ブロンテ姉妹の生涯 ; 2
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(2) I18. ブロンテ姉妹の生涯 (2). 版を重ねるほどの大成功を見た。 Fジ ェイ ン・ エア』 の大成功は ,長 い間 日の当た らなか ったブ ロ ンテ家に. 一条 の光を射 し込んだ ことになる。 エ ミリの F嵐 が丘』 とア ンの Fア グネス 3). ・グレイ』は他の出版社 が出版を約束 していながら, まだ出版されていなか ったが,「 ジェイン・ エア』の大成功を見たその出版社は, F嵐 が丘』など も Fジ ェイン・ エア』の作者の作だとして,契 約以来 2年 近くたってやっと 4). 出版 した。 しか し F嵐 が丘』 も Fア グネス・ グ レイ』 も世 評 はあま り香 ば し くな く,現 在 の高 い評価を考 え ると不思 議 に思 え るほどだが ,優 れた ものの 真価が認 め られな い こ とは ,芸 術 の世界 の みでな く,人 間 の世 間 に はあ りが ちな こ とであ る。 イギ リス 中 に大反響を巻 き起 こ した 『 ジ ェィ ン・ エ ア』の作 者 の 名 は ,詩 集 の場合 と同 じく,カ ラー 0ベ ル とい うペ ンネ イ ムが用 い られて いたので ,読 者 はその作者 はどん な人か ,男 か女か とい う好奇心 にか られた。 その作者 は 牧 師に違 い な い と言 う人 もあ り ,な かに は 自分が作者だ と名乗 る牧 師 も現れ る仕 末 で ,そ れを 出版 した ス ミス氏 自身 も作者を知 らないために ,様 々な. ,. ま った くでた らめな臆 測が行 なわれた。そ の 頃 ア ンの二 番 目の 小説 が 出版 さ れ ,そ の 出版社 はアメ リカのあ る出版社 にそ れを Fジ ェイ ン・ エ ア』 の作 者 の ものだ と報 らせ た こ とが ス ミス氏 の耳 に入 り ,予 期 せ ぬ 混乱 に驚 いた シ ャ ー ロ ッ トは ,意 を決 して本 名を明 らかにす ることに した。 ブ ロ ンテ姉妹が詩集 も小説 もペ ンネイ ムで 発表 した のに は種 々の理 由が あ る。 エ ミリは特 に 自己を知 られ ることを極度 に嫌 ったが ,当 時 は女性が男性 よ り社会 的に も知能 的に も低 く見 られて いたために ,女 性 の作 品 と して 偏 見 ). を もって評価 され ることを彼 女 た ちが嫌 が ったの も ,大 きな理 由で あ った∫. 3)T.Co Newby,London. 4)1847年 12月 。 5)Tん. `2%π. α″ιげ. W■ι びン. J′. 乃レJJ,by Acton Bell.T.Co Newby,London,1848。. 6)W″ んιだηgル なん″Sの 1850年 版 につ けた “Biographical. Notice of Ellis and Acton. Bell"の 中で Charlotteは 次 のよ うに述 べ て い る一― `Averse to personal publici_ ty,we veiled our own naHles under those of Currer,EHis,and Acton Ben;.
