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第 4 章 様式的特徴

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Academic year: 2022

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(1)第 4 章 様式的特徴 第 1 節 はじめに 石造建造物を「主屋」と「ポルティコ」に分け、それぞれの平面、立面、細部ついて様 式的な観点から復元考察を行った。本章では、復元された様式を比較し、どのような様式 的特徴を備えているか、特に古建築の造詣が深かったとされるカエムワセト王子の特質が 実際の建物で反映されているのかに注意しながら考察を進めていく。. 第 2 節 主屋の様式的特徴 主屋を、 「中央 2 室」 、 「外壁」 、 「両者の間の空間」の三つの部分に分けて平面の復元考察 を行った。以下では、それらを総合し、主屋全体の平面について様式的観点から特質を記 すことにする。 平面の復元が可能であった中央 2 室と外壁では、両者の東西軸は一致し、密接な関係を 持つことは明らかである。また花崗岩碑の設置場所と考えられた奥室の西壁は、外壁の対 角線の交点とほぼ一致している。その外壁は正方形に近い平面をしており、こうした点か ら、主屋は、この花崗岩碑を中心とする求心的な構成を採っていたと判断される。. 花崗岩碑. 図 1‑4‑1:石造建造物、主屋の推定復元平面図. 61.

(2) 新王国時代の神殿や葬祭建築では、最奥の祠聖所や玄室に向かう軸線の強調がしばしば 挙げられるが1、当該主屋の平面構成のような求心的な構成は、むしろ古王国時代や中王国 時代のピラミッド、太陽神殿が挙げられる。 主屋の内部では、東西長軸上に並ぶ前室と奥室の 2 室以外、空間を確認することはでき なかった。ただし、長軸と平行に石材が並べられるなど、何らかの空間が存在した可能性 は強く窺われた。この 2 室と外壁との間には土砂が詰められ、マッス(量塊)な構造とな っていた。こうした構造も、新王国時代の神殿建築では稀有2であり、内部を石材や土砂で 充填した古王国時代のピラミッド、太陽神殿、マスタバ墓(高官墓)が構造的な類例とし て思い起こされる。 また、外壁外面で復元された凹凸を繰り返す様式3も、新王国時代には稀有である。新王 国時代では、ハトシェプスト女王葬祭殿(ルクソール西岸)第 2 テラス側面の浅い凹凸や、 岩窟墓の前庭部正面の例4などにほぼ限られ、建物の周囲全体を凹凸の壁体が取り囲む例は、 むしろ初期王朝時代の日乾煉瓦造の大周壁5や古王国時代のマスタバ墓(高官墓)の外壁6、 ネチェリケト(ジョセル)王7、セケムケト王のピラミッド複合体8(いずれも古王国時代 第 3 王朝)の外周壁、さらに中王国時代のピラミッド複合体9の外周壁など、古王国時代や 中王国時代の建造物に多く認められる。いずれも当丘陵の近郊に位置する遺跡であり、こ れらの様式を参照した可能性は極めて高いと考えられる。 これらの古王国時代や中王国時代の、どの建造物を参照したのかを特定する作業は難し いが、外壁外面は石灰岩で作られていることや、壁面には転びがなく鉛直であった可能性 が高いこと、更に丘陵頂部から容易に視認することができる遺跡といった要素を考慮する 1. 実例としては例えばアマルナのアテン大神殿やラメセス時代の直線的な平面をもつ王墓が挙げら れる。Arnold, Di. 前掲書: Tempel, pp.260‑262. 2 新王国時代の例としては第 18 王朝初期に年代づけられるアビュドス出土の祠堂があげられる。 Ayrton, E. R. et al. 前掲書: pp.35‑38, Pl.51. 3 Arnold, Di. 前掲書: Nischengliederung, pp.174‑176. 4 例えば Kampp, F. : Die thebanische Nekropole: Zum Wandel des Grabgedankens von der XVIII. bis zur XX. Dynastie, 2Teils, Mainz, 1996. 5 Quibell, J., Green, F : Hierakonpolis, Part II, London, pl.74, 1902., Ayrton, E. R., Currelly, C. T., and Weigall, A. E. P. : Abydos, Part III, London, Pl.6, 1904. 6 J.‑ F. Carlotti, L’Akh‑menou de Thoutmosis III à Karnak: Étude Architecturale, Paris, 2001. 7 Lauer, Jean‑Philippe : La pyramide a degres, Tome I : L'Architecture, Cairo, 1936. 8 Goneim, M. Z. : Horus Sekhem‑khet, The Unfinshed Step Pyramid at Sakkara I, Cairo, 1957. 9 Arnold, Di. : The Pyramid Complex of Senwosret III at Dahshur: Architectural Studies, New York, pp.23‑25, pp.89‑92, 2002.. 62.

