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「ふるさと学習」の可能性 : 南茅部町立磨光小学校の事例から

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(1)Title. 「ふるさと学習」の可能性 : 南茅部町立磨光小学校の事例から. Author(s). 吉田, 正生. Citation. へき地教育研究, 57: 35-50. Issue Date. 2002-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1756. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) ふるさと学習 の可能性. ふるさと学習. の可能性. ─ 南茅部町立磨光小学校の事例から ─ 吉. 田. 正. 生. (北海道教育大学旭川校). した。また,渡島教育局の研究指定を受け公開研究会を開. はじめに. 催するなど,研究活動で広く管内にその教育実践を公開し. 本論は,各学校が. 総合的な学習の時間. にあたって, ふるさと学習. を実施する. をどのように活用するこ. とができるのか,その可能性をある学校の実践を手がか ある学校とは,道内渡島管内南茅部町にある磨光小学 学校要覧. 年に北海道教育実践表彰などを受賞している。 さらに,. 平成 年には,新校舎で渡島教育局の研究指定を受けた公 開研究会,平成 年には,渡島教育研究集会第 ブロック. りに考えようとするものである。 校である。同校の. た。平成 年に渡島教育実践表彰,才能開発実践教育賞, 翌. によれば, 磨光. とい. う名称は,明治 年に開校された尾札部小学校とその翌 年に合併した時に. 年に開校された川汲小学校とが明治. 創出されたものである。 玉磨かざれば光らず. 鹿部・南茅部大会で授業公開を行った。. 南茅部町教育委員会の石坂新一教育長も似たような文 章を 平成. 年度. 研究紀要. に寄せている 。. という. 古諺からとられ,そこには,教師は子どもたち一人ひと. 自ら磨き続ける磨光の子供 を教育目標に掲げ,その. りが玉だという意識を持って教育にあたるべし,子ども. 具現化をめざす本校は,創意と活力ある教育活動を積み重. たちは自分が玉だという心を持って学ぶべしという二つ. ねております。近年においては, 年ごと 回の公開研究. 年に再制定. 会の開催,北海道及び渡島管内の教育実践表彰受賞,体力. され,今日まで引き継がれている磨光小学校の教育目標. づくりや全道大会にも進むスポーツ少年団活動などに,そ. は 自ら磨き続ける磨光の子供. の成果の一端が現れております。ギネスブック登録の長な. の意味が込められているのであろう。平成. であり,それをさらに. , やりとおす子 (磨行) , 三つに砕いた 学ぶ子 (磨考). 回の世界記録達成も記憶に新しいところです。. わとび. 支えあう子 (磨交)である。 さらに. 平成. 年度. 研究紀要. にある学校の概要を. 現在(平成. 年度)の得永宏校長は永年にわたって附. 実践. 属函館小学校で音楽を核に教育活動を展開し,また藤井. 校であるとともに,地域の中心的な学校として教育行政. 壽夫教頭は附属函館中学校で理科を教えており,このよ. 機関からも嘱目されている学校であることがわかる 。. うな研究. 読むと,この学校が渡島管内でも有数の教育研究. 実践校の管理職には適切な経歴を有してい. る。藤井教頭が …(略)…,昭和 年には,当時としては管内でも有数 の近代的校舎 線校舎. 丘にそびえる学び舎. 斜め廊下のある三. 授業者. 研究紀要. に書いた後書きから,その. 実践的研究者としての片鱗を窺うことができ. る。. としてその偉容を見せた。昭和 年には,創立百. 周年を迎え盛大に記念式典が行われた。 この旧校舎も長年の風雪で老朽化したため,平成 年よ. ところで,本校では生活科の学習にも総合的な学習の時 間と連携した ふるさと学習 を取り入れていますが,よ , 年生では発達段階からいって課題解決的な学習. り ふるさと文化公園 内の現在地に道内でも有数のユニー. く,. クな施設・設備を備えたオープンスペース・スクールの新. は不可能である等々の意見が聞かれます。 月に行われた. 月竣工した。…(中略)…。この間,. 年生生活科の研究授業は, 子どもたちが校舎の周りの ふ. 校舎を新築し,翌年 平成. 年には. 人長縄跳び. で. 回の世界記録を樹立. るさと文化公園. 内を探検する中から課題を見つけだし,.

(3) 吉 田 正 生. 課題解決に向けて共同で取り組んでいくというものでし. る(おわりに) 。. た。その中に次のようなグループがありました。公園探索 中に. 人の子どもが落ち葉の下に虫がたくさん集まってい. 総合. るのを発見し,どうして葉の下に集まっているのだろうと いう 問い を発しました。いろいろな予想が出され,そ の中で. 寒いから下に入っている という意見が優勢にな. 総合. と. と. 総合的. 総合的. ついて. の相違について論述しようとす. る場合,先ず, 総合的な学習の時間. が位置づけられ. りました。そこで,ある子どもが実験してみようと言い出. る前の,したがって直前の学習指導要領である平成元年. しました。箱の中に枯れ葉をたくさん集めてその中に虫の. 版のそれにおいて人間形成がどのように行われようとし. ように入ってみればわかるというものでした。枯れ葉を集. ているかについて述べるところから始めなくてはならな. め始め,いよいよ実験です。しかし,入ってみた子どもの 感想は. かわんない “温かい”という回答を期待してい. た子どもはがっかり。しかし,このプロセスこそ重要であ り,. 年生でもしっかりと問題解決的なプロセスを辿って. いけるということが実感されたのでした。. い。 総合的な学習の時間. 以前の学習指導要領の構造. をとらえておかない限り, 総合的な学習の時間 応して設定し得る諸カリキュラムの. 種類の組織原理. (目標構成原理と内容編成原理),すなわち 方向と 総合的. に対. 総合. の. な方向との違いが明確に把握できない. からである。 こうした管理職の目から見ても磨光小学校の教師たち. そこで先ず,平成元年版の学習指導要領の構成とそこ. の教育実践への取り組みは真摯なものだということであ. において志向されている人間形成について述べ,次に各. この学校は,他所からは不. 教科の役割について簡単に論ずる。その後, 総合的な. 夜城といわれています。並み大抵な気持ちではこの学校. 学習の時間 が担うべきだとされた人間形成は何である. では勤まりませんから,もしやる気のない先生が来たと. のかを明らかにした上で, 合科. したらたいへんです。そういう先生に対してはまわりも. の相違を手がかりに. やる気がないのなら早く転任した方がいいのではないか. て論ずる。. る。得永校長の言によれば. 総合. と. と. 合科的(指導). 総合的. の違いについ. という雰囲気です。たいへんなところに転任して来たな というのが 月頃の私の正直な感想でした. ということ. であった。そうはいうものの,得永校長の公開研究会当 日(平成 年. 月. 日)の話は,デューイが引用された. 平成元年版学習指導要領における人間形成 平成元年版の学習指導要領は,どのような構成によっ て人間形成を行おうとしているのか。ごく粗くまた若干. り,ユネスコの教育目標が挙げられたり,厚みのある教. 不正確には,次頁の図. 育実践と深い理論を兼ね備えていることを窺わせるよう. る。. なものであった。 得永校長はこの. がそれであるということができ. すなわち,教科で,主に現代社会を生きていくために 月から,藤井教頭はその. 年前に磨. 光小学校に赴任して来たのであった。. 必要な知識や技能を習得させること(頭の耕し)がめざ され,道徳において心の耕しが行われ,特別活動におい. 後に見るように,磨光小学校の ふるさと学習. は,. て実践力と個性の伸長とが行われているのである。. よく考え抜かれたものであり, ティーム・ティーチング,. 具体的に述べるなら,次のようなことになる。. ポートフォリオ評価なども取り入れようとした意欲的な. 例えば,理科という教科において,ある子どもが, ウ. ものである。他方, ふるさと学習. を. 構成しようとしているのかそれとも. 総合的. 総合. として なものと. サギは卵を生まず 赤ちゃん. を産むことによって仲間. を増やす,このような生き物を哺乳類という. ことを習. して構成しようとしているのかについては,依然として. う。その結果,その子どもが誰に教わることもなく,鶏. 曖昧な部分があり,筆者にとって ふるさと学習 や 総. は 卵を産むから哺乳類ではない. 合的な学習の時間 の原理的なことについて考えを深め. できるようになったとする。この子どもは,学問の成果. る手がかりとするには最適のものであった。. に由来する一定の知識を習得し,ものの見方も獲得した. 以下,本論を次のように構成する。先ず,筆者が考え る 総合的な学習の時間 の二つの在り方,すなわち 総 合. と. 総合的. の定義について論述する(. に現在の磨光小学校の ふるさと学習 る(. 章)。次. というものの見方が. ことになり,頭の耕しが行われたことになる。すなわち, この子どもにおいて,理科なり生物学なりの教科がその 役割を果たしたのである。. について紹介す. また,別の機会に道徳において命の大切さについて学. )。さらに磨光小学校の ふるさと学習 を 総. び,その結果ウサギなど生き物を不必要に殺したりする. 合 として構成するにはどうしたらよいか,粗案を論述. ことはよくないことだと感じ 思えるようになったとす. )。最後に残された課題について簡単に述べ. る。つまりこの子どもにおいて,その心の耕しが行われ. する(.

