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アメリカ社会における司法審査制度の機能論(1)

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(1)Title. アメリカ社会における司法審査制度の機能論(1). Author(s). 籾岡, 宏成. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 67(1): 65-72. Issue Date. 2016-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/8043. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第67巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 67, No.1. 平 成 28 年 8 月 August, 2016. アメリカ社会における司法審査制度の機能論⑴ 籾 岡 宏 成 北海道教育大学旭川校法律学研究室. The Role of Judicial Review in American Democracy, Part 1 MOMIOKA Hironari Department of Law, Asahikawa Campus, Hokkaido University of Education. Abstract In the United States of America, the concept of “democracy-assisting judicial review” challenging Alexander Bickel’s “countermajoritarian difficulty” is a theme that has recently been debated in normative constitutional scholarship. By summarizing and introducing arguments of several advocates for democracy-assisting court, including Corinna Lain, this Note contends that the Supreme Court of the United States has the ability to offset or compensate for deficits in the implementation of democracy in the other branches of government, especially in the context of American political gridlock and polarization.. Ⅰ.はじめに Ⅱ.民主主義を促進する司法審査制 1.プロセス理論による司法審査 2.さかさまの司法審査 3.多数者主義の司法審査 4.次善の策としての立憲主義 5.批判. Ⅰ.はじめに 多数者による少数者の不当な支配という危険な面も孕む民主主義社会においては,少数者が代表者を送り 出して議会を通じて自分たちの権利の立法化を実現することには,「数の論理」からすると極めて大きな困 難が伴う。そのため,個別具体的な権利侵害を訴えることで,裁判所を通じた法実現を目指すのがより現実 的である場合が多いとされる1。そして,特定の法令によって少数者の人権が侵害されていたとの主張を裁. 65.

(3) 籾 岡 宏 成. 判所が認めた場合,違憲立法審査(司法審査)制度のある国においては,選挙によって選出されたわけでは ない裁判官が,国民の代表である議会が制定した法律について,憲法に違反するとしてこれを無効にするこ とが可能である。 これが司法審査についての一般的な説明であり,この制度を有するどの国においても,少なくとも理念的 には概ねあてはまることであろう。この思考の枠内で捉えたとき,非民主的であるとされる裁判所という機 関が,民意を反映しているはずの立法府の制定した法律を無効とすることが果たして許されるのかという問 題が浮上するのはごく自然なことであった。これは特に20世紀アメリカの憲法学の泰斗であるアレクサン ダー・ビッケル2によって「反多数者主義という難点(countermajoritarian difficulty)」という表現を与え られて以来,司法審査と民主政の関係をどう捉えるのかという議論が長年にわたって展開されてきた。 ところが,近年になり,とりわけアメリカにおいて研究蓄積の厚いこの分野においては,この問題設定自 体に対する検証がなされる中で,司法審査制度を有する最高裁裁判所にどのような社会的機能を持たせるべ きなのかが, 憲法学(法律学)のみならず政治学の立場からも盛んに議論されるようになってきた。