日欧社会経済システムの分水嶺 : 価値の多様性と
画一性
著者名(日)
浅野 清
雑誌名
経済論集
巻
35
号
1
ページ
135-171
発行年
2009-12
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002346/
東洋大学「経済論集」 35巻1号 2009年12月
日欧社会経済システムの分水嶺
一価値の多様性と画一性一
浅 野
清
1.はじめに一検討課題と対象 2.検出のためのデータ(1)一「婚外子比率」(正規と非正規) 3.検出のためのデータ(2)一「女性の労働力率」(自立の根拠) 4.検出のためのデータ(3)一「産業部門別就業人口の変化」(個人主義と集団主義)1.はじめに 検討課題と対象
「日本的」システムの崩壊 1980年代「ジャパン・アズ・No」」とまで言われていた「日本的」 システムも、1990年始めより悪化の一途を辿り、雇用状況はついに、3人に1人が非正規雇用者と いうかってない深刻な状況に立ち至っている(「表1 雇用者の正規・非正規比率」を参照)1。高い 壁で守られている「正規」社員と、派遣やパート・アルバイトなどの「非正規」社員という対立軸 が今日の一大イシューになっていることは万人が認めるところであろう。高卒であろうと大卒であ ろうと、 ポジティヴな意味での「フリーター」(リクルート社による命名)が出現するまでは 一新卒一括採用という世界に冠たる移行レール(学校から仕事への移行)に乗って、すべての若者 が「正規」社員として、また「正規」職員として、4月1日という国民的祝祭日に仕事の世界に入 っていった。低率の若年失業とならんで、1980年代末まで日本的雇用システムの中枢を担ってきた 様々な装置(人事部による新卒一括採用、職務を明示しない雇用契約ならざるメンバーシップ契約、 OJT、職能資格制度による昇給、持ち家優遇策を初めとする手厚い企業内福祉制度などなど)が、 歪みはじめている。そんな今、時代復古的に、「非正規」雇用者を昔のように全員、正規社員にすべ しという言説や、非正規社員と正規社員との間に「同一労働同一賃金」制度を 西欧のように一 一樹立すべきという言説が人口に檜爽している。 本田氏らの調査(対象は首都圏で働く若者)によれば、「正社員」のなかにも分岐が生じており、 社員」と「周辺的正社員」とに概念区分する必要がある。本田由紀・今野晴貴[2009],p.9. 「中心的正しかし、それらの言説が、いたずらに西欧の諸制度の「模倣」にとどまる限り、観念的な政策提 言に終わる。西欧社会の雇用システムは、19世紀以来の資本主義的な社会形成の歩みの中で、企業 横断的な労働組合の伝統と、若者の家族からの自立という「個人化」原理を中核として教育と家族 システムと相互補完的に形成されてきたものであって、雇用システムだけを切り離して「模倣」し 「導入」することはできない。雇用システムは教育システムや家族システムと接合し、相互に補完 的である。新卒一括採用方式によって、職務を明示しない雇用契約ならざるメンバーシップ契約を 若者と会社が締結し、就職ならざる「就社」によって、職業訓練から昇給・昇進、扶養家族手当て から住宅手当、果ては普遍主義的な年金制度とは別の企業内特殊主義的な退職金給与支払いまで、 会社が個人の中心的な位置を占めるのが、日本的雇用システムである。それは狭く「雇用システム」 だけに限定されるものではなく、日本的雇用システムを可能にし、再生産している教育システムと 表1 雇用者の正規・非正規比率 (1984−2008年単位万人) 役員を除く @雇用者 正規の E員・ m コ 構成比% 非正規の E員・ I 構成比% Aルバイトバート・ 派遣社員 契約社員・@ 嘱託 Employee, @excludmg ??tcutlve of モ盾高垂≠獅凵@o「 盾盾窒垂nTa⑭n Re即lar sta汀 Non−re劇ar @ staff Part−time 翌盾窒汲?秩C @イ功θ1’ it㎝porary 翌盾窒汲?秩j Dispatched 翌盾窒汲?秩@fTom 這pporary 撃≠b盾浮獅㊦pcy Contract pΨloyee or @entrusted pployee 1984 −2月 3936 3333 0.846799 604 0.1534553 440 一 164 1985 −2月 3999 3343 0.835959 655 ⑪.1637909 499 一 156
1986 2月
4056 3383 0.834073 673 0.1659270 523 一 1501987 2月
4048 3337 0.824358 711 0.1756423 561 一 150 1988 ’2月 4132 3377 0.817280 755 0.1827202 599 一 156 198gz∨2月 4269 3452 0.808620 817 0.1913797 656 一 1611990 2月
4369 3188 0.798352 881 0.2016480 710 一 1711991 2月
4536 3639 0.802249 897 0.1977513 734 一 1631992 2月
4661 3705 0.794383 958 0.2054031 782 一 1761993 2月
4743 3756 0.791904 986 0.2078853 801 一 1851994 2月
4776 3805 0.796692 971 0.2033082 800 一 1711995 2月
4780 3779 0.790586 1001 0.2094142 825 一 1761996 2月
4843 3800 0.784638 1043 0.2153624 870 一 173 1997z 2月 4963 3812 0.768084 1152 0.2321177 945 一 2071998 2月
4967 3794 0.763841 1173 0.2361586 986 一 1871999 2月
4913 3688 0.750662 1225 0.2493385 1024 一 2012000 2月
4903 3630 0.740363 1273 0.2596370 1078 33 1612001 2月
4999 3640 0.7281.16 1360 0.2720544 1152 45 125 ・ Q002 ’ 4940 3489 0.706275 1451 0.2937247 1053 43 129 2003 w±, 4948 3444 0.696039 1504 0.3039612 1089 50 129 2004 ・’±, 4975 3410 0.685427 1564 0.3143719 1096 85 128 2005 ”‡・ 5007 3374 0.673857 1633 0.3261434 1120 106 129 2006 ・’土, 5088 3411 0.670401 1677 0.3295991 1125 128 141 2007 ”▲二 5174 3441 0.665056 1732 0.3347507 1164 133 137 2008 w±, 5159 3399 0.658849 1760 0.3411514 1152 140 148 2009 1−3月”t’ 5086 3386 0.665749 1699 0.3340543 1132 116 133 出典:総務省r労働力調査』、平成21年第一四半期まで。 (平成13年以前は「労働力調査特別調査」,平成14年以降は「労働力調査詳細集計」により作成。 なお, 「労働力調査特別調査」と「労働力調査詳細集計」とでは,調査方法,調査月などが相違することから, 時系列比較には注意を要する。)日欧社会経済システムの分水嶺 家族システム、さらには税制、年金制度まで、広く「日本的」システムともいうべきものを形作っ ているのであって、雇用システムのみに着目して、非正規を正社員にする方途を考えることはでき ない。本稿は西欧社会と日本社会とを比較して、第二次世界大戦後から65年経過した今日までを回 顧しつつ、どこから日欧で分岐し始め、どこから「日本的」といわれるシステムが強化されるよう になったのか、という問題点をデータに基づき検証しようとする試論である。 1970年代が分水嶺 西欧における社会経済システムの存立基盤の変化が1970年台に発生して いるという指摘はヨルマ・シピラやエスピン・アンデルセンをはじめとして多くの研究者に共通し ている。起点としての60年代末の大学革命から始まり、1970年初頭の「女性革命r6volution feminine」L]を 挙げることができる。同じ時期、あるいはもう少し時間が経過して、二度にわたる「オイルショッ ク」を乗り切った日本では、西欧社会とは「逆」の方向に変化が生じたのではないかというのが本 論文で「分水嶺」という用語を使用する所以である。 二つの作業仮説 日本では高度成長時代(1956年から1973年)とその後の日本的経営の確立段 階(1980年代)において、《男子正社員・女子専業主婦モデル》が一層強化された、というのが「作 業仮説1」である。1970年代から女性の社会進出と育児支援策を充実してきた西欧社会は、日本と は対極的に、《男子正社員・女子専業主婦モデル》から決別し、生涯学習(Life−Long−Leaming)と 男女共同参画を柱とする知識基盤社会にむけて動き始めた、というのが「作業仮説2」である。こ れらの作業仮説を立てることによって、社会経済システム全般にわたって実証データを提示し、分 析することが、まず本論文の第一の目的である。「女性革命」という激震のエネルギーは、男女関係 の変化から蓄積されてきた。「ほんの一世代」のうちに、女性の社会進出と経済的自立による男性支 配からの解放、子供を産み育てる自由の獲得といった、家族領域や雇用領域における変化が法的な 次元での改革へと実を結んでいった。そのプロセスを種々のデータによって明らかにする。 このなかから、国民の共通了解となっている、男女姓役割分業社会から男女共同参画社会への転 換、情報化とグローバル化という外部環境のもとでの生涯学習社会における職業訓練制度の確立な どの課題について、すなわち「雇用」と「家族」と「教育」の三領域を貫いて、「法」形成と「平等 主義」原則の確立という視点から迫っていくのが本論文の第二の目的である。社会慣習として認め られてきた「事実」の領域と、敢えて法律に即して「届出」による認証行為の結果生じる権利取得 の領域との区別と関連を問うことが、企業や家族が黙示的に設定してきた「ウチ」と「ソト」を区 「女性革命は、根源的な分岐点ramificationsをもたらす現象である。女性のライフスタイルは短期間のうちに、 ほんの二世代あうちに、信じられないほど激変した。第二次大戦後の数十年間における女性の典型像は、主 婦として家庭におさまることであった。しかし、彼らの娘の世代では、働いて現実的な経済的自立を手に入 れる生活を選択する機会が増えた。この世代に急変をもたらした決定要因は、教春永準と充分な給与であっ た。」(Gosta Esping−Andersen[2008], p.19.)
