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フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告

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フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)にお

ける災害調査報告

著者

徳広 育夫

雑誌名

鹿児島大学工学部研究報告

33

ページ

149-166

別言語のタイトル

A report on damages to buildings during the

North Luzon earthquake, Philippines, of July

16, 1990

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フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)にお

ける災害調査報告

著者

徳広 育夫

雑誌名

鹿児島大学工学部研究報告

33

ページ

149-166

別言語のタイトル

A report on damages to buildings during the

North Luzon earthquake, Philippines, of July

16, 1990

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フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)

における災害調査報告

徳 広 育 夫

(受理平成3年5月31日) AREPORTONDAMAGESTOBUILDINGSDURING

THENORTHLUZONEARTHQUAKE,PHLIPPINES,OFJULY16,1990

IkuoTOKUHIRO Thestrongearthquakeof7、7inmagnitudewithepicenterneartheCabanatuanCityhadshaken muchofLuzonlslandat4:45p.m.bringingaboutconsiderabledamagetolifeandpropertyespecially tonothernLuzon・ Thesixinvestigatorswhoengagethemselvesinteachinganddesigningthebuildingstructures wenttophillipineonseptember7,l990afteraboutfiftydaysoftheearthquake・ OnsomedaysofAugust,wehadwantedtomakeasurvey,butthebadpoliticalconditionandthe preferentialofrescueextendedforonemonth・ WereachedMANILAonSeptember7,andnextdayvisitedDepartmentofCivilEngineering, UniversityofthePhilippines・ WecouldhearaboutthecasualtiesfromtheChairmanandsomereserchersoftheDepartmentwho

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ThisreportshowsthesurveyofcasualtiesduetotheearthequakeinDAGUPANandBAGUIO causedmuchdamagestothebuildings. 1.序 1976年8月17日現地時間0時12分a.m.にフィリッ ピンのミンダナオ島中西部にマグニチュード7.8の地 震が発生したが,この地震による震域は,ミンダナオ 全島及びルソン島の一部やボルネオ北部でも感じられ たと報告している')。それから14年過ぎ,1990年7月 16日現地時間午後4時45分フィリッピンルソン島北部 にマグニチュード7.7の地震が発生し,ルソン全島で 感 じ ら れ た と 報 告 し て い る 。 今 回 の 地 震 は , コ ル デ ィ レラ111脈に広がっているフィリッピン断層及び支線断 層のくずれ>によるものである5)。 こ の 地 震 に よ り ヌ エ パ シ ハ 州 カ バ ナ ツ ア ン , パ ン ガ シアン州ダグーパン及びベンゲット州バギオでは多く の災害が発生した。 日本の新聞,テレビも約1週間にわたって報道して いた。これらの報道で,3000名程の死者の殆どが鉄筋 コンクリート造のホテル,学校建築の倒壊によるもの であることを知った。 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 構 造 の 研 究 に 従 事 し て い る 仲 間 及 び建築設計事務所関係の6名で調査団を結成した。 九 州 大 学 ・ 教 授 崎 野 健 治 九 州 共 立 大 学 ・ 教 授 江 崎 文 也 琉 球 大 学 ・ 助 教 授 山 川 哲 雄 広 岡 建 築 事 務 所 所 長 広 岡 利 貞 同 所 員 原 英 基 鹿 児 島 大 学 ・ 教 授 徳 広 育 夫 8 月 中 に 現 地 入 り を 望 ん だ が , 政 情 不 安 ( ク ー デ ター,水野さん事件等)や悪い交通事情のために伸び 伸びになり,やっと9月8日夜にマニラに到着した。 空 港 に は 以 前 九 州 大 学 工 学 部 水 工 土 木 学 科 の 留 学 生 で あったPhD.R,Medina,氏と彼の会社社員に出迎を受

