社會的とヒユーマニズム : 人間形成に於ける個人化と社會
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(2) . 、.・′エ ノ ト ゞ} キ ▼ そぎ理厚 ,′ , T」 , ; : ., .,. 第 1巻 第1携. ・. 挙. .. 論 を得なければな らぬ。 我々は今以てこ. 嚢. .. ・. ●. ,. . 昭和24 d ミ声2芳 三ご謡う. 「F i露嚇二のき濯ご に 至● の る迄 ・彼 数量談の批判に終始 したけ 濯が. ぎ窪 た事贋を見えこ 貨幣 数量訟は多くの批判を撹 れぬとしても貨幣数量訟凌展の途上に大なる足跡 義-ル,. ・ そー も高く評慣t なければな らぬ。 それは幾多の前提 を立 て 静 態を考えたもの で、 現貰を ,その詠 ¥に ぎ ● ・ i ら 状態 の 三き き 談明するものでない ことは Fi山er 自身認めていた。 一つの方程式が成立する状態か 、 他 ・ に移行せ しめる原因 として Fi .ある。 s叱r は利子歩合のもつ 重要さを指摘 したので 参 考 文. 献. ‐. ゞ. ー. ・. l l de s 57頁. ( e des Ge 2) E1 s te :See 1 r .164ーう・ . { ,S .2 AufI Jma ) 高垣寅次郎 : 貨幣論入門., ,1923 , K, 、 , ・ 三 i ′So 一 hi i i z aもoL44 . : 1卿d。k ▽ z c ・ー. u t wddi 。 R ぬ。 。pf 孤i . ( 3 “ .F . so ) Sぬ 皿p帆船 J ge Ar ,の s。お ′ 2 9 5 5 S ( 年 頁 3 1 8 ) ) 貨幣の理論 昭和 1 9 6 6 7 鑑 第三巻 H Bd 高田保馬 纏提学新講 , - : t . - . . . 、 ・ . ’ ◎ 高垣寅次郎, 貨幣論入門.67頁. (6)Fish枇:Pwchasing powar 6f 中one〃,1911,Naw am Re▽- 滋ゞ. .4 111 2 ・夏-- i ぐ ro ng powe fmoney . 圃 同上7 4 F途her:Purchas 3頁. Q .19 .17 ,P ) 有井治{ 貨幣数量説7 鵬 、. 3一7 5頁. 節) 有井冶:貨 幣数量説.7. 般. 曾 的 と ヒ ュ ー マ ニ ズ ム 一人間形成に於ける個人化ご砥曾- L 砂. 裸.. 喜・ 代. 次. ご{ !. i伽.- } :ー t i l doni i dua l n Educa i za i i a sm, l z癖i onandSoc ani nd v Kiyo iSunasawa: on soci副 Hunー i 、.. -. ′. , ,. ・序. -. ・/ ′ , , , - . ‐. 達 三. . こ問題 終戦後我が園に於て何魔か らともなく ユ ー マ ー ズ 論が再興して束た。 戦前、 戦時; . ; とって「人間的な こと ↓← れなかった 「人間」 が、 今更のょぅに意 識されて束た話嬢でもある。 人間に ・ が問 われて来 るところに、 ヒューマニズムが叫ばれるの は\ 近世初頭のことであり・ 別に不思繍樽 r zとではない。 ところが戦後の我が国のヒュー マニズムは、 果 して日本諺 曾の現費に於て人 間を闇 う もの で あ ろうか。.. ら取組 むことの元来嫌いな.三 教 育再編の道も民主主義の線に沼ぅてい るが・ 深刻な現賓と員正面か二 ・は しないであろうか、 新らしい日本徹舎の ま ,り 日本人は何時 しか小手先の マンネリ ズムに 堕 しつ」 あ . -教 書 それを基盤と し してのことでなければならぬじ・ 態を鋭く分析 再建は、 何ょりも先に現賓の事 、 ごゞ 育再編の道もかかる現賓徹舎の虞只中に人間を正 しく据 えることに よって開かれねばな らぬp で・ と人間との開係 ある 私はこの厳舎 い態度決定が特に要請される所 が 蜂 に耽舎と人 間:謝する正 し 。 ‐: ・ を ヒュ ー マ ニ ズムの 立 場 か ら考 へて 見 た い と 思 う。 そ れ を 砧 曾 的 ヒュ ー マ ニ ズムの 立 場 と 言う.、. 1. ご. は理j 想的人間像を追求する努力の中にヒューマニズぷ、 . ブルダッハは 「新ら しき人間的なもの若く,. - 1 ) と 言 ぅ ヒュ 「 マ ニ ズムの源 流 は勿 論へ, ( レニ ズム女 化、 即 ち ギリ シ.ャ 的 人 間 像 や ・r は 求 め られ る」 。 . a i t s ) の 思想 に媒 介 さ れて一 世 界 観 に見 出 さ れ るが、そ れ はロ ー マの キ ク ロ 時 代 の フマ キタ ス (hu皿n. ンも ト , 近世ルネッサンスには明確な思想形態 を取って現われて来 たことは、 人のよく知る ところで 渉る 。 ・ ・ . ′′. 69. ^. ・ . 二 ‐. ・ こえ. ・↑.土-.
