西南戦争後における銀行経営問題と大蔵省銀行検査 : 1878~85年,第二十六国立銀行を中心に
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(2) 6e. 治(2007)で取り上げた第三十二国立銀行と立. うな国立銀行を取り上げる必要など全くないと. 地や規模の面で類似している.したがって,第 二十六国立銀行に対する大蔵検査を検討するこ. 想定される読者もいるかもしれない.しかしな. とで,都市所在の国立銀行に対する大蔵検査の. 人的関係などの諸点において,同行は検討する. 実態に関するイメージは,かなりの程度普遍化. に値しない中小零細の国立銀行ではない.基本. されると考えてよいだろう.. 的な経営データすらも不明な第二十六国立銀行. がら,後で明らかになるように,立地・規模・. 第二に,当時の大蔵検査の背景や目的・目標. の実態の一端を明らかにすることを通じて,国. に閲する分析を補強することである.確かに, 邊英治(2007)では,大蔵検査の背景や目的・. 立銀行の研究にもある程度寄与したい.. 自標として,銀行業の近代化の必要性や両替商. (2)日本の銀行業の近代化再考. とは異なる銀行業務の整備・指導といった諸点. 銀行業の近代化とは何か.この問いには,教. を指摘したが.これらは一般的かつ長期的な性 格のものといえよう.本稿では,西南戦争後の. 科書的な合意もないし,原理的にもやっかいな 問題であることは間違いないだろう.既に,邊. インフレーション下における金融市場の動向を. 英治(2007)において,従来の経済史的側面(動. 概観することで,当時の国立銀行を取り巻く金. 力革命・工業化,資本主義化・市場化など)や法. 融環境やそれに伴って多くの国立銀行が直面し. 制史的側面(国民国家形成,民主主義化,資本主. ていた経営問題を明らかにする1〕.これにより,. 義を前提とした近代法の制定など)の検討だけで. 大蔵検査の一般的・時代特殊的双方の背景が整. は,日本の銀行業の近代化をとらえるには不十. 理され.おのずと大蔵検査の目的・目標も一層. 分であることを論じた、本稿では,この点につ. 萌確化してくるだろう.. いてやや掘り下げてみよう.結論を先に示せば,. 第三に.国立銀行の研究そのものに対する実. 社会史的側面(身分階層の平等化・自由化,核家. 証水準の向上もあげておきたい.153行まで設. 族化の進行,都市化の進展など)や文化史的側面. 立許可が出された国立銀行の中には,いまだに. (合理主義,実証主義)を加味しなければならな. 茎本的な経営データすら明らかでないものが含. いということである3).. まれている.とりわけ,松方デフレ期など比較. そもそも,近代銀行業が他の製造業やサービ. 的早い時点において経営破綻した国立銀行にそ. ス産業と一線を画しているのは,商取引のアマ. の傾向がみられるように思われる.これは.早. チュアたる大衆が預金者として銀行に資金供給. V時点で破綻した場合,行史や考課状といった. を行っている点にあると考えられる.近代銀行. 基礎資料が残されていない可能性が高いことに. 業においてt利害関係者の範囲はきわめて広い. 起因する.本稿で取り上げる第二十六国立銀行. 点に留意しなければならないともいえる.当然,. も,松方デフレ期に破綻しているという点でこ. この条件が満たされるためには,厳格な身分制. の種の国立銀行に属する2).なかには,このよ. 度から(完金にではないにせよ)ある程度解放 された大衆層が,社会に登場してくることが必. 1)いわゆる大隈インフレ期における一般の国立 銀行の経営問題について,これまで正面から研究 されたことはなかつたように思われる.なお,松 方デフレ期における地方所在の国立銀行の経営問 題については.由井常彦氏が安田善次郎の救済活 動との関係で取り上げている.由井常彦(2◎◎5). 要である.さらに,追加条件として,その大衆 層に預金を行いうるだけの資金が蓄積されてい る必要もある.日本でこの条件が満たされる可t 能性が出てくるのは,さしあたり「四民平等」. ユ27∼142頁、. 2)加藤俊彦’大内力綴口963)をはじめとする 国立銀行の諸研究でも,同行はおそらく取り上げ. 3)この点については,富永健一(1996>から着 想を得た.もっとも.富永健一氏の近代化論とは. ら認てこなかったように思われる.. 必ずしも同一ではない..
(3) が謳われた明治維新期以降であろう.したがっ. 第三に,大衆預金者には,銀行経営をモニター一. て,いくら業務内容に類似の点がみられるとは. する意思・能力がほとんどないため,それを代. いっても4},江戸期の両替商を,近代的な金融. 行する機関が必要になるという点である.とこ. 機関に位置づけるのは,困難なように思われる・. ろが,戦前期日本において,銀行株主と銀行役. 江戸期の両替商の主なクライアントは基本的に. 員は往々にして同一であり丁銀行株主による規. 商人と武士であり,当時のマジョリティたる農. 律付けにはあまり期待できないe}.そこに,政. 民ではなかったからである.. 府(大蔵省)が銀行監督を行う根拠があるとい. では,銀行の主な資金源泉が資本金から預金. える7).そして,近代においては,預金者≒国. に転換することt預金者として政府・企業以外. 民であるから,銀行監督に国民の税金を投入す. の大衆層が台頭してくることをもって,銀行業. ることも正当化されると考えられる.したがっ. が近代化したと評価してよいだろうか.それだ. て,政府による銀行監督の登場は,銀行業の近. けでは十分でないだろう.むしろ,ここから先. 代化をとちえる上で,前提条件となるように思. の議論が重要である.. われる.逆説的なのだが,営業の自由が保証さ. 大衆層が預金者として台頭してくると,銀. れる近代においてこそ,銀行経営の自由は制約. 行経営はいくつかの重要な変化を余儀なくされ. されなければならないのである.. 構が存在しない場合,大衆はいつでもパニック. 以上指摘した3点は,江戸期の両替商のよう に,金融機関が資本金や自己資金,商入からの. 的な預金取付(パンク・ラン)を起こす可能性. 借入に専ら依拠しつつ経営しているのであれば. があるという点であるS,.したがって,銀行は. 全く問題とならないことは容易に理解できるだ. 常に一定程度の支払準備を設ける必要が出てく. ろう.近代的銀行は,大衆預金者の存在ゆえに.. る.すなわち,その分だけ資金運用が制約され. 利潤追求が一定程度抑制されると同時にプルー. ることとなるのである.. デントな資金運用が求められ,また政府による. る.第一に,戦前期日本のように預金保険機. 第二に,大衆預金者=弱者保護の観点から, 過度なリスクテイクを行うことは慎まなければ ならないという点である.これは,大衆預金者. 監督下に置かれなければならないのである.. 以上の考察をふまえ,本稿では,銀行業の近. にとって,預金が返ってこないということは,. 代化の指標として,銀行経営の自由の制約及び その前提条件となるいわゆる合理主義に基づく. 彼らの生活に無視しえない影響を与えてしまう. 経営の進展に注目することを提起したV・ S).具. ことを想起すれば,.容易に理解できよう.さら. 体的には,西欧式複式簿記に基づく厳密な会計,. に,株式市場が未成熟な日本の場合,銀行への. 経営内容のアカウンタビリティ,分業化された. 信用が失われて預金が集まらなくなると,企業. 銀行組織(特に,支店)を指揮・監督できる頭取・. への貸出が縮小して,経済成長が制約される可. 役員,人情・情実・勘ではなくリスク&リター. 能性が大きくなる.このことから,近代的銀行. ンに基づく資金運用を,例としてあげることが. は,単巻る短期的な利潤追求ではなく,リスク・. できる.このような合理主義に基づく銀行経営. マネジメントを展開できる慎重な(プルーデン ト)経営能力が求められるのである、. 4)土屋喬雄氏は,江戸期の両替商が業務内容の 面で銀行と類似していたことを指摘している.第 一一 竝s八十年史編纂室編(1957)12∼32頁.また, 石井寛治(2007)は,この点を実証的かつ批判的 に掘り下げている. 5)Diamond, DybVig(1983).. 6)さらに,戦前期日本では公認会計士制度が存 在せず,会計監査も未熟であった. − 7)ここでは,1990年代のアメリカを主に念頭に おいたMishldin(2001)などの考え方を戦前期日本 に応用している.なお,銀行監督・規制の理論的 背景については,邊英治(2006)で整理している. 8)基本的に,Weber(1920)の近代資本主義の 特徴付けを参考にして,戦前期日本の銀行業に対 応するよう応用している..