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150 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) け,HotelNikkoManilaGardenまで送ってくれた。 当 夜 は ホ テ ル で 翌 日 か ら の 調 査 行 程 等 の 打 ち 合 わ せ を おこなった。 翌日は朝からR,Medina氏の計らいで,地震直後現 地調査を行っていたフィリッピン大学のDept・of CivilEngineeringのAsst・ProfessorandChairman Juinio・Jr.の建築構造研究室を訪問し,教授他3名の ス タ ッ フ か ら 今 度 の 災 害 状 況 を ス ラ イ ド を 使 っ て 説 明 を受け,さらに現地までの交通状態について聞くこと ができた。 震源に近いカバナツァンは山越えが多く,かつ交通 事情が悪いとのこと,また日程の都合で調査の重点を バ ギ オ に す る こ と に し た 。 フィリッピンは5月から10月中旬までは雨期で,マ ニラから災害地バギオまでの飛行は1日1便で,それ も飛行する確率は20%との事であった。一行は運転手 付きレンタカーでR、Medina氏の会社に勤務していて ピリピーノと英語の話せるAntonio氏に同行してもら い 地 盤 の 液 状 化 現 象 を 起 こ し た ダ グ ー パ ン 経 由 バ ギ オ ヘ 翌 日 出 発 す る こ と を き め た 。 午 後 は レ ン タ カ ー の 手 配 を し て マ ニ ラ 市 内 の 見 物 を し た 。 銀 行 や デ パ ー ト

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FiglMajorBranchesofthePhilippineFault, NorthemLuzon の 前 に は カ ー ビ ン 銃 を 脇 に 持 っ た 兵 士 ? が 立 っ て い て 異様な雰囲気を感じた。 2 . ダ グ ー パ ン の 災 害 状 況 マ ニ ラ か ら 高 速 道 路 を レ ン タ カ ー で 順 調 に 約 1 時 間 走 っ た 。 ま ず 最 初 に 出 会 っ た の は 家 ・ 堤 防 が 水 没 し て いた災害風景であった(Photol)。フィリッピン大学 で聞いていたが,付近の住民に地震であの建物は沈ん だ の か 聞 い た が 分 か ら な い と の こ と で あ っ た 。 識蟻鐸需 PhotolSunkhouse そこから約30分走ると道路に車があふれ,交通遮断 にあった。鉄橋の落下である(Photos2(a),(b))。 昭和39年5月の新潟地震で昭和大橋の落下を見た時 の光景を思い出した。鉄橋の落下,橋脚の傾斜・沈下 で人々は向こう岸とこちらの岸を落下した鉄橋に沿っ て歩いて渡っていた。我々はレンタカー利用者である ため,仕方なく川に沿って田舎のでこぼこ道を歩く速 度で1時間程進んでサンカルロスまで行き,小休止し た。 そこで目についたのは,フイリッピンで多分古風で, 庭には大砲がある家であった(Photo3)。1,2階の 壁は崩れ人が住める状態でなかったが,骨組がしっか りしていたので,壁の修理をすれば充分使用できると 判 断 し た 。 実 験 室 で 壁 の 薄 い 耐 震 壁 の 実 験 終 了 時 の 試 験体を見ているのと同じ状態であった。小休止後少し 走 る と , 庭 が 凹 凸 に な っ て い た 学 校 が 目 に つ い た (Photo4)。 地盤の液状化現象によるもので,パンガナシナン州

の人口約20万3)のダグーパン(CharteredCity)はも

う近いことを感じさせた。 少し走ると河口の都市ダグーパンに着いた。そこは 昭和39年5月の新潟地震後の街景と同じであった。

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徳広:フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告 15] Photo2(a)FalldownbridgeonthewayfromMAN− ILAtoDAGUPAN

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152 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) 酔 詫 d し 岸 画 I D 悪 屋 Z q l輔:ヤ ゼ':'##, ; 懇 難 f ; #& 弾 ' ' Photo5RivernearDAGUPAN 唾 、 閣 始 ” 昼 =

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Photo9(c)Inclinedremforcedconcretebuilding 153 PhotolOUnevennessofeavedofshoppinghouse 徳広:フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告 Photo9(a)Inclinedremforcedconcretebuilding 鑑慰

