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トスカナ辺境女伯マティルデ : ドイツ王権(皇帝権 )とローマ法王権の間(二)

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(1)

トスカナ辺境女伯マティルデ : ドイツ王権(皇帝権 )とローマ法王権の間(二)

著者 井上 雅夫

雑誌名 文化學年報

号 63

ページ 131‑154

発行年 2014‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027768

(2)

トスカナ辺境女伯マティルデ : ドイツ王権(皇帝権 )とローマ法王権の間(二)

著者 井上,雅夫

雑誌名 文化學年報

号 63

ページ 131‑154

発行年 2014‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027768

(3)

ト ス カ ナ 辺 境 女 伯 マ テ ィ ル デ

│ ド イツ 王 権︵ 皇帝 権

︶と ロ ー マ 法王 権 の 間│

&

井 上 雅 夫

四 マテ

ィル デは

︑最 初の 夫ゴ ット フリ ート が暗 殺さ れて から 十三 年後 の一

〇八 九年 に︑ バイ エル ン大 公ヴ ェル フ四 世 の 子ヴ ェル フ五 世と 再婚 する こと にな った

!

︒彼 女は 既に 四十 三歳

︑相 手の ヴ ェ ル フは 十 七 歳と い う︑ 王 侯貴 族 で は 政 略結 婚が 普通 で︑ 年齢 差の ある 結婚 もよ く見 られ る中 世で も︑ 中年 の女 が少 年に 近い 若い 男と 結婚 する こと は︑ 物 議 をか もす どこ ろか

︑恰 好の 物笑 いの 種と なっ た"

︒ マテ ィル デを 讃美 する ドニ ゾー が︑ この 結婚 につ いて 全く ふれ なか っ た の も︑ 右の 事 情 を物 語 っ てい

#

︒こ の 結 婚 につ いて は︑ ベル ノル トが

︑マ ティ ルデ は

︑﹁ 誠 に貞 潔 の ない た め で はな く

︑ロ ー マ法 王 へ の服 従 か ら﹂

︑﹁ 破 門 さ れ た者 たち に対 抗し

︑ロ ーマ 教会 への 援助 をよ り効 果的 にな しう る﹂ よう に結 婚し たと 語っ てい るの が︑ 最も 詳し い も の で ある

$

ベ ル ノ ルト が

︑こ こ で わざ わ ざ

﹁貞 潔 の な い

﹂︑ 即 ち 性 欲 が 結 婚 の 動 機 で は な い と 断 っ て い る の は

︑ や はり 上述 の嘲 笑的 な噂 があ った こと を示 して いる

%

― 131 ―

(4)

この 点に つい ては

︑後 述の 彼女 の結 婚意 図に 関連 して 述べ たい が︑ ここ でま ず見 てお くべ きこ とは

︑彼 女が

﹁法 王 へ の服 従﹂ から 結婚 した とさ れて いる こと であ る︒ この 一連 の文 言か らは

︑結 婚へ の動 きは

︑彼 女か ら来 たか のよ う で ある

︒当 時確 かに ハイ ンリ ヒ四 世と の対 立の 中で

︑法 王の ウル バヌ ス二 世も

︑こ れを 支援 する マテ ィル デも 大き な 危 機の 中に あり

︑彼 女は 新た な同 盟を 求め てい た!

︒ これ が彼 女を ハイ ンリ ヒ四 世 の 最 大の 敵 の 一つ で あ った ヴ ェ ル フ 家に 向か わせ るこ とに なり

︑王 の二 つの 敵が 結婚 同盟 で結 ばれ るこ とに な っ た ので あ る"

︒ こ の結 婚 へ の彼 女 自 身 の 自発 的な 決心 を強 調し てい るの が︑ ヘイ の見 解で ある

︒彼 は現 代の 歴史 家が

︑こ の結 婚を 後述 のウ ルバ ヌス らの イ ニ シャ チヴ とし てい るこ とに 異議 を出 し︑ マテ ィル デは 容易 に人 の意 見に 左右 され ない 性格 で︑ 彼女 は一

〇八 九年 ま で に結 婚を 考え る十 分な 理由 をも って いた とし

︑彼 女は 驚く べき 動き をし て︑ 最初 の夫 の没 後︑ 長く 抵抗 して いた も の

︑即 ちも う一 度結 婚す るこ とに 同意 した と見 てい るの であ る#

︒ もっ とも こ の 長 く抵 抗 し てい た も のが

︑後 述 の よ う に結 婚一 般な らと もか く︑ この ヴェ ルフ との 結婚 のこ と であ る な ら彼 女 自 身か ら 発 し たも の に 対し て と い うよ り

︑ 他 から 勧め られ たも のへ の抵 抗と いえ るも ので

︑こ んな 異例 な結 婚を 彼女 自身 がま ず発 案し たと は考 えに くい ので あ る$

実 ︒ 際 この 彼女 の動 きも

︑や はり 彼女 自身 から とい うよ りも

︑法 王の ウル バヌ スが 強く 勧め たと 一般 には 見ら れて い る ので ある

%

︒シ ュト ルー ヴェ など は︑ 彼女 はこ の結 婚へ の同 意を もっ て自 己自 身 を 全 く放 棄 す る中 で 法 王の 政 策 に 奉 仕す るこ とに なっ たと し︑ この 結婚 ほど 彼女 のロ ーマ 教会 への 無条 件の 献身 をは っき りと 示す もの はな いと 評し て い る&

︒ 二十 六歳 も若 い者 との 結婚 のた め︑ あえ て醜 聞を 被る 犠牲 にな った かの よ う な 彼女 へ の この よ う な同 情 論 も 見 られ るの であ るが

︑他 方ウ ルバ ヌス の立 場か らは

︑彼 女は 法王 の冷 徹な 外交 上軍 事上 の計 算の 中で

︑ド イツ 王と 対 抗 しよ うと 考え る時 の駒 とな った とも 見ら れて いる ので ある

'

︒王 のハ イン リヒ が イ タ リア へ 来 る可 能 性 のあ る 中 で

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 132 ―

(5)

苦 しい 状況 にあ る法 王は

︑強 力な 支え を求 めて おり

︑そ れを この 結婚 に見 出し たの であ る!

︒ この 結婚 は︑ 一〇 八九 年九 月初 めか ら十 一月 初め の間 に行 われ

"

︑王 のイ タリ ア 行 が 翌一

〇 九

〇年 三 月 に行 わ れ た の で︑ この 時間 的な 流れ から だけ 見る と︑ この 結婚 が王 のイ タリ ア行 を促 した とも 言え るの であ る︒ 例え ばク ノー ナ ウ は︑ この 結婚 の結 果︑ 北伊 での 戦い がこ れま で以 上に 激し くな った 時︑ 王は イタ リア での 彼の 立場 の主 な代 表者 で あ る﹁ 対 立﹂ 法王 のク レメ ンス 三世 を敗 北さ せな いよ うに 促さ れ︑ さら にこ れま での よう に息 子の コン ラー トに 任せ ず に

︑自 らイ タリ アの 諸件 を引 き受 ける ため にイ タリ アへ 行っ たと 述べ て い る#

︒ こ れに 対 し ロビ ン ソ ンは

︑王 の イ タ リ ア行 は︑ この 結婚 への パニ ック 的な 反応 であ った かの よう に見 える が︑ イタ リア 行は そん な突 然の 政治 的な 危機 へ の 反応 では なく

︑以 前か ら長 く考 えら れて いた 計画 の結 果と し︑ むし ろ結 婚が 王の イタ リア 行の 脅威 への 法王 の反 応 で あっ たと して いる

$

︒チ ーゼ も︑ この 結婚 が王 のイ タリ ア行 のき っか けで は な く︑ 逆 にイ タ リ ア行 に よ って も た ら さ れる マテ ィル デや 法王 の支 持者 にと って の脅 威が

︑結 婚を 引き 起し たと し︑ この 結婚 をこ の王 の動 きへ の法 王の 必 死 の妨 害工 作の 結果 生れ たも のと 見て いる ので ある

%

︒ 当時 ドイ ツで は︑ 一〇 八九 年末 ごろ 王の 状況 は非 常に よく

︑反 王派 は王 との 和を 求め てい た︑ とい うよ り和 を余 儀 な くさ れて いた

&

︒ベ ルノ ルト は︑ ドイ ツで は﹁ しか し既 に長 い間 続 い てい た 対 立が 少 し 冷め 始 め⁝

⁝︑

︵ 敵 味方 は

︶ お 互い に戦 争す るよ り和 を結 ぶ方 が賢 明と 判 断 し﹂

︑反 王 派 は王 と 協 議 し︑ 王が

﹁ 対立

﹂法 王 の ク レメ ン ス 三世 を 放 棄 す るな ら︑ 協力 する こと を約 束し たの で︑ 王も 味 方 の諸 侯︵ 司 教

︶が こ れ に同 意 す る なら

︑﹁ こ れ にそ ん な に反 対 し な い

﹂と 述べ たこ とを 伝え て い る'

︒ ベル ノ ル ト によ れ ば︑ 王 も反 王 派 も戦 争 終 結 を望 ん で おり

(

こ の 和 の交 渉 は 一

〇 九〇 年の はじ めま で続 けら れた ので ある

)

︒ しか し一 方で

︑マ ティ ルデ との 結婚 への 動き は︑ この 和の 動き の成 功へ の見 通し を害 し︑ ヴェ ルフ 四世 は和 の交 渉

― 133 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(6)

よ り も︑ 息 子の 結 婚 に結 び つ け られ た の であ

!

