黒部川扇状地における農村のコミュニケーションと
公民館
著者
田林 明
雑誌名
筑波大学人文地理学研究
巻
12
ページ
87- 112
発行年
1988- 03- 25
人文j也J 1H学UJ f 究 Xll XWセQQR@ 1988
黒部
)
1
1
扇 状 地 に お け る 農 村 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン と 公 民 館
l
王i
林
川
川
ソ
ョン
立- 5 農村のコミュニケーションの特色
国 農村のコミュニケーションと公民館
i l l - l
iセi直- 2 地区公民館
i l l - 3
中央公民錦町 む す び I v土しヵ:き
H 入善I I lJ木根地i玄の生活組織とコミュニケーシ
II-l
r
島J と同族柴田 II-2 班の機能と行事II-3 区( 生産組合) の機能と行事
1I- 4 木根地区の諾組織と行事
I はしがき
1960年 代 か ら の 経 済 の 高 度 成 長 期 に 進 め ら れ た 農 業 の 基 盤 整 備 と 機 械 化 ・ 合 理 化 に よ っ て , 生 産 性 の 向 上 と 省 力 化 が 多 く の 地 域 で 達 成 さ れ た . 数 は 少 な い が3 全 国 各 地 で , そ れ ぞ れ の 場 所 の 条 件 に 応 じ た 自 立 農 業 経 営 が 実 現 さ れ た1) 他方では, 大 多 数 の 農 家 は 恒 常 的 通 勤 兼 業 な ど の 安 定 し た 農 外 就 業 を 取 り 入 れ , そ の 分 だ け 農 業 活 動 を 縮 小 す る 方 向 に む か っ て い る2) 方向は異なるが, し、ずれの場合 においても農家の所得水準は著しく向上したことは事実であり, 1985年 の 農 林 水 産 省 の 農 家 経 済 調 査 によると, 1農家当り6,956,000円 の 収 入 を あ げ る に 至 っ た . こ れ は 非 農 家 を 含 め た 全 世 帯 の 平 均 収 入の5,338,000円の1 . 3倍 に な る . そ の 結 果 , 農 村 に お い て も こ れ ま で の 経 済 活 動 重 視 の 傾 向 か ら , 文 化 活 動 や レ ク リ エ ー シ ョ ソ 活 動 を 含 め た 日 常 生 活 の 質 の 向 上 , 生 活 環 境 の 整 備 な ど に 一 層 自 が む け ら れ る よ う に な っ て き た . 余 暇 時 間 の 増 大 , 人 口 の 高 齢 化 に と も な う 未 就 業 者 の 噌 加 も こ の 傾 向 に 拍 車 をかけている.
黒 部
)1
1
扇 状 地 に お け る 自 治 体 も か つ て の 経 済 政 策 重 視 の 方 向 か ら 大 き く 転 換 し て い る . 黒 部 市 はQYXSセ S
て
J
とうた" 、3,) 入善I
I
I
J
も1983年3月 の 新 総 合 計 画 に お い て 「 活 力 と う る お い に 満 ち た 文 化 の ま ち 入 善J
という方針をかかげたの. し、ずれも,地域文化やスポーツの娠興, 社 会 教 育 活 動 の 活 性 化 を 通 じ て , 住 民 の 生 活 ・ 文 化 の 向 上 を は か る こ と を 主 要 な 目 標 と し て い る .ところで, コミュニケーションとは「社会生活を; 営む人間の間に行われる思想交換あるいは思想伝
達j の こ と を 指 す が , 地 域 の 文 化 や 生 活 の 向 上 を 実 現 す る に は , 施 設 面 の 充 実 を は か る と と も に , コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 円 滑 化 を は か る こ と が 重 要 で あ る . そ の た め に 現 代 の 農 村 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン
活動の実態を分析しその特徴を探ることが必要であろう. この報告で、は農村‘ の住民のコミュニケー
シ ョ ン に 大 き な 役 割 を 果 た し て い る と 考 え ら れ る
l
ヨ常のつきあいや諸行事, さらにそのための組織と 施 設 に つ い て , 特 に そ れ ら の 空 間 的 広 が り や 配 震 に 着 目 し な が ら 検 討 す る こ と に す る .堅
選
市
街
地
巴
11J制 自 等 高 線 口 行 政 界第1間 研 究 対 象 地j或
で の 諸 行 事 や 生 活 組 織 の 実 態 を 検 討 し , さ ら に 入 善IHJや黒部)11溺 状 地 全 域 に 視 野 を 広 げ て い く
こ と に す る . 木 根 地 区 は 黒 部 )11扇 状 地 扇 端 部 に る 集 落 で ( 第1iセiI @ 1986年12月の入善
/1JJ住 民 課 の 資 料 に よ る と , 戸 数95,人i二1433を数 えた. 農業七ンサスで、は木根地区を
i
t . 9 品とごの2つの; 農業集落に分け‘ ているが,大手として
は1つのまとまりであるの. 1985年 の 統 計 に よ る と , 農 家 は7
6戸 , 専 業 農 家 と 第
l
種 兼 業 農 家 は そ れ ぞ れ3
戸と5
戸 で , 残 り の68戸iが第2 種 兼 業 農 家 で あ っ た . そ し て 兼 業 農 家 の8 0 %以 上 が 恒 常 的 勤 務 に 従 事 し て い た ( 第l 表)• 住 民 の 就 業 状 況 を 黒 部 川 扇 状 地 地 域 社 会 研 究 所 の1986年12月 の 調 査 結 果 で み る と , 農 業 従 事 者 は82人 で , 全 就 業 者255人の32. 2%を占めるにすぎず, 製 造 業 と 建 設 業 を 合 せ た 第2次 産 業 従 事 者 が108人で、全体の4 2 .4 %, 第3次産業従事者" は2 5 .4 %をlfi め た ( 第 2表) . まさに,
I
景観的には農莱的要素が卓越するが,機能! めには非農業的・' & ' 日市的要素を 極 め て 多 く 含 む 農 村 」 と い え よ う7)
木 根 地 区 の 住 民 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン は , さ ま ざ ま な 機 会 を 通 じ て 行 な わ れ る が , 班 や 区 な ど の 自 治 組 織 , 本 家 と 分 家 関 係 な ど の 同 族 組 織 , 主 に 農 業 に [ 認 す る 生 産 組 織 , 宗 教 組 織 , 年 齢 別 ・ 性 別 に つ くられているさまざまの組織, そ の 他 余 暇 組 織 な ど が 重 要 な 役 割 を 果 た し て い る と 考 え ら れ る わ . ま ず, こ れ ら か ら 検 討 す る こ と に し よ う .
第1表 入 善IIf J 木根地区における] # 兼業別民家数 ( 1985: q三p 単 位 : j二i)
第兼業1農
1
家重 兼第業2農 種家兼業の種類
農 業 集 落 総 戸 数 農家 専 業 農 家
ムj ::J
セMイM
I 恒勤i ';i;/Y務J I I即lヨ鹿時雇・ 1iセA@
Gゥセ[@
西島 26 24 1 1 22 23 18 5
三島 67 52 2 4 46 50 43 5 2
合計( 木根) 93 76 3 5 68 73 61 5 7
資 料 : 1985年 農 林 業 セ ン サ ス
E 入 善 町 木 根 地 症 の 生 活 組 織 と コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン
11- 1
[-島一!と!可族集日i木 根 地 区 の 家 屋 の 分 布 を み る と , お お ま か に 主 安 地 方 道 ・ 生 地 ・ 入 善 線 ぞ い の 仁jコ央部の塊り, 北部, 南 東 部 , 南 西 部 の 全 体 で4つ の ま と ま り に 分 か れ て い る こ と に き ず く . 第21裂 に 示 し た よ う
に,二i
ヒ
f
is
は 向 南 東 部 は 有1f
,
-
:
t
南西日j) は 西 中 央 部 の 東 が 東 島 , そ し て 西 が 新 聞 島 とH子 ばれている. 向島,京! 倉, ェ U Q Ze i iセィ のそれぞれの戸数は,1
5
,8
,26
,20
,24
であ る . 和 倉 は 本 来 東 島 の 一 部 で あ り , 明 治 則 以 降 の 比 較 的 新 し い 分 家 が 増 加 し て 成 立 し た も の で あ る ー 和 倉 を 含 む 東 烏 と 向 島 , 新1
1
1
,1告の総称が 三 島 で あ る . こ の 三 島 の 範 囲 が 現 在 の 行 政 の 末 端 組 織 で あ る 区 を つ く っ て お り , 間 こ 操 業 協 同 組 合 の 下 部 組 織 で あ る 生 産 組 合 で も あ る . 西 島 は 別 の 区 と 生 産 組 合 を つ く っ て い る .こ の よ う な 「 島 」 と 呼 ば れ る も の は , す で に 富 山 県 砺 波 平 野 や 石 川 県 手 取 )I1扇状地を初めと す る 多 く の 扇 状 地 性 平 野 に お け る 村 落 研 究 に お
いて指檎されてし、る. 橋本は砺披市! 鷲楢地区の
研 究 に お い て9),
I
彼 等 は 用 水 路 に 区 分 さ れ た 島 状 徴 高 地 に 居 住 し ? そ の 周 辺 を 漸 次 開 拓 し て い っ た . 開 拓 が 進 み , か か る 生 活 空 間 が 連 鎖 的 に 形 成 さ れ て く る と , そ れ ら の 複 合 的 な 生 活 空 間 と し て , 後 世 の シ マ の 原 型 に あ た る 小 シ マ 複 合 空 間 が 醸 成 さ れ て く る. J
と述べている. 木根j也│玄の場合にも,点在していた土壌の多少深
い 徴 高 地 が 個 々 に!3ri拓 さ れ て ゆ き , さ ら に 開 拓 地 が し だ い に 連 合 し て 「 島
J
を 形 成 し て い っ たA iセiセ
サH{セitii
- - - HEザIL
一一 J誌 の 境 界
一 一 区 界
セ@ セエセ@
公 共 施 設
① 木 根 神 社
( 三社之社)
② 木 版 公 会 堂
( 三出公会立)
③ 阪 市 公 民 館
iQQ iセHi
( ゲ ー ト ボ ー ル 場 )
⑤ 三 島 倉 庫
⑥芸J也
少 fく
y -;;?'
d: "
0 3 O O m
第2図 入 善IHT木恨地症の班と島と区
資料: 現地での観察と11YJき取りにより
fFlt(
か ら 活 発 に 進 め ら れ た が10) ,小規模なものは明治期以降,昭和1
0年 代 に 至 っ て も 実 施 さ れ て い た .
