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Vol.65 , No.1(2016)062園田 沙弥佳「『大寒林陀羅尼』Mahasitavati異本について」

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全文

(1)

王は世尊のもとを訪れて礼拝した.毘沙門天は「世尊の身体を傷つける者はいな いのか」などといった疑問を世尊に呈する.世尊は「傷つける者はいない」など と答え,続けて「汝らの諸々の眷属が,私の眷属(衆生)を傷つけようとしてい る」と言った.さらに「僧院や僻地の屋敷で,世尊の聴聞者たちに危害を与える 者たちがいる.傷つける者どもは退散せよ.四天王は私の言うことを聞け」と答 えた.以下,『大寒林陀羅尼』の様々な功徳が偈をもって述べられる.また,経典 にもとることを行った者は,頭が 7 つの欠片に割れるという.変化自在のヤクシャ や羅刹の,様々な恐ろしい姿が説かれる. [2]四天王の陀羅尼 四方を守護する毘沙門天,持国天,増長天,広目天が,そ れぞれ障りをなすものを妨げる陀羅尼呪を世尊に述べた. [3]四天王の誓願 四衆を守ることを誓願した四天王に,世尊は陀羅尼を保持せ よと繰り返し答えた. [4]世尊の大寒林陀羅尼 さらに世尊は毘沙門天に大寒林陀羅尼を説く.陀羅尼 呪によってブータは震えて苦痛の叫びをあげて苦しんだ.世尊はさらに一切衆生 を慈しんで陀羅尼呪を授け,続けて世間に安楽をなす陀羅尼呪,一切の障りを防 ぐ陀羅尼呪の保持を説く. [5]陀羅尼による地や空の変化 世尊の陀羅尼によって大地が揺れ,地面は金剛 に変化し,それらが四方にあまねく広がり,空が金色に変化すると説かれる. [6]毘沙門天の陀羅尼呪 毘沙門天は,ガンダルヴァたちを目の前に集めてすり つぶし,一切のブータを退散させ,四衆たちを守護し,隠し,安寧になり,無上 の幸福を与えるための陀羅尼呪を述べ,世尊に敬礼した. [7]貴い『大寒林陀羅尼』の保持,読誦 世尊は,四衆がこの大寒林経を保持し, 唱えることで守護されることから,この『大寒林陀羅尼』は貴いものなのである と説く. [8]四天王の帰還 四天王は仏陀に敬礼し,足に礼拝し,帰還した. [9]今までのあらましと四衆の歓喜 世尊は,比丘サンガ,優婆塞たちのために 四天王が訪れてから今までのあらましを話した.世尊の話を聞いた比丘,比丘尼, 優婆塞,優婆夷たちは歓喜した. [10]儀軌 この経典に関わる儀軌が述べられる.この儀軌は 3 つの白いものを食 べ,よく口をゆすぎ,断食して戒律を保つこと,さらに,四天王の姿は黄土色, もしくは赤土によって書き,あらゆる香りを持つ四角いマンダラを完成させ,陀 羅尼を 3 回唱えるべきであるという. 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田) (151)

『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について

園 田 沙 弥 佳

1.

『大寒林陀羅尼』とは

五護陀羅尼経典の一つ『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī(略号 ŚV)には 2 つのバー ジョンが存在することが,先行研究によって明らかになっている1).第一は,サ ンスクリット・テキスト,漢訳,およびチベット語訳が存在する ŚV(以下 ŚV-A 本と称する),第二はチベット語訳のみ存在するといわれる ŚV である(以下 ŚV-B 本と称する).ŚV-A 本の原典成立年代は現在のところ明らかでないが,[大塚 2010]によると,A 本は『檀特羅麻油述経』(曇無蘭訳,訳出活動年代 AD 381–395)2) から影響を受けたという.その翻訳年代からみて,A 本の原典成立は 4C まで遡 ることができるといわれている3).なお,本経典の先行研究に関しては,[奥村 1973]による ŚV-A 本の概略的な報告や,[Skilling 1992][奥山 1998][大塚 2010]において他経典との比較がある.なお,著者は[園田 2016]においてこの ŚV-A 本の和訳を発表した. A 本,B 本両者とも ŚV とみなされているものの,その内容は大きく異なって いる.本論文では以上に述べたチベット語訳のみに存在する ŚV-B 本の構成と, その特色について述べたい.

