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ロシアの人口移動(十八-二十世紀)とその特色

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(

-二

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は  じ   め  に   わ が 国 で は 一 般 に シベ リ ア の 開 発 に伴 う シ ベ リ ア への、 つま り 西 か ら 東 へ の人 口 移 動 を中 心 と し た ロシ ア の東 部 への人 口流 入 が知 ら れ て い る 。 し か し 、 シベ リ ア の 開 発 、 そ れ によ る多 数 の人 口 流 入 現 象 の 発 生 は、 ロシ ア の 人 口 移 動 に よ る辺 境 の開 発 の歴 史 か ら み る と新 し い。 ま た 、 ロシ ア の 人 口 移 動 を新 大 陸 を 含 む 海 外 への 人 口 移 動 も 考 慮 す る ・と 、総 合的 な観 点 か ら ロシ ア の人 口移 動 の考 察 が 可能 と な る。 こ こ で は前 記 を視 野 に入 れ て 三世 紀 にわ た る ロシ ア の 人 口 移 動 の 特 色 を探 っ てみ た い 。   律 シ ア民族 居 住 地 の 中 で辺 境 に位 置 し て いた 小公 国 か ら出 発 し た モ ス ク ワ 公 国 が モ ンゴ ル の 征 圧 下 で徐 々 に力 を 貯 え 、近 隣 の 公 国 を次 々 と併 合 し 、 モ スク ワ 大 公 国 、 ロシ ア帝 国 へ と発 展 す る。 一 方 、 十 六世 紀 後半 には カザ ン 汗 国 の征 服 によ り ロシ ア の 東 方 へ の 進 出 が 加 速 さ れ 、南 方 へ は ド ン コサ ックと の合 併 条約 調 印 以降 、 黒 海 沿 岸 ま で国 力 を伸 張 さ せ て い っ た。 そ れ と と も に ロシ ア 人 を中 心 と し た スラブ 系 諸 民 族 の ロシ ア の新 領 土 への殖 民 が 顕著 な現 象 と し て現 れ てく る。 し ば しば ロシ ア人 の民 族 性 のひ と つと し て放 浪 癖 が 挙 げ ら れ るが 、 国 土 の 拡 大 と と も に顕著 にな っ た特 性 であ っ た。   ロシ ア の ヨ ー ロ ヅ パ ロ シア中 部 から の人 口拡 散 は十 六世 紀 から であ るが 、 こ こ で は こ の 現 象 が 顕 著 にな り 、 数 量 的 把 握 が 可能 な統 計 資 料 が 出 てく る十 八世 紀 か ら現 在 に い た る ま で の ロシ ア人 を 中 心 と し た ロ シ ア 領 居 住 の 諸 民族 の 国 内 お よび 国 外 への人 口移 動 の数 量 的 把 握 と ヨ ー ロ ッ パ諸 国 と 比 べ て見 られ るそ の特 色 、 ま た 、 海 外 から の外 国人 移 民 に つ いて検 討 し て み た い。 以 上 の 三点 を 一 、 ロシ ア革 命 ま で、 二、 革 命 後 から ソ 連 肘 壊 ま で、 三、 ロシ ア連 邦 成 立 後 の千 九 百 九 十年 代 に 分 け て見 て み る。

一 

八世紀

移動

  十 八世 紀 の国内 で の 人 口 移 動 で目 立 つの は、 ヨー ロ ッ パ ロシ ア 中 部 から ロシ ア の 新 領 土 どな っ た 辺 境 地 帯 への人 口 流 出 であ る。 統 計 か ら                                           ① 見 て十 八世 紀 に 約 百 七十 万 人 が 辺 境 に移 動 し た が 、 そ の 移 出先 は東 部 の沿 ボ ル ガ 中 、 下 流 部 、 中 央 黒 土 地 帯 東 南 部 、 ウ ラ ル 山 地 西 部 で あ る 。 こ の時代 はベ ー リ ン グ 海 峡 、 オ ホ ー ツ ク海 に至 る シベ リ ア の 大 部 分 が ロシ ア 領 にな っ て い たが 、 シ ベ リ ア への移 民 は限 ら れ て い て シベ リ ア の 人 口 増 は主 に高 い自 然 増 によ ると いわ れ て き た。 一 方 、移 民 は ユ71

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窓 史 ヨー ロ ッ パ ロシ ア 中 部 、 北 西部 、 中 央 黒 土 地 帯 北 部 の 出 身 者 で あ っ た。 ヨ ー ロ ヅ パ ロシ ア中 部 から 辺 境 への移 動 は 非 合 法 な逃 亡 の ほ か法 的 に 許 可 さ れ た移 動 に より 生 ま れ た が 、 非 ロシ ア 人 の 移 動 も す く な く な か っ た ( タ タ ー ル 人 の沿 ボ ルガ中 流 部 か ら 沿 ボ ルガ下 流 部 への移 動 のよ う に ) 。 し か し、 全 体 と し て十 九 世紀 に比 べ て流 出 地 の人 口増 の 圧 力 が少 なく 、 移 動 規 模 も 少 な か っ た。 海 外 への 人 口 流 出 お よび 海 外 から の流 入 は国内 移 動 の 規 模 に比 べ て少 な いが 見 ら れ た。 そ し て、 海 外 への動 き に ロシ ア 人 は ほ と んど 関 与 し                                                 ② て いな い 。 海 外 か ら の 流 入 は約 十 万 で、 ド イ ツ 人 の 殖 民 ( 千 七百 六十 年 以降 沿 ボ ルガ下 流 部 、 ノボ ロシ ア に四 万 ) お よ び モ ル ダ ビ ア、 セ ル ビ ア 人 の 流 入 ( ノ ボ ロシ ア に 六万 人 ) であ る 。 海 外 への 移 民 は ク リ ム タ タ ー ル のト ル コへ の二十 万 人 の流 出 と 二十 万人 のカ ル ムイ ク人 の ジ ュン ガリ ア への 帰 還 が 中 心 で、 そ の他 に 一 万人 と い わ れ る ザ パ ロージ ェ コ サ ッ ク と少 数 の旧 教 徒 のド ブ ル ジ ャ、 ガリ ツ ィ ア 、 ブ コ ビ ナ への 流 出 が見 られ た。 1  国

十九

世紀

から革

命時

内   十 九世 紀 前 半 ロシ ア の辺 境 地 域 への人 口 の 移 動 数 は増 大 し、 三百 万 人 を 越 え る人 々 が ヨー ロ ッパ ロシ ア北 部 、中 部 な ど か ら南 部 、 東 部 に 流 出 し た。 表 1 か ら見 ても 明 ら かな よ う に、当 時 は南 部 の ウ ク ライ ナ の 新 ロシ ア への 移 動 が 中 心 で、 百 二十 万人 余 り が移 動 し た。 し か し、 ノボ ( 新 ) ロ シ ア へ の 移 民 の比 重 は千 八 百 年代 初 め よ り減 少 し て い る 表1  買シ ア の主 要 植 民地 域 へ の移 民 数 とそ の比 重(1782∼1858),1,000人 1782∼1858 ・782一 ユ795.・796-・8・51・8・6-・8351・836-・85・1・85・ 一 ・8581

