この﹁東洋文化論集﹄は、その表題にも示されるように隔井 康順博士の知友でひろく内外の学会で活躍されている多数の学 者が、同博士の古稀の寿を祝して、献呈されたものである。 福井博士は未開拓の学問分野であった道教の研究に先鞭をつ けられ、﹁道教の研究﹄﹁道教の基礎的研究﹄などの名著によ って知られる如く東洋学中での特異な思想的領域である道教の 研究に多くの業績を残され、且つ久しく日本道教学会を統率し て来られた期学の重鎮である。然し同博士の学問的関心は単に 道教の研究のみにはとどまるものではなく、極めて広汎に亙り 自由で且つ峻厳な批判的学風を以て望まれ、その成果は幾多の 論文著作となって結実している。そのことは本書の巻頭に城せ られている論著略表によって詳細に知られる所であり、今また ﹁道教思想史研究﹂﹁佛教思想史研究﹂﹁神仙伝﹂等の著述が 近く学会に提供されると聞きその不挽不屈の研究意欲に学会は ひとしく注目している所であり、その出版が待たれる。 また同博士の学会・思想界に寄与された業績についても本書 に附された略歴に示されている。このことも亦私が喋喋するま てもなく衆目の見知するところである。かくして古稀に到るま
鯛詩読計東洋文化論集﹂
木村宣彰
でに職んでこられた学徳は、直接にその人格に接し、また附 土の研究業績にふれる時、何人をしても敬愛の念を抱かせずに はおかないであろう。この度、同博士頌寿のためによせられた ﹁東洋文化諭集﹂の七十九篇の論文lその中にはコレージュ・ ド・フランスのR・A・スタン︵聾。旨﹂園○罵陽・︶、・くり大学の M・カルタンマルク︵〆騨拝①冒日貰戸冒四擁︶、同じく陳昨龍、嶺 南大学の供淳昶ら六氏の外国の学者が含まれ、総計一三○八頁 lが正しくこのことを如実に示している。 さてこのように広範でしかも各方面から深く研究された論文 を、もとより若輩の私がここに全篇にわたって一を紹介し批評 することはできない。そこで日頃私が関心を懐いている論文、 殊に佛教に関するもののみを紹介し、佛教以外の論文について は紙教の許す限り論題と執筆者を示すに止めることとした。陥 井博士並びに執筆者各位の御寛雅を願う次第である。 佛教に関する論文には次のようなものがある。いわゆるイン ド佛教と称されるものから紹介したい。特に原始仙教をあつか ったものに西義雄氏の﹁原始俳教に於ける不死︵甘露︶につい て﹂、橋本芳契氏の一︲法句経の浬藥観﹂がある。前者は不死 ︵四日“国︶すなわち甘露の内容と、般若・無為・浬梁などとの 関係を論じ、中国で四目騨雷を直訳して不死とせず#露と義訳 したのは翻訳者の巧みな配慮に由るものであったという意味を 述・へておられる。又、後者は法句経をテーマとして生死と浬巣 観について考察したもので、浄土教との連関にまで及んでいる↑ アビダルー、に関するものに中村元氏の﹁アビダル↓、の縁起 92説﹂があり、アピダルマ論耆に於て縁起を有為法となす説、無 為法となす肌など縁起の解釈の種を雑多な説を整即し、それら に共通する立場は縁起を時間的生起の関係に於て解釈した点に あって、ここに中観派の相依説との相違があることを指摘され ている。 大乗佛教・大乗経典について論じたものに、上川義文氏の ﹁大乗佛教成立論に関する疑問﹂、宮本正尊氏の﹁弓馬三己巳① ℃四号の。目、の冒旨国耐8喝鼬目39のご﹂、中村恥隆氏の﹁大 法鼓経における二三の問題点について﹂、渡辺照宏氏の﹁法華 経梵語諸本の系統について﹂がある。先ず上田氏は大乗佛教成 立に関する最近の学会の論調に対して疑問の一石を投ぜられた。 