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第一次世界大戦期ロシア帝国の大学と学生

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(1)

第一次世界大戦期ロシア帝国の大学と学生

著者 橋本 伸也

雑誌名 関西学院史学

号 39

ページ 37‑66

発行年 2012‑03‑20

URL http://hdl.handle.net/10236/00025774

(2)

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

橋 本 伸 也

は じ め に

!

第 一次 世界 大戦 期の ロシ ア帝 国に おけ る大 学と 大学 人︑ 学生 につ いて 論じ るこ とに は︑ 二重 の意 味で の困 難が 伏在 して きた

︒そ もそ もヨ ーロ ッパ 大学 史全 般で 総力 戦体 制下 の大 学と 学生 に関 する 研究 蓄積 が乏 しく

︑考 察の ため の準

"

拠枠 が必 ずし も明 確で はな いこ とに 加え て︑ ロシ ア に 固有 の 問 題と し て︑

﹁ 戦 争と 革 命﹂ が 継起 的 一 体的 に 発 生 した 不可 分な もの とし て捉 えら れ︑ 戦時 下に 勃発 した 二つ の革 命か ら独 立し た対 象と して 大戦 期を 設定 しに くか った とい

#

う事 情が

︑こ の主 題の 扱い を難 しく して きた ので ある

︒戦 時下 の大 学生 によ る多 様な 運動 をも っぱ ら﹁ 革命 的学 生集 団﹂ と の関 係 で 値踏 み す る︑ ソ連 期 に 書 かれ た ペ トロ グ ラ ード 大 学 史 の試 み は︑ こ の後 者 の 事 情を 端 的 に 示 し て い

$

︒ それ ゆえ であ ろう か︑ ソ連 邦解 体後 に一 新さ れた 帝制 期研 究の なか で社 会史

・文 化史 上の 重要 主題 とし て長 足の 発展 を遂 げて きた ロシ ア大 学史 研究 の全 般︑ とり わけ 一九 世紀 末か ら二

〇世 紀初 頭の 大学 生と その 文化 に関 する アナ トリ ー・ イヴ ァノ ーフ の一 連の 重要 な著 作中 でも

︑大 戦期 には ごく 簡単 な言 及が なさ れた にす ぎな い︒ いま だ一 読に

%

値す るモ ノグ ラフ は書 かれ てい ない とい うの が︑ 実情 なの であ る︒

三 七

(3)

し かし なが ら︑

﹁ 第一 次世 界大 戦と 大学

﹂と いう 主題 は︑ こ の時 期 が フン ボ ル ト の名 を 冠 した 理 念 とベ ル リ ン 大学 創設 をも って 象徴 的に 語ら れる 近代 大学 から

︑専 門化 し大 衆化 した 現代 大学 への 移行 期に 相当 した とい う大 局的 事情 にく わえ て︑ ベル リン を中 心と した ネッ トワ ーク で結 ばれ た﹁ 学問 と科 学の 国際 主義

﹂が 最終 的に 崩壊 して

︑ナ ショ ナリ ズム と愛 国主 義を 旗印 に総 力戦 体制 への 大学 人や 学徒 の 思 想的 動 員 と要 員 と し ての 活 用 が進 ん だ とい う 点 で も︑ 近現 代ヨ ーロ ッパ 大学 史上 のメ ルク マー ルを なす トピ ック であ った

︒さ らに

︑国 際的 学問 中心 地の ドイ ツか らア メリ カへ の移 動が 促進 され

︑高 度な 科学 技術 の戦 争技 術へ の応 用と 転化 が飛 躍的 展開 を見 せた 画期 であ った とい うこ とか

!

らも

︑第 一次 大戦 期に は格 別の 意義 があ った

︒他 方︑ ロシ アに 固有 の事 情を みて も︑ 大学 網整 備を めぐ って 立ち 後れ た状 況に あっ たロ シア 帝国 の高 等教 育シ ステ ムが

︑い ま述 べた 汎ヨ ーロ ッパ 的変 動と も軌 を一 にし なが らか つて ない 成長 の契 機を 見い だす 一方

︑戦 況と 社会 諸勢 力の 政治 的・ 思想 的分 岐に 対応 しな がら

︑高 揚と 衰亡

︑発 展と 窮乏 とい った

︑相 反す るベ クト ルを はら んだ

︑複 数の 展開 可能 性を 示し た時 代と して 大戦 期を 捉え るこ とも 可能 であ った

︒こ うし た事 情に つい て︑ 第一 次大 戦期 を﹁ 改革 のた めの チャ ンス

﹂と して 特徴 づけ た大 学史 家の アレ クサ ンド ル・ ドミ トリ エフ はこ う指 摘す る︒ 三年 半に 及ぶ 戦争 は︑ ロシ アの 高等 教育 機関 にと って 深刻 な喪 失の 時で ある だけ でな く︑ 組織 や教 育内 容で も社 会と の関 係全 体に つい ても

︑重 要で 本質 的な 大転 換の 時期 とな った

︒戦 時期 は︑ パラ ドキ シカ ルな かた ちで 多く の重 要な 改革 事業 を実 行す る端 緒と なっ たの であ り︑ それ ゆえ に国 家の 政策

︑学 生た ちや 教師 陣の 気分

︑社 会・

"

学問

・権 力の 相互 関係 を分 析す るう えで 興味 深い もの なの であ る︒ こ こに 点 灯 する 図 像 は︑ ひた す ら 社 会主 義 革 命に 収 斂 化さ せ ら れ るソ 連 時 代に 描 か れ た大 学 史 像と は ま った く 異 な

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

三 八

(4)

り︑ 戦時 下の 苦境 と矛 盾に あえ ぎつ つ︑ 多様 な政 治勢 力の せめ ぎあ いの もと で複 数の 方向 性に 分岐 させ られ た展 開の 契機 を内 には らん だ姿 であ る︒ 以下

︑本 稿で はこ のよ うな 観点 に立 って

︑い くつ かの 既往 研究 と高 等教 育を めぐ る同 時代 の雑 誌記 事︑ さら に戦 時下 に多 数刊 行さ れた 学生 雑誌 など を史 料に

︑前 史を も含 めて 大戦 下ロ シア の大 学と 学生

!

をめ ぐる 様相 の粗 描を 試み るこ とと した い︒ 一

大戦 前 夜 のロ シ ア の大 学

│第 一 次 革命 期 か ら一 九 一 四年 数量

的趨 勢 一 九〇 五年 の第 一次 革命 から 開戦 にい たる まで にロ シア の大 学の たど った 径路 は︑ 多様 な要 素の 入り 混じ った 混沌 とし たも ので あっ た︒ ま ずこ の時 期は

︑前 世紀 末以 来の 趨勢 を引 き継 いで

︑大 学を はじ めと した 各種 高等 教育 機関 にお ける 学生 数の 増大 と出 身身 分の

﹁民 主化

﹂︑ す なわ ち貴 族以 外の 諸身 分か ら の入 学 拡 大を 見 た 時 代で あ っ た︒ 一九

〇 年に 一 万 五 千名 で あっ た 帝 国大 学 生 の数 は

〇 六 年に は す でに 二 万 五千 名 を 越 え︑

〇九 年 に は四 万 名 近 くに 達 し てい た

︒出 身 身 分 で は︑ いわ ゆる

﹁反 改革

﹂期 の揺 れ戻 しが ある とは いえ

︑大 改革 期以 来継 続し てき た非 貴族 出身 者の 増大 傾向 はこ の時 期に も確 認さ れ︑ 開戦 前夜 の帝 国大 学学 生中 の貴 族・ 官吏 身分 出身 者比 率は 開戦 前夜 には 四割 を切 り︑ 世襲 貴族 に限 って は一 割以 下に まで 落ち 込ん でい た︒ 代わ って 躍進 し た のは 町 人・ 職 人等 の 都 市 身分 内 の 中下 層 出 身者 で あ っ た︒ 他方

