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1 健康文化 速報誌で見たインフルエンザパンデミック 木藤 伸夫 本年 4 月より始まった世界的規模でのインフルエンザの流行(パンデミック) では、次々と明らかになる感染情報や、新型ウィルスに関する研究成果が連日 のように報告されるという特徴があった。そこで、速報誌に報告された情報に 基づいて、今回のインフルエンザパンデミックを振り返るとともに、近年のイ ンフルエンザに関する研究の急速な進展を紹介したい。まず、今回のパンデミ ッ ク の 時 系 列 を 、 世 界 保 健 機 関 ( WHO ) に よ る 報 告 ( situation updates ) (http://www.who.int/csr/disease/swineflu/updates/en/index. html)と、 Nature 誌の news (1)などから追ってみる。2009 年 2 月中旬頃より、首都を含む メキシコの 3 か所の街でインフルエンザ様症状を示す患者の報告が出始めた。 米国疾病予防管理センター(CDC)によると、メキシコで始まったこの病気の流 行は 3 月 28 日頃には米国に達していたとされるが、4 月 15 日カリフォルニア州 サンディエゴ在住の少年から、17 日には同州インペリアル在住の少女から、豚 に由来すると考えられるインフルエンザウィルスが確認された。翌日にはカリ フォルニア州でさらに 3 人の感染が、さらにその翌日にはテキサス州で 3 人の 感染が確認され、感染の広がりが明らかになった。メキシコのケース 18 件でも 豚インフルエンザウィルスが確認され、このうち 12 件がカリフォルニアで確認 されたウィルスと同一であった。確認されたウィルスは A 型で、H1N1 亜型と決 定されたが、豚やヒトでそれまで発見されていない新型ウィルスであった。幸 運なことに抗インフルエンザ薬のタミフルは有効だった。4 月 24 日になり WHO はメキシコ、米国で発生した豚インフルエンザのヒトへの感染を発表し、翌 25 日第 1 回目の緊急会議を招集し各国にサーベイランスの強化を呼び掛けた。さ らに、豚インフルエンザウィルスへの感染を診断するために、原因ウィルス (A/California/04/2009 A(H1N1))の完全なゲノム配列を発表した。日本でも この頃からマスコミでの報道が始まり、日本時間の 25 日には政府担当者による 対策会議が開催された。 4 月 27 日、WHO はヒトからヒトへの感染や、カナダ、スペインへのウィルスの 伝播を確認し、警戒レベルをフェーズ 3 から 4 に引き上げた。世界的規模のサ

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2 ーベイランスを指示し、豚インフルエンザに関する診断法のガイダンスなども 発表された。ガイダンスでは、亜型の決定ができなかったウィルスは直ちにオ ーストラリア、日本、英国、米国にある WHO インフルエンザ協力センターのい ずれかに送り、より詳細な解析をするように勧告している。その後感染はさら に広がり、4 月 29 日警戒レベルがフェーズ 5 に引き上げられた。4 月 30 日には オーストリア、スイス、オランダでも患者が発生し、この日 WHO はウィルスの 名称を豚インフルエンザから A(H1N1)インフルエンザへ変更した。その後も感染 は広がり、5 月 20 日には全世界の感染者数が 1 万人を超え、ついに 6 月 11 日、 警戒レベルは最高のフェーズ 6(パンデミック)に引き上げられた。 WHO はインフルエンザの流行を、動物間での感染(フェーズ 1)、家畜や野生動 物からヒトへの感染(フェーズ 2)、散発的に起こる流行、感染者との濃厚接触 によって起こる小規模感染(フェーズ 3)、ヒトからヒトへ感染するウィルスに よる国、市、学校などの地域レベルでの流行(フェーズ 4)、WHO が指定する世 界 6 地域のうちの一つの地域における 2 国間以上での流行(フェーズ 5)、フェ ーズ 5 に加え、異なる WHO 地域における 1 カ国以上での流行(フェーズ 6)に分 けていて、フェーズ 6 が世界的規模での流行(パンデミック)となる。パンデ ミックが起こった場合には、その後ポストピーク(post-peak)、ポストパンデ ミック(post-pandemic)の期間を経て、パンデミックを起こしたウィルスが原 因となる季節性のインフルエンザの流行に落ち着くと予想されている。ポスト ピークの期間は流行時に比べ感染者の数は減るが、数ヵ月の間をおいて第 2 波 の流行が起きる可能性は残っている。過去のインフルエンザパンデミックでは 必ず第 2 波の流行が起こっていることに注意したい。 今回のインフルエンザの流行で広く報道されているのでご存知の方も多いと 思うが、インフルエンザウィルスに関する基本的な知識をまとめておこう。イ ンフルエンザウィルスには A、B、C の 3 つの型があり、このうち A 型と B 型が ヒトでインフルエンザを起こす。ウィルスの遺伝情報(ゲノム)は 8 本に分か れた(分節)RNA 鎖で運ばれ、11 種類のタンパク質をコードしている。ウィル ス粒子は宿主の細胞膜に由来するエンベロープで包まれており、この膜上に存 在する赤血球凝集素(HA)とノイラミニダーゼ(NA)の種類と組み合わせによ りさらに亜型に分類される。自然界では 16 種の HA と 9 種の NA が知られていて、 水鳥、特にカモにはすべての亜型が組合わされたウィルスが感染している。「ウ ィルスの貯蔵所」と呼ばれる所以である。インフルエンザウィルスの名称は、