人 数 【%i人 数1%1人 数[%1人 数1%i人 数i%i人 数[%

42.5 15.9 xs.9 13.2 i4.5 1,510.5   564.7   493.4   469.5   516.8 27.4 27.3 4.1 7。1 34.1 e・ 88.O I3.2 22.8 110.1 28.6 19.4 ユ2.3 15.2 24.5 272.0 185.2 117.5 144.4 232.9 50.9 13.3 9.7 12.? 13.4 532.8 139.3 ユ01.2 132.8 140.6 47.8 11.0 22.4 15.2 3.6 437.1 100.9 205.1 138.7 33.2 56.5 16.1 17.7 9.7 180.1 51.3 56.4 30.8 ノ ボ ロ シ ア 北 カ フ カ ス 下 沿 ボ ル ガ 南 プ リウ ラル シ ベ  リ ア

318.6100.01915.0100.01,046.7100.0952.01100:0,322.6100.03,554.91100.0

計 ヵブ ーザ ン,ロ シ ァの 移 出入 民(18世 紀 ∼20世 紀 初)に よる。 が 、 そ れ でも千 八百 三十 ∼ 五 十 年 代 に全 移 民 の 四分 の 一 強 ③ を し め て いた。   一 方 、 ロシ ア が 北 カ フカ ス の山岳 民族 を征 圧 し た こと か ら 、北 カ フカ ス への人 口移 動 が 盛 ん にな り、 千 八百 三十 年 代 以降 全 移 民 の五分 の 一 を 占 め る よ う にな っ た。 ま た、 シ ベ リ ア への 移 民 が 増 加 し 始 め 、千 八百 三十 年 代 以 降 全 体 の五分 の 一 な い しそ れ 以 上 を 占 め る ま で に成 長 した 。 これ に 対 し て沿 ボ ルガ下 流 部 や 南 プ リ ウ ラ ルで の減 少 が 顕 著 で あ っ た。   十 九 世 紀 の後 半 ロシ ア辺 境 への 移 民 数 は増 大 し、 四 百 万 人 を超 え る ま で に増 加 し た 。 シベ リ ア への移 民 が 百 三十 万 を越 え、 ノボ ロシ ア の百 万 人 を一 凌駕 し た。 ま た、 ロシ ア の 東 南 方 向 へ の 進 出 によ り 、 カ ザ フ スタ ン 、 中 央 ア ジ ア への

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移 民 が始 ま り、 四十 万 人 を越 え 、 全 移 民 の十分 の 一 強 の 比 重 を占 め る           よ う にな っ た。 し か し、 ラ ー シ ンが 指 摘 し て いる よ う に こ の期 は カ ブ                                     ⑤ カ ス で の 人 口 増 加 率 は シ ベ リ アよ り高 か っ たゆ 十 九 世 紀 末 か ら革 命 ま で の辺 境 地 への 移 住 者 は約 二十 年 と いう 短 期                                               ⑥ 間 に も か か わ らず 、 五百 二十 万 人 の大 規模 移 民 を数 え た。 こ の規 模 は 八百 七 十 年 代 から 二十 五年 間 の 移 動 三百 八十 万 余 、 十 九 世 紀初 め の 万 人 余 に比 べ て 際 立 っ て いた。 移 民 の流 れ の主 要方 向 は 二百 五十 五万 を数 え 、 国 内 で 第 一 位 と な っ た シ ベ リ ア、 ロシ ア 極 東 地方 で あ り、 第 二位 は百 四十 万 余 のカ ザ フ ス タ ン、 中 央 アジ ア への 移 民 であ る。 つま り東 部 と 東 南 部 の アジ ア への 動 であ り 、 次 い で北 カ フカ ス で、 ノボ ロシ ア への 移 動 は急 速 に 減 、 南 プ リ ウ ラ ルは流 出 超 過 と な っ た。 要 す る に全移 民 の四分 の三 の 住 地 を アジ アで占 め る に い た っ た こと で、 十 八世 紀 末 か ら十 九 世 紀 ば ま で のウ ラ ルを含 む ヨー ロ ッパ部 で全 移 民 の六分 の五 を占 め た時 に比 べ て大 き な変 化 であ っ た 。 2 外 国 への 移 住 と外 国 から の移 住 一 般 に ロシ ア の人 口移 動 や 移 民 に関 し て わ が国 で著 名 な の は シ ベ リ ア への 移 動 であ るが 、 海 外 と の交 流 の大 き さ は 良 く 知 られ て いな い。 ロ シ アが ヨー ロ ヅパ に属 す る か、 ま た アジ ア に 属 す る のか に つい て は 論 の あ る と こ ろだ が 、 新 大 陸 への大 規 模移 民 か ら み て ロ シ アは ヨー ロ ッ パ諸 国 の 一 員 と 認 めら れ る。 た だ し 、移 民 の 民 族 別 比 重 、 つまり ロシ ア人 の ロシ ア帝 国 から の海 外 移住 者 に 占 め る比 率 を見 る必 要 はあ 十 九 世 紀 前 半 の ロシ アか ら の 海 外 移 住 は西部 のポ ー ラ ンド 王国 か

