明 範﹃天 台 小 止 観 の 譯 研 究﹄ 山 喜 房 佛書林、二〇〇四 萩原雲来編﹃漢訳対照梵和大辞典﹄鈴木学術財団、一九七九 楠 山 春 樹﹁漢 語 と し て の 止 観﹂ 関 口 真 大 編﹃止 観 の 研 究﹄ 岩 波 書 店、一九七五 坂 本 廣 博﹁止 と 観 の 源 流 攷

﹃次 第 禅 門﹄ か ら﹃摩 訶 止 観﹄ へ

﹂﹃天台学報﹄国際天台学会特別号、二〇一八 佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄百華苑、一九六一 関口真大﹃天台止観の研究﹄岩波書店、一九六九 関 口 真 大﹁止 観 の 基 礎 的 諸 問 題﹂ ﹃止 観 の 研 究﹄ 岩 波 書 店、 一九七五 高橋尚夫﹃維摩経ノートⅠ﹄ ノンブル社、二〇一七 高橋尚夫﹃維摩経ノートⅢ﹄ ノンブル社、二〇一八 竹 村 牧 男﹁ ﹃大 乗 起 信 論﹄ の 止 観 に つ い て﹂ ﹃印 仏 研﹄ 第 三 三 巻 第 二号、一九八五 中 村 元﹁原 始 仏 教 に お け る 止 観﹂ 関 口 真 大 編﹃止 観 の 研 究﹄ 岩 波 書店、一九七五 平川彰編﹃仏教漢梵大辞典﹄霊友会、一九九七 藤 井 教 公﹁止 観 の 系 譜

天 台 智 顗 を 中 心 に

﹂ 木 村 清 孝 監 ﹃仏 教 の 修 行 法

阿 部 慈 園 博 士 追 悼 論 集

﹄ 春 秋 社、 二〇〇三 壬 生 台 舜﹁成 実 論 に お け る 止 観﹂ 関 口 真 大 編﹃止 観 の 研 究﹄ 岩 波 書店、一九七五 ︿キーワード﹀ 止観、 śamatha 、 vipaśy anā 、六息念、 ﹃維摩経﹄ ︵駒澤大学准教授・博士︵仏教学︶ ︶

参照

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