(4) ふるさと学習 の可能性. 頭 教 科. 特 活. 心. 身 体. 道徳 実践力 図. 平成元年度板学習指導要領における人間形成. たのである。. 以下,具体例を音楽科と家庭科にとって論述する。. さらに特別活動において,飼育委員会に入った子ども は実際にウサギの世話をすることにより,その飼い方に. 音楽科の場合. ついての実践的な知識や技能を学ぶとともに,実践力ま. 小学校指導書. で伸ばすのである。すなわち,実践力の伸長が実践的な 知識. 技能を学びながら行われたのである。. 音楽編. では,音楽科の究極的な. ねらいは 豊かな情操を養う. ことであるとされてい. る。さらにこれについて指導書は次のように詳述して. さて,特別活動のなかには,上述の委員会活動のよう. いる 。. に,あるいはクラブ活動のように選択制とされるものが ある。子どもによる活動内容の選択が,初等教育である. 豊かな情操を養う. について. にもかかわらず認められているのである。これは,特別. このことは,音楽科の目的の最終的な到達の方向を示し. 活動という領域が,子どもの個性を伸ばすことを目的と. たものである。情操とは,一般的にはある種の感情である. して設けられたものであるという側面の現れである。. と言われているが,感情とはいっても次のような特徴をあ. 以上述べたことを簡潔ににまとめると次のようにな. げて情操を区別している。その第一は,気分,情緒とは区. る。平成元年版の学習指導要領における人間形成は,教. 別された,ある価値に伴う感情であること。つまり,高度. 科が主として頭の耕しを担い,道徳が心の耕しを,特別. の精神生活に伴う高い価値を求めようとする感情である。. 活動が実践力と個性の伸長を担うという構造である。さ. 第二は,より高い価値を求めようとする持続的,恒常的. らに,教科のなかには体育が設けられ,ここにおいて,. な感情であること。これは,一時的あるいは本能的な感情. 逞しい身体を育てる. 丈夫な身体を育てる. しなやかな. 身体を育てるなどを目的として,身体の耕しが行われて いるのである。 学校に校庭ではなく広い運動場というものがあるの. とは異なった,人格や教養に基づく持続的な情緒,あるい は感情傾向を一つにまとめたものである。 高等教育. は,こうした構成に基づく教育活動を施設設備の面から. の人 耕格 し形 成. 保証しようという現れである。 学習指導要領における教科の性格. 心. 教科は,平成元年版学習指導要領において主として人. し 伝学 達問 =の 頭成 の果 耕の. 実 用 = 実 践 性. 間形成のうちの頭の耕しを担っているということを上に 述べた。しかし,この言い方は少なくも日本の学習指導. 初等教育. 要領に関する限り不正確である。それは学習指導要領で は,下に掲げた図. 図. 学習指導要領における教科の構造. のように各教科に頭の耕しのみなら. ず,心の耕しも実践性の耕しも担わせているからである。 以下,頭の耕しを. 学問の成果伝達 ,心の耕しと実. 践力の伸長の一部(物事をやり通す意志など)を合わせ, 人格形成 ,実践力の伸長のうちの実用的部分,すな わち日常の生活人として生きていくのに必要な知識 能の教授部分を 実用性. と呼び変えて論を進める。. 技. 要するに, 情操. とは単なる感情ではなく,より高. い価値を求めようとする感情傾向であり,人格の一部と して持続的なものだということを言っているのである。 指導書はさらに 情操 を 知的情操 的情操. 宗教的情操. の四つに分け. 道徳的情操. 美. 音楽によって養. われる情操は,直接的には美的情操が最も深く関わって.

(5) 吉 田 正 生. いる. としている。美的情操とは美しいものを美しい. と感じさらに美しさを求めようとする, 素直で広く豊 かな心. だと説明されている。しかし, 美しさを受容. し求める心は美だけに限らずより善なるものや崇高なる. 教科の究極的な目標は. 児童が家族の一員としての自. 覚を持って,家族と協力して家庭生活を一層明るく楽し く, 充実向上させようとする実践的な態度を育てること (. 頁) だとされている。家庭科の究極目標とされた. 実. にも通じるゆえに (音楽科は)教科. 践的な態度 を育成するために教育内容として設定され. の目標の美的情操を養うことを中心にはするものの,最. た小学校家庭科のミシンの学習,(ぞうきんなどの)手. 終的には調和のとれた豊かな人間の形成を目指すところ. 縫いの学習,調理の学習などは,実生活に必要なもの・. から,これを 豊かな情操を養う. 役立つものを作り出す技術や知識を習得させるものであ. ものに対する心. る. と述べ, 美的情操. と示しているのであ. のみではなく,他の情操を高. めることも目的としていることを述べているのである。 より高い価値を求める感情の育成とは,とりもなおさ. 実用性. るという点からすると,家庭科はほとんど. を. 志向した教育内容によって構成されているようにも思わ れる。. ず人格の高めである。したがって,音楽科の契機にも 時. しかし,それだけではないであろう。教員養成系大学. する. で使用されているある教科書では家庭科という教科につ. 間芸術としての音楽の特徴や価値を的確に把握 力を養うという. 学問志向. 契機, 生涯を通して音楽. を愛好し,生活の中に音楽を生かそうとする心. を養. いて次のように論じられている。 まず, 学問の成果伝達. 契機である。これに関連し. 親学問. のあることが明記されてい. うという 実用性. 契機と並んで,いやむしろそれらの. ては,家庭科には. 土台に 人格形成. 契機があることが明らかになった。. る。ただし,何を親学問と見るかについては,以下の引. 山住正己 によれば,文部省音楽科のこうした. 人格. 形成 契機の強さは,戦前からのものである。小学唱歌 はそもそも. 徳性の涵養 (. 手段として位置づけられ ( い奏する喜び (. 頁)という. 用文 が示すように家庭科教育研究者の間でずれやゆれ があるようだ。. 修身教育の うた. 家庭科教育は家政学の研究成果を基盤に成り立ち,家政. 頁)を与えることを目的としたもの. 頁) ,子どもたちに. 学の成果は家庭科教育によって生活の向上に貢献するとい. ではなかったのである。. う面をも(つと考えられてきた。 ). 山住はさらに音楽科以外の教科書に表われた音楽家像 月光の曲. しかし,近年の家庭科教育研究では,家政学の領域構成. にまつわる. を家庭科教育研究の基盤とする捉え方が見直される方向に. エピソードや袴垂という盗人をその妙なる笛の音によっ. ある。その背景には被服学,食物学,住居学,保育学,家. て魅了するとともに綿入れをやりながら諭すという行為. 庭経営学などからなる家政学の領域構成が家庭科教育研究. によって改心させた藤原保昌という 笛の名人. の基盤とするには適当ではないと捉えられるようになって. (楽聖としてのベートーベンの. の話な. ど)を分析することによって,文部省音楽科の 人格形 成 契機の背後には. 江戸時代を通して日本を支配して. いた儒教の音楽観,礼楽思想 (. きたからである。…(中略)…。 (日本教育大学協会全国家庭科部門によって作成された. 頁)があるのではな. 家庭科教員養成カリキュラム(学科目・授業科目)の枠. いか,つまり 音楽とは,行いを正し,礼儀を守らせ,. 組み構想(案) からは)これまでの家政学に基盤をおい. さらに進んで社会秩序を保ち,人心をその秩序を保つよ. た家庭科教育研究が,生活科学および教育科学を基盤にお. うに感化することができるのだという音楽観 (. く方向に向かっていることが読み取れる。. 頁). があるのではないかと推測している。 家庭科教育の研究者自身が, 生活科学 , 教育科学 家庭科 家庭科は,学習指導要領にある次のような教科目標 についての文章 を読むとき,実生活で使える知識・ 技能の習得が強く意識された教科,すなわち 実用性 志向の強い教科だということを感じさせられる。. あるいは. 家政学. などのディシプリンを家庭科の親学. 問であると認めている以上,家庭科も 学問の成果伝達 契機を持っていると見ることができるであろう。 人格形成. 契機についてはどうであろうか。先述の. 教科書には 家庭科で育成される人間像. という項目が. ある 。そこでは,中間美砂子の研究に拠って,家庭科 衣食住などに関する実践的な活動を通して,日常生活に. 教育で論じられためざすべき人間像は二つに大別される. 必要な基礎的な知識と技能を習得させるとともに,家庭生. と述べられている。一つは. 活についての理解を深め,家族の一員として家庭生活をよ. であり,今一つが. りよくしようとする実践的な態度を育てる。. 望ましい家庭人,社会人. 自立した生活者. である。 自立し. た生活者 からは,人格の育成といった考え方が引き出 されていないが, 望ましい家庭人,社会人. という考.

