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稲澤努『消え去る差異、生み出される差異――中国水上居民のエスニシティ』

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Academic year: 2021

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【書評】

稲澤努『消え去る差異、生み出される差異

――中国水上居民のエスニシティ』

志賀

市子

中国におけるフロンティア(辺境)ともいうべき華南地域は、古代から現代に至るまで、 漢族と非漢族、移住民と土着民が絶えず接触、対立、同化、融合するプロセスを通じて、複 雑かつ動態的なエスニシティが形成されてきた地域である。本書はこの華南地域のエスニ シティの動態を、主として広東省汕尾の水上居民(現地では「漁民」と呼ばれている)に焦 点をあてて描き出した人類学的研究の成果である。 本書に関しては、すでに日本文化人類学会の学会誌に、日本の水上生活者との比較という 観点からの書評が掲載されている1。本稿では、華南の地域研究を主眼とする『華南研究』 への投稿であること、また評者自身が香港や広東省汕尾市の海豊県をフィールドの一つと し、人類学的研究を行ってきたことを踏まえて、批評を試みることにしたい。 華南地域の水上居民についての一般的なイメージとは、船に居住し漁業を行うというも の、またかつては文献上「蜑」や「蛋」などと記されてきた非漢人の先住民族というもので ある。だが、現地調査を通して浮かび上がってくる水上居民の実態は、こうした通俗的な理 解をはるかに超える。なぜ、そうした多様な人々が「水上居民」という一つのカテゴリーに 括られてきたのか、エスニックな境界をつくり出しているのは本当に生業や居住形態の違 いだけなのか。これらの問いは、長沼さやかが宗族の発達した珠江デルタ地域の水上居民を 対象とした研究で論じたものだが2、本書も同様の問題意識に立つ。本書は、珠江デルタ地 域とは異なり、宗族のあまり発達していない汕尾の水上居民を対象とすることで、生業や居 住形態や宗族以外に、どのような文化的差異が陸上のマジョリティとの境界をつくり出し ているのかという新たな問いを提起している。 まず以下の目次に沿って各章の内容を紹介する。 序 章 問題の所在 第1章 水上居民像の形成 第2章 水上居民像の再編 第3章 調査地概況――広東における汕尾 第4章 汕尾における「漁村」の成立 第5章 「漁村」の廟活動と漁民像の資源化−漁村理事会の活動を中心に 第6章 汕尾市における諸エスニック・カテゴリーと「漁民」 第7章 あらたな他者とエスニシティ

