太平洋戦争期における韓国女性の経験
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(2) 焦点を当ててきたため、植民時期の全体的な把握と理解は不完全であったといっても 過言ではない。戦時体制下の女性に関しては研究者の注目がほとんどなかったばかり でなく、戦時女性に関する数少ない研究はその対象と観点において偏った傾向があっ た。つまり、植民権力へ協力した女性知識人は反民族的行為をしたものとして、また 強制動員された下層女性は帝国主義の犠牲者としてのみ把握されている。そのため、 これら両極端である二つの女性集団に含まれない大多数女性の生活と意識に関する問 題はあまり研究されなかった。ここで、本研究では、こうした一般女性たちの実際の 生活経験を研究対象にし、植民初期から1930年代中半までは植民支配体制に従順的な 植民地女性を養成することに注目した植民権力が、戦争という大きな政治的変化の過 程では植民地時代のほかのどの時期よりも女性の役割に注目し、それにいわゆる「国 家的な意味」を付与しようとしたことを明らかにした。 また、本研究は、理論的枠組みにおいて、歴史の多様な主体を一つの民族として均質 化する、これまで韓国の歴史叙述において支配的であった民族主義パラダイムを離れ る観点に立っている。つまり、これまでは民族解放問題に優先的な価値が付与された ために、女性解放の欲求や女性個人の問題は正当に評価されなかった。要するに、民 族主義言説(discourse)は民族の範疇内での性、階級、階層など多様な要素を民族とい う単一範疇に統合することによって、民族のみならず女性間に存在する多様な相違を 見逃してきた。よって、ここでは、ジェンダーを分析的カテゴリーとして使い、これ まで男性の経験を民族の経験として叙述してきた植民地時代の歴史のなかに含まれて いなかった女性の経験を記した。さらに、女性の間でも年齢や階級、職業、家族的背 景、ライフステージの差異などによって、それぞれの経験の差別性も明らかにした。 研究方法としては、歴史的文献研究と口述史面接方法の二つの方法を用いた。II, III, IV章ではおのおの母性、家庭性、女性性がどう規定されたのかを分析するために歴史 的文献研究を、V章では女性の実際経験と対応様式を考察するために口述面接方法を 使 用 した 。口 述面 接方法 は 、女 性間 の差 異とと も に女 性た ちが それぞ れ の位 置 (positionality) か ら ど の よ う な 行 為 力 (agency) を も っ て 、 同 調 (conform) と 抵 抗 (resist)、交渉(negotiate)の多様な戦略をとりながらこの時代を生きぬいてきたか、と いうよりダイナミックな観点での接近を可能にする。1920-30年代の女性に関しては 雑誌と新聞の記事、校史などを用いて女性に関する言説を分析した。とくに、言説分 析においては言説生成の主体勢力となる男性知識人と女性、そして植民支配勢力の言. 2.
(3) 説を区分して分析することにより、これら三集団おのおのの位置から彼(女)らの政治 的、社会的利害関心によってどういった過程で母性と家庭性、女性性の意味が構成さ れていたかを明らかにした。戦時体制下の一次資料としては、朝鮮総督府の雑誌と刊 行物、韓国語の新聞(1940年8月廃刊まで)以外に『毎日新報』を主に使った。『毎日 新報』は朝鮮人を対象に総督府の施政を広報し、植民統治に協力させるための説得、 懐柔する役割を果たしたため、日帝末期の総督府による支配政策とイデオロギーの研 究には重要な1次資料である。. II.戦時体制と母性の植民化 A.伝統社会における母性 B.開化期の母性論 C.1920‑30年代における母性に関する多様な論議 1.民族主義と母性の礼賛 2.女性たちの母性に関する論議 ①母性教育論. ②母性自由選択論. ③産児制限論. ④母性保護論. 3.植民統治と母性 D.戦時体制と母性の植民化過程 1.出産への介入 2.「強い女性、強い母性」作り 3.養育への介入 4.家庭教育者としての母親役割とその道具化 ①植民地型母親作り ②母親の組織化 5.軍国主義支持のための母性の動員 ①志願兵募集のための母性の動員 ②「軍国の母」礼賛. 第II章では、戦時体制が女性に求めた役割の一つである母親役割は、具体的にどのよ うな特徴をもち、そうした母性観念はそれ以前の時期とどのような相違点をもって強 調されたのかを考察した。戦時母親役割は、戦争遂行のために出産、養育、家庭教育 および軍国主義支持の四つの側面からその意味が再構成された。まず、出産に関して は、植民地朝鮮人は兵士力と労働力としてみなされたため、朝鮮女性には人口増加の. 3.