(6) ふるさと学習 の可能性. え方のなかには, 人格の完成. が含まれていることが. 明記されている。すなわち,家庭科という教科には. 人. 活科の目標を語る言葉として社会認識の芽. 自然認識の. 芽という語が用いられており,したがって生活科は社会. 格形成 契機が含まれていると考える研究者がいるとい. 認識 自然認識の芽を社会や理科に替わって養う新教科. うことである。. であると解釈することができた。 が独自に担うべき人間形成. 生活科(仮称)は,児童が自分たちとのかかわりにおい. 以上見て来たように, 平成元年版学習指導要領は, 頭・. 総合的な学習の時間. て人々(社会)や自然をとらえ,児童の生活に即した様々. 心・身体・実践力といったものを総て覆う構成になって. な活動や体験を通して,社会認識や自然認識の芽を育てる. いた。. とともに,そのような活動や体験を行う中において自己認. それなら 総合的な学習の時間. が担うべきものは何. 識の基礎を培い, 生活上必要な習慣や技能を身に付けさせ,. なのだろうか。ここで考え方が理念型的には二つに分か. 自立への基礎を養うことをねらいとして構想するのが適当. れるであろう。一つは, 総合的な学習の時間. であると考える。. でなけ. れば担えない独自の人間形成の領域を作り出すべきだと いう考え方であり,今一つはそのようなものを新たに作. ところが,できあがったものからは社会認識の芽とい. り出さなくてもよいという考え方である。本論では,前. う言葉も自然認識の芽という言葉も消えていたのであ. 総合 ,後者の立場を. 者の立場を. 総合的. と呼ぶこ. とにする。. ていない。しかし,これによって新教科生活科と従来か. 以下,この二つの違いを明確にするために理念型とし ての 合科. る。なぜこのようなことが生じたかについては明言され. と. 合科的. の違いについて論ずるところ. から始める。. らの低学年社会科. 理科との差異が際立たせられたこと. は否めない。すなわち,生活科は単に理科と社会を合わ せたものではなく,それ独自の目標を持つ新教科として 生み出されたのである。. 合科. と. 合科的. このような教科目標レベルの差異は,現実の授業づく. 周知のように生活科は,低学年にあった理科と社会. りレベルではどのような差異として説明されたのか。表 観察者が. 科を廃して成立した合科であり,新教科である。新教. 現の仕方は以下とは異なるが,端的にいえば. 科である以上,社会科や理科とは異なった教科目標や. 獲得する知識 をめざさずに. 教育内容をもっている。. る知識 をめざす方向に転換したと説明されたのである。. 当時の文部省は,生活科と理科・社会科との違いを どのように際立たせようとしたのか。 端的にいうなら, 自然認識. 社会認識の芽を養う. 生活者. 実践者が獲得す. すなわち,社会科や理科がめざしていた客観的なシステ ム. もの・ことの理解,あるいは客観的なシステムを. という言葉を教科. 担っている人々の社会的役割の意義や工夫・努力の理解. 目標のなかから落とすことによってであった。下に引. を生活科は主目標にはしない,替えてそのシステムのな. 用する文章に見られるように, 小学校低学年の教育. かで行動できるための知識等を活動を通して習得するこ. に関する調査研究協力者会議 が昭和. に出. とを主目標にするという方向への転換がなされたのであ. した 小学校低学年の教科構成の在り方について(審. 年 月. る。下に引用した中野重人の発言 が,そうした解釈を. 議のまとめ) ではまだ,生活科も社会認識の芽や自. 支える根拠の一つである。. 然認識の芽を養うことを目標とする教科だと解釈でき るような書き方になっていたのである。. 従来の社会科というのは,例えば,身の回りにあるいろ いろな社会的な事象を,ある意味では客観的に見て,学習. 低学年の時期に,社会認識や自然認識の芽を育てること. するというのが,一つの特徴だったと私は思っています。. は大切であるが,学校教育の現状をみると,社会科や理科. 例えばお店屋さんの勉強をするにしても,お店屋さんはど. の学習指導はややもすると表面的な知識の伝達に陥るきら. んな努力や工夫をしていますかということ,例えば,きち. いもあり, 内容構成や活動の在り方について再検討を行い,. んと値段がつけてあるとか,きれいに並べてあるとか,そ. より具体的な活動や体験を通してこれらの認識を培う方途. ういう事実を客観的に理解するというのが,これまでの社. を考える必要がある。. 会科の一つのポイントだと思うのです。 ところが,こんどの生活科では,そのように客観的にお. これをうけて同年. 月. 日に出された教育課程審議会. 店屋さんを理解するというのではなくて,むしろ子供たち. (中 の 教育課程の基準の改善に関する基本方向について. にとって,お店屋さんというのは何かを買いに行くところ. 間まとめ) においても,下に見るように依然として生. ですから,そういうことから,お店屋さんというものを捉.

