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歴史認識の共有化を求めて

―映画『東京裁判』を観て―

酒井信昭

( はじめに) 米国のサブプライムローン問題に端を発したグローバル金融危機は1990年代後半に 成立した「アメリカ金融帝国」の終焉をもたらすものであった。1他方で、米国及び基軸通 貨米ドルを補完すると見られていた欧州と通貨ユーロもギリシャ危機をきっかけに財政問 題と言う本質的な弱点を露呈させてしまった。2他方でアジアは「今まさにアジアは沸騰し ている。それも中国だけでなく、インド、バングラデッシュ、東南アジア諸国連合(AS EAN)からドバイ、カタールなど中東地域までアジア全域が一斉に上昇気流に乗ってい る」3と言う状態にあり、世界におけるその重要性は格段に高まっている。従って、日本は 「この国際社会でアジアの国々とどうつきあっていくのかをもう一回見つめなおすところ に来ています。」4と言われている。現在を歴史的大転換期であると説く榊原英輔も「アジア における開かれた経済統合の実現」が「21世紀の日本にとっての最も重要な課題」だと している5 しかしながら、日本とアジア諸国の間には中国、韓国を筆頭に歴史認識問題が大きな障壁 として横たわっており、この問題の改善なくしては「開かれた経済統合」やその先にある 「東アジア共同体」も「アジア共通通貨」の実現も「幻想」6に終わってしまうであろう。 そこで、本稿では、「日本人の歴史認識・戦争認識を大きく変容させ」、「歴史認識問題の 原点」となっている7東京裁判について概観しながら、日本と異なり周辺国の認知を得てい るドイツの『過去の克服』との本質的違いは何かを問いつつ、アジア諸国と歴史認識の共 有化のために映画「東京裁判」の活用方法を考えてみたい。 1 グローバル金融危機に関しては様々な著書がすでに出版されているが、とりあえず、水野和夫 2008. 『金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉』NHK出版を参照。 2 欧州のソブリンリスク問題についてもすでに多くの著書が出版されているが、とりあえず、 田中素香 2010,『ユーロ―危機の中の統一通貨』岩波新書を参照。 3後藤康浩 2010.『アジア力―成長する国と発展の軸が変わる―』日本経済新聞出版会、p.1 4 水野和夫 2008.前掲書、p.202 5榊原英資 2008.『大転換(パラダイム・シフト)―世界を読み解く』藤原書店、p.228 6 西村陽造 2011.『幻想の東アジア通貨統合』日本経済新聞出版社、但し、著者は東アジア通貨統合 を幻想だとしているわけではなく、日本の通貨統合への戦略を体系的に整理・検討している。 7山田朗・編著/蔵満茂明・本庄十喜・著 2008.『歴史認識問題の原点・東京裁判』学習の友社、pp.3-4

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2 (『東京裁判』とは何か) まずは、東京裁判に関する専門家・日暮吉延教授の定義をみておこう。 「東京裁判(正式名称は極東国際軍事裁判)とは、占領期の1946(昭和21)年5 月から48年11月、連合国11カ国(アメリカ、イギリス、中国国民政府、ソ連、カナ ダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、フランス、インド、フィリピン)が 日本の指導者28名(いわゆるA級戦犯)の国際法上の刑事責任を追及した戦争犯罪裁判 である。」8 この約3年半に渡った裁判は公判中に病没した2名と精神障害とみなされた1名を除く 被告25名全員を有罪とし、絞首刑:7名、終身禁固:16名、禁固20年:1名、禁固 7年:1名の判決を下して終了した。 なお、上記の「精神障害とみなされた1名」とは「侵略国日本の主要なイデオローグ」9とし て起訴された大川周明であるが、その常軌を逸した言動により、病院送りとなりそのまま 開放されてしまった。天皇の戦争責任は問わないことに決めていた検察団は「大川に理論 展開をさせると天皇に戦争責任がある、戦争は大御心を反映して皆でやったということに なってしまう」ことをおそれて、大川を公判に戻すことなく開放した,と言われている。10 いずれにしても、この「東京裁判」は、現在に至るまで様々な議論と評価があり「歴史 にのみ痕跡を残す過ぎ去った出来事ではなく、事あるごとに蘇って姿を現し、その都度そ の意味が問い返される。」11その根本的な論点は大要以下の3点である。 ①「勝者」であるアメリカを中心とした連合国側が一方的に「敗者」を裁く裁判であり、 事実、アメリカによる一般人をも無差別に大虐殺した「東京大空襲」や「広島・長崎への 原爆投下」は一切問題にされなかったし、裁かれなかった。【勝者の裁判】 ②国際法にもない罪で起訴したり、侵略戦争の定義を下したり、事後法まで犯して、過 去の日本の戦争を裁いた。」のは「マッカーサー憲章(極東国際軍事裁判諸所条例)」によ るものであり、あくまで、アメリカの日本占領を円滑に進めるためのいわば「占領政策の 一環」にすぎない。【占領政策の一環】 ③「東京裁判」の判決に際しては5つの少数意見が出されたが、そのうちインド人判事の パルの少数意書は既存の国際法の立場から「全員無罪」を主張していること【裁判の正統 8 日暮吉+牛村圭 2008,『東京裁判を正しく読む』文春新書、p.7 9田原総一郎 2011.『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか―アジア主義者の夢と挫折』PHP研究所、 p.41 10 同上、p.51 11竹内修司 2009.『創られた「東京裁判」』新潮選書、p.3