︒王 の イ タ リ ア 行 は

︑結 局 ド イ ツ で の 和 の 実 現 な し に 始 め ら れ た が"

︑こ れが 右の 動き の中 で王 が和 の交 渉を 断念 した ため なの か︑ なお 継続 への 意 志 が ある 中 で なさ れ た のか は 明 ら か では ない もの の︑ やは りマ ティ ルデ の結 婚に よる 状況 の変 化に 促さ れた もの と言 えよ う︒ クノ ーナ ウは

︑王 は今 や マ ティ ルデ への 戦い に出 発し たと 述べ てい るが

︑既 にマ ティ ルデ の夫 のヴ ェル フ五 世と イタ リア での 王の 支持 者の 間 で は戦 いが 始ま って いた ので ある

#

︒ マテ ィル デの 結婚 と王 のイ タリ ア行 の因 果関 係は 結局

︑ロ ビン ソン やチ ーゼ が見 るほ どに は従 来の 説と 対立 した も の では なく

︑こ の結 婚に はマ ティ ルデ や法 王側 の劣 勢や ドイ ツで の和 の動 き︑ さら に王 のイ タリ ア行 への 懸念 が一 つ の 背景 にあ った こと は確 かで ある が︑ しか しこ の既 に以 前か ら考 えら れて いた 王の イタ リア 行も

︑そ の実 施は マテ ィ ル デの 結婚 が直 接の きっ かけ にな った と見 る方 がよ り自 然で あろ う︒ 上述 のよ うに

︑こ の結 婚に よっ て生 じた 北伊 で の 状況 の変 化が

︑王 のイ タリ ア行 を急 がせ たと 見ら れる から であ る︒ さら にこ の結 婚へ の動 きに つい て︑ 法王 とい うよ りも

︑ヴ ェル フ家 それ も当 のヴ ェル フ五 世と いう より も︑ その 父 ヴ ェル フ四 世が 進め たと も見 られ るの であ る$

︒ ただ この 場合 も︑ 結婚 への 提 案 は︑ 法 王を 通 し てマ テ ィ ルデ に な さ れ た と 見ら れ る ので

%

こ の 場 合 なら 法 王 の役 割 は ヴェ ル フ 家 のこ の 計 画を 促 進 す る こ と に あ っ た こ と に な ろ う&

︒ も とも とヴ ェル フ四 世は 北伊 のエ ステ 辺境 伯家 の出 であ り︑ マテ ィル デの 財産 なり

︑彼 自身 のイ タリ アで の権 力拡 大 を 狙っ てい たの であ る'

︒ ヴェ ルフ 四世 は︑ エス テ辺 境伯 アル ベル ト・ アッ ツ ォ 二 世の 子 で あり

︑母 が ヴ ェル フ 家 の 出 身と いう こと で︑ ヴェ ルフ 家を 継い だた め︑ 出身 地の イタ リア への 関心 が強 く︑ 彼は イタ リア での 新た な権 力地 位 を 築こ うと して いた ので ある

(

︒彼 の父 アッ ツォ 二世 は︑ かの カノ ッサ 事 件 の 時︑ カノ ッ サ 城に 滞 在 して お り

︑マ テ ィ ルデ とも 親し い関 係に あっ たの であ る)

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 134 ―

(7)

この 結婚 への また もう 一つ の見 方は

︑こ の結 婚と いう より も一 般に 結婚 とい うも のに 対す るマ ティ ルデ の思 いを も 考 える もの で︑ ゴリ ネッ リは

︑彼 女に とっ て以 前支 えで あっ たグ レゴ リウ ス七 世や ルッ カの アン セル ムス が亡 くな っ た 後︑ 彼女 は新 たな 保護 者を 求め てい たと 見て い るの で あ る︒ ゴリ ネ ッ リは

︑こ の 二 人 がい か に 重要 で あ っ たか は

︑ 彼 女 が 保 護 を 与 え て く れ る 者 を も つ た め に

︑も う 一 度 結 婚 し よ う と し た 決 心 の 中 に 測 る こ と が 出 来 る と 述 べ て い る!

︒た だこ のヴ ェル フと の結 婚の 場合 は︑ 相手 のヴ ェル フ五 世が 余り にも 若 く

︑彼 女 の期 待 す る役 割 を 果た し う る と 見ら れて いた のか とい う疑 問が 残る が︑ いず れに せよ 後述 のよ うに コス マス の年 代記 は︑ 彼女 がヴ ェル フ家 に結 婚 を 申し 出た と伝 えて いる ので ある

"

︒ さら に彼 女に とっ て︑ 結婚 によ る後 継者 の誕 生へ の希 望も

︑こ の結 婚へ の真 剣な 動機 であ った とい う一 見考 えら れ な い 見 方も

︑無 下 に は 否 定 で き な い の で あ る#

︒ E・ ゲ ー ツ は︑ カ ノ ッ サ の 諸 侯 ら が︑

﹁ 相 続 者 が い な い﹂ 場 合 は

︑ 辺 境伯 の地 位が 滅ぶ と 彼 女 に後 継 者 誕生 の た めに 結 婚 を 求め た と いう プ ラ ハの コ ス マ スの 年 代 記の 記 述 に 注目

$

︑ 後 代の フリ ード リヒ 二世 の母 の例 から して

︑四 十三 歳の マテ ィル デに も子 供の 誕生 は可 能で あっ たと 見て いる ので あ る

︒E

・ゲ ーツ は︑ マテ ィル デが 性関 係の ない 結婚 をす る決 心を した とい う現 代に まで ある 見方 を誤 りと し︑ マテ ィ ル デは 自身 の後 継者 を欲 して いた と予 想し てい るの であ る︒ E・ ゲー ツは

︑ベ ルノ ルト が︑ マテ ィル デが 結婚 を決 心 し たの を︑ 既述 のよ うに

﹁貞 潔の ない ため では なく

﹂と 述べ てい る所 にも

︑彼 がわ ざわ ざこ のよ うに 反論 して いる 彼 女 の殊 更強 いと 疑わ れる 性欲 から の結 婚で はな いに しろ

︑性 関係 のあ りう る中 で後 継者 誕生 への 僅か な可 能性

︑ぼ ん や りと した 希望 を見 てい るの であ る%

︒ ゴリ ネッ リも

︑上 記の コス マス の記 述 は

︑カ ノ ッサ 家 を 絶え さ せ たく な い と い う 願 い│ 事実 か ら そん な に 離 れて い な い動 機

│を 示 すと 見 て い る&

︒ プフ ェ ル シ

マ レツ ェ ッ クも

︑数 年 後 の 離 婚 に 関し て子 供へ の期 待が 欺か れた こと に︑ 恐ら くこ の夫 婦が 結婚 をも はや 続け たく ない とい う願 いへ の理 由が あっ た

― 135 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(8)

と 見て いる ので ある

!

