蔵 外
文
献
木 版
印刷
に
つ いて
の 一考察
伏 見 英 俊1
は じ め に チベ ッ ト仏教の祖 師たちの著作並びに 関 連 文 献 は、20
世紀に至るまで様々 な形で木版 印 刷 が 試 み ら れ、直接あるい は間接に今日 に伝えられて い る。 この ような 木 版 印 刷 が、祖師の 教え を後世に伝え、 チベ ッ トお よ びその近 隣i諸 国に普及 させるこ と を一つ の目的としてい た こ と は疑 問の余地 が ない 。 中で も、 い くつ か の初期の木版本は、後世のチベ ッ ト人 た ちに よっ て標準的な テ キ ス トとし て参照 されてい た こ とが確認で き(1)、 他の木版本も また同様の 目的で使 用 さ れて い たこ と は想 像に難 くない 。し か も、 木版本を利 用 する こ とに より、筆写 に費やす膨 大な労力を軽減し、筆写に伴 う誤 記 を 防 ぐこ ともで き たこ と を考え合わせ ると、 木版印刷 され たテキス トが後世に与えた影 響は多大 な もの であっ た と言えよう。 ま た、個々 の木 版 印 刷 プロ ジェ ク トに関する記述は 、 後継者たちの 間で の祖 師の著 作の需要、 並 びに当 時の政治的あるい は文化的背景を知る上で、必要不可欠の資料であると考 えら れ る。 チベ ッ ト蔵外文献の木版 印刷につ い て概観 する こ と は、もと よ り容 易 なことでは ない が、 チベ ッ ト文化史に於 ける木 版印刷の重 要 性に鑑み、本研究で は、
David
Jackson
氏 や van derK
呵p 氏 などの 先行研 究を参照 しつ つ 、 筆者が Sa−skya 派 研 究の 一環として 収 集し て きた資 料を基に、 極め て限 られ た 内 容で はあ る が一つ の試 み と して、Sa
−skya 派関連のい くつ かの 木 版 印 刷につ い て考察してい くこ とに したい 。 蔵外文献の木版 印刷は、Derge版 「Sa
−skya 派 全書亅の ように、チベ ッ ト大蔵経の 印刷プロ ジェ ク トと密接な関係にある場合が少なくな い 。 しか し なが ら、蔵 外 文献の木版 印刷は、チベ ッ ト国内に於ける大蔵経の印刷よ り もは る かに早い 時期 (ca.15c.初)にス タート して い た こ と(2)、しか も、 チベ ッ ト大蔵経につ い て は Helmut Eimer 氏を始め とする研 究 者によっ て現在研究が進行中である こ となど か ら(3)、本 研究で はチベ ッ ト大蔵経の 印刷プロ ジェ ク トを考察の対象と して は直接取り上げな か っ た 。2
チベ ッ トに
於
け る初期
の木
版 印 刷 チベ ッ トに於い て、い つ頃 か ら木 版 印 刷 が行われてい た か につ い て は必ずしも 明ら かで は ない が、現在までの ところ、 15世紀の初め以降の こ と で はない か と考え ら れてい る (4) 。 年 代が記録さ れてい る初期の木版本の例と しては、 チベ ッ ト撰述文献で は ない が、 1419年のGuhyasama −
1jatantra
とPradiPoaklyetana
の木版印刷が挙 げられる 。 また、 チベ ッ ト撰 述 文献の木版印刷とし ては、 1426 年の Tsong 一 a−
pa
の sNgag rim chen mo の木版印刷な どが知らNII-Electronic Library Service 一 蔵 外文 献 木版 印欄につ い て の一考 察一 一 れてい る(6)。 近 年の研究に よ れば、 Bu −ston の
r
仏 教史亅も 1468 年に は木版印刷 されて い た と さ れる(7)。 一方、 チベ ッ トで は国内での木版 印刷に先駆 け、 hor par ma すなわちモ ン ゴル に於い て木 版 印刷 さ れ た ものが、一つ の標 準 的 なテ キス トとして使わ れて い た こ と がい くつ かの文 献に よっ て確か め ら れる。 例 えば、
Sa
−skya 寺の高官を務めたLas
−chengZhon
−nu−seng−ge
(fl
. ca.15c.)は、 Sa−skya Papφta (1182
−1251
)の sDom gsum rabdbye
のhor
par ma を用い て註釈書を 著 わ し た と伝 え ら れる(8)。 また、同 じ くSa−skya Pao4itaの Tshtzd ma rigs
gter
の horpar
ma が、 Sa−skya 派の学匠 Go −rams −pa (1429−1489
)とShakya
−mchog −ldan
(1428
−1507
)に よっ て、 そ れ ぞ れの 註釈文献の 中で参照 されて い た(9)
。 van der Kuijp 氏の北京に於 ける調
査 結 果 に よれば、 Tshad ina rigs gter 自註の二 種類の
hor
par ma が現存し、 その 中の一つ は、
1284
年に印刷さ れ た もの で あ るとされる (10) 。 さらに、 他の horpar
ma の 例とし て は、 Guhyagarbhatantraを始め とする28
のNying
−ma 派テキス トが 元朝の仁 宗 皇 帝 (1285
−1320
) の支援を受けて木版 印 刷 さ れ たこ とが 報告さ れてい る (ll)。 木版本が使用される以前のチベ ッ トでは、専ら筆写に よっ てテキス トが 伝 承 されて いた わ けで、そこでは、筆写 に伴 う誤 記 がテ キ ス トを理解する 上 で問題とな ること も決し て少な くなかっ た であろう。 事実、
Chag
Lo
−tsa−ba
Chos
一噌e−dpal
はSa
−skya Pap典a に宛て た書簡の 中 で、自分の手に入れ た sDomgsum
rabdttye
の写本は誤記が多い の で、正 しい写本を 送っ て欲しい と依頼し て お り(12)、 写本の誤記が当時の チベ ッ ト人 た ちに とっ て、深 刻 な 問 題 とな り つ つ あっ たこ とが窺わ れ る。 この ような事情も また、 チベ ッ ト に於 ける木版本の 出版を促 す 要 因となっ た の で はない か と考え られ る。
3
祖 師の木 版 印刷一
15
世紀のSa
−skya古
版一 祖師の著作を木版印刷するこ とは、 祖師の教 えを広めるとい う宗教的意義か ら様々 に試み られて きた と考え ら れるが、 こ こ で は、 Sa−skya 古版を 中心 と し て、 初期の木版印刷につ い て見て行き たい q3)。 庵 響’ ・囓へ
黙
鵬 熾 儺 憲1
鷲嘆
’翠
・型唖
へ
r
戸.懇 瑠
.、. ,馬
燃
゜駟
η導
り
q
噸
ミ
;
KINIj
『
委
ド
鴨
:
孚
珊
懸
N灘
難
靉
繍
靄
繍
ie
「弓 重 艦図一1 Thub pa ’i dgongs gsalの Sa−skya 古 版 (fol.1 verso of NGMPP L60413>
[木 版印刷の施主の名前 が 右端の欄 に 上 か ら下 にパ クパ 文字で印刷 さ れてい る :
(1行目)kun dga’ dbang phyug blo gros (
2
行 目)rgyal mtshandpal
