責 任 刑 の 意 義 と 量 刑 事 実 を め ぐ る 問 題 点 ( 一 )
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(2) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 第一款行為結果. 量刑の﹁特殊性﹂の存在?. 責任刑の基礎. 第一節. 第五章. 量刑事情の範囲と犯罪論. 行為の危険性について 第二節. 第二款 行為の主観面をめぐって. 結びにかえて. ﹁責任刑﹂と可罰性. 第三節 第六章. 第三節. 問題の所在. 犯行後の事情. 行為者の前歴. 犯行前の態度または犯行後の事情. 第一款. 第四節. 第二款. 第一章. 七八. 1 被告人に対して科される刑罰が︑﹁正しく﹂︑﹁合理的﹂でなければならないということは︑あまりにも自明の. ことである︒犯罪論において如何に精緻な解釈が行われようとも︑最終的な結論の一である量刑において﹁正しさ﹂. や﹁合理性﹂が担保されなければ︑犯罪論の意味は無に帰するといっても過言ではないであろう︒. 量刑の合理性とは︑もちろん﹁法的﹂合理性である︒別の言い方をすれば︑被告人からみた場合には訴訟上で反. 証を加える可能性があることであり︑一般人からみた場合には︑判決が裁判官の個人的判断を越えて説得的に感じ. られるということであろうと思われる︒一方︑起訴便宜主義が発達し︑諸外国と比較しても有罪率が著しく高いわ. が国において︑被告人の関心はもっぱら量刑にあるということがしばしば言われてきたが︑解釈学的な側面からも︑ ︵1︶. より関心が払われてよい領域といえるであろう︒刑法解釈学から︑量刑ヘアプローチする方法として考えられるの. は︑例えば︑まず第一に刑罰目的論である︒それに続いて︑︵量刑︶責任論︑量刑事実論︑すなわち︑量刑事実の客.
(3) ︵2︶ 観的範囲︑刑罰を加重する事実か軽減する事実かを決定する評価方向︑諸事実の衡量の明確化などが︑実体法領域 ︵3︶. で量刑の﹁合理性﹂を保障するものとして挙げることができよう︒もちろん量刑研究にとっては︑その他の観点か ︵4︶. らのアプローチも可能である︒例えば︑犯罪学的観点による実証的研究︑立法論的研究︑刑事訴訟法を対象とする 手続研究が︑その代表的なものであろう︒. しかし︑本稿は︑もっぱら解釈学的見地から量刑を考察しようとするものである︒したがって︑量刑実務が現在. どのような状況にあるか︑現実にどのような事実が︑刑罰加重的にまたは刑罰軽減的に作用しているか︑あるいは. どの事実がどの程度考慮されているかなどは︑ここでの直接の問題ではない︒むしろ︑本稿は︑﹁あるべき量刑﹂︑ ︵5︶ ﹁当為としての量刑﹂にアプローチするための規範的考察を行なうのが目的である︒ただし︑その考察の対象は︑. けっして量刑のみに限定して︑それを自己完結的に論じるのではなく︑刑事司法全体の中で位置づけられた量刑を. 取り上げることにしたい︒より具体的にいえば︑犯罪論と有機的に結合した量刑の在り方であり︑本稿は︑手続上. の数々の保障原理をも反映させることのできる量刑の方向性を探求するための一試論である︒. 2 ﹁あるべき量刑﹂を刑法の問題として取り扱ったのは︑近時においては︑例えば︑昭和四九年の改正刑法草 ︵6︶. 案であった︒たしかに︑この改正刑法草案をきっかけに︑量刑研究が従来より飛躍的に発展したという評価が可能. 七九. であろう︒しかし︑この改正刑法草案やその理由書に見る量刑事実の考え方は︑従来の量刑研究の欠陥を如実に示 すものであり︑まさにそこに当時の限界があったように思われる︒. 改正刑法草案四八条は︑刑の適用の一般基準を次のように定める︒. 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(4) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. ①刑は︑犯人の責任に応じて量定しなければならない︒. 八○. ②刑の適用にあたっては︑犯人の年齢︑性格︑経歴及び環境︑犯罪の動機︑方法︑結果及び社会的影響︑犯罪. 後における犯人の態度その他の事情を考慮し︑犯罪の抑制及び犯人の改善更正に役立つことを目的としなければな らない︒. ③死刑の適用は︑特に慎重でなければならない.. ここでは︑第一項において責任主義の優位が定められており︑第二項に刑罰目的として﹁犯罪の抑制及び犯人の. 改善更正﹂が規定されているものの︑予防目的はそれに尽きるとする意味なのか︑そのほかにどのような観点が量. 刑において考慮できるのかがそもそも明らかでない︒また︑﹁犯罪の抑制及び犯人の改善更正﹂として考えられる予. 防目的が相互にどのような優劣関係にあるのか︑また予防目的をどの程度まで考慮できるのか︑したがって予防目. 的の考慮によって責任刑をどの程度まで離れることができるのかも明らかでなく︑依然として裁判官に大幅な裁量. を許すものであって︑裁判官を規制するものではないと評価できよう︒この第一項の不明確さは︑当然に第二項の. 不明確さにつながる︒第二項では︑裁判官が量刑の際に考慮すべき事情が例示列挙されている︒しかし︑これらが. すべて責任刑にとって重要であるとする趣旨なのか︑それとも責任以外の観点から考慮されるのかに関して︑この. 規定は何も語らない︒この点の不明確性は︑何より︑なぜこれらの事実が量刑において考慮されるべきなのか︑あ ︵7︶ るいは考慮して構わないのかという根源的な問題を曖昧にしてしまう︒ ︵8︶ これらの点について︑﹁改正刑法草案附同説明書﹂が語るところを聞いてみよう︒ 3.
(5) ﹁﹃犯人の責任に応じて﹄刑の量定をしなければならないとする原則を第一項に掲げたのは︑犯人の責任の程度が. 量刑におけるもっとも基本的な要素であることを明らかにする趣旨であり︑したがって︑﹃犯罪の抑制及び犯人の改. 善更正﹄すなわち一般予防及び特別予防に役立たせるという第二項の刑事政策的な目的は︑責任に応じた量刑とい. うわくの中でのみ考慮されることになる︒﹂﹁責任に応ずる量刑といっても︑責任の量を数学的に確定することがで. きるわけのものではなく︑責任にはもともと幅があるともいえるのであって︑その範囲内で刑事政策的な要請にか. なった量刑をする余地は十分に残されていること︑量刑において刑事政策的な配慮をすることがいかに重要である. としても︑これを根拠にして犯人の責任と釣合いのとれないほど重い刑又は軽い刑が言い渡される余地を認めるの. は︑犯人の地位をあまりにも不安定なものとするおそれがあることなどから︑責任に応じた量刑という原則を第一. 次的なものとして第一項に規定し︑刑事政策的な要請を補充的なものとして第二項に規定することとなった︒﹂. ﹁第二項に掲げる考慮事項のうち︑﹃犯人の年齢︑性格︑経歴及び環境﹄は︑主として犯人の危険性あるいは改善. 可能性に関する判断の基礎となる要素であるが︑同時に︑犯人の責任を評価するうえでも考慮されることはもちろ. んである︒﹃犯罪の動機︑方法︑結果及び社会的影響﹄は犯罪行為そのものに伴う狭義の犯情であり︑主として責任. の評価という面から考慮される要素であるが︑一般予防及び特別予防の観点からも重要な考慮事項である︒﹃犯罪後. における犯人の態度﹄は︑改心したかどうか︑被害の回復に努力したかどうかなどの事情をさす︒しかし︑これ以. 外にも量刑上考慮すべき事項は少なくないので︑﹃その他の事情﹄をも加えることにより︑量刑に影響のある一切の 事情が考慮されることを明らかにした︒﹂. 八一. しかし︑この説明書によっても︑上記の問題が解決されているとは思われない︒例えば︑﹁犯人の年齢︑性格︑経 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(6) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 八二. 歴及び環境﹂が犯人の危険性あるいは改善可能性に関する判断に際しての基礎事情となることはありえようが︑な. ぜこれらが同時に責任評価の対象としても考慮されるのかの根拠は明らかでない︒より特徴的であるのは︑説明書. の記述は︑これらすべての事情について考慮されるということがすでに前提となってしまっている議論だというこ ︵9︶. とである︒そして︑量刑の性質上すべての量刑事情を法文に記述することは困難でもあり︑また場合によっては妥. 当でないこともあろうから︑本項を例示規定とすることにも相応の理由があると考えられるが︑﹁その他の事情﹂を. 明示した説明書の記述は︑量刑も法的活動の一つであるから︑裁判官がおよそ判断の対象とすべきではない事実が. 存在し︑したがって裁判官が量刑上考慮できる事実を限定しようとするという考え方と対極をなすものであろう︒. これらはすでに判例上考慮されてきた事実であるから当然に法律上もこのように規定すべきであるとするのは︑実. 務を完全に追認する本末転倒の説明である︒それでは︑従来の量刑実務にまったく問題がないとしているに等しく︑. 法律が従来の量刑実務を変更する可能性もなくなり︑法律による規定を置く意味に乏しくなることになろう︒. 4 また︑実務の現実の在り方としても︑単に犯罪事実にのみ目を向けて画一的な量刑を目指すというよりも︑. 行為者の性格︑経歴︑家族関係や環境︑犯罪の動機︑方法︑結果︑および社会的影響︑犯罪後の事情などすべて考. 慮にいれるものとしているようである︒刑量の決定は裁判官の裁量に委ねられ︑大きな権限をもつ裁判官は︑事例. ︵10︶. ごとの特殊事情を勘案しつつ︑世論の動向なども考慮して︑できるだけ事案に即した解決を試みているようにも見 える︒. しかし︑やはり法的見地からは︑このような量刑実務の在り方には再考の必要性が大きいように思われる︒すで. に述べた理由以外にも︑実務上重要視されている﹁犯人の年齢︑性格︑経歴及び環境﹂が責任に関連するのであれ.
