解
説
総 説
第 一 章 序 言
漆 紙 文 書 は
︑ 周 知 のご と く 漆 容 器 の蓋 紙 と し 漆て 液 面 に 密 着 し てか ぶ せ ら れ た 反 古 紙 で あ る
︒ こ れ が 廃 棄 後 も 付 着 し た 漆 に保 護 さ れ た た め に
︑ 土 中 でも 腐 る こ と な く 遺 存 し た の であ る① さ て︑ 本 報 告 書 は 都 城 遺 跡 か ら 出 土 し た 漆 紙 文 書 の集 成 と し 初て め て のも のと な る の で
︑ ま ず 都 城 出 土 資 料 を 軸 に︑ 漆 紙 文 書 の調 査 研 究 の歩 み を 略 述 す る こと に す る
︒ 漆 紙 文 書 が 初 め て確 認
︑ 報 告 さ れ た 遺 跡 は
︑ 平 城 京 跡 で あ った ︒ 一九 七
〇 年 七 月 に行 わ れ た 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 平 城 宮 第 六 人 次 調 査 に お いて
︑ 左 京 二 条 二 坊 六 坪 の東 側 に 当 た る東 二坊 坊 間 路 西 側 溝 か ら 二点 の資 料 が 出 土 し
︑ 同年 九 月 及 び 翌 一九 七 一年 に漆 片 に 文 字 が あ る も のと し て 報 告 さ れ た の で あ る
︒ こ れ を 出 発 点 と し て漆 紙 文 書 研 究 の歴 史 が 始 ま る が
︑ 現 在 に至 るま で の歩 み は 大 き く 三 時 期 に 分 け る こ と が きで る
︒ 第 一期 は 一九 七
〇 年 の発 見 か ら 一九 七 八 年 ま で で あ る
︒ 平 城 京 跡 で の発 見 と ほ ぼ 同 じ 時 期
︑ 宮 城 県 多 賀 城 跡 の第 九 次 調 査 に お いて
︑ 政 庁 地 区 か ら 大 量 の漆 紙 文 書 が 出 上 し た ︒ 一九 七
〇 年 入 月 の こ と であ る
︒ こ の資 料 群 は
︑ 後 に 漆 紙 文 書 の史 料 学 的 性 格 を 明 ら か にす る の に 大 いに 寄 与 す る こと に な る の で あ る が
︑ 当 時 は ま だ 紙 と し て認 識 さ れ ず
︑ 皮 製 品 と し 保て 管 さ れ る こ と に な たっ
︒ 次 い で 一九 七 三 年
︑ 多 賀 城 跡 第 二 一次 調 査 で計 帳 様 文 書 が 出 土 し
︑ こ れ が 翌 年 報 告 さ れ た
︒ こ れ が 多 賀 城 で最 初 に 報 告 さ れ た 漆 紙 文 書 で あ る
︒ こ の 頃 か ら 同 種 の 紙 が 出 土 す る こ と に つ い て の認 識 が 深 ま り
︑ 平 城 京 跡 で は
一九 七 五 年 の第 九 三 次 調 査
︑ 多 賀 城 跡 で は 一九 七 四年 の第 二 三 次 調 査 ︑ 一九 七 六 年 の第 二 人次 調 査 ︑ 一九 七 七 年 の第 三
〇 次
︑ 第 三 一次 調 査 な ど で出 土 が 確 認 さ れ た
︒ し か し
︑ こ の時 点 は ま だ 漆 紙 文 書 の史 料 学 的 位 置 づ け が 不 明 確 で
︑ 確 認 で き た 資 料 を そ 都の 度 報 告 す る と うい こ と が 行 わ れ て いる 段 階 であ たっ
︒ 今 か ら み れ ば
︑ 手 探 り で調 査 を 進 め な が ら 着 実 に事 例 を 蓄 積 し て いる 時 期 で あ る と 位 置 づ け ら れ る
︒ ま た
︑ 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 と 官 城 県 多 賀 城 跡 調 査 研 究 所 と の間 で情 報 の交 換 が 行 わ れ る な ど
︑ 都 城 遺 跡 の調 査 機 関 と 東 北 地 方 に お け る 城 柵 遺 跡 調の 査 機 関と の間 で 一定 の連 携 の下 に調 査 が 進 め ら れ て たい と うい こと も 注 意 さ れ てよ い︒ そ の後
︑ 研 究 の進 展 に 伴 い︑ そ れ ま で皮 製 品 と 思 わ れ て いた 多 賀 城 跡 第 九 次 調 査 出 土 資 料 が 漆 紙 文 書 と し て認 識 さ れ る よ う に な たっ
︒ こ の 調 査 成 果 は 一九 七 人 年 に 公 表 さ れ
︑ 翌 一九 七 九 年 に は 報 告 書 が 刊 行 さ れ る に至 たっ
︒ こ の段 階 で
︑ 漆 容 器 の蓋 紙 と し て 性の 格 が 明 確 に な る と と も に
︑ 技 術 的 に も 赤 外 線 ビ デ オ カ メ ラ 利の 用 が 確 立 し た こと に よ り
︑ 調 査 研 究 は 新 し い段 階 に 入 った
︒ こ れ 以 後 を 研 究 の第 二 期 と す る こ と が で き る
︒ 多 賀 城 跡 で豊 富 な 資 料 が 得 ら れ た こと も あ り
︑ 第 二 期 に お け る 研 究 の中 心 は
︑ 質
︑ 量 と も に 東 北 の城 柵 遺 跡 で あ たっ
︒ 一方
︑ こ の時 期
︑ 都 城 遺 跡 出 土 資 料 の調 査 に つ い ても ︑ 一定 の成 果 が 蓄 積 さ れ た
︒ 平 城 宮
・京 跡 に つ い て み ると ︑ 一九 人
〇 年 代 に は ︑ 一九 六
〇 年 代 に 出 土 し な が ら 文 書 と は 認 識 さ れ て いな か たっ 資 料 に つ い て︑ 再 調 査
︑ 報 告 が な さ れ た
︒ ま た ︑ 一九 人 四 年 に 右 京 入 条 一坊 十 四 坪 か ら 大 量 の資 料 が 出 土 し
︑ これ が 一九 九
〇 年 に な てっ 報 告 さ れ る に 至 たっ ︒ 一方
︑ 長 岡 京 跡 で も 一九 人
〇年 に 初 め て 漆 紙 文 書 が 出 土 し
︑ そ れ 以 降 着 実 に 出 土 事 例 が 増 加 し て るい
︒ し か し な が ら
︑ 漆 紙 文 書 自 体 に つ い て の報 告 書 が 刊 行 さ れ た 多 賀 城 跡
︑ 秋 田 城 跡
︑ 鹿 の子 C遺 跡
︑ 下 野 国 府 跡 な ど に 比 べ
︑ 都 城 出 土 の漆 紙 文 書 は あ ま り 注 目 さ れ て こ な か った の が 実 状 で あ った
︒
耳宥 確
尊 緯 「
第 2図
平城宮発掘調査位置図 (▼印:漆紙文書出土地)
と ころ が ︑ 一九 九 五年 至に り 平︑ 宮城 第 二五 九 次 調査 で租 帳 に類 似 たし 文 書 が 出 土し た こと を契 機 と し て︑ 奈良 国 立文 化財 研究 所 では 過去 に出 土し た資 料を 再 調査 す る作 業 を 開始 し た︒ 同じ 頃︑ 長 岡宮
・京 跡 もで 一九 九 年四 九︑ 五年 に計 三 カ所 か 漆ら 紙文 書 出が 上し た︒ これ ら 調の 査 の蓄 積 の中 から 都︑ 城遺 跡と いう 枠 組 み の中 で資 料 の位 置 づけ を考 えな け れば な らな いと いう こと が 認識 さ れ るよ う にな たっ ので あ る︒ こ の点 にお いて 研究 は新 し い段 階 入に った と 価評 きで ︑ 一九 九