そして, 司法審査を行使することによって,他の政治部門による民主的過程の欠陥を逆に司法府が解消ないし補うと いう側面を強調する,「民主主義を促進する司法審査制」という主張も展開され,注目を集めている。 本稿は,こうしたアメリカでの学説の状況を整理し,違憲立法審査が活況化していると指摘されているわ が国での議論に対して3,示唆できるところを検討することを目的とする。もちろん,アメリカでの論争とは 議論の土壌が全く違うということは言える。しかし,だからといってこうした議論が全くの対岸の火事とい うことになるかといえば,決してそうではない。違憲立法審査権の及ぶ範囲,その形態(司法積極主義か司 法消極主義か)といった司法権の本質部分を考察する中で,アメリカの議論は極めて重要な示唆を与えてい るように思われるからである。. Ⅱ.民主主義を促進する司法審査制 ビッケルは,司法審査は多くの問題を抱えた制度であって,多数者の意思を不可避的に遮断するものであ ると主張した。すなわち, 「ある立法行為や選挙によって選ばれた執行府の行為を,合衆国最高裁が憲法違 反であると宣言する場合には,現実に存在する人々…の代表者達の意思に沿わない行動をとっていることに なる。つまり,最高裁は支配的な多数派を代表してではなく,それに逆行する形で支配権を行使しているの である」4。このいわゆる「反多数者主義の難点」という問題意識は,何十年にもわたってアメリカの規範的 な憲法理論を支配し,司法審査の問題を考える際にはいわば不動の出発点として機能してきた5。そのため,. 1  See e.g., Scott L. Cummings, Empirical Studies of Law and Social Change: What is the Field? What are the Questions?, 2013 Wis.L.Rev. 171; David A. Schultz,. ed.,. Leveraging. Joseph E. Luders, The Civil Rights Movement. and the. the. Logic. Law: Using. of. the. Courts. to. Achieve Social Change (1998);. Social Change (2010).. 2  ビッケルの来歴および主要な業績については,駒村圭吾他編『アメリカ憲法の群像 理論家編』33-56頁(尚学社,2010 年)を参照。 「反多数者主義という難点」については,棚瀬孝雄編『司法の国民的基盤 日米の司法政治と司法理論』棚瀬 孝雄「司法制度改革と市民の法主体性」31-34頁(日本評論社,2009年)も参照。 3  最近のわが国の最高裁が相次いで法令違憲判決を出している点については,宍戸常寿「最高裁と「違憲審査の活性化」 」 法時82巻4号57頁(2010年),佐藤岩夫「最高裁判所は変わったか」法時82巻4号46頁(2010年) ,滝井繁男「わが国最高裁 判所の役割をどう考えるか」法時82巻4号50頁(2010年),見平典「最高裁判所をめぐるポリティクス――20世紀後半にお けるアメリカ連邦最高裁判所の積極化の背景と日本への示唆」法時82巻4号63頁(2010年)などを参照。 4  See Alexander M. Bickel, The Least Dangerous Branch: The Supreme Court. at the. Bar. of. Politics 16-17 (1962).. 5  「反多数者主義という難点」を憲法学・政治学の観点から多角的に論じた比較的最近の著書として,Kenneth D. Ward. 66.

(4) アメリカ社会における司法審査制度の機能論⑴. 実際には裁判所が民主制を促進し多数者意思を反映しているという,ビッケルと正反対の概念は予期されな いところであって,そうした主張をするには相当の論証が必要とされる。以下に示すのは,裁判所の「民主 主義促進機能」論を有力に展開している最近の論者たちによる論稿の簡単な要約である。 1.プロセス理論による司法審査 アメリカ民主制の機能不全を裁判所がいかにして改善していくかという議論の嚆矢となったのは,ジョ ン・ハート・イリィのいわゆる「プロセス理論」である6。司法審査制度の役割を民主過程是正ないし代表民 主主義補強に見出す彼の理論の主眼は,合衆国最高裁の唯一と言ってもよい合法的な役割は民主的過程にお ける機能不全を正すことにあるという議論である。最高裁は,多数者の意思に反する実体的な価値を押し付 7 としてのみ行動 けるのではなく,「一方のチームが不公正な利益を得ているときのみに介入する…審判員」. すべきである。イリィによれば,こうした理論構成は,(デュー・プロセスを重視するという点で)合衆国 憲法にも, (人々が自らの意思を表明し現実のものとするのを最高裁が助長するという点で)民主制にも, (裁 判官が政治過程における機能不全を探知し是正することのできる「第三者」という点で)司法に期待される 役割・能力にも,合致する8。 