秦嘉と徐淑 : 物語と五言詩
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(2) 138. 秦 嘉 と 徐 淑. として も決 して大 き く取 り上 げ られて きたわけで もな い。徐 淑 とその夫秦嘉 のふ た りが今 にそ の 名 を伝 え る こ とが で きた の は 、 ま さに、 ふ た りの 詩 が 『玉台新詠』 に、書信 が 『芸文類 衆』 な どに記録 され た こ とに よるの だが、 そ うい った書物 の 中に定着す る までの間、 秦嘉 と徐 淑 の作 品が、 い か に人 々 の なかで伝承 され て い たのであろ うか とい う こ とに思 い至 る とき、そ こ には かれ らふ た りについ ての物語 が生 き生 きと伝承 されて い た場 が あ つたろ う こ とが想像 され る。 かれ らに関 して、今 日目にす る こ とが で きる資料 は、 ま こ とに少 ない と言 わ ざるを得 ない。 それゆえ、あ る い は相 当乱暴 な推測 と思 われる箇所 もある か と思 われ るが 、 かれ らの詩 を通 して、詩 と物語 の 関係 の一 端 を探 ってみ る こととしよ う。. 『玉台新詠』がかれ らの作品 につ けてい る序文 か ら見 てみ よう。 「秦嘉、字士會、陸西人也、篤 郡上嫁。其妻徐淑、寝疾還家、不獲面別、 賠詩云爾」。秦嘉 は、字 は士 会、朧西 の人である。郡 の上株 となった。か れ の妻 の徐淑 は病気 で実家 に帰 ってお り、そのため、会 って別れを告げ ること がで きず、詩 を贈 ることとなった。 秦嘉 が郡の上嫁 となった こ とが 記 されて い るが、紀容舒. (『. 玉台新詠考. 異』)も 指摘す るように、上嫁 は上計 の誤 りである'。 (後 述す るように『詩 品』 は「上計」 に作 る。)当 時、地方 か ら中央へ の人材登用 の道筋 には、上 計嫁 もしくは計偕 と呼 ばれる制度があって、その制度 に与 って都へ上 った も のが、後 に中央で郎 に任命 され ることが あ った。なお、『隋書』経籍志. (以. 下、『隋志』 と略記 )に 、梁の時 に、「後漢黄門郎秦嘉妻徐淑集一巻」があっ たことを著録 してい るが、ここか ら、秦嘉が上計 に選ばれて後、黄門郎 に就 いたとされていた ことが知 られる。 紀容舒 は、 この序文 を信 じるに足るものではない とする。李陵 と蘇武 の贈.
(3) 森. 田. 浩. 一. 139. 答詩 同様 、仮託 された作 品 で あ る、 とい う判 断 で ある。 とは い え、序文 の 内容 自体 が まった く信用す るに足 らな い とい うわ けで は ない 。 この序文が生 まれて きた背景 を物語 る資料 は他 に も存在 して い るので あ る。 た とえば、鈴 木虎雄博 士 は、 か つ てその 『玉 台新 詠』訳 注 書 (岩 波 文庫 ) にお い て 、読者が秦嘉 と徐 淑 の贈答 詩 が生 まれた背 景 を理解す る便 として 、 かれ らが 取 り交 わ した もの とされ る書信 を掲 げ た。詩 を読 む前 に少 し回 り道 になるが 、 ここで そ の書信 をひ ととお り眺 めてお くこ とと しよう。 なお、書信 は 『芸 文 類 衆』 (巻 32)に 収 め られ て い る他 、『北 堂 書 抄』 や 『太平御 覧』 に も断 片 が 収 め られて い る。 この 断片 と『芸文類 衆』 の 書信 と の 関係 は明 らか に しが た い が、厳可均 は、そ の「徐 淑伝」 にお い て 、断片 を 『芸文類衆』 の書信 の 中 に融合 し、その 再構 成 を試 み て い る。 かれの書信 の 再構 成 は、非常 に巧 み な もので あるが、今 は取 りあえず 『芸文類衆』 に よる こ ととす る。. まず、秦嘉 か ら徐 淑 へ の 第 一信 であ る。 「不 能養志。営給 郡使 。随俗 順 時、価仇 営去。知所苦故爾 、未有膠損 、想 念慢慢 、勢心無已。営渉遠路 、趨走風塵 、非志所慕 、惨惨少柴。又計往還 、 持 爾 時節。念 登 同怨 、意 有 遅 遅。欲 暫 相 見。有所属 託。今 遣 車往 、想 必 自 力」。志 を養 う能 わず。当 に郡吏 に給 す べ し。俗 に随 い 時 に順 い 、価挽 して 当 に去 るべ し。 苦 しむ所故 よ り爾 う して、未 だ膠損す る こ と有 らざるを知 れ ば、想念慢慢 た りて 、労心 已 む こ と無 し。遠路 を渉 り、風塵 に趨 走す るに当 た りて 、志 の慕 う所 に非 ざれば、惨惨 と して楽 しみ少 な し。又 た往還 を計 る に、将 に時節 に爾 らん とす。発 つ を念 えば怨 み を同 じう し、意 に遅遅 たる こ と有 り。暫 く相 い見 ん と欲 す。属託す る所有 り。今. 車 を遣 りて往 か しむ。. 必ず 自ら力 めん こ とを想 う。 志 を養 う、 とは 『荘子』譲王篇 に「志 を養 う者 は形 を忘 る」 とあ るの に も とづ き、高 尚な 目的へ 向 か って 自己 の精神 を高 め 、俗 世 の 栄達 には背 を向 け.
(4) 秦 嘉 と徐 淑. 140. る こ とで あ る。秦嘉 は 、役 人勤 めの 身 と して 、そ の志 向 を保 ち続 ける こ とが ど う して もで きな くな り、俗 世 に随 い時運 に逆 らわず 、出発 せ ねばな らな く 、 亡 酉己でた まらない と、 なった とい うので あ る。 そ して、妻 の病 が癒 えぬの が ′ な ぐさめ る。 本心 で は行 きた くもな いの に、行 かねばな らない と繰 り返 し、 病 に苦 しむ 妻 に、 自分 も苦 しいのだ と言 う。 そ して、行 って帰 って くるの には時 間が か か るだろ うか ら、最後 に出発前 にことづ けてお きた い こ とが あるので 、車 を よこすか ら、何 とか してや つて きて欲 しい と言 うので あ る。 この こ とづ け てお きた い こ とが ある とい う こ と、 これ が この書信 の実際的 な用向 きで あ ろ うが 、仕事 と家庭 の二 者選択 になや んだ あげ く、仕事 と出世 を取 らざるを得 なか ったで あ ろ う男 のいいわ けが ま しさが感 じとれ る。 これ に徐淑が 答 える。 「知屈珪 埠 、應奉 蔵使 。策 名王府 、観 國之光。雖失 高 素皓然 之業 、亦 是仲 尼執鞭之操 也。 自初承問、心願東還 、追疾惟宜抱歎而已。 日月已蓋。行有伴 例。想巌荘已辮 、登邁在近。誰謂宋遠。企予望之。室辺 人選。我勢如何 。深 谷透逸 、而君是渉。高 山巌巌 、而君是越。斯亦難実。長路悠悠 、而君是践 、 泳霜惨烈 、而君是履 。身非形影 、何得動而軋倶 。催非比 日、何得 同而不離。 於是詠萱草之愉 、以沿雨家之恩。割今者之恨 、以待 特末之歎。今適柴土 、優 海京 邑、観 王都 之壮麗 、察 天 下之珍妙 、得 無 目玩意移、往 而不 能 出邪」。珪 埠 に屈 し、歳使 に応 奉す るを知 る。名 を王 府 に策 し、 国 の 光 を観 る。高素皓 然 の業 を失 う と雖 も、亦 た仲尼執鞭 の操 な り。初 めて承 問あ りしよ り、心 に 東還 を願 うも、迫疾 あ りて惟 だ宜 く歎 を抱 くべ きのみ 。 日月已 に尽 く。行 に 伴例有 り。厳荘 の 已 に辣 い 、発邁 の近 きに在 るを想 う。誰 か宋遠 しと謂 う。 企 ちて予之 を望 む。室迩 くして人退 し。我が労如何 。深谷透逸 た り、而 して 君. 是 を渉 る。高 山巌巌 た り、而 して君. 悠悠 た り、而 して君. 是 を越 ゆ。 斯 れ も亦 た難 し。長路. 是 を践 む。氷霜惨 烈 た り、而 して君. 是 を履 む。 身 は. 形影 に非 ざれば、何 ぞ動 きて軌 ち倶 にす るを得 んや 。体 は比 目に非 ざれば、 何 ぞ 同 に して離 れ ざるを得 んや。是 に於 て 萱草 の喩 を詠 じ、以て両家の恩 を.