2.ŚV-B

本の内容構成

ここでは,チベット語訳 ŚV-B 本の概要について述べよう. [0]帰依文と陀羅尼の機能 初めに,三宝やディーパンカラ(燃灯仏),過去七仏, 弥勒仏等の仏,舎利弗,目犍連等の仏弟子,そして四天王などに対する帰依文が 説かれる.この大寒林の経は四天王による偉大な守護であり,一切衆生は様々な 邪悪な者や障りから守護される.また,悪鬼の頭が 7 つに裂けるように4),とこ こで述べられる. [1]世尊と四天王の対話 世尊がラージャグリハの大寒林に住していた時,四天 (150) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月

(2)

王は世尊のもとを訪れて礼拝した.毘沙門天は「世尊の身体を傷つける者はいな いのか」などといった疑問を世尊に呈する.世尊は「傷つける者はいない」など と答え,続けて「汝らの諸々の眷属が,私の眷属(衆生)を傷つけようとしてい る」と言った.さらに「僧院や僻地の屋敷で,世尊の聴聞者たちに危害を与える 者たちがいる.傷つける者どもは退散せよ.四天王は私の言うことを聞け」と答 えた.以下,『大寒林陀羅尼』の様々な功徳が偈をもって述べられる.また,経典 にもとることを行った者は,頭が 7 つの欠片に割れるという.変化自在のヤクシャ や羅刹の,様々な恐ろしい姿が説かれる. [2]四天王の陀羅尼 四方を守護する毘沙門天,持国天,増長天,広目天が,そ れぞれ障りをなすものを妨げる陀羅尼呪を世尊に述べた. [3]四天王の誓願 四衆を守ることを誓願した四天王に,世尊は陀羅尼を保持せ よと繰り返し答えた. [4]世尊の大寒林陀羅尼 さらに世尊は毘沙門天に大寒林陀羅尼を説く.陀羅尼 呪によってブータは震えて苦痛の叫びをあげて苦しんだ.世尊はさらに一切衆生 を慈しんで陀羅尼呪を授け,続けて世間に安楽をなす陀羅尼呪,一切の障りを防 ぐ陀羅尼呪の保持を説く. [5]陀羅尼による地や空の変化 世尊の陀羅尼によって大地が揺れ,地面は金剛 に変化し,それらが四方にあまねく広がり,空が金色に変化すると説かれる. [6]毘沙門天の陀羅尼呪 毘沙門天は,ガンダルヴァたちを目の前に集めてすり つぶし,一切のブータを退散させ,四衆たちを守護し,隠し,安寧になり,無上 の幸福を与えるための陀羅尼呪を述べ,世尊に敬礼した. [7]貴い『大寒林陀羅尼』の保持,読誦 世尊は,四衆がこの大寒林経を保持し, 唱えることで守護されることから,この『大寒林陀羅尼』は貴いものなのである と説く. [8]四天王の帰還 四天王は仏陀に敬礼し,足に礼拝し,帰還した. [9]今までのあらましと四衆の歓喜 世尊は,比丘サンガ,優婆塞たちのために 四天王が訪れてから今までのあらましを話した.世尊の話を聞いた比丘,比丘尼, 優婆塞,優婆夷たちは歓喜した. [10]儀軌 この経典に関わる儀軌が述べられる.この儀軌は 3 つの白いものを食 べ,よく口をゆすぎ,断食して戒律を保つこと,さらに,四天王の姿は黄土色, もしくは赤土によって書き,あらゆる香りを持つ四角いマンダラを完成させ,陀 羅尼を 3 回唱えるべきであるという. 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田) (151)

『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について

園 田 沙 弥 佳

1.

『大寒林陀羅尼』とは

五護陀羅尼経典の一つ『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī(略号 ŚV)には 2 つのバー ジョンが存在することが,先行研究によって明らかになっている1).第一は,サ ンスクリット・テキスト,漢訳,およびチベット語訳が存在する ŚV(以下 ŚV-A 本と称する),第二はチベット語訳のみ存在するといわれる ŚV である(以下 ŚV-B 本と称する).ŚV-A 本の原典成立年代は現在のところ明らかでないが,[大塚 2010]によると,A 本は『檀特羅麻油述経』(曇無蘭訳,訳出活動年代 AD 381–395)2) から影響を受けたという.その翻訳年代からみて,A 本の原典成立は 4C まで遡 ることができるといわれている3).なお,本経典の先行研究に関しては,[奥村 1973]による ŚV-A 本の概略的な報告や,[Skilling 1992][奥山 1998][大塚 2010]において他経典との比較がある.なお,著者は[園田 2016]においてこの ŚV-A 本の和訳を発表した. A 本,B 本両者とも ŚV とみなされているものの,その内容は大きく異なって いる.本論文では以上に述べたチベット語訳のみに存在する ŚV-B 本の構成と, その特色について述べたい.