(7) ば︑その﹁責任﹂概念自体が規制されることになるからである︒﹁犯人の年齢︑性格︑経歴及び環境﹂を資料にして ︵n︶ 判断される﹁責任﹂は︑犯罪論で多くの場合主張されるところの﹁個別行為責任﹂とは異なるものであろうし︑か. りに﹁量刑責任﹂という別個の責任概念を想定するのであれば︑その内容そして犯罪論の﹁責任﹂との関係がさら. に問われなければならないからである︒また︑個々の量刑事実が責任のみならず︑一般予防・特別予防上も重要で. あるとされる場合︑一般予防・特別予防とはそれぞれ何を意味するのかが示されない限り︑これらの事実がなぜ考. この意味で︑﹁量刑責任﹂の明確化が量刑事実の範囲確定にとって重要であることはいうまでもないが︑逆に︑. 慮されてよいのかは依然として未解決である︒ 5. いわゆる﹁量刑責任﹂が適切な量刑事実を包含することのできる概念として説明され得るかが理論的には興味を引. く問題であろうと思われる︒そこで︑本稿の第一の目的は︑規範学としての量刑論の立場から︑量刑をめぐる解釈. 論上の論争点を明らかにし︑そこから得られた帰結を﹁責任刑﹂の意味の解明へとフィードバックさせることにあ. る︒その手がかりとして︑責任主義と量刑に関する論稿が近時いっそう盛んに公にされ︑理論的対立の著しいドイ. ツの議論を基軸としながら︑論述を進めていくことにする︒そして︑ドイツで量刑に関する個別問題が提起される. に至った︑量刑法に携わる刑法学者の根源的な問題意識はどこにあるのかを探ることにする︒そこでは︑量刑の﹁特. 殊性﹂よりもむしろ︑責任主義をはじめとする刑法総論の議論が意識的に論じられていることが提示できるはずで. 八三. ある︒そして︑結論的な私見として︑量刑判断は︑社会的非難としての﹁個別行為責任﹂をどの程度まで刑罰でも ︵12︶ って対処すべきかという観点から決せられる﹁︵可罰的︶責任刑﹂と特別予防の必要性という二元的な構成によるべき であるとする試論を論証しようとするのが本稿の目的である︒ 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(8) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 八四. 以下では︑論述の進め方として︑量刑において責任刑が果たすべき機能︵刑罰の上限または下限を画するか否か︶と責. 任刑の内容︵何を量刑責任と考えるか︶とを区別して︑その学説状況と問題点を整理した後︑量刑事実について論じる. ことにする︒しかし︑これらの問題は相互に密接に関連し合うものである︒したがって︑最後にふたたび総括的に. しかし︑理念的な刑罰目的論と裁判官が具体的に量刑において考慮の基準となる刑罰目的との間に齪齪が生じる可能性もある︒. 責任刑の機能とその内容を検討することにしよう︒ ︵1︶. における﹃法秩序の防衛﹄概念の展開について︵五︶﹂警察研究第六三巻三号︵一九九二年︶四四頁は︑とくに威嚇予防については︑. 例えば︑一般予防目的について︑頃きの−冒菌雪ω歪⇒ρωq緯墜ヨ霧霊轟巽8耳る.>亀戸一零斜ω●ω謡戸および︑岡上雅美﹁ドイツ. シュペンデルは︑量刑事由を目的的量刑事由︵︷ぎ巴Φ蜂轟即仁ヨ8ω琶磯詔益且Φ︶︑現実的量刑事由︵8巴①ω霞N−9冒留︶︑論理. 刑罰目的の理念としては存在しても︑裁判官が個々の事例において量刑の際に考慮すべきでないとする︒ ︵2︶. 量刑事由︵δ鴨零箒ω﹃N−○昌&Φ︶に分ける三分法を採用した︵Oq日Rω需区9N貫い①ぼ①<○ヨωq緯ヨ践﹂39ψお一陳︒︶︒. 二博三H四号︵昭和三七年︶五三頁以下が当時の量刑研究の在り方を紹介する︒なお︑Oぼ一のぼき瞑Φ葭R§α霞震αq一什○ωゑ巴q. ︵4︶ 量刑研究の手法に関して︑武安将光﹁量刑研究の方法論およびわが国における生命犯に対する量刑の特色﹂刑法雑誌第一二巻. 井上大﹁統計資料から見た量刑の変遷と仮釈放の運用﹂専修法学論集第五四巻一六一頁がある︒. 士還暦記念論文集︵一一︶︵昭和二六年︶三五一頁などが挙げられよう︒また︑最近では︑量刑の現実の運用を取り扱うものとして︑. に中利太郎・香城敏麿﹃量刑の実証的研究﹄司法研究報告書第一五輯一号︵昭和四〇年︶︑高橋正巳﹁量刑の変遷について﹂小野博. ︵3︶ わが国の量刑に関する代表的な実証研究として︑不破武夫﹃刑の量定に関する実証的研究﹄︵昭和一四年︶が先駆的であり︑他. 刑罰加重的および刑罰軽減的効果の確定︑④関連事情の比較衡量︑⑤最終的な刑量の確定︶を採用する︒. は︑シュペンデルの三分法をさらに発展させた五分法︵①刑罰目的の調整︑②責任・予防に関連する事実の探求︑③それらの事実の. 象Φ℃轟圏ρド>象rおoo9の銀なお︑訟餌⇒ω﹂葺鵬窪ω毎づρO歪⇒α鷺○亘ΦヨΦα霧ωq臥窪ヨ8釜p鵯おo辟ρNω什≦逡︵おooNンω﹂=. 類にそって記述がなされている︒く覧=き曽冒茜窪卑目ρU器勾9耳αRω霞繊塁ヨ窃ω琶堕田器ω冨8B母岡ω9ΦU巽ω$E漏盈賊. 量刑事由︑量刑判断の手順に関するこの分類法が後になっても非常に大きな影響力をもっており︑ドイツでは現在も基本的にこの分. 的.
