近代公法原理に発展したフッカーとスワーレスの自然法理念比較考 : 近世初期におけるトマス派自然法の功績「中世法思想および新トマス古義法理に関する小研究」(22)
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(2) . 第 燐 巻. 第 2号. 北海道教育大学紀要(第一部B). 昭和49年1月. 近 代公 法原理に発展 した フッカー と スワー レスの 自然 法理念比 較考 --近世初期におけるトマス派自然法の功績-- 「中世法思想および新 トマス主義法理に関する小研究」22 。 宵 . 同. 坂. 之. 直. 北海道教育大学旭川分校法学政治学教室. Naoyuki K0sAKA : A Comparat ive S tudy on Hooker and ’ suarezs NaturaI Law ldeas Developed into the Modern. i Publ c Law principles .. ly Great Services of the Ear. N1odern NaturaI Law Theory a=ected by Tho as Aquinas 1 m l . ‘Sみo“ SZ 〆〆 ‘ Z 兎 九 ば 〆 Z L rゐ Z d ● - iα e g z 2gα o“g α7 2メ ハ{ go f 2 “ gs o7. ies 22 rあの粥禽霧c /zげ禽カメ“〆g”解 ” ser ,. 目 1. 次. はじめに. 裏 を緊要綴勢 嗣 ; 翻 蓋盗 塁. 抑 制 の 貢 献一憲 法 理 原 へ. への 展 開. イギリス教会の優れた神学者として知 られているばかりでなく, 法学者としても有名なリチャ ー. ” 〆 “ ド・ フ ッ カ ー (Ri chard Hooker ,1553~1600) は,16世 紀 末 に 近 いイ ギ リ ス に お い て ′“ ため“s. なる平凡な呼び名をも らっ ていた. おそ らくかれの識見が実に卓抜である以 上に, きわめて平静で あ っ た 事 実 が そ の よ うに い わ せ た の で あ ろ う. しか しこ の 呼 び名 は 当 時 の 人 び と が, か れ の 優秀 な. 科学性を正 しく評価できなかったことを示 している. 単なる神学的論客にとどま らず, 法学者と し て の フ ッ カ ー は, ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 に お い て さ え, か れ に 比 肩 しう る も の を 数 え る な ら五 指 に も 足 り l l な い. 論 争 に お け る か れの 公 平 さ と 礼 譲 の 厚 さ は, た だ 当 時 の ベ ラ ル ミ ーノ (Be armino) 枢 機 郷 ) の み が, か れ に 匹 敵 した と い わ れ て い る ほ ど であ る.1 一 方, フ ラ ン シ ス コ . ス ワ ー レ ス (Francisco sua rez ,1548~1617) は,. ス ペ イ ンに お け る イ エ. ズス会所属の神学者ではある が, 類いまれな法哲学者として, また国際法学の開拓者と して, 当時 ヨ ー ロ ッ パ 全 体 に そ の 名 が 聞 こ え て い た.. z”z 2 に関する研究は, 〆 ”s 7 か れ の 粥s gg’ ‘’ 7 zの“γα彰. と 粥s ge〃”““ ほ と の 区 別 を 暖 昧 に して い た 当 時 の 学 者 に は, ま さ に 頂 門 の 一 針 で あ っ た に 違 い な. 〃”“’ ” を構成する 「慣習」 と 「合意」 は, ある程度その効力が長 い. ス ワ ー レス に よ れ ば 畑s ge 続きしても, それ らが時流により変化することは経験的に避けられない現象なのであ る. かく し て道徳律として不変を誇る自然法との一線が画されるに至っ た. かれが国際法の原典と見た Z“s - 39 -.
(3) . Vol .24 No .2. ion I B) ion (Sec iver i t ido U- ty of Educat lof Hokka ・ s Journa. january ,1974. ) ク z な る 実 定 法 の 研 究 は, そ こ か らは な ば な しく 展 開 さ れ る こ と に な る.2 gBれおメタ. 現代の法思想に大きな影響を与えた16世紀の数ある法 思想家のなかで, とくにフッカーとスワー レスを取り上げる理由は, かれ らこそ中世欄熟 期を支配 したトマス・アクィ ナス の自然法理論を 受 け継ぎ, その伝統を現在の公法原理に開花させる架橋の役割を果た した代表的 人物といえるか らで ある. ただこの小論では, かれ らの自然法理 念の本質には触れずに, 公法原理に対するこれが発展 ) の み を 追 求 す る こ と に した.3 <註> 1ash . / ZたB Nα卿γ〆 乙αw 了知 霞Zio〃, Kennikat Press ) , N. Y, ′ WI . 1 ) A. L, Harding (ed, , 0γを粥so 1971 , P 48,. l 1 l an o“e s Zoリ ダ Po胸 元αZ T力e s ,4, , 1930 , chap 2) W.A. Dunning,一A H〆 ,1 , London , Macmi , VO1 S ec .4.. 3) フッカーとスワーレスの自然法に関する本質論は, 「北海道教育大学旭川分校創立50周年記念論文集」 に おける袖論 「フッカーとスワー レスの自然法比較論序説」 を参照されたい.. 近代初期における 「同意」 理論は, 君主の専制政治を合理化 し, 政治的服従を理論づけるための 形式的根拠として発達 した理念である. 実際問題としても当時の人びとの 「同意」 体制は, 近代初 期の封建国家が採用 した極めて不完全な合意体制に比 べてさえ, その実体的効果がまことに稀薄で あっ たことはいうま でもない. フッカーは, 人びとの 「同意」 や 「妥協」 が国家の積極的介入なく して簡単に得 られるほど, 人間の自然が善である とは思っ てもみなかっ た. フ ッ カ ー に い わ れ る ま で も な く 人 間 は 不 正 な 侵 害 に 対 して 自 己 を 防 衛 す る 権 利 が あ る こ と, ま た. 他人を侵害してまで自己の目的を追求する権利のないことをも知っ ている. 人間は不法な侵害者に 対 しては結合するこ とが正しく合理的でもあること, そして自 分自身の訴訟については裁判官たり ) こ の よ う な 具 体 的 障 害 を 取 り 除 く た め に は, 各 人 の 間 に 妥 協 え な い こ と を も, よ く 知 っ て い る.i. と合意の育成, 時宜にかなっ たある種の統 制機関の設立, そしてそれに人びとを服従させるほかに ) な ぜ な ら同 時 代 の ホ ッ プス が い う よ う に 人 間 の 闘 争 は 無 限 に 続 く も の で あ り, そ れ 方 法 は な い.2. を避けるには人びとが従うべ き者の命令に対 し, かれ らが共通の同意を与える制度を確立する以外 ) しか し, こ の 共 通 の 合 意 が 与 え られ る 方 式 に 関 す る フ ッ カ ー の 言 葉 は に 方 策 は な い か らで あ る.3 あ い ま い‐では な か ろ ぅ か, か れ は い か な る 種 類 の も の であ れ, 民 衆 の 多 数 に よ る 納 得 は, 人 び と の. ) といっ ている反面, かれは人びとの共同生活における結 間の慎重な勧告, 協議と和解か ら生ずる4 ) 合方式に言及しな が ら, 政治社会は明示ま たは黙示の同意による統 治者の 命令の上に設立される5 とい っ て い る か らで あ る. フ ッ カ ー は 概 念 の 明 確 化 が む しろ 不 可 能 で あ る と 思 わ れ る も の に 定 議 を. 与えようと企てたことはなかっ た. した がっ てかれは形式的な社会契約 を想像する誤りを避けてい る. かれが主張したのは, 政治的権威なるものは人びとの同意か ら生ずるものとして, それが合理 的に了解される にすぎないとい うことである. ただこの 「同意」 は明示的たると黙示的たるとを問 わず, それは慎重にな されなければな らない. かれは極論して, も しこういっ た理性に基づく同意 が全然与え られないとすれ ば, 政府も国家それ自体も存在 しえないという. つまりフッカーにとっ て, あ らゆる政治 的権威は承認または合意の産物であるか ら, 国家の構造な どいかなる形式をとろ うとも, かれの関心を引く もの で は な か っ た. 社会生活やあ らゆる形の協力は, 結局, 実定法遵守義務として総括される. ところが その実定法 は, 自然法によっ て善に関する一般意思と合致すべ きことを常に要求されてきた. このことは 「法 はすべて国家の行為であるか ら, も しあなた が国家の部分であると判断するな ら, 法はあなたの行 6 ) 各人が社会の構成員たることを受け入れなけれ 為でもある」 というフッカーの言葉と符合する. - 40 【.