別する意識「ウチ」に対する保護と「ソト」に対する差別や排除の意識や行動は、日本語表現のな かに深く刻み込まれているがゆえに、明示的に対象化する努力を払うことなしには、「法のもとでの 平等」という近代的原理を定礎することにはならない。これらは従来から主張されてきた21世紀社 会にむけて日本社会が取り組まねばならない課題でもある。 そのような課題にむけて社会経済システム全般にわたって、国民の「合意」(=「法」)が形成さ れ、それが実定法と「政策」のレベルで実効性をもったものになるための道筋を確かなものにする ためには、人々の社会意識や価値規範、目に見えない制度のレベルにまで立ち入って、何が「制度」 形成の障害となっているかを確かめねばならない。とりわけ価値規範に関わる事項、たとえば事実 婚や婚外子の容認について、国立女性教育会館、厚生労働省、第一生命経済研究所などが実施した アンケート調査結果を参考にしつつ、「規範」に関わる障害について検討する必要がある。成人とな った子供の親からの自立についても、この自立や親子関係の「規範」意識に関わる領域にまで踏み 込む必要がある。と同時に、《男子正社員・女子専業主婦モデル》形成の後ろ盾となる法規範のうち、 労働立法については努力義務規定に終わっている法律が多く、日本社会における法と企業の関係、 法と関係省庁との関係、男子正社員と企業との関係について、日本固有の法意識という観点から考 察しなければならないだろう。労働法とは逆に、民法は《男子正社員・女子専業主婦モデル》とよ り密接に関連している。1970年代初めに「女性革命」をひき起こした西欧諸国では(北欧では1960 年代後半に)、たとえばフランスでは1804年の『ナポレオン法典』の改定に着手した。民法典そのも のの大改正という社会革命が、ソトから一日本から一見えにくいが着実に展開していた状況と対比 すれば、日本では、戦後の民法改正が微調整におわり、1889年制定の明治民法が事実上、戦後の日 本社会を縛り続けてきたという状況を対象化する必要があるであろう。明治の家父長制家族制度を 根本的に否定した戦後の民法改正は、その一点においてのみ「近代化」に寄与したといえる。しか し、家父長制大家族から、理念としての「男女平等」に基づく核家族に転換した日本社会は、1970 年代のオイルショックから抜け出す過程で、男性のみが働き手となり現金給与稼得者となり、社会 保障給付の対象者となる男性中心の核家族を形成し、戦後の出発点において憲法24条で謳われた「男 女の本質的な平等」を骨抜きにしてきた。家族の装いこそ「近代化」されたが、男女性役割分業を 温存し、明治民法以来の法の精神を実質的に定着させたといえるのではないか。 《男子正社員・女子専業主婦モデル》の再考。カップルや「婚外子」のあり方に関する情報の入 手。入学(「入り口」管理)ではなく、義務教育終了時点での「中等教育終了認定試験」のあり方の 再検討。資格・終了認定(「出口」管理)を重視する教育・職業訓練制度を支える考え方の再考。入 学式や入社式を重視する考え方の強固な持続に関する再考。学校から仕事世界への移行方式をめぐ って、日本の「新卒一括採用方式」がもつ光と影の再検討。学歴と職業資格にもとつく 「採用と昇 進」制度の運用実態に関する再考。女性の社会進出にともなう「同一労働同一賃金」という思想が
日欧社会経済システムの分水嶺 制度化され具体化されていく実態など、日欧社会経済システムの対照に関する諸論点をフォローア ップして行く際に、「家族」と「教育」と「雇用」という三つのサブシステムのもつ諸問題を検討課 題にせざるをえない。 今日、パートタイマーとフルターマーの「均等待遇」(権利同等、報酬比例)原則が西欧社会で は定着している。この定着過程の背景には、女性の社会進出の高まりと、育児休暇など育児に関わ って、労働時間が短くなり「パートタイマー」(短時間労働の正社員)を選択せざるを得ない女性特 有の問題の背後に、左派・右派かかわりなく政権の座についた政府のとるべき社会的解決の一形態 という政治過程が伏在している。「パートタイマーの正規社員化」という主張をよく耳にするが、価 値、規範、タブーのレベルまで降り立って考察しようとするとき、「パートタイマー労働者の正規社 員化」という主張の背後に、雇用、家族、教育の三領域における「正規」対「非正規」の枠組みが 温存されたままになっているように思われる。正規社員比率が低下していく中で、「正規社員」化を 主張することのなかに、旧来の日本社会に対するノスタルジーが見られるし、旧来の日本型システ ムの枠組みから脱却できない諸問題が存在する。 比較参照国 西欧と日本を比較するとき、本稿では前著(『成熟社会の教育・家族・雇用シス テムー日仏比較の視点から』)の分析を継承して、主たる比較参照国としてフランスを設定している。 フランスは明治の初年、学校制度や民法制定などのお手本になったという歴史的な経緯がある。社 会保障の領域ではドイッとともに社会保険を中軸にした制度設計をしており、その点日本との共通 性が多い。中央集権国家である点においても連邦主義をとるドイツよりも日本に近い。第二次世界 大戦後、高度成長を達成した先進資本主義国であること。それなりの民主主義体制が整備されてい ること、福祉国家といえるだけの福祉水準に達していること、市場経済体制、株式会社制度、金融 制度、義務教育の普及度と高等教育進学率など、西欧諸国の中では比較参照国として真っ先にあげ ねばならならないのがフランスであろう。北欧諸国に比べて、女性の労働力率が10ポイントほど低 く (従って、まだまだ専業主婦志向が強くピ、女性の労働力率を向上させようとするとき政策立案 の面でもフランスは参考になる。 他方では、異質点も多く、日本とフランスを同質化することはできない。成績評価(相対評価か 絶対評価か)、年齢規範(落第制度の維持か自動進級主義か)、コーポラチズムの伝統(全国セクタ ーの労使代表による「合意」形成と「法」形成プロセスの有無)など、前著で考察した諸点は、依 然として日仏比較を行う際の枢要点でもあり続けている。 児童手当の支給額が厚すぎる場合には、三児、四児をもうけた女性を労働市場からひきあげてしまう「社会 政策」になる。「フランスのアプローチは、第一子にまったく価値を認めず、第三子に大きな価値をもたせる ことから、事実上の多産奨励政策の色彩が濃い。」(Gosta Esping−Andersen[2008], p.32.)