出国者 +入

国者

      図1  ロシ アの 移民 ヵブ ーザ ン 「18世紀 初 ∼20世 紀 初 の ロ シア の移 出入 民1M.,1998に よる 。 173

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窓 史 ら で四 十万 人 と い われ るが 、 大 半 はポ ー ラ ンド人 で 、 そ の 多 く は定 住 ⑦ せず 帰 国 し たと いわ れ る ゆ これ に た い し海 外 から の 移 民 は四十 五万 人 でそ の内 訳 は ア ル メ ニア 人 ( ト ル コから ザ カ 7カ ス へ ) 二十 万 人 、 ブ ルガ リ ア、 ガ ガウ ス、 ギ リ シ ャ 人 ( ト ル コから ノボ ロシ ア へ ) 十 三、 五万 人 、 ド イ ッ 人 十 一 、 五万 人 であ る 。 十 九世 紀 後 半 海 外 と の 人 口 交 流 は発 展 し 、海 外 への 移 民 約 百 九 十 万人 、海 外 か ら の 移 民 二百 八十 万 人 と いう 百 万 単位 の 流 出 入 と な っ た ( 図 1) 。 海 外 への 移 住 のう ちも っ とも 多 い の は新 大 陸 への移 住 で百十 万 人 台 を 数 え た が 、 ユ ダ ヤ人 、 ポ ー ラ ンド 人 、 ド イ ッ人 が申 心 で あ っ た。 そ の他 は タタ ー ル 人 二 十 万 人 のト ル コ への出 国 、 西 カ フカ ス 山 地 民 四十 五 万人 の シリ ア 、 レ バ ノ ン への出 国 が あ っ た。 な お ド イ ツ 、 デ ン マー クを中 心 と し た諸 国 へ 季 節 出 稼 ぎ 労働 に出 か け る人 々 が増 加 し て い る が 、 こ こ では触 れ な い。 海 外 か ら の 流 入 者 は流 出 者 よ り 多 いが 、 ド イ ツ か ら百 十 一 万 、 オ ー スト リ ア ・ ハンガ リ ー帝 国 から の七 十 六 万人 が中 心 で、 他 に ペ ル シ ャ ( アゼ リ人 ) 、 ト ル コ か ら であ っ た。 二十 世 紀 初 め から 革 命 時 ま で の海外 と の 移 出 入者 の流 れ は、 そ れ 以 前 に 比 べ てさ ら に拡 大 、 発 展 し て いる。 特 に 、 千 九 百 一 ∼ 十 年 に増 え て い る。 新 大 陸 への移 民 が 中 心 で 約 三 百 万人 を数 え、 そ のう ち ア メ リ カ合 衆 国 へは 二百 五 十 万人 を超 え た。 民 族 別 で はポ ー ラ ンド 人 が 多 い が 、 ロシ ア人 は少 な い 。 た と えば 、千 九 百年 ∼ 十 三年 に ロシ ア から ア メリ カ合 衆 国 への 移 民 は約 二百 三十 万 人 であ るが 、 ロシ ア 入 は 十 六 、   三 万 人 で 、 十 パ ー セ ン ト に 満 た な い 。 十 九世 紀 末 か ら革 命 ま で の海 外 から の 移 民 は千 九 百 一 ∼ 十 年 に七 十 一 万 人 を数 え 、 ペ ルシ ャ から アゼ リ人 、 ト ル コ か ら ア ルメ ニア 人 が 主 に 流 入 し た。 ま た、 千 九 百 十 一 ∼ 十 五年 に 五十 四万 人 ( ペ ル シ ャ、中 国 が 中 心 ) が 流 入 し た 。 十 九 世 紀 の人 口移 動 は 前 世 紀 と異 な り、 公 の許 可 を 得 て、 合 法 的 に 移 動 す る人 々が 一 部 の地 域 を除 いて 主導 的 役 割 を果 た した 。 ま た 、 国 内 移 民 の出 身 地 は 中 央 黒 土 地帯 、 ウ ク ラ イ ナ左 岸 地 域 、 ボ ル ガ 中 流 域 な ど が 中 心 で、 西 部 のポ ー ラ ンド 王国 、 西 ベ ロル シ ア、 ウ ク ライ ナ 右 岸 から は新 大 陸 への 移 住 と ド イ ツ へ の季 節 労 働 者 が 中 心 であ っ た。 三 革 命 勃 発 か ら ソ 連 崩 壊 ま で 七 十 余 年 にわ た るビ の期 間 は国 内 移 動 に関 し て 、 1 独 ソ戦 ま で、 2 独 ソ 戦 後 から 千九 百 六十 年 代 ま で、 3 停 滞 の時代 か ら ペ レ スト ロ イ カ期 ま で に 区 分 し て眺 め て見 る 。 こ の区分 は 各 期 間 に 国 内 移 動 お よ び海 外 への 移 民 の動 き に変 化 が 見 ら れ る こと によ る。 1 国 内 移 動 独 ソ 戦 ま で 革 命 政府 の 樹 立、 そ の後 の国内 戦 の時代 は ソ 連 国内 の 人 口 が 約 七百 万 人減 少 ( 一 九 一 七年 の 一 億 四千 三百 五十 万 人 から 一 九 二 二 年 の 一 億   三 千 六 百 八十 万 ま で) し た激 動 の時 期 であ っ た。 これ は内 戦 、 飢 饉 に よ る 死 亡 者 、 そ れ を逃 れ て外 国 へ 脱 出 す る人 々 によ る も の であ っ た。 そ の後 のネ ッ プ に よ る経 済 復 興 、 ネ ッ プ に 次 ぐ 工業 化 時 代 ( 五 力年 計 画 期 ) に は い っ て ソ連 の辺 境 地 域 を 含 む 各 地 の工業 化 の 促 進 と とも に

