富山 大学 教 養 部紀 要 く人 文 . 社会相学 削 , 1 7くい 1‑1 8 , 1 9 8 4 .
知 覚 と 統 覚 く患う
岡 村 信 孝
S 3 r今J の意 味
現 象の所 与 性及 びその時 間性につ いて, 立 ち入っ た 分析 を 試み る に当っ て, 先 ず 現 象の 所 与 性 を 時 間の面から 最 も 直 接 的に表 現し ている と思わ れ る r今J くjetztl という時 間 規 定 を 取り上 げ, そ れ が どのよう な 仕 方で現 象の現 実 存 在 を 規 定 している かを 見て みよ うo
日常 用 語の中で, 我々は例 えば次のように言うoく11 r私は今 その木 を 見ているoJ uCh
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s ehejetztde n B a u m J. く2ンr今 す ぐ釆 なさいoJ くK o m m do ch gleichjetztJ く. 31 r徹まい つ
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こ こにいたのですか 一 つ い今しが た, 5 分前です.J くW a n n ist e r bie r ge w e s e n P
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‑ Jetzt ge r ade, v o r ftinf M in ute nン く. 4I r今やっ と はっ き り しま したoJ くEr st jetztist
川
mir kla r ge w o rde n, d aB...I..1 これ らの表 現に於て, r今J Getztl は時 間規 定として,
どのよ うな機 能 を 担わ さ れ て いるのであろうか.
これを 我々 は次のよ うに説明すること が できる であろうo 第 一 の例に於て は, 見る とい う 行 為の く従 っ て又, 見ら れ ている限り での対 象の現 実 存 在のl 時 間 性が持 続に於て直 接
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表 現されている. 他 方, 第 四の例に於て は,
r今J はそれ に先立つ時 間から明確に区 別さ れ, そ れを 否 定 するものとして捉 え られ ているo そ れ に対 して, 第二及び第三の例では,
r今J はこ の持 続と否 定 . 区 別の両面 を 含むものとして捉 えらil ているo 即ち r今す ぐJ くgleich jetztH こしろ,
r今 しが たJ Oetzt ge r adeナにしろ, 厳 密には そ れらが語 られ てい る r今J そのもので はない. にも 拘 ら ず, r今J という 時 間規 定は そ れらにまでその適用 範 囲 を 拡 大さ れ ているo
これ は要 する に, これ ら二つの時 間 規 定が r今J そのものから 区 別 . 対比 さ れ るにも 拘 らず, 後 者との隣 接 関 係のた め に, その拡 大と し て意 識さ れ る からに他 な ら ないo そして 何 故こ の拡 大がなさ れ る か と言 うと, そ れ は r今J が本 来 r持 軌 くDa u eり に於て捉 えら れ ている か ら に他 な ら ないo こ のように r今 す ぐJ 及 び r今 しが たJ という 時 間 規 定に於 て は, 持 続 を 根 拠として, その否 定. 区別にも周 ら ず, 時 間規 定 r今J の適用範 囲の拡 大 が行わ れ るo
従っ て, 我々は r今J のうち に含 まれ ている時 間 規 定の基 本 的 機 能と し て, 持 続の直 接 的 把 握とその区 別 . 対比 とを 挙 げること が できるであろう. 第‑ 及 び第四の例に於て はt
こ の 二 つの機 能がそれ ぞ れ端 的に表 現さ れ ているのに対 して, 第二及 び第三の例で は, 拷 統の区別 . 対 比 を 認め た上で, 持 続の直 接 的把 握の機肯紬寸こ の レベ ル にまで拡 張さ れ てい
るo
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岡 村 信 孝
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勿 論こう 言っても, それ によっ て持 続の区 別 . 対比 が否 定さ れ てし ま うわけで はないo
上の拡 張にも 拘 ら ず, そ れ は確 保 され ているo のみならず, 上の拡 張そのものが,
r今す ぐJ 乃至 r今 しが たJ と r今J との く多分 に心理的である がl 隣 接 関 係に基づ いている以 上, r今J の拡 張に は自 ら 限 界があり, 従っ てこ の面でも 持 続に対 して は くた と い上の表 現で は表 面 化 していないとしてもl その否 定 . 区 別が何ら かの仕 方で現わ れ ぎ るを え な
いo こ の意 味で我々は,
r今J という 時 間 規 定のう ちで働 いて いる時 間 把 握の基 本 的 機 能 として,
一般に持 続の直 接 的 把 握とその区 別. 対比 とを 挙 げること が できるのである.
