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      教育制度研究への転機

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(1)

第三章 阿部重孝と「時局に関する教育資料」調査

      教育制度研究への転機

佐 藤 広 美

〈目  次〉

は じ め に

1,調査活動の経緯

 (1)経 緯

 (2)調査委員会の委員たち

2.調査内容の変遷

 (1)前期(1915.6〜1917.6)

  一軍国主義中心の教育思想の紹介  (2)中期(1917.10〜1919.3)

  一民主的・合理的教育改革の紹介  (3)後期(1919.7〜1920.3)

  一アメリカの民主的教育改革の圧倒的な紹介 3.総括一阿部の教育制度研究への転機

く注〉

は じ め に

 阿部は、大学院を退学してから東大の助教授就 任までの間、文部省普通学務局に勤務し、 「時局 に関する教育資料」 (以下「時局資料」と略す)

調査に携わる。阿部の文部省勤務は、阿部教育学 の基本的性格一教育改革のための教育科学一を形        (1)

         とされ、とりわけ「時局資料1 成する主要な契機 は阿部に教育制度研究を自覚させる重要な文献と

         (2)

なるものであったb

 以下、阿部がなぜ教育制度研究を自覚するに至 ったかを、 「時局資料」および「時局資料」と阿 部との関わりを検討するなかで明らかにしていき

たい。

1 調査活動の経緯

(1)経  緯

   「時局資料」は、表1で示すように特        x   別輯6冊をはさみ第34輯まで計40冊に   および、付録・図表を含めると約7500   頁になるかなり膨大なものである。第1   輯は1915(大正4)年6月25日、第   34輯は1920(大正9)年3月31日

  発行であるから、約5年間にわたる編集

  作業であった。 「時局資料」は第一次世

  界大戦時および戦後の交戦諸国の教育施

  設ならびに教育思想。文化諸方面の資料

  を蒐集し、教育関係方面の参考に供する

  目的で刊行されたものである。調査翻訳

  は、文部省普通学務局に臨時に設けられ

(2)

「時局に関する教育資料」 〔表1〕

年  代 阿部重孝略年譜 発行日     凡例年月(大正)凡例から     全頁数 1915年

iT4) 大学院退学(7月) @「時局に関する教 邇送ソ」調査の委

a25 第1輯 (4.6)戦時教育        (334頁)

V27 第2輯  (4.7)戦争と学校・大学(その協力) (独)

(86頁)

9.30 第3輯 (48)戦時教育(国民性発 )  (351頁)

結婚、副手やめる 1α23 第4輯  (4・9)戦時教育(国民精神など) (178頁)

一年志願兵として 12.25 第5輯  (4.11)戦争と教育(覚醒の機範云々)(278頁)

1916年 歩兵第30聯隊へ

(T5) 燃 3.7 第6輯  (5.1)忠義美談         (268頁)

517 第7輯  (5.4)戦争と教育

(ex英、少年と軍事教練)(287頁)

&5 第8輯  (5.5)戦乱について、戦意高揚(独。英)

(174頁)

(11月) 11・30 特別輯1(5.10) 列強の少年義勇団    (406頁)

「時局に関する教 12.27 特別輯2(5.11) 学校と戦争       (118頁)

1917年 G育資料」調査の委

(T6) (12月)

415 第9輯 (6.3)戦争と教育       (217頁)

6.27 第10輯 (6.6)独逸と世界戦争      (341頁)

・入隊(9月)

1α8 第11輯(6.9)英国、ブイ・シ・一の演説が主

(198頁)

(11月)

1α20 特劉輯3(6.9) 独逸国民に告ぐ     (242頁)

12.12 第12輯 (6.11) 統一学校運動      (131頁)

1918年

(T7)

3 4 第13輯 (7.1)産業と教育制度について

樽       (衰亡か興亡か) (246頁)

315 特別輯4(7,1) 参戦後の米国に関する報告

(110頁)

325 第14輯(7.3)米国初登場        (228頁)

3・31 第15輯(7.3)成人の伝記、国民の忠勇義烈の行為

(163頁)

7.18 第16輯 (7.6)児童問題         (184頁)