(5) 森. 田 浩. 一. 消 さん。今 の怨み を割 ち、以 て将来 の歓 を待 たん。今楽土 に適 け ば、 京 邑 に 優瀞 た りて 、王都 の壮麗 を観 、天下 の珍妙 を察 、 目に玩 でて意移 り、往 きて 出づ る能 わ ざる無 きを得 んや 。. 歳使 とは、上計 のことであろ う。抜擢 されて、出世 の きっかけをつかんだ 夫 は、その高 い志 を捨て去 って しまお うとしてい るけれ ども、それ も孔子様 が「御者 になれ もする」 とおっ しゃったの と同 じような行 いで しようか。仲 尼執鞭 は 『論語』述而篇 に出、 もし裕福 になる ことが肯定 される ことなら、 た とえ御者 とい う しごとで もや ってやろう、 と孔子 が言 つた ことにも とづ く。 夫 の言 い訳 が ましさに対 して、出世のために喜 んで行 こ うとしてい るので しょうと椰楡 してい るのが読 み とれる。孔子 はけ っ して実際にその志 を曲げ たのではなかった。本当に「養志忘形」 を念 うよ うな ら、「珪章 (玉 器、役 人の象徴 )に 屈 し」た りす ることはない、 とい うのである。 ただ、手紙 は後半 自分が病 ゆえに夫 の もとへ 帰 れぬ嘆 きを語 る ところか ヾ 亡 1青 を率直 ら、椰楡 の語気が失われ、夫の旅 の辛 さを思 いや り、 自分 の辛 い′ に語 り始 める。『詩経』 か らの引用°、「形影」「比 目」 とい つた常套 的 な比 喩、そ して対句表現 によって、遠 くへ旅立 ってゆ く夫へ の気持 ちがたたみか けるように述べ られる。衛風 「伯分」 の詩人が出征兵士 の夫 を送 り出す にあ たって、忘れ草 を手 に入れたい とうたった詩 を吟 じて、わた したち「両家 の 恩」 を忘れ去 り、今 の恨 みを断ち切 って、再 び会 う日の歓 びを待 つ こととし ましょう、 とい う言葉 は、徐淑な りの逆説的な物言 いであ り、対処 しがたい 悲 しみの前で、実際には「両家 の恩」 も消 し去 ることはで きず、「今 の恨 み」 も思 い切 ることはで きないこ とを訴 えてい る。なお、「両家 の恩」 につい て は、後 に触 れる。 しか し、徐淑 の辛 さとは裏腹 に、秦嘉 は都へ行 って しまえば残 してきた妻 の ことも忘れて、そ してやがては帰 ることさえ も忘れて しまうや もしれな い。 この繰 り言 は、別 れてゆ くふた りの、輝 か しい未来へ と旅立つ者 と病 に 沈 んで取 り残 されてゆ く者 との悲 しみの在 りようの差 に由来す るものか もし.
(6) 142. 秦 嘉 と徐 淑. れ な い。椰 楡 にせ よ、そ うで な い にせ よ、徐 淑 が こ こで 夫 に訴 えて い るの は 、夫 の 出世欲 を戒め る こ とな どで はな く、取 り残 され る者 の不安 なのであ る。 しか し、徐 淑 は秦嘉 の もとへ 駆 けつ ける こ とはで きなか った。秦嘉 は再 び 妻 に書信 を送 る。 「 車還 空 反。甚 失所 望。乗叙遠 別、恨 恨 之情 、顧 有恨 然。間得 此 鏡。既 明 且 好 。形観文彩 、世所希有。意甚愛之。故以相典。 井賓叙 一 雙 、好香 四種 、 素琴 一 張 、常所 自弾也。 明鏡可 以塞形 、費叙可以耀・ 首、芳香可以敬 身、素琴 可以娯耳」。車還 る に空 し く反 る。甚 だ望 む所 を失 う。兼 ね て遠 別 を叙 す る に、恨恨 たるの情 、顧 だ恨 然 たる有 り。 間 ろ此 の鏡 を得 た り。既 に明 らか に して且 つ好 し。形観文 彩 、世 に希 に有 る所 な り。意甚 だ之 を愛す。故 に以 て 相 い与 う。井 せ て宝 叙 一 双 、好香 四種 、素琴 一 張、常 に 自ら弾ず る所 な り。 明鏡 は以 て形 を璧 るべ く、宝叙 は以 て首 を耀 かす べ く、芳香 は以 て 身 を敬 ら す べ く、素琴 は以 て耳 を娯 じめ じむべ し。 迎 えにや った車 に妻 の姿 はな く、 とて も失望 した。受 け取 った妻 か らの書 信 に したため られて い たの は、 ただ恨 み ご とで あ った。徐 淑 の悲 しみ と不安 の訴 えは、完全 に夫 の胸 に届 い た とは言 えない よ うだ。 別 れ に際 して妻 へ 贈 る品品 につい て述 べ て 、書信 は終 わる。最初 の書信 で 触 れて い た 、妻 に ことづ けた い もの とは、 この ことで あろ う。 これ に再 び徐 淑が答 える。 「既恵音令 、乗賜諸物。厚顧 慇 懃、出於 非望。鏡 有 文彩之麗 、叙有 殊 異 之 観 、芳香 既 珍 、素琴盆好。恵異物於部随、割所 珍 以相 賜。非豊恩之厚 、執肯 若斯。覧鏡執叙 、情想髪 弗。操琴詠詩、思心成結。救以芳香敬 身、愉 以 明鏡 璧形。此言過 臭。未獲我心也。昔詩人有飛蓬之感 、班捷好有誰榮之歎。 素琴 之作 、営須 君 漏 、明鏡 之 璽、営待 君還 。未 奉 光儀 、則 費 叙 不 列 也。未 侍 峰 帳、則芳香不 登也」。既 に音令 を恵 まれ 、兼 ねて諸 物 を賜 る。厚 顧 慇 懃、非 望 に出づ 。鏡 に文彩 の麗有 り、叙 に殊異 の観有 り、芳香既 に珍 らか に して 、 素琴益 ます 好 し。異物 を部 随 に恵み 、珍ず る所 を割 きて以 て相 い賜 う。豊恩.
(7) 森. 田 浩. 一. 143. の厚 きに非 ざれば、執 か肯 えて斯 の若 くせ ん。鏡 を覧 て叙 を執 れば、情想労 弗 た り。琴 を操 りて詩 を詠ずれば、思心 は結 ぼれ を成す。勅す るに芳香 もて 身 を敬 らす るを以 て し、 喩す に明鏡 もて形 を覧 るを以 てす 。此 の言過 て り。 ヽを獲 ざる な り。昔 亡 未 だ我 が ′. 詩 人 に飛蓬 の 感 有 り、班捷好 に誰 栄 の 歎 有. り。素琴 の作 、当 に君 の帰 るを須 つべ く、明鏡 の璧、当 に君 の還 るを待 つべ し。未 だ光儀 を奉ぜ ざれ ば、則 ち宝叙列 せ られ ざるな り。未 だ帷帳 に侍 せ ざ れば、則 ち芳香発 せ られ ざるな り。 書信 を下 さつた上 に、 素晴 ら しい 品 々 まで頂 い たが 、 ま った く望 んで もい なか った こ とで した。 自分 の こ とを思 って くだ さ ってい るか ら こそ、 こ う し て下 さ つたのだ と思 う と、贈 られた品 を手 に して、 あな たの思 い に胸 が塞が ります、 と徐 淑 は まず述 べ る。 しか し、衛風 「伯分」 の詩人が、夫 が居 ない 時 は妻 は蓬髪 に して い る もの だ と うた い 、班捷好 が、君主の愛情 が な くなれ ば粧 い な どす る必 要 はない と. いった気持 ちつ、 まさにその ような気持 ちで私が い ることを夫 は理解 して く れてはい ない、 と徐淑 は訴 えてい る。 夫 か らの贈 り物 は勿論嬉 しい ものではあ ったが、徐淑 にとつて、その贈 ら れた品々 も、夫がそばに居 てこそ役 に立つ ものなのであ った。彼女 は、あ く まで夫 との離別 の悲 しみを訴え続けてい る。 さて、以上で二人が別れに当たって取 り交 わ した とされる書信 をひととお り読 み終 えたが、まず強 く感 じられるのは、秦嘉 の手紙が簡略でそっけない ものであるのに比べ て、徐淑 の手紙 は修辞 に富 み、感情 に富 んでい ることで あ ろ う。 まさしく、『芸文類衆』が この書信 を「閏情」 の部 に収 める所 以で ある。 この書信 は、『玉台新詠』の「かれの妻 の徐 淑 は病気 で実家 に帰 ってお り、そのため、会 って別 れを告げることがで きなか った」 とい う記述 を裏付 け、読者 には徐淑 の「閏情」 を強 く感 じさせ るものであった。.
(8) 秦 嘉 と徐 淑. 144. 次 に、そ の 詩 を読 む こ とと しよう。 まず、秦嘉 の「婦 に贈 る詩」 三 首 の 第 一 首 を、三 節 に分 けて見 てみ よ う。. 1. 人生讐朝露. 人生朝露 の讐 し. 居世多 屯塞. 居生屯塞多 し. 憂穀常早至. 憂穀 は常 に早 く至 り. 歎會常苦 晩. 歓会 は常 に苦 だ晩 し. 詩 は、楽府古辞 や古詩 に よ く見 られ る表現 に よって 、人生短促 の憂 い を表 明 して始 まる。「歓会」 とは、妻徐 淑 と良 き時 間 を共 有 す る こ とを言 う。 た だで さえ短 い 人生 なの に、そ こか ら多 くの 時 間 を奪 い去 って ゆ く辛 く苦 しい こ と、そ の訪 れ は いつ もきまって早 い ものだ。 なの に、それ に対 して、 良 き 時 間 はい つ も遅 くや って くる。世 の 中 とは そ うい うもの 。 曹植が 「歓会再 び遇 い難 く、蘭芝重 ねて栄 えず」 と うたった よ うに、 一 度 失 われた 良 き時 間 は 、再 び巡 っては こない 。 それだけ に、 ふ た りが短 い 間 だ けだ った とはい え、共 にで きた歓会が′ 1昔 しまれ るので あ る。 この よ うに、妻 との 時 間 を恋 い慕 う気持 ちは、秦嘉 の書信 には、見 られ なか った。. 5. 10. 念営奉時役. 時役 に奉ず るに当 た り. 去爾 日通遠. 爾 を去 る こ と日に遥 遠 なる を念 う. 遣車迎子還. 車 を遣 りて子 の還 る を迎 え じめん とす れ ども. 空往復 空返. 空 く往 きて復 た空 く返 る. 省書情悽愴. 書 を省 るに情悽 1倉 た り. 臨食不 能飯. 食 に臨 んで飯 う能 わず.