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人 口移 動 現 象 が活 発 化 し て い る。 具 体 的 に は農 村 から 都 市 への 移 動 で あ り 、 ま た 、 ヨー ロ ヅ パ部 か ら シ ベ リ ア、 カザ フ スタ ン、中 央 ア ジ ア への人 ロ [移 動 であ っ た。 こ の 移 動 の流 れ はき わ め て 大 き く 一 九 二 六∼ 三九 年 の セ ンサ ス 期 間 に シ ベ リ ア、 極 東 地 域 へ 四 百 四 十 万 人 が 移 動 し 、 こ の 数 字 は これ ま で 三百 年 間 の こ の地 域 への 移 動 数 に等 し い と い                 ⑩ わ れ るほ ど であ っ た。 ま た、 中 央 アジ ア で はカ ザ フ スタ ン へ の人 口 流 入 が多 か っ た。 一 九 二 六∼ 三九 年 の カザ フ スタ ン 人 口は ほ と んど 増 加 し て いな い ( 六百 二ふ 五万 から 六百 八 、 二万人 ) が、 こ の 期 間 カザ フ 人 が 集 団 化 、定 住 化 、 飢 饉 、 外 国 への脱 出 によ り約 百 八十 万 人 も 減 少                                                   し て い る の で、百 万 人 以 上 の 人 口 が 流 入 し た と 思 わ れ る。 ま た、 労 働 者 、 農 民 と し てや っ て き た人 々だ け で なく 、 ク ラ ー ク ( 富 農) 、  ﹁ 人 民 の 敵 ﹂ と み なさ れ た人 々 の流 刑 、 朝 鮮 人 の ロシア極 東 か ら の集 団 強 制 移 住 など に よ り来 住 した 人 々が 多 く 、 これ ら の 人 々 で 五十 万 人 を 数 え て いる ( た とえ ば 、 朝 鮮 人 だ け で 約 十 万 人 ) 。 こ の よう な 状 況 から                                        ⑫ 五 百万 人 を超 え る人 々が 東 部 、東 南 部 へ 移 動 し、 そ の大 部 分 は ヨー ロ ッ パ ロシ ア の ロシ ア人 を 初 め と す る スラブ 諸 民 族 であ っ た 。        独 ソ戦 から 一 九 六 十年 代 ま で   こ の 時 期 は独 ソ戦 によ る 西 部 か ら東 部 への 施 設 、 人 員 の疎 開 、 ま た 強 制 移 住 と戦 後 の復 興 、 東 部 開発 によ り人 の 動 き は活 発 であ っ た。 独 ソ 戦 中 ソ連 東 部 、 東 南 部 へ 短期 間 に 多 く の 人 数 が 移 動 し た。 全 体 で 二                                             ⑬ 千 五百 万 人 が 中 央 アジ アを 含 む東 部 に 移 っ た と い われ 、 カザ フ ス タ ン だけ でも 百 万 人 と いわ れ た。 カ ザ フ スタ ンで は北 カ フ カ ス、 ク リ ム、 ボ ルガド イ ツな ど か ら の 非 ロシア人 の 強 制 移 住 者 ( 八 十 二万人 と いわ                   ⑭ れ る) が 目 立 っ て いた。   独 ソ 戦 終 了 後 、 東 部 への疎 開 者 が 西 部 へ 帰 還 す る動 き が活 発 であ っ たが 、 残 留 し た人 々も 多 か っ た。 そ れ と と も に西 部 か ら東 部 、 東 南 部 へ の 殖 民 は カザ フ ス タ ン、 シベ リ ア、極 東 地方 の 鉱 工業 、 農 業 の開 発 に伴 う 人 口 移 動 であ っ た。 カ ザ フ スタ ン の 農 業 移 民 は 一 九 五 四年 から                         ⑮ 三年 間 で 六十 四 万人 を 数 え た。 カ ザ フ スタ ン全 体 で百 万 人 以 上 の人 々 が 西 部 、 主 に ヨー ロ ヅ パ ロシ アか ら の 移 住 者 であ っ た。   六十 年 代 の移 動 の 流 れ の 特 色 は これ ま でと は異 な る 一 部 の地 域 で逆 の移 動 が 生 じ始 め た こ と で あ る。 東 西 シ ベ リ ア、 特 に西 シベ リ ア で人 口流 出 が生 じ た。 一 九 五九 ∼ 六九 年 の西 シ ベ リ ア の純 流 出 は 七 九 万 人 、 東 シベ リ アで 一 四万 人 で、 極 東 地 方 のみ が 一 四 万 人 の 純 流 入 を 示 し た。 他方 、 カ ザ フ スタ ン、 中 央 アジ ア で はそ れ ぞ れ 七 九 万 、 四 六 万 人 の純流 入 で あ り、 北 カ フ カ スも 同 様 であ っ た 。 し か し 、 ザ カ フカ ス                     ゆ で は 純 流 出 が 生 じ て い る。 これ は 六十 年 代 から グ ルジ ア で ロシ ア 人 の 減 少 、流 出 が こ の 期 に生 じ た こと と 関 連 し て いる 。        停 滞 の 時 代 か ら ペ レ ス ト ロ イ カ期 ま で   停 滞 の時代 と い われ るブ レジ ネ フ期 と ペ レ ス ト ロ イ ヵ期 を含 む こ の 時期 は 人 口 移 動 の 規 模 と流 れ の方 向 でそ れ ま で の時期 と著 し く異 な る                                                     ⑰ 変 化 が 見 ら れ る。 ヘ レ ニ ア ク の いう 転 換 点 が こ の時期 であ り 、 ロ シア 史 に見 ら れ る人 口 移 動 の遠 心 的 傾 向 が 一 九 七 十年 代 中 ご ろ の ヨー ロ ッ                               ⑱ パ ロシ ア への 求 心 的 な動 き に変 わ る。 これ は 低 テ ンポ の 経 済 発 展 、 ペ レ スト ロ イ カ末 期 の民 族 紛 争 によ る ロシ ア 人 の本 国 への 帰 還 に よ る。 シベ リ ア、 極 東 地 方 で は人 口流 出 傾 向 が 劣悪 な 生活 条 件 も あ って 続 き 、 カ ザ フ スタ ン、 中 央 アジ ア、 ザ カ フカ ス では民 族 紛 争 に よ り 生 活 、 生 存 へ 不 安 感 を 感 じた ロシ ア人 を 中 心 と し た ヨー ロ ッ パ系 諸 民 族 175