単純な模倣や政策の導入は厳に慎まねばならないが、西欧社会のなかにおけるフランスの位置と、 日本と比較するときのフランスの立ち位置は大きく異なる。大きく異なる最大の理由は、西欧がEU 統合のなかで国家を相対化し、人々の流動性を高め(通貨統合だけでなく、今では2010年を目指し て、EU域内における高等学位の統合が実現しつつある)て、社会生活の諸領域において「模倣」 と「同化」が活発におこなわれていることである。これに比べて、日本とフランスもしくは西欧社 会とのあいだにおける「情報鎖国」状態は一向に改善されていない。男女のカップルのあり方、結 婚に至る道筋、学校から仕事世界への移行、青年の家族からの自立などなど、ファッションの交流 はあっても、社会権や労働・家族・教育システムの次元における交流はまったく進んでおらず、し たがって西欧諸国内の人々の間で発生している活発な模倣と同化は、日仏の間では生じていない。 「フランスでは… 」、「デンマークでは… 」という語り口で我が国が直面している社会経 済上の諸問題について切り口を見出そうとする人を「出羽守」というそうだ。しかし、現代の日本 を相対化するために、過去との対比を試みるのでなければ、国際比較の視点を援用しないで、どん な相対化の方法があるだろうか。比較考量国としてデンマークを選ぶ人もいればフランスを選ぶ人 もいる。あるいはEUROSTATの膨大なデータを取り出してきて、日本とEU加盟国との「量的」 な差異を指し示す人もいるだろう。社会経済システムの構造的な要因について、質的な比較ではな く、単純明快に量的な比較をもちだすことは若干の危険をともなうが、外形的な相違を明らかにす るためには、まずもって量的なデータ上の比較が必要になる。他方で、デンマークを比較考量国と して選ぶ人は、雇用形態の多様化やフレキシキュリティの観点で日本を考察しようとしているかも しれない。少子化対策や家族政策の観点から日本の問題を明らかにしようとする人はフランスを選 んだのかもしれない。しかし、比較考量国としてどこを選択するかは、多分に偶然の要素もある。 第三の作業仮説・同一の出発点の設定 偶然の選択ではなく、合理的な説明が可能な選択の仕 方をしなければならない。第二次世界大戦後、高度成長を達成した先進資本主義国であること。そ れなりの民主主義体制が整備されていること、福祉国家といえるだけの福祉水準に達していること、 市場経済体制、株式会社制度、金融制度、義務教育の普及度と高等教育進学率など、日本とEU諸 国とは共通の土俵の上で論じ得る指標が存在する。その上で、歴史的・文化的な差異を構造的にも つ異なるいくつかの社会経済システムに対して、敢えて、同一の出発点を設定する。そして、その 同一の出発点からの分岐の様(分水嶺)を辿る。同一の出発点の設定を言葉で表現すれば、 《1960年代、日本も西欧諸国も、「家族主義的」な福祉レジームを備えており、「専業主婦」モデ ルに立脚した雇用制度や育児制度を備えていた》という言説である。 この言説は本稿の作業仮説であるとともに、歴史的な事実である。婚外子比率や女性の労働力率 のデータに関しても、起点となる1970年ではなく、その前の1960年代からフォーローすべく努めて いるのもこのためである。また、法形成についても、第二次大戦以降を対象にしているのも同じ理
日欧社会経済システムの分水嶺 由である。 「「人権の母国」を自任するフランスであるが、この国では、女性も含む普通選挙制度が成立し たのは1944年にすぎない。… 近代ブルジョワ家族における家父長制と、他方のカトリック伝来の 夫唱婦随の観念が、長く続いた男性のみの普通選挙制度の背後にあったといわれる。」(宮島喬[2004], P.157.) 銀行ロ座開設権 ここでは、フランス既婚女性の「銀行口座開設」権が公式にも事実上におい ても認められたのは1965年になってからであるという事実を紹介しよう。政治的権利としては1944 年以降、女性にも選挙権が認められてはいたが、いざ結婚すると「専業主婦」となり、種々の制約 が課せられていた。1804年のナポレオン法典では結婚すると同時に、女性を夫への従属的地位に落 としいれてきた。夫の許可なく法廷に出廷することができず、夫の許可なく職業に就くこともでき なかった。職業に就けたとしても得た賃金は夫のものであった。 1943年から、ナポレオン法典を改正して、女性にも銀行口座開設権が形式的には認められたが、 実際のところ、銀行が夫の許可証明を要求し続けたので、無権利状態に置かれたままであった。1965 年から、結婚した女性は自分の名前で銀行口座を開設し、お金を自由に出し入れすることができる ようになった。第二次大戦後に実現した公民権のレベルでの男女平等の実現、1944年から1973年ま で続く高度成長時代(フランスでは「黄金の30年」という)における女性の労働力率の高まり、こ れら政治的、経済的な活動領域の拡充によって、社会的な次元における男女平等の第一歩が画され る。それが1965年の『民法典』の改正による「女性の銀行口座開設権」の認定である。 1965年になって初めて、銀行口座開設にあたり夫の承諾書を求められることなく、自由に処分可 能な財産として、自分の賃金を銀行に預金することが可能になった。 1965年7月13日の法律は『民法典』に第221条を追加し、「夫婦は、一方の同意なく、預金口座を 開設することができる。」「・・結婚解消後も、預金者は資産と預け入れ預金の自由な処分権を有す るものと看倣される。」と規定した。(Code civil, Titre V. Du marriage, chapitre vi. Des devoirs et des droits respectifs des 6poux) 日本国憲法24条における「男女の本質的平等」規定とそれによって改定された戦後民法が、戦後 の一時期、一定の役割をはたしたこと、男女平等にむけた諸施策と普遍主義的な法形成の歩みを確 認することができる。また、《男子正社員・女子専業主婦モデル》という1970−1980年代に形成され る「日本的」システムの前の時代においては、日本は企業中心的な方向ではなく、所属する企業の いかんに関わらず適用される法や制度の普遍的形成を志向していた。たとえば、日米安保のあとに 成立した池田内閣では、普遍的な「児童手当」の創設が所得倍増計画の中に盛られていた。しかし、 1971年にようやく児童手当制度が成立したにもかかわらず、第一次オイルショック後の日本社会は、 採用・職業訓練・給与・諸手当を会社や企業集団によって確保する企業中心社会の方向に舵を切り、
普遍主義的な児童手当ではなく、所属する会社ごとに異なる扶養家族制度の創設・拡充という特殊 主義的な社会形成の方向に転換していった。もちろん、年金や相続権、税制などの諸点においても 「専業主婦」制度を強化し、「家族」を中心とする福祉制度へと逆行していった。給与体系について も、同じ時期、同様の動きを検出することができる。1961年、当時の日経連は企業横断的な職業資 格制度と、職務手引書による職務給制度を導入しようとしたが「挫折」(濱口桂一郎[2009],p.122) に終わった。また1967年には、同一労働同一報酬を定めたILO第100号条約(1951年制定)を日本 政府は「批准」し、年功賃金制度からの転換をめざしていた。職務給制度の創設に限定した分析で はあるが、次の一文は「日本的」システム創設前夜の日本政府や財界の意図を余すことなく表現し ている。 「年功制から職務制への変革は、すでに戦後改革の一環として、GHQの労働諮問団によって勧告 されたというものであり、その後においても認識自体に変わりはなかった。 同一労働同一賃金という職務給の原理こそが欧米先進国の制度であり、これに対して年功という 属人主義の賃金は、日本企業の非合理と後進性の象徴に他ならない、という戦後この方「改革」の 一貫した主張であった。ゆえにキャッチアップの終了とともに、日本企業は欧米先進国の制度を導 入すべきである、というのが当時の「グローバル・スタンダード」論であったということもできる。 あるいはより現実的な理由としては、年齢構成の上昇に伴い、年功制が生み出す労働コストの増大 を阻止するためのもっとも有効な手段が職務給であった。いずれにせよ、年功制に変わるべきは職 務給と科学的管理であるというのが、戦後の一貫した主張であった。」(宮本光晴・荒川道治[2002], P.62)
2.検出のためのデータ(1)一「婚外子比率」(正規と非正規)
