「生涯学習者」による継承日本語の再学習
―ブラジル日系人へのインタビュー調査から―
中澤 英利子
キーワード
日系人,生涯学習者,ライフストーリー,学習動機,日系社会,多文化社会
はじめに
ブラジルの日本語教育は,1908年の日本移民のブラジル移住とともに始まった。2018年に 日本人移住110周年を迎える現在,ブラジル国内での日本語学習者数は,約23,000人を数え,世 界15位,南米1位となっている(2015年度国際交流基金調査)。
太平洋戦争前に移住した日本移民にとっての日本語教育は,「錦衣帰郷」を前提として子ども たちに日本語が指導されたという大きな特色があり,戦後になって日本人の定住化が進むにつ れ,日系社会のなかで継承日本語教育へと移行していった。
このように,ブラジルでは日系社会という継承語環境で日本語教育が長いあいだ実践されて きたことから,学習者を「年少者」と限定する傾向が強い。指導法と教材開発も基本的に年少者 を対象とすることが多かった。
しかしながら,現在は,世代交代が進んだことで,継承語教育という区分では包括できない 多様な学習者を抱えるようになってきている。その多様な日本語学習者のなかには,子どもの ときに継承日本語を学んだ成人の日系人の学習者が現れるようになっている。これらの学習者 は,1990年代の日本語教室に現れた日本での就労を目的とした日系人とは学習動機が異なる と思われるものの,その再学習の動機は明らかにされてはいない。したがって,その指導法と 教材についても適切な環境が提供されているとは言い難い。
筆者は,サンパウロ州の日本語学校で成人の日系人の学習者に日本語を教えた経験から,継 承日本語の学習者は果たして年少者に限定できるのだろうかと考えるようになった。本稿は,
これまで考察されることがなかった成人の日系人の継承日本語の再学習者に着目するものであ る。
1.研究の目的
人々のグローバルな移動が日常化し,ブラジルと日本のトランスナショナルな移動と生活経 験を持つ日系人が増えている。さらに,ホスト社会からは長いあいだ農業従事者としてのまな ざしを受けていた日系人も都市住民となる人が多くなり,そのライフコースにも変化が見られ るようになっている。日本語の再学習のため,成人後に日本語学校の教室に戻ってきた日系人
の学習者は,これまで注目されることのなかった継承日本語の「生涯学習者」であると言える だろう。
今西(2011)は,生涯学習という用語を,生涯をとおして個人の能力を開発し「広い知識やス キルをもって新しい価値を創造しようとする営み」(p.2)と説明している。中澤(2015)は,ブ ラジルの日本語教室に現れた成人の継承日本語学習者を「生涯学習者」として分類することを 試みた。成人後も継承日本語を学び続ける日系人を「生涯学習者」という新しい視点で観察す ることで,従来のような年少者を対象とする研究とは異なり,継承語教育と学習者との長期的 な関係性を考察できると考える。本研究は,学習者へのインタビュー調査をもとにライフストー リーとして再構成することで,それぞれが受けた継承日本語教育の結果とその経験への評価を 学習者の生涯のなかで再考することを目的とする。
2.先行研究と本研究の課題 2.1 ブラジルの日本語教育
継承語教育は,中島(2005:17)により「異言語環境での親のことば・文化を学ぶ教育」とさ れている。川上(2013:22-25)は,海外の日本語研究において,日本人の親が自らの母語である 日本語を子どもに継承させるための研究が多いことを紹介し,子どもに日本語を教えることが 注目されることで必然的に継承日本語教育の対象の枠組みが生成されることになった,として いる。
ブラジルの継承日本語教育においても,エスニックマイノリティである日本人が現地語であ るポルトガル語の環境のなかで「日本語」と「日本文化」を次世代の子どもたちに継承させてい くことが目的とされてきた。したがって,長い間その対象は言語形成期の子どもを中心とする ものであった。子どもたちが日本語を学習するということは,「在外邦人」として将来的には帰 国を前提としていた当時の日本移民の教育的戦略であり,学校は単なる語学教育だけではなく,
日本的な諸行事の開催とともに日本人であるための教育が尊重されていた(前山1996)。その 後,定住化により多数の日系人が入植地の農村部から都市部へと移動したことで,継承語環境 であった日系コミュニティから遠ざかるようになり,その結果として「最初からブラジル人と して生まれ,生活環境も行動範囲もどっぷりブラジル文化に色づけされた日系人」(小嶋1997:
