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「楠」「交譲木」と「ゆずりは」

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 正月の鏡餅にその葉を添える「ゆずりは」は、日本では古く「弓弦葉」と記され、その 後も「杠(棡)」や「楪(𣜿)」など、様々な漢字をあてられてきたが1、現在では「交譲木」 と表記されることが多い。「交譲木」が「ゆずりは」の漢名だとの認識によるのだが、こ れは誤認であり、中国では近世まで「交譲木」がユズリハやその近縁種であったことはな い。しかし、この誤認の影響は辞書類をも含めて広汎に亘り、古典解釈にも歪みが生じか ねない。そこで、「交譲木」の中国における実態を探り、誤認の生じた過程を解明し、また、 その誤認が現代の中国に逆輸入されて定着している現状をも明らかにしておきたい。  なお、植物名の表記については、現代の標準和名は片仮名を用い、科 - 属 - 種による分 類法が確立する前の、市井日常の伝統的呼称には平仮名を用いる。また引用に際しては原 文の表記を尊重したが、中文の簡体字は常用の字体に改めたところがある。 1. 中国古典の「交譲木」と「楠」  まず、中国の「交譲木」について、時代を下りながら、その姿を辿ってみることとする。  西晋(3世紀後半)の詩人・左思の『蜀都賦』に、蜀都の西方を描写して「交讓所植,蹲 鴟所伏(交讓の植おふる所,蹲そ ん し鴟の伏する所)」の一節があり2、同時代の劉逵の注に、  交讓,木名。兩樹對生,一樹枯,則一樹生,如是歲更,終不倶生倶枯也。出岷山, 在安都縣。 とある3。二株の木が対をなしてあり、年ごとに一方が枯れると他方が茂り、同時に茂る ことはないが、倶に枯れてしまうこともないという説明である。その交互の茂り方を “譲 り合い” と捉えて「交讓」と呼んだのであろう。但し、樹種については言及していない。 交讓は交讓であって、それ以上の説明は不要ということだろうか。因みに、「蹲鴟」は芋 のことであり4、野の肥沃を物語っているとすれば、「交讓」も単に譲りあう珍木というだ けでなく、枯れて絶えることのない木として、林の茂盛をも象徴するように思われる。  また、撰者不詳ながら北魏時代の成書と思われる『大魏諸州記』にも次の記述がある5

「楠」「交譲木」と「ゆずりは」

寺 井 泰 明

キーワード:楠の珍木、君子の木、弓弦と “譲る(交譲)”、虎皮楠、新陳相換、逆輸入

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 益州汶山郡平康縣界、東北接牂牱、有都安縣、有交讓樹。兩兩相對、歲更牙枯牙生、 不倶盛       この文は『太平御覧』木部十「交讓」の項にも収められていて6、判読しづらい文字を含 んでいたり、「安都縣」と「都安縣」の異同があったりもするが、概ね『蜀都賦』の劉注 と同内容である。「兩兩相對」する二株と思われるが、やはり樹種は示されていない。  左思『蜀都賦』は “洛陽の紙価を高からしめる” 評価を得て、この一節も後の多くの詩 文の引く所となった。『文選』にも収められ、日本でも古くから読まれたはずであるが、 清少納言が「文は文選、文集」と記した時代には、この「劉逵注」のように樹種名までは 明らかにしないで「交讓」のままで理解されていたのではないかと推測される。後に言及 するが、日本で「交譲木」を「ゆずりは」に当てるのは近世以降のことと思われる。  しかし、中国では一方で樹種名も特定されていた。晋・張僧鑒の『潯陽記』に、  黄金山有 樹、一年東邊榮西邊枯、後年西邊榮東邊枯、年年如此。張華曰、交譲者 此是也。 とある7。これは「黄金山」にある「 (楠)樹」である8。恐らくは一株の巨樹で、ある 年には東側が繁茂して西側は枯れるが、翌年はその東西の栄枯が入れ替わるという珍木 である。『博物志』の著者で左思と同時代(3 世紀後半)の博学の人・張華が、この「楠樹」 の東西交互の茂り方を捉えて、「交讓」であると認めたとする。前掲『大魏諸州記』の一 文を収めた『太平御覧』はこの一文をも収めていて、こちらは木部七の「楠」の項に「尋(ママ) 陽記曰」として記されている9。引用文は「張華曰」以下の「交讓者」を「交讓樹者」と しているが、その「交譲樹」が「 (楠)樹」の珍木・奇木であることは明記されてある。  また、六朝梁(5世紀後半)の人・任昉の『述異記』にも、次の記載がある10 黃金山有楠樹、一年東邊榮、西邊枯。後年西邊榮、東邊枯、年年如此。張華云、交讓樹也。 記載内容は前記『潯陽記』と基本的に変わらない。しかし、これらの「交譲(樹)」は、『蜀 都賦』の劉逵注や『大魏諸州記』の「交譲」とは相当に趣を異にする。  つまり、珍木「交譲木(樹)」の伝説には二つの型のあったことが分かる。『蜀都賦』劉 逵注や『大魏諸州記』の「兩樹對生」或いは「兩兩相對」の樹種不明の樹と、『潯陽記』『述 異記』に描かれた一株の「楠樹」である。相対する二樹なのか、一樹の東辺と西辺なのか の違いはあるが、どちらも一方が枯れれば一方が繁り、年ごとにそれが交代する。この二 型の伝承が南北朝時代には存在して、そのどちらか一方を典故としつつ、または、どちら であるのかが曖昧なまま、「交譲木(樹)」は、『太平御覧』の前の時代に既に多くの詩文に次々 と利用されていったのである。以下に、その代表的なものを数例示すこととする。  まず、南北朝時代(6世紀)の庾信の「奉和法筵應詔」詩に次の一節がある11  早雷驚蟄戶 流雪長河源。建始移交讓 徽音種合昏。(早雷は蟄戶を驚かすも 流雪は河源 に長からん。建始には交讓を移し 徽音には合昏を種うゑん。) 「建始」「徽音」は宮殿名である。「合昏」は木名で、『太平御覧』によれば周處『風土記』 には「夜合葉晨舒而暮合一名合昏(夜合、葉 晨に舒がり暮に合す。一名合昏)」などとある12「交