bzang
po_]一52一
一 蔵 外文献木 版 印刷につ いての一考 察一一
図一
1
の サ ン プル は、 15世 紀の 中ご ろ、チベ ッ トの Sa−skya 近 郊Lhun
−grub−dge・’phe1
で進 め ら れ た木 版印刷 プロジェ ク トで印刷さ れ たSa−skyaPao
φtaの 71hub pa ’i dgongsgsat
の一葉であ り、 施主の名前がパ クパ 文字で刻 ま れてい る珍しい木版本である。
この プ ロ ジ ェ ク トで 印 刷 さ れ た木版 本の うち、現在まで の ところ、 Sa−skya Pap φtaの
3
つ の著 作の木版本が存在 する ことが報告され て い る :すな わ ち (1)
Sa
skyalegs
bshad
がPatnaに・(2)sDom
gsum
rabdbye
rbst
Phole
とLangtang に、そ して (3
)T7iub
pa ’i
dgongs
gsalが
Patna
とPhole に現存する(14)。 従 来、Sa
−skya 派研 究には1730 年代に開 版 さ れ たDerge
版 「
Sa
−skya 派 全 書亅が 基 本資料とし て使用さ れ て きた が、 Zhu −chenTshul
−klUims
−rin
−chen(
1700
−1774
)監修に よ る Derge 版は、 必 ず し も批 判 的に テキス トを校訂し たわ けで はな く、写本にある誤 記 を その ま ま採 用 してい っ た疑い がある。 し た が っ て、厳 密 な 文 献 研 究には、
Derge
版 以外の資料を も参照する必要がある(15)。 中で も、Sa
−skya 古 版の 3Do 加 8∫跏 祕dbye
と lh”b
pa ’idgongs
gsal
には、一葉の 欠 落 も な く保存さ れ てい た もの があ り、しか も、そ れ らは現 存 す る
Sa
−skyaPapdita
の テキス トの 中で最 も古い 木版本であ る た め、Sa
−skyaP御φtaの文献学的研究に は極めて重要 な資料 と考え られる。
3
,1
Thub
pa
’i
dgongs
gsai
の木 版 印刷
T7iub
pa ’i
dgongs
gsalの木版印刷の経緯につ い て は、木 版 本のコ ロ フ ォ ンが次の ように記述 してい る。
Sa
−skya 古 版Thub
pa ’i
dgongs
gsalは、Kun
−dga
’.
dbang
.phyug
(16)(1418_1462
) が若 く して死 別 した 父Ta
−dben
Gu
−≦rigZhi
−thog−pa
Blo−gres
−rgyal
−mtshan −dpal−bzang−po(17)(1366− 1420)の追善供養のた め に自ら施 主 (sbyin
bdag
)と なっ て、 1439 年 (dongrub
)に木版 印刷さ れ た とい う(18)。 また、 木版印刷プロ ジェ ク トの他の メ ンバ ーにつ い ては、
Blo
−gros−mgon −
po
が木版用の原 本を用意し (yi
ge
’i zhabs tog)、dKon
−mchog −dpal
−bzang
・Nam −’byung ・Sangs
−bzang
の三人が刻字を担 当し、 印刷 用の木 材 (spar shing )は’
Phags
−od によっ て準備さ
れ、 さ らに
Rin
−chen −mam −rgyal が 校 閲 を担当した (zhusdag
)と記録さ れ てい る(19) 。 そ し て、この木版 印刷の施主 Kun −dga’ −dbang−phyug の名前が、 図一1に示 しておい た よ うに木版 本の第一葉に パクパ 文 字で印刷 されて い る。 こ のパ クパ 文字で印刷さ れ た部分は、 多くの 木 版 本に於い て は、信仰の対象と して の祖 師の尊像な どが刻 まれるの が 普 通であ り 、い っ たい何故、 施主の名前が こ の ような形で残され たのかとい うことが 問 題 と なる。 明確な 理由 は不 明で ある が、 Kun −dga’−dbang−
phyug
がSa
−skya 派の’
Khon
一族の gZhi−tog Bla−brang出身
で、
gDan
−sa−pa
を務めていたこと と何ら かの関係がある の か もしれ ない 。NII-Electronic Library Service
一 蔵外 文献 木 版印 刷につ い ての一考 察一 一
3
,2
sDom
gsum
rabdbye
の木版 印刷ノ
機
. _卩・’_回謄.一一 宦一一,4t■ == 喝 」 ¶ ・ r.「 早e 一 遣i 1 −, 一 ,」L I響 ・ 瞳 {郵旗蝿書
蝋甥71
即 四吶
爬 .・幅 嫡 1欝
羈
漸
鬻
ii
靆
i
難
蘇
淵
嬲鵜
・牒
叢
羅
瓣
羈
鏘
幅 解幅 咽 くr”・r}N 瞰図一2 sDem gsum rab
dbye
の Sa−skya 古版 (fo1
.1
verso of NGMPP L604/1)[Bottom margin に刻 字 担 当 者’Jang−pa Nam −’byungの名前が印刷さ れ てい る。]
sDom
gsum
rabdbye
は、木版 本の コ ロ フ t ン に よ れ ば(21)、Blo
−gro
−rgyal−mtShan (22)やNam
・mkha ’−bzang
−po
を 始め とする今は亡きラマ たちの意志 を全うし (dgongs
rdzogs )、Kun
−dga
’−dbang
−phyug(as)と
gZhon
−nu−rgyal−mchog な どの長寿を祈願する た め、木版 印刷され た と あ る。 前 述の ように、 Thubpa’i
dgongs
gsal
の木版印刷は、Sa
−skya 近郊のLhun
−grub・dge
−’phel
で 1439 年に完成 した と考 えら れ る が、∫Do配 85 励
4
うy
ε もまた同じ場所で同じ時期に木版印刷 さ れたの だろ うか。 残念な が らsDom gsum rab
dbye
のコ ロ フ ォ ンに は、印 刷 年 代 も印刷 場 所 も明 記 され てい ない が 、 sDom gsum rab
dbye
の木版印刷が Kun −dga ’−dbang−phyug とgZhon −nu −rgyal −mchog の長寿祈 願 を一つ の目的とし てい たこ とか ら、 両者の存命中に印刷が
完成し たものと考え られる。 木版本の コ ロ フォン に記 され た
gZhon
−nu −rgya1−mchog とい う人物は、
Ngor
寺の第 2世Mus ・chen Soms −dpa
’−chen −po
dKon
−mchog −rgya1 −mtShan (1388
− 1469)と共に
Blo
sbyongbrgya
rtsa を 作 成 した Sems ・dpa’−chen −po gZhon −nu −rgyal−mchog の ことであっ た と思われる(24)。 し か も、 Mus −sras−pa rDo 吻e−rgyal ・mtshan (
1424
− 1498)カま
gZhon