︒ 右の マテ ィル デの 性欲 とい えば

︑コ スマ スが

︑彼 女が 夫の ヴェ ルフ を性 関係 へと 誘っ てい るよ うな 彼女 をや や嘲 笑 し 中傷 する 醜聞 的な 記述 がよ く知 られ てい る"

︒ この 記述 は彼 女の 行為 を嘲 笑 す る だけ で な く︑ 相手 の ヴ ェル フ の 不 能

︵な い し 彼女 と の 性関 係 へ の 忌 避︑ 嫌 悪#

│ 以 下 の﹁ 不 能﹂ と い う 表 現 に は 特 に 区 別 し な い 限 り こ の 意 味 を も 含 む

︶を も嘲 笑し てい る感 じで ある

︒ベ ルノ ルト が︑ ヴ ェル フ が 後年 マ テ ィル デ か ら 去る 時 に︑

﹁ 彼女 は 彼 によ っ て 全 く ふれ られ ない まま だっ た﹂ と断 言し たこ とを

︑彼 女は 永久 に隠 して おき た か っ たと 述 べ てい る の が$

︑ もし 事 実 な ら

︑こ れに よっ てヴ ェル フの 不能 が明 らか にな り︑ 右の コス マス の醜 聞的 な記 述が 真実 性を 帯び てく るこ とを 彼女 が 恐 れた とも 考え られ るの であ る︒ それ にし ても

︑彼 女が ヴェ ルフ の不 能を 隠し てお きた かっ たこ とを 示す ベル ノル ト の 記述 は︑ 彼女 にヴ ェル フを 不能 と知 るよ うな 性関 係へ の行 動が あっ たこ とを 示唆 する もの で︑ この 結婚 がは じめ か ら 性関 係を 考え ない 全く の偽 装の 結婚 であ った のな ら︑ ヴェ ルフ が不 能か どう かも 分か らな いの であ る%

︒ とは いえ しか しマ ティ ルデ の年 齢や 夫婦 の年 齢差 から 見て

︑こ の結 婚に は既 述の よう に政 治的 な目 的︑ 意味 があ っ て も︑ はじ めか ら性 関係 のな い形 だけ の﹁ 見せ かけ の結 婚﹂ とい う見 方 が 最 も一 般 的 であ

&

︑ク ノ ーナ ウ な ど︑ こ れ は実 際の 結婚 には なら ず︑ はじ めか ら全 く不 自然 で︑ 純粋 に外 面的 な計 算に 基づ いた もの で︑ 単に 目的 同盟 であ っ た と見 てい る'

︒ 確か にこ のよ うな 見方 は受 け入 れや すい もの だが

︑E

・ゲ ー ツ は︑ マ ティ ル デ や彼 女 の 周辺 を 見 れ ば

︑こ れは 誤っ た観 察と 見て いる ので ある

(

︒実 際︑ 性関 係が うま くい かな か っ た とし て も︑ 結 婚生 活 は あり う る の で あり

︑E

・ゲ ーツ は︑ この 結婚 は実 質的 であ っ たと 主 張 し︑ 夫の ヴ ェ ルフ 五 世 は マテ ィ ル デの 公 文 書 で︑

﹁大 公 に し て辺 境伯

﹂と して

︑彼 が第 一の 立場 で︑ 彼女 が次 の立 場で 出て くる し︑ ベル ノル トも 常に ヴェ ルフ を先 にマ ティ ル デ を次 にと いう 順序 で語 って いる こと に注 目し てい る)

︒ ベ ル ノル ト は︑ ヴ ェル フ を マテ ィ ル デ の﹁ 主人

﹂︵ 夫

︶︑ 後

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 136 ―

(9)

者 を前 者の

﹁妻

﹂と 呼び

︑ヴ ェル フを

﹁イ タリ ア大 公﹂ とも 呼ん でい る し!

︑実 際 にヴ ェ ル フが 中 心 にな っ て

﹁勇 敢 に

﹂戦 いに 参加 して いる こと を常 に語 って いる

"

︒ベ ルノ ルト は︑ ヴェ ルフ がマ テ ィ ル デの 実 際 の夫 で あ った こ と を 強 調し てい るよ うで あり

#

︑少 なく とも 表向 きは 正式 に結 婚し てい るこ とを 示そ う と し たマ テ ィ ルデ の 気 持を 反 映 し て いる 感じ であ る︒ E・ ゲー ツは

︑マ ティ ルデ はこ の結 婚を 出来 るだ け正 常な もの に見 せよ うと 努力 した と見 てい る の であ る$

︒ 見せ かけ であ れ実 質的 なも ので あれ

︑ベ ルノ ルト が︑ この 結婚 が王 のハ イン リヒ を﹁ 悲し ませ た﹂ と語 って いる こ と から する と︑ 王が この 結婚 の政 治的 な諸 結果 を重 大な もの と見 てい たこ と を 示 して い る ので あ る%

︒ 事 実こ の 結 婚 は 既述 のよ うに

︑当 時和 への 動き をし てい た王 のヴ ェル フ家 との 交渉 の失 敗 を 確 実に し た が&

︑ 王は 翌 年 の一

〇 九

〇 年 三月 末に この 結婚 によ る同 盟を 打ち 破る ため にイ タリ アへ 出発 した ので あ る'

︒イ タ リア で の 王の 状 況 は次 章 で ふ れ る が︑ は じめ は う まく い っ た 王の 状 況 もや が て 逆転 し

︑王 は 北 伊の 一 隅 に閉 じ 込 めら れ

︑ド イ ツ へ 帰 れ な く な っ た

︒王 がこ の苦 境か ら脱 しド イツ へ帰 りえ た重 要な 前提 は︑ この 結婚 が破 綻 し た こと と さ れる の で ある か ら(

︑こ の 面 から 見て も︑ この 結婚 は意 味を もっ てい たの であ り︑ ある 面で は成 功で あっ たの であ る)

︒ しか しこ の結 婚は

︑六 年後 の一

〇九 五年 四月 以降 の春 か夏 に突 然終 了 し た*

︒ 法 的に 正 式 に離 婚 し たと か

︑結 婚 の 無 効が 宣言 され たと かい うわ けで はな いが

+

︑事 実上 離婚 とな った

︒ベ ルノ ル ト は 既述 の よ うに

︑ヴ ェ ル フは マ テ ィ ル デが

﹁彼 によ って 全く ふれ られ ない まま だっ た﹂ と断 言し て彼 女か ら離 れた と述 べて いる だけ で︑ 離婚 の理 由を 挙 げ てお らず

︑そ の原 因は 明ら かで はな い,

︒ ヴェ ルフ 家側 の史 料で ある

﹃ヴ ェル フ家 の歴 史﹄

︵HistoriaWelforum

︶ も 離 婚の 理由 を挙 げて いな い-

︒ もっ とも クノ ーナ ウは

︑右 のベ ルノ ルト の 記 述 は︑ ヴェ ル フ がマ テ ィ ルデ は

﹁ふ れ ら れ な い まま だ っ た﹂ と断 言 し た こと を 離 婚の 原 因 とし て い る と見 る が.

︑ こ の﹁ ふれ ら れ ない ま ま だ った

﹂こ と を

― 137 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(10)

既 述の よう に生 理的 な﹁ 不能

﹂と 解釈 する のか

︑そ れと もヴ ェル フが 余り に年 上の マテ ィル デと の関 係を 単に 欲せ ず 嫌 った だけ と解 釈す るの かで は!

︑ 意味 は違 って くる ので ある

︒後 者の 解釈 な ら

︑こ の 離婚 は ヴ ェル フ の マテ ィ ル デ へ の忌 避︑ 嫌悪 が頂 点に 達し たた めと も見 うる ので ある

︒た だシ ュナ イト ミュ ラー が︑ この 離婚 因に つい て︑ 中世 の 結 婚は 現代 風の 恋愛 結婚 では ない ため

︑今 や成 長し たヴ ェル フと いう 若者 の解 放へ の意 志と して 解釈 すべ きで はな い と し︑ むし ろ政 治的 な枠 組が 変化 した こと に見 てい る点 も考 慮す べき だ と し ても

"

︑政 治 状 況が 離 婚 因な ら

︑後 述 の よ う に 父親 の ヴ ェル フ 四 世 がそ ん な に強 く 反 対す る こ と はな か っ たの で あ る︒ いず れ に せ よコ ス マ スが 伝 え る よ う に

︑マ ティ ルデ がヴ ェル フの 不能 に怒 って 彼を 去ら せた とい うの なら

︑政 治状 況を 考慮 しな い限 り︑ もっ と早 い時 点 で 去ら せて いた であ ろう

#

︒た だベ ルノ ルト の記 述で は上 述の よう に︑ マテ ィ ル デ が去 ら せ たと い う より

︑ヴ ェ ル フ か ら去 って 行っ た感 じな ので ある

$

︒ さら にベ ルノ ルト は︑ この 離婚 の動 きに 父の ヴェ ルフ 四世 が﹁ 非常 に怒 り︑ ロン バル ディ アに 来て

︑和 解の ため に 長 く強 く努 力し た﹂ と語 っ て いる

%

こ の 記 述 から は

︑当 の ヴェ ル フ は父 の 願 い に反 し て 去っ た よ うで あ る&

︒こ の 時 ヴェ ルフ 四世 は︑ マテ ィル デに 彼女 の所 領を 子の ヴェ ルフ に与 えさ せる ため に︑ 敵対 して いた 王の ハイ ンリ ヒに さ え 助け を求 めた とい うベ ルノ ルト の記 述か らも