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讓」は譲りあいつつも不滅の樹、「合昏」は儚いながらも静謐を表す木であろう。  また、同じく庾信の「慨然成詠」の前半は次の如くである13  新春光景麗 遊子離別情。交讓未全死 梧桐唯半生。(新春の光景麗しきも 遊子 離別の情。 交讓 未だ全くは死せず 梧桐 唯だ半ば生くるのみ。) この「梧桐」について、倪璠は枚乘の『七發』に拠って「龍門之桐高百尺而無枝 其樹半 死半生 喩己非死非生若枯樹也(龍門の桐 高さ百尺にして枝無く、其の樹 半死半生なり。己の非死非生 にして枯樹のごときを喩ふるなり)と注している。この「梧桐」に並べられる「交讓」は、一 方が枯れても他方が栄えて「俱には枯れる」ことはないものの、「半死半生」の状態にあ る庾信自身の身の上を示すものであろう。庾信は「擬連珠」(其二十七)に於ても同様の表 現を用いているが14、『蜀都賦』劉逵注が「終不倶生倶枯也」と記した伝説の珍木を、不 滅の木として肯定的に捉えるのではなく、徒に生きるばかりの自身を譬えるのに用いたの である。「交譲」を宮殿の愛づべき風景として描くのではなく、哀れむべき自己の境遇を 象徴する負の存在として用いたところに庾信の特色がある。無論、この異色の用法も、伝 統の珍木としての「交譲」のイメージを覆すに至らなかったことは以下に見るとおりであ る。ただ、ここで注意すべきは、前述「奉和法筵應詔」で「合昏」に対置された「交譲」 も君主の徳を象徴して貴重な樹木であろうが、この世のものとは思えない珍木・奇木とい うよりは、宮殿に移植しようとする、実在の樹木の如く描かれていることである。それで いて、劉逵注に代表されるような珍木・奇木の交譲伝説も生きていたはずである。典故の 中の知識を現実の中に位置づけようとする意識の働きがあったものと思われる。  さらに、6世紀の後半、梁・元帝蕭繹の「芳樹」にも次のような「交讓」が見える15  芬芳君子樹,交柯御宿園。桂影含秋月(色),桃色(花)染春源。落英逐風聚,輕香帶蕊翻。 叢枝臨北閣,灌木隱南軒。交讓良宜重,成蹊何用言。(芬芳たる君子の樹,柯えだを交わす御宿 の園。桂影 秋月(色)を含み,桃色(花) 春源を染む。落英 風に逐はれて聚まり,輕香 蕊はなをめぐりて 翻る。叢枝 北閣に臨み,灌木 南軒に隱る。交讓まことに重しげるに宜しく,成蹊 何ぞ言を用ひん) 「交讓」はその葉の譲りあう茂り方に君子の趣がある交譲木を、「成蹊」は自ら言わずとも 「蹊を成す」桃李を示す。いずれも冒頭「君子樹」の一語に集約される。そして、“君子の 樹” を感じさせる「交譲」の用法は時代がさらに降っても変わらない。例えば、初唐・盧 照鄰の『五悲・悲昔游』には次の一節がある。  山頭交讓之木,浦口同心之花。(山頭 交讓の木,浦口 同心の花) 全篇の主題は昔遊の地への追憶であるが、「交讓之木」については、李雲逸注は『蜀都賦』 の劉注と、『羣芳譜』の「 (楠)」の項(後に引用する)を引いている16。ここでの「交讓」 は「同心」に並立する徳目である。  あらためて言うまでもないことだが、そもそも「交譲」は「互いに譲り合う」ことであ る。樹木名から離れれば、例えば、周・文公の「虞芮の訟」の故事について、『漢書』毋 將隆傳には「交讓之禮興、則虞芮之訟息(交讓の禮興れば則ち虞芮の訟やむ)」とあり17、また、 『晏子春秋』には「交讓爭處其卑、禮之文也(交たがひに讓りて其の卑きに處をるを爭ふは禮の文なり)」

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などとあるように18、有徳の君子の行為として広く用いられたことばである。劉逵の注に 「不倶生倶枯」とされ、『述異記』などでは東西が交互に栄え、互いに譲りあう珍木は、単 に珍しいというだけでなく、“君子の樹” と見なされていたからこそ、宮殿に植えられも したのである。  さて、こうした “君子の樹” は『潯陽記』や『述異記』では「楠」の “珍木” であった。 では、珍木ではなく、一般に実在する「楠(枏・ )」とは、如何なる樹木か。  「楠」は日本では「くすのき」と訓むことが多い。事実、クスノキに似た性質も多 く、大木となり、材は芳香を放つ。ただ、真っ直ぐに天を衝く伸び方をするので、クス ノキよりは柱梁の良材として、中国では宮殿建築に珍重された貴木である。実は、漢 名「楠」が指す樹種はとても多いが、『中国高等植物図鑑』によれば、代表種「楠木 (nanmu)Phoebe Nanmu Gamble」をはじめとして、大部分は樟科の数属(主に楨楠属 Machilus と楠木属 Phoebe)に属している。一方、クスノキは同じ樟科でも別属(樟属 Cinnamomum)の木で、同図鑑では樟属の木名に「楠」字が用いられた例は、別称も含 めて見あたらない19。だから、「楠」をクスノキに当てるのは誤りとしなくてはならない。 また、中国で「楠」と呼ばれる木々は、「紅楠」(タブノキ Machilus Thunbergii)を除けば、 そのほとんどが日本には自生していない。そして、そもそも日本に自生していない木には 和名が無いのが一般である。タブノキだけは日本に自生しているから和名もあるが、決し て「楠」の代表種ではない。「楠」を代表するのは「楠木(Phoebe 属の一種)」で、タブ ノキよりは建材として優れ、外見も趣も異なる。肝心の芳香にも大きな差がある。確かに タブノキは「楠」の一種であるから、「楠」の訓とするのは全くの誤りとは言えない。しかし、 その訓では大きな誤解を惹き起こしかねない。譬えて言うなら、「柳」にネコヤナギ(猫柳) の訓を与えるようなものである。もしも、文学作品の中に「柳」字が出てくれば、垂れた 枝が風に揺れる風情を想起するのが自然であろう。「柳」の代表としてはシダレヤナギ(枝 垂れ柳)があるからである。だから、ネコヤナギ(猫柳)を「柳」字の訓としてはいけない。  このように、「楠」はそもそもその材が芳香を放つことや、真っ直ぐに伸びて大木となり、 宮殿建築に珍重された貴木であったが、「交譲」の珍木が存在したことによって、一段と 高貴のイメージを膨らませていくこととなる。宋・江休復の『江鄰幾雑志』には、  楠樹直竦,枝葉不相妨,蜀人謂之譲木。(楠樹は直竦にして 枝葉 相妨げず 蜀人之を譲木と謂ふ) とある20。「讓木」は「交譲木」の省略形である。ここに於いては、世にも不思議で伝説 ともなった珍木の「交譲木」が、間違いなく常見の貴樹「楠」の別称となっている。「枝 葉不相妨」(枝葉が互いに重なったり妨げあったりしない)という性質は、実際の「楠」にそれに 近い性質が仮にあったとしても、交譲木の君子のイメージから観念的に増幅し、強調され た性質であろう。つまり、通常では起こり得ないような、また、それ故に “珍木” として 特筆に価する「不倶生倶枯」(劉逵注)といった「交譲」の意味が、「枝葉不相妨」(枝葉が重 なりあわない)という想像可能で現実的な “貴木” の性質に変化したのである。実は、前述 の蕭繹「芳樹」が「交讓良宜重」としたのも、両樹または東西の枝が同時には繁らないこ