−nu−rgyal−mchog か ら 1442 年に具 足 戒 を受けた とい う記録も残さ れ てい るた め(25)、 gZhon −nu− rgyal −mchog は 1440 年代まで存命で あっ た もの と推 定 さ れる。 した がっ て、 Sa−skya 古版の
sDom
gsum
rab dbye も 77iubpa
’i dgongs gsalとほ ぼ同じ時期に (ca.1440)、Sa
−skya 近 郊で木版印刷 さ れ た と考える の が妥 当であるよ うに思われる。
また、コ ロ フ ォン に は、
Sa
−skya 派の bSod −nams −rgyal−mtshan (os)が sDom gsum rabdbye
の木版 印刷の施主 と な り、
dPa1
−1dan
−bzang
−po
が 木 版の責 任 者 (do
dam
)などを 務め た こ とが 記 録 さ れて い る。 さ らに、 同じコ ロ フ ォ ンに は、 版 木へ の刻字担当者 (spar
brkos
)と し て’Jang
−pa
Nam
−mkha ’一’byung
−gnas
の 名前も記 録 さ れて い る。 彼の名前は、 図一2 に示し て おい た ように、 実は木版本の第
一葉の
bottom
margin にも刻ま れてお り、この 人 物 が 7勉
b
p〆 ∫dgon8s
gsalの コ ロ フ ォ ン に記 録 さ れた 三人の刻字担当者の一人 Nam −’bynug と同一人物であっ た 可能性が
極
めて高い 。 ここ で興 味 深いこ と は、彼の名 前に ’Jang−pa とい う称号がつ い てい る ことである。 若し、こ れ が 「 ’Jang
地方、 すな わ ち現在の 中国雲 南省出身の者、ある 一54一 N工 工一Eleotronio Library一 蔵 外 文献 木版 印刷につ い ての一考 察一一
いは その末裔」であるこ と を 示し てい るの であれ ば、版 木へ の刻 字 担 当 者 が 雲 南省付近か ら
木版技術をもた らした こ とを裏 付 け るこ とになるが、現時点で は こ れ以上の こ と は言 える状 況には ない (27)。
Eimer 氏 によ れば、刻字担当者の名前が
bottom
margin に刻まれ てい るのは、 初期の木 版本の 特色で あるとい う(28)。 例えば、 15 世紀の 木版本と言われる Lam rim 解 説書 sKyes
bu
8sum
gyi
tam
rim
rgyaspa
khrid
du
sbyarba
には、ほ ぼ10
葉ご とに 「以 上 は誰々 が彫 りました」とそ れ ぞ れ の刻字担当者の名前が bottom margin に刻 まれ、 さらにプ リン トコ ロ フ ォ ン
(par byang )に も二人の刻 字 担 当 者の名 前が残 さ れて い る(29)。 一方、
Ehrhard
氏は、宋代の中国文献の木版印刷に関する先行研究を 基に、 版木に残さ れ た刻字担当者の名前に関 連 して、
1)職 人たち が 地位などを 示 す自分たちの名 前 を記 録 することが 許 さ れてい た こと
2)版木へ 刻ま れ た 名 前は、職 人の賃金 計算の 基礎とし て役立っ た こ と
とい う可能性を指摘し てい る(30)。 中 国の木版技術が どの ように してチベ ッ トに伝わっ たか につ い ては、さ らに詳しい 調査 が 必要であるが、少な く と もSa−skya 古版の sl)om
gsum
rabdbye は、 bottom margin に刻 字担当者の名前が刻まれてい るとい う点で 、チベ ッ ト の初期の
木版本の特色を持つ もの と見倣すこ とが で きる であろう。
3
.3
全集の第九巻と し て の出版計画一方、プ リン トコ ロ フ ォン以外に、marginal notation の 中に も重要な記 述 が残さ れてい て、
木版本研 究上有益 な情 報を提供 して くれ る場合が少なくない 。 そこで 、以 下に は marginal notation か ら解釈可能な種々 の情報をまと めて お くこ と に し たい 。 sDom gsum rab
db
γe のSa
−skya 古版の各葉の表の margin に は、 巻数を表わす文字taが記録さ れ てい て、 この巻が全体の中の volume
9
(ta)と して計 画 さ れてい たこと を物 語っ てい る。 しか し、この marginalnotation (ta)が示すように、 実際に他の巻が印刷さ れ た か どうか につ い ては、 現在までの と こ
ろ明 ら かではない。 若 し、他の巻 も印 刷 されて いたとす れば、他の巻に はいっ たい ど んな 著
作が含まれ てい た のだろうか。 そ れ につ い て、 コ ロ フ ォ ン に は、施主
bSod
−nams −rgya 且一mIshan は 「Sa−skya 派 全 書 」の木 版 本 を一つ 一つ 完 成 す るた め に、ま ず 最 初に、 sDom gsum rabdbye
の木 版 を支 援 した と記 録 さ れているの で、この木版印刷プロ ジェ ク トは、 最終的に 「
Sa
−skya派全書亅の出版を意図し てい たの か もし れない (31)。 他の
Sa
−skya 派の祖 師たちの Sa−skya 古 版が見つ か れば、Sa−skya 古版は チベ ッ トに於ける 「Sa
−skya 派 全書]の 最 初の木 版印刷であっ たとい うこ と にな るであろう(32)。
さらに、 sDom
gsum
rabdbye
の Sa−skya 古版の margin に は、 巻数を表わす文字ta 以外に二つ の foHo 番号、す なわち、チベ ッ ト数字で表わさ れ たvo1 . ta全体の通算
folio
番号 (nos .21−
62
)とチベ ッ ト文字で表わ さ れ た sl)o毋 g刪 卿 励 あyεの folio番号 (nos .1−42 )と が刻ま れて い る。 前 述の ように、
Sa
−skya 古 版に はSa
skyalegs
bshad
・sDom gsum rabdbye
・lhub
pa’
i
dgongs
gsalの 三つ の木版本の存在が報告さ れ てい て、 し か もSa
skyalegs
bshad
・Thub
NII-Electronic Library Service
一 蔵 外 文献 木版 印 刷につ い て の一考 察一一一
pa ’
i
dgon8s
gsalは共に sDom gsum rabdbye
同様、 margin に巻 数 を表わす 文 字 taが記 録 され てい る(33)。 した がっ て、これ ら 三つ の著 作は、同一ボ リュ ーム (vol. ta)に収 め られるべき もの として、木 版印刷 計 画が進め ら れ てい た ことが わ か る。
Sa
skyalegs
bshad
の marginには、数字と文 字で
19
まで のfoho
番号 が付さ れて い るの で、 voL taの 最 初の もの は Sa skya legs bshad であっ た と考え られ る(34)。 そ して、εDo
溺 85翩 励4
勿θの vol. ta全 体の通SC
folio
番号 (nos .21−62)か ら判断し て、 sDom gsum rabdbye