(9) 森. 田. 浩. 一. 145. ここでは、秦嘉 の二通 の書信 に書 かれてい た事 が うたわれる。書信 にあ つ て、 ここにないのは、贈 り物 のことである。 さて、 ここに現 れてい る心情 は、書信 とは、 かな り違 っている。 まず、都 へ上 ってゆ くことが、平生の志 とは違 っているといった言 い訳が ましいこと はまった くない。 その一方、食事 も喉 を通 らぬほど辛 い とい うノ ト1青 は、書信 には強 く現 れて い なか った。「情悽愴 た り」、悽愴 とは、『詩品』 の李陵評 に現 れていたこと ばで、同 じく『詩品』 の秦嘉 ・徐淑評 の「悽怨」 とい う言葉 (後 述)と 関連 があると思われるものである°。 この辛 く悲 しい感情 は、秦嘉 が徐淑の書信 か ら読 み とった感情 であると同時に、妻の書信 に触れて、秦嘉 の心の中に興 ヾ った感情 で もあるだろ う。書信 を読む限 り、徐淑 の′ 亡 1青 は、秦嘉 の心 に響 き 合 うことがで きなか ったように感 じられたが、詩 においては、単 に詩的表現 のためであるとだけでは片づ けられない、辛 さと悲 しさの表 白がなされ、秦 嘉 の心 の中 に徐淑 の思 いが響 きわたってい るのを知 ることがで きる。. 獨坐空房 中. 独 り坐す空房 の 中. 誰典相勘勉. 誰 か与 に相 い勧勉 せ ん. 長夜不能眠. 長 き夜 は眠 る能 わず. 伏枕獨展韓. 枕 に伏 して独 り展転す. 憂末如尋環. 憂 いの来 たるは尋環す るが 如 く. 匪席不可巷. 席 に匪 ざれば巻 くべ か らず. 妻 の居 ない閏房 にいて、妻無 くしては、 たがい に励 まし合 うもの などい な いこ とを悲 しむ。 13・ 14句 、常套表現 によつて、眠 りにつ けぬほ どの憂 い に襲 われてい ることをうた う。そ して、その憂 い は、かれの心の中で ぐる ぐ ると回 り続けてやむことがない。 しか し、憂 いはむ しろのように巻取 って、 どこかにしまいこんで しまうこともで きないのだ。1邸 風 「柏舟」 の句 を、 こ こでは原文 と全 く異なった意味 に用 いてお り、ユニー クである。 と同時に、.
(10) 秦 嘉 と徐 淑. 146. この よ うな表現 に も、書信 には見 られ なか った感情 が投影 されて い る よ うに 感 じられ る。 続 いて 、秦嘉 の 第 二 首 を三節 に分 けて読 む。. 皇霊無私親. 皇霊 に私親無 く. 篤善荷天藤. 善 を為 せ ば天 禄 を荷 う. 傷我典爾 身. 我 と爾 と. 少小罹榮獨. 少小 に して螢独 に罹 るを傷 む. 既得結大義. 既 に大義 を結 ぶ を得 れ ども. 歓槃若不足. 歓楽. 足 らざるが 若 し. 天帝 はひい きす るこ とが な く、良 い行 い をす れば天の恵みが受 け られ るは ず だ。 に もかかわ らず、我 々夫婦 は、 こん なに若 くして離 ればなれ とな り、 孤独 の 身 となって しまわねばな らない。結婚 した とは い って も、幸福 な時 間 は まだ まだ十分 ではないの に。 こ こで う たわれ る 内容 は、第 一 首 の 第 一 節 と同 じで あ る。 た だ 、 こ こで は、秦嘉 は二 人が離 れ ば なれ になる こ とを、不 可解 な天 の しうち と見 立 て て 、天 に怨み を述 べ て い る。 螢独 は、後述す る 『通典』 の予氏 の表 に も「妾. 命 を受 くる こ と不天 た り. て 、此 の 榮独 に嬰 る」 とあ り、 ここの 表現 との 関連 が伺 われ る。 また、「大 義 を結 ぶ」 とは、『易』 の 家 人 の 衆伝 の 「女 は位 を内 に正 し、男 は位 を外 に 正す。男女 の正 しきは、天地 の大義 な り」 を踏 まえ、婚姻す る こ とを言 う。 なお、後 に触 れ る「古詩. 焦仲卿 の為 に作 る」 (『 玉台新詠 』巻 一 )に もこの. 言葉 が見 える。. 7. 思念叙款 曲. 当 に遠 く離別すべ きを念 えば 労 思念す 款 曲 を叙 せ ん こ とを. 河廣無舟梁. 河広 くして舟梁無 く. 念営遠離別.
(11) 森 田 浩 一 10. 道遠 隔邸 陸. 道遠 くして邸 陸 に隔て らるЮ. 臨路懐個恨. 路 に臨み て個恨 た り. 中駕正邸岡. 中駕 して正 に邸岡す. 浮雲起高 山. 浮雲. 高 山 に起 ち. 悲風激深谷. 悲風. 深谷 に激す. 良馬不 回鞍. 良馬. 鞍 を回 らさず. 軽車不韓穀. 軽車. 穀 を転 ぜ ず. 147. 今 や妻の もとか ら遠 く離 れていこうとしてい る。その前 に自分の気持 ちの 隅々 まで話 してお きたい。 こ うして、秦嘉 の叙別 の情が うたいお こされる。 旅路 の情景 を想像 しつつ、常套表現 によって、道程の遥 かさ、たちもとおる 気持 ち、悲1倉 な風景、 自分 の力 ではどうしようもない、逆 らえない運命 の力 をたたみかけて表現す る。 さて、第一首で うたわれていた「去爾 日遥遠」が、第二首 のここにおいて 焦点が当て られ、詩 は又一歩別 れへ 向かって緊迫感 を高 めた。 しか し、書信 にお いては、 この遠行 を想像 してい たのは徐淑 の方 で あ り、彼女 は 自分が 「比 目」や 「形影」 のた とえの ように夫 か ら離 れず についてゆけないこ との 悲 しみを綿 々と述べ ていた。. 20. 針栞可屋進. 針薬 は屡 しば進 むべ きも. 愁思難篤敷. 愁思 は為 め難 きこ と数 しばな り. 貞 士 篤終始. 貞士 は終始 に篤 きも. 恩義不可属. 恩義 は属す べ か らず. 病 に臥す妻 よ、針や薬 は頻繁 に用 い るが よい。 しか し、心 のなかにある愁 い とい うものは、癒 しがたい ものだ。「愁思 は為 め難 きこと数 しばな り」、 こ の言葉 は、病気 の妻 にこれか らさらに加わる愁 い を思 いやる言葉であるか も しれないが、それ以上 に、病気 の身ではない とはいえ、妻 との別 れに愁 い を.
(12) 秦 嘉 と徐 淑. 148. 抱 く自分 の辛 さも、病気 の苦 しみ以上なのだと訴えかけてい るのであろう。 さて、「貞士」 たる自分 は、終始一貫 して篤実、妻 に対す る誠意 は変 わる べ くもない。それゆえ、妻 と別 れる愁 いはお さめるすべ もない。 しか し、だ か らといって、妻 に対 して「恩義」 を言 いつ ける ことはで きない、 とい う言 葉 で詩 は締 め くくられる。 この最後 の一句 は、従来解釈 が定 まらない ところである日 本稿 は、 この )。. 一句 を、秦嘉 の徐淑 にたいする思 いや りの言葉 と考 え、貞士 たる 自分 の気持 ちは変わ らないが、妻 に「恩義」一すなわち夫婦 をある封建的 ・倫理的な側 面か ら縛 り付 ける紐帯 一をいいつ け、妻 にまで篤実 さを要求は しない、すな わち、自分 の身 に万が一のことが あ つたなら、秦家 を離 れて再婚 しなさい、 と言 っているのだ、 と取 りたい。 このことについては、後述す る。 さて、第三首 を二節 に分けて読む。. 粛詰僕夫征. 粛粛 と して僕夫征 き. 錦錦揚和鈴. 錦錦 と して和鈴揚 ぐ. 清晨営引邁. 清晨 当 に引邁 し. 東帯待難 鳴. 東帯 して難 鳴 を待 つべ し. 顧看空室 中. 顧 り看 る空 室 の 中. 労発想姿 形. 労業 と して姿形 を想 う. 一 別懐萬恨. 一別. 万恨 を懐 き. 起坐篤不寧. 起坐. 為 に寧 らか な らず. 別 れの時 は い よい よ迫 った。 出発 の朝 、妻 の居 ない部屋 にい て 、妻 の面影 を思 い浮 かべ 、胸 の 内 は恨 みで満 た され、立 ち居振 る舞 い も落 ちつ か ない 。 第 一 首 ・第 二 首 同様 、別 れが近 づい て 、妻 との結婚 生活 へ の愛惜 の情 が う たわれ る。. 9. 何用叙我心. 何 を用 て 我 心 を叙 し.