(4) . 第 題 巻. 第2号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和49年1月. ば, 現実の社会構造に対する人びとの同意が有効になされるわけ がない, い ったん人民の 「同意に よる権威」 が確立されたか らには, 統治権はこれまた人民の同意によって選ばれた支配者に賦与さ れ, 保持されねばな らぬというのがフッカーの考えである。 も し誰かが, 人びとの意思による支配 に対 し, 承認できない理由があって, その服従を拒絶するようなことが起これば, その支配権は全 き存在ではないといえよう, 「理性の法 (自然法) または神法は反対を禁ずる」 ということが厳密 に論証できなければ, 法に対する不服従権は認め られないとかれは考えた. なぜな ら, われわれの 私的な特殊決定が公的に決定された法によっ て取消される場合がなければ, われわれの社交的生活 ) つ ま り フ ッ カ ー は, 体 制 に 対 す る 服 従 は, そ の あ らゆ る 可 能 性 を 減 ず る こ と に な る か らで あ る.7. が社会秩序を構成するというテーマを, 卑屈な盲従によっ て招来される疑似秩序と区別する基準に つき, いかなる形によれ人民の同意による良心の介入 (ひいては自然法) にこれを求めたとみるべ きであろう。 で は 翻 っ て ス ワ ー レス の 「同 意 理 論」 は フ ッ カ ー の そ れ と 比 較 して, い か な る ニ ュ ア ンス を 示 し て い る だ ろ う か, ス コラ ス テ ィ シ ズ ム の な か で 培 わ れ た ス ワ ー レス の 理 論 は, 同 じ トミ ス ト と は い. え両者の間に微妙な相違があることは疑いない. がん らい同意理論が初めて学問的体制を整えたの は中世末期のことであっ た. それがそのままスワー レスの論文のなかで多少装いを新たに再現され て い る と み て よ い。 l か れ は ク ザ ーヌ ス (Nico ) と 同 じ よ う に, 政 治 的 正 当 性 の た め に は 人 民 の 同 意 が 必 aus Cusanus. 要であるという根拠を, 人間がもっている 「自然的自由」 の観念に求めた. すなわち 「事物の性質 上あ らゆる人間は生まれなが ら自由である。 その結果, いかなる人も他人のうえに政治的支配権を ) とい う ま た ス ワ ー レス は オ ッ カ ム (W. occam) と 同 じよ う に ブ節 gB煽ぎ“粥 (諸 も た な い」8 , 。. 国民の法) の基底を万民の同意に求めているが, その規定を自然法か ら派生する諸推論であるとす る ト マ ス ・ アク ィ ナ ス の 主 張 を 拒 否 す る こ と に お い て, オ ッ カ ム よ り 更 に 一 歩 先 ん じ て い る と い う ) た しか に ス ワ ー レス は そ の DB 乙堰 に おい て 「ブ郷 ge%““粥 の 規 定 は 人 間 の 自 由 学 者 が い る。9 .. 意思と同意によって採り入れ られたものである。 ……われわォ は ブ節 gg〃お粥” を 自 然 法 と混 同 し てはな らない。 たとい自然法か らの推論が多数あろうとも, 自然法である事柄に ブ“s ge〃”“粥 の 名を与えることが自然法か らの推論によってのみ可能であり必要であるとしてはいけない. なぜな らある規律 が自然法の推論であるとみ られることは, その規律の真のそして自然の必要を排除する も の で は な く, そオ は 力多 s g錆““粥 を導く原理的在在であっ ても,ノ婚 g鋤Z如粥 の規律そのもの l o ) といっ て い る と は 考 え られ ない か らで あ る」 .. 粥s g錫粥 粥 の 基 底 に あ る 「同 意」 の 役 割 は, ス ワ ー レス が そ の 法 の用 い られ る 意 味 を 二 つ に 区 ⑦ なる 術語 別 した こ と で, か え っ て そ の 重 要 性 が 増 した と い っ て よ い. か れ に よ れ ば ブ“s ge〃”““ は 「現存する法組織の共通した規定」 であるとされるほかに, また 「種々の国民や国家の相互関係 i ) こ の 二 つ の 定 義 は ス ワ ー レス の 理 論 が, あ らゆ を 規 律 す る 法」 と も 定 義 づ け られ る か らで あ る.l. る国家の享有する共通の法原則として 「諸国民の法」 を見る古典的理解と, 国際法として見る近代 的理解との二通りに分け られることを示す。 なか んずく後者の国際法と見る場合, それは主権国家 の 「同意」 に基 づき, また国際的通商関係や外交 が行なわれている国家間の 「相互義務」 と 「同 s ge〃”“粥 の 根 底 に 「同 意 理 論」 意」 に よ っ て, そ れ が 成 立 す る こ と を 意 味 して い る, す な わ ち ゾ z ‘. が存在するのは, この趣意にほかな らない, tate) も 単 な る 群 衆 の 集 ま り で は な く, 共 通 ス ワ ー レス に よ れ ば 共 同 社 会 (hominum communi. の 「同意」 に基 づく団体である。 だか ら政治権力が一つの政治的権威に渡されることがあっても, それは直接に創造主か ら世俗の支配者に与えられたと 考える べきではなく, 共同社会のみ がそれを 一4 1 .-.