(3) . ‘{ -- ノて「零すぞ粉 . ′ ‘ .・二 I VO .1 .I , No. GAKUGEI. Dもcember 949 ′ ,1 ,. 然 しジル ソ ン教 授 の 言5 よ う に、 中 世 キリ ス ト数精伸D中にも・「義人は信 仰によりて生くベコジ 」 ,. 、 の信仰的 人間~ こそ. り契瞬は見出され肇)それが 宗教改 革と内的関係を持 ってい ることも指 摘され るo - 、, ヒュー マニズムはその後知識や合理性に人間的なものを求めた啓蒙主義の中を ′叉それを超克 し , こも、 て生まれ出たドイ ッ理想主義D中にも認められる 後者D場 合は特に N‐ imu eu Human s と じて・・ 。 けんらんだろ花と喚いたのである 何 れに してもヒュー マ. ニズ ムは歴史や世界に内在 しっr 」 、 そ 。 れ か ら超出せんとするところに、 部ち人間的なもの乃 至人間像の より新 しきより理 想的な- ものを求 ,. めて、 古 をものからの解放と 新らしきものへの形成と′ いう 二大方向を取って進む ころに求め ら 」 と 、 ・ れるのであって、 生産的創造的な文化運 動若くは生活運動とも言う ,べきで ある。 ●. ヒューマニズ ムが中 心とする人間は、 それ自身 で孤立 したものでなく ・ 、 厳 曾的なものであり 本 . ・ ‐ 来杜合的人間である6 N i smu s は文 化人、 教養人、 調 和的人間、 等を ・第十八、 九世紀の eu Humah 描いたが、 それは特て産業革命以後著Lく凌展しナ こ西洋市民蔵舎の現贋生活を誉む一般民 衆にとり. て は、 除 り に も貴 族 的 で 非 生 産 的 に 考 へ られ る よ うに な っ た ・か くて ピュ ーマ キ ズムは 更 に 新 た・′ 、 。. なる展開を .見なければな らなくなった。 人間 が耽曾的存在であることは、 別に取り立て・言うべき もので なくミ 杜曾性そのもの は本来人 〆 問性に含まれる契機でもあり 人間の生活が杜曾共同体の中に於て警まれることは 正 し く国体主 , 、 義者 (Co l s l i i t ) の言ぅ通りである。 杜舎認識の上では可なり問題は多く 丁杜 曾とは何 ぞや」 e t c v 、 , ということは、 論議のつきないところである が 一窓 社曾を共同生活体. ′、 と して考へるならば、 人間‘ , 、 に限らず厳曾生活は動物 界一般こ見られる規則 的 恒常的且つ普遍的事賓であ ることは 動物撃中 ・ 、 、 特に動物生態掌の認めるところである。. ,.. 叉或る聾者は人間を間 柄の存在であると して 親に野する子 妻に饗する夫.友人に饗する友人 、 , 、 、二 男に饗する女、 畢生に資す る教師等々の開 陳む ● こ於て、 人間は具体的に生活すると訟く ◇ ③ 人 間は常 , に -定 の間柄、 関 係、 一 定 の 資 格、 役 割 に 於 け る人 間 で あ る。・Per l i ona ty の 語源 が、 Pe s ona 征i) r s -- , に在 るこ とも深い開 係がある。 成程人間が共同生活を醤み、 間柄の存在 として世間的であることには何等の異論もないところで. あるが、単にそれ丈けの立 場で人間と砧舎との関 係を考へるならばく,ヒューマニズムの立場は友 d , 人間を軍に集回り一員と してのみ把握する立場は 全体 主義や集圏主義のそれであって や がては,, 、 、 人間を動物観若くは道具視する嘗ってのファシズムや超国家主義を :陥らざるを得なし。‐ヒュ ー了 ュ ズムは何よりも、 「人間的なるもの」 を問題 とする・世間的な人間が同特にもの世間 から解放され . 三 。 て、 超 世間 的と な ると こ ろ に ヒュ ー マ ニ ズム の 立場 が あ る 、 。. 人間 の自己形成に拘わるのは 概 して Ne smu s が主張 された第 十九世紀中葉迄のこと u Hw鵬ni 、 で、 「個人的ヒュ ÷マニズム」 とも言へるであろぅ 然るに 自己形成が同 蒔こ世 界形成であり‘ 耽 ト 。 ノ . 舎形成となるところに 「杜舎 ●的ヒューマニ ズム」 の立場が考へられる。 人間は自己を形成 ずると言’ .. っ て も、 純 粋 に そ う した こと が 成 就 さ れ る の で は な く て 彼 が 置 か れて い る様 々 の S t i i tua on に よ ・ 、. つ て 規ノ 定さ れると \と が 多 い。 紙 舎 的 ヒ ュ ー マ ニ ズムの 誕 生 は軽 に 近 世 初 頭 ルネ ッサ ン ス に 見 ること が 出 来 る ‐そ れ は 常 時 南 ‘ 方、 。 ノ. イ タリ アに於けるぞ ~ Lのを個人的と構 し、 北方 ドイツの宗敦改革運動を貫くものを社曾的と指 摘 した )や 北方のみでなく 南方を も含めてすべ てルネッサンス運動を庶民や E.H.Wi d l s“ 、 農民“解放 、. f. ● 運 動 と して 捉 へて い る羽 に 五 郎 氏著 「ミ ラ ン ゼロ」 な どに も明 ら かで あ る 杜 舎 的 ピュ ー マ ニ ズメ ケ 。 ′. ムは、 既にその萌芽に於て 「個人の幸幅, よりも厳曾的並に人間 関係を主と し、 人間 生活の多方面 的 ・ 興味よりも、 現賛的杜曾的、 宗教的な生活の幸福や豊かさ「 を強調する。 」 - w 卿叩証mg ÷二そ れは又中世的専制封建に擬 する民衆の自由濁立運動の根 本的なヵでもあり 近代 的市民 牡曾を建設 、 70.