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窓 史 の ロシ ア への 移 動 が あ っ た。 先 のザ カ フカ ス のグ ルジ ア で の ロシ ア人 の 減 少 の 動 き は 七十 年 代 アゼ ル バ イ ジ ャ ン、 八 十年 代 ア ル メ 鼻 ア か ら の ロシ ア 人 の 流 出 、 減 少 と な っ て現 れ た 。 こ の動 き は モ ルドバ 、 中 央 アジ ア で も 生 じ た。 特 に、 農 村 で顕 著 で アゼ ルバ イ ジ ャ ン、 ア ル メ ニ ア、 ウ ズ ベ キ スタ ンで ロシ ア農 民 が 五十 パ ー セ ント減 少 、 グ ルジ ア で 三分 の 一 、 ト ルク メ ンで 四分 の 一 、 モ ル ド バ 、 カ ザ フ スタ ンで 五分 の           ⑲ 一 減 で あ っ た。   そ の 結 果 、 七十 年 代 末 か ら 一 九 九 一 年 の ソ連 崩 壊 ま で ソ 連 の 中 で ロ シ ア は 先 の 数 十 年 間 に 比 べ約 百 五十 万 人 の人 口流 入 超 過 国 と な っ た。 そ れ に対 し て 、 カザ フ スタ ン、 中 央 アジ ア 諸 国 は約 三百 万 人 の 純 流 出 、 ザ カ フヵ ス三 力国 で約 百 十 万 人 の純 流 出 、 ベ ラ ルー シ、 モ ルド バ で 約 二十 万人 の 純 流 出 で あ っ た。 人 口 純 流 入 国 は ウ ク ラ イ ナ ( 三 二                       の 万) 、 バ ルト 三国 ( 約 二十 万) であ っ た。 2 外 国 への 移 住 と外 国 か ら の移 住   海 外 と の人 口 の流 出 入 は ロシ ア 帝 国末 期 に 比 べ て少 な い。 最 も 多 い の は革 命 後 から 内 戦 時 の百 五十 万 人 ∼ 二百 万人 と い われ る海 外 移 住 で あ る。 流 出 国 で の 統 計 が な い の で正確 には把 握 でき な いが 流 入 国 の統 計 から み て ム ハチ ェ ビ イ の 推 定 によ れば 、 一 九 二〇 i 二 五年 の世 界 各 国 へ の 旧 ロシ ア帝 国 から の移 民 はお よ そ 五 百 二 十 万 人 で、 こ の中 に独 立 し た ポ ー ラ ンド に帰 る ロシ ア 領 居 住 のポ ー ラ ンド人 も 多 く 含 まれ て   ⑳ い る ( 数 十 万 人 ) 。 ま た 、  一 九 一 七年 後 の に シ ア の 海 外 流 出 者 二百 万 の大 部 分 は ロシ ア人 と いわ れ るが 、 そ のう ち百 万 人 はポ ー ラ ンド 、 五 十 六万 人 は ドイ ツ、 十 七 、 五 万人 は フ ラ ン ス 、 一 、 二万 人 は ラ トビ ア         ⑫ に 移 動 し た。   一 九 二 十 年 代 初 め に は 二百 五 十 万 人 の ロシ ア 人 が外 国 に出 たが 、 こ の 中 に 白 系 ロ シ ア 人 が 含 まれ て いな いと いわ れ る。 種 々 の推 定 の結 果 で は 海 外 の 現 地 民 族 と 同 化 し て いな い ロシ ア 人 は 一 九 二 二年 六 八、 八 万∼ 七 七 、 二万、 一 九 三十 年 四七 ∼ 五 三 、 六 万 、 一 九 三 六∼ 三 七年 三 四 、 五∼ 三 八、 六万 で フ ラ ン ス、 ポ ー ラ ンド 、 ド イ ツに居 住 す る者 が       ⑱ 多 か っ た。   独 ソ戦終 了後 ロシア、 ウ ク ライ ナ で西 側 諸 国 に 逃 れ た ナ チ スド イ ツ                                              の への協 力 者 、難 民 など は十 五万 人 (一 九 四 七 ∼ 五 一 年 ) と い われ る。   そ の後 海外 出 国者 は激 減 し、 一 九 六十 年 代末 か ら増 え始 め る。 一 九 七 一 ∼ 七 七年 ー 十 七∼ 十 八万 人 あ る い は 一 九 七 〇 ∼ 八 五年 三十 万 人 と                             ゆ いう 数 字 が 西側 か ら出 さ れ て い る ( ハ イ ト マン によ れば 、 一 九 四 八-一 九 八 六年 四 十 五万 人 ) 。 これ ら 出 国者 の 多 く は ロシ ア人 で は な く 、 ユ ダ ヤ人 、 ド イ ッ 人 が 中 心 ( 他 に ア ルメ ニア、 ギ リ シ ャ 人 ) で、 ユ ダ ヤ人 の出 国 は ソ 連 で の 差 別 と ア メリ カ の ソ連 に ユ ダ ヤ人 の 出 国 を認 め さ せ る圧 力 から 、 ド イ ツ 人 は 西 ドイ ツ政 府 の ソ連 国 民 でド イ ツ 人 の 子 孫 の出 国 希 望 者 の 受 け 入 れ を ソ連 政 府 に認 めさ せた こと か ら 生 じ た。   一 九 七 五年 の ソ 連 の ヘル シ ンキ条 約 締 結 は ソ連 国内 の 宗 教 的 圧迫 に より 出 国 した いと考 え る人 々を勇 気 づ け た 。 し か し、 そ の実 現 は 遅                                れ 、 一 九 八 九年 約 一 万 人 が 出 国 し た。   ペ レ ス ト ロ イ カ以降 経 済 的 、 民 族 的 問 題 から 出 国 を希 望 す る人 々が 増 え 、 特 に、 先述 の ユ ダ ヤ、 ド イ ッ 人 の出 国 希 望 者 が 急 速 に 増 加 し、 西 ド イ ッ政 府 が 困惑 す る ほど に な っ た。 確 か に 一 九 八 五 年 の六 千 百人 の 出 国 者 が 八七 年 に は三 、九 万、 八 八年 一 〇 、 八 万 、 八 九 年 二十 三 、

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五 万 、 九 〇年 四 五 、 三万 と い う急 激 な 増 加 であ っ た。   ソ連 への入 国 者 は イデ オ ロ ギ ー面 で の同 調 者 の入 国 、第 二 次 大 戦 後 のギ リ シ ャ 内 戦 に よ るギ リ シ ャ コム ニ ス ト の入 国 ( 中 央 アジ ア ) など が あ る が 少 なく 、出 国 者 が 圧 倒 的 に多 か っ た。

