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﹂ 寺 と の 記 表 認 が め ら る れ

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Academic year: 2021

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(1)

庫 兵

・ 箋 嘲 寺 じ 遺

ピ 薮 群

 1 所在 地      庫兵 県明 市石 人 丸町  2 調査 期 間    一一

〇〇 三年

︵平 15︶ 一〇 月

〜 二〇

〇 四年 月一  3 発掘 機 関    明 石市 立文 化博 物館  4 調査 担当 者  稲 原昭 嘉  5 遺 跡 の種 類  寺院 跡

・墓 地  6 遺 跡 の年 代  江 戸時 代

〜近 代  7 遺 跡及 木び 簡 出土 遺 構 の概 要 雲晴 寺 は︑ 明 石城 郭 の東 方 位に 置 し︑ 武家 屋敷 の東 南を 北 に走 る 外 堀 の東 約 五

〇 mに 位 置 す る︒ 大 久 保 忠職 が城 主 の時 代

︵寛 永 三ハ

︿

西

﹂ 寺 と の 記 表 認 が め ら る れ

須 そ の西 と 北 には 家臣 屋の 敷

噺 地 め が り ぐ 通 ︑ り よ り 南 に

足は 軽 屋敷 が配 置 さ れ て い

る︒ 雲晴 寺 の東 には

﹁本 性寺

﹂︑ 北 には

﹁三 乗寺

﹂ が 記 さ れ てお り

︑ 周 辺 に寺 が集 中 し て いた こと が窺 え る︒ 寺 伝 によ ると 慶︑ 長 一人 年 谷工 全 じ 牧 野 氏 の開 基 能︑ 山 侃 芸 の開 山 で︑ そ の後

︑ 明 石 城主 大久 保忠 職

︵季 任︶ が里 見安 房守 忠 義

︵法 号雲 晴院 殿心 窓賢 食大 居士

︶の 菩 提 のた め︑ 当寺 を 再 建 し たと あ る ︒ 一九 三六 年 に堂 宇 腐朽 のた め再 建 さ たれ 本堂 は︑   一九 四 五年 の 空 襲 で山 門 を残 し てみ な灰 鮭 に帰 たし

︒ そ の後 再建 され たが  ︑ 九一 九 五年 の震 災 で損 壊を 受 け︑ そ の状 態 のま ま今 日 に至 てっ いる

︒ 調査 点地 は︑ 段 丘崖 下 の沖 積地 上 立に 地 し てお り 標︑ 高 は約 三 m 前後 あで る︒ か つて 堂本 建が てっ いた 部分 と︑ そ の北 と西 に拡 張 し 箇た 所 調に 査 を区 設定 たし

︒ 調査 の結 果 江︑ 戸時 代 以降 の本 跡堂 庭︑ 遺園 構 墓︑ 娠 検が 出 され た︒ 本堂 跡 は調 査 区南 東 部 で三 面 見 つか った 最︒ 新も し い第 一面 で は︑ 江 戸時 代 の墓 石を 組 み合 わ せた 一辺 一m 礎の 石 二が m間 隔 で置 か れ て いた 周︒ 囲 は火 を受 け て るい こと か ら︑ 戦災 で焼 失 たし 和昭 初期 の本 堂 跡 と考 え ら れ る︒ 第 二面 では  ︑ 一辺 四〇 釦の 側縁 の東 石 約が 二 mの 間 隔 で南 北 に並 び 北︑ 端 で東 方 向 に直 角 に山 が る こと が 確 認 さ れた

︒ そ 周の 囲 には 約幅 一m の雨 落 溝 が ほぼ 並 行 し て走 る︒ 大久 保忠 職 再建 の本 堂 に関 わ る遺 構 と考 え られ る︒ 第 三面 では 幅︑ 六

〇 釦の 溝 が南 北方 向 に 二条 行平 に長 く延 び て いる 溝︒ の間 隔 は約 四 mで あ る︒ 溝 に並 列 し て柱 穴 が認 めら れ 江︑ 戸時 代初 期 の本 堂 の

(2)