(13) 森 田 浩 一 遺思致款誠. 遺思. 賓叙可耀首. 宝叙 は首 を耀 か す べ く. 明鏡可璽形. 明鏡 は形 を璧 るべ し. 芳香去垢械. 芳香 は垢械 を去 り. 素琴有清啓. 素琴 に清声有 り. 詩人感木瓜. 詩人. 乃欲答略瑣. 乃 ち瑶 瑣 を答 えん と欲 す. 愧彼賠我厚. 彼 の我 に贈 る こ と厚 きに愧 じ. 漸 此往物軽. 此 の往物 の軽 きを漸 ず. 雖知未足報. 未 だ報 ゆるに足 らざるを知 る と雖 も. 貴用叙我情. 用 て我 が情 を叙す るを貴 ぶ. 149. 款 誠 を致 さん. 木瓜 に感 じ. 別 れにあたって、贈 り物 に託 して自分の気持 ちを伝 えたい。 ヾ この事 は、書信 にも見 えてい た。 しか し、 ここに表現 されてい る′ Ё 1青 は、 異なっている。書信 にお いては、ただ品々のす ばらしさやその効能が語れ ら れるのみであったが、 ここでは、秦嘉 の情 が溢れ出てい る。 真心 を伝 えん として贈 る品 々ではあ るが、それはとて も十分 に妻 に報 い る ことがで きるものではない。今 までに妻がわた しにして くれたことは、こん な品物 とは比較 さえで きない。衛風 「木瓜」 の詩人 は、木瓜 を贈 られた こと に感動 して瑣 で報 い たい とうたった。 だが、妻 には、た とえ瑣 を贈 って さえ もなお足 りない。なぜ なら、妻がわた しにして くれた ことは、木瓜 などでは 喩 えられないか らだ。それで もなお、 この品々 を贈 るのは、これによつて自 ヾ 亡 分 のフ 1青 を伝 える ことがで きるの を大事 に思 うか らに他 ならない。 それでは、 ここで秦嘉 が徐淑 に伝 えようとしてい る、かれのフ ト1青 とは具体 的には どの ような ものなのだろ うか。「首 を耀 か し」、「形 を璽」、「垢械 を去 り」、「清声」 を聞 く、 このような品々は、徐淑 の書信 のなかでは、夫がい な い時 には不要の物 とされていたのであ ったが。 以上で、秦嘉 の詩 はひととお り読み終えたことになる。次 に、 これに徐淑.
(14) 150. 秦 嘉 と徐 淑. が答 えた詩、「答 うる詩」 を三節 に分 けて読 む こ とと しよう。. 妾 身分不令. 妾 身令 な らず. 嬰疾分 来婦. 疾 に嬰 りて来帰す. 沈滞今 家 門. 家 門 に沈滞 し. 歴 時分不 差. 時 を歴 る も差 えず. 暗慶今侍現. 侍現 を暗廃 し. 情敬今有違. 情敬. 違 う有 り. 病 のせ いで 実家 に戻 って きて い るが 、 い っこ うに よ くな らない。おそ ばで お仕 えす る こ ともお こたった まま、あ なたへ の真心 とい う点 で もきちん とで きてお りませ ん。 徐 淑 の書信 の なかで は、「迫疾 あ りて惟 だ宜 く歎 を抱 くべ きのみ」 とだけ あ って 、病 ゆえに夫 の もとへ 駆 けつ け られ ぬ こ とを嘆 い たが、 この詩 で は、 自分 が 病気 で 夫 に仕 え られ なか った こ とを嘆 い て い て 、 よ り自責的 で あ る。. 10. 命 を奉 じ. 君今分奉命. 君 は今. 遠適分 京師. 遠 く京 師 に適 く. 悠悠分離別. 悠悠 と して離別 し. 無 因分叙懐. 因 りて懐 い を叙す る無 し. 晴望分踊躍. 鰭望 して踊躍 し. 件立分徘徊. 回す 件 立 して徘イ. 思君分感結. 君 を思 えば感結 ぼれ. 夢想分容輝. 夢 に容輝 を想 う. 君装分 引邁. 君発 して引邁 し. 去我今 日乖. 我 を去 りて 日に乖 る. 夫 は命 を奉 じて都 へ 上 る。遠 く離 れてゆ くとい うの に、思 い を伝 えるす べ.
(15) 森. 田. 浩. 一. 151. もな く、 ただ夫 が行 く方 向 を眺 めて徘徊 す るだ け であ る。夫 を思 えば、気持 ちは結 ぼれ 、夢 の 中 で も夫 の姿 が思 われ る。 出発 して進 んで行 け ば、 日に 日 にわた しか ら離 れてゆ く。 書信 で は、 自分 の思 い を夫 に伝 えるす べ が な い こ とについ ては、徐 淑 は何 も触 れて い なか ったが 、 ここで は、そ の 嘆 きが見 られ る。 また、書信 で は、 夫 が 離 れて行 く光景が想像 されて、 くわ しく述 べ られて い たが 、詩 にお い て は、そ の光景 で はな く、夫 の行 く方 を眺 め 、夫 の旅程 を思 ってい る 自分 の姿 が うたわれて い る。. 恨無分 羽翼. 羽翼 の. 高飛今相追. 高 く飛 んで相 い追 う無 きを恨 む. 長吟分永歎. 長吟 して永歎 し. 涙下分 霧衣. 涙下 りて衣 を霧す. 書信 と同様 、夫 と離 れず におれ ない こ とを恨 んで い る。 ただ、書信 で は、 都 へ 行 って しまった ら、 もう戻 って くる気 な どな くな って しまうのではない か 、 と椰楡す る詞 が つづ い てお り、悲哀 に流 れた ままに終 わ って しまわない のだが 、詩 ではただ ひたす ら嘆 き悲 しんだ まま終 わ ってい る。. 以上で、かれ らふた りの書信 と詩四首 を読 み終 わった。詩 の 中で も『玉台 新詠』 の序文や、書信か ら読み とれる彼等ふた りの別 れの筋立てが記 されて いた。 しか し、詩の中に表現 された感情 は、書信 のそれ とは異なっていた。 それぞれの詩 を読む際に触れたように、書信 において表現 されなか った感 情が詩 において うたわれ、詩で うたわれない感情が書信 に表現 されてお り、 詩 と書信 は互いに補 い合 う関係 にあるとい うことになろ う。 さきに、鈴木虎 雄博士が、彼等 の詩 の理解 の手助 け として、書信 を利用 された ことに触れた.
(16) 秦 嘉 と徐 淑. 152. が、 さらに早 く宋 の妙. もそ の 『西渓叢語』 にお い て、かれ らの書信 と詩 を. `寛. 並置 してみせ お り、詩 と書信 の 両者 あ い助 けあ って 、 ふ た りの感情 の や りと りが 余す ところな く読者 に伝 え られる効果 が ある よ うだ。 書信 だけ を読 む限 りでは 、秦嘉 は どち らか とい う と情 薄 い男 とも取 れそ う で あ る。 しか し、彼 の詩 をひ とたび読 めば 、そ こ には妻 へ の情愛 が充 ちあ ふ れて い る。 また、書信 を読 む限 りで は 、徐 淑 は病 のため に夫 の そば におれ な か った こ とについ ては さほ ど悲 しんで はお らず 、夫が 自分 を置 い て離 れてゆ くこ とへ の恨 み を もっぱ ら語 っている ように も感 じられ るが 、詩 の方 で は、 夫 に仕 える こ とがで きない こ とを謝 る気持 ちが強 く歌 われて い る。 また、徐 淑が詩 の 中で 夫 の遠行 の情景 を想像す るの に対 して、秦嘉 は詩 の 中 で 自分が これか ら行 く旅程 を想像す る とい う、交 叉 した対応 も見 られ るのである。書 信 と詩 と、そ の両方 を読 む こ とに よつて 、情感が円満 に備 わ った一 組 の夫婦 像 が 読者 の なか に形成 され る とい つて よい だろ う。 こ こに、推 測 され るの は、今 別 々 に伝 わ る この 書信 と詩 が、並 べ て 読 ま れ、語 られた環境 が 存在 して い たであろ う とい うこ とである。そ して、その 環境 が、す なわ ち、かれ らの 物 語 が生 命 を持 ってい た場 で あ る と考 え られ る。 物 語 の 中 で 、詩 と書信 が並 置 され て い る、 とい え ば 、 わ れ われ は李 陵 と蘇 武 の 物 語 を思 い 浮 か べ る だ ろ う。李 陵 と蘇 武 が や り取 り した 書 信 は 、『芸 文. 類衆』 に記録 されてい る。 ただ、これ らの書信 は正 史 な どの記載 には見 え ず、ただ李陵の書信一通 のみが 『文選』 に取 られてい るだけである。『文選』 に取 られてい るとはいえ、六朝人の偽作 の可能性 はもちろんあるわけである が、当時の人々にとつては、それな りの実在感が存在 していたであろ う。 また、詩 も、かれ らが取 り交 わ したのだとされるものが多 く伝 えられてい るが、その多 くは一般的な別 れの情 を述べ た内容 の もので、かれ らの物語 に 付会 されたものの ようである。 た とえば逢欽立氏 は、蘇武 に仮託する作品の登場 は、李陵 を模擬す るもの よりもかな り遅 れることを指摘 するが、李陵 ・蘇武 の物語 の中心人物 はやは.