〇年 代 半ば 以降 を第 三期 とす る こと が きで うよ
︒ 第 三期 おに け る平 城宮
・京 跡出 土資 料 に関 す る再 調査 の成 果 は︑ 各年 度 の
﹃奈 良 国 立文 化財 研究 所 年報
﹄ で報 告 し そ︑ の 一端 は 一九 九 年八 に行 たっ
﹁な ら平 城 京展 鶴﹂ にお いて も 展 示し た︒ しか し︑ 報 告 複が 年数 度 に分 散 し て るい こと
︑ 紙 数 の関 係 掲で 載 きで な か った も のが あ るこ と など
︑ 研究 環境 は整 たっ と は いえ な い状 態 であ った ま︒ た 近︑ 年 デ︑ ジ タ ルカ メラ によ る赤 外線 撮影 の技 術 進が 歩 し︑ より 鮮明 な画 像 の提 供 が可 能 なに たっ
︒ こう たし こと 背を 景 に︑ 平 宮城
・京 跡 出 土漆 紙文 書 関に す る調 査 成 果を 集大 成 す る報 告 書 を作 成 す る こと 計が 画 され
︑ こ こに 刊行 す る運 びと な った ので あ る
︒ 本書 刊の 行 が 都︑ 城出 漆土 紙文 書 の研 究 を次 段の 階 へと 展 開 させ る契 機 と な れば 幸 いで あ る︒
第 二 章 漆 紙 文 書 出 土 の 遺 構
︵一
︶ 左 京 三 条 一坊 十 六 坪
︵第 三 二次 調 査
︶ 第 三 二次 調 査 は ︑ 一九 六 年六 に 行 わ れ
︑ 平 城 宮 東 南 隅 と そ れ に隣 接 す る左 京 三 条 坊一 十 六 坪 を 発 掘 し た
︒ 漆 紙 文 書 は 十 六 坪 東 北 部 に あ る 土 坑 S K 三 九 九 五 か ら 一点 出 土 し た
︒
十 六 坪 及 び 南 隣 の十 五 坪 は
︑ こ の調 査 以 後
︑ 第 一 一人 引人 次
︑ 第 二 三
〇 次
︑ 第 二 三 四 十九 次 の各 調 査 が 実 施 さ れ て お り
︑ こ れ ら 調の 査 の知 見 は
﹃一 九 九 二年 度 平 城 宮 跡 発 掘 調 査 部 発 掘 調 査 概 報
﹄ 全 九 九 三 年
︶︑
﹃平 城 京 左 京 三 条 一坊 十 四 坪 発 掘 調 査 報 告
﹄
⊂ 九 九 五 年
︶ な ど に 整 理 さ れ て るい
︒ そ れ ら に よ る と
︑ 十 五
・ 十 六 坪 の間 に は 条 間 小 路 が 存 在 せ ず
︑ 奈 良 時 代 を 通 じ て 二 つ の坪 は 一体 と し て利 用 さ れ て いた が 両︑ 坪 の間 に は築 地 塀 が あ り 南︑ 北 二 つ の区 画 に 分 け ら れ て いた
︒ 十 五坪 の中 心 部 では 三 棟 の大 型 東 西 棟 建 物 を 南 北 並に べ て 配 し
︑ そ 左の 右 に南 北 棟 建 物 を 姑 称 置に く と うい 整 然 と し た 建 物 配 置 を 取 る
︒ こ れ ら は ほ ぼ 同 じ 位 置 で 掘 立 柱 建 物 か ら礎 石 建 物 に 建 て替 え ら れ る が 奈︑ 良 時 代 を 通 じ て存 続 す る ま︒ た
︑ 十 六 坪 で は 南 部 中 央 に 大 型 の四 面 庇 付 き 建 物 あが り
︑ そ の東 側 に は 大 型 の 井 戸 が 設 け ら れ て いた
︒ こ の井 戸 か ら は
﹁内 匠 寮
﹂ と 記 し た 木 簡 が 出 土 し た
︵﹃ 平 城 木 簡 概 報 二 七
﹄︑ 一九 九 三年
︶︒ 漆 紙 文 書 一が 出 土 し た 土 坑 付 近 の坪 東 北 部 では
︑ 棟 持 柱 を 有 す る 特 殊 な 構 造 の掘 立 柱 建 物 が 検 出 さ れ た
︒ 以 上 の よ う な 遺 構 の状 況 か ら
︑ 十 五
・十 六 坪 は 個 人 の 宅 地 では な く
︑ 宮 外 官 衛 も し く は 離 宮 的 な 機 能 を も つ施 設 が あ った と 推 定 し て いる
︒
︵二
︶ 平 城 宮 跡 東 南 隅
︵第 三 二次 補 足 調 査
︶ 第 三 二次 補 足 調 査 は 一九 六 六 年 に行 わ れ
︑ 第 三 二 次 調 査 区 の 北 西 に 接 す る 場 所 で 実 施 さ れ た
︒ 漆 紙 文 書 は 東 西 溝 S D 四 一O O Aか ら 二点 出 土 し た
︒ こ の調 査 区 で は 平 城 宮 の南 面 大 垣 の ほ か
︑ 築
0 10 20m
第3図
第32次補足調査検 出遺構 図
5
SB4.55 動中 一中
地 塀 一条
︑ 建 物 二棟
︑ 柵 四条
︑ 溝 二条
︑ 炉 四 カ 所 な ど を 検 出 し た
︒ S D 四 一〇
〇 は
︑ 南 面 大 垣 の心 よ り 北 五 mの 位 置 に 心 が あ り
︑ 東 流 す る
︒ 大 き く 二時 期 に分 か れ
︑ 下 層 が S D 四 一〇 O A
︑ 上 層 が S D 四 一〇 O B であ る
︒ S D 四 一〇
〇 A は
︑ 幅 一
・八 mを 測 り
︑ 深 さ は 調 査 区 西 端 で
○
︒四 m︑ 東 へい く ほ ど 深 く な り
︑ 最 深 一
︒O mを 測 る
︒ 堆 積 土 は 大 き く 二 層 に 分 か れ
︑ 上 層 は 暗 褐 色 砂 質 粘 土
︑ 下 層 は 灰 色 砂 であ る
︒ S D 四 一O O A か ら は 式 部 省 の考 選 関 係 の本 簡 を 中 心 に 約 一三
〇
〇
〇 点 の木 簡 が 出 上 し て いる 年︒ 紀 をも つ木 簡 と し て︑ 古 いも ので は 神 亀 年 間
︵七 二 四
〜 七 二九
︶ の 一群 と
︑ 神 護 景 雲 年 間
︵七 六 七
〜 七 七
〇
︶ か ら 宝 亀 元 年 七︵ 七
〇
︶ の 一群 と が あ る
︒ こ れ ら は 出 土 位 置 を 異 に し
︑ 漆 紙 文 書 二
・三 は
︑ 奈 良 時 代 後 半 の後 者 が 出 土 し た 地 区 か ら の 出 土 で あ る
︒ こ れ ら に つ いて は
﹃平 城 宮 木 簡
﹄ 四
・五
・六
︵一 九 人 六 年
・ 一九 九 六年
・二
〇
〇 年四
︶ を 参 照 さ れ た い︒ 3
一︶ 左 京 二 条 二 坊 六 坪
︵第 六 次人 調 査
︶ 第 六 人 次 調 査 は 一九 七
〇年 に 行 わ れ
︑ 左 京 二 条 二 坊 六 坪 東 北 隅 を 発 掘 し た
︒ 漆 紙 文 書 は
︑ 東 二 坊 坊 間 路 西 側 溝 S D 五 七 八
〇 か ら 二 点 出 土 し た
︒ こ れ ら は 既 に
﹃平 城 木 簡 概 報 人
﹄
︵一 九 七 一年
︶ に お い て伴 出 木 簡 と と も
に漆 片 に 文 字 の あ るも のと し て報 告 し て るい
︒ 漆 紙 文 書 四
・五 が 出 土 し た 西 側 溝 S D 五 七 八
〇 は
︑ 幅 三
・二 m︑ 深 さ
○
・六 m を 測 り
︑ 他 に木 簡 七 九 点
︑
﹁東 南 隅
﹂
﹁東 隅
﹂ な ど の墨 書 土 器
︑ 和 同 開 弥 万・ 年 通 宝 な ど の銭 貨 出が 土 し た
︒ 木 簡 に は 郡 里 制
︵〜 霊 亀 三年
︿七 一七
︾ や 郡 郷 里 制