一部 と考 え ら れ る︒ 調査 区 北東 部 の本 堂 北 側 では 中︑ 島を も つ池 の西 南部 が検 出 され た 中︒ 島 へは 長︑ さ約 一

・五 m幅 四

〇 釦厚 さ 二〇 帥の 花 両岩 の切 石 が渡 され て いた

︒ 中島 の裾 部 には 弧を 描 く うよ に 一辺 二〇 伽の 石 が 並 べら れ︑ そ の際 に幅 三

〇 帥の 平坦 面 が形 成 され て いる 平︒ 坦 面 か ら西 へ傾 斜 し て落 ち そ︑ の斜 面 に 一辺 三〇 伽大 の石 を並 てべ 護 岸 と し て いた ま︒ た︑ こ の斜 面 か ら 一〇 m西 で︑ 池 の西 肩 が検 出 さ たれ

︒ 斜 面 下 に杭 を打 ち︑ 横木 を設 置 し て いた 池︒ の深 さ は約 一m で︑ 下 部 泥に 質 土 堆が 積 し おて り︑ 滞水 化 し て いた も のと みら るれ 埋︒ 土 か らは 江︑ 戸時 代前 期以 降 の遺 物 が出 土 し て いる

︒ 調査 区 北西 部 では

︑ 土損 墓 が計 四九 基検 出 され た

︒ そ の内 訳 は︑ 桶棺 四 四基 長︑ 方形 木棺 二基 方︑ 形 木棺 二基 つぐ ち 一基 は内 部 に桶 棺 を納 めた 二重 棺︶ ︑ 甕棺 一基 あで る︒ 桶 棺 は

︑ 日径 五〇

〜六

〇 c m高 さ 六〇

〜七

〇 伽の も のと

︑ 日径 三五 伽高 さ四

〇 伽の も のの 二種 類 分に 類 され る︒ これ ら の桶 棺 のう ち︑ 蓋 を有 す るも のは 二七 基認 めら れ た ま︒ た︑ 内部 に骨 が残 存 し て いた も のが 二三 基 あ たっ 概︒ し て︑ 小児 用 と みら れ る小 桶内 で の骨 の残 存 度 低は か たっ 骨︒ の出 土状 況 から 基本 的 屈に 葬 さ れ て いた こと がわ か る︒ 副葬 品 には 数︑ 珠玉

・ 寛 永通 宝

・木 製 玩具

︒櫛

・扇 子

・硯

・土 師 器 皿

︒卒 塔 婆 など あが る︒ 陶 磁 器 では 唐︑ 椀津

・皿 肥︑ 前系 磁 器椀 備︑ 前 焼重 など あが り︑ 時 期的 には 一七 世紀 前 葉 から 明治 期 ま で のも のが 認 め られ て るい

︒ 墨

書 は︑ 棺内 に納 めら れ た木 札と 桶︑ の蓋 裏 被に 葬者 の氏 名 や没 年 月 日を 記 した も の︑ 桶 の側 板 に

﹁前

﹁○

﹂ と頭 位 を示 し たも のな ど あが る︒ 遺構 番 号 のS Tは 土媛 墓を 示す

︒ 従来 寺 内 に存 在 す る墓 碑 銘 によ てっ 江︑ 戸時 代 初期 以 降 の明 石藩 の主 要 な家 臣 が葬 ら たれ 墓 あで るこ と が知 ら れ て いた が︑ 今 回 の墨 書 され た木 棺 など の発 見 よに り被 葬者 を特 定 す るこ と が でき 墓︑ 石 の銘 から 知 ら れ て いた 物人 と の対 応 や︑ そ の埋 葬形 態 や副 葬品 か ら 武家 階級 の墓 制 のあ り方 を より 詳細 に辿 るこ と が きで るよ う にな っ た意 義 は大 き い︒ 8  木簡 の釈 文

︒内 容

×

×

2005年 出土の木簡

(1) S

T

占申討

N

報引∃軒酎田離‖品畑

洲隷鞘¢離 >剤 コ引 謝 キ十キ

'爺'中

畔キ十

粛仙

1引

雛対溺≧蘇≫卜

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呻 磯 田部

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甜餅れ 喜鴻 睡→

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ヤ百 尋Ⅲ団〉

(3)

