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戦後改革期における「純潔教育」の成立 ―日本キリスト教婦人矯風会機関誌『婦人新報』を中心にー [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)戦後改革期における「純潔教育」の成立 ―日本キリスト教婦人矯風会機関誌『婦人新報』を中心にー キーワード:純潔教育,矯風会,純潔(廃娼)運動,戦後改革期,婦人新報. 教育システム専攻 柳園 順子. 1.目次. 況』 (印刷局.1967 年)には、戦後日本で「純潔教育」が. 序章. 施策として実施されたことが記されている。敗戦直後、. 第一節 本研究の課題と意義. 男女の性に関する混乱が生じていたことから、国はそれ. 第二節 本論文の構成と史料. を社会問題と捉え、風紀対策の一環として売春防止を強. 第一章 久布白落実による純潔日本建設運動体系. 力に推進した。各関係省庁とともに事務次官会議で「私. ―「純潔教育」の思想的基盤―. 娼の取締並びに発生防止保護対策(以下「私娼の取締」と. 第一節 廃娼運動への接近. 略す)」を決定し、文部省社会教育局長から「純潔教育の. 第二節 廃娼運動から純潔運動へ. 実施について(以下「実施について」と略す)」を各都道. 第三節 純潔日本建設運動体系の策定. 府県あてに通達するのである。その後、内容検討する機. 第二章 戦後改革期における「純潔教育」の誕生. 関として純潔教育委員会(以下「委員会」と略す)を発足. 第一節 純潔教育委員会の発足と矯風会の役割. させ、 廃娼運動家、 キリスト者らを多数委員に登用した。. 第二節 母役割の強調. 先行研究では「純潔教育」という用語はすでに戦前の. 第三節 男女の正しい在り方としての「純潔教育」 ―『男女の交際と礼儀』と千本木道子― 第三章 「純潔教育」の矯風会からの離反 第一節 科学的性教育論の必要性 ―安藤画一の性教育論と矯風会とのズレ― 第二節 「純潔教育」の転換. 廃娼運動の中で確認でき、当時廃娼運動の一環として位 置づけられていたことが田代美江子らにより指摘されて きた。田代は「純潔教育」は占領下の買売春政策を補完 する役割を担ったものと述べ、斎藤光は当時の文部省の 構造や官僚の発言から、闇の女の出現阻止、不良青少年 の縮小を目的としていたと分析している。. ―1955 年「純潔教育の普及徹底に関する建議」 をめぐって― 終章 まとめと今後の課題. これに対し、本稿では、廃娼運動家らが戦前から法制 面での規制を闘いとる努力の一方で、特に青少年に対し 「純潔教育」 「性教育」の必要性を訴え、純潔日本建設運 動体系を提言していたことに注目した。委員会委員は、 こうした目的を秘めた多数の廃娼運動家らで構成され、. 2.概要. 委員長もまたその一員であった。当時「純潔教育」施策. <序章>. 成立に関わる中で、廃娼運動家らは何を理想に掲げ、社. 本論文は、日本基督教婦人矯風会が行った純潔運動を. 会の実現を目指そうとしていたのか。この課題を究明す. 分析する事により、戦後改革期に日本が「純潔教育」を. ることは、施策が構築される過程の思想的基盤を解明す. 国の施策として実施するまでの過程とその思想的基盤を、. る事にも繋がり、ここで展開された純潔運動をみなけれ. 純潔運動当事者側から明らかにすることを目的とする。. ば、 「純潔教育」成立に至る過程の側面を明らかにするこ. 文部省社会教育局の『社会教育における純潔教育の概. とは出来ない。.