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3 性】 ④判決後、絞首刑は執行されたものの、その他の者は結局釈放されてしまったこと、この 生死を分けた罪状認定基準が不明確であったこと【判決・量刑の妥当性】、 以上のような論点を中心に、早くからこの裁判を肯定する立場と否定する立場の間に激 しい論争があったが、戦後五十年を迎えた頃からこれを全面否定する『歴史修正主義』と 呼ばれる潮流が勢いを増すことになった。 「戦後五十年を迎えた頃から、過去の日本の戦争や植民地支配の侵略性・残虐性について 触れることを『東京裁判史観』とか「自虐史観」と言った言い方で、非難する潮流(歴史 修正主義)が現れてきました。」12 このため、現在も『東京裁判』に対する見方は下記のように真っ向から対立している。 「一方は、この裁判は「文明の裁き」であるとして過大な期待をかけ、肯定する。他方は、 連合国が持ち出した「戦争犯罪」は第二次大戦で新たに創造された事後法であり、しょせ んは敗戦国の指導者だけを問責する「勝者の裁き」に過ぎないと否定する。 以上のような肯定論と否定論が同時代から過剰な政治性やイデオロギー性をともなっ て真っ向から対立してきた。そして現在も、肯定論が「東京裁判が裁かなかったもの」を 批判するというスタイルに変わっているものの、対立の基本的な構図は同じである。」13 つまり、肯定論=左翼、否定論=右翼というイデオロギー的色分けのもとに、日本の戦 前から戦後にいたる歴史認識の原点に関する評価が、日本国内においても真っ向から対立 しており、従って、日本に侵攻されたり占領されたりしたアジアの周辺諸国からの強い反 発を買ってしまい、外交的な関係改善の大きな「障壁」となってしまっているのである。 では、『東京裁判』の意義はどう考えられるべきか。例えば、山田朗編著は次のように要 約している。14 「東京裁判の歴史的な意義は、次の五点にまとめることができます。 12山田朗編著・蔵満茂明・本条十喜・著 2008.『歴史認識問題の原点・東京裁判』学習の 友社、p.4 13日暮吉+牛村圭 2008,『東京裁判を正しく読む』文春新書、日暮吉延「はじめに」、pp.7-8 14山田朗編著・蔵満茂明・本条十喜・著 2008.『歴史認識問題の原点・東京裁判』学習の 友社、p.126