(9) このような手法をとるものとして︑井田良﹁量刑事情の範囲とその帰責原理に関する基礎的考察︵一︶ー︵五︶﹂法学研究第五五巻. ︵犀ω晦・ンωq畦豊馨ωω毒閃●国B℃鼠ω魯Φぎ﹃ω9巷磯琶血ω嘗9︒常︒算ωα・ひqヨ9 の葵嘗U巨・ひq藁︒︒ ︒︒■. 一〇号︵昭和五七年︶六七頁以下︑一一号︵昭和五七年︶三四頁以下︑一二号︵昭和五七年︶八一頁以下︑第五六巻一号︵昭和五八. ︵5︶. 年︶六二頁以下︑二号︵昭和五八年︶六〇頁以下︑大谷實﹁刑罰量定基準と人格責任論﹂同志社法学第八四号︵昭和三九年︶三三頁︑. 川崎一夫﹃体系的量刑論﹄︵平成三年︶︑佐伯千偲﹁刑の量定の基準﹂日本刑法学会編﹃刑法講座1犯罪一般と刑罰﹄︵昭和三入年︶. 二四頁以下︑団藤重光﹃刑法綱要総論第三版﹄︵平成二年︶五三七頁以下︑林美月子﹁量刑における二重評価の禁止﹂神奈川法学 はじめ︑刑法学者によるアプローチはおおむねこの方向にあるといってよいであろう︒. 第二六巻一号二二五頁以下︑岡上雅美﹁量刑判断の構造ー序説﹂早稲田大学法研論集第四八号︵昭和六三年︶﹈〇七頁以下などを. ︵6︶ 西原春夫﹁現代刑法学の展開﹂石原一彦・佐々木史朗・西原春夫・松尾浩也編﹃現代刑罰法大系−現代社会における刑罰の理論﹄. 改正刑法草案の批判的検討として︑平野龍一﹁草案と責任主義﹂平場安治・平野龍一編﹃刑法改正の研究1概論・総則﹄︵昭和. ︵昭和五九年︶二六頁︒. ︵7︶. 法制審議会刑事法特別部会﹁改正刑法草案附説明書﹄︵昭和四七年︶一二八頁以下︒. 四七年︶一二頁以下︑沢登俊雄﹁刑の適用﹂同﹃刑法改正の研究1概論・総則﹄二五〇頁以下を参照︒ ︵8︶. の問題でもある︒この点に関し︑↓ぎヨ器≦の蒔窪ρω①旨窪o一鑛営≦①磐ORヨきざ家9︒曙冨邑一餌名力Φ≦Φヨ<〇一.島︸Pお・なお︑. ︵9︶ どこまで量刑事情を法律が定めることができるかは︑立法府の立法権限と裁判官の裁量の範囲に関する三権分立上のバランス. 的に決まるのではなく︑. 刑の量定﹂所収の各論文を参照︒山本和昭﹁余罪と量刑に関する一事例﹂判例評論四. 所一彦﹁刑の量定﹂阿部純二・板倉宏・内田文昭・香川達夫・川端博・曽根威彦﹃刑法基本講座第一巻基礎理論/刑罰論﹄︵平成四 刑法雑誌第一二巻二目三H四号の﹁特集. 年︶二五二頁︑二五三頁をも参照︒ ︵10︶. 〇五号︵一九九二年︶五二︑五三頁も︑﹁刑事裁判における量刑は︑単に罪となるべき事実の外形だけで画. 量刑に悩む元裁判官の手記﹄︵平成四年︶一四頁以下も同旨である︒. 犯人の性格︑経歴及び環境︑犯罪の動機︑方法︑結果及び社会的影響︑犯罪後の被告人の態度等すべての事情を考慮して決せられる. 八五. ﹁可罰的﹂の語にかっこを付して︑﹁︵可罰的︶責任刑﹂としたのは︑これと対置すると考えられる﹁規範的責任﹂は刑量に換算. 沢登・前掲︵注7︶二五四頁︒. ︵傍点!筆者︶﹂とする︒また︑岩野壽雄﹃罪と罰 ︵n︶. ︵12︶. 責任刑の意 義 と 量 刑 事 実 を め ぐ る 問 題 点 ︵ 一 ︶.
(10) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 刑罰目的と責任刑の役割. 八六. ドイツにおいて︑責任に関する現在の学説の到達点としてほぼ異論をみないのは︑量刑上問題となる責任は. 第一節 量刑における責任と予防に関する従来の議論. 第二章. 的であるため︑とくに予防的判断を経た﹁責任刑﹂を指して︑以下でも﹁︵可罰的︶責任刑﹂の語を用いることにする︒. ない︒﹁責任刑﹂とは本来的に可罰的責任を具体的な刑量に表したものを指すだけで足りる︒しかし︑その場合の﹁責任﹂とは多義. する必要がないと考えられるからである︒﹁規範的﹂責任刑と﹁可罰的﹂責任刑の双方を具体的な数値に表現することは意図してい. ー ︵13︶. あくまで﹁法的﹂意味での責任であって︑道徳的・宗教的・形而上学的な責任とは異なって考えられるべきである ︵14︶. ということである︒これは︑ドイツのみならず日本においても︑とくに刑法改正論議で盛んに主張された︑刑法の 脱倫理化・脱形而上学化の動きの一環として共通するところであるように思われる︒. そしてまた︑刑罰目的論においても︑典型的な意味での絶対的応報刑論︑すなわち形而上学的な﹁正義﹂を地上. に実現する意味だけを刑罰に認め︑他に何等の目的ももってはならないとする見解についても︑刑罰という︑国家. がその構成員たる国民に科する重大な不利益を科するための正当化根拠としては許されないということも前提とし. てよかろう︒そもそも︑その背後にある﹁形而上学的な正義の実現者﹂あるいは﹁道徳の体現者﹂としての国家観 それ自体が︑価値観の多様化した現代社会とはもはや相容れないものと考えられよう︒.
(11) 2 そこで︑倫理的あるいは宗教的責任それ自体を清算することが唯一の刑罰目的とは考えられない以上︑責任. ︵刑︶と予防目的との相互の位置づけが問題となる︒それは︑一方では責任の内容がすでに予防的考慮︑とくに一般. 予防的考慮によって決せられているか否かの問題であり︑他方では︑責任と︑責任には解消しきれない予防目的と. の間に齪齪がある場合にどちらを優先させるかという刑罰目的の二律背反性︵いわゆるアンチノミー︶の問題である︒. 前者のうち責任と一般予防との関係については︑おもに責任の内容に関する問題であるので︑ここでは略述するこ. ととし︑後に再度触れることにする︵第三章および第五章︶が︑本章では︑そのほかおもに責任の機能面に関して後者 ︵15︶ の問題︑すなわち︑責任と予防目的の判断順序または枠組論を取り扱うことにする︒. 一般的な刑罰目的論に関する問題提起の仕方は︑理念的な側面で論じられるものであって︑そこでは異なった刑 ︵16︶. 罰目的が併存・両立することが認められている一方で︑量刑段階における刑罰目的論の論じ方は︑刑罰目的の二律. 背反性をその中心的な論点とする︒量刑においても理念的に正当な刑罰目的は犯罪論と同一であって︑とくに量刑 ︵17︶ 固有の議論は必要がないが︑他方︑裁判官が具体的に考慮すべき刑罰目的については別個の考察が可能である︒ま. た︑予防の観点から必要な刑量と責任刑の量とが同じであれば︑刑罰目的の二律背反性を論じるには及ばない︒し. かし︑これらの刑量がそれぞれ異なる場合︑例えば責任刑を科すことが行為者の再社会化に有害である場合︑ある. いは行為者の危険性が大きいため責任刑では軽すぎる場合︑どのような刑罰を科すべきかを解決する指針が裁判官 に提示されなければならない︒. 八七. 3 何よりも枠組みの第一に考えられるべきなのは︑﹁責任主義﹂である︒国家権力は︑とかく過剰で無制限の処 ︵18︶ 罰に赴きがちであり︑それに対する歯止めとして︑﹁責任主義﹂が国民にとって保障機能をもつと考えられてきた︒ 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(12) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 八八. これは︑﹁責任主義﹂が刑罰限定機能を果たすという側面である︒これについては︑ドイッ刑法典四六条の基礎公式. ︵9巨9謎①山o§Φご﹁行為者の責任は刑の量定の基礎でなければならない﹂とする公式.以下ではこの用語を用いる︶を解釈する. ︵19︶. にあたり︑予防目的のために責任を上回った刑罰を科すことが許されるか否かが争われた︒法案理由書は責任を上 ︵20︶. 回ることを認めたのに対して︑ドイツの多数説が︑責任主義のこの側面を憲法的価値を有する原理として︑刑罰が. 責任を上回ることを認めなかったのは︑周知のとおりである︒そして︑責任主義の刑罰限定機能という側面が︑責. 任の内容に関する議論にも少なからずの影響を与えてきた︒つまり︑責任主義の刑罰限定機能をもっともよく果た ︵21︶. す責任概念として︑﹁行為﹂責任主義が主張されることになるのである︒学派の争いにおいて︑おもに実証学派から. 主張されたところの﹁性格責任論﹂︑すなわち︑量刑の領域において刑量決定基準をもっぱら行為者の危険性に求め. るという意味での﹁性格責任論﹂は︑犯罪行為と犯罪結果に重点を置かず︑行為者の危険性を責任と同一視する点. 義的に決定するかどうかは別として︑それが少. で︑行為者の将来の犯罪予測がいまだ確実でない現在では︑著しい量刑の不平等を招くということから︑これがす ︵22︶. でに克服されているということ︑および︑個別行為責任が刑量を. なくとも刑量決定の出発点に位置すべきことは︑今日異論のないところとして︑すでに議論の共通の前提とするこ とが許されるであろう︒. しかし︑刑罰限定機能ばかりでなく︑刑罰正当化機能を含めて︑責任主義には二面性があると主張されることが. ある︒刑罰正当化機能とは︑すなわち︑刑罰は責任に応じていなければならないが︑また︑基本的に責任は刑罰を ︵23︶. 必要とするという要請があるというのである︒この意味での責任主義を認めることができるか否かについては︑争. いがある︒これを否定する説によれば︑肯定説は積極的責任主義であって︑非生産的な応報思想に基づくものであ.
