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2017
年
共同宣教司牧ブロック大会
大塚喜直司教は 2002 年よりブロック 訪問を実施されてきました。 昨 年 ま で は、 司 教 が ブ ロ ッ ク を 訪 問 し て、主日ミサを司式し、司教年頭書簡にあ わせた司教講話や分かち合いが行なわれる というものでしたが、今年からは各ブロッ ク が 主 体 的 に 実 施 す る「 共 同 宣 教 司 牧 ブ ロック大会」に司教を招待するという形に なっています。 すでに、山城、滋賀、洛北、京丹、奈良 の 5 つのブロック大会が行われました。ブ ロ ッ ク 長 期 計 画 に 基 づ い て テ ー マ を 検 討 し、各ブロック独自の工夫を凝らした大会 が 実 施 さ れ て い ま す。 ( 写 真 は 5 月 21日 に 「 ひ こ ね 燦( さ ん ) ぱ れ す 」 で 行 わ れ た 滋 賀ブロック大会でのフィリピン人コミュニ ティの発表の模様です)8
2017
₂頁 ありがとう、バルデス神父様、西村神父様
₄頁 福者ユスト高山右近にならう聖性への道のり
₉頁 こんにちは神父さん(野田 安則神父)
京都教区広報委員会 (編集長 村上透磨) 京都教区本部事務局 京都市中京区 河原町通三条上る TEL 075 ― 211 ― 3025 FAX 075 ― 211 ― 3041 [email protected] 点訳版「京都教区時報」〈無料〉 ご希望の方は点訳ネット「レジ ナ」代表嶽崎(たけざき)裕子さ んまでお申込みください。 TEL・FAX 079 ― 431―8601ありがとう、 アントニオ ・ バルデス神父様、 西村ブライス神父様 この春、京都教区で長年にわたってご 活 躍 さ れ た 2 人 の 司 祭 が 帰 国 さ れ ま し た。 ア ン ト ニ オ・ バ ル デ ス 神 父 様( グ ア ダ ル ペ 宣 教 会 ) と 西 村 ブ ラ イ ス 神 父 様( メ リ ノ ー ル 宣 教 会 ) の お 二 人 で す。 2017 年 5 月 1 日、まずバルデス神父 様を桑名教会に訪ねて、お話をうかがい ました。 桑名の聖地にて 5 月 1 日、近鉄桑名駅で降りて、観光 案内所で教えられたとおりに国道を少し 歩くと、神社の鳥居の向こうに桑名教会 が見えました。 「教会のすぐ前が神社で、 立正佼成会の教会と、 2 つのお寺もあり ます。この辺りは聖地です。お互い仲良 く し て い ま す。 」 バ ル デ ス 神 父 様 は そ ん なことをお話しになりながら、庭や聖堂 を案内してくださいました。神父様はこ の桑名で 17年間を過ごされたそうです。 闘牛士が夢だった バルデス神父様は 1932 年 6 月 28日 に、メキシコのトラシカラでお生まれに なりました。子どもの頃は野球が大好き で、 将 来 の 夢 は 闘 牛 士 に な る こ と で し た。でも、ミサで侍者をしながら司祭に なりたいと思うようになり、 15歳の時に 教区の神学校に入学しました。その数年 後、メキシコの司教団が宣教師を養成す るための神学校を設立して、国内の各神 学校からの志願者を募りました。こうし て グ ア ダ ル ペ 宣 教 会 が 始 動 し た の で す。 バルデス神学生はこれに志願して、こ の 宣 教 神 学 校 で 学 び、 1 9 5 6 年、 24 歳 で 司 祭 に 叙 階 さ れ ま し た。 2 年 後 の 1958 年、宣教会の創立記念ミサの後 に、突然、仙台への派遣の任命が発表さ れたそうです。とても驚きましたが、こ んなにも早く宣教に行けることがうれし く て な り ま せ ん で し た。 日 本 の イ メ ー ジ と 言 え ば ゼ ロ 戦 と 戦 艦 大 和。 