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154 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) PhotollSubsidenceofresidentialhouse り 揺 す ら れ た ら し く , 今 に も 倒 れ そ う で あ っ た (Photos8(a),(b),(c))。 < 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 造 建 物 > 重量が重い鉄筋コンクリート造の建物の幾つかは, 不同沈下により大きく傾いていた(Photos9(a),(b) ,(c))。 沈下してない鉄筋コンクリート造建物がある。これ ら は 地 中 に 杭 を 打 ち 込 ん で 基 礎 が し っ か り し て い た か らであろう。住居のなかには約50cm沈んで出入り口 が地面より下にあるものもあり,不便を感じているこ とであろう(Photoll)。 重 い 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 造 の 建 物 と 軽 い 木 造 が 混 在 す る街並は不均等に沈下して,凹凸になっていた(Photo lO)。 沈下した商店の多くは周囲に水がたまり出入りが出 来ないため,店の前に路店を出したり,床を上げて小 さな橋をかけて商売をしていた(Photosl2(a)‐(e))。 前 に 述 べ た よ う に . 震 災 に 会 っ て か ら 約 5 0 日 過 ぎ 1. =11 0

Photol2(a)Subsidenceofshoppinghouse Photol2(b)Subsidenceofshoppinghouse 甥 』

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徳広:フイリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告 155 Photol2(e)Subsidenceofresidentialhouse 酌 韓 を 覚 ‘ 悟 し て 日 本 か ら イ ン ス タ ン ト ラ ー メ ン ・ 缶 づ め を,更にマニラからエビアン(飲料水)を持参していた。 しかし,バギオでは古い4階建ての鉄筋コンクリー トのホテルが残っていて何とか宿泊できた。 翌朝近くの中華料理店で朝食をとり,バギオ市役所 (CityHallBAGUIO)の観光係で地震状況の説明を 聞いた。 多くの住宅が被災し,住民は市役所近くの仮小屋住 まいをしているとのことであった。市役所近くの交通 案内で文献4)を購入し,次にバギオは金の鉱山が多い ため設置されてれいる地質研究所を訪ね文献5)を入 手した。 バギオは断層が多く走っていて,地割れ・地滑り・ 沈 下 で 大 き な 被 害 を う け た と の 説 明 で あ っ た 。 Photol3WholeviewofBAGUIOcitydowntow、 ていて,幾つかの建物は取り壊し中であったが,手も つけられない建物が多く,ダグーパンの復旧にはかな りの日数を要するものであろう。 3.バギオの災害状況 ダグーパンから海沿いの景色のよい西海岸道路をア ゴ オ ま で 走 っ た 。 ア ゴ オ で 小 休 止 し た 。 ダ グ ー パ ン の 調査で疲れて,喉が乾いていた時,都合よく露店で祁 子 の 実 を 売 っ て い た 。 祁 子 を く な た > で 切 っ て ス ト ロ ー で 中 の 水 を 飲 ん で 元 気 が で た 。 ま た ア ゴ オ か ら 地 震 で 一 面 に 崩 れ た 山 肌 が み え た 。 バ ギ オ は 地 図 で 見 る と近く,すぐ到着すると思った。しかし,アゴオから 高低差が1000-1500mの高原都市バギオまでは時間が かかり過ぎた。 それは凹凸道で急カーブの多い道で,所々崖崩れが あり,その上スコールに会い,目の前が真っ暗くなっ た。 夜9時頃やっとホテルに着いた。ホテルの80%が被 害をうけている事が,マニラの報道で知らされて(特 に 古 い 建 物 に 被 害 集 中 : 日 本 の 新 聞 ) い た の で , 無 宿 <RESTHOUSEiNPARK> 広々とした公園に約100m離れて4カ所のレストハウ ス が あ っ た 。 皆 同 じ 形 で あ る が 1 カ 所 だ け 倒 壊 し て い た(Photol4)。 同じ形・構造の建物であるが,地盤の相違による事 が考えられた。