(7) 吉 田 正 生. えていく必要があるのではないか,それが“自分とのかか. とについて考え自分自身の気づきを大切にするということ. わり” でということなので,要するに自分の生活を通して,. です。自分のことについて勉強するということを,まとも. お店屋さんがわかっていく,そしてもちろんその中で,お. に取り上げるということは,これまでの小学校教育の中で. 店屋さんはいろいろな努力や工夫をしているのだな,とい. は私はなかったと,はっきり言っておきます。…(中略). う理解が当然あってもいいことだと思っていますが,まず. …。. 少なくとも自分とのかかわりのなかで,お店屋さんという. 自分のことについて,内容的に取り上げたといったとき. 学習をしていく,これがやはり新しい生活科が自分とのか. に,例えば,一年生,二年生の子どもに,自分のことにつ. かわりで社会を捉える,という一つの視点だと思っていま. いての学習には,どんなことがあるのかというふうにいわ. す。. れますと,私なりには次の三つを指摘できると思います。 一つは,学校という新しい集団生活の場に入って学級,. 下線を引いた部分の中野の説明はわかりにくいが,そ. 学校という中で,みんなと一緒に生活ができるようになっ. れでも先のような解釈,すなわち,これまでの社会科の. た。それが自分自身への気づきの一つのポイントです。 み. お店で働く人 の学習が社会的役割を果たしている人々. んなの中にいる自分,みんなと一緒に生活をしなければな. の工夫・努力の学習であったのに対して,生活科は. 自. らない自分. が,きちんととらえられるということ。これ. 分が上手に 確実にお店屋さんにいって,必要なもの・. が自分自身の学習の一つのポイントであります。二つ目の. そのためには,買. ポイントは,自分がこれまで一年生,二年生で大きくなっ. い物を遂行するための知識とかマナーといったものの習. てきた流れの中で,いろいろな人に自分は支えられてきて. ことをめざしていると言おうとして. いるのだということ…(中略)…に,気づかせるというこ. ほしいものを買うことができる 得が必要である. いるのだと解釈できるのである。. とであります。…(中略)…。そして自分自身への気づき. また,従来の理科との違いに関する中野の説明も(従. の三つ目は,自分のいいところですね。自分が得意として. 来の理科が花のつくりなど観察者的知識の習得をめざし. いるところ,あるいは自分が興味関心をもっていること。. ていたのに対し,生活科は花壇にきれいな花を実際に咲. あるいは自分ができるようになったことを,実は取り上げ. かせられる知識・技能・態度を実際の活動を通して習得. て学習しようということです。…(中略)…それをみんな. させようとしているものだ)という具合に解釈できる。. にも先生にも認めてもらう。そうすることによって,一人. 生活科を学習指導要領及び中野の説明をもとに,この. ひとりの子どもにやる気と自信を育てていく。これが自分. ように解釈するとどのような契機配分をもった教科とし. 自身を学習内容とする三つ目のポイントであります。. て理解できるのだろうか。 客観的な社会システムの研究やそのシステム内の社会. 中野が 点目にあげたのは. 協調性. であり,. の育成であり,. 的役割を担った人々の行為の研究は,社会諸科学が対象. 点目は 感謝の気持ち. 点目は. 意欲. と. としてきたことである。また,花のつくりなど自然にあ. 自己有能性感 であった。これらはいずれも従来の 教. るものの研究,もの同士の連関の研究は自然科学が対象. 科 が教育内容として来なかった人格形成であり,生活. としてきたところである。生活科は,この部分の学習を. 科独自のものである。. 花壇に花を咲かせ. 以上,見て来たように生活科は,頭の耕し部分におい. られる という実用的なものに転換した。したがって,. ても,心の耕し部分においても,従来の教科とは異なる. いわば従とし,主たる学習の目的は 三契機のうち. 学問志向 の部分が著しく小さなものに. され, 実用志向. の部分が大きくされた教科だと言う. ことができよう。先に ざさずに 生活者. 観察者が獲得する知識. 実践者が獲得する知識. をめ. をめざす方. 向に転換した と述べたのは,この意味である。 それでは, 教育. 人格形成志向 の部分は,どうなっ. それ独自の教科目標 し,合科. 教育内容を生み出すことに成功. 新教科としての地歩を固めることができた。. これに対して,昭和 すめられた 合科的. 年版学習指導要領下で盛んにす 指導は,たとえば. 動物園にいこ. う という生活単元がつくられ,このなかに理科の指導, 社会科の指導,図工の指導,国語や算数の指導といった. ているのだろうか。結論を言えば,非常に大きなものと. ものを包摂していても,新教科ではないし 合科. なっている。以下,長い引用になるが,中野が生活科と. ない。それは,この単元に包摂された各教科のねらいが. いう教科が如何に子どもの人格形成に留意してつくられ. そのままのかたちで残されていたからである。. た教科であるかを強調している部分をその講演から抜き 出して示す 。. 合科. と. では. 合科的 ,両者の違いをイメージするた. めには,スープとサラダという比喩によるのが適切であ ろう。. 生活科の三つ目の特色であります。それは自分自身のこ. 合科的. という場合がサラダである。 合科的. に.

(8) ふるさと学習 の可能性. 構成された単元には,社会科という教科の目標がそのま. 理念型としての. ま,ちょうどミニトマトがそのままサラダに盛られてい. 総合的. るようにおかれている。また,理科という教科の目標が. 総合. と. 総合的. について. と. 総合的. の相違につい. と 合科的. 理念型としての. 総合. そのまま,セロリがサラダのなかにそのままのかたちで. て論ずる前に, 総合. 入っているようにおかれている。これに対して, 合科. べておかなくてはならない。両者は厳密に区別されな. としてつくられた新教科の各単元には,社会科や理科の. い場合もある。しかし,ここでは清水毅四郎にならい,. 目標はそのままのかたちでは残っていない。ちょうど. 合科的単元 という場合には,教科の領域内だけで,. スープのなかでトマトやセロリが他の野菜や肉,あるい. つまり複数の教科にわたって学習上の便宜から内容を. は魚などと一緒に溶け合って全く新しい味を出している. 寄せ集めてきたものを指すとする。これに対して. ようにである。したがって, 合科. と. 合科. の違いについて述. 総. である生活科の中. 合的単元 という場合には,教科,道徳,特別活動の. には社会科や理科,あるいは図工,国語等の目標はその. 全分野から内容を寄せ集めてきたものを指すとす. ままのかたちでは残っていない。. る 。. 社会科を例にとるなら,社会科という教科の重要な目 標である 社会認識の芽の育成. を生活科はとらず,子. どもが自分自身の役割を上手にこなすための(実践的) 知識や技能の習得を目標とした。 社会認識の芽 うミニトマトが,また 自然認識の芽. 総合. と. 総合的. 総合的な学習の時間. の違い の教育内容を,従来からあ. とい. る諸教科や特別活動などから一つのテーマのもとに寄. というセロリが. せ集めて来た場合,そしてその単元の目標が独自の目. 生活科という新教科のなかで溶融され,スープとして出. 標構成原理によるものではなく,従来の諸教科の目標. 来上がったものは,実践的な知識や技能を活動を通して. 等がそのまま目標とされている場合,それを 総合的. 活動. 習得するという目標とそれにふさわしい学習内容 であった。. な学習とする。それに対して,独自の内容構成原理と 編成原理によって. 社会科にあった のりものではたらく人たち. を例に. とるなら,それは,駅やあるいはバスで働く人々が連係. 総合的な学習の時間. を作成している場合,それを 総合. の教育内容. とする。. この二つの区別は, あくまで理念型的なものであり,. 協力し合って,乗客を安全に時刻どおりに運ぶ仕組みや. 現実に行われている 総合的な学習の時間. その仕事の工夫・努力を学ぶようになっていた。低学年. 通りのものばかりではない。また, 総合 の方が 総. に社会科が残っていた限りにおいては,つまり,その単. 合的 なものより優れている,あるいはその逆である. 元の学習が生活科という. 合科. のためではなく, 合. 科的 な学習で行われていた限りにおいては,その単元 の目標も学習内容も社会科のものがそのまま使われてい た。 合科的. 指導とは,既成のいろいろな教科を寄せ. 集め,そのときの子どもの生活上の必要に合わせて単元. は,この. という価値判断はこの区分には含ませていない。あく まで,現実を掴むための概念的なものでしかない。 要するに,本論においては,両者の相違を独自の組 織原理(目標構成原理と内容編成原理)を持つか否か においている。. をつくり,指導することだという立場に立つなら,それ 総合. でよいのである。 しかし, 合科. は既成の社会科のねらい. 理科のね. らいとは異なるねらいを持たなくてはならないという立. の目標構成原理とそれが担うべき独自の. 人間形成領域 総合. の目標構成原理は,大きく二つ,すなわち. 場に立つとき,合科的 な指導はできなくなり新教科 生. 子どもの内的必要性に基礎を置こうとするもの,社会. 活科 のようにそれ独自の目標を立てなくてはならなく. などの外的必要性に基礎を置こうとするものとに分け. なるのである。実際,生活科は たち に似た単元学習を. のりものではたらく人. ることができる。. 年生においたが,そこでは乗. 内的必要性に基礎を置こうとするものはさらに二. 客を安全に時刻どおりに運んでいる仕組みを学ぶことを. つ,子どもの興味・関心に基礎を置こうとするものと. 主たる目標とせず,子ども自身が電車やバスを利用して. 子どもの人格的成長に基礎を置こうとするものとに分. 目的地まで間違いなく行けるための知識・技能を実際の. けることができる。. 活動を通して学ぶことを主たる目標とし,それにふさわ しい学習内容と学習活動を盛り込んだのである 。. 外的必要性に基礎を置こうとするものは,環境問題 など現代社会が抱える問題に基礎を置こうとするもの と地域社会の担い手育成という点に基礎を置くものと に分けることができよう。 子どもの内的必要性に基礎をおくものは,目標構成.

