<共同研究班活動報告>三社祭と視聴覚メディア : 台東区A電気のエスノグラフィー
著者 三隅 貴史
雑誌名 KG社会学批評
号 8
ページ 75‑78
発行年 2019‑03‑24
URL http://hdl.handle.net/10236/00028026
(3.共同研究班活動報告)
3-4.三社祭と視聴覚メディア
──台東区
A
電気のエスノグラフィー──三隅 貴史
1 三社祭と裏DVD
爆発的な人気を誇り、現代東京の神輿祭礼を語る上で欠かすことができない祭礼、三社祭。
三社祭の人気は、1970年代半ばからの神輿会ブーム、1978年の連続テレビ小説「おていちゃ ん」の放送に伴う浅草/下町の再評価、そして「江戸前」と称される、三社祭で生じた「格好 良い」表現の拡大と定着といった社会現象の中で高まってきた。
その歴史の中でも、1998年頃から、翌年の宮出し/宮入りの中止が決まる2007年までの三 社祭宮出しの活気、あるいは馬鹿騒ぎは凄まじかった。全国各地から、三社祭の宮出しで名を 上げることを夢見た腕自慢たちが集まり、腕っ節を競い合った。そのような中で三社祭は、肯 定的に言えば「一番活気がある」(1都4県の外に本拠地をおくB神輿会、50代男性成員の語 り)、否定的に言えば「馬鹿騒ぎをする」(台東区に本拠地をおくC神輿会、70代男性会長の 語り)場になった、あるいはなってしまった。
そのような「活気がある/馬鹿騒ぎをする」三社祭の熱気を煽り立てたのが、視聴覚メディ ア『三社マニア』(仮称、全26巻)だ。『三社マニア』には、1988年から2016年までの26 回1)の三社祭宮出し/宮入りの様子が記録されている。台東区に本社をおく老舗電気店、A電 気が撮影し、頒布しているものである。『三社マニア』の映像上の特徴は、宮出し/宮入り神 事の全体像を写しながらも、神輿会同士の乱闘、神輿の担ぎ棒の上に人が乗る「神輿乗り」行 為、刺青をいれた担ぎ手、観客の落下、担ぎ手が神輿の下敷きになる瞬間など、浅草神社奉賛 会が撮影を禁止している対象2)を中心に撮影や編集が行われていることにある。また、目まぐ るしく事件が展開していく『三社マニア』の内容を理解するためには、参加している各神輿会 の同盟/敵対関係や、各会が乱闘に至るまでの「情報戦」、宮頭などの著名人の所作の意味な どを熟知しておく必要がある3)。ハイコンテクストかつ、過激な内容ゆえに、三社祭の宮出し
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1)1988年から2016年の期間で、宮出しが開催された全ての年の映像が残されている。この29年間の うち、宮出し/宮入りの中止は3度ある(1995年、2008年、2011年)。それぞ れ の 理 由 は、1995 年:平成の大改修が行われたため、2008年:2007年の宮出しにおいて神輿に乗った参加者がいたた め、2011年:東日本大震災に伴う自粛のためである。なお、2009年の『三社マニア』のみは、宮出 しだけを記録したものになっている。
2)例えば、報道関係者に対して奉賛会が配布している資料「報道用徽章の使用について」(2002年)に は、「刺青の入った裸や暴力シーン等、一般の人に不快感や恐怖感を与える被写体は、絶対に撮らな いようご協力を特にお願い申し上げます」(傍線は元資料に基づく)と明記されている。
3)A電気のDVD売り場には、○○会と××会の対決、△△会のデビュー、重要な事件などの年ごと ↗
KG 社会学批評 第8号 [March 2019]
/宮入りで神輿を担ぐ神輿会を中心に、熱狂的な人気を誇る。
筆者はこれまで、複数の祭礼における広域的な変化を研究する上で、複数の祭礼を結びつけ るものに注目すべきことを指摘してきた(三隅2017 : 99-100)。『三社マニア』は、町の電気屋 が、非公式に撮影し、口コミでのみ広がった裏DVD4)である。にもかかわらず、『三社マニ ア』は、翌年以降の三社祭、そして東京圏の祭礼に対して影響力を発揮するに至っている。本 論では、A電気の概要、裏DVD頒布事業について述べた上で、『三社マニア』は三社祭、そ して東京圏の祭礼に何をもたらしたのかについて記述していきたい5)。
2 「ラヂオ商」、「綜合デパート」から「街の電気屋」、「喧嘩ばかり撮る電気屋」へ
