安定性限界における指標と条件の影響
伊吹 愛梨
<要約> 安定性限界は体重心 (COM
) の可動範囲に基づいて定義づけられるが,多くの研究では足圧中心 (COP
) を測定している.本研究は,最大荷重移動時のCOM
変位量を測定してCOP
変位量と比較すること,上肢 位置の違いがCOP
やCOM
の変位量に与える影響について検討することを目的とした.対象は健常若年者12
名とした.2
種類の上肢位置で前後方向への最大荷重移動を行い,COP
とCOM
の動きを記録した. 最大値は前方・後方ともにCOP
が有意に大きい,またはその傾向が見られた.平均値は前方では有意差が なく,後方ではCOM
が有意に大きかった.上肢位置による変位量の違いは認められなかった.本研究の結果より,最大荷重移動時の
COM
変位量はCOP
変位量とは異なることが示された.COP
のみを測定する場合は最大値よりも平均値を用いた方が定義に基づいた安定性限界を測定することができると考えられ
る.また,今回の上肢位置では
COP
やCOM
の変位量に影響を与えないことが示唆された.Ⅰ.はじめに
安定性限界とは,被験者が姿勢安定性を保つため に使うことのできる支持基底面の中の範囲,すなわ ち重心 (
Center of Mass
:以下COM
と略す.) を 支持することのできる範囲である1) .安定性限界は 固有感覚,前庭機能などの個々の能力を反映してい る.安定性限界は,被験者に各方向へ最大限に荷重 移動させることで測定され,バランス能力を定量化 する1
つの方法である.減少した安定性限界はバラ ンス能力の低下を示している2).Mancini
ら3) は, 支持基底面の境界付近でCOM
を静的に保つことは 立位から歩行,座位から立位などの運動課題中の機 能的姿勢を反映していると述べており,安定性限界 は新たな支持基底面に重心を移していくというバラ ンスレベルが必要となる動作において重要となる. しかし,安定性限界の大きさを測る先行研究では, 足圧中心 (Center of Pressure
:以下COP
と略す.) の前後方向の最大可動範囲1) やCOP
前後方向変位 量の平均値3) を測定しており,COM
の変位量を測 定しているものはない.COM
とCOP
は密接に関 連しているが全く異なるもの4) であり,静止立位で の姿勢動揺中にはCOP
の可動域はCOM
の可動域 よりも大きいことが実験的に立証されている1) .よ って,COP
変位量から安定性限界を測定すること は本来の定義とは異なる.そのため,最大荷重移動 動作においてCOP
とCOM
を同時に記録し,その 動きを比較する必要があると考えられる. また,安定性限界を測定する際の上肢位置は,体 側に下ろす5) とされているものや胸の前で組む3) とされているものなどがある.このように,上肢位 置は文献によって異なっており,統一されておらず, 上肢位置の違いによる安定性限界の大きさへの影響 については述べられていない.上肢位置が変わるこ とでCOP
の変位量やCOM
の変位量に影響を与え るのであれば,測定時の上肢位置を統一すべきであ る.本研究の目的は,前方・後方へ最大荷重移動し た際のCOP
とCOM
の変位量を最大値と平均値を 用いて比較すること,上肢位置の違いがCOP
・COM
の変位量に与える影響を検討することである.Ⅱ.対象と方法
1.
対象 上肢・下肢に神経学的および整形外科的疾患を有 さない,本実験に同意を得た健常若年者12
名 (男 性7
名,女性5
名,年齢21.5±0.6
歳,身長165.9±6.5cm
,体重57.5±5.2kg
) とした.2.
使用機器(1)
床反力計COP
位置を記録するため,床反力計 (Kistler
社製) を1
枚使用した.サンプリング周波数は1000Hz
とした.(2)
三次元動作解析装置COM
位置を記録するため,三次元動作解析装置 (
EvaRT 4.4
,Motion Analysis
社製) と赤 外線カメラ6
台 (Hawk-200RT
,Motion
Analysis
社製) を使用した.反射マーカーはWinter
らの先行研究6) に従い,左右耳孔・剣 状突起・左右肩峰・左右上腕骨外側上顆・左右手関節中央・左右第
10
肋骨・左右腸骨稜・ 左右上前腸骨棘・左右大転子・左右大腿骨外 側上顆・左右外果に計21
個設置し,マーカー 座標を200Hz
で収集した.3.