'

︑こ の結 婚に 際し ヴェ ルフ 家 に と って 最 も 重要 で あ った の は

︑や は り マ テ ィル デ の 所領 の 相 続 への 期 待 であ っ た とも 見 ら れ るの で あ る(

︒こ の 期 待 が 誤 っ た 計 算 で あ っ た と 分 か っ た 時

︑離 婚へ の動 きと なっ たと も推 測さ れて いる ので ある

)

︒ヴ ェル フ家 は所 領 相 続 のみ な ら ず︒ マテ ィ ル デの 統 治 へ の 関与 も期 待し てい たが

︑彼 女が 支配 権を ヴェ ルフ 五世 とと もに する 気が なか った こと も︑ この 離婚 の背 景や 原因 と も 見 ら れて い る ので あ る*

︒ ベ ル ノル ト は︑ マ ティ ル デ がヴ ェ ル フ を﹁ 結婚 上 の 交り に お いて 知 ら な かっ た

﹂こ と

︑ 即 ち結 果的 には ヴェ ルフ の不 能か 嫌悪 のた め性 関係 がな く本 来の 意味 での 結婚 がな され なか った こと が︑ 彼女 が彼 に

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 138 ―

(11)

財 産を 譲ら なか った 原因 と見 てい る!

︒ オー バー マン は︑ ヴェ ルフ は彼 が教 会 の 道 具と し て︑ そ して 夫 の 権利 を 認 め な い妻 の夫 とし て演 じて いる 不名 誉な 役割 をま すま す意 識し 始め

︑彼 の立 場に 耐え られ なく なっ たと 評し て︑ ヴェ ル フ の離 婚へ の積 極的 な意 志を 見て いる

"

︒ これ が事 実な ら︑ マテ ィル デは 既述 のよ うに

︑こ の結 婚を 政治 上軍 事上 の舞 台と いっ た表 向き の世 界で は正 式な も の と見 せか けな がら も︑ 内で はヴ ェル フに 夫と して の内 実を 与え なか った こと にな ろう

︒こ れは 恐ら く一 見あ りえ な い と思 われ る子 供の 誕生 とも 関連 する もの で︑ 彼女 には 性関 係の 実現 や子 供が 誕生 する まで は︑ ヴェ ルフ に相 続者 と し ての 権利 を認 めな かっ た慎 重さ が見 られ るの であ る︒ これ は彼 女が 再婚 後も

︑最 初の 夫で ある ゴッ トフ リー トの サ リ ー法 に留 まっ て︑ ヴェ ルフ のア レマ ン法 に変 えな かっ た異 例さ にも 関連 す る こ とで あ ろ う#

︒ この 意 味 では 性 関 係 や 子供 の誕 生の 可能 性が なか った こと が︑ 離婚 に通 じた とも 言え るの であ る︒ い ずれ に せ よ︑ この 結 婚 が破 綻 す る と殆 ど 同 時に 政 治 状 況が 変 わ り︑ ヴェ ル フ の父 ヴ ェ ル フ四 世 は 方 向 転 換 を し て

︑二 十年 間ほ ど敵 対し てい た王 のハ イン リヒ と交 渉し 始め

︑一

〇九 六年 初 期 に 和解 し た ので あ る$

︒ こ れに よ り ア ル プス の道 は開 かれ

︑一

〇九 七年 春に 王は ドイ ツに 帰る こと が出 来た

%

ヴ ェ ル フ 家の 方 は︑ バ イエ ル ン 大公 権 を 取 り 戻し

&

︑ウ ルバ ヌス の法 王庁 か ら 離れ た の で ある

'

︒こ れ に 対す る ウ ルバ ヌ ス の 反応 は 知 られ て い ない が

︑こ れ は 彼 にと って は︑ かな りの 損失 であ った

(

︒ 一面 いわ ゆる 教会 改革 派と され るヴ ェル フ四 世の この 行動 につ いて

︑ア ルト ホフ は︑ ヴェ ルフ 家の よう な改 革派 貴 族 の中 に王 との 対立 にお いて 改革 的意 図を 見る 見方 にも 別の 見方 が出 てく ると し︑ 彼ら の改 革推 進の 意図 には 家門 的 な 動機 もか らん でい るこ と︑ つま り改 革法 王庁 への 献身 には 自身 の家 門の 利益 を考 えな いも ので はな かっ たこ とで あ り

︑こ れが 怪し くな ると

︑王 のよ うな 敵と も協 力す る程 度の 改革 志向 であ った と評 して いる

)

― 139 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(12)

とも あれ ドイ ツへ 帰っ た王 は︑ もは やイ タリ アに 来る こと はな く︑ マテ ィル デと の公 然た る戦 いは

︑こ れで もっ て 終 わっ たの であ る#

︒ マテ ィ ル デの 方 は

︑彼 女 の権 力 範 囲を 取 り 戻し

︑新 た に 編 成す る の に取 り 掛 かっ

$

︒彼 女 が こ の離 婚に どの よう に反 応し たか は明 らか では ない が︑ オー バー マン は︑ この 離婚 は彼 女に は全 く望 まし いも ので あ っ たと 見て いる

%

︒確 かに ドニ ゾー が︑ 彼女 の最 初の 結婚 もこ の結 婚も 伝え て い な いの は

︑彼 女 にこ の 二 度の 結 婚 を 思 い出 させ たく なか った から とも 見ら れて いる が&

︑ 彼女 には ヴェ ルフ との 結 婚 は︑ 恐 らく 最 初 の夫 の 時 以上 に よ い 思 い出 では なか った のか もし れな い︒ 彼女 は最 初の 夫の ゴッ トフ リー トに つい ては

︑彼 の没 後に も﹁ 私の 夫﹂ とい う 言 葉を 使っ てい るの に'

︑ ヴ ェル フ の 名 は離 婚 後 は彼 女 の すべ て の 文 書か ら 消 えた の で ある

(

し か しW

・ゲ ー ツ も 観 察す るよ うに

︑こ の結 婚の 失敗 は彼 女の 心を 気楽 にさ せた のか は疑 問で

︑後 にグ イド ーを 養子 にす るよ うに

︑男 の 支 えの ない 彼女 はや はり 弱く 不安 な気 持ち の中 にあ った と見 るべ きで あろ う)

! 注

W.Goez,ÜberdieMathildischenSchenkungenandieRömischeKirche.

︵FMSt31.1997

│ 以 下W.G.Ma

と 略 す

S.176.

・ ゲ ー ツ は 十 二 年 と す る が

︑ 一

〇 七 六 年 二 月 か ら 一

〇 八 九 年 は じ め と し て も

︑ ほ ぼ 十 三 年 で あ る

"

・ ゲ ー ツ は

︑ こ れ を

﹁ 不 自 然 な 結 婚

﹂ と 表 現 し

︵ibid,S.176

︶︑ マ テ ィ ル デ を 笑 い 物 に す る エ ピ ソ ー ド が 始 ま っ た と 述 べ て い る

︒ ボ ス ホ ー フ は

︑ い わ ゆ る 教 会 改 革 派 に と っ て さ え 不 快 感 を 与 え る こ の 結 婚 と 表 現 し て い る が

︑ プ フ ェ ル シ

マ レ ツ ェ ッ ク は

︑ 妻 が 年 上 で あ っ た 事 情 が 特 別 な 注 目 を お こ し た の か ど う か は 分 か ら な い と し て い る

︒ な お

︑ ヴ ェ ル フ 五 世 は 一 般 に 証 拠 な し に 十 七 歳 と さ れ て い る が

︑ E

・ ゲ ー ツ は 十 五

〜 十 七 歳 と 見

︑ ベ ッ カ ー は 十 八 歳 ご ろ と 見 て い る

W.G.S.194.E.Boshof,S.256.B.Pfer.S.168.

T.Struve,S.82.M.v.K.IV.S.274.

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 140 ―

(13)

E.Goez,WelfV.undMathildevonCanossa.