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とを言うのではなく、枝葉の重なり合わないことの表現として、既にあったのかも知れな い。そして、「直竦」(幹が真っ直ぐに聳え立つ)というこの木の自然形態が、高貴のイメージ を更に強化していく。時代が降って明代になると、「楠」は以下のような表現に定着する。  まず、16 世紀末、李時珍『本草綱目』の「楠[集解]」には次のように記されている21  〔時珍曰〕楠木生南方,而黔、蜀諸山尤多。其樹直上,童童若幢蓋之状,枝葉不相碍。 葉似豫章,而大如牛耳,一頭尖,経歳不凋,新陳相換。(中略)幹甚端偉,高者十余丈, 巨者数十囲,気甚芬芳,為梁棟器物皆佳,蓋良材也。(下略)  また、17 世紀に入って、王象晋『群芳譜』の「木譜五・ 」には次のようにある22   生南方,故又作楠。黔蜀諸山尤多。其樹童童若幢盖,枝葉森秀不相碍,若相避然, 又名交讓木。文潞公所謂移植虞芮者,以此。本草李時珍曰,葉似豫章,大如牛耳,一 頭尖,経歳不凋,新陳相換。(下略)  そもそも『本草綱目』の「楠木」についての描写は、その原型を三国呉の陸璣『毛詩草 木鳥獸蟲魚疏』に求めることができるが23、『群芳譜』はさらに時珍の記述を承けたもの である。しかし、時珍の「其樹直上,童童若幢蓋之状,枝葉不相碍(其の樹は直上し,童童と して幢蓋の状のごとく,枝葉は相碍さまたげず)」といった形状描写に対し、『群芳譜』は同じような形 態描写のあと、「枝葉森秀不相碍,若相避然,又名交讓木(枝葉森秀にして相碍げず,相避くる がごとく,また交讓木と名づく)」という。枝葉の繁茂しつつも重なりあわないことを「互いに 相避け譲りあうあうもの」と捉え、それを「交譲木」の名の由来としたのである。そして、 その由来は、当初の「対生した両樹が年ごとに枯れたり繁ったりする」とか、「大樹の東 西の枝が年ごとに枯れたり繁ったりする」とかいった「珍木であることによる命名」とは 異なり、実在常見の楠樹の枝葉が互いに妨げあわないという性質による命名へと変化して しまっている。「交譲木」を「楠」の中でも特殊な珍木ではなく、「楠」一般の別名とした のである。この捉え方は、少し時代が降っても、基本的に変わらない。  明から清にかけての、17 世紀後半の人・方以智は『通雅』に次のように記している24  楠卽枏,今卽 ,讓木也。裟羅則外國之讓木也。 陸文裕曰:「成都庭院,植成行列, 枝葉若相廻避,謂之讓木。文潞公有『移植虞芮間』之詩,周益公有『葉葉相讓』之贊。 實似母丁香。」(下略) ここでも「枝葉若相廻避(枝葉は相廻避するがごとし)」、「葉葉相讓(葉葉 相讓る)」という「楠」 が文王の「虞芮の訟」の「交讓」に重ねて捉えられ、聖人君子を象徴する樹木となってい る。その他、程なくして成った張自烈『正字通』も『通雅』を引用しているが25、こうし た状況は典故を尊重する伝統の中で近代まで受け継がれてゆくこととなる。 2.日本での「交譲木」と「楠」  中国古典の「交譲木(譲木)」が君子の風格を備えた「楠」の珍木であり、それが「楠」 の全体を “君子の樹” に変貌させたことは以上に見たとおりである。こうした経緯を振り