(4) 図1西南戦争前後における国立銀行紙幣流通高の推移(1876∼1885年) 40,000,000 30.000,000 皇O,000,000. 10,000,0eo. 一. 0. 1B7S. 1E76. 18B2. 1B80. 18B4. 拙所)大蔵省銀行局編(1890). 注)単位ぱ円.. 図2 西南戦争前後における農産物総合価格指数の推移{1876∼1885年) 200.0 170.O. 一. 140.e. f. no.e so.o 50.0. 」 1. 1B76. t87e. 1880. 1882. 1884. 出所)大川一一司他編(1967).. 注)1874 一一 76年の平均を100としたときの指数. が形成されてくるプロセスこそが,銀行業の近. 必要となり,それは2,700万円もの予備紙幣(政. 代化と考え.以下本稿では検討を進めることと. 府紙幣)の発券と第十五国立銀行からの借入. したい.. 金1,500万円によってまかなわれた9)、さらに,. 2.西南戦争後のインフレーションと銀行経営問題 一大蔵検萱の背景f−一. この時期における国立銀行券流通量の増加は著 しくr1,335万円(1877年)→2,628万円(1878.年). →3,404万円(1879年)と激増している」(図1).. (1)西南戦争後の金融市場. そして,西南戦争後の1878年からの3年間で. 本稿が主な分折対象とする時期は,明治1⑪ 年代前半(特に,1878年)である.この頃,国. た場合,年率で平均17.2%ものインフレーショ. 立銀行は,国立銀行条倒改正(1876年)に伴っ. ンに見舞われることとなったのである(図2).. て設立ブームが到来し.ようやく国立銀行制度. もっとも,このような激しいインフレーショ. が案質的に援能し始めたといえる.そして,こ の時期の国立銀行を検討する上で,西南戦争と. ンによって,日本経済が衰退に向かったわけでt はなかった.この時期の生産国民所得の推移をJ. それに伴う金融市場の変化を看過することはで. みると,5億1千万円(1877年)→5億9千万. 日本経済は,米などの農産物総合価格指数でみ. きない.. よく知られているように,1877年1月から9 月にかけての西南戦争に伴って.その戟費を調 達するために4200万円もの多額の財政支出が. 9)明治財政史編纂會編(1905a)118∼121頁; 三井銀行八十年史編纂委員会編(1957)546∼555 頁..
(5) 図3 西南戦争前後における生産国民所得の推移(培76∼1885年) ge奪. BOO 一. 700 .. 699 占. 500. 曲. ゾ. 400 1876. 187S. 1880. 18S2. 18B4. 出所)日本銀行統計局編(1966).. 注)単位は百万円.山田雄三による推計. 図4 西南戦争前後における貸付金年利の推移(1876年1月∼1883年12月) 20.00 lB.oo .1 6.oo. 14.00. 一一一最高 一・・. t2.ao. c・一・最低. ■■一平均 10.ao 8.00. 6Sb 4.go. lB760Pt月 1877年1月 iB7S年t月 te79年1月 権80年1月 iSBIeeifi t882年1月 1993年f月. 出所)東洋経済新報社編(1927).. 注)単位は%.東京の銀行のデータ.. 円U878年)→7億6千万円(1879年)と,大 きく増加している(図3).西南戦争後のインフ. 金融逼迫という金融状況の中で,概して資金不 足に悩まされていた可能性が浮かび上がってく1. レーションは,資金需要を昂進させて金融逼迫. る,では,資金不足という金融状況下,各国立. を惹起し,金利上昇へと帰結したとみてよいだ. 銀行はどのようなビヘイビアをとったのであろ. ろう、実際,東京の市中銀行の貸付金年利でみ. うか.次に,この点について検討したい.. た場合:そ担撮高ベースーz:・,10.e%(1877年 10月)→12.0%(1878年10・月)→15.0%(1879. (2)国立銀行制度の概要と増資流行. 年10月)一・・b 18.0%(i880年10月)へと,著し. 周知のように,N本の国立銀行は当初,1872. く上昇している.平均ベースでも,10.0%(1877 年10月)→10.5%(1878年10月)→12、0%(1879. (明治5)年,アメリカの「ナショナル・バン ク」制度を主に参考にして,事実kの公債の資. 年1e月〉→13.3%(1880年1e月) と,確力、ξこ. 本金への60%の算入を認めつつも1°},イギリ. 上昇していることがわかる(図4).. スの「ゴ・一ルド・バンク」制度も加味して、金. 以上の金融市場の概観から,西南戦争後にお. 党換券の発券と40%の正貨(「正金」)準備を要. いて各国立銀行は,激しいインフレーションと. 求するという折衷的な銀行制度に基づいて,設.
(6) 表1 西南戦争直後における増資実施状況①(1878年上期→下期) 増資 (減資)額. 1878上 18閲下. 国立銀行名. 300,000. 450,000. 150,000. 1 蝠ェ第廿三. 50,000. 200,000. 150,000. 岡山第廿二. 170,000. 300,000. 130,000. 棄京第三. 200,000. 300,000. 100,000. 福岡第十七 長崎第十八. 105,000. 200,000. 95,000. 160.000・. 250,000. 90,000. 小濱第廿五. 50,000. 130,000. 80,000. 讃松第廿八. 120,000. 200,000. 80,000. 岐阜第十六. 50,000. 100,000. 50,000. 熊本第九 高知第七 大阪第惜二. 55,000. 100,000. 45,000. 横濱第二. 十一■ 輪唱■■● ■ ■ ■ ・ . .・ .‘.. 小計. 比率. 11行 1行. 36.7%. 脳」. 100,000 300,000. 40,000. 140,000 ← ・ ’ … 与 ・. .. − ●■●■■−●−■●−−−● ■−●,,●● ■ ,一一一 一一 一一一一噛 一 一一 .←酋 .告.± .亀・−1亀1,弁・一,.,. 200,000. ヨ■■・古. . .・… .. 一100,000. ■●■1■●■■■■■■一一一一■一一−一一■■一■一一’一■−●●●白. 3.3%. 出所)大蔵省銀行課編(1879).. 注)資本金の単位は円、1878年上期時点の国立銀行総数は30行私が作成したデータベースより計歎. 立された11).しかし,商人の紙幣への不信感か. 境のなかに置かれていたのである.しかも,当. ら免換請求が相次ぎ国立銀行券がうまく流通し. 時の国立銀行のほとんどはt近代的銀行という. なかったことや,貿易では低落傾向(銀安傾向). には程遠い経営内容であll ,預金による資金調. にあった銀の利用が主流な中で,金での正貨準. 達をまだほとんど行うことができなかったと想. 備の規制がネックとなってsこの制度の下で最. 定される.. 終的に設立された国立銀行は,わずか4行にと. 実際,金融逼迫問題に対して,多くの国立銀. どまった.. 行がとった手段は増資であった.従来おそらく. そこで,正貨準備の規制が緩和されて「通. 顧みられることのなかったこの点について,以. 貨」準備となり(不換紙幣の発券の容認),さら. 下数量的に確認しよう(表1,表2).. に公債の資本金への算入も80%まで認められ. 表1によると,1878年上期から下期にかけ. るという大輻なde・regulatio皿を柱とする国立. て,横浜第二(増資額15万円),福岡第十七(増. 銀行条例の改正が実施された(1876年).この. 資額9.5万円),長崎第十八(増資額9万円)を. 規制緩和以降,国立銀行の設立が相次ぎ,国立. はじめ,11行もの国立銀行で増資が実施され. 銀行数は.26行(1877年)→95行(1878年) →151行(1879年)へと急増することとなった. ている.当時の国立銀行総数はまだ30行であっ. 12).ここまではfよく知られた歴史的事実であ. したことになる.なお,大阪第三十二国立銀行. ろう・3}.. しかしながら,先にみたようにT設立直後か ら各露立銀行は,金融逼迫という厳しい経営環. たから,実V: 36.7%もの国立銀行が増資を実施. は,30万円から20万円へと,10万円の減資を 実施したことになっている.これは,邊英治 (2007)で明らかにしたように,同行に対する 大蔵検査の結果を受けた実質的な増資の取消で ある・4). .. ユ醇厳密には.資本金として入金された太政官札・ 昆部省札(「金札」)と政府新紙幣力亘公債証書に. i交換さk.それを抵当に銀行券が発行されること. また,表2によるとt1878年下期から1879 年上期にかけても.横浜第七十四(増資額15. ‘こなる(国立銀行条例第6条). ].1) 明治財葦生鰯纂會編 (1905b> 16{−29頁.. 13ハ例えば.ag−一・銀行八十年史編纂室編(1957),. 14)第三十二国立銀行は13万円から30万円へ め増資を実施したが,大蔵検査の結果,10万円も. 旛藤銑彦〈1957>など. の入金不是を摘発され,20万円へと修正された.. 12)邊莱治鍋7)表1(4頁)..