(3) 和 知 誠之助. I19. 『 ジ ェイ ン・ エ ア』が世 に 出て 1年 半 ほ ど後 の 1848年 7月 に ,シ と もか くも ャ ー ロ ッ トは ア ンを 連 れて ロ ン ドンの 出版 社 を訪 れ て正 体 を 明 か した。 社 主. ス ミス氏 は ,流 行 お くれ の 服を着た蒼 白い顔 の娘か ら『 ジェイ ン 0エ ア』 の 作者だ と言 われて ,最 初 は当然驚 いた が ,事 情 がわか ると興奮 して大喜 び し た。 二 人 は ス ミス氏 の家 に滞 在す るよ う招待 され ,数 日間 ロ ン ドン市 内を案 内 して も らった り ,オ ペ ラに も案 内され ,き らび やかな首都 の華 麗 さに戸 ま どいな が らも楽 しい 日々を過 ご し ,し か し疲 れ果 てて 田舎 に帰 った。 その 後 ス ミス氏 との親交 はず っと続 き ,そ の 後 の小説 の み でな く,妹 た ち の作 品 も 再版 して もらった り ,ま た一時二 人 の 婚約 の噂 ま で立 った こ と もあ る。 ともか くも,こ れ によ って シ ャー ロ ッ ト・ ブ ロンテの名はイギ リス 中 に知 れわた り ,当 時 の優 れた小説家 の多 く,殊 に F虚 栄 の市』 の作 者 と して盛 名 を はせ て いたサ ッカ レーや ,ま たギ ャスケ ル夫人 と も親 し くな った。 このギ ャスケ ル夫人 は ,の ち に シ ャー ロ ッ トの伝記を書 いたが ,そ れ は イギ リスの 最 も素晴 らしい伝記 の一 つ と して今 も広 く読 まれ て お り ,私 もそれに負 うと こ ろが大 きい。 Fジ ェイ ン・ エ ア』 の成功 によ って シ ャー ロ ッ トは有 名 にな り ,妹 た ちの. 小説 も出版 され ,ブ ロ ンテ家 に 明 るい光が射 し始 めたの も束 の 間 で ,再 び暗 い 闇 に閉 ざされて行 く。 ブ ラ ンウ ェル は ロビ ンソ ン家 の家庭教 師を解雇 され た 後 ,家 にあ って無 為放 らつ な 日々を送 って いたが ,彼 が愛 されて い ると誤 解 して いた ロビ ンソ ン夫人が夫 の死 後再婚す るとの噂が流 れて くると ,彼 は ます ます狂気 のよ うに夫人 へ の恋 情 に もだ え苦 しみ ,身 体 も一 段 と衰 弱 し. ,. つ いに は赤 い 髪を ふ り乱 し,頬 は落 ち ,顔 色 は黄 色 にな り ,日 は狂気 じみた 光を放 ち ,苦 悶 の うちに1848年 9月 24日 ,31才 の 若 い命を終 えて了 う。 彼 の最近 の行状 に悩 んで いた 父 や姉妹 も ,か つ て は絶大 な期 待 をか けて い the ambiguous choice being dictated by a sOrt of conscientious scruple at. assurning Christian names positively masculine,while we did not like to declare ourselves women,because一 ―without at that tilne suspecting that our mode of writing and thinking was not what is caned“ felninine"― ―we had a vague impression that authoresses are liable to be l∞ ked on with prejudice.'.
(4) 」 2θ. ブロンテ姉妹の生涯 (2). た 彼 の悲惨 な死 に直面 して 大 きな打撃を受 けた こ とは言 うま で もな い。 この 日頃彼を うらんで遠 ざか って いた シャー ロ ッ トも ,そ れか ら 1カ 月ほ ど病 床 につ き ,亡 き弟を しのんで苦 しい 日夜を 過 ご した。 エ ミ リは シ ャー ロ ッ トとは違 って ブ ラ ン ウェル の非行 には寛大だ ったが. ,. そ の 葬式 の 日に墓地で風邪 を 引き ,そ の感 冒がなかなか直 らず ,日 に見 えて 衰 弱 して行 った。 つ いに は歩 くのに も息切れす るよ うに に り ,身 体 はやせ 細 っ て 蒼 白 にな り ,不 安 にか られ る シャー ロ ッ トは薬 や 医師 の診 察をすす めた。 7). しか しエ ミ リは断固 と して拒 絶 した。 そ して誰が見て も苦 痛 にゆがんだ 身体 を 引 きず るよ うに しなが ら ,自 分 の務 め と して いた 毎 日の家 事を きちん と果 た した。 彼女 は自分の死を 自覚 して いたので あろ うが ,こ のよ うな エ ミリの 姿を思 うと ,彼 女 の詩 の一 節が実感を もって 我 々の胸 に響 いて くる。 彼女 は 書 いて い る一―「 強 くわれ は立 つ …… わが胸 は自由 ,わ が魂 は自由……」と。 1848年 の暮 エ ミリの病 は重 くな るばか りで ,誰 の 目に も死 の近 い こ とが明 白 にな った。 エ ミ リはそれで も医師 も薬 も近 づ けず ,黙 々 と少 しも変 わ らな い 生活を続 けた ので あ る。 シ ャー ロ ッ トは F嵐 が丘』 につ け た序 の 中で ,死 を 目前 に した 妹 につ いて 次 の よ うに述 べ て い る一一「 エ ミリは急速 に衰 えて 行 きま した。 私た ちか ら飛 び 去 った ので す。 