344)が現れてくる。
現在のブラジルの日本語教育は,1998年に16,678人であった学習者数が,2015年には22,993 人となっているように,わずかながらも増加傾向が見られる。その学習者の65%以上にあたる 15,031人が,「正規の学校教育機関以外」の日本語学校で日本語を学習している(1998年度及び 2015年度国際交流基金調査)。
これらの学習者が学ぶ「日本語学校」の約90%は,エスニックコミュニティである日系コミュ ニティのなかの日系団体が経営する民間の「日本語学校」であるとされている(福島・末永 2016)。そこで学ぶ学習者の多さから,日系コミュニティの日本語学校はブラジルの日本語教育 の要ともいえる現場でありながら,学校というより「学習塾」としての位置づけでしかない。し
かも,最近の傾向とされる日系コミュニティの縮小と日系人の日本語学習離れを理由とし,閉 校にいたる日本語学校が少なくないことから,日系社会での継承日本語教育の将来性は悲観的 に語られることが多くなっている。先行研究においても,日系としての帰属意識の欠如(佐々 木2003),次世代への継承意識の断絶(工藤・森2015),日系人の日系コミュニティからの離脱 や混血化(宮尾2002,丸山2010)などを理由として,ブラジルの日系社会での日本語と日本文 化の継承は断絶を予想する論述が主流になりつつある。
日系人の世代交代は六世の誕生へと進み,親世代がポルトガル語という母語をすでに獲得し ており,本来は継承語を定義する「親のことば」である家庭内使用言語がポルトガル語に代わっ て久しい。日系人の子どもたちにとっての日本語はすでに外国語であり,日本語学校で「継承 日本語」を学んでいても,成長するにつれ最終的には英語学習が優先されていく。アメリカの 移民の母語と母文化の維持についての研究をまとめた
Portes&Rumbaut
(2001,村井訳2014)で は,移民が持ち込む言語は自尊心や愛国心と密接に結びついているものの,第三世代までには その言語は失われてしまうことが多いとする。ブラジルの日系社会もこの指摘どおりに,世代 交代のなかで言語と文化の変容が進行した結果といえるだろう。2.2 継承日本語教育への批判
戦前のブラジル日系社会は,母国である日本政府からの「在外邦人保護」の意味合いを多分 に有しており,その日本語教育は日本的価値観の指導を伴うものであった。本来なら主体とな るべきブラジルの教育行政が,日本移民の集住する農村地域にまで行使されなかったという事 情も大きかった。1930年代に入ると,母国の社会情勢の影響を受けて「在外邦人」としての「国 粋化教育」の傾向がいっそう強まり,日本人移住地の日本語学校では,日本人としての美質を 維持する教育が進められていった(飯窪2016)。当時の日本語学校で行われていた日本的な精 神を尊重した教育には積極的な価値が付与され,それは母国日本との再接続を可能ならしめる 大きな要因にもなっていた(佐々木2016)。
今世紀に入り,日本移民100周年を記念して2008年にブラジル各地で盛大に行われたセレモ ニーでも,「勤勉」「正直」「努力」「鍛錬」などという日本移民の資質が繰り返し強調され,移民 が示したさまざまな道徳的資質は,「移民の直接の主体でないその子孫や,ブラジルや日本社会 の構成員によっても『何らかのかたちで見倣うことができるもの』として語られている」(佐々 木2016:381)とされる。日本語教育とともに日本人的資質が評価される日本的価値観の継続が,
戦後も子どもたちへの教育のなかで温存されていることになる(根川2013)。現在でも,日本語 学習だけではなく全人的育成を目指す日本語学校があり,情操教育という名目で日本的な精神 性を強調する指導が行われている現場を筆者も確認している。
このように,日本語とその精神性の習得は個人的な資源であるという考え方ができるいっぽ うで,戦前の海外での日本語教育の実態を,牲川(2006)は「日本語ナショナリズム」とし,日 本人でない人々を日本へと包摂し,帝国主義体制下に取り込むという理念の基に実践された,
と論じている。
また,日系人の年少者に対して現在進行形で行われている日本的指導について柴原(2016)は,
年少者に指導される日本的価値観の重視には弊害があるとし,「日本社会に対するステレオタ イプの強化や理想化,その対比としてのブラジル社会の軽視が危惧される」(p.93)と警告する。