船 で 2 週 間 か け て 横 須 賀 へ、 列 車 で 会 津 若 松 へ。 言 葉 が 全 然 わ か ら な い こ と や、 東 北 の 雪 や 寒 さ が こ た え ま し た が、 すぐに慣れて、今に至るまで、宣教師を やめて帰りたくなったことは一度もあり ません。 決めたのだから、悔いも迷いもなかった 今回のインタビューでは、司祭をやめ たくなったことはないですか? 国に帰 りたくなったことはないですか? とい うような質問を連発したのですが、神父 様 は ま っ た く 自 然 に、 何 の 気 負 い も な く、こんなふうに答えられました。 ……これが私の生き方なのだと決めて いたんです。決めたのだから、つらいこ とも乗り越えられました。自分の人生は こういうものだと覚悟していれば迷いは
ありません。言葉とか生活とか食べ物と かも、初めは戸惑いましたが、自分が置 かれた状況をそのまま受け入れて、ある 物を食べて、ある物で済ませて、すぐに 日本に慣れました。ここでこれをするた め に 私 は 生 き て い る と 思 っ て い た か ら、 やめたくなったことも、帰りたくなった ことも、まったくありません……。 お話を伺っていてこれらのお言葉に微 塵も曇りがないことが明らかで、私は神 学校の倫理神学の授業で習った「根本的 選択・根本的決断」という用語を思い出 しながら感動しました。 東北から亀岡へ 来日以来、ずっと仙台教区内で働いて おられましたが、バルデス師が日本管区 長をされていた 1984 年、田中健一司 教様の要請で、グアダルペ会は京都教区 でも活動することとなりました。 最初に赴任した亀岡教会では、それま でにすっかり身についていた東北弁を皆 さんが受け入れて下さったけれど、それ から 5 年後に、河原町教会を経て、高野 教会に赴任した際には、皆さんから「細 やかで親切なご指摘とご指導」を受けて 話 し 方 が 変 わったという ことを、懐か しそうに話し てくださいま した。 高野教会で 5 年、山科教 会で 7 年、そ して桑名教会 で 17年間。そ の 間、 幼 稚 園 長、 ボ ー イ ス カ ウ ト 担 当、 カリタスジャパン担当、教誨師としての 仕事もされ、それぞれに思い出がありま す。 幼 稚 園 の ク リ ス マ ス 会 で サ ン タ ク ロースに変装すると、子どもたちは本物 のサンタだと信じました。でも、クリス マスでなくても、その容貌からいつもサ ンタさんと呼ばれていたそうです。伏見 の拘置所の教誨師も長期間務め、親しま れていたバルデス師は、しばしば指名を 受けて呼び出され、非常にやりがいを感 じる仕事だったそうです。 主と共にその実りを味わう バルデス師はこの夏、 59年にも及ぶ日 本での長い長い旅を終えて、メキシコに 帰国されます。帰国する前に、長年宣教 活動に関わった会津を訪れる計画がある そ う で す。 来 日 直 後 は、 「 耶 蘇( ヤ ソ )」 と言われて役所で門前払いを受けたこと もあったそうですが、地域に根差した地 道な活動が評価され、 50年経ったころに は町から感謝状がもらえました。会津が 自分のふるさとになっていったことを嬉 しそうに話されていました。メキシコに ご帰国後は、グアダルペ会の本部か、故 郷 ト ラ シ カ ラ の 教 会 で ご 奉 仕 さ れ ま す。 福音宣教の旅は終わりません。 「私はキリストを伝えたい」 最後にバルデス神父様にいくつかの質 問をしました。 Q 好きな聖書の言葉は? A 「私は取るに足りないしもべです。し なければならないことをしただけです。 」 ( ル カ 17・ 10) Q 神 父 様 に と っ て キ リ ス ト教とは何ですか? A 「私は福音を伝 え た い。 キ リ ス ト を 伝 え た い。 」 Q 日 本 の 皆 さ ん に メ ッ セ ー ジ を! A 「 お 世 話 に な り ま し た。 」 神 父 様 は 終 始、 表 情 を変えることなく、派手なリップサービ スもなく、まったく飾り気のない語り方