そ の 際 に は 同 族 の 団 結 が 重 要 な 役 割j を 果 た し た11)現 在 の 同 族 の 分 布 と 本 家 ・ 分 家 関 係 を み る と ( 第
3
[
玄1
)
, 向島はH
家とK a
家とKi
家が, 3f 1] 倉をセ k h。 s。 QQZ Q島は
K
家 が , 西 島 はT
家とS
家とF
家 が 主 な 構 成 員 と な っ。
¥
1 11)i詰
3 0 0 m
e K言
. . . T家
A K a家 G S家
図H家
口F芳家〈
組 Ko家
o
Ki 完家ミ①I家
ムS a家 E
混語 Ha家 EDU家
①A 家
θ N家
セ
¥ ¥
! 誌の境界
¥ ¥ 和 倉
西島
-..._"//
¥
¥
/
/ ¥
¥
¥ ¥
¥
第3 図 入善HlJ木 根 地l玄の島と! 可族集団
資 料 : 11i1き 取 り に よ り 作 成
N iセセ itfl,l 告の場合には, 1
O
U
を 除 い て す べ て 「 島 」 の 範 簡 で 完 結 し て いる の に 対 し て , そ の 他 の 向 島 , 東 島 , 新
m
,l訟 の 場 合 に は 相 互 に 入 り く ん で お っ , 個 々 の 「 島J
を 単 位 と す る 生 活 空 間 が 連 合 し て , さ ら に 大 き な 三 , 烏 と い う 単 位 が 形 成 さ れ て い っ た こ と が 推 定 で き る . 姓 をi
司じくする家は,K a
家の場合を除し、て同じ寺の壇家となっている. 入 善 町 吉 原 地 区 の 光 明 寺 と 光 誓 寺 の 門 徒 が 多 い が , 青 木 地 匿 の 浄 慶 寺 や 東 弧 地 区 の 菩 称 寺 , そ し て 魚 津 r =1' J の詫法寺門徒もいる. 木 根 地 区 の 同 族 内 で の 結 び つ き は 現 在 で は 弱 く , ごく近い税務{ を除くと特別なつきあいはみられない.地 縁 的 集 団 で あ る と と も に 同 族 集 団 的 性 格 を も っ 「 島j は , 木 根 地 区 の 基 本 的 生 活 単 位 と な る こ と
が多い. 例えば, iセi R
N j QセS N
社( 三社之社) の宮総代は間島,東島( 和倉を含む) , ャセ○j iシ ゥ T j ャ
人 ず つ 選 ば れ る こ と に な っ て い る .
1 1 -
2 1
JiJ
の機能と1) 班 の 機 能
木根j也症の班は,それぞれの「島J を道路や用水路などの境界や家の集合状態を考慮して, 10戸 前
後 の ま と ま り ご と に 分 け た も の で あ る . 西 島 に は3つ , 東 島 , 向 島 , 新E日島には2つ,和倉には1つ の 班 が あ る . 三 島 の 場 合 に は 班 長 のl 人が区長から副区長に指名される. 班は症の下部組織として, lllJからの各種の印刷物の配布や情報伝達の単位である外に, 日 常 生 活 の 上 で 最 も 身 近 な つ き あ い の 範 凶 で も あ る . し か し , 改 っ た 行 事 の 主 な も の と し て は , 新 年 宴 会 と 花 見 と サ ナ プ リ 程 度 で あ る .
1
Ji1
は 葬 儀 の 際 の 互 助 組 織 で あ る . 不 幸 が あ っ た 家 に 木 摂 地 区 の 全 戸 が 香 典 を 持 参 し , 葬 儀 に 参 列 す る の が習慣であるが,具体的な世話は当該の] 去と近い親類によって行なわれる.
2 ) 班 の 行 事
新 年 宴 会 新 年 宴 会 は1月2 1ヨにそれぞれの班ごとに,特定の個人の家で、行なわれることになっ
て い る . 数 え 年 が42歳と60歳のj百 年 に あ た る 男 性 の い る 家 が 率 先 し て 会 場 を ひ き う け る 習 慣 に な っ て
NZ UセV
善IllJ芦111奇地匿の魚屋に仕出しをたのみ,必要経費を参加者で、平等に分担するようになっている. 向島
の 班 の よ う に そ れ ぞ れ の 家 か ら 世 帯 主1人 が 参 加 す る 場 合 と , 東 島 の 場 合 の よ う に 複 数 あ る い は 家 族 全 員 が 参 加 す る 場 合 な ど , 斑 に よ っ て さ ま ざ ま で あ る が , 最 近 の 額 向 と し て は 多 く の 者 が 参 加 す る よ
う に な っ て い る . 普 通 は 午 前 日 時 頃 か ら 始 ま り , 午 後5
n
寺頃に散会する. この際に4月 か ら 任 期 が 始 まる次期班長を選ぶ.花 見 T iセi N
場所は集落の中心部にある木根神社で、あったり,近隣ーの適当な場所であったりする. 雨天の場合は公
民 館 を 利 用 す る こ と も あ る . 参 加 者 が 会 費 を 平 等 に 負 担 す る .
サナブリ サナブリとはE13i謹終了11寺の訪れ、であり 5月i二1: : 1旬の土曜日の夕方,それぞれの家の世 帯 主 が 食 事 を 兼 ね て 会 場 と な る 家 に 集 ま り , 宴 会 を 行 な う . こ の 地 区 で は1965年にi習場整備が完了し た が , 翌1966年から1970年 頃 ま で , 田 植 機 の 普 及 に よ っ て 中 止 さ れ る ま で 斑 が 単 位 と な り 共 同 田 摘 が
実施された. また, 1953年壌にこの地区に耕転機が導入される以前には, 長野県から農耕: 用の馬を
{ 昔りる慣行があり, Iセ ェ ヲY■MbS
た . 当 時 で も 育1
1
5は個人で、行なったが,刻起や代かき,
ワク押しE
D植 は 共 同 で 行 な っ た .
田 植 が 終 了すると! 壬l槌仲間で酒宴を行ない. 翌日にイ中間全員で芦11時地i玄や入善地区の銭湯へ日帰りででかける のが習慣であった. 古いl時代のf 3: 1i
龍仲間の範1
m
は 必 ず し も 班 の 範 悶 と 一 致 し な か っ た が , ほ ぼ 対 応 し ていた. 1950年 代 ま で さ か ん に 使 用 さ れ た 水 車 の1
11:)間も, eヲ iエ↓セ N
l l -
3I
玄 ( 生 産 組 合 ) の 機 能 と 行 事1) 区 の 機 能
三 島 と 西 島 は そ れ ぞ れ 圧 と 生 産 組 合 を つ く っ て お り12), 区 長 Vi 生 産 組 合 長 を 兼 ね て い る . 区 と 生 産 組 合 の 行 事 は 未 分 離 な こ と が 多 し そ の 主 な も の は 新 年 宴 会 , 総 会 , 常 会 な ど で あ る . そ の ほ か に 農 業 生 産 に 関 係 す る も の と し て , 農 協 職 員 と の 座 談 会 ( 農 事 講 話 会 ), 青 閉 ま わ り , 水i王! の転作のわり
ふりなどがある. 農業協同組合の総代の選出は,
I
三: を基本単位としている. さらに! 日背木村の運動会に は , や は り 西 島 と 三 島 と い う 区 が 単 位 と な り 参 加 す る . 11ヨ青木村には10の 区 が あ る . 区 長 は 自 治 公 民 館 長 と し て そ の 運 営 に あ た っ て い る . 区 の 行 事 や 集 会 に は 主 に こ の 公 民 館 が 用 い ら れ る . 三
J誌の公
民 館 は1936年 に 建 て ら れ た も の を1986年に改築したものであり,三島と西島両集落すなわち木根地区ー の 公 民 館 も 兼 ね て い る . こ の 場 合 , 地 元 で は 木 根 公 会 堂 とn子 ぶ . こ の 報 告 で も こ れ に な ら い 木 根 公 会 堂 と よ ぶ こ と に す る . fLEi ) 告は独自に公民館を維持してし、るが,大きな行事や多人数が集まる場合,公会 堂 を 使 用 す る
間 島 と 三 島 の 全 戸 に は 有 線 放 送 の 受 信 機 が 備 え ら れ て い る . 送 信 機 は そ れ ぞ れ の 区 長 宅 に あ り , ほ
ぼ 毎 日 午 前611寺30分 と 午 後6AQ セW ! 玄や生産組合の仕事の他に,老
人 会 , 婦 人 会 , 宗 教 関 係 な ど さ ま ざ ま な 情 報 が 豆 長 の と こ ろ へ も た ら さ れ , そ れ ら が 放 送 さ れ る . 有 線 放 送 は1957年 に ! 日 青 木 村 の 全 戸 数 を 対 象 に し て 設 置 さ れ , 当 初 は 青 木 操 業 協 同 組 合 か ら 放 送 さ れ て いたが, 1965年 か ら そ れ ぞ れ の 援 で 維 持 管 理 す る こ と に な っ た . I豆 長 以 外 は 送 信 で き ず , 他 は 情 報 を 受 け る の み で あ る . 区 長 が 交 代 す る と , 送 信 機 を 新 区 長 宅 へ 移 動 す る . 西 島 と 三 島 の ! 豆 長 は 電 話 を 用 い て 相 互 に 連 絡 し 情 報 を 交 換 し て し 、 る . 有 線 放 送 は 黒 部)11扇 状 地 の よ う な 散 村 積 雪 地 帯 で は , 有 効 な コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 手 段 と な っ て い る .