すなわち、従来は大乗佛教を興したものを以て釈尊の精神に還 れと主張する在家の信者たちであったと見るのが一般であった が、氏によれば大乗経典は未だ俳陀に至っておらぬ在家人など というものではなくて、自ら佛陀となったという自覚をもった 人が自らの思想を表現したものであると言われる。これは学界 に波紋をおこすのではないかと思われる。宮本氏は歴史・社会 の中で中道概念を問題にしておられる。すなわちアリァン開拓 史上の﹁北方﹂﹁中国﹂﹁東方﹂の三期の脈史社会に於て如何に 中道思想が形成され発展したかについて考察された。中村氏は 大正大蔵経の法華部に収蔵されている大法妓経について、チ。ヘ ット訳を対照しながらその主題や法華経・泥疸経との関係等に ついて述べられた。渡辺氏の論文は法華経の梵語原典として現 存するネ・︿−ル系写本、西域で発見された・ヘトロフスキー本. カダリック本及びカシミールのギルギヅト本を対照し序品を例 にして相互の異同を検討されたものである。 経典の翻訳には種々の問題が介在するが、かかるテーマを扱 ったものに壬生台舜氏の﹁経典翻訳に現われた社会構造の問 題﹂、干潟龍祥氏の﹁梵漢雑俎﹂がある。壬生氏は異質な社会 構造を有するインドとシナの間で梵語経典が漢訳されるに際し︾ 風俗・習慣の相違が見出されることを注意し、方位・家族制度 などの例を引いて従来あまり取り扱われなかった問題を論ぜら れている。干潟氏は以前智山学報で﹁梵漢雑俎﹂と題し、孟藺 盆・本無︵菌昏凋騨如︶等の翻訳について考察されたが、今回 は茶毘令菅管目ゞ爵.庸目男四陸︶の音写語、蛇維・閤維・ 耶維など二について原音・音写理由を詳細にわたり論究され た。又、量或は弓のの音写に﹁随﹂が用いられる事実につい て推論されている。 次に中国の佛教を論じたものには、横超慧日氏の﹁天台教判 の特色に関する一試論﹂、佐藤哲英氏の﹁四十二字門略紗の本 文並びに解説﹂、関口真大氏の﹁霊山直授と抽花微笑﹂、藤堂恭 俊氏の﹁曇鶯の箸摩他・砒婆舎那観﹂、牧田諦亮氏の﹁階長安 大禅定寺智興について﹂、道端良秀氏の﹁曇繍と道教との関係﹂、 柳田聖山氏の﹁普化の風狂﹂がある。日本・中国の多くの教判 の中で最も学者の推称を得たものは天台智顔の教判であるが、 横超氏は天台教判に対する後人の論評を紹介し、その内面的な 特色をさぐっている.即ち、智顎の教判の特色を、証悟に基づ く理論であることと、その構造が単に序列的・分類的なもので 93
なく、複合的・機能的な構造を有する点とに求め詳論された。 次に佐藤氏は、慧思の著作といわれる﹁四十二字門﹂は散怯しそ の全貌を知り得なかったが、この度同氏が滋賀県坂本西教寺で 発見された﹁四十二字門略紗﹂によってほぼその原型が推察し得 るとなし、ここに﹁略紗﹂の全文を紹介し且つその文献的価値を 明らかにされた。関口氏は禅の抽花微笑と天台の霊山直授の本 来的趣旨を明かし、かかる説話が形成された背景をさぐってい る。すなわち、枯花微笑の説話は、付法蔵因縁伝の不備を補う 為に十一世紀の中国で創作されたものであり、霊山直授の相承 説は、最澄の明す所で両者は別個に成立したものであると論じ、 我煮自身の内に霊山直授・拮花微笑を認めねばならぬと言われ る。藤堂氏は曇鴬の箸摩他︵留日幽巨国止︶、毘婆舎那曾冒︲ 母p鼠観︶の注釈を通して、華北佛教界の止観実践の種を相、 浄土教家としての曇鴬の特異性を究明された。