しか も肉体 的 に崩 れ て 行 く の に ,精 神 は私た ちがそれ まで 見た こ ともな い くらい 強 くな って 行 きま した。 ……男性 よ りも強 くて ,子 供 よ りも単純 で ,彼 女 の本質 は毅 然 と して ひと り 7)Char10tteは Branwellの 死後 1カ 月 ほどの1848年 10月. 29日 付 の Ellen Nusseyあ ての手紙 に次 のよ うに記 してい る一― `I feel much more uneasy about my sisters. than rnyself just now.EΠ lily's cold and cough are very obstinate.I fear she has pain in the chest,and l sometilnes catch a shortness in her breathing, 、 vhen she has lnoved at aH quickly.She looks very,very thin and pale. Her reserved nature occasions lne great uneasiness of lYlind.It is useless to ques‐ tion her;you get no ans、 vers.It is still rnore useless to recominend remedies;. they are never adoptedo Nor can l shut rny eyes to the fact of Anne's great delicacy of constitution.'. 8)`StrOng l stand,… .Free my heart,my spirit free; .… '(T/2ι R9ι πsげ. Eπ グ y Jα η θBη ″ι ι ,edo C.W.Hatield,p.55。 ′. ). ιι ι Cο ηタノ.
(5) 和. 知. 誠之助. 9). 立 って い ま した」 と。 エ ミ リは他 の 同情 や あわれみを 受 け入れなか った のみでな く,自 らを憐れ み悲 しむ こ と もしなか ったのだ。他 に対 して は極 めて 寛容 で 情 深 いのに ,自 分 に は一片 の あわれみ も許 さず ,精 神 は肉体 に容赦 しなか ったのであ る。 彼 女 は死を少 しも恐 れて い ないよ うで ,朝 は 7時 に起 き夜 は10時 まで床 につ こ うとせ ず ,手 も震 え足 もよろけ ,日 もかすん で いな が ら身 の廻 りの こ とで他 10). の 手を借 りよ うとは しなか ったので あ る。 12月 19日 の朝 エ ミ リは起 きると身 体が よろめいて 着物を着 るのに も苦 しん. だが ,そ れで も手伝 って も らお うとはせ ず ,ひ と りで よろめ き息を切 らしな が ら階下 へ 降 りて 行 った。 シ ャー ロ ッ トは妹を慰 めよ うと ,妹 の好 きな ヒー スの 枯れ枝を取 って 来 て見せ たが ,エ ミリに はそれを見分 け る視 力 も失 な わ れて いた。 また彼女 はだん ろの 前 に座 って 髪 に櫛 を入 れよ うと したが ,櫛 が 手か ら落 ちて も捨 い上 げ ること もで きなか った。 正 午 ご ろ エ ミリはや っと医 師 に診 て 貰 って もいい と言 った がすでに遅す ぎた。 2時 ご ろ ソフ ァか ら立 ち 上が ろ うと したが倒れ て了 った。 彼女 は目を 日の光か らそ らし,そ れか ら息 を 引 きとった。 その 時 30才 を 5カ 月過 ぎたばか りで あ った。 不幸 は これで もまだ終わ りに はな らなか った。末 の ア ン もす で に数年 前 か ら健康を害 して いた が ,エ ミ リが亡 くな って 3週 間 目にまた感 冒にかか り. ,. 医師に診 て もらうと重態だ と知 らされ る。死 の近 いのを 自覚 した ア ンは ,以 11). 前行 った こ とのあ る北 の海岸 に行 きた い と言 い 出 し,周 囲 の人 はみな止 めた が ,日 頃 はお とな しい ア ンも ,こ の 時 は海 岸行 きを言 い張 るので ,シ ャー ロ 9)`She sank rapidly.She made haste to leave us.Yet,while physically she perished,mentally she grew stronger than we had yet known her.. . . Stronger than a lnan,siinpler than a child,her nature stood alone. (`BiOgraphical Notice'preflxed to the 1850 edition of Waι. 。. .". g Hcな んι ) んιrグ η s。. 10)Char10tteは 次 のよ うに述 べ て い る一― `.… frOm the trembling hand,the un‐ nerved lirnbs,the fading eyes,the same service was exacted as they had グ rendered in health。 '(乃 グ ・). 11)ScarbOrough.Anneは Robinson家 の家庭 教師 を していた時 , た ことが あ った。. ここに 何度か来.