2.ŚV-B

本の内容構成

ここでは,チベット語訳 ŚV-B 本の概要について述べよう. [0]帰依文と陀羅尼の機能 初めに,三宝やディーパンカラ(燃灯仏),過去七仏, 弥勒仏等の仏,舎利弗,目犍連等の仏弟子,そして四天王などに対する帰依文が 説かれる.この大寒林の経は四天王による偉大な守護であり,一切衆生は様々な 邪悪な者や障りから守護される.また,悪鬼の頭が 7 つに裂けるように4),とこ こで述べられる. [1]世尊と四天王の対話 世尊がラージャグリハの大寒林に住していた時,四天 (150) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月

(3)

ティヤ経」と共通していることが[Skilling 1992, 141]によって指摘されている. さらに『法華経』「陀羅尼品」にみられる毘沙門天と持国天が法師を守護するため の陀羅尼呪を世尊に述べる場面とも類似している.ただし,ここでは両経典とも 四天王の陀羅尼呪に対して世尊が改めて陀羅尼呪を説いてはいない. 先に述べたように,ŚV-A,B 本は双方とも ŚV とされる経典だが,その内容の 隔たりは大きい.少なくとも,分量の多い B 本が広本,少ない A 本がその略本と いう関係とはいえないだろう.経題やチベット語訳の問題点(注 1 参照)に関して は先行研究によって指摘されているものの,なぜ ŚV がこのように 2 つの系統に 分かれて展開したのか,その背景は明らかになってはいない.同様のことは五護 陀羅尼に属する『大護明陀羅尼』にも生じており9),写本の系統については今後 の課題である.  1)ŚV-A,B 本については,以下の問題点が指摘されている. A 本の経題はサンスクリット・テキストで Mahāśītavatī,漢訳では『大寒林聖難拏陀 羅尼経』(大正 21,no. 1392)だが,チベット語訳のみ『聖持大杖陀羅尼』’phags pa be con chen po zhes bya ba’i gzungs(大谷 no. 308,東北 no. 606)となっている.一方で, ŚV-B 本はチベット語訳にのみ存在する.チベット大蔵経(大谷 nos. 177–181,東北 nos. 558–563)に収録されている五護陀羅尼経典では ŚV-B 本(大谷 no. 180,東北 no. 562) の方が含まれている.さらに,8–9 世紀にかけてチベットで編纂されたデンカルマ ldan kar ma 目録においても「五大陀羅尼」gzungs chen po lnga として収録されているのは ŚV-B 本の方であり,それについては既に[芳村 1974, 148][Skilling 1992, 139][奥山 1998]等の先行研究によって指摘されている.  2)『仏説檀特羅麻油述経』(大正 21,no. 1391,曇無蘭訳)サンスクリット・テキストお よびチベット語訳は現存しないが,偽経問題の報告はないという.[大塚 2010, 147–169]  3)ŚV に明呪を増補して『仏説宝帯陀羅尼経』(大正 21,no. 1377,施護訳)が成立, さらに儀軌を付加させた『仏説聖荘厳陀羅尼経』(大正 21,no. 1376,施護訳)が発展, 形成されたと論証している.

 4)mgo po che lab bdun du ’gas ta re(北京版 no. 180 では sing とあるが,デルゲ版 no. 562 では ta re(正に)とあり,後者を採用した).  5)和訳については[園田 2016]を参照.  6)『大護明陀羅尼』以外の五護陀羅尼経典においても結呪作法が説かれている.  7)アルジャカは植物の一種.『スッタニパータ』「彼岸道品」や,『法華経』「陀羅尼品」 等でも見られる.詳しくは[園田 2016]参照.  8)[Iwamoto 1937a][岩本 1975]参照.  9)一つは『説一切有部律』薬事のヴァイシャーリープラヴェーシャから由来している もの,もう一つはパリッタの一種として考えられているものがあり,この 2 経とも『大 護明陀羅尼』と見なされている. 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田) (153) [11]奥付 最後に,本陀羅尼の訳者に Śīlendrabodhi,Jñānasiddhi,Śākyaprabha, Ye shes sde がデルゲ版で示されている.(なお,北京版に本記述はない.) 以上が ŚV-B 本の概略である.