︑大 学以 外の 各種 機関 をも 含め た高 等教 育人 口は 開戦 前夜 の男 子学 生が 七万 名弱

︑女 子学 生が 五万 名強 で︑ 合計

"

一二 万名 を越 える 規模 に達 して おり

︑そ こで も貴 族比 率の 逓減 傾向 が確 認さ れた

︒ 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

三 九

(5)

こ のよ うな 量的 発展 にも かか わら ず︑ 半世 紀に 及ん で継 起し た学 生運 動に 神経 を尖 らせ

︑基 本的 に反 知性 主義 の気 分を 色濃 く湛 えた この 国家 の高 等教 育政 策は

︑き わめ て消 極的 で貧 困な もの であ った

︒そ もそ も広 大な 国土 に比 して 乏し い数 しか 存在 しな かっ た帝 国大 学︵ 一九 世紀 末で 九校

︶だ が︑ 大学 への 不信 をあ らわ にし たニ コラ イ二 世の 態度 も あっ て

︑中 等 教育 人 口 の増 大 と と もに 高 等 教育 需 要 の拡 大 し た この 時 期 にも

︑新 設 は 一 切な さ れ なか っ た の で あ る︒ また

︑前 世紀 末に ヴィ ッテ の率 いる 財務 省主 導の 工業 化政 策に よっ て飛 躍的 拡大 をみ た工 業技 術系 をは じめ とし た高 等専 門学 校も

︑こ の時 期に は官 立部 門の 新設 はほ とん ど見 られ ない

︒第 一次 革命 期以 降の 高等 教育 拡充 に寄 与し たの は民 間部 門︑ すな わち 社会 諸団 体や

︑学 者や 大学 教授 らを 中心 とし た私 的発 意に よる 私立 高等 教育 機関 だっ たの であ る︒ その こと は︑ 世界 的に も例 を見 ない 高度 な発 展を 遂げ た女 性の ため の高 等教 育部 門で

︑と りわ け顕 著に 見ら

!

れた 傾向 であ った

︒ 大学

問題 と教 授た ちの 動向 ア レク サン ドル 二世 暗殺 事件 を受 けて 制定 され

︑大 学の 自治 を封 殺し 学問 の自 由を 脅か して きた 一八 八四 年大 学令

"

は︑ 革命 下の 一九

〇五 年八 月の 臨時 規則 によ って 実質 上 無 効化 さ れ︑ 教 授団 に よ る 人事 な ど の自 治 権 が回 復 さ れ た︒ 美術 アカ デミ ー教 授で 古銭 学者 でも あっ たリ ベラ ルな イヴ ァン

・ト ルス トイ 教育 大臣 のも とで は︑

﹁ 性・ 民族

・宗 派﹂ によ る差 別を 禁じ

︑大 学の 民主 化を 目指 した 新大 学令 制定 に向 けた 議論 が開 始さ れた

︒そ れま で大 学の 門戸 から 閉め 出さ れて いた 女性 たち が︑ 女子 自由 聴講 生と いう 非正 規な 身分 とは いえ

︑帝 国大 学の 講義 室で 男子 大学 生と 肩を 並べ

#

たの も︑ この 時期 ので きご とで あっ た︒ しか しそ れも 束の 間︑ トル スト イ路 線の 継承 を目 指し たカ ウフ マン 教育 相を 経て

︑ス トル イピ ン首 相の もと で相 次い で任 命さ れた 二人 の保 守派 の大 臣シ ュヴ ァル ツと カソ ー︵ 前者 はモ スク ワ大

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

(6)

学古 典文 献学 講座 教授 から 教育 官僚 に転 じて 後の

︑後 者は 同じ く民 法学 講座 教授 から 直接 の任 用︶ のも とで は︑ 大学 自治 への 壊滅 的な 攻撃 と警 察的 監視 強化 が仕 掛け られ

︑国 家と 大学 教授 団と は決 定的 に対 立し た︒ とり わけ

︑カ ソー 教 育相 に よ る大 学 攻 撃に た い し ては

︑一 九 一 一年 に モ スク ワ 大 学 教授 団 の うち 一

〇 八 名が 一 斉 辞職 し て これ に 抗 議

!

し︑

﹁ 歴史 年代 記上 前例 のな いよ うな

︑わ が国 最古 の 大学 の 解 体﹂ を招 く に い たっ た

︒モ ス クワ 以 外 でも 多 く の 大学 で︑ 大臣 によ る恣 意的 人事 の濫 発と 大学 予算 削減 が大 学 教 授た ち と の激 し い 軋 轢を 呼 ん でい た

︒﹁ 一 九一 四 年 ま でに

"

大学 危機 は︑ 専制 体制 とロ シア の公 衆と のあ いだ の対 立増 大と いう

︑よ り深 刻な 問題 の一 部分 とし て見 なさ れる

﹂と ころ にま で立 ちい たっ てい た︒ 国 家と 教育 省か らの 攻撃 にさ らさ れた 大学 教授 たち のあ いだ では

︑大 学自 治擁 護を 至上 命題 とし つつ

︑政 治的 には 立憲 君主 制を 志向 する 穏健 リベ ラル 派が 一定 の勢 力を 有す るに いた って いた

︒む ろん

︑ロ シア 人民 同盟 とい う極 右政 治団 体に 属し ただ けで なく

︑性 犯罪 スキ ャン ダル さえ 引き 起こ した カザ ン大 学植 物学 講座 員外 教授 コン スタ ンチ ン・

#

メレ ジコ フス キー や彼 に阿 諛追 従す る若 手研 究者 の よ うに

︑﹁ 現 代 大学 の 学 問 上の 道 徳 的頽 廃

﹂の 指 弾さ れ る よ うな 事例 がな かっ たわ けで はな い︒ この 点で は︑ 上記 二人 の﹁ 反動

﹂的 大臣 がモ スク ワ大 学教 授か らの 転身 であ った こと は示 唆的 であ り︑ 極端 な君 主主 義者 をふ くむ 保守 派の 大学 教授 も少 なく なか った とみ るの が妥 当で あろ う︒ だが

︑歴 史家 のパ ーヴ ェル

・ミ リュ コー フの 率い た立 憲民 主 党︵ カ デッ ト

︶が 大 学人 の 多 く に親 和 的 な政 党 で あっ た こ と は︑

$

同時 代人 から 広く 認め られ たと ころ であ り︑ 実際

︑一 九〇 五年 に選 出さ れた 同党 第一 期中 央委 員五 四名 中︑ 高等 教育

%

機関 選出 の代 議員 が二 二名

︵四

〇・ 七%

︶を 占め た︒ 彼ら が理 想と した のは

︑イ ギリ ス型 の自 由主 義的 立憲 君主 制で あり

︑そ のも とで の大 学自 治の 擁護 と学 問・ 科学 の自 由な 発展 であ った

︒ 第

一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 一

(7)

学生 運動 の展 開と 学生 集団 前 世紀 六〇 年代 以来 浮沈 を繰 り返 しな がら 半世 紀に 及ん で継 続さ れ︑ 時に は政 府高 官へ のテ ロと それ に対 抗的 な懲

!