(7) 表2西南戦争直後における増資実施状況②(1878年下期→79年上期) 一 1879上』 @ 増資 i減資)額 1878下一 国立銀行名 横濱第七十四. 250,000. 400,000. 150,00q. 大阪第惜四. 200,000. 250,000. 50,000. 東京第九十五. 160,000. 200,000. 40,000 30,000. 松山第五十二 水戸第百四. 70,000. 100,000. 100,000. 120,000. 20,000. 高知第七. 140,000. 150,000. 10,000. 115,476. 12qOOO. 千葉第九十八 @ 大津第六十四、. 一...一..・▼.−・・,一一一一一白古・… 一一一ユー一’.・.. ・..一一一一−−」セ●●●づエ...−i●■●●●■●.一.−−・1 .... ±…. 250ρqo. ,・・.・... ●● ●■■■ ・」’・・. 150,000. 一. 小計. 4,525 白白●−− ■■ .. 7行 1行. 比率一. 12.5%■有●●一■● ■一■L●. 一亭r ’.・ ・.. 一100ρ00. 1.8%. 出所)大蔵省銀行課編(1879).. 注)資本金の単位は円.1878年下期時点の国立銀行総数は56行.私が作成したデータベースより計算.. 万円),大阪第三十四(5万円).など,7行の風. ぎないことが摘発された15). Hr.. 立銀行で増資が実施されている.. 西南戦争後の金融が逼迫している状況下,各. 以上の簡単な検討から,西南戦争後の金融逼. 国立銀行にとって増資金の入金を速やかに行う. 迫問題に対してt少なくない国立銀行が増資に. のは,やはり困難であったようである.そのた. よる対応をとっていたことが明らかとなった.. め,いくつかの国立銀行では,増資金の入金不. もっとも,全国的に資金需給が逼迫している状. 足や入金の遅延が生じていた.後で明らかとな. 況下では,預金を集めるのと同様,増資金を募. るが,本稿で取り上げる第二十六国立銀行も増. るのも容易ではなかったと考えられる.実際,. 資に関わる問題を抱えていた.. いくつかの国立銀行では,増資を巡る問題行為. だが,さらに問題だったのは,大蔵検査を受. が横行していた.次に,この点について,詳し. けた際に,この点を隠蔽しようとした国立銀行. くみよう.. の役員が複数存在していたことである・なかに. (3)国立銀行の増資を巡る問題と大蔵検査. スもあっt;.当時の大蔵検査は,このような近. 西南戦争後のインフレーション下において,. 代的銀行業とは言い難い国立銀行の隠蔽体質に. 各国立銀行がどのような増資に関わる問題を具. 直面することとなったのである.. は,役員間での情報の共有ができていないケー. 体的に抱えていたかを明らかにするには,内部 史料の検討が必要である.この論点に関する先. (4)小括. 行研究は,邊英治(2007)を除いて,おそらく. 本節でみてきたように.西南戦争後における. 存在しないだろう.. 金融市場は、資金需給が逼迫しており,各国立. 邊英治(2007)で取り上げた国立銀行(第 三十二,第十六)は,双方とも増資に関わる問 題を抱えていた.第三十二国立銀行の場合,増. 銀行はそれへの対応に迫られていた.しかも,. 資金17万円の内,11万円余が貸出に回されて おり,実際に入金したのか疑わしかったが,大. 行の預金吸収力は弱々しいものであった.そこ. 蔵検査において実際の入金額は7万円に過ぎ ずt10万円もの入金不足が生じていることが 明らかとなり,同行は30万円から20万円への. 儀なくされるケースが少なくなく存在していた. 減資を余儀なくされた.第十六国立銀行の場合. 15)』なお,同行の場合,歎願を重ねて増資の取. もまた,増資金5万円の内,4万円以上が貸出 に回されており,実際の入金額が7,300円に過. 言肖は免れた. →一六銀行編 (1978) 82−86頁.. いまだ両替商や高利貸的経営から十分脱却でき. ていなかったせいか,当時のほとんどの国立銀 で,不足資金を増資によって調達することを余 ことが明らかとなったのである(前掲表1,表2)..
(8) 茄. 妻3 第二÷六国立銀行の経営指標の推移q87号年下期∼1日8旦年上期) 1878下. 1879上. 1879下. 1880上. 1881上’1881下. ユ880下ヒ. 1882上. ユ882下. 1883上. 資本金. ユ00,000. 100,000. 200ρ00. 200,000. 200,000. 200,000 200,000. 200,000. 200,000. 100,000. マ立金 ラv金. @ 0 @560. @1,070. @1,670. @2.640. @3,790 4,690. @5,340. @5340. @3,700. @5,578. @5,015. @5288. @9,627. P1,160. @7,961 659. ?葛 平均株価 ?リ柏. @5,000. @4,500. @4,666. @8f600. P0,000. 100. ユoo. 100. @7,000 0 100 100. @ 4 @ 0 @ 0 @ 0 @ 0 100. P71. T77. T?8. @3,714. SP39. Pρ97 520. 73. 100. S,965. V71. 器1所)大蔵省銀行課編(1879):大蔵省銀行局編(1880−1884).. 注)単位は円(売買株数のみ株).第二十六国立銀行の株式は額面50円だが,ここでは換算された原資料の「百圓平 均債格」に従っているL平均株価及び売買株数は,1879年下期一一 1881年上期については,原資料に内訳の記載 がない.. 表4第三十二国立銀行の経営指標の推移(1878年下期t− 1883年上期) 1878下. 1879上. ユ879下. 1880上. 1881上. ユ880下. 1881下. 1882上. 1882下. 1883上. 責本金. 200,000. 200,000. 200,000. 300,000. 250,000. 250,000. 360,000. 360,POO. 360,000. マ立金 ラv金. @800. @2,650. @3β00. @4,500. P1,700. P4,300. Q1,143. R0,800. R3,400. R9,800. P8,359. P1,273. P1,503. P7,448. Q1β67. Q3,753. R8,475. R6,?54. R7,901. R4,194. P3,000. ?O,000. P0,000. P5,167. ?U,250. P7,500. Q5,125. Q7,000. Q7,㎜. Q7,000. 皿.IL. 102. 113. 113. 116. 氏Da.. Q99. S50. V75. T94. ?葛 平均株価 ч鼕柏. 100. 100. 105. W83 X95 ニ 出所)大蔵省銀行課編(1879):夫蔵省銀行局編{ユ880−1884).. 360,000. 注)単位は円(売買株数のみ株).第三十二国立銀行の株式は額面50円だがここでは換算された原資料の「百囲平 靖債格」{:従?.ている、平均株価及び売買株数は.1879年下期∼ 1880年上期}こついては,原資料に内訳の記載 がなく,1880年「ド期∼1881年上期については,原資料に記載がないため不明.. もっとも,増資を実施する際も,資金不足と. 5万円であったがすぐに20万円への増資を. いう金融環境に変わりはない以上,各国立銀行. 出願したので,1878年2月開業の東区北浜四. 轄やほり厳しい状況におかれていた.その結果,. 丁目に本店をおく名門の第三十二国立銀行(資. 当初からその意図があったかはともかぐ,大蔵. 本金20万円)に匹敵する規摸を誇っていたと. 検i査は.国立銀行が増資にかかわって不正行為. ㊤える17).また,同行はIH岡山藩の大名であっ. を行っていないかを,チェックする役割も果た. た池田家とは「格別ノ由緒モ有之」間柄であっ. すことになったのである.. たという. 、. 草創期における各国立銀行を近代的銀行へと. ここで,第二十六国立銀行の経営の推移を,. 誘導するだけでなく,増資に関わる不正行為の. 第三十二国立銀行及び全国国立銀行と対比しつ. 有無をチェックするという2つの課題が,当時. つ,概観しておく(表 3,表4,表5).. の大蔵検査の背景に存在していたといえよう.. 第二十六国立銀行の資本金は,1878年下期. 3.夫蔵撲査の美態一第二十六国立銀行を題材に一 3−−1 第二十六国立銀行の概要 (つ第二十六国立銀行の位置一一ij三十二国立銀行・. 末の段階では10万円に増加しており,さらに,. 1879年下期末には20万円に増加している,そ の後は,20万円で推移していたが,1883年上 期末において10万円に減少し,同年下期には. 全国国立繋行平均との琵較一. 第二十六国立銀行はf1878年4月に開業し た大阪府東区道修町西丁目に本店をおく中位ク ラスの国立銀行であるIs).開業当初の資本金は. 16)大阪市役所耀(1934)27∼38頁t 17)もっとも,後に明らかになるが,この増資 には問題が含まれていた..