︵D.R.Bauer−M.Becher

︵Hg

︶gurit.zeendeWreinelfi,seüshlScIV.elfW2004

│ 以 下

︑E.G.We.

と 略 す

│S.361,361.Anm.14,369.

A.Becker,PapstUrbanII.

︵1088−1099

︶TeilI

︵1964

︶S.120−121.

!E.G.We.S.362−363.363.Anm.19.

後 注

︑*

︑ 参 照

︒ こ の 結 婚 に つ い て は

︑ ド ニ ゾ ー の み な ら ず

︑ 同 時 代 の イ タ リ ア の 史 料 は す べ て 何 も 語 っ て い な い

︒ ア ル プ ス の 北 の 史 料 の み が 語 っ て い る

"

BertholdietBernoldiChronica.

︵AQ.Bd.XIV.2002

│ 以 下BC.

と 略 す

│S.368−369.

Eleventh­centuryGermany.TheSwabianchronicles.

︵tr.&an.byI.S.Robinson,2008

│ 以 下

︑SC.

と 略 す

│p.297.

E.G.We.S.363.

#E.G.S.139.

後 述 の よ う に

︵ 後 注

︑)

︶︑ コ ス マ ス の 記 述 か ら も 悪 い 噂 の 存 在 が 十 分 感 じ ら れ る

$G.G.E..176.Sa.M.E.W.361.Se.WG.S.138.

P.G.S.246.M.v.K.IV.S.259,265.

D.J.Hay,ThemilitaryleadershipofMathildaofCanossa,1046−1115.

︵2008

︶p.124.

拙 稿

︑﹁ ロ ー マ を め ぐ る 法 王 権−

﹁ 対 立 法 王

﹂ ク レ メ ン ス 三 世 の 場 合

﹂︑ +︑ 文 化 学 年 報

︑ 第 四 十 輯

︑︵ 平 成 三 年

︶︑ 一 六 ペ ー ジ

%SS,hofBosE..67.,P.ruveStT.247.−S.246G..256.

当 時 ヴ ェ ル フ 四 世 は

︑ 王 の 頑 強 な 敵

︑ 対 立 者 で あ り

︑ 一

〇 七 六 年 以 来

︑ 最 も 影 響 力 の あ る 敵 の 一 人 で あ っ た

︒ こ う し て マ テ ィ ル デ と ヴ ェ ル フ 家 と ウ ル バ ヌ ス の 利 益 の 結 合 が 生 れ た

G.Althoff,S.209.I.S.Robinson,p.295.E.G.We.S.360.A.O.S.246.

&

D.J.Hay,p.124,126−127.

' ヘ イ 自 身 も

︑ 彼 女 と と も に ウ ル バ ヌ ス も

︑ こ の 結 婚 が 王 の イ タ リ ア 行 を 阻 止 す る も の と 期 待 し て い た と 見 て い る の で あ る

ibid,p.124

(f,.274,S.IVK.v..MS.209.thofP.AlG..168.Ser.PfB.S.246.G.276.

― 141 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(14)

A.O.S.155,244.E.G.S.139.E.G.We.S.361,364.

T.Struve,S.67,82.W.G.S.195.

W.Giesebrecht,GeschichtederdeutschenKaiserzeit.Bd.III.

︵1929

︶.S.541.

M.Weitlauff,Das

” welfische

Jahrhundert“inBayernundseinKirchengeschichtlicherHintergrund.

︵W.Hechberger−F.Schuller

︵Hg

︶,Staufer&Welfen,2009

︶S.18.

A.Fliche

︵etV.Martin

︶,HistoiredeL’Église,8.

︵1946

︶.p.240.

!WG..W368.−.367Se.G.T.E.S.245.O.A..67.S,ruveStS.195.

・ ゲ ー ツ も

︑ ベ ル ノ ル ト は こ の 服 従 が マ テ ィ ル デ の 結 婚 へ の 同 意 の 唯 一 で は な い し に し て も

︑ 決 定 的 な 理 由 で あ っ た と し て い る と 評 し て い る

"

W.G.S.194.T.Struve,S.82.A.Becker,S.120.

シ ュ ト ル ー ヴ ェ も

︑ 彼 女 は 法 王 政 策 の 道 具 に 濫 用 さ れ る 危 険 が あ っ た と 見

︑ ベ ッ カ ー は こ う し て 法 王 は 悪 名 高 い 軍 事 条 約 的 結 婚 を 実 現 し た と 述 べ て い る

#.176.−.364Se.WG.E.SA.a.MG..WS.245.O.365.

も っ と も E

・ ゲ ー ツ は

︑ 北 伊 の 軍 事 状 況 の 改 善 の た め に

︑ 法 王 は こ の 結 婚 を 強 く 勧 め た と い う ベ ル ノ ル ト の 記 述 は 説 得 力 が 少 な い と も 見 て い る

$I.S.Robinson,p.280.

%M.v.K.IV.S.276.

前 掲 拙 稿

︑ 平 成 三 年

︑ 一 七 ペ ー ジ

&

I.S.Robinson,p.280.D.J.Hay,p.125.

'erslemenCtpspaenGegDJ..naenRavnvoertWibZiese,III.

︵1084−1100

︶.

︵1982

︶S.182−183.

同 様 に ベ ッ カ ー や ヘ イ も

︑ こ の 結 婚 を 王 の ロ ー マ 行︵ イ タ リ ア 行

︶を 妨 害

・ 阻 止 す る た め で あ っ た と 見 て い る

A.Becker,S.120.D.J.Hay,p.124.

(M.v.K.IV.S.259.D.J.Hay,p.124.

前 掲 拙 稿

︑ 平 成 三 年

︑ 一 七 ペ ー ジ

︒ )BC.S.370−371.SC.p.298.

ベ ル ノ ル ト の 記 述 の 順 序 で は

︑ マ テ ィ ル デ の 結 婚 の 後 に こ の 記 述 が あ る が

︑﹁ し か し 既 に

﹂ と 表 現 し て い る よ う に

︑ こ の 和

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 142 ―

(15)

の 動 き は 結 婚 以 前 か ら あ っ た と 見 ら れ る

!M.v.K.IV.S.259.

"

M.v.K.IV.S.260.

ク ノ ー ナ ウ は

︑ 対 立 点 が 強 す ぎ た と 見 て い る が

︑ 王 派 の 諸 侯 は 相 手 の 上 記 の 条 件 に 同 意 し な か っ た

#M.v.K.IV.S.276.A.Fliche,p.240.

フ リ シ ュ は 逆 に

︑ ウ ル バ ヌ ス は こ の 結 婚 が ド イ ツ で の 和 の 交 渉 の 成 功 を 早 め る と 期 待 し た と 見 て い る

︒ フ リ シ ュ は 恐 ら く 和 の 交 渉 に﹁ 対 立

﹂法 王 放 棄 の 条 件 が あ っ た こ と に 法 王 の 期 待 が あ っ た と 見 て い る よ う だ が

︑ こ れ は こ の 結 婚 へ の 法 王 の 画 策 と 矛 盾 し て い よ う

︒ む し ろ 法 王 は

︑ 右 の 条 件 が 無 視 さ れ て 和 が 実 現 す る こ と を 恐 れ て い た と 言 え よ う

$J.Ziese,S.183.

%M.v.K.IV.S.277.

&

E.Boshof,S.251.I.S.Robinson,p.280.A.Becker,S.121.Anm.406.

'papstituveinlerpettalonellaatoalL.aMatildntessacodellautontribcoIlni,Simeore.

︵SG.I.1947

︶p.362.

(nsS,hofBosE.p.280.on,RobiA.S.I..121.Ser,ckBe.256.

)A.Becker,S.121.M.Weitlauff,S.18,L.Simeoni,p.362.

A.O.S.245.E.G.We.S.366.LM.Bd.VIII.

︵1997

︶Sp.2140.

B.Schneidmüller,DieWelfen.

︵2000

︶S.144.

も っ と も シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー は

︑ ヴ ェ ル フ 家 が マ テ ィ ル デ の 財 産 へ の 期 待 を し て い た の か ど う か は 明 ら か で な い と 見 て い る

*ibid,S.128.

+LM.Bd.VIII.Sp.2144−45.E.G.We.S.361.

本 論

︑ 第 三 章

︑ 注

︑&

︑ 六 一 六 ペ ー ジ

︒ ,P.G.p.208,246.W.G.S.190.V.F.S.37−38.Do.