A電気は192 X年に創業した。その当時から今まで変わることなく台東区の下町地域に本
社をおいている、いわゆる「街の電気屋さん」である。A社長(63歳男性)、A社長の妻含め て従業員は5人。現在の事業では、家電の販売よりも、リフォーム、電気設備を主力とし、地 域密着型経営を掲げている。
A電気の歴史は、電気製品の普及をめぐる急激な社会変動に振り回された歴史だった。A 社長の祖父は、192 X年に真空管ラジオの製造や販売を開始した。その後、1951年にA氏の 父親が社長に就任する頃には、白黒テレビ等の家電の販売を開始していた。1950年代後半に は、力道山やプロレスブームなども後押しして、白黒テレビの売り上げは好調であった。「月 に3台テレビが売れると生きていける、5台売れると倉が建つ」と言われていたこの時代に多 くの白黒テレビを売り上げた結果、A電気は一財を築くことに成功した。
その後、1960年代にはA電気は、家電の職域販売を主要事業として大発展を遂げた。月賦 払を採用することによって、鉄道/インフラ関連企業を中心に取引先開拓に成功。A氏が10 代の頃には、「6000を超える東京地区同業者の中で、超大型店の中に数えられるまでに成長
(「A電気会社のしおり 昭和54年3月新規高校卒業生募集要項」より)」。社員は100人に届 くほどになり、浅草本社の他に、大塚店、大宮店、南長崎店といった支店、独身寮を有する
「家庭電化製品の綜合デパート(同上)」へと成長した。しかし、「三種の神器」、「3 C」の普及 が一段落ついたことなどが起因し、職域販売は1970年代後半には下火になる。A電気も、
1988年のA氏の社長就任前後に、浅草本社を残して他の支店を閉鎖。かつての規模を失って
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↘ の見どころ早見表が置かれてる。
4)A電気社長のA氏は、自ら『三社マニア』のことを、「神社奉賛会嫌われ者達の裏DVD(2015年 DVD付属文書より)」と称している。また、A氏が三社祭宮出し/宮入りに出入り禁止になった 2004年以後からは、浅草神社奉賛会監修の「公式DVD」である『燦々と三社』も販売されていた。
このような神社奉賛会や公式DVDと『三社マニア』との関係を踏まえた上で、本論では、『三社マ ニア』について裏DVDと記述している。なお、本論でいうDVDとは、VHS、DVD、BDなどを総 合した視聴覚メディアをさすものとする。1988年の頒布開始時点では『三社マニア』の媒体はVHS であり、2006年からはDVD、そして現在はDVDとBDの両方が頒布されている。
5)以下の記述は、A電気社長のA氏とA氏の妻に対して、2018年5月14日、6月2日、9月14日に 76
いく中で社長となったA氏は、事業の多角化を推し進めていく。
そういった環境下で開始した新規事業の一つが、三社祭の宮出し/宮入りの撮影、そして
『三社マニア』の頒布である。他の新規事業で幾らかの利益を上げたA氏は、その利益で業務 用撮影機材を購入。結婚式や同窓会を撮影し、参加者に後日ビデオを販売するという新規事業 を開始した。そして、その延長線上で、1988年、A氏たちは徹夜で浅草寺本堂の場所取りを し、三脚や業務用撮影機材を用いた本格的な三社祭の撮影を行なった。A氏本人は、台東区S 神社の氏子であったため、祭礼には子どもの頃から関わってきた。しかし、神輿を担ぐことは 必ずしも好きではなかったし、神輿の世界、そして三社祭についてもあまり詳しくなかったと いう。それでも三社祭の撮影を行った理由は、新入社員が「三社祭の宮出しが見たい」と、知 り合いが「三社祭を撮影すれば面白いのではないか」と提案したことがきっかけだった。
そのようにして撮影・編集された『三社マニア』の初年の頒布は、1本1000円(その後 1500円、2000円と推移)、全予約制で行われた。頒布本数は数十本だったという。しかし、毎 年作成するうちに、「A電気が三社祭の喧嘩のDVDを売っているらしい」ということが噂と して広がっていった。結果として、これまでに最も数が出た2004年版の頒布本数が2000本を 超えるなど、裏DVDであるにもかかわらず、多くの人が鑑賞するDVDになった。