(13) るという批判を寄せるが︑肯定説からは︑限定するものは同時に正当化するものであると主張される︒ ︵24︶. ︵25︶. ︵26︶. 4 この責任主義の二面性に関する争い︑そしてひいては刑罰目的の二律背反性の問題を枠組論によって解決し. ようとしてきたのが︑﹁幅の理論︵ω忌魯窪匿普8冨︶﹂と﹁点の理論︵↓箒o匿α霞℃毯耳終駄Φ︶﹂の主張である︒つま ︵27︶. り︑従来の議論からすれば︑幅の理論は︑責任の幅の中で予防目的を考慮し得るので︑相対的応報刑論の立場であ. るのに対して︑点の理論は絶対的応報刑に結びつくというのである.以下では︑幅の理論と点の理論によれば︑そ. れぞれ責任がどのような機能を果たすか︵あるいは︑果たすとされているか︶︑そして︑それぞれの理論がそれらの機能を. ω毎づρ舞○. ψ一ま>p曇N﹃. 十分に果たしているかを検討し︑量刑における判断順序または枠組みの在り方を提示したいと思う︒ ︵13︶. において︑この方向性をもつ主張が随所に現れている.わが国においても︑道義的責任論も根強いが︑その一方で︑法的責任論の主. ︵M︶ 例えば︑ドイツの議論としては︑ユルゲン・バウマン編著・佐伯千偲編訳﹃新しい刑法典のためのプログラム﹄︵昭和四七年︶. 張が最近有力になってきているように思われる︒曽根威彦﹃刑法総論﹄︵昭和六二年︶一五九頁以下︑内藤謙﹃刑法講義総論︵上︶﹄. ︵昭和五八年二一〇頁を参照︒なお︑予防効果を責任段階で考慮するものとして︑大山弘﹁責任と予防に関する一考察﹂関西大学. ︒謀い>βヨ﹄ ○. く嗅糞Dq9≦○一凝き閃零一ωoび珊○紹窪≦費什蒔Rω$民仁o瓢N瓢犀巨津呂R8①葬一く①づαRωq織−. 即きNω貸Φ口酋ωq緯お魯島魯のω帥昌耳一〇づ窪●O吋琶亀謎雪q⇒α>富Φ注§の一8どωμ○ ︒ω眺暁■. 法学論集第三一巻五号七三頁以下︑実質的責任概念の主張として︑林美月子﹃情動行為と責任能力﹄︵平成三年︶八頁以下を参照︒ ︵15︶ ︵16︶ ω毎pρ鑓Oこω. 菊○凶P国鼠目ぎ巴琶δ冴9Φ. 琶α男醤目℃巴一ぎ︵日①一=︶鳩N望≦8︵這o︒刈︶し ︒躍暁炉一誘︐ωbO無h. 量刑と責任主義について︑Ωきω. 注︵1︶参照︒. OσR一罐仁おΦ⇒. 竪B. ω畠亀号ユ自β. ピop跨ω零ぼ弾︷費. Nqヨ①ω霊轟ω9閃露四葵︒評ω寄︒プ乙Rωq織釜匿Φωω章閃冒に魯8αRω閉g目毘ω︒げ窪評簗Φ=琶鴨⇒<8=きω−冒鑛窪卑§の. ︵17︶. ︵18︶. 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶. 八九. 内ユヨぎoδ讐oq邑ωR織円9算霞駄零目ふ︒﹂筈茜9︒お﹂零ωあ曽︒ま︵井田良訳﹁責任主義についての刑事政策的考察﹂クラウス・.
(14) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 六一巻一〇号︵平成二年︶一二頁以下参照︒. 九〇. ロクシン著・宮澤浩一監訳﹃刑法における責任と予防﹄︵昭和五九年︶四九頁以下︶︑堀内捷三﹁責任主義の現代的意義﹂警察研究第. ︵19︶ 国旨名q臥Φぎ窃9鍔齢①ω①9ど魯8︵ωおω︶国這爵ヨ凶けω畠急且巨堕ψ竃.ここでは︑刑罰は本質的に責任刑でなければならな. いが︑刑罰のその他の任務についての考慮によって︑刑罰を加重または軽減する方向に導くこともありうるとする︒さらに︑頃蝉旨−. ↓. 玉巴>鼠一﹂零ザψ一8︒なお︑これらの議論につき︑阿部純二﹁刑の. ヨ仁9国・﹃ω爵g什ρ9Φ<・﹃ω9課8昌α①ω国邑窪○Φω興N①ωN貫勾R︒円ヨαΦωω貸鉱お︒洋ω曽σR&Φω霞四守ΦヨΦのω琶閃︵ゆ貿し︒−一9①︒. 例えば︑力Φぎ訂誹鋸窪轟o戸∪斥房畠窃誓轟時9窪>. ω叶のωンZ一≦一零ρωい認︐. わが国では︑﹁社会的責任論﹂とも呼ばれることがある︵中山研一﹃刑法総論﹄︵昭和五七年︶三二二頁以下︶︒﹁行為に現れた人. 量定の基準について︵上︶﹂法学第四〇巻三号︵昭和五一年︶八頁以下︑﹁同︵下︶﹂法学第四一巻四号︵昭和五二年︶四四頁以下を. ︵20︶. 参照︒. ︵21︶. いう問題は︑後の量刑事実のところで取り扱うことにしたい︒. 格を考慮する﹂という意味での性格論的責任論とは区別される︒どの程度まで個別行為責任に行為者人格を含めることができるかと. ︵22︶ のq艮Rω霞讐窪名①旨F↓讐ω魯巳αqロαω霞畦N仁日Φω聲p堕一零どω﹄㎝R旧ω笙霧︶器○¢ψ一ミ>⇒ヨ︒P. ぐってー﹂刑法雑誌第二四巻一号︵昭和五五年︶四一頁以下︒. ︵23︶ クラオス・ロタシン著・斉藤誠二訳﹁責任主義の二面性と一面性−刑法解釈学と刑の量定論における責任と予防との関係をめ. ︵24︶零一①鼠魯ω︒ご勢鼠P9一〇富ニヨ跨Φ鼠ρω︒9一3Φひq降︷§αω賃織讐B①ωω⊆轟轟魯α窪ω賃四守︒魯最俄OH目閃①のΦけN①P男Φω辞−. ψ︒9Ω薗仁ω勾○×一Pωq鉱堅ヨ8霊漏一B浮耳①α段ω#織N≦8闘ρ閃Φω鼠ぎ①旨吋ω魯巳貫おミあ●&q︵邦. 訳として︑酒井安行訳﹁刑罰目的から見た刑の量定﹂宮澤監訳︵注18︶一一八頁︶己段9Nニユぎ鵯房昌9葵霧ω一8菩Φ貝o o魯巳9. ωoぼ凶津盆吋O巴一霧口︒お. ∪器ωoど一号同営N一P一︒①ド︒曾国きω−冒楯窪卑§ωk仁B菊①≦ω一8ω鷺§ααRIoぎ①ω・霧試鵯勾Φ︒耳ω−. おける責任︑予防︑答責性をめぐる最近の論争について﹂宮澤監訳︵注18︶二二六頁︶︒. 牢暗窪臨8仁&くΦ声旨妻自島昌ぎ一ニヨ誓轟坤①o耳閃8畠oぼ一︷焦驚ω8ざ巨きP一零ρψG︒8︵邦訳として︑中空壽雅訳﹁刑法に. ︵25︶>旨ど吋内窪富餌目. α①ωω賃緯閃ΦωΦ臼び仁魯Φωくoヨ犀﹃一日ぎ巴唱○一一ユの9撃ω蜜口9=⇒算餌qρNω什ゑ刈O︵一〇㎝o︒︶︸ω●罵い. 8匡RI︾琶鴨門8窪︽冨ヨ①ωω琶窪ωR畦ρ守ωけω︒ぼ一暁瓜盲国お一ω9口︒①Pψ刈︒︒ ︒葛毎ω一=①巨貫UR穿冒霞盆Φω≧一鴨BΦぎ窪↓巴ω.