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返って見ると、或いは、一般の「楠」が既に香気を放ち真っ直ぐに伸びる大木であったた めに “君子の樹” として崇められ、それが珍木の伝説を生んだということかも知れない。 しかし、いずれにしても、「交譲木」「譲木」は「楠木(nanmu)」を代表種とした「楠」 であることに変わりはない。  ところが、日本では近世以降、この「楠」を「ゆずりは」の漢名と見なすことが一般的 となる。ユズリハは大戟科(トウダイグサ科)の木である。同科から独立させてユズリ ハ科を立てる考え方もあるが、いずれにせよユズリハ属(Daphniphyllum)の木であり、 柱梁の良材となる大木でもなければ、材が芳香を放つこともない。当然のこととして、樟 科の「楠」に当てることできない。しかし、そのできないことが広く行われていたのも事 実である。その代表は小野蘭山『本草綱目啓蒙』の「楠」の項である26 楠 コガ子ノハ 古歌 ヲヤコグサ 同上 ユヅリハ ワカバ 阿州 ツルシバ 肥前 ツ ルノハ 肥後 〔一名〕交讓木 事物異名 道木 正字通 讓 同上    楠ニ數品アリ、南寧府志ニ「楠有細葉大葉金釵香紫臭糞黄楠」ト云、時珍ノ説ニ「葉 如牛耳」ト云ハ大葉楠ニシテ ユヅリハナリ、新陳相換ルノ義ヲ以テユヅリハト名ク、 一説ニ丹州弓ユ ゲ削山ニ多ク生スル故弓弦葉ノ義ニ因テ名クト云、唐山ニモ譲木ノ名アル コトハ譲ルノ義ニトル者是ナルベシ(下略) 「ゆずりは」の語源について、一方で「弓弦葉」の説も紹介しながら、「唐山ニモ譲木ノ名」 があることを根拠として、「楠」を「譲り葉(ゆずりは)」と結びつけている。しかし、こ の「唐山」の「譲木」が決して「ゆずりは」ではないことは上述のとおりである。小野は 『大和本草批正』でも「ゆづりは 楠の一種なり。ゆづりはの名、交讓木と云に合す。時珍、 大如牛耳云もの、即ゆづりはなり」と述べている27。これは、貝原益軒が『大和本草』で、 「楠」をイヌグス(タブノキ)に当てていることに対して28、「いぬくすも亦楠なり。楠は 品類甚多し」と譲歩しつつも、「ゆずりは」を前面に出して主張したのである。しかし、「楠」 に数種存在することは前に見たとおりで正しいが、「ゆずりは」に当てるのは大きな誤り と言わざるを得ない。  これは、恐らくは、前後の表現から見て、『本草綱目』やその元となった本草書、或い は陸璣『毛詩草木鳥獸蟲魚疏』などの情報を誤解したものと想像される。李時珍『本草綱 目』には「葉似豫章,大如牛耳」「経歳不凋,新陳相換(歳を経て凋まず,新陳 相換ふ)」とあっ たが、「牛耳」の如き葉をとらえて「大葉楠」とし、「経歳不凋,新陳相換(常緑樹でありつ つ、新旧の葉が入れ替わる)」の語を捉えて「ゆずりは」と認定した可能性がある29。しかし、 語句の単純な読み違えだけでこの誤解が起こり、広まったとも思えない。また、常緑樹の 葉が新旧交替することは「楠」だけのことではなく「ゆずりは」だけのことでもない。こ の常緑樹一般にあることを以て「ゆずりは」と断定してしまったのは、「ゆずりは」の葉 柄が赤くて目立ち、葉の新旧交替も顕著であることのほかに、次のような事情がある。  小野蘭山『本草綱目啓蒙』より 90 年ほど早くの、寺島良安『和漢三才圖會』に、 讓 ゆづりは 葉木 弓ユ絃ツル葉ハ 万葉 楪 俗字 枕草紙ニ云、由豆利葉

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按木ノ高サ五七尺、樹葉茂盛、(中略)新葉旣ニ生シテ、舊葉落ツ、父子相讓ルカ如シ、 故俗呼ンテ讓リ葉ト曰、都鄙正月ノ鏡ノモチ餈及門戸之ノ飾リニ用フ、亦タ相續之ノ義ヲ取ル とある30。「ゆずりは」という名の由来を「新葉旣シテ、舊葉落、父子相讓ルカ と捉えていが、名前の由来だけでなく、正月の飾りに「ゆずりは」を用いるのも父子相続 のめでたさを象徴するから説明している。しかし、これは日本人の本来の認識ではなかっ た。神饌に用いるのは、譲ることのめでたさではなく、常緑葉の生命力に神を感じて信仰 したからであった。また、中古には「弓弦葉」と、語源を正しく反映して書くのが主流で あり、中世以降の辞書類でも、「杠(棡)」や「楪(𣜿)」などと表記されるのが普通であった。 それが次第に「譲り葉」と認識されるようになったのである31。小野蘭山『本草綱目啓蒙』 が「楠」を「ユヅリハ」としつつ、「一名」として「交讓木」を掲げる背景には、この、「ゆ ずりは」を「譲り葉(譲葉)」とする認識が存在する。この認識が、「楠」の珍木から「楠」 そのものの別称へと変貌した「譲木(交譲木)」に重なり、「ゆずりは(譲葉)=譲木(交 譲木=楠)」といった誤った認識を生んだものと思われる。また、『和漢三才圖會』の「讓 葉木」という表記が、「譲葉」でも「譲木」でもないのも、おそらく、「讓葉(ゆずりは)」 と「讓木(楠)」の混合・合体、即ち誤認を示しているのであろう。  さて、誤認ではあっても、その影響は広範に及び、現代にしっかりと根を張ることとな る。明治大正期の植物学者・松村任三の編んだ『日本植物名彙』には「Daphniphyllum macropodum,Miq. ユヅリハ 楠」とあり32、現代の植物図鑑でも、例えば『原色日本植 物図鑑 木本編Ⅰ』ユズリハの項は「ユズリハは(中略)中国では交譲木(余庭壁(ママ)著事物異名) の字を用いている」と記している33。余庭璧を根拠とするのは、前引の小野蘭山『本草綱 目啓蒙』に「〔一名〕交讓木 事物異名」とあったのを参考としたものかも知れない。この 流れは古典解釈の工具となる辞書類にまで達しており34、また、最近では有岡利幸『資料 日本植物文化誌』なども「ユズリハの漢名は大葉楠、譲木である」としている35。しかし、 その根拠は、当然のこととして、小野蘭山の論拠以上には明示されてこなかった。山本章 夫『万葉古今動植正名』も「ゆづりはを楠一名交讓木とする説古けれども未た確ならず」 と記している36。こうした状況に対し、牧野富太郎は次のように述べている37  私は世間の学者たちがよく書くようにユズリハを交譲木とすることには大反対であ る。(中略)そんならその交譲木はなんであるのかというと、これは上に書いた支那の 楠の一名である。すなわちそれがそのとおり楠の一名であることが余庭璧の著わした 『新刻事物異品』の巻の下、第二十五葉にちゃんと出ている。楠は前に言ったように 決してユズリハではないから、その一名たる交譲木がユズリハたり得ざることは自明 の理である。 この「余庭璧の著した『新刻事物異品』」は『新刻事物異名4』の誤りだが、確かにその巻下、 第二十五葉表には、「楠 交讓木 柯葉不相妨」とある38。ただ、「交譲木」が「楠」の特殊な 珍木であることは既に忘れられて、「楠」の別名として扱われ、「交讓」の意味も、枝葉が 互いに妨げあわないという意味に変化してしまっている。しかし、それでも「交譲木」は