一 四 五

︑ 二 八 五

│ 二 九

〇 ペ ー ジ

︒ - 後 注

︑/

︑ 参 照

︒ .E.G.We.S.369.

シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー な ど は ご く 常 識 的 に

︑ 目 立 っ た 年 齢 差 の た め に 子 供 の こ と は 殆 ど 期 待 さ せ な か っ た と し て い る

B.Schneidmüller,WelfIV.1101−2001.

︵WelfIV.op.cit.

︶S.24.

― 143 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(16)

!CosmaechronicaBoemorum.

︵MGH.SS.IX.1983

︶S.88−89.

TheChronicleoftheCzechs.CosmasofPrague.

︵tr.by.L.Wolverton,2009

︶p.153−155.P.G.S.250−252.

"

E.G.S.139.E.G.We.S.367−368.

#P.G.S.253.

$B.Pfer.S.168.

%hr−p.154.asmCos.cleoniCCThe89.−88S.nica,rochosmae155.

A.O.S.161.M.v.K.IV.S.274.Anm.63.P.G.S.250−253.E.G.S.139.

&

E.G.S.139.

'BC.S.410−411.SC.p.323.

(

﹃ ヴ ェ ル フ 家 の 系 譜

﹄ は

︑ ヴ ェ ル フ が

﹁ 子 供 が な く

︑ 亡 く な っ た

﹂ と 伝 え て い る が

︑ こ の こ と が 生 理 的 な 不 能 を 証 明 し て い る と は 言 え な い の で あ る

︒ な お 彼 は マ テ ィ ル デ が 亡 く な っ た あ と も 結 婚 し て い な い

GenealogiaWelforum.

︵ 後 注

︑/

︑HistoriaWelforum.2007.

︶S.26−27.LM.VIII.

︵1997

︶Sp.2146.

HistoriaWelforum

︵ 後 注

︑/

E.König,1978

︶S.80−81,84−85.

)W.G.S.195,197.A.O.S.155,161.T.Struve,S.80.

W.Giesebrecht,S.541.

*M.v.K.IV.S.274,448.W.G.S.195.

+E.G.S.139.E.G.We.S.369.

,43.y,HaJ.D.141.−S.139r.E.NUk..373.Se.WG.p.127.

但 し 問 題 の 公 文 書 は

︑ 一

〇 九

〇 年 六 月 の マ ン ト ヴ ァ 市 民 宛 の 文 書 一 通 の み で

︑ こ こ で は

﹁ 大 公 に し て 辺 境 伯 ヴ ェ ル フ と 女 伯 マ テ ィ ル デ

﹂ と 表 示 さ れ て い る

︒ な お ヘ イ は

︑ こ の 順 序 の 問 題 を 単 に 書 記 の 慣 習 に す ぎ な い と し て い る

︒ -BC.S.384−385,390−395.SC.p.307,309,311−313.

. ベ ル ノ ル ト は

︑﹁ 勇 敢 に

﹂︵viriliter

︶ と い う 言 葉 を ヴ ェ ル フ に 何 度 も 使 っ て い る が

︑ E

・ ゲ ー ツ は

︑ ヴ ェ ル フ は 実 際 に 結 婚 後 急 速 に 如 才 な い 将 軍 に 成 長 し た と 見 て い る

BC.S.374−375,384−385,392−393.SC.p.300,307,312.

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 144 ―

(17)

E.G.S.139,141.E.G.We.S.370.D.J.Hay.p.128.

!P.G.S.249.

ゴ リ ネ ッ リ は

︑ ベ ル ノ ル ト は 妻

・ 女 の 役 割 を 弱 め

︑ 夫

・ 男 の 重 要 性 を 強 調 し て い る と 見 て い る

"

E.G.S.139.

#S.209.t,chreebesGi.Wf,BC.thofAlG.p.297.SC.369.−S.368S.342.

E.G.We.S.369−370.B.Schneidmüller,DieWelfen,S.144.

・ ゲ ー ツ や シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー は

︑ こ の 結 婚 は 王 に と っ て 全 力 で 対 抗 し な け れ ば な ら な か っ た 挑 戦 で あ っ た と し

︑ こ の 夫 婦 は 北 伊 で は い わ ゆ る 改 革 派 の 砦 と な っ た と 述 べ て い る

$W.Giesebrecht,S.541.I.S.Robinson,p.280.

ギ ー ゼ ブ レ ヒ ト は

︑ ウ ル バ ヌ ス は 王 と ヴ ェ ル フ 家 の 和 解 を 恐 れ て 同 家 を 自 派 に 留 め る た め に

︑ マ テ ィ ル デ の 財 産 獲 得 へ の 見 込 み の 中 で ヴ ェ ル フ 家 に 彼 女 と の 結 婚 を 勧 め た と 見 て い る

%Gi−S.342t,chreebes.I.W281.−p.280on,nsRobiS.345.

&

E.Boshof,S.259.T.Struve,S.80.B.Pfer.S.169.

'E.G.S.138.A.Becker,S.133.B.Pfer.S.168.

(Sf,thofAlG..133.Ser,ckBeA.448.−.447.E.IVK.v..MS.161.O.A..373.Se.WG.S.220.

)E.G.S.146.LM.VIII.

︵1997

︶Sp.2146.

ち な み に 彼 女 は そ の 後 結 婚 し て い な い

*BC.S.410−411.SC.p.323.M.Weitlauff,S.18.G.Althoff,S.220.

+HistoriaWelforumWeingartensis.

︵MGH.SS.XXI.1963

︶S.462.

HistoriaWelforum.

︵übv.E.König.1978

︶S.24−25.

HistoriaWelforumcumcontinuationeStaingademensi.

︵AQ.Bd.18b.2007

︶S.52−53.

,M.v.K.IV.S.448.

-W.G.S.195.

も っ と も W

・ ゲ ー ツ な ど は

︑﹁ ふ れ ら れ な い ま ま だ っ た

﹂ こ と を こ の 結 婚 が 目 的 同 盟 に す ぎ ず

︑ 見 せ か け の 結 婚 で あ っ た こ と を 示 す も の と し て

︑ 始 め か ら 性 関 係 を 考 え て い な か っ た と 見 て い る

︒ .B.Schneidmüller,WelfIV,S.26.

/chr,asmCos.cleoniTheCosS.89.,caronichaemp.155.

― 145 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(18)

E.G.S.139.

も っ と も 不 能 と い う よ り

︑ 上 述 の よ う に 単 に 嫌 悪 な い し 欲 し な か っ た と い う の な ら

︑ 時 間 が 経 て ば 状 況 も 変 わ る 可 能 性 が あ り

︑ 必 ず し も 彼 を 早 く 去 ら す こ と は な か っ た で あ ろ う

︒ E

・ ゲ ー ツ は む し ろ

︑ こ の 結 婚 が 長 く 続 い た こ と に 注 目 し て い る の で あ る

"

BC.S.410−411.SC.p.323.G.Althoff,S.220.

#f,on,nsRobiS.I.S.220.thofBC.AlG.p.323.SC.411.−S.410p.295.

$E.G.S.146.

%BC.S.410−411.SC.p.323.

&

G.Althoff,S.220−221.A.O.S.245.

'on,Sa.MG..Wp.295.nsG.RobiS.I.S.220.f,thofAl.177.

M.v.K.IV.S.448.E.Boshof,S.259.

(Robi−1073yacapPTheon,nsS.A.I..80.S,ruveStT.245.SO.1198.

︵1990

︶p.419.

)mülen,elfWeDir,leidBC.hneScB.p.323.SC.411.−S.410S.145.

こ の

﹁ 結 婚 上 の 交 り

﹂︵maritaliopere

︶ のopere

を ロ ビ ン ソ ン の よ う に

﹁ 義 務

﹂﹁ 知 識

﹂ な ど と 訳 さ ず に

︑ シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー は

﹁ 交 り

﹂ と 訳 し て い る が

︑ こ れ が よ り 的 確 な 訳 で あ ろ う

︒ な お ロ ビ ン ソ ン は

︑ 以 前 の 独 訳

︵BC

︶ で は 主 語 を マ テ ィ ル デ に し て い る の に

︑ 後 の 英 訳

︵SC

︶ で は 主 語 を ヴ ェ ル フ に し て い る

*A.O.S.245.W.G.Ma.S.177.

こ の よ う な 政 治 的 な 面 で の 私 的

・ 個 人 的 な 意 志 表 明 は

︑ 中 世 で も 当 然 あ る も の で

︑ 前 注

︑! の 現 代 風 の 恋 愛 の 問 題 と は 違 う も の で あ る

︒ +A.O.S.246.W.G.Ma.S.176.