また道端氏は曇 鴬と道教との関係を論じ、道蔵に収められる﹁鴬法師服気法﹂ は実は道教のものではなく佛教独自のものであること、また曇 鴬が陶弘景に師事し仙方十巻を与えられたが、のちに焼き棄て たといわれる﹁仙方﹂を、従来は﹁衆醗儀﹂あるいは﹁抱朴 子﹂といわれていたが、同氏は陶弘景の﹁本草集注﹂であると 推論されている。牧田氏は﹁続高僧伝﹂等に見える智興の鳴鐘 功徳応報の説話の成立、伝承を論じた。柳田氏は臨済録等の文 献批判を為しつつ所謂〃普化の風狂″の原意をさぐっている。 すなわち普化という人の行動が、はじめは中国人を魅了した佛 者の神異のようなものでなくまた単に日常性のみでもないとし、 奇異にして極めて自然な、両者を統一したところに普化の意義 があると論ぜられている。 チベヅトや西域の佛教を取り扱ったものに酒井真典氏の﹁文 殊友の菩提心諭について﹂、小笠原宣秀氏の﹁中世吐魯番浄土 教の信仰形態﹂がある。酒井氏は文殊友︵巨昌言閏日日四︶の 菩提心諭︵菩提心修習︶を解説し和訳をせられている。小笠原 氏はかって﹁高昌国の佛教教学﹂︵佛教史学論叢︶と題し、吐 魯番に於ける経典訳出及び流布について論じられたが、今回は 特に浄土教の流布・浸透の経過を考察された。 直接に佛教を取り扱ったものではないが、中国思想と俳教と の連関に焦点をあてた入矢義高氏の﹁空と浄﹂、大淵忍爾氏の ﹁老子化胡説小考﹂などは佛教思想に関連する問題を別な角度 から論じたものとして共に一読すべき論考である。 戒律を論じたものに平川彰氏の﹁律蔵の溺磨について﹂、佐藤 密雄氏の﹁戒の解釈について﹂、恵谷隆戒氏の﹁円頓戒の戒体論 について﹂、櫛田良洪氏の﹁西山教団の菩薩戒相承をめぐって﹂ がある。前二者はインドにおける戒律論であり後の二者は日本 佛教における戒律論であるが、その中すでに﹁律蔵の研究﹂の 著書中で戒律に関する多くの研究を発表された平川氏は、︸﹂こ では特に掲磨の分類・人数などについて諸律を批較しながら論 ぜられた。氏によれば律蔵で掲磨という時はサンガの﹁議決﹂ を意味し、この制度は原始佛教の時にすでに成立しており人数 も一定していたが、その種類は諸律において種を不同が生じた ことを述べられている。一作佛教教団の成立と展開﹄という大著 94
のある佐藤氏は、戒文の意味付けがその結戒の因縁の用い方や 作り方に規定され、それはまた時代教学を反映していることを 僧残法の無主作小房戒と波羅夷法の殺人戒とを例に引いて説明 されている。次に円頓戒の研究者として知られる恵谷氏は最澄 以后の諸師の戒体説を紹介し、結局は心法戒体説と色法戒体説 に分類している。又、櫛田氏は円頓戒史上の法然を論じ、法然 の社会的活動は持戒授戒の問題を離れては論じ得ないという観 点から、念佛者としての法然ではなく戒師としての怯然につい て詳論された。これに対し念佛者法然については、坪井俊映氏 の﹁法然浄土教における一向専修の形成について﹂がある.す なわち法然の﹁往生要集釈﹂﹁無量寿経釈﹂の著述を手掛りと して法然の念仙思想の変造、一向専修思想の形成について論じ られた。同じく法然の開宗に関し浄土五祖相承説を扱ったもの に香月乗光氏の﹁法然上人における相承説の問題﹂がある。 この外、日本佛教の方面では、伊藤真徹氏の﹁平安時代前期 における浄土教信仰について﹂、平了照氏の﹁恵心僧都の観心略 要集について﹂、荻須純道氏の﹁夢窓国師の浄土観﹂、大原性実 氏の﹁親鴬の伝統する浄土の思想系譜﹂、石田充之氏の司冨︲ ご国ロ﹄砂弓○鉱ご○ロ旨昏①国扇さご旦陸]①届色稗①H匡弓言侭胃些 かある。