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Vol.11 , No.2(1963)031水尾 現誠「捨身について-慧皎の立場-」

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Academic year: 2021

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(1)

捨 身 に つ い て ( 水 尾 ) 一 七 四

上、

者、

て、

度、

る。

ず、

て、

る。

る。

る。

は、

い。

白、

が、

後、

て、

め、

し、

巻、

り、

た、

る。

り、

る。

て、

が、

道、

簗、

く、

青、

ふ。

て、

く。

に、

り。

但、

に、

ず。

し、

す。

る。

は、

み、

外 典 に 親 し み、 長 じ て は、 つ い に こ の ﹃ 高 僧 傳 ﹄ を 編 す る に 至 つ た の で あ る と い う こ と が 知 ら れ る。 そ の こ と は ﹃ 高 僧 傳 ﹄ 序 録 巻 第 十 四 所 牧 の 王 曼 頴 の 書 信 に よ つ て も 充 分 う か が う こ と が で き る。 吹 に ﹃ 高 僧 傳 ﹄ の 記 載 と 内 容 と を 概 観 し て み る に、 故 常 盤 大 定 博 士 は ﹁ 初 め の 五 科 は、 人 多 く 之 を 語 る も、 後 の 五 科 に 至 つ て は 之 を 看 過 す る を 普 通 と す る。 然 し、 佛 教、 が 支 那 を 風 化 し た の は、 濁 り、 繹 経、 義 解、 神 異、 習 檸、 明 律 の 数 果 の み で な く、 之 に 加 ふ る に、 遺 身、 調 経、 興 幅、 経 師、 唱 導 の 力 用 を 以 て せ ず ん ば、 到 底 庶 民 を 教 化 す る を 得 べ き で な か つ た。 い は ば、 前 者 は 基 礎 的 修 道 で あ り、 後 者 は 開 物 成 務 で あ る ﹂ と い わ れ て い る。 こ の こ と は、 慧 絞 が 活 躍 し た 梁 の 時 代 は、 中 國 に 於 い て 佛 教 が、 翻 繹、 格 義 の 佛 教 か ら 實 践 佛 教 へ と 韓 同 し つ ﹂ あ つ た こ と を 物 語 る も の で あ る。 こ れ は、 就 中、 敬 度 に し て 嚴 粛 な 佛 教 精 紳 の 獲 露 で あ る と い つ て よ い と 思 う。 遺 身 も し く は 捨 身 は、 實 蹟 佛 教 へ の 最 た る も の で あ る。 そ こ で ﹃ 高 僧 傳 ﹄ 巻 第 十 二 亡 身 科 に よ、 て、 そ の 一 端 を う か が つ て み た い と 思 う。 こ に は、 本 傳 十 一 人、 附 傳 三 人 の 遺 身 僧 の 名 前 が 認 め ら れ る の で あ る。 慧 鮫 は 先 に 述 べ た 如 く、 南 朝 梁 の 人 で あ り、 南 北 相 敵 封 し て い た た め に 彼 の 見 聞 の 多 く は 南 方 に 偏 す る と い う こ と は あ つ た で あ ろ う が、 東 普 一 人、 宋 八 人、 齊 二 人 と い う 風 に 示 せ ば、 南 朝 所 厨 の 僧 ば か り で あ る こ と に き つ か れ る の で あ る。 し か し、 北 朝 の 僧 の 名 が 見 え な い か ら と い つ て、 北 方 に は 遺 身 者 が い な か つ た と 見 る こ と は 危 瞼 で あ る。 佛 教 が、 中 國 に 傳 來 し て か ら 嵐 も な く、 中 國 思 想 と の 間 に 大 き な 摩 擦 を 生 じ た こ と は 周 知 の こ と で あ る。 ﹃ 弘 明 集 ﹄ 第 一 所 攻 の 牟 子 の ﹃ 理 惑 論 ﹄ に よ る と そ の 第 九 條 に 儒