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4 (1)日本人の戦争認識・歴史認識に与えた影響 (2)その後の国際法への影響(戦争違法化の定着など) (3)アメリカの世界戦略・占領政策の一環としての性格 (4)日米の合作性(宮中・重臣とGHQによるシナリオ作成) (5)日本の国家指導層の再編成」 このうち、(3)(4)(5)については次のように言われている。 「・・・アメリカ主導により実行された対日占領政策において天皇制や昭和天皇個人の処 遇は重要視され、最終的には既存の統治機構を利用することから天皇の地位は保証され、 また昭和天皇個人の責任も不問とされます。つまり個人の処遇に関わる東京裁判において 昭和天皇の責任追及がなされないこととなりました。」15 当初日本の支配層は、自主裁判構想によって、連合国側の戦犯追及の矛先をかわそうと しました。しかし、この構想はGHQの強硬な姿勢によって挫折し、さらに『穏健派』の 有力者であった近衛の戦犯指名・自殺により大打撃を受けます。そして、彼らは自らの戦 争責任を不問に付しつつ、戦争責任を『陸軍を中心とした勢力』に押し付けることに成功 したと言えます。『国体』護持に固執し天皇制維持を強固に主張する「穏健派」グループと、 円滑な占領政策推進を願う連合国側の利益が一致し、天皇の戦争責任が不問に付されるこ とになったのです。つまり、アメリカと日本の支配層とが協力・合作して戦後の支配体制 を形成していくことになったのであり、東京裁判を戦後体制の形成過程の一環としてとら える認識が必要となってきます。16 (2)は別途、国際法の変遷過程から詳細に検証される必要があるが、本稿のテーマから すれば、(1)が決定的に重要である。これは具体的には次のような事象をさす。 そこでは「慰安婦」や「強制連行」の問題こそ取りあげられませんでしたが、「南京大虐 殺」・「バターン死の行進」をはじめとする様々な残虐行為が問題にされ、日本が行った戦 争の問題点が鋭くえぐり出されていたのです。17 この点は、「「東京裁判」全面否定論には必ずしも同調しない」としつつも、この裁判は「『事 後法』による法廷を設け、勝者のみが、自らの所業は差し置いて一方的に敗者を裁いた」 15同上、p.9 16同上、p.66 17 同上、p.4

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5 とする竹内修司も次のように書いて認めざるを得ないのである。 ・・・膨大な資料・文書の滅却と言う障害を乗り越えて「東京裁判」が時間と費用を惜 しまず集めた証拠のおかげで、日本人は自分たちが中国はじめアジアの人々に与えた苦難 と被害の詳細を知った。この裁判がなかったら、また、もし戦犯裁判が日本人の手で行わ れていたなら、多くはうやむやにされていた事実だったに違いない。証言や証拠のなかに は誇張もあったろう、歪曲も含まれていただろう。しかし、それでも日本人は自分たちが 残した深い爪あとに、ここで直面する機会を得たのだった。18 つまり、多くの日本人は「東京裁判」のおかげで、はじめて「自分たちが中国はじめアジ アの人々に与えた苦難と被害の詳細を知った」のである。従って、東京裁判が明らかにし た「過去の日本の戦争や植民地支配の侵略性・残虐性について触れることを『東京裁判史 観』とか「自虐史観」と言った言い方で、非難する潮流(歴史修正主義)」を否定するのか、 容認するのかどうかが、常にアジア諸国から問題にされてしまうのである。 (ドイツの「過去の克服」との差) このように「過去の克服」を十分できないまま、「その事が東アジア諸国との関係にお いて相変わらず『躓きの石』となっている日本とは対照的に、同じ敗戦国ドイツの「『過去 の克服』は、この国の国際的信用の回復と地位の向上に大いに貢献し、ドイツ人に自信を 回復させた」と言われている。19 では、同じ同盟国として連合国と戦い同じように敗戦国となったドイツと日本の差はど こにあるのだろうか。 石田勇治氏はドイツにおいて『過去の克服』が促進された要因として次の4点を挙げてい る20 一、ナチ不法の被害者が声を揃えて、かっての加害国ドイツに補償と名誉回復の要求を行 った。 二、アメリカ合衆国などの第三国が、ナチ被害者の要求を支持し、国際世論に訴えてドイ 18竹内修司 1009.『創られた「東京裁判」』新潮社、p236 19石田勇治 2002.『過去の克服―ヒトラー後のドイツ―』白水社、p.10 20同上、pp.12-13