ところ で, こ の時 間 把 握 を全 体として見る と, そこで は時 間は持 続の継 起として捉 えら れ ている. 問 題はこ のよ う な 時 間 把 握が如 何にして可能か という 点にあるo
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そこで, 上の時 間 把 握 を 通 して, 同 時に現 象の現 実 存 在が捉 え ら れている という 点に注 意 し よ うo 即 ち, 持 続に於て我々に直 接 的に与 え られ るのは 現象の現 実 存 在であり, そ れ が継 起の関係に於て, 互い に区 別さ れ るのであるo
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ところ で r現 象の現 実 存 在J と は, 対 象の現 実 存 在 を 意 味 する と同 時に, 私の現 実 存 在 を も 意味 するo のみな ら ず, 後 者は前 者 よ り も 根 源 的である. 例 えば, 木が風に揺れ てい るのを 見ている, として み るo こ のとき, r揺 れているJ という 仕 方で, 私 は木の現 実 存 在の持 続 を 意 識 しているo しかし他 方で私は同 時に,
r見るJ という 仕 方で, 私の現 実 存 在が持 続のうち にあることも 意 識 するo 意 識の順 序から 言 えば, こ のよ うに通 常 対 象の現 実 存 在の方が先であるo しかし事 柄 自体から 言え ば, 私の現実 存 在の持 続の方が先であ
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るo というのは, 対 象の現 実 存 在は私の知 覚 く今の場 合, 見ることl の中で与 えら れ るの であ り, こ の知 覚が, 換 言 すれ ば 私の現 実 存 在が, 予め持 続のうち にあること なしに は,
前 者の持 続 も 私に与 え られえ ないか ら であるn
こ のよ うに, 私の現 実 存 在に は, 対 象の現 実 存在により は根 源 的 な 仕 方で, 持 続が属 し ている. 従っ て, 我々 は時 間 をきし あた り対 象の現 実 存 在の形 式として捉 える としても,
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根 源 的に は私の現 実 存 在の形 式として捉 え な けれ ばならないo
で は, 先 ず 時 間 を 対 象の現 実 存在の形 式として捉 えること から 出発 しよ うo こ の場 合, 時 間は対 象の現 実 存 在に即 して, 何 らかの仕 方で対 象 化さ れ て我々に与えられ るo 上 述の
r今J という 時 間 規 定に於て, 巳 にこ の対 象 化は始 まっ ている. そこで は時 間は持 続の継 起として捉 え られ ているo こ のよ う な 時 間の対 象 化は如 何 なる仕 方でなさ れ るのであろう
か.
S 4 r三重の綜合J と時間
時 間は カン トに於て殆ん どの場 合, 対 象 化さ れ た時 間として捉え ら れ て いるo 例 えば
r感 性 論J で継起や連 続 量として捉 え られ ている点, あるい は r弁 証 論J で連 続 量及 び
く3I
r列J として捉 えら れ ている点に, そ れ は窺わ れ るo
知 覚 と 統 覚 く五1
では, 時 間の対 象 化は どのよ う な 仕 方で行わ れ るのであろうかo こ の間に対 して我々 は カントから 何 らの解 答 も期 待 すること が で きないよ うに見 えるo というの は, 時 間くそし
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て空 間l は彼に於て r主 観に根 源 的に付 着 してい る制 約J くde m S ubjekt u r si,rang lich
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a nhange nde B edingu nge nl と看 徹さ れ て お り, こ の根 源 性の故に, 別の箇 所で は, 何 故 時 間が我々 の直 観の根 本 形 式であるのか, 換 言 す れば, 我々は何 故 時 間の中で し か事 物 を 直観 すること が でき ないのか につ いて, 我々 はそれ以上の説明を 与 えること が でき ない,
と言わ れ ている か ら であるo
しかし, 時 間の直 観 形 式としての根 源 性に対 して, 我々 はま ず 次の点に注 意 する必 要が ある. そ れは カン トの言 う よ うに, 時 間が直 観 形 式であることを, 何か他の事 爽に還元 で き ないi ということを 意 味 して いる. これは他に還 元でき ない根 源 的 事 実であっ て, 従っ て我々はその r根 軌 くGr u ndl を 問 うこと ができ か ‑o しかし, これ は上の事 実につ い て, その r如 何にJ くW iel を 問うことまで不 可 能とするもので は ないo 事 実が如 何に根 源 的であっ ても, その事 実の根 源 性 を 我々は解明すること が できるのであるo
こ の時 間の直 観 形 式としての根 源 性という 観 点から 見る とき, こ こで言う 時 間が果 して 対 象 化さ れ た時 間を 指 している か どうか が更に問 題となる. 確か に カントに於て, 時 間は 殆ん どの場 合, 対 象 化さ れ た時 間として 分析さ れ ているo のみな ら ず, 我々も 時 間につ い て考 える とき, 先 ず 時 間 を, 例 えば r今J の継 起として, 対 象 化 して捉 えるo しかしこ の
こと は, 時 間が始め から 対 象化さ れ て我々に与 えら れ る ということを 意 味 するもので はな
いo 時 間は むしろ 私の現 実 存 在の根 本 形 式として, 一 切の対 象 化に先立っ て, 私に根 源 的
に与 え られ て いるo 私が存 在 すること と, その根 本 形 式として時 間が私に与 え られ て いる
こと と は等根 源 的であり, こ こに時 間の本 来の所 与 性があるのである.
そうだ とすれ ば, 我々は時 間が我々の感 性 的直 観の根 本 形 式である ということも, 別 様
に解 釈 する必 要が出て く るであろう. 確か に直観と は さし あたり 対 象 的 直観 を 意 味 するo そしてこ のとき 時 間 も 対 象の現 実 存 在の形 式として対 象 化さ れ て我々に与 えら れ るo こ の
限り で は, 直 観の形 式として機 能 しているの は対 象 化さ れ た時 間であるo 対 象 化さ れ た時 間の中 セ, 我々は対 象の現 実 存 在 を 捉 えるの であるo
しか し, こ のように対 象 化の面 を 見る だけで は, 時 間がなぜ直 観 形 式として普 遍 性 を も
っのか が 十 分 に 明 ら か にならないo というの は, 対 象 化に先立っ て予め時 間が, 我々の現 実 存 在の根 本 形 式と し て, 根 源 的に与 えら れ てい る か らこそ, 我々は対 象の直観のた め に
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時 間を 対 象 化せぎ るをえ か ‑ の であり, 従っ て時 間の直 観 形 式としての普 遍性 . 必然 性は 時 間の対 象 化により は むしろ そ れに先立つ時 間の根源的 所 与性に, よ り多く その基 礎 を 置
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くか らであ るo
では, こ の根源的 所 与 性 を 基礎として, 時 間の対 象 化は どのよう な 仕 方で行わ れ るの で あろうかo そ れをカントは どのよう な 仕 方で解明しているのであろうかo
上に見た ように, カン トに於て は主に対 象 化さ れ た時 間が問 題となっ て お り, 時 間の根
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