でした。キリストを伝えるのは雄弁では なくて、キリストを生きている人の存在 そのものなのだと強く感じさせられまし た。 そ し て、 車 で 駅 ま で 送 っ て い た だ き、 車 窓 を 流 れ る 街 の 風 景 を 眺 め な が ら 、「 桑 名 は ど ん な 所 で す か?」 と 聞 く と、 神 父 様 は「 え え、 い い 街 で す ね。 」 と言われました。 59年にも及ぶ日本でのご奉仕に心から 感謝申しあげます。ご帰国後もますます 豊かに主と共に歩まれますことをお祈り 申しあげます。ありがとう、バルデス神 父様! 西村ブライス神父様はすでにご帰国 こ の 2 日 後 の 5 月 3 日、 バ ル デ ス 神 父 様 と 同 じ く、 今 年 の 復 活 祭 を も っ て 京 都 教 区 で の 司 牧 を 引 退 さ れ た 西 村 ブ ラ イ ス 神 父 様( メ リ ノ ー ル宣教会)とお会いするべく名張教会を 訪れましたが、神父様はすでにアメリカ にご帰国されており、インタビューは叶 いませんでした。西村ブライス神父様は 1956 年に来日され、 61年にわたって 日本での福音宣教のためにお働きになり ました。長年におよぶご奉仕に心から感 謝し、ますますのご活躍をお祈り申しあ げます。ありがとう、西村ブライス神父 様! 京都教区広報委員会 担当司祭 菅原友明
福者ユスト高山右近にならう
聖性への道のり
「主こそ、わが光」
あなた方と共に居る 右 近 の 列 福 式 が 盛 大 に 行 わ れ ま し た。 大きな精力と熱意をもって喜び祝われま した。願わくは、それがただ祝典やお祭 り、ただの行事に終わりませんように。 大 切 な こ と は、 右 近 の 霊 性 を 観 想 し、 私 た ち が 現 在( い ま )、 そ の 叫 び か け に 応えて生きることです。 マザーテレサの列聖式が、丁度ローマ 滞在中に行われ、聖ペトロ広場一杯に何 十万人と集っていました。でも、私は聖 ペ ト ロ 広 場 の 祝 典 に 参 加 し ま せ ん で し た。 ( も ち ろ ん、 車 椅 子 で 自 由 に 動 き に くいこともありましたが)マザーは、自 分 が 列 聖 式 を 祝 っ て も ら う こ と で は な く、自分をとらえたキリストの愛の心を 世界の片隅に出かけて、私が出会い続け た「小さなキリスト」に出会いに行って ほ し い と 願 っ て お ら れ る よ う に 思 え て ……。 同じような気持ちで列福式の日を過ご しておりました。私は何もその大きな式 典がどうのこうのと言っているのではあ り ま せ ん。 そ れ は と て も す ば ら し い こ と。でも、その式典がすばらしければす ばらしいほど、それが私たちの精神を変 容させ「回心」させるものでなければな らないと思います。 聖書委員会の今年の聖書講座のテーマ も「聖書で祈る、高山右近にみる福音的 生き方」ですが、それは「高山右近の生 き様を通してキリストの生き様」を観想 することにあります。「 観 想 」 を 頭 で 考 え る こ と だ な ど と 思 わないで下さい。観想とは、神がご自身 を現わされるのを観つめた者が、神を観 つめなおすこと、また神との心と魂を全 身 を 傾 け た 出 会 い を 指 し ま す。 そ し て、 それは信仰告白へとつながるのです。 「 信 仰 告 白 」 と い う 言 葉 も 誤 解 さ れ て い る か も し れ ま せ ん。 「 命 の み こ と ば 」 を通して交わされる神と人との対話、命 をかけた出会いそのものなのです。