(15) これについては︑阿部純二﹁刑の量定の基準について︵中︶﹂法学第四一巻一号︵昭和五二年︶一頁以下︑. 阿部・前掲︵注19︶. 一九五四. また︑川崎・前掲書︵注5︶八五︑八六頁も︑点刑罰論︵点の理論︶ が刑事政策の後退を. ︵下︶五七頁以下︑山火正則﹁﹁幅の理論﹄と相対的不定期刑論﹂法学第四七巻五号七四頁以下をも参照︒. ︵26︶. ω魯鉱房邑PきO■あ肖︒謡︾⇒蜜曽. 幅の理論と点の理論. 導き︑刑事政策的観点を軽視しすぎるきらいがあるとする︒. ︵27︶. 第二節. 一月一〇日第五刑事部判決を引用して︑まず︑幅の理論の内容について概観することにしよう︒. ︵28︶. ドイツ連邦裁判所および学説の多数は︑刑の量定を幅の理論にしたがって行うべきであるとする︒. 1 一. 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶. 九一. すなわち︑幅の理論によれば︑責任には幅があり︑ 幅の枠内にある刑量すべてが︑ 責任に相当である︒ 事実審裁. 問題について決定することができる︒﹂. 刑罰を科してはならない︒しかし︑裁判官は自らの評価によって︑この幅の枠内で︑どの程度に評価するべきかの. は︑この幅を超えることは許されない︒したがって︑裁判官は︑自分自身にもはや責任相当であるとは思われない. なお責任に応じた刑罰によって︵墨魯9自3同魯旨8︒げ鶉ど一量轟婁霧器器ω嘗餌笹限界づけられる︒事実審裁判官. かってはすでに責任に応じた刑罰によって︵轟9q筥讐α霞魯駐ω98零ゴ崔き鵯B①羅器ω富包︑上限に向かっては. ﹁いかなる刑罰が︑責任に相当であるかは︑正確には決定され得ない︒刑罰には幅があり︑その幅は︑下限に向. 年.
(16) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 九二. 判官は︑この幅の枠内で︑刑罰の予防目的︑それも一般予防と特別予防の双方を考慮して︑最終的に︑具体的な一. つの刑量を決定するというのである︒一方︑これに対する点の理論によれば︑特定の一つの刑罰すなわち﹁点の刑 ︵29︶. 罰﹂のみが責任に相当でありうるとする︒アルトゥール・カウフマンは︑周知のように︑﹁形而上学的な認識の不明. 確性は︑形而上学的な対象の不明確性をも意味するのではない﹂として︑責任の量が一義的に確定し得ないからと. いって︑そのことから責任刑がそもそも確定した量をもたず︑ある程度の大きさをもつ﹁幅﹂の内部を動くもので. あると推論することは許されないとするのである︒ハイニッツが﹁責任に応じた刑罰は︑つねにただ一つであるが︑. ︵30︶. ただ我々の認識能力がその大きさを一義的に決し得る状況にないだけである﹂といっているのも︑まさに同旨で. ある︒そして︑最終的な刑罰の決定について︑アルトゥール・カウフマンは次のようにいう︒﹁責任は︑形而上学的. 現象であるから︑責任から特定の刑量を︑ただちに計算によって正しく導き出すことはこれもまた不可能である︒. 1︶. この幅の理論が通説・判例となった大きな理由として︑幅の理論がドイツ現行法の矛盾の少ない解釈を提示. ︵32︶︵33︶. その限りで︑我々の合理的な認識にとって︑責任刑は実際に一定の枠の中を動くものである︒しかし︑刑を確定す ︵3 るために︑責任とは別の観点もまた重要であるということにはならない︒﹂ 2. するものとして主張されたということがある︒つまり︑点の理論によれば︑責任刑が一点に決まり︑それを科すこ. とのみが責任を﹁基礎﹂とすることになる︒かりに予防的考慮によって︑刑量が責任刑から少しでも離れることに. なれば︑もはやそのような刑罰は責任を﹁基礎﹂としているとはいえないとされたのである︒点の理論を採用し︑. 行為者の責任を刑の量定の﹁基礎﹂とすれば︑予防的な考慮が入る余地がなくなり︑ドイツ刑法典四六条第一項二. 文の規定する﹁刑が行為者の将来の生活に与えると期待できる効果﹂などの特別予防的考慮を要求する現行法と矛.
(17) ︵34︶. 盾するばかりでなく︑一般予防的な考慮も量刑において不可能となるというのである︒つまり︑旧来の理解として ﹄35︶︵36V. は︑点の理論は︑応報思想の形而上学的な根拠から主張されるものであり︑点の理論は絶対的な刑罰の﹁正しさ﹂. を問題にするものであると評価されてきたのてある︒他方︑幅の理論は︑行為者の責任を基礎とするとともに予防. 目的を考慮することをも可能にするものであり︑予防目的のうちでもとくに再社会化を重視すべきだとするドイツ 現行法の要求を満たすと考えられたのであった︒. また︑従来の議論において︑幅の理論の利点として挙げられているのは︑それが︑量刑における刑罰目的のアン. チノミーを解決する基準を与えるということである︒つまり︑幅の理論によれば︑責任の幅の枠内で︑予防目的を. 考慮することによって唯一の刑量を決定するのであるから︑たしかに無制限の予防的考慮を許すわけではない︒し. かも︑他方では予防目的が量刑にあたりつねに考慮できるような一定の確実な場を提供するというのである︒そし. て︑この点で︑点の理論は︑責任を﹁基礎﹂としている限りは予防目的をまったく考慮しない場合を原則とするも. のであり︑どの程度予防目的を考慮にいれるのかは明らかでなく︑刑罰目的のアンチノミーを解決する基準を何ら. 提供するものではないと批判される︒この意味で︑幅の理論は︑相対的応報刑論︑それも応報と予防とがつねに並. 存していなければならないという併合説の立場を素朴に反映したものだということができよう︒. 3 しかし︑現在の点の理論は︑必ずしも形而上学的な責任応報の観点からのみ主張されているわけではない︒. その理由として一方では︑責任刑の根拠が応報や蹟罪と切り離され︑予防目的から説明されることになったという. ことが︑非常に大きな意味をもっている︒例えば︑積極的一般予防論の台頭があり︑また︑特別予防のレベルにお. 九三. いても︑それと同じような思考方法によって︑責任刑を科すことが現存する法秩序の価値序列を行為者に覚醒・強 責任刑の意義と量刑事実をめぐる間題点︵一︶.
(18) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 九四. ︵37︶. 化することになるとして︑特別予防にとっても責任刑を科すことが必要だとする考え方が現れるようになる︒この意. 味で︑点の理論イコール予防目的の排除という図式が成り立たなくなった︒他方で︑責任刑とは無関係の予防目的. について︑例えば︑単なる威嚇によって犯罪を予防するのにどの程度の刑罰が必要か︑あるいは︑行為者の改善に. どの程度の刑罰が必要かといった問題に対する回答は︑いまだ確実ではない︒このような予防目的に関する知識に. 対する幻滅は︑一方で責任と切り離した形での予防目的︵例えば︑消極的一般予防︑再社会化︑改善︶の地位を後退させ︑. 相対的に︑責任刑の地位は上がり︑予防目的の中でも︑責任と深く関連する形での予防目的︵例えば︑積極的一般予防︑ ︵39V. このような議論状況において︑幅の理論の妥当性には以下の点で疑問がある︒. ︵38︶ 犯罪者自身への規範に対する訓練︶を強調する立場につながる︒. 4. ︵40︶. 一つには︑幅の理論でいう﹁責任刑﹂が︑少なくとも上限について刑罰限定機能を営むことができるかが問題と なる︒. 幅の理論の主張者は︑刑罰の幅の上限と下限は明確なものではないとする︒文献において︑刑罰の幅の上限と下. 限とがそれぞれ一点に確定できると明言するものは見あたらない︒もし︑それぞれが一点に確定できるとすれば︑. 責任を点として認識する場合の困難とまさに同じ困難が生じてこよう︒裁判官は責任の量を点として認識すること. はできないという点の理論に向けられた批判が︑この意味での幅の理論にも当てはまることになり︑この意味での. 幅の理論と点の理論とは︑質的に異なるものではなく︑量的な差異にすぎないことになる︒. そこで︑正しく理解された幅の理論によれば︑刑罰の上限と下限とが不明確なものであって︑上限とも下限とも. 一義的な値にはならないと解すべきだとすると︑以下の疑問がある︒すなわち︑とくに不明確な上限に刑罰限定機.