(4) ために出産が奨励された。多産奨励の宣伝とキャンペーンは活発に行われたが、母性 保護のための政策は何一つとられなかった。その代わり、朝鮮女性は無知であると批 判しつつ、医師など専門家の知識と権威を利用して妊婦の栄養と衛生に関する知識の 普及に努めたが、その大半は近代的医学知識習得の必要性を掲げた啓蒙的宣伝であっ た。また、戦時の人口増加政策の下で、児童の健康と生存が重要な問題として言及さ れ始めたが、児童の健康向上のため展開された一連の公的行事は実質的効果をあげる より、母親への養育責任を強調するものであった。すなわち、子供を健康に育て上げ るのは母親の国家的使命として定義されたが、公的支援が皆無だった戦時化の窮乏し た生活のなかで子供の死亡と疾病を母親の責任とみなすのは、それこそ帝国主義の母 性に対する「道徳的脅迫」にすぎなかった。さらに、こうした養育への介入と統制に は文化的慣習といえる伝統的養育法を非科学的かつ前近代的なものとさげすむメッセ ージが含まれていた。朝鮮の母親に理想的なものとして提示された養育指針は、日本 の中産階級の基準に合うものであり、気候と風土の違い、生活慣習と経済条件の異な る朝鮮家庭で実践するには非現実的なものであった。子供の養育とともに、家庭教育 に関しても詳細な事項が定められた。その主な目的は、母親たちに家庭で皇国臣民化 教育を担い、戦時の学校教育へ協力するよう求めることにあった。学校は母親たちを 効果的に統合するために母姉会などを組織し母親たちの参加を求め、学校の「教育精 神」の習得や戦時体制への協力を促した。また、青少年の反日行為を予防するために 母親役割の重要性を強調し、子女に対する思想監視を求めた。しかし、こうした母親 役割への期待と求めにもかかわらず、教育当局者たちは基本的に、朝鮮の母親たちに は充分な指導力がないため、「修養」が必要とみていた。戦時母性役割は、子供の命 を惜しまず、戦場に送り出すことを求めることで頂点に達した。戦死軍人の母親を愛 国の母として賞賛し、母性を志願兵募集など直接的な戦争動員のために積極的に活用 した。こうした母性への植民権力の介入と統制、規律化と動員の全過程は、母性を政 治と体制維持の道具として用いるため「植民化」するものであった。母性の植民化は 女性への支配、統合が植民体制の安定に効果的と認識した植民政府にとって、統治に おいての重要なプロジェクトの一つであり、植民主義が女性の妊娠と出産、母子関係 や子女養育法といった日常のもっとも私的な領域にまで介入し、統制する過程であっ た。. 4.
(5) III.戦時体制と家庭生活の戦時化 A.日中戦争以前までの家庭生活に関する論議 1.植民権力の家庭生活への介入 2.伝統的な婦徳と近代的な家庭 3.近代的主婦権への覚醒と要求 B.戦時体制と家庭生活の戦時化 1.主婦役割の国家的動員 2.戦時家庭生活と植民地男性の位置 3.家庭生活と主婦役割の再規定 ①合理的家庭生活への志向 ②太平洋戦争期の「総力戦」と「軍国の家庭」 4.家政学者たちの活動と家庭生活改善の植民地性. 第III章では、戦時における母親の役割とともにその重要性が強調された主婦の役割 に関して探った。戦時期を通して植民権力は主婦たちに家庭生活の緊縮要領を提示し、 時間と物資節約のための家事の能率化、貯蓄と公債購入、消費節約、廃品回収、節米、 冠婚葬祭と衣食住生活の簡素化などを国家的義務として常に求めた。また、女性知識 人と近代教育を受けた主婦たちを集め、主婦としての経験と情報を交換し合う座談会 や講演会なども頻繁に催した。こうした政策には戦時軍需産業への優先に伴う物資や 食料品の不足と物価上昇など、社会経済問題をすべて主婦の覚醒と責任、能力如何に よって解決可能な問題に変える植民権力の意図があった。それにより、植民権力は戦 時になると、家庭運営の全責任を主婦に任せ、家庭生活は国家のためのものであり、 よって主婦役割の国家的重要性を強調し始めたのである。 こうした植民権力の家庭生活への介入にはいくつかの特徴が現れる。まず第一に、 朝鮮の家庭生活は本来無駄な浪費と奢侈が多く、非効率的かつ非科学的であるために、 反省すべきとみなした。第二に、都市中上流層主婦と彼女たちの生活を奢侈とみなし、 批判と改革の主な対象にした。第三に、主婦たちに対し、公的道徳性の守護者として 精神面において家族を導く道徳的指導者の役割を付与した。道徳性とは国家政策に対 する「国民」としての協力を意味する。第四に、主婦たちに地域内での防空訓練や物 資供出、廃品回収、愛国貯金など銃後活動の重要な実践者として植民政策の代行者的. 5.