(17) 森. 田 浩. 一. 153. りなん とい って も李 陵 で あ る。 また、そ の作 品集 にっ い て見 てみ る と、『隋 書』経籍志 には、李 陵 の集 は記録 され るが、蘇武 の集 は記録 されて い ないの で あ って 、李 陵 に比 べ て 、蘇武 の存在 は軽 いので あ る。 ただ 、別 れの物語 に は相手が必 要 で あ り、 そ の相手 と して格 好 の存在 で あ った蘇武 へ の注 目が、 ふ た りの物語 の成長 に ともなって大 き くな ってい ったのである。 秦嘉 と徐 淑 の場合 は ど うで あ ろ うか。後述す る よ うに、 このふ た りの物語 の主 人公 は徐 淑 なのであ る。 そ して 、徐 淑 の集 は 『隋書』経籍 志 に記録 され るが 、秦嘉 の集 は記録 されな いの で あ った。 こ う してみれ ば、李 陵 ・蘇武 、 徐淑 ・秦嘉 にパ ラ レル な関係 を見 い だせ るだろ う。 ただ 、そ うなる と疑 間 に感 じるのは、詩 の応酬 にお い ては 、秦嘉 が主人公 で ある徐 淑 をさ しお い て 、質量 ともにす ぐれ て い る、 とい う点 である。 そ もそ も秦嘉 の詩 は 、五言詩 と して完成 された もので あ るの に対 して、徐 淑 の 詩 は、「分」字 を全 句 の 3字 目に置 い た もので 、実 質的 には四 言詩 とい って も差 し支 えの ない ものであ る。 しか し、 一 方 で は、そ の詩が仮託 された もので あ るか ど うか を考 え る と きには、そ の五 言 詩 と して は未 完 成 な有様 が 、 一概 には言 い切 れ ない けれ ども、却 って そ の 由来 の古 さを思 わせ る こ と に もな り、秦嘉 の 詩が後 人 の手 になる確率 は非常 に高 い と言 える こ とになる だろ・ う 。 逢欽立が捜集 した、秦嘉 ・徐 淑 の詩 を、今比較 してみ よ う。 まず、『初 学 記』 に載 せ る「婚 を述 ぶ る 詩」 二 首 で あ るが 、四言 詩 で あ る。. 享詳既集. 享祥. 既 に集 い. 二 族交歎. 二族. 交歓す. 敬姦新姻. 弦 の新姻 の. 六祀不葱. 六礼葱わざるを敬 う. 羊雁線備. 羊雁. 玉 吊箋箋. 玉 畠 箋箋 た り. 総 て備 わ り.
(18) 秦 嘉 と徐 淑. 154. 君子将事. 君子. 事 を将 うるに. 威儀孔 閑. 威儀. 孔 だ閑か な り. 椅分椅分. 狩あ. 猜あ. 穆臭其言. 穆 たるか な. 其 の言. 紛彼婚姻. 紛 たるか な. 彼 の婚姻 は. 渦祠之 由. 禍福 の 由 る ところ. 衛女興齊. 衛女. 斉 を興 し. 褒以滅 周. 褒以. 周 を減 ぼす. 戦戦競競. 戦戦競競 と して. llE徳. 徳 の仇 わ ざるを燿 る. 不仇. 其 の吉 を啓 し. 神啓其吉. 神. 果獲令依. 果 して令依 を獲 た り. 我之愛臭. 我. 荷天之休. 天 の体 を荷 う. 之 を愛 し. 新婚 をことほ ぐ歌 である。 よき妻 を得 る こ との大事 さを戒 め 、そ して よき妻 が得 られた こ とを祝 して い る。内容的 に、秦嘉 ・徐 淑夫婦 の物語 との 関連性 は感 じられ るが、三首 の「婦 に贈 る詩」 とは似 て も似 つ か ぬ 、堅 い調子 の言 葉 が な らんで い る。 また、『玉台新詠』巻九 「婦 に贈 る詩」 一 首 、 これ も四言詩であ る。. 曖曖 白 日. 曖曖 た り 白 日. 引曜西傾. 引曜. 嗽嗽鶏雀. 嗽嗽 た り 鶏雀. 享飛赴檻. 享飛 して檻 に赴 く. 咬咬明月. 咬咬 た り 明月. 連燈列星. 慢性 た り 列星. 西 に傾 く.
(19) 森 田 浩 一 巌霜悽愴. 厳霜. 悽愴 として. 飛雪覆庭. 飛雪. 庭 を覆 う. 寂寂獨居. 寂寂 た り 独居. 蓼蓼空室. 蓼蓼 た り 空室. 瓢瓢帷帳. 瓢瓢 た り 帷帳. 災災 華燭. 災災 た り 華燭. 爾不是居. 爾. 帷帳焉施. 帷帳. 爾不是照. 爾. 華燭何篤. 華燭. 155. 是 に居 らざれば 焉 ぞ施 さん 是 に照 らされ ざれば 何為 れぞ. これ もまた、同様 に堅い調子 である。詩 の内容 は、悼亡 の歌 に近 いが、病気 で実家 に帰 っている徐淑 を思 っての うたであろ うか。 特 に最後 の詩、同 じ「婦 に贈 る詩」 で も、『玉台』巻 一の三首 とはまった く違 った感 じの詩 である。 これが同一人物 の手 になるものなのだろ うか。 さて、五言詩 は、い くつ かの句 のみが断片的 に残 っている。『文選』巻 二 十三、張載 の「七哀詩」李善注 に引 く一句、. 哀人易感傷. 哀人 は感傷 し易 し. また、同巻二十六、陸機 「洛 に赴 く道中の詩」李善注 に引 く二句、. 過辞 二 親墓. 過 りて辞す. 振 策陽長街. 策 を振 る い て長街 を防 る. 二 親 の墓. 同巻二十六、陸機 「河陽県 の詩」李善注 に引 く一句、. 巌石鬱嵯峨. 厳石. 鬱 として嵯峨 た り.
(20) 秦 嘉 と徐 淑. 156. この三例が集 め られている。 さて、「洛に赴 く道中の詩」 の中で、李善 は、「遺思致款誠」 とい う一句 も 引いてい るのであるが、 これは 『玉台』巻一の三首 の 中の一句 であった。つ まり、三首 の五言詩以外 に、秦嘉 の詩 とされていた五言詩が、唐 にはまだ多 く存在 して い た可 能性 を示 して い るだろ う。一方、徐淑 の詩 は とい う と、 『玉台』巻一の一首 しか逢欽立 は捜集で きてい ない。 徐淑の集が 『隋志』 に記録 され、秦嘉 の集が記録 されなか ったとい うこと と、 このことは矛盾 してい ないだろ うか。矛盾がない とするならば、その間 の説明 はおそ らくこ うい うことになるだろ う。秦嘉や徐淑 たち 自身が 『玉 台』巻一の秦嘉 の作 のような完成 された五言詩 をや りとりした可能性 は極 め て少な く、徐淑 の集 には五言詩 は殆 ど収 め られず、秦嘉 の作 とされる五言詩 は、すべ て後人の仮託 したものであ って、秦嘉 に仮託 された詩が、時代 を下 るに連 れてふえていった。それはつ まり、かれ らふた りの物語 における、ワ キである秦嘉 の役割 と五言詩 の比重が時が経 つ とともに増大 していったとい うことである。 ところで、かれ らの五言詩 に対 して、五言詩 を専門に評 した 『詩品』 は、 どうい う評価 をあたえていたであろ うか。鍾峠は、彼 ら夫婦 を中品の最初に 置 き、その五言詩 について、こう述べ てい る。 「漢上計秦嘉、嘉妻徐淑. 夫妻事既可傷、文亦悽怨。篤 五 言者不過敷家、而. 婦人居 二。徐淑叙別之作、亜於国扇実」。漢 の上計秦嘉 ・嘉 の妻徐淑. 夫婦. の事跡が傷 ましい上に、その詩句 も悽怨である。五言詩 を作 った ものが数 え るほ どしかい ない にもかかわ らず、その中に婦人が ふ た りも座 を占めてい る。徐淑 の「叙別」 の作 は、班捷好の「団扇」 の作 につ ぐものである。 『詩品』 は、上品の最初 に古詩 を置 き、次 いで李陵、そ して班捷好 を並 べ るが、五言詩 の濫腸 として、秦嘉 ・徐淑 の詩 を評価 して い ることが知 られ る。そ して、李 陵 も班捷好 も秦 嘉 ・徐 淑 も、い ず れ もが そ の 詩 の 背景 に 「事」、つ まり物語 を持 っていたことも興味深 い共通点 である。鍾峰 は李陵 を 評 して、「文 に悽愴多 く、怨 む者 の流 な り」 と流別づ けた評 を記す が、これ.