2−1.婚外子比率の国際比較一顕著な差 現時点で、日欧社会経済システムに関わる諸データを渉猟するとき、日本と西欧のあいだで、量 的に顕著な開きが出ている指標は「離婚率」ではなく、「婚外子比率」である。(離婚率については、 のちに触れるが、2008年時点で、日仏のあいだでほとんど差はない。) 「婚外子Live births out ofmarriage」とは「嫡出子」の対立概念である。法律上結婚している男女 の間でうまれるのが嫡出子、法律上結婚していないカップルー同棲婚であったり、事実婚であった り国によって法的形態が異なるが一から生まれるのが「婚外子」または「非嫡出子」である。日本 と西欧との間で、婚外子比率という数量的データに大きな差異があるだけでなく、婚外子の概念自 体が異なる。本節の分析は婚外子概念を手がかりに日本社会の正規・非正規という規範について考 察する。 2009年4月に更新された「婚外子比率」のデータをEuRosTArから入手して、一覧表にしてみ日欧社会経済システムの分水嶺 よう。 表2 西欧の婚外子比率 (すべての出生児にしめる比率 %)
2006年
2007年
ベルギー
一 38.95 ブルガリア 50.79 50.20 デンマーク 46.36 46.10 ドイツ2996
2995
スペイン2838
一 フランス5049
一 イタリア1860
20.71 オランダ37D6
39.73 フィンランド4055
4057
スウエーデン5547
5467
イギリス 43.66 一 ノルウエー5305
5448
出典:EUROSTAT Database 2009
日本のデータは(表3)に見るように、直近の婚外子比率は2.03(2007年)である。カトリック のイタリア、スペインが20%台、その他主要国が30−50%であるのに比べると、日本の2%という のは、極々、わずかである。差別や排除の対象であった「婚外子」が、いまや西欧では「嫡出子」 との均等待遇を受けるようになり、婚外子の比率も近年、増加している。婚外子比率が増加してい ることは、正式の結婚を経過していないカップルの比率が増加していることを意味する。他方、「正 規」の結婚にこだわる日本では、それだけ「嫡出子」へのこだわりが強いのである。「嫡出子」を「正 規」と看倣す観念や価値意識が強ければ、「婚外子」を「非正規」と看倣して排除し、差別する意識 も根強い。 2−2.「婚外子」の定義 日本では「姦生子」(不貞子) 婚外子が近年急増しているフランスでは、「法律婚をしている両親の間に生まれた子供は嫡出子、 そうでない場合は婚外子」(INSEE[2009])だという単純な定義がある。同棲婚に対する社会的承認 があり、かつ、法律婚から生まれた嫡出子とそうでない婚外子とのあいだの均等待遇が成立してい るので、定義はAかAでないか、という単純な表現になっている。 しかし、同棲婚に対する社会的承認がない現在の日本には、当然のことながら「民法」上、同棲 婚に関する規定はない。(裏返せば、同棲婚とそこから生まれる婚外子の比率が無視できないほど多 くなり、法律婚と同棲婚とのあいだに存在する種々の差別を撤廃するための社会運動が高揚すれば、民法改正の動きもでてくるのだろうが。)それゆえ、同棲カップルから生まれる「婚外子 Live births outside marriage, Enfant hors le mariage」に関する規定も「民法」上、存在しない。 「嫡出子」に関する規定は「民法」第4編「親族」のなかに見出すことができる。「「嫡出」でな い子」という表現、すなわち「嫡出子」に対して非「嫡出子」という表現で、法律上、日本の婚外 子は表現される。したがって、「嫡出」子に関わる規定の裏側に「非嫡出」子に関わる取り扱いの在 り様を推論しなければならない。繰り返すが、戦前の「事実婚」にともなう婚外子を、現行の民法 は想定していない。あくまで届出主義に基づく 「法律婚」における嫡出子と非嫡出子が戦後の、す なわち現行の民法では対象となっている。 民法772条(嫡出の推定)一「婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」ここでは「夫」が摘 出子か否かを判断する主体である。 民法774条(摘出の否認)一「夫」が摘出でないと判断した場合には「否認」できると規定して いる。民法776条(摘出性の承認)で「夫は、子の出生後において、その嫡出であることを承認した ときは、その否認権を失う。」 嫡出子として承認し届け出るのは「夫」である。憲法24条で両性の「本質的平等」を謳っている に関わらず、戦後民法は、嫡出子の認知に関して男性の圧倒的優位性に立脚している。 民法789条一「父が認知した子は、その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。」 民法790条一「嫡出である子は、父母の氏を称する。」同条第2項一「嫡出でない子は、母の氏を 称する。」 以上が、現行「民法」における「嫡出」子に関する規定である。当然ながら、非「嫡出」子に関 する積極的な規定は存在せず、790条の第2項において「嫡出でない子は、母の氏を称する」とのみ 触れるにとどまり、それがどのようなケースを想定したものかについて記していない。 1996年と2006年に内閣府は「家族の法制に関する世論調査」を実施し、結果を公表している。こ こから日本政府の非「嫡出子」観をみてみよう。 調査項目の柱は全体で5本、「家族の役割」、「女性の婚姻適齢」、「苗字(性)」、「裁判上の離婚原 因」、そして最後に「嫡出でない子」の項目が出てくる。「嫡出でない子」すなわち「婚外子」に関 わって、次のように調査結果の概要に記している。調査表は次のようになっている。 「質問14 夫婦の一方が夫以外の男性又は妻以外の女性との間に子どもをもうけた場合でも、 その子どもについて、法律制度の面で不利益な取扱いをしてはならないという考え方がありますが、 この考え方について、あなたは、どのように思いますか。次の中から1つだけお答えください。(ア) 配偶者以外の異性との間に生まれた子どもであっても,生まれてきた子どもに責任はないのだから, そのことだけで子どもについて不利益な取扱いをしてはならない。 (イ)正式な婚姻をした夫婦 が配偶者以外の異性との間に子どもをもうけることは良くないことをはっきりさせて正式な婚姻を
日欧社会経済システムの分水嶺 保護すべきであり,そのためには,配偶者以外の異性との間に生まれてくる子どもについて,ある 面において不利益な取扱いをすることがあってもやむを得ない。 (ウ)どちらともいえない。 (エ) わからない。」(内閣府[2006]) 調査の概要では、「夫婦の一方が夫以外の男性又は妻以外の女性との間に子どもをもうけた場合 でも,その子どもについて,法律制度の面で不利益な取扱いをしてはならないという考え方がある が,この考え方について,どのように思うか聞いたところ,「配偶者以外の異性との間に生まれた子 どもであっても,生まれてきた子どもに責任はないのだから,そのことだけで子どもについて不利 益な取扱いをしてはならない」と答えた者の割合が58.3%,「正式な婚姻をした夫婦が配偶者以外の 異性との間に子どもをもうけることは良くないことをはっきりさせて正式な婚姻を保護すべきであ り,そのためには,配偶者以外の異性との間に生まれてくる子どもについて,ある面において不利 益な取扱いをすることがあってもやむを得ない」と答えた者の割合が18.5%,「どちらともいえない」 と答えた者の割合が21.0%となっている。」(内閣府[2006]) 内閣府が1996年と2006年の二度実施した「家族の法制に関する世論調査」における「婚外子」と は、現在マスコミで流布されている「姦生子」すなわち不倫カップルのあいだに生まれた子供のこ とを意味している。アンケート項目の「夫婦の一方が夫以外の男性又は妻以外の女性との間に子ど もをもうけた場合」という表現によって、すでに正規に結婚しているカップルのどちらかが不倫を し、その結果生まれた子供を想定している。結婚しているカップルの間に生まれた子供と不倫カッ プルのあいだで生まれた子供を対照させて、均等待遇の是非を求めているのが内閣府のアンケート である。ここでは、正規の結婚をしていない同棲婚のカップルの存在は、まったく無視されている。 カップルの多様化という流れを無視して、正式の結婚のみを是とし、同棲婚とそこから生まれる 非嫡出子を非正規とみなす考えに立脚している。この観点は、戦後の民法改定時における立法者の 意図を、そのまま継続させている。 日本では「事実婚」や「同棲」に対する社会的承認が遅れているという言説は正しくない。法律 婚のみが正規の結婚形態であり、事実婚の社会的承認があれば追い込まれることのない「できちゃ った婚」へと押し出させられるのである。次節で女性の労働力率を考察し、1970年代初頭が大きな 分水嶺になっていることを指摘するが、女性の社会進出と、女性の男性からの自立とは連動してい るのである。雇用システムと家族システムとは密接不可分なのである。 二宮はいう。「婚外子に関して、まだ改正されていない法的差別の代表は、相続分である(民法900 条4号ただし書)。相続分とは、相続人が相続すべき権利義務の割合をいう。たとえば、配偶者と子 が相続人である場合、配偶者の相続分は1/2,子の相続分は1/2であり、子が複数の場合には、各子の 相続分は原則として均等になる。しかし、被相続人(亡くなった人)の子として、婚内子と婚外子が いる場合には、婚外子の相続分は婚内子の1/2になるのである。