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3 型/宿主(ヒトの場合は省略)/分離地/分離番号/分離年(A 型の場合は抗原 亜型)、で表記される。例えば今回の流行の解析でよく使われるウィルスは、 A/California/04/2009(H1N1)と表され、今年カリフォルニアで分離されたウ ィルスであることが分かる。実は人類が最初に分離したインフルエンザウィル スも豚から分離された(A/Swine/Iowa/1930 (H1N1))。 20 世紀に起こったインフルエンザのパンデミックは、1918 年~1919 年にかけ て全世界で 2000~4000 万人の犠牲者を出したといわれるスペイン風邪(H1N1)、 1957 年 2 月に中国南部から始まり、シンガポール、香港、日本を経て世界に広 がったアジア風邪(H2N2)、1968 年~1969 年、1969 年~1970 年の冬季に世界的 流行を起こした香港風邪(H3N2)、1977 年 5 月に中国で始まり、翌年にかけての 冬に北半球で流行したソ連風邪(H1N1)が知られている。それぞれのウィルス 亜型を示したが、HA、NA の型(抗原性)が変わっていることがわかっていただ けると思う。インフルエンザの感染防御には HA に対する抗体の有無が重要と考 えられていて、抗体を保有する人がいない(あるいは減少した)HA をもったウ ィルスが、ヒトからヒトへの感染力を獲得した場合にパンデミックが起こって いる。パンデミックの原因ウィルスに見られるウィルス亜型の変化は不連続変 異(抗原シフト)と呼ばれる現象で、それまで流行していたウィルスと HA の抗 原性が大きく異なるウィルスの出現により、大流行となる。さらにそれぞれの ウィルスは、HA、NA の型こそ変わらないものの小規模の抗原変異を起こすため (連続抗原変異、抗原ドリフト)、パンデミック後も毎年の流行を引き起こす。 このため、ワクチンの製造には次の流行を起こすウィルスの予測が必須で、困 難な作業となっている。 今回の流行に戻ろう。日本では新型インフルエンザに対する対応を迅速に行 うため、「WHO 世界インフルエンザ事前対策計画」に基づいた「新型インフルエ ンザ対策行動計画」が 2005 年に策定されている。最終的な改定版は 2009 年 2 月に出されており、今回はこの行動計画に従って新型インフルエンザに対する 対策が行われた。この事前計画は専門委員会が想定した健康被害(アジア風邪 からスペイン風邪程度)を前提に作られているので、今回の様な比較的病原性 が弱いウィルスの流行に対しては、その対応が過剰とも見える結果となった。 今後は対応策が講じられると思われるが、流行初期、ウィルスの性状や病態が まだ明らかになっていない時点での対応に、今回以上のものを求めるのは酷で はないかと思っている。国際的な監視機構がきちんと機能していること、新型