(6) ブ ロンテ姉妹 の生涯 (2). 」22. ッ トもつ いに折れ て 承諾 した。 シ ャー ロ ッ トとその親友 の一 人 (エ レン)に 付 さ添 われて海 岸 へ 行 った ア ンは ,入 り 日が 海 の 波 ,沖 行 く舟 ,断 崖 の古城 12). な どを 黄 金色 に 染 め るの を ,無 言 で じっとみ つ めたそ うで あ る。 そ して その 1849年 5月 28日 の夜半 ,29才 の 春を迎 えたばか りのア ンは ,静 かに幸 うす き 13). 生涯を閉 じ,彼 女 の好 きだ ったその海辺 の地 に葬 られ たのであ る。 この よ うに して シ ャー ロ ッ トは ,老 いた 父 と二 人だ け後 に残 された。 彼女 の悲 しみ 嘆 きが どれ ほどの もの だ ったか は、述 べ るまで もなか ろ う。 長 い ト ンネルを抜 けて ,や っと光が さ し始 めた と思われた の も束 の 間 で ,弟 と二 人 の 妹 とを僅か 9カ 月 の 間 に相 次 いで失 った 彼女 は ,前 途暗浩た るものを感 じ たに相違 な い。 その 時 33才 の 彼女 は ,「 人生 はつ らく短 く一一 空虚な よ うに 思 われ ます」雀 書 いて い る。神 の 力 に支 え られた彼女 は ,そ の 後 6年 近 く生 き永 らえ るが ,太 陽が沈 む前 の あか あか と した残照 と も言 え るよ うなその 後 の 年月を辿 る前 に ,こ こで エ ミリの F嵐 が丘』 に触れ てみよ う。 イギ リスの 現代 の優 れた批評家 で もあ り小説家 で もあ る ウォル タ ー 0ア レ ンは ,『 嵐が丘』 は ,「 英語 で 書か れた最 も驚 くべ き小説 で あ る。 それ は完璧 な もので あ り ,し か も類 まれな完璧 さを もち ,人 間 と人生 の本質 につ いて の 15). きわめて独自な把握を完全に具体化 したものである」 と述べている。 この作 12)Char10tteと 一緒 に Anneに 付 き添 った Ellen Nusseyは Mrs Gaskellあ ての 手 記 で次 のよ うに記 して い る一一 `.… The evening closed in with the most g10rious sunset ever witnessed. The castle on the cli“. st∞ d in proud glory. gilded by the rays of the declining sun. The distant ships glittered like burnished gold;the little boats near the beach heaved on the ebbing tide, ′ inviting occupants。. The view was grand beyond descriptiono Anne was. vith us.... drawn in her easy chair to the windo、 7, to enjoy the scene 、 (Mrs Gaskell'sTル Lψ げ. ′ Cλ αrJ。 ″. `Brο. ″′ ″ ,Oxford Classics,pp.317-318)。. Charlotteも `A peaceful sun gilded her evening.'と. Wo S.Williamsあ ての手. 紙 (June 4,1849)の 中で記 してい る。. 13)Anneの 最 後 の言葉 は,`Take 14)`.…. courage,Charlotte;take courage一. 'で あ った。. life seems bitter,brief一 blank。 '(Letter to WoS.Williams,June 13,1849).. 15)Walter Allen,■ 秘 EzgJおん Nθ υ`J(PhOenix House,1954),p.185(和 知 。大榎 0直 野・ 藤本共訳『 イギ リスの小説』 ,文 理 ,1975,p。 258..