(6) 役割を担わせた。 さらに、植民権力は女性知識人たちに一般女性を「啓蒙、指導」するようにさせた が、女性知識人たちはこれを社会的発言の機会として活用した。彼女たちが国家的生 活改善提唱に応じたのは、自分たちが1920-30年代に主張した家庭生活改善の方向と 戦時下国家主導の生活改善の内容が一部符合する側面があったからである。とくに、 在朝鮮日本女性の主導で生活改善論議に参加した家政学者たちは、家事の合理化と改 善、近代化と核家族的団欒など近代的家庭生活を持続的に自分たちの主張に取り入れ た。しかしながら、彼女たちの論議は日本の都市中産層の家庭生活にもとづいていた ために、朝鮮固有の家庭文化を前近代的で劣等なものと見下す傾向をもっていた。ま た、女性たちは生活改善がもつ国家的かつ社会的な運動の力を借りて、戦前から望ん でいた男性優越主義とこれによる弊習を改善しようとした。これと並んで、男性の役 割を提示しなかった植民権力と男性知識人たちの論議とは対照的に生活改善における 男性の協力を求めた。. IV.. 戦時体制と女性性の変化 A.日中戦争以前までの女性の容貌変化と女性性の定義 B. 戦時女性性の再定義 1.戦時女性の容貌に対する社会的統制と愛国的女性性 2.植民地男性性と保守的女性性言説の強化 3.戦時新しい女性性の模索 ①国家主義と女性性の結合. ②戦時の新たな流行. ③女性性維持の戦略. 戦時、日常生活に対する統制には女性の服装と容貌に関する規則が含まれていた。 第IV章では、戦時女性の服装と容貌の統制に関する言説と政策を通し、女性性または 女らしさの意味が戦争という社会的条件と軍国主義によりどのように再定義されたの かを考察した。 「総力戦体制」下女性の華美な服や化粧、パーマネントウェーブは個人主義と西洋か ぶれの非国民行為であり、社会的な安定を脅かすものとして批判された。よって、女性 の容貌は個人の貞操や性的品行、ひいては敵国欧米の「堕落した」意識をもっているか いないか、これによって日本国民としてふさわしい意識をもっているかいないかを試す. 6.
(7) 試金石になったのである。 戦争末期、朝鮮女性には日本でのように、モンペ着用が義務化されたが、モンペ普及 の過程においては日本と朝鮮に著しい差異があった。つまり、日本では女性の戦時活動 への参加のため服の機能と合理性を高める論議が展開され、女性知識人たちはそこに参 加する機会を与えられた。しかし、朝鮮では、こうした論議の過程が与えられず、日本 の伝統服であるモンペが朝鮮の文化的条件に合わせて改良されることもなくそのまま導 入、強要されたのである。 非常時の国家に奉仕すべきであるという国家主義的思考をもった女性知識人たちは、 モンペに対しても銃後活動に適した活動的な服として受け入れる立場をとった。しか し、モンペが美的でないことに不満をもち、規定に違反していろいろなスタイルのモ ンペを着る女性たちもいた。これは農村女性の作業服であるモンペを都市の女学生や 新女性、知識人女性に強要する全体主義的画一性に対する女性たちの消極的抵抗とい える。軍国主義によって強制された要求にも自分たちのアイデンティティーの一部を なす女性としてのアイデンティティーを失いたくない女性たちは「女性性の感性を維 持」しようとした。これは女性としての主体的対応であり、ひいては支配的男性性に 対する挑戦としてもみることができる。また、モンペに対する抵抗として、韓服に固 執しようとする傾向も現れた。その理由は、モンペが日本の衣服であるからではなく、 「女らしい服」でないと思われたからであった。つまり、女性たちはモンペが活動性 を強調した服であるために、「東洋人としての女らしさ」を損なうと感じたのである。 皮肉にも、日本は西洋に対抗して日本的アイデンティティーを生かすためにモンペを 採用したが、モンペが日本の伝統服であるという経験や認識のなかった朝鮮女性はモ ンペが活動性のみを重視したために、東洋女性としての女らしさを損なうと考えたの である。このように、植民権力と女性がおのおの違った政治的、社会的理解関心と目 的により異なった女性性の意味と概念を構成することから、女性性の本質が固定的な ものでなく、歴史的に偶発的かつ競合されるものであることをみいだした。. V.. 戦争と女性の経験 A. 戦争と女性の経験に関する口述史研究 1. 研究目的 2. 面接過程. 7.