まず伊藤氏は叡山の浄土教を往生者の教学・浄業・往 生相の上から検討し、結局は思想的進展のプロセスを跡づける ことはできないとしながらも、平生の行業・臨終の一瞬の行動 に於て叡山の浄土教信仰を認めることができるという。平氏は 天台浄土教家である源信の﹁観心略要集﹂をとりあげて、源信は 天台念佛を以て叡山教学全般を統一し末世に於ける天台宗の安 心を西方往生に帰結せしめたと論じられた。荻須氏は夢窓疎石 の念俳門に関する見解と及びそれに対する智波の反論とを紹介 し、永明延寿を例にして中国における念佛禅実践者との相違に まで及んでいる。親鴬を論じたものに大原氏と石田氏との二篇 かある。前者は教行信証真佛土巻を手掛りとして親鴬の浄土観 を明かし、それが七祖中で特に曇鴬・善導の思想教義に負うと ころが多いことを論じられた。また石田氏は博く東洋思想史上 に親髄の位地付けを試みられている。 今、紙数の都合で佛教に関するものしか紹介できなかったが、 その外にインド・中国・日本等にわたって種交の問題を扱った 論文がある。即ち 一インド宗教・思想︵佐友木・インド農民社会に於ける宗 教的想念、金倉・慧月とプラシャスタ・︿−ダ︶、民俗学︵相葉・インド の拝火教徒の民俗、など︶ 二中国宗教・思想︵根本・中国古典における﹁化﹂の思想 について、などJ儒教・道教︵木村・子貢について、窪・北周の通道 観に関する一臆説、宮川・三国時代の道教史拾遺二則、など多数︶、歴 史地理︵秋月・西山考、など︶、経済︵沢田・泰山香税考、など︶、美術 ︵大浜・中国画の思惟性、など︶、文学︵橋川・謝霊運﹁登池上楼﹂一首を読 みて、など︶、民俗︵洪・古代韓民族の大地及び穀物崇拝について、な ど︶、書誌・文献︵波多野・老子王注校正続補、呉・禅月集補遺、など︶、 キリスト教︵山本・霊恩教会︶ 三日本思想︵石田・愚管抄と慈円︶、民俗︵竹中・夜爪考、 95
小杉鬼瓦に於ける二つの考察︶などの論文が収められている。本 書の最大の特徴は、実にこの東洋学全般にわたり論文の内容が 極めて、ハラエテイーに富んでいる点にある。これは福井博士の 博い学域とその交友の広さを如実に反映したものであるが、こ れによって日本の東洋学の全貌あるいは傾向を瞥見することが できるであろう. これだけの多種多量の論文を編集するということは、そのこ とに当った方の労が並麦でなかったことは想像に難くない。但、 望蜀の感として若干の気付いた点を叙争へることが許されるなら ば、目論文の紙数の限定の為、諭旨が先行し論証・資料批判の 面で欠けると思われるものが目につくこと。又、執筆者自身が 与えられた頁数で十分に意を尽さぬ旨を附記された論文がまま 見うけられたが、余儀ないこととはいいながら編集上何らかの 配慮をくばることが出来なかったのであろうか。 ㈲本論文集に限ったことではないが、特に本書は七十余篇に も及ぶ論文を収めているのであるから、単に羅列するというの ではなく、何等かの規準によって分類を試み一往の系統だった 組織が考慮されてもよかったのではなかろうか。l例えばイ ンド・中国・日本等の地域によって分けるとか、佛教・儒教・ 道教・その他というように分けるとか、方法があったかと思う。 何れにしてもこの書が福井博士の頌寿ということを機縁とし て現在の日本の東洋思想学界の大勢を一括して示した見事な金 字塔であることに疑ない。斯学が一九七○年代にどれだけの進 展を見せるかを期待しながら、我有は本書を以てそのための一 指標となすことができるであろう。 ︵昭和四十四年十二月、早稲Ⅲ大学出版部、A五版七、○○○円︶ 96