罰的 兵役 など とい う血 なま ぐさ い展 開を 見せ た学 生運 動も

︑こ の時 期に はと りわ け複 雑な 動き を見 せて いた

︒第 一次 革命 期に 大学 構内 で開 催さ れた 労働 者や 兵士 の政 治集 会に は多 数の 大学 生が 合流 し︑ 従来

︑学 生の 自由 と権 利拡 大と いっ た高 等教 育問 題に 限定 され がち だっ た運 動要 求が

︑革 命期 には 日露 戦争 即時 中止 や憲 法制 定会 議開 催と いっ た一 般的 政治 課題 に転 化さ せら れて いた

︒学 内で の学 生集 会と スト ライ キ決 議︑ 右派 教授 ボイ コッ トや スト 破り を許 さぬ 講義 阻止 行動 に加 えて

︑街 頭行 動の 場に も多 数の 大学 生の 姿が あっ た︒ そう した 運動 の高 揚は

︑革 命退 潮の もと でも しば し維 持さ れ︑ 革命 期の 成果 を掘 り崩 す政 策的 展開 に抗 議す る一 九〇 八年 全国 学生 ゼネ スト の敗 北ま で続 いた

︒そ の後 一時 沈滞 した 学生 運動 は︑ 一九 一〇 年一 一月 の文 豪レ フ・ トル スト イの 死去 時の 追悼 運動

︑そ こで 掲げ られ た人 道主 義的 死刑 廃止 要求

︑政 治犯 の非 道な 取り 扱い への 抗議 行動 を介 して 再活 性化 され

︑首 都の みな らず 地方 の大 学で も集 会と スト ライ キが 相次 いだ

︒学 生た ちの 過激 な行 動は

︑講 義へ の警 官常 駐化 を招 いた だけ でな く︑ 穏健 な改 革を 志向 する 大学 教授 たち との 関係 にも 緊張 をも たら した

︒学 生の 行動 に追 随せ ず︑ 穏健 で慎 重な 態度 を堅 持す る教 授た ちの 態度 は︑ 急進 的学 生の 目か らは

︑当 局の 圧迫 への 軽侮 すべ き妥 協と して 映じ たか らで ある

︒ だ がこ うし た急 進的 学生 運動 の背 後で は︑ 学生 集団 の分 極化 と多 様化 が進 行し てい た︒ 革命 的左 翼学 生自 体が エス エル

︑ボ リシ ェヴ ィキ

︑メ ンシ ェヴ ィキ とい った 政党 布置 に対 応し てい くつ もの グル ープ に分 裂し たの に加 えて

︑大 学教 授た ちと も共 通す るカ デッ ト影 響下 の リ ベラ ル 派︑

﹁ 学問 の た め の学 問

﹂を 掲 げる

﹁ア カ デ ミス ト

﹂と 呼 ば れる 右派 学生 や黒 百人 組と 総称 され る右 翼団 体の 直接 支援 下に あっ たグ ルー プ︑ 国際 的な YM CA 運動 とも 深い 関わ りを

"

有し たキ リス ト教 主義 学生 運動 とい った

︑政 治的 思想 的立 場を 異に する 下位 集団 への 内部 分化 が進 んだ ので ある

︒ま

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 二

(8)

た︑ 非政 治的 な学 術・ 文化

・芸 術・ 宗教 団体 も多 数誕 生し たし

︑革 命退 潮期 には スポ ーツ

・文 芸・ 宗教 活動 など への 没入 やポ ルノ グラ フィ ーへ の耽 溺な どの 思想 的変 動も 進ん でい た︒ 活 動 内 容も

︑学 生 集 会と ス ト ラ イキ

︑街 頭 行 動な ど の 政治 活 動 に 限定 さ れ たわ け で は な い

︒た と え ば

︑学 生 た ち は︑ 相互 扶助 のた めに 故郷 をと もに する 同郷 団や 協同 組合 的組 織を 結成 して

︑売 店・ 学生 食堂

・学 生金 融・ 図書 室な

!

どを 設立

・運 営す ると とも に︑ アル バイ ト斡 旋の ため の労 働ビ ュー ロー も開 設し た︒ それ らの 活動 の主 導権 を誰 が握 るの かは

︑そ れ自 体が 学生 内部 の政 治的 争奪 戦の 一場 面を なす もの でも あっ た︒ これ ら多 様な 活動 を通 じて 投げ かけ られ た︑

﹁ 学生 とは 何か

﹂﹁ 学生 の使 命は 何か

﹂と いう アイ デン ティ ティ をめ ぐる 自己 確証 の問 いか けは

︑学 生ジ ャー ナリ ズム 中で 繰り 返し 取り 上げ られ る重 要論 題で あっ た︒ 問い への 回答 を得 るた めの アン ケー ト調 査も 各地 の高 等教

"

育機 関で 頻繁 に繰 り返 され

︑そ の総 数は 八〇 件を 超え ると もい う︒ そこ には

︑ロ シア にお ける

﹁青 年期 の成 立﹂ とで も呼 ぶべ き変 化を 看取 でき るが

︑そ れは 同時 に︑ 二〇 世紀 初頭 に見 られ た学 生数 の飛 躍的 増大 と︑ 社会 的相 貌の 変容 とも かか わっ たも ので あっ た︒ 革 命に よっ て開 かれ た自 由な 雰囲 気の もと で学 生ジ ャー ナリ ズム が開 花し

︑学 生た ちを 執筆 者や 主た る読 者と した 多種 多様 な学 生雑 誌が 刊行 され たの も︑ この 時期 の大 きな 特徴 であ った

︒同 時代 人の セル ゲイ

・ス ヴァ ティ コフ は一 八世 紀以 来の 学生 出版 史を たど った 論考 のな かで

︑﹁ 荒 れ 狂う 一 九

〇五 年 は︑ 学 生 定期 刊 行 物が も っ ぱら 地 下 に あっ

#

た最 後の 年で あっ た﹂ と述 べ︑ 革命 状況 下で 公然 化さ れた 学生 ジャ ーナ リズ ムと いう 新時 代の 訪れ を指 摘し た︒ そこ に簇 生し た新 聞雑 誌群 は︑ 上述 のよ うな 学生 集団 の内 部分 化に 対応 して

︑思 想傾 向や 内容

︑出 版地 など で多 様な もの であ った

︒い ち早 く刊 行の 始ま った 社会 民主 党系 学生 機関 紙の 週刊 政治 新聞

﹃若 きロ シア

﹄は

﹁新 時代 の最 初の 学生

$

機関 紙﹂ と称 され たが

︑こ れに はレ ーニ ンや ゴー リキ ーも 関与 して いた

︒対 極で は︑ たと えば オデ ッサ のノ ヴォ ロシ 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 三

(9)

ア大 学で 刊行 され た﹃ 学生 アカ デミ スト

﹄誌 が︑ 授業 に 出 よう と も せず に 無 為 に過 ご す 学生 や 聴 講生 に

﹁立 ち 去 れ﹂ と言 い放 ち︑

﹁ スト ライ キを して いる のは

︑政 治経 済学 や マル ク ス︑ 支 配階 級 の 寄 生虫 や 高 度に リ ベ ラル な 話 題 につ

!

い て無 駄 な おし ゃ べ りを し て い る連 中 だ﹂ と こき 下 ろ して い た

︒個 別 教育 機 関 毎の 刊 行 物︑ 宗 教系 学 生 雑 誌 や 文 芸 誌︑ さら にユ ダヤ 人学 生の ため の雑 誌な ども 多数 出さ れて いた

︒ こ のよ うに 大戦 前夜 まで にロ シア の大 学教 授と 学生 たち は︑ いず れも 内的 分岐 と対 立を はら みな がら もそ れぞ れ相 異な る立 場か ら国 家と 対峙 し︑ 学問 の大 義と 政治 や社 会に かか わる 活性 度を 高め てい た︒ 彼ら はと もに

︑強 固な 大学 不信 に捉 えら れた 国家 との 高度 の緊 張と 先鋭 な意 識状 況の もと で開 戦を 迎え たの であ る︒ 二 大戦 下 の 政策 的 転 回 イグ

ナー チェ フ教 育大 臣 戦 時 下 の大 学 を めぐ る 行 政・ 政 策上 の 展 開と し て 特筆 さ れ る べき は

︑一 九 一四 年 一 一月 の 教 育 相カ ソ ー の 急 死 の 後︑ 翌年 一月 に新 大臣 とし てパ ーヴ ェル

・イ グナ ーチ ェフ が任 命さ れた こと であ る︒ 内務 省や 農業 関係 省庁 出身 で教 育行 政に かか わる 手腕 が未 知数 の新 大臣 の任 命は

︑回 顧的 には

﹁大 臣ポ スト への これ 以上 首尾 の良 い成 功し た選 考は

"

おそ らく あり えな かっ た﹂ と頌 えら れた とは いえ

︑就 任時 点で の社 会の 受け 止め は期 待と 当惑 のな かに あっ た︒ およ そリ ベラ ルと は見 なし えず

︑む しろ 右派 に属 する と考 えら れた 新大 臣が 前任 者の 路線 を継 承す るの かど うか

︑こ のこ とを めぐ って とび かっ た噂 は矛 盾に 満ち たも ので あっ たし

︑国 家ド ゥー マ︵ 国会

︶が 歓迎 の態 度を 示し たの にた いし

#

て︑ 右翼 の受 け止 めは

﹁社 会の いわ ゆる 進歩 的要 素へ の明 白な 譲歩

﹂と いう もの であ った

︒一 九一 三年 以来 現職 のペ

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 四

(10)

トロ グラ ード 市長 で︑ イグ ナー チェ フの 叔父 にあ たる 元教 育大 臣イ ヴァ ン・ トル スト イは

︑世 論の 歓迎 が新 大臣 の在

!