3.ŚV-A

本との比較

以上のように,ŚV-B 本は帰依文から始まり,大寒林(屍林)における世尊と四 天王の対話,様々な障りや災難と大寒林陀羅尼の効能,様々なヤクシャたちの恐 ろしい姿や,世尊と四天王の陀羅尼呪,そして儀軌によって主に構成されている. 一方,ŚV-A 本の内容構成は以下のとおりである5).大寒林において数々の障り を受けて苦しむラーフラ尊者は世尊のもとを訪れ,ただただ涙を流していた.世 尊が理由を尋ねたところ,ラーフラ尊者はその胸中を打ち明ける.世尊は諸々の 障りを防ぎ,障りをなす者の頭が 7 つに割れる「大寒林」という名の陀羅尼をラー フラ尊者に授ける.それを聞いたラーフラ尊者やその場にいたものは,即座に歓 喜した. ŚV-A 本と B 本の間では,主に以下の点が共通している.まず,この陀羅尼が 「寒林」śītavana で説かれていることや,結呪作法6)による四衆の守護,そして害 をなすものの頭が 7 つに裂けることである.結呪作法とは陀羅尼を体に結び付け 守護を期待する儀礼的行為である.また,B 本,A 本では「頭が 7 つに割れる」 という,いわゆる「頭破作七分」が説かれている.また,A 本では「アルジャカ の花房のように」とさらに付加されている7) 以上に ŚV-A 本と B 本間の主な共通事項をあげたが,全体の内容構成からみて も両者に隔たりが大きいことは明らかである.特に,ŚV-A 本における主要な登場 人物のラーフラが B 本では登場しない.また,B 本の終結部分には,A 本にはな いこの経典に関わる儀軌としての記述がみられる.この 2 点が A 本の構成とは大 きく異なる点である. むしろ ŚV-B 本は A 本よりも,同じ五護陀羅尼経典の一つである『守護大千国 土経』Mahāsāhasrapramardanī(略号 SP)8)の方に内容構成の面では共通点が見い だせる.SP 中では,四天王が陀羅尼を述べた時に世尊はさらに優れた守護の呪を 説き,四天王は恐れ驚いて合掌したことが説かれる.ŚV-B 本においても,四天王 がそれぞれ陀羅尼呪を説いてから世尊が改めて陀羅尼呪を説き,四天王にこれを 受け入れるように世尊が告げる. また,四天王が世尊に自身の陀羅尼呪を述べる場面は『長部』「アーターナー (152) 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田)

(4)

ティヤ経」と共通していることが[Skilling 1992, 141]によって指摘されている. さらに『法華経』「陀羅尼品」にみられる毘沙門天と持国天が法師を守護するため の陀羅尼呪を世尊に述べる場面とも類似している.ただし,ここでは両経典とも 四天王の陀羅尼呪に対して世尊が改めて陀羅尼呪を説いてはいない. 先に述べたように,ŚV-A,B 本は双方とも ŚV とされる経典だが,その内容の 隔たりは大きい.少なくとも,分量の多い B 本が広本,少ない A 本がその略本と いう関係とはいえないだろう.経題やチベット語訳の問題点(注 1 参照)に関して は先行研究によって指摘されているものの,なぜ ŚV がこのように 2 つの系統に 分かれて展開したのか,その背景は明らかになってはいない.同様のことは五護 陀羅尼に属する『大護明陀羅尼』にも生じており9),写本の系統については今後 の課題である.  1)ŚV-A,B 本については,以下の問題点が指摘されている. A 本の経題はサンスクリット・テキストで Mahāśītavatī,漢訳では『大寒林聖難拏陀 羅尼経』(大正 21,no. 1392)だが,チベット語訳のみ『聖持大杖陀羅尼』’phags pa be con chen po zhes bya ba’i gzungs(大谷 no. 308,東北 no. 606)となっている.一方で, ŚV-B 本はチベット語訳にのみ存在する.チベット大蔵経(大谷 nos. 177–181,東北 nos. 558–563)に収録されている五護陀羅尼経典では ŚV-B 本(大谷 no. 180,東北 no. 562) の方が含まれている.さらに,8–9 世紀にかけてチベットで編纂されたデンカルマ ldan kar ma 目録においても「五大陀羅尼」gzungs chen po lnga として収録されているのは ŚV-B 本の方であり,それについては既に[芳村 1974, 148][Skilling 1992, 139][奥山 1998]等の先行研究によって指摘されている.  2)『仏説檀特羅麻油述経』(大正 21,no. 1391,曇無蘭訳)サンスクリット・テキストお よびチベット語訳は現存しないが,偽経問題の報告はないという.[大塚 2010, 147–169]  3)ŚV に明呪を増補して『仏説宝帯陀羅尼経』(大正 21,no. 1377,施護訳)が成立, さらに儀軌を付加させた『仏説聖荘厳陀羅尼経』(大正 21,no. 1376,施護訳)が発展, 形成されたと論証している.