(19) ︵. ︶. 能があるか︑という問題である︒責任刑の上限が一点に定まらないのに︑それが刑罰限定機能をもつことなどあり. えないのではなかろうか︒ここで︑幅の理論は︑責任の刑罰限定機能を放棄するか︑あるいは責任刑の上限は一点 に確定できると認めるかの二者択一に対峙しなければならないことになろう︒. 幅の理論に関する第二の疑間点は︑具体的な刑量決定段階で︑最終的に予防の観点が刑罰を一点に決定するとい う帰結に関してである.. 疑問の出発点は︑現在の我々の威嚇予防・特別予防目的に対する知見は相当程度限られていることにある︒一般. 人の威嚇の観点から︑具体的な刑量が決まるということは︑現段階において︑まったくの幻想に近い︒一方︑行為. 者の再社会化または教育のために刑罰が必要だとしても︑それが責任の幅の中で刑量を一点に決めることができる. ほどに︑我々の知識が蓄積されているとも思われない︒予防目的によって刑量を一点に決めることは︑責任刑が一. 点に定められることよりもはるかに困難であろうと思われる︒点の理論によって︑一点に決定された責任刑を出発. 点にしつつ︑最終的な刑罰を修正することができるのとは異なって︑責任の﹁幅﹂は上限︑下限とも不明確であっ. て︑最終的な刑量決定の拠り所とはならないであろう︒責任でさえ幅の形にしか決定され得ないのに︑幅の理論が. 予防目的のために必要な刑罰を一点に決めるとするのはフィクションにほかならない︒ブルンスの﹃量刑法﹄にお. いても︑量刑事実論のうち︑大部分の紙幅を費やしているのは︑責任刑の確定に関する量刑事実を取り扱う部分で. あって︑犯罪の不法や責任に関する部分である︒かりに︑幅の理論が︑責任刑と並ぶほどの重要性を予防目的に認. めており︑最終的に刑量を決定するのがつねに予防目的であるとするのであれば︑量刑法の教科書は︑責任刑を確. 九五. 定する量刑事実以上に︑これらの予防目的の有無と程度を確定する量刑事実に関して詳しく述べられる必要がある 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(20) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 九六. のである︒このような事実からも︑我々の量刑に関する知識は︑責任刑についてもまだまだ不十分であるが︑予防. の必要性についてはなおいっそう欠けるところが大きいといわざるをえない︒少なくとも︑再社会化の観点から積. 極的に刑量を決定することはできなくとも︑できる限り被告人に対して刑罰を言渡したり︑執行したりすることを. 避けて︑被告人の﹁刑務所化﹂を避けることが必要であるという消極的な影響のみが認められるべきであろう︒こ ︵42︶. のような現状にありながら︑幅の理論が﹁責任の幅の中でもっぱら予防目的に従って刑量を決定する﹂というテー ゼを維持しようとするのはあまりに楽観的である︒. また︑予防目的の必要性がとくに高くもなく︑低くもない中間的な場合︑あるいは予防目的の必要性がまったく. 不明の場合であっても︑すなわち︑幅の中で予防目的の考慮が刑量を一点に決め得ない場合に︑裁判官は責任刑の ︵43︶. 幅のままの形で被告人に刑罰を言渡すことは現行法のもとでは許されることではない︒裁判官の行う量刑の大部分. は︑このような事例であろう︒あるいは︑責任刑が幅であり︑予防目的の必要性が通常よりはるかに大きいとか︑. 小さいといった事例︑あるいは責任の幅と予防目的の不明確な幅がちょうど一点で交わっていてそれが具体的に決. ︵44︶. この意味で︑実在として責任に幅を認めながら︑裁判官は責任刑を一点に確定すべきであるとする見解がで. 定できる事例などはほとんど存在しないといってよいであろう︒. 5. てくることになる︒責任の量の不明確な幅というものは︑﹁責任刑の具体化の途上にある思考上の中間的産物以外の. 何物でもない﹂というのである︒このような見解からすれば︑責任の幅から責任刑を一点に絞るのと︑点の責任の. 近似値から責任刑を確定するのとでは︑用語の違いが存在するだけであって︑実質的な相違はないのではないだろ. うか︒責任の﹁幅﹂と点の﹁近似値﹂とは︑語感として﹁幅﹂の方が広いようにも感じられるが︑しかし︑責任の.
(21) ︵45︶. 幅をどの程度の大きさをもったものに観念するかというのも︑様々な見解が存在しており︑通説は︑できるだけ幅. を狭く理解しようとしている︒現在の理論状況は︑幅の理論と点の理論の争いという場面から︑それとは完全にパ. ラレルではなく︑責任刑だけで刑量を決定できるかという論点に重点の移動が見られる︒. もちろん︑予防目的について経験的言明がある場合には︑それを取り入れる努力はすべきであるが︑実証されて. ω.㎝>⇒ヨ.謡︒. ψN竃>p簿︒謡・. 行為者の責任は︑刑の量定の基礎である︒刑が社会における行為者の将来の生活に与えると期待しうる効果を考慮する. 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶. 九七. 行為者の前歴︑その身分および経済的状態︑ならびに行為後の行為者の態度︑とくに損害を賠償するための努力. 行為の遂行態様および行為の有責な結果. 義務違反の程度. 行為によって表示された心情および行為に際して向けられた意思. 行為者の動機および目的. のことを考慮する︒. ②刑の量定にあたり︑裁判所は︑行為者にとって有利な事情および不利な事情を相互に比較衡量する.その際にとくに次. ものとする︒. 第四六条①. 現行法である第二次刑法改正法第四六条は︑次の通りである︒. ︾詳﹃貫囚餌岳ヨ鋤づP卑鋤○. =Φ一巳けN鴇四㊤○. >同跨二﹃囚 四 葺 B 餌 p P 餌 餌 ○ こ ω ● 9 > 昌 箏 ︒ 謡. 国旨ωo冨こ二β閃①づαΦωω仁旨αΦω鷺鼠o算筈○房冒ω寝餌︷ω碧訂P刈﹄o︒︷捨言ω︐器︒. いない﹁予防目的﹂が刑量を一点に決定できるとするような過度の信頼をおくことは避けるべきであろうと思われ る︒. 28 29 30 31 32.
(22) ︵33︶. 早法六八巻三・四号︵一九九三︶ ③すでに法律上の構成要件の要素となっている事情は︑これを考慮してはならない.. 九八. しかし︑立法論として第四六条の規定が成功しているかという問題については︑これを否定することに広く一致があるといって. 第一次刑法改正法律第一三条も同文である︒. 論なのである︒く覧窪9ω魯鉱房譜一P器○←ψ一8>昌葺謹︒. よい︒非常に問題を含む規定でありながらも︑どのようにこの規定を取扱い︑適用するかに対する回答としてでてきたのが幅の理. 点の理論の主張者自身もこのような理解に立っていた︒前述のアルトゥール・カウフマンが責任を形而上学的現象と理解してい. ωoげ鉱︷ω9圃P簿卑○こωいO斜︾昌ヨ.曽●. シャフスタインは︑責任応報の観点からも幅の理論が支持されるという︒﹁国家の刑事司法の任務は︑もっぱら理念的にのみ存. たのはあまり に も 有 名 で あ る ︒. ψ一2︾⇒ヨ.漣︶﹂しかし︑ここで問題とされているのは︑形而上学的な責. 例えばノヴァコフスキーは︑責任刑を科して︑自らの行為の重さを理解することが行為者を改善する決定的な要因となると述べ. ている︒この立場から言えば︑一般予防のみならず︑特別予防にとっても責任刑が要求されることになる︒牢一aユ魯Zo名接o≦ω貫. もちろん︑責任刑を科しさえすれば︑予防の目的は完全に果たされるとする見解が正しいかどうかは︑さらに検討すべき問題で. 牢o亘Φヨ①血RωR鉱窪日Φωω仁昌堕嘗一℃Rω冨ζ一く窪N霞ωけ轟ヰ①魯房αo磯日簿凶犀﹂Ooo押ωbOo︒︷︷●. と無関係に維持できるし︑またそうすべきであると考えている︒そして︑とくにわが国において再社会化︑それも刑罰を回避する. があまり成功していないという背景が存在することは否定できないであろう︒とくに︑私見では︑再社会化の観点は行為者の責任. ある︒しかし︑以下に述べる議論の展開には︑責任と関連しない一般予防論と︑同じく責任に関係しない特別予防論︵改善刑論︶. ︵38︶. ︵37︶. 任応報というよりもむしろ︑﹁法の確証﹂というより現世的な利益である︒. ることが平和に役立つのである︒︵ωo訂諌簿虫戸欝ρ. るように︑正しい刑罰とは︑法共同体において︑すでに正しい責任応報として感じられる刑罰であり︑そこから正しい刑罰を科す. いう結論になる︒このような意味で︑正しい刑罰というものは︑法の確証に役立つ︒しかしながら︑そのような前提から帰結され. においてともかく存在する︑犯罪に対して制裁を行う満足を求めるという要求を満たす場合にのみ︑法はその任務を果たしうると. しての法の機能からは︑一方で︑応報思想の形而上学的な根拠付けを放棄する可能性が生じ︑他方では︑法が︑共同体および個人. 在する︑現世に正義を回復することにあるのではない︒法は︑平和の秩序である︒︵中略︶刑罰目的に関していえば︑平和秩序と. ︵36︶. 3534.