(4) ノ ‘- ・ ・. 第 1 巻. 第 1 被. ・ , \. ・ ,、 ノ , ー -}. -姿 . ′. 挙. 4年12月 , 昭和2. す る指導的原理でもあクた。 かふる耽曾的ヒューマニズムは、 何故第十九世紀の新 ヒキ ーマニズムを否定 的に媒介して、 現代 三, . :ー , \ tは、 ヒ ュ ← マ ニ ズム の現 代的 意 義乃 至・ に 追求 さ れ ね ばな らぬ か、 この 点 を 深 く考 へ る こ とな く しy ,. 形態を、 厳曾的なものとす ることは出来ない。 - 、 き瀞 。して高度α生 産 近代的市民杜曾の愛展は、 科琴技術の菰展に支 へ られ、 資本キ義厳曾ぴ褒展に壱 -′ 力を招来 し、 質的にも異常な飛躍を遂げた。 然しルネッサンスび中にも幾多0 問題が未解決のま.▲,. ・ ・ で次代に取って 代わられたよぅに{ 技術的生産的手段α.進ガ は物ず生産の培スを衆た し 物 の 増、大 ′ き i死 釦d 焔』 の交 按償値を崎 ,弓品駆 係と化 し・ 人 間 は物の商品化を激化 して行ったo すべては g. て 行 くな き 霧跳躍眺議獅妄 も結露覧繁美翻 臨書謬考察挙っ ず. 、r ′. ・ ‘. .で ・ ′ - ・ ‐ 自然か ら解放 した ー つきの 市民諺曾は大多数の民衆を商品化 し、 機械化 して了つた, 。 人間を著も ‐t 、 , ′ 、 を, ように見えた近 代蔵曾の愛 展は , 同時に巨大な人 篇的自然を新 しく ,造り出 すと とによって、 ノ .間- . ご 、 ノ〕 して鋭く批判 し’ そα拘束下に置いたので ある。 ラ、.メ トリ ーの如きは の悲劇を 「機械的人間」 と の. い で あ ろう かも. ‘ を誰 歌す る こ とは 出 来 でも、 そ‐ ・. ●. ● .. ・ ・ l l 「西 洋 の没 落」 に 於 て 指 摘 し、 アメ t この1 u協1・Lag 気象 を ○.Speng e r は′ ・リ カ蔵 曾 撃 者達 は Cu ・ と厳曾 l l ぜ anc 自然支配の技術 u と稽 し、 Unba ed Cu t r e とするのは富然 であろう。 物と心との不均衡、. .. ▼. ,. ・ 一. ′,. . ′. . ‐ ,. 二. ▼ ” . “ノ. 分析の 技術との不薦衡、 人間の自然支配は必ず しも ・進歩をもたらさな いこと・ .厳舎生活α 時、 特に現 代に於て警 告されなければな らぬ。 或人はか ・る厳舎に生活する人々を 「精稗的プロ レタリア」 ・と・ い. 呼ぶ。 ◎ ら人間を 一 現代に於ける耽曾的ヒュ」マニズムは、 人間闘係さへも商品化 し機械化する市民蔵曾か, . 二 解 放し、 員に吐曾蝉的な 「厳曾進歩」 を追求 して、 その主体・的行鴬によりて厳曾的人間を意圏する ・ . \ ・N . ● ものでなければな らぬ。 、現代に求め られ る新 ら・ しき埴曾的人間は、 員の意味に於ける f 全舛 的火.・ 三 間」 であることを 知らねばならぬ。 何故ならば人間の轡む生活は、 それが政治的なもので あれ・ 鰹 ヨメ 、 癖的なもので あれ、 宗教的なものであれ、 凡て枇曾生活なのであり、 厳曾的共同生活とを 人間が ′ ・ 政治的樫鱈的宗教的に他の人間と交渉 し、 人蔭関係を結んで生 活するととであるか ら。 か る 意 味 二′・. に於だろ耽曾人即ち全人の 形成を志向するところに、 厳曾的ヒエーマニズムのね ぢいか在 る。⑩ 」’ ・市民耐舎, ・超えた世界人の般曾であり、 と最 /. 市民蔵舎はそれ力誕生に於て 企圏. したょうに、 国家を ・ も深し 関 係を持つて 獲展 した資本主義は、 叉個々人の平等なる権利′ と自由競争 を主張する。 蔵舎 的 - ヒュ ーマニズムがねらう所はそラ した世界主義や自由競争に基ずく資本主護杜舎を超克 して行くぞ - - ’ とである。 それは民衆一般の人惰性に立脚し、.相互扶助を主体とする世界 主義である。 世界の全民 、 」-, ・ る l 衆が自由と幅紐と平和を享受 し得 ような耽曾の形成を志向 している。 而も前述の Cu t u副 Lag . 三三 ・的資本主義を否定的に媒介するものでなけれ ばならぬ。 を充分反省 し、 無統制も自由競争 我々 は自由班軍的費 本ョ,義の辿った行き詰りの好き例を、 アメリカに於ける第一次大戦後のパニ. d RU l )「混 ッ クに よ る蔵曾ぎ昆傷Lに 見 出 す こ とが 出 来 る。 ▽)そ こ で 甘ar o gg も指摘 じているように一8. ミニ を 鏑Lか ら目覚めた少 数の思慮深い人々が産業文化の新, らしい科挙的研究に活溌に乗 り出す籾 織を.作る,● ; ことになった。 」 新 らしいアメリ カ杜曾再 建佐 研究並に責践 は、 質に老若男女、 職域の如何を問 わ・ .ドニ. ず、 凡て の アメ リ カ人 の 最 も重 要 な プロ ゼク トと な っ た。 i (1 i } K. Ru ac l c o ) a額l ・ t s 1: Reforma , Rena. ,Zwe i ・ 日 [ 口mani t e Aufl smus ;100, , ,1925 8 71.