︵霊 亀 三
〜 天 平 一二 年
︿七 四
〇
︾ の地 名 表 記 を も つも のが あ る が
︑ 奈 良 時 代 後 半 の遺 物 も 伴 出 し て お り
︑ 溝 は奈 良 時 代 を 通 じ て機 能 し て いた と み ら れ る
︒
︵四
︶左 京 入条 坊三 十 坪
︵第 九 三 次 調 査
︶ 第 九 三 次 調 査 は 一九 七 五 年 に 行 わ れ
︑ 左 京 八 条 坊三
︵東 市 周 辺東 北 地 域
︶ を 調 査 し た
︒ 漆 紙 文 書 は 九
・十 坪 坪 境 小 路 南 側 溝 S D 一 一五 五 か ら 九 点
︑ 他 に 墨 付 き のな い断 片 二 片 が 出 土 し た
︒ こ れ ら は 接 合 し な いが
︑ 本 来 同 一の 文 書 で あ った と 推 定 で き る
︒ 本 報 告 書 に は こ のう ち 判 読 可 能 な 二 点 を 掲 載 し た
︒ S D 一 一五 五 は
︑ 幅 三
・四 m〜 三
・八 m︑ 深 さ 一
︒二 mの 規 模 で︑ 西 に 流 れ
︑ 平 城 京 の東 堀 河 と 推 定 さ れ る S D 一三
〇
〇 に 流 れ 込 む S︒ D 一 一五 五 か ら は 他 に
︑ 郷 制 下 の付 札 を 含 む 木 簡 二 五 点
︑
﹁法 所
﹂
﹁土 寺
﹂
﹁紀 伊
﹂ な ど の墨 書 土 器
︑ 漆 塗
第4図 第63次言周査 SD5780 (南か ら)
左 京 二条 二坊 六 坪
菊 ウⅢ
… ̀│
0 20 40m
第 6図
第93次 調査検 出遺構図
木 製 匙
︑ 漆 皮 箱
︑ 漆 塗 冠 帽 断 片
︑ 漆 濾 し 布
︑ 漆 容 器 の土 師 器 皿
・杯
︑ 須 恵 器 重
︑ ヒ ノ キ 製 曲 物
︑ 漆 刷 毛 箆・ な ど が 出 土 し
︑ 付 近 に漆 器 工 房 の存 在 が 想 定 で き る
︵﹃ 平 城 京 左 京 人 条 三 坊 発 掘 調 査 概 報
﹄ 一九 七 六 年
︑
﹃平 城 木 簡 概 報 一 一﹄ 一九 七 七 年
︶︒ な お
︑ 同 じ 溝 か ら 墨 痕 のあ る 漆 紙 文 書 の他 に
︑ 墨 痕 の な い漆 容 器 蓋 紙 も 多 数 出 土 し て いる
︒ こ うの ち 参 考 資 料 一 と し て掲 げ た も の は
︑ 最 大 径 一九
・七 Cmの
円 形 を 呈 す る
︒ こ れ は 同 じ 溝 か ら 出 土 し た 文 字 の あ る 蓋 紙 と 比 べ て大 型 で あ り
︑ 杯 の蓋 紙 で は あ り 得 ず
︑ 曲 物 容 器 に 付 さ れ た も の あで る
︒ 大 型 で あ る こと を 考 え ると 地︑ 方 か ら の運 搬 用
︑ ま た は 平 城 京 で の気 管 用 の容 器 あで る と 考 え ら れ る
︒ 運 搬 容 器 で そ の ま ま 保 管 し た 可 能 性 は 高 い︒ ま た
︑ こ れ に は 厚 く 漆 が 付 着 し て いる
︒ 同 じ よ う な 漆 付 着 状 況 を 示 す 断 片 は 同 じ 溝 か ら 他 に も 出 土 し おて り
︑ 円 形 に は 復 元 でき な いも の の
︑ 同 様 の蓋 紙 多が 数 存 在 し た こ と が 推 定 で き る ︒ 一方
︑ 墨 痕 が 確 認
でき る漆 紙 文書 には 漆 あが まり 厚く は付 着 し て いな のい で︑ 状 態 は明 ら か に異 な る︒ 型大 の蓋 紙 は 運︑ 用搬 ま︑ た は保 管 用 の容 器と し て長 い時 漆間 液 かに ぶせ ら れ て いた 状 況 推が 定 でき
︑ 小型 の蓋 紙 は︑ 小分 け 用ま た はパ レ トッ 用 容の 器 の蓋 紙な とど し て短 い時 間だ け 用 いら れ︑ 付 着 たし 漆 丁が 寧 掻に き 落と さ れた 状況 が 推 定 でき る︒
︵五
︶ 左京 二条 二坊 十 三坪
︵第 一三 一十 三 一次 調査
︶ 第 一三 一十 三 一次 調査 は︑ 一九 人 三年 に行 わ れ 左︑ 京 二条 二坊 十 三坪 を発 掘 し た︒ 漆 紙文 書 遺は 物包 含 層 から 一点 出 土 たし
︒ 十 三坪 では
︑ こ の調 査 の他 第︑
一四 一十 五次 第︑
一五 一十 一一 次
︵東 区 西・ 区︶
の各 調 査 が 行 わ れ
︑ 調 査 成 果 は 四 つ 調の 査 区 合 わ せ て
﹃平 城 京 左 京 二 条 二坊 十 三 坪 の発 掘 調 査
﹄ 全 九 人 四 年
︶ に ま と め ら れ て い る
︒ そ れ に よ れ ば
︑ 十 三 坪 の遺 構 は 人 世 紀 前 半 か ら 一〇 世 紀 末 に至 る 六 時 期 に わ た る遺 構 が 検 出 さ れ た が
︑ 漆 紙 文 書 は 遺 構 に伴 わ な い︒ 後 述 す る よ う に平 城 宮 土 器
Ⅳ に比 定 さ れ る 土 器 に 付 着 し て いる の で︑ 奈 良 時 代 後 半 のも の で あ ろう
︒ な お
︑ 漆 関 連 遺 物 と し て︑ 第 一五 一十 一 一次 調 査 区 の包 含 層 か ら 唐 草 と 鳥 の文 様 を 針 書 き たし 漆 器 破の 片 が 出 土 し て るい
︒ これ は奈 良 時 代 末 か ら 平安 時 代 初 期 を 大 き く 降 らな いと 推 定 さ れ て るい
︒ ま た
︑ 文 字 資 料 と し て
︑ 同 じ く 第 一五 一十 一 一 次 調 査 区 の十 二
・十 三 坪 坪 境 小 路 東 側 溝 S D 二 七 四
〇 か ら 志 摩 国 英 虞 郡 舟 越 郷 の 海 松 付の 札 な ど の木 簡 計 三 点
︑ 中 世 の土 取 り 穴 S K 二七 七
〇 混に 入 し た 伊 豆 国 賀 茂 郡 付の 札 木 簡 一点 が 出 土 し て いる
︵﹃ 平 城 木 簡 概 報 一七
﹄ 一九 人 四年
︶︒
︵六
︶ 左 京 人条 一坊 六 坪
︵第 一六
〇 次 調 査
︶ 第 一六
〇 次 調 査 は 一九 人 四 年 に 行 わ れ
︑ 左 京 八 条 一坊 三
・六 坪 を 発 掘 し た
︒ 漆 紙 文 書 は 六 坪 に あ る 掘 立 柱 建 物 S B 三 一九
〇 の 柱 穴 か ら 一点 出 土 し た
︒ 当 該 地 の 調 査 成 果 は
﹃平 城 京 左 京 八 条 一坊 三
・六 坪 発 掘 調 査 報 告 書
﹄
⊂ 九 入 五年
︶ に ま と め ら れ て い る
︒ そ れ に よ れ ば
︑ 検 出 し た 奈 良 時 代 か ら 平 安 時 代 初 頭 の主 な 遺 構 と し て
︑ 人 条 条 間 路 と 三
・六 坪 の坪 境 小 路 東 側 溝
︑ 掘 立 柱 建 物 四 七 棟
︑ 池 状 遺 構 一︑ 井 戸 一基 な ど が あ る こ︒ のう ち
︑
男7図 第98次言周査
SDl155(東
か ら)Υ ギ
第 8図
第9号漆紙文書出土状況 (南から)
② O 跡
柳 艤
l i 只 一●
o 柱抜取痕跡
柱六のみ
第 9図
第160次 調査
m
左京八条―坊六坪遺構模式図
蜘 翻
帥 蜘
鋭
―
S832SO
SD33調 sE3260 S83230帯
Saも195
一
n
第10図