i
玄と生産組合の行事,公民館の維持管理に必要な経費はあわせて,戸数割りと; 農地の反l Jjl当 り で 徴収される. 4月1 白から翌年3月 末 ま で が 会 計 年 度 と な っ て お り , 1985年 度 の 三 島 の 収 入 の 合 計 は 1
,458, 189円 で , そ の 内 訳 は 繰 越 金26,1 239円 , 負 担 金 ( 1戸当り3500円2 反当り150内 の 割 合 で 徴 収 )
が320,850門 , 事 業 収 入 が419,200円 , 助 成 金 (lnJ,
i
農 協 , 土 地 改 良 区 か ら の も の ) が388,728円,そ の 他 預 金 利 子 な ど が68,172円 で あ っ た ( 第3表) . 事 業 収 入 は 慰 安 会 や 新 年 宴 会 な ど の 会 費 で あ っ た . 支 出 の 合 計 十 丸 会 合 費 が204,677円 , 事 業 費666,896門 , 有 線 放 送 経 費 が29,000F9, 助 成 金80,000 円 , そ の 他 が7,1340円 で あ る , 事 業 費 の 中 で 最 も 大 き な 支 出 は 後 に 述 べ る 慰 安 会 と 新 年 宴 会 へ の 支 出 で あ っ た . 助 成 金 の 中 に は 新 し い 公 民 館 建 設 準 備 の 費 用 が 含 ま れ て い た . そ の 他 に は 三 島 倉 庫 の 火 災 保険掛金,選挙のあいさつに月札、る泊代,公民館の消耗品が含まれていた.2 ) 区 の 行 事
新 年 宴 会 1月4日 の 午 後 , 西 島 と 三 島 の 農 家 , 非 農 家 を 含 め た 全 戸 か ら 世 帯 主 がl 人 ず つ 参 加 し て , そ れ ぞ れ の 公 民 館 で 新 年 宴 会 を 行 な う . 午 後211寺から3時 頃 に 集 ま り 夕 刻 ま で 飲 食 す る が , 料 理は芦iI l奇地i乏 の 仕 出 し 屋 か ら 取 り 寄 せ , 経 費 は 平 等 に 負 担 す る .
総 会 S ェ ャセヲj N
第3表 三 島 区 収 支 決 算 ( 1985年 4月113セQYXV S RU I
収 入 1: 支
1
1 IE
分
│
内 訳出
、
、
2
,
J
弓
〆
F
4、、
宵
只
d
t
e
金
繰 越 金 [ 261,239 iよL三2:二{5- セQエ@ 204,677
負 担 金 320,850
Q Q iセG ヲ、
156,747
l 戸当 3,500lTjX67戸 234,500
班長会関係 47,930
反当別反当 150 円 86,350 事 業 費 666,896
事業収入 419,200
関ベニ.、学?士、会,--' 332,076
慰安会( 金太郎温泉〉 219, 500
)
1
主事講話会 62,650新年会 170,700
農協農業祭 5,000
農事講話会 29,000
秩祭礼 9, 200
新年会 206, 700
助 j友 金 388,728
海 岸 怯 植 樹 450
IIIJ関係( 転作・多用途米) 62, 100 体育! 持部 50, 820
納税報償金 180,000
( 青木地区体育大会) ( 44,520)
農協関係 135, 128 ( 青木地区ソフトボーノレ大会〉 ( 6,300)
( サシ米代) ( 40,845)
有線放送
(調査費〉 ( 2,800)
29,000
(配当金〉 ( 5,995)
有線放送鯵理代 14,000
( 部法座談会) ( 7,133)
有綜放送コンクリート柱 15,000
( 軽hJl免税) ( 78,355) 80,000
土地改良区江切助成金 1,1 500 公民館建設委員会 50,000
そ の 他 71,340
利 用 料
i
食卓利用 7,300 部正i i ¥l
i
区長感謝状記念品 28,650そ の 他 60,872
部m;1J [玄長事務手当 10,000
利息 6,082
三島倉庫共済掛金 9,000
社会福祉( 日赤〉 24, 790
IllJ議選挙酒 15,680
寄 付 30,000
献 穀IIj{ 間 7,840
使 所 紙 170
l
差 引 金 合 計 次 年 度 繰 越 金 406,276資料・三島区保存収支決算書綴
計 画 と 予 算 案 が 検 討 さ れ る . こ の 際 に 区 と 生 産 組 合 関 係 の 役 員 の 改 選 も 行 な わ れ る .
常 会 月 に11: 9 : 1 , そ れ ぞ れ の 家 の 主 が 三 島 と 西 島 の 公 民 館 で 会 合 し , そ の 時 々 の 報 告 と 問 題
に つ い て 話 ー し 合 う . 現 在 で 、 は 通 勤 者 が 多 い た め , 土11J1il1ヨ の 夜 に 行 な わ れ る こ と が 普 通 に な っ た . 通 常 は 夏 季 は 午 後7 R寺 頃 ま で 農 作 業 が あ る の で , 午 後7時30分 頃 か ら 始 ま り , 会 合 の 後 の 簡 単 な 懇 親 会 を
含 め て 午 後 日 時 頃 ま で 続 く . 冬 季 は 午 後711寺 領 に 始 ま り , 午 後1011寺 頃 ま で に は 終 る . 選 挙 を 初 め さ ま
ざ ま な 機 会 に 集 落 に 寄 与 さ れ た 溜 を , こ の 際 に 飲 む .
慰 安 会 田 植 の 終 了 し た5月 の 第21ヨ ! 程 臼 頃 に 臼 帰 り で 近 隣 の 温 泉 へ 出 か け る . 年 に よ っ て も 異
WPセXPE N
3 ) 農 業 生 産 にi却する行事
農 事 講 話 会 と 青 田 ま わ り 生産組合本来の行事としては, 1) =] 271=] と 5)=j 19 1:1:に 農 業 協 同 組 合 の 営農指導員と集落氏の座談会があり, これを; 農事講話会と11子ぶ. 5月から7月にかけて31互! にわたっ て青阻まわりが行なわれる. これは操業協同組合と; 農業改良普及所の指導員とともに,
7
J
く│王iを1fi:11) セョ@ j也で指導; をうけるものである. 最近は通勤兼業者のIlt;N
f
主 が 多 く , 不 在 で あ る た め , 主 婦 が 参 加 す るこ と が め ず ら し く な く な っ た .
江 波 い
3
月下旬のi
玄の総会が開かれる! ミ! の午前中には,江淡いが行なわれる. 三島と凶島でそれぞれ5 J 1j に分担箇所を決めて,主要幹線用水路を清帰する. ;)!o農 家 も 含 め て 全 戸 が 参 加 す る こ と に な っているI l lJーからわずかの補助金がでるが,茶菓代程度ーである.
1960年 代 に 用 水 路 が 整 備 さ れ る 以 前
に は , 稲 作 に 不 可 欠 な 重 要 な 行 事 で あ っ た が , 現 在 で は 簡 単 な 作 業 に な り , 午 前7
1l寺30分から始まり
午 前1
0
li
寺頃には終了する.転作のわりふり 水13:1利 用 再 編 対 策 の 実 施 に 伴 う 転 作 の わ り ふ り は I日] ーから11ヨ青木村の豆長会に 転 作 商 穣 が 知 ら さ れ , さ ら に 各 区 長 が そ れ ぞ れ の 区 に お い て 個 人 別 に わ り ふ る . た だ し , 集 団 転 作 を 行 な う と 多 く の 補 助 金 が も ら え る た め , 区 全 体 で 転 作 自 を 場 所 iめにまとめる作業が必要で、ある. これ は 区 長 兼 生 産 組 合 長 の 仕 事 で あ る .
I I - 4
木 根 地 区 の 諾 組 織 と 行 事1 ) 木根地! 玄の諾組織
行 政 や 農 業 協 ! 可 組 合 の 末 端 組 織 と し て 三 島 と 西 島 に 分 か れ て い る と い う も の の , 木 根 地 区 は か つ て の 藩 政 村 で あ り , 明 治 期 以 降 も 1つ の 集 落 と し て 住 民 に 認 識 さ れ て き た . 現 在 の よ う に 区 と 生 産 組 合 が 別 れ た の は 第2次 世 界 大 戦 後 , 農 業 協 同 組 合 の 下 部 組 織 で あ る 生 産 組 合 を つ く る 際 で あ る . 木 根 地 区 の 最 も 重 要 な 精 神 的 な 核 は , 木 根 神 社 ( 三 社 之 社 ) で あ っ た . 木 根 地i玄 の 家 々 の 連 帯 感 は , 主 と し て 木 根 神 社 の 諸 行 事 を 通 し て 維 持 さ れ て い る と い っ て も 過 言 で は な い . そ れ ゆ え 木 根 地 区 全 体 に 関 す る諸行事は,ネrjl社 関 係 以 外 の こ と で あ っ て も , 宮 総 代 が 中 心 的 役 割jを果たす. すでに述べたように, 宮 総 代 は 木 摂 地 区 の
4
つ の 島 か ら そ れ ぞ れ1
人 ず つ , 比 較 的 年 配 の 古 い 家 柄 の 有 力 者 が 選 ば れ る . いずれも! 豆長や農業協同組合の総代の経験者であり,さらに1日青木村の範閤や入善IllJvこかかわる諮役員
であった者が多い,
宮 総 代 は 木 根 地 区 を 儀 礼 的 な 面 で 代 表 し , 隣 接 地 区 の 火 事 や 洪 水 , 大 波 な ど の 災 害 の 見 舞 , lI!J 長・ IllJ会 議 員 当 選 祝 い に お も む く ほ か , 農 業 協 同 組 合 理 事 ・ 監 事 , rl!J会 議 員 , 各 種 団 体 役 員 の 選 挙 候 補 に つ い て 隣 接 地 区 と 調 整 し た り す る . 宮 総 代 の 任 期 は
2
年であり, これを2
期 勤 め る の が 慣 習 と な っ て い る . 区 長 や 班 長 は 実 務 が 多 く , 極 め て 多 忙 で あ る の に 対 し て , 宮 総 代 は 名 誉 職 と し て の 性 格 も あり,希望者も多い.