(5) . Vo l .2 .Z4 No. i i i t i do Un i lof Hokka ty of Bducat r on (Sec on I B) ve Journa s. january ,1974. 授与 しうると しなければな らない. したがっ てかれは, あ らゆる権利の根源を共同社会におく. 人 i i be ) r s homines nascunturl 間は生まれなが ら自由であり ( omne . , 社会は秩序を保障するために ことができる が, もしかれが 社会秩序を乱し, 人民の 「同意」 を 建設された. 領主は法を制定する. 無視する事実が重なれば, 臣下の反抗を 受け, 結局かれは廃位されることになろう. たとい領主が 昔か ら世襲された権力を継承すると しても, 領土を建設 したかれの 祖先は, かれらの 「同意」 を逸 脱しないという制限付権利をかれに認め たわけであるか ら, その制限が子孫に受け継がれるのは当 2 ) 然 で あ る.1 結 局, フ ッ カ ー も ス ワ ー レス も, 政 治 的 権 威 は す べ て 人 び と の 「同 意」 に よ る 作 出 で あ る と い う. 自然法原則において一致する. ただしフッカーは政治的支 配者の選定も 人民の 「同意」 に基 づくと して, 統治者の世襲制については割合い 冷淡な熊度を示 した. ところがスワーレスになる と, その 地位の継承を認めはするが, 人民の同意 (総意) に反する者に対 する抵抗権をも是認する 熊度にで ている. フッカーも抵抗権を認めないわけではないか ら, 結果において実質的な相違はなく, した がっ て同意理論に関するかぎり両者の間に特筆すべ き顕著な径庭はないと思う. ただスワー レス は トマス派経験主義の立場を忠実に墨守するという. いわ ば中世の本格派的色彩 (少なくともオッカ ム の 影 響 を 受 け な い) が 感 じ られ る の に 対 し, フ ッ カ ー は トマ ス の そ れ にイ ギ リ ス 流 の 経 験 主 義 が. 加味されている 点で, いわゆる近代性がより幾分感じられるかも知れない. <註> i Z Z s 7 ご允可 PO Z t ed by E,T.Davi e y,1 cc超す αs fa 1) R. Hooker . 塾2, c ,一 丁鰯 ,P ,10 ,一7物e 乙α勿so 煮卿αsq f 行おc力αγα 五百の彰γ, octagon, New York,1672, PP,51~53. 2 ) 必然. . 銘1, ,10, P ,1 る餌. L2, 3) す .剃 ,1 ,10, P 1 0 塾3 1 4) する蔵, P ,, , . ,. 煽ぎ Zたの. bid 5) 省 ,p ,239. ,10 . ,1 ace 6 ) する舛, ,p .164, ,v ,2 ,Pref るぜ〆,1 7) す ,P .282 ,16 . i i 1 b 1 t ed by J O L増す s超すo舵, l 8) F,Su員rezr一丁γαα の“s de 乙暖 め”s 解 DB .B. Brown,ー .1 , caP .2. c 上 T 協 A l “α God 豹B れ α w sα 2 飽海cz γ伽 eo Z 〆 v o B師 o“ /知粥 rぁγ8 oγ継 げ Fγα“〆sco s“α陀z, S.ノ, , . , ‐ don Pre i 0×ford C1 i ILaw, No t ed 1 9 4 4 1 r n fl r n s s 1 i 0 a e Lαwg勿8γ C 2 e n t r t n P n a ; e a o s s so a c . , OCeana , , . , Z 鑑 k B k 1 h 2 Pub N Y 7 α 5 惣 生 , , . , PP , ,c aP . , sec . , ew or ,1964, idge Z nc s Z北郷 r加z省力Z i 9) P B S . , 1971 , . , Cambr gmundー~餌〃〆 乙αw i” POZ .l , Mas , WinthroP Pub. . .. ,. ′ }61 Pp .60 . i b 1 10) F, suぇrez .8. , No ,1 ,cap,17 , 噂.cすん l. この場合のスワー レスの論説には納得できない, かれは自然法から推諭されるものは実証法原理であって 実証法そのものではないというが, 実証法原理を導くものは自然法そのものではないだろうか. 自然法から 推論される法則は実証法を導くとするトマス派の解釈に, 何ら不都合が感じられないと思うがいかがであろ う・. るZd,l ib 11 ) 〆 ,8~10, , No . 亘,caP .19 l Z w PO Z l Zたの r加“g霧, Burne B f s & Nob e ー w e s g γ “ e 12 o ) J ,1961, P .286, , NeW York , ,. まず初期の政治社会においては, いうまでもなく支 配者の意思がすなわち法であっ た. 次いで法 の出現に国家の建設が続き, 法は明 らかに国家の支配者を拘束 することになる. それらの法がどの ようにして作 られたかは明確ではないけれ ども, 政治の体様は人民の承認によっ て決まるか ら, 承 認の様式が変わるにつれて政治の体様も変わ らざるをえない. そこには 「契約」 の問題もなく, し たがっ て契約違反による抗争もありえないわけである. 政治 ,的変遷に関するフッカーの論説は, こ のてい どの漠然としたもので, これを首尾一貫 した体系にまで構成する意図は, かれにはなかっ た と思う, - 42 -.
(6) . 第 錘 巻. 第 2号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和49年1月. しかし当時の国家と法に関するかれの理論構造は, 他のいかなる学者のそれにも劣るものではな か っ た. フ ッ カ ー に と っ て (ポ ー ダ ソに も い え る が) 国 家 の 本 質 的 特 徴 は, そ の 法 制 定 権 で あ る.. さて国家の有するこの立法権の発生源を何に求むべきかにつき, かれはトマス・アクィ ナスを解釈 して 次 の よ う に い っ て い る. 「そ の 源 泉 は 自 然 法 の 諸 原 則 を 措 い て ほ か に は な い. あ た か も, あ る. 論証できない一般原則か ら, 人間の理性が必然的に, あるもっ と特殊な決定へ向かうように. それ ・だされる, したがってその諸決定に人定法なる名称が与 ら特殊な決定は人びとの理性によって見し ) しか し社 会 は 自 然 法 か らの 演 継 に よ っ て は 達 し え なし・多く の 法 を 要 求 す る お え られて きた」1 , ,. よそ人定法には 「理性の法」 (自然法) による以前か ら人民が拘束されていたある義務を確立 して ) では国家は何故にこの義務を命 2 いるものと, 従来なかった新しい義務を創設するものとがある。 ずる権利を行使できるのか. フ ッカーの論説か ら推 してその権利は, それを人びとが必要であると 感じたために設定され執行されたというほかない。 かれはいかなる種類の契約であれ, 契約か ら国家権力を生ぜしめることに反対し, 国家が建設さ れる前に各独立した群衆には創造主の最高権威の下に, その集団自体の完全な支配権が存在するも ) こ の 観念 は フ ッ カ ー の 法 ・ 政 治 哲 学 の 上 に 重 大 な 要 素 を な し ま た そ れ が か の で あ る と い う。3 , ,. れを後期社会契約論者とはっ きり区別 して しまっ た. 他方それは, どれほど人びと の同意が集まろ うとも, それが義務を作りだすことも, 義務を創設する権利を与え ることもできないと して争った 神権論者に対 してもまた一つの答えを示している。 国家の建設は人間の福祉に必要であり, 福祉実 現を目的とする立法権は国家組織のなかに包含されるべきはいぅまでもない. それゆえフッカーは 人間の福祉を欲する創造主が, あ らゆる国家 (その可能性あるものを含めて) に必要な諸権利を賦 与してきたと推論する。 これは何も神権論を意味するのではなく, 共同社会のよりよき存続に絶対 ) 不 可 欠 な も の は, 「必 須 の 本 質 を 有 す る も の」 と か れ は 見 た か らで あ る.4. 自然法によれば全共同社会を支 配する法の制定権は, まさしくその社会自体に所属す る. だか ら かれは君主や諸侯が, 法を課すべ き人民の同意か ら生ずる権威を委任される(明確に直接個人的に) ことなく勝手に立法権を行使するな らば, それは単なる暴君にすぎないか, あるいは暴君よりも酷 } フッカーの自然法理論よりすれば, 全共同社会に所属する立法権は, ある人びと であるという。5 または団体にその全社会か ら委任されたものとな らざるをえない. つまり人びとの 「同意」 が, か れらの服従を命ずる権威を創設 したことになる。 このことはいわゆる社会契約理論ではなく, トマ z スの 「立法権は人民全体, あるいはかれ らの福祉を図る公的な人びとに属する」 (S“” . 了ゑのL 1al lae .3) を 伝 承 した も の と 見 て よ い. .90, a ,q. 以上の大前提をなすものとして 「存在するものはすべて他のものと協同 して働く傾向があり, 人 6 ) 社会の結合は, それゆえ契約 間もその例外ではない」 というかれの信念を挙げることができる. に よ る 基 本 法 (い わ ば 憲 法) か ら生 じた も の で は な い。 フ ッ カ ー の 考 え に よ れ ば 基 本 法 の 形 を と る. 社会契約は, 社会が政府へ主権を委任することか ら生ずる。 この点ホッ プスとはまさに反対であ る。 ホ ッ プスは主権の存在を各個 人に重点をおき, そしてそれを各個人か ら統治者へ委任の経路を とるが, フ ッカーは社会をもっ て主権の保有者となし, 社会か ら統治者への委任過程を認めるとこ ろに根本的な相 違がある。 で は こ の 問 題 に つ い て ス ワ ー レス は, い か な る 論 証 を 示 した であ ろ うか。 か れ に よ れ ば 自 由 は 人. 間の属性である が, す べての人間が例外なく自由を保有するな らば, なぜ一人ないし数人に対 して 全他者を支 配する権力を認めるのか, という素朴な疑問の解明か ら出発している. ス ワ ー レス は ア リ ス トテ レス, ア ク ィ ナ ス に な らっ て 人 間 に 社 会 を 構 成 す る 必 然 性 を 認 め, そ れ. i t が人間の 「自然」 であるとする. しかし社会生活に必要な公共心 ( commun a s ) を酒養するため 一 43 一.