第160次 調査 左京八条―坊六坪遺構変遷図
六坪 の遺 構 は A l︑ A 2︑ Bお C の四 時 期 に分 けら れ る︒ S B三 一九
〇 は︑ 桁 行 六間 以上 梁︑ 間 二間 の規 模を も つ︑ 奈 良 時代 後半 か ら末 頃
︵B 期
︶ の南 庇 付東 西 棟建 物 で︑ 漆 紙文 書九 は身 舎 西南 隅柱 の抜 取 穴 から 出 土 たし
︒
︵七
︶ 右京 八条 坊一 十 四坪
︵大 和 郡 山市 教 育委 員会 調査
︶ こ の調 査 は︑ 一 九 人 四年 大に 和 郡 山市 育教 委 員会 に よ てっ 行 わ れた
︒ 右京 八条 一坊 十 三
︒十 坪四 に つい ては 大︑ 和 郡山 市 教育 委 員会 と奈 良 国 立文 化 財 研究 所 が
︑ 一九 人四 年 から 一九 八 六年 にか け て︑ 計 五カ 次 にわ たり 調査 を行 てっ おり
︑ こ の 調査 は そ のう ち の 一つ あで る︒ 漆紙 文書 は大 和 郡山 市教 育委 員会 担 当部 分 の十 四 坪 あに る土 坑 S K二
〇
〇 一か ら計 六九 点 出 土 した 本︒ 報 告 書 では こ のう ち釈 読 可 能 な 四二 点を 掲載 し た︒ 調 査 成 果 は
﹃平 城 京 右 京 人条 一坊 十 三
・十 四坪 発 掘 調 査 報
﹄告 盆 九 九
〇 年
︶ まに と め られ て いる
︒ そ れ によ れ ば︑ 奈良 代時 の主 な 遺構 と し て︑ I期
〜
Ⅳ期 の 四時 期 にわ た る多 数 の掘 立柱 建 物 塀︑ 道︑ 路 井︑ 戸︑ 溝 など を検 出 たし 鋳︒ 造関 係 遺物 や漆 工 係関 物遺 が出 土 し てお り 大︑ 規模 な 工房 遺 跡 であ った と 推定 でき る︒ 調 査地 付の 近 に は西 市 が所 在 し てお り︑ 市 と く深 関係 す る 工房 であ ると 考 え ら れ て いる 漆︒ 紙 文書 が出 上 し た土 坑 S K二
〇
〇 一は 東︑ 西 二
・七 m︑ 南 北 一四
・三 m︑ 深 さ 二三 cmを
測 る大 規模 なも の で︑ 奈 良 時代 前半
︵遺 構 変遷
Ⅱの 期
︶ に位 置 づ け られ て いる
︒ 同 土じ 坑 から 漆︑ 容 器 の須 恵器 壷 及︑ び そ の栓
︑ ク メロ 用 と 思 わ れ る須 恵 器盤 漆︑ 濾 布し な ど の漆 工房 関係 遺 物 伴が 出 し て るい
︒ な お︑ 墨痕 のあ る漆 紙 文書 六九 点 以外 に︑ 多数 の墨 痕 のな い漆 容 器蓋 紙も 出 土 し て るい 本︒ 来 墨書 のあ る断 片と 同 一個 体 であ たっ と 推定 でき るも のも あ るが
︑ そ れと は別 注に す目 べき 資料 と し て参 考 資料 二
・三 あが る の 付で 言 す る︒ こ うの ち参 考資 料 二は
︑ 三回 折 り たた ま たれ 紙 の断 片 で︑ 現状 で長 辺 一四
︒五 cm︑
短 辺
一 一
︒O Cmを 測 る︒ 復 元 的 に 開 く な ら ば
︑ 直 径 二九 cm以 上 の円 形 と な る
︒ これ ら は いず れ も 大 型 の蓋 紙 であ り
︑ ま た
︑ 厚 く 漆 が 付 着 し て い る
︒ 第 九 三 次 調 査 で出 土 し た文 字 のな い蓋 紙 と 同 様 に
︑ 地 方 か ら の 運 搬 用
︑ ま た は 平 城 京 で の 保 管 用 の曲 物 容 器 に 付 さ れ た も の であ ろう
︒ こ れ に 姑 し
︑ 同 じ 土 坑 か ら 出 土 し た 文 字 あの る 漆 紙 文 書 に は 漆 が あ ま り 厚 く は 付 着 し て お ら ず
︑ 小 分 け 用 ま た は パ レ ット 用 の容 器 の蓋 紙 な ど と し て短 い時 間 だ け 用 いら れ
︑ 付 着 し た 漆 が 丁 寧 に掻 き 落 と さ れ た状 況 が 推 定 でき る
︒
︵人
︶ 左 京 二条 二坊 五坪
︵第 二〇 四次 調査
︶ 第 二
〇 四次 調 査 は 一九 人 九 年 に 行 わ れ た
︒ 百 貨 店 建 設 の事 前 調 査 と し て︑ 左 京 二条 二坊 五 坪
︵藤 原 麻 呂 邸 推 定 地
︶ 及 び 左 京 三 条 二 坊 一
︒二
・七
・八 坪
︵長 屋 王 邸 推 定 地
︶ を ︑ 一九 人 六 年 か ら 一九 人 九 年 に か け て 発 掘 し た 一連 の調 査 のう ち の 一つ で あ る
︒ 第 二
〇 四次 調 査 で は
︑ こ うの ち の 二条 二坊 五 坪 及 び そ の南 の 二条 大 路 を 調 査 し た
︒ 漆 紙 文 書 は 二条 大 路 上 に 設 け ら れ た 濠 状 遺 構 S D 五 三
〇
〇 と S D 五 三 一〇 か ら 各 一点 出 土 し た
︒ S D 五 三
〇
〇
・五 三 一〇 は
︑ S D 五 一〇
〇 と と も に
︑ 二 条 大 路 の路 面 上 に南 北 両 側 溝 と 平 行 し て
︑ そ の 道 路 側 に 掘 ら れ た 東 西 に 延 び る 濠 状 遺 構 で
︑ いわ ゆ る
﹁二 条 大 路 木 簡
﹂ と 総 称 さ れ る 木 簡 群 が 出 土 し た 遺 構 で あ る
︒ S D 五 三
〇
〇 は
︑ 二 条 大 路 の北 端 に あ り
︑ 東 二坊 坊 間 路 西 側 滞 S D 四 六 九 九 の O
・八 m西 か ら 左 京 二 条 二坊 五 坪 南 面 中 央 に あ る 門 S B 五 三 一五 の 四 m東 ま で 延 び て い る︒ 幅 二
〜 二
・七 m︑ 深 さ 一〜 一
・三 mの 規 模 で 全︑ 長 五 六 mを 完 掘 し た
︒ 土 層 は 大 き く 四 層 に分 け ら れ
︑ 最 上 層 が 埋 め 立 て 土
︑ 下 三 層 が 堆 積 土 であ る
︒ 漆 紙 文 書 は 伴 出 木 簡 と と も に 上 か ら 三 層 目 の木 屑 層 か ら 出 土 し た
︒ 伴 出 木 簡 の年 紀 は 一点 の み神 亀 五 年
︵七 二 人
︶ のも の が あ る が
︑ 他 は 天 平 三 年
︵七 三 一︶
〜 八 年
国回
s81577SA 1485 SD 1412
S B ︲340 咽
S8 ︲325 園
S 8︲3︲3
市=︺
A ︲490 SB︲423
・ 中
・ マ
﹂ ぃ ぃ 一 一 SB︲403
SB︲350
第司1図
右京八条―坊十三・十四坪検 出遺構図 (Ⅱ期)
11
左京二条二坊五坪 第
198次B区A
0 30m
条 大 路
第200次補足
左 京三条二坊 八坪
第193次
亭 「
X管足
に 収 ま る
① S D 五 三 一〇 は
︑ 門 S B 五 三 一五 の 西 で
︑ 門 を 挟 ん で S D 五 三
〇
〇 と 対 称 の位 置 に あ る 濠 状 遺 構 あで る
︒ 東 端 か ら 六 m分 を 検 出 し た が 西 端 は 調 査 区 外 に 延 び る
︒ 幅 は 現 状 では 不 明 であ る が
︑ 約 二 m と 推 定 さ れ
︑ 深 さ は 一
︒ 一 mの 規 模 で あ る
︒ 土 層 は 四 層 に 分 け ら れ る が