せいめい
く つ か の 性 別 ・ 年 齢 別 組 織 が あ る . そ れ ら は35歳までの男性による精明会, 36歳 か ら55歳 ま で の 男 性
[[セ
の三四五会, 60歳以
J
二の男性・女性の福寿会( 老人会) , 30歳 代 前 半 ま で の 若 妻 会 , そ れ 以 上 の 年 齢 層 の 婦 人 会 な ど で あ り , そ れ ぞ れ 活 発 に 活 動 し て い る . そ し て , そ の 活 動 の 主 な 場 所 が 木 根 公 会 堂 で 、 あ る . さ ら に , 雅 楽 の 会 や 家 庭 菜 園 を つ く る 会 な ど が あ り , ま た 農 業 関 係 で は 球 根 栽 培 者 の グ ル ー プIヲセ N
神社を中心とした経費は,
I
玄の経費とはyJ I j 会合iで 木 根 地 区 の 全 戸 ( 木 根 神 社 の 氏 子 〉 か ら 徴 収 さ れ る . 会 計 年 度 は8月1 1ヨから翌年7)j 31日までである. 1985年 の 収 支 決 算 書 に よ る と , 収 入 は722,862 円 で , そ の 主 要 な も の は1戸当り6,000門 ず つ 徴 収 さ れ る 割 当 金 で あ っ た13) 支出をみると, 氏 子 総 会費や総代手当,神社の維持費・修繕費,f
:
IP社 や 墓 地 の 清 掃 の 謝 礼 , 祭 の 経 費 の 外 に , 公 会 堂 の 火 災 保険費用,)1
1
J京 運 動 公 園 ( 木 根 地 区 の ゲ ー ト ボ ー ノ レ 場 ) 造 成 費 用 , 三 四 五 会 や 精 明 会 , 婦 人 会 , 福 寿 会,Y
己 主 ク ラ ブ , 雅 楽 の 会 へ の 補 助 金 も 含 ま れ て い る .木 根 地 区 で は1986年 に1I1
J
ーから50万 円 の 補 助 金 を 得 て , 総 工 費2,100万 円 で 公 会 堂 ( 公 民 館 ) を 建 設 したが, これは1936年 に 建 て ら れ 老 朽 化 し て い た 木 根 公 会 堂 を 建 て か え た も の で あ る . 新 し い 建 物 は , 木 根 公 会 堂 で 、 あ る と と も に , 三 島 公 民 館 と し て の 機 能 を 兼 ね て い る . そ の た め 建 設 費 の 負 担 額 を み る と , 三 島 の 各 戸 か ら247::;P=J, 西 島 の 各 戸 か ら8万円となっている. なお,西島には; 51j に1971年 に 建 て ら れ た 西 島 公 民 館 が あ る . 公 会 堂 の 建 設 費 の 徴 収 に も ,IR長 と と も に 宮 総 代 が あ た る こ と に な っ
て い る . さ ら に , 木 根 公 会 堂 の 消 耗 品 や 光 熱 費 を 含 め た 維 持 管 理 費 は , 今 後 , 神 社 の 会 計 の 中 に 組 み 込 ま れ る よ う に な る .2 )
fljlf主を中心とした行司王
年 始 祭 ( 新 年 宴 会 ) 年 始 祭 は1月1
1
ヨに木根地│玄全体で、行なわれる行事で,普通新年宴会と呼 ばれ, こ れ に は そ れ ぞ れ の 家 か ら1人 に 限 ら れ ず 複 数 が 参 加 す る . 午 前8時30分頃から木根神社で、初 誌 を す ま し た 人 々 が , 木 根 公 会 堂 に 集 ま る . 数 え 年42]設 を む か え た 男 性 の 初 老 の 「 お ひ ろ め 」 が こ のしようしんげ
行 事 の 主 旨 のl つ で あ る . 午 前1011寺 頃 か ら 浄 土 真 宗 の お 教 ( 正 信 偽 〉 を 参 加 者 でl唱 え る . 仏 教 に 通 じ
た地区の長老が先導し, { 曽侶をよぶことはない. 黒部)11扇状地では普通にみられることであるが, こ
の 公 会 堂 ( 公 民 館 ) に も 仏 壇 が 設 け ら れ て い る . 次 い で 宮 総 代 , 区 長 , 地i玄選出の町会議員, ,農業委 員 会 委 員 , 土 地 改 良 区 の 理 事 , 民 生 委 員 な ど が 年 頭 の あ い さ つ を 行 な う . そ し て 神 社 や 区 , 公 民 館 な ど に 寄 付 さ れ た 酒 の 披 露 の 後 , 初 老 を む か え た 人 が 主 賓 , 還 暦 を む か え た 人 が 準 主 賓 と な り , 酒 宴 が 行 な わ れ る . 酒 宴 は 午 前 日 時30分 頃 か ら 午 後11時頃まで続くが, これには女性はほとんど参加せず, 先 に 帰 宅 す る .
1985年度の神社の行事明細書によると,年始祭の! 際,
f
:
11I社 に 清 酒6斗7升が奉納され, こ れ を 福 寿 会 ( 2升 ) , 三 四 五 会 ( 3升), 精 明 会 (2升 ) , 若 妻 会 ( 2升 ) , 婦 人 会 ( S I iセ ( 2升) ,雅 楽 の 会 ( 2升), 左 義 長 ( 2升 ) の 各 国 体 と 西 島 ( 4升), 和 倉 ( 2チ1-), 東 島 ( 4升) , 新 四 島 ( 4 升), 向 島 ( 4升 ) に 配 分 し , 神 社 が6升 預 り , 残 り の2斗5升 を 当 日 の 宴 会 で 使 用 し た .
係しているため, こ の 時 期 に よ う や く 願 番 が 回 っ て く る . 宮 総 代 が 社 殿 を 清 掃 し て , 幕 を は1),旗を あげ,米,魚、, rrL
t
莱 , 泊 な ど の 供 物 を と と の え る . 午 後311寺頃から30分ほどでお被いと祝詞を終り,Q
ャ↓セ jS P N
SP
ど参加する.
左 義 長 1月151=1に 子 供 と そ の 親 が 中 心 に な っ て 行 う 行 事 で , 神 社 の 境 内 に 正 月 の 部l
i
や 書 初 な どを持寄って焼く.
春 祭 3Iセ@ 14,15 El に行なわれる春祭りは, 4人 の 宮 総 代 が 中 心 と な っ て 準 備 し , 神 主 の お 被 い
と祝詞の後. 公会堂で、直会が行なわれる. Q]Q ZZQ SPセSU QPPQ {Q
清酒の2合 ピ ン を 持 参 す る . 春 祭 に は お 供 米 代 と し て 各 家 か ら500門ずつが徴収される.
虫祭
6
月22日 は 虫 祭 で あ り , 虫 送 り の お 厳 い が あ る . そ れ ぞ れ の 家vこ御弊のついた柿l'
( 最近でI ○jゥセ
る. 木根地
i
玄の東西南北の41)/唱にも持111が立てられる.秋 祭 秋祭はこの地区で;
J
1
主も大きな祭で, 10月14日と151=1に行なわれる. WPセXPす る . 宮 総 代 が 神 社 に 供 物 を そ な え , 械 を 立 て る . 10月151ヨの午後111寺30分 頃 か ら 幼 稚 園 児 と 小 学 生 が御輿をかつぎ,東島, 11: i J 島,新田島,和倉, flli J誌のIJ頃で巡る. 10月15日の午前8 n寺30分 頃 か ら 午 後
O
時30分填までに,2
人 の 神 主 が 地 区 内 の す べ て の 家 を 個 々 に 訪 れ , お 放 を す る . 宮 総 代 が 先 導 し て 1人 の 神 主 は 和 倉 か ら 西 島 , 新 田 島 のIJ原に, もう 1人のネ11'主 は 東 島 か ら 向 島 , そ し て 新 田 島 の 頗 に 巡 る . 神 主 へ の 謝 礼 と し て , 祝 詞 の お 礼 を 饗 銭 , 玉 ぐ し 代 , そ れ に 潜 と 新 米 と モ チ 米 を そ れ ぞ れ2
升 ず Rセ 大根とニンジン, コンブなどの供物を贈る14) 午後31時 頃 か ら 神 社 で お 肢が あ り , そ の 後 公 会 堂 で 男 性 が 中 心 に な っ て 酒 宴 を 行 な う . 子 供 の 御 輿 の 巡 回 が 終 る と , や は り 公 会 堂 で 父 兄 が つ き そ っ て , 慰 労 会 を 行 な う . こ の 地 区 の 伝 統 芸 術 で あ る 雅 楽 も こ の 祭 で 演 奏 さ れ る .