任期 間の 短さ につ なが るこ とを 予期 し︑

﹁ 十分 なイ ニシ アテ ィヴ を取 り得 ない

﹂こ とを 危惧 して いた

︒ こ うし た危 惧に もか かわ らず 新大 臣は 就任 当初 から 精力 的な 活動 を開 始し

︑国 民教 育省 の政 策を 一変 させ る大 胆な 方向 性を 打ち 出し てい った

︒二 月二

〇日 から 二七 日に か け て開 催 さ れた 教 育 管 区監 督 官 会議 で は 会議 の 目 的 を︑

﹁教

"

育当 局の 活動 を方 向づ ける 基本 問題 につ いて 意見 交換

﹂す るこ とで

︑従 来見 られ た﹁ 冷淡 な形 式主 義的 態度

﹂を 除去 して 社会 に開 かれ た学 校の 活性 化を 果た すこ と︑ と表 明し た︒ これ は︑ シュ ヴァ ルツ とカ ソー とい う二 代に わた る教 育大 臣の もと で極 限ま で達 して いた 公衆 と教 育行 政と の乖 離・ 対立 の克 服を 宣言 する もの であ った

︒直 後に は︑ カソ ーの 発し た初 等学 校行 政に かか わる いく つか の大 臣通 達を 撤回 し︑ 学校 運営 にあ たっ てい た地 方自 治団 体ゼ ムス トヴ

#

ォの 不信 を除 去す る努 力を 重ね てい る︒ この 時期

︑ラ スプ ーチ ンと 皇后 アレ クサ ンド ラの 政治 介入 が度 を強 め︑ 国家 装置 総体 の機 能不 全が 深刻 化し たの と対 照的 に︑ 自由 主義 的な ゼム スト ヴォ 連合

・都 市連 合︑ 企業 家ら が結 成し た戦

$

時工 業委 員会

││ その 動機 や実 質的 役割 につ いて は疑 念も 語ら れる が│

│な どの 社会 諸組 織が

︑対 政府 批判 勢力 とし ての 性格 を強 めつ つ︑ 戦争 遂行 の支 柱と して の役 割を 果た した こと がし ばし ば指 摘さ れて いる

︒だ が︑ こう した 全般 的な 像と は対 極的 に︑ 教育 行政 に限 って は︑ 社会 的イ ニシ ア テ ィヴ と 国 家装 置 と の 円滑 な 連 携を は か る条 件 が 整 い︑ これ まで にな い新 たな 展開 可能 性が 切り 開か れて いた

︒ 大学

政策 の転 回 大 学に かか わる 施策 の第 一は 新大 学令 の制 定作 業で ある

︒立 法府 代表 や学 長ら 大学 関係 者の 参加 を得 て大 臣就 任後 数ヶ 月で まと めら れた 新大 学令 案で は︑ 大学 教授 の身 分保 障や 人事

・教 学・ 管理 運営 をめ ぐる 大学 の自 治原 則が 謳わ 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 五

(11)

!

れ︑ 学外 団体 での 活動 をは じめ とし た学 生の 市民 的自 由の 保障 も掲 げら れた

︒改 正案 が法 とし て制 定・ 施行 され るに は なお 前 途 に多 大 の 障壁 が 存 在 した が

︑大 学 令お よ び 関連 諸 法 制 定に 向 け た政 府 部 内 や議 会 で の審 議 を 通じ て 大 臣 は︑ 国 民教 育省 と社 会と の協 働の 重要 性を 指摘 し︑ 新法 制定 への 意欲 をた びた び表 明し

た︒ し かし

︑こ う した イグ ナー チェ フの 合理 的改 革路 線は

︑腐 敗し きっ た宮 廷を 支配 した ラス プー チン らの 気分 と相 容れ るも ので はな く︑ ラス プー チン の暗 殺さ れる 一九 一六 年末 には

︑相 前後 して イグ ナ ー チェ フ も 大臣 の 座 を 追わ れ た︒

﹁ これ ま で わが 国 の 国 民教

"

育大 臣に 示さ れた こと のな いよ うな 大き な尊

敬﹂ を 集め た大 臣の 更迭 とい う﹁ 悲し むべ き喪

失﹂ に よっ

て︑ 新 大学 令制 定の 行方 は不 透明 化し

た︒ 改 革路 線の 帰趨 は︑ 辞任 後ま もな く勃 発し た二 月革 命後 の臨 時政 府に 委ね られ たの であ る︒ 大 学設 置に 消極 的で 慎重 な態 度を 取っ てい た国 家が 大学 増設 へと 舵を 切っ たこ とも

︑イ グナ ーチ ェフ の下 でも たら され た大 きな 転回 であ った

︒上 述の 教育 管区 監督 官会 議 で イグ ナ ー チェ フ は︑ 中 等 教育 機 会 の拡 大 に もか か わ ら ず︑ それ にみ あっ た高 等教 育拡 充が はか られ ずに きた 結果

︑ロ シア 帝国 が敵 国ド イツ と比 して おお いに 立ち 後れ てい るこ

#

と を指 摘 す ると と も に︑

﹁わ れ わ れ の課 題 は︑ 全 力を 尽 く して こ の 方 面で よ り 精力 的 に 行動 す る こ と だ

﹂と 述 べ て︑ 高等 教育 拡充 の方 途を さぐ る意 図を 表明 して いた

︒そ うし た方 針の 具体 化さ れた のが

︑一 九一 六年 五月 三一 日付 の大 臣会 議宛 の書 簡で あっ た︒ その なか でイ グナ ーチ ェフ は︑ 帝国 大学 十校 を各 地に 設置 して 校数 倍増 と地 方の 文化 的経

$

済的 振興 をは かる とと もに

︑特 に戦 時下 の必 要に 配慮 して 医学 部拡 充を 進め る決 意を 表明 した

︒同 時に イグ ナー チェ フは

︑一 九世 紀の ドイ ツ的 大学 論の 影響 を受 けて 純粋 学問 に極 端に 傾斜 した 大学 のあ り方 を見 直し

︑軍 事技 術開 発と 生産 力増 強に 通じ る応 用科 学・ 科学 技術 の発 展も 展望 しつ つ︑ 伝統 的な 四学 部︵ 法・ 医・ 歴史 文献 学・ 物理 数学

︶型

%

とは 異な る大 学の あり 方も 提起 した

︒戦 時下 で実 際に 達成 され たの は︑ ペト ログ ラー ド大 学の 分校 とし て開 設さ れた ペル ミ大 学の 新設 と︑ サラ トフ 大学

・ト ムス ク大 学に おけ る学 部増 設に とど まる が︑ 省の 方針 転換 に刺 激さ れた 地方

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 六

(12)

では

︑シ ベリ アの イル クー ツク

︑極 東沿 海州 のヴ ラジ ヴォ スト ーク

︑西 部の ミン スク など で開 設に 向け た拠 金活 動な

!