柴田(2007)でも,継承日本語環境で成育した日系人へのインタビューをもとに,日系人自らが 経験した日本的指導には懐疑的で評価をしない姿勢が考察されている。
しかし,戦前戦後をとおして長く移民一世世代の日本語母語話者の教師の手に委ねられてい た読み書き中心の日本語教育からようやく解放されたブラジルの学習現場は,これまでの日本 語教育への評価を普遍化できないほど学習者の多様化が進んでいる。日系の年少者だけではな く,非日系の年少者,非日系の大学生と成人,日本での就労からブラジルに帰国してきた日系 人親子,そして成人の再学習者といった多様な学習者が存在する。学習者それぞれが異なる学 習動機を持つように,日本語教育にも異なる見解と評価を持って学習現場に存在しているので はないかと思われる。
このようなブラジルの日本語教育の現場を念頭におき,本研究で明らかにする研究課題を以 下のように設定した。
研究課題1 成人後に日本語を再学習する「生涯学習者」の学習動機とは何か。
研究課題2 継承語環境で成育した自らの経験を,成人後はどのように認識しているのか。
本稿では,成人後の再学習者を「生涯学習者」として考察することで,継承語研究および継承 語教育にかかわる新たな学習者像を明らかにすることができると考える。
3.調査 3.1 調査地
ブラジルの日系人190万人のうち7割以上が住むとされるサンパンウロ州のなかでも,戦前 の初期日本移民によって町づくりが始まった内陸の
M市(人口約24万人,うち日系人数推定1
万人)の日系コミュニティを調査地とした。この地方は,気候も地味もコーヒー栽培に適して いたことで,1920年頃からヨーロッパを中心に多くの国から移民が入植している。日本移民も 続々と入植し,コーヒーや棉を栽培する「邦人移住地」が各地で造成されていった。その中心地となった
M市には1930年に「日本人会」が早々に結成されている。やがて1970年代になると,
ブラジルの工業化にともない食品工業の町へと発展し,昔の農村地域の面影が見当たらないほ ど内陸の中都市として都市化が進んでいった。戦前は日本人による商店が軒を連ねていたとい う中心街も現在は様変わりし,町の景観からは「日本人の町」という記憶はすでに消滅している。
周辺の日系コミュニティ同様,M市の日系コミュニティでも移民第一世代の高齢化および日 本語話者の高齢化が顕著である。コミュニティ活動の拠点となる日系協会(1)の中心世代も三世 四世になっており,コミュニティで日本語が使用される機会は少なくなっている。
3.2 調査協力者と調査方法
本研究での調査協力者は,M市の日系協会が運営する日本語学校の成人向けの再学習クラス に在籍していた日系人である。成育した継承語環境のようすと,その後の長い経験を「生涯学 習者」として問うため,40歳台以上の日系人に調査を依頼した。調査協力者のプロフィールは 次のとおりである。
表1 調査協力者のプロフィール(年齢は調査時)
協力者 性別 年齢 世代 継承語環境 現在の家庭内言語 学歴 訪日経験
A
女 60代 二世 両親 日本語/ポルトガル語 大学卒 有(観光)B
女 40代 三世 両親 ポルトガル語 大学中退 有(就労)C
女 40代 三世 祖父母 ポルトガル語 大学卒 なしこの日本語学校では,日系と非日系の年少者,大学生,成人の約50人が日本語を学んでいた
(2015年調査当時)。平日の午後は子どもたちを対象とする授業を毎日実施しているので,教室 の空く午前中,夜間,土曜日に成人の学習者を対象に日本語の授業を行っている。成人の学習 者には個人授業で対応することが多いが,短期にクラス授業を行うことがあり,筆者もこのク ラス授業に日本語教師として関わった経験がある。再学習クラスの日系人の学習者全員が継承 日本語環境で成育した経験を持ち,その大半がコミュニケーションを重視した指導を望んでい た。
2015年8月に筆者が現地で行ったインタビュー調査の協力者は,日系人女性3人で,世代は二 世と三世である。筆者と協力者とは授業をとおして面識があったが,調査を始める前に改めて 筆者から研究目的の説明を行い調査への協力を依頼し,語りを録音することの了承を得た。イ ンタビューの最初に調査協力者の成育環境に関する聞き取りを行い,その後,半構造化インタ ビューを1時間から2時間かけて実施した。