(7) . Vo l .24 No .2. ion (Sec i l of Hokka ido Unive i t t t Journa r s on I B) y of Educa. january ,1974. には, 各個人の権利を調和 する調整的権力がなければな らない. その政治的統制力は一人ないし数 人によって掌握されるのが理想であり, 直接, 創造主による統治は, 人間にとっ て 「自然」 ではな ) した が っ て ア ウ グス テ ィ ヌス や グ レ ゴ リ ウ ス 一 世 が, 俗 世 界 の 政 治 制 度 を 罪 い と か れ は 考 え た.7 に よ る 創 設 と す る こ と に つ い て, ス ワ ー レス は, 強 制 権 力 そ の も の に つ い て は こ れ を 肯 定 す る も の. の, 多数の納得によって生じた直接的政治権力については, これを罪による作出とは見ていない. このような合理的政治権力は, ただ共同社会にのみ与え られる. 人間は生来, 自由かつ平等であ るか ら,特定の人にこの権力が賦与されるわけがない. 自然的正義に基づく 最高権力の所有者は,一 8 ) 般的同意によって共同の政治目的のために構成された 人びとの全体として見た共同社会で あ る, こ の 点 フ ッ カ ー と は 微 妙 な ニ ュ ア ンス を 保 ち な が ら, か な り 共 通 した も の が 看 取 さ れ る.. こうしてみるとかれの論説 は, 200年後ルソーが説いた人民主権理論と大体同 じ類型のものとい えよう. しかしスワー レスは 実際問題と して 「社会契約」 の根幹である 人民主権の持続性に疑いを もっ た, というのは人民の有 する最高権は, 人民にと って貴重なものを人民か ら剥奪する権限を, ) 結 局 ス ワ ー レス の 理 想 は, プ ラ ト ンに 還 っ て 賢 人 に よ る 君 容 易 に 人 民 に 賦 与 で き る か らで あ る.9. 主政治に近いということになるが, ただ君主の権力は創造主か らではなく, 人民の同意か ら引きだ l o ) だがかれは君主の行為に対するトマス的抵抗権の留保を忘れは しなかった. スワ されるとする. ーレスによれば不服従の対象は, あくまで 「法」 であ って 「立法者」 ではない. 自然的正義に反す i る民事上の法令は, 「その事実により」 ( o facto) 無 効 で あ る と い う. こ の 点 ア ウ グス テ ィ ヌ ス ps 1 ) を 引 用 す る アク ィ ナ ス と 一 致 す る.1 ivi l tas condendi leges c ス ワ ー レス は 決 定 的 な 法 制 定 権 (potes e. に つ い て, か な り 詳 しく 論. じている. しか し結局かれはボーダソと同 じく, 世俗の最上位者の命令をそれに当てはめているよ 1 2 ) ただ最上位者と人民との間には事実上, 成文または慣習による 「契約」 がなされ, そ うである. ) この ことが 3 れ に よ っ て 前 者 の 地 位 は 承 認 さ れ る と い う か れ の 論 旨 に 注 目 しな け れ ば な らな い.1 ,. 後にスワーレスを評 して 「反君主政治的契約論者」 に微妙に接近しているといわせた大きな根拠と な っている. しか しなが ら, かれの精神と方法論か らいっていわゆる社会契約論者のスポ ンサーと することは決して妥当でないと思う. スワーレスによれ ば, 法の目的は人間における善の育成である. 道徳と無縁なものは法の目的た りえない. したがって, かれが契約なる字句を用いたとしても, それはあくまで創造主の計画に沿 i t c o divinae) と い う に ふ さ わ しい. こ れ を 近 代 的 意 味 の 便 宜 った敬度な自然法に基 づく盟約 (pa ia) の み に 拠 る 冷 厳 な 契 約 理 論 と 同 一 に 論 ず る こ と は 根 本 的 に 間 違 っ て い る. (expedient. かれの. tus bonae 負dei) と も い a c ont r c 「契約」 は道義的行為たる性格をもつ, いわば一種の善意契約 ( えるところにその特徴 がある. つまりスワー レスは人民を, 自然法理念に基 づく 政治へ の 協 賛 者 (approbator ) で あ る と 考 え て い た.. s s畑 おりγB S dB 毎 こ の こ と は 同 時 代 の ポ ー ダ ン が “上g. Re p”弱電“8” において, 主権の第8番目にあ げた課税権につき, 人民の 「協賛」 なく して課税す ることは自然法に反すると述べた趣旨に理念としては符合している. と く に 関 心 を 示 した こ と を 忘 れ て は な らな い. か れ が ibutum) ゾ郷 cば諺毎に 関 し数 多 く の 論 議 を 展 開 して い る な か で, 最 も 戯 烈 に 論 じて い る の は 課 税 (tr も っ と も, ス ワ ー レス は 課 税 に つ い て,. の問題ではなかろうか. 当時, ヨーロッ パの主なる国王の税収入だけでは, 皇帝の政治費用を充分 ‐世紀初期のス ペイ ンは, その財政状熊が急激に下降 に満足させること ができなか った. そのため17 線をた どり, イ ギリスにおいても課税闘争か ら革命勃発のおそれをは らんでいた. スワー レス が関 心を示 したのも当然 である. かれをこの問題に引きこん だ直接原因は 「新 しい租税は事前の徴収令状および国王の承諾によ ら - 44. -’.