(21) 森. 田. 浩. 一. 157. ら「事」 を背景 とした作者 たちの五言詩 はいず れ もが「怨者流」 に属す るも ので もあ った。 五言詩 を歴史的 に系統立 てようとす る鍾喋 は、徐淑 の五言詩 を、班捷好 の 作 に次 ぐもの と評 してい る。「団扇」 の作 とは、おそ らく F文 選』巻 二十七 に載せる「怨歌行」 のことであろう。鍾喋 は、序文 においては、五言詩の作 者 は、李陵か ら班捷好 までお よそ百年 の間に婦人 はひと りい るだけだ と述べ てお り、女性作家 に注 目してい るのがわかるが、徐淑へ の注 目は、女性作家 とい うことのみによるものであって、その作品の質 によるものではなさそう である。 とにか く、鍾峠 も、かれ ら夫婦 ふた りを評価 してい るのだか ら、秦嘉 の作 品 も評価 の対象 になってい ることは間違 いないだろ うが、それが どのような 作品であ ったのかは、今 となってはわか らない。おそ らく、鍾蝶は、『玉台』 の三首 を含 んだ、 よ り多 くの秦嘉 に仮託 された作品を見 ることがで きたに違 いあ るまい。. 四 秦嘉 ・徐淑 の物語が発展 してゆ くにつれて、秦嘉 の役割が増 し、それにつ れて秦嘉 に仮託す る作品が増えたのではないか と考 えたが、それで はいった い、かれ らの物語 の最初 の核 となった ものは何 であったのだろ うか。そ して また、『玉台』 の贈答詩が交 わ された背景 となった生別 の話 は、物語 の発展 上 いかなるところに位置す るものなのだろ うか。 この問題 を考 える手始 め として、物語 の発展 につれて、その役割が増えて いった と推測 した、秦嘉の詩の中に何 か特徴 となる鍵がない か探 ってみ よ う。 そうい う意味 で注 目されるのは、第二首 の「恩義 は属すべ か らず」 とい う 部分 である。先 にこの詩 を読 んだ とき、 わた しは、 これが秦嘉 の妻 を家 と家 との封建的なつ なが りに縛 り付 けた くない気持 ちを表現 したものであると考.
(22) 158. 秦 嘉 と徐 淑. えた。 この詩 では、6句 目に「大義 を結 ぶ」 とい う表現 もあ り、一首 の基底 に家 と家 とのつ なが りを背景 としての夫婦 の生別 をうたうことがあると思わ れるが、 この「恩義」 とい う言葉 は、当時の夫婦 とい うもののあ り方 の重要 な要素であったようだ。 「大義 を結 ぶ」 とい う表現 について、「古詩. 焦仲卿 の為 に作 る」 にも同様. の表現 があることに触 れたが、 この夫婦 の悲劇 を物語 る詩 の なか に も「恩 義」 とい う言葉が見えている。そ こでは、焦仲卿 の母が、離縁 の命令 に従 わ ない息子 に向かって、「吾 は既 に恩義 を失 え り、会ず相 い従許せず」 と言 い 渡す のであ った。 ここに見 られるように、恩義 とはただ単 に夫婦 の間を結 び つ けてい るものではな く、嫁 と姑、家 と家 を結 びつ ける紐帯 であるのだ。 こ の恩義 とい うことが、家 の結 びつ きの上 に成 り立 つ夫婦 とい うもの にとっ て、いかに大事 な要素であ ったかについては、たとえば、班昭の「女誠」 を 読 む と、 よ く理解 で きるB)。 徐淑の手紙や詩 には、この「恩義」 とい うことは表 だって現 れてい ない。 手紙 の なかには「両家の恩 を消す」 とい う表現があるが、 これは「将来の歓 を待 つ」 とい う表現 と対 になっていることか ら考 えるか ぎり、ふた りの愛情 を忘れ去 って しまお う、 とい う内容 であ ろ うか ら、倫理的な意味が必ず含 ま れているとする必 要 はないだろ う。 さて、秦嘉 の詩に現 れた、 この「恩義」 に関わる話が、徐淑 について伝 え られてい る。それは、『通典』 に記録 された、ある訴 えの記録 の 中に残 され てい る。 『通典』巻六十九 に、「兄弟 の子 を養 い て 、後 と為 したる後 に 自ら子 を生 む の議」 とい う条 が あ り、東晋 の成帝 の成和 五 年 、散騎侍郎賀喬 とい う人物 の 妻 である予氏 の上 表 と、そ れ に対す る朝廷 の博士 たちの決議 を載 せ て い る。 子氏 は、 この上 表 の 中 で 、徐 淑 の 物語 を引用す る。 そ の 話 とは、「漢代 、 秦嘉 はわか くして亡 くな り、 かれの妻徐 淑 は男 の子 を もらい受 け て育 てた。 徐淑 が死 んだ後 、朝廷 の通儒 たちはその子 の郷 邑 を移 し、徐淑が育 てた そ の 子 を秦嘉 の 後 と りと して 記 録 して秦 氏 の 祭 祀 を継 がせ た」 とい う もので あ.
(23) 森. 田. 浩. 一. 159. る 。 1→. さて、博士杜暖 は、 この上表 に対 して、「干氏 の拠 り所 には、すべ てはっ きりとした証拠がある」 と述べ てい ることが、 まず注意 される。東晋 のこの 時、杜暖 には、子氏 が引 いた徐淑 の話 も、確 かな事実 として捉 えられていた ことがわかるり。 ただ し、丹陽のヂの誤 なる人物が、「千氏 が述べ たことは ひ じょうに繁雑 で、多 くの 申 し立てたことは、すべ て礼典 の正 しい意味 たる ものではない」 と議す るのによれば、すべ ての人々に対 してはっ きりとした 説得力 を持 つ ものであ ったか どうかは疑わ しいЮ。 ただ、子氏が説得力あ るもの と思 い、そ して申 し立ての根拠の一例 に引い た徐淑 の話 は、博士 の中にも説得 されるものが 出る ことか らわかるように、 当時のか な りの範囲の人 々 に信 じられていた もののようである。 『通典』 を信頼す る限 り、 この東晋 の記録 が徐淑 の「恩義」諄 の もっ とも 古 い ものになる。徐淑は、夫の死後 も、夫の家 の存続 のために努力 したので あ り、 これは まことに恩義 の上で表彰 されるべ きであ った とい えるだろう。 ただ、 この時点 では、養子 を取 って、家 の後が絶えぬ ようにした ことだけが 見 えてい る。 次 に、劉知幾 の F史 通』が徐淑 を取 り上げてい る。 『史通』人物篇 では、疱嘩 の F後 漢書』列女伝 が、茶淡 を取 り上 げなが ら、 徐淑 を取 り上げないこ とを責 め、 この両者 の長短 を対比 してい る。今、その 対比が わか りやす い ように、原文 に段差 をつ けて引用 してみ よう。 槻東漢 一代賢明婦人、 如秦嘉妻徐氏、動合祀儀、言成規矩、毀形不嫁、哀慟傷生、此則才 徳乗美者也。 童氏妻茶氏、載誕胡子、受辱虜廷、文詞有餘、節概不足、則言行 相乖者也。 至蔚宗 『後漢』博標列女、徐淑不歯、而茶淡見書、欲使形管所載、特安 準的。 (東 漢 一代 の 賢明婦人 を観 るに、秦嘉 の妻徐氏 の如 きは、動 は礼 に合.
(24) 秦 嘉 と徐 淑. 160. い 、言 は規失 Eを 成 し、毀形 して嫁がず 、哀慟生 を傷 る、此 は則 ち才徳兼 美 なる者 な り。董氏 の妻茶氏 は、載 ち胡 子 を誕 み、 辱 を虜廷 に受 け、文 詞 に余 り有 る も、節概足 らざれば 、則 ち言行相 い乖 く者 な り。蔚宗 『後 漢』伝 に列 女 を標 す る に、徐 淑歯 せ ず して、奈 淡書 に見 ゆ る に至 りて は、形管 を して載 す る所 た ら しめ ん と欲 す れ ど も、将 た安 ぞ準 的 た ら ん) 疱嘩 が 列女 と標題 された伝 を創始 しなが ら、そ こ に才徳兼美 たる徐 淑が と りあげ られ なか った ことには、黎1知 幾 にははか り知 れ ない理 由が あ ったか も しれ ない。劉知幾 が 史実 と して認 めていた こ とが 、疱嘩 に とっては史書 に載 せ るに値 せ ぬ 話 で あ った とい う こ とも考 え られ る し、そ もそ も疱 嘩 は劉知幾 が 知 ってい た よ うな秦嘉 ・徐 淑 の物語 を知 らなか った こ とさえあ り得 る。 疱嘩が如何 なる理 由で徐淑 を取 り上 げなか ったのか につい て考 える材料 は な い が 、明 らか なの は、311知 幾 が、 F後 漢書』 とい う史書 に載 せ られ た茶淡 の話 と同 レベ ル に扱 うほ ど、徐 淑 の話 に歴 史的 な信用 をお い ていた とい う こ とである。 それで は、劉 知幾が念頭 に置 い て い た徐 淑 の話 とは どの よ うな もので あ っ たのだろ うか。 これ につい ては、 ここ にあげた 『史通』 の文章 か ら探 る以 外 に手 がか りはない 。 劉知幾 は言 う、徐淑 は「毀形」 し、嫁 がず 、そ の悲 しみ に慟哭す る さまは 彼女 の生 命 を縮 めんばか りで あ つた、 と。察氏が異民族 との 間 に子 を もうけ た こ とと対比 されて い る こ とを考 える と、 これは、徐 淑が夫秦嘉 の死後 、再 び嫁 ぐこ とな く、非常 に悲 しんだ ことを述 べ て い るに間違 い ない 。 そ して、 彼女 は再嫁 せぬ ため に、「毀形」 しなければな らなか ったので ある。 例 えば、311向 『列女伝 』巻 四 の 貞順 に見 える女性 達 や、『後 漢書』列 女伝 の寡婦高行 や浦 の劉長卿 の妻 な どに見 られ る この「毀形」 とい う行動 は、 自 らの髪 を剪 り、鼻 をそ ぎ、耳 を切 り落 と した りして 、実家 か らの再嫁 の 強要 を拒 む もので あ るが 、徐 淑 に もこの よ うな話が存在 して い た ことに なるn。 劉知幾 が、 この よ うな貞女徐 淑 の話 を念 頭 にお い て述 べ て い るか ぎ り、彼.
