幼生研究のための小テクニック集
(1)
サンプル観察についての
F A Q
小 西 光
一
日々の研究活動の中で必要不可欠であるのに意 外に情報が得にくいものがある. その代表が日常 的に研究者が行っている小さなテクニックあるい はヒント,俗に 『小ワザ』 とか 『裏ワザ』 と呼ば れるものではないだろうか? 論文を読んだり,あ るいは講演を聞いたりして,いざ自分が同じこと をや ってみようという場合に, 実際の話,同じ機 器を使うにしてもそのちょ っとした使い方などは 論文の字面からは分からない場合が多い. これら の小テクニックはその研究室の伝統 ・性格とか 個々の研究者によって創意工夫される個別性が高 いものなので,あえて教科書や論文に記述される ことはまれである . このような小 テクニックは研 究活動の潤滑油的な働きをし ているだけでなく, 見えない土台として ,想像す る以上に研究本体を 支えているのではないだろうか? また ,学会の発表以外の懇談の場において ,そ の結果は具体的には何を使い,どうや って得たの か? との質問をしたり逆に受けることも多々あ る. 学会では発表会場以外の「休憩室」や「談話 室」やらが大切な情報交換の場になるのもこの様 なことが一因と想像される. そのような場で乱雑 に書 きとめたメモが,整理された論文ファイル よ りも役立つことは良く経験するが,これらを使い やすくまとめたパンフレ ッ トがあれば助かるのに と感じたことはないだろうか? そこで,エピ ・カニ類幼生に関する研究活動に おいて質問が多く,かつ活字にされる機会の少な い事柄について , 日頃使 っている 小テクニ ック情 報を提供することを考 えた. その手始めとして, 今回はサンプルを 固定し観察する過程で実際に遭 遇するいくつかの事項について良くある質問集Kooichi K ONISHI: Miscalleneous techniques for stu dies on decapod larvae (1) F A Qs on observation of larval specimens (F A Q) のかたちで紹介したい.
1.
固定について0 1
固定液は何が良いか 7A 1 :
3 - 5 %
の中性ホルマリンが実用的. 種々の固定法が知られているが, 一般的には3
- 5 %
の中性化 したホルマリンによる固定と保存 が最も 実用的と思われる.50%
程度のエチレング リコールも良いが,光学顕微鏡での観察以外には ほとんど使えず,万一組織切片等が必要にな って も流用しにくいのが難点である. またホルマリン は薬品として入手しやすくかっ安価であ る. ただ し,そのままではギ酸を含んでいて酸性が強い の で,中性化のために炭酸カ ルシウム, 炭酸マグネ シウムまたはホウ砂を入 れて振とうし, 一晩静置 した後の上澄みを原液として用い る. 問題点はホルマリン液中に長期間サンプルを入 れておくと次第に脆くなることである . そこでデ ータを取り終えた後に長期保存する場合 には,サ ンプルを 一度純水で‘洗 った後に70%
程度のエタノ ールに移しかえることにしている. それではその 目安とは どの位の時間かということになるが,筆 者は小型 の幼生サンプルでは経験上数カ月一l
年 としている . くり返しになるが,組織切片や電子顕微鏡観察 を目的とする場合にはそれぞれ適切な固定液が必 要であるし ,最近の P C R 等による D N A 解析のた めには,最初から 純エタノールで固定しておかな ければならない. 0 2 : どの様に保管するか ? A 2 小型瓶に入れて冷暗所に保存する. 入れ物としてはサンプルの大きさと量による が,一般の幼生であれば容量10 - 5 0 m eのガラス製 スクリュー瓶が使いやすい. た だし,口径が策部で狭くなっていないものがサンプルの出し入れ上 は良い (図 1). 色素胞な どの退色を少しでも 押 さえるために は冷暗所で保管した方が良い. この ために褐色容器に入 れたりアル ミホイルで包み遮 光する場合もある. ただしこれでも数ヶ月が限度 と考えておいた方が良い. 液浸のサンフ。ルで、注意すべきは保存液の蒸発と サン プルデータの消失である. 前者について特に エタノール類は時々点検すべきであり ,万ーを考 えて 5 0 % グリセ リンを数滴添加しておくと致命的 な乾燥を防止 出来る. 後者については,鉛筆ある いは墨でデータを記入した和紙なとεの小紙片を瓶 に入れておくと ,瓶のラベルなどが取れたりした 場合に役立つ. 筆者の経験では ,鉛筆 ・墨と 和紙 の組み合わせは相当な長期間にわたって消失する ことのない優れた記録媒体であると思う. 最近の幼生研究では論文化する場合にその形態 記載に用いた証拠サンプル
(voucher spec imen)
をしかるべき公的機関 に登録 ・保管することが勧 図 1 サンプルの保存に用いるスクリュー瓶の例. 左 の様に口径が小さいと先細ピンセ ットでも底ま で届かないので注意. められている. いずれにしても標本とは観察 ・分 析されるためにあるのであり,固定したまま放置 するものではない. 最良の保管法とはすみやかに データ 化 して論文等で公表することではないだろ
うかつ
2 .