︑ 漆 紙 文 書 は 伴 出 木 簡 と と も に 上 か ら 三 層 目 の本 屑 層 か ら 出 土 し た
︒ 木 簡 年の 紀 は 天 平 八 年 の も の に ほ ぼ 限 ら れ る
︒ S D 五 三
〇
〇 も S D 五 三 一〇 も 流 れ た 痕 跡 の な い遺 構 であ る︒ 一連 の発 掘 成 果 の詳 細 及 び 出 土 木 簡 に つ い
て は
︑
﹃平 城 京 左 京 二条 坊二
︒三 条 二坊 発 掘 調 査 報 告
﹄ 全 九 九 五年
︶︑
﹃平 城 京 木 簡
﹄ 一 三・
︵一 九 九 二 年 二︒
〇
〇 一年
︶︑
﹃平 城 木 簡 概 報 二〇
〜 三 三﹄ 全 九 人 人
〜 九 七 年
︶ を 参 照 さ れ た い︒ 特 に 漆 紙 文 書 に つ いて は
﹃平 城 木 簡 概 報 二 四
﹄
︵一 九 九 一年
︶ に 伴 出 木 簡 と と も に 掲 載 さ れ て い る︒
︵九
︶ 西 隆 寺 跡
︵第 二 二 次人 調 査
︶ 西 隆 寺 跡 の発 掘 調 査 は
︑ 大 型 商 業 施 設 や 都 市 計 画 道 路 の建 設 伴に い︑ 一九 七
〇 年 代 前 半 ︑ 一九 八
〇 年 代 末 か ら 一九 九
〇 年 代 初 頭
︑ 及 び 一九 九
〇 年 代 末 か ら 二〇
〇
〇 年 代 初 頭 に か け て
︑ 断 続 的 に 行 わ れ て い る
︒ こ うの ち
︑ 第 二 二 人 次 調 査 は 一九 九 一年 に 行 わ れ ︑ 一点 の漆 紙 文 書 が 出 土 し て いる
︒ 西 隆 寺 は
︑ 奈 良 時 代 の末 に
︑ 恵 美 押 勝 の乱 に 勝 利 し た 称 徳 天皇 が 創 建 し た も の で
︑ 西 大 寺 と 対 に な る 尼 寺 であ る
︒ 神 護 景 雲 元 年
︵七 六 七
︶ 入 月 に 造 西 隆 寺 司 長 官 以 下 の 任 命 が あ り
︑ 宝 亀 二年
七︵ 七
︶一 入 月 に印 が 頒 賜 さ れ て いる こと か ら
︑ こ の頃 ま で に は 応一 の完 成 を み た も のと 推 定 さ れ て いる
︒ 伽 藍 は 文 献 史 料 か ら 平 城 京 右 京 一条 坊二 九
・十
・十 五
・十 六 坪 を 占 め て いる こ と が わ か る
︒ 発 掘 調 査 の結 果
︑ 中 軸 線 上 に 回 廊 に囲 ま れ た 金 堂 を は じ め と す る中 心 堂 舎 が 配 さ れ て いた こ と が 判 明 し て い る
︒ ま た
︑ 北 面 回 廊 の東 延 長 線 上 に 東 門 が あ り
︑ 東 門 を 寺 域 内 に 入 る と
︑ 西 へ向 か てっ 道 路 が 延 び て お り
︑ そ の南 北 両 側 に は 築 地 塀 で囲 ま れ た 区 画 が 存 在 す る
︒ 南 側 の 区 画 は 塔 院
︑ 北 側 の 区 画 は 食 堂 院 であ る と 推 定 さ れ て いる
︒ 食 堂 院 は 西 隆 寺 造 営 以 前 に 九 坪 に あ たっ 池 状 遺 構 S G 五 三
〇 を 埋 め 立 て︑ 掘 立 柱 建 物 S B 五 一〇 を 解 体 し た 後
︑ 整 地 を 施 し て建 設 さ れ た こ と
︑ 当 初 は 掘 立 柱 建 物 か ら 構 成 さ れ て いた が
︑ 奈 良 時 代 末 か ら 平 安 時 代 初 頭 に か け て礎 石 建 物 を 中 心 と す る も の に 改 修 さ れ た こと な ど が 判 明 し た
︒ 第 二 二 人 次 調 査 は
︑ 食 堂 院 内 に お
界 12図 SD5100・ 5300・
5310
地 区害」図いて 食︑ 堂 の西 から 北 位の 置 かに け て斜 行 す る調 査 区を 設定 し て発 掘 し て いる が
︑ 漆 紙 文 書 は調 査 区 の西 南 隅 か ら 出 土 し た
︒ こ こ に は先 述 の SG 五 三〇 があ り
︑ 西隆 寺 造営 伴に う 埋 土及 び整 地 土︑ さら そに の上 に 奈良 時 代末 か ら平 安 時 代初 頭 に かけ て 遺の 物 を包 含 す る層 堆が 積 し て い る︒ こ の地 区 は 西隆 寺 造営 後
︑ 建物 と 塀 に は まさ たれ 空 閑 地 あに たり
︑ 塵芥 処 用理 の 一画 と し て利 用 さ たれ と 推定 され て るい 漆︒ 紙文 書 が出 土 たし のは ゝ︑
﹂の うち の池 の東 側 整の 地 土 にあ た る茶 掲 土下 層 か ら あで る︒ 同 層 か ら 平は 城宮 土器
Ⅳ V・ に該 当す る土 器 出が 土 し て るい
︒ た だ し︑ こ の整 地土 食が 堂院 創の 建 に伴 う も のか 改︑ 修 に伴 う も のか 判は と然 し な い︒ な お︑ 漆 紙文 書 出土 地区 か らは
︑ ほか に漆 塗 係関 遺物 の出 土 報は 告 さ れ て いな いが 回︑ 廊 東 北隅 の外 側 あに る土 坑 S K四 五 五か らは 漆︑ 搬運 容器 の須 恵 器壷 横︑ 瓶 が出 土し てお り︑ 廊回 礎 石据 付 穴 から も漆 付の 着 たし 恵須 器片 出が 土 し て るい 西︒ 隆寺 造営 に伴 い︑ 漆 塗作 業 行が われ て いた とこ がわ か る︒ また
︑ 係関 す る文 字資 料 と し て︑ 東 地門 区 の調 査 おに いて 検出 さ れた S XO 三三 及 び S XO 三 五か ら多 数 の木 簡 が出 土 し て いる
︒ こ うの ち
︑ S XO 五三 か 出ら 土 し た木 簡 うの ち 年︑ 紀 のあ るも のは
︑
︵天 平︶ 勝 宝 元 年 七︵ 四九
︶ の記 載 のあ る 習書 を 除 け ば
︑ 平天 榊 護 三年
︵七 六 七︶
︑ 及 び 神︵ 護
︶ 景 雲 元 年
︵七 六 七︶ の米 荷 札 が あ り
︑ S X O 三 三 では
︑
︵神 護
︶景 雲 二年 調の 塩荷 札 知︑ 銭識 付 札
︑
︵年 号 なし
︶ 四年 の文 書 簡木 あが てつ い︑ ず もれ 隆西 寺 造 営途 上 おに け る年 代を 示す 両︒ 遺 構 から は︑ 西隆 寺 の造 営 資材 や労 働者 対に す る食 料支 給 に関 わ る木 簡
︑ 造営 のた め 知の 銭識 の付 札 な がど 出 土 し て いる
︒
第13図
西隆寺伽藍復元図 (■2000)
発 掘 調査 の成 果 に つい ては 西︑ 寺隆 調査 委 員会
﹃西 隆寺 発 掘 調 査報 告 書﹄ 全 九 七 六 年
︶︑ 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所
﹃西 寺隆 跡発 掘 調査 報 告 書
﹄ α 九 九 二年
︶︑ 奈 良 化文 財研 究所
﹃西 隆寺 跡発 掘 調 報査 告 書﹄ 全 一〇
〇 一年
︶ を
︑ 出 土木 簡 に つ いて は今 泉 隆 雄
﹁平 城京 西隆 寺 の木 簡 と そ 創の 建
﹂ 亀古 代木 簡 の研 究﹄ 吉 川弘 文 館 ︑ 一九 九 年八
︶を 参 照さ れた い︒ 一︵
︶〇 平 宮城 跡東 院 地区
︵第 二四 三 二・ 四 五 十 一次 調査
︶ 第 二 四三
・二 四 五 十 一次 調査 は 一九 九 三年 度 に行 わ れ 平︑ 城 宮 東張 出 部 南 端