が vol. taの 二番目に配置さ れ るべ く印刷さ れ た と考えて 問題ない で あろ う。一
方、Thub
pa
’i dgongsgsal
の margin に は、文字で書か れ た
folio
番号 (nos,1−83
)の みが記され てい て、 vol. ta全体の通SC
folio
番号の欄は空白の ま まになっ てい る の で(35)、
Thttb
pa
’i
d80ngs
gsal
の vol. taに於 ける配 列が明ら かで はない。 この空欄は、T7iub pa
’i
dgongs
gsalの版 木を作成する段階では、 何 らかの事情でvol . ta 全体の通算
fblio
番号が刻字担 当 者に知 ら されて い なかっ た た め、 後で通算 嫗oho 番号を刻 むこ とがで きる ように、 空白のま まに し ておい たの で は ないか と解 釈 す るこ とも可 能か
もし れない 。
3
.4Gong
−dkar
−ba
版Sa
−skya 古 版 以 外のSa
−skya 派関連の 初期の木版本とし ては、Sa
−skya 派の祖師の 著作集 か らなるGong
−dkar
−ba
版の存在が 報 告 さ れてい る。 このGong
−dkar
−ba 版は、Gong
−dkar
。rdo −rje−gdan−pa
Kun
−dga
’−mam −rgyal
(1432−1496)が施主 と なり、1450
年代に印 刷 され た もの である と考え られてい る。 木版 印 刷 プロ ジェ ク トの メン バ ーとし て は、 校閲責任者
dPal
− ’dzin
−bzang
、刻 字 担 当者mGon −po
−dpal
・bZod
−pa−’phel・
Nam
・mkha ’−chos −
kyi
−dbyings
などの名前が個々 の プリン トコ ロ フ ォン に刻 ま れてい る。 現在までの とこ ろ 16の著作
bSod
−nams −rtse−mo(
6
),Grags
−pa
−rgyal
・mtshan (2),Sa
−skyaPap
φta (6
), ’Phags
−pa
(2
)が 木 版印刷 さ れた こ と が確認さ れ、 特に、
Sa
−skya Papdjtaの主要著作の うちmKhas 伽8 とsDom gsum rabdbye
がこの プロ ジェ ク トで印刷さ れ てい る点は注目すべ きで あろ う(36)。
この
Gong
−dkar
−ba
版の重 要 性は、 初 期の木 版 本である とい う事実だけで はな く、 18世紀のDerge 版
rSa
−skya 派全書亅の編集者た ち が、い くつ かのGong
−dkar
−ba
版 を校 合の 資料として参照 してい たこ と からも理解され る (37>。 この ことは、 初期の木版本が標準 的なテキス ト の一つ とし て後世の木版印刷で参照 さ れ たこ とを示 す 極め て重 要 な例である と考えら れ る。
他に、
Shakya
−mchog −1dan (1428−1507)自ら プリン トコ ロ フ ォ ン を執筆したSa
−skyaPa
ita
の
Tsh
‘ui〃ra rigs gterとsDom gsum rabdbye
が、Abhisamayalapm
“ra やP毋 〃地即 vδ航 ’kO
な どの テ キス トと共に彼の ムス タン滞在 中の
1474
年に木版印刷さ れ た と考え ら れ る(38)。 事実、そ れ らの 木版 本の プ リン トコ ロ フ ォンが 「
Shakya
−mchog −ldan全集亅(Thimphu ,24
vols.)の中に収め ら れてお り(39)、 実際に木版 印刷さ れ た と見倣すこ とがで きるが、現在までの と こ ろ、それ らの木版 本の発見は報告さ れてい ない (40)。
一56・
一 蔵 外 文 献木 版 印刷につ い ての一考
Pt
4
他のSa
−skya 派 関 連の木 版 本Sa−skya 派の祖 師 た ちの著作は、 筆写に よ る伝承に加え、
Sa
−skya 古版 ・Gong −dkar−ba 版などの初期の木版印刷本を通 じて後 世 に伝 え られ、18世紀の Derge 版 「Sa−skya 派 全書」の出 現
に よっ て集大成され たもの と考え られる。
一方
、 Sa−skya 派の註釈家たちの著作もま た、 様々
な経緯で木版印刷さ れて今日に伝えられてい る。 以下 で は、 蔵外文献の木 版印刷 史 を考える 上で重要と思わ れる もの の 中か ら、
Sh
巨kya−mchog −ldan (1428
−1507
)とGlo
−bo
mKhan −chen(
1456
−1532
)の著作の木 版印刷 とDerge 版 「Sa
。skya 派全書」につ い て触れてお き たい 。4
.1Shakya
−mchog −ldan
(1428
−1507
)の著 作の木 版印刷こ こで は、実 際の木 版 本 とし て で はない が、 現在に伝わる複 製 本の コ ロ フ ォ ンか ら木版本
の存在が確か め られる例を見て お きたい 。 15世紀の
Sa
−skya 派の註釈家 Shalrya−mchog −ldan
の主要著作の い くつ かは様々 な機会に木版印刷さ れ、 木版本 その もの、あるい はそ の写本が
Thimphu
か ら複製本として出 版 さ れ た 「Shal
[ya
−mchog −ldan
全集」所収の テ キス トの原 本 と して採 用 さ れてい ること が、 個々の テ キス トの プ リン トコ ロ フ ォ ンか ら確か め られ る。 例え ば、
1
)dBu
ma mam p… 8・卿 ’i・加呶 わ砌 9 厩 ・4
伽 9伽 9・rig
・μ ’噸 ・塀 伽 (41}2
)Tshad ma rigsp
〆 ’8
’ε 厂8yごrnam parbshadpa
sdebd
醐 ngag gi rol n砿誼o(42)3
)sDo 〃ψ α8踟 n gyi raわ魏4
わツ召わ〆i
bstan
bcos
’わelgta
〃t rnampar
nges palegs
bshad
gser gyi,加r配 α(43>
などの 主要 著 作は、木 版 印 刷 時の コ ロ フ ォ ン を含んで お り、木版本と して流布 し てい たこ
とが わか る。 1)と2)は、中観お よ び論 理学に対する
Shakya
−mchog −ldanの見 解 を 知 る た め に必要不可欠な著作 と考えら れ てい る もの で、 両 者の影 響 は単にSa
−skya 派 内に留まらず、 広 くチベ ッ ト仏 教 全体に及んで い る と言っ て も過言で はない (砌 。 3)の 856r8ア’伽 r
は、sDom gsum rab
dbye
の難処に関するShakya
−mchog −ldanの 108の 質 問 状に対する彼 自身 の解答で あ り、 後世のチベ ッ トに多くの論 争 を巻 き起 こし た論書 とし て知ら れて い る(45)
。
特に、 この
gSer
gyi
thur ma は、ム ス タン王bKra
−shis−mgQn (r. ca.1460−1489)とその 子brfan
−pa
’i