 4)mgo po che lab bdun du ’gas ta re(北京版 no. 180 では sing とあるが,デルゲ版 no. 562 では ta re(正に)とあり,後者を採用した).  5)和訳については[園田 2016]を参照.  6)『大護明陀羅尼』以外の五護陀羅尼経典においても結呪作法が説かれている.  7)アルジャカは植物の一種.『スッタニパータ』「彼岸道品」や,『法華経』「陀羅尼品」 等でも見られる.詳しくは[園田 2016]参照.  8)[Iwamoto 1937a][岩本 1975]参照.  9)一つは『説一切有部律』薬事のヴァイシャーリープラヴェーシャから由来している もの,もう一つはパリッタの一種として考えられているものがあり,この 2 経とも『大 護明陀羅尼』と見なされている. 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田) (153) [11]奥付 最後に,本陀羅尼の訳者に Śīlendrabodhi,Jñānasiddhi,Śākyaprabha, Ye shes sde がデルゲ版で示されている.(なお,北京版に本記述はない.) 以上が ŚV-B 本の概略である.

3.ŚV-A

本との比較

以上のように,ŚV-B 本は帰依文から始まり,大寒林(屍林)における世尊と四 天王の対話,様々な障りや災難と大寒林陀羅尼の効能,様々なヤクシャたちの恐 ろしい姿や,世尊と四天王の陀羅尼呪,そして儀軌によって主に構成されている. 一方,ŚV-A 本の内容構成は以下のとおりである5).大寒林において数々の障り を受けて苦しむラーフラ尊者は世尊のもとを訪れ,ただただ涙を流していた.世 尊が理由を尋ねたところ,ラーフラ尊者はその胸中を打ち明ける.世尊は諸々の 障りを防ぎ,障りをなす者の頭が 7 つに割れる「大寒林」という名の陀羅尼をラー フラ尊者に授ける.それを聞いたラーフラ尊者やその場にいたものは,即座に歓 喜した. ŚV-A 本と B 本の間では,主に以下の点が共通している.まず,この陀羅尼が 「寒林」śītavana で説かれていることや,結呪作法6)による四衆の守護,そして害 をなすものの頭が 7 つに裂けることである.結呪作法とは陀羅尼を体に結び付け 守護を期待する儀礼的行為である.また,B 本,A 本では「頭が 7 つに割れる」 という,いわゆる「頭破作七分」が説かれている.また,A 本では「アルジャカ の花房のように」とさらに付加されている7) 以上に ŚV-A 本と B 本間の主な共通事項をあげたが,全体の内容構成からみて も両者に隔たりが大きいことは明らかである.特に,ŚV-A 本における主要な登場 人物のラーフラが B 本では登場しない.また,B 本の終結部分には,A 本にはな いこの経典に関わる儀軌としての記述がみられる.この 2 点が A 本の構成とは大 きく異なる点である. むしろ ŚV-B 本は A 本よりも,同じ五護陀羅尼経典の一つである『守護大千国 土経』Mahāsāhasrapramardanī(略号 SP)8)の方に内容構成の面では共通点が見い だせる.SP 中では,四天王が陀羅尼を述べた時に世尊はさらに優れた守護の呪を 説き,四天王は恐れ驚いて合掌したことが説かれる.ŚV-B 本においても,四天王 がそれぞれ陀羅尼呪を説いてから世尊が改めて陀羅尼呪を説き,四天王にこれを 受け入れるように世尊が告げる. また,四天王が世尊に自身の陀羅尼呪を述べる場面は『長部』「アーターナー (152) 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田)

(5)

『金剛頂経』第十一会について

德 重 弘 志

1.はじめに

『金剛頂経』とは,十八会十万頌といわれる経典群の総称である.この経典群の 梗概を伝える文献は,不空(705–774)が翻訳あるいは撰述した『十八会指帰』(T no. 869)のみである.『十八会指帰』で言及された『金剛頂経』第十一会(以下, ⑪)については,『諸仏境界経』(T no. 868)と対応するという先行研究が存在す る.本稿では,『諸仏境界経』が ⑪ と対応するとはいえないことを指摘した上で, 『グフヤマニティラカ』(GMT)が ⑪ と対応する蓋然性が高いことを論証する.