7・26 第17輯 (7・6)戦時・子女の活動    (176頁)

(3)

年 代 阿部重孝略年譜 発行日 凡例年月(大正) 凡例から (全頁数)

1918年 iT7)

● 谷

    (9月ol時  入1局

10.7

P1.30

第18輯 謔P9輯

(Z8)

i7.9)

米国教育資料

ト国・少年雇用問題が主

(208頁)

i176頁)

・第1次 に  隊

大戦終

1関(・1 1a 7 第20輯 (7.10) 英仏独米、戦時婦人の活動  わる

i11月

@11日)

普通学務  す    月)1る1馨

12.25

第21輯 (7,11) 大戦後の教育諸問題

(141頁)

i159頁)

1919年 iT8)

局笙 1資1料1の

1.7 特別輯5 (?) シベリアの土地と住民

鴻Vベリア地図 (87頁)

課主

1編

@集 3.25 第22輯

(8.1)

欧州の教育状態 (153頁)

1主 3.31 第23輯 (&2) 農村問題 (106頁)

1任 1を 331 第24輯 ( ?) 幼児・廃兵問題 (115頁)

1兼

1る

U

731 第25輯

(8.5)

米国の教育界の近況

(128十附4頁)

10.25

第26輯

(8.9)

経済界の要求と教育についての

釦 1

資料 (152頁)

(152頁)

東大

1

11.14

第27輯 (8.9) 米国学校調査 (127頁)

1

12.12

特別輯6 (&9) 英国盲人保護委員会報告書

1

(178頁)

1

1225

第28輯 (&9) 米国学校調査 (160頁)

1920年 1 1.28 第29輯 (&9) 米国学校調査 (157頁)

2.18 第30輯 (8.10) 米国学校調査 (155頁)

1 2.25 第31輯 (8.10) 各国の教育

ex

ル饗要)

(133頁)

328

第32輯

(9.2)

図書館 (145頁)

(3月)

329

第33輯

(9.2)

少年労働問題 (165頁)

3.31 第34輯 (9.3) 各国教育事情 (180頁)

(4)

 た調査委員会によってすすめられた。 「時局  資料」は、組織的系統的な調査によってでき  たものでなレbしかしそれは万国の教育状況  の特色ある傾向が示され、時局の進展によっ  て民主的傾向をもつ教育改革の思想および研  究が紹介され、比較教育研究史上において極  めて重要な転機を印す資料になっている。(3)

  阿部はこの「時局資料」に表1で示すよう  な関係をもった。1915年7月から1918年  8月まで先ずこの資料調査に携わる(入隊の  ため1916年12月から翌年の11月まで嘱託  を解かれている。大学院は調査の委託ととも  に退学するが、副手は入隊までつづける)。

 8月以降阿部は、1919年10月まで普通学務  局第一課主任となり、 「全国中学校、高等女

       (4)

 学校の係り」

        を主に担当したとされるが、

 「時局資料」の調査もその後「集輯の主任S4)

 となって続けている。調査にはさらに東大の  助教授就任以降も関わっていたようで(臥結  局最終輯まで続けたものと思われる。

  このように阿部は、 「時局資料」調査に前  半の途中から加わり、後半は「主任」の任に  あづてかなり精力を注いだようである。この  点は、「時局資料」の内容上の変遷と阿部の  「時局資料」とのかかわりの深化と関連させ  て、彼の教育制度研究への移行の要因を探る上  で興味ある事実となっている。

(2)調査委員会の委員たち

  「時局資料」の内容の吟味に先だち、この  調査委員にっいて触れておきたVb 調査委員の多  くは学者。研究者であり、阿部をはじめ乗杉  嘉寿(文部省における最初の社会教育関係事  務を主管する独立の課すなわち、普通学務局       t

 第4課一1919年6月11日一の長となる)、

 友枝高彦(東大倫理学)、出隆(東大哲学)、

 千輪浩・(卑大心理)・野口広信(東京女子師

 範)等、 「多士済々」(4)の顔ぶれであった。

委員の一人、出隆は『自伝』の中でこの調査 室の様子を次のように語っている。

  「そのころ、文部省は、竹橋附近の内壕ぞ  いの気象台のならびにあった賦その『時  局に関する云々』の調査室は、文部省の本  館の裏側の粗末な別棟のはずれにあって、