その上でイリィが最高裁に求めているのは,2種類の代表補強に関する行為である。第1には,立法者の 偏見または無関心の結果として制定された立法を最高裁が無効とすることにより「少数者の代表性を促進す る」という点に,司法審査制度の真の意義があると言える9。第2には,最高裁は精力的に,言論の自由や投 票権を保護し,平等で効果的な代表制を保障し,立法者が大胆な政策選択を行うことについて責任を持たせ ることにより, 「政治的な変化の回路を整備する」ように行動すべきでもある10。これらの指針に基づきイリィ は,議員定数配分や公民権を中心とするウォーレン・コートの諸判決を高く評価する。逆に,政治参加に関 する手続的な価値ではなく実体的な価値を押し付けているとして,バーガー・コート時代のロウ対ウェイド 判決(1973年)を痛烈に批判している11。 2.さかさまの司法審査 イリィのように手続・実体の区別をすることなく,司法審査制に民主制促進の側面があることを強調してい るのが,コリーナ・レインによる「逆さまの司法審査」 (2012年)という論文である12。ビッケルの「反多数者 主義という難点」を正反対に捉え,立法過程における機能不全によって反映されてこなかった多数者の意思 を回復する能力・役割が最高裁にあることを,レインは強調する。彼女の議論の中核は,ビッケルが前提とし ていた各政治部門の役割を正反対に捉え, 「理論的には最も多数者主義的な部門が現実には最も多数者主義的. & Cecilia R. Castillo, The Judiciary and. and. American Democracy: Alexander Bickel,. the. Countermajoritarian Difficulty,. Contemporary Constitutional Theory (2005) がある。. 6  イリィのプロセス理論の概要については,駒村編・前掲注2・57-73頁を参照。また,イリィの司法審査理論およびこれ に対する批判については,松井茂記『司法審査と民主主義』255-85頁(有斐閣,1991年)が詳しい。 7  John Hart Ely, Democracy. and. Distrust: A Theory. of. Judicial Review 103 (1980). 同書の翻訳書として,ジョン・H・. イリィ,佐藤幸治・松井茂記訳『民主主義と司法審査』 (成文堂,1990年)がある。 8  Id. at 90-104. 9  Id. at 135. 10 Id. at 105, 132-33. 11 Id. at 73-75, 144-49. 12 Corinna Barrett Lain, Upside-Down Judicial Review, 101 Geo.L.J. 113 (2012).. 67.

(5) 籾 岡 宏 成 13 ではな」 く, 「理論的には最も多数者主義的でない部門が現実には最も多数者主義的である」 というものである。. 前者についてレインは,選挙によって選出された部門が立法化する政策が反民主的になることを主張して いるが,民意が立法および政策に反映されることを阻害するものとして,①構造的な要因(州ごとに選挙で 選出される大統領・副大統領の選挙人団制度(electoral college)や上院における州ごとに平等な数の代表 制度など) ,②機能的な要因(議事妨害(filibuster)や議会の委員会制度など),③政治的な要因(利益集団 による影響力の行使や現職議員の強力な再選インセンティヴなど),④議題特定的な要因(「あまりにも激烈 な」または「あまりにも無関心な」争点の回避など),を挙げている。レインによれば,こうした要因の多 くが相まって, 「政治的停滞が進み,その結果として,多数者の意思を汲んだ法案を可決させること,すで 14 という。 に多数者の支持を失った立法を廃止することの両方が困難になる」. 後者の,理論的には最も反民主的な機関のはずの最高裁が実際には最も民主的であるという点についてレ インは,最高裁に対する民主的影響には多様な回路があることを主張している。その中でも最も重要と思わ れるのが最高裁裁判官の選任・任命手続であるが,「主流派の政策的選好」を有する選挙によって選出され た連邦議会議員は,自分と似通った「イデオロギー的傾向」の裁判官を選び,そのことにより最高裁裁判官 も主流派の政策的選好を示すのを保障することになる。最高裁は「何十年にもわたり,比較的イデオロギー 的に均衡のとれた状態を維持しており,そうした状態が継続するであろうと考えられるのにも十分な理由が ある」15のは,決して不思議なことではない。その上,最高裁自らに判決を執行する権限がないことにより, かえって最高裁に政治的な支持が集まり,その判決が極めて重要なものとなる。さらには,最高裁裁判官に 誰が選ばれるかはその時代の産物であるため,最高裁は「その時点の大衆の支配的な感覚に逆行するのでは なく,沿うような」16行動をとることが期待される。