(25) 森. 田 浩. 一. 161. が評価す る徐淑 の「言動」 も、おそ らくは、「毀形」 し再嫁 を拒 む徐淑 の言 動 を主 に指 してい るのだ と考 えるのが素直であろう。 しか し、いったい唐代 の劉知幾が言 う「礼儀」 と「規矩」 は、そのまま漢代 にあてはめて考 えるこ とがで きたであろ うか。そ もそ も『後漢書』 の作者疱嘩 に して も、 この再嫁 とい うことについて、劉知幾 と同 じ倫理観 を持 っていたか どうかす ら疑 わ し いのではないのか。楊樹達 の 『漢代婚喪礼俗考』Dが まとめて示 して くれ て い るように、漢代 にあっては、夫 と別 れた後再婚す ることは、 さほど倫理的 に非難 を受けるものではなかったのである。 ここに、漢代以後、Ell知 幾 の時代 にいたるまで、再婚 を禁ずるような、女 性 に対す る倫理的な圧迫が増大 した流れ を見 ることがで きるように思 われ る朗。徐淑 の話 に して も、『通典』 の話 か らふ くらんで、「毀形」 し、「哀慟 傷生」す る話 にまで発展 していったのではなかろ うか。お手本 として選 ばれ た前代 の物語 に、新 たに強 くなって きた倫理的価値が どんどんつ け加え られ ていったのではないか。 この意味で、「古詩. 焦仲卿 の為 に作 る」 も、建安 とい う時代 を背景 とし. た物語 を うたってい るけれ ども、「恩義」が引 きお こ した夫婦 の悲濠1を うた うことか ら、その成立はかな り時代が下 るように思われる。 さて、徐淑については、さらにこのような話が 『幽明録』 に見 える。 「朧西秦嘉、字士會、借秀之士、婦 曰徐淑、亦以才美流巻、桓帝時、嘉篤曹 嫁、赴洛、淑婦寧千家、書臥、流沸覆面、捜1蚤 問之云、適見嘉、 自説往律郷 亭、病亡、二客倶留、一客守喪、一客資書還、 日中営至、奉家大驚、有頃書 至、事事如夢」。朧西 の秦嘉、字 は子会 は、す ぐれた人物であ った。妻 は徐 淑 といい、彼女 もまた才 と美貌 で誉 れ高かった。桓帝 の時、秦嘉 は曹嫁 とな って洛陽 に赴い た。徐淑 は実家 に帰 っていたのだが、彼女 は昼寝 をして、涙 が顔 を覆わんばか りに泣 き出 した。兄嫁が尋 ねる と、夢 の なかで秦嘉 に会 い、秦嘉が語るには、 自分 は律郷亭 に行 って、そ こで死んだ。旅人二人が一 緒 に泊 まっていたが、一人が、わがなきが らを見守 り、 もう一人が書信 を携 えて昼 頃おまえの もとにやって来るだろ う、 とい うのだ。 これ を聞いて家 の.
(26) 162. 秦 嘉 と徐 淑. 者 たちは皆驚 い たが、 しばらくす ると書信 が到着 し、すべ て夢 の通 りであっ た。 夢 に亡 くなった夫が現れて、妻 に自分 の死 を告げるとい う怪異が、 この話 が志怪小説 に記録 された理 由であ るが、かれ らには、その生別 と死別 を実 に 劇的に結ぶ物語 も存在 してい たようだ。かれ らの生別がその まま死別へ と直 接連続す るとい うさらなる ドラマ化 も施 されていたらしい。 『幽明録』 自体 は、信用 が置け ないか もしれないが、 この ような秦嘉 と徐 淑 の物語 が存在 してい たことは、『後魏書』巻二列女伝 の、勃海 の封卓 の妻 の話 か らも確認 で きる。封卓 は結婚後都へ役人 として上 り、事 に坐 して処刑 された。妻 の劉氏 は家 にいたが、夫が死んで しまった ことを夢 に知 り、悲 し んで泣 き止 まず、一旬 を経 て死の知 らせが到着す ると、憤歎 して死んで しま った。時の人 々は、彼女 を秦嘉 の妻 になぞ らえた、 とい うものである20。 ここに、都へ上った夫が、当地 で死亡 した後、残 された妻 の夢 の 中 に現 れ て 自分 の死 を告げるとい う話が、秦嘉 ・徐淑 にまつ わって物語 られてい たこ とがわかる。それにして も、封卓 の妻が徐淑 になぞ らえられたのは、夫 の死 を夢 に知 ったとい う、そのことが らの一致だけによるのだろうか。死んだ夫 と夢 の中で感応 で きたとい うことに、当時の人 々は、その夫婦 のあ り方、い や、 もっとはっ きり言えば、その妻 としてのあ り方 に何 らかの賛嘆すべ きこ とが らを認めたのではないだろ うか。 『後魏書』 の封卓 の妻 の伝 には、中書 令 の高允な る人物 が、彼女 の「義」 が高い にもかかわ らず、その名が世にあ きらかではないこ とを思 つて製作 し た詩 を附載 してい る。『後魏書』列女伝. (テ. キス ト上の問題が存在 してはい. るが)を あわせ見 て も、夫 との夢 の中での感応 と、 この妻 としての「高義」 とが、深 い関連 を持 つ もの らしいことがわかる。徐淑 の感応諄 も、当時は、 妻 としての倫理的 な美徳 をあ らわすエ ピソー ドとして受け取 られていたので あろう。.
(27) 森. 田 浩. 一. 163. 五. 以上で、秦嘉 と徐淑 の物語、いや、 よ りはっ きり言 うな ら、徐 淑 の物語 の、私が見つ ける ことので きた資料 をすべ て見終 わったことになる。 わずか な資料 なので、結果的 に、その物語 のそ もそ もの核 であ った部分 は何 であ っ たのかは、明瞭にする ことはで きなかった。 もう一度、資料 とその年代 について整理 してみてみると、資料 として最 も 古 い ものは、『幽明録』 とい うことになるが、少 々信用 がおけない。次 に古 いのは、 F後 魏書』 と『玉台新詠』 であるが、南北地 を違 え こそすれ、時 は ほぼ同 じくして成 った。『後魏書』 には『幽明録』 の話が確認 で きる資料が あ ったので、『玉台』 の編纂時 には、生別諄、感応諄 ともに知 られてい たで あろうことはわかる。 その後、唐 に入 って、『史通』 の記事があ り、「哀慟傷生」 の記事 が見 られ た。 また、かれ らの書信 は、『芸文類衆』に収め られる。そ して、 もっ とも 遅 いのが、 F通 典』 である。ただ、そ こに引 かれる資料 は、以上 の もののい ずれ よ りも古 い。そ こでは、徐淑が養子 をとって秦嘉 の家 を継 がせた ことが 語 られていた。 また 『隋書』経籍志 もこの時代 に著 された。 これ らわずかばか りの資料 か ら、多 くのことは断定 で きない。 しか し、だ い たい、上 にまとめた時間の関係か ら、 このように推測す ることは許される だろ う。 まず、『玉台』編纂時 には、秦嘉 ・徐淑 の物語 は、「哀慟傷生」 とい う話以 外 の、本論で見てきたすべ ての筋書 きを持 っていたのは確実 である。当時 の 人 々がその詩 を読 む際には、 ただ単 にその直接的背景 である生別諄 のみなら ず、死別諄 も感応諄 も知 っていた。物語 は成熟 して、文字 として記録 される こともこの頃に最 も盛んであったと思われる。 そ して、その物語 の核 は、「恩 義」 の婦、徐 淑 で あ った。東晋 にお い て は、夫 の家 を絶や さぬ よ う、養子 をとった こと しか今 に伝 わる記録 が ない.
(28) 164. 秦 嘉 と徐 淑. が、劉知幾 になると、哀 しみのあまり命 を削 るところにまで話が発展 してい る。『通典』 によれば、徐淑 の死後、朝廷 の学者 たちがわ ざわざ彼女が養子 として育てていた子供 を呼 び戻 させてまで して、秦嘉 の家 を継がせてい るの で、徐淑 の死 のい きさつ には、並 々ならぬ事情があ ったように思われる。ひ ょっとする と、そ こに已 に「哀働傷生」 の話が存在 して い たか もしれない が、確 かではない。 こうして、すべ ての資料 を貫 いて、高義 の婦、徐淑 の話 が核 として存在 している。 この核 の部分 を強 く語 りかけ ようとして、物語 は 豊かに成長 していつたのであろう。 こ うして起 こった ドラマ性 を高めようと する動 きが、秦嘉 との生別 ・死別 の話 を強調 し、ワキの秦嘉 をさらに舞台ヘ 引 っぱ り出す ことに繋 が ったので ある。そ して秦嘉 は、そ の物語 の成長期 の、時代 を代 表す る文学形式 であ る五言詩 を、彼 に仮託 される作品の形式 と して与えられる ことになったのだ。 さて、だい たい以上のように推測 してよい と思 うのだが、資料 を見ている と、 この秦嘉 ・徐淑 の「恩義」 の物語が、梁 ・陳 にいたるまでの間、物語 と しては伝承 され、発展 し続けていたであろ うにもかかわ らず、注 目されて文 献 に残 される こともなか ったのに、『玉台新詠』 の頃 になると文献 に残 され ることが増 えたように見える。それは、梁 ・陳にい たつて成熟 した物語が歴 史性 も帯びは じめたとい うことで もあろうし、記録者である知識階級 の者 た ちに注意 される ことが多 くなったとい うことだろ うが、そうなる上で、五言 詩 とい う形式 が、かれ らの物語 において有効性 を持 ち、生 き生 きとした説得 力 を物語 に加えたであろうことが想像 される。 しか し、その有効性 は、 ただ 単 にそれが物語 を育てた時代 における最 も新鮮 な生命力 に満 ちた形式 であ っ たことだけによるのではなかろ うと考 えるので、 このことに触 れて、本論 を 結ぶ ことと したい。 請ilk非 は、『漢魏六朝楽府文学史』 にお いて、漢代 の楽府詩 の抒情的な作 品の うち、最 も注 目すべ きものは、夫婦 の情愛 を描写 した一連 の作品群 であ ると指摘 し、 このような作品 に表現 された女性達がおおむね敦厚 であ って、 南朝北朝 を問わず、六朝期 の楽府詩 に表現 される女性 とは、まった く異なっ.