 ・…・・一この離れに巣喰う僕らは、拙・たい仕

 官をねらわない浪人ぞろいだったもんで一  敬遠された、というよりもむしろ、うらや  ましがられていた。

  そこの調査事務の顧問格で、その指導の  役をしていたのは、当時東大の倫理学科の  助教授だった友枝高彦という自由主義の倫  理学者で、……のちにこの先生は、高等師  範学校の教授になり、その著わした国際精  神の中等修身教科書は、広く中等学校で使  わhて、満州事変までは売れゆきもよかった  瓜 日本が連盟を脱退するようになって、

 文部省からも非難の声があがり、事実上発  禁同然にされた。まあ、そういうリベラリ  ストが親分だったもんで この調査室の空  気は至極おだやかで、僕らには居心地がよ       ⑥

 かった。」

 調査活動は、文科出身の若き学徒たちによ って自由にのびのびとすすめられていたよう だ、それだけ「本館側からすればおだやかな

   (7)

    所であったかもしれない。阿部はこ らぬ」

のような仲間とともに調査活動を続け、外国 の様々な教育思想・社会思想を学び、現実の 生きた動向を知っていったのであろう。出隆 はこの調査活動に触れて、 「研究室や自宅で 哲学の本から学ぶのとはちがったものを学ん だ」とし、とりわけ「社会思想・社会問題な

どに興味をもち、その方面のことに注意する

       (8)

ようになった」

        と語っている。阿部もまた

同じ思いをしたにちがいない。阿部はこの調

査活動をすすめることによって従来の教育哲

(5)

学の無力さを痛感するとともに教育制度研究 への自覚を高めていったのではないだろうか。

 「時局資料」は、文部省内の編集作業では あっても、比較的自由な調査研究活動が保障 された上での成果と言える。阿部の教育制度 研究への自覚もこのことと無関係ではないと

思われる。

2 調査活動の変遷

(1)前期(19156〜1917.6)一軍国主  義中心の教育思想の紹介一

  阿部は「時局資料」の調査に携る中で教育   制度研究の自覚を固めたと言われるが、しか   しこの「時局資料」は必ずしもすべて最初か   ら各国の教育改革一教育制度改革を紹介して   いるわけではなかった。 「時局資料」は、時   局の進展のうちに内容上重要な変化を示して   おり、阿部の教育制度研究への自覚もこの変   化に照応していたと考えられるのである。

   「時局資料」は、内容上ほぼ三っに区分で   きる時期的変化を示している。表2はそれを   国別にみた資料の比重を示したものである。

  前期はイギリス・ドイツが中心であり、中期はアメ   リカが加わりイギリスを中目こした編集である。

  後期は圧倒的にアメリカを中心にした編集で

  ある。

   ではこの国別による比重は資料の内容の面   からみてどのような特色を示しているのか。

   前期を特徴づけるものは教育の軍国主義的   な教育思想の紹介という点にある。

   第1輯は、各国の皇室。王室の宣戦勅語・

  陣中美談、戦争と教育の状況等を載せている。

   第2輯は、 「戦争と学校」 「戦争と大学」

  というドイツの2論文が掲載されている。前   者では、「独逸人タルモノ宜シク今次ノ戦争   ヲ以テ国民生活ニー期ヲ画スベキ、無上ノ教   訓タラシメザル可カラズ」 (凡{殉 とドイツ

至上主義を説き、戦争遂行のための国民養成 を学校の第一の目的としている。後者では、

「祖国ノ為メニ、民族ノ為メニ、将タ独逸ノ 世界二於ケル使命ノ為メニ闘ウヘキ戦争ノ神 聖ナル意義ハ」と戦争を神聖視し、大学が戦 争に協力するように「一大準備ヲ整へ置ク」