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終 章 結論――消え去る差異、生み出される差異 序章では、前提となる理論的枠組みの整理として、これまでの水上居民研究と華南のエス ニシティに関する先行研究が紹介される。中国の水上居民はかつて、文献上は「蜑」「蜑民」 「蜑家」(現在では「疍」の文字が使われる)などと表記されてきた。著者は、集団として の実態を想起させる「民族」や「エスニック・グループ」と見なされてきた従来の水上居民 研究を批判的に検証する。さらに従来のエスニシティの理論を検討した上で、前川隆の定義 に倣い、エスニシティを「国家の枠組みの中で、出自や過去、文化的な特質を理由に異質と 思念される人々を範疇化する際の、自己規定あるいは他者規定の原理」(27頁)として用い ることを提唱する。そして、「集団枠組を取り外しながらカテゴリーとアイデンティティ概 念を取り込みつつ集団の在り方とを論じるエスニシティという概念を用いる」(28頁)こと で、集団としての実態はないが、人々の思念に存在する水上居民像が明らかにできると著者 は主張している。 第1章では、1950年代以降香港を拠点として研究を行ったバーバラ・ウォードやモーリ ス・フリードマンら欧米人人類学者の研究――著者の言葉によれば「香港人類学」――におい て、水上居民像がどのように描かれたのかを検討している。香港の水上居民を研究したウォ ードは、水上居民が「自家製モデル」に従って日々生活を営みながらも、伝統中国の士大夫 の価値観や社会規範をモデルとした「主観的伝統モデル」に価値を見出していることを指摘 した。ウォードが水上居民を漢族と見なした根拠の一つであるこの「主観的伝統モデル」と いう考え方には、香港を中国本土に代わる「残された中国」と見なした欧米人研究者の、西 洋という絶対的他者との対比でChineseの一体性を強調する中国イメージが大きく影響し ていたと著者は指摘する。一方中国本土では、水上居民はもともと漢族とは異なる「疍」と いう「種」または「民族」と見なす言説が存在した。中華人民共和国成立後は中国共産党の 民族識別工作を経て、独自の言語を持たないなどの理由から、水上居民は少数民族ではなく 漢族の一部とされた。と同時に、水上居民の抱えている社会的経済的問題を解決するために、 陸上がりを始めとする政策が打ち出された。 第2章第1節では、ウォード以降の水上居民研究について検討している。可児弘明を始め とする1970年代以降の香港水上居民研究において、エスニック・グループは言語、文化の 遠近に応じて決定されるのではなく、集団間の関わり合いの中で生まれるエスニシティを 人々が読み取っているのだという立場の研究が主流となった。たとえば可児弘明は、「疍」 や「水上居民」について、そのような単一の社会集団があったわけではなく、仮にそう呼ぶ のは、人々が陸上、水上という相対的な集団概念をつくりだした結果に過ぎないと指摘した。 エスニシティを実体的なものととらえるのではなく、思念されたものととらえる本書の枠 組は、この可児の捉え方に近い。第2節では中国の学術論文や1990年代以降編纂された県 志の記述を検討している。民族識別工作後の中国において、水上居民は少数民族ではないが、 階級闘争の中で「支援されるべき貧困層」と位置付けられた。にもかかわらず、県志の記述 には、水上居民の祖先は「疍」という異民族であり、その子孫も漢族とは異なるという認識 が読み取れると筆者は指摘している。 第3章からは、著者が広東汕尾で行ったフィールドワークに基づくエスノグラフィーの 始まりである。本章ではまず、清代以降漁港として発展した汕尾市の概要が示される。汕尾 市は、人口のマジョリティは福佬語話者の漢族だが、マイノリティには少数民族の畲族や客