新 嘗 祭
1
1
月24日 に は 新 嘗 祭 を 行 な う . 宮 総 代 は 午 前911寺頃から神社の清掃をし,供物をあげ, 密 旗 を あ げ る . 午 後3時頃から神主によるお械があり,その後酒宴になる, これには24'"'-' 5人 が 参 加 す る に す ぎ な い . 木 根 地 区 分 の 全 戸 か ら500円 ず つ の お 米 代 を 徴 収 し , 神 主 へ の お 礼 と す る .宮 の 総 会 木根地区全体の総会で,神社関係を中心とした会計の決算と予算の報告が行なわれ,
承 認 を 得 る . 普 通
8
月の第1日曜日に神社と公会堂を清掃してから行なわれる. すで‘ に述べたように神 社 以 外 の 経 費 で も , 木 根 地 区 全 体 に 関 す る も の は こ こ で 取 り 扱 わ れ る .
盆おどり 8月13日 に 木 根 地 区 全 体 で 行 う 行 事 で あ る . 主 に 精 明 会 が 世 話 を し , 各 家 か ら2000門 ずつ徴収して,木根ネ111社で、行なわれる.
3 ) 諸 組 織 の 活 動
精 明 会 す で に 述 べ た よ う に 木 根 地 区 に は 各 種 の 任 意 団 体 が あ り , そ れ ぞ れ が 独 自 の 活 動 を 行 な っている. 35歳 未 満 の 男 性 か ら 成 る 精 拐 会 に は 青 年 間 も 含 ま れ , 約30名の会員がし、る. 古くから木線 地 区 の 諸 活 動 の 中 心 に な っ た も の で あ っ た . 例 え ば1936年 に 建 て ら れ た 古 い 木 根 公 会 堂 は , 精 閉 会 が
に│ コ心になったものであった. 現在ではスポーツやレクレーション,懇親会によって会員相互の親睦を
に 古 く か ら 伝 わ る 芸 能 を 保 存 す る 雅 楽 の 会 も , 精 明 会 の 会 員 が 中 心 と な っ て お り , 12--- 3人 が 参 加 し て い る . 太 鼓 (
1
名), 笠 (5
名) , 笛 (2
名 ) か ら 成1) , :fFj3社 の 祭 礼 の 際 に は 欠 か す こ と の で き な い も の と な っ て い る .:;,九よし、
三 四 五 会
36A
茂から55
蔵jまでの男性がつくる三四五会の会員は, 約60
名を数える.1
月 の 新 年 会, 4月の花見, 7月の登111,8月のソフトボーノレ大会,10
月 の 講 演 会 な ど 多 様 な 催 し を 行 な っ て い る . こ れ ら の 催 し は 会 員 に 限 ら ず , 家 族 が 参 加 す る こ と が 多 い . 新 年 宴 会 や 講 演 会 な ど 公 民 館 を 使 用 することが多く,講演会には大学教授, {僧段イ4
行佐J El 51jの会は
6
年ほど前につくられたにすぎぎ、ないが,現在この地区の中核となる人が多く,活発に活動している.
福 寿 会 ( 老 人 会 )
60
歳 以 上 の 男 女 が つ く っ て い る 福 寿 会 は , 約60
名の会員がし、る.1986
年 春 に三島の区長がよびかけ, ゲートボーノレ場を新たにっくり,川原運動公園とよぶようにした.
8
aの土地 を 無 償 で 借 り , 木 根 地 区 全 体 の 予 算 の にiコから整地代と建物修理代,材料費を合せて
40
万i
二9
を 支 出 し た. このゲートボーノレ; 場と公民館が福寿会のE:! 常 の 活 動 の 中 心 的 場 所 と な る . 福 寿 会 は 年2回虫祭りと 秋 祭 り の 前 に 神 社 の 境 内 の 除 草 ・ 清 婦 も 行 な っ て い る . こ の 他 に , 三 四 五 会 と 福 寿 会 の 会 員 の 中 関 の 年 齢 層 が 大 正 会 を つ く っ て い る が 人 数 が
10
名 程 度 で 懇 親 会 を た ま に 行 う 程 度 で ほ と ん ど 活 動 し て いt
J:_し、.若 妻 会 ・ 婦 人 会 女 性 の 組 織 と し て は3
5歳よりすれ、年齢層の若妻会とそれ以上の年齢!
震の婦人会 が あ る . 懇 親 会 や 慰 安 旅 行 , 料 理 ・ 生 花 教 室 , そ の 他 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 な ど を 行 な っ て い る .そ の 他 の 組 織 レ ク リ エ ー シ ョ ン 組 織 と し て は , 大 正 琴 の グ ル ー プ と 家 庭 菜 闘 を つ く る 「 す ご ろ
くグループ
J
などが活動しており,し、ずれも女性が構成員である. また,児童クラブは小・中学生の学 校 外 の 地 域 活 動 を 促 進 す る も の で , 子 供 の 父 兄 が 中 心 に な り 世 話 を し , 秋 祭 の 擦 の 子 供 詐11輿 を 主 体 的 に 行 な っ た り , 海 水 浴 や ハ イ キ ン グ を 企 闘 し た り し て い る . こ れ に 類 す る も の と し て , 保 育 鹿 児 の 母の会とし、うものもある.
木根地症の人々は当然、のことながら多くの経済的組織やグループに属している. しかし, これらの
組 織 は 木 根 地 区 内 で 完 結 す る も の は 少 な し 木 根 地 区 の 人 々 が 構 成 員 と し て 加 わ っ て い る 場 合 が 多
N U aセ
て い る . 稲 作 の 育 百 組 合 も
1
1
3
青木村を対象とした組織で、ある. 国場整備完了後導入されたトラクター を 中 心 に 木 根 地 区 ト ラ ク タ 一 利 用 組 合 が あ っ た . し か し , 農 家 が そ れ ぞ れ 機 械 を 購 入 す る よ う に な っ て, QYXT N iセ)1
1
地 区 と も に 青 木 分 団 第3
斑 を 構 成 し て お り , 青 木 土 地 改 良i
玄 の 役 員 の 選 出 単 位 は 青 木 用 水 下 流 の 木 根 地 区 を 含 む4
つ の 大 字 がl
つにまとまってつくっている.
近年のように農外就業が増えてくると,職場のグノレープでの交流が多くなると考えられるが, 1謁き
取りによると, 実際にはそれほどこれらの活動は活発で、はない. 木根地区からは吉田工業
( 2
0
人) ,I
I
-
5 ; 農村のコミュニケーションの特色入 善ILlJ木根地区におけるさまざまな組織と行事について述べたが,伝統的なものが依然、として多く
残っておりp そ れ ら に 新 し い グ ル ー プ に よ る 文 化 活 動 が 加 わ り , 多 く の 時 間 が 訓 か れ て い る こ と が わ か っ た . こ れ ら を 通 じ て , 密 度 の 高 い コ と ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 農 村 で は み ら れ る と い え よ う . し か し な が ら 一 般 的 に い っ て , こ の よ う な 行 事 に よ っ て 制 約 さ れ る こ と か ら , す べ て の 住 民 に と っ て 集 落 は 住 み や す い 生 活 空 間 で あ る か に つ い て は 疑 問 が あ る . む し ろ 生 活 が 豊 か に な り , 個 人 主 義 的 傾 向 が 強 く な る に 従 い , わ ず ら わ し い 面 も 多 く で て く る の で は な い か と 思 わ れ る . 神 社 の 行 事 な と へ の 参 加 者 が少くなる傾向は,兼業による生活の多十亡イヒとともに, こ の よ う な 意 識 の 反 映 で は な い か と 考 え ら れ
る. 特に男性の若年・壮年層の集落内での活動が相対的に不活発で、ある.
1
文百五,経済的・! 時間的に余裕のある高齢者層や婦人層が集落! 巧で大きな意味をもつようになってきた.
いず、れにしろ,木根地区の事例を通して,黒部川扇状地の農村の人々は,依然、として多くの行事に 基 づ く 強 い 集 落 へ の 帰 属 意 識 を も っ て い る こ と が わ か っ た . と こ ろ で , 木 根 地
IKで は 集 落 の 自 治
1(守・ 社 会 的 構 造 を 反 映 し て , 班 , 島 , 区 , 大 字 地 区 と い う 4つのスケーノレのコミュニケーγ t ヨンがみられ たが, ここで完結するばかりではなく,I
日村やlllJ の レ ベ ノ レ ま で 広 が る も の も 多 い . 田 村 の 範 聞 と し て,小学校区や土地改良区,地区公民館,農業協同組合支f
iJT
の 管 轄 範 悶 に 基 づ く コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 考えられる. また, n!Jの範屈におよぶものとしては, I1IJ役場や農業協同組合,球線組合,共済組合, 農 業 改 良 普 及 所3 商 工 会 , 中 央 公 民 館 , 中 学 校 区 な ど 多 数 の 行 政 や 教 育 , 経 済 組 織 の ほ か に 多 く の 自 主主的なサークノレを通じてのコミュニケーションがある. 木根地区では伝統的行事やコミュニケージョ
ン の 場 と し て , 特 に 重 要 な 役 割 を 果 た し た の が , 公 民 館 ( 公 会 堂 〉 で あ っ た . そ こ で , 次 に 公 民 館 の 活 動 を 通 じ て , 黒 部
)1
1
扇 状 地 に お け る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ソ の 空 間 的 広 が り に つ い て 検 討 し て み よ う .国 農 村 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン と 公 民 館
盟- 1 自治公民館
1 ) 木 根 公 会 堂 ( 公 民 館 ) の 機 能
1949年 に 施 行 さ れ1985年7月に改正された社会教育法によると,公民館は「市f 1IJ村 そ の 他 一 定 地 区 内 の 住 民 の た め に , 実 際 生 活 にsl/ l する教育,学術及び文化に関する各種の事業を行い, もって住民の 教 養 の 向 上 , 健 康 の 増 進 , 情 操 の 純 化 を 図 り , 生 活 文 化 の 振 興 , 社 会 福 祉 の 増 進 に 寄 与 す る こ と を 目 的とする
. J
と し て い る . そ し て , 公 民 館 は 法 人 に よ っ て 設 置 さ れ る 330 m2以 上 の 面 積 を も っ 建 物 で, し か る べ き 事 業 を 行 い , そ の た め の 施 設 を 備 え て い るJ 公 民 館 は 営 利 を 目 的 と し た り , 特 定 の 政
党 の 利 害 に 関 す る 事 業 を 行 う こ と が で き ず , 特 定 の 宗 教 を 支 持 す る も の で あ っ て も な ら な い15) この 意 味 か ら す れ ば , 木 根 地 区 の 木 根 公 会 堂 , 三 島 公 民 館 , 西 島 公 民 館 は い ず れ も 正 式 な 公 民 館 に 該 当 せ ず3 い わ ゆ る 類 似 公 民 館 あ る い は 自 治 公 民 館 と よ ぶ へ き も の で あ る .