また,「支配的な世論という引力作用にも似た」極めて 強い力が存在し,多くの場合において最高裁内の穏健派および浮動票の裁判官はこれに従ってきた。このよ うな要素のすべてが,なぜ「皮肉なことに,最高裁が,多数者意思の変化に反応するのに都合のよい立場に あり得るのか」を説明するのに貢献している。 選挙で選出された政治部門において民意の反映が阻害されること,それとは逆に最高裁に対して多数派の 意思が反映されることの両者は,それぞれ相互作用を行い,「逆さまの司法審査」を引き起こしている。レ インはこの現象について, 「広範囲における世論の変化が見られるが法律がこれに対応していないときに, その変化を実現しようとする圧力が蓄積される。(中略)民主的代表部門の活動を妨げている立法上の停滞 から自由であり,しかも自らの多数者志向的傾向によって行動しているために,最高裁は,民主的過程で阻 止されている支配的な規範に従い,これを反映することになる」17と説明している。レインによれば,最高 裁は,イリィの理論構成にあるような民主的過程の補完に限定されるのではなく,実際には「多数者主義的 な成果を形成している」ことになる。 こうした議論を裏付けるべくレインは, 「反多数者主義という難点」の典型例とされることの多い3件の 18 19 ,ファーマン対ジョージア判決(1972年) , 古典的な最高裁判決――ブラウン対教育委員会判決(1954年). 13 Id. at 145-46. 14 Id. at 157. 15 Id. at 165. 16 Id. at 163-64 (quoting Robert G. Mccloskey, The American Supreme Court 209 (2d ed. 2009)). 17 Id. at 168. 18 Brown v. Board of Education, 347 U.S. 483 (1954). この判決については,ジェイムズ・パターソン,拙訳『ブラウン判決 の遺産 アメリカ公民権運動と教育制度の歴史』(慶應義塾大学出版会,2010年)も参照。 19 Furman v. Georgia, 408 U.S. 238 (1972).. 68.

(6) アメリカ社会における司法審査制度の機能論⑴. ロウ対ウェイド判決(1973年)20――を検討し,これらの判決が「逆さまの司法審査」の例であることの実 証を試みている。 公立学校における人種別学制度を憲法違反であると判示したブラウン判決は,当時において支配的であっ た多数派の意見を十分に反映したものであったとされるが,少なくとも理念的には司法府よりも民主的であ るとされる他の2つの機関が民意を反映した行動に出なかったのはなぜなのかが問題となる。これについて レインは,司法府以外の政治部門が民意を反映できなかった事情があったからだと説明する21。まず,当時 の連邦議会は,人種問題に対する態度は一貫して明らかであった。すなわち,人種隔離制度存置論者である 南部出身の議員が中核となる委員会を牛耳っており,上院での議事妨害などの戦略においても長けていた。 そのため,人種隔離を撤廃する方向の法案が通ることが構造的にほぼ不可能な状況にあった。また,当時の アイゼンハワー大統領にとっては,個人的には黒人の権利向上に一定の理解を示してはいたものの,部門間 の対立を可能な限り回避したいという政治的な思惑が極めて強く,大統領を中心とする執行府にあっても, 人種問題について積極的な動きを見せることはなかった。こうしたことから,1954年の時点における人種隔 離解消に親和的な世論に対して,司法府以外の2つの機関のいずれも,法的な効力を及ぼそうとはしておら ず,最高裁がその任を果たすことになった。つまり,他の2つの回路が遮断され,行き場を失った民意が向 かうところとなったのが連邦最高裁判所ということになる。結局のところ,ブラウン判決は,「民主的な過 程が支配的な規範における根本的な変化に対応できない場合に,最高裁がこれに反応し判決に反映した顕著 な例」22であるとしている。 39の州および連邦政府の死刑に関する立法を違憲としたファーマン判決については,判決後に35の州にお いてその効力が否定されたのは事実であるものの,死刑制度はじきに廃止されると最高裁が踏んでいたこと については,相当の根拠があるとレインは指摘する。第1には,死刑制度に対する多数者の支持は消えつつ あり,しかも,南部において主として貧困層の黒人を対象として執行されていた死刑を例外として,検察官 が死刑を求刑することも,刑事小陪審が死刑を科すことも極めて稀になっていたため,死刑執行は実質的に 行われていなかった23。第2には,同判決に先行する10年間に起こっていた死刑廃止の潮流であり,1960年 代の公民権運動の隆盛や「貧困との闘い」政策によって,死刑が人種差別の究極的な姿であると認識される ようになり,数多くの民間・宗教団体だけではなく,連邦政府の委員会も死刑制度廃止を主張し,連邦・州 の裁判所もこの制度に抵抗する判決を出し,これに同調する政治家も増え始めていたという背景がある24。 