崩壊

以降

  一 九 九 一 年 のソ連 崩 壊 は ペ レ ス ト ロ イ カ 末 期 から 生 じ た ロ シア の 人 口 移 動 上 の 変 化 、 特 色 を 一 層 明 確 にす る こと にな っ た。 まず 国 内 の 動 き か ら見 て み よ う。 1  国 内 の 人 n 冖移 動   既述 のよ う に ヨー ロ ッパ ロシ ア の ロシ ア 人 の主要 居 住 地 域 を中 心 と し た ロシ ア 帝 国 お よび ソ連 領 で の人 口 の遠 心的 な流 れ は 一 九 七〇 年 代 か ら 南 部 辺境 i ザ カ フカ ス 、 中 央 アジ ア地 域 から ロシ ア への 逆 の 動 き が 生 じ 、 ロ シ ア国 内 で は ヨー ロ ッパ ロシ ア 中 部 、 ウ ラ ル で 人 口 流 出 超 過 が続 いた。 さ ら に ペ レ スト ロ イ カ以 降 シ ベ リ ア、極 東 地方 か ら 西 へ の 移 動 が加 わ っ てく る。   人 口 純 流 出 は東 シ ベ リ ア を第 一 と し て シ ベリ ア、極 東 地 方 で 見 ら れ 、 さ ら にそ の 勢 いが 加 速 し て い る。 こ こ で は 一 九 九〇 ∼ 九 七年 七十 万 と いう 大 規 模 な純 流 出 で あ っ た。 元 来 人 口 の少 な い東 部 の 開 発 地 で の人 口流 出 は好 ま し い現象 で は なく 、 ソ連 時 代 も 政 府 の 方 針 に反 す る こ の動 き を 止 め る た め に、 そ の 原 因 が 盛 ん に研 究 さ れ た の であ る 。 主 因 は生 活 水準 の 劣 悪 さ に帰 す るが 、 ペ レ スト ロ イ カ末 期 から の 物 資 の 供給 不 足 が さ ら に 生 活 を困 難 に し、 ソ連 崩 壊 後 の市 場 経 済 への移 行 は 高 生 産 コ スト の東 部 地 域 の 鉱 工業 企業 ( 西 シベ リ ア の 採 油 、 天 然 ガ ス 企 業 な ど を除 く) にと っ て き はめ て 不利 な状 況 と な っ た。   今 ひと つ の特 色 は ヨー ロ ッ パ ロシ アを含 む極 北 地 域 、 特 に極 東 の極 北 部 を 中 心 と し た人 口 流 出 現 象 の 加 速 化 であ る。 こ の動 き は ロシ ア の みな ら ず 、 ヨ ー ロ ッ パ、 ア メリ カ など の 研 究 者 の注 目 を 引 く 現 象 であ るが 、  ﹁ 近 年 の新開 発 空 間 で のこ のよう な す ざ ま し い人 口流 出 は世 界 史 上 例 を 見 な い。 よ り若 年 で 技 能 労 働 者 そ し て北 部 地 域 の条 件 に適 応                       ゆ した 人 々が 立 ち 去 っ て い る。 ﹂ と す る 記 事 、 ま た、   ﹁ 高 緯 度 にあ る千 四 百 の 集 落 のう ち 三九 〇 が ま っ たく 存 在 す る こ と を止 め た﹂ と 指 摘 し て い る の はそ の 一 例 であ る。   旧 ソ 連 構 成 国 と ロシ ア問 の 人 口 移 出 入 は 八十 年 代 、 九 十 年 代 と も ロ シ ア の流 入 超 過 であ る。 一 方 、 ロシ ア で は自 然 減 が 続 い て い る の で、 国 外 から の ロシ ア 人 を中 心 と し た流 入入 口 が 減 少 す る ロシ ア の人 口 の 減 少 率 を 低 く す る 上 で 貢 献 し てき た。 ロ シア の ど の経 済 地 域 も 旧 ソ連 構 成 共 和 国 と の人 口 移 動 では極 東 地 方 を除 い てプ ラ スであ り 、 そ の純 流 入 者 数 は 一 九 九 一 ∼ 九 八年 二百 五十 万 人 を 越 え た ( 図 2 ) 。 カ ザ フ ス タ ン、 中 央 アジ アか ら の 流 入者 が 三分 の二 を占 め、 西 部 地 域 ( ヨー                               ロ ッパ部 ) から の 流 入者 は 少 な い。 これ は生 活 環 境 、 生 活 水 準 や 民 族 問 題 への対 応 度 の差 によ る と ころ が大 き い。         海 外 ( 遠 外 国) と の 人 口 交 流   ペ レ スト ロ イ カ以降 ソ 連 国 民 の 海 外 への 出 国 は以 前 に比 べ容 易 にな り、 ソ連 崩 壊 後 さ ら にそ の 傾 向 が進 ん だ。 ロ シア で は 一 九 八七 年 ま で 年 間 一 万 人 以下 の出 国 であ っ た が 、 八 八 、 八 九年 そ れぞ れ倍 増 し、 一 九 九〇 年 に十 万 人 を超 え 、 そ の後 も こ の水準 を維 持 し て い る。 一 九 九

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史 窓 図2  ロ シ ア と 以 前 の ソ連 構 成 共 和 国 間 の 人 口 純 流 出 入(1,000人)       「ロ シ ァ の 人 ロユ997jM.,1998,「 ロ シ ァ 人 口年 鑑1999」M.,2000に     よ る 。 一 ∼ 九 七 年 に七 十 万 人 以上 の 出 国 者 を数 え た 。 入 国 者 は 年 間 千人 以下 な の でき わ め て高 い出超 であ る。   出 国 者 の大 部分 は外 国 で永 住 を希 望 す る 高 学 歴 で 働 き 盛 り の 人 々 で、 モ スク ワ 、 サ ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ルグ市 民 の 出 国者 が多 く 、 頭 脳 流 出 と し て問 題 視 さ れ て い て、 そ の防 止策 が今 も 検 討 さ れ て い る。 彼 ら の ロシ ア か ら の流 出 によ る ロシ ア の 損 失 は年 三〇 億 ド ル 、 逸 失 利 益 五              O l 六〇 億 ド ル と さ れ て いる。   そ の他 季 節 労働 のた め の 一 時 的 出 国 が あ るが 、 今 日年 間 三 百 万人 を 数 え る ロシ ア から の ッー リ ストが ツ ー リ ストビ ザ で出 国 し 、現 地 で仕 事 を 探 し 、 不定 期 間現 地 に 留 ま る人 々が ッ ーリ スト の十 パ ー セ ント程 度 と 推定 さ れ て い る。 現 に非 公 式 資 料 で は国外 で 働 く 人 数 を 六十 万 人                ゆ 以上 と み な し て い る。   一 方 、 ロシ ア に合 法 的 に入 国 し て働 いて い る人 々も 多 い。 一 九 九 六 年 三〇 ー 四〇 万 人 ( ロシ ア に進 出 し た外 国企 業 の 従 業 員 を含 む ) と い わ れ 、建 設 業 が も っ と も 多 く 、 工 業 、農 業 、商 業 部 門 も 多 い。 ウ ク ラ イ ナか ら の 運 転 手 の出 稼 ぎ で知 ら れ る交 通 部 門 の従 事 者 も か な り 多 い 。   これ ら の外 国 人 労働 者 は 当 初 C I S諸 国 か ら の労 働 者 が 多 か った が 、 最 近 はそ れ 以 外 の 外 国 か ら の入国 者 が 増 え て い る 。 一 九 九 三年 C I S から の労 働 者 が 全体 の四分 の三 を占 め て いた が 、 九 六年 に 二 分 の 一 に下 が り 、 そ れ 以外 の 外 国 人 労 働 者 が 二分 の 一 を占 め る よ う にな っ た 。   C I S 諸 国 か ら は ウ ク ライ ナが 多 く 、 C I S 以外 の国 で はト ル コ 、 中 国 、 旧 ユ ー ゴ スラ ビ アが 多 い。 彼 ら の ロシ ア で の 就 労 地 は中 部 地 域