オ ー バ ー マ ン は

︑ マ テ ィ ル デ が サ リ ー 法 に 留 ま っ た こ と は

︑ 彼 女 が こ の 結 婚 に い か に 価 値 を お い て い な か っ た か を 示 す と 見 て い る が

︑ こ れ は 性 関 係 や 子 供 の 誕 生 ま で の 慎 重 な 処 置 と 見 る べ き で あ ろ う

︒ .26.müly,p.295.B.SchneidleHer,WelfIV,Snron,RobiS.I.ns ,WG.S.146.E.G.E.e.SA.O.S.161..373.

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 146 ―

(19)

B.Pfer.S.169−170.V.F.S.96.

シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー は

︑ 王 と ヴ ェ ル フ 四 世 と の 和 を

︑ こ の 二 人 は 出 口 の な い よ う に 見 え る 対 立 に 疲 れ て 出 合 っ た と も 見 て い る

!on,S,ruveStT.p.296.y,nrHensB.RobiS.I.S.96.F.V..170.Ser.Pf.81.

"

B.Schneidmüller,DieWelfen,S.145.M.Weitlauff,S.17.

ヴ ェ ル フ 四 世 は

︑ 対 立 王 の ル ー ド ル フ の 擁 立 の 立 役 者 の 一 人 で

︑ ハ イ ン リ ヒ は 一

〇 七 七 年 五 月 に 彼 を 大 公 位 か ら 罷 免 し

︑ こ れ 以 来 両 者 は こ れ を め ぐ っ て 対 立 し て い た

#V.F.S.96.

$ScS,IVelfWr,lemülidhneB.A.S.222.f,thofAlG..133.Ser,ckBe.26.

ア ル ト ホ フ は

︑ こ の 和 は い わ ゆ る 改 革 派 に と っ て 理 解 し が た い も の で あ っ た と 評 し

︑ シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー も

︑ 彼 ら 改 革 派 は こ の 事 態 に 恥 入 っ て 沈 黙 し た と 述 べ て い る

%G.Althoff,S.220−221.

&

T.Struve,S.81.W.G.S.197.

・ ゲ ー ツ は

︑ 王 は も は や イ タ リ ア に 向 け て 文 書 を 出 す こ と も な か っ た と 評 し て い る

︒ 'E.G.S.146.

ち な み に E

・ ゲ ー ツ が こ こ で マ テ ィ ル デ が 勢 力 を

﹁ 取 り 戻 し た

﹂ と 見 て い る こ と は

︑ 逆 に 相 手 の 対 立 す る 王 の イ タ リ ア で の 状 況 が

︑ 必 ず し も 既 述 の よ う に

﹁ 苦 境

﹂ と ば か り は 言 え な い こ と を 示 し て い る

︒ (A.O.S.245.

)E.G.We.S.362−363.

* 本 論

︑ 第 一 章

︑ 注

︑#

︑ 参 照

︒ +E.G.We.S.363.Anm.19.

,W.G.S.197.

本 論

︑ 後 章

︵ 第 七 章

︶ 参 照

― 147 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(20)

五 マテ

ィル デと ヴェ ルフ の結 婚後

︑ま もな く一

〇九

〇年 三月 に︑ 王の ハイ ンリ ヒは 三度 目の イタ リア 行に 出発 し︑ マ テ ィ ル デと の 対 立は 決 定 的 な段 階 に 達し

!

︒王 は まず カ ノ ッ サ家 の 重 要な 拠 点 で あ る マ ン ト ヴ ァ"

を 包 囲 し た が

︑ 頑 強 な 抵抗 に 遭 い︑ 一年 近 く 掛 かっ て 翌 年の 四 月 にこ の 町 を 征服 し た#

︒ ド ニゾ ー は︑

﹁ 王の 軍 勢 は︑ 繰 り返 し 激 し く 都市 を攻 撃し た︒ 市民 たち は︑ 女伯 の精 兵た ちと とも に出 撃﹂ し︑ 王の 軍を

﹁倒 し︑ 打ち くだ き︑ 追い 払っ た﹂ と 語 って いる が$

︑ この 精兵 の中 にマ ティ ルデ の夫 のヴ ェル フが いる と見 ら れ

︑ヘ イ も︑ 彼が 防 衛 に力 を 尽 くし た と 見 て いる ので ある

%

︒ さら に王 はマ ティ ルデ の他 の拠 点に も害 を加 え︑ 一〇 九二 年ま でに 王軍 は 彼 女 への 戦 い に非 常 に 成功 し た&

︒一

〇 九 二年 夏に は王 はモ ンテ ヴェ ッリ オ城 を包 囲し

︑戦 況は 彼女 にと って 絶望 的 に な った

'

︒こ の 包 囲に は 抵 抗し て い た も のの

︑彼 女は これ まで の一 連の 敗北 のあ と︑ 王と の和 を求 める 臣下 の強 い厭 戦気 分に 負け て︑ 九月 には 王と の和 平 交 渉に 入っ たの であ る(

︒ 王側 の和 平提 案は

︑王 が支 持す る﹁ 対 立﹂ 法王 のク レメ ン ス 三 世の 承 認 を求 め る とい う 彼 女 に とっ ては 厄介 な問 題以 外は

︑非 常に 穏や かな もの であ った

)

︒城 の包 囲が 続 く 中︑ 彼 女は こ の 和平 へ の 動き に 抵 抗 し たも のの

︑結 局こ の和 平を 受け 入れ ざる を得 ない 方向 だっ たが

︑土 壇場 で隠 修士 のヨ ハネ スが 反対 して 皆の 意見 を 変 え た ため

︑戦 い は 続け ら れ る こと に な った

*

ド ニ ゾ ーに よ れ ば︑ こ の続 行 さ れた 戦 い の中 で

︑﹁ 王 の 息子 の 一 人 が 倒れ

︑王 はこ れを はな はだ 悲し み⁝

⁝﹂ と語 って いる が+

︑ この 息子 は 庶 子 と見 ら れ︑ ヘ イは

︑守 備 隊 が出 撃 し て 深 く王 の軍 に入 り︑ 王の 息子 を殺 した と見 てい る,

︒ とも かく 彼女 が最 後の 土壇 場 で 和 平条 約 に 署名 す る のを 拒 否 し

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 148 ―

(21)

た のは

︑こ のヨ ハネ スの 頑強 な抵 抗の お蔭 であ った

!

︒こ の決 定が この 戦争 に お け る転 換 点 であ っ た し︑ 改革 派 の 法 王 庁の 歴史 にと って も運 命的 な日 であ った

"

︒ こう して モン テヴ ェッ リオ 城の 攻略 が失 敗し 包囲 から 撤退 する こと にな っ た 王 には

#

︑こ れ ま で続 い て いた 一 連 の 勝 利︑ 成功 は起 らな くな り始 めた

$

︒こ の撤 退の あと 王は やが て十 月に カノ ッ サ 城 への 攻 撃 に向 か っ た︒ これ に 対 し マ ティ ルデ は︑ ビア ンネ ロ城 に戻 り防 衛を 組織 した

%

︒ド ニゾ ー は

︑王 は かつ て の﹁ カ ノッ サ で の屈 辱

﹂に 今 や﹁ 復 讐 する 機会 が訪 れた と信 じた

﹂と 語っ てい る&

︒ ドニ ゾー によ ると しか し

︑カ ノ ッ サ城 の 周 辺で は

﹁突 然 巨大 な 霧 が 沸 き 起 り﹂

︑こ の

﹁深 い 霧の た め に︑ 誰 にも 砦 が 見え な か った

﹂中

'

︑形 勢 が 逆転 し

︑マ テ ィル デ に と っ て 戦 い が 有 利 に な っ た の で あ る(

︒ 守 備 隊 が こ の 濃 い 霧 を 利 用 し て 出 撃 し た た め 包 囲 軍 は 不 意 を つ か れ︑ 王 は 撤 退 を 命 じ た)