その一方において,こうした社会的な動きに対する各州の立法府の反応は鈍く,死刑制度を制定法によって 廃止した州はごく少数にとどまり,特に南部諸州において廃止は極めて困難な状況にあった25。このように, ファーマン判決においてもまた,立法府の民主的プロセスが遮断されているために最高裁の介入が必要とさ れ,結果として変化する多数派の考えを裁判所が橋渡しする役割を担うことになったと,レインは主張す る26。 中絶を行う女性の権利を憲法上保護されるプライバシー権の一つとして捉え,妊娠中絶を規制する州法を 憲法違反としたロウ判決については,中絶合法化に傾いていた当時の世論を十分に汲んだ多数者主義的な判. 20 Roe v. Wade, 410 U.S. 113 (1973). 21 Lain, supra note 12, at 124. 22 Id. at 125. 23 Id. at 128. 24 Id. at 128-29. 25 Id. at 129-30. 26 Id. at 133.. 69.

(7) 籾 岡 宏 成. 決であると,レインは評価する27。そうした世論が形成された背景としては,第1には,60年代初めのサリ ドマイド障害騒動や風疹の流行によって,数多くの妊娠女性が母体および新生児への悪影響を恐れて中絶を 求めており,当時存在していた中絶禁止の州法の多くが実質的に無視される形で,多くの中絶手術が行われ ていたことが挙げられる28。第2には,1970年代の女性の権利運動が追い風となり,中絶をするか否かは, 避妊具の使用と同様に,女性の生殖的自律の本質的要素であるという認識が一般にも浸透しつつあったこと に加え,1972年当時には,全米法曹協会,全米医師協会を始めとする70以上もの有力団体が中絶を禁止する 州法の撤廃を支持しており,同様に,主要メディアも中絶合法化の立場を鮮明に出していた29。だが,そう した世論の潮流にもかかわらず,一部のカトリック教徒が先鋭的に行っていた中絶反対のロビー活動が,現 行の法律の廃止に向けた立法活動を阻止することに成功していた30。しかも,論争の起こりやすいこの争点 が脱政治化され最高裁の扱う問題となったことは,むしろ立法府が望んでいたところであったという側面も ある31。そうした事情に鑑みると,ロウ判決は,決意の固い少数者の活動により多数派の立場とは逆の方向 の立法が制定される場合に,最高裁が民意に即してこれを違憲とした典型例であると,レインは結論づける32。 以上はわずか3つの例に過ぎないが,極めて重要なことは明白であり,レインの見解によれば,決して例 外的なものではないという。 「逆さまの司法審査は現実に起こっており,司法審査に関する規範的な理論づ 33 。 けを我々が行うにあたって考慮するに値するほど十分に起こっている現象なのである」. レイン自身も「逆さまの司法審査によって状況が改善している問題もあれば,悪化しているものもある」 と認めているが,そうした「悪化」といった失敗例の存在も考慮に入れれば,「逆さまの司法審査」の一般 化は実際には限定されたものと言えるかも知れない。しかも,逆さまの司法審査によって,連邦最高裁が州 の特権を侵害し連邦制度が脆弱化し,憲法上の原則ではなく一時的な多数者の価値観が押し付けられ,さら には政治家が自らの責任を回避する危険があることも,レインは指摘している34。しかしながら,最終的に は逆さまの司法審査に対するレインの評価は肯定的なものである。すなわち,最高裁は多数者の意思を遮断 するのではなく判決に反映し,その結果, 「予想外でしかも逆さまのやり方で,民主制はこれほど機能した 35 としている。 ことはなかった」. 3.多数者主義の司法審査 アメリカの民主政を促進する最高裁の能力を強調するのは,レインだけではない。バリー・フリードマン やジェフリー・ローゼンらの論者もまた,多数者主義的な判断で人々を満足させる高度な能力を有する機関 として最高裁を描いている。 フリードマンは,最高裁判決が時の流れとともに世論と調和する, 「憲法の意味を決定する対話システム」 を強調する。2009年に出版された労作『人民の意思』36において彼は,その副題「世論がいかに最高裁に影 27 Id. at 134-35. 28 Id. at 135-37. 29 Id. at 138-39. 30 Id. at 139-41. 31 Id. at 142. 32 Id. at 141 & 144. 33 Id. at 178. 34 Id. at 179-81. 35 Id. at 179. 36 Barry Friedman, The Will Meaning. 70. of the. of the. People: How Public Opinion Has Influenced. the. Supreme Court. and. Shaped. the. Constitution 382 (2009). 本書の紹介としては,勝田卓也「世論と対話する最高裁」 [2011-1]アメリカ法.