(29) 森. 田. 浩. 一. 165. てい る と述べ た場 そ して、作 品例 として、「東 門行」、「鑑歌何嘗行J、 「白 )。. 頭吟」、「『百上桑」 を取 り上げて例証 してい る。 (こ の例 の うち、「東門行」 は 句 が長短不斉 で あ る。その他 は、「鵠歌何嘗行」以外 はいず れ も五言詩 で あ り、「鑑歌何 嘗行」 も四言 の句 を三句含 むだけで、だい たい は五言詩 といつ てよい作品である。) さて、これ らの楽府詩 の個 々については、その成立が漢代 なのか、それ と も漢 よ りの ちなのか見定 めがたいこ ともあるが、楽府詩である これ らの作品 が、庶民 に近い ところか ら取材 され、作品 として定着 した ことは、 ほぼ間違 い なかろう。つ ま り、請氏が言 う、「敦厚 な女性」 とは、庶民、 もしくは士 大夫 であ って も下級官吏層 の女性、則 ち匹夫匹婦 といわれるところの匹婦 な のであ った。つ まり、秦嘉 に仮託 された詩の源 となった民間の詩歌 は、素朴 な匹夫匹婦、夫婦 の情愛 をうた うものであ った。そ して、そ こでは夫婦が生 き別れて行 く情景が、素材 としてよ く取 り上げ られていたのだ 。 2υ. 一方、宮体詩 の源 となる南朝 の民歌 は、同 じく素朴 な民間の男女 の愛情 に かかわって歌われるが、そ こで歌われるのは、夫婦 とい う枠 に閉 じこめ られ ない、男女間の感情 であ った。その多 くは恋愛 の詩 である。だか ら、そ こに 取材 して発展 した梁陳の文人 たちの五言詩 の世界 も恋愛の詩であ り、敦厚 な 女′ 性が現 れに くいの も無理のないこ とであ った。 同 じ民歌 であるとはいって も、素材 とする対象の興味が異な り、また、そ の民歌 に食指 を動 か した文人たちの興味 も異 なってい たのである。『詩品』 は、班捷奸 とい う宮 中 の女性 の作 品 に、「匹婦 の 致」 を得 た と評 を与 える が、梁陳 とい う時代 の人物である鍾喋が、詩の表現 と、そ して表現 に結 びつ いてい る詩 の内容 に、漢 の民歌 の匂 い をか ぎ取 った言葉 として理解 で きる。 そ もそ も宮体詩 の ような、いわば爛熟 した五言詩ではな く、漢代 の香 りを 残 した五言詩、そ こには、まことに多 くの匹婦 のお もむきが描かれていたの であった。粛氏 の例 と重なるもの もあるが、試みにそのい くつかを挙げてみ れば、「古詩十九首」 のひとつで もある「再再孤生竹」や、「白頭吟」、「塘上 『百上桑」、「焦仲卿妻」等が挙げられ るだろ う。 行」、「舗歌何嘗行」、「.
(30) 166. 秦 嘉 と徐 淑. 「随上桑」 と「焦仲卿妻」 は、そ れ 自体が物語 をうた い あげる一 篇 であ り、秦嘉 ・徐淑 の五言詩 とは少 々事情 が異 なるけれ ども、「白頭吟」 を卓文 君 の作 とし、司馬相如 ・卓文君夫婦 の物語 と結 びつ ける ことなどを考 えれ 〕 1評 、一篇 自体が物語 を語 っていようと、その詩が物語 の 中 に組み込 まれて い ようと、五言詩 と物語 との結 びつ きが極めて強か ったことは窺える。 ところで、先 に「焦仲卿妻」 の成立 は漢 よ り以降 に遅れるであろうと述べ た ことと連 なるが、た とえば「焦仲卿妻」、そ して「隋上 桑」 などは、敦厚 な女性が描かれて きたとい う五言詩の歴史上、たとえ意図的にで はなかった にせ よ、 きわめて巧妙 に物語 の器 として五言詩が選 ばれたものではあ るまい か。 いずれの作品 も、単 に夫婦 の情愛 とい うことを超えて、 きわめて道義的 なあ り方 としての夫婦、「恩義」 とい う絆 の うえにある夫婦が うたわれてい るのであって、ただ単 に夫婦 の情愛 を歌 っているのではな く、 はなはだ教条 的な色彩が濃 いか らだ。 秦嘉 ・徐淑 の物語 に、 このような漢代 の遺風 タイプの秦嘉 の五言詩が取 り 「焦仲卿妻」や「随上桑」同様 に五言詩 のこの ような装置 と 込 まれたの も、 しての働 きのためで もあろ う。そ して、 この働 きも一助 となって、梁陳 の 人々に、物語が強 い説得力 を持 ったのではないか。 そ して、 これ らの詩 にまつ わる物語 は、すべ てが下級官吏層 の夫婦 であ 「百上桑」 では、そ こに登場する「使君」 り、その道徳なのであ った。 ただ、「 とい う、 よ り上位 の層 との道徳観 の対立が描 かれ、「使君」 は羅敷 にや りこ め られたのであったが。 それらの物語 は、その教条 を下級官吏層 の ものたちだけに訴えようとして い たのではない だろう。「使君」がや りこめ られることにも現 れてい るよう に、その対象 はひろ く士大夫層全体 であ ったはず だ。それゆえにまた、物語 は、知識人 たちによつて記録 され、今 に伝 え られる ことにもなったのであ る。下級官吏 たちが物語の主人公 として選 ばれたのは、民間か ら掬 い挙げ ら れた詩や物語 によつて士大夫 の物語が生み出されるときに、士大夫 と民間の 接点 として存在 していた下級官吏 たちが まず詩や物語 を民間か ら吸収 し、後.
(31) 森. 田. 浩. 一. 167. に知識人 たちが さらに下級官吏 たちが吸収 していた物語 の世界 を利用 したた めではなかろ うか20。 ともか く、秦嘉 と徐 淑 の物語 が教 え よ う としていたの は、「恩義」 で あ り、そ こに現 れてい るのは、「恩義」 とい う倫理観 によって妻が夫家 に縛 ら れることによって、夫家が存続 されてゆかねばならない、 とい う時代 の要請 であ ったといって間違 い ない29。 民間の文学 のエ ネルギ ー を吸収 して形成 さ れて きた下級官吏層 の物語世界 の なかで、伝承 され、発展 していったかれ ら についての物語 は、やが て知識人層 に注 目され、記録 された。そ こでは、五 言詩 とい う形式 もひとつ の装置 として、物語 を盛 り立て、倫理的な手本 とし て もうまく機能 させるようはたらいてい たのだ。 ただ、 このように文学 の形式 があま りにも一時代 の倫理観 と時代 の要請 に 結 びつ きす ぎたため、唐以降、士大夫 ・庶民 の様相 が変化す ることによる倫 理的な規範 の欲求 のあ りかたが変化 し、秦嘉 ・徐淑 の物語 も急速 に忘れ去 ら れていったのではあるまいか。勿論、同時 に物語の装置 としては新 たな形式 が生み出され、人 々が詩 に求 めるもの も変化 していったのである。 注 1) 本稿 は、拙稿「ふ うふの うた一六朝 における」 (『 興膳教授退官記念 中国文学. 論集』)で 取 り上 げた夫婦 の うち、秦嘉 ・徐 淑 につい ての論 考 で あ る。な お、テキス トとして、『玉台新詠箋注』 (中 華書局、 1985)を 用 いた。 2) 鈴木修次 『漢魏詩 の研究』第三章第二項 一 (イ )四 人一ペー ジ参照。 3) 『鉄橋漫稿』巻七。 4) 小川環樹 『中国小説史の研究』序文に見える。 5) 「計、宋刻作稼、『西漢叢語』引此文、註橡 一作計。案漢法歳終、郡國各遣吏 上計。鄭元 (玄 )註 『周祀』歳終則令享吏致事句、謂若今上計、是也。其所 遣之吏、亦謂之上計。『後漢書』趙萱博、光和元年拳 郡 上計。『晉書』宣帝 紀、建安六年郡拳上計嫁、是也。鍾喋 『詩 品』、直題漢上計秦嘉、嘉及其妻 往末書、亦並稀篤郡詣京師、則作計篤是、宋刻誤也。凋氏 『詩紀』、又因漢 有 上郡、遂倒其文篤上郡嫁、更誤中之誤臭。 」. 6)「 誰謂宋遠、企予望之」 は衛風「河廣」、 「室迩人選」 は鄭風 「東門之藪」、 「我勢如何」 は小雅「孫曇」の句。.
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