(8) . 第 踏 巻 第2号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和49年1月. i i prius convocato regno et i l l ient ibus) 賦 課 で き な い」 と い う ス ペ イ ン i なければ(n s sconcent 4 1 ) この条件付規定の具体的実現の内容は 当時大体において合自然法的であるといわれ 法である。 , て い た. ス ワ ー レス は こ れ を 激 しく 論 難 した の で あ る. た だ し, か れ は 租 税 の 賦 課 を す べ て 正 義 の. 5 ) 問題は公正な課税には人民の協賛を 法則に従わせるべ きだという抽象理論を述べたにすぎない.1 要するか否かについてのかれの考えである. スワーレスは納税者の協賛ない し承諾が, 正義の法則に適合するとは積極的にい っていない. し か し, かれはボーダソと同 じく, 人民の一般的協 賛に基づく君主の主権には, 徴税という特殊な権 限をも含まれていると考えたと思う. 理念と してはまさにそうあ らねばな らないことは, 当時の識 者 の お お よ そ が 確 信 して い た か らで あ る。. た だ 実 際 問 題 と して は,. も し人 民 に よ る あ る て い どの. i t ipa t i 参与 (pa r ) が認め られるとすれば, それは君主の単なる仁慈i すなわち愛民的容認にす c o ぎな か っ た の で は な か ろ う か. も っ と も, ス ワ ー レス が君 主 の 反 自 然 法 的 不 正, あ る い は 暴 君 的 措. 置に対 して, 民衆の抵抗権を認めたことは前にも触れたとおりである. スワーレスの熊度は, その民主主義理論において 「国王の政治に対する人民の意思の反映」 を強 調する一方, すべての人に対する 「教会の精神的支配」 を強力に主張したことである. そしてこの 両者は不離一体をなすというのがかれの法, 政治的テーマであるか ら, 民意の現われの力説だけを 抽出して社会契約理論に結びつけることは, かれの真意をむ しろ離れるものといわざるをえない. したがって教会の支配を蛇蝿のごとく忌み嫌い, 国家権力の増強のみを強調 した同時代のマキアヴ ) 6 t ) の は 当 然 で あ る。1 ェ リ ー に 断 固 反 対 した (… …omnino falsa et erronea es .. フッカー, スワー レス共に, いわゆる社会契約説を批判する一貫 した理論体系を示さなか った. 上に述べた事柄はすべて, それぞれが表明した自然法理論および国家権力に関する論説などか ら推 測 した も の に す ぎ な い. 同 じ ト マス 学 者 と は い え, か れ らの 学 ん だ 環 境 の 相 違 か らく る ニ ュ ア ンス は, 前 に も 触 れ た よ う に, こ こ で も 当 て は ま る こ と で あ る. た だ 共 通 して い る 点は, 法 と 政 治 の 領. 域において人民の合自然法的 「協賛」 ないし 「納得」 を最大限に尊重していることであろう. それ が社会契約理論に対 し, 微妙な接近を見せなが ら決してそれと結合しないところに, 社会成立の究 極を人為的なものと しないトマス学派的信念がうかがえ るのである. <註> 1 1 1) R. Hooker , 噂. ばち 1 ,9 ,P ,381 , ら蔵, 2) ば ,10 , P. 塾8, ,1 ウ“. 1 1 3) ダ ,2 , V1 ,P ,343. るid, VI I 1 4) す ,4, P ,380, 5) 診溺, ,10 , 繋5, ,1 ,P 6) ゐ蔵. ) ,3 , No ,5; A, L, Harding (ed, ,工 , oゑC立, .64, ,p l i b 1 1 1 7) F,Suarez 1 c a s 5 c e p ,op ,c”. , , . , , , , ib 1 1 8) デ鰯α , ,l ,1 .2 , sec ,4, ,caP メメ ib ウ 9) メ , ,l ,1江,caP ,3 , sec ,6, わ溺, ib 1 ェ 10) 乞 ,caP .1 ,4, sec ,l , 1~5, ぎ鯛, la l i lkamp lae nas 11) Thomas Aqui ,一S彰粥朔α 丁趣〆軽す , 96 , a , 4; K. Kre ,一 丁郷 み名湯αゑ虐ys北郷 ,q 斉 一 l i f A P i W h ton o“”〆解か”so / 丁力のけ噂sfた /綿アメ sわれ雌8“”, Catho v r s a s c Uni o m e s n g , D,C, , , , , ,1939, PP l by icago i f Ch i 132~134; T, Gi s s ′ 丁あの昭卿s Aq“!”αs cago Pre v ,一 丁膨 po脇化〆 丁力○錫g膚 o , Ch .o , Un , 1958 ,289, ,p l ib 1 1 z 12) F,Suare ,1 ,OA ばち l ,9 , eta ,cap . ib 1 1 13) 伽d .1 ,9 , ,l ,caP , sec .2 . ing 1 4) w, A, Dunn ,OA αf ,4, sec , ,chaP .5, 〆 i V 云 l b 1 15) F.s通re c a 7 z o ゑ p , , ・ , , . , , i b 1 1 1 6 ) ゐ 然,l ,1 ,2, ,caP ,12 , sec. - 45 一.
(9) . Vol .2 .24 No. i i ido Uni i l。 f H0kka t t on I B) s on (sec ;ourna ver y of Bducat. January ,1974. こ こ で は, フ ッ カ ー と ス ワ ー レス の 自 然 法 的 発 想 が, 憲 法 原 理 に お い て どの よ う に 伸 展 さ れ て い. ったか, その跡を追求してみたい. フ ッ カ ー の 法 的 思 考 の な か で 重 要 な こ と は、 前 に 幾 度 も 触 れ た よ う に ア リス ト テ レス と ト マ ス ・. アクィ ナスの伝統において多様な法的要素を巧みに統合 した事実である. だが, いま一つ忘れてな らな い の は, か れ が と く に 憲 法 に よ る 主 権 の 制 限 を 強 調 した こ と で あ ろ う. フ ッ カ ー は ブ ラ ッ ク ト ton) か ら 「王 を 作 る も の は 法 で な け れ ば な らぬ」 と い う 原 則 を 明 らか に 学 び ソ (Henry de Brac. 1 ) すなわち王は, 憲法および憲法の下の諸法令を通 してその地位を獲得 するがゆえに王な 取 った. の で あ る. 憲 法 は 主 権 の 上 に あ る と い う こ の ブ ラッ ク ト ソの 伝 統 は, イ ギ リ ス の 古 い 憲 法 理 念 で あ る と 共 に, チ ュ ー ドル 王 朝 が こ れ を 弱 め, ス チ ュ ア ー ト 王 朝 が 抹 殺 しよ う と した 観 念 で も あ る. そ して そ れ は ま た シ ェ ー ク ス ピ ア が 愛 し, フ ッ カ ー が 擁 護 した 憲 法 理 念 で も あ っ た. アメ リ カ 憲 法 の 起 草 者 た ち が フ ッ カ ー を 引 用 し な か っ た こ と は 確 か で あ る. し か しか れ ら が 憲 法. を制定するに当たって用いた術語は, その大部分 がフッカーの擁護した諸原 則を反映したもので占 ‐ソに よ っ て 媒 介 さ れ た と い う に す ぎ な い. イ め られ て い る. た だ そ れ らは ロ ッ ク と ブ ラ ッ ク ス ト‐. ギリス憲法との関係を考えた場合, それはより濃厚である. 最も広い意味でのイ ギリス憲法とは, 裁 判 上 の 英 知 に よ る 主 権 の 修正 で あ る と い え よ う. そ して こ れ こ そ ま さ に フ ッ カ ー の 精 神 に ほ か な ) らな い か らで あ る.2. では現代憲法の一大原則である 「信教の自由」 について, かれはどのような見解をも っていたで あ ろ うか.. こ の 原 則 は,. ま た 「良 心 の 自 由」 と して ト マ ス の い わ ゆ る 自 然 法 第. 