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4 ウィルスの解析が短時間で行われ情報もその日のうちに公開されること、など が判っただけでも一つの収穫といえるのではないだろうか。日本での最初の発 症は 5 月 5 日であった。13 日頃より感染者の数は増加に転じ(図 1)、17 日には 最初のピークを迎えた。その後発症数は急激に減少しいったん落ち着いたかに 見えたが、6 月に入って徐々に増加し、6 月末から 7 月初めにかけて 1 日の発症 数が 80 名を越えるという状況となった。国内の発生例は 6 月 25 日に 1,000 人 を越えたが、7 月に入って急激な増加をみせ、24 日には 5,000 人を超えた(検 疫対象者の発生例も含む)。この時点で新型インフルエンザの全数調査は中止さ れ、全国 5,000 か所の医療機関による集団感染の調査に切り替えられた。7 月 31 日時点で世界では 162,380 人の感染が確認されている。県別の症例数を見る と、愛知県では 5 月 31 日にハワイからの帰国者が発症し、翌日新型インフルエ ンザウィルスへの感染が確認された(県内初発例)。その後報道により大学等で 感染が広がっていることを感じていたが、7 月 24 日の時点での愛知県の症例数 は、大阪府(963 例)、神奈川県(432 例)に次ぐ 3 番目の記録となっており、 403 例が確認された。 図1、発症日別報告数(国立感染症研究所感染症情報センター (http://idsc.nih.go.jp/index-j.html)より入手。)

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5 さらに、速報誌に発表された研究成果から今回の流行に対する対応を見てみよ う。WHO が監視体制を整えた直後の 5 月 5 日には、Science 誌に新型インフルエ ンザウィルスに関する論文が投稿され、11 日にオンラインで発表された(2) 情報が少ないためにパンデミックとなる可能性の判断は困難としながらも、メ キシコでの感染者数や死亡率の予測などから、今回流行のインフルエンザは 1918 年に流行したスペイン風邪よりは軽く、1957 年に流行したアジア風邪に匹 敵する程度とした。さらに、一人の患者が未感染のヒトにうつす数(R0)を 1.4 -1.6 と見積もり、このウィルスの伝染性を季節性インフルエンザよりは明らか に高いが、以前のパンデミック原因ウイルスの低い方の値に相当するとした。 流行の確認からほぼ一月後の 5 月 12 日、日本人著者らによる新型インフルエン ザウィルスに関する総説が Nature 誌に投稿された(3)。インフルエンザウィルス に関する基本的な知識や 20 世紀に起こったインフルエンザパンデミックを概説 するとともに、新型ウィルス分離直後に明らかになったゲノム情報に基づいた 考察を行っている。さらに、過去の流行例から、冬を迎える南半球でのウィル スの変異をモニターし、毒性が強くなったウィルスの出現を監視する重要性を 指摘している。新型ウィルスのゲノム情報は 4 月には公開されていたが、別々 のグループによる解析結果が 5 月 12 日に Science 誌に、24 日に Nature 誌に投 稿され、すぐにオンライン上で発表された(4, 5)。新型ウィルスは、北米の豚で流 行していた豚インフルエンザウィルス(豚、ヒト、鳥に由来するウィルスゲノ ムで構成されているので三種再集合体、triple-reassortant、と呼ばれている) が、ユーラシア大陸で流行していた豚ウィルスから 2 種類の遺伝子をもらって 誕生し、今回の流行が始まる数か月前にヒトに感染したとみられた。新型ウィ ルスの誕生は今から 9.2 から 17.2 年前ほどとみられ、最初のヒトへの感染以前 は存在が知られることなく豚の間で流行していたと考えられている。さらに 7 月 2 日には、二つのグループによりフェレットやマウスに対する新型ウィルス の病原性やウィルス伝播に関するレポートが Science 誌にオンラインで公表さ れた(6, 7)。二つのグループの結果には若干の違いがみられるが、新型ウィルスは フェレットの気管や肺など気道の広い範囲で増殖し(季節性インフルエンザは 鼻腔でのみ増殖が見られる)、ウィルス量も多かった。一つのグループでは、鼻 腔内に感染させたウィルスが腸から回収され、新型インフルエンザに特徴的な 下痢症状との関連が示された。飛沫感染の程度は季節性のインフルエンザウィ ルスと同程度かむしろ低い傾向にあると報告された。