・ 

︑  

︹龍

︺力               功 徳

□ 弘 化 第 三

□ 丙 午 閏 五 月 初

□  

□ 主  =

□ 弥 兵 衛  

③  

﹁ 同 日 日 □ 十 回 武 州 江 戸

□ 産 以 江 武 功 口 名 播 州 明 石 為 官 士

□ 寿 伯 貞 宜 行 年 九 十 一 口 而

②  

︐ 同 国 白 雲 自

□ 来 相 値 量 外 貞 寿 禅 尼 十 有

= 詳 辰 薦 福 之 塔

働  

﹁  子 時 明 治 四 十 三 年 月 二 二 十 四 日 慢 性 高

□ 灸 二 罹 死 葬   羹 大 明 石 村 月 江 山 雲 晴 寺 年 已 七 拾 弐 歳 午 前 三 時 黄 泉 至        

⑥   怯 . 伽 羅 婆 阿 経 口 祠 所

・ 江 月 照 松 風 吹 永

0  

﹁ 子 姦 葬 者 播 州 明 石 官 士 庄 林 宇 右 衛 門 貞 盈 之 二 男 三 宅 竹 五 郎 也 臥 痘 塘 病 無 薬 功 而 終 享 保 二 十 一 丙 辰 歳 正 月 二 十 二 日 行 年 二 歳 而 死 畢 同 郡 葬 月 江 山 雲 晴 寺 之 地 内 也  

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×

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×

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×︼側

× ×

× Ю φ μ

(4)

一  鞠 ①  碧幡﹈韓 購呻脚燐 精酢也葬 軸幹麟腫 子

赤 石 郭 東 雲 晴 寺 法 諭 具 碑 面 云 た れ 人 に ても あ は れ み うて つし 候  へ   一展 子 今 枝 一卯 右 腑 岬 謹 諦        

×

①   麒 . 懺 夭 光 院 率 容 妙 薫 大 姉 成 ︒ 仏 名 残 苔 所 露 明                

︵ ω ら い て o 妥 連

⑩  

︒ ﹁ 大 円 説 鏡 側

﹁︒       国 人                      

︵い じ 透 粟 烙

× φ

× ω

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⑫  

︒ ﹁ 剛 離 獣 倣 摂 屋 与 市 ﹂

︒ ﹁ 日 日 H 日

︱ 十 日 H H 国 失 天 地 逆 ︶         P 無

× 8

× φ b 8 P

醜 H 拠 幣 怖 猥

兵 庫 県 明 石 材 木 □ □ 田 ヤ ヱ   ﹂   P解 深 ω反 枷 P P

⑭   ﹁ 明 治 三 十 □ 年 □ □ 月 同 行 二 人

奉 納 四 国 人 拾 八 箇 ︹ 所 期 餅 兵 庫 県 明 石 材 木 町 口 田 ヤ ヱ   ﹂     P∞ 深 ⇔叉 ω 自 P

ω

ω は墨 痕 が明 瞭 で︑ 資料 の状 態 も良 好 であ る︒ 方 形棺 内 納に めら れた 桶 の蓋 裏 に書 か れ て いる 境︒ 内 にあ る久 昌院 の墓 石 に は︑

﹁久 昌 殿院 桂 義窓 芳大 姉  一旱保 十七 壬 子年 月人 十 二日   織 田左 衛 門平 常 寿 建之

﹂と 刻 ま れ て いる

② は︑ 二片 と も上 下両 端 が欠 損す る︒ 接直 接は 合 し な いが

︑ 同 一 資 料 の断 片 と考 え られ る︒ 墨痕 は擦 れ て判 読 困が 難 あで る︒

⑪  

︒ ﹁奉 納 四 国 十 人 八 ケ 所 順 拝 化 弘 五 年 同 川 国 戊 申 正 月 日 川 回 名 口 回

2005年 出上の木簡

(5)

3 験 警 理 喜 券

γ

替 史 泰 毛

‡ 解 重 霊 7 密 軍 挫 え 孝 也

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(1)

(4)

緋 婢

★ ガ f 誕 疲 え

︐年 五 万こ メ■

鞍 麻翠 解 蝸 瑯 解 輔

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(6)

口 日 川 陶 陥

                        の 中

2005年 一 閣 日 田 団 田 閉 口 円 躙 繍 日 日 W    

 ぐ

     は ハ贔︹︹    A 中山中坤 中︼山日 ︻山中房 И中中中

恭中︺︶   く

(15)