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家語を話す漢族がおり、さらに沿海漁民人口の中には水上居民の後裔とされる人々を含む。 汕尾は清末から現在まで香港との結びつきが強く、香港へ移住した家族からの仕送りや香 港との「商売」、とくに「走私」(密輸)が汕尾の経済を牽引してきた。近年汕尾の町では 媽祖廟を始めとする神廟の復興が盛んであるが、その資金の多くは、香港との商売で儲けた 人の寄付に依存している。 第4章では、汕尾における「漁民」と「漁村」の輪郭がどのように形づくられてきたかに ついて論じている。汕尾における「漁民」には二つの意味がある。一つは字義通り漁業に従 事する人という意味、もう一つはかつての疍民、すなわち水上居民とその後裔を指し、他称 としては「后[甌]船仔」、「疍家」などがある。また後者の意味の漁民には福佬語系と広東 語(白話)系の二つがある。汕尾の水上居民は、1953年の台風をきっかけとして漁村への移 住が促進され、生産体制の集団化が進められた。このように政策によって行政組織としての 「漁村」が形づくられたこと、また漁民は農民や都市民に比べて漁業権や配給量などの点で 優遇されたことから、「漁民」には新たな集団としてのイメージが付与された。だが「走私」 が大流行した1980年代以降は、「漁業をしない漁民」が多数を占めるようになり、陸上住民 との文化的差異は急速に失われつつある。 第5章では、「漁民」の文化的戦略を論じている。現代中国では、あるエスニック・グル ープが民族文化を用いてそのアイデンティティを主張しようとする民族文化のポリティク スは、知識人の学術表象や地方政府による観光開発に顕著に現れる。知識人が少なく、公定 の「民族」でもない水上居民は、積極的アイデンティティを主張しやすい環境にあるとは言 えないが、彼らが何ら文化的戦略を持たないわけではない。2006年から漁村を母体とした 理事会が設立され、媽祖誕や水仙爺誕などの祭祀が行われるようになった。2006、2007年 には、政府主催の「汕尾媽祖文化節」の催しものである媽祖誕のパレードにも「漁民の婚礼」 の仮装で参加した。このほか、近年地方政府が無形文化財として選定するようになった「漁 歌」を、汕尾の伝統文化として宣伝していこうとする動きもある。しかしながらこうした動 きは、漁民の文化を中国の、あるいは汕尾という地域の誇るべき「伝統文化」として対外的 にアピールすることにはなっても、漁民アイデンティティの強化には必ずしもつながって いないと著者は分析している。 第6章では、汕尾市内のエスニック・カテゴリーのうち、少数民族の畲族、客家、そして 白話漁民をとりあげ、マジョリティである汕尾話(福建系海陸豊方言)者との差異化におい て、漁民とどのように異なるのかを考察している。畲族はもともと山地民であり、焼畑を生 業としていたとされることから、水上居住、漁業を理由に区分されていた疍と同様、先住民 の子孫と見なされることが多い。生業と生活様式という差異が消え去った今日、畲族とマジ ョリティの差異を生み出しているのは、言語の違いと学術文献の記述だけである。汕尾市内 の客家は客家語を話さず、マジョリティとの間で観察可能な差異は、やはり学術による表象 や政府による文化の資源化のみである。白話漁民はもともと広東西部から汕尾に移住し、ト ロール漁船での深海漁業に従事していた人々で、出身地と生業、そして海上における作業区 域の違いから生まれたカテゴリーである。総じて言えば、歴史文献を利用して語る差異化は 再生産を志向し、その差異を固定化していこうとする傾向があるのに対して、日々の暮らし に見られるカテゴライズは社会経済的状況に応じて変化していく傾向があると著者は述べ ている(216頁)。