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6 以上の経過からも、今回のインフルエンザの流行に対する世界中の関連機関の 迅速な対応や、情報共有のために次々と結果を発表したことがお分かりいただ けると思う。1997 年の高病原性鳥インフルエンザの流行やヒトへの感染、2003 年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)などの経験から、世界的に新型イ ンフルエンザによるパンデミックに対する警戒感が増し、各国の対応策の準備 が進んでいたことも一因であろうが、近年のインフルエンザウィルス研究の進 展も重要な寄与をしている。今回の流行に際しても、「新型インフルエンザがパ ンデミックに対する準備状況を試している」との記事が Nature 誌に掲載され(8) ウィルスの病原性(致命率)、新型ウィルスはどのように生じるのか、ワクチン の製造、感染が広がる速さ、抗ウィルス薬の効果はあるのか、感染の広がりを 抑えるための予防策、などを明らかにする必要があると述べられている。では、 これらの問題に対して研究者は現在どのような解答をもっているのだろうか。 インフルエンザウィルスに関する本格的な研究は 1930 年代より始まるが、ヒ トインフルエンザの研究に先行して豚インフルエンザの研究が行われた。1931 年 Shope は豚インフルエンザの原因と考えられる濾過性のウィルスを分離した。 これが初めて分離されたインフルエンザウィルスである。しかし、このウィル スを豚に感染させても軽い病状しか再現できず、病状の再現には 1892 年 Pfeiffer が イ ン フ ル エ ン ザ の 原 因 菌 と し て 報 告 し た イ ン フ ル エ ン ザ 菌 (Haemophilus influenzae)を同時に感染させることが必要であると結論した(9) その後、Smith、Andrews、Laidlaw らは 1933 年の初頭から始まったインフルエ ンザの流行を機に、インフルエンザ患者のうがい液を、細菌が透過できない膜 を使ってろ過した後様々な動物種に接種した。この時インフルエンザを発症し たのがフェレットで、以降ウィルス研究にとって必須の実験動物となる。イン フルエンザはフェレット同士の接触によっても感染した。ヒトの血清、特にイ ンフルエンザから回復したヒトの血清が、ウィルス活性を中和する抗体を含ん でいることも示されている。この論文は「インフルエンザが Pfeiffer 菌による のかウィルスにより引き起こされるのか」という長く続いた論争に決定的な証 拠を与えたと評価された。 以上のインフルエンザ発見の歴史からわかるように、スペイン風邪が流行した 当時の技術ではウィルスの分離はできず、人類が経験した最悪のパンデミック といわれる大量の犠牲者をもたらした理由などは長年不明であった。1995 年米 国陸軍病理研究所(AFIP)の Taubenberger は、ホルマリン固定されパラフィン

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7 に包埋されたスペイン風邪の犠牲者の組織中に残っていたウィルスの遺伝情報 の解読を始めた。最初に 700 塩基に満たないウィルス遺伝情報の一部を発表し たのは 1997 年で(11)、その後アラスカの永久凍土に埋葬されていた 1918 年 11 月 に亡くなった犠牲者の肺組織なども用い、ついに 2005 年スペイン風邪の流行を もたらしたインフルエンザウィルスの全遺伝情報を明らかにした(12)。同時に米 国疾病予防管理センター(CDC)の Tumpey のグループでは、その遺伝情報を基 に、逆遺伝学といわれる手法(合成した核酸を使って完全なウィルス粒子を人 工的に作り出すこと)でスペイン風邪ウィルスを蘇らせた。90 年近くを経て現 代によみがえったスペイン風邪ウィルスは、マウスや発育鶏卵に対する致死性 やヒト気管支上皮由来の培養細胞での大量増殖で、その強毒性の一端を示した (13) スペイン風邪ウィルスの遺伝情報解析から、このウィルスは鳥ンフルエンザウ ィルスがヒトに直接伝播したものと考えられた。それまで鳥インフルエンザウ ィルスが直接ヒトからヒトへ伝播するウィルスに変異することはまれであり、 鳥とヒトのウィルスが同時に感染できる豚などの動物内でお互いの遺伝子を交 換しあい(遺伝子再集合)、ヒトへの感染力を獲得するものと考えられていた。 スペイン風邪ウィルスの遺伝情報は、鳥ウィルスが、直接ヒトからヒトへの感 染力を得る可能性があることを示し、H5N1 高病原性鳥ンフルエンザウィルスな どがパンデミックの原因となる可能性を示した。スペイン風邪の原因ウィルス はその後アジア風邪ウィルス、さらに香港風邪ウィルスへと変遷したことは上 で述べた。H3N2 型香港風邪ウィルスは抗原シフトを繰り返し、現在でも季節性 インフルエンザの流行を続けている。新たな型のウィルスが出現するとそれま で流行していたウィルスは姿を消すのが常であったが、1977 年 H1N1 インフルエ ンザウィルスが忽然と姿を現した(ソ連風邪)。このウィルスのゲノムを解析す ると、1950 年代に流行していた H1N1 ウィルスにそっくりであった。インフルエ ンザウィルスは突然変異により遺伝子構造を刻々と変化させているので、20 年 以上も遺伝情報を変化させずに自然界に存在する可能性は考えられなかった。 そのため、ソ連風邪として復活した H1N1 ウィルスは、地上から姿を消していた 間どこかの実験室で凍結保存されていて、何らかの原因で漏出し流行を起こし たと考えられた。この経験からスペイン風邪を復活させる実験に対する批判も 高く、このウィルスが実験室から漏れ出る危険性を指摘する研究者もいる。し かし、復活したスペイン風邪ウィルスを用いた動物実験から、このウィルスは 感染すると「サイトカインの嵐」と呼ばれる異常な自然免疫応答を引き起こす