ことが論じられている。

 以下、第3輯は「交戦各国二於ヶル国民性 発露ノー端」を、第4輯は「英独二国ノ国民 精神二関スル、各家ノ所説」を、 第5輯は

「戦局ト教育トノ交渉」を、第6輯は「各交 戦国民ノ戦場二於ケル忠勇美談」を載せてい る、第7・8・9・1O輯も前輯同様国民の戦意 高揚のための資料紹介となっている。また特 別輯1・2輯は各々「列強ノ少年義勇団」

「戦争と学校」、と国民の忠誠心の養成のため  ・

の青少年の精神訓練、学校の教授における戦 争の利用を紹介している。

 これらはいずれも各国が戦争を遂行するた めに必要な愛国的精神を養うための教育の紹 介であった。資料はきわめて観念的精神主義 的論調がめだち、戦争を第一の目的とする狭 いナシ・ナリズムの教育観で占められていた。

 「時局資料」調査はこのように当初は主と して教育における軍国主義の思想を教育関係 方面に供することを目的として出発した。

 しかし終戦が近づくにしたがってこの傾向 は一変する。変化の原因は基本的には各国が 戦争事態があらわした体制の不備の是正を教 育にもとめるという認識によるものであった。

事態はもはや観念的精神主義的教育の吹聴に

よっては打開されえず、合理的な体制的改革

を必要としていた。各国は軍事力から経済力

の増強に方針を転換させ、そのための教育制

度の合理的な改革に着手せざるをえなくなっ

た。しかしこのことはまた各国民の自由主義

的な教育思想の実践の努力の成果が底流に横

(6)

「時局に関する教育資料」 〔表 2〕

  各国別ページ数   (☆印は、その国だけを取り上げている。)

イギリス フランス

ドイ ツ

アメリカ イタリア ロ シ ア

その他

第1輯

@2 44 74  128 凾W6

54 34(繁

3

102

52

113

20 64

4

124 54

5 77 64 62 19 54

67 57

V8

88 T0

60

W3 23

Q4

22 T2

   

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特1 76 97

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212

35 81 26 8 12

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13.53

26.09 20.81 2.17 5.05 0.92

※ 総計は、

7,510ページである。

(7)

 たわっていることと無関係ではなかった。

  「時局資料」はこのような事態の変化に伴  って、前期の傾向を一変させ、民主的で合理  的な教育改革の思想および実際を知らせてい  くことになるのである。そうしてこの期を境  にして阿部は「時局資料」と深いかかわりを  もち始めていくのである。

(2)中期(191 7. 10〜1919.3)一民主的  合理的教育改革の紹介

  終戦ま近になると今までの傾向を一変させ  る一連の資料が矢継早に出されてくる。第11  輯では義務教育年限の1年延長をはじめ児童  の福祉を重視し積極的な初等教育政策を打ち  出した「ブイ・シ・一の教育改革意見」や  「英国労働者教育協会の教育改革意見」等を  載せる。第13輯では論文「衰亡か興亡か」

 を載せ、 「産業の興廃は畢寛教育制度の如何  に職由するもの」との立場からの教育改革意  見を紹介している。この論文で注目すべきこと  は、組織的改革のためには先ず現実を数量的  統計的方法でもって直視すべきことを論じて  いる点であった。

  これらはイギリスの経済的発展のための教  育制度の合理的改革への着手の状況を知らせ  るものであった。

  第12輯はドイツのIi統一学校問題1を載せている。

 「国民全体に共通なる学校系統を主張し」

 「其実力を展ぶる機会を与へられざる社会組  織1を批判する統一学校の思想を紹介しへそ(微  革の状況を載せている。特別輯第3は、フ・

 ヒテの「独逸国民に告ぐ」であり、統一学校  運動の思想的源泉を知るものとなってい

 る。

  この期からアメリカが調査対象に加わる。

 第14輯のウィルソン大統領の対独宣戦の演説   「開戦教書」は、アメリカンデモクラシーの  象徴的登場であった。教書は「民主主義のた

めに、立憲国家の権利のために、小国の権利 及び自由のために、自由国民の聯合によりて 万国平和と安全とを齎らし、終に世界を自由 の地たらしめんために戦ふべし」と述べてい る。特別輯第4は、「参戦後の米国に関する 報告」であり、注入主義教授批瓢実際的実 用的教材の編成、教員の自由な研究活動、教 育の機会均等のための国庫補助等、アメリカ の民主的改革の現状を伝えている。