どの 大学 設置 運動 が展 開さ れた

︒総 合技 術高 等専 門学 校設 置を 求め る声 も各 地で 相次 いで あげ られ た︒ 戦 時下 に固 有の 喫緊 の課 題は

︑帝 国西 部の 被占 領地 域に 置か れた 大学

・高 等専 門学 校の 疎開

・移 転で あっ た︒ ドイ ツや オー スト リア と接 して 戦場 と化 した 帝国 西部 国境 地域 には

︑ポ ーラ ンド のワ ルシ ャワ

︑ウ クラ イナ のキ エフ

︑沿 バル ト地 域の ユリ エフ

︵デ ルプ ト︶ の各 大学 をは じめ

︑高 等教 育機 関が 多数 置か れて いた から であ る︒ これ ら地 域で は︑ 戦況 悪化 にと もな うロ シア 軍の 退却 とと もに 多く の学 校が 放棄 され

︑教 授・ 学生 と図 書等 の備 品の 内地 への 待避

・疎 開が 進め られ た︒ 疎開 に際 して は︑ 地域 活性 化の 期待 をか けた 諸都 市に よる 受入 競争 が繰 り広 げら れた

︒最 終的 に確 定し た疎 開先 は以 下の 通り であ った

︒ 聖ヴ ラジ ーミ ル大 学︵ キエ フ︶

・ キエ フ女 子高 等課 程・ キエ フ商 業学 校│

│サ ラト フ リー ガ総 合技 術高 等専 門学 校│

│モ スク ワ ワル シャ ワ総 合技 術高 等専 門学 校│

│ニ ージ ニー

・ノ ヴゴ ロド ワル シャ ワ大 学│

│ロ スト フ・ ナ・ ドヌ ー ノヴ ォア レク サン ドリ ア農 業学 校│

│ハ リコ フ ユリ エフ 大学

││ 戦時 下で 疎開 準備

︑革 命後 の一 九一 八年 にヴ ォロ ネー シへ 移転 この うち

︑キ エフ 大学 と同 商業 学校 のみ が翌 年に 帰還 して いる が︑ それ 以外 は︑ 十月 革命 によ る帝 国崩 壊と 周辺 諸国

"

の独 立に とも ない

︑一 時疎 開が 恒久 移転 に転 じた

︒高 等教 育と 学術 の先 進地 域で あっ た西 部国 境地 帯に おけ る大 学閉 鎖と 疎開 が︑ ロシ ア内 地の 地方 都市 にお ける 大学 設置 をも たら した ので ある

︒ 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 七

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三 大戦 下 の 大学 人 と 学問 開戦

と愛 国的 高揚 露 暦一 九一 四年 七月 一五 日︵ 西暦 では 二八 日︶ のオ ース トリ アに よる セル ビア への 宣戦 布告 を受 けて

︑ロ シア 帝国 でも 総動 員令 が発 せら れた

︒同 二〇 日に 発し た開 戦詔 勅の なか でニ コラ イ二 世は

︑戦 勝の ため の国 内不 和の 克服 をよ びか け︑ これ に応 えた 公衆 は挙 国一 致の もと での 愛国 的高 揚へ と邁 進し たか のよ うで あっ た︒ 哲学 者の ベル ジャ ーエ フは

︑戦 争が 単に 国家

・政 府間 のそ れで はな く﹁ ナロ ード の戦 争︑ 社会 の戦 争﹂ とな るこ とを 確言 し︑ 同じ く思 想家

!

のロ ーザ ノフ は︑ 戦争 によ る﹁ ロシ アの 再生

﹂を 熱く 語っ てい た︒ 戦争 直前 まで 続い た労 働者 のス トラ イキ は一 気に 停止 され

︑職 場に 戻っ た労 働者 たち は生 産力 向上 のた めに 力を 振り 絞っ た︒ 後知 恵的 には 一時 期の こと にす ぎな かっ たと はい え︑ 確か に﹁ あら ゆる 既存 の分 裂や 不平 不満 が忘 れら れた

︒あ らゆ る利 害争 いが

︑こ の外 から の大 きな 危険 を眼 前に して 鎮静 化し た︒ 戦争 勃発 によ りた だち に︑ 戦前 には 存在 して いた はず の政 府へ の敵 対的 態度 の表 明さ れる

"

可能 性へ の危 惧が 消失 した

﹂の であ る︒ 全 国家 的な 愛国 主義 の洪 水の なか

︑そ れま で政 府と 対峙 して きた 大学 にも 多大 の変 貌が もた らさ れた

︒開 戦時 には 夏期 休業 中で 出遅 れた とは いえ

︑新 学期 を迎 えて 活動 が再 開さ れる や︑ 各大 学・ 高等 専門 学校 の評 議会 は相 次い で戦 争支 持声 明を 発し て︑ セル ビア 防衛 とス ラヴ 諸民 族 の 解放

︑ド イ ツ 軍国 主 義 か らの 国 土 防衛 と い った 戦 争 の﹁ 大 義﹂

#

を受 け入 れて いっ た︒ その 際︑ 長年 にわ たっ てロ シア の知 識人 や大 学人 が範 とし てき たド イツ の科 学・ 哲学

・芸 術上 の偉 業︵ カン トの 恒久 平和 論︑ シラ ー︑ ベー トー ヴェ ン等 々が 想起 され た︶ と︑ 侵略 的な ドイ ツ軍 国主 義と の関 係を

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 八

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いか に整 合的 に説 明す るか とい う難 問が 浮上 した が︑ 論壇 では

︑ド イツ の偉 人た ちの もた らし た全 人類 的貢 献に もか かわ らず

︑平 均的 ドイ ツ人 は﹁ 俗物 根 性・ 視 野狭 窄

・﹃ 町 人的

﹄理 想

﹂に 染 め 上げ ら れ てお り

︑そ れ が好 戦 的 な 愛国

!

主義

・大 国主 義的 な態 度に 転じ たと の理 屈が 流布 され た︒ これ は︑ 有名 な﹁ ドイ ツ帝 国大 学教 員に よる 宣言

﹂が

︑ド イツ 軍の 理想 とド イツ 文化

・精 神性 との 一体 性を 語り

︑文 化防 衛を 旗印 に戦 争支 持を 表明 した こと への

︑ロ シア 側か

"

らの 応答 であ った

︒過 去に 例の ない 世界 戦争 を前 に︑ その 原因

・目 的・ 帰結 に思 索を 重ね

︑講 義な どの 場で 戦争 の歴

#

史的 不可 避性 と正 当性 を弁 証す る試 みも

︑大 学教 授た ちの 果た すべ き使 命と なっ た︒ フ ラン スや イギ リス でも そう であ った よう に︑ 戦時 下の ロ シ アで も ド イツ 人 学 者 の名 誉 剥 奪の 動 き が加 速 化 し た︒ 心理 学者 のブ ント

︑動 物学 者の ヘッ ケル とい った 錚々 たる 学者 が協 商国 の科 学ア カデ ミー 等の 学術 団体 の外 国人 会員 の地 位を 追わ れた

︒国 際刑 事学 協会 創始 者と して ロシ アの 刑法 学界 とも 近し かっ たフ ラン ツ・ フォ ン・ リス トは

︑同

$

協会 ロシ ア人 会員 によ る非 難決 議を 突き つけ られ た

︒大 戦 期ヨ ー ロ ッパ の 大 学 人総 体 に 向け て

︑﹁ ほ とん ど 瞬 時 にし て︑ 国際 的な 文芸 共和 国は 崩壊 した

︒実 際上 すべ ての 側の ほと んど すべ ての 学者 たち が︑ ナシ ョナ リズ ムの 圧倒 的な 絆に 捉え られ てし まっ た︒ この こと が自 分た ちの 従来 の理 想︑ 特に 科学 的客 観性 への 献身 とい う理 想に 反し