解剖についてQ
3
: どんな道具で解剖するのか?A 3:
極細の針,ピンセ ッ ト,ピペッ トが基本. 微小な解剖においては「つまむJ. i切るJ. i移 すJ という基本動作から成 っている. これらの動 作は互いに重復する部分も多いが,それぞれに先 端が極細のピンセ ッ ト,針,およびピペットが対 応している. ピンセットは市販の先細のものの中 から自分の指力に合ったコシの強さの製品を選ぶ ことが大切である. これを必要に応じてさらに砥 石で研いで細くする . 微細針については極細 (00 番) の昆虫針をさらに製図器機用オイ ルストーン で研いで細くしたものを 竹串の先端 に挟んで使っ ている . またタングステン 線の先端 を薬品で溶か して極細の針を作り ,同様 に使う . 図 2 にこれら の針を比較のために並べてみた . ピペ7 卜はサン プルの大きさに応じて,容量1me
位の市販パスツ ールピペッ トやマイクロピペットの使用済みチッ プ( 容量は1 - 5
me
位) を 加工して使 っている . その他. 11艮科用の微小鉄もあれば重宝するが, 手作りであるためにかなり高価である .A
B
C
¥ ーD
図 2 解剖に用いる微細針の例. 上から,一般の解剖 針 (A ),昆虫針 (8 ),タンクステン線を加工 したもの (C). 比較のためのヒ卜の毛髪 ( D ). 左上のスケールは 1.0mm.0 4 :
どう すれば‘微細な解剖が出来るのか7
A 4 大きいサンプルから始めて徐々に小さく. これは最も良く質問されることの一つであり , またこれこそが幼生研究において 他の手段で置き 換えられない部分である . 一言でいえば練習しか ないが,その場合成体の基本体制を頭に入れてお くと良い. 相手にする物の「っくり」があらかじ め分かっていると非常に作業がはかどるものであ る. また基本的に十脚 甲殻類において幼生の体の っくりは成体の簡略あるいは縮小型で、ある . した がって最初は自分が扱えそうな 大きさのサン プル で練習をして慣れたら徐々に よ り小さいも のに移 行することを勧める . その場合,最初は意図して 太田の針で練習すると良い. 確かに結果として米 粒に字を書くよりも細かい作業をすることになる のであるが,実体顕微鏡下で行うのであるからそ う難しいことではない.0 5
: プレパラー卜はどうするのか?A 5
解剖・観察ごとに一時的に作成する. 筆 者 は永久 プ レパラー卜は作 らない方針であ る. あらかじめシリコンで援水コートしたスライ ドグラス上に適量の水を滴下し( 図3),そこに 細いピペット,ピンセットあるいは微細針で解剖 後の微小サンプルを移す. 次にゴム粘土の小球 を 四隅に付けたカバーグラスを静かに上からかぶせ (図4 ),ついで必要に応じてこのカバーグラスを 水平方向に動かしながら,サンプルを転がしてち ょうど見やすい方 向 に向け る( 図5). 解剖と観 察に使用した後の付属肢等は,再びピペッ トや微 細針などにより 1つの標本瓶に戻して保存する. 図3t
鑓水コートしたスライドグラス (A ) と通常の スライドグラス (8 ). 後で必要になったら , ここから取り出してくり返 して使用出来る rわずか数十 ミクロンの物を選 んで扱えるのか? J と言 われるかも知れないが, これも慣れてしまえば難しい事ではない. 永久ま たは半永久プレパラートにするよりは,経験上こ のやり方の方が現実的であると思う . 図4 カバーグラスの四隅に粘土を着ける作業 (上) と一時プレパラー卜 (下). サンプルの厚さに よってかき取る粘土の量を加減するのがポイン 卜. 図 5 サンプルのオリエンテーション (方向出し ). 指先でカバーグラスをわずかに動かしながら中 のサンプルを転がし,見やすい位置にする.図 6 ゾ工ア幼生の第 2 顎脚内肢 (左 ) と,その脱皮 殻 (右). 明 らかに脱皮殻の方が観察しやすい. いずれも中性ホルマリンによる固定.