︑ いわ ゆ る東 庭院 園 の区 画 の西 を 発 掘 し た︒ 漆 紙 文 書 は井 戸 S E 一六
〇 三〇 か ら 点一 出土 し た︒ 検 出 し 遺た 構 大は き く 期A か ら G期 の七 時期 に分 け られ る︒ S E 一六
〇 三〇 は︑ こ のう ち 天 平神 護年 間 から 榊 護 景雲 年 間 のD 期 に掘 削 さ れ︑ 宝 亀 年 間 のF 期 ま で存 続 し た井 戸 で︑ 一 辺 五 mの 方 形 の掘 形 の中 に幅 約 二〇 cm︑
厚 さ 約 一〇 Cmの ヒ ノ キ の板 材 を 縦 に 二
〇 枚 並 べ て円 形 の井 戸 枠 を 作 てっ いる
︒ 井 戸 枠 材 うの ち ︑ 一人 点 に 墨 書 が あ る
︒ 漆 紙 文 書 は 井 戸 枠 内 か ら 出 土 し た が
︑ 木 簡 の削 屑 一点 が 伴 出 し て いる
︒ こ の 他
︑ こ の 井 戸 の 排 水 溝 に 相 当 す る 南 北 溝 S D 一六
〇 四
〇 か ら 五 九 点 の木 簡 が 出 土 し て い る
︒ 発 掘 成 果 の 詳 細 及 び 伴 出 木 簡 に つ い て は
﹃一 九 九 三 年 度 平 城 宮 跡 発 掘 調 査 部 発 掘 調 査 概 報
﹄ 全 九 九 四 年
︶︑
﹃平 城 木 簡 概 報 二 九
﹄
︵一 九 九 四 年
︶ を 参 照 さ れ た い︒
SEl SA 16042
sB 16041 SG OB
SA SD 92
SBl盈
一
SB 16000 B SB 9400 SD
男14図 第 243・ 245‑1次調 査 SE16030 (北か ら)
SA 9288
B9355
A い∞ oo 一m
SB 16150
∽ 0● ● ●第15図
第243・ 2451次調査検 出遺構図 (D期 、1:800)
SA 5055
︵一 一︶ 平 城 宮 跡 造 酒 司 推 定 地 南
︵第 二 五 九 次 調 査
︶ 第 二 五 九 次 調 査 は 一九 九 二 年 に行 わ れ
︑ 内 裏 の東 方
︑ 造 酒 司 と 推 定 さ れ て いる 官 衡 区 画 の南 辺 及 び そ の南 を 東 西 に 走 る 宮 内 道 路 に 当 た る 部 分 を 発 掘 し た
︒ 漆 紙 文 書 は 宮 内 道 路 南 側 溝 S D 一 一六
〇
〇 か ら 一点 出 土 し た
︒ S D 一 一六
〇
〇 は
︑ 幅 約 五 m︑ 深 さ 一 mの 規 模 で
︑ 西 流 す る
︒ 堆 積 土 は 大 き く 五 層 に 分 か れ
︑ こ のう ち の下 か ら 二 層 目 と 三 層 目 の中 に 場 所 に よ り 木 屑 を 多 く 含 む 層 が 見 ら れ た
︒ 漆 紙 文 書 は 二 人
○ 人 点 の木 簡 と と も に こ の木 屑 層 か ら 出 土 し た
︒ 伴 出 木 簡 の年 紀 は
︑ 別 の溝 か ら 混 入 し た 可 能 性 のあ る 天 平 一四 年
︵七 四 二
︶ の も のを 除 き
︑ 宝 亀 四 年
︵七 七 三
︶
〜 延 暦 三 年
︵七 人
︶四 の間 に収 ま る
︒ 木 簡 の内 容 を 検 討 す る と
︑ 皇 太
子 時代 の山 部親 王
︵後 の桓 武 天皇
︶ の春 宮 坊 に関 係す るも の︑ 及 桓び 武 天皇 の皇 后 の藤 原 牟乙 漏 の皇 后宮 職 関に 係 す るも のが 含 ま れ て いる と考 え られ る︒ 発 掘 調 査 知の 見 は 一﹃ 九 九 五年 度 平 城 官 跡 発 掘 調 査 部 発 掘 調 査 概 報
﹄ 全 九 九 六年
︶︑
﹁年 報 一九 九 六﹄ 全 九 九 七年
︶ にま と め ら れ てお り
︑ 伴 出木 街 に つ
│ │ │
い 第17図第250・ 259次 調査検出遺構図 界16図 第259次調 査 SDl1600 (西か ら)
ては
﹃平 城 木 簡 概 報 三 二﹄ 全 九 九 六 年
︶ に 掲 載 さ れ て いる
︒ 盆
三︶ そ の他 こ 他の
︑ 墨 痕 の な い︑ ま た は 文 字 判の 読 でき な い漆 容 器 蓋 紙 が 第 九 九 次 調 査
︑ 第 一五 四 次 調 査
︑ 第 二
〇
〇 次 調 査
︑ 及 び 第 二 七 九 次 調 査 に お い て出 土 し て いる
︒ 図 版
︑ 釈 文 は 掲 載 し て いな いが
︑ 大 い に 関 係 す る 遺 物 で あ り
︑ 周 辺 調の 査 で 今 後 墨 痕 のあ る資 料 が 出 土 す る 可 能 性 も あ る た め
︑ 参 考 のた め こ こ に付 記 す る
︒ 第 九 九 次 調 査 は 一九 七 六 年 に行 わ れ
︑ 平 城 宮 跡 東 張 出 部 に あ る 庭 園
︑ いわ ゆ る 東 院 庭 園 の 園 池 北 半 部 を 調 査 し た
︒ 漆 容 器 蓋 紙 は 東 院 地 区 の東 面 を 画 す る 大 垣 S A 五 九
〇
〇 の東 雨 落 溝 S D 五 人 一五 か ら 一片
︑ 上 層 園 池 S G 五 人
○ O B の堆 積 土 か ら 七 片 出 土 し た
︒ 発 掘 調 査 の成 果 に つ い て は
﹃平 城 宮 報 告
﹄ 0 一〇
〇 三 年
︶ を 参 照 さ れ た い︒ 第 一五 四 次 調 査 は 一九 人 三年 に行 わ れ
︑ 平 城 宮 内 裏 の東 方 を 発 掘 し た
︒ 漆 容 器 蓋 紙 は こ の地 区 を 南 流 す る 宮 内 の基 幹 排 水 路 S D 二 七
〇
〇 か ら 一点 出 土 し た
︒ こ の資 料 は 漆 のパ レ ット に 用 いた 土 師 器 の杯 に か ぶ せ ら れ て い る が
︑ 完 存 せ ず
︑ 本 来 の直 径 は 不 明 で あ る
︒ 残 存 部 分 は 約 九 cm四 方 の断 片 と な てっ い る
︒ 同 じ 溝 か ら 漆 塗 り 用 刷 毛 のほ か ︑ 一七 七 八 点 も の木 簡 が 伴 出 し た
︒ 発 掘 成 果 の詳 細 及 び 伴 出 木 簡 に つ いて は
﹃︑ 昭 和 五 八年 度 平 城 宮 跡 発 掘 調査 部 発 掘 調 査 概 報
﹄盆 九 人 四年
︶︑
﹃平 城 木 簡 概 報 一七
﹄ 盆 九 人 四年
︶ を 参 照 さ れ た い︒ 第 二
〇
〇 及 調 査 は 一九 人 九 年 に行 わ れ 左︑ 京 三 条 二 坊 入 坪 北 辺 と 二 条 大 路 を 調 査 し た
︒ 漆 容 器 蓋 紙 は 二条 大 路 上 掘に ら れ た 濠 状 遺 構 S D 五 一〇
〇 か ら 三 点 出 土 し た
︒ S D 五 一〇
〇 は
︑ S D 正 三
〇
〇
︑ S D 五 三 一〇 と と も に
︑ いわ ゆ る 二条 大 路 木 簡 が 出 土 し た 遺 構 であ る ︒ 一連 の発 掘 成 果 の詳 細 及 び 出 土 木 簡 に つ いて は
︑
﹃平 城 京 左 京 二 条 二 坊
・三 条 二 坊 発 掘 調 査 報 告
﹄ 全 九 九 五 年
︶︑
﹃平 城 京 木 簡
﹄
一
・三
︵一 九九 五年
・二
〇
〇 一年
︶︑
﹃平 城木 簡概 報 二〇
〜 三三
﹄ 盆 九 人八
〜九 七 年