(23) ことによる再社会化はけっしてその意義を失っていないと考えるのは︑繰り返し述べてきた通りである︒したがって︑量刑におい. て一般予防は責任を媒介としてのみ考慮しうるが︑特別予防は責任刑に解消しきれない以上︑責任刑を科しさえすれば︑別個に特. 別予防に目を向ける必要はないとする見解には与しない.したがって︑特別予防と責任刑の衝突状況は私見において問題となる 幅の理論については︑岡上・前掲︵注5︶ですでに大まかにではあるが︑批判的に検討した︒. が︑これに対する回答を試みたものとして︑岡上・前掲︵注1︶四三頁以下︒. ωμ8なお︑1臥ω戸鋤p oO ω⇔$>⇒∋︒一9. く讐き99鼠aZ窪B帥づpN震ωa①旨弩磯く8冨o量一窪ぎαRU・ΦQB餌算αのωω﹃駄Nq幕ωω琶ひq馨o窪ψ︵㌔§葬ω富脇①︑︑鴇. ωoげ緯診9一P帥働○. o℃窪山Φ一口OOρω﹂o︒㎝暁栖 も嘗Φ岸き2夢ΦoユΦ︑.vこZaB巴暁巴一︑︑︶扇①ω房oぼ一葎︷旨o. 一︶﹂という設例が挙げられる︒し. その意味で︑しばしば持ち出される講壇事例であるが︑﹁責任清算は二年の自由刑を必要とし︑行為者の改善は三年の自由刑を. 幅の理論を採用しても︑ドイツおよびわが国の現行法の下では︑裁判官は最終的に刑罰の量を一点に決定しなければならないこ. かし︑このような設例がまったくのフィタションでしかないことは自明である︒牢置F墨ρ︾ψG︒3>pBμ伊. いられた︒この点に関する批判的検討として︑山火・前掲︵注25︶九二頁以下︒. とはもちろんである.ただし︑幅の理論は︑わが国の学説上は︑おもに刑法改正問題とも関連して︑相対的不定期刑の正当化に用. 位置価説. ○⇔旨R=騨ωoFo Dq鋤邸のωΦ9σ仁魯一Φ6臥閃霞国○旨BΦ旨霞レρ>亀一こ一〇G︒O <o﹃貿①力p器. 写冨o戸勉蝉ρ︶ψω曾ゑ︾ロヨ﹄9なお︑国α藁鋤琶∪冨げR\頃R冨詳↓a⇒亀ρQ D霞錬閃窃簿旨8プ臨 >鼠γお霞堕ωb3. ω毎⇒ρ四四〇こψ一〇謡. 第三節. 幅の理論を拒否して︑責任刑を一点に定めようとする見解の一にいわゆる﹁位置価説︵誓色窪語葺房︒譜︶﹂. 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶. 九九. ﹁制裁の確定を︑︵思考上︑そしておそらくは判断の過程で︶二つの段階に区分することのできる過程として理解するこ. がある︒その内容をごく簡単に要約すると以下のとおりである︒. ︵46︶︵47︶. 1. ︵43︶. 必要とし︑一般人の威嚇は四年ないしは五年の自由刑を必要とする︵ω讐器︶器ρあb嵩>oB. ︵42︶. 414039 4544.
(24) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 一〇〇. とが︑法律の文言︑意味および体系性にもっともよく適合する︒つまり︑裁判官は︑第一に有責な不法の程度を刑. 罰の量へと転換して︑︵服されることが仮定される自由︶刑の重さ︑すなわち刑期を定める︒その際にはまだ︑裁判官は. 特別予防または一般予防︑もしくはその双方に関わる資料︵即︒お幕量を考慮するのではなく︑第二の段階で︑責. 任に応じた刑罰がどのような形で科せられるか︑および宣告刑が実際にも執行されるべきか否かを決定するときに ︵48︶ はじめて︑それらの予防的資料を考慮する︒﹂. ドイツ刑法典四七条は︑六月以下の自由刑について︑自由刑を科することが行為者に対する影響のために︑また ︵49︶. は法秩序の防衛のために必要である場合以外にはこれを回避することを定める︒さらに︑五六条は︑一年以下の自. 由刑について︑行為者に再犯の危険性がない場合に︑原則として︑その自由刑の執行を保護観察のために延期し︑. 二年以下の自由刑について︑行為および有罪判決を受けた者の人格に特別事情がある場合には︑その自由刑の執行. を保護観察のために延期することができると規定する︒たしかに︑ドイツ刑法典の判断順序は︑責任刑の量を決め. て︑その後にその責任刑の量に応じて短期自由刑を回避することが適切か否かを決めるという二段階構成となって. いる︒そこで位置価説の論理によれば︑第二の段階がもっぱら予防的考慮︵とくに特別予防目的の考慮︶に支配されてい. るのであるから︑第一段階においてもこれらの考慮を容れるとするのであれば︑それはとくに行為者に再犯の可能. 性があるかどうかという問題を二重に評価することになるというのである︒したがって︑第一段階である責任刑決. 定段階では︑予防の考慮はなされず︑もっぱら責任刑だけで一定の刑量が示されることになる︒. 位置価説の主張者の一人であるホルンによれば︑刑量決定の第一段階では刑種も︑また言渡された刑罰の執行が. 延期されるか否かも未決定であるが︑それらが裁判官に判らない段階では︑いまだ︑裁判官は有意義に刑罰による.
(25) ︵50︶ 1︶. 予防目的の追求はできないし︑また︑してはならないとする︒ ︵5 2 以上の位置価説に対しては︑従来から多くの異論が寄せられてきた︒例えば︑ロクシンは︑以下のように述 ︵52︶ べて位置価説が現行法および立法者意思と調和しないものであり︑目的論的にも支持し難いとして批判する︒. ドイツ刑法典四六条一項一文は︑行為者の責任が刑の量定の﹁基礎﹂にすぎないとしているのは︑責任以外の観. 点も刑の量定において何らかの役割を演じなければならないということを意味する︒現行法の文言の出所となって. いる一九六二年草案六〇条一項について︑その理由書も﹁刑罰によって追求されるその他の目的を顧慮して︑責任. に見合った刑を超えることも︑それを下回ることも可能である﹂とし︑現行法の理由書も﹁責任の量から一定程度. 外れることを可能にする﹂ことを基礎公式の帰結として許されるとしている︒したがって︑刑量をもっぱら責任の. 程度によって定めようとする位置価説は︑この四六条一項一文に矛盾する︒また︑四六条一項二文は︑刑の量定の. 際には︑﹁刑が社会における行為者の将来の生活に与えると期待しうる効果を考慮する﹂と定めているのであるから︑. 刑量を決定する際に︑このような刑罰の効果を度外視しようとする位置価説とは調和しない︒そして︑四六条二項. の量刑カタログは︑一項の量刑に関するものであるが︑ここで列挙された個々の事情︵例えば︑行為者の犯行後の態度ま. たは前歴︶のうち︑多くのものが予防にも関係し︑あるいはおもに予防に影響する事情であることはほぼ異論を見な い︒. 最後に︑目的論的観点からも︑責任の量に相応する正確な刑量は︑単に認識不可能だというばかりでなく︑そも. そも存在しない︒なぜなら︑責任に見合う刑は一般国民の正義感情を満足させるために科されるのであり︑しかも. 一〇一. 国民の正義感情は一定の幅をもつものであるからである︒したがって︑この幅の範囲内で決まった刑を決するには︑ 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(26) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 一〇二. 責任を用いても無意味である︒予防の目的によって刑を決めることを認めないならば︑具体的な刑量は︑責任の幅. 以上のロクシンの批判のうち︑国民が正しいと感じる刑罰は一定の幅をもつものであり︑この幅の範囲内で. の範囲内で﹁まったく恣意的に﹂確定されることになろう︒. 3. 目的的考慮が刑量を決定するのでなければ︑﹁まったく恣意的に﹂刑罰を確定することになるという︑目的論的観点 ︵53︶. からの批判は︑幅の理論を前提とするものである︒しかし︑予防目的が刑量を一点に確定できるとする主張こそが. まさに幅の理論の欠点であることは︑先に述べた通りである︒その理由は︑繰り返すことになるが︑現在の我々の. 再犯予測も一般予防の必要性に関する研究も︑責任の幅の中から一点に刑量を固定できるほどには発展していない. ということである︒現実に︑量刑事実論も責任刑に関する量刑事実の研究に比して︑予防に関する量刑事実論が格. 段に貧弱である現状において︑責任の幅の枠内で﹁予防﹂のみが刑量を一点に決定するという方が﹁まったく恣意. 的﹂であろう︒むしろ︑ロクシンの挙げる現行法︵あるいは立法者意思︶と位置価説の矛盾の問題がより決定的な批判. であるように思われる︒しかし︑これは︑ドイツ刑法典の解釈論にとどまらない︒むしろ︑ドイツ刑法典の規定の. 下にある考え方︑すなわち行為者の再社会化にとって有害な自由刑をできる限り回避しようとする思想と位置価説. が調和しないのではないかということは︑当然に︑わが国でも問題となり得るのである︒この点で︑位置価説の大. きな問題点は︑とくに自由刑を回避するために刑種の選択をすることができない領域︵ドイッ刑法典では︑二年以上の刑. にあたる場合︑日本においては執行猶予のつかない三年を超える懲役もしくは禁鋼の場合︶では︑およそ予防の考慮ができないこ. とにある︒もし︑裁判官が︑このような場合に行為者の再社会化予測を行うことが許されないのであれば︑それは. 裁判の上でおよそ行為者の危険性を判断しないことになり︑ひいては行為者の予後を判断するための資料を提出す.