実験内容 実験課題として,前方・後方への最大荷重移動動 作を行った.床反力計上の足部位置は,足幅を左右 の上前腸骨棘間の幅マイナス2cm
7) とし,足部の後 方から足長の40
%の位置を床反力計の前後径の中 心に合わせた (図1
) .全ての試行で同じ足部位置と なるように床反力計に位置を記録した.モニター上 に表示されるCOP
位置を床反力計の中心に合わせ た静止立位から開始し,開始前にモニター画面を隠 した.合図と同時に可能な限り速く各方向へ荷重移 動し,最大荷重姿勢で約 5 秒間保持した.その際, 足尖や踵が床反力計から離れないように足底は全て 接地させたまま行うよう指示した.上肢位置は,被 験者の任意とするフリー課題 と肩関節約90
度屈曲 位・肘関節約90
度屈曲位にして体幹の前方で両上 肢を組む体幹前方課題 (図2
) の2
種類で行った. 各上肢位置で前方・後方5
試行ずつ実施した.疲労 の影響を考慮して随時休憩をとった.4
.データ分析・統計解析COP
・COM
の変位量のデータから最大値・平均 値をそれぞれ算出した.最大値は荷重方向への最大 変位量とし,平均値は荷重移動後の最初のCOP
の ピーク値から開始姿勢に戻る前の最後のCOP
のピ ーク値までの範囲で算出した.COM
も同様の範囲 で算出した. (図3
) .最大値・平均値はそれぞれ足 長で除して正規化した. 統計解析はSPSS
を用いて対応のあるt
検定を行 い,COP
とCOM
の変位量の違い,異なる上肢位 置におけるCOP
やCOM
の変位量の違いをそれぞ れ比較した.有意水準は5
%未満とした.Ⅲ.結果
1
.COP
変位量とCOM
変位量の最大値の比較 図4
は両上肢位置における前方・後方への変位量 の最大値を示している.前方のフリー課題,後方の 両課題ではCOM
最大値に比べてCOP
最大値が有 意に大きかった (p<0.05
) .前方の体幹前方課題で は,有意差は認められなかったがCOP
最大値が有 意に大きくなる傾向が認められた (p=0.053
) . 図2 2
種類の上肢位置 上肢位置は被験者の任意とするフリー課題 (左) と,体幹前方で 両上肢を組む体幹前方課題 (右) とした. 図3
データ解析 最大値は荷重方向への最大変位量とした.平均値は最初のCOPの ピーク値から,開始姿勢に戻る前の最後のピーク値までの範囲で 算出した. 両ASIS
間-2cm
足長の40%
図1
床反力計上の足部位置 足幅を左右上前腸骨棘 (ASIS) 間の幅マイナス2cmとした. 後方から足長の40%の位置を前後径の中心に合わせた.2
.COP
変位量とCOM
変位量の平均値の比較 図5
は両上肢位置における前方・後方への変位量 の平均値を示している.前方の両課題でCOP
とCOM
の平均値に有意差は認められなかった.後方 の両課題ではCOP
平均値に比べてCOM
平均値が 有意に大きかった.3
.上肢位置による変位量の比較 図6
は上肢位置によるCOP 変位量
の違い,図7
は上肢位置によるCOM
変位量の違いをそれぞれ示している.