2.

『十八会指帰』における『金剛頂経』第十一会に関する記述

『十八会指帰』における ⑪ に関する記述(T no. 869, 18: 286c25–29)は,非常に簡 潔なものである.本稿ではその特徴を,[経題](『大乗現証瑜伽』1),[説処](アカ ニシュタ天),[特徴 1](金剛界三十七尊を『真実摂経』と同様に出生する2),[特徴 2] (一々の尊に四種曼荼羅と四種印を具す3),[特徴 3](実相の理を説く),[特徴 4](心 にマンダラを建立する儀則を説く),といった項目に整理した. さて,『十八会指帰』においては,上掲した ⑪ の特徴の大半が,十八会を構成 する他の経典(以下,①~⑱)とも共通している.[説処]に関しては,①『真実 摂経』(STTS)や,②『金剛頂タントラ』(VŚ)の記述と一致している.[特徴 1] に関しては,『十八会指帰』における ① の記述と一致している.また,VŚ(②) 自体には,[特徴 1]と対応する記述が存在する.[特徴 2]に関しては,③(四種 印のみ),④(四種曼荼羅のみ),⑥,⑦,⑧(四種曼荼羅のみ),⑨,⑩,⑫,⑬(四 種曼荼羅のみ),⑭,⑮,⑯,⑰,⑱ の記述と一致している.また,STTS(①)や VŚ(②)自体には,[特徴 2]と対応する記述が存在する.[特徴 3]に関しては, ②,⑧,⑨,⑱ にも記されている. 以上のことから,⑪ には,十八会を構成する他の経典と関連する内容が説かれ 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 (155) 〈参考文献〉 岩本裕 1975『仏教聖典選第七巻 密教経典』読売新聞社. 大塚伸夫 2010「『檀特羅麻油述経』に見る初期密教の特徴」『高野山大学密教文化研究所 紀要』23: 147–169. 奥村泰全 1973「大寒林陀羅尼経の概略について」『密教学会報』12: 39–43. 奥山直司 1998「初期密教経典の成立に関する一考察――『マハーマントラーヌサーリ ニー』を中心に――」松長有慶編著『インド密教の形成と展開 松長有慶古稀記念論 集』法藏館,67–86. 倉西憲一 2013「『パンチャラクシャー』(五つの守護呪)」高橋尚夫・木村秀明・野口圭 也・大塚伸夫編『初期密教』春秋社,158–165. 園田沙弥佳 2016「『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī について」『東洋大学大学院紀要』52: 217–235. 田久保周誉校訂 1972『梵文孔雀明王経』山喜房佛書林. 立川武蔵編著 2015『ネパール密教』春秋社. 塚本啓祥・松長有慶・磯田熙文編 1989『梵語仏典の研究 IV 密教経典編』平楽寺書店. 中村元訳注 1958『ブッダのことば――スッタニパータ』岩波書店. 芳村修基 1974『インド大乗仏教思想研究――カマラシーラの思想――』百華苑. Iwamoto,Yutaka. 1937a. Beitrage zur Indologie. Heft 1, Mahāsāhasrapramardanī (Pañcarakṣā I).

Kyoto: Shōbundō.

Iwamoto, Yutaka. 1937b. Beitrage zur Indologie. Heft 2, Kleinere Dharani Texte. Kyoto: Shōbundō.

Skilling, Peter. 1992. “The Rakṣā Literature of the Śrāvakayāna.” Journal of the Pali Text Society 16: 109–182.

――― . 1994. Mahasutras: Great Discourses of the Buddha. 2 vols. Oxford: Pāli Text Society. (本研究は平成 28 年度東洋大学井上円了記念研究助成による研究成果の一部である.) 〈キーワード〉 五護陀羅尼,Pañcarakṣā,『大寒林陀羅尼』,Mahāśītavatī,初期密教経典

(東洋大学大学院) (154) 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī 異本について(園 田)

参照

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