そこ にはもう神と人との、 神の命の 「交わり」 が 始 ま っ て い る の で す。 「 交 わ り 」 と い う 言 葉 も 気 に か か り ま す。 ラ テ ン 語 で 「 コ ン ム ニ オ = 共 に 一 つ に な る 」 と い う 意味です。そこに表現される「一致」を 意味します。 それを最もよく表すのが、御ミサ、そ の象徴的また頂点と言われる聖体拝領を 「 コ ン ム ニ オ 」 と 言 い ま す。 と こ ろ で 聖 体拝領は、キリストの御体を頂くことで すが、それはイエス・キリストを通して 三位の神と交わることでもあります。ち なみに「主の祈り」も三位一体の祈りで す。 そ こ で 祈 り の 中 心 に な る の は、 父 ( ア ッ パ ) で あ る 神 で、 御 子 イ エ ス・ キ リ ス ト が、 ア ッ パ と 呼 ん で お ら れ ま す。 何 に よ っ て ア ッ パ と 呼 ば れ る か と い え ば、 「 聖 霊 に よ っ て、 聖 霊 と 共 に 」 で す ( マ ル コ 14・ 36、 ロ ー マ 8 ・ 15、 ガ ラ テ ヤ 4 ・ 6 )。 その御父をアッパと呼ぶ関わりに、私 たちも招きいれられて、私たちにアッパ 父 と 祈 り な さ い と、 主 は 教 え て 下 さ り、 私たちを三位一体の交わりの中に招き入 れて下さいます。 右近をはじめ、あの迫害の最中に生き た人々が、なぜ命をかけて御ミサを大切 にし、主の祈りを最も大切な祈りとして 言い伝えたか、分かるような気がするの です。 右近の時代、今のようにみんなが「全 訳聖書」を手に出来たわけではありませ ん。 宣 教 師 た ち は「 ラ テ ン 語 」 の ヴ ル ガータ訳(聖ジェロニモが訳したものだ といわれる)の聖書をもって、特に御ミ サの中で、日本語に訳しながら説教をし たのです。ただ、御受難の箇所は、四福 音書を統合した、かなり自由に物語る日 本語訳もあったようです。ほかにも「キ リ ス ト に 倣 い て 」「 イ グ ナ チ オ の 霊 操 」 「 ロ ザ リ オ の 迫 害 」 な ど を 通 し て も 聖 書 の断片的とはいえ本質に触れていたので す。聖書のみことばが、彼らの見事な信 仰の「証し」となったことは事実です。 右近の列福式を境に、私の聖書の読み 方に一つの見方が加わり始めました。 「右 近だったら今日のミサの朗読をどう聞い たのかな」ということです。このような 読み方は、現在の私たちと、みことばと の対話の中に、一つの視点を加えるので す。これが右近の精神と現代的に読み取 る と い う こ と に な る の か も し れ ま せ ん。 右近を思いながら読んでみます。例え 福者 ユスト高山右近殉教者 列福式ミサ 2017年₂月₇日 大阪城ホール
ば、ヨハネの 6 章。この章全体は、聖体 神学の書とも言えるものです。 6 章は二 つの奇跡で始まります。それは聖体の秘 跡の意味を説明する「しるし」だといわ れ ま す。 と こ ろ で「 パ ン の 秘 跡 」 が こ こ で 語 ら れ る の は 良 く 分 か り ま す。 「 湖 畔 を 歩 く 奇 跡 」 は 聖 体 と ど う 関 わ る の か、よく分かりません。でもそこに「私 である」という言葉に注目すると「私は あ り て 在 る も の 」( ヤ ー ヴ ェ) と い う 言 葉と出会う。これはモーセに告げられた 言 葉 で す( 出 エ ジ プ ト 3 ・ 14)。 ヨ ハ ネ は、 私 が 上 げ ら れ た 時( 十 字 架 で )「 私 はある」 であると知るだろう (ヨハネ 9 ・ 28、 18・ 6 )。 「 嵐 の 海 」 こ れ も 象 徴 的 な 意 味。 海 は サ タ ン の 支 配 す る 領 域( と 世 ) を 表 す。 