一 原 理 (prima. inc ipia) よ り派生した不変的第二規律 ( s e cunda praecepta) の 一 つ に 数 え られ て き た も の で あ pr (政治的, 道徳的に) 汚染されていない純粋な宗 教こそ, 大多数の人民 る. がん らいフ ッカーは 「 3 ) 世界の平和と繁栄, 現世の幸福, あ らゆる がもつ最大の関心事でなけれ ばな らない」 と考えた.. 人民と領土における現在のそしてきわめて自然な良き階級社会は, 主として宗教に依存していると 4 ) さ らに, 制定された法は守 らねばな らないけれども, およそ 「宗教的良心の自由」 を限定 いう. する法は, これを強く排斥 している. かれはローマ教会をも真の宗教として受け入れ, 非基督者を 5 ) 除いては誰も教会の外にいるわけにはいかないとした. こ れ に 対 して ス ワ ー レス は,. フ ッ カ ー ほ どの 宗 教 的 寛 容 さ は も っ て い な い.. ス ワ ー レス が 当 時. ス ペイ ンにおいていかに画期的な学者であ ったとしても, かれはイエ ズス会所属の会士という立場 が あ る. しか も そ の 大 著 「ア ソ グ リ カ ソ・ チ ャ ー チ の 誤 謬 に 対 す る カ トリ ッ ク 信 仰 の 謎 教 諭」 icanae sectae e icae adversus Angl io 6de i cathol rrores (Defens , Coimbra ,1613) を 見 れ ば 明 ら. かなように, 教会政策には素晴 らしく大きな影響を与えている反面, 護教上の目的を厳烈に追求 し て い る た め, 宗 教 的 寛 容 に 関 して は, ま こ と に 消 極 的 で あ っ た と い わ ざ る を え な い. 1545年 か ら63年 に か け て 開 か れ た ト リ エ ソ ト 公 会 議. l ium t ident inum) に お い て は, onci r. 従. 来の教会内における弊害を一掃して, 教会刷新を遂げるという多大な功績を現わした. しか しその 会議でなされた幾多の決定のなかで, プ ロテスタ ントに対 する断固たる闘争を決議 したことを以 っ て して も, ス ワ ー レス の 立 場 が 推 知 さ れ よ う と い う も の で あ る. こ の 点 か れ と フ ッ カ ー と は, か な り の相 違 を み せ て い る.. 次に, 近代憲法において問題視されてきた 抵抗権について, この両碩学は どのような見解を披漉 して い る か. ま ずフ ッ カ ー は, 人 間 が な しう る 結 論 に 到 達 す る こ と は 自 由 に ま か せ る べ き だ が, か. れの好む結論を採用 す る自由は許されないと考えた. フ ッカーは人間が無知と虚栄を通 して, 大な 一 46 一.
(10) . 第 24 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要(第一部B). 昭和4 9年1月. り小なり共同生活か ら派生した偏見を有 し, しかもかれ らは党派心の強い熱情や支配欲その他, よ りい っそう卑しい動機か ら公権威に反抗 し続けてきたと判断する。 かれはこのような抵抗権を認め なか っ た. フ ッ カ ー に は 理 性 に 訴 え る こ と が す べ て で あ っ て, 法 の み に 訴 え る こ と は か れ の 本 意 で. ない。 法と政治の世界における理性は, 確実な事物を啓示確信に基づいて立証できても, それはま ことに僅少である. ほとん どの論争は理性によ る立証が不可能であることをかれはよく 知 っ て い た。 そこで人びとの間に存する大きな意見 の食い違いを認め, 自分に反対する者を不正と見 る性向 は, 少 なく と も か れ に は な か っ た と い っ て よ い。. フ ッカーが許さないのは, 立証の不可能な問題に関して, 公権力によるその決定に反抗すること である. このような反抗は民衆に不信を増すだけで 「結論に達しえず, 両者の論争は互いの浪費に ) と い う しか しそ れ は, す ぎな い。 つ い に は 共 通 の 敵 が 双 方 の 灰 の な か で 小 躍 り す る こ と に な る」6 .. 理性にと って正当さが立証できない問題に対しても同意を与えるべきだという意味ではない. かれ は人間の理性に最大限の信頼を置く. その点トマスと全く一致し, 上述の抵抗権理論もトマスのそ ) れ と 本 質 的 に 調 和 して い る。7 さ て こ の 問 題 に つ い て ス ワ ー レス は, い か な る見 解 を 示 した で あ ろ う か. か れ は トミ ス ト と して. トマスの抵抗権理論において も, その後継者たる自負はあ ったと思うが, かれの関心はそれよりも むしろ国家間の武力抵抗ないし戦争についての論究にあ った. スワーレスの国際法に関するなみな みな らぬ熱意をみれば, それも当然といわねばな らない。 かれはいかに正 しい理由があるか らとい って, 国家に戦争をする権利があるとはいわれないと提言 した。 ただし裁判官が精密な吟 味をした 8 ) 結局は, 蓋然的な不 後, その国のために同じ結論に到達すると思われる場合は別であるという。 l be l 確定の権利に基づく正戦 ( um justum) な る も の は あ り え な い こ と に な る。 スワーレスは異教 (徒) 国家が単に偶像崇拝にふけ ったという理由で, 基督教国家のこれに宣戦 する権利は, いかなる場合においても認めない。 つまりかれは, 宣戦の正 しい理由をも極端に制限 L ようとする. したがって当時, 自然法に反するものではないとされていた教区の伝道師たちによ ) こ の よ う に ス ワ ー レス は 国 内 の 武 力 抗 争 る武 装 的 防 御 権 さ え, か れ は 認 め よ う と し な か っ た。9 ,. はもとより, 国際法学者としての観点か ら国家間の武力闘争について, きわめて厳格な制約を設け ている。 かれによれば個人の自由を尊重することもさることなが ら, 国家の自由, 自治の尊重に傾 斜せざるをえなか った. 「国家は本来自由であり suijuris である。 自由は, 少なくとも自然法に l o ) という 関するかぎり, とくに自治の権能を包含し, ある特定の人間に従属することを排除する」 ス ワ ー レス の 言 葉 が そ れ を よ く 示 して い る と 思 う.. そのため, かれが国際的共通善をとくに強調 したのも無理がない。 トマス o ア ク ィ ナ ス の 法 哲 学 は共 通 善 (bonum c ommune ) を現実的なものとして取扱い, それは各個人総合の私的善とは本質 1脳 〆 1 lae 的に 違 う こ と を示 して い る (S“’ ”. 7 .7; ザ.q , .38, a .3 .31, a , la l ,q .) . これ を基底 と して ト マス の有 名 な 共 通 善 理 論 が 展 開 さ れ る わ け で あ る が, 同 じ ト マス 学 者 で あ る フ ッ カ ー は こ. の伝統を忠実に墨守 した. ところがスワー レスは更に一歩を進め, 「人びとが私人であるかぎり, f l i i t かれ らの私的善を追求するのが国家の役目ではない。 国家の目的は純粋な社会の 善 ( ) で e c a s ある. そして人びとがその社会の構成 員である場合においてのみ, かれ らは擁護されなければな ら 1 ) な い」 と い う.1. もちろん古代ギリ シャの時代か ら国家の目的は, 共通善または政治的幸福, 共同社会構成員のあ らゆる欲望の完遂に至る状態を現出する ことであるとされてきた。 スワーレスは共通善を次のよう に定義 づけている。 「それは対外的平和と国内の福祉の維持と人間性を絶えず尊重す るのに必要な 道徳的廉潔さを持ち続け, 物質生活の維持と発展に必要な物質を十分保有して, 平和と正義のため 一 47.