調査の方法と記述はライフストーリー研究に倣った。この研究は,個人の経験を語る行為と その語られる内容を分析するもので「人生全体を視野に入れた回顧を促すインタビュー」(小林 2005:72)に意義を求める質的データの分析法である。語り手に自らの日本語に関わる経験の 解釈を語ってもらうことで,生涯学習者の長い経験と継承日本語への意識を明らかにすること を目的とする本研究には最適の分析法と考えた。インタビューでは学習者の再学習の動機を明 らかにするとともに,浅井(2009)を参考に,語りのなかに表れる「象徴的な表現」や「決定的 経験」などの語りを見落とさないように努めた。インタビュー後に文字化を行い,それぞれの 語りを時系列にそって整理した。インタビューの表記方法については本稿の最後に記した。
4.調査結果
4.1 「より日本人でありたい」 Aさん(60代 二世)の語り
M市近郊の日本人移住地である
X移住地で Aさんは生まれた。日常会話として日本語が使用
される言語共同体のなかで成長し,家庭では戦前にブラジルに移住してきた京都府出身の父親 から日本語を話すよう厳しく育てられた。そのおかげで日本語を自然習得し,その運用能力は 今でも高い。M市の公立高校でポルトガル語と英語の教師を長く勤めるかたわら,日本語教師 になるための勉強も続けてきた。現在はM市にある日本の一宗教団体で講師としてボランティ ア活動に取り組んでいる。日系二世の夫とのあいだに4人の子どもがおり,その子どもたちに 日本語を残そうと家庭でも様々な努力を続けてきたという。
「私の両親は日本語を使えってうるさく言ってましてね。食事の時間は父親に日本語で話 しなさいって怒られたりして(笑)。そういうふうに日本語を勉強させていただいて,それ から結婚したり親となったりして,日本語の勉強ができなくなったのね。自分の子どもた ちには日本語で話しかけたりしました。日本語と日本人の記憶を少しでも子どもたちに聞 かせてあげたかったのね。」
Aさんは,幼少時から経験した自らの継承語環境に感謝する姿勢をしめした。ブラジルで生 まれ育った「ブラジル人」ではあるが,自分の60パーセントは「日本人」であると考え,より日 本人になることを望んでいる。日本人の記憶を次世代につなげていくための努力を自らの家庭 で行い,コミュニティの日系人の子どもたちにも日本語で語りかけるようにしているという。
日本の宗教団体で活動するためには日本語の専門用語を読み,それを深く理解することが必要 だと語る。そのために系統的に日本語を学び直そうと日本語学校での再学習を始めたという。
日本人の子孫であること,日本人移住の歴史的な記憶の継承のためには日本語が必要だと考え ている。
「今の三世の人たちは,日本語の勉強にあまり興味を持っていないみたいです。みんな,日 本語より英語とかスペイン語のほうが仕事の面で大事だと言って子どもたちに勉強させて います。それで,私たちが勧めて日本語を勉強したらいいですよって言っているんです。
子どものアイデンティティね,日本人であるっていうアイデンティティが私は大事だと思 います。祖先がどういう所からどうしてブラジルに来たか,歴史的なことを話すには言語 が大事だと思います。」
観光ですでに3回訪日した経験がある
Aさんは,訪日のたびに日本の「tudo funciona」
〔全てが うまく運営される状態〕であることに感心させられるという。「私が驚いたのは,ある公園,雨がちょっとパラパラ降っていましてね。そこを通ったら,
ある掃除をする方がね,雨が降っているんですけど掃除やってたのね。ブラジルだったら,
降ってたら掃除しないですよ。日本はすごいな,雨降って濡れるのに合羽着て(*掃除を)
してるから。日本はそういう点ですばらしいなって私は思いますね。教えられます(笑)。」
「子どもたちを日本に行かせて,日本の立派なところを見せて,日本人の誇りを持たせな きゃいけないと私は思うの。日系人であることね。ブラジル人ですけど,心は日本人の心っ て思いますね。」
子どもの頃から日本に行きたいと思っていた
Aさんにとっての訪日経験は,両親から言われ
ていた「理想の日本」を追体験することになり,日本語と日本を肯定的に評価しようとする意 識を高めたようである。4.2 「日本とつながり続けたい」 Bさん(40代 三世)の語り
Bさんは大都市サンパウロ市郊外の日系人の町として有名な
Y市で成長した。両親ともに日
系二世で,家庭では日本語とポルトガル語を交ぜて会話をしていた。学校では現地語で勉強し,帰宅後に地域の日本語学校で友達とともに日本語を学んでいた。当時は
Y市に住む日系人の子
どもたちのほぼ全員が日本語学校で日本語を学んでいたという。Y市の大学に進学した頃,日系人のあいだで日本での就労が話題になり始めた。日本に興味