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第7章では、新たな他者との接触によって意識される差異が描かれる。水上民と陸上民と の目に見える文化的差異が消滅しつつある今日の汕尾において、新たな差異が意識される 機会となっているのが、四川からの出稼ぎ労働者や香港からの帰郷者といった文化的他者 との接触である。本章ではそのリアリティを、汕尾の地元民が春節や清明節を過ごす中で出 会う他者とのやりとりから分析している。ここで登場するのは、非漁民で海陸豊方言を話す R家と漁民のX家で、いずれも著者が住み込み調査をしていた家族である。正月を迎える準 備をし、除夕に家族親族が集まって酒を飲み、廟や船で「拝神」する様子を、民族誌的に記 述したこのくだりは、評者が海豊県の村に滞在して体験した春節や神誕の過ごし方ともよ く似ていて、とても懐かしさを感じた。また香港人帰郷者がことあるごとに「大陸はだめだ、 野蛮だ」と広東語で繰り返したり、物品や金銭を大盤振る舞いしたりする様子も、「香港人 あるある」で思わず笑ってしまった。R家とX家の春節や清明節の過ごし方について、非漁 民と漁民という違いはあるが、彼ら自身はお互いにあまり大きな違いはないと考えている。 一方、香港からの帰郷者、墓参りの手伝いをして賃金を得る四川人、内陸出身のレストラン のウェイターと接触した時には、言語や生活習慣という観察可能な差異に基づいて相手を 値踏みし、相応の態度をとる。過去の歴史についての断片的な知識に基づいた水上居民と陸 上居民の文化的差異は、日常生活の中ではもはやほとんど意識されず、新たな文化的他者と 比べれば、生活習慣や言語を共有しているがゆえの相対的な文化的距離の近さのほうがむ しろ意識されるようになっている。新たな文化的他者との接点が増えることは、水上居民と 陸上居民とのかつての差異を消し去る契機になりうると著者は結んでいる。 終章では、本書のタイトルである「消え去る差異、生み出される差異」に込められた結論 が示される。著者は水上居民のエスニシティが構築されるプロセスを、陸上民との差異を生 み出す要因と、差異を消したり、見えにくくしたりする要因の二つに分類し、時代順に並べ て分析した。前者には歴史や学術を反映した観光開発など、直接観察することのできない差 異が含まれ、後者は「漁村外にマンションを購入して住む漁民の登場」といった、社会生活 において現実に観察可能な差異ということもできる。なぜ水上居住でも漁業従事者でもな くなった人々が「漁民」と呼ばれ続けるのか。著者の答えは次のとおりである。実際に生業 や居住形態といった観察可能な差異が消えつつあっても、歴史に基づいた学術的な諸構築 物は絶えず生み出され、消え去ることがないからである。「漁民エリートや学術関係者、政 府関係者など各主体」が、それを使用することで、「すでに消え去っているかのように見え た水陸の境界が再び現れてくる」(268頁)と、著者は結んでいる。 以上が本書の概要である。なお、本書は東北大学大学院環境科学研究科に提出した学位請 求論文を加筆修正したものである。 本書の魅力は、著者がフィールドで出会った人々が何気なくかわす会話や日常のさまざ まな行為の詳細な観察が随所にちりばめられている点であろう。たとえば、著者が住み込み 調査をしている家族と夜食を食べながら聞いた話として、「汕尾人は食べるのが好きだ。10 元儲けたら8元は食べる。汕頭人は金儲けが好きだ。10元儲けて2元しか食べない」という 語りが出てくる(115頁)。評者もかつて海豊人から潮汕人はけちだという話をさんざん聞か されたが、これは犬鍋を食べながらの語りであるから、なおさら実感がこもっている3。こ うした記述のおもしろさは、著者の資質や経験によるところが大きいのではないかと思わ れる。著者は学部時代に中山大学に短期留学し、客引きに言われるまま一人で路線バスに乗