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あくまで「楠」であって、ユズリハでないことについては、余庭璧を持ち出すまでもなく、 以上に縷々述べてきたところであり、全く異存ない39  牧野は一歩進めて、「ゆずりは」の本当の中国名について、次のように記している。  ユズリハは支那にもあって浙江省、湖北省、湖南省、ならびに四川省の地に産する から、何か支那の名があるだろうけれどもそれが今つまびらかでないのである。ただ 松村任三博士の『改訂植物名彙』漢名之部にヂールス氏の挙げた漢名として山黄樹が 載せてあるが、しかしそれが果して正確な名かどうか分からなく、どうもユズリハの ものとしてはその字面が頭へピンと来ない。 結局、牧野はユズリハの中国名を明確にしていないが、「交譲木」や「楠」でないことだ けは明示した。なお、松村任三編『改訂植物名彙』(前編・漢名之部)には、

 Daphniphyllum macropodum Miq.

yuzuriha  ユヅリハ 交讓木(事物異名)(JAP.) 山黃樹(D.)

とあり40「ユヅリハ」の漢名として「交讓木」や「山黃樹」とする説を紹介している。しかし、

「山黃樹」が如何なる樹木であるのかは不明である。 

 ところで、『改訂植物名彙』(前編・漢名之部)には、「ユヅリハ」の直前に次の記述がある。   Daphniphyllum glaucescens Bl.(Euphorbiaceae)

    hime-yuzuriha ヒメユヅリハ 靑黃剛樹(D.) 虎皮楠(F.N.) 実はこの「青黄剛樹」の「剛樹」については別稿でとりあげ、少なくとも現代ではブナ科 の落葉樹・カシワの類を指すこと、それにもかかわらず「ゆずりは」に当てられるには相 応の理由があること、そして、それでもやはり誤用ではあることなどを記した41。そこで、 ここでは「虎皮楠」について考察を加えておきたい。  中国でも現代の科学的分類法が確立する前には、「楠」が所属する樟科の数属から逸脱 したところで、何らかの理由から「楠」字を名前の一部に持った樹木が存在した。こうし たことは「楠」に限らずに起こることで、日本でも、例えばビヤウヤナギ(未央柳)やユ キヤナギ(雪柳)は、葉が細く枝が柳(シダレヤナギ)のように垂れるために「やなぎ(柳)」 の名を持つが、ヤナギ科の植物ではない。いずれも庭前に植え、花をめでる灌木で、大木 になる柳とは外見も風情も大いに異なる。こうしたことが中国でも当然あって、樟科の 「楠」ではないが、「虎皮楠」という木がある。この木の学名は『中国高等植物図鑑』では Daphniphyllum glaucescens Bl. であるが、ユズリハ D.macropodum Miq. とは別種な がら同属で、日本にあれば、伝統的には区別されずに「ゆずりは」と見なされてきた可能 性は高い。つまり、中国の「楠」の大多数は「ゆずりは」ではないが、大多数の「楠」の グループから大きく離れた所で、名前に「楠」字を含む一種があって、それが日本のユズ リハの近縁種だったのである。無論「楠」は、厳密に一種だけを指す名ではないが、中国 を代表する樹木である。「楠」と言えば、誰しもが「楠木(nanmu)」を始めとした樟科 の大木で、香気漂う “君子の樹” をイメージする。それを日本の「ゆずりは」に当たると 言えば、大きな誤りである。譬えれば、日本で一般に言う「やなぎ(柳)」を見たことの