木 根 地 区 に は1986年 に 建 て ら れ た 床 面 積2 0 7 m
2
, 木 造11¥皆 建 て の 木 根 公 会 堂 ( 三 島 公 民 館 と 兼
A)
と1971年 に 建 設 さ れ た 床 面 積7 6 m三 木 造 l IS皆 建 て の 三 島 公 民 館 が あ る . 前 者 の 建 設 以 前 に は 木 根 公 会 堂 が あ り , そ れ は
りの予算で建てたものであった. 建設費は当時の青木村& からの200円 の 補 助 金 と 精 明 会 会 員 が 出 稼 な どをして蓄積した資金で、まかなった. / : 1=¥征兵士がj首え始め壮行会を
1
3
f
l
く場所ーが必要になったこと,若 い 世 代 の 集 会 場 を も ち た い と い う 強 い 希 望 が あ っ た こ と が , 公 会 堂 建 設 の 直 践 的 動 機 ー と な っ た . 第2
次 世 界 大 戦 前 に は 間 島 と 三 島 を 区 別 す る こ と は な く , 木 根j並区は1つ の ま と ま り の あ る 集 落 で あ っ たため, この公会堂も木根地区全体で、建設され,使用され,維持管理された. 西島公民館は,第
2
次 世界大戦後,元の肥料倉庫を集会場として使用していたものを, 1971年 に 改 築 し た も の で あ る .
現 在 の 木 根 公 会 堂 は 第4図に示したように, 58畳の大集会場と12畳の小会議室, 8畳: の談話室から
なり,し、ずれも和室である. 大集会場の正面には仏壇が設けられており,その左の自i!i り初日には最近の
物 故 者 の 名 札 が か か げ ら れ て い る . ま た , 調 理 実 習 施 設 の つ い た 合 所 も 設 け ら れ て い る . 座 ぶ と ん , 机,食器,額,
i
置 物 , 時 計 , ス ト ー ブ な と ー の す は す べ て 住 民 の 寄 付 に よ る も の で あ っ た . す で に 述 べ た 年 始 祭 や 精 明 会 主 催 の 法 要 , 法 j忍訴の外に,法事: や識などに公会堂は使月3される.1986年10月12日から11月25日までの401ヨ 余 り の 使 用 状 況 を み る と ( 第4表),秋祭慰労会, 福 寿 会
l
臨時総会,三四五会と婦人会の合同講演会, 11なー民体育大会選手慰労会,公会堂建設委員会,精明会主AdQセ
用 再 編 対 策 実 施 計 画 確 認 な ど , さ ま ざ ま な 百 的 に 使 用 さ れ て い る . 日 誌 に 記 入 も れ の 可 能 性 も あ り , こ れ を 考 え る と , 竣 功 し て か ら ほ ぼ 連 日 の よ う に 使 用 さ れ て い る こ と が わ か る .
2)
iセI1
1
扇 状 地 に お け る 自 治 公 民 館 の 分 布木 根 地 区 で み た よ う な 自 治 公 民 館 は , 主 と し て 住 民 が 資 金 を 出 し 合 っ て 建 設 し た も の で , そ こ で は 社 会 教 育 活 動 よ り も コ ミ ュ ニ テ イ 活 動 が 多 く 行 わ れ て い る17) 黒部)
1
1
扇 状 地 で は , こ の よ う な 自 治 公 民 館 の 建 設 が 第2
次 世 界 大 戦 前 か ら 活 発 に 進 め ら れ て き た . 入 善 IHJの例によると ,1945
i=f三にはすでに 20の自治公民館があり, これらは昭和10年 代 に 集 落 の 集 会 場 , 共 同 作 業 場 , 公 会 堂 , 青 年 会 館 と し て 建 て ら れ た も の を 転 用 し た り , 改 築 し た り し た も の が 多 か っ た . さ ら に1955年 ま で に33館 が 新 設 さ れ , 全 部 で55館 に な っ た . そ の う ち の24館は, 1951年 か ら1955
i=f三までの5年 間 に つ く ら れ た も の で あった. さらに1968年 ま で に75館となり ,
1986
i=f三には97館となった.出入口
第4図 入善I I !J木 根 公 会 堂 ・ 三 島 公 民 館 間 取 り
T HQYXV GゥGZ Q QPIセ QR セャャIセ 25 E:!)
jヲ n寺 i間 利 j有 者 利用目的( 利用人数)
10月12日
I
W
BMRQ
QャセZ
木根地! R 公民館竣功式( ? )131ヨ X セQTA 木摂地区 公民館竣功式後始末( ? )
151ヨ ? 子供御輿衆・氏子一伺 秋 祭 ( ? )
20日 ? 福寿会 臨時総会( ? )
24日 19時" - 20寺1l 三1Z 9 五会・婦人会 講演会 ( 81)
261ヨ ? 三四五会 ソフトボール反省会
C
?)
26日 161l寺---21寺日 三島区 IIlJ民 体 育 大 会 選 手 慰 労 会 ( ?)
27臼 1911寺30分,. . . _22fl寺30分 木摂公会堂建設委員会 建設費内訳内容指[ J ! 3 検討会 ( 10) 28日 2011寺,..._2111寺50分 縞明会 法安ーの準備および連絡(8)
301ヨ 13fl寺,. . . _? 精閉会 物故者追悼法要 ( 150)
11月1 1ヨ QX SP NNN⦅ RQhセェZ すごろく会 農業祭のための芳司づくり ( 15)
21ヨ 18時,..._20時30分 すごろく会 農業祭のための寿司づくり ( 15)
2日 ? 三島区 三島常会( ? )
31ヨ 15時---18B寺 三島グリ一会 産会 ( 10)
5日 19時30分"' -' 22時 大正琴会 琴の練習 ( 10)
8iヨ ? 婦人会 定例会( ? )
9B 15H寺 木根公会堂建設委員会 会計支払し司王務( ?)
9日 1911寺---2111寺 すごろく会 農業祭の反省・持楽苑慰問準部l ( 15)
12日 RPQQ セRQ 若妻会 定例会 ( 10)
13日 QS ヲj セQTョ SP 木根j並区 報恩講 ( 40)
17日 19f1寺30分"' -' 22日寺 大 正 琴 会 琴の練習 ( 12)
25臼 18時"- 19時30分 三島区 昭 和62年度水l 1l 利用再編実施計回確認( ? )
資料: 木根公会堂・三島公民館会合利用! ヨ誌
現在の自治公民館の多くは, 1970年から1980年 の 間 に 新 築 お よ び 増 改 築 さ れ た も の で あ る . す な わ ち,入善町- の97の自治公民館のうち, 1960年 代 ま で に つ く ら れ た 建 物 を 使 用 し て い る も の は わ ず か30
館 に す ぎ な い ( 第5
セQIN
XP
UY
が1970年 以 降 改 築 し た も の で あ る . 朝 日11汀と宇奈j引! l
J
でも1970年代後半にいくつかの,gj 治 公 民 館 が 建 てられたが, 1960年 代 以 前 の 建 物 が 依 然 、 と し て 多 く 残 っ て お 札 全 体 と し て 老 朽 化 の 傾 向 が 著 し い .黒部} JI扇状地を構成する4つのT '1'illlJの 自 治 公 民 館 数 を み る と ( 第5表),すで、に述べた黒部市の80 宮gと入善111]ーの97館のほかに,朝日1I1Jに47館,宇奈月IlIJに18館がある. IflJ 内 数 と 自 治 公 民 館 数 の 割 合 を みると,黒部市,入善町,朝日 IllJのJI損に普及率が高いことになるが 1館 当 り の 人 口 は 黒 部 -;=15, 入 善 1Hr ,朝日 IllJ,宇奈月 IlIJの1)鼠に多く,逆の1)慎で、人口当りの自治公民館の密度が高いことになる. 黒部)11
QQi j H
VQ ↓I|セI
I¥扇状地においては大部分の1l1J内会あるいはl つ の 大 字 地 区 内 の 複 数 のfflJ内 会 で , 自 治 公 民 館 を 維 持 し て い る こ と が わ か る . し か
iセ N
QU ヲZ ヲ
で、密度が高いといえよう. 農村部の中でも扇状地北東部の朝日町の! 日大家庄村, I日五箇庄村, I日南保 村の範簡で、は, 自治公民館の数は少い.
自 治 公 民 館 と し て は 比 較 的 規 模 が 大 き い 部 類 に 入 る 床 面 積
2 0 0 m
2自 立 100
50
。
一
_--_
-占
/ .