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り、潮州にたどり着いた時には夜中になっていた、という強者である(291頁)。修士課程か らは中山大学の人類学系に籍を置き、本書のフィールドである汕尾の漁村で住み込み調査 を行ってきた、根っからのフィールドワーカーといってよいだろう。 また前半の、エスニシティ研究における理論とその背景、香港、中国の水上居民研究の変 遷を整理した部分は、的確でわかりやすかった(実際に文化人類学の授業で、参考文献とし て使わせてもらったこともある)。また先行研究ではあまり取り上げられていない、1990 年代以降編纂された新しい地方志の水上居民像に光をあてた点も評価できる。 しかしながら調査や考察の点では、やや物足りないと感じられる箇所もいくつかあった。 本書は概要で示したとおり、農耕が生業の中心であり、大宗族が発達した珠江デルタに対し て、マジョリティの生業が商業や漁業であり、宗族もあまり発達していない汕尾のような地 域で、水上居民、漁民のカテゴリーがどのように維持されてきたのかという問いが前提とし てある。そうなるとどうしても、本書と関心や研究方法が近い長沼さやかの水上居民研究を 参照せざるを得ず、評者はこの書評を書くために、長沼の著書を購入して読んでみた。どち らが優れているということではなく、ここでは両者を読み比べて、思い浮かんだ疑問点をい くつか挙げてみたい。 第一に、フィールドワークに基づいた現在が生き生きと描き出されているのに比べて、過 去の状況についての記述がやや乏しいと感じられる点である。汕尾では、水上居民が陸上が りする以前や陸上がりしてまもない頃、陸上民と水上民は日常生活においてどのような接 触をもっていたのか。彼らは互いにどのようなまなざしをもって相手を見ていたのだろう か。第4章の「解放前の漁民の生活について」という節では、水上居民は漁父や漁業資本家 に「差別され、搾取される人々」として描かれている(150頁)とあるが、陸上民に差別さ れていたとは書かれていない。 長沼の珠江デルタの事例では、元水上居民がかつて、陸に家を持たず船に住んでいたこと を理由に「蛋家佬」と呼ばれて馬鹿にされたという言説が、人々の語りの上から明らかにさ れている4。珠江デルタでは、このような差別や偏見が解放後も依然として存在し、現代ま で続いている5 汕尾の水上居民(漁民)がかつて陸上民に差別的な扱いを受けていたのかどうかについて は、たまたまそのような語りが聞かれなかったのか、それとも汕尾ではあからさまな差別を 受けることはあまりなかったのか、本書は明言していない。だがたとえば、汕尾の「東社」 「西社」の廟では、かつて疍民からも演劇奉納の費用が徴収されていたという記述から、 「(水上居民が)神の保護を受けるべき対象として陸上に住むものとの違いなく社のメンバ ーと認識されていた証拠であり、社会的に排除された関係ではなかった」(152頁)と指摘 している点は、もう少し掘り下げてもよかったのではないかと思われる。解放前の汕尾では、 水上居民(漁民)は、珠江デルタの水上居民ほど異質な存在とは見られていなかった可能性 を示唆しているからである。 評者が以前調査していた海豊県のフィールドは曽姓や施姓の単姓の農村だったが、祖先 は福建から来た漁民だったという話をよく聞いた。著者も、汕尾のマジョリティの生業は商 業や漁業だったと述べているように、汕尾市全体の地理的条件から見た場合、少なくとも生 業という点から、陸上民が水上民をまったくの「文化的他者」と感じることは、もともと少 なかったのではないだろうか。

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だが本書は、汕尾の陸上居民の間でよく耳にするという「『漁民』は陸地の汕尾人とは違 う」という語りを重視する。その例として挙げているのが、陸上居民である民俗写真家の「漁 民の年越しの過ごし方は、我々とは違うはずだ」という語りである(221頁)。民俗研究家 や民俗写真家といった人々は、各地の風俗習慣や民俗行事を詳細に観察、記録することを仕 事としているため、とりわけその違いに敏感な傾向がある。すでに著者自身が「(エスニッ クな)カテゴリーの境界は、それが問題となる場面のコンテクスト(誰が誰に対して何を語 るのか)に依存している」(217頁)と指摘しているように、自分達と違う風習を持つ「漁 民」という語りが、どのような職業や立場の人々によって、またどのような状況でなされた のかは、もっと詳しく記述する必要があると思われる。 第二点として、長沼が調査した村の内部では、水上人が岸上人(陸上居住民)にばかにさ れたり、漁民が農民に蔑視されたりすることはほとんどなく、それよりも村の人たちが意識 するのは、市や鎮に住む都市居住民からの差別のまなざしであったという。インタビューで は水上人であれ岸上人であれ、農村の人間が都市に行くと、田舎のなまりがあると言われて ばかにされたというエピソードが語られている6。一般に中国では、都市民と農民の間で意 識される言語的差異は、身なりや持ち物といった目に見える差異とともに、境界をつくりだ す指標となりやすい。都市と農村の社会階層や教育水準の格差を背景として、互いに近い言 葉を話すからこそ聞き分けられる微妙な言語的差異に基づいた自己と他者のカテゴライズ は、都市民と農民が混在する場所であれば、地域を問わずほとんど普遍的に存在すると言っ てよい。だが本書によれば、少なくとも現代の汕尾では、陸上民と漁民は基本的に同じ海陸 豊方言を話すとあり(253頁)、お互いの言葉や生活習慣にとくに異質なものを感じている 様子は見られない。都市と農村の差異はむしろ、香港人と汕尾人との間で強く意識されてい る(252頁)。珠江デルタでは「水上人は常に都市との対極におかれ、特殊な存在として認識 されている」のに対し、汕尾では、都市居住か農村(漁村)居住かという差異は、汕尾内部 の住民間ではあまり大きな意味を持たなかったということだろうか。 人類学的なエスニシティ研究において、インタビューや人々の何気ない会話における語 りは重要な資料であるが、効率よく収集することがむずかしい資料でもある。語りは、意図 的に引き出そうとすれば、誘導尋問になってしまう。また語りはきわめて状況依存的である ため、自分が期待するような語りが必ず得られるとは限らない。だからこそ、現地の人々と 長期間生活を共にする人類学的なフィールドワークが効果を発揮し得るのであり、人々が さまざまな他者と接触する状況を、春節や清明節の民族誌的記述を通して分析した本書の 試みは、おおむね成功していると言えるだろう。だがそれでもなお、語りを資料とすること のむずかしさは少なからず存在する。 たとえば、過去の時点でのエスニシティや差別意識を示唆する語りは、過去に現地調査が 行われ、インタビューの記録やエスノグラフィーが残されているような地域でもない限り、 収集することはできない。現時点で得られる過去についての語りは、厳密にいえば過去の事 実ではなく、過去についての記憶や現在との対比である。そういう意味では、文字で書かれ た資料のほうが、誰の、どの時点での、どういう状況においての意識なのかがはっきりして いるということもできる。だが、日常生活における自己や他者に対するアイデンティティや カテゴライズの意識は、文字資料にはなかなか残らないものである。地方政府の役人が「汕 尾媽祖文化節」の開会式で読み上げる挨拶文や漁民理事会のイベント「元肖節文芸会」のチ