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ない人にユキヤナギを示して「これが柳だ」と言うようなものである。こうしてみれば、「楠」 を「ゆずりは」に充てるのは、やはり誤りと言わねばならない。ただ、こうした誤りを犯 してきた原因の一端が、この「虎皮楠」の存在にあった可能性は十分に考えられる。  このような事情があって、松村の「ユズリハ=楠」の判断も、単に「譲り葉(譲葉)」 と「交譲木(譲木)」を字面の上から混同したというだけではなく、この「虎皮楠」の存 在を介して生まれてきたのではないかと推測する。そして、恐らくはこの松村らの研究を 承けて上原敬二『樹木大図説』は小形のヒメユズリハ(D. teijsmanni Zoll.)について、「虎 皮楠」、「青黄剛樹」といった中国名を挙げている42。実は『本草綱目啓蒙』にも上記の引 用部分に続けて「一種小葉ニシテ、石楠葉ノ如キ者アリ、ヒメユヅリハト云」という一節 がある。この小野のいう「ヒメユヅリハ」は、ヒメユズリハ D. teijsmanni と同じ一種を いうのかどうかは不明であるが、「ゆずりは」の一種ではあるのだろう。ヒメユズリハ D. teijsmanni はその名のとおり、ユズリハ D. macropodum よりはやや小ぶりではあるが、 勿論同属で、区別をつけにくいほど外見も似ている。また、ここに言う「石楠」も、所謂「しゃ くなげ(石楠花)」のことかどうか不明であるが、「しゃくなげ(石楠花)」(ツツジ科ツツ ジ属のアズマシャクナゲなど数種)であれば、その葉は、素人目には一見したところ「ゆ ずりは」の葉をやや小さくしたものに見えるかも知れない。しかも、中にはユズリハと同 じように枝から輪状に葉を垂れ、葉柄もやや赤みを帯びるものがある43 3.ユズリハ(ゆづりは)の現代中国名  さて、日本では「ユズリハ(ゆづりは)」と見なされてきた「交譲木」の、中国での姿は前々 章に見たとおりである。どんなに珍奇で樹種が分からなくなるほどであっても、それは「楠」 以外の何か別の樹種であったことはない。正常な「楠」を逸脱して、実在の木を想定させ ないほどのものであっても、「楠」以外の特定の樹種であったことはない。だから、その「楠」 を「ユズリハ(ゆづりは)」とすることが誤りであることについても既に詳述した。ところが、 その誤りが現代の中国の植物図鑑に伝染する。  『中国高等植物図鑑』には、「交譲木科 Daphniphyllaceae 1属,我国約 12 種」の説 明があり、その「交譲木属 Daphniphyllum Bl.」の「交譲木 D.macropodum Miq.」に は次の説明がある44  (前略)常于新葉開放時,老葉全部凋落,因有 “交譲” 木之称(中略)分布于長江流 域以南各省区及台湾;朝鮮,日本也有。(中略)葉和種子薬用,治療毒紅腫(下略) この学名 D.macropodum Miq. は間違いなくユズリハのものであるが、新葉が開く時に 老葉がみな落ちるので “交譲” 木の名があるとされている。これは日本での誤同定を、本 家の中国が逆輸入してしまったとしか思えない。百歩譲って、日本で行ったと同じ誤同定 を中国でも行ったとすれば、伝統的に「楠」に含まれてきた多くの樹種の一つに「ゆずり は」の一種(例えば「虎皮楠」)を含めてしまったため、「ゆずりは」の全体を「楠」の

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一部とするような意識が働き、そこに「ゆずりは」の葉の交代と「交譲」を合わせてし まったということになる。確かに、『中国高等植物図鑑』の「交譲木属」には、「虎皮楠 D. glaucescens Bl.」や「牛耳楓 D.calycinum Benth.」といった名も挙げられていて、前 者には「日本也有」との解説もあるが、中国では「ゆずりは」を父子相続の意味で珍重す る習慣も無く、日本と同じ誤同定が行われたとする可能性は低い。やはり、日本の誤同定 が逆輸入されたと見るのが自然であろう。  そこで、その逆輸入の契機を探るべく、『中国高等植物図鑑』より時代を少し遡ってみ ると、管見の及ぶ限りながら、次のような文献を見出すことができる。  孔慶萊等編『植物學大辭典』の、主要編者・杜亞泉による序文(1917 年)に、  當時吾等編譯中小學校教科書。或譯自西文。或採諸東籍。遇一西文之植物學名。欲 求吾國固有之普通名。輒不可得。常間接求諸東籍。取日本專家考訂之漢名而用之。 とある45。当時、中小学校の教科書を編むに際して、欧文や日文の文献を翻訳したが、欧 文の植物学名には中国固有の名を当てることができず、間接的に日本の文献から日本人が 考えた漢名を当てることがよくあったというのである。西欧の学名を翻訳するに際し、日 本人の考えた漢名が参考にされた経緯が明確に読み取れる。また、同辞典の凡例には、  植物名稱。多爲吾國之普通名、已經考定學名者。間有日本之普通名、用漢字或可譯 爲漢字、類似吾國之普通名、其學名已考定者。一幷收採。(中略)  植物名稱之下。除列西文學名外。附載日本用假名聯綴之普通名。此種普通名。所綴 假名。往往歧出。苟有所見。悉收錄之。 などとあって、日本の名称、日本での漢字、或いは漢字に直すことが可能な名称を収録し ていること、さらには、欧文の学名に日本の仮名で綴った名も添え、矛盾があっても収録 する方針が述べられている。それで、「交譲木」は如何にと見れば、以下の如くである。    交讓木 Daphniphyllum macropodum Miq. ユヅリハ

 大戟科交讓木屬。生於山地。常緑喬木。高至十尺餘。葉互生。長楕円形。與石楠 之葉相似。(中略)日本又名「大葉楠」一名「楪」。按交讓木名出羣芳譜。卽楠木( ) Machilus Nanmu Hemsl ナンボク之別名。今日本内外實用植物圖説稱上述之植物 爲交讓木。與羣芳譜不合。惟其科屬與学名各異。雖有冒名之嫌。姑從之。 「楠木」の属名を Phoebe ではなく Machilus としているが、分類方法の相違によるもの であり、別種を指すのではない。注目すべきは、ユズリハ(D.macropodum)に「交讓木」 の漢名を与えつつも、『羣芳譜』などに記された中国伝統の「交讓木」が「楠木(nanmu) M.Nanmu」を代表とする「楠」であることとは合致しないことを注記している点である。  なお、日本で「ゆずりは」に多用された「楪」字についても、次のようにある46

 楪 Daphniphyllum macropodum Miq. ユジ(ママ)リハ 楪卽交讓木也。註詳交讓木。  また、賈祖璋・賈祖珊編『中國植物圖鑑』(1955 年)でも、同じように「交譲木」は ユズリハである47