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8 ことが示され(14)、これが大量の犠牲者を出した原因の一つと考えられている。 この結果に基づいた治療法の検討も始まっている。 インフルエンザウィルスの型別に用いられている HA が、ウィルス感染時に宿 主受容体に結合するという重要な役割を果たしていることは知られていた。さ らに、ウィルスゲノムの細胞内への放出にも HA が重要な役割を果たし、そのた めに HA は宿主のタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)による切断を受けること が必須とされている。高病原性鳥インフルエンザウィルス(H5N1)の解析から(15) HA のプロテアーゼ切断部位に含まれる塩基性アミノ酸の数が H5 で増えており、 宿主プロテアーゼにより切断されやすくなっていると推定された。通常のウィ ルスは上気道にあるプロテアーゼによる分解しか受けないため感染部位が限ら れているが、H5N1 ウィルスの HA は体内の種々の組織のプロテアーゼでも切断さ れるため、全身感染を起こすようになったと考えられた。 インフルエンザウィルスの HA は宿主細胞表面のシアル酸という糖を認識して 結合するが、シアル酸( SA )がガラクトースにα -2,3 結合している場合 (SA 2,3Gal)には鳥インフルエンザウィルスが、2,6 結合している場合 (SA 2,6Gal)はヒトインフルエンザウィルスが結合する。ヒトの気道の細胞

表面には主に SA 2,6Gal が存在し、SA 2,3Gal は主に肺胞にあることが分かり

(16)、鳥インフルエンザは気道の奥深くまで侵入しない限り、結合、増殖ができ ないと考えられている。100 例を超す鳥インフルエンザウィルスのヒトへの感染 が報告されているが、ヒトからヒトへの感染がそれほど多くないこと、ひとた び H5N1 ウィルスに感染すると重篤な肺炎となることなどの理由と考えられてい る 。 し か し 、 ヒ ト か ら 分 離 さ れ た 鳥 イ ン フ ル エ ン ザ ウ ィ ル ス の 中 に は 、 SA 2,3Gal、SA 2,6Gal の両方に結合するものも出現していて、このような変 異により鳥インフルエンザウィルスがヒト上気道での増殖能を獲得し、くしゃ みや咳などによりヒトからヒトへ伝播してパンデミックになる可能性が考えら れる。H5N1 鳥インフルエンザウィルス HA の 182 番目か 192 番目のアミノ酸どち らか一つの変異で SA 2,6Gal に結合できるようになることが知られている(17) また、スペイン風邪の原因ウィルス HA の 190 番目と 225 番目のアスパラギン酸 を、それぞれグルタミン酸とグリシンに変えて SA 2,3Gal を認識、結合するよ うにすると、フェレットでの伝播性がなくなることが示されている(18)。このよ うに HA はインフルエンザウィルスの感染において、主要な役割をしている。