(7) 和 知 誠之助. 123. で は ,ま こ とに不可思議 で 当惑 させ るほどの内容が ,完 璧 な芸術的表現を得 て い るが ,前 に も触れた よ うに ,発 表 当時 はほ とん ど無視 されたが ,今 で は この小説 の偉大 さを疑 う人 はない と言 って も過言 で はな い。 「 嵐が丘」と呼ばれ る邸が あ り 荒涼 と した ヨー ク シャー州 の荒野 の一 隅 に. ,. そ この主人が あ る時旅か ら帰 って 来 た 時 ,一 人 の浮浪児を連 れ帰 り, ヒース ク リッフ. (ヒ. ースの 生えた荒野 の崖 の意)と 名 づ けて 養育す る。 ヒース ク リ. ッフは異 国人 の よ うに髪が黒 く剛情 で野蛮な子供だ ったが、 その邸 の娘 キ ャ サ リンとは妙 に心が 解 け合 い ,一 緒 に荒野を歩 き廻 った りす る。 主人が亡 く な ると ,邸 の主 にな った その子 ヒン ドリー は ヒース ク リッフを下僕 と して こ き使 い虐待す る。 その うちに成長 した キ ャサ リンは ,ふ と した ことで 数 マ イ ル離 れた リン トン家 と親 しくな り ,そ の 邸 の 息子 エ ドガ ーに求婚 され る。 キ ャサ リンは心 の底 で は ヒース ク リッフとの一 体感を感 じなが らも ,エ ドガ ー の 教養 の あ る洗練 された容姿に魅 かれて結婚を承諾す る。 それを知 った ヒー ス ク リッフは ,突 然邸か ら姿を消 して しま う。 しか し何年か後 に帰 って来 た 時 は ,ど うしてか は記 されて いないが ,一 応 紳士 らしい教養 も身 につ け大金 を 持 って い る。 これか らこの 男 の ,悪 魔 のよ うな執拗 で 残忍 な復讐 が始 ま る。 先ず第 一 に彼 は ,自 分を虐待 した ヒン ドリーを堕落 させ て ,金 に困 った彼 か ら邸を買 い取 り ,そ の 子 に は教 育を与 えず ,自 分が された と同 じよ うに家 畜 同様 に 育て る。 また彼が愛 して いた キ ャサ リンの 夫 とな った エ ドガ ー に復 讐 しよ うと ,そ の 妹を誘 惑 して結婚 した後 ,虐 待 して死 に至 らせ る。 あ る時 彼 はつ いにキ ャサ リンを訪れて ,互 いに相抱 くが ,そ の激情 の発作 の あ とキ ャサ リンは女 の 子を産み落 して死 ぬ。 ヒース ク リッフは狂 った よ うに恋 い 慕 い ,彼 女 の埋 め られて い る墓を あば き、死骸 を抱 いて 狂喜す るが ,や がて 自 分 も死 に果て る。 この小説 の 中で は ,そ の他 に もまだ多 くの人物 が死 ぬが. ,. ヒース ク リッフの子 とキ ャサ リンの 子 とが愛情 に結 ばれて物 語 は終わ る。 この小説 に は常識や 日常 の生活を超越 した世界 ,慣 習的 な善悪 の道 徳 とは ま った く違 った世界が描 き出 されて お り ,善 悪 も生死 も問題 に しない激烈な 愛 情 に基 づ く仮借 な き復讐 のす さま じさは ,多 くの 読者を その 当時 も今 も身.
(8) ブ ロンテ姉妹 の生涯 (2). 」24. 震 い させ る。 ここに 見 られ る もの は嫉妬 ,憎 悪 ,粗 暴 ,傲 慢 ,貪 欲 ,策 略. ,. 狂乱 とい った反人道的な ものばか りで ,ヒ ース ク リッフは人 間 で はな く悪魔 と も思 え るほ どで ,キ ャサ リン以外 の す べ ての人 の堕 落 や死 を ,ま った く平 然 と受 けとめて眉 ひ とつ 動 か さない。彼 は悪 鬼 と も見 えよ うが ,い か に 具 体 的 にな まなま しく描かれて いて も ,こ れ はあ くま で も精神 の世界 であ る。作 中人物 と彼 らの行動が ,表 面上 はとて も信 じがた いに もかかわ らず ,読 者 に 真実感を与え て 納得 させ るの は ,そ のた めで あ る。 も し我 々が人間 の 心 の 深 さ ,複 雑 さに静か に思 いを致せ ば ,エ ミリ 。ブ ロ ンテが F嵐 が丘』 で 描 き出 した ヒー ス ク リッフの 悪魔 的な姿 は ,慣 習や道徳を はるか に越 えた 根源的な 愛 に基 づ くもので あ り ,あ る意味で 真実だ と思 う ことがで きよ う。 