があった
Bさんは大学を中退して訪日し,1995年から愛知県で働き始める。日本で10年暮した
あいだに
M市出身の日系三世の夫と結婚し,2005年にブラジルへ家族で戻ってきた。
M市に住むようになって,日本生まれの子どもを日本語学校へ通わせようと日系協会の日本 語学校を訪問したとき,日本語を学ぶ子どもの数が少ないのに驚いたという。
「私が育ったYの人たちはみんな日本語学校に行っていたんだけど。昔はM市もそうだっ たらしい。でも,うちの息子を初めて学校に連れて行った時,『あれっ』って。誰もいないっ て,こんな大きな町で。私たちが
Yで勉強していた頃は,学校には(*子どもが)50人ぐら
いいたもんね。ここに連れて来た時,20人ぐらいしかおらんもんね,こんな大きな町で。」日本語を学ぶ子どもが少ないのに驚いた
Bさんは,日本語学校の保護者会で熱心に活動を始
めるようになる。「(*日本語を勉強しないのは)もったいないとは思いますよね。でも,今は英語とかスペ イン語のほうが世界には通じるからね。日本語っていったら日本だけ(笑)。でも日本人と して子どもたちには日本語を覚えてほしい。」
自分の子どもだけではなくコミュニティの子どもたちにも日本語を教えたいと思った
Bさん
は,自らも日本語の再学習を希望する。日本語だけではなく日本文化にも興味があり,日本語 学校の書道クラスに参加したこともある。自分が再び日本語の学習者になってみると,「日本語 を教えることは難しいと思ったけど,(*日本語を学ぶ)子どもたちの気持ちも,ちょっと分かるようになった」と話す。
「一応日系人としてね,日本語を覚えたいし,日本の文化とかも子どもたちに教えたいしね。
日本語の読み書きも大事だけれど,やっぱり日本人としての気持ちよね。真っ直ぐした気 持ちね(*を大事にして教えたい)。」
Bさん自身も日系人として生まれたことに「誇り」を持っていると語る。日本での就労経験を とおしてその気持ちはさらに強くなった。日本に住んだことで「もっと日本が好きになった」,
そして「日本語を学ぶことで日本とつながり続けたい」と話す。
4.3 「日本語で子どもに話しかけたい」 Cさん(40代 三世)の語り
M市からさらに200㌔ほど内陸の初期日本移民の移住地
Z
で育ったCさんに日本語を教えて くれたのは岡山県出身の「じいちゃん」だった。地域の日系協会が運営する日本語学校にも通っ ていたが,祖父と話すことで日本語を覚えていったという。成人後の現在,日本語の会話は少 し自信が無いとCさんは語るが,祖父から教えてもらった日本語の断片を今でも繰り返し思い
出す。「日本人は
honesto
〔正直〕で,まじめな人で,誰かの物を絶対に盗ってはだめ,そんなこと はnão certinho〔良くない〕(笑)。日本人はそんなことしないって,いつも言ってくれた。」祖父が亡くなったあと,サンパウロ市の大学に進学した
Cさんは,移住地の継承日本語環境
から離れたことで日本語を話す機会が無くなったという。日系三世の夫とも日本語で会話をす ることはない。ところが,サンパウロ市からM市に転居後,日系コミュニティで日本語話者に出会った
Cさんは,再び「日本語を話す自分」に戻りたいと思うようになった。日系協会が主催
するコミュニティ活動に子どもたちを連れて参加するだけではなく,自らも日本語学校での再 学習を始める。文法の知識と敬語の習得が不足していることは分かっていたので,それを学び たいと思った。
「学校に来るかどうか,迷ったね。でも,まあ一回ぐらい行こうかねと思って来たよね。私 は日本語,小さい時に日本語学校で勉強しただけで,gramática〔文法〕そんなに覚えてな いよね。(*再学習を始めると)先生がaula〔授業〕してくれたら,まー私は何も知らないよ
ね。
Etiqueta
〔礼儀〕っていう? 私より上の人への敬語が必要だなと思って。私の日本語は,まあー(笑),悪いよね。それだから学校に来ました。勉強したら良くなるよねって思って 来ました。」
子どものころに通った移住地の日本語学校での経験を振り返ると,学校にあった日本語の本
を読んで漢字を学習しただけだった。当時の先生たちは日本語を話しているだけで日本語の教 え方を知らなかったのではないかとも思うようになった。日本語の再学習を始めたことで日本 語教授法の一端も学んだので,家庭でも子どもに日本語で話しかける努力をしたい,と語る。
しかし,子どもたちにうまく日本語が継承できるかは疑問であると言う。