−rgya −mtsho が施主 となっ て、 1483 年ム ス タン で木 版 印 刷 され たことが、 コ ロ フォ
ン と
Shakya
−mchog −ldan
の伝記か ら確か め られ、ム ス タンで の木版印刷を知る 上で貴重な資 料の一つ と考え ら れ る(46)。 上 述の ように、 こ れ ら 三つ の文献はチベ ッ トに於い て重視さ れた 文献であっ たこ とか ら、 著作の重要性並びに著作に対する需要とい っ た事情を反 映 して木
版印刷 され た例 と言えよう。 ま た、 これらの木版本その もの、 あるい はそ れに基づ く写本が
「
Shakya
−mchog −ldan
全集亅所収の テ キス トの原 本として採 用 さ れていたことか ら も、 木版本 が一つ の 標 準 的 なテキス トと して使用 さ れてい た ことが わか る であろう。
NII-Electronic Library Service
一 蔵外 文 献 木版 印刷につ い ての 一考
llF
−一一・一「
Sh
狄ya−mchog −ldan
全 集 」の原 本が ど の ように編纂さ れ て、 どの ように伝え られ て きた か につ い て は、 必ずし も明らかではない 。 「全 集亅の dkar chag に は、30 人の学匠が参画し て 五 ヶ月半をかけて Shakya−mchog −ldanの著作集が写本の形で編纂さ れ た と あ る(47>。 その同じ
dkar
chag には、 Taranatha (1575
− 1635)の長寿祈願が一つ の目的であ
っ た こ と を示唆する
記述 も見られ る が、 詳 細につ い て は更なる検討が必要である (
48)
。
また、
Sa
−skya 派の歴 史 家Dhongthog
RinpOche
(1933−)のrShakya
−mchog −ldan
全集の歴史亅に よれ ば、チベ ッ トで は dGe −lugs派の弾圧 を受けて
Shakya
−mchog −ldan
の著作 を入手する ことが でき な く なっ てい た が、ブータン の Shakya−rin−chen (
1710
−1759
)はgSer
−mdog −canに於い て 自ら願い 出て、
Shakya
−mchog −ldm
の完 全 な 著 作 集の写本 1 セッ トを持ち帰っ た と さ れ る。 そ の著 作 集 が、今 日に至るまで ブータンの
Thub
−bstan
Bya
−rgod−phung
−po
に保管され、Thimphu か ら出版さ れ た 「
Shakya
−mchog −ldan全集亅の原本になっ た とい う(49)。 以 上の』
記述につ い て
Dhongthog
Rinpocheの用い た資料は明 らかではないが、確か にShakya −rin
−chenの著わし た 「ShalCya−mchog −
ldan
伝亅の末 尾に は、100
を超える詳細 なShakya
−mchog −ldan
の 著作リス トが付け加 えら れて い るの で、Shakya
・血 一chen が 複 製 さ れた 「Shakya−mchog −ldan
全 集 」に近い 著作集を参照で きる状態にあっ た こと は事実の ようである(SO)。
一方、
Glo
−bo
mKhan −chen (1456−1532
)の弟子 Kun −dga’−grol
−mchog (1507− 1566)も ま た、「自伝亅の中で
Shakya
−mchog −ldanの著 作 リス トを記録して い る (51}。 しか しなが ら、 こ の リス トは
Shakya
−rin−chen の もの と は異 なっ た 配 列で 、 40 数個の著作を載せ てい る に過ぎ ない 。さ らに、
Sa
−skya 派の Khenpo Appey が’Jam
−dbyangs
mKhyen −
brtse
’i
−dbang
−po (1820− 1892)の綿密 な文献調査 記録な どに基づい て 編纂した 「Sa−skya 派文献ビブリオ グラフ ィ」にも、 Shakya−mchog −
1dan
の著作 リス トが掲 載さ れてい るが、その配 列 ・収 録 数 共 に Kun −dga
’−grol
−mcheg の リス ト に極め て類似 してい る(52)。 Kun −dga’−grol
・mchog に よっ て記録さ れ たShakya−mchog −
1dan
の著作リス トが、 当時実在 し た 著 作 集に基づ い た もの であっ た とすれば、ブータン に伝わっ た セッ トと は別の
Shakya
−mchog −ldanの著作集が存在 した 可能性 が ある (53)。 若し、 そ れ らが存在したとすれば、 Kun −dga’・
grol
−mchog の年代か ら考えて、 ブータ
ンに伝わっ たもの より古い 時代に編纂された著 作 集であっ た か もし れない 。
4
.2
Glo
・bo
mKhan −chen (1456
−1532
)の著 作の木版 印刷次に、版木の所在が確認さ れ る例とし て、
Glo
−bo
mKhan −chen の著 作の木版 印刷 を見て おきたい 。 ム ス タン 王家出身の学 僧
Glo
−bo
・mKhan −chen は、 Go −fams −pa
・
Shakya
−mchog −1dan
と並 び、
Sa
−skya 派仏 教の隆盛に多大な貢献をし たことが 知 られ、Sa
−skyaPapqita
以 降の Sa−skya 派の 教 学を語る 上 で最 も重要な 人物の一人 として数えら れ る。 顕密双方に及ぶ
Glo
−bomKhan −chen の著 作は大小合わ せ て 三百を超え(54)、 特に
Sa
・skya Papqitaの sDomgsum
rabdbye
・Tshad
marigs
gter・Thub
pa ’i
dgongs
gsal・mKhan 知8 な どの主要著作に対する註釈文献は Sa・skya 派研究に必要不可欠の資料と考え られて い る。
Glo
−bo
mKhan −chen の著作集は、 ネパ
ール の
Gelumg
写本と東洋 文 庫 所 蔵 写 本の二種の一58一
一 蔵外 文 献木 版印刷につ い て の一考 察一
存在が 知 られ てい る。
一
方、
Glo
−bo
mKhan −chen の 著作の幾つ か は、 1940 年代に Derge で
木版 印刷 され今日に伝 え ら れる。 他に、 近年 Nepal−Gerrrian
Manuscript
PreservationProject
(
NGMPP
)によっ て撮影さ れ た二つ の sDom gsum rabdbye
註の木 版 本 が存在する。1)sKa 〃dan snying gi mun se’疏αのα η8 π護o 加
[= sKal
ldon
snying gi mun sel].6f
・1
・.NGMPP
Reel
・ ・. L167/
3
,M
鉦gi・i
・ ・ect・ ・8・,2)sDom
pa
gsum
gyi
rab ’udbye
b
〆i
dka
わ〆’81毋5μ r ’勿84 ρα竃励 〃霊o 尹η α1ガ 孟加 8
[=
Zhib
mo ,砌 ’ガ 伽 8].99 fol&NGMPP
Reel
no .L16712
.Margin
in recto:肋α.