暴力シーンに焦点をしぼるという『三社マニア』の撮影には苦労も多かった。A氏は、何 度も「今年で撮影は最後にしよう」と思ったことがあったという。しかし、「誰も三社祭を記 録する人がいないのは寂しい」という気持ち、あるいは、「荒れた映像が撮りたいという低俗 な発想」(いずれもA氏の語り)がA氏を突き動かした。2004年の宮入りで、奉賛会から出 入り禁止を命じられた後も、腕章の偽造、担ぎ手として宮出し会場に忍び込むといった「実 践」の上で、撮影は2016年まで続けられてきた。そして、2016年、A電気に対する奉賛会側 の指導の強化や、1990年代と比較して三社祭が健全化したことが原因などで、気力が限界に 達したA氏は、この年を最後に三社祭の撮影終了を決断した。現在、A電気には、「長年楽し みにしてくださったファンの皆さんゴメンナサイ。ご愛顧感謝申し上げます」と書かれた紙が 貼られている。
3 『三社マニア』の帰結
『三社マニア』は三社祭や浅草地域外の祭礼にどのような影響を与えたのだろうか。様々な 影響が考えられるが、以下では、三社祭における影響と、浅草地域外における影響に分けて論 じたい。
三社祭においては、煽られる形で過激化が進行した。『三社マニア』は、腕っ節が強い個人 と神輿会の「活躍」や、神輿に乗る人びとを格好の被写体とした。『三社マニア』の視聴者も、
そういった場面が多いDVDを求めた。そして、『三社マニア』は、本番の「活躍」を再現し、
それを他人と共有することを可能にした。これによって、「客観的」な会や個人の「強さ」の 評価が可能になったのである。結果、三社祭は、自らの強さや会の勢力の誇示のための場とし
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て生きられていった。特に宮出しは、過激な行為をする→撮影される→視聴・評価される→よ り過激な行為をする…というサイクルで過激化していくことになった。
浅草地域外の祭礼においては、標準化が進行した。浅草の外に居住し、祭礼を行なってきた 若者たちもまた、「喧嘩のDVD」として『三社マニア』を視聴することで、三社祭を「喧嘩の 場」として認知した。そしてかれらは、自らもまた『三社マニア』に華々しくうつることを望 み、三社祭に参加していった。三社祭に参加したかれらは、三社祭における表現を学び、「江 戸前」と称される美的感覚を身につけていく。これによって、彼らの居住地の祭礼において も、「江戸前」と称される美的感覚にもとづく表現が用いられるようになった。特に、東京圏 一円で今日も行われており、その是非が問われている神輿乗りという表現の標準化に、『三社 マニア』が果たした影響は大きいと筆者は考えている。その他にも、『三社マニア』に写って いる若者が「俺は『三社マニア』に写ってるんだぞ」と「イキがる」、そしてそれが原因でも めごとになる、という現象も少なからず生じたという。
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A氏は、『三社マニア』の帰結に関して、「悪いことをしたと思うこともあるし、ありのま まを撮って何が悪いのかと思うこともある」と語る。このように、『三社マニア』の撮影と頒 布は、A氏の中でも、「ありのままの三社祭に焦点をしぼる高尚な使命であり、撮影と頒布は 正当である」という考えと、「喧嘩を撮りたいという低俗な欲求であり、撮影と頒布の帰結に は思うところもある」という考えとが混ざりあっているように筆者には思われた。そして、そ の行為の良し悪しにかかわらず、結果として、『三社マニア』が、現代東京の祭礼のありよう、
そして「同好会っぽい」表現なるものの創造と洗練に貢献してきた、あるいはしてきてしまっ たことだけは間違いない。
熱狂的な祭礼が存続する地域には、A氏や『三社マニア』のような、熱狂的な祭礼撮影者 と、担い手に熱狂的に支持される視聴覚メディアがある。これらの祭礼撮影者や視聴覚メディ アから、その地域の祭礼について考えてみることもまた、面白い視点の一つかもしれない。
【参考文献】
三隅貴史,2017,「東京周辺地域の祭礼における『江戸前』の美学の成立−神輿会に着目して−」『日本民 俗学』(292):95-125.
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