Photol4Resthousempark Crushedfourreinforcedconcretecolumns

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156 蝿呈一 <BAGUlOPARKHOTEL> 公園に面した地上6階までが鉄筋コンクリート造, 7階が鉄骨造のホテルの倒壊で27名の死者をだした。 1階の半分がエントランスホールで,他の半分は南側 Photol5(a)から北側Photol5(b)へ通じる自動車寄 せになっていた(取り壊し中の職人の話)。“自動車寄 せに付けた時地震が起こった。すぐにバックしようと したが,あまりに早く建物が壊れたので,その時間さ

えなかった。”(自動車の持ち主)4)。地震発生から数

秒後には倒壊しているということは,この建物はくね ばり>のないせん断破壊か,細い柱の圧縮破壊が原因 で あ る と 思 わ れ た 。 画 錘 Photol6(a)HOTELNEVADAbeforetheearth-quake 繁蕊匿蕊霊霞苧房-.ー。. 誌粥謹雰 F 鋸 弓 手 在 − . T 読 売 景 罷 画 逗 亜 弱 暁 誕 斗 孟

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﹄、|塞一 農 唖 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) Photol5(b)BAGUIOPARKHOTEL(northside view) Twentysevenpersonsweredead. R ¥ 乳 ま夢帝遅や 学 .﹃ケ 猟 b A u

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徳広:フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告 157 < H O T E L N E V A D A > 1階が落階していた。地震前のPhotol6(a)から判 断すると,1階の前面柱には腰壁が付き短柱になって いる。 柱のせん断破壊により急激に落階したのであろう。 この建物の中で何人の死者が出たか分からないが, 非常に多かった(取壊し中の職人の話)。 <SKYWORLD> 1階の腰壁付き前面柱は完全にせん断破壊していた (Photol7(b))。また外壁全面に多くのひび割れが見 え,3−9階のベランダ部分の雑壁の破壊が目につい た。 腰壁はブロックであるが,この腰壁ブロックがかな り抵抗したことを示している。 Photol7(a)SKYWORLD(westsideview) :霧垂〒ーv・韓一噸韓磯挙議趣…….Ⅲ. Photol7(b)SKYWORLD(frontview) Firststorycolumnswerecollapsed. <HYATTTERRACESHOTEL> 国 際 会 議 が 行 わ れ て い た こ の ホ テ ル の 倒 壊 に よ っ て 多くの死者が出た。日本の新聞・テレビでも今回の地 震について報道される度に画面に出ていた。Photo l8(a)は地震前の状態で,その左側の倒壊の様子が Photol8(b)である。前面の柱が引きちぎられて後ろ 向きに倒れている。また右側の搭状建物部分の倒壊が Photosl8(c),(d)である。塔状建物全体の曲げによっ て 引 張 側 柱 の 柱 脚 の D 3 8 鉄 筋 が 引 き 抜 か れ て い る Photosl8(e),(f)。 倒れた瞬間の衝撃で上階柱の柱頭,柱脚が曲げ破壊 したのであろう(Photol8(9))。倒壊を免れた建物も 被害が大きく,1階下の立ち上がり短柱のせん断破壊 Photo(h),隅柱の割裂破壊Photol8(i),その他壁に はx型のせん断ひび割れが多く,個々の構造部材の破 壊がひどく今後使用出来る状態でなかった。 調査中に2人の死者が発見きれた。上階から順に床 版を丁寧に取り除き死者が発見されると石膏で固めて 本国に送り返すとのことであった。 ネバダホテル,ハイアットテラスホテルともに断層 線上にあると報告されている5)。 <SlESTAlNNandAMAPOLA> 固有周期が異なる建物が接近し過ぎて,地震時にぶ つかり合って壊れた5)(Photol9)。 <BAGUlOHILLTOPHOTEL> 傾斜地であるため南側から見ると8階建てである が,北側から見ると7階である(Photos20(a),(b))。 1階は倉庫らしく荷物が積んであった。柱・梁は大 きくて,頑状にみえた。その上に7階全体が倒壊し重 なり合っていた(Photo20(c))。 断層の近くに建てられ,設計が貧弱(inferior)であ ると報告されている5)。 <ROYALlNN> 2,3階は宿舎で小さい部屋の間仕切り壁があり, 剛性が高くなっているのに,1階はホテルのロビー, 商店等の広い空間があり,剛性が低く完全落階になっ たようだ(Photo21)。 <FRBHOTEL> 1.2階の柱が折れて倒壊した。3階から上部は円 形で壁で囲まれ剛性強度ともに高そうだ。1.2階は 柱梁だけでいわゆるピロティ型で,しかも細い柱で剛 性の違い過ぎによるものであろう(Photos22(a), (b))。