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ラシの文言から、集団としての公式的なアイデンティティは読み取れるかもしれないが、 個々の成員の集団への関わり方は一枚岩ではない。 ここで、「漁民」アイデンティティをどうとらえるかという第三の疑問が浮上する。長沼 の事例でも、水上人が継承してきた民間芸能の「咸水歌」が注目されたことをきっかけとし て、水上人が定住した沙田地域の風俗を「水郷文化」と称し、観光資源として利用しようと する動きが紹介されている7。「咸水歌」のブランド化や「水郷文化」の創出はもともと水 上人の側から出てきたものではなく、政府や政府の政策を受けた観光業者によって政治的 に創りだされたものだが、水上人側にも、自分たちの文化として語ろうとする変化が生じ始 めていると長沼は指摘している8。一方汕尾では、漁民たちが自らの漁民文化を宣揚しよう とする動きは、「漁民」アイデンティティ強化の動きには必ずもつながっていないと著者は 見ている。その理由は、漁民たちが積極的に自分たちは「漁民」であるというアイデンティ ティを主張するのではなく、自分たちが持っている文化を中国人が誇る中華文化や汕尾の 伝統文化の一つと位置付けているからだという(191頁)。だが、評者は次のような疑問を 持つ。汕尾の「漁民文化」は、「咸水歌」や「水郷文化」とは異なり、汕尾の漁民自身が、 自分たちの文化の中から取捨選択し、対外的なアピールの戦略として打ち出した文化であ る。観光資源として収入を得ようとするためだけなら、船上生活や少数民族風の服装といっ た異質性を強調したほうが得策であっただろう。だがそうはせず、自分たちの文化を中華文 化の一つと位置付けたところにこそ、「われわれ漁民」の自己認識が現れているとは言えな いだろうか。 「漁民」アイデンティティを考える上で興味深いのが、本書第3章のヤクザと「漁民」と の間で2010年7月に起きた事件をめぐって、インターネットの掲示板でかわされたやりとり である。この事件は「漁民」の屋台主と「やくざ」との間のみかじめ料をめぐるトラブルを きっかけとして、関帝廟側のヤクザ約100名が漁村を襲ったというものである。ヤクザの襲 撃はこの時だけではなく、以前から起きていたようである。掲示板の書き込みなので真実か どうかはわからないが、関帝廟の背後には汕尾市の政府や公安が控えている様子もうかが える。ここで重要なことは、ヤクザの漁村襲撃は、漁民、漁村全体に対する攻撃ととらえら れ、漁民たちに「われわれ漁村人」という意識を喚起している点である。また、漁民かどう かはわからないが、中立的な立場に立つある市民の書き込みには「まさか弱いと思う相手に 自分の強さを示すために行うのではあるまい」(133頁)とあり、関帝廟のヤクザが漁民を 自分たちよりも劣位にある存在ととらえており、その関係性を元に自分たちの優位性を力 づくで示そうとしていることが読み取れる。事件の背景に、関帝廟側ヤクザの「漁民」に対 する根強い偏見や蔑視があるのかどうかはわからない。だが、この事件や関連する出来事に ついて、関帝廟側、陸上居民側、漁民側のそれぞれの語りがもっと得られていたならば、「漁 民としてのアイデンティティ」を考える上で、より多くの手がかりをつかむことができたの ではないだろうか。 最後は本書の結論についてである。結局のところ陸上民と漁民の境界を維持し、強化して いるのは、学術に表象される歴史に基づいた漁民像であると結んでいるが、研究者の論文や 地方志、博物館等の展示に表象される漁民像が、汕尾の陸上民や漁民の日常の意識にどれほ どの影響力を及ぼしているのかについて、評者は少々懐疑的である。学術的諸構築物が生み 出す差異に最も敏感なのは、調査者自身を含めた研究者や地方の文史工作者、政府の役人や