F嵐 が丘』 は シェイ クス ピアの悲 劇 と同 じ高 さに達 して い ると見 る人 が多 い。権力 へ の 野 望に燃 えて主君を殺す マ クベ ス ,嫉 妬 に狂 って 最愛 の妻を刺 す オセ ロ ,愛 す る末娘 の真 心を信 じられず ,う わべ だ けの おべ っかを 言 う上 の娘 た ちに裏切 られ て 狂気 にな る リア王な どの悲劇 は ,い ずれ も ,人 間 の 抜 きさ しな らぬ 業 の悲 しさを描 き出 して い る。我 々 はそれ らを読んだ り見 た り して身震 いす ると同 時 に ,た とえよ うもな く感動す る。 それ は野心 も嫉妬 も 恋慕 の情 も復讐 心 も我 々みな の心 の 中 の一 面が拡大 された の を見 る思 いが し て ,そ の真実 の もつ 怖 ろ しさに心打たれ るか らで あ る。 エ ミリ・ ブ ロ ンテは ,人 間 とい う この複雑 で悲 しい実体 に ,丁 度 自分 の 肉 体 の苦 しみに敢 然 と耐 えたよ うに ,透 徹 した鋭 い 目を 向けて対 したので あ り 人 間 の普遍性を ,直 観 によ って見 出 し象徴化 したので あ る。 この小説 で はキ ャサ リンも ヒース ク リッフも死 ぬが ,物 語 の最後 で ,雨 に 打たれたまま死 んだ ヒース ク リッフの顔を見た人 には ,彼 が微笑す ら浮か べ て い るのが見 えた ,と 記 されて い る。彼 は永 遠 の愛を得 ることによ って ,生 と死を越 えた世界 に 安住 したので あろ うか。 エ ミリの詩 の一つ に 次 の一 節が 見 られ る一―. 臆 病なたま しい はわた しに はな い. ,.
(9) 125. 和 知 誠之助 現世 の 嵐 に もま れ る領 域 で お の の き怯 え る者 で もな い わ た しは天 の 光 栄 が 輝 くの を 見 る. 16). そ して「 信念」 が わた しを恐怖か ら護 って それ に劣 らず輝 くのだ。 (安 藤 一 郎訳 ). ここに は F嵐 が丘 』 を貫 いて い る生 や死 ,不 滅 につ いて の根源 的な思索 と 同 じもの が歌 われて い る。 F嵐 が丘』 の物語 は ,こ の無気 味 な事件 の途 中 で南 の地 か ら来 て 邸を借 り. た商人が ,主 人公 ヒース ク リッフを小 さい時か ら知 って い る 女 中 ネ リーか ら,彼 にまつ わ る異常 な出来 事を 聞 く形 にな って い る。 この非常 に特長 のあ る構成 は ,深 い意味を暗示 して お り ,ま た物 語が 2代 以上 にわた って展 開す る こ と も ,時 間が人 間生活 に対 して持 つ 深遠 な意 味 によ って ,あ る点 で この 作 品 のか もす悲 kll性 を和 らげ る働 きを して い る。 これ らにつ いて は詳述す る余 裕 はな いが ,今 一 つ この小説 の重要 な要素 と な って い るの は ,陰 惨 ,残 酷な物 語 の 中 に組 み入 れ られて い る美 しい 自然描 写 で あ る。 しか し自然描与 はけ っして単 な る装飾 で はない。 自然 の 営みが人 17). 間 の ドラマを動かす意味深 い働 きをす るものにな って い る。 エ ミリは 自然児 と言 え るほど荒野を愛 し,そ れな くして は生 き られな いほ どだ った こ とは前 述 したが ,彼 女 は この F嵐 が丘 』 の 中 に ,荒 野 の 四季を通 じてのあ らゆ る姿 を ,自 然 の本質を把握 して描 き出 して い る。 自然 は うるわ しい花 の咲 く時 の みで はない。 人 間 の醜 悪な葛藤を取 り巻 く荒野 に は嵐 の 吹 きす さぶ苛 烈 さ も 16)No coward soulis mine/no trembler in the world's storm― troubled sphere/ 1 see Heaven's glories shine/And Faith shines equal arining ine froIL Fear. (Jan.2, 1846). 17)こ の点 について例えば Winnifred G6