3 .
検鏡について0 6
サンプルが不透明で見にくいが? A 6 脱皮殻カずあればそれを用いる . 幼生の形態を観察する場合に, 脱皮殻が良く 使 われていることは意外 に知 られていない. 幼生の 体はそのままでは中身が詰ま って いるので,透過 光では見づらく, K O H 等の処理あるいはエチ レ ングリコールでの固定によっても完全に透明化 す る訳ではない. そこで,中身のなくなった脱皮殻 を使えばこの問題は解消する( 図6 ). 必要に 応A
i 1r [
図7 スライドクラスの裏返し観察の ための方法. 通 常の顕微鏡観察 (A ) と裏返し観察 ( B ),お よび実際の写真 (C ). 裏返し観察の ではスラ イド グラスの厚さと対物レ ンズの作業距離の関 係上,20
倍まで が限界である. じてメチ レンブル一等で染めてから検鏡すると見 やすい場合もある. ただし ,触角の感覚毛や関原 基などの生時に柔らかい部分では使えない. さら にデータとして使える脱皮殻が得られるのは ,ふ 化飼育している場合だけである .0 7
サンプルの裏側を見るのには?A
7
プレパラー卜の裏返し観察をする. 観察するものが不透明の場合には表だけでなく 裏からも見る 必要 が出てくる . このためにはちょ っとした工夫が必要となる . 対象サ ンプルが球状 あ るいは 円柱状であれば,前出 図5の様にして見 れば良いが,平板状であるとこの方法が使えない. そこで サ ンプルを裏返して見る必要性が出て来 る. 筆者は図7に示したようにやや大きめのスラ イドグラスにゴム板の小片を貼り付けた 小道具を 用いている. ただし裏返した場合には , スライド グラスはカバーグラスの十倍以上厚いので,作業 距離の関係上i20
倍の対物 レンズまで」が限度で ある . マイクロスライドという ,一種の属平なガ ラス管に試料を吸い込んで検鏡する場合 もある.0 8
付属肢のタイプが判別しに くいが‘?A 8
: 微分干渉顕微鏡で剛毛を判別する. 近年は付属肢等の剛毛の種類とその分布を見るB
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l 1 1E
のがスタンダードとなりつつある. しかしこれら 剛毛は複雑な形状のものが多くて判別しにくいも のである. 走査型電子顕微鏡もも ちろん良いが, 手間と時間それに経費を考えると定型業務におい ては非現実的である . こ の様な場合に顕微鏡にノ マルスキー微分干渉装置を付けて観察すると, 剛 毛上の枝赫の状態が見やすくタイプ分けがしやす いことが多い. ただしこの装置もかなり高価なの が一般での使用におけるネックかも知れない. 一般的には ,顕微鏡のコンデンサーを調節して 焦点深度を浅くし, 剛毛の根元から先端までその 表面の状態を順次追 っていくのがコツである .