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6 ツに圧力をかけたこと。 三、「過去の克服」を―時に世論に抗しても―実践することが長期的にドイツの利益にかな うと判断する政治指導者が国内に育っていたこと。 四、被害の実態が歴史学者の手で細部まで明らかにされ、その知識と理解がかつての加害 者と被害者双方の側で共有されるにいたったこと。 まず注意すべきは、ドイツにはナチスによるユダヤ人大量虐殺があり、「ナチの場合は、ユ ダヤ人の集団殺害といった非人道的行為が追求されましたが、日本の場合は、捕虜虐待が 中心的な追及点だった。」と言う点である。21従って、ドイツの場合は「ナチ不法の被害者」 や「アメリカ合衆国などの第三国」が外部から「国際世論に訴えてドイツに圧力をかけた」 のに対し、日本の場合はアメリカの占領政策や冷戦の防波堤としての日本が重視され、ア ジア諸国の要求よりアメリカの要求を優先する政治構造を作り上げてしまったことの影響 が大きい。即ち、下記のようにアメリカの後ろ盾を得た「保守本流」勢力が日本を「アメ リカの同盟国」とすることを優先した、と言えよう。欧州では第二次大戦後、独仏連携を 核とした欧州共同体へ向けた動きが始まり、ドイツにとっては周辺国の信頼回復が政治的 な最優先課題となったが、日本の場合は、「保守本流」の政治家たちにより、アジア諸国と の関係改善より対米関係の緊密化が優先された、とも言えよう。こうして形成された「対 米従属路線」はいまだに中国を中心としたアジア諸国との関係改善の外交的障壁となって いるのである。 「・・・裁判が始まる前から、日米が協力して筋書きが書かれていたのです。証拠書類の 準備、法廷尋問にしても、日米間で内々に打ち合わせをしながら、天皇に累が及ばないよ うに進行させていきます。 その時、アメリカと裏で通じていた勢力が、後に吉田内閣を支える勢力、つまり保守本 流となっていくのです。・・・東京裁判は勝者の裁きだ、一方的な裁きだという主張があり ますが、むしろ日米合作で進められたという性格が強いのです。アメリカにとっては、新 たなアメリカの同盟者を作る手段でもあったとも言えます。日本側も、その筋書きに呼応 して自分たちの生き残りを図った、と言えます。つまり一部の凶暴な陸軍軍人たちが、平 和的な天皇やその側近たち、政治家・官僚などを脅迫して、対米戦争を推進したという太 平洋戦争観を、日米が一緒になって創作したのです。もし仮に東京裁判史観なるものがあ るとすれば、こういう戦争観でしょう。」22 21日暮吉+牛村圭 2008,『東京裁判を正しく読む』文春新書、p.21 22林博史 2008.『戦後平和主義を問いなおす―戦犯裁判、憲法九条、東アジア関係を巡って』かもがわ出 版、p.41

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7 但し、ドイツの「過去の克服」が全く問題がないわけではない。日本の戦争責任が「一部 の凶暴な陸軍軍人たち」に責任転嫁されたように、ドイツの戦争責任もまたナチスにすべ て責任転嫁されてしまったからである。 いわゆる「ホロコースト」はよく知られている。それとは別に、旧国防軍による虐殺が 大掛かりに行われ、旧日本軍とそっくりの慰安婦制度もあった。だが、戦後半世紀のあい だ、そうした事実は人々の目から隠され、当事者も忘れるか忘れるふりをしてきた。戦争 被害者への補償でも誠意ある対応は行われなかった。それでも、社会的に問題視されるこ とはなかった。好イメージが保たれてきた陰の理由、真の理由はここにあった。 なぜこのようなことが可能だったのだろうか。ドイツが清算したとされる過去とは何だ ったのだろうか。 実は、1950年代はじめ、ある最初の国家的トリックが仕掛けられ、後に別のトリッ クが積み重ねられて拡大し、定着した。ヒトラーとナチスをスケープゴートとして、普通 のドイツ人の罪と責任をかばったのだった。23 しかし、日独を『過去の克服』の観点から比較する場合、最も重要なのは四であろう。日 本では前述のように、今だに歴史認識に関して、真っ向から対立する見方が対峙している のに対して、ドイツでは「被害の実態が歴史学者の手で細部まで明らかにされ、その知識 と理解がかつての加害者と被害者双方の側で共有されるにいたった」のである。この点は 日本の歴史学者を始め、学者・研究者・教育者が猛省すべき点であろう。この点は再度後 述する。 ( 映画『東京裁判』の意義) さて映画『東京裁判』は以上述べてきた「東京裁判」をドキュメンタリーフィルムの編集 と佐藤慶のナレーターによる解説で映画化した小林正樹監督による1983年製作の記録 映画である。 この記録映画のもとになっているフィルムの大半はアメリカの国防総省(ペンタゴン) が、第二次大戦の記録として撮影・収録し、秘蔵していたものが使われており、これをも とに稲垣俊が原案を書き、小林正樹と小笠原清の共同脚本に基づいて編集したものである。 この映画は「東京裁判」だけではなく、裁判中に議論の対象となった出来事(例えば、南 京事件など)の記録フイルムも含まれており、いわば、全体が日本による「戦争犯罪」の 記録映画の趣がある。注目すべきは、この映画と対比される映画『ニュールンベルンク裁 231木佐芳男 2001.『〈戦争責任〉とは何か―清算されなかったドイツの過去―』中公新書、 p.ⅵ