明治民法でも、1947年の改正民法でも、この差別がある。47年当時の立法者は、相続分に差を設 けることとなった理由を、婚外子の利益を考えて相続権は認めるが、正当な婚姻を尊重するために は、婚内子と婚外子の間に差をつけて、正当な婚姻を尊重していることを示しそれによって婚姻を 奨励していかねばならないと説明している。」(二宮周平[2007],p.9) ただし、この相続権上の不平 等は姦生子としての婚外子と嫡出子とのあいだの差別である。 2−3.婚外子は社会的差別の対象であった一戦前のフィンランド社会 「婚外子」を排除し、「同棲婚」を忌避するのはなにも現代の日本社会だけではない。かつては、 西欧社会もまた同様であった。北欧福祉国家のフィンランドやノルウェーでは、現代では50%ほど の高さに上る「婚外子」比率であるが、かつては、婚外子は差別や社会的排除の対象であった。フ ィンランド研究の第一人者、鳥取大学の高橋睦子氏は、北欧の婚外子について歴史的に回顧し、次 のようにのべている。 「20世紀初頭のフィンランドでは、未婚で同居しているカップルは俗に「スシパリ(susipari狼の カップル)」と呼ばれていた。教会が住民台帳を管理していたという歴史を反映して、子の出生につ いて嫡出かどうかが厳密にチェックされていた。婚外子についてもレヘトラプシ(lehtolapsi:私生児) などさまざまな差別的な呼称が用いられていた。1930年代には、教会の保守派は、性道徳と結婚・ 家族生活に対する教会の統制力を維持すべく、「非合法な同居生活」を犯罪とするための動議を発動 した。(注記:ノルウェーでは、1902年の犯罪法により同棲は犯罪とされていた(1972年に廃止))こ れを受けて議会が34年に設置した調査委員会は、「アヴォリート(avoliito:未婚のまま同居してい るカップル)」は社会階級の問題と位置づけられ、労働者階級などの資力に乏しく救貧事業の対象と なる人々の家族形態であると報告している。当時avoliitoは反社会的で法の秩序にも敵対すると見 られたが、政府の対応はこうした調査報告の域を出なかった。1940年代のフィンランドでは、新生 児のうち婚外子の割合は約6%でしかなく、50年代でも4%強にとどまっていた。60年代以前のフ ィンランドでは、婚外子や母子家庭への社会的偏見が根強く残っていた。しかし、60年代以降の急 速な都市化に伴い、社会の変容は家族のありようにも大きな変化をもたらした.この時期、社会批 判の言論や市民運動の盛り上がりもあり、旧来の家族・性道徳規範も全面的に見直されることにな る。」(高橋睦子[2005],p.291) 教会(ルター派)の支配が強く残っていたフィンランドで、今世紀初頭から1970年まで、婚外 子や同棲が差別の対象となっていたことを確認しよう。
H欧社会経済システムの分水嶺 2−4. 婚外子比率の増加一起点は1970年代 では西欧各国では 「婚外子比率」 はどのような推移を経ているのか、 各種デ タを統合して、 表 3を作成した。 表3 婚外子比率の推移(国際比較) 年; 日 わンダ キ.1ル 万ンス ドイツ スイス ア仙ラント. イタリア 肋セ刀ルグ スへ.Cン ホルト加レ ヘルキー 功1一テン フィンラント ノルウ1一 アイスラント 軸 オ.ストリア ホーラント 1901 8.7 1905 8.9 1910 8.7 1915 11.2 1920 9.9 1925 7.26 8.6 1930 6.44 8.3 ]935 7.0 1940 4.10 7.2 1945 10.5 1947 3.79 1948 3.16 1949 2.65 1950 2.47 7.0 10.56 3.ア9 1951 2.19 3.53 1952 1.98 3.54 1953 1.88 3.59 1954 1.75 3.68 2.94 2.07 1955 1.68 6.4 9.21 3.64 2.78 2.12 1956 1.55 3.73 2.98 2.06 1957 1.50 3.83 2.99 2.01 1958 1.39 8.12 3.65 3.02 2.00 1959 1.33 7.14 3.76 3.14 2.06 1960 1.22 1.35 T.24 6.1 7.56 3.83 1.59 2.39 3.17 2.31 9.45 2.06 11.28 4.04 3.68 25.26 5.22 13.02 ]961 1.16 1.43 1.22 7.14 3.96 1.63 2.37 3.40 2.23 8.77 2.01 1.69 4.09 3.69 25.29 5.71 12.57 1962 1.11 1.51 1.15 6.58 4.23 1.80 2.18 3.06 2.06 8.47 2.)0 12.39 4.03 3.84 2447 6.27 12.04 ]963 1.05 1.60 1.19 6.14 4.13 1.83 2.12 3.05 〕.91 8.23 2.19 12.55 4.17 3.85 25.15 6.59 11.62 1964 1.00 1.74 1.09 5.94 4.19 2.02 2.00 3.16 1.76 7.95 2.29 13.14 4.3了 4.21 26.72 6.89 11.32 1965 0.96 1.84 1.05 5.9 5.78 3.go 2.21 1.93 3.ア0 1.67 7.81 2.36 13.80 4.56 4.61 26.92 7.33 11.22 1966 1.14 1.96 0.99 5.66 3.84 2.31 1.91 3.20 1.60 7.54 2.48 14.55 4.77 4.go 28.44 7.60 11.39 1967 0.8B 2.08 0.99 5.82 3.86 2.51 1.98 3.49 1.50 7.47 2.55 15.10 5.06 5.13 29.95 8.09 11.46 1968 0.96 2.03 1.08 6.12 3.84 2.55 2.01 3.23 1.43 7.39 2.66 16.03 5.30 5.60 30.47 8.23 12.00 1969 0.93 2.17 1.12 6.58 3.78 2.6] 2.00 2.98 1.40 7.29 2.67 }6.37 5.64 6.15 29.59 8.15 12.25 1970 o.93 2.08 1.11 6.8 7.23 3.78 2.65 2.14 4.0↑ 1.36 7.33 2.77 18.56 5.83 6.86 29.88 8.04 12.77 1971 0.86 1.97 1.19 7.97 3.72 2.73 2.30 3.94 1.34 7.15 2.97 21.88 5.52 7.93 31.12 8.20 12.99 1972 0.8ア 1.90 1.18 8.3] 3.72 2.93 2.46 4.23 1.37 7.12 3.02 25.36 5.68 8.66 32.29 8.44 13.66 1973 0.85 1.89 1.27 8.34 3.81 3.15 2.49 4.08 1.61 7.16 3.00 28.64 7.93 9.07 33.88 8.44 13.67 1974 0.82 1.98 1.22 8.50 3.65 3.35 2.52 4.41 1.47 7.24 3.05 31.74 9.04 9.30 33.75 8.70 