 全般的にこの期は、前期にみられる好戦的忠 誠心の養成を狙う資料を載せつつも、社会改 革教育改革(例えば第21輯の 「仏国女子 教育の革新」、第22輯の 「独逸における中 小学校連絡の改善」)に対する意見や実際の

紹介を行なった。

 これら一連の資料は、はっきりと前期にみ られた偏狭な排外主義的ナシ・ナリズム、好 戦的精神の涌養の強調とはちがって、合理的 な教育および教育制度改革の実情の紹介であ った。そこにはデモクラシー・民本主義の用 語があらわれた。国家的利益の追求っまり経 済力の増強という基本的政策理念が根底にあ るとはいえ、進歩的改革の側面は否定できる ものではなかった。国民や子どもの能力の自 由な発達を期待し、画一的教育を批判し、自 由主義的で個性的な教育を求め、そのための 教育制度の改革を求める内容であった。

 阿部はこのような各国の全般的な教育改革 および教育制度改革の実情の調査に触れるこ とによって、教育改革のための教育学研究の 必要を痛感し、とりわけ教育制度の研究を自 覚していったものと思われるのである。し かし一層阿部の教育制度研究の特質を決定づ けていくと思われる特徴的傾向をその後「時 局資料」はみせていくのである。それはアメ

リカにおける民主的教育改革の実際および研

究の圧倒的紹介ということであった。

(8)

(3)後期(1919.7〜1920,3)一アメリカ  の民主的教育改革の圧倒的な紹介

  [時局資料」調査が、しだいに教育改革の  実情および研究の紹介を中心的な課題にすえ てきたことからも、民主的教育改革の実際に おいて他国をリードしていたアメリカに注目 することは当然のこととも言えた。

 イギリスとの比較からアメリカは、十分な 教育施設を有し、中等教育改革において教育方 法にかぎらない教育課程・制度の改革を実行

し、教育研究状況も極めて盛んであることを 紹介している第25輯はその例証であったと

言える。

 後半において特筆しなければならないのは、

第27輯から第30輯まで 「最近米国教育界 に学校調査という新運動」のあることを紹介 した特集である。4冊にわたる系統的調査は 異例のことであった。 「学校調査に適用すべ き統計的方法」「クリーブランド市学校調 査」 「スプリングブイールド市学校調査」

 「農村学校調査」、これらはすべて正確で広 範囲にわたる調査によって教育制度改革をす

すすめようとする主旨の調査報告である。クリーブラ

ンド市学校調査報告は次のように述べていた。

     れ

  「将来の行はそれが一歩一歩行政上の各工  夫に伴って行く一層精密な科学的研究を基  礎とした場合にのみ聡明なるものなり得る。

  何等躊躇することなく、一つの消極的勧  奨をすることができる。それは無理に画一  的せんとして、任意な法令で現在の状態を  変更せんとするのは甚しい誤謬であるとい  ふことである。」

 学校調査は教育制度改革のための数量的統 計的方法を駆使した科学的な教育研究であり、

その具体的実例として高い関心が払われたの

であった。

 その他後半は、第32輯の「児童図書館」、

第33輯の「児童福祉の問題」といった児童 の社会福祉に関する本格的研究をはじめ、補 習教育、労働者教育、幼稚園、学校衛生、学 校給食、女子高等学校等々様々な分野におけ