(5) . I VO .1 , No.I. GAKUGBI. December l949. { 2 ) 麦ティ旗 喬、ジ 美し 樽 中世ヒ ‐マニ ね と女饗復興 .白 ホ 諺 , 3 ) 和 r辻 哲 郎: - 人間の撃とそしての倫理学 ( 岩 波全書 ・ 4 l ds: Founda ) E. H. Wi ( i t onsof Modern Educa i t on ー944 .. . { 5 ) B, G. 0l land Commup en:S s cho i o アー1945 第 一部の冒頭← t ipman の言 こ掲げた w,l. 6 ( ) w‐ Kinkel: Der Humani t t 1925‐ Tei l l.u. 瓦. a sgedanke .・. 汀} 日,R昭g: DemQcrac▽ and the Curriculum.1932 t ・ Chap ・2 .二 { 8 ) F.鼠Stratenュeycr: De▽eloping a Curriculum for Modern Li▽jng・1947 p・41. /. 従来 の資本主義制度は、す 固人主義を基調 いこものであることは否定出来ない。 .この資本主義のデ ノロ ジーDもたら し港新たなる相互依存 の人間間係の 出現 し た 事 責 に も拘らず 集合的でなく却 、 1 ) そ 掴ま H Ruggを して言は しむれば 「無膝件 っ て個人 的競事的生活倫理を背景としている ・ ( 。 - の隣張の時代」 である。 然 し生産品 の過剰、 勢動力の過剰、 そ の他 凡ゆる傑件が . 、 ての無制限の機 張 か ら 「紙舎的統制による牧約 統合 (Co ICつnt l i山t i l ) へ と 赴 か ざ る を得 な く な り s a o n r o p n by sにi , た。 而 も力= る杜曾的統制と同時に大切なことは 全体主義の杜曾とちがって ・ 、‐. それを進んで受け. ‐ r 三 , ,. ・る人間の問題である。 ・創 造的に して豊かな個人的生活方式を作り ,上げ 紙曾が無制限のi Lか ら救われて、 諺 舎 的統制の杜舎へと形成されて行くーこと・ 昆鍋 は、 その 汝・人 間 - ・ ・ ● ・ . ー が個人と・しt も蔵曾としても、 幸頑な生活が誉 まれるょぅに形 こ 成されて行くという ことの中に 厳 , ソミ 、 、 曾的 ピュ ーマニズムの立場が確立される。 厳 舎は個々の人間に内在 すると同時に そ れら を超 えて , , . 、 、 在 るものである。 同様 のことが個々の人間についても言われるで みろ′ 即ち個人は就舎に内在 し , て同 時に超在する。 , か 」る厳曾と個人との両面を認めるのでな ければ一献 曾的ヒュ ーマニズムは考 へちれない 而,壱 ・ ~′ 。 . 自然料聾 的認識が従来先行 して来たことを l I Lag を招来 した反省に立って、 ;よって Cu t a ur ,誌舎的 混筒 Lの因とな る凡ゆる厳曾力を科掌的に分折する魁曾科挙的認識によって現賛化することが 厳 曾 , 、 的ヒューマニズムべの要 請である‘・この意味から して自然主義や唯物論のヒューマニズム的性 格 も , 新 らしく考 へざるを得 ない。 更 に第十八、 九世 坪 リドイッ流の主観圭舞的理想王義的ヒ エー・ ミ マニ ズ 、 ムに掛虎させて、第十七、八世紀の英悌流のヒ :エーマニズムを 「自然科 撃的数墜的ヒュ坪マニズ亙↓ ・ ▲ f f,の 立場 も 貴 重 な 示 唆 と考 へ な け れ ばな らな い ( 2 と呼んだ H.A.Kor 二 ・ 。 つ 、 籾て吐曾的統制の行われる厳曾とは、 一体如何なる形態のものであろうか。・砧曾統制は一部の人 ‐ ・ァシズ 々による統制で あっては、 フ ム的濁裁主義的全体主義 的な ,瞳舎形態で しかあり得ない。 .徹曾 , 寧的に 説かれる徹曾統制 とは、 自己集園の保存・ と獲展とを目的とする集圏意識が その集国的線ガ ー ウオ ー ドを して言わ しむれば Socim Force の総 力÷ - をバックと して、 その集国内の生活漬勧を 、- 積極 的に規制する作用である。 その作用は集国そのもの 自己統制と いう事費であるd 厳舎が目巳「 統制を行っ て、 その徹曾過程に或 る睡の拘束を加へ・ ること は、 員の意味D政治現象であらう。 = ここで注意すべきは、 かかる政治現象の中核とも見るべき吐 曾統制は 決 して その武舎を構成す 、 . る個々人の 人間性や自由やろ ・ 濁立を拘束するものでなく、 :寧ろ蔵曾的統制 が員の意味で人間的 なもの. を尊重するという立場に在ることである。 人間の基本的権利と償値とが重電されることが KO南 ・ノ 三二 、 」ジ も言うように ヒュ ーマニズムの本質である限り、 蔵 曾的統制によって却 つて従来高度のテ. クソロ. ( 3 ) とな り て い た 人間 を int ← をメ ヵ ニ ズムに よ っ て、 「断 片的 人 間」(Fr l agment鵡y Peop e) a t egr e 、 ′ ・ . ・ ′ 二 、 ● \ . ・ ・●・ す る こと が 意 圏 さ れ るの で あ っ て、 そ こ に 融 貧 的 ヒエ.-マ = ズム が 責 現さ れ る こ と に・な るd ・. ノ し ′ し ー 1 かく考へて来ると敢曾的統制は、 人間全体の自由と濁立とを膏現ずるものに他なら牽 か か る毒 , 、 ‐ ‐ ′ . ′ 場に立つ統制こそ、 自由と統制とを調和することが出来る。 資本主義は自由競争を激化 t て、.少 数 ・ ・ ,. 1、 . : 72. 二:. .