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観光業者ではないだろうか。彼らが新聞や学術誌やインターネットなどさまざまなメディ アに掲載した文章や彼らがつくりだした展示は、確かに学術的なサークルや政策決定の場 では大きな影響力を持つだろう。しかしながら学術的サークルや政策決定とは何の関わり も持たない大多数の人々にとって、そうした学術的構築物を目にする機会は滅多になく、そ れほどの影響力があるとは思えない。著者の言うとおり、生業や居住形態という目に見える 差異が消え去り、経済的格差という差異も目立たなくなってくれば、陸上民/漁民というカ テゴライズは、おそらく今後はさらに、普段は意識されないものとなっていくであろう。だ がそれにもかかわらず、関帝廟のヤクザと漁民との間に噴出した激しい対立に見られるよ うに、優位に立つ陸上民/劣位に置かれる漁民というカテゴライズが今もなお時として顕 在化するのであれば、それは学術的な諸構築物による影響というよりは、両者が接触する生 活圏において歴史的に蓄積され、現在もなお再生・更新され続けている記憶や経験によるも のとは言えないだろうか。 以上、調査がむずかしいことは重々承知しながらも、敢えてないものねだりをしてしまっ たことをお許し願いたい。現在著者は、汕尾の調査を継続しつつ、陽江や高州など新たなフ ィールドにおいても水上居民の調査を続けていると聞く。今後はその成果をぜひ生かして、 本書を越えた華南地域のエスニシティ研究を深化させていくことを期待したい。 (東北大学出版会、2016 年 6 月、295 頁) (しが・いちこ 茨城キリスト教大学) 【注】 1 厚香苗「書評:稲澤努『消え去る差異、生み出される差異――中国水上居民のエスニシテ ィ』」『文化人類学』82 巻 1 号、2017 年、109-112 頁。 2 長沼さやか『広東の水上居民――珠江デルタ漢族のエスニシティとその変容』風響社、2010 年、4頁。 3 犬鍋は夜食で食べる鍋としては高級な部類に属し、羊、牛、鶏の鍋よりも値段が高いという (127 頁)。 4 長沼前掲書、70 頁。 5 同上、88 頁。 6 同上、76-77 頁。 7 同上、199-237 頁。 8 同上、234-235 頁。

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