COP
最大値・COP
平均値・COM
最大値・
COM
平均値のいずれにおいても,フリー課題 と体幹前方課題の比較で有意差は認められなかった. 図4 COP
変位量とCOM
変位量の最大値の比較 前方のフリー課題では有意にCOPが大きかった (p<0.05) . 体幹前方では COP が有意に大きい傾向が見られた (p=0.053) . 後方では両上肢位置で COP が有意に大きかった. 図5
COP
変位量とCOM
変位量の平均値の比較 前方の両上肢位置でCOPとCOMに有意差はなかった. 後方では両上肢位置でCOMが有意に大きかった. 図6
上肢位置によるCOP
変位量の違い 各方向の最大値・平均値どちらにおいても,上肢位置の違いによる COP変位量の有意差はなかった. 図7
上肢位置によるCOM
変位量の違い 各方向の最大値・平均値どちらにおいても,上肢位置の違いによる COM変位量の有意差はなかった.Ⅳ.考察
1
.COP
変位量とCOM
変位量の最大値の比較 前方ではCOP
はCOM
よりも有意に大きく,後 方ではその傾向があった.COP
はCOM
に関連し て動き,COM
の角速度や角加速度を増加させたり 減少させたりする作用がある4) .COP
がCOM
よ りも前方にある場合にはCOM
は後方へ加速され,COP
がCOM
よりも後方にある場合にはCOM
は 前方へ加速される6) .本実験で行った課題では,最大荷重移動姿勢に達すると
COM
の移動方向への加速を止めてその姿勢を保持する必要がある.その際 に
COP
がCOM
の変位量を越えて動くため,COP
の最大値が
COM
よりも大きくなったと考えられる.2
.COP
変位量とCOM
変位量の平均値の比較 前方ではCOP
とCOM
の平均値に有意差は認め られなかった.静止立位においては,COP
はCOM
の周囲を連続的に動き,COM
を支持基底面の中に 保つとされている8) .最大荷重移動姿勢でも同様に,COM
の位置を保つためにCOP
がCOM
の前後を 連続的に動いたため,平均値に差が無かったのでは ないかと考えられる.後方においては,COP
とCOM
の開始位置が一致せず,COP
がやや前方に位 置していたことが影響して,変位量で比較した際にCOM
が有意に大きくなったのではないかと考えら れる.今回は変位量を用いてCOP
とCOM
を相対 的に比較したため,今後はCOP
とCOM
の開始位 置を合わせた状態から,空間座標を用いてCOP
とCOM
を絶対的に比較する必要性が示唆される.3
.上肢位置による変位量の比較 フリー課題と体幹前方課題で,COP
やCOM
の 変位量に有意差は見られなかった.上肢位置を体幹 前方にすることで,COM
の位置は約2
~4cm
高く なった.本研究の結果より,COM
の高さは安定性 限界の大きさに影響を与えないということが示唆さ れる.これは,身長は安定性限界を定める要因とは ならない1) という先行研究と一致する.身長が高い ほどCOM
が高くなることと同様に,上肢位置が高 くなることでCOM
が高くなる.それによって不安 定性は増加するが,支持基底面の大きさは変わらな いため,移動可能なCOM
の前後方向の変位量は変 化しなかったと考えらえる.Ⅴ.結語
本研究の結果より,最大荷重移動時のCOP
とCOM
の変位量は異なる.また,今回選択した2
種 類の上肢位置では,COP
やCOM
の変位量に影響 を与えない.以上より,姿勢安定性を正確に評価す るために安定性限界の定義に基づいてCOM
を測定 する必要性が示唆される.しかし,COM
は床反力 計のみでは測定することができないため,実験環境 の都合上COP
のみを測定する場合は,最大値より も平均値を指標とする方がCOM
の値に近くなると 考えられる.謝辞
本研究を終えるにあたり,ご指導を頂きました本 学諸先生方,先輩方,ならびに快く被験者を引き受 けてくださった本学学生の皆様に心より感謝申し上 げます.引用文献
1) Riach and Starkes:Stability limits of
quiet standing postural control in
children and adults.Gait and Posture
1:105-111,1993
2) Holbein et al.
:Validity of functional
stability limits as a measure of
balance in adults aged 23-73 years.
Ergonomics Vol.50 No.5:631-646,2007
3) Mancini et al.
:Effects of Parkinson’s
disease and levodopa on functional
limits of stability.Clinical
Biomechanics 23:450-458,2008
4) Aoyama et al.
:The difference
between center of mass and center
of pressure.AINO JOURNAL 5:25-31,
2006
5) Clark and Rose:Evaluation of
Dynamic Balance Among
Community-Dwelling Older Adult
Fallers:A Generalizability Study of
the Limits of Stability Test.Arch
Phys Med Rehabil 82:468-474,2001
6) Winter et al.
:Stiffness Control of
Balance in Quiet Standing.
Neurophysiol 80:1211-1221,1998
7) Chen and Wing:Independent control
of force and timing symmetry in
dynamic standing balance:Implications
for rehabilitation of hemiparetic
stroke patients.Human Movement
Science 31:1660-1669,2002
8)
Anne Shumway-Cook,
モーターコントロール,医歯薬出版株式会社,東京