(6) . 第 1 巻. 第. 1携. 襲. 挙. 資本家の濁占となり、 大多数の個人的自由を抑歴 じて了つた。 ファシズムは大衆を動員 非 し その 、 合理的大衆感情を利用 して、 却って滅私奉公的全体によって個々,人の自由と知性を奪い、 更に近代 的 自由や平等を踏みにじって権威を強調 した。 ▲主義砥曾と 濁裁的統制のファシズム 我々がここに言 動吐舎統制に よる敢舎は、 自由放任の資本 、 l 獄舎とを止揚 したものでなければならぬ。 それが叉歴史的法則の示す現代の課題で あるd Th t .Li を粥謎法 自由か は 「指導か放任か」 」 的に思索 しているが 吐曾進化が賞の意味の進化だり 、「権威か. 得 るためには、 やはりこの雨形態の道曾を止揚 したものでなければならぬd かかる吐曾は結局人間 的 自由のための企書的統制を行うのであって、 それが厳曾自らの進歩でもあり、 砥舎の 自己形成 を. もある。 かかる徹曾は人間の自己 形成の ための蔵曾の 自己形成を行い一 その逆 も亦正 しい。 最曾の 自己形成と人間の自己形成とが、 二に して一であるところに、 ヒュrマ1ズムの現贋形態と しての 厳 曾 的 ヒ ュ ー マニ ズム は、 jEt い立場を見出すであろう。 正しい吐曾的統制が必 要である限り、 それは先ず正 しい企書に立つべきでありゞ 正 しい企書のた- めには、 全体的な組織が前提とならねばならぬ。 正 しい組織企書統制が確立されるためには、 資本 主義でなくファシズムでもなく、 結局杜舎主義の地盤に立たざるを得ないであろう。・即ち我 々の意. 圏する魁舎 は、 歴史的必然によっ てゐ紙曾主義武 舎でなければならぬ。. i ヒ舎主義耐曾に於て人間的自由は形成と賓質を倖Pて来る。 それこそ諺 曾主義的自由に代わ られ a るであろう。 而も 「かかる自由の墓 歩く原理 は、 中世以前の血統の原理や、 近世的な財産の原 理 宏. ・貴 族や ブ ルジョ ア ジド i i i i 去 っ て、 能 力の 原 理 (Pr ・れ な け れ ばな らぬd e ncy) に 移 行 さ nc e of E” c pl. J )この黙に於て我々はたと へ のみの自由でなく、人間全般の能力に感 じた自由 であるべきである。」( それが国家的生活に於ける人倫の組織の成立根濠に捉へられたものであったに せよ、 自由と進 歩と . 1 ・1 ,・ r Er , J, . ,‐ . ‐ ) ′, の両概念を基礎として、 世界史乃至世界精跡を誘いたヘ ーゲルの思想に員うところが多い。 年 かか る新らしき杜 舎主義吐曾の原理た る能力の原理を確立するためには、 この原理を賓現出束.る. ょぅな人間が形成されることが、 第一の前提傑件でなければならぬ。 かくて厳曾の自己形成の要 請、 が、 そのまま人間形成の要請となるのであって、 ことに新 らしき 「人間的なるもの」 並に理想 的人, 間像を追求する新 らt き 形態 の ヒュ ー マ ニ ズム が 登 場L て.来 る。 ● . ‐ G ( ) それに向りて凡ゆる努力を傾注 ヒュ ーマニズムは人間性の改造を縄掛に可能なる・ も のと信じ、 ー人間性の改造への志向は する一つの生活方式であると も言へよう。 かかる新らt き人間形成や、 、 ヒ舎主義砥曾の能力ある成員、 即ち員の意味の徹曾的人間でなければな らぬo この就曾 的人間こ そ i a 最も新らしき現代的意 義て於ける全体的人間で あることは、 擬逸の通りである。 能力人 (A Man of E f i f る。 そ i e ncy) -蔵曾人-全人÷の形成に諺曾的ヒューマニズムの中核がおかれるべきであ● c ・ t てこの事がそのま、 1現代教育の性格と使命とを意味して いる。 { 1 ) 大田 莞: 近代教育とリア リ ズ ム. ・1 62頁 , f f A K D d l} 訳 ァ H 日 ( 2 ) . , or : as eseロ es umani t e smus . KaPi . i i 3 ) J. K Hart: Communi ty lね ( t e t rPr織a t l on of Fduca ゴ o ーP.25 9頁 ′ 就曾拳の現代的課題, 18 { 5 ) 高山岩男 : ヘー ゲル 265頁一27 7頁 ) 禰武 姓. 直:. 6 i Che R縦釦 und Vor ( ) ▼V. Jaeger: Humani l 皿. t t s t rage e s , Kapi. 3. 1 、、. 拐て能力人と言い、 全人と言うのは何. を意味するであろうかび それはかつて. ミケ ラ ン ゼロ、.ダ、 ヴイ ン チ、 ァ ル ベ ル デイ 達 に よっ て 代 表 さ ,れ た 「万 能 人」. であろうか。或は第十九世紀にグrテやフンボル トによって代表された新人女‐ 73.