(9) 吉 田 正 生. 総合 の目標は子どものどのような. 手段として生まれたものである。それは,学習の主体とし. そのた. ての子どもとはひとまず切り離したところに教えるべき内. めに最優先させるべきは何かについて基本的考え方は. 容がまず存在するという考え方,いわゆる本質主義の立場. 示せても,事前に学習内容を示すことはできない。一. に立つ。…(中略)…。. 原理,すなわち. 力を伸ばすことを目指して設定されるべきか. 人ひとりの興味・関心の,そのときどきの対象こそが. 我々が通常,総合学習という場合,そこにはすでに教育. 学習内容とされるべきものだからである。それを事前. の原理としての子ども中心,個性重視が含み込まれてい. に予測することは不可能であり,予測して,学習内容. る。ならば,必然的に総合学習では,子どもが知識を生み. をたとえ枠程度のかたちでも設けておくということ自. だし,あるいはその意味を形成していくという構成主義的. 体,論理矛盾になるからである。. な知識観を採ることになるだろうし,何かへの準備ではな. したがって,内的必要性による場合,学習内容の領 域は個々人の発達を保証する限り無限定となる。これ は, 世紀終わりから. 自ずと浮かび上がってこよう。. 世紀初頭のアメリカにみられ. たちの内容編成原理とも異なるも. た. く,子どもたちの今の生活の拡充を目指すという目標論が. 要するに,真の. 総合. は教科とは異なる目標構成原. のである。彼らも児童の発達段階を大切にしなくては. 理を持ち,それは個々の子どもの興味・関心だというの. ならない,またその興味・関心に基づいて学習内容を. であり,そうでないものは 総合. 構成しなくてはならないと主張したが,. いうのである。しかし,では何を内容枠にするかの示し. と呼ぶべきでないと. をはじめとして,彼らは人類全体の発展段階が. は全く行われていない。奈須にとって知識とは子どもた. 個々の子どもたちにおいても繰り返されるという信念. ちの学びのなかで創られていくべきものであり,事前に. を抱いており,幼年の子ども期は人類史でいえば. 示し得るものではないのである。. “. ”に該当するから,それにふさわしい. 学習内容を提供すべきであると考えていた。 すなわち,. こうした主張に基づいた実践として,北海道教育大学 附属釧路小学校の 総合自由学習. を挙げることができ. たちには,内容枠. る。同校の研究物には,低学年,中学年,そして高学年. たち人文. いずれの教育内容策定方針を見ても,子どもたちの興. 主義者たちを(幼い子どもたちにも西欧文明の遺産を. 味・関心から出発するということが書かれているが,最. 伝達するための学習内容を設定することは非科学的で. も端的に表現している中学年部会のものを紹介する 。. 少なくとも初期の があったのである。彼らが,. あると言って)非難するとき,その背後には今述べた ような個体と種の発達の対応関係に対する信念があっ. してみたいことは何でも挑戦することのできる時間. たのである 。 これに対して,我が国において内的必要性を目標構 成原理だとする論には,そのような内容枠の示しはみ. であること この学習時間は. 年間. 時間であること. この学習時間は,自分の学習を,自分で作り上げ. られないのである。 先ず理論レベルでは,カリキュラムは. 総合自由学習の時間は,自分がやってみたい,試. 月. 日,子. る,自分の時間であること. どもたちの活動が終わった時点で初めて完成するとい う主張を持つ奈須正裕のいうところをみてみよう。奈 須は,次のようなことを書いている 。. やはり, ここにおいても学びの内容は子どもたちの 自 分がやってみたい,試してみたいこと によって決定さ れるのであり,教師が事前に設定することは不可能なも. 教科と教科を混合することによって,一見総合学習のよ. のなのである。. うに見える学習を構成することは可能であるし,それなり. 以上,見たように,子どもたちの内的必要性を目標構. の意味もある。しかし,それを本来的な意味での総合学習. 成原理にすべきだという理論レベルの主張,そしてそれ. とは考えないほうがいい。総合学習に対する本質的理解を. を具現化している実践があるにも関わらず,現実に各学. 誤る原因にもなりかねないし,学校での教育課程の開発に. 校で創られ 実践されている. 際しても大きな混乱を生みだしかねない。…(中略)…。. な学習は,外的必要性を内容編成原理とし,内的必要性. ではなぜ,両者を区別すべきなのか。それは,表面的に. はそれより従の指導過程構成原理にとどめられている場. いくら似ていようとも,カリキュラムの編成原理が異なる. 合が多い。たとえば,子どもたちの興味・関心から地域. からである。. の川に遊びに行き. 教科とは,人類が築いてきた学問や芸術,科学技術,倫 理などの文化遺産を次世代に伝えるという教育課題の実現. 総合. ないし. 総合的. その川の汚染に目を向けた子どもの. 問題意識を梃子にして環境問題へと進み. さらに地域社. 会をきれいにするための清掃活動に取り組むかどうかを.

(10) ふるさと学習 の可能性. 話し合い し. その結果ボランティア活動を行うことに決定. 磨光小学校の. 実際の取り組みを通して子どもの人格形成まで図. る,という学びの展開過程をとる場合が多くみられる。. ふるさと学習. ねらいと指導計画 ふるさと学習. 磨光小学校の. について,同校の研. この展開過程は,要するに子どもたちの興味・関心を手. 究紀要には,次のような二つのねらいが挙げられてい. がかりに環境問題という外的必要性から設定された学習. る 。. 内容に進み,現代社会の問題に取り組ませるというもの 子ども一人一人の思いや願いをもとに,ふるさ. である。. とを学習素材とした問題解決的な学習と体験的な. このようになるのは,先にも述べたが,内的必要性と. 活動を主体的・創造的に行う。. いう目標構成原理では事前に学習内容を設定し,年間計 画を立てることが不可能だからである。一人ひとりの子. 地域や学校の特色を生かしながら,ふるさと南. どもの思いを大切にし,しかも子どもたちの興味・関心. 茅部町の自然,産業,社会,文化,施設,人など. を最優先させるというのでは,そもそも事前に学習内容. に焦点を当て,子ども一人一人が自らの学習課題. を決定しておくこと自体が論理矛盾になる。せいぜい,. を持って,生き生きと活動に取り組む子の育成を. 学校の近くの森を素材にする等,漠然とした大きなト. 目指す。. ピックを決定しておくことしかできないのである。 年間計画は,教師にとっては海図であり羅針盤である。. 要するに,学習内容が. 南茅部町の自然,産業,社 とされ,学習活動が. 問. これを持たず教育活動という海に乗り出していくのは,. 会,文化,施設,人など. 不安なのである。したがって,目標構成原理のなかに事. 題解決的 なもの. 前に学習内容を示しうる契機が既に組み込まれている. り,その結果 自らの学習課題を持って,生き生きと. 外的必要性に基礎を置いた教育内容編成. がとられや. すい。. 体験活動 を主としたものであ. 活動に取り組む子の育成. が, ふるさと学習. にお. いてめざすものとされているのである。. 外的必要性に基づく 総合. づくりは,このように教. で育てたい力 という項目が設けられて. 師に事前に計画を立てさせることを可能にし,安心感を. (生活科). 与えるものたり得ているが, 一つ問題がある。 それは,総. おり, 活動への関心・意欲・態度. 合的 ではなく. 判断. 総合. たり得るために独自の目標構成. 原理の創造を各学校に要求することである。ところが, 文部科学省は. 総合的な学習の時間. てもよいし 総合的. 総合的な思考・. 総合する力(気づき). といった四つの目標項目が掲げられている。前三者は, その内容から見ると他教科等の目標と何ら変わるとこ. で行ってもよいとしたため,各教. ろがない。ただ, 総合する力(気づき) に掲げられ. 総合 独自が担うべき. たものだけが下に見るように,従来からの教科等の目. 人間形成とは,頭の耕し 心の耕し. 総合. 総合的な技能・表現. で行っ. 科,道徳,特別活動とは異なる. を. ふるさと学習. しかし,上述のねらいとはまた別に. 実践力の育成それ. 標と異なる。また, 自らの学習課題を持って,生き生. ぞれにおいてどのようなものなのかを追究する必要がな. きと活動に取り組む子の育成 というねらいも, ふる さと学習 独自のものとは言えない。理科や算数など. くなったのである。 道内のへき地校の多くで行われている ふるさと学習 は,整序するなら. 総合 のための目標構成原理をわれ. 他教科のねらいとしてもおかしくないものである。 したがって,繰り返しになるが. 総合する力(気づ. われに付与してくれるものである。南茅部町立磨光小学. き) に掲げられたもの だけが. 校の ふるさと学習. 自の目標構成原理であり,且つその目標を受けて学習. の公開研究会に参加して,そのこ. とを強く感じさせられた。. 総合. としての. ふるさと学習 ふるさと学習. ふるさと学習. にとどまらず, ふるさと. 総合 となりうる可能性を持ってい. ることを論ずることにする。. 低学年. ふるさとのよさに気づく子. 中学年. ふるさとのよさを理解し,考える子. 高学年. ふるさとのよさを理解し,進んで活動. を紹介し,. 次いでそれが 総合 でありうることを示し,さらに磨 学習 そのものが. 独. 内容を編成するときの原理となるものである。. 本章では,磨光小学校の 光小学校の. ふるさと学習. する子 ただ, ふるさとのよさ. のみを目標構成原理とし. て掲げることは,後述する理由によって妥当とは思わ れない。 さて,それでは. ふるさと学習. の単元の構成方法. は,どのようなものなのだろうか。磨光小学校によっ てあげられているものは. 教科発展型. 学校行事発.