︑こ れを

%

歪め てし まう と考 えた 者は ほと んど いな かっ た﹂ との 指摘 があ るが

︑こ の評 言は ロシ アの 大学 教授 や知 識人 にも その まま 妥当 した

︒ 大学

と学 問の 動員 開 戦直 後に 見ら れた 愛国 主義 的高 揚の もと での 大学 人の 思想 的動 員は

︑戦 況の 進展 とと もに より 実際 的な 大学 と学 問 の戦 争 動 員へ と 姿 を変 え て い った

︒理 念 次 元の

﹁挙 国 一 致﹂ から 総 力 戦 体制 へ の 組み 替 え が 急速 に 進 ん だ の で あ 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

四 九

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る︒ 政府 批判 とは 別次 元で

︑国 運を かけ て戦 争遂 行に 主体 的に 貢献 する 社会 諸勢 力中 に大 学人 も身 をお いて いた

︒ な かで も喫 緊の 課題 であ った のは

︑か つて ない 過酷 な戦 闘に 晒さ れた 前線 で発 生し た莫 大な 数の 傷病 兵へ の対 応で あっ た︒ ペト ログ ラー ド女 子医 学高 等専 門学 校の 発意 で開 始 さ れた 大 学 人に よ る 野 戦病 院 開 設の た め の拠 金 活 動 は︑ 一九 一四 年十 月ま でに かな りの 金額 の確 保に 成功 し︑ ポー ラン ドの ワル シャ ワや ウッ ジを 手始 めに

︑各 地で 病院

・診 療 施設 を 開 設し た

︒そ の 際︑ 収益 の 病 院 設立 へ の 充当 を 前 提に

︑大 学 教 授 らの 手 に なる 論 文 集 の刊 行 も 行 わ れ て い

!

︒ 傷病 兵支 援の ため の同 様の 活動 は︑ モス クワ その 他の 都市 の大 学で も取 り組 まれ た︒ 開戦 直後 のモ スク ワの シャ

"

ニャ フス キー 人民 大学 の例 をは じめ

︑大 学学 舎が 後送 され た傷 病兵 のた めの 病院 に利 用さ れる 例も 多か った

︒ペ トロ

#

グラ ード 大学 でも

︑伝 統あ る講 堂や 回廊 が病 棟に 転用 され てい る︒ あわ せて

︑医 薬品 や医 療器 具の 開発

・製 造や 医療 技術 講習 を行 い︑ ドイ ツに 依存 する 傾向 の強 かっ た医 療技 術の 国産 化を 進め る必 要も あっ た︒ モス クワ 大学 細菌 学研 究所 によ る破 傷風 その 他の 血清 製造

︑ハ リコ フ大 学に よる 滅菌 装置 や手 術台 の製 造︑ キエ フ大 学に よる 薬剤 開発 やエ

$

ック ス線 技術 の外 科診 療へ の応 用な ど︑ この 種の 試み は枚 挙に いと まが ない

︒ 一 九一 五年 にな ると

︑軍 事技 術開 発と 兵器

・物 資供 給に 十分 な準 備を して こな かっ た国 家の 無策 への 批判 の声 が上 げら れる よう にな った

︒そ うし たな か︑ 企業 家主 導で 結成 され た戦 時工 業委 員会 や陸 軍省 とも 連携 しな がら

︑医 療技 術以 外の 分野 でも 大学 その 他の 教育 機関

・研 究機 関に よる 軍事 技術 開発 と知 識普 及の 試み が進 めら れた

︒こ の分 野で も︑ 技術 上の 対独 依存 脱却 と独 自技 術開 発が 急務 であ った

︒同 年︑ モス クワ 大学 で軍 事委 員会 が組 織さ れる や︑ 同大 学の 研究 所や 実験 室の 活動 はも っぱ ら軍 事的 な方 面に 収斂 化さ せら れ︑ 軍や 国家 機関 への コン サル タン ト活 動と あわ せて

︑爆 薬・ 手榴 弾・ 魚雷

・電 気機 器・ ロケ ット その 他の 信号 弾・ 抗毒 ガス 剤・ 毒ガ ス・ 砲弾

・各 種計 器・ 航空 関連 備品 等々 の開 発・ 製造 に携 わる こと とな った

︒他 大学 もこ うし た動 きに 追随 し︑ 工学 系高 等専 門学 校で 養成 され た技

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

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術者 が軍 需産 業諸 分野 の指 導者 とし て工 場等 に送 り出 され たの に加 えて

︑商 業高 専で も化 学物 質測 定装 置や 抗ガ ス治 療法

︑ガ スマ スク の開 発が 行わ れた

︒さ らに 戦局 の悪 化と とも に深 刻化 した 食糧

・燃 料供 給に 対応 する ため に設 立さ れた 食糧 燃料 供給 特別 評議 会と 輸送 特別 評議 会と いう 二つ の委 員会 でも

︑経 済学 や統 計学 を専 門と する 大学 人の 参加

!

が期 待さ れ︑ 実際

︑大 学教 授た ちが こう した 活動 に専 門的 知識 を備 えた 立場 から 積極 的に 加わ って いっ た︒ こう した 活動 の展 開に は︑ かつ てロ シア の大 学に 根深 く浸 透し た

︑純 粋 学問 に 傾 倒し て 応 用 的な 実 用 研究 を 貶 価す る 態 度 が︑ 戦時 下の 愛国 主義 の高 揚と 直接 的有 用性 がた だち に問 われ る局 面を 通じ て払 拭さ れつ つあ った こと を看 取で きる

︒イ グナ ーチ ェフ 教育 相に よる 新タ イプ の大 学構 想の 背後 には こ の よう な 学 問論 的 転 回 があ っ た と見 る こ とが で き る し︑ こう した 文脈 でと りわ け特 筆に 値す る例 とし て︑ 元モ スク ワ大 学教 授で 科学 アカ デミ ー会 員の 鉱物 学者 ヴラ ジー ミル

・ヴ ェル ナツ キー によ って 組織 され たロ シア 天然 生産 力調 査委 員会 の活 動も あっ た︒ 同委 員会 は︑ 戦時 下の 輸入 原料 枯渇 に抗 して 軍需 生産 の拡 大と 工業 化の 進展 を進 める ため に︑ 鉱物 資源 探査 の調 査隊 を組 織し てカ フカ ース やト ルケ

"

スタ ンな どに 派遣 し︑ その 成果 をも とに した 工業 化の 提言 を行 った ので ある

︒政 府の 消極 的態 度も あっ てた だち にも たら され た成 果は 乏し かっ たと いわ れる が

︑こ の 事例 は

︑科 学 研究

・工 業 技 術・ 軍 事か ら な るト リ ア ーデ が 完 成 し︑ 科学 が巨 大化 する 契機 とな った 第一 次世 界大 戦の 経験 が︑ ロシ アで も共 有さ れて いた こと を示 して いる

︒ 四 大戦 下 の 学生 学生

愛国 主義 の帰 趨 大 学 教 授ら を 捉 えた 愛 国 的 情熱 は

︑そ れ 以上 に 反 政府 的 な 傾 向を 強 く 示し た 大 学生 ら の 心 をも 捉 え るも の で あ っ 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

五 一

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た︒ 開 戦前 夜 ま で紛 争 と スト ラ イ キ に明 け 暮 れて い た 学生 た ち で あっ た が︑ 開 戦と と も に 彼ら の 運 動 は

︑あ た か も

!