「三世はおじいちゃん達とか家族とね,vivencia〔生活経験〕があるよね。四世や五世になっ たら,おじいちゃん達がおらないから,それが難しい。私が習ったのはおじいちゃんと習っ たね。日本人はこんな人で,こんな人でってね。Não pode fazer〔やってはいけないこと〕,
そんなこと習ったよね。今の子どもたちはそんなことないから。」
祖父から厳しく戒められた言葉とともに理想的な日本人像が
Cさんの心象に刻み込まれてい
る。ノスタルジアな思い出とともに,それは日系人である自らを評価する機能を果たし,Cさ んの心の拠り所ともなっているようだ。だからこそ,日本人的な意識と価値観が継承されなく なる現在の状況を歯痒く感じている。5.考察
育った時代や地域,経験が異なる3人には学習動機について若干の差異が見られる。Aの場 合には,家庭とコミュニティで日本語を自然習得する機会があり,現在でもその語りに現地語 が交じることは少なかった。日本語の読みのリテラシー向上への意欲とともに「より日本人で ありたい」という学習動機が強く示された。Bの場合は,日本での就労経験で覚えた日本語を 忘れないで日本とつながり続けたいという学習動機を持っていた。Cの語りには時々ポルトガ ル語が交ざり,自らの日本語を過小評価する控えめな態度が見られたものの,子どものときに は習得できなかった敬語の習得と日本語を家庭内で使用したいという意欲が示された。
一般的評価として,日本語を学ぶ日系人の子どもたちは学習への動機付けが弱く,学習意欲 にも欠けるとされているが,3人の生涯学習者には,自らが学ぶだけではなく自らの子どもと コミュニティの子どもに日本語を教えることへの意欲が語られるという共通点があった。さら には,継承日本語に忠実だった過去の自分を提示することを躊躇わず,継承語環境への愛着が 語られる場面が現れた。
さらに,その語りからは共通する志向性が見られた。3人とも日本語教育に付随する日本的 価値観への評価が高く,それを次世代に継承することを評価する語りが現れた。特に
Aは,日
系コミュニティ内のほかの日系人に対して,日本語と日本的価値観を学ぶことの意義を伝える ことを実践している,と語った。これはAが日本の宗教団体でボランティア活動を行っている
ことが理由であるが,もはや家庭内で日本語が継承できなくなっている日系社会で,Aの存在 がコミュニティ内の日系人に与える影響は少なくないものと思われる。かつての日系社会で,ブラジル生まれの日系人が受けた継承日本語教育での日本的価値観と 態度などの情操教育は,継承日本語の負の要因という評価を受ける場合があることは前述した。
ところが,3人の語りからは「日本人であること」「日本人の気持ち」「誇り」という補強された エスニシティが語られるとともに,自らが受けた情操教育を評価したいとする考えが示された。
子どものころには選択の余地なく受けたであろう継承語教育への反発も語りには現れなかっ た。これらの語りからは,継承語の生涯学習者は,自らの継承語環境経験を肯定的に評価する 学習者であり,その経験を次世代に継承させる役目を自らに課すという意思が学習動機の大き な要因となっていることがわかる。
また,ブラジルの日系人はホスト社会から日常的に「ジャポネース」〔日本人〕と呼ばれるこ とが多いせいか,調査協力者から「日本人」と「日系人」,そして「ジャポネース」が区別される ことなく語られるのも特徴的であった。自らを「日本人」とする場面もあれば「日系人」として 語る場面もあった。これは,話題により使い分けているというわけではなく,日常的に混同し て使用されているようだった。
3人の語りに表れる継承日本語への意識への象徴的な語り,共通する箇所を取り出し,次の 図1に示す。語りに重なり合う箇所が複数表れた。
図1 3人の生涯学習者と継承日本語の関係性
生涯学習者の学習動機を単純に「日本語へのノスタルジア」とみなすのは不十分である。日 本での就労という現代的トランスナショナルな移動の経験をとおしてもなお,日本語とつなが ろうとする意識を保有している
Bのような学習者も存在している。価値観の異なる複数の社会
を往来しながら生きている「いまを生きる日系人」の,文化的越境の日常性を理解することが 重要である。日本とブラジル,さらにはホスト社会と日系社会との往来のなかで,日系人であること,日本語を使用することに意義を求める姿勢が示されている。
また,彼らが日系コミュニティや日本語学校の活動に積極的に関与しようとする姿勢がある ことも興味深い。生涯学習者がこれらの活動に関与することは,同じコミュニティの年少の学 習者にも少なからず影響を与えることになるだろう。生涯学習者の存在は,継承語教育の現場 に新たな多様性の展開を促す要素になると考える。
