「あの時代」に想いをはせて-証言者達からのメッセージ-:5.石田先生から受け継いだもの
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(2) 小. 特. 集. • • 「. あ. の. 時. 代. 」. に. 想. い. を. は. せ. て. • •. でライセンスが取得され,UNIX が広がっていったの. 石田先生がいらっしゃらなかったら JUNET が大きく. である.実は,UNIX のライセンスを取得した日付は. なることもなかったし,ひいては今の日本のインターネ. ☆3. ,僕は UNIX の第 1. ットコミュニティはできあがっていなかったかもしれな. 号は慶應なんだと思っていたのだが,今回の件で,やっ. いと後から知り,先生の温かさを感じたものである.僕. ぱり石田先生が第 1 号だったのだと認識を新たにした. ら若造は自分の力でなんでも自由にやっていると思って. のであった.. いたのだが,実は石田先生に守られて遊んでいたとい. その後,先生は東京大学大型計算機センターの副シ. うことになる.ちなみに,JUNET という名前も石田先. ステムとして VAX-11/780 を 1980 年に導入し,BSD. 生が名付けの親である.先生は,大学間ネットワークで. UNIX を大型計算機センターでも使えるようにされた. これも,UNIX の魅力を多くの人々に伝える先生の活. 使おうと「JUNET(Japan University Network)」という 名前を暖めておられたそうなのであるが,大型計算機セ. 動の一環だったのだと思う.このようなことから,先生. ンター同士を結ぶネットワークでは,電子メールを使う. 慶應義塾大学が一番早かったため. は DEC のユーザ会である DECUS の UNIX 部会の部. ことができず電子メールが使えるようなネットワークが. 会長となられ,ユーザコミュニティを広げていく.しか. 登場するまでしまっておこうと思われたのだそうである.. し,やがて UNIX が動く環境が DEC のコンピュータ. ネットワークは人と人のつながりであり,その人同士が. だけでなくなってきたため 1983 年に独立し日本 UNIX. コミュニケーションを支える電子メールはネットワーク. ユーザ会(jus)の設立に至った.その際も,先生のご尽. の重要な基本機能だと石田先生は考えておられた.した. 力と人脈が重要であったことは言うまでもない.. がって,それができなければ先生の理想のネットワーク. このように,日本での UNIX の普及とコミュニティ. でなかったわけである.そういう意味で,先生の思いの. の形成には,石田先生の人柄と優しさが不可欠であった. こもった名前をいただいた JUNET は,先生の思いを. ことがご理解いただけると思う.そして,ここで作られ. 育てながら現在のインターネットへと成長していくこと. たコミュニティがやがて日本でのインターネットに関す. になる.. る活動を盛り上げていくことになる.. 思えば僕は,今ちょうど「じゃあ村井君,東大をつな. 1984 年 8 月にそれまで慶應で僕と一緒に仕事してい. ごう」とおっしゃられたときの先生の年齢になったこと. た村井が東京工業大学に就職する.このときに,ファイ. に最近気づいた.これは先生がずっとなさってきた, 「面. ルをやりとりしたり,さまざまな連絡をしたりするため. 白い」ことを探求する努力を続けるとともに,次の世代. に慶應と東工大の VAX 同士を接続してしまおうという. が 「面白い」 ことをやっているときにそのガーディアンに. ことをやってしまったのが 9 月であった.面白かった. ならなければいけない年齢に到達したことを意味してい. ので,村井も僕もあちこちでこの話をして自慢したりし. る.先生のように,優しくそしてかっこよくそれができ. ていたわけであるが,やがてある日村井が 「石田先生が,. るとは思っていないが,微力ながらそうしたことができ. 『2 つがつながっただけではネットワークとは言わない. ればと考えている.. のだよ.3 つ以上にならないとだめだよ』っていうから. 先生が遺されたものは,大切であると同時に重いもの. 東大をつなぐことにした」と言うので,東大の VAX も. であるが,これを受け継ぎ次へ伝えていく仕事は,先生. 接続してしまう.1984 年 10 月のことであった.これ. に守られてここまで進んできた我々に課された宿題であ. が JUNET のはじまりである.僕は長い間「石田先生は. ると考えている.この,先生にいただいた宿題をきっち. 自分も参加したいのだけど,つないでよとは言いにくい. りこなす誓いを先生への感謝とし,先生のご冥福を心か. ものだから,そんな風に言ったんだ」と勝手に思ってい. らお祈りするものである.. たのだが,実はこの裏には深い意味があったことをずい. (平成 21 年 5 月 28 日受付). ぶん後になって知った.実は,この時期村井は JUNET にいろんな組織を参加させようと奔走していたのであ. 砂原 秀樹(正会員) [email protected]. るが,「東京大学がやっていないものは研究じゃないで. 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授.1984 年から JUNET,1988 年から WIDE プロジェクトを通じて,日本におけるイン ターネットの構築とその研究に従事.2005 年よりインターネットを通 じて環境情報を共有する Live E! Project を開始.. しょ.そんな実験には参加できないよ」と言われ困って いたのだそうである.そんな話を聞きつけた石田先生が, 「じゃあ村井君,東大をつなごう」 とおっしゃられたので ある.村井も,そうした裏の事情を僕ら若い連中に知ら せないでおこうと思い前述のように言ったのだと思うが, ☆3. 658. 昔,UNIX の ラ イ セ ン ス 事 業 を 行 っ て い た USL Pacific(UNIX System Laboratories, Pacific)に筆者が確認したことがある.. 情報処理 Vol.50 No.7 July 2009. 村井 純(正会員) [email protected] 慶應義塾大学環境情報学部教授.1984 年国内のインターネットの祖 となった日本の大学間ネットワーク「JUNET」を設立.1988 年インタ ーネットに関する研究プロジェクト「WIDE プロジェクト」を設立し, 今日までその代表として指導にあたる.本会フェロー..
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