その湖(世)の真っただ中に小舟が一つ 波にほんろうされています。迫害によっ て今にも沈もうとしている教会です。 その舟に主が近づいて来て「私だ」と いわれる。 迫害の嵐の中で主に出会う。 「私 だ 」 と 言 わ れ る 方 が 立 っ て お ら れ る。 い か な る 時 も「 共 に 生 き 」 仰 ぎ 導 き 守って下さる方(ヤーヴェ)がおられ る。 キ リ ス ト は、 「 ヤ ー ヴ ェ」 と 呼 ば れ な いが。 「エ ン マ ヌ エ ル( 共 に 生 き 仰 ぎ 導 き 守 っ て 下 さ る も の )」 と し て 私 の 前 に 立っておられる。 (マタイ福音書のテーマ) この神は、子供が親を忘れても決して 忘れることの出来ない母以上の愛に満 ちた方である。 (イザヤ 49・ 15) そのような神に気付いた。 そのような神に出会った。 それが、彼の命となった。 右近がこれらの聖書の言葉を語ったと は、現存する資料としてはどこにも見当 た り ま せ ん。 右 近 の 日 本 に お け る 資 料 は、皆無というべきです。それほど江戸 幕府は右近の影響を恐れ、焼却したので す。 でも、その生き様や精神は消えず、私 たちの中に生き始めています。神の言葉 は、生きている力です。 (村上 透磨)
日本教会史講座
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日本教会史講座
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講師
Sr.
小川英子
(ヌヴェール愛徳修道会) 今回の講座では今年 2 月の高山右近列 福式をきっかけに、右近も関わりのあっ た伏見に焦点を当て、伏見に生きたキリ シタンたち、そして現代につながる信仰 の光について話していただきました。 伏見とキリスト教については、直接的 な資料がほとんどなく、京都のような痕 跡 も 残 っ て い な い 中 で、 「 聖 心 の 使 徒 」 誌(昭和 35年 4 月号)に伏見教会のイエ ズス会司祭の 3 人の名前を見つけ、確か に 400 年前に伏見にカトリック教会が あり、ミサや朝夕の祈りが捧げられていたことを知り感動しました。 伏見の古地図 「 豊 公 伏 見 城 ノ 図 」 等 の 古 地 図 を 見 る と、当時、政治の中心であった伏見の城 下町に、キリシタン大名がどのように配 置 さ れ て い た の か 知 る こ と が 出 来 ま す 。 伏見城を中心にこれだけのキリシタン大 名が住み、そして大名の多くの領民がキ リシタンとして信仰を守っていたことは 驚くべきことです。 またこの図には右近の屋敷も記されて い ま す 。 1 5 8 7 年 伴 天 連 追 放 令 に よ り、信仰を選んだ右近は追放され、金沢 の 前 田 利 家 に 預 か り の 身 と な り ま し た が、かなり自由な行動が認められていた ので、しばしば伏見を訪れキリシタンた ちを助け、イエズス会修道院や教会を建 築する援助をしていたと考えられます。 伏見のカトリック教会 「 町 屋 に 囲 ま れ た 地 域 に 高 山 右 近 の 屋 敷 が あ り ま す。 内 部 に 入 れ ば 教 会 堂 だ が、外観は一般民家と少しも変わらない 家 を 建 て て い ま し た 」( 1 6 1 4 年 イ エ ズ ス 会 年 報 )。 1 6 0 4 年 ~ 1 6 1 4 年 まで存在したこの教会の場所が近年明ら かになってきました。高山右近の従兄弟 のマルコ孫兵衛が土地を購入し、日本風 家屋の教会を建てました。孫兵衛は教会 の隣に住み、京都の都に逃れた司祭や信 徒も孫兵衛に会うためと言って日曜日ご とにこの家に集まり、ミサや秘跡にあず かることができました。 1605 年には 900 人の受洗者があり、その後、千人 以上の信徒がいたということです。 