(11) 吉 田 正 生. 展型. 日常生活発展型 教科発展型. の三つである。. に特殊な事情. 問題を(必ずしも,いま・ここでとい. は,教科学習で学んだことのうち,. うことではなく)解決するのに必要な基本的知識や視. 特に興味を持ったものをさらに深く学ぶというかたち. 角を習得させるために設けられたものなのかが明らか. で学習を発展させるものである。たとえば社会科で南. ではないのである。地誌的な視点で設定されたとする. 茅部町の先人が自分たちのくらしを高めるためにどの. なら, ・. ようなことをして来たかを学んだ後,それでは将来,. 道府県の学習)と何が異なるのか,どのように差異化. 南茅部のくらしをさらによいものにするためにどのよ. するのかが明らかでないのである。. うなことが考えられるか,それは実現可能なのかとい. 南茅部は,漁業の町である。上下二巻からなる 茅部町史 では下巻に. う具合に学習を進めていく。 また, 学校行事発展型. 年生の社会科における地域学習(市や都. は,学校行事を出発点に. 第七編. 商工業. 観光. 三内丸山遺跡に行き,それをきっかけに南茅部にある. はない。漁業は,上巻に 第六編. が始まるというか. たちになっている。 思い・願い. 表現活動. 鉱. 漁業. とあり,産. 業とは別に編扱いになっているのである。 それによれば,この地の漁業開拓の先駆者は初代飯. こうした学習のプロセスを磨光小学校では 関心. 林業. の五つであり,漁業という項目. 業. ふるさと学習. があるが,そ. こに取り上げられているのは 農業・牧畜. したものであり,たとえば,修学旅行で子どもたちが 遺跡に興味を持ち. 産業. 南. 課題設定. 発表・評価. 興味・. 課題追究. とした。. 田屋与五左衛門であり, 彼は 尾札部の八木浜の鰯(鰮) の群来をみて,漁場の将来性を確信して,この地に来 住したと伝えられている. 。現在の漁業の様子につ. 同校の研究紀要には事例紹介が行われていないが,. いて,小学校中学年向けの社会科副読本には次のよう. 日常生活発展型. に書かれている 。. も同様のプロセスを辿るものと思. われる。 海に網をしかけて,マグロやサケなどが,網に入る その問題点 磨光小学校の. 定置網. のをまってとる ふるさと学習. は明確な単元構成原. や,海の中に網をはり,ス. ケトウダラなどが網につきささり,にげられないよう. 理を持っているが, 次の二つの点において問題である。. にしてとる さし網. 一つは, ふるさとのよさ. をとっています。魚のほかに,コンブ,ウニ,タコ,. だけを学びの内容とする. 単元構成原理であること,今一つは. ふるさと学習. のスコープとしてあげられた 自然. 産業. 人. その他. が. エビなどもいろいろな方ほうでとっています。 文. ふるさとのよさを理. この記述の後に挙げられているグラフによってみる. 解し,考える子 などの単元構成原理とどのような連. と,漁獲量はいか,いわし,スケトウダラ,ホッケ,. 関性を持っているのかが明記されていないことであ. サバ,昆布,その他の順に多い。漁獲高(金額)は,. る。またシークエンスの発展原理も明らかでない。つ. 昆布 が圧倒的に多く. まり,カリキュラム組織原理の二つの契機である目標. いか,すけとうだらなどがくる。. 化. 施設. 社会. などの方ほうで,たくさんの魚. 構成原理と内容編成原理の連関性が明らかにされてい ふるさとのよさ. 人。町のホームページによれば,. 人口はおよそ 就業人口の約. ないのである。. %程を占め,それに続いて,. %が漁業と何らかの関係を持ってい. だけを学びの内容とするとき,. る。南茅部の沖合いの海ではマグロまでとれ,豊かな. ふるさとを多角的に見ることができなくなる可能性が. 漁場が広がっている。その豊かな漁場を保証している. ある。どの地域もよいことだけが存在するわけでなく,. ものは,南茅部町の山々に残る森である。森の栄養が. 何らかの厳しい現実を抱えているものだからである。. 川によって海に運ばれ,プランクトンの多い海が多様. 南茅部町の場合も人口減に悩まされているという現実. な魚種を保証し, また大量の魚を育んでいるのである。. がある。ふるさとをよりよいものにする力を子どもた. そしてその豊富な魚が,南茅部町の人々のくらしを保. ちにつけたいのなら,問題点も学習内容とする必要が. 証する一方,人々のくらしの在り方は文化的にも経済. あるだろう。. 的にも主産業である漁業によって大きく規定されてい. さて上述したように, 自然. 産業. 社会. 文化. などのスコープ上の各項目が一体どのような根拠に. る。 南茅部町の人々の在り方をより深く理解し,その特. よって設定されたのかが明らかではない。 ふるさと. 性を反映した事情. 問題を解決するのに必要な基本的. を多面的に理解するためにごく一般的な観点,すなわ. 知識や視角を習得させるためには,この地域システム. ち地誌的な観点から選ばれたのか,それとも南茅部町. を理解させることが不可欠である。また,そうした地.