︶ 参を 照さ たれ い︒ 第 二七 九次 調査 は 一九 九 七年 に行 わ れ︑ 左 京 二条 二坊 十 一坪 を発 掘 たし 漆︒ 紙 文 書 は包 含層 から 一点 出土 たし 小︒ さ な土 器片 に付 着 たし 小片 あで り わ︑ ず か に 墨 痕 残が る が
︑ 判 読 きで な い︒ 発 掘 成 果 の詳 細 は
﹃年 報 一九 九 七 十Ⅲ
﹄
︵一 九 七九 年
︶ を参 照さ れた い︒
第 三 章 漆 の 流 通 と 漆 紙 文 書 漆
の 流 通 と 漆 容 器
︒ 蓋 紙
漆 紙 文 書 は 漆 容 器 の蓋 紙 に使 用 さ れ た 反 古 紙 であ る
︒ し か し
︑ す べ て の漆 容 器 に 蓋 紙 が 付 さ れ る わ け では な い︒ 漆 紙 文 書 の史 料 学 的 位 置 づ け を 考 え るた め に は
︑ 漆 の生 産 か ら 消 費 至に る 過 程 の
︑ ど 段の 階 で紙 が 蓋 と し て 用 いら れ る の か を お さ え て お く 必 要 が あ る
︒ こ の 問 題 を 考 え る た め の前 提 と な る 先 行 研 究 と し て︑ 都 城 に お け る 漆 の貢 納 使︑ 用 の問 題 を 文 献 史 料 か ら 明 ら か に し た 平 川 南 の業 績 が あ る︒ ま た
︑ 漆 工 房 関に 係 す る遺 物 と し て の土 器 を 扱 たっ も のと し て
︑ 玉 田 芳 央 の研 究 が あ る
︒ さ ら に
︑ 都 城 出 土 の漆 紙 文 書 を
︑ 漆 の 流 通 の中 に位 置 づ け よ う と し た も のと し て古 尾 谷 知 浩 の研 究 が あ り
︑ 本 章 の直 接 の前 提 と な てっ い る
︒ し か し
︑ 本 報 告 書 作 成 過 程 で 明 ら か に な たっ 新 し い知 見 も 踏 ま え
︑ あ ら た め て考 察 を 加 え る こ と と す る
︒ 漆
作 業 の 諸 段 階 と 漆 容 器 まず
︑ 漆 の採 取 段 階 であ るが 漆︑ の木 に傷 を付 け
︑ し み出 る樹 液 を掻 き取 てっ いく 現︒ 在
︑ 採取 直後 は曲 物 桶 入に れ るが 古︑ 代 おに てい いか な る容 器 を 用 いた
かは 明ら か では な い︒ 採 取直 後 漆の 生を 漆 と呼 ぶが 次︑ いで これ を 精製 す る必 要 があ る︒ 精 製作 業 は︑ 盤 な ど の大 き な平 た 容い 器を 用 い︑ 紫 外線 も くし は熱 を あ てな が ら攪 拌 す る
︒ こ の作 業 を ク メロ と 呼 び 精︑ 製 を 経 た漆 を ク メロ 漆 と呼 ぶ︒ 精製 作 業 は漆 の生 産地 行で う場 合 も あ ろう し︑ 消 費 地 で行 う 場合 も あ ろう
︒ 奈良 時 代 おに いて
︑ 消費 地 で精 製 作 業 を 行 たっ 根 拠 と し て︑ 平 城京 跡 右 京 条入 一坊 十 坪四 の調 査 でク メロ 用に いた と 思 われ る盤 の破 片 が出 土 し て るい こと 挙が げ ら れ る
︵奈 良 国 立文 化 財 研究 所 平﹃ 城 京 右京 八条 一坊 十 三
・十 坪四 発 掘 調査 報 告﹄ 一九 九
〇年
︶︒ これ には 内 面 から 回縁 部 にか け 漆て の膜 何が 層 にも 重 な てっ 付 着 し てお り 同︑ 盤じ を 何 回も 繰り 返 し て使 たっ こと うが かが え る︒ 生産 地 から 消費 地 ま で運 搬 す る には
︑ 須恵 器 の平 瓶 長︑ 頸 重 よの う 重な に入 れ る場 合 と 直︑ 径 二O Cm前
後 以 上 の大
・中 型 の曲 物 入に れ る場 合 があ る︒ 須恵 壼器 を 運搬 使に 用 たし 根 拠 と し て︑ 持 ち 逗 ぶた め に収 めた 籠 痕の 跡 付が 着 し て るい 資 料 あが る こと や︑ 平城 宮
︒京 跡 出 土墨 書須 恵 器壺 の中 に︑ 例え ば
﹁余 戸郷
/道
□ 部
/鴨 麻呂
震 部外 面こ
冨 木 漆郷 ァ′師
鮮ヵ 部外 口
﹂ 酌 一ヵオ ロ/
/□ 石勝
徐 部 外
□
﹂ 成 上 平城 一爪 跡 右一 尺 条 雰 主 坪
︑ 西 房 坊 間大 路 西側 滞 出 土︶︑
読 押 イ 一升 一合
︵底 部 外面 行︑ の向 き は ほぼ 直 交 こ
︵以 上︑ 平城 宮 跡 東方 官衡 出 土 と︶ い たっ 郷 名 人︑ 名
︑ 量 の墨 書 銘 を有 す る資 料 があ る こと が挙 げ ら れ る
︵玉 田論 文 を参 照
︶︒ 底 部 に墨 書 し て るい も のは 漆︑ を 入 れ る前
︑ つま り貢 納 元 で記 入 たし こと 明は ら か であ る︒ 通 常 置の き方 はで 見え な こい と︑ 全 て の容 器 に記 載 さ れ て いる わ け では な いこ と な ど から
︑ 都 で の検 収 目 的 のた め に は適 さ な いが
︑ 平 城 宮
・京 跡 出土 資料 の場 合
︑ そ 容の 器 地で 方 から 漆 京が 進 さ れ てき て るい こと 確は 実 であ る︒ 一方
︑ 曲 物 或︑ いは 円 形 の木 製 容 器 で漆 を 運 搬 し た根 拠 と し ては
︑
﹃延 喜 式
﹄ 大 省蔵 に︑
﹁凡 諸 国所 進 年 料漆 先︑ 一令 一内
匠 寮定 登
^品 ネ 即蓋 上記 二定 レ品 之 名人 私 然
後 脚 庫
﹂︒ と あ る こと が 挙 げ ら れ る
︒ 後 述 のご と く
︑ 漆 運 搬 用 の須 恵 器 重 に は 木
︑ 布
︑ 藁 な ど で栓 を す る の で︑ 文 字 を 墨 書 でき る うよ な 蓋 は 用 いな い︒ こ の大 蔵 省 式 の規 定 は
︑ 身 と 蓋 か ら な る曲 物 を 用 いた と 考 え る のに ふ さ わ し い規 定 あで る
︒ ま た
︑ 時 代 は 降 る が 室 町 時 代 の東 寺 領 新 見 荘 の事 例 が 挙 げ ら れ る
︒ 大 永 四 年
︵一 五 二 四
︶最 勝 光 院 方 評 定 引 付 の 月二 四 日 の項 や 大︑ 永 年八
全畢 禄 元
︑ 一五 二 人︶ 最 勝 光 院 方 評 定 引 付 の六 月 一七 日 の 項 に は 次 のよ う あに る︒ 大 永 年四 最 勝 光 院 方 評 定 引 付 一一 月 四 日 一新 見 荘 去 年
﹇大 永 三 癸 未
﹈ 分 公 用 之 内
︑ 漆 桶
﹇指 中
﹈ 拾
︑ 同 小 桶 一︑ 都 合 十 一桶
︑ 此 内 指 中 桶一 卜 小 桶 一ハ 去 年 分 ノ 公 事 漆 二支 配 残︑ 指 中 九 桶 者
︑ 去 年 年 貢 分 二可 有 支 配 之 由
︑ 衆 儀 了
︑ 偽 召 塗 師
︑ 如 例 シ ホ ラ セ 了
︒
︵後 略
︶ 大 永 八 年 最 勝 光 院 方 評 定 引 付 エハ 月 一七 日 一新 見 荘 リヨ 漆 桶
﹇サ シ ナ カ
﹈ 二 到 来 之 間
︑ 令 披 露 之 処
︑
︵中 略
︶ 今 日 召 塗 師 令 支 配 畢
︒
︵後 略
︶
︵い ず れ も
﹁東 寺 百 合 文 書
﹂ る
︒ 細 字 部 は
﹇
﹈ 内 示に す
︶︒ こ れ ら を み る と