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と 西 シベ リ アが中 心 で、 前 者 で 全 体 の 三四 、 五 、 後 者 で 二 〇 、○ パ ー セ ント を占 め て い る。 な か でも モス ク ワ で の就 労 者 は約 七 万人 と多 吻 。 し 前 記 数 字 は公 式 に登 録 さ れ た数 字 で、 不 法 入 国 によ る就 労者 は数 百 万 とも 言 われ て い るが 、 百 万 人 を 越 え な いと いう 見解 が 説得 性 を持 っ て い る。 た とえ ば 、 第 五回 年 次 人 口報 告 は五 十 万 人 を 越 え な い と見 て いる。 最 も モ スク ワに は不 法 入 国 の外 国 人 労働 者 は 多 く 、 九 八年 五十 万人 と推 定 さ れ て い て、 公 式 登 録 の外 国 人 労 働 者 の七倍 強 に 当 た る。 ⑳ ま た、 極 東 地 方 で は中 国 人 の不 法 就 労 者 が 多 いと 言 わ れ る。 お わ り に 十 八∼ 二 十 世 紀 の ロシ ア の 人 口 移 動 から 見 え る諸 特 色 を 次 のよ う に 指 摘 す る事 が でき る。 ロ シ アは他 の ヨー ロ ヅパ諸 国 に比 べ て 、東 部 と 東 南 部 、 南 部 の辺境 、未 開 発 地 を ロシ ア帝 国 の発 展 と と も に 領 土 に加 え た こと か ら、 移 民 の 流 れ の中 心 が これ ら 新 領 土 に向 か っ た こと であ る 。 確 か に十九 世 紀 後 半 か ら 二十 世 紀 初 め の、 新 大 陸 への ロシ ア 帝 国 民 の 移 民 が増 え たが 、 帝 国 民 のな か で ロシ ア人 の新 大 陸 への 移 住 者 は少 な か っ た。 ま た、 他 の ヨー ロ ッパ諸 国 に比 べ て ロシア 人 の数 の 少 な さ は 顕 著 であ る。 今 日 でも カ ナダ 、 ア メ リ カ合 衆 国 のウ ク ラ イ ナ系 市 民 の民族 性 の 維 持 、 活 動 が 目 立 っ て い る。 今 ひ と つ のか な り著 し い特 色 は外 国 から ロシ ア への 流 入 者 の 多 い こ と であ る。 ド イ ッ 人 の ロシ ア への殖 民 活 動 は我 が 国 で も 比 較 的 よく 知 ら れ て い るが 宀 ア ル ン Fニア人 の入 国 者 も多 か っ た。 同 時 に タ タ ー ル 、 ノ ガイ 、 カ ル ムイ ク人 の ロシ ア領 か ら の流 出 も 目 立 った 現 象 で あ っ た。 これ に対 し て ソ連 時 代 の外 国 と の移 出 入 者 の流 れ は帝 政 時 代 と 比 べ て 少 なく 、 こ の 期 の 一 種 の鎖 国 状 態 にあ っ た のが帝 政 時 代 と 対 照 的 で あ る。 ソ連 時 代 は国 内 の移 動 、 シ ベ リ ア、 中 央 アジ ア への 移 住 者 が多 く 、海 外 移 住 者 は革 命 時 と そ の直 後 の時 期 以 外 、ブ レジ ネ フ時代 と ペ レ スト ロイ カ期 のド イ ツ、 ユ ダ ヤ人 の流 出 が 目 立 っ た が 、 国内 移 住 者 数 と比 べ て極 め て少 な い。 ペ レ スト ロイ カ宋 期 から ソ連 崩 壊 後 の 一 九 九 〇 年 代 は 外 国 と の 人 口 交 流 で 純 流 入 を示 し た。 ソ連 時 代 ロシ アと 他 の ソ 連 諸 国 と の 人 口 交 流 は概 し て ロシ ア の 流 出 超 過 であ っ た が 、 こ の期 は西 側 諸 国 への 人 口 流 出 が増 大 し た。 これ は ユ ダ ヤ、 ド イ ッ人 の出 国 者 の増 加 と ソ 連 末 期 か ら の ロシ ア 人 の 出 国 者 の増 加 によ る。 外 国 から は中 国 人 の 流 入 増 が 目 立 っ て い る。 国内 で は こ れ ま で の人 口 流 と 逆 の流 れ 、 東 から 西 、 北 から 南 への 動 き が 生 じ 、中 でも 北 、 北 東 部 から の人 ロ流 出 の激 し さ が 目 立 って い る。 こ れ は 社 会、 経 済 シ ステ ム の変 革 によ るが 、 近 い将 来 も こ の 傾 向 が続 く と予 想 さ れ る。 註 ① 穴 a 岩 鎚 切 ゜ 寓ご① 窰 胃 ℃ 貰 麟 ぬ国℃ 8 嵩 籠 ℃ 貰 蕾 切℃ 0 8 爵 切H 。。 頃 錠 欝 Φ ∼ 込δ O 切 ⑦ 宍 鋤 ≧ ご 60 ◎◎ρ 合 ゜ ② ド イ ツ人 の殖 民 に つい て の日本 人 研 究 者 の 最 近 の論 考 は鈴 木健 夫 ﹁ 近 代 ロ シア へのド イ ツ 人 入 植 の開 始 ・ ド イ ツ諸 地 域 から ウ ォ ル ガ 流 域 ヘ ー ﹂ ( ﹃ ヨー ロ ッパ の歴 史 的 再検 討 ﹄ 所 ・収、 二 〇 〇 〇 年 、 早 稲 田 大学 出版 部 ) 。 ③ 前 掲 ① o ° 蕊 虞 。。 ° 179