﹁ 魔法 の杖 で払 われ たか のよ うに

﹂姿 を消 した

︒緒 戦の タ ンネ ン ベ ルク で の 敗 北を 経 て︑ ガ リツ ィ ア での 勝 利 に 沸い た十 月に は︑ ペト ログ ラー ド交 通技 師高 等専 門学 校の 学生 たち が開 始し た戦 争支 持の 街頭 デモ 行進 が︑ 他機 関学 生も 交え て一 万人 を越 える 規模 にま で成 長し

︑ア ニチ コフ 宮殿 前で の数 度に 及ぶ 国歌 斉唱

︑さ らに 冬宮 前広 場で は︑ 地面 に跪 いて チャ イコ フス キー 作曲 の正 教聖 歌﹁ 主よ

︑汝 の民 を救 いた まえ

﹂を 歌う 姿が 見ら れた

︒愛 国主 義と とも に宗 教的 心情 の高 まり を示 した こう した 姿は

︑同 時期 にキ エフ やハ リコ フな どの 諸都 市の 学生 たち のあ いだ でも 広く 見ら

"

れた もの であ った

︒全 般的 な愛 国主 義的 高揚 のな か︑ 徹底 的反 戦を 掲げ る勢 力は ボリ シェ ヴィ キや 急進 エス エル 系学 生の 一部 に留 まり

︑国 家保 安部 の報 告書 でさ え︑ 新学 期冒 頭の 学生 の雰 囲気 は愛 国的 なも のに 染め 上げ られ てい たと 記し てい たと いう

︒か つて は専 制体 制批 判の 場で あっ た学 内集 会で

﹁ツ ァー リ万 歳﹂ を叫 び︑ 民族 出自 がド イツ 系の 教授 の講 義を やじ り倒 して 妨害 し︑ なか には ドイ ツ人 の経 営す る商 店や 倉庫 やレ スト ラン への

﹁ポ グロ ム﹂ に加 わる

#

者も いた とい うの であ る︒ ある 論者 は︑ こう した 興奮 状態 を指 して

﹁学 生愛 国主 義﹂ と評 して いる

︒ 初 期の 熱狂 的興 奮が 冷め

︑学 生た ちの 意識 と行 動に 変容 が生 じる のは

︑戦 争長 期化 によ り政 府へ の不 信や 生活 上の 苦 境が 顕 在 化し た 一 九一 五 年 春 以降 の こ とで あ っ た︒ 議会 内 で 結 成さ れ た 進歩 ブ ロ ッ クと 政 府 との 対 立 激化 を 背 景 に︑ 同年 九月 には モス クワ の複 数の 高等 教育 機関 でス トラ イキ が打 たれ るな ど︑ しば し見 られ なか った 学生 紛争 が再 発 した の で ある

︒も っ と も再 興 さ れ た学 生 運 動を 捉 え た理 念 は

︑反 政 府的 で は あっ て も 必 ずし も 反 戦的 で は な か っ た︒ ある 学生 論集 に寄 せら れた 一文 は︑ 政府 の機 能不 全を 念頭 に﹁ われ われ の前 には

︑わ れわ れの 内的 生命 の悲 劇的

$

な不 足が 立ち はだ かっ てい て︑ 国の 自由 な発 展を 妨げ

︑同 時に その 国防 を麻 痺さ せる こと にな って いる

﹂と 述べ てい る︒ そこ に示 され たの は︑ 革命 的プ ロパ ガン ダと 愛国 精神 に基 づく 政府 批判 の混 在し た複 雑な 精神 状況 であ り︑ ある

第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

五 二

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いは 市民 的愛 国主 義と 政府 批判 との 複雑 な相 互作 用で あっ た︒ 救援

と動 員 愛 国主 義的 心情 に彩 られ た学 生た ちが いち 早く 取り 組 ん だの が

︑大 学 教授 た ち の 場合 と 同 様に 傷 病 兵支 援 で あ り︑ ある いは 戦線 後退 とと もに 両首 都や 内地 諸都 市に 多数 流入 した 難民 への 救援 活動 であ った

︒学 生独 自の 医療 活動 の展 開に 加え て︑ ゼム スト ヴォ 連合

・都 市連 合な どの 取り 組む 戦 争 被害 者 救 援事 業 の 実 務的 担 い 手と し て 学生 が 参 加 し︑ 連日 列車 で多 数運 び込 まれ る傷 病兵 を駅 で受 け入 れ

︑医 療 機関 に 搬 送す る 業 務 を学 生 が 担っ て い た︒ 娯楽 を 提 供 し︑ 衣服 や包 帯を しつ らえ るの も大 切な 任務 であ った

︒医 学生 以外 の女 子学 生は 看護 師グ ルー プを 結成 した

︒傷 病兵 移送 と保 護的 処遇 の組 織化 を進 めた これ らの 経験 は︑ 国家 やそ の他 の社 会組 織の 行う 救援 事業 にノ ーハ ウを 提供 する もの

!

とな った とも いう

"

概 算で 六百 万人 以上

︑総 人口 の五 パー セン トに も達 して

︑人 口構 成上 の激 変を もた らし た戦 争難 民の 救援 も︑ 学生 たち にと って 重要 な課 題で あっ た︒ サン クト ペテ ルブ ルグ の船 着き 場に 難民 戦災 孤児 のた めの 孤児 院を 設け てそ の世

#

$

話に あた り︑ カザ ンで は難 民を 組織 して 製パ ンそ の他 の職 業訓 練の 場を 提供 する 活動 に取 り組 んで いた

︒グ ルジ ア人 学生 は︑ ロシ ア語 に不 慣れ なグ ルジ ア人 難民 のた めの 通訳 や代 書の 仕事 を引 き受 けた

︒出 身地 域の 新聞 に掲 載し て家 族に 安否 を知 らせ るた めの 名簿 作成 も︑ 学生 たち の仕 事で あっ た︒ 救援 活動 のた めの 街頭 募金 も取 り組 まれ た︒ ワル シャ ワ大 学の 疎開 先で ある ロス トフ で刊 行さ れた

﹃学 生か ら難 民へ

││ 一日 限り の雑 誌│

│﹄ と銘 打っ た論 集の 標題 下に は﹁ 純益 は民 族の 別な く難 民の ため に提 供 さ れる

﹂と 明 記 され て い た が︑ 誌面 で は︑

﹁ 数百 万 の 難民 が ロ シ アに 殺到 して いる とき に︑ 学生 集団 はか れら の悲 しみ の声 に耳 を閉 ざし てい るこ とは でき ない

︒学 生は 難民 に個 人的 な経 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

五 三

(19)

済的 支援 を与 える こと はで きな い︒ だか らこ そ我 々は 語ら ねば なら ない

﹂と 書き

︑救 援の 手を 差し 伸べ るた めの 街頭 活動 を呼 び掛 けて いる

︒こ うし た取 り組 みの 背後 には

︑﹁ 現 代の 学生 集団 とは 何か

﹂﹁ 国力 のす べて が傾 注さ せら れて

!

いる まさ にそ の瞬 間に さえ

︑国 家が 学生 に特 権を 与え てい るの はな ぜか

﹂と の問 いか けも あっ た︒ 一九 世紀 以来 のイ ンテ リゲ ンツ ィア の伝 統に 倣う かの よう な︑ 兵役 を免 れ修 学を 許さ れて いる こと への 負債 感情 と︑ その こと から 導か れる 義務 感が そこ には 表明 され てい る︒ 学 生た ちの

﹁負 い目

﹂の 一因 でも あっ た兵 役に つい ては

︑実 は︑ 開戦 後間 もな い一 九一 四年 九月 三〇 日付 で勅 裁を 得た 大臣 会議 令に よっ て︑ 兵役 規程 に定 めら れた 高等 教育 機関 学生 の兵 役猶 予を 解除 する 権限 が陸 軍大 臣に 与え られ

"

てい た︒ 法的 には

︑学 生召 集の 基盤 は早 くに 整え られ てい たの であ る︒ しか しな がら

︑実 際に 入隊 し参 戦し た者 は熱 烈な 意志 を抱 いた 志願 者︵ 推定 では 一九 一 五 年に 一 万 人強 で

︑学 生 総 数の 一

〇% 程 度︶ と︑

﹁革 命 的 気分 を 有 し た学

#

生の 粛清

﹂を 目的 とし たボ リシ ェヴ ィキ 系学 生へ の懲 罰的 適用 に限 定さ れ︑ 多く は引 き続 き兵 役猶 予特 権を 維持 され てい た︒ 即時 召集 に躊 躇す る理 由と して 陸相 ポリ ヴァ ノフ があ げた のは