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P J 160 農謹篭 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) Photo21(b)ROYALINN 段 誕鍛

端 瞭 # 守 F 岸 副 <UniversityofBAGUlOColIegeofCommerce> 5 階 部 分 が 落 階 し て 上 下 の 床 が 重 な り 合 っ て い る (Photo23(a))。この階の西面の柱は外に出て鉄筋で ぶら下がっている(Photos23(b),(c))。西面で見ら れる様に壁がない階で極端な剛性強度の差が原因で落 階したのであろう。 北面は壁梁柱に多くのひび割れが見え,仕上げモル タルがはげ落ちていた(Photos(d),(e))。教室内の仕 切 り 壁 は ブ ロ ッ ク 造 で 日 本 の 基 準 位 配 筋 さ れ て れ い る。床にアンカーされているが,上の梁にアンカーさ れてなかった。このため急に倒れ(Photo23(f))多く の死者が出た2)。バギオ大学の付近には多くの木造住 宅があった(Photo23(9))が,無被害か被害があって も軽微であった5)。 <LittleAngelesNurserySchool> FRBホテルの向い側にある2階建ての学校である。 勺

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162 Photo23(f)UniversityofBAGUIOCollegeof Commerce(Somestudentswere dead')byfallingofhollowconcrete blockWall.) 1 t 、 国 q 4 屯 型 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) 蕊鑑涛蕊灘韓 痢 一 … … ‐ … ‐ − − − − ー 一 興 扇 … 2 亨

一 ( … 唖 罰 。 − . 、 〆 燕

爵: 4,戯 電,,雑、 蝋 識 ¥ XIF I Ehoto23(9)UniversityofBAGUIOCollegeof CommerceSmallerbuildmgsatSur-roundingsarenegligiblyorpartially damaged、 壁 は 土 と 割 っ た 竹 の 様 で あ っ た 。 そ の 壁 が 大 き く せ ん 断破壊していた(Photo24)。柱にひび割れが見えた が,修理すれば充分使用できるであろう。 <BAGUlOCATHEDRAL> 外壁には多くのひび割れがあったが,堂々とそびえ いかにも強そうに見えた(Photos(a),(b))。しかし, 聖堂内の数少ない柱のうち,X型の繰り返しせん断力 に よ る 大 き な ひ び 割 れ が 生 じ て い る の が あ っ た 。 主 筋 は座屈しかかっていた(Photo25(c))。また曲げによっ て 圧 壊 を 始 め , 小 さ な 斜 め ひ び 割 れ が 生 じ て い る 柱 も あった(Photo25(d))。 内部に多くの支柱を立てて修理・補修をしていた。 <BAGUlOCityExportProccesingZone> 工 場 用 地 内 の 建 物 は 2 棟 で あ っ た 。 用 地 内 の 入 り 口 の看板からみると,工場No.1には4社,工場No.2に Photo25(b)BAGUIOCATHEDRAL(Entranse) ManysmallcraCkswereobserved. Photo24LittleAngelesNurserySchoolnearFRB HOTEL(ShearcracksofBambooand Claywall) Photo25(a)BAGUIOCATHEDRAL(East-south view)

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徳広:フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告 Photo26(b)BAGUIOCITYEXPORTPROCES− SINGZONE (FactoryNo、1)Concretecoverofsomecolumnsfell down. Photo25(c)BAGUIOCATHEDRAL Diagonalcracksintheinnercolumnoccureddueto shear. Photo26(。)BAGUIOCITYEXPORTPROCES− SINGZONE (FactoryNo、1)Verticalcracksduetosplittingand concretefelldown. 副 ’ 鐸︾ Photo26(a)BAGUIOCITYEXPORTPROCES− SINGZONE EastsideviewofFactoryNo、1 畷︲蜘鏑癖識雑