(12) ふるさと学習 の可能性. 域システムの中でよりよいくらしの在り方を求めて活. 働きかける ふるさと学習 を通して,子どもたちは, ふ. 動してきた人々の知恵と技能を学ぶ必要があろう。. るさと南茅部町. のよさや素晴らしさに気付いたり,見つ. さて,南茅部には縄文遺跡が豊富にある。道内とし. め直したり,さらには,将来にわたって ふるさと を愛. ては温暖な気候と,豊かな海と山に囲まれたこの地は. し,切り拓いたりする力を身に付けることができるであろ. 縄文の人々にとってくらしやすかったのであろう。縄. う。. 文時代早期から晩期にかけておよそ. 千年もの間,文. 化が栄え,発掘された遺跡からは,当時の人々のくら. また,この究極目標は,前節で導き出した磨光小学校. しを物語る貴重な遺物が出土している。漆器やヒスイ. ふるさと学習. の加工が行われていたことを示す遺物も出土している. の目標構成原理及び内容編成原理に組. み込んだの二つの視点. し,接着剤にアスファルトを利用していたこともわ. ・地域の自然システムの理解. かっている。しかもヒスイは新潟県のもの,アスファ. ・地域システムの中でよりよいくらしの在り方を求め. ルトは秋田県のものであることが判明しており,これ らの地方と交易が行われていたことも明らかになって いる 。現代のことではないが,これも地域に生きた. て活動してきた人々の知恵と技能を学ぶこと これらとも整合的である。 ふるさとを愛し. ただし,究極目標中にある. の語句. 人々がよりよいくらしの在り方を求めた結果行き着い. にとらわれて,ふるさとへの愛情を育むことをめざすあ. た知恵と技能であろう。. まり,地域や町が抱える問題点など負の側面を学習内容. ふるさと学習. 磨光小学校の. の目標構成原理及び. から外すなどということはしない。 ふるさとを切り拓 く力 の醸成を最優先事項とし,目標を構成し内容を編. 内容編成原理に次の二つの視点. 成する。. ・地域の自然システムの理解 ・地域システムの中でよりよいくらしの在り方を求. それでは,この究極目標に到達するために,低学年. めて活動してきた人々の知恵と技能を学ぶこと. 高学年までのそれぞれの段階で何をテーマとすべきか。. を明瞭に組み込んでいくことによって,その. ふるさ. と学習 は,磨光小学校特有のものとなり,その 究紀要. 中にある. ふるさとを切り拓く力. 研. をつけ. 以下,低学年からテーマを述べていく。ただし,これは あくまで作業仮説であり,その妥当性は教育実践を通し て検証されるべきものである。. させたい は,単なる飾りの言葉ではなくなる。 を見て明らかなように. シークェンスも,巻末資料. 低学年における. ふるさと学習. 独自のものによるというよりは,主として社会科の. ふるさとを愛し,切り拓く力 を醸成するために,. シークェンスにしたがっているように思われる。それ. 低学年においてはふるさとの自然に浸りきり,そのな. は従来からの教科,あるいは特活などを始点として ふ. かでの遊びを通して数々の楽しい思い出をつくってお. るさと学習 が始動するという指導過程をとっている. くこと,地域のさまざまな行事(お祭りなど)に参加. ことによるであろう。. して人々とのふれあいを通して,地域のきまりを学ぶ. ふるさと学習. を. 総合的. なものにとどめるつ. もりなら,独自のシークェンスは不要であろう。しか. とともにやはり楽しい思い出をつくること,これをス コープの編成原理としたい。. にまでするつもりならスコープのみなら. 要するに,ふるさとの自然 人々とのかかわりの中. ずシークェンスにおいても独自のものが必要となる。. での自分づくり(思い出ときまりを核にした)が低学. し, 総合. 年のテーマであり,スローガン的に表現すると 磨光小学校. ふるさと学習. ふる. さとあそび大さくせん となる。. の改訂案. 先ず,磨光小学校の ふるさと学習 の究極目標を ふ. このテーマは現在,磨光小学校が行っているように 参. るさとを愛し,切り拓く力 としたい。これは磨光小学. 生活科の中で十分に行えるであろう(巻末資料. 校の研究主題から抜き出した言葉であり,従来からある. 照)。したがって,これについてのスコープの組み替. 教科等の究極目標とは異なるものである。したがって,. えは行わない。但し,スコープの上位枠として ふる. 磨光小学校の ふるさと学習. をそれ独自の目標構成原. 理 内容編成原理を持ったものとし得るものである。 磨光小学校の. 平成. 年度. 研究紀要. には,次のよ. さとの自然とのふれあい. ふるさとの人々とのふれ. あい を設ける。さらに,現在の磨光小学校のスコー プにある. 自分の成長. も上位枠に移す。. うに書かれている。 中学年における 自らの思いや願いをもとに自分の生活を見つめ,地域に. ふるさと学習. 中学年のテーマは, ふるさとのめぐみ. とし,次.

(13) 吉 田 正 生. の三つを学習内容とする。. 縄文時代の遺跡が豊富にあることを生かし,社会科. ふるさとの海のめぐみ(そしてその利用法) ……. 年生. における縄文時代の学習の発展として,南茅部町に 生きていた縄文人の知恵や技術の高さを学ぶ。した. 社会科の発展学習とする。社会科で昆布漁等で暮. がって,野焼きなどの学習をする場合も,輪積み法. らしている人々の工夫と努力を取り上げ,そこから. などの技術をはじめから教えず,児童に試行錯誤さ. 発展させて昆布でいろいろな食べ物をつくって食べ. せたあと教えるといった学習プロセスを取り入れた. てみるという学習に発展させる子どもも出てくるだ. い。 ふるさとに生きる人. ろうし,昆布漁以外の漁業について追究をする子ど ・. もも出てくるであろう。また,昆布養殖法に興味を. ……. 年生. 年生いずれも社会科の発展学習である。. 持って理科的な学習に進む子どもも出るであろう。. 年生は産業学習の発展として,. さらに,ふるさとにある他の海藻や魚に興味を持っ. 発展として位置づける。. 年生は政治学習の. 年生の産業学習では地域の特性上,水産業の学. て詳しく調べる子どもが出るかもしれない。 このとき,やはりふるさとの人々と子どもたちが. 習に力点が置かれよう。可能ならば児童を漁船にの せるなどして実際に働いている様子を観察させた. 触れ合う機会を多くするように心がける。 また, 海のめぐみのなくなる日. ・. というお話を. つくらせることで,環境保全の大切さに気付かせた. い。また,実際に魚を捕まえるなどの体験活動を行 わせたい。. い。 ふるさとの山のめぐみ(同上)……. 年生. 特別活動の発展学習である。木の実ができる頃, 山に行きさまざまな木の実を採集してだんごをつ. 高学年のスコープ編成原理は きた人々. ふるさとを築いて. 支えている人々の知恵や技術に学ぶこ. である。. と. くったり山ぶどうのジュースをつくったりして山が 恵みをもたらすものであることを実感させる。可能. 全学年を通じた. なら,春,山菜が採れる頃にも山菜採りに行き,採っ. 以上,低学年から高学年までの取り組みを述べて きたが. て来た山菜を調理して食べる。 また, 山の神がいなくなる日. というお話をつ. くらせることで, 環境保全の大切さに気付かせたい。 ふるさとの海と山をつなぐ川……. 年生. ふるさと学習. として全校で取り組むべき. ことがある。それは,自治活動という実践力の伸長 をめざしたものであり,且つ ふるさと. の文化を. 継承する活動でもあり,さらに 身体の鍛え. 理科の発展学習になるであろう。川の水が山の栄 養を運び,そのためにふるさとの海が豊かでよい漁. をめ. ざした活動でもある。郷土芸能の伝承活動がこれに あたる。. 場となっていることを理解させる。 千と千尋. ふるさと学習. 南茅部町の郷土芸能には,ポン木直大漁神楽(大. など,川の汚染を扱った映画等を鑑. 正. 年から始まったもの),大漁太鼓(これは,昭. 賞し,ふるさとの川を汚染されているかいないかと. 和 年の南茅部町漁業開拓三百年記念事業のなかで. いう視点から見る必要のあることに気づかせ,実際. 実現したもの),安浦駒踊り(桧山騒動にからむ南. に水質調査の活動を行う。. 部藩士の闘争,勝利凱旋の様子を踊りで表現したも のであり,南部地方より明治時代に当時の安浦地区. 要するに,中学年のスコープ編成原理は. ふるさ. との自然がそこに住む人々にどのような恩恵を与え. に伝えられたもの)などがある 。 こうしたもののうち, 身体の鍛え. という条件. ているのかを知ることであり,その恩恵を受け続け. を充たすものを選び出し,その練習を縦割班の自治. るためには何をしなくてはならないか 何をしては. 活動によっておこなうことによって民主主義社会に. いけないかを,頭の耕しという側面からもまた心の. おける実践力の伸長を図ることができる。. 耕しという側面からも理解させること である。 ふるさと学習 高学年における. ふるさと学習. 高学年のテーマは, ふるさとに生きた人. 生き. る人 とし,社会科からの発展学習とする。 ふるさとに生きた人. におけるシークエンスの原理. 低学年で,ふるさとの人々の間にあるきまりを学. …… 年生. これは歴史学習からの発展である。南茅部町には. びながらふるさとの自然の中で思い切り活動をし, 多くの人々と触れ合うことによってたくさんの思い 出をつくる。中学年では ふるさと. の自然がもた. らしているめぐみとは何か,そのめぐみがどのよう.