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8 判』はドイツの実際の「ニュールンベルンク裁判」をベースにしているとは言え、アメリ カ的価値観から描いたフィクションであることである。即ち、映画「東京裁判」は、ベー スになるフィルムがアメリカによる記録だとはいえ、日本人の手による完全な「記録映画」 であるのに対し、映画「ニュールンベルンク裁判」はあくまでもハリウッド的エンターテ イメント映画であり、原作:アビー・マン、脚本・監督:スタンリー・クレマー、出演も スペンサー・トレーシー(ヘイウッド判事)、バート・ランカスター(ヤニング)、マレー ネ・ディトリッヒ(ベルトホルト未亡人)、ジュディ・ガーランド(アイリーン)などの有 名俳優をそろえている。従って、田中直毅も次のように言わせざるを得ないのである。 つまり、このときアメリカ社会はまだ他を裁きうる、アメリカン・レボリューションの 末裔は依然として国際社会に基準を示しうる、という自信を持っていた。この『ニュール ンベルンク裁判』が公開されたのは1961年。ヴェトナム戦争にそろそろ本格的に入ろ うとした時代ですけれども、まだアメリカは大きな挫折を被っていない。その時点の、ア メリカのヘゲモニー(覇権)に懸念が生まれる前の段階だからこそ可能だった物語だなあ と言う気がします。24 逆に言えば、映画『東京裁判』はアメリカ的価値観や日本の左右のイデオロギー的価値観 に染め上げられることも無く、比較的中立的な記録映画として見ることが可能な映画とな っているのである。 (歴史認識の共有化のために―映画『東京裁判』の活用―) 映画『東京裁判』が比較的中立的な『記録映画』であればこそ、この映画「東京裁判」 はもっと有効に活用されてもいいのではなかろうか。例えば、全高校生または全大学生に この映画を観ることを義務付けて議論させてはどうだろうか? 日本人の歴史認識に関する最大の問題は、日本の近・現代史が学校でまともに教えられて いない、ということである。従って、海外駐在などを経験すると日本の歴史をあまりにも 知らないことを思い知らされて愕然とするばかりではなく、特にアジア諸国の人々とまと もに議論できない状態に陥ってしまうのである。 従って、日本の近・現代史を少なくとも学校できちんと教えることがより重要な対応とな ろう。そのためには、大学入試に日本史を必須科目とし、出題の半分は近・現代史から出 題することにし、そのうちの少なくとも1題は『東京裁判』に関わる問題を出題すること にしたらどうか?日本史の教科書の記述内容に関してですら左右の厳しいイデオロギー対 立があることを勘案すれば、上記のような教育現場の変革は容易ではない、ということは 24田中直毅・長田弘 2000.『映画で読む二十世紀―この百年の話』朝日文庫、pp.140-141