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RMe 165 Photo28(c)InclinedWoodenHouse 徳広:フィリッピン・ルソン島北部地震(1990,7,16)における災害調査報告 吟,鞍零礎聴Rや癖滅 噂、Y蛭 Photo29(a)Crackofground Photo28(a)InclmedWoodenHousesduetoLand-│ま8社が操業していたらしい。工場No.1(Photo26 (a))の各柱に何かのひび割れが生じていた。被覆コン クリートが落ちた柱(Photo26(b)),割裂破壊寸前の 柱(Photo26(c)),被覆コンクリートが落ち,なお割 裂破壊しかかっている柱(Photo26(d)),被覆コンク リートが落ち,帯鉄筋の間隔が小さく,かつ菱型の帯 鉄 筋 が 設 け ら れ コ ア の コ ン ク リ ー ト で 支 え ら れ て い る 柱(Photo26(e))等種々の柱が混在していた。工場内 は多くの鋼製の支柱が立てられていたが,操業してい た。 工場No.2は地震で完全に廃虚になっていた(Photo 26(f))。200人以上の死者を出したが,そのうちの50 人位は火災によるものであった(Photo26(9))。未だ 堀り出されてない死者があると云っていた。工場No. 2はP.Sコンクリート梁を用いた大スパンの建物で, その梁を支えていた柱(D38鉄筋使用)が折れていた (Photo26(h))。P.S,のケーブルがきれいに残ってい Photo29(b)Crackinrunwayofairport Photo28(b)InclinedWoodenHouse 鱗学 錨 唖 炉や

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166 鹿 児 島 大 学 工 学 部 研 究 報 告 第 3 3 号 ( 1 9 9 1 ) たが(Photo26(i)),P.S、コンクリート梁には高強度の地震発生後50日過ぎていたので,除去されていた コンクリートが使用されていて,落階と同時に粉々に建物が多く充分な調査記録とは云えないが,日本で幾 散 っ て し ま っ た の で は な い か と 思 わ れ た 。 5 0 日 も 過 つ か の 地 震 災 害 調 査 及 び 建 物 の 構 造 設 計 を し た こ と の ぎていたので,コンクリートを救助のため剥したのかある自分に多くの研究資料と教訓を与えた。 もしれない。 最後になってしまったが,これだけの調査ができた く C i t y T r u s t a n d B a n k > の は R M e d i n a 氏 の 助 け に よ る も の で あ る 。 こ の 上 な 街 路 に 面 し た 7 階 の 建 物 で あ る 。 階 高 が 高 い の か , い 感 謝 の 意 を 表 し た い 。 バ ギ オ で は か な り 高 い 方 の 建 物 に 見 え た 。 外 壁 の 仕 上 げ ( 多 分 煉 瓦 ) の 剥 落 が 目 に つ い た 。 R E F E R E N C E S < 木 造 の 建 物 > 1 ) グ ァ テ マ ラ ・ 北 イ タ リ ア ・ ミ ン ダ ナ オ 島 ・ ル ー マ 木造建物に対してもかなりの被害があったらしいニア地震災害調査報告1979.2.25,日本建築学 が , そ の 現 場 を 見 る こ と が で き な か っ た ( P h o t o 2 8 , 会 写真店で購入)。2)ExplanationofAlfredoBJuinio,Jr.(Asst、Prof・ 住居40000戸の調査では,倒壊したもの5%,部分被andChairman,DepartmentofCivilEngineering, 害25%であるが,険しい崖縁に建っていて地滑り,地UniversityofthePhilippines) 盤沈下によるものが多い5)。Photos28(b),(c)はネバ 3)PANGASINANProvincialProfile ダホテルの近くの建物である。1階が傾き戸が閉まら4)TheGOLDOREAChronicleoftheJuly な い 状 態 で あ っ た 。 1 6 , 1 9 9 0 5)AReportonGeologicalHazardsurvey,Baguio 4 . お わ り に GeologyCenter 今回の地震災害調査はダグパンとバギオに限った。6)MIDWEEKVoL5No、35Aug、221990

参照

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