(8) アメリカ社会における司法審査制度の機能論⑴. 響を及ぼし憲法の意味を形成してきたか」にあるように,アメリカ建国から現代に至るまでの200年以上に わたる最高裁の重要判決と世論との関係を通史的に検証した結果,(その他の選択肢があまりないこともあ り)多くの場合において最高裁は世論に配慮した判決を出していることを実証している37。その意味では, 司法判断によって多数者の意思が阻害されるのでないかという懸念も,逆に司法判断が多数者の抑圧から少 数者を守ってくれるのではないかという希望も,「反多数者主義の難点」という誤った前提に立っていると する38。重要なのは最高裁がどのような役割を果たしているかではなく,最高裁が出す判決に人民がどのよ うな反応を示すかであり,現代における司法審査制度の中核的機能は,人民が憲法を真剣に考えるための「触 「対話」 媒」作用であるという捉え方をしている39。そして,裁判所が人民から憲法を取り上げたのではなく, を通じた人民の意思を反映する過程で,憲法の意味を形成してきたのだと説いている40。 同様の立場にあるのがローゼンである。彼はその著書の題名にあるように,司法府こそが「最も民主的な 部門」であるという前提に立ち,しかも最高裁は「多数者の専制から少数者を保護したり,人民の意思を挫 41 くといったことは決して行わず,アメリカの歴史上,憲法に関する多数者の見解を反映する場面が多かった」. という主張を展開する。しかも,最高裁は, 「民主的な立憲主義」を実践し,人民の見解に敬譲の意を表する ときに,最も首尾よくその存在意義を示しているという42。両極化した連邦議会はもはや「穏健な中道派の支 持を得よう」とも,自分たちの極端な大義のリストに司法府を引き入れようともしていないため,逆に今日 では最高裁が民意に従うことに特に大きな意味がある43。ローゼンの見解によれば,裁判所は,過去と同様に 将来においても,アメリカ人民の憲法上の見解を反映し実現することによって,この国に最良の形で奉仕す ることができるため,裁判官は立法府による「単独採決主義への誘惑」に抗う必要があることになる44。 4.次善の策としての立憲主義 上記の論者たちとは若干異なった観点から,司法審査の民主制促進論を展開しているのが,アドリアン・ バーミューレである。デイヴィッド・ヒュームの政治哲学を再検討する中で彼が構築した「次善の策として の立憲主義」という概念は45,憲法典中の特定の不備や不完全さが補正されたり,国家の状態が憲法上の理 念に近づいた場合には,裁判所が別の憲法上の不完全さに対して寛容になることをよしとするものである。 例えば,立法府による拒否権(veto)は,厳格な文理解釈や原意主義の立場からは認められないものの,立 法府の執行府に対する過剰な権限委譲といった,深く根付いた別の憲法上の不備を効果的に相殺するものと してこれを支持することが可能であると,バーミューレは主張する。過剰な権限委譲も立法府による拒否権 発動のいずれも望ましくはないものの,その両者を選択肢として有していれば,連邦議会と大統領との間の 権力の均衡という憲法上の根本的な目的をより効果的・効率的に達成することができるとする。一方におい て,憲法に反するやり方で憲法上の目的を追求することの妥当性や,次善の立憲主義に関する議論を評価す 182-90頁がある。 37 Id. at 375. 38 Id. at 370. 39 Id. at 384. 40 Id. 41 Jeffrey Rosen, The Most Democratic Branch: How. the. Courts Serve America xii (2006).. 42 Id. at 210. 43 Id. at 3-4. 44 Id. at 210. ローゼンは,裁判所が「単独採決主義」に従った失敗例として,奴隷制を合憲としたドレッド・スコット判決 (1857年)を挙げている。Id. 45 Adrian Vermeule, Hume’s Second-Best Constitutionalism, 70 Chi.L.Rev. 431, 426 (2003).. 71.