る改革の実情を紹介している。

 最終輯第34輯は、 「独逸国新憲法中教育 及学校に関する条項」としてワイマール憲法 の教育条項を載せている。凡例の解説は、

「芸術、科学及びその教理を自由とし国家は 之れに保護を与へ旦っ之が振興に務め」 「国 際的融台の精神を訓練する」条項を制定した

ことは「独逸国民の意気を窺ふ」とした。

 「時局資料」は、教育における軍国主義

の精神の養成の思想の紹介から出発

し、国際的平和主義の精神を説く思想の紹介 へと至るのであった。

 さて中期から後期にかけてみられた各国の 教育改革の特徴をまとめると次のようになる。

第一に、初等教育と中等教育の連絡の合理化

(統一学校運軌 ジュニア・ハイスクール運 動)による教育機会の制度的保障。

第二に、注入主義的教授を批判し、個性に応 じる教育方法の改革。第三に、教授方法にと どまらずカリキーラム改革にすすみ、教育 内容を社会化し実際化する。第四に、学校教 育に限らず広く社会全般の教育的機能の改端 そして第五に、以上の改革のための教育研究 の科学的研究方法の改革、であった。阿部は、

以上のような教育改革の状況を調査する中で 教育制度研究の自覚を固め、そして先進的実 例としてのアメリカにおける教育改革をその ee−一の研究対象とし、自らの教育研究方法の 基礎にアメリカの科学的研究方法をこそすえ ていったものと思われるのである。

3 総括一阿部の教育制度研究への転機

  最後に、阿部の教育制度研究への転機につい

(9)

 教育学自らははたしえなかった「教育の外的  条件全部」(8)の研究方法を学び、自らの研究

 の核心を見いだしていったのである。

② 「制度化せる教育」

  教育の事実こそ重要な研究の対象であると  した阿部は、ではなぜとりわけ教育制度研究  でなければならなかったのか。

  阿部は『小さい教育学』の中で従来の教  育学が対象を教育の主体と客体及び教育作用  の三要素としていることを批判し、更に「教  育が与へらるS場合の条件」を加えることを  主張し、次のように述べた。

       れ

  「広い意味でいふ児童の還境を教育的に組   織するのでなければ、如何に教師が有意的・

  具案的に活動したところで、その効果を十       (9)

  分にあげることは出来ません。

       」       w   阿部はこの「広い意味でいふ児童の還境」

 を十分に研究することによって「教育の真の        ⑩

      」と考えていた。こ  意義を明らかにし得る

 こには教育の制度的方面を重視する阿部の研  究観が示されているが、教育制度研究の意義  が端的に示されるのは『欧米学校教育発達史』

  (1930年)の序であった。阿部は次のよう  に言う。

   「真に国民の教育を左右して来た教育は、

  単なる教育思想ではなくて、制度化された       ⑪

  教育であった。」

   「凡そ教育を研究して多少でも教育の実際   に貢献しようといふのならば、必ず制度化   された教育の研究をおろそかにすることは       ⑫

  出来ないのである。」

  言わば阿部にとって教育制度はこれを通し  てはじめて教育の真の意義を明らかにできる  研究対象であり、 「真に国民の教育を左右」

  できる対象であったわけである。教育改革の  根本を規定できる対象が教育制度であると考   えられ、教育制度はまた教育事実の典型でも

ありえたのである。このような考えから阿部 は自らの研究の中軸に教育制度の研究をすえ

たのである。

 ところで阿部にとって教育の事実は統計的 に処理できる対象にだけ限られれていたわけでは なかったb芸術教育の研究においても明らか なように阿部の教育運動に対する関心は深く、

阿部には教育制度を教育運動ないし教育思想 との関連で捉えようとする姿勢が少なからず

あつた。

 たとえば阿部には教育制度と教育運動との 関連について次のような記述がある。

 「アメリカに於ても労働運動の代表者は既  に1830年代から学校と教育を要求し、労  働者の児童の教育は彼等の自然の権利であ  ると主張した。その結果は、独り労働者の  教育状態を改善したばかりでなく、一般教  育制度が反って之が為めに進歩発達した例       ⑬

 もある。」

 また、阿部は教育制度が社会的諸関係の階 級的産物であるという観点をもちあわせてい たbそしてこの観点はさらに教育制度の改革は、

広く社会的運動に立脚してこそはじめて可能 であるという意見を生むものでもあうた。阿 部の新教育運動批判もまさにこの点にかかわ っており、新教育はしっかりした社会的基盤 に立脚しておらず、それでは学校制度改革ま でこなりえないということであった。阿部は