(27) ることさえできなくなることを意味する︒また︑実際上の帰結として︑特別予防の考慮によって自由刑を罰金刑に. 替えることや︑自由刑の執行を保護観察のために延期することはできるのに︑三年の刑を二年六月にすることが許 されないとするのは︑やはり説得力に欠けるように思われる︒. 4 これらの批判が提起されている中で︑ホルンが反論している最近の論述を見てみることにしよう︒. ﹁立法者意思﹂とは︑そもそも目的論的正しさと対置. まず︑ロクシンの批判のうち︑位置価説が特別予防を重視している立法者意思に反するものであるとする点につ いて︑﹁立法者意思﹂といわれるものを援用することは︑. することがあるものであるがー脆弱な基礎の上に立つものであるとして︑立法者意思に拘束される必要はないと. する︒また︑位置価説が法律の文言に反するという批判に対しても︑ドイッ刑法典四六条でまったく語られていな. 4︶. い︼般予防もまた︑通説は刑罰の重さを構成する要素として併せ読むことを妨げないというのだから︑なぜここで ︵5 法律の文言が決定的な役割を演じるというのかは︑ほとんど理解できないというのである︒. そのほか︑位置価説によっても︑四六条一項二文には︑刑の重さに関して︑次のような機能を与えることができ. る︒つまり︑事実審裁判官に﹁刑罰を差し控える方向での﹂予防︵︑︑冒裟話︑︑℃鼠<Φ呂8︶を考慮するように︑すなわ. 5︶. ︵56︶. ち脱社会化の危険の可能性を最小限にして責任刑を定めるように義務づけることである︒ ︵5 ホルン自身は︑幅の理論は拒否されるべきであるあるとしながら︑裁判官が責任刑を一点に確定するにあたり︑. 判断の幅が許され︑そこで刑罰を差し控える方向での予防を考慮するとする︒これは︑責任刑の判断にあたって予. 防的考慮をまったく含んではならないとしてきた位置価説の実質的修正とみるべきであろう︒責任刑を出発点とし. 一〇三. て︑予防の観点からできる限り有害な刑罰を排除しようとする結論には正しい側面があるものの︑この修正説にも 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵一︶.
(28) 早法六八巻三・四号︵一九九三︶. 一〇四. 疑問は残る︒なぜなら︑位置価説の論拠は︑第一段階の責任刑︵刑量︶の判断において予防的判断を容れながら︑も. っぱら予防的考慮によって決せられる第二段階の刑種の選択で再び予防の考慮を容れることになれば︑それは予防. の考慮を二重に評価することになるということであった︒この二重評価が﹁刑罰を差し控える方向での﹂予防を考. 慮することに対してのみ︑なぜ許されるのか︑これが他の予防目的と区別される理由は何かという問題を提起する ことができよう︒. また︑この修正﹁位置価説﹂は︑責任の判断の幅の中で予防の一部を考慮するものであるから︑これに対しては︑ ︵57︶ 結論的には︑幅の理論の中でも︑責任の幅を下回ることはできないとする見解に近接することになろう︒しかし︑ ︵58︶. ﹁位置価説﹂自体は︑もっぱらドイツ現行法の解釈論に終始しており︑なぜ責任刑を必要とするのかを説明しない. ことを特徴とする︒ドイツ刑法典四六条一項が責任を基礎とすることから︑責任刑が必要とされるというのである. が︑そもそもこの責任が何のために必要とされるのかという根源的な問題に対する立場を明らかにしていない︒し. たがって︑責任刑を下回ることが許されないといっても︑それは結論の提示だけであって︑責任刑の要請がなぜ絶. 対的なものであるかは明らかでなく︑したがって︑責任刑を科す要求がつねに絶対的なものであるか否かについて. その主唱者は︑ヘンケルといわれている︒他に︑位置価説を主張する文献として︑国畠富こ=9P≦こR象①︑.9薯色呂ξ蒔Φ︑︑. も語られていないのである︒ ︵46︶. ωq四守3Φ昌ΦヨΦωω目閃﹄①ω房oぼ洋猟宥ωo訂翻叶①ぎ一〇拐ω︒謹一脇姉=①一目ωoぎo戸9§良甜①巨α≦一詩琶徽gαRω﹃緯Φ1浮B. カ①巴一鼠け紹Φ冨犀αΦω貿①>びω﹂ωδω猟驚頴ωけω︒ぼ一津︷欝ω︒ぎ雰けΦぎ一零㎝あ●謡㎝旧国︒浮曽α=o吋p豊ヨωけΦ一一g≦Φ昌αR. ご駄R琶堕お旨﹄ま●日本における同説の批判的検討として︑阿部純二﹁量刑における位置価説について﹂﹃団藤重光博士古稀祝賀. ..ω琶一窪名①旨−↓げΦo旨︑.︶閃①ω房oぼ蜂岳二W毎β一鶏︒︒ ωレ︒刈己Rω o o惨叶ΦB呂ω昌Φ﹃因oBヨ窪$二W磐α一≧一ひqΦBΦ冒R↓Φ芦一9.
(29) ヘンケルによれば︑位置価説は点の理論とも幅の理論とも調和すると述べている︒しかし︑幅の理論とは︑前述のように責任の. 論文集第三巻﹄︵昭和五九年︶一三三頁以下参照︒. ︵47︶. に予防的考慮が含まれている︒このようにして︑いったん定められた責任刑を罰金刑に代替したり︑その執行を延期したりすること. 幅の中で︑予防的考慮によって刑罰を一点に確定するものであると理解すれば︑このような形で一点に定められた責任刑には︑すで. は︑もっぱら予防の観点によるべきであるとするのは︑典型的な︵とくに責任の幅を下回ることを禁止する︶幅の理論そのものによ. なお︑阿部・前掲︵注46︶︑一四八頁参照︒. る現行法の解釈である.もし︑位置価説が幅の理論と異なる独自性をもつとすれば︑それはもっぱら点の理論と結びつく場合である︒. ︵48︶ =9Pω界貿9菊P器>づB︒&●. ︵49︶ 同条第三項は︑例外として︑六月以上の自由刑を言渡す場合に︑法秩序の防衛が執行を必要とするときは︑執行は延期されない. >昌ヨ.&齢. o︒︒ o >p曇㌣αR9鎚ρあ■NN一︾旨ヨ・一. 基本的にロタシンの批判を容れるものとして︑. ︒ω︵山田伸直訳﹁予防と量刑﹂宮澤 例えば︑Ωきω幻○嵐P零彗窪二8目αω﹃駄墜日窃撃轟︶頃霧錺oぼ津注吋ω肇霧口零︒︒あμo. 国○目戸ω 界 貿 9 園 口 ︒ ω. と規定する︒ ︵50︶ ︵ 15︶. ω毎⇒ρ欝ρあ. β音 ■ 前掲︵注46︶一四六頁︒ ︑F ψ一〇︒O斥︾づB︐竃︵宮澤監訳︵注18︶︑一四六頁以下︶可. ︾菊Φ自Φ嵐8窪︽浮R鉱器鵯脇o巳R8CB鵯簿巴ε轟しOo ︒︒ o. ψ. 一二九頁以下︶ 冒お窪ω鎧目男Pω﹃臥89戸︾白褐︒︾象︸︒口零8 一方︑=㊤⇒ω−冒澱窪ω歪霧甥Z窪窃望﹃緯墜B霧ω目鵯冨9笛. 責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点︵︸︶. ︼〇五. ①斥あ■凝は︑ 責任の幅が上限についても下限についても刑罰を限界づけるとするが︑これは︵短期自由刑の回避などの︶法律上の. ω︒O①9. るものとして︑ 勾o臥Pきρ.ω眞隷>旨5圏︵宮澤監訳︵注18︶. 幅の理論に立つ場合に︑責任の幅の下限を下回ることができるか否かは一つの問題である︒幅の下限を下回ることができるとす. =○目戸ω界吻ぷ︶園po︒>昌ぢ︒&●. 韻○﹃Pω罫ゆ斜9菊⇒.巽>o簿■&︒. =9Pω界㈱恥ρ幻pω○︒>昌B︒&●. 第二章第二 節 4 頁 以 下 ︒. 力○風P舞○. 阿部・前掲︵注46︶二壬二頁以下︒. 監訳︵注18︶一四一頁以下︶. 52 53 54 55 56 57 0。.
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