︒カ ノッ サ城 攻撃 は全 く 失 敗に 終 っ た ので あ る*

︒ こ の戦 い を ヘイ は

︑守 備 側 から の 大 した 反 撃 もな く

︑静 か な 動 きの ない 防衛 であ った とし

︑王 はカ ノッ サで 壊滅 的な 敗北 を喫 しな かっ たと して いる

︒そ して 目立 つの は︑ 王の 軍 旗 を 奪 った 唯 一 人 の 兵 の 行 為 だ っ た と し

︑こ の 兵 の 行 為 を

﹁勇 敢 で

﹂﹁ 英 雄 的

﹂な 行 為 と し て ヘ イ は 強 調 し て い る が+

︑ド ニ ゾ ーは

︑こ の 兵 は軍 旗 を も つ人 物 が 落馬 し た の で︑ そ の 隙 に 彼 か ら 軍 旗 を 取 っ た こ と を 伝 え て い る だ け で

︑こ れは 大し て英 雄的 で勇 敢な 行為 でも ない もの であ る,

︒ それ にヘ イは 戦い ら し い 戦い が な かっ た か のよ う に 見 て いる が︑ この 軍旗 をも つ人 物が 落馬 した のも

︑彼 の近 くに 敵の 槍が 迫っ て来 たた め︑ これ を避 けよ うと して 落馬 し た ので あり

︑こ の旗 を奪 った 兵も 近く で戦 って いた から こそ

︑こ の様 子が 見え たの であ る︒ 濃霧 の中 で城 中に いて 遠 く から 眺め てい ては

︑こ の落 馬の 様子 は分 から ない ので あり

︑単 なる 城の 中か らの 防衛 では なく

︑城 外で の戦 いが あ っ たこ とを 示し てい るの であ る︒ ドニ ゾー も﹁ 栄え ある 人々 は戦 った

︒王 の軍 勢は

︑槍 を投 げら れ︑ 傷つ いた

﹂と 述 べ

︑あ る 兵 は︑

﹁槍 を も って 多 く の 敵兵 の 腕 をへ し 折 って い た﹂ と 語 って い る よう

-

︑戦 い はあ っ た の で あ り︑ 王

― 149 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(22)

は 戦い もな く撤 退し たの では ない ので ある

︒ とも かく この 戦い で王 が軍 旗を 奪わ れた こ とは 大 変 不名 誉 な こと で あ り︑ ド ニゾ ー は︑

﹁ 軍旗 の 喪 失は

︑敗 北 を 意 味 する

﹂と 述べ

︑﹁ こ れ以 後﹂ 王は

﹁﹃ 敗走 者﹄ と呼 ばれ る汚 名が 生れ る に い たっ た

﹂と 語 って い る!

︒ 王 はこ の 結 果 ポ ー川 の 北 に 退き

︑翌 年 に はヴ ェ ロ ーナ の 方 へ 追い や ら れる こ と にな っ た"

︒ド ニ ゾー は

︑﹁ 王 の心 は 非 常に 重 か っ た

︒な ぜな ら彼 にと って 時運 が一 変し たこ とを 悟っ たか ら﹂ と語 って いる が︑ 王に とっ てカ ノッ サは

︑二 度目 の運 命 の 場と なっ たの であ る#

︒ マテ ィル デ側 にと って これ は戦 力の 差に よる 本物 の勝 利と いう より も$

︑ 天候 に 幸 い され た 偶 然の 勝 利 にす ぎ な か っ たが

%

︑戦 いと いう もの が往 々に し て 一つ の 敗 戦 で方 向 が 変わ る よ うに

&

︑王 の 敗 北 は両 者 の 対決 に お ける 一 つ の 変 り 目 を 意 味 し た'

︒ 僅 か の 間 に

︑こ の 敗 北 と 撤 退 を 機 に︑ 王 の 手 に あ っ た 他 の 要 塞 も 再 び マ テ ィ ル デ の 手 に 戻 り(

︑彼 女は 失っ たす べて の地 点 の 回復 に 成 功 した の で ある

)

そ の 上︑ 翌 年は じ め に 結成 さ れ たミ ラ ノ やク レ モ ナ な どの ロン バ ル デ ィア の 都 市同 盟 が︑ 彼 女と 連 合 し 王に 対 抗 した

*

こ れ に よっ て 王 の 軍事 的 状 況は 絶 望 的 にな り

︑ 王 はイ タリ アの 北東 部に 閉じ 込め られ

︑王 は再 び彼 の生 涯の 最低 点に 落 ち た+

︒ 王 は︑ これ に 次 章で 見 る 息子 の コ ン ラ ート の反 乱も 加わ り︑ 殆ど 三年 半の 間︑ ヴェ ロー ナと ガル ダ湖 の間 の一 隅に 行動 する こと なく 留ま り︑ 人々 は王 を 忘 れた かの よう だっ た,

︒ もっ とも この よう な王 の状 況は

︑ベ ルノ ルト など の反 対 派 が 伝え る ほ ど嘆 か わ しい も の で は なか った よう であ るが

-

︑こ の王 の状 況に つい ては しか し︑ マテ ィル デの 頑 強 な 抵抗 が 最 後に 報 い られ

︑ヴ ェ ル フ と の結 婚に よる 目的 同盟 も︑ 王へ の防 衛戦 にお いて 真で ある こと を示 した と 評 さ れる 一 面 は.

︑ 確か に あ った の で あ る

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 150 ―

(23)

! 注

P.G.S.254.T.Struve,S.67.

"

E.G.S.43.

本 論

︑ 第 一 章

︑ 注

︑'

#Wt.chreebesGi.S.255.G.G.P.211.−S.210f,thofAlS.545.

Do.

二 五 四

〜 二 五 七 ペ ー ジ

E.G.S.141.D.J.Hay,p.130.

ド ニ ゾ ー は

︑ こ の マ ン ト ヴ ァ の 陥 落 に つ い て

︑ マ テ ィ ル デ は 市 民 に

﹁ 欺 か れ

﹂︑ 王 に こ の 町 は

﹁ 明 け 渡 さ れ た

﹂ と

︑ マ ン ト ヴ ァ に 対 し

︑﹁ 汝 は 裏 切 り に よ っ て 汚 れ

﹂ と 批 判 し て い る

︒ E

・ ゲ ー ツ は

︑ マ ン ト ヴ ァ が 王 に 城 門 を 開 い た 時

︑ マ テ ィ ル デ と ヴ ェ ル フ の あ ら ゆ る 抵 抗 は 無 駄 で あ っ た と 述 べ て い る

$Do.

一 五 四

〜 一 五 五 ペ ー ジ

%Do.

二 四 七 ペ ー ジ

︑ 注

︑,

D.J.Hay,p.128.

&

G.Althoff,S.209−210.W.Giesebrecht,S.545.

ギ ー ゼ ブ レ ヒ ト も

︑ 戦 い は は じ め マ テ ィ ル デ に と っ て 最 も 危 険 な 方 向 へ 向 か っ た と 述 べ て い る

︒ 'B.Pfer,S.169.W.Giesebrecht,S.549.Do.

一 六 二

〜 一 六 三 ペ ー ジ

︒ (Do.

一 六 二

〜 一 六 三 ペ ー ジ

A.Becker,S.131.G.Althoff,S.211.I.S.Robinson,Henry,p.284.M.v.K.IV.S.376−377.W.Giesebrecht,S.549.

ド ニ ゾ ー は

︑ 家 臣 ら は

﹁ 王 と の 講 和 を く り 返 し

⁝ 請 い 始 め た

﹂ と 伝 え て い る

︒ )Do.

一 六 二

〜 一 六 三 ペ ー ジ

B.Pfer.S.169.

*Do.

一 六 四

〜 一 六 五 ペ ー ジ

B.Pfer,S.169.M.v.K.IV.S.377,377.Anm.13.

W.Giesebrecht,S.549−550.A.O.S.159.E.G.S.143.I.S.Robinson,Henry,p.284.fn.73,74.Do.

二 四 九 ペ ー ジ

︑ 注

︑ 一

〇 五

︒ ギ ー ゼ ブ レ ヒ ト は

︑ マ テ ィ ル デ は﹁ 対 立

﹂法 王 の ク レ メ ン ス 三 世 を 認 め る と い う 和 に 恐 ろ し く 不 安 に な り

︑ 助 言 を 求 め た と 見 て い る

︒ な お ヨ ハ ネ ス に つ い て は

︑ オ ー バ ー マ ン ら は カ ノ ッ サ の 修 道 院 長 と し て い る が

︑ E

・ ゲ ー ツ ら が 主 張 す る 隠 修 士 説 の 方 が よ り 妥 当 で あ ろ う

︒ そ れ に ド ニ ゾ ー 自 身 も 隠 修 士 と 伝 え て い る

︒ +Do.

一 六 四

〜 一 六 五 ペ ー ジ

― 151 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

参照

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