この 二 つ の木版本は、その形状か ら同一の木版印刷 プロ ジェ ク トによる もの と思われ、しか
も、両者の marginal notation : kha とga か ら、これ ら二つ は同一の 「全集」の中の第二 ・第三 の作品と して木 版 印 刷 計 画 が 進 め られてい た ことが わか る。 木 版印刷の時と場所につ い て、
コ ロ フ ォ ンの記述か ら は明ら か で はない が、チベ ッ ト各地の木版 印刷施設に残る版木を調
査 し た記録である Three Karchacks によ れ ば、二つ の木版本の葉数と marginal notation に完 全に一致 する版木が Ngor 寺の ブ リン トハ ウ ス (
par
khang )に存在し た こと が記 録 さ れている(s5)。
一方
、 Kaj1−thog Si−tu Chos −
kyi
−rgya −mtsho (1880− 1925)は、 中央 チベ ッ ト巡礼の折、1919年に
Ngor
寺を訪れ、 当時の様子 をr
巡礼記」に記 してい る。 彼の 「巡礼記」に は、残念なが らGlo −bo mKhan −chen の著 作の 版木につ い て の記録は見 当た らない が(56)、
NGMPP
によっ て撮 影さ れ た二つ の木版本は、 Ngor 寺で印刷 さ れ た 可 能 性 が極めて高い もの と考えら れ る。
Glo
−bo
mKhan −chen はSa
−skya Papqitaの sDomgsum rab
dbye
に対 して、少な く と も6 つの註釈文献を著わ し た と考えら れ る。 そのう ち、sKal tdUn snying
gi
mun sel は、彼の他の註釈書’Khntl spong
d80ngs
rgyan と極めて類似の形式を取っ た もの で、 sDom gsum rabdbye
に関 す る
Shakya
−mchog −ldanの 108の質問に よっ て引き起こ された論争の妥当性を論じる こ とを目的とし たもの と考えら れ る (57}。
一方、Z励 〃毋 配 ”加8 は、 Shakya−mchog −ldanの見解を検討する箇所もある が、 全体と
して 5Do 配 8∫配 〃3祕 あ
y8
に於け る難 処の解 説 を 最終目的と した もの で、 sKal ltlan snying gimun sel と は 異 なっ た視点か ら著作さ れ てい る こ とがわか る。
Zhib
mo rnam ’tha8 の中で は、 gzhan stong とrang stong を始め とする多くの テーマ が論じ ら れ て お り、Sa−skya 派の後 継者た
ちの間で は、sl)om gsum rab
dbye
に対 するGlo
−bo mKhan −chen の代表的 な 註釈文献の一つ として位置付 けられ てい た と考 えられる(58)。 特に、
Sa
−skya 派の註釈家 Ngag −dbang −chos −grags
(1572− 1641)が 、
S
圃kya−mchog −ldan
の空性理解につ い て は Glo −bo
mKhan −chen の Zhib mo mam ’thag を参照すべ きである と指摘して い る点は、この註釈書の一つ の特徴を物語っ て いるもの と言えよう(59)。
NII-Electronic Library Service
一 蔵 外 文献 木版 印刷につ い て の一考 察一一
4
.3Derge
版 『Sa
・skya 派全 書』 (1730
年 代 )Sa
−skya 派の五祖師 (sa skyagong
ma lnga)すな わ ちKun −dga’−snying −po
’ bSOd −nams .rtse−mo ・
Grags
−pa
−rgyal−mtshan ・Sa
−skyaP
叩φta・’Phags
−pa
の著作集か ら成る Derge 版 「Sa・skya派全書」は、
Derge
王bsTan
−pa
−tshe−dn が施主と なっ て、 Zhu 。chen Tshul−khrims
−rin
−chen を始 め とする編纂者たちに よっ て1730
年代に木版印刷さ れ た もの で あっ た。 前述の ように、 厳密な文献研究のた めには、
Derge
版 「Sa
−skya 派全書亅所収の テ キ ス トにも訂正すべ き箇所が少なくない が、 チベ ッ トに於ける
Derge
版の権 威は、 長い間、 Sa−skya 派の標準テ キ ス トとして使わ れ てきた ことか ら も理解さ れる。
実際の編纂作 業につ い て は、Zhu −chen Tshul−khrims−rin−chen の 「自伝 」お よ び
Derge
版「Sa−skya 派全書」の
dkar
chag か ら知 ることがで き、その 規模と技術力は、以前の 木版本をはるかに超 え る ものであっ た。 Derge 版 「
Sa
−skya 派全書」につ い て、蔵外文献の 木版 印 刷 史 を考える 上で特筆すべ きこと は、1)木版本の 原本作成の た め 八種の 「著作集 (写本)」を参照 し てい ること(OO}。
2
)他に、Gong
−dkar−ba 版の木版本を参照してい る こと(61)。3
)Ngor
寺第4
世Kun
−dga
’−dbang
−phyug
(1424−・1478)が Khams 地方か ら取り寄せ た稀覯本 (Sa−skya Papqitaのモ ン ゴルへ の随 行 者
Bi
−ji
Rin
−chen−grags
に よ る 三つ の 問答の記録)を収 録 して い る こ と(62)。 4)綴 り字の統一化が試み られてい るこ と(63}。 などの組織 的な編纂作業が挙げ られる であろう。
5
稀観 本の木 版 印
刷
今日 に至るまで チベ ッ トで は、数多くのチベ ッ ト人に よっ て、哲学書 ・歴史書を始め とす る 種々 の著 作が著わ さ れ てきた。 中でも11
〜14
世紀の仏 教 文献は、後 世のチベ ッ ト仏 教に 多大な影響を与え たこ とが 知ら れて い る(64)。 し か し な が ら、 そ れ らの文献の中には 時 が 経 つ につ れて、 その経緯は定かでは ない が、後世のチベ ッ ト人たち が 直 接 披 見 する こ とので きな く なっ て しまっ た著作も現 われ た。 例 え ば、Sa−skya Papqitaは主 要 著 作の 中で仏 教の学 説