しかし 1614 年、伏見でもキリシタ ン禁教令が徹底実施され、キリシタンの 取り締まりが強化されていきました。そ して多くの信徒が牢屋へ入れられ、宇治 川の河原・観月橋付近で殉教しました。 キリシタン時代における一般信徒の宣教活動 司祭の減少にもかかわらず、なぜこの 時代にキリスト教がこれほど伝わったの でしょうか。イエズス会の報告書による と、司祭の不足や政治的な不安定さの中 で、信徒たちがキリスト教を伝えたいと 願い、洗礼の授け方、死者の埋葬式の祈 り、カテキズムなどの教えを学び、それ を 各 地 で 伝 え て い っ た と い う こ と で す。 一般信徒が宣教師たちだけに頼るのでは なく、自分たちで信仰を広めていこうと したことが大きかったのだと思います。 「豊公伏見城ノ図」 高山右近、小西行長、黒田長政、 筒井定次、京極高次、織田有楽斎、 蒲生氏郷等の大名屋敷 「信仰の小道」 月桂冠の敷地内に 残る、教会への通路 「高山右近」と記された イエズス会の教会 (図:月桂冠HPより)
現 代 ( 4 0 0 年 後 ) の 伏 見 に お け る キ リ ス ト 教 お よ そ 4 0 0 年 が 経 ち、 1 9 4 8 年、 学校設立のためにヌヴェール愛徳修道会 が伏見に来たことを機に、 337 年ぶり に伏見に教会が建てられました。そして 1966 年には桃山教会が、昔のイエズ ス 会 の 教 会 か ら 僅 か 3 0 0 m ほ ど の 所 に 建てられました。また伏見では現在、ヌ ヴェール愛徳修道会のほかに小さい姉妹 会が、かつて多くのキリシタンが殉教し た宇治川の観月橋近くに住みながら、地 域で家庭訪問するなどして人々に福音を 伝えています。 400 年前、伏見で信仰 を生きた人達が今も祈って下さっている の を 感 じ ま す。 「 わ た し は、 ひ と え に 神 を愛するためにのみ、キリスト者になっ た の で す。 」 と 迫 害 す る 者 の 前 で キ リ シ タンたちは述べています。現代に生きる わたしたちも、主から宣教を委ねられた ものとして、使命に忠実に生きる者にな りますように。 福音宣教企画室 回勅『ラウダート・シ』 読書会推進企画 お試し読書会 前号に引き続き、回勅『ラウダート・ シ』読書会推進企画についてお伝えしま す。第二弾として 5 月 11日に「お試し読 書会」を行いました。 福音宣教企画室では小教区や小さなグ ル ー プ で 回 勅 『 ラ ウ ダ ー ト ・ シ 』 の 読 書 会 を し て い た だ く こ と を 提 案 し て い ま す 。 そ こ で 『 ラ ウ ダ ー ト ・ シ 』 に つ い て 少 し 学 び な が ら 、 実 際 に グ ル ー プ で 読 書 会 を 行 う 「 お 試 し 読 書 会 」 を 企 画 し ま し た 。 ま ず は『 ラ ウ ダ ー ト・ シ 』 と い う 回 勅 に つ い て の 理 解 を 深 め ま し た 。『 ラ ウ ダート・シ』は単に環境問題についてだ けでなく、それを中心として、さまざま な社会の問題や日常生活について、考察 しています。しかしながら、回勅全体で 環境問題を取り上げたのはこれが初めて で、カトリック教会の中ではとても新し いことなのです。このような理解を入り 口 に 、 タ イ ト ル か ら 見 る こ と が で き る 『 ラ ウ ダ ー ト・ シ 』 の 特 徴 や、 各 章 の 内 容や構成などを中心に、読む際のヒント として確認していきました。 さらに読書会をするにあたっての、や り方やさまざまな方法、参考資料などを 読書会のヒントとして提案し、実際にグ ル ー プ に 分 か れ て 読 書 会 を し て み ま し た。