(9) 全国国立銀行の経営指標の推移(1878年下期∼1883年上期) 国立銀行数 資本金. 積立金 純益金 割賦金 105 110 112 107 109 ’106 109. 平均株価. 52,031 59,897 52,69i 27,004 36,860 23,977 30,208. 売買株数. 出所)大蔵省銀行課編(1879);大蔵省銀行局編(1880 −1884)、. 注)単位は円(売買株数のみ株).国立銀行の株式の額面は100円,50円125円の3種類がある坑ここでは換算さ れた原資料の「百圓平均債格」に従ρている.平均株価及び売買株数は,1878年下期一一 1881年上期については.. 原資料に内訳の記載がない. 一. 営業停止→鎖店へと追い込まれている.純益金. いわゆる松方デフレ期には,全国国立銀行の. については,1878∼79年にかけてはe.S万円. 純益金は停滞気味であり、平均株価も低落傾向. 台で低迷していたがt1880年上期に1万円近. にあったから,V字型の経営回復を果たした第. くへとほぼ倍増しており,経営回復に成功した. 三十二国立銀行の経営は,やや特異な経過をた. かにみえた.しかし,1“881年下期に純益金は0.1. どったともいえよう.. 万円を割り込む水準に急減して無配(割賦金=・. この点をいっそう明確にするため,第二十六. 0)に転落した.その後,松方デフレ下の厳し い経営環境の中で,ついに経営を立て直すこと. 国立銀行.第三十二国立銀行及び全国国立銀行. はできなかった.. しておく (図5).. このような同行の経営の動向は,次にみる第 三十二国立銀行とは対照的である.第三十二国. の資本利益率(ROE)を対比したグラフも一瞥 全国国立銀行のROEは,6.6%∼ 8.3%で 安定的に推移している.第三十二国立銀行の. 立銀行の資本金は,1878年下期末の段階では 20方円』となっているが1これは先に指摘した. ROEは,9.1%(1878年下期)から5,6%(1879. ように,同年上期の30万円から減資された結. に半減し全国水準を下回っていたが,1881年. 果である.その後,同行の資本金は,30万円. 下期には10.1%を記録し,その後の松方デフレ. (1880年上期末)→25万円(同年下期末)→36. 期においても全国水準を1.5%程度上回る高水. 万円(1881年下期末)と一旦減少しつつも増加. 準を維持しつつ推移している.同行は,大蔵省. していく.1882年以降t同行の資本金は36万 円で推移しており,積立金は3万円(1882年上 期末)→4万円(1883年上期末)へと着実に増. 営回復を実現したとみてよいだろう.. 他方で,第二十六国立銀行のROEは,当初. 加してい6.同行の純益金が,1.8万円台(1878. から5.6%(1878年下期)と全国水準を下回っ. 年下期)から1.1万円台(1879年上期)へと一. ており,西南戦争後の経営が順調ではなかった. 旦落ち込んだ後,1880年に回復をみせて1881 年下期には4万円近くへと増加していることと 併せ考えると,同行は西南戦争後には経営が振. ことが窺われる.1880年下期に5.5%と経営回 復をみせたかに思われたが,1881年下期に0.396. るわなかったが,松方デフレ期には経営が好調. ることはなかった.結局,同行のROEは,全 国水準を一度も上回ることがなかったのであ. であったといえる.実際,同行の平均株価は,. ユ882年上期以降,113∼116円と全国国立銀行 の平均株価と比べて比較的高い水準にある.. 年上期)へと低落しているように,西南戦争後. の外山脩造を総監役として迎え入れ,うまく経. へと激減,その後松方デフレ期において回復す. る.. 以上の簡単な考察から,第二十六国立銀行の.
(10) 図5 各国立銀行のROEの比較(培78年下期∼1883年上期) 12.oo. 1a.ec. sng. 〔’ 一 一r森・r @.ユー一で…一舌一一’ \ ’唱 、 ●一一☆「. 一■ ?鼈齠. 十六. 一←三十ニ. 6.oe. ー・. =E一全国. 4カ5 2.eo. 0.OD. ls7B下. 1s79下. 18SD下. 18SI下. t882下. 出所)大蔵省銀行課編(1879):大蔵省銀行局編(1880一ユ884). 注)単位は%.ROE=純益金/(資本金+積立金),として計算した.. 経営内容は,全国水準と.lI較しても,地理的に. せず,資本金の多くを公債によって受け入れる. も規模的にも類似している第三十二国立銀行と. と同時にある程度の貸付を実行するというよう. 比較しても.苦しいものであったと,ひとまず. なものであったとみられる.推測の域を出ない. 結論づけておいてよいだろう.. が,おそらく当時の中小の国立銀行では,この ような財務内容のものが多かったのではなかろ. ②第二十六国立銀行の財務データ. うか.少なくとも,第二十六国立銀行の経営内. 第二十六国立銀行については考課状や行史の. 容は.近代的銀行の姿からは程遠いものであっ. 類が残されていないため,基本的な財務データ. たといってよいだろう.. を提示することすら困難であるエS}.本節では,. なお,同行が位置する道修町といえぱ近世. 1878年の大蔵検査の際,提出された「総勘定. 以来製薬業で有名だが,同行が製薬業を営業基. 元帳差引残高一覧表」からその一端を示してお. 盤としていた形跡はみられない.実際,製薬業. く俵6).なお,この残高一覧表では,貸借. の中心は,道修町の1∼3丁目であるから2°),. が現代の簿記とは反対に記帳されており,さら. 4丁目に位置する同行とは地理的にも少し離れ. に貸借合計も一致しないが,.原史料の記述を尊. ている.. 重Lて修正を加えていない. この残高一覧表によると,同行の預金は3,700. 3−2 大蔵検査の実態. 円に過ぎず.資金源泉のほとんどを資本金(「株. (1)岩崎小二郎銀行課長による実地検査. 金j)20万円に依存していることがわかる.他 方でf同行の資産は.金銀有高が1万円弱,公. 1878年.大阪第二十六国立銀行は増資の許 可を得て増加証書を提出していたが岩崎銀行. 債が12.2万円 19},貸付が43方円となっている.. 結葺,同行の経営は.預金にはほとんど依存. 18)第三十二国立銀行については.考課状(但し,. 郵業期は除く)が残されていたため.経営に関す る基礎i的な情報を得ることが可能となった.詳し くは,石井寛治(2007)を参照されたい.. 19)なお,同行は2万円の発券を行っており, 4.2万円の公債が紙幣抵当として政府に差し入れら れているようである.もっとも,「残高一覧表」の 欄外に,「秩禄額面一万四千円,起業額面一万円」 と注記されているが,その意味については遺憾な がら不明である. 2⑪)田口靖編(1954)..