(3) と、最も適合する遺跡として、ネチェリケト(ジョセル)王の階段ピラミッド複合体の外 周壁を挙げることができる。 数多くの古建築の中から、どういう理由で、どの詳細が引用されたのかは引き続き検討 が必要である。単なる指向の問題に過ぎなかったのか、あるいは更に別の意味が込められ ていたのか興味深い課題である。凹凸外壁の引用先として、ジョセル王の外周壁であった ならば、それを考案したとされる大臣イムホテプが意識された可能性が考えられよう。彼 は後世、 神として崇められた聖人で、 賢人カエムワセトとも重なりあう部分が少なくない。 カエムワセトがイムホテプの存在を認識していたことは、彼が残した水盤にイムホテプの 名前が刻まれていることからも明らかであり、イムホテプにカエムワセトが自らを重ねあ わせようとしたとの仮説も成立しうるのではないかと考える。この問題は建築を専門とす る筆者の力量をはるかに越えるテーマのため、可能性の一つをここに提示するにとどめ、 研究の深化を待ちたいと思う。 このように、主屋の方形平面や求心的な構成は、古王国時代や中王国時代のピラミッド や太陽神殿を連想され、外壁の凹凸形状やマッスな構造とも合わせ、古王国時代や中王国 時代の特徴が多く取り入れられているということができる。. 第 3 節 ポルティコの様式的特徴 ポルティコは主屋に接してその東側に増築された空間で、考察の結果、南北両側面と西 側の三方に壁が建ち、内部には東西の 2 列、南北 8 本の合計 16 本の柱が備えられたと考え られた。出土した柱材や屋根材から、復元を試みた結果、柱は古代エジプトでロータス柱 に分類される様式を採っていたことが明らかとなった。 ロータス柱は、壁面に描かれた例や模型を除くと、実例の少ない形式で、管見の限りで は、以下の 例である。いずれも古王国時代および中王国時代で、新王国時代では木製の 柱を除き知られていない。なお、いずれもロータスの茎を束ねた姿を模り、柱身の断面は 花びらを押し広げたような形状を呈する。そこで茎の本数を花びらの数に見立て、形式欄 に○弁型と表記した。. 63.

(4) 表:ロータス柱の実例 遺構名. 構造. 形式. 王朝. 場所. ネフェルイルカーラー王葬祭殿. 木製柱. 四弁型 5. アブ・シール. プタハシェプセスのマスタバ. 石造一材 六弁型 5. アブ・シール. プタハシェプセスのマスタバ. 石造一材 八弁型 5. アブ・シール. メルエンプタハ王宮出土. 石造一材 六弁型 再利用. メンフィス. メルエンプタハ王宮出土. 石造一材 八弁型 再利用. メンフィス. ケティ墓(No.17). 岩窟. 四弁型 11. ベニ・ハッサン. センウセレト 3 世王ピラミッド複合体. 石造. 六弁型 12. ダハシュール. これらのロータス柱は、柱頭の形式にそれぞれ違いが認められる。パピルス柱が様式化 され、細部に至るまで酷似した姿を共通にみせている点とは大きく異なっている。復元さ れたロータス柱とこれらの類例とを比較した結果、隣接するアブ・シール、ピラミッド地 区に築かれたプタハシェプセス(古王国時代第 5 王朝)のマスタバ墓に建てられたロータ ス柱が最も類似していることが判明した1。それぞれに異なる形式を採る中にあって、様式 的に酷似している点や、地理的に近い点を勘案すると、この柱が意識された可能性が高い と判断される。. 図 1‑4‑2:プタハシェプセスのマスタバに立つロータス柱(八弁型). 1. 柏木,「柱の復原研究」. 64.