(7) . ′ド;そらコ軽 ゴ ーT 手 デ. I VO .1 .1 , No. .December ,1949. GAKUGEI. を意味す るのであろうから′人間の諸力や諸債値が多方面に亘って愛揮されて. るよ う な人 を指 すの・.,. で-あ ろぅ か。. 若 しそうだとすれば、 恐らく現代諺舎の「般民衆には除りにも縁遠い人間像であ るまいか 我々1 が諺曾的 ヒュー ←マニズムに於て追求 して止まないのは、 現費の諺曾に 於ける而も÷般民衆の中に 於、 至人間像 ける能力人乃至全人である。 だか ら従来のヒエーマニズぉに 於ける -[人間的なるもの」 乃 由脅 す主義記曾の生産 的創造的なエレー , を、 否定的十 に媒介したものでなければな らぬ。 そうでなければ爺 ) 1 り、個 人 メ ン ト とな り得 な い で あ ろう。く ‐危 曾 的 ヒユ ー マ ニズ ムも、そ れ が ヒュ ー十 二ズム で あ る限,. .と してもぐその個人 はそのまま厳曾 の債値と尊厳を信ず る点に馨りはない。それは共通の地盤である n) の中に生 きて働 らき、 蔵曾の組織、 企書、 統制の中に自由と濁 立 の共同閥心 (Common・Con r s e. を享受する能力を見えた個人で なければならぬ。 ・ 「我々は経済的にも厳曾的にも政治的にも 自由で平等であることを主張す ,る。 個人の頑紙こそ 耽. [うちに愛展・ さるべき擢利と責 曾の第」義的重要性を持つ。 個人 は本質的に債値あるも, の、 叉その 任を持っている創造的表現活動の資源を持つものと信ぜ られる。 園のヵ はそ ・の個々の園民の 夢ぞ ‐ 2 ・ 」( )と の ス ト レー トメー ′ l i i (Po t ent a ty) に在 る。 こ れ は ど の 変 達 段階 の 個 人 に も 言 へ る ことで あ る 。. の立場に立つて、 現代生 ィ ャ ーの 言は、 紙曾的ヒュ ←マ ニズム・ ,活の 「能力へJ を指摘 して い るもの / ‐L とも言へよう。 叉 ジョン、 デューィが、 「個人的教養」 と 「直曾的能力」 ‐とが調和 した人間の形成 ,, して いるのではある まい を、 教 育の目的と して主張するのも、結 局現代に於ける 「能あ虫」 を意味・. i on) t か (J . Dewey: Democr紀y and Educa. ス ト レ ー トメ ィ ャ ← は 新・ら しき人 間 像 に 欝 す る現 代. I Man) -一 人 間 は自 分 l i 1 ) 平 等 な人 間 (Equa 歳 曾 の 要 請(EE篇n t ) を次の 三 つ と して い る。即 ち ( a s. のものである権利と責任とを遂行する機曾を平等に持つべきであ ,る。 それは同時に諺曾を構成する h i 個々人の 「細目な償値」 (Un t ) に饗する律巌に塞いている e 帆′ r o qu i i { 2 } 思 考 す る人 間 (Th ng Ma nk n) --・人間は個人的厳曾 的問題を解決するのに、科挙的方法を .・・.0●. ・. r. 、. .. ‐ ●,. ●. ,. ′ ′. 喜んで使用すべきで ある , 。 人間ゎ判断と賓行は科挙的方法によって、 \別言すれば科撃的知性と技術 r によっ てなさるべきで ある。 人間二 て謝す る縄劉的信頼は ・ 、 この思考する能力、 科.聾的知性によって ,- ,一 科聾的技術を自由に縄便 し得る能力に饗する信頼である。 , ● 一 善のために自分の 有 i M } 協力する人間 C。 { 3 ) --人間は就曾の a t n o pm .する凡 ての 能力を役 立 てるのに民主的方法を使用すべきである。 これは個人 -と厳曾の開心の相互開係-を認める立場であっ を て個々人を してその必 要 最大の杜曾奉仕に向けて合致さすべきことを意味 Lて る;◎ 諺舎は混乱 していて、 そこに は Cul um La t g が深刻に体験される。 然 しそれに・も蜘 らず↓ 人 .間 出脅 す問題解決の方途を信ずる。 ごれは直曾 の進歩並に徹曾の進歩を信 じ、 叉進歩の可能性を信 じ、 重. の組綴、 企書、,統制が個々人に饗 して生活規範 を見出 し、 判断や奉仕を行う助けど なる・ ことを意味 ,. するであろう。 徹曾的統制の行われる蔵 :曾は、 各個人が相互に他人とその努力や愛見や思考の結果 , , , を分かち合って、 紙曾全体の問題を解決することを確信する。 「我 々は密接に統合された世界の員 ・ , ヒ舎 主義的自由一 は、, の 自由」a i 人間一般がその日常生活の諸問題に加 へ られる統制を確立するのに . ・ その 知性を集合的に創造的に使用す ることに, r」 ④ 我々 が人 . よっ てのみ達成されることを確信する。 間の能力に信頼をおく所以は、 個々人がその自 らの関心事や諺曾の事柄に. その 才能能力を役立て. ′. る基本的権利と責任に信頼をおくからである『. で ヒ曾 が ェ セ ン シャ ル ス と して 人 間 に 要 請 す る もの は、 結 局 個 々人が 能力 を具 へ、 そ の 能 方に 窓 じ デ ー - , ・. た活動をすることである。 人間はこ の ょぅに蔵舎的であっ て、 同時に個人的である。 員に個人的に 「 , , な ること によって・ 員に蔵舎的になる。 叉蔵曾に生きることによって、・個人に生きるのでなけれ ば 74. . 二.