(11) 表6 第二十六国立銀行の財務状態(1878年10月46日時点) 明治十一年十月十六日 大坂第廿六国立銀行総勘定元帳差引残高一覧表. O政府ヨリ借. o人民ヨリ借. 紙幣抵当公債証書(※1). 発行紙幣受取高二万円 内手許有高二百円. 19,800.000. 起業公債証書. 4L860.000 80,000、000. 定期預金. 1,250:000. 小計. 当座預金. 2,450.073. O人民へ貸. 小計 ○損益勘定. r23,500.073. 貸附金』. 40,220.000. 当座預金貸越 諸買入元金(※2). 23,396.650. 利息. 7,319.853. 交換打歩. 2.290. 雑益. 22.774. 小計. 7,344.917. O株主ヨリ借 株金. 121,860.000. 2,965、702. 小計 ○支店へ貸 資本金 金沢支店 東京出張所 西京出張所(※3). 66,582.352. 小計. 21,543.100. 18ρ00.000 1,143ユ00 2,300.000. 10e.OOO. o損益勘定 手数料. 1.830. 給料. 1,555.376. 諸費. 1,067.725. 営「繕. 45.962. 雑費. 2,103.550. 小計 O補正勘定(※4). 4,774.443. O銀行所有物 什器. O金銀有高. 211.348 9,590,404. 出所)『大隈文轡』(マイクロフイルム).. 注)単位は円.現在の複式簿記と貸借の記載が反対であるがここでは原史料の表記を尊重した.貸借合計が一致し ない点も1可様である.・Xl:秩禄額面一万四千円,起業額面一万円.※2:既二禄券ヲ買入タレトモ名前書替未済 ノ為.※3:未タ届出サル乎.※4:四百五拾円取締役永峰良孝旅費,六千八百三拾四円三拾四銭三厘創業入費決. 算未済ノ分.※51原資料ママ.. 課長に「往々宜シカラサル風聞」が耳に入り,. 名ヲ迫リタル者モ多分二有之趣二付八月十四日. マークされていた.以降の経過を次の史料1に. 一層厳重二検査ヲ遂ケタル処豫メ用意シ置キタ. よってみよう.. ルモノト見へ金銀有高ヲ始メ其他諸帳簿等整頓 シ其手際ヨキコト我々想像ノ外二出テタリ但一. 史料121). 覧表二掲ケタル起業公債証書拾萬円現物無之二. 大阪第廿六国立銀行ハ嚢キニ増株ノ許可ヲ得増. 付其故ヲ問ヒシニ右ハ襲行紙幣抵当トシテ上納. 加証書ヲ差出セリ然ルニ同銀行ハ往々宜シカラ じ . サル風聞耳朶二触ル・(耳に入る一筆者注) ヲ以テ響キニ静岡表ヲ経過セシ時同地ニハ該銀 行ノ株主モ多分有之二付入金ノ模様等問合セタ ル処果シテ株主ト銀行トノ間紛議ヲ生シ已二除. 21)邊英治(2007)と同様,本稿でも草轡体(く ずし字)等の判読にあたっては原史料の表記を尊 重したが,「(コト)や臣(トモ)などの合字は改めた.. また,難読と思われるもの及び「能」(の)や「者」 (は)などの万葉仮名については,ルビを付した、.
(12) 7ロ. ノ為メ東京出張所へ送戻セリト答フ右二付我々. 戸次は,第二十六国立銀行東京出張所に臨検し,. 販京ノ上先ッ課員二名ヲ同出張所西遣ハシ起業. 本店から送られてきた起業公債証書を提示する. 公債証書ノ實否ヲ調査セシメタルニ別紙(甲号). よう求めた.ところが,旧岡山藩主の「池田章. ノ通リ報告セリ. 政方」ve)へ預託しているとのことであった.. そこで,出張所の行員を伴って,「池田家」 岩崎は.静岡で第二十六国立銀行の株主に「入. で調査したところ,最初の預け高は額面12.5. 金ノ模様」を問い合わせたところ、株主と銀行. 万円(時価1G万円)であったが,9月14日に「登. 巴の聞で「紛議」が生じているという情報が入っ. 行紙幣抵当上納」のために額面2.5万円が引き. たため,同年8月14日.「一層厳重二」実地検. 出され,現在の有高は「全ク」額面10万円で. 査を行った.ところが,同行は検査対応の準備. あることが確認された.. をしていたせいか,岩崎などの予想外にも,現. しかしながら,この起業公債は池田家より同. 金有高から諸帳簿に至るまでよく「整頓」され. 行への預金に「万一時抵當」として差入られた. ていた.. ものであることも明らかとなった.その証拠と. 但し.河行の総勘定元帳差引残高一・es表に記. なる「条約証」を,次の史料3で確認しておく.. された起業公債証書10万円の現物がなかった ため.その理由を尋ねたところ,銀行側からは,. 史料3. 発行紙幣の抵当として上納するため,東京出張. 「甲号二属スルモノ」. 所へ送うたとの回答であった.. ①条約証(抵当証書一一筆者注). そこで岩崎らは,東京に戻った上で,本件に. 一 起業公債証書 但第廿六国立銀行 記名. ついて,大蔵省銀行課員2名をその出張所へ派. 金高拾弐万五千圓 より. 遣して確認したところ,次の「甲号」(史料2). 内拾弐万円従三百五十四ノー. のような報告があった.. 番 六存. 史料2. 至三百五十四ノ六 番. 「甲号」. 時三日第ニナ六寵立銀行出張所へ罷越シ本店カ. 五千 円 三百五十四ノ八 番 壱存. ラ持越候起業公債証書検査可致旨申入候庭右を r7 華族池田章政方へ致預托置候趣二付即刻出張所. 右を貴殿ヨリ當銀行へ預ケ金拾万円之抵當. 詰之者同行池田家へ立越美々取調候二最初之預. 預ケ金返済方違約致候サイハ此抵當証書一. ケ高ハ當面拾弐萬五千持即実債拾万円之虚九月. として. 十四日二至り登行紙幣抵當上納之為メ右預ケ高. トシテ御預ケ致置候万一當銀行二於テ貴殿. 切御引取被成名前切替へ申候為後証条約 証如件. 之内ヨリ弐万五千円ヲ引出候二付現有高ハ全ク. 明治十一年七月 銀行ノ印. 當面拾萬円ニシテ該銀行取リ置シモノニ椙違無. 第廿六国立銀行支配人 津田 道賢 印. 之候尤モ右ハ詞家ヨリ該銀行へ之預ケ金額拾万. 同 頭取 澤原 源太郎 印. 円二万一時抵當二差入候儀二有之候依テ別紙写. 池田章政殿. 相添此段抜書仕候也 明治十一年十月四日. 二等属 町埜五八 七等属 戸次兵吉. 1878年10月3日,大蔵省銀行課員の町埜と. 22)現在の東京都品川区東五反田,池田山公園 とその周辺.もともと岡山藩池田家下屋敷で「大 崎屋敷」と呼ばれていた.周知のように,旧大名は,. 版籍奉還(1869年)によウて知藩事となり,廃藩 置県(1871年)の際罷免されて,東京の藩邸に 移住Lた、.