(5) このマスタバには二種類のロータス柱が築かれ、外側に位置する八弁型は、現在もほぼ 完全な状態で残されている。倒壊していた可能性はあるものの、新王国時代にこの柱を視 認することは可能であったと思われる。一方、内部に建てられた六弁型は柱径や柱頭の規 模においても、ポルティコの柱と近い値を採っている点は注目される。 プタハシェプセスはニウセルラー王の宰相を務めた人物とされる。ニウセルラー王は第 5 王朝の中で最も治世の長い王であり、建築的にはアブ・グラーブに築かれた彼の太陽神 殿が特筆される。プタハシェプセスがこうした建築活動にどれほど関与したのかははっき りしないが、彼のマスタバはアブ・シールピラミッド地区にあって最大規模を誇るマスタ バであり、また立地もピラミッドが位置しても不思議ではない場所を占めている。そのた め、高官の中でも特別な存在であった可能性が高い。 カエムワセトがプタハシェプセスの柱を自らの建造物に取り入れた理由ははっきりしな いが、 カエムワセト以前も、 以後もこの柱を真似た建造物は造られていないことからみて、 その選定は特異であったことが窺われ、逆にいえば好みを越えた選定理由があったことが 推察される。 古い時代の様式を取り入れた部分は、柱以外に屋根にも認められた。ポルティコの屋根 はその先端が、前面のアーキトレーヴを越えて庇状に突き出し、さらに先端の上面を斜め に削り落とす形状を採っていた。新王国時代の建造物における屋根先端のおさまりは、屋 根材の先端が載るアーキトレーヴの上にコーニスおよびトーラスを模った石材を据え、こ れで屋根材の小口を隠す手法が一般的である1。 新王国時代の建造物で、屋根の先端がアーキトレーヴを越えて庇状に突き出る例を探す と、カルナク・アメン大神殿内の通称、トトメス 3 世の祝祭殿2とセティ 1 世(前 1290‑1279 年)がアビュドスに築いたオシリス神の記念神殿(オシレイオン)3に認められるが、どちら も側廊の屋根が身廊側に突き出た構成である。当該ポルティコのように正面を飾る場所を 庇状に作る形式となると、 むしろ古王国時代や中王国時代に類例を見つけることができる。 例えば、隣接するアブ・シール、ピラミッド群の上部神殿(葬祭殿)や下部神殿(河岸神. 1. コーニスおよびトーラスを模った石材で屋根の小口を隠すおさまりは、アーキトレーヴ上だけでな く、搭門の最頂部でも広く観察できる。ここでは実例としてセティ 1 世葬祭殿(ルクソール西岸) を挙げておく。 2 J. F. Carlotti, L’Akh‑menou de Thoutmosis III à Karnak: Étude Architecturale, Paris 2001. 3 Di. Arnold, Building in Egypt: Pharaonic Stone Masonry, New York, 1991, fig.4‑125.. 65.

(6) 殿)1、ベニ・ハッサンの岩窟墓 No.22(アメネムハト 中王国時代)を挙げることができ る。. 図 1‑4‑3:石造建造物推定復元平面図. 更に建造物の正面を、ポルティコが飾る形式自体も新王国時代では稀有ということがで きる。確かに柱を並べる形式は、例えばルクソール西岸のハトシェプスト女王葬祭殿やセ ティ 1 世葬祭殿など、新王国時代の建物で多く見られるが、これらの列柱は広庭を伴い、 中庭の周囲に柱が巡る形式の簡略された形態とみることができる。また、サッカーラに築 かれた同じ第 19 王朝時代の私人墓では、トゥーム・チャペル(Tomb chapel)と呼ばれる、 上部の礼拝施設の前面に柱を 2〜8 本並べたポルティコを備えられる形式が見られる3。丘 陵を視認できる位置にあり、時代的にも重なり合うため、この形式の成立と当遺構との関 係は注目されるテーマであるが、これらのトゥーム・チャペルでは、正面に搭門が築かれ、 ポルティコはその前面に備えられる点が、異なっている。 当該ポルティコの特徴は、広庭の一部としてではなく、独立した空間として築かれてい る点にあり、両側面に厚い壁を備え、建造物の正面全体を覆う、堂々たる作りとなってい る(図 1‑4‑5) 。こうした様式的特徴の類例を探せば、古王国時代のピラミッド複合体とし. 1. L. Borchardt, Das Grabdenkmal des Königs S'a3hu‑Re', Band I: Der Bau, Leipzig, 1910, 47‑48., (reprint :Osnabrück, 1982). 2 P. E. Newberry,.Beni Hasan, Part I, Lomdon, 1893, Fig.4. 3 S. Tawfik, “Recently Excavated Ramesside Tombs at Saqqara, 1.Architecture”, Mitteilungen des Deutschen Archäologischen Instituts, Abteilung Kairo 47, 1991, Fig.1.. 66.

(7) て築かれた下部神殿(河岸神殿)が挙げられる。下部神殿の発掘例は限られているが、隣 接するアブ・シール、ピラミッド群1やサッカーラのウニス王の例では、正面に柱を並べた ポルティコを備え、両側面には厚い壁が控えている。ポルティコが、建造物の導入空間と して計画されたことを考えると、同じ役割を果たすピラミッド複合体の下部神殿が参照さ れた可能性は低くないと思われる。. 図 1‑4‑4:サフラー王河岸神殿復元模型(カイロ博物館蔵). 図 1‑4‑5:ポルティコの推定復元立面図. 第 4 節 小結 石造建造物には、主屋、ポルティコを問わず、古王国時代ないし中王国時代の建築様式 が強く認められ、これらを意識した可能性が高いと考えられる。カエムワセト王子は、 「世 界最古のエジプト考古学者」の異名を採るように、古建築や歴史に対して強い関心を持っ ていたと考えられてきたが、実際の建物にもこうした彼の意識が反映されていたことが明 らかとなった。. 1. L. Borchardt, Das Grabdenkmal des Königs Ne‑user‑Re', Leipzig, 1907, Blatt13. (reprint :Osnabrück, 1984).. 67.

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