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「葉柄紅色」はユズリハの特徴であり、掲げられた図には「Daphniphyllum macropodum Miq.」と、ユズリハの学名が添えられている。この頃から、この誤解が中国でも定着しつ つあったことが分かる。それが、『中国高等植物図鑑』の状況に繋がっていくのである。 まとめ  正月、鏡餅などに用いられる「ゆずりは」は「交譲木」と書かれる。しかし、漢語の「交 譲木」は「ゆずりは」ではない。別稿で明らかにしてきたことであるが、そもそも和語の「ゆ ずりは」は「弓ゆ弦づる」に由来する可能性が高い。それを「譲る葉」と捉え、父子相続を言祝 ぐ象徴と意識するようになるのは中世以降、徐々に強くなっていった傾向である。中古の 頃までは譲ることを祝うのではなく、常緑で大形の葉がその葉柄の赤色とともに生命力に 溢れ、神聖なものと意識されて、神饌を載せる葉として利用されたのであった。それが、「弓 弦」と「譲る」の同音から「譲り葉」へと意識が変化していったのである。そして、その 「弓弦葉」を「譲り葉」とする意識が、中国伝統の「交譲木(略称:譲木)」を「ゆずりは」 と同定することを助けたのである。  しかし、中国の「交譲木」は決して「ゆずりは」ではなかった。貴木「楠」の中の、極 めて特異な珍木であった。そもそも「楠」は日本には無い木で、樟科の木ではあるがクス ノキでもない。真っ直ぐに天を衝く大木で、材は芳香を放つため建築の良材として多くの 宮殿に用いられた貴木である。その「楠」に、一方の枝が茂れば他方が枯れ、翌年はその 反対に栄枯が入れ替わり、互いに譲りあうかのような珍木があった。伝説の「交譲木」で ある。それが、「交譲」という君子の徳を備えた木として、やがて「楠」一般の美称となっ ていった。こうした “君子の樹” の神聖さが「楠」を日本の神聖樹「ゆずりは」と結びつ ける素地を形成したかも知れない。そして、「譲り葉」と意識された「ゆずりは」がこの「交 譲木」に同定されてしまった。また、中国で「楠」の葉を「新陳相換」と描写したことや、 「ゆずりは」の近似種を「虎皮楠」と呼んだことも、「交譲木」を「ゆずりは」と誤る契機 となった可能性がある。  それにしても、「ゆずりは」に漢字「交譲木」を当てることは日本での誤った用法であ る。しかし、その誤用法が現代中国で逆輸入され、ユズリハは中国でも「交譲木」と称さ れるようになった。この逆輸入の過程を示す文献としては、20 世紀初頭に杜亞泉等によっ て編まれた『植物學大辞典』などを挙げることができる。

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註 1 拙稿「「棡(杠)」「楪(𣜿)」と「ゆずりは」」(『桜美林論考 人文研究』第5号、桜美林大学、2014)参照。 2 蕭統編・李善注『文選』巻四、賦乙、京都中(上海古籍出版社、1986、p.180) 3 胡紹煐撰、蔣立甫校點『文選箋證』(黄山書社、2007、p.137) 4 蕭統編・李善注『文選』巻四、賦乙、京都中(上海古籍出版社、1986、p.180)に劉逵注として「蹲 鴟,大芋也,其形類蹲鴟,故卓王孫曰:吾聞岷山之下沃野,下有蹲鴟,至死不飢」とある。 5 王謨輯『漢唐地理書鈔』(中華書局、1961、p.173)。句読点は寺井。「牂」は牛偏に作る。 6 李昉等撰『太平御覧』巻第九百六十一、木部十交讓(中華書局、1960。商務印書館影印宋本の縮印本。 p.4264) 7 『説郛』一百二十巻、巻六十一、張僧鑒『潯陽記』(陶宗儀等撰『説郛三種』上海古籍出版、 1988、p.2826)。句読点は寺井。 8 「 」「枏」は「楠」の古字形。例えば『廣韻』(周祖謨『廣韻校本』中華書局、1960、p.223)に「枏 木名又人詹切、楠 俗」とあり、また、『字彙』(『字彙字彙補』上海辞書出版社、1991、p.210。 康煕二十七年靈隱寺刻本)には「 、俗枏字」とある。 9 李昉等撰『太平御覧』巻第九百五十八、木部七楠(中華書局、1960。p.4251) 10 中島長文校「『任昉述異記』校本」(『東方學報 京都』第七三冊、2001、p.410)。底本は明商濬 校稗海本。 11 倪璠注『庾開府全集』(四部備要『庾子山集注』台湾中華書局、1965)巻三十六葉。 12 李昉等撰『太平御覧』巻第九百五十八、木部七夜合(中華書局、1960。p.4254)。守屋美都雄『周 處風土記輯本』(『東洋學報』第 44 巻第4号、東洋學術協會、1962.03、p.89)によれば、「合蕊、 槿也、葉晨舒、而昏合」とある。 13 倪璠注『庾開府全集』(四部備要『庾子山集注』台湾中華書局、1965)巻四二十二葉。 14 倪璠注『庾開府全集』「擬連珠」其二十七(四部備要『庾子山集注』台湾中華書局、1965)巻九、 八葉には「是以譬之交讓實半死而言生如彼梧桐雖殘生而猶死(是を以て之を譬ふれば交讓、實に 半ば死するも生きたりと言ふ。彼の梧桐の如し、生を殘すと雖も猶ほ死するがごとし)」とある。 15 宋・郭茂倩編『樂府詩集』巻第十七、鼓吹曲辭二、漢鐃歌中「芳樹」(上海古籍出版、1998、p.212)。 注によれば、「秋月」を「秋色」に、「桃色」を「桃花」に作るものがある。 16 本文とともに、李雲逸校注『廬照鄰集校注』(中華書局、1998、p.213) 17 顔師古注『漢書』巻七十七毋將隆傳、中華書局、1960、p.3265。「虞芮之訟」の故事については『史 記』周本紀や『孔子家語』好生などに詳しい。 18 『晏子春秋』内篇雑上第五、十八(「諸子集成」第四冊、張純一著『晏子春秋校注』中華書局、 1954、p.138) 19 中国科学院植物研究所主編『中国高等植物図鑑』第一冊(科学出版社、1972、p.816~864) 20 『説郛』一百二十巻、巻三十「隣幾雜誌」(陶宗儀等撰『説郛三種』上海古籍出版、1988、p.1405) は「橘樹直竦」に作る。鄭恢主編『事物異名分類詞典』(黒竜江人民出版、2002、p47)の引く 所に拠って改めた。 21 陳貴廷主編『本草綱目通釈』(学苑出版社、1992、p.1591) 22 汪灝、張逸少等撰『佩文齋廣羣芳譜』(上海古籍出版社、1991、p.847-87)。1621 年初刻の王 象晉撰『群芳譜』を増益したものから、原典部分を引用。 23 陸璣『毛詩草木鳥獸蟲魚疏』(任繼愈主編『中國科學技術典籍通彙 生物巻』河南教育出版、 1993。底本は羅振玉校本。p.1-32)に「梅樹皮葉似豫章,葉大如牛耳」とある。「梅」は「楠(枏、 )」の古字形の一。『説文解字』(『説文解字注』上海古籍出版、1981、p.239)に「枏、梅也、 從木冄聲」「梅、枏也」とある。 24 侯外廬主編『方以智全書』第一冊通雅(全二冊)(上海古籍出版、1988、p.1293)。陸文裕は明・ 陸深の諡。