(9) 籾 岡 宏 成. る裁判官の能力の有無などについて疑念が残ることも,バーミューレは認めている。しかしながら,レイン, ローゼン,フリードマンなどと同様に,バーミューレもまた裁判所にはアメリカ民主制の運営や遂行を促進 する能力があるという立場にあると思われ, 司法審査の民主主義促進機能を正当化する可能性を示唆している46。 5.批 判 「民主制を促進する司法審査」という概念は,比較的最近になって憲法学における規範的な議論の中から 出てきた考え方である。論者によってニュアンスの差はあるものの,その中核的な主張は,近年において悪 化の一途を辿っている政治的過程の機能不全(政治の両極化現象や立法過程における民意の遮断)によって, 立法または執行作用に反映されなかった民意を回復する権限を,合衆国最高裁が行使することを求めるもの である。 しかしながら,こうした立場に対しては,その不完全さを指摘する有力な批判がなされ(または想定され) ている。第1には,裁判所による民主制促進機能を重視する立場が,最高裁の役割・能力を不当に過大評価 しているというものである47。そもそも裁判所という機関は財政面においても判決内容の実現能力という面 においても,立法府や執行府の協力なしに単独で何かを行うことはできず,他機関に依存・従属することが 多い。その意味では,民主制の促進などといった過大な期待を司法府に寄せることには無理があることにな る。こうした批判から想起されるのは, 「裁判所には社会を変革する力がない」ことを強力に主張した政治 学者ジェラルド・ローゼンバーグによる衝撃の書『虚ろな希望(The Hollow Hope)』を契機とした1990年 代の大論争であるが48,これは裁判所の機能論という点において重なり合うところも多い。 これに関連して,民主制を促進する司法審査という概念には,党派主義体制によって利用される政治部門 間の戦略といった視点が欠落しているという批判がある49。すなわち,司法府も政治部門の一翼を担ってい るため,そうした部門間の相互作用という観点からは,裁判所がその独立性を示し,その民主制促進機能そ れ自体が特別な意味をもつ可能性は低くなるという指摘である。これには,あくまでも相対的に裁判所を政 治部門の一つとして捉える政治学が,ともすれば裁判所の機能ないし役割を自己目的化して論じる傾向も見 られる法律学に批判を加えているという側面も垣間見える。 次章では,こうした批判の主張を整理するとともに,司法審査制度の存在そのものを論難する憲法学の論 者らの議論なども紹介し,民主制との関連における司法審査の機能論について考察を深めていきたい。. (追 記) 本研究は,日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤研究(C)「平等権違反をめぐる司法の機能論に関 する実証的検討」課題番号25380002,平成25-28年度)による成果の一部である。 (旭川校教授). 46 Id. at 436. 47 See e.g., Terri Peretti, Democracy-Assisting Judicial Review and the Challenge of Partisan Polarization, 2014 Utah L.Rev. 843, 866. [1995]アメリカ法219頁以下がある。こ 48 この著書の紹介としては,安部圭介「Gerald N. Rosenberg, The Hollow Hope」 の論争については,早瀬勝明「ブラウン判決は本当にアメリカ社会を変えたのか(1~2・完) 」山形大学法政論叢35号95頁, 36号1頁(2006年)が詳しい。 49 Peretti, supra note 47, at 848.. 72.

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