(13) 71. 金 三千四百圓. 壱括. 一 金拾萬圓也. 〃 弐千六百六圓. 壱括. 右之金銀正二預リ申候来ル十二月廿五日此. 〃 弐千三百入拾圓. 壱括. 証書引換返金可致候也. 〃 百圓. 壱括. 明治十一年七月. 但押印済. 第廿六国立銀行支配人 津田 道賢 印. 金 千五百圓. 同 頭取 澤原 源太郎 印. 但通貨. 池田章政殿. 計弐万圓也. ②証(預金証書一一筆者注). 壱括. 右之通金員正二御預リ申候也. ③証 但シ用紙ハ証券界紙. 明治十一年九月茄日 池田家出納方 印. 第廿六銀行 井上雅彦殿. 第三百五十四ノ八番 一 金四千圓也 起業公債証書高五千円 第三百五十四ノ三番. (2)外山脩造・堤長登銀行課員による再検査. 一 金壱万六千圓也 同高 弐万円. 以上の検討から,12.5万円の起業公債は,池. 田家からの預金の抵当として同家へ差入られて. 右起業公債奉拝借大蔵省へ公納仕候追テ紙幣. いたことが明らかとなった.すなわち,「登行. として. 紙幣抵当トシテ上納ノ為メ東京出張所へ送戻セ. 御下附之上前預金返上可仕為後御証如件 明治十一年九月十四日. リト」いう銀行側の回答には虚偽の部分が含ま. 第廿六国立銀行取締役 永峰良孝 印. れていることが判明したのであるt. 池田章政殿. 早速,岩崎銀行課長は,部下の外山と堤に再 検査を命じることとなる.まずtその経過を,. 「条約証」(①)では,1878年7月,池田か. 次の史料5で概観する.. らの預金10万円に対する「抵當」として,銀 行所有の額面12.5万円の起業公債証書を池田. に差入れることを,津田支配人・澤原頭取の 連名で約束している.また,預金証書(②)で. 史料5 之二拠リテ考フルニ増加証書ヲ差出スノ期限迫 レトモ急二株金募集ノ道ナキヨリ池田家ト謀リ. は,同年12月25日に10万円の預金が「返金」 されることが約されている.さらに,同年9月. 拾萬圓ノ金額ヲ借入レ之ヲシテー時株主ヨリ入. 14日の証書(③)では,池田に抵当に差入れ. 以テ池田家へ返償ノ道ヲ立テントノ目論見ニテ. 金ノ体ヲ取繕ヒ然ル後徐々ト株金ヲ集合シ之ヲ. た起業公債の内,額面2.5万円分(実価2万円). ハ無之カト忽チ疑問ヲ生セシニヨリ大阪出張ノ. を「拝借」して大蔵省へ「公納」し,紙幣の下. 外山脩造等二別紙(乙号)ノ如ク申送リ(別二. 付を受けた上で預金を払い戻すことが,永峰取. 私状ヲ以テ現今募集シタル丈ケノ金額二減株出. 締役の名で約束されている.. 願スル方可然旨申含メ)タル処同氏等ヨリ別紙. なお,1878年9月30日に2万円分の現金が. (丙号)ノ如ク私状ヲ以テ申来果シテ我々ノ推. 同行から池田家へ預けられていることが,次の. 量二違ハス右拾萬圓ノ金員ヲ以テ入金ノ体二取. 史料において確認できる(史料4).. 飾リタルヲ承知セリ. 史料4. 岩崎は,銀行側から虚偽の説明がなされた理. 一 金弐萬圓. 由について,同行の増資に伴う「増加証書ヲ差. 此内訳. 出スノ期限」が迫っていたにもかかわらず,「急. 金 五千圓. 弐括. 二株金募集ノ道ナキヨリ⊥池田家と共謀して.
(14) 井. 鋳万摺を措入れて「入金ノ俸ヲ取繕ヒ」,株金. め東京出張所に持っていっているとの説明を受. が集まり次第.徐々に池田家へ返済していく「目. け,銀行課の部下を確認に行かせたところ,池 田家からの預金の抵当として同家へ差し入れら. 議見」ではないかと推察した.. そこでf岩崎はこの疑問点を確認するため, 大販斑張中の外山と堤に「別紙(乙号)」及び. れており,かつ預金の部には計上されていな. 現姦入金済みの金額への減資を出願するよう申. その上で,池田家からの借金は増資金の入金状. し含めたギ私状」を遂った.再検査の結果.岩. 況が芳しくないため.「一時株主より入金之体. 籍の「推量二違ハス」10万円の借金によって,. 二取繕」っているという「懸念」が少なくない. 丁入金ノ体二取飾リタル」ことが判明すること. という疑問を提示している.そこで,そのよう. かったというこれまでの経緯を説明している.. となる.以『F.この経緯について詳しくみていく.. な事実の有無を確認するよう外山と堤に命じて. まず.岩崎かちの指示が記された「別紙(乙. いる.さらに,「静岡表」で株主の「紛議」が. 号)」をみよう(史料6).. 起こっており,入金を断った株主もいるという. 史料6. 注意深く調査するよう命じている.. 「乙号」. このような岩崎からの命を受けて,外山と堤. 「風聞」があることも示しつつ,それについて. ぎげ. 遜般第廿六国立銀行本店及検査候砲(とき一. は同行の再検査を実施した.次に,その内容が. 筆者注〕公憧証書届高之内起業公債証書金高拾. 記された「別紙(丙号)」をみよう(史料7).. 萬円不足損立候二付及尋悶候虞右を韓行紙幣抵 當トシテ上納之為メ東京表在持上リ候趣二付即. 史料7. チ本月三8課員弐名同銀行出張所へ派遣為取調 は 盤虞右公債証書之儀者別紙写之通り本年七月中. 「丙号」. re 地田家よ金相預リ居拾万円之金額二封シ抵當二 tっt いニう. 本月七日御登シ廿六銀行一件二就テ之公書十五. 日午後大阪府より相届翌十六日該店ヲ検査シ. 曽入金之故二右拾万円ハ七月已降之抜書表面. 段々取調候処果シテ御推測之通池田家より之拾. 預金之部二記載無之間者不相成候虞更二記載無. 万円ハ水原澤原等都合八名之株金二充テ七月三. 之く七月預り金高二万弐千四拾七円五十七銭翌ク. 日株金総入金ノ体二致シ同月六日起業公債ヲ買. 八月預り金嘉二万弐千七百五円四拾六銭)之二拠. 入之ヲ紙幣抵當上納ノ為メ東京出張所へ送ルト. テ考ルニ恐ラクハ増株金之集金行届カサル折よ. 号シ(水原澤原等八名ノ外ヘハ其實ヲ隠ス)池. り右預リ金ヲ以テー時株主より入金之体二取繕. 田家へ抵當トシテ差入置キタル義二有之候右. it ?. 居儀二者無之哉懸念不勘所為候ハ・一応同銀行. 取調之顛末其他詳細之義ハ別紙二記載セリ宜度. 検査之上果シテ然ルヤ否御取糺主意抜書右之度. 御総覧奉願候右ハ漸ク十九日二至リテ調得ト相. Ej紙抜書置弐冊井二抜書表弐葉相添此段申送候 也. 成ル依而報告書ヲ製シ其旨申報セントスルノ際 い た (廿日)金澤本次郎二御託シ之尊書拝見以多し. 課長. 候処減株願云云之義有之二付翌廿一日澤原ヲ呼. 追テ静岡表蓮行之サイ該銀行之様子籍二承リ居. 其旨申談候処大慌之様子二而一度役員等ト相談. かつて. 候違詞所株主之内既二紛議ヲ生シ株金曽入金. 之上明日確答可申上旨相答候問右確答ヲ得候上. や 御断僥モノ多分有之哉之趣風聞モ承リ居間其邊. 最初より之顛末及其事情等申報致シ減株願ハ直. も御入念麺取謂相成度候也. チニ取締役ノ内壱名出京之上先ッ憲璽二拝謁詳 細其事情ヲ申上御差図二従ひ差出サシメ候積リ. まず岩崎は.前回第二十六国立銀行本店を検. 之処翌廿二日渡邊知事より至急面談致シ度旨二. 査した際.起業公債10万円分の不足を指摘し. 而呼二参ル由申候間府廃へ罷出候処二十六銀行. て,銀行僻から発行紙幣抵当として上納するた. 此度之一件聞及頗ル心配二存以如何御取計之見. て.