︑予 備役 将校 養成 シス テム の不 備の ため に志

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願者 への 対応 で手 一杯 であ った こと と﹁ 望ま しか らぬ 住民 の不 満﹂ であ った

︒ と はい え戦 況悪 化の もと での 将校 の喪 失は

︑大 学生 の召 集を 議事 日程 に載 せず には おか なか った

︒一 九一 五年 九月 一五 日に 開催 され た政 府の 会議 で︑ 陸軍 側が 将校 の損 失を 理由 に学 生の 軍事 動員 を提 起し

︑若 年・ 下級 学年 学生 の召 集を 進め る方 向性 が確 認さ れた

︒大 学整 備政 策を 推進 中の イグ ナー チェ フ教 育相 は︑ 大学 の機 能中 断を 危惧 する とと

%

も に︑ 戦後 復 興 のた め の 有資 格 人 員 確保 も 視 野に

︑動 員 は 緊急 時 に 限 定さ れ る べき だ と の 意見 を 述 べ て い た

︒そ の 後︑ 実際 の立 法化 によ り学 生動 員が 決め られ るの には

︑さ らに 数ヶ 月を 要し た︒ 翌年 二月 一三 日に 勅裁 を得 た大 臣会 議令 によ って

︑兵 役猶 予中 の高 等教 育機 関学 生を 若年 者か ら順 次召 集し て︑ 現役 配備 ない し将 校候 補者 とし ての 養成

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に付 すこ とが 定め られ ると とも に︑ 免除 者と して 最高 学年

︑貴 族の 特権 的文 官養 成校

︑医 学・ 獣医 学等 の学 生が 規定 され た︒ あわ せて

︑退 役後 の予 備役 編入 と復 学に つい ての 手続 も定 めら れた

︒三 月一 五日 から 六月 一五 日ま での 六回

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にわ たる 実際 の召 集者 選考 は︑ 志願 とあ わせ て抽 籤で 行う こと とな った

︒抽 籤は 学生 集会 の場 で行 われ たが

︑モ スク ワ商 業学 校の 場合 にそ うで あっ たよ うに

︑こ れが 熱狂 的興 奮の 渦の なか で挙 行さ れる 場合 もあ れば

︑反 戦学 生た ちに

"

よる 抗議 の場 に転 じて 中断 させ られ る事 例も あっ た︒ 戦 時期 全体 を通 じて

︑実 際に 入隊 した 学生 数は 分か らな い︒ ペト ログ ラー ド大 学で 一九 一五 年一 月か ら翌 年六 月末 まで に軍 に動 員さ れた 学生 数は 二千 名強 とい った 断片 的情 報は いく つか の資 史料 で確 認可 能で ある が︑ 正確 な実 態は

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明ら かで なく

︑学 生総 数の 二割 から 二割 半程 度と いっ た推 定が なさ れて いる にす ぎな い︒ しか し︑ 志願 と召 集が もた らし た損 失は 明ら かで あっ た︒ 経済 的苦 境な どの 要因 にく わえ て学 生出 陣に よっ て学 生数 の大 幅減 少が 生じ たか らで あ る︒ 一九 一 六 年新 学 期 にも は や 学 生の 姿 が 疎ら に な った こ と を 伝え る 雑 誌記 事 は︑ 多 数 の学 生 が

﹁勇 者 と し て の

$

死﹂ を遂 げて いた こと を語 るの であ る︒ 戦時 下で も教 育研 究活 動自 体は 維持 され てい たが

︑政 策的 な発 展の 契機 にも かか わら ず︑ 実際 の機 能低 下は 否定 し難 いも のと なっ てい た︒ 学生

の困 窮と 支援 傷 病兵 や難 民支 援に 奮闘 した 学生 たち は︑ 彼ら 自身 が困 窮の なか に身 をお いた 集団 であ った

︒多 数の 難民 流入 が住 居危 機と 激し い戦 時イ ンフ レー ショ ンを もた らし たか らで ある

︒高 等教 育の 場か ら学 生が 消失 する 原因 でも あっ た経 済的 困窮 は︑ 学生 ジャ ーナ リズ ムが 頻繁 に取 り上 げた テー マで あっ たが

︑戦 前か らし ばし ば取 り組 まれ た学 生ア ンケ ート でも 生活 実態 の解 明が 試み られ てい る︒ その 一つ

︑ペ トロ グラ ード のベ スト ゥー ジェ フ女 子高 等課 程カ ウフ マン 第 一 次 世 界 大 戦 期 ロ シ ア 帝 国 の 大 学 と 学 生

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教授 の統 計学 ゼミ ナー ルが 一九 一五 年十 月末 に取 り組 ん だ 調査 は

︑戦 前 の一 九

〇 九 年に 行 っ た同 種 調 査と の 対 比 で︑ 以前 から 貧困 な住 環境 と粗 食に 耐え なが ら学 業に 励ん でき た女 子学 生た ちが

︑ひ とき わ深 刻な 貧困 に突 き落 とさ れた こと を暴 露し た︒ 悉皆 調査 を目 指し たに もか かわ らず

︑名 目上 の在 学者 六千 名中 のか なり がす でに ペト ログ ラー ドを 離れ るな どし て︑ 回収 数は 二千 名に 留ま った こと

︑ま とも な下 宿を 確保 する こと が著 しく 困難 で︵ 個室 比率 は四 三% から 二六

%に 下落

︶︑ ベ ッド や家 具も なく

﹁道 徳的

﹂に も 危険 な 下 宿に 甘 ん じ なけ れ ば なら な い ばか り か︑ 帰 省 から 戻っ ても 部屋 を見 つけ られ ず︑ 駅の 三等 待合 室で 数日 過ご した り︑ 野宿 を余 儀な くさ せら れた 経験

︑食 料品 価格 高騰 にも かか わら ず乏 しい 収入 では 食費 増が 困難 で︑ 栄養 状態 が深 刻化 して いる こと など が︑ 切々 たる 自由 記述 も伴 いな

!

がら 詳細 で具 体的 な数 値に よっ て明 らか にさ れた

︒そ うし たな か︑ 初等 教員 とし て得 た乏 しい 蓄え をた のみ に入 学し たあ る年 長の 学生 は窮 状を こう 訴え る︒ 頭が 動か ない

︑頭 が働 かな いの です

︒い つも 食べ たい とば かり 思っ てい るか らで す︒ 私た ちの 人生 の光 であ る学 問に 没頭 した いと 思っ て学 校に 入学 しま した

︒で も現 実は

︑情 けな いこ とに パン 一切 れを 得る ため に力 を使 い果

"

たさ ねば なら ない ので す︒ この よう に極 度に 悪化 した 生活 条件 を眼 前に して

︑学 生支 援を 呼び 掛け る声 もあ げら れた

︒新 聞紙 上で のエ ゴー ロフ

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教授 の呼 び掛 け﹁ 若き 学徒 はい かに ある べき か﹂ をは じめ とし て︑ 学生 たち の住 居危 機を 解消 する ため の世 論喚 起や 寄付 活動 が組 織さ れ︑ 国の 未来 を託 すべ き若 き学 徒の ため に巨 額を 寄せ る篤 志家 が登 場し た︒ 各地 の都 市自 治体 によ

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る支 援策 も具 体化 する 一方

︑ロ シア 学生 集団 の伝 統で もあ った 学生 生活 擁護 のた めの 相互 扶助 的な 組織 活動 もさ らな る 活性 化 を 果た し て いる

︒各 教 育 機 関を 単 位 とし た 協 同組 合 組 織 の結 成 と その も と で の学 生 経 済生 活 支 援活 動 が 進

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