(14) ふるさと学習 の可能性. な自然の仕組みの中で生み出されているのかを学ぶ ことによって,自分が浸りきっていた自然を対象化 してみるという具合に,自然への無自覚なひたりき り状態から観察. (註と引用文献) 南茅部町立磨光小学校. 研究対象へと発展させている。. 中学年段階まででは, 総合. としては社会をそ. 同上。. してそれを支えている人々を本格的に学習対象とし. 文部省. ていない。児童に自己の進路を考えさせることも含. 同上書,. 頁。. めて, ふるさと. にいる人々の知恵や技術を体験. 同上書,. 頁。. 的に学ばせ,自分がどのようなことに向いているの. 同上書,. 頁。. か,自分は何をしたいのかを考えさせようとしてい. 同上書,. 頁。. 同上書,. 頁。. るのが,高学年の. ふるさと学習. である。. 小学校指導書. 山住正己 以上述べたことを簡潔に表現すると, ふるさと学 習 のシークェンス原理は次のようになる ・自然. 社会への没入. 自然の対象化. 年度 研究紀要 ,. 音楽編 ,. 子どもの歌を語る. 文部省. 唱歌と童謡. 小学校指導書. 家庭編 (平成元年. 月),. 頁。 田部井恵美子,中村秀子,中村公子,畠山歌子(編. また,全校取り組み事項のシークェンス原理は. 家庭科の教育と授業研究. 著). ・. 易から難. 社,. ・. よきフォロアーからよきリーダーヘ. 同上書. である。. 学術図書出版. 頁 ただし,括弧内は引用者による。 執筆者は,田中陽子(北海道教育大学岩見. 沢校助教授) 。 文部省小学校課・幼稚園課編集 (昭和. おわりに. 年. 月号),. 頁. 初等教育資料 但し,下線は引. 用者による。. 本論では,磨光小学校の ふるさと学習 を取り上げ, 総合. 頁。. 岩波書店(岩波新書) 。. 社会の対. 象化 自己の探究。. 平成. 頁。. になるように独自の. 総合的な時間. のための. 生活科. 移行措置のポイントはどこか. カリキュラム組織原理を目標構成原理と内容編成原理に. 年. 分けて示した。内容編成原理はさらにスコープとシー. 中野重人. 月号) ,明治図書. しかし,具体的な単元の開発は行っていない。本論で. 中. (. 但し下線は引用者による。. 生活科の基本的性格とその課題 ,. 授業研究. クェンスに分けて,その原理を示した。. 対談. 新見謙太 , 学校運営研究. 野重人. (. 年. 月号臨時増刊),明. 治図書 但し,括弧内は引用者による。. 示したカリキュラム組織原理によって,実際の単元が構. 生活科には,. 世紀初頭に生まれたドイツの合科学. 成できるかどうか,そしてそれが子どもたちの育ちにど. 習や児童中心主義の教育思想などの伝統も流れ込ん. のような影響を与えるか,それを見取ることができるの. でいる。したがって,理科と社会科との相違を論じ. は,磨光小学校の教師集団だけである。本論が,磨光小. るだけで生活科の特性をすべて論じたことにはなら. 学校の教師集団にどのように判断されるか,審判を待つ. ない。上に述べたことはあくまで理科,社会科との 違いを際立たせることを目的としている。. ような気持ちである。 また,本論では,地域の(自然)システムのとらえが. 清水は, 合科的な指導と総合的な指導 ,それぞれ. ふるさと学習. について次のように書いている(清水毅四郎. には不可欠であることを示したつもり. である。しかし,道内のさまざまな学校における. ふる. 合科・総合学習と生活科. 黎明書房) 。. さと 学習のなかには,本論のカリキュラム構成原理と. ・これ(合科的な指導)は,くり返すように,学習. は異なったものに立ち,すばらしい成果をあげているも. 指導要領の各教科の目標や内容のみを前提にし. のがあるかもしれない。そうしたものから多くのことを. て,合科的な取扱いに適した単元を設定・構成す. 学ぶためにも,道内における. ふるさと学習. の実態を. 探っていく必要があり,そのためには先ず資料を収集す るところから始めなくてはならない。 本論は, ふるさと学習 しかない。. 研究の“はじめの一歩”で. るというものである。 (. 頁. 但し,括弧内は引. 用者) ・これ( 総合的な指導 )は,教科のみに限定せず 道徳もしくは特別活動の目標や内容の(一部)を 取り入れて単元を設定・構成するものである。 (. 頁. 但し,括弧内は引用者).

(15) 吉 田 正 生. 奈須正裕. “教科と教科を混合する”タイプ ,. 生活科と共に総合的学習を創る 月号,. ,. 年. 頁(但し,下線と括弧内語句は引用者に. よる),明治図書。 北海道教育大学附属釧路小学校 からの発信. 総合自由学習 , 頁,明治図書。. 南茅部町立磨光小学校 要 ,. 北国の子供 平成. 年度. 研究紀. 頁。. 同上, 頁. なお,巻末資料. 活科) 実践マトリックス. ふるさと学習(生. 参照。. 低学年には, ふるさと学習 は設けられておらず, 生活科の一部がそれに当てられている。 同上, 頁. なお,巻末資料. 活科) で育てたい力. 参照。. 南茅部町史(上)( わたしたちの町. 年) ,. 南茅部 (. 南茅部町でとれる昆布は るため 白口浜真昆布 たしたちの町. ふるさと学習(生 頁。 年) , 頁。. 切り口が白い色をしてい と呼ばれ,最高級品 ( わ. 南茅部 ,. 頁)とされている。 南. 茅部町史(上) を読むと,白口浜真昆布が既に江 戸時代から,最高級品として,京,大坂,江戸など で取り引きされていたことがわかる。 南茅部町教育委員会発行のパンフレット. 縄文. 悠. 久の時を超えて より。 南茅部町史(下)(. 年)による。なお,現在,. 磨光小学校の子どもたちは,大漁太鼓とソーラン節 に取り組んでいる。しかし,ふるさと学習の中に組 み込まれてはいない。これを ふるさと. の文化伝. 承という意味からとらえ直し, 総合 としての ふ るさと学習 のなかに位置づけたい。.

(16) ふるさと学習 の学習領域は. 年. 危険がいっぱい. ぼくたちの海は宝物 環境). 年. 年. ふるさと南茅部の海. 然. 年. 自. いきものたんけんたい. 年. ふる さと. ふるさと文化公園をも っと知ろう 秋で遊ぼう. 季節の変化. 年. 生活科. 業. 会. 化. 南茅部のおまつり. 文. いいと,いっぱい南茅 部. 縄文人になってみよう. 地 域 特 派 員 に な ろ う 発信・キラリ放送局 情報). ぼくらの学校の秘密. ぼくらの学校のまわり. 社. び. 年後のわが. 設. ふるさとの遺跡を調べ よう. どうなる 町. 施. 学校と生活 公共施設. 南茅部のお年寄り 祉). ぼくらをささえる人. 人. 名人になろう. 福. とっても大好き,楽し い家族. 家庭と生活. 自分の成長 動植物の飼育. そ. の. 他. おもいでのアルバムを 作ろう. 領域 とするが,国際理解,情報,環境,福祉・健康などの横断的・総合的な課題についても,積極的に関連をもたせたい。. ぼくたちの宝物で元気 になろう. ふるさと特産品のコン ブ. 産. ぼうけん,はっけん, 町たんけん. 遊. ふるさと学習 生活科)実践マトリックス. 地域と生活. 資料. ふるさと学習 の可能性.

参照

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