(15) 乃. 込ナルヤ其事情如何ナルヤ承リ度旨二付委細打. したた 副啓本文之次第二付別紙パ公然報告書ノ体二認. 明ケ相咄シ申候虚何卒之ヲ保護致シ度義二有之. メスシテ差上申候○今般廿六銀行取締役山片平. 候就テハ今日之処ニテ池田家より之拾萬円許 かねて 株金二致ス事二相運ヒ候上ハ兼而之約定書ヲ取. 孝郎ハ水原氏と同行出京致シ候聞委細之情状ヲ. 消ニスル様ノ取計ニハ相成間敷哉等之咄シ有之. も有之候又池田家ノ預リ金一件ハ今ノ日迄不存. 候二付右條約書ノコトハ東京二於テ発覚シ我ニ. 共也二御座候. ばかり. 同入より可申上候同入ハ可ナリ身代モアリ人望. ハ夫二付テノ取調ヲ命セラレタル事故其顛末ヲ. 詳細課長迄スルノミノ責任ニシテ其処より上二. 1878年10月26日.外山らは,岩崎の指示. 至リテハ権外ノコトニ候尤之ヲ保護スルニハド むくゆ ノ銀行モ同一ノ義二付助ケル酬ノァル丈ケハ助. その結果,岩崎の「御推測之通」池田家からの. ケ度ハ勿論ノ義二有之候依而私共より委細報告 致シ銀行よリモ誰ゾ出京委曲其情実ヲ述候ハ・ の. を受けて、第二十六国立銀行を詳しく検査した.. 預金10万円は,池田家の水原久雄及び同行頭 取の澤原ら8名の株金に充当されて7月3日「株. 課長能考案モ可有之存候間アナタよりも御書面 仕遺候てハ如何ト相答候処然々人ヲ出シデモ. 金総入金ノ体二i致シ」,さらに7月6日にはそ れで起業公債を買入れ,皆には「紙幣抵當土納. 宜度就テハ澤原水原等二面會シ上篤ト聞糺シ度. ノ為メ東京出張所へ送ルト号シj,実際には池. 依而夫迄報告書差出事ヲ見合呉候様仕申候二付. 田家に預金抵当として差入られていたことが,. 然ラバ澤原等只今頃我々共旅店へ参リ居候筈二. 明らかとなった.. おくり. す まかり. 付直く右両人ヲ御局へ相廻シ候様御致ト約シ罷 帰リ右両人へ其旨談シ直二知事ノ許迄行カシメ い た タリ翌廿三日猶又知事より呼二参リ面会以多し. その上で岩崎の指示の下,10月21日,外山 らは澤原頭取に対し減資出願を勧奨したとこ ろ.澤原は「大慌之様子」で,役員らと相談す. 候処段々両人之者より承リ候処池田家より拾萬. るため一日待ってほしいと回答した.翌22日,. 円ヲ株金二入ル・・コトハ相違無之候已二今日ハ. 渡邊大阪府知事より面談したい申し出があった. かねて い た. 兼而ノ約定書モ抵當モ銀行へ返却以多し候仕右. ため,外山らは府庁へ出向いた.知事は,同行. ノ旨申出其旨記載シタル書面ヲ水原より差出シ. の件を「頗ル心配」して詳しい事情を尋ねてき. 自分モ其請書ヲ信セリ就テハ至急二属員壱名出. たため,外山らは「委細打明ケ」説明した.知. 京セシメ候間是迄御取調ニナリタル詳細之報告 い 書ハ先ッ見合セ且此始御調之サ員澤原等より差. 事は「何卒之ヲ保護致シ度」いので,「池田家. 出シタル書面ハ取消却下ノ運ヒニハ相成間敷哉. 公債を預金抵当とすることを定めた「兼而之約. より之拾薗円許株金二致ス事二相運ヒ」,起業. ノ旨仕申候間其後ハ貴命二座シ難ク尤只課長迄. 定書ヲ取消ニスル様ノ取計ニハ相成間敷哉」と. 私書同様ニシテ差出シ可申候問其迄ハ御照會二. 切り出した.池田家からの預金を幽資金に読み. 及間敷旨相答以則右件二付同府一等属銀行掛入. 替えて抵当契約を取り消すことで,同行の資本. 木原理左衛門本日出発上京二付猶委細之義ハ同 氏より御聞取別紙書記等御参考仕下度且ツ該行. 金の入金不足を解消するという策(デッ,トェク. ノ処分ハ三十二銀行処分ニモ差響無之様仕存候. このデットエクイティスワップ案に対して外. とどめおく べくしかb. イティスワップ)が提案されたのである.. 聞留置二も可然御裁断之上何分之御指揮奉願. 山らは,「條約書」のことは東京で摘発されて. 候草々頓首. おり,検査以上のことは「権外」であると断っ. 十月廿四日 堤 長縫. 外山脩造. 岩崎小二郎様 玉机下. 23)邉莱治(2eo7}で明らかにしたように,外 山と堤は,大阪の第三十二国立銀行の実地検査を 切り上げて,第二十六国立銀行の検査に直接赴い ているため,東京に戻っていない..
(16) 74. た上で訓.銀行の「保護」については「助ケル. 本月十六日第廿六国立銀行ヲ検査セシニ其貸. 酬ノアル丈ケハ助ケ」るので,同行経営者が上. 借ハ別紙一覧表(甲号)ノ如シ外二(乙号)ノ. 京して「委曲其情実」を岩崎に述べれば「課長. 通池田家より弐万翻ノ預リ証書アリ是ハ九月. 能考案モ可有之」.さらに知事からも「書面」. 十四日紙幣抵当ノ為メ引出シタル弐万五千圓ノ. を送ることを提案した.この回答に対Lて知事. 起業公債証書ノ代リニ預リタル者ナリ右一覧表. は.同行経営者(澤原頭取ら)に面会して「篤. 申起業公債証書八万園(買入代慣)ノコトヲ取. ト聞糺シ度」いので.それまで報告書を提出す. 調フルニ付問答ノ概要左二. ることを晃合わせるよう申し出た.そこで外山. 口問フ此起業公債証書ハ如何セシヤ○答副支配. らは宿所1に戻り.澤原頭取らにその旨を伝えてt. 入坂井仁乎后紙幣i抵当ノ為メ棄京出張所二送リ. 知事のところへ行かせた.. タリ尤直チニ御省凸上納ノ都合二至ラサルヲ以. 翌23日.外山らは再び知事に呼び出され面 会した.知事は澤原頭取らから,池田家から. 家ノ預り証書ヲー見センO答此時坂井ハ頭取沢原. テ池田家へ保護預ケヲナセシ由○問然ラバ池田. の預金10万円を出資金に既に振lj替えており,. ヲ呼フ是ヨリ沢原ト同答池田家ハ我々ノ同郷入ニ. 「兼弼ノ約定書モ抵當モ銀行へ返却」されてい. テ当銀行二由緒モ有之候出張所詰ノ者適当ノ庭. るという説明を受け.その旨が記された「書面」. 分ヲ以テー時保護預ケヲナセシ趣故二証書アラ. が提示された.知事は部下にそれを確認すべく. バ出張所ニアルベシ本店二於テハ更二関知セス. 上京させるので.外山らの「詳細之報告書」の. O問先二池田家へ銀行ヨリ差入タル約定書ノ寓ヲ示ス. 提出を見合わせると共に.検査の最初の段階で. うちtt 此約定書ハ知ラサルヤ○答コレハ内端(内輪一. 澤原頭取らからi提出された「書面ハ取消却下ノ. ≒筆者注)ノコトニテ嘗テー時此事アリシモ今. 運ヒニハ相成間敷哉」と申L出た.外山らは知. ハ既二事済ミトナリ最早無効二残セシモノ也ソ. 事のその命に従うことは困難だが,岩崎銀行課. レ故ニコソ其預リ金モ当行ノ帳簿二記入セズ今. 長へ報告書としてではなく「私書同様ニシテ」. 更何様都合ニテ之ヲ出セシモノナル乎此際言談. 差出すので,「其迄ハ御照會二及間敷」と回答 した.. (話すこと一一一eg者注)暖昧何ノ情ヲ話スルカ殆ント解. スヘカラズ○問無効二属シタル証拠アリャ○答 うちt±. 翌24日,大阪府一等属のW木原理左衛門が. 内端ノコトニテソレモ確証ハ云々亦甚不明了ナリ. 東京へ向けて出発したため,外山らは「委細之. 右ノ次第二付只今答弁ノ趣即チ此証書二就テノ. 義ハ同氏より御聞取」るよう.岩崎に報告して いる.なお.外山らは,第三十二国立銀行の「処. 分」に「差響無之」ためにも保留しており,岩. 事實明紐書面ニテ可申出ト申セシニ東京出張所 ころ. 詰ノ役員明暁比ニハ帰阪ノ筈二付彼レト打合タ ル上委曲申出ント請フ決してソレニハ及ハス本. 崎の「御裁断」と「御指揮」を{印いでいる.. 店ニテ了知スル所即チ只今陳述ノ趣サへ明瞭二. 以上のやりとりから.外山らの再検査に際し. 分レバ事足レリト答フ澤原諾して席ヲ退キ坂井. て.府知事が途中から介入してf第二十六国立 銀行を救済するぺく検査繕果の一部もみ消しを. ヲして右書面即刻二調ヒ難キ趣翌日迄猶豫ヲ乞 フ依テ明午前十・一時ヲ約して去ル. 求めてきたことが窮らかとなった、本書働こ急. 十七日午前九時副支配人坂井来リ今十一時迄可. 皐で遥加さ寿た形跡のある追伸の部分には.「別. 差出書函ノコトハ固ヨリ池田家トノ関係不少之. 謬…ハ公然報i曇書ノ捧二認メス」とある.以下.. ヲ明纏ニスレバ同家ノ不都合ヲ暴露セサルヲ得. この勝鞘薩」(史i料爵をみることで検討を掘り. ス頭取ご於テハ旧里以来ノ間柄ニテ甚共恩ノ儀. 下こげる,. 宥之候趣然ハ処幸ヒ同家隠居三位殿今明日ノ内 西寡へ参プル・筈二付一鷹之ト打合セ度ソレ迄. 鰯9 丁霧書霧霧」. ノ猶豫頭取懇願スト申出タルニ付我等ハ唯銀行. ノ霧窒ヲ得ン5欲スルナリ池田家ノ都合不都合.