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-552-家 が 重 ず る 孝 経 に ﹁ 身 禮 髪 膚 こ れ を 父 母 に 受 く、 敢 え て 殿 傷 せ ず ﹂ と い う 金 言 を か げ、 こ れ に 封 し て 佛 教 で 父 母 を 捨 て、 出 家 し、 髪 髪 を 剃 除 す る と い う こ と は 聖 人 の 語 に 反 し て、 孝 道 に 合 せ ざ る も の で あ る と 非 難 し た の で あ る。 し か る に、 ﹃ 高 僧 傳 ﹄ の 記 述 を 見 る に、 遺 身 す る 高 僧 に 封 し て、 多 く の 人 々 が 讃 嘆、 感 激 し て い る ご と は 興 味 深 い こ と で あ る。 勿 論 そ こ に は 著 者 慧 鮫 自 身 の 讃 仰 的 な 要 素 も あ つ た で あ ろ う が、 全 く の フ イ ク シ ヨ ン と は い え な い と 思 う の で あ る。 そ こ に、 佛 教 の 中 國 化 を 認 め る こ と が で き る の で あ る と 思 う。 さ て、 科 末 の 論 に ﹁ 夫 れ 有 形 の 貴 ぶ 所 の 者 は 身 な り。 情 識 の 珍 と す る 所 の 者 は 命 な り。 是 の 故 に、 脂 を 准 い、 血 を 飲 み、 肥 に 乗 り 輕 を 衣 る は、 其 の 恰 怪 な ら ん と 欲 す れ ば な り。 求 を 餌 い 丹 を 含 み、 生 を 防 ぎ、 性 を 養 う は、 其 の 壽 考 を 欲 す れ ば な り。 一 毛 を 柳 き て 以 て 天 下 を 利 せ ん に、 即 ち 格 に し て 爲 さ ず。 一 喰 を 徹 し て、 以 て 鯨 命 を 績 け ん に、 則 ち 惜 み て 與 え ざ る が 如 き に 至 り て は、 此 れ そ の 弊 や 過 ぎ た り、 宏 知 達 見 あ る よ り、 己 を 遺 れ て 人 を 謄、 三 界 を 髄 し て、 長 夜 の 宅 と 爲 し、 四 生 を 悟 り て 夢 幻 の 境 と 爲 し 精 神 は 輩 羽 に 逸 し、 形 骸 は 瓶 殼 に 滞 る。 是 の 故 に 頂 を 摩 し て 足 に 至 る も、 會 つ て 心 に 介 せ ず。 國 城 妻 子、 捨 つ る こ と 草 芥 の 若 し。 今 の 論 ず る 所 は 蓋 し 其 の 人 な り ﹂ と 慧 鮫 は い つ て い る。 こ こ に は 慧 鮫 が 何 故 に 遺 身 科 を わ ざ く も う け る に 至 つ た か と い う こ と が う か が え る の で あ る。 そ こ に は、 身 命 を お し ま ず し で、 大 道 の た め、 利 他 の た め に つ く し た 十 敷 人 の 高 徳 の 僧 の 傳 記 を や む に や ま れ ぬ 氣 持 か ら 筆 を と つ た と い う こ と が よ く わ か る の で あ る 。 さ て ﹁ 夫 れ 有 形 の 貴 ぶ 所 の 者 は 身 な り、 情 識 の 珍 と す る 所 の 者 は 命 な り。 是 の 故 に、 脂 を 喰 い 血 を 飲 み、 肥 に 乗 り 輕 を 衣 る は 其 の 胎 澤 な ら ん と 欲 す れ ば な り。 ﹂ と い う 記 述 の 上 に 南 朝 貴 族 肚 會 の 奢 修 贅 澤 の 風 潮 を と ら え て い る と 見 る の は 誤 り で あ ろ う か。 い た ず ら に、 淺 薄 な 教 養 を ふ り か ざ し、 大 衆 の 上 に 安 逸 を む さ ぼ る こ と を き ら い、 僧 群、 曇 構 等 十 敷 人 の 遺 身 僧 の 上 に 大 き な 憧 憬 の 念 を さ さ げ て い る。 そ し て、 慧 鮫 は ま た ﹃ 梵 網 経 疏 ﹄ の 著 書 が あ つ た と い う 所 か ら 見 て も 自 分 を 律 す る こ と 謹 嚴 な る こ と は、 春 夏 に は 経 を 講 じ、 秋 冬 に は 著 述 に 働 ん だ と い う 所 に よ く う か 穿 わ れ る。 以 上、 ﹃ 高 僧 傳 ﹄ 遺 身 科 を あ ら わ す に あ た つ て の 慧 鮫 の 意 圖 す る 所 を 述 べ た の で あ る。 捨 身 に つ い て ( 水 尾 ) 一 七 五

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