﹇ 四 四 阿 日 ﹈ 的 四 開 躙 呻 多 Ш

. ︵ 口        

・ ︲

̲

(7)

0 は︑ 蓋 の左 右 が欠 損 し て るい 墨︒ 痕 擦は れ 判て 読 が困 難 あで る︒ こ の墓 の上 部 か ら出 土 し た縦 三七 帥横 四七 伽厚 さ 入 伽の 砂 岩製 の石 碑 には

︑ 享 保 一三 年

︵一 七 二八

︶六 月 に九 一歳 で亡 く な たっ 庄 林 八 左衛 門貞 宜 の経 歴 が記 さ れ て いた 蓋︒ 裏 の墨 書 の内 容 が こ の碑 文 と 一致 す る点 から S T二 七 には 庄林 人左 衛 貞門 宜 が葬 ら れ て るい とこ がわ か る︒ 貞 宜 は︑

﹃東 播 秘談

﹄ に

﹁庄 林 八左 衛 門後 寿 伯 と いふ

﹂ と あ る︒

④ は︑ 墨痕 は明 瞭 で資 料 の状 態 も良 好 あで る︒ 竹内 甚平 高 寧 は墓 石も 残 さ れ てお り︑ 桶蓋 の文 と ほ 同ぼ 内容 の銘 が刻 ま れ て るい

︒ 石 碑 に︑ 同 氏 は安 政 六年

︵一 人五 九︶ に三

〇 石〇 禄の 高 受を け た こと 記が さ れ て いる 文︒ 久 三年

︵一 人△ こ の

﹃明 名石 勝 古事

﹄談 に よ ると

﹁中 老

﹂を 勤 め て いた と あ る︒ 0 は︑   一部 欠 損 し て いる 墨︒ 痕 は擦 れ て るい が ほぼ 判 読 きで る︒ 0 は︑ 上 下両 端 が欠 損 し 墨︑ 流が れ てし ま てつ るい 卒︒ 塔婆 の断 片

⑦ ︒ は︑ 墨 痕 は明 瞭 で︑ 資 料 の状 態 も良 好 であ る︒ 釘痕 が七 カ所 あ り︑ 桶 縁 が接 し て いた 痕 が残 る︒ こ の墓 葬に ら たれ 庄林 宇 右衛 貞門 盈 は︑

① 見に え る貞 宜 の子 であ り︑ 享 保 一五 年

︵一 七三 こ の御 家 中知 行 高 によ ると 御︑ 呑 組を 勤 め︑  

〇二 石取 り の家 臣 であ たつ こ と がわ か る︒

① は︑ 三枚 の板 で構 成 され 桶た 蓋 であ る︒ 態状 は良 好 で︑ 墨痕 も

明 瞭 あで る︒ 釘痕 が 入 力所 あ る︒ 雲晴 寺 の墓 石か ら 今︑ 枝丈 助 正景 は︑ 今 枝半 太夫 正 時 の子 であ る こと がわ か る︒ 正時 は

﹃西摂 大 観﹄

︵郡部

︶ の

﹁松 平 家年 譜﹂ に組 頭と し てそ 名の 見が え る︒ 0 は︑ 上 下両 端 が欠 損 し て るい が︑ 墨書 は完 存 し て るい 卒︒ 塔 婆 の断 片

⑩ は︑ 下端 が欠 損 し て るい 墨︒ 流は れ てし ま てつ るい

〜⑭ は︑ 墓内 に収 めら れた 巡礼 札 であ る︒

⑪と

⑬︑ と⑭ の二 枚組 でそ れぞ れ 一つ の墓 内 から 出 上 し て るい 墨︒ が流 れ出 るな ど︑ 墨痕 の状 態 悪が いの で判 読 困が 難 であ る︒

①⑫ には 五 カ所

⑬︑ 側 に は カ四 所 の釘 孔 あが る︒

⑮は 桶 の側 板 に頭 位 の方 向 を記 し たも の︒ なお 釈︑ 読 にあ た てつ は︑ 庫兵 県立 図書 館 宮の 本 博 氏 のご 示教 を 得 た︒

︵稲原 昭嘉

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