分類の詳細につ い て は、彼 自身の Grub mtha ’ mam ’
byed
を参照すべ きこと を繰 り返 し述べてい るが(65)、
Sa
−skya Pap4itaの (}ntb mtha ’は彼の没後早い 時期に失われて しまっ た もの と考えら れ、 彼の学説分類につ い て の詳 細は不 明の ま ま今日に至っ てい る
(66)
。 事実、 Glo −bO
mKhan −chen は Tshad ma rigs gterの註釈の中で、
Sa
−skyaPapdita
のGrub
mtha ’ は 彼の時 代 に は既に失われ て使用で きる状 態に はな かっ たこ とを記 述 してい る 。 一方、チベ ッ トで は、 後世の チペ ッ ト人 た ち が 実 際に稀 覯 本 探 索を行っ た こと も伝えら れ(69)、さ らに19
〜20
世 紀に は、当時披見 する ことが困難に な りつ つ あっ た稀覯本の木 版 印 刷が試み ら れてい る。 そこで、最 後に、後 世の木 版印刷の 一例とし て稀覯本の木版 印刷 を取 一60一 N工 工一Eleotronlo Llbrary一 蔵 外 文献 木版 印刷につ い ての一考察一 一
り上 げ、Ris med 運動の一環として の木版印刷と
dGe
−lugs派僧を中 心と した プm ジェ ク ト につ い て見てお くこ とに したい 。
5
.1
Ris
med 運 動 との関 わりRis
med 運動の 一環とし て、 Derge あるい はその 近 郊で 8Dα〃 ∬ π8α8
破 04 や Rin chengter mdzod を始め とす る多くの木 版 印 刷 が行われ た ことが知ら れて い る。
Blo
−gter−dbang
−po(1847−
1914
)による’Jam
−dbyangs
mKhyen −bltse’i−dbang−
po
(1820
−1892)の 「伝記」に は、’Jam −
dbyangs
mKhyen −brtse
’i−dbang
−po
を 中 心 と し た稀覯本の木版印刷プロ ジェ ク トが記述さ れ てい る(69)。 そ れによ れ ば、 こ の プ n ジェ ク トで は、次の ような
12
〜15
世紀の重要 な 著 作 が 木版印刷 さ れてい たことが わ かる。
● rMa −bya (ca.12c.)の 「中 論 註亅 ● ’
U
−yug−pa (ca .12c
厂13c
.)の 『痔伽 4順 πガ初 註 亅
. mChims ’Jam .pa’i.dbyangs (ca.13c.)の 「倶舎論大註亅 . Red −mda ’−
ba
(1349
−1412
)のr
入 中論註亅●
Rong
・ston (1367
−1449
)の 「現観荘厳論註 亅 とr
宝 性 論 註」しか し なが ら、個々 の テキス トの コ ロ フ ォ ン には、 実際
’J
一dbyangs mKhyen −
brtse
’i
−dbang
・μ)では な く他の メ ン バ ーが木版 印刷の担 当者と し て記録さ れ て お り、 これ らの 木 版印刷 は、’Jam −dbyangs mKhyen −
brtse
’i
−dbang
−poの立案に よ るもの であっ た と言 うのが 正 しい のか もし れない 。 特に、 この印刷プロ ジェ ク トで は、12
〜15
世紀の重要な著作が木版 印刷 されてい たこと か ら、
Ris
med 運動の目指してい た一つ の方向性が理解さ れる。5
.2
dGe
−lugs
派 僧 を中心 としたプロ ジェ ク トー 版木校正 の痕跡一次に、
20
世紀に於けるdGe −lugs派僧を 中心とした プロ ジェ ク トの 中 か ら、 rNgog Blo −ldan−shes −rab (1059− 1109)の 「宝 性 論 註」の木版印刷の場合を見てお きたい 。 Jackson氏の研究に よれ ば、この木版本は 1916 年か ら1918 年にかけて、Klu−’bum
dGe
−bshes
Shes
−rab−rgya−mtsho(1884− 1968)を校 閲 担 当者と して作成 さ れ た もの であると され るが(70)、 今 回、この木版本
を取 り上 げた の は、 rNgog の 「宝 性 論 註 」の木 版 本 が、チベ ッ トの木版印刷プロ ジェ ク ト に
於い て、 どの ように版 木の校 正 作業が行われ てい た かを 理解する た めの好材 料 を提供 してい
る と考え られるか らであっ た。
図一3の テ キス トは、 Dwags −po
Rin
−po−che の プラ イベ ートコ レ ク ショ ン所 収の木 版 本 を複製 しDharamsara か ら 出 版 さ れ た もの であ り、 手書きに よ る多 くの訂正箇 所 が 含 ま れてい る。
こ の 出版 本の原本は、 実は、 校正前の版木か ら印刷 さ れ たテキス トに、 校閲者に よっ て校正
箇所が記入さ れ たものである とされ る。 そ れに対し図一4 の テキス トは、 多田等観氏が請来し た もの で 、校正後の 版木か ら印刷さ れ たもの と考えら れる。
NII-Electronic Library Service 一 蔵 外 文 献 木 版印刷につい て の一考察一一 鰍 貸刷 q
碗
鵡
靉
謹
懿
覊
韆
刪聴
雨
押
r
飜
阻嗣
翻
怖
噛
薗
撫
輝
r
岬
气陬
珊
哩
鰌
煦 研へ
噸
弸
飆徳
糊
灘
饗
. 、 ギ 〜 博礁
畿
羅
鄭
悩
.顕
、
讐 図一3 校 正 前の版木か ら の印刷 :出版 本 (Dharamsara,1993>,fol,38b (p,76) [Dwags −po Rin−po−che の プ ラ イベ ートコ レ ク シヲン か ら の複 製 ] L” v . _℃u7b 昌‘鹽 9 .r STT :t−,” ”−L ・ _一, .z −r. rr 雫,−r,一 , 噛 甲一、 蹲 髄 一 .丶・, 鹽 噛 黒 熟 ・i
灘
‘ ’繍
黥
蒙
懿
・ q : v ム も c嫌
榊
嬲
羃
…
轟
・・聖1・ゴマ腎: ・ぞ’・f・’:・’・一.「・・、 ・ 図。4 校 正 後の版 木か らの 印刷 :東 北 大学所 蔵本 (東北蔵外 No .6798),fo1,38b [多田等観 氏請 来 本ユDwags −po R 一