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9 わかる。しかし、現在のように、『坂の上の雲』のような小説やドラマによって、ナショナ リズムを掻き立てられるものだけがもてはやされる、というのは決して健全な姿ではなか ろう。 まず、「事実を知る」ことが重要だとすれば、戦争にいたる経緯と戦争の実態を知る最適 な教材は記録映画『東京裁判』ではなかろうか。上記のような対応を公式に行うのが政治 的に無理であるなら、民間のボランテアベースで記録映画『東京裁判』の全国上映運動を 大学のネットワークを使って実施することも考えられる。 しかし、その前に、歴史学者を中心にした学者・研究者・評論家などの知識人と呼ばれ る人たちの研究・論争を通じた歴史認識の共有化が必要不可決であろう。 現在すでに、日中歴史共同研究25が開始され、その第一期報告書も発表されているが、そ の経緯や結果に対して「歴史修正主義者」の間から「罵詈雑言」に近い非難の声26も上がっ ている。近隣諸国との歴史認識の共有化も必要であるが、まず、国内の論争の論点を十分 整理して、一定の共通認識を形成する努力が必要であろう。 (おわりに) 2011年3月11日に発生した史上最大の大地震と津波と原子力発電所の事故は 日本だけではなく、アジア諸国に軍事的な集団安全保障だけではなく、災害対策、原発事 故対策、食料・燃料・水・電力・などの共同備蓄の必要性などいわゆる「非伝統的分野の 集団安全保障」の必要性を痛感させたものと思われる。いずれにしても、日本は、経済的 にも政治的にも中国・韓国・ASEAN諸国・インド・などのアジア諸国との関係強化な くして、21世紀を生き残れないことがますます明確になった、と言えよう。 その最大の障壁が歴史認識問題であり、その原点は『東京裁判』にあるといえよう。 例えば、中曽根首相の時以来大きな政治問題となった『靖国神社問題』もその基本構図は 「東京裁判」と同じなのである。高橋哲也は次のように述べる。 「・・・中曽根首相が公式参拝を繰り返す。そして、当時の昭和天皇が「御親拝」を復活 させると想像してみよう。これは何を意味するか。 この構図が問題なのは、それがある意味で、東京裁判の巨大な問題点を反復するものに 他ならないからだ。 A級戦犯を排除した靖国神社に昭和天皇が参拝し、「英霊」たちを慰撫する。それは、A 25 2006年10月の日中首脳会談でその実施につき合意され、同年12月から2009年12月にかけて4 回の全体会合を重ね、2010年1月31日に自国語論文(報告書)が発表され、9月にはその翻訳版も 発表されている。日本側座長は北岡伸一・東大教授、中国側座長は歩平・中国社会科学院近代史研究所長 で、それぞれ10名の専門家が参加している。 (以上外務省ホームページ:http://www.mofa.go.,jp/mofaj/areea/china/rekishi_kk.html) 26 例えば、西尾幹二・福井雄三・福地淳・柏原隆一 2011.「日中歴史共同研究の嘘とデタラメ」『WIL L/2011年4月号』(ワック出版)所収

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10 級戦犯に主要な戦争責任を集中させ、彼らをスケープゴート(犠牲の山羊)にすることで 昭和天皇が免責され、圧倒的多数の一般国民も自らの戦争責任を不問に付した東京裁判の 構図に瓜二つなのである。 一方では、「大元帥」として帝国陸海軍最高司令長官であった昭和天皇の責任、そして天 皇制の責任が問われることなく免責され、他方では、有無を言わせず戦争に動員され、戦 死した点では被害者といえるけれども、実際に侵略行為に従事したという意味では加害者 であった、一般兵士の責任も全く問われずに終わってしまう。さらにまた天皇の権威によ って天皇の神社として、それらの兵士を動員することに決定的な役割を果たした「戦争神 社」靖国神社の戦争責任も全く問われないことになる。27 かくして、歴史認識問題の原点である『東京裁判』に関して、徹底的に議論し、歴史認識 の共有化を図ることは、大地震・大津波・原発事故の三重苦に見舞われた日本と日本人に とって、大震災からの再建と同時に進められなければならない「最大の課題」と言えよう。 (2011年3月21日脱稿)

【参考文献】

27高橋哲也 2005.『靖国問題』ちくま新書、pp.78-79

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11 ・水野和夫 2008.『金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉』NHK出版 ・田中素香 2010,『ユーロ―危機の中の統一通貨』岩波新書 ・後藤康浩 2010.『アジア力―成長する国と発展の軸が変わる―』日本経済新聞出版会、 榊原英資 2008.『大転換(パラダイム・シフト)―世界を読み解く』藤原書店、 ・牛村圭・日暮吉延 2008.『東京裁判を正しく読む』文春新書 ・西村 陽造 2011.『幻想の東アジア通貨統合』日本経済新聞出版社 山田朗・編著/蔵満茂明・本庄十喜・著 2008.『歴史認識問題の原点・東京裁判』 学習の友社、 ・林博史 2008.『戦後平和主義を問いなおす ―戦犯裁判、憲法九条、東アジア関係を巡って』かもがわ出版 ・竹内修司 1009.『創られた「東京裁判」』新潮社、 ・石田勇治 2002.『過去の克服―ヒトラー後のドイツ―』白水社、 ・ 高橋哲也 2005.『靖国問題』ちくま新書 ・田中直毅・長田弘 2000.『映画で読む二十世紀―この百年の話』朝日文庫、 ・木佐芳男 2001.『〈戦争責任〉とは何か―清算されなかったドイツの過去―』中公新書 ・ 西尾幹二・福井雄三・福地淳・柏原隆一 2011.「日中歴史共同研究の嘘とデタラメ」『W ILL/2011年4月号』(ワック出版)所収 ・ 田原総一郎 2011.『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか―アジア主義者の夢と挫 折』PHP研究所

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