次のように言う。

  「この運動の主なる弱点は、それがしっか  りした社会的基礎にかけてゐる所に存する。

 ・・…・学校が社会の根底に触れ、社会生活の

 底を流れる流れを汲むのでなければたと

 ひ学者には興味ある教育的実験とはなっても

 早晩その勢力と存在の意義とを失ってしま

 ふであろう。真に進歩的な教育運動を起こ

 すことは困難なことである瓜その運動が

(10)

〈注〉

(1)宗像誠也・三輪定宣編阿部重孝『教育改革論』

 「明治図書 1971年)の「解説1、252頁

(2)海後宗臣は、阿部の教育制度研究の自覚と 「時局資

 料」との関わりを次のように語っている。「阿部助教  授は大正2年の東大教育学科卒業で、文部省普通学務  局に勤務し主として各国教育についての資料調査にあ  たっていた。その際に教育制度や行財政の問題に関心  を深め、これらについての資料を集め、これによる科  学的研究を行う方法を開拓していた。」「『教育学  50年』 評論社 1971年 37頁)

(3)日本の教育改革に資するための比較教育研究は大正・

 昭和に入いり盛んになってくる。その大がかりな仕事  のひとつとして東大教育学研究室で発行した『最近欧

 米教育思潮』全3巻「1921年・一 1 92 3ttPおよびそれに

 ひき続ぐ『教育思潮研究』の「欧米教育思潮」の一一連  の紹介がある。吉田熊次は『最近欧米教育思潮』の  「序」で比較教育研究の意義を次のように述べていた。

 「我国でも明治四十五年より二十年頃まttt随分盛に海外  の教育思潮が紹介されたが、其の後は国内の教育研究  が進歩するに反比例して海外の教育紹介が減少し、昨  今は寧ろ此の勇面の欠陥を感ずる。それが為に海外教育  の実際と研究との真相が伝わらないで、或は偏頗な見  解を為し・或は研究問題を見落したりする恐がある。

 我等の企は比の過瑛を救ひ教育界をして世界的進歩に  後れざらしめる一助と致したいと云ふ考から出たので  ある。」いわば「時局資料」は日本の比較教育研究史  上の新たな段階に入いる端緒を開いた役割を担ったと

 言える。

(4)林円応  「阿部重孝君をおもふ」r教育思潮研究』

 第13巻第2輯 1939年 271頁

(5) 「時局資料」の調査委員の一人、出隆は東大の「助 教授」阿部重孝として次のように語っている。「それ から、もう一人、同じく僕らに仕事の種をさがしだす  と同時に雑談や狼談の種をまきちらしに顔をだしてい

た顧問格、というよりも、僕らより2・3年早く卒業

 しただけ先輩の教育行政の専門家に、阿部重孝君がい

た。東大の教育学科のほやほやの助教授だった。」

 C『出隆自伝』 出隆著作集7勤草書房1963年165頁

(6)同上

(7)同上

(8)同上

164頁一165頁 165頁

171頁

(9)留岡清男「阿部重孝先生にささく ]『教育』第7巻

 第7号1939年67頁

⑩海後宗臣 前掲書 37頁

⑪佐藤秀夫 『資料臨時教育会議第一集』の「解説」

 17頁

⑫『時局資料』は、第19輯第2・輯第2・輯、特  別輯第5が参考資料として臨時教育会議に提出されて

 いる。他に乗杉嘉寿の「最近米国教育事情」が提出さ

 れているが、これは恐らく特別輯第4の「参戦後の米  国に関する報告」と第18輯に収められた「米国教育

 資料」の乗杉の報告と同一の内容となっているものと  推定される。「『臨時教育会議関係文献目録』参照)

⑬臨時教育会議は、総裁・副総裁・委員・幹事長・幹  事・書記からなっており、書記5名のうち、稲毛茂一

 と小畑善吉は阿部と同じ普通学務局勤務であった。阿  部まこの両人から会議の様子を聞かされることは十分  推測できる。

aφ吉田熊次 「阿部君担当の教育学講座」『教育思潮

 研究』第13巻第2輯 1939年 266頁

㈹阿部重孝 「世界大鞠『教育学辞典』 1938年

 1457頁

参照

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