/
/
」
J fJ
ー
よ
ゴ
_____,.,...,-_ J---ヲ
//
f
入 菩IJlT ( 不iりJ2)
月三吉/1市 ( 不均] 0)
/ 'ー朝日!llJ
/ ( 不明8 )
ノ ペ
/
一
一
τi J l )
1930 1940 1950 1960 1970 1980 年
第5図 IGQ イセQ
資 料 : 各 市IJl
r教 育 委 員 会 調 べ
( 1986年5月〉第5表 黒 部}II扇状地4 ililf可の公民館数と人口
中 央 公 民 館 │ 地 変 館 │ 類 似 館 │ 旧 日 刊 数 │ 町 内 数 │ 人
口i 類似公民鮪l
! 館当り人口
黒 部 市 11 80 10 93 36,878 462
入 善
I
U
r
11 97 10 127 30,015 309iliJJ 日I l lJ 11 47 8 85 18,601 396
宇奈月11汀 6 18 5 36 7,254 201
資 料 : 各 市IIIJ教 育 委 員 会 調 べ 公民館数は1986年5 月 301ヨ現在
人口は1985年12 月現在
- 横山の各地区など海岸沿し、の集村地域と,三日r =
I
J
や 入 善 の 市 街 地 な ど の 入 口 急 増 地 域 , そ し て 右 岸 地域の扇] 頁部の小摺戸,新屋の各地区, さ ら に 山 麓 線 ぞ い のUJII 崎地区に多い. ¥" 、ずれも人口規模の大 きし、町内( 集落〉である. このことは,1
館 当 り の 世 帯 数 の 地 域 差 か ら も 理 解 で き る こ と で ( 第7
図), 石 田 , 生 地 , 大 布 施 , 芦1I1奇,横山,小摺戸の各地区では, ¥" 、ずれも
150世 帯 以 上 で
1館 を 維 持 し
N ゥ TPセQPP
る . 一 般 に 扇 端 部 とiti街 地 で は1館 当 り の 世 帯 数 が 多 い , そ れ に 対 し て , 扇 央 部 か ら 扇 頂 部 に か け て の 散 村 地 域 で は , 少 い 世 帯 数 で 自 治 公 民 館 を 維 持 し て い る .
黒 部
)1
1
扇 状 地 内 の209の 自 治 公 民 館 に つ い て
1館 当 り の
j主帯数をみると, SPセUPこ の よ う な 場 合 が 全 体 の4 0 %近 く を 占 め る こ と が わ か る ( 第
8
区1
)
. こ の 数 はl
つ の 公 民 館 を 支 え る0 1 4
k
m
・ 中 央 公 民 館 @ 地 区 公 民 館 4 ー 複 数 町 内 共 用 自 治 公 民 館 ( 延 床 面 積 別 , 単 位 ぽ )
・
-3 0 0 セ@ 2 5 0 - 3 0 0 @ RPPセRUP@ ID1 5 0 - 2 0 0 Ell 1 0 0 - ] 5 0 e1 0 0 - 0 不明第6函 黒 部)11扇 状 地 に お け る 自 治 公 民 館 と 地 区 公 民 館 , 中 央 公 民 館 の 分 布 ( 1986年10月) 資 添 い 各 市lll]教 育 委 員 会 調 べ3 および聞き取り
が含まれ, これは全体の
7 0 %
を占める.1
館当りの世帯数がこれ以下になると財政的に苦しくなり,iセウャ
られる. 黒部
JU
扇状地の農業集落の構成戸数をみると,3
0
' "' -' 5
0
戸のものが最も多く,すで、にみた木根地区や別の機会に発表した浦山新地区のように18),
100
戸 前 後 の 地 区 に な る とp 同 一 地 区 内 に 実 質 的 な集落が複数できあがってくる.
黒 部
)
1
1
扇 状 地 に お い て は , 関 場 整 備 事 業 が ほ ぼ 完 了 し た1970
年から1980
年 に か け て , 急 激 に 自 治 公民 館 の 充 実 が は か ら れ た . こ れ ら の 大 部 分 は 自 生 的 な も の で , 農 村 住 民 の 日 常 生 活 に 密 着 し た も の で
ある. 近年ではさらに市街地での自治公民館が増加してきている. 矢ケl崎は
1968
年 の 入 善H
I
了の公民館調 査 で19),自治公民館を支える支持層として, ( 1 )宗教行事を中心とした老人層, ( 2 )生活改善に関
わる婦人層, ( 3 ) 研 修 ・ 娯 楽 ・ 体 育 を 目 的 と し た 青 年j翠, ( 4 ) 季 節 託 児 所 ・ 遊 場 と す る 幼 児 や 児 童 の
4 つをあ庁ているj 近 年 の 社 会 ・ 教 育 施 設 の 充 実 , 経 済 活 動 の 広 域 化 に よ っ て , 幼 児 ・ 児 童j膏と青壮
年j曹のための島治公民館、の機能は低下したが,老人j習と婦人! 曹の活動の場としての機能が強くなって
」
-度
額
-2 0 0図 れ ) - ( iO
図 ! 日 ( ) サ()O
セャ
UP
X
PP
o
[
J
セoM
iセi
i(i公 ji(t.;'i川いj也IZ:第7図 ーセュI ャセャ Q ftil(当りのι│ト;j"数の分1n (] 98611三]O;=J) tA ゥャ ャjェB hセセゥQjm
30 r
20 40
第8図
J
良 部 川 扇 状 地 に お け るIgl 1{:i 公 民 館1Ur¥当りの│ 止 ,Jij 数 ( 1986""F- 10YJ )資料 .各iljlllJ教 育 委員会および( l 民訓! 訓べ
111- 2
地 区 公 民 館主l訪日)1{ Gセi ヲョ[G[ jiij uャャ ェ { セZ Aiij
公 民 館 , そ の 基 盤 に 立 っ た j j白区センタ
- J
としての地区公民館3 そして「文化センタ-
J
としての 中 央 公 民 館 の 建 設 が1950
年 代 か ら 進 め ら れ て き た20) 玉県部川扇状地においては,I
g
l
治 公 民 館 が 先 行し,地区公民館があとに発足した点に特色がある. 現在の地区公民館は,
1949
i:1
三の社会教育法の設置により,当時のI1!
J
村 ご と にI 舘 ず つ 発 足 し た も の で あ っ た . 入 善11日ムでは10
の! 日1I1Jl
寸に対して,1
1
の地区 公民館が設置されている. これらの地区公民館は,1975
年頃まで! 日役場や1
1=1
小 学 校 を 用 い た り , 農 業 協 同 組 合 や 役 場 支 所 な ど に 併 設 さ れ て い た も の が 多 か っ た が , そ の 後 各 種 の 補 助 事 業 に よ っ て , 大 部 分 が 近 代 的 建 物 に な っ て い る . 例 え ば 飯 野 公 民 館 は1975
年に建設省の農村総合整備モデノレ事業の一環として建てられたものであり, j ェ QYXVセZ↓
完 成 し た 入 善IJJJ産業展示館の一部で、あり,横山公民館は農林水産省の漁村緊急整備事業によって
1980
iャャ jQヲ ヲM ャ QセN N
は , 小 摺 戸 と 納
i
l
l-の2
館にすぎない.木根地区が属する
1
1
ヨ青木村では,1949
年 の 社 会 教 育 法 に よ り , 当 時 の 青 木 役 場 に 公 民 館 が 併 設 さ れ た. さらに1953
年のIHJ村 合 併 に よ り , 役 場 跡 地 に 青 木 農 業 協 同 組 合 が 建 て ら れ , そ の2
1
1昔を公民館と し て 使 用 す る よ う に な っ た . そ の 後 農 業 協 関 組 合 も 合 併 し , 入 善 町 農 業 協 同 組 合 青 木 支 所 と な っ た が,支所の建物が新築された1975
年以経も,2
階 は 公 民 館 と し て 使 用 さ れ た . そ し て1986
年4
月に労働 省 と 県 の 補 助 に よ る 勤 労 婦 人 青 少 年 福 祉 施 設 整 備 事 業 のf
入善町1
動く婦人の家J として新設された.この施設は! 日青木村のほぼ中央に位置し,敷地は
i
司 青 木 小 学 校 跡 地 で あ り , 隣 接 し て 幼 稚 園 , 向 い に農業協同組合がある.
20
畳 の 和 室2
室,講習室,料理実習室,談話室,図書室, 託児室,そして150
人を収容できる
2
2
5
.
1 2 m
2の 軽 運 動 室 が あ る ( 第91
玄) ). 総事業費は1
1
,780
万 円 で , そ の う ち の3 4 %
に 当たる4
,000
万 円 が 国 と 県 の 補 助 金 で あ っ た .こ の 施 設 の 本 来 の 目 的 は , 勤 労 婦 人 や 家 庭 婦 人 が 余 i駁 を 利 用 し て 版 業 生 活 や 家 庭 生 活 に 必 要 な 知 識 や技術を身につけ, レ ク リ エ ー シ ョ ン を 行 う 場 を 提 供 す る 施 設 で あ る が , 実 質 的 に は11=1青 木 村 の 公 民 館として使用されている. 公民館長, 主 事l 人,主事: 補3人, 青 年 学 級 主 事1人 が 決 め ら れ て い る
が,常勤者はし、ない. 青木土地改良症の事務所がこの施設の事務室: に置かれており,土地改良
i
玄 の 事 務 職 員 に 施 設 の 管 理 が ま か さ れ て い る . ま た , 地 区 体 育 協 会 , 婦 人 会 , 青 年 匿 し 区 長 会 ,P
T
A
, 農 協 婦 人 部 の 代 表 の ほ か , 民 生 委 員 や 学 識 者 ら1
0人 が 公 民 館 運 営 雰 議 委 員 と な っ て い る .