(2) そのために、本研究では日本基督教婦人矯風会(以下 「矯風会」と略す)を対象とした。矯風会は戦前から廃 娼運動の中心的存在であり、戦後純潔運動を展開してい. 等、純潔道徳思想の確立を婦人参政権獲得運動の延長線 上に描こうとしていたのである。 久布白は廃娼後の措置として、法的に、更生の上に、. た。 「純潔教育」施策にも委員として多数関わっており、. 性病の措置に、性教育に、の 4 つの面で大いに方策を立. 日本最古の現存する婦人団体でもある。本研究では矯風. てねばならぬと考えた。アメリカの軍隊保護策の成功を. 会の純潔運動とその思想的基盤をみることで、戦後日本. 聞きつけ、事実を確認し、それを手本に日本で徹底した. の 「純潔教育」 施策が成立する過程の一側面を究明した。. 施策を実現しようと志した。1935 年渡米し、帰国後はそ の研究成果を 1936 年 1-12 月号『婦人新報』で一年にわ たり発表し続けた。 「研究発表」(1‐2 月)、 「性病に關す. <第一章> 久布白落実による純潔日本建設運動体系 ―「純潔教育」の思想的基盤― 第一章では、「純潔教育」の思想的基盤の一つである 純潔日本建設運動体系の構造と、体系が誕生する経緯や. る新国家樹立の必要」(3-8 月)、 「廃娼後の施設研究」 (9 -12 月)の三つに区分して報告し、最終の 12 月号では 日本が向かうべく理想として「純潔日本の建設運動体系 図」を策定し、その実現を提言した。. 内容を明らかにした。主に史料として、矯風会機関紙『婦. この運動体系は、廓清会の伊藤秀吉が著した『廃娼善. 人新報』を中心に、運動体系を提言した久布白落実の当. 後策』の中の三十一カ條の成案と、久布白の渡米調査研. 時の心情を自伝『廃娼ひとすじ』を用い分析した。. 究を併せて草案され、矯風会、純潔同盟各員の協賛を経. 矯風会創立者矢嶋楫子の姪で宣教師夫人の久布白は、. て作成したもので、矯風会はこれを目標に掲げた。廓清. オークランドの日本人売春宿で、公娼制度により前借に. 会との協同体制で、矯風会は純潔日本の建設の実現を目. 縛られ身売りで生活する女性たちを知る。どうしても彼. 指し純潔運動に邁進した。三十一カ條の成案の中で伊藤. 女らを救わなければという思いから自ら廃娼論を書き、. 秀吉は、 「純潔を教育することで廃娼は可能」との姿勢を. 矯風会に入会する。総幹事就任後は、会の運動の中心を. 示していた。それを阻止しているのは国であり、その裏. 廃娼運動に置き、その先頭に立ち廃娼運動を展開した。. には公娼制度の存在があると強く批判した。また、誘惑. 久布白は、『主婦の友』社社長でキリスト者の石川武. を防止、保護する為に運動や娯楽を勧め、温かな家庭が. 美に対し、確実な借金返済をしたことから、自身や矯風. 風紀対策に有効との考えを示し、早婚を奨励した。 「純潔. 会の信頼を得る。その後『婦人新報』には『主婦の友』. 思想を教育することで国家は安定する」と主張し、純潔. の広告が欠かさず掲載され、当時人気雑誌であった『主. 思想を鼓吹する団体として矯風会を推薦した。この「純. 婦の友』という存在は、久布白をはじめ矯風会会員の思. 潔思想を教育することで国家は安定する」 という思想は、. 想や活動を広く啓蒙する道を支えた。. 戦後国が「純潔」を施策に持ち出す源流ともいえ、 「純潔. 久布白は、廃娼に対する国民の理解を得るために、五. 教育」施策の萌芽に繋がると考えられる。運動体系は三. 銭運動に取り組んだ。この運動には、当時最低限度の「五. 十一カ條のほとんどを含み、さらに久布白により「純潔. 銭」という銅貨を一年に一個「公娼全廃教育運動資金」. 教育」 「性教育」 「一般教化」が教化として加えられた。. と書かれた小袋に住所氏名を記入し募金することで、子. こうして廃娼後の対策として特に青少年に対する「純潔. 供でも老人でも誰でも、少なくとも一度は考える機会を. 教育」 「性教育」を必要としながら、廓清会と矯風会は協. 持たせ、廃娼運動に目を向けさせるという久布白の狙い. 同体制の下で激しく純潔運動を展開していくのであった。. があった。五銭運動は約 10 年継続され、 『婦人新報』の 増版や啓蒙拡大を図る手段と資金を確保に繋がった。 また、国際的廃娼の流れを背景に、矯風会は廓清会と. <第二章> 戦後改革期における「純潔教育」の誕生. 共に廃娼連盟を設立した。廓清会は、1911 年の吉原遊郭. 戦後、風紀対策の一環として売春防止を強力に推進す. 全焼をきっかけに、公娼を廃止し社会を廓清することを. るとして、法務省、文部省、厚生省、労働省、警察省等. 目的としてキリスト者らで組織されており、矯風会の矢. 各関係省庁は集まり、1946 年事務次官会議で「私娼の取. 嶋楫子は副会長でもあった。その後、廃娼実現の機運が. 締」が決定される。そして文部省社会教育局長はその具. 高まったとして、廃娼連盟は国民純潔同盟へと改称し、. 体策として 1947 年に「実施について」を各都道府県に通. 廃娼運動を純潔運動へ転換した。久布白は、婦人参政権. 達する。同 6 月には「純潔教育」の内容検討機関として. 獲得運動も展開し、女性の地位確立のために女性側の意. 委員会を発足させた。委員会は文部省官僚の他、矯風会. 識変革も試みた。矯風会は、男女貞操という意味での平. をはじめ多数の廃娼運動家、キリスト者らで委員は構成.