po
−che のプライベ ートコ レ ク シ ョ ン として伝わる テ キス ト に残された訂正内 容 が、 どの ように実 際の校正作業に反映さ れ た か につ い て は必ずしも明ら かではない が、
図一
3
と 図一4
の2
行目 を比 較 す ると、Dwags
−po
Rin−po
−che 所蔵本に残さ れ た訂正箇所を 基に校 正作業が行われ た可能性は否定で き ない (71)。 少な く と も、これ らの 「宝 性 論 註 亅の木 版
本は、 チベ ッ トの木版印刷 プロ ジェ ク トに於い て、 版木の校正作業が どの ように行わ れてい た かを理解する上で貴重 な資料であ ると言 えよう。 また、rNgog Blo−ldan−shes−rab の 「宝性
論 註」の 木版 印刷の完成が
1918
年の こ とであっ たの で、 多田等観氏は完成後ま も な く、 こ の テキス トを手にし たこ とがわ か る。6
む
す
び 以 上、 簡単では あるが、一つ の試み としてサキャ派 関 連の文献を中心に、 蔵外文献の木版 印 刷につ い て 、印刷 プロ ジェ ク トの概要 ・木版本の後世へ の影 響 とい っ た観 点か ら考 察 し て き た。 一62一 N工 工一Eleotronio Library一 蔵外 文 献木 版印刷 につ い ての 一考 察一
木版本研 究で最 も重 要に して、しか も、最 も難 解 な 作 業の一つ に、 コ ロ フ ォ ン の解析作業 が あ る。 特に、コ ロ フ ォ ンに刻まれ た名前は、 一般に知ら れ た名前と は異 な る場合もあ り、 特定の宗派 ・時代 あるい は地域に関する十 分 な 知 識が ない と、 印刷プロ ジェ ク トの メ ン バ ー を特定するのが極めて難しい と言える。 そこで、 今回試み たような考察 を、多くの研究者が 個々 の 研究分野に基づ く種々 の情報 を持 ち 寄っ て行 なえば、近い 将来 、 チベ ッ トに於ける木 版印刷の 詳 細 が もっ と明 ら かになっ て くるであろう。 参考 文献
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-64-一 蔵外 文 献木版 印刷につ い て の一考察一一
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pp.169−243.
注 記
(1)Fushimi(1999),P.102参照。
(2)Jackson(1990),p.107;Ehrhard (2000),p,11参照。
(3) 例 え ば、Helrnut Eimered., Transmission of the Tibetan(:anon ’ PaperS at a Panel{ofthe 7th Seminar
ofthe lnternational Associationノ’or nbetan Studies, Graz 1995参照。 (4) 注 (2)参照。
(5)Iackson (1990),p.107参照。 (6)JackSon(1989b),pp.2−5参照。 (7)Ehrhard(2000>,p.12参 照。
(
8
)Ngag−dbang−chos−grags, Pod chen dntg gi ’bel gtam, p.258.2−3. Kun −dga’−grol−mchog は 『自伝 』(Z舵πρ4 88”’_,p.361.2−3)の 中でgZhon−nu・scng −gc の註釈をsDom gsum rab dbyeの 「四つ
の権 威 ある偉 大 な註釈 書」(tShad thub ’grcl chen bzhi)の一つ として記 録 してい る。 ま た、 同じく
Kun −dga’−gm1−mchog によ れ ば、 gZhon・nu−seng−ge はNgor−chen Kun −
dga
’−bza
一po (1389− 1456)の弟と され、gZhon−nu−seng−geの註 釈は、 Ngor−chen の三度 目の ム ス タン訪 問の折 (ca.1447)、
Ngor−chen がrNam −rgyal −chos −sde で の使 用 を推奨した権 威あ る文 献の 中の一つ であった とい う。
Kun −dga’−grol−mchog , Pap4ita chen po shadya _, pp. l lO.7−118.1;Jackson(1983b),p,15参照。 (9)JackSon(1983a),p.22, n.17;do.(1987>,p.73;van dピr Kuijp (1983 >,pp.18−19;do.(1993a),p,
284;Onoda (1992),pp,80−81参 照。
(10)van
der
Kuijp(1993a),pp. 279−283参 照。 ま た、 van der Kuijp(1993b>,p.150, n.4
によれ ば、2つ の hor par ma の うちの一方は、1284年の木 版 本の部 分 的 な リ プリ ン トである か もし れない と
さ れ る。
(11)Pema Tse血g (1978), p.538
;
Dudjom
Rinpoche (1991 ), vol,1,p.669;Ehτhard(1997), pp.262−263,n.23参 照。
(12)Sa−skya Pap典a, Chag lo ’i zhu ba, P.4082 .4−6.・Jackson(1987)
,P.71参照。
(13)本 稿で は、
Sa
−skya に於け る後世の木版本と区別して、特に 「Sa−skya 古版 」と呼ぶ ことにし た。後 世の Sa−skya 版につ い ては、例 え ば7厩 8」肱κ伽 融, pp.216.5−217.
2
参照。(14)現 在 までの情 報を 総 合 すると、そ れ ぞ れの テキス トは 以下 の場所に存在 する ことが確認 さ れ て
い る。
[Sa skya legs bshad]
(a) Bihar Res’earch Society, Patna;Jackson(1983a),pb.6−7;No.970 in Jackson (1989a )参照。
[sl )o規 gsu〃1 rab あγε]
(a)Langtang(NGMPP L13/6):Fushimi(1999),pp.96−97参照。