地 区 公 民 館 開 設 学 級 講 座 は , 青 年 学 級 と 婦 人 学 級 , 公 民 講 座 , そ し て 豊 か な ふ る さ と 大 学 な ど で あ る . こ れ ら の 事 業 には/ fl]冶 ミ ら 公 民 館 事 業 委 託 料 と し て 補 助 金 が 出 さ れ る ほ か , 公 民 館 運 営 の た め の 補 助 金 も あ る が , い ず れ も 多 く な い .1985年 の 青 木 公 民 館 の 助 金 は ,
483,
O
O
O
l T
J
であった.1986年
4
月28
1
=
1
か ら7
月31
1
:
: 1 までの「入善IIlT
J
玄 域 働 く 婦 人 の 家 利 用 承 認 申 に よ り 利 用 状 況 をQPBMGRP [ヲセ カ ラ オ ケ 練 習
会 , 大 正 琴 の 会 , 婦 人 の 体 力 づ く り 運 動 , パ ト ミ ン ト ン , ピ ー チ バ レ ー な ど が ほ ぼ 定 期 的 に 行 な わ れ て い る ほ か , 婦 人 学 級 や 住 民 検 診 な ど に も 使 用 さ れ て い る . {| XT iセ jァ ゥ TU
れ た . 他 方 , 和 室 は 同 じ 期 間 に5
0
1
1i1
使 用 さ れ て お り , 大 正 琴 の 練 習 , 婦 人 学 級 , 住 民 検 診 , 胃ガン 検 診 , 詩i吟の練習, カ ラ オ ケ 教 室 , 農 協 婦 人 部 会 会 合 , 婦 人 会 会 合 , 若 妻 会 , 民 生 委 員 会 , 遺 族 会 , 青 木 体 育 協 会 , 商 工 会 , 青 木 区 長 会 な ど , さまざまな用途に月弘、られた. これらも1
0
"-' 3
0人 の 参 加 者
のものが多く,1
1
ヨ 青 木 村 の 範 囲 を 対 象 と し た さ ま ざ ま な 組 織 の 会 合 や レ ク リ エ ー シ ョ ン グ ル ー プ が 多 い . 中 に は , 公 民 館 に 隣 接 し た 集 落 の 会 合 で 使 用 す る 場 合 も あ る . 料 理 実 習 室 , 話 二 習 室 , 談 話 室 の 使 用回数は, i セュQQ S @],3
回, 1I i l l と非常に少なかった. 一般的には婦人と高齢者の使 用 が 多 く , さ ら に 一 部 の 老 人 が 日 中 に 使 用 す る 外 は , 大 部 分 午 後7
時30
分 か ら1
0
1
3
寺の│笥に使用が集中している.
I D- 3
中 央 公 民 館黒 部)1
1扇 状 地 の
4 市 IllJに は そ れ ぞ れ1 館ずつ中央公民館が設置されており,市I l lJ 全 域 を 対 象 と し てさまざまな事業を実施している. かつての木造の建物が,部日I l lJでは1972年 , 黒 部 市 で は
1978年 , 宇
奈月1
I1Jで は1980年,入善町ーでは1986年 に 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト の 近 代 的 建 物 に 改 築 さ れ た .
入 善IIJJ で は 中 央公民館と文化ホーノレ, IllJ 立図書簡3
との複合施設として「入善I l IJ 民 会 館 」 が 建 て ら れ た . HlJ 民 会 館 の 延 床 面 積 は5,958m
2
で , そ の う ち の2
,004m
2
を仁l
研 修 集 会 室
ι
3
, 和 室3, 視i
聴臨覚室1
が あ る . 床 商 積 が2
,6
ω
0
0
印1が1ジ112で
で、座j席吉数が560の
文化ホ一/ルレは, 優 れ た音響効果をもち, ク ラ シ ッ グ コ ン サ ー ト に も 適 す る 施 設 を 俄 え て い る .1
京市積1 ,353m
2
の 図 書 館 は 蔵 書 数 が48,
000冊 余 り で あ り , そ の う ち 児 童 図 書 が2 7 %
を占め,1985年 度 の 実 績 に よ る と 利 用 問 数 の
うち
5 2 %
が 児 童 書 で あ っ た .中 央 公 民 館 の 利 用 団 体 と し て は , 児 童 ク ラ ブ 連 合 会 , 入 普 I lIJ 体 育 協 会 , 入 善 町
P
T
A
連絡協議会, 入 善IUJ 連 合 青 年 間 , 入 善111]連 合 婦 人 会 な ど の 地 域 組 織 の ほ か に , 大 正 琴 , 囲碁, はり絵, 詩吟, 書道,墨絵, ビデオ,短歌,し、け花,俳句,木彫,写真,尺八,陶芸,フォークダ、ンス,ノミド、ミントン,
ゲートボーノレ,卓球,体操なとやの趣味やスポーツの団体を含めると
6
1の 組 織 が 利 用 し て い る .
趣 味 おQPセSP 「ェᅦ
し、.
文化ホーノレは,文化講演会,映画上映会,音楽会,劇,落語, コ ン サ ー ト な ど の 催 物 の 外 に , バ レ エ や ピ ア ノ , 今 な ど の 発 表 会 , 入 善IllJの 社 会 福 祉 大 会 や 社 会 教 育 大 会p 交 通 安 全IIIJ民 大 会 , 東 洋 紡 労 組 入 善 支 部 大 会 , 入 善 町 健 康 づ く り i町 民 の つ ど い , 黒 部 川 扇 状 地 シ ン ポ ジ ウ ム な ど の 集 会 に も 利 用
されている. 町民会館は中央公民館と図書館と文化ホーノレを有機的に組み合せることによって, IllJj或
の み な ら ず , 黒 部 川 扇 状 地 全 域 を 対 象 と し た 地 域 文 化 振 興 の 拠 点 と な る こ と を め ざ し て い る 111]'民会 館 の 中 に は 入 善 11汀教育委員会社会教育課が慣れ, 4人 の 職 員 が 公 民 館 主 事 を 兼 任 し て い る 外
2人の
常任の社会教育指導員がし、る.
ところで, IIIJ民 会 部 が ど の よ う な 範i凶からどれくらいの人々をひきつけているかを, 1986年10月か ら11月にかけて3回 に わ た っ て 関 か れ た 県 民 大 学 へ の 出 席 者 に よ っ て 検 討 し た . こ れ は 富 山 県 教 育 委 員会と入善町民会館! の共催によるもので, 10月181ヨは渡辺昇一氏, 10月251ヨは国弘正雄氏, 11月1 Iヨ は 林 真 理 子 氏 に よ る 入 場 料 無 料 の 文 化 講 演 会 てoあ っ た . 氷 見 市 と 入 善01] で 同 じ 催 し が 行 わ れ た . 入 善 町 内 に はIHJの公報とIIlJ民会話; 催物案内を全戸に配布し講演について周知させ,
f
也 市 町 村 に は 北 日 本 新 聞 の 催 物 欄 , 市 販 の4情報誌f
タ ウ ン 情 報 富 山J で 宣 伝 し た . 受 講 申 込 者 数 は793で, I町内564,IsJ外 229で あ っ た . 第1日 lj の出席者は397名 , 第2 1ヨ13376名,第3 日i
ヨが568名であった. 全体の出席率は5 6 %で あ っ た . 受 講 者 の う ち 女 性 が72. 5 %を占め, しかも20歳 代 か ら40歳 代 ま で が 女 性 全 体 の72. 3%
を 占 め た ( 第6表). こ れ は 林 真 理 子 氏 の 講 演 が あ っ た こ と が 大 き く 影 響 し て い る . 反 面 , 男 性 は60 歳 以 上 が 全 体 の2 6 %を 占 め た . 第10図は受講者の居住地を図示したものである. これによると, ! 町民 会 館 に 近 い 入 善 市 街 地 の 居 住 者 が182人 で , 全 体 の2 8 .6 %を 占 め 圧 倒 的 に 多 く , さ ら に 入 善 市 街 地 近 辺 の 国 道
8
号 線 ぞ い , お よ び そ れ よ り 北 側 か ら 多 く の 人 々 を ひ き つ け て い る こ と が わ か る . さ ら に 入 善 町 に 居 住 す る 受 講 者 は460人 で 全 体 の7 2 .2 %を 占 め , こ れ に 朝 iヨIHJの85人が次いでし、る,隣接する 黒 部 市 か ら の 受 講 者 は38人 で , 富 山 市 や 魚 津 市 か ら の 受 講 者 が そ れ ぞ れ20人と17人 で あ っ た こ と と 比 較 す る と 少 い . す で に 多 く の 研 究 者 に よ っ て 指 摘 さ れ て い る が , 黒 部 )11が 大 き な 心 理 的 精 害 と な っ て い る こ と が こ の こ と か ら も う か が え る . 黒 部 市 か ら の 受 講 者 の も う l つ の 特 徴 は , そ の9 0 %近 く が 女 性 で あ り , 男 性 が 塩 端 に 少 な い と い う こ と で あ っ た .当然、のことながら講演の内容や催物の種類によって, IIIJ民 会 館 の 利 用 範 囲 と 利 用 者 は 異 な っ て く る が,県下に広く宣伝されたにもかかわらず,利用者の居住地は1l1J民 会 館 に 近 接 す る 入 善 市 街 地 が 極 め て
多く,次いで入善町内,そして隣接している朝日! 日了は比較的多く,黒部市になると少なくなるf ! な民
会 館 を 核 と す る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 範 囲 は , ほ ぼ1I1
J
域 に 限 ら れ て い る と み な し て よ さ そ う で あ る .第6表 入善I I l
r
民 会 館 に お け る 年 齢 別 保 氏 大 学 受 講 者 ( 1986年10月---11月)i
峨 未 満l
い
20---29歳 130---39裁
│
い
4刊男
I
7( ω4%め)I
2お5( 1凶45百 )形 ¥ 3叩0 (1 7 %¥め)I
31 (1凶8ヌ%) 1 2幻7( ι 15タ%ザ幻)I
川46以( 2お6ザ%幻)I
9何(6ザ%の) ¥ 女I
9( ω25がザめ)I
9部5( 2幻1の%) 1125 ( 2幻7百%の) 1114 ( 2お5 %)I
61以( 1日3%ぎ )タI
2お8( 6タ%) ¥ 3却O( ω6%)I
合 計 │ 附 が ) ド2 0 ( 1 9 %)
I
日5 ( 2 4 %) 1145( 23%)I
制 例 )I
日( 1 2 %)I
附 が )I
資 料 : 入 善 町 社 会 教 育 課 資 料 か ら 集 合1
-175 462