13.77 1975 0.80 2.15 1.32 8.5 8.45 3.73 3.74 2.55 4.22 2.03 7.17 3.12 32.82 10.15 10.28 33.03 8.97 13.51 1976 0.78 2.46 1.29 8.76 3.79 3.76 3.03 4.62 2.16 7.33 3.12 33.55 10.88 10.89 34.23 9.04 13.79 1977 o.79 2.74 1.33 9.04 3.86 4.18 3.39 4.64 2.32 7.18 3.09 34.67 11.14 11.60 35.96 9.54 14.17 1978 0.77 3.05 ].37 9.94 4.00 4.27 3.84 4.17 2.50 7.70 3.36 35.93 11.35 11.86 36.69 9.97 14.80 1979 0.78 3.43 1.40 10.72 4.43 4.60 3.86 5.59 2.80 8.21 3.75 37.53 11.99 13.05 36.58 10.63 16.54 1980 0.80 4.11 ],46 11.4 11.89 4.75 5.90 4.29 5.97 3.93 9.20 4.12 39.72 ]3.08 14.48 39.71 11.52 17.78 198↑ 0.86 4.85 1.58 ]2.77 5.T5 6.17 4.43 7.11 4.42 9.49 4.49 41.19 13.28 16.11 41.15一 19.45 1982 0.86 5.90 1.48 14.29 5.54 7.15 4.69 6.16 5.12 10.04 5.16 41.96 13.63 17.64 44.57 14.10 21.59 1983 0.92 6.96 1.56 15.38 5.41 7.93 4.87 8.05 5.21 10.70 5.73 43.65 14.03 19.26 45.05 15.41 22.42 1984 0.99 7.66 1.57 15.95 5.66 7.99 5.12 8.21 6.76 11.48 6.29 44.60 15.10 21.26 47.12 16.99 2|.53 19B5 0.99 8.29 1.80 19.6 16.22 5.63 8.47 5.39 8.67 7.97 12.33 7.07 46.35 16.39 25.82 47.95 18.89 22.37 1986 0.97 8.79 1.82 16.07 5.67 9.65 5.59 10.23 8.01 12.75 7.85 48.38 18.03 27.94 49.54 2G.99 23.29 1987 0.98 9.31 2.09 15.72 5.85 ]0.86 5.83 11.02 8.27 13.24 9.14 49.87 19.17 30.92 50.08 22.89 23.37 1988 1.01 10.15 2.06 15.69 6.05 11.87 5.83 12.08 9.12 13.70 10.67 50.94 20.60 33.74 52.04 25.15 21.01 1989 1.03 10.68 2.06 15.51 5.92 12.82 6.08 11.83 9.35 14.53 11.32 51.78 22.92 36.40 52.85 26.60 22.62 1990 1.07 11.38 2.17 30.1 15.32 6.12 14.64 6.47 12.78 9.6} 14.70 11.61 47.00 25.24 38.57 55.22 27.91 23.55 1991 1.11 11.99 2.38 31.8 15.08 6.52 16.91 6.72 12.17 10,田 15.58 12.62 48.19 27.37 40.86 56.43 29.80 24.79 1992 1.14 12.44 2.64 33.2 14.89 6.22 18.03 6.68 12.72 10.52 16.08 13.59 49.47 28.86 42.92 57.32 30.83 25.23 1993 1.15 13.10 2.84 34.9 14.81 6.27 19.93 7.36 12.93 10.75 16.93 14.55 50.42 30.34 44.45 58.30 31.76 26.33 1994 1.19 14.26 2.87 36.1 15.39 6.44 20.82 7.82 12.75 10.76 17.82 15.84 51.60 31.33 45.90 59.64 31.99 26.81 1995 1.24 15.52 3.04 37.6 16.G6 6.76 22.26 8.11 13.12 11.09 18.67 17.28 52.96 33.12 47.59 60.91 33.54 27.37 9.47 1996 1.28 16.99 3.27 38.9 17.05 7.35 25.26 8.29 14.96 11.68 18.66 19.05 53.88 35.38 48.31 60.66 35.53 28.02 10.17 1997 1.40 19.16 3.46 40.0 17.96 8.07 26.81 8.98 可6.83 13.12 19.56 20.98 54.08 36.51 48.72 65.2] 36.75 28.80 10.97 1998 1.43 20.78 3.81 41.67 2G.01 8.83 28.71 9.04 1了.47 14.51 20.15 23.16 54.65 37.2G 48.97 64.03 37.62 29.45 11.55 1999 1.55 22.75 3.87 42.75 22.14 9.98 31.14 9.24 18.65 16.30 20.85 25.47 55.29 38.69 49.07 6241 3880 3049 1170 2000 1.63 24.94 4.02 43.58 23.41 10.69 31.51 9.66 21.89 17.74 22.20 } 55.33 39.21 49.58 65.19 3948 31.30 1213 2001 1.74 27.20 4.25 44.71 25.03 11.17 31.31 9.87 22.31 19.73 23.78 55.49 39.55 49.73 6304 4005 33.06 ↑312 2002 1.87 29.13 4.44 45.25 26.13 11.68 31.20 10.86 23.18 21.78 25.46 } 56.04 39.88 50.31 6234 40.63 33.80 1442 2003 1.93 30.07 4.81 46.19 26.98 12.42 31.22 12.97 24.99 23.41 26.87 一 56.00 39.99 49.98 63.58 41.48 35.27 1582 2004 1.99 32.49 5.09 47.39 27.94 13.28 31.95 14.90 26.08 25.08 29.07 55.44 40.78 51.36 6368 42.27 35.92 1713 2005 2.03 34.B9 5.10 48.41 29.18 13.73 31.99 15.41 27.24 26.57 30.73 一 55.45 40.38 51.75 65.72 42.94 36.54 18.45 2006 2.1] 37.06 5.28 50.49 29.96 15.36 33.15 18.60 28.82 28.38 31.61 一 55.47 40.55 53.05 65.62 43.66 37.16 18.89 2007 2.03 39.73 5.00 一 29.95 16.16一 20.71 30.71 33.61 38.95 54.6ア 40.57 54.48 一 一 38.20 19.46 日本:厚生労働省統計情報部r人口動態統計』による。他はEUROSTA’「のデータよりny フランス:INSEE,Statisticlues de t’etat civil, recensements de Ja pOpulaton (cite par’NSEE PREM’ERε,N〈).873DecembFe 2002,”La tecondite en France au cours du Xxe sieck∋.”)