(8) 3. 記憶と口述の多様性 4. 口述を通した植民地時代女性の生活史事例 B. 戦争と母性の役割 1. 出産の経験 2. 養育の経験 3. 家庭教育者としての母親の経験 C.戦争と家庭生活 1. 銃後活動 2. 戦時の家庭生活 D.戦争と女性性の変化 1. 伝統服と洋服、そして家父長制女性規範 2. 戦時女性の服装統制と女性性維持の戦略 3. 民族的アイデンティティーと女性性の植民地性. 第V章は、1910年から1930年の間に生まれ、植民地時代を経験した17名の女性を 対象に行なった口述史面接からなっている。II, III, VI章で探った戦時植民権力の母性 や家庭生活、女性の容貌などへの介入と統制に対し、女性たちがそれらをどのように 認識し、またどのように対応(同調、抵抗、あるいは交渉)したか、といった側面を 分析した。 面接した女性たちの戦時体験は、教育と階級、年齢、職業、家族的背景といった社 会的変数のみならず、解放後の人生の展開様相などによってもそれぞれ異なる様式で 認識され、記憶されていた。植民支配の下で女性たちは、既存研究の視点のように、 強制的な戦時体制に順応した無気力な犠牲者であったり、あるいは民族的理念のため に個人としての生き方を犠牲にしただけではない。女性たちは自らが置かれた生活条 件のなかで多様な交渉を通して、それぞれ異なる選択と適応戦略を展開した。こうし た過程のなかで、植民体制のみならず、伝統的儒教慣習や規範も女性たちの行動と思 考を統制する勢力として作用した。. VI. 結論 A. 論議の要約. 8.
(9) 1.戦時体制と母性の植民化 2. 戦時下家庭生活と主婦役割の植民地性 3. 戦争と女性性の再定義 B. 理論的含意. 最後に第VI章では、本研究で議論されたことを簡略にまとめ、さらにそれらの論議 がもつ理論的含意を述べた。ここでは、植民地時代末期の女性研究がもつ理論的意義 について述べたい。 日帝の女性に関する観念と政策は、解放後韓国で政治家、行政家、知識人によって 多くの部分が模倣、踏襲され、また再構成された。具体的に母性と生活改善、衣服に 対する統制においてもそうした模倣と踏襲がみられる。母性に関しては、解放後から1 950年代末まで韓国政府は多産奨励政策を持続した。一般人には出産抑制の欲求があ ったが、国家は出産調節器具の国内生産や輸入を禁じた。優良児選抜大会や母の日の 行事も続けられ、多産女性が「大韓の母」として表彰された。何より国家は女性の出 産を国家目的のための人口統制手段として認識しており、こうした観念にもとづいて1 960年代以降は国家経済発展のために出産を抑制する「家族計画事業」へと政策を転換 するようになった。 生活改善も解放以降、米軍政期(1945‑48年)と朝鮮戦争期(1950‑53年)の女性政策に おいて持続された重要問題の一つであった。米軍政期に女性担当組織として設立され た「婦女局」の主な活動は、講習会開催といった啓蒙事業であり、政府樹立後には 「生活改善課」が新設され衣食住生活の合理化を指導した。こうした家庭生活改善事 業の内容と女性の動員様式、政策立案と行政に参加した担当主体において日帝末期の それと著しい類似性や一貫性が見受けられる。 戦時下の服装統制も解放とともに消え去ったわけではない。朝鮮戦争中の1951年に は「戦時生活改善法」が公布され、輸入生地や毛皮のマフラーの着用が禁じられ、195 5年には「国民生活倹素化運動」で国産品と色服、筒状スカート着用の奨励、上着の前 結びの廃止、外国産高級品と貴金属禁止、女教師の服装と化粧の規制など、日帝末期 の服装統制の性格と方法が持続された側面が強い。これは、解放後国家再建と近代化 が進むなかで依然として韓国社会で女性の容貌が国家の統制対象として把握されてい たことを意味する。. 9.
(10) 要するに、解放前後のこうした一貫性と類似性は、女性の母親、主婦としての役割 と容貌は帝国主義のみならず、民族主義と家父長主義の道具として使われることを意 味し、近現代韓国社会におけるこうした側面に関するより一層の理解は解放前後を連 続性という観点から考察する際に可能と思われる。 最後に、本研究で行なった女性を対象にした口述史研究は、女性を歴史の主体とす る観点から女性の生活と意識を見直す試みであった。それは、これまで韓国近現代史 のなかで忘れられていた女性たちの人生のさまざまな側面を読み取り、そこから歴史 的経験のジェンダー性(genderedness)をみいだす点で意味があるといえる。この点は 生存者の高齢化が進んでいるという現実的見地からも、研究者たちにより一層関心が 示されるべき問題であることを付け加えておきたい。. 10.
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