︑ 新 見 荘 か ら 東 寺 に 桶 で漆 が 納 入 さ れ て いる こと が わ か る
︒ こ れ は 曲 物 で は な く
︑ 結 物 の桶 で あ る 可 能 性 も あ る が
︑ 蓋 紙 に つ いて は 同 様 と 考 え てよ い︒ さ て︑ 漆 は 消 費 地 ま で 運 ば れ た 後
︑ 実 際 に 使 用 さ れ る時 ま で保 管 さ れ る が
︑ 運 搬 容 器 のま ま 保 管 す る 場 合 と
︑ 大 き な 奏 の よう な 容 器 にま と め て保 管 す る 場 合 が あ る
︒ 実 際 消の 費 時 点 で は 小 型 の曲 物 や壼 に 取 り 分 け る場 合 が あ り
︑ さ ら に 杯 や 皿 な ど の 上 器 に 小 分 け に さ れ る こ と も あ る
︒ 曲 物 を 漆 使 用 時 点 で 用 いた 根 拠 と し て は
︑ 日縁 部 に 刷 毛 置 き の痕 跡 と 考 え ら れ る 凹 形 の加 工 が 施 さ れ て いる 資 料 が あ る
︒ 塗 る直 前 に は 杯 な ど を パ レ トツ と し て用 いる が
︑ 同 時 使に 用 す る道 具 と し て 刷 毛
︑ 箆
︑ タ ンポ
︑ 漆 濾 し 布
・紙 な ど が あ る
︒
漆 の生 産 から 消 費 に至 るま では 以 上 よの う な諸 段 階 があ り︑ そ れぞ れ の段 階 で 目的 合に わせ て容 器 が 用 いら れ るが 蓋︑ 紙 用が いら れ る のは 物曲 杯︑ のみ あで る︒ 出 土 した 蓋紙 付が さ れ て たい のが 曲物 であ る か杯 であ る かは
︑ 縁 辺部 の形 状 で区 別 でき る場 合 があ る︒ 一 方
︑ ク メロ 用 の盤 は繰 り 返 使し わ れ てお り
︑ これ 漆で を 保 管 たし と は考 え が た いの で︑ 蓋 紙 付を す こと は なか った であ ろう
︒ 運搬 用 三の に は︑ 本 木︑ に布 を巻 いた も の︑ 布 藁︑ な ど で栓 を す る の で︑ 蓋 紙 は 用 いな い︒ 中 の漆 を う使 きと には 栓 は 固着 し て取 なれ いこ と 多が いの で︑ 頸部 を割 てっ 取 り 出 す こと にな る︒ これ は破 断 面 に漆 付が 着 し て るい こと か 推ら 測 きで る︒ な お︑ 反古 紙 は蓋 紙 以外 に タ ンポ 用に いら れ て るい 例 もあ る︒ 蓋 紙 の復 元直 径 は︑ 大 型
︵直 径 三〇
〜 二 五 cm︶
︑ 中 型 二︵
〇
〜 二五 cm︶
︑ 小 型
︵一 五 伽前 後
︶ のグ ール プ が りあ
︑ これ 容は 器 の直 径 規に 制 さ れ る︒ 大 ま か に い え ば 大︑
・中 型 のも のは 搬運 保︑ 管 用︑ 小 型 のも のは 小 分け 用と 推定 でき る︒ 以上 のよ う に︑ 漆 紙文 書 の大 きさ や形 態 か ら︑ そ の資 料 漆が 作 業 のど の段 階 で︑ ど よの う な 容器 付に さ れ て いた のか を 推定 す る必 要 があ る︒ 次 に︑ 容 器 付に さ れた 蓋 紙 と し て の反 古 紙 が︑ ど こか ら供 給 さ れた のか と うい 問 題 触に れ てお く こと にす る︒ こ の問 題 に つい て︑ 出 遺土 跡 種の 別 とご 考に え て みよ う
︒ 漆
作 業 用 の 反 古 紙 の 供 給 国府 レ ベル の遺 跡 では 文︑ 書を 管 理す る機 関も 漆を 大 量 に消 費 す る機 関も 限 ら れ る︒ 従 てっ 文︑ 書廃 棄主 体 と漆 使 用主 体 は 一致 す るこ と 多が い︒ ま た︑ そ の主 体 が︑ 文書 捨が てら れ た場 所 にあ る施 設と 密接 に関 係す るこ とも 推定 可能 あで る︒ つま り いず もれ 主 体 は国 に関 係す る機 関 であ ると 推定 でき る︒ そ の他 の場 合 と し て︑ 郡 から 進 上 され た漆 容器 とと も にも た ら され た︑ 郡廃 棄 の文 書 が含 ま れ る こ
と も あ ろう
︒ こ れ は文 書 の内 容 に よ り 区 別 す る他 は な い︒ 地 方 に お け る 工 房 の場 合 は
︑ 国 府 か ら 廃 棄 さ れ た 文 書 も あ る だ うろ し
︑ こ の場 合 でも 郡 レ ベ ル か ら 進 上 さ れ た 漆 容 器 に付 着 し た
︑ 郡 廃 棄 の文 書 が 含 ま れ る こ と も あ り 得 る
︒ こ れ 対に し
︑ 都 城 場の 合 は 状 況 が 複 雑 で あ る
︒ ま ず
︑ 地 方 か ら の 運 搬 容 器 が 須 恵 器 壷 であ った 場 合
︑ 反 古 紙 が 使 わ れ る のは
︑ 都 城 で小 分 け さ れ た 曲 物
︑ 杯 の み で あ る
︒ つま り 小︑ 型 のも の に限 ら れ る 蓋︒ 紙 は 都 城 で付 さ れ る た め 在︑ 京 諸 司
︑ 諸 家
︑ 諸 寺 か ら 廃 棄 さ れ た も の で あ る 可 能 性 が 高 い︒ 文 書 と し て廃 棄 さ れ た 後 の 反 古 紙 供 給 経 路 を 考 え て み る と
︑ 直 接 漆 工 房 に 関 わ る官 司 か ら 廃 棄 さ れ た 場 合
︑ 官 司 払 い下 げ の反 古 紙 が
︑ 官 制 の ル ー ト を 経 て流 れ てき た 場 合
︑ 市 な ど に 一度 流 れ た 後
︑ 購 入 に よ り 調 達 さ れ た 場 合 な ど が 考 え ら れ る
︒ 次 いで
︑ 地 方 か ら の運 搬 容 器 が 曲 物 であ った 場 合 は
︑ 別 の 可 能 性 も 考 え な け れ ば な ら な い︒ 地 方 か ら 京 進 さ れ た 時 点 で は
︑ 地 方 で付 さ れ た 蓋 紙 が か ぶ せ ら れ て いる こ と に な る
︒ そ の蓋 紙 は 地 方 官 行
︵生 産 地 に 近 い郡 か
︑ 進 上 主 体 であ る 国 か は 問 題 が 残 る︶ か ら 供 給 さ れ た 可 能 性 が 高 いが
︑ 反 古 紙 払が い下 げ ら れ た場 合 も あ る だ ろう し
︑ 未 使 用 の白 紙 が 使 わ れ た 可 能 性 も あ うろ
︒ いず れ に せ よ
︑ 地 方 の 紙 が 蓋 紙 と し て付 さ れ
︑ 中 身 の漆 及 び 容 器 と と も に都 城 に も た ら さ れ た と み な け れ ば な ら な い︒ そ の後
︑ 漆 を 使 用 す る に 従 い︑ 蓋 紙 を 取 り 替 え る こ と も あ ろ う
︒ そ の場 合 は 都 城 廃で 棄 さ れ た 文 書 が 付 さ れ る こと にな る︒ いず れ の場 合 でも
︑ 運 搬 容 器 か ら 小 分 け さ れ た 杯 に は 都 城 で廃 棄 さ れ た 文 書 が 付 さ れ る こ と に な る
︒ 反
古 紙 供 給 経 路 の 諸 相 次 いで
︑ 本 報 告 書 に 収 録 し た 事 例 に つ いて
︑ そ れ ぞ れ 反 古 紙 供 給 のあ り 方 を 復 元 す る こと を 試 み る
︒