(8) . ー そぎセメ ・ 、 、 . -エコ,. r. 、 ‐ , ・ ‐ - . .r ーい ー. . ,, ′ 、」. . .三 , . ・′t ,. 、. 2月 ‐昭和2 4年1. 第1 巻 第 1鍍. 一. ‘ r F 5 ( ) 、 ・ィ な らぬ。「人間は徹曾生活と個人生活の バースベクテ ・ヴの相互性を繕証法的に体験して行く 「 。 ) i・ . 的人間の姿がある6・ノ るところに生け 辻曾性と個性が人間性に於て繕証法的に止揚 され, ; ,る具体 ・ は 人間の自己 形成 , 〆 存在と ‐世界の自己形成に参加す , 人 Lての 曾 「直 的に して個 的である標識法的 , 、 ・ .. ,き. ることに よって贋現される。 歴史の変展は人間の砥曾化への道であると共に個人メヒヘの道冬ある。- -,. ′ 員に個人的にな ることが、 員に紙曾的になることでないと じたならば、 ヒューマニズムの理念は 無 / 6 駄 で あ ろ うo 」 (). ‐. ・. .. \. ‐. ‐. ・ 4 三雲 !. . 拐てかかる徹曾 的に して同時に個人的である厳曾主義杜舎の全体的人間 は・ その本質を何におく ・る平等に して 思考する協力 ヂ で あろ うか、 叉ス ト レ ー トメ イ ヤ rが杜舎のエセン シャルスと して掌を. 7 ) 欲曾にょっ l i ty) で あ る。( t r e a団 Perめna g 的 人間の中核は何であろうか、 それは統合的人格 (ln ・ を ・れら て規定され乍 ら、 而も ,耽 曾を規定する人間、 自然的雇曾的環境によって作 られつ }、 而もご 作って行く人間、 杜舎の 自己形成と個人の 自己形成の中心に立つ人間、 そ の人間の本 質は何 よりも r 一 般こ要請 されて r l i ヵミ 現質杜舎の人間一般に要請さ l 知性的でなければならぬ。 So c a y mindedintenigent man カ ・ ′ い る。. ・・. ,. ‐. ,. 、. ,,. .. L. , .. ′,. その知性は科拳的技術的であり、 同 時に紙曾的贋裏的で なければならぬ。 ‐知性は知識と異リー 我 っ 由な俵揮を 認めるか否 かは、 々人 間が本質的に所有t ている生活上の根本機能であ て、 知性の自 0 良 人間を人間として、 即ち人格と して取扱うか否 かの問題であ .る , 而もこの知性 は人間文化の い蓄 . て行く知 長 は 人間に本質的に存在 し 性に、 成 し 積過 程を通 じての所産であって、 かかる文化的蓄積 、 ●我々の徹曾生活が終 よって、 一層高度に凄展する素材である0 常に過去の所産を踏み台 とし乍 ら・ をして 行くのは、 かか る科撃的砧曾的知性に よるものである。 凡ての人力 が平等に雨 えず自己更新, あるo 古き形を m prに鵡s .に参加 するための不可欠の 簾件はこの知性で・ i ) も協力的に杜曾過程 (S c o はかかる知性を措いて他にない 解放と形成の力 はって 新らしき形 を作るもの、 。,. i llnt l i l e a gence) 紙 曾的 ヒ ュ ーマ ニズ ムの 求め る●と どろ は、科 撃 的 知性に 媒 介 され た 吐曾 的 知 性(SOC. ・は叉員の意味での徹曾人である④. である‘徹曾的知性 は人間を能力人とし全人とするであろう。 それ は、 徹;〆 かかる蔵曾的知性の訓練に、 人間形成の重慰 がある。 私は現代教育の最も大きな課題の一つ, ・ ′ 曾的知挫の訓練であり、かかる諺 舎的 知性に貫かれる厳曾人、全人、能力人の育成であると信 ず る き ト ち紙曾的ヒュ- -マ ニズムに基盤をおく人間教育--これが現状に於ける最大の教育課題であ ると 磯 ! 信 す る。. これは叉現在の日本 紙曾再建の影育に饗する根本信係でもある。 この園に再びファシズムの 擾頭・ も ご することも、 叉この園が戦争や暴力によりて再び破壊されることも断じて あってはならぬ。 ごねは -- ・ 、 ÷ た 粘 し な 決 . て車 , の めの教育は こよりて稲勘に防止 し得る筈である 〆世界平和 園民全体の知性の育成を 、 .. 」 る為題目であってはな らぬ。 我々 はかつての戦争指導者の口から、 これと同 じ言葉を聞いたではな g1 ● 、 いか、 . 「東洋平和」 「世界平和」 と。 平和のための 人間教育は、 人間の知性を中心として 訓練する・ 」 { ′ ● 、‐ ものでなけ ればならぬ。 これなくして紙舎混楓の中に生活する現在の我々は、 再び緩裁や暴力に苦 , 憎せざるを得なくなるであろ,う。 〆 現代英国の諺曾思想家パートラン ド・ラッセルは次のように言う。「教師の知識 を受動的に承諾女 ・ ・・ r に導く。 それは彼等を して指導者を求\ ・. ゞ る習慣 を少年少女につ けさせることは、 彼等の後半生を不幸. . は素朴な彼等を し になる た 人を それ も指導者- と して承認させるよう めさせ、 その地位に置かれ 何 。 ,、 . て責は有害であ る藷組織の支持に欺き導いている教曾や政府や政猿や、 その他凡ゆる組織的 国体の 三 .. 権威を作り 出す。」 ◎ と。 は故曾改造の夏 原 ,、 これは贋に現在の我園にもそのまま受け入れて よ 適切な警告である。 ・そこで 彼 生 て 考 へ ・,.・ よりも 理となる教育の目標を何虞に求めているか、 「ー定の結論を承認させ る, ,寧ろ 徒 をL 75.