以上の考察をもとに,本研究の調査協力者である「生涯学習者」の学習動機とその特徴は,大 きく次の3点にまとめることができる。
1.「日本語を話す日系人」として存在することを希望する。
2.日本語と日本的価値観を次世代に伝える意識を持っている。
3.日系コミュニティの活動に関与することを希望する。
外国語として日本語を教える場合は,隠れた国家イデオロギーや支配的表象を充分に検討す るのは不可欠なことである(ザラト2007)。しかしながら,ブラジルの継承日本語教育が,外国 語としての日本語教育へと移行するなかで,日系人としての意識の継承さえも断絶を前提に語 られる状況には疑問が残る。日本語学校に現れた生涯学習者の存在は,日本語ナショナリズム として批判されがちな継承日本語教育の,その役割の一部を再考する契機になると考える。
6.今後に向けて
本稿は邦人移住地から発展したローカルな日系コミュニティでの調査をもとにしたものであ り,このデータをもって多様なブラジルの日系社会に存在する継承日本語の生涯学習者を一般 化することはできない。また,Portes&Rumbaut(2001,村井訳2014)の指摘にもあるように,男 女間のジェンダーの違いが社会化に影響を与え,言語面での文化変容にも重要な影響を及ぼす とされる。今回の調査協力者が女性であったことで,偏った意見が表れた可能性も考えられる。
また,本研究の調査における「聞き手」である筆者と「語り手」である協力者が,「日本語教師」
と「学習者」という関係であったことが,調査に与えた影響を考える必要もあるだろう。今後は この「調査者のポジショナリティ」に筆者自身が充分配慮することが重要である。
最後にホスト社会であるブラジルの変化について言及する。ブラジルは,移民国家ゆえ,つ ねに「『国民的人種』を神話的に探究」(Lesser1999,鈴木・佐々木訳2016:24)し,時代の局面ご とにブラジル国民の定義づけを必要とする国柄である。1970年代からは,北米の影響を受けて 社会を構成する多様な文化的背景を尊重した多文化多民族を容認する国づくりが進められてい る。「国内の『異質なもの』の『消化』や『同化』ではなく,互いに『異なるもの』が共存する」(三 田2009:136)社会が目指されるようになってきた。
そういう社会の変化を敏感に察知し,「ニッケイ」「ジャポネース」というエスニシティに強 いこだわりを感じ始めるようになったことも,日系人が日本語の再学習を始める理由となって いったのではないだろうか。本研究の調査地のような日本移民の歴史のある地域に住む日系人
は,常に「ニッケイ」であることへの過度な期待を受け,それに応えようとする人々であると言 えるかもしれない。ブラジルのなかで社会化され再統合された日系人が,継承してきた日本語 を再学習しようとする意識の覚醒には,日本語へのノスタルジアだけではなく,多文化多民族 社会のなかで,日本人の子孫の「ニッケイ」「ジャポネース」として存在し続ける意識の表明と も考えられる。
海外での継承語教育の現状を語るとき,ホスト社会の変化にも注意しながら,長期的かつ俯 瞰的視野で学習者の学びの意味を考察しつづける必要性を感じる。
文字化の表記
1. 文脈の理解上,筆者が加筆した箇所は(*)をつけた。
2. 語りにポルトガル語が表れた箇所は,筆者が訳して〔日本語訳〕をつけた。
3. 語りに笑い声が入った箇所は,(笑)をつけた。
注
(1)日系協会と呼ばれる組織はブラジル全土に400近くあるとされ,その中心はサンパウロ市にある ブラジル日本文化福祉協会である。この協会の理念は「ブラジル日系社会の中心的機関として,
ブラジル社会において日本文化の継承と普及を促進すると共に,日本においてはブラジル文化の 紹介と普及に務め,その目的遂行のための活動を率先して,奨励し,支援する」(HPより転載)と なっている。日系協会ごとに「○○日伯協会」「○○日伯文化体育協会」「○○日伯文化援護協会」
というように正式名称は異なる。
・本稿は2016年母語・継承語・バイリンガル教育(MHB)研究会での口頭発表をもとに加筆・
修正したものである。
引用文献
浅井亜希子(2009)「リサーチクエスチョンを絞り込む −外国人指導助手の日本における異文化体 験研究から−」『フィールドワークの技法と実際Ⅱ』箕浦康子編著 ミネルヴァ書房 pp.159- 174.