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窓 史 ④ 前 掲 ① ρ H 。。 ρ ド 。。 窃 ゜ ⑤ ﹀ ° 弓 ゜ 国 日 臣 " = 鋤 8 自 Φ 雪 Φ 勺o o o 霞 ゜。 角 目 8 出 Φ ↓ 弘 O 芻 寓 ご o ° 誤 ゜ ⑥ 前 掲 ① ρ 嵩 9 ⑦ 前 掲 ① ρ 嶺 ρ ⑧ ℃ 罵 8 翳 Φ "①霊 s Φ 署 胃 o や 凶 凶 忘 8 Φ 澪 臣 o 霞 自 ① 臣 8 ↓ ぴ 国 § ↓ o 隱 ・ 編 o o 閑 出 ① o 図 知 ぴ q 罫 ↓ o 議・ド L ≦° り H 8 P ρ ド 呂 ゜ ⑨ 踏舜 。 o 自 翕 器 OO O勺 ゜。 鋤 刈 O 自 Φ ↓ "δ 。。 。。 "寓 4 0 ° ド 刈 ゜ ⑩ 鵠﹄ ' ヨ 契 巷 o 器 り勹 ゜ 0 ° 寓 o ℃ ◎ 8 器 り 寓 ﹄ ° ↓巷 鋤 8 器 ℃ ℃ Φ ヨ 畠 碧 霪 ぼo o 8 α 窪 麟 o S 国 竃誠 弓 や 騨 月 国 o 鵠 躍 ¢× 目 ℃ o 員 ① 0 8 切 切 ∩ O∩押 ド O ◎。 ① り 寓 ゜ も ﹄ 9 ⑪ ω 富 畿 渓Φ 臣 臧 岩 9 0 切 o き 蓉 鼠 醤 切 臣 図 渓 鳶 臣 o 墨 ド 8 り " 寓 ゜りo 。 ド ω ① ゜ ⑫ 拙 稿 ﹁ ロ シ ア 極 東 地 方 の 人 口 移 動 と そ の 特 性 ﹂ ( ﹃ 東 ア ジ ア 研 究 ﹄ 第 二 九 号 、 二 〇 〇 〇 、 所 収 ) 参 照 。 ⑬ ℃罵 8 § Φ " ①謡 o ・ 8 長 自 o り 譲 ① o § Φ o 澪 ℃ § りH 8 b。 矯審 ち ゜ 鱒 り 。 ⑭ 前 掲 ⑪ = 二八 頁 。 ⑮ 前 掲 ⑪ ; 充 頁 。 ⑯ 拙 著 ﹃ 現 在 の ソ ビ ェ ト 世 界 ﹄ ( 一 九 八 三 年 、 地 人 書 房 ) 参 照 、 前 掲 ⑬ 三 一 頁 。 ⑰ ↓ ぎ gξ 鵠 鉱 ① 巳 p ぎ H 馨 ① 吋 昌 巴 竃 齢 円 畧 8 げ 菊信 の ゜。 幽 僧 儀 ξ ぼ αq 昏 。 国8 鄒 o 旨 瞬o ↓ 旨 巳 筐 o P 勹 o 暮 あ o 丘 Φ 件 O① o 槻 冨 ℃ げ 団 ⇔ 昌 ら 国 o o 口 o 鑓 凶翕 りお リ メ Q◎G Q-b ②℃ や ゜ Q◎Q ◎° ⑱ 保 坂 哲 郎 ﹃ ソ連 経 済 崩 壊 と 労働 力 問 題 ﹄ (文 理閣 、 一 九 九 八年 ) ; = 頁 。 ⑲ 前 掲 ⑬ 三 三 頁 。 ⑳ 前 掲 ⑱ ; 二 頁 、 拙 論 ﹁ ソ連 に於 け る 主要 民 族 の人 口 動 態 ﹂ ( ﹃ 人 文研 究 ﹄ 四三 i 九 )参 照。 ⑳ 前 掲 ⑧ 一 五 五頁 。 ⑫ 類も 9 0 ℃ o 炉 口℃ 0 9 Φ 堅 ① 韻 0 8 嶺 碧 臣 o 陣 蜃 器 弓 黛 霞 鬻 蜜 彎 忘 午 ↓ o 切 国 ω α 甑 bご 目① 弓 o OO O 勺 切 器 ℃ 竃 帥 黐 o 閑 O ① o α ]月① o ↓ ロd ρ ≧ ご 6 0 ◎◎ り o °隣 O ° ⑬ 同 右 五十 頁 。 ⑳ 前 掲 ⑧ 一 六 五頁 。 ㊧ 前 掲 ⑧ 一 六 六頁 。 (⑳ ω゜ 口 O ぽ B ρ 昌 詳 ω o 幺 簿 国臼団 oq 3 ユo 昌 ぼ ド O り 9 諺 Z o ≦ 男 o ξ 昏 ≦ 鋤 く の ざ ω o 誌 o 仲 匂 o ≦ 溶げ 諺 開 蝕 話 りさ ◎ ド ー bo 矯お O ど 歹 μ bっ ゜ (⑳ 前 掲 ⑧ 一六 九 頁 。 ⑱ 圏ρ 霽 門 o 旨 図 α 帽 閑 畠 矯 = 潜 o o 自 畠 澪 。。 Φ 寓缶 o 弓 o 臼 9。 ℃ P り8 勹 ℃ 鋤 兮麟 論 切 日 民 O 旨 ρ b◎ O O O I bφ 層 ρ bo ド ゜ ⑳ ↓° 国 9 。 巳 §。 ぎ O 鐸 け ・ ≦ oq 蕁 け 団 § § 山 U9 ε 巳 巴 § 。 h 魯 。 勾 信 ω ゜。 陣き Z o 詳げ 侮 ロ 噌 ぎ oq 魯 o お ㊤ O の 輸 ℃8 齢 あ o 証 o 紳 Oo o oq 悉 ℃ げ団 騨 昌 匹 国 o o " o ヨ 幽 8 匂 お ㊤ O "蔭 ρ Z o ° ◎◎ ℃℃ ﹄ 8 ° ⑳ ロ シ ア統 計 年 鑑 に よ る 。 ⑳ ①閑 o 零 § 器 国 渓 蕊 蔭 闡這 曾 -ド H ° ⑫ 前 掲 紙 一 九 九 七 -一六 。 ⑬ 同 一 九 九 七 ー 四 七 。 ⑭ 同 一 九 九 七 -三 九 。 ⑯ = 薗 O O 自 ① = 践 ① ℃O O 6 潤 国 ド リ O 刈 "N ≦° り H 8 QQ ℃O ° ド G◎ 9 ⑳ ℃ ° 国゜ 切 陣 民 ℃ 帥 出 o bd 噂 竃 ゜ 8 ℃ o 髭凶 瓢 o bコ 鳩 諺 ゜ uJ° N≦o 霞 閑 o bσ 矯 国 ω 嵐① 羂 Φ 誠 国 凶 じご ↓ ① ℃ ℃ 国 日 o ℃ 臨 ⇔ 鼠 ぴ 国 麟 × o ↓ ℃ 図 図 臼 畷℃ 帥 図 × o ω 論 陣 0 6 切 鋤 麟 ℃ 鶴。 8 Φ 旨 o 瓢 駁 国 員 鋤 ﹄ ぴ 国 Φ り o じσO O ↓ O 医 鋤昌 ℃ 畿 目 ① ℃ ① × O 員Φ民℃営国 O 嵋 羅 O 陣 ① 民 O 国 O 寓 駁 図 ρ ド 8 9 じご鼠 鋤 h巖 切 O O ↓ O 図 ρ H 詔 ゜ ( 追 記 ) 小 論 を 書 き 終 え て か ら 属 鋤 o 窪 o 霞 o ℃o o 霞 麟 ×× 切 ① 図 ρ 目 o 罫 ど お O O 点 Φ ω り 考 ゜寓 ゜噂 b。 O O O ° を 入 手 し た 。 こ れ ま で 手 の つ け ら れ る こ と の す く な か った 諸 点 が 取 り 上 げ ら れ 、 明 ら か に さ れ て い る 。 例 え ば 、 一 九 一 七 -二 〇 年 の 外 国 へ の 流 出 者 を 約 二 百 万 と し て い る こ と 、 農 業 集 団 化 に よ る ク ラ ー ク ( 富 農 ) 流 刑 者 数 を 一 九 三 二 年 約 百 三 一 、 七 万 人 、 一 九 三 九 年 百 一 、 七 万 人 、 大 粛 清 期 の ラ ー ゲ リ 収 容 者 数 を 一 九 四 〇 年 百 三 四 万 四 千 人 と し 、 そ の 地 域 別 分 布 も 明 ら か に し て い る 。 次 の 機 会 に こ の資 料 を 分 析 、 利 用 し て さ ら に 研 究 を 深 め て いき た い 。

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