(9) . 一. す斧 お鴛 ぎ 欄. ・. ′ ,; December ,19妙 .. - GAKUG冠1. 1 - I VO . .1 , NO. 筆. ・かかるr 三,~- させること」、 叉 「精稗的冒険に謝する愛を喚起 し刺戟すること」 で,あると してい る。 彼 は でなく、 多数者に於ける特権とすることが、 何物 をも恐 ノ r考へること」 や 「思想」 を少数者に於て・ . \ ・これは科蝉的諺曾的知性が 就曾改造 の原動 ニ ご 確信 なると する を養ぅ とに r h的冒険や勇気 れない精祁 。 、 カであることを意味t た も の で あ る。 なければならぬ。 「教育は死 せる事 / 般曾再建の教育は・ 未来に希望を抱く創造的生産的なもので・ . かれ る活動を - 賓の受動的認識を目的とすべきでなく ・て、 我々の努力によりて創造さるべき世界へ導, 、 r る哀 ャやルネッサンス時代の消威 した美に樹す ・ 悼的希望に, ・ はギリシ それ らぬ けれ ばな 目的としな 。 ジ ヨ ン(の に‐向 -. ●. .. マ ニズムによって特 ‐に強調される所以は自ずと明らかであろう。. ′. 、. ・. i.・ ・ ・. . ,‐‐. r 西田幾多郎と三木満の劉談鎌一讃責新聞 (昭和十一年九月 八日ょり五回に互り連載) 1 ( } . 「ヒューマニズムの現代的意義‘西田博士に訊く」 創造性が人間の本質になって行く だろうQそれに個人が世′ , \ 界の「恥じ 、になるという個人中心の見方でなく、却って人間がその中に入っていろo 全体自身が創造的なもの.. tそ の 創.造 的 エ レメ ン トて ある。 」 て、 人 間 は そ の中 の エ レメ yト と してク リ エ ー ト して 行く、 人間ー o lum for Mo dem Living cu P,44 .1947 ,, . 2 { ) F, B,Stratemeyer: Developing a Curri. , ( 3 ) lbid. p.46一48. 4 ・b i p.4字. t )、. 1鮎 Bi dml dea l i 1930 70 71 も l sanf・ ・ r Gegenwa r tundihr 醤i nflus gs s OPhi e De ・ t: Di t e Phi o . 回 Th . ,s .Li . , . ・ ・ t , / ● ‐ , 4蜜 ‐ 6 ( ),三木満:ヒー ‐マユズム 哲学的基礎、 思想 第21 , \ ・ と して ′ :最近のプログレシヴ教育思想の中核を なしているo それは 全体′ im) の思想は、 特- m 統 合 (ln t r a t eg :在る人間一の概念に深く結びついて いるo 統合 煙結 の人間ー知的、 身体的、 情緒的、 諺舎的成長謎達段階1. ′ ; -. 賞杜曾生活の中に求めょうとすれば、 その統合の働 らきをす 。 ジョy、 デューイ . \ さ .る原動力は知性の他はない , t の書に於て、 かかる傾向の主張をな していろo も Human Na tur eand Conduc. 0 1頁.、 { 就曾改造の原理、 世界大思想全集. 1 8 } パーー ・ラ ンド・ラッセル著 村上啓夫謬 J lo ).前掲書 ( 9 q頁 l d Rugg も その著 Dcmoc i i onを風調 し i Ha l racy mdC r an Vi s c u um 中で、 青少年教育におけるrAme c ro u r r て い ろo. ・. 、. .. ‐. .. ・. .. ・ . r●. ,. ・ ● .. .. ・‐. . .. ,. r. ● ′. 余 暇 の 教 育 的 重 要性 安.・. 藤ふ. 忠,. 吉. i t Chuk i i Ando} T熊 lmponance of Lei sur n Educa on ei ch .. 余. 暇. の. 憲.‐義. i i雫e) はS ime(余分の時間) であるoいはばわれわれの生活の中に於ける余 余 暇 (Le s et a r ur et p づ 剰時間であるといえょう。 しかし余剰時間とは何で おろかを規定する ・ことになると非 常にむ か し いのであるが、 一窓次のように分析的に考察 してみることは不可能ではある泳い。,われわれの日常 , , 生活 ば一日二十四時間を 環と・して、 これの運績 しているものであるが、 こ れを分 析してみると勤 r . ’ . も - 、 ・ ・ ● ● 〆 、食事 身仕 ・ 芽、 労働というような各人の本務活動に関す る時間と生命を維持保全するための睡眠、 、, -- .. 男拙等の時間とに凡そ大別することが出来よう。 これ等の活動を個 人的面から み 度、i ・るならば生窟・ 76. ・‐ 、 . . ′ ′ ● ′. .
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