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25 張自烈編廖文英補『正字通』(国際文化出版、1996、p.565) 26 杉本つとむ編『小野蘭山本草綱目啓蒙―本文・研究・索引―〔新装版〕』(早稲田大学出版部、 1986。底本は早稲田大学図書館蔵の初版本。p.453) 27 小野蘭山『大和本草批正』(『益軒全集』巻之六、国書刊行会、1973、p.675)   28 貝原益軒『大和本草』「樟腦」の項(白井光太郎校注『大和本草』第一冊、有明書房、1983、p.439) に「樟ト楠ト一類二物也國俗ノクスノ木ト云物二品アリ一品ハ香ツヨク木心黑赤樟腦ヲ煎ス是樟 ナリ一品ハイヌグスト云香少シ木心色赤黑ナラス是楠ナリ」とある。 29 牧野富太郎選集第2巻「ユズリハを交譲木と書くのは誤り」(東京美術、1970、p.200)は小野 蘭山の誤同定を「新陳相換」などの語句の誤解によるのではないかと推定している。なお、厳密 に言えば、小野蘭山が「ユヅリハ」であるとするのは、「数品」ある「楠」の一つの「大葉楠」 である。この「大葉楠」の名は現代分類の中にもあり、『中国高等植物図鑑』では樟科楨楠属の M.ichangensis が「大葉楠」である。小野のいう「大葉楠」がこれであるかどうかは確かでない が、樟科の「楠」類の一つであれば、無論、「ゆずりは」ではない。 30 寺島良安『和漢三才圖會』巻第八十四灌木類(東京美術、1970、p.1209。底本は、正徳刊本)。 返り点を省いたことに従い語順を入れ替えた。 31 拙稿「「ゆずりは」の文化史と名称の由来」(『桜美林論考 人文研究』第4号、桜美林大学、 2013)及び「「棡(杠)」「楪(𣜿)」と「ゆずりは」」(『桜美林論考 人文研究』第5号、桜美林大学、 2014)参照。 32 松村任三編『日本植物名彙』(丸善、1884、p.64) 33 北村四郎・村田源著『原色日本植物図鑑 木本編Ⅰ』(保育社、1997 改訂版、p.330)。余庭『事 物異名』を根拠とするのは、『本草綱目啓蒙』と同じであるが、余庭璧は後に引くとおり「楠」を「交 譲木」としたまでで「ゆずりは」に当てているわけではない。 34 例えば、諸橋轍次著『大漢和辭典』巻一(大修館書店、1955、p.537)「交讓木」には「㊀珍木の名」 に並べて「㊁常綠喬木の名。ゆづりは」とある。 35 有岡利幸著『資料日本植物文化誌』(八坂書房、2005、p.286) 36 山本章夫著『万葉古今動植正名』(恒和出版、1979、p.251) 37 牧野富太郎選集第2巻「ユズリハを交譲木と書くのは誤り」(東京美術、1970、p.200)。引用部 分の前(p.198~199)には「楠」が「タブノキ一名イヌグスに似たものでともにクスノキ科」で はあるがクスノキではなく、ユズリハでもないことが述べられている。 38 長澤規矩也編『和刻本類書集成』第四輯(汲古書院、1977、p.430。胡文煥校、延宝二年前川茂 右衞門刊本) 39 牧野はユズリハの美しさを愛し、「冬に美観を呈するユズリハ」という一文(牧野富太郎選集第 2巻(東京美術、1970、p.196-197)では「正月にユズリハを飾るのは、譲るの意で、親は子 に譲り、子は孫に譲り、子々孫々相襲いで一家を絶えさせんようにと祈ったものである。この点 からみるとユズリハはめでたい木である」と述べている。「ゆずりは」の語源については「譲り葉」 の立場であった。 40 松村任三編『改訂植物名彙』(前編・漢名之部)(有明書房、1982、p.113) 41 「「棡(杠)」「楪(𣜿)」と「ゆずりは」」(『桜美林論考 人文研究』第5号、桜美林大学、2014) 42 上原敬二著『樹木大図説Ⅱ』「ゆずりは」の項(有明書房、1961、p.2-745) 43 現代の中国では、「石楠」はバラ科カナメモチ属 Photinia の木々を指すのが一般である。一方、 日本で「しゃくなげ(石楠花)」と呼ばれる木々はツツジ科ツツジ属 Rhododendron(「杜鵑花 科 Ericaceae」の「杜鵑属 Rhododendron」)に属する。『中国高等植物図鑑』では同属の種は ほとんどが「○○杜鵑」といった名で、実に 282 種も記載されているが、別称まで含めても、「石 楠」や「楠」の字を見出すことはできない。 44 中国科学院植物研究所主編『中国高等植物図鑑』第二冊(科学出版社、1972、p.627)

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45 孔慶萊等編『植物學大辭典』(上海商務印書館、1922 第四版。「交譲木」は p.343 ~ 344、「楪」 は p.1186。杜亞泉序文は 1917 年、初版の発行は 1918 年)

46 拙稿「「棡(杠)」「楪(𣜿)」と「ゆずりは」」(『桜美林論考 人文研究』第5号、桜美林大学、2014)参照。 47 賈祖璋・賈祖珊編『中國植物圖鑑』(中華書局、1955、p.511)

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