西欧諸国において、アイスランドとスウェーデンを除けば、西欧諸国において1960年時点での婚 外子比率はそれほど高くない。ILOの調査データが残っている1960年時点で、日本の婚外子比率が もっとも低く1.22であるのに対して、低率の国々は、ギリシャが1.24(2007年には5.00)、ついでオ ランダが1.35(2007年には39.73)、アイルランドが1.59(2006年には33.15)、スペインが2.31(2006 年には26.38)である。ギリシャをのぞけば、これら低率の国々の婚外子は40−50年のあいだに爆発 的に増加した。 フィンランドも1972年から変化が始まり、1975年には早くも10%台にのせ、1988年に20%台、1993 年に30%台、2004年に40%台になっている。 ここでは、表3のデータから、婚外子比率の増加がi前値三ft ctnkまるiとを確認しよう。 早い国では1970年から、遅くても1970年代末から1980年代初めにかけて、爆発的な婚外子比率の 上昇が見られる。トップランナーはアイスランド、第二集団が北欧三国、次いで英・蘭・仏の三国、 福祉モデルではフランスと並んで大陸ヨーロッパ・モデルに位置づけられるドイツは、婚外子の増 加という点では、フランスにはるかに遅れをとる。最後に、南欧のカトリック諸国が続く。日本に ついで低い婚外子比率を維持してきたギリシアも1995年には3%台、2000年には4%台、2004年に は5%台へと水準を切り上げている。 ここでは、先行するフィンランドをとりあげる。再度、高橋睦子氏から引用しよう。高橋氏は変 化の起点を1970年においている。「1970年代以降、avoliito[未婚のまま同居しているカップル]は、 もはや低所得者が経済的事情などから結婚に踏み切れずにやむなく選ぶものではなく、都市部の高 学歴カップルが自発的に選択する生活形態になり、婚外子も増加していった。こうして、未婚の狼 たちは、絶滅するどころか今日では一つの家族形態として市民権を得ている。[注記:ただし、家族 統計において未婚カップルの存在が家族のカテゴリーとして認識されるようになったのは1990年以 降のことである。]社会保障においても、未婚カップルは、未亡人年金を除き、既婚カップルと同じ 扱いを受ける。[現職大統領Halonenも長らく未婚のままパートナーと暮らしていたが、そのために 大統領選挙で不利をこうむることは無く、むしろ、普通の女性として有権者(国民投票)から好感 を持って迎えられた。]現在では、子どもの出生をめぐって婚外子かどうかが道徳的に問われること はほとんど無い。」(高橋睦子[2005],p.292.) ついでフランス。カトリック諸国の婚外子比率は低いが、フランスでは北欧諸国より10年遅れて、 1970年台半ばに胎動が始まり、1980年以降、急激に比率を増加させている。 まず離婚法制定より前のig72年に、長らく議論されてきた婚外子と嫡出子との均等待遇に関する 法案が国民議会を通過する。1972年3月法(フランス民法典の改正)である。 『ル・モンド』紙は法案審議の過程をつぶさに、反対・賛成の議論を「要約」せずに掲載してい る。フランス社会の国是である「平等」の観念に照らして嫡出子と婚外子との均等待遇を実現する
日欧社会経済システムの分水嶺 という点では、反対論も同調していた。家族手当の支給をはじめとする社会保障上の諸権利に関し ては「均等待遇」に同調していたのである。しかし、家族法と財産権との接点に位置する「相続」 権に関わって、従来の嫡出子が保持してきた権利の侵害という論点によって、反対の意見表明をし た。同一の男性の嫡出子に新たに法律外の子供を認知し、すなわち「婚外子」として認知すること によって嫡出子がもっていた相続権の一部が侵害されるという意見である。 1972年の『民法典』の改正により、ナポレオン法典以来の「嫡出子」「非嫡出子」の区分を廃止 した。「親子関係では嫡出子と自然子(一方の親が第三者と婚姻関係にあった場合の姦生子を除く) の差別が廃止された。」(林瑞枝[2005],p.56) 2−5.日本における「できちゃった婚」という用語の出現 日本で法律婚をせずに同棲する人はどれくらいいるか調べたデータがある。国立社会保障・人口 問題研究所の「出生動向基本調査」は3000人を超える未婚者から同棲経験のある人、現在同棲中の 人の数を合計し、その割合を出している。1987年以降の調査データから見ると、同棲経験のある未 婚者の割合は男女とも若干、増加傾向にある。 表4 日本 同棲経験のある未婚者の割合 (%) 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 1987年 1992年 1997年 2002年 2005年 男性
18歳一34歳
3.2 4.5 4.8 6.7 7.9 女性18歳一34歳
4.4 6.21 7.6 8.2 10.6 出典:国立社会保障・人口問題研究所「第13回出生動向基本調査」(2005年)より作成。 同棲して女性が妊娠してしまった場合、同棲婚が社会的に認知されていない社会では、取るべき 選択肢は二つしかない。一つは中絶と、もうひとつは「法律婚」である。1970年代以前、婚外子と 嫡出子の均等待遇が社会的に承認されていなかった西欧社会でも、同じく二つの選択肢しかなかっ たと思われるが、日本の場合には、法律婚を選択した場合に、近年になって新たに作り上げられた 言葉が「できちゃった婚」である。 平成15年版の『国民生活白書』から新語が登場した。「できちゃった婚」である。「できちゃった 婚」により誕生した子供は「婚外子」ではなく、「嫡出子」である。「婚外子」としての出産を忌避 するために急遽結婚式をあげる「できちゃった婚」が増えているのである。 「できちゃった婚」により誕生した新生児の割合(定義=「第一子の出生数のうち結婚期間が妊図1 日本の「できちゃった婚」の増加 1996 1997 1998 1999 2000 「 i … … i { 一←全体平均 i +・5−・9歳 “’”tt狽撃戟ft 20−24歳 出典:厚生労働省、『平成17年版 国民生活白書』 娠期間より短い出生割合」)を調査した厚生労働省のデータがある。図1を参照のこと。 2−6.「事実婚」から「法律婚」への移行 「結婚する人が減ったといっても、今の日本のように相手がいないシングルが増えたわけではな い。カップルは健在だ。一緒に暮らし、子どもができても、結婚というかたちをとらないカップル が増えたのだ。union libre(ユニオン・リーブル=自由な統合)、 cohabitation(同居・同棲)、 concubinage(内縁関係)。ニュアンスはそれぞれ微妙に違うけれど、どれも結婚をしない、新しいカ ップルを指して使われる言葉だ、当初、専門家たちはこうした同棲を結婚までのお試し期間ととら えていた。ところが、実際には「お試し」どころか、社会にしっかり根付くことになった。」(牧陽 子[2008],48−49頁) 内閣府の経済社会研究所は、婚外子が嫡出子と同等の権利をもつことを承認しているスウェーデ ン、フランス、ドイツの3力国で実態調査し、牧陽子氏と同様に事実婚から法律婚への移行に関す るデータをまとめている。 同棲婚のカップルに子供ができれば「婚外子」として扱われる。しかし、その後、同棲婚から法 律婚に移行すれば、「婚外子」から「嫡出子」になる。その分、婚外子比率も低下する。フランスで 2007年に婚外子比率が50%だということは、第一子に限れば婚外子比率は50%以上になる。内閣府 の経済社会研究所のパリ市での調査によれば、カップル全体を100%とすると、法律婚のカップルが 66.3%、同棲のカップルが31.0%、残りはPACSが2.7%である。これだけ見ると「同棲婚」の比率