(11) . ▽ol ,24 No ,2. i ion くSec ・B) i ido Univer t lof Hokka ty of Bducat on l s 1ouma. 1 2 ) つまりかれは共通善を に生活する状態である」. jannary ,1974. fel icitas externa で あ る と して い る が, そ れ は. 人間が平和に正 しく生活する状態にほかな らない. したが ってそれは. ordo rerum humanarum. で. あ る.. 共通善を形 式的にいうな ら, それは良き秩序を意味する. それは個 人として, またすでに家族と 共に生活し, 宗教的, 文化的福祉のための, そして経済的目的 のための自由な組織 のなかに生活す る社会人である人びとのな かの秩序である, それゆ えかれ らの秩序は, 各人相互に尽力 するばかり でなく, 個 人的および社会的目的に関連する物質のあり方をも 包含する. い ったい秩序なるも の ・ は, 規整される人間または物を取り去ればそれは存在 しなし . あたかも, 健康が, 身体の各部にお ける全体としての組織か ら断定されるのと同様である. そこでスワーレスは, 共通善は consurgit ) すなわち共通善は各個別々な善を完遂する個々の 人間なく 3 であるという.1 して, その実現は不可能 である. この現 実の秩序, いわば国家および超国家的福祉, 平和, 正義の 存在と発展は, それ自身一つの価値であり, 単なる各個人総合 の利益を目的とする手段ではない.. ex bonis singulorum. 4 ) かオ仏法 ト マス こ れ で 分 か る よ う に, ス ワ ー レス の 共 通 善 理 論 は 明 らか に ト マ ス に 拠 っ て い る.1 の理論にい )そ う 磨 き を か け た と は い え, 結 局 は ト マス 派 の 枠 を 出 る も の で は な か っ た, しか し 現 i tain, H. Rommen . Messer 在 欧 米 の ト マス 派 法 ・ 政 治 学 者 た ち (た と え ば F, Gきny . Mar , ,J ,J. lby R, Armstrong な ど) が示す絢欄たる共通善理論につき, Gi J . Fuchs , , T.. トマスもそうであ. 理論の方が, かれらには直 ったけれども, かれよりなおい っそう国際的実証性の強いスワー レスの 接寄与 していると信 じて疑わない. <註> I 1 se arendon Pres 1) R, Hooker d) ,2 , sec .13(C1 , ゅ, 凋ん VI 〆 d d 『 2~6 3. H i 6 L ( A o ) 2) . , ar ng e . . , 力 . . ,PP 3) R. Hooke op , “′ . , V,1 , 省d, v,76. 4) ばか 1 1 5) 2鋭d . ,1 ,1 . i 1 t ず鯛c煽ぎの2 en,o力 ed by l sco“γs eo/ /”s 6) R. Hooker ,232~233 , , “乙,PP .い. AI ,1 ,c , Dデ. 971 法研究」 創女社, 1 7 , 337頁以下を ) トマスの抵抗権理論については, 拙著 「トマス・アクィナスの自然、 参照されたい.. C 豹 方 r力α‘g膚, B. i / Z ted by H. A, Rommen ◇ z 8) F.Su兎re ,ー γわg s′α!e 加 α o C ,C .6 ,n .2 ,sec ,ー 刀B Bg ハ 4 S L i 0 3 1 0 ′ Y 3 1 1 Herder 1 9 5 . 、 , pp , , , t , ous , 0 9) f鰯d,P ,661. i l t ed by H, Rommen, op eef αPosfo‘たαe 1 , z一Daf醐sわ 方d雑 解放o乾o ,c 1 0) F S鰍r e ,11 , sec ,cap.2. .. ,. ”z . ,p 445, i 1 1 ted by o力 11) F. Su癖ez .c立. .11, c ,1 ,一DB Legめ”s ,caP 1 1 12) Z鰯α .11 ,n ,7 ,caP . . ,1 わZd 13) 言 ,7・ n.3 . ,l cap .. 96 1 1 4) トマスの共通善については, 稲垣良典教授の 「トマス・アクィナスの共通善思想」(有斐閣)1 . に余す 5頁以下を参照されたい. ところなく論ぜられている. なお拙著, 前掲, 26 V. フ ッカーの自然法思想の背後には, 国家と教会の本質的同一性を強調するかれの護教的立場が大 きく作用 している. このことは, 清教徒がイギリス教会法に 対 して反抗を強弁 するのは正当でない 1 )ま と い う か れ の 一 大 論 拠 に な っ た. フ ッ カ が反抗を不当とする理由は次の二つに集約される.( ずかれは現 実に存在 しているイ ギリス教会法は, 啓示された神法または理性の法と決して 矛盾する 2 )イ ギリスのためには, 教会と国家は本質的に全く同一でなければな ら ものでないとしたこと, ( ず, それゆえ国 王の大権によ って制定される教会法は, 他の国法と同じ拘束力があるとしたことで あ る.D, ← 48.
(12) . 第 24 巻. 第2号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). ,. .. 昭和4 9年1月. もちろん教会そのものと国家そのものとの間に存する懸隔については,′何 びとも否定できるもの ではない。 ただフッカーによれば宗教 に関する配慮は, あ らゆる思慮分別 のある社 会に共通して存 在すべきであるか ら, 真の宗教を奉ずるような社会な らば, 教会の名をも共に享有して差 しつかえ ないという. そこでかれは大胆に 「われわれを内含する一共同社会は, 教会であ ると共に国 家であ , 2 ) と結論した いうまでもなく この見解はイ ギリスのような社会を合理的に維持するための る」 . , 持論にほかな らないか ら, も し教会と国家とがそれぞれの目的に関 し, 絶対的に識別されるような , 国においては, もちろん違 った見解が可能である。 ただ国家は単なる物的目的のためにのみ存在,す るものではない。 したが って国家と教会とを峻別す るのは至難であるというのが, かれの意見であ った, そこで 「王の権力は人民の現世の平和 に奉仕す べ きで, かれ らの永遠の救いに奉仕すべきで ) と 述 べ て い る 国 家 は 事 実 上 一 種 の 教 会 であ り い は な い, と 考 え る の は 大 き な 誤 り であ る」3 。 , , つ も そ う あ る べ き だ と い う の で あ ろ う,. かれのこのような理論体系は法的フィク ショ ンに基づいているとか, あるいはそれが循環論法で あるとか批判す る学者もないではない. しかしフッカーは次のように考えた。 国家の制定する法に よれば国家構成員は, また教会構成員でもあり, 国家の制定法は教会構成員の法でも あると かれ 。 は 決 して 法 的 フ ィ ク ショ ンを 考 え た の で は なく, か れ に は 現 実 の 事 象 と して そ の よ う に 見 え た こ と. を確信したにす ぎない。 かれはよく 「全国民は信ずる」 という言葉を用いるが, それは全国民がか れの言を信ずるという意味ではなく, かれのいうローマ教会にもイギリス教会にも共通する 「基督 教の真髄」 を国民全体が確信することを意味している。 フッカーにと って当時, 沈黙を守っていた 4 ) 懐疑論者を無視することは, 決して不合理ではなか った。 しか し実際においてはイ ギリス国会に, 教会の活動を限定す る絶大な権力があったことをかれも 認めている。 そこで宗教に関して制定されたイ ギリスの諸法 は, その本質を全国王とイ ギリス教会 5 )も っとも, かれは基督教の本質と称され るものと の権威か ら得たものであ るとかれは了解した。 , それに無関係な (あるいはその関係を証明できない) ものとの間に, は っきり一線を画 したことは いうまでもない。 そうでなければ, かれの自然法理 論は成立しないであろう。 ただフッカーの時代 にはどんなセクトでも否定できない単一の基督教々義が存在しなか ったことは事実である したが 。 ってあ らゆる基督者に受容される 「本質」 の定義づけは不可能であった。 たとえば, かれは果た し inians て 当 時 の ソ ツ ィ ニ 派 (Soc ) を 基 督 教 徒 と 認 め た か どう か疑 い な き を え な い か ら で あ る 。 そ れゆ え フ ッ カ ー の い う 「本 質」 は, ア ソ グリ カ ソは も と よ り ス コ ラ の 世 界 に お い て も 強 い 説 得 力 を 有 して い た か れ の 信 念 に 基 づ く も の で あ っ た と い え る。 フ ッ カ 日 の 理 論 に 反 対 す る 清 教 徒 に は, か れ の 主 張 が 全 く 通 用 しな か っ た こ と を フ ッ カ ー 自 身 よ. く知 っていたと思う. 反対に清教徒たちが 「本質」 とみた多くのものについて, かれは無関心であ っ た こ と も 知 られて い る。 ま た フ ッ カ ー は 清 教 徒 の 考 え 方 を評 し, か れ らは 自 分 た ち の 為 し う る こ. とを立証せずに強調するといい, 人間は何事についても, 証拠に応じない同意を要求されてはな ら 6 ) この実証的見解こそ, かれをトマス の経験主義的自然法理 論の後継者とさせ ないと述べている。 て い る と い っ て よ い。 かく して フ ッ カ ー の 自 然 法 に対 す る 態 度 を 二 つ に 分 け る こ と が で き る le× 。 一 つは 永 久 法 ( い ま 一 つ は 経 験 に 基 づ く 理 性 の 法 と して. aeterna) の 一環 と して の 書 か れ ざ る 神 法 と み る 一 面 と,. 道徳の合理的帰納によ って得た規範原理とみる一面であ る。 これは何もかれ独特の見方ではなく , つまりはトマスの伝承にほかな らない。 ただトマスの経験 主義的法理に対し, フッカーにはそれに 加えて合理主義的要素が幾分強く感ぜられるというだけのことである, 伝統と歴史的発展に即した かれの研究態度がそうさせたのであろう. 一 49 一.