(17) 7s. ハ調フ所二非ス若シ之ヲ問ハサルヘカラサル場. (丙号)歎願書(丁号)ノニ通ヲ出シ以前ノ上. 合二及ハ・“直接二間ハンノミ只今其折合ハ決し. 申書一通ト引替へ更二帳簿上ト役員口数ノ趣ト. て要セサルコトニ付銀行ニテ分ルダケヲ約束ノ. ヲ樹酌シ其要件ヲ録シテ澤原津田両人二示シ相. =’こく. 違ナキトノ証ヲ得ル即チ(戌号)ノ書面コレナ. 時間迄二認メ置クベシ後刻(のちほど≒−r{1}者. 注)是ヨリ出張セント答へ只若シ此情実ヲ掩恩. リ既今在店ノ取締役山片奥野両人此両人ハ當府下. スル等ノコトアリテハ銀行ノ為メニ謀ルニ甚不. ノ者ニテ以前ハ諸藩ノ掛屋ヲナシ身代モ相応ナル者ナ. 可ナル旨ヲ坂井一已人二封して内諭セシニ同人. リシガ廃藩後ハ衰ヘタリ尤此上区戸長単区取締等ノ役. 等ハ其内情ヲ知ラサリシ由ヲ話シ内諭ヲ謝して. ヲ勤メ随分人望モアリ殊二山片ハ府会議長ノ投票二第. 去ル十時過又来リ約束ノ期既二迫ル然ルニ店中. ニノ多数ヲ得タル者ナリF云フ該店中ノ人物ナラン及. ふんぬん. 議論紛転(もめること≒筆者注)未タ書面出 来サル情ヲ伝へ只支配人津田明石出張中二付電. 副支配人以下ハ是迄全ク此内情ヲ知ラズカノ拾. 信ニテ之ヲ呼ヘリ今五時ニハ帰ルヘシ池田家ト. 当ノ為メ永峯東京二持参セシコトト心得居銀行. 約定ノコト同人二打合セサレバ判然セサルコト. ノ名義ニテ預り証書ヲ差入レ所有物ヲ抵当トナ. アリトテ夫々明日中猶豫ヲ乞フニ付今更不都合. シタルコトハ此度始メテ承知セル趣ヲ明言ス此. ナレトモ明午前十時迄延期セリ. 夜澤原坂井来り頻リニ先非ヲ謝シ将来ノ保護ヲ. 十八日午前九時坂井来支配人蹄阪セリ無程頭取 さて 同道(同行一一筆者注)書面持参可致扱此度ノ. 懇請ス薗分一人ハ何様ノ罰ヲ受クルモ固ヨリ畳悟スル. 事件其顛末ヲ聞クニ最初ヨTJ池田家出金水原久. 万円ハ澤原外七名ノ私借ニテ公債証書ハ紙幣抵. 所ナリ唯銀行二罪ノ及ハサルコトヲ祈ル等ノ談アリ而 ひと うら. して偏ヘニ池田家ノ不都合ヲ憾ムノ意アリ前段. 雄池田家々扶(家扶とは,華族の家で会計等に携わる. ノ如ク書面差出方ノ延引セシバ東京ノ信報是迄. 者一一筆者注)及澤原其他ノ名義ニテ入株スル筈. ハ只公債証書ノ検査アリ’シトノミノコトニテ更二仔細. ノ慮森下景端ナル者同家ノ家事二参与シ異論ヲ. ノ通信ナカリシ由ト水原ノ備前ヨリ来ルト電信ニ. 登シ増加証書ハ進達期限迄決着セサルニ付先ツ. テ呼ヒ寄タル趣池田三位ノ来ルトヲ待ツ為メ辞ヲ. 之ヲ預リ金トシテ其金ニテ起業公債ヲ買ヒ其公. 種々二托して時局ヲ遷シタルモノト思ハル○池. 債ヲ池田家へ抵当二入レ右預金ヲ増株金ノ体ニ. 田へ差入置タル弐万円返リ来ル趣二付一見セシ. ナシタルナリ委細ハ追付ケ頭取ヨリ書面ヲ以テ. ニ其金額(乙号)預リ証書内訳ノ種類ト符合セ. 可申出筈ナレトモ昨日御内諭ノ趣モアル故先ッ. リ然ル;何故返リタルカ此日ハ分ラサリシガ社. ないぶん. 員井上雅彦東京ヨリ来り株金二加入ノコト決着. 自分ヨリ内分言上スト話ス斯テ十二時二及ヘト. モ澤原来ラズ依テ坂井ヲ返シ之ヲ促カサシム午. シ返付セシナリト後二澤原ヨリ申出タリ. 後二時前只今書面清書中二付暫時御猶豫トテ坂. 廿一日昨夕金澤本次郎へ御托ノー封接到「既二. 井又来ル四時二近ッケトモ猶澤原来ラサル故坂 trttし モづか 井二足下(あなた一一一筆者注)空クコ・二在ル. 入金シタル増株丈二滅額出願セシムヘシ」トノ. 何ノ益アラン帰店スベシト言ヒ放ツ坂井購躇し て未タ去ラサル内書記方窪澤来リ遅刻ヲ謝シ頭. 趣拝承セリ依テ本日沢原ヲ呼ピー昨日取調タル 次第二付テ熟慮スルニ寧ロ拾万円ハ減株出願ス かんえづ. ル方可然ト懇諭セシニ彼レ大二感党ノ容子是迄. 取ハ参上ス面目無之ト云フトテ自首書ト題セル. ハ何程ノ厳罰ヲ受ヘキ哉ト病心ノ折柄猶話的ヲ得タル. 草稿同然ノ書面ヲ出シ内覧ヲ乞フ故内覧シテ指. 心地ト見ヘニテ早速一同へ談合スヘシトテ引取 リ再ヒ来リー同異議モ無之候但先刻水原来リ池. 図スヘキニ非ス兎モ角至急清篤して可差出ト言 テ之ヲ返ス. 田家二於テ愈株金トシテ即チ水原等ノ名義ヲ以テ. 十九日午前八時過支配人津田及坂井上申書ト題. 拾万円ハ差出スコトニ決シ預リ証書等モ提出セ. セル書面ヲ持参セリ之ヲ受取リ直二本店へ出張. リ然ルニ丁度三位モ銀行二来リシ由ニテ水原又 彼ノ地二赴ケリ尤今夜ハ蹄阪スヘキニ付猶協議. 頭取々締支配人等ヲ集メ上申書二就テ糺スニ 猶曖昧ナル申分アリ数回問答ノ上別紙篇上申轡. ヲ遂ケ明朝決答スベシ且果して拾万円モ株金ト.
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