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9 インフルエンザの流行の予防と治療にはワクチンと抗インフルエンザ薬が不 可欠である。これらの研究がどこまで進んでいるか紹介する。上述したように HA に対する抗体をもっているかどうかが、インフルエンザウィルスへの感染防 御において重要であるため、ワクチンも HA に対する抗体価を上げることを目的 として製造、投与されている。現在日本では、鶏発育鶏卵で増やしたウィルス 粒子をエーテル処理で部分分解した HA ワクチンが使われている。ワクチンの製 造には次に流行するウィルスの予測や発育鶏卵の準備が必要で、必ずしも現行 の方法がベストのものではない。また、副作用などの安全性や予防効果の実効 性などの問題点もあると思われるが、効率よく免疫を得るための免疫賦活剤(ア ジュバント)の開発、低温馴化した弱毒生ワクチンの開発、培養細胞を用いた ワクチンの製造などが検討され、一部実用化も始まっているようだ。スペイン 風邪ウィルスを蘇らせた逆遺伝学と呼ばれる手法はワクチン用のウィルス株の 開発にも応用でき、新たな流行を始めたウィルスに対して短時間でワクチンを 準備するための技術として期待されている。今年になり HA と結合した抗体の結 晶を用いた構造解析から、抗原変異を繰り返す HA 分子中で変異が少なく、感染 防御にも関わる領域が決定された(19, 20)。この部位に対する抗体ができるような ワクチンが開発できれば、ウィルス亜型による HA の変化に関わりなく感染を予 防できるワクチンの開発も夢ではないと思われる。 新型ウィルスによるパンデミックが発生した場合には、ワクチンの準備には 3 -6 か月かかるといわれている。この間はやはり抗インフルエンザ薬で感染の拡 大を防ぐことが重要になろう。抗インフルエンザ薬には、イオンチャンネル阻 害剤とノイラミニダーゼ阻害剤の 2 種類ある。前者はアマンタジンに代表され、 ウィルスゲノムの細胞質への放出を妨げる。耐性ウィルスが生じやすく、現在 流行している季節性インフルエンザウィルスの大半が耐性である。今回の新型 ウィルスも耐性であった。ノイラミニダーゼ阻害剤は現在2種類使われている。 いずれもノイラミニダーゼの立体構造の解析を元にデザインされた薬で、シア ル酸にそっくりの構造をしているため耐性株が出現しにくいと考えられていた。 ノイラミニダーゼはシアル酸を切り離す酵素で、新しく合成されたウィルス粒 子は自身の HA で感染細胞のシアル酸に結合しているので、その結合を切断し感 染細胞から離れていく際に働く。この酵素活性を阻害するとウィルスの周囲の 細胞への感染拡大が阻害される。臨床試験では耐性ウィルスの出現はほとんど なかったようだが、実際には耐性ウィルスの出現頻度は予想より高く、米国で は 2006-2007 年の流行時に 0.7%だったタミフル耐性株の割合が、2008-2009

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10 年の流行時には 98.5%にまで上昇した。米国以外でも同様の耐性株の出現が確 認されている。これら耐性株のノイラミニダーゼに起こる変異はいくつか明ら かにされているが、274 番目のヒスチジンがチロシンに変異するものが多かった。 タミフル耐性株のノイラミニダーゼの立体構造が解析され、タミフルに耐性に なった株でも、リレンザは依然として有効であることが立体構造からも証明さ れた(21)。現在インフルエンザのパンデミックに備えてタミフルが各国で大量に 備蓄されているが、耐性株の出現を念頭に置きリレンザのような他の抗ウィル ス剤も合わせて備蓄することが望ましいとしている。 最後に、過去のパンデミックの例から今後の流行を予測できるのであろうか 1889~1892 年にかけてロンドンで発生したインフルエンザの流行は(22)、1889 年 暮れ~1890 年 3 月にかけての小流行で始まり、第 2 波が 1891 年の 4 月から 6 月 にかけ、第 3 波が 1891 年 12 月~1892 年 3 月にかけて起こっている。また、コ ペンハーゲンでは、スペイン風邪の流行は 1918 年 7 月~8 月にかけておこった 小流行の後、第 2 波が 10 月~11 月に大流行している。1957 年の米国でのアジ ア風邪の流行は、9 月下旬に第 1 波が襲い、その後 1959~60 年、62~63 年の 2 回の冬季に流行している。香港風邪も英国ウェールズ地方で 1968 年 3 月と、11 月から翌年にかけて 2 回の流行を引き起こしている。パンデミックの場合は流 行にあまり季節性がないこと、過去の例ではインフルエンザパンデミックは 2 度、場合によっては 3 度の流行をもたらしている。今回の流行に関しては、ス ペイン風邪と同様に強毒化したウィルスによる第 2 波の流行が起こるのか、こ のまま夏の間も感染が続くのか、専門家でも予想はできない。世界的な監視体 制の維持、抗ウィルス薬やワクチンの準備などが私たちにできることであろう か。 参考文献

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参照

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