飯窪秀樹(2016)「第14章ブラジル外国移民二分制限法前後の日系子弟教育−日主伯従に傾いた経緯 について」『越境と連動の日系移民教育史 複数文化体験の視座』ミネルヴァ書房 pp.297-318.
今西幸蔵(2011)『生涯学習論入門』法律文化社.
川上郁雄(2013)『「移動する子ども」という記憶と力 ことばとアイデンティティ』 くろしお出版.
工藤真由美・森幸一編(2015)『日系移民社会における言語接触のダイナミズム ブラジル・ボリビ アの子供移民と沖縄系移民』大阪大学出版会.
小嶋茂(1997)「Ⅳ-1戦後とブラジル日系社会の変遷」『戦争と日本人移民』 東洋書林 pp.336-355.
小林多寿子(2005)「第2章ライフストーリ―・インタビューをおこなう」『ライフストーリー・イン タビュー 質的研究入門』桜井厚・小林多寿子編著 せりか書房 pp.71-128.
佐々木剛二(2016)「第17章移民的徳の誕生」『越境と連動の日系移民教育史 複数文化体験の視座』
根川幸男・井上章一編著 ミネルヴァ書房 pp.361-386.
佐々木倫子(2003)「3代で消えないJHLとは?−日系移民の日本語継承」母語・継承語・バイリンガ ル教育(MHB)研究プレ創刊号 pp.16-25.
柴田あづさ(2007)「ブラジル日系青年にとっての継承日本語教育」『佐賀大学留学生センター紀要第
6号』佐賀大学留学生センター pp.29-42.
柴原智代(2016)「ブラジルの年少者に対する日本語指導の現状と課題」『国際交流基金日本語教育紀 要 第12号』 pp.89-96.
牲川波都季(2006)「戦後日本語教育史研究の課題 −日本語ナショナリズムに関する文献レビュー から」『横浜国立大学留学生センター教育研究論集13』横浜国立大学留学生センター pp.31-53.
ザラト・ジュヌヴィエーヴ(2007)「第7章『文化リテラシー』とは何か −異文化能力の評価をめぐ るヨーロッパの議論から」『変貌する言語教育 多言語・多文化社会のリテラシーズとは何か』
佐々木倫子ほか編 くろしお出版.
中澤英利子(2015)「生涯学習としての継承日本語教育 −継承語教育の可能性を目指して−」国際 語としての日本語に関する国際シンポジウム/及び第三回日本研究大学院学会予稿集 p54.
中島和子(2005)「カナダの継承語教育その後 −本書の解説にかえて」『カナダの継承語教育 多文 化・多言語教育をめざして』明石書店 pp.155-180.
根川幸男(2013)「第二次世界大戦前後の南米各国日系人の動向 −ブラジルの事例を中心に−」『立 命館言語文化研究25巻1号』立命館大学国際言語文化研究所 pp.137-154.
前山隆(1996)『エスニシティとブラジル日系人 −文化人類学的研究−』御茶の水書房.
丸山浩明(2010)「ブラジル日本移民の軌跡 百年の大きな物語」『ブラジル日本移民 百年の軌跡』
明石書店 pp.113-191.
三田千代子(2009)『「出稼ぎ」から「デカセギ」へ ブラジル移民100年にみる人と文化のダイナミズ ム』不二出版.
宮尾進(2002)『ブラジルの日系社会論集 ボーダーレスになる日系人』サンパウロ人文科学研究所.
福島青史・末永サンドラ輝美(2016)「言語政策理論におけるブラジル日系人の日本語教育の諸論点 −ブラジル日系人の言語の計画のために−」『複言語・複文化時代の日本語教育』本田博之・松 田真希子編 凡人社 pp.13-39.
Lesser,Jeffrey(1999)“Negotiating National Identity: Immigrants,Minorities,and the Struggle for Ethnicity in Brazil” Duke University =『ブラジルのアジア・中東系移民と国民性の構築 「ブラジ ル人らしさ」をめぐる葛藤と模索』鈴木茂・佐々木剛二訳(2016)明石書店.
Portes,Alejandro and Rumbaut,G,Ruben(2001)“Legacies: The Story of the Immigrant Second Generation”,University of California Press = 『現代アメリカ移民第二世代の研究−移民排斥と同化 主義に代わる「第三の道」』村井忠政訳(2014)明石書店.
参考サイト (最終検索日2017年8月30日)
国際交流基金
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2016/brazil.html ブラジル日本文化福祉協会
http://www.bunkyo.org.br/ja-JP/quem-somos-ja/missao-e-objetivos-ja