日欧社会経済システムの分水嶺 が少ないように見えるが、そうではない。「法律婚」のカップル(100%)のうち、「同棲せずに結婚」 した人の割合は22.6%しかなく、「同棲を経て結婚」した人の割合が77.6%と多い。つまり、いま現 在法律婚のカップルでも、「同棲せずに結婚」した人は、カップル全体の15%しかなく、入口として 選択されるのは、まず同棲婚である。また法律婚の人のうち、法律婚を選択した理由(複数回答) のなかで「妊娠」したから法律婚を選択した割合は2.5%ときわめて低く、ここからは日本のような 「できちゃった婚」が増加傾向にある社会を想像することはできない。(内閣府経済社会総合研究所 [2005], p.10) 「どのくらいのカップルが事実婚で、どのくらいの人が結婚を選ぶのか。カップルの形態が時間 とともにどう変化するかを調べた調査によると、1988年に一緒になった人たちのうち、10年後も事 実婚だった人は18%、結婚した人が53%だった(残りは28%が離別、1%が死別)。結婚がやはりマ ジョリティーだ。でも、事実婚はもはや「異端」ではない、社会的に認められた存在になった。」(牧 陽子[2008],明石書店,51頁) 3.検出のためのデータ(2)一「女性の労働力率」(自立の根拠) 3−1.指標としての「女性の労働力率」 既に第1節において「第三の作業仮説」として、《1960年代、日本も西欧諸国も、「家族主義的」 な福祉レジームを備えており、「専業主婦」モデルに立脚した雇用制度や育児制度を備えていた》と いう言説を設定した。この言説は本稿の作業仮説であるとともに、歴史的な事実である。西欧諸国 は日本以上に「家族主義」的なレジームに立脚していた。1970年代以降、大きな転換点を迎えて、 左に舵を切った西欧諸国、それに対して、「家族主義」的モデルを温存し、強固にする税制度や福祉 制度を整備した日本との対照を本節では明らかにする。 作業仮説ではなく、一つの歴史的事実として、外形的に比較可能な量的指標を提示しよう。その 指標は「女性の労働力率」である。 女性の年齢階層別の労働力率を示す図の形状から、日本は「M字カーブ」、北欧三国やデンマー クでは「逆U字カーブ」と呼ばれることがある。現在では、北欧三国では90%台、フランス、ドイ ッなどの大陸ヨーロッパ諸国では80%台の台形もしくは「逆U字カーブ」を描く。ここでは日仏を 対照したグラフを示す。 日本のM字カーブは結婚して出産と育児期間中に、女性が労働市場から退出するために、図2で いえば30−34歳を底にして凹んだ形状になる。育児期間が長いために、育児が終わって就業するが、 形態は正社員ではなく 「パートタイマー」という形で労働市場に現れる。これにより労働力率は上 昇する。M字カーブの左側は正社員として、右側はパートタイマーとして日本の女性は労働市場に 現れてくる。
図2 女性労働力率の日仏比較(2000年・2001年) 出典: 日本(2001年)総務省統計局『労働力調査年報』 フランス(2000年)ILO”Yearbook ofLabour Statistics” これに対してフランスは約80%台のフラットな台形もしくは「逆U字カーブ」を示す。結婚・出 産・育児の時期に凹まない。次の図3、図4と図2を重ねあわすと、1960年以降、女性の労働力率 は年々増加し、その形状も右肩下がりから台形もしくは逆U字になってきたことがわかる。1960年 から2000年までの40年間に「仕事と育児の両立」支援をとってきた1。 3−2.1960年代初頭、女性の労働力率は日本の方が高かった。 分析対象を1960年以降に限定する。広く、第二次世界大戦後を対象に設定することも可能である が、女性の労働力率に関するILOのデータが1960年以後しか存在しないので、となっており、資料 的制約から、分析もまた1960年以降とする。 西欧「先進」諸国では、第二次世界大戦後の早くから、男女「平等」の観念が社会制度のすみず みにまで行き渡っているという「通念」もしくは「常識」が日本では随分昔から人口に謄夷してい たが、データから見えてくる姿は、DVと家庭内に閉じ込められた女性像である。日欧、それほど の差異がない。農業人口が相対的に多く、自営業がこれまた相対的に多い戦後から1960年までの日 本社会の方が、西欧社会よりも「女性の労働力率」が高かった、という事実である。 データを1960年代初頭からさらに1970年代、1980年代へと追っていくと、1970年代から、日欧で 大きな、ベクトルを異にする変化が生じていることに気づかされる。それは、女性の社会進出(労 4詳細については浅野[2005],第13章を参照されたい。
日欧社会経済システムの分水嶺 図3 女性の労働力率 国際比較
90
80
70
60
横}50垣40
30
20
10
0灘叢
15−1920−2425−2930−4950−5455−5960−6465→一 年齢 ”西ドイツ(1961) N−×一’スウェーデン(1960) 一●’アメリカ(1960) 出典:国際労働事務局(ILO)[1967]より作成。 働力率でみた)の点で、西欧はプラスの局面に、日本では逆にマイナスの局面に変化している。 ILOが統計を取り始めた1960年代、北欧三国もフランスも逆U字カーブではなく、結婚までは働 くが、結婚・出産・育児とともに、右肩下がりに女性労働力は低下していく。つまり「専業主婦」 モデルが西欧では支配的であった。 年次は若干、異なるがILOがデータとして公表しているもっとも初期の年次(1960年一1965年) のグラフを見てみると次のことがわかる。①日本は女性の労働力率が最も高く、しかも「M字型」 をしている。②アメリカも「M字型」をしているが労働力率は40%台と低い。③他方、西ドイッ、 フランス、スウェーデン、イタリアの諸国において、20−24歳代で、一度は高くなるが、25歳以上 の年次では「右肩下がり」の形状を示している。これは明らかに、独身時代には就業するが、結婚・ 出産とともに、「専業主婦」に納まる家族モデルを表している。 エスピン・アンデルソンは、今日、福祉国家といわれる諸国において、80−90%台の高い就業率 を記録している西欧諸国において、1960年代までは「専業主婦」モデルに依拠していたと、次のよ うに述べている。 「現代の福祉国家は、そもそも家族主義Ie・familialismeに依拠していた。これは世界中どこでも同 じである。戦後の社会政策は、男性は家族を養い、配偶者である女性は家庭foyerに納まるという前提からk多ニトした。これはつい最近まで、福祉国家が社会サービスを廃止して、所得保障メカ ニズムによる現金給付を優遇したことからも説明がつく。スカンジナビア諸国が家族向けサービス に重点を置くようになったのは、女性の就労率が高まった1970年代になってからに過ぎない。北米 やイギリスでは、行政は部分的に税額控除などの間接的な手段を通じて、市場を頼りにするように 仕向けている。保育施設を充実させるといった間接的な手段による、ベルギーやフランスの保育サ ービスは例外として、家族主義familiaiismeの原則は、ヨーロッパ諸国の大部分で君臨してきた。こ うしてほとんどの先進国社会では、採用する政策が女性革命revolution・feminineにきちんと対応して こなかったことから、社会の不均衡は拡大していった。」(Gosta Esping−Andersen[2008], pp24−25.) ここで語られる「家族主義familialisme」という用語は、男性と女性の性役割分業モデルであり、 本稿が使用する「専業主婦」モデルと同義であるといってよかろう。 「1960年代までは、「女性は家庭にいる方が子どもが増えやすい」という考えから、専業主婦世 帯への給付が設けられるなど、家族政策は専業主婦と夫という伝統的モデルを推奨していた。それ が当時は好況で労働力が必要であったこと、女性の社会進出が進みつつあったことを背景に、専業 主婦世帯への給付は次第に減り、1978年には姿を消す。代わりに、保育園の改善や託児費用の補助 など、母親が働く家庭への給付が充実していく。」(牧陽子[2008],p.20.))1 3−3.「女性革命」一西欧における女性労働力率上昇の背景 図2の日仏比較で見たように、④日本は21世紀になっても、女性の労働力率はM字型である。率 は向上しているが、専業主婦モデルを固持している。⑤日本よりも女性の労働力率が低く「右肩さ がり」であったスウェーデン、イタリア、西独、フランスの諸国は、その後、徐々に率を高め、専 業主婦モデルへの立脚から脱して逆U字型に移行してきた。ここでは、専業主婦モデルからの脱却 =女性労働力率の向上=「女性革命」の背後に何があったか考察しよう。 女性の労働力率の増大の背景に何があったのか。それは1968年以降の女性解放運動とともに、な がらく、カトリック世界において、容易ならざる離婚手続きを簡素化し、「離婚法」を制定し、女性 1筒井清子氏の次の指摘も参照。「年齢階級別労働力率で示すと、図のように若年層と中年層の労働力率が高い 二つの山を形成するM字型を描く。右側の山は年々上昇しており、それは中年既婚女性の雇用者としての労 働市場への進出が続いていることによる。つまり結婚、出産、育児等でいったん退職し、子どもの手が離れ た後に再就職する人が多いからである。このMの底は1975年(昭和50年)の46.2%から毎年確実に少しずつ 上昇して、1998年(平成10年)には、30−34歳の底が55。8%まで上昇した。米国も60年代には、全体的に労 働力率が低く、M字型であったが、1970年代に急激に上昇し、落ち込みの見られない高原状となった。また スウェーデンもかつてはM字型を描いていたが、現在、男性と同じ逆U型を描いている。英国も1990年代の 前半まではM字型であったが、急激に上昇して高原状に近くなっており、現在では先進国ではM字型は日本 だけとなった。」(筒井清子[2000],pp.19−20.)
日欧社会経済システムの分水嶺 図4 女性労働力率の推移(フランス %)