特に教皇フランシスコの思いを強く 感じることができる「序」の中からいく つ か の 文 章 を 読 み、 分 か ち 合 い ま し た。 環境問題に関心のある参加者も多く、自 分たちの生活と自然、環境とのかかわり についての声が多く聞かれ、いつもとは 一 味 違 う 分 か ち 合 い と な り ま し た 。 ま た 、 「 環 境 問 題 」 と、 大 き く と ら え る だ け で なく、自分の生活の身近なところから取 り組んでいきたい、小教区で読書会を始 めてみたいという感想もありました。 当 日 配 布 し た 資 料 ( 回 勅 『 ラ ウ ダ ー ト・シ』について、読書会のヒント)と それを説明した補足資料を福音宣教企画 室のHPに掲載しております。前号掲載 の講演会の記事とともにぜひ参考にして いただき、読書会が行われ、皆で“ラウ ダ ー ト ・ シ ”「 た た え ら れ よ 、 あ な た は 」 と い う 思 い に な る こ と が で き ま す よ う に 。 福音宣教企画室
こんにちは神父さん
2011年司祭叙階後、大阪教区での₁年間、横浜教区で の₃年間を経て、2015年春に京都教区に異動、₁年間、 宮津・舞鶴ブロック(現在の京都北部ブロック)での奉 仕の後、2016年₄月から₁年間カナダで研修し、今年の ₄月帰国しました。復活祭以降、再び京都北部ブロック で奉仕させていただいています。レデンプトール会の舞 鶴修道院に所属していますが、普段の住居は丹後教会宮 津教会堂の司祭館です。 カナダでの研修は、モンテッソーリ教育および子ども の要理教育(CatechesisoftheGoodShepherd)の研 修が中心でした。要理教育については、子ども大人を問 わず、その大切さを再認識しました。これら以外に、神 学の聴講、そして英語の学習など、₁年間でしたが、多 くのことを学ぶことができました。支えていただいた大 勢の皆様に感謝いたします。学んだことを何らかの形で 皆様にお返しできるようにしたいと思います。どうぞよ ろしくお願いいたします。 野田 安則 神父 所属 レデンプトール会 生年 1956年 叙階 2011年₈月のお知らせ
平和旬間行事 京都教区カトリック正義と平和協議会 第10回 戦争と平和写真展 「今」オキナワ・フクシマ・ニッポンは? 日 時:₅日㊏ 17:00〜20:00 ₆日㊐ ₇:30〜15:00 会 場:河原町教会 ヴィリオンホール 入 場:無料 京丹ブロック 平和を作り出すキリストと市民の集い 「ともに暮らす家を大切に」 〜わたしたちの地球の祈り〜 日 時:₆日㊐ 16:00〜18:00 講 師:中川 博道師(カルメル修道会) 場 所:桂教会 TEL.075(381)3286 参加費:無料 諸 団 体 京都カトリック混声合唱団 練 習:₆日㊐ 14:00/26日㊏ ミサ奉仕後 カトリック会館₆階 心のともしび 番組案内 テレビ(衛星スカパー.ケーブル)スカイA 毎週土曜日 朝₇:45 シリーズ「私のキリスト道巡礼記」 出演は橋本 勲師(長崎教区) ラジオ(KBS京都) ㊊〜㊎ 朝₅:55 ㊏ 朝₅:15 ₈月のテーマ「評価する」 ※ 10月号の原稿締切り日は₈月23日㊌です。₁日㊋ 第11回京都教区教職員修養会 (河原町) ₃日㊍-₄日㊎ 比叡山宗教サミット30周年記念 「世界宗教者平和の祈りの集い」 (比叡山延暦寺) ₅日㊏-₇日㊊ 教区中学生広島平和巡礼 11日㊎-14日㊊ 十和田・久慈・大湊・三沢 教会訪問 15日㊋ 20:00 ムン・チャンウ・ピオ司教叙階式 (済州教区) 19日㊏-20日㊐ 神学生志願者合宿 26日㊏ 10:00 教区 教会学校教師 研修会 (河原町) 8 月のスケジュール 8 月のスケジュール 青年センターあんてな 〔青年センターHP〕 携帯からでもご覧いただけます。 http://www.kyoto.catholic.jp/seinen/