(3) され、委員長は矯風会のガントレット恒子が務めた。就. 風会の性教育指導者講習会講師として招かれる。 『性教育. 任後、ガントレットは各委員に対し「純潔」観を問う 16. のあり方』 は男性で医師である安藤が執筆したことから、. の質問を出し議論を求め、後に委員会は 1949 年に『純潔. 安藤個人の視点が散見するものであった。そのため先行. 教育基本要項 附:性教育のあり方』 をまとめ発表した。. 研究で茂木輝順は、当初、文部省の山室民子の指摘で、. 当時矯風会は、委員としてのメリットを最大限に生か. 委員会が推薦する形で安藤個人の著書として出版するか. しながら純潔運動を展開した。委員会から大きな発表が. 否か議論があったことを史料から明らかにしている。矯. ある前の半年間、戦前、矯風会において性教育の権威者. 風会は戦前から、 「性教育」は科学的側面から行なわれな. であったオールズの著書『家庭と性教育』を『婦人新報』. ければならないとしていた。 しかし本来運動団体であり、. で広告、推奨することで思想の統一を図ろうとした。. その立証に乏しいというジレンマを常に抱えていた。そ. 純潔日本の建設の気運を高め、その熟成に努める中で、. のため矯風会は「(安藤の性教育論は)科学的にはっきり. 1948 年小学校教員による不祥事事件「杉並事件」が起き. と」述べられ「その根底には純潔思想がある」として、. た。この事件は、キャンプに同行した教員が女子児童に. 安藤を推薦した。矯風会は運動体系の「教化」で「性教. 対し性的暴行を加えたというもので、当時社会を震撼さ. 育」の一つに「指導者養成」を掲げ、 「純潔教育」で「性. せる大事件として世論の注目を浴びた。この事件を機に. 道徳」を説く一方、 「性教育」では性科学面での教育と「指. 「純潔教育」を求める議論が新聞紙上や投稿欄、雑誌で. 導者養成」を充実させようとした。 『婦人新報』にはオー. にぎわい、委員会、のちの純潔教育分科審議会(以下「審. ルズの『家庭と性教育』の隣に、新たに安藤画一『性教. 議会」と略す)、 「純潔教育」施策に対する世論の期待が. 育のあり方』が推薦書として加えられ、道徳面ではオー. 一気に高まった。矯風会はこうした世論の関心の高まり. ルズの、科学的面では安藤の性教育論を掲げた。安藤の. を追い風に、 「杉並事件」を『婦人新報』で取り上げ、性. 性教育論は矯風会の意と重なるとはいいがたい部分を含. 教育がなされていない弊害と性教育の重要性を説いた。. んでいたものの、性教育を実施する際「一部の宗教家が. 事件に関し、不祥事を可能とする場を阻止し得なかった. するように真実の生殖現象に神の力を借りる事はさしつ. との理由から、当事者よりむしろ当局や校長、校長と同. かえない」 ことや性教育を対象とする社会施設として 「宗. 様に女子教官、さらに家庭における母親に対しその責任. 教会で臨機の講演および示設をおこなう」と記されてい. を問い、自覚を促した。その上で、学校や家庭での性教. たことから、安藤と矯風会を繋いでいた。. 育の必要性、特に家庭での「母による性教育」の普及徹. ところが、1951 年になると、矯風会は千本木、その 3. 底を強調し、指南書にオールズの『家庭と性教育』を用. 年後にはガントレットが相次いで死去するという大きな. いるよう導くのであった。. 転機を迎えることとなる。 二人の大物の死は、 「純潔教育」. また、委員会はその後、審議会に再編され、戦後急速. 施策成立における国と矯風会との関わりを大きく断絶す. に盛んになった男女の交際に対し、男女の正しいあり方. る機となった。