(13) . Vol .24 No ,2. i i iver i t t ty of Eduqa on (sec lof Hokkaido Un on I B) s Journa. January ,1974. さて, こ れ に 対 して ス ワ ー レス は, どの よ う な 理 解 を 示 して い た で あ ろ う か. 前 述 の フ ッ カ ー に. おける国家と教会の本質的同一性に関しては, かれは明 らかにこれを否認する意向 を示している. l l armin) と 同 じく ス ワ ー レス は 教 皇 に 対 して, 教 と い うの は, か れ と 同 時 代 の ベ ラ ル ミ ソ (R. Be. 皇自身の世俗的諸領土のほかには政治的な直接権力を明白に否定 しているか らである. そして教皇 は宗教上の重大な利益を保有 するために, 政治的には間接権力を有するにすぎないことをかれは強 ) したが って国家と教会とは, 本質的にその行動領域が違うことになる. 調 した。7 レス が こ の よ う な 差 違 を見 せ て い る の は, そ れ ぞ 違 で あ る と い え そ う で あ る. と く に ス ワ ー レス 柄 の 国 相 れイ ギ リ ス 教 会, ロ ー マ 教 会 を 国 教 に も つ は 君主といえども教会の内心面における主導権に対 して容隊することを許さない. この 点ホ ッ プ 同 じ トミ ス ト で あ り な が ら, フ ッ カ. とス ワ. , i eg s gratia) に お く 説 と は 真 向 う か r スのよ うに, 自然法の権 威を維持する根拠を, 君 主の恩恵 ( ら対 立 して い る.. スワーレス によれば, 自然法という創造 主の意志によるこの不変法の概念は, 自然の光 (lumen l e) を 通 して 人 び と の 心 に 印 刻 さ れ, 理 性 の 解 釈 に よ っ て 発 展 す る. か れ の 自 然 法 理 念 は プ natura. ラトン倫 理学の基督教化とい う形で現われたが, かれの理論における厳しさは, これを実際問題に 当てはめる場合, 大幅に倍正 されねばな らなか った. たとえば 「債務の弁済」 は一般的にい って自 然法的原則であることに異論はない. しか しその弁済によ って明 らかに社会的危険を生ずるよ うな 特殊事 情が存在 する場合は, その弁済 義務は免除されるのが当然である. また 厳密にいえば, 自然法の制定者 (創造主) といえども自 然法の諸規律か ら免れないとい って i n um) によれば, 自然法 よい. しかしあ らゆる被造物 に対する絶対的な 「かれ」 の支配権 (domi i t が な け れ ば な らぬ. そ れ ゆ で き み t i を除 く こ と る と s n a a ) ( r a 料 e a g m の作用か ら限定された質 えアブラハムに対するイ ザアク殺害の命令は自然法に反せず, したが ってモーセの十誠とも矛盾し ないとされるのである. また誓約をたて, これを保持することも 道徳規律とは何 ら関係なく, それ ) こ の よ う に ス ワ ー レス は 自 然 法 の 内 容 が, え て して が 自 然 法 違 反 に な らな い 理 由 も そ こ に あ る.8. 抽象的, 概念的な形をとりがちであるにもかかわ らず, そのなかに弾力性をもたせ, 人間理性の決 断と道徳規律と を実際的に調和 させている. こ の よ う に ス ワ 【 レス の 法 理 は あ く ま で 調 和 を 目 指 して い る の に, あ る 学 者 は ス ワ ー レス の 思 想. 体系のうち, かなりの部分が論争的作品の上に打ち立て られているという,.だが, かれの主義主張 ) 少なく 9 は, 非論争的で通常も っと深遠と思われる著作のなかに余 すところなく展開されている. かれの論争的文献のみに依存する必要 とも法と政治の領域におけるスワーレス の思想に関 しては, は な い・ トマ ス . ア ク ィ ナス の 自 然 法 理 念 は フ ッ カ ー と ス ワ ー レス を 通 して 近 代 自 然 法 理 念 に 深 く 根 を お. ろし, それがロッ クの自然法理論構成に多大の貢献をな している. ロックの憲法原理, とくに人権 o ) とすれば現代憲法理論に及ぼ 思想が多くフッカーに負っていることについては疑う余地がない.l したトマス の功績 を再評価すべ きではあるまいか. 近代の禁明期における新 トマス主義法学者と し て, トマ ス の 法 理 を現 代 に 架 橋 す る役 目 を 果 た し た フ ッ カ 【 と ス ワ ー レス の 偉 業 の 跡 を た ど る こ と. も, 近代公法 理論の原質に立ち返る意味で, きわめて 重要であると信ずる. <註> 1) R Hooker ,p .329 , .cばら Vm,1 ,op り“. 2) ぼ . ,P .340 1 1 3) ぬ溺. ,3 ・ , VI , p,363 1 1 ウメ メ 4) 省 , VI .411 . ,P , ,6 1 わ謬, I 5) 〆 ,6 .412 , ,P , VI. - 50 一.
(14) . 第 24 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 6 ) !屍 仏 11 ,323 , ,P ,7 1 7) F,su乳rez 1 , et3 , , sec ,2 ,6 ,oぬ メム 1 l 1 ng 8) W. A, Dunni .4 ・1 , , Sec ,chap,4 ,oぬ “乙,vo 活 5 4 3 復 ゅ 9) H. A. Rommen P , , , , . ,. 7頁, 15~71 10) 大西藤米治 「中世政治思想研究」 有斐閣,1963 ,7. - 51 -. 昭和4 9年1月.
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