矯風会は、戦前からさまざまな会や組織. のパンフレット本として、1950 年に『男女の交際と礼儀』. を設立し、国政との繋がりを保持し続けながら、戦後は. を発表した。矯風会の千本木道子はこのまとめ役でもあ. 純潔日本の建設を目指し純潔運動を展開していた。しか. り、当時その様子を『婦人新報』や雑誌に寄稿した。千. し、時代の潮流の中で、久布白の 3 回に渡る参政失敗、. 本木は、発表当初、世論の批判を浴びたが、国民に対し. 千本木やガントレットの相次ぐ大物の死、さらに公娼廃. 広く意見を問い、意見を取り入れ、改訂を繰り返し検討. 止後の廃娼団体の矛先は売春防止法へと向かっていた。. される中で、徐々に世論に受け入れられ好評を得たと述. また、7年にわたる占領下が解かれ、キリスト教団体の. べている。男女のあり方について混乱に陥った現状を是. 勢力も弱まりつつあり、ペニシリンの発見で性病も減少. 正するため、国は正しい礼儀作法を示すことでその統制. の兆しが見え始めていた。社会の大きな変化の中で、会. を図ろうとした。新しいものが生まれるという希望を託. の志を国策に持ち込む大きな道筋を次第に失っていく。. しつつ正しい男女のあり方が『男女の交際と礼儀』とい. 1955 年、審議会は「純潔教育の進め方(試案) 」 (以下. う形で 「純潔教育」 の中に取り込まれていったのである。. 「進め方」と略す)を作成し、これを添えて「純潔教育 普及徹底に関する建議」 (以下「建議」と略す)を文部大 臣に提出する事で、所期の任務を終了した。 「建議」では. <第三章>「純潔教育」の矯風会からの離反. 「純潔教育」の意義理念は「学校、家庭、社会すべての. 委員会、審議会委員であり『純潔教育基本要項』の中. 場でとりあげられ(中略)純潔教育は、いわゆる封建的. で『附:性教育のあり方』を書いた医師安藤画一は、矯. 貞操観、道徳感、宗教的禁欲主義などの先入観のみによ.

(4) つて行われることはのぞましくない」とされた。また、. 広く問う等、民主主義を強調する形で進めることでその. 「純潔教育」と「性教育」の名称は「 「性教育」と「純潔. 浸透を試み、その先導として外国(ここではアメリカ). 教育」 とは相違があるわけではない」 と曖昧に記された。. に学ぶ必要性をイデオロギーとして組み込む役目も担わ. 矯風会は男女の純潔精神を作興し、貞操道徳の教育を. せた。新しいものが生まれるという希望を託しつつ、正. 「純潔教育」 で行うことで男女の道徳の確立を目指した。. しい男女のあり方を「純潔教育」の中に含んでいったこ. その思想には男女貞操という意味での平等があった。そ. とを本論は明らかにした。. して「性教育」は男女の純潔が守られた家族による清浄. さらに、医師安藤画一の性教育論の登場が、その後の. なる雰囲気の中で、男子には男子の、女子には女子の、. 流れを大きく変えた事にも触れた。安藤は、性科学の一. 中でも特に「母による性教育」を理想に描いていた。. 部分として性教育があり、 「純潔教育」は性教育の一部で. しかし、 「純潔教育」施策は 10 年の検討を経る中で、. あること、性教育は家庭、学校、社会の三者で行なわれ、. 変化を重ねた。最終的に決定され、その実施へと向かっ. 学校での啓蒙に重きをおき、教師が主導地位に立ち両親. た「建議」では、これまで矯風会が展開してきた純潔運. はこれを補佐する役目と位置づけたことで、矯風会との. 動を否定するかのごとく「封建的貞操観、道徳感、宗教. ズレを生み出した。. 的禁欲主義などの先入観のみによつて行われることはの. 1955 年「純潔教育」は、 「純潔教育」と「性教育」の. ぞましくない」という一文が記された。この一文ととも. 関係を曖昧にすることで施策成立とした。そして予算を. に、矯風会が目指した純潔運動は一つの時代に終わりを. 計上しその実施の道へと辿るのであった。. 告げた形となってしまうのであった。. 今後の研究では、 「純潔教育」をよりよき人間の基本的 な内容とうたい、すべての人々を対象に、学校、家庭、 社会のすべての場で行なわれるものとして、施策が講じ. <終章> まとめと今後の課題 終章では、本論の内容と意義、そして今後の課題につ いて記した。. られていく過程を課題としたい。その後『婦人新報』は、 不良化問題を全面に取り上げ、その中の一つに純潔の問 題がある、とその位置づけを変化させる。施策もまた、. 戦前、廃娼運動の中心的存在であった矯風会は、廃娼. 不良化対策として性を語っていく。戦後性教育史上では. 運動を純潔運動へと転換し、久布白はアメリカ視察の研. のちに純潔教育と性教育は同義語とされ「純潔教育」か. 究成果から純潔日本の建設運動体系を提言した。この運. ら「性教育」の時代へと転換するとされている。そこに. 動体系は廓清会の伊藤秀吉の三十一カ條が基にあり「純. 至る過程を明らかにしていくことを今後の目標とする。. 潔を教育することで廃娼は可能」としていた。温かな家 庭の雰囲気は風紀対策に有効と早婚を奨励し「純潔思想 を教育することで国家は安定する」とするこの思想は純. 3.文献(参考文献及び史料). 潔運動の源流でもあった。 本論は純潔運動が戦後 「純潔」. 田代美江子「戦後改革期における「純潔教育」 」女子栄養. が施策に用いられる契機となったことから、 「純潔教育」. 大学教育学研究室紀要‐教育とジェンダー‐第 3 号. 施策の萌芽の根底に「純潔思想を教育することで国家は. 2000 年ほか 斎藤光「 「純潔教育施策」目的の微妙な拡張‐純潔教育委 員会開催以前の社会教育局官僚の発言から‐」京都精 華大学紀要.2012 年. 茂木輝順「性教育の歴史を尋ねる 戦後・純潔教育編」1 ‐9『現代性教育研究ジャーナル』N025-33.2013 年. 日本キリスト教婦人矯風会編 復刻版『婦人新報』第 223・433 号・第 450‐663 号.不二出版.1985-86 年. 久布白落実『廃娼ひとすじ』中央公論社.1973 年. G.D.オールズ『家庭と性教育』日曜世界社.1932 年. 千本木道子「男女の交際と禮儀について」 『教育図書. 安定する」という思想があったとみている。 また、本論では、矯風会はキリスト教的一夫一婦制に 基づく純潔観を涵養することで、男女貞操という意味で の平等と男女道徳を確立し、優生思想の下、純潔家族形 成による国家建設を目指していたことを確認した。矯風 会は戦後、 委員会に名を連ねる一方で、 「母による性教育」 を強調した。国の動向を得やすい立場を生かし、性教育 はおむつのときから行ない、家庭での娯楽や指導者養成 が大切でアメリカに学ぶよう述べたオールズ著『家庭と 性教育』を啓蒙し、思想の統一と機運の熟成につとめた こともわかった。 国は『男女の交際と礼儀』で正しい男女のあり方を示 すことで男女間の統制をはかろうとした。国民に意見を. ニュース(通号 16) 』1951 年 4 月 文部省社会教育局『社会教育における純潔教育の概況』 印刷局.1967 年 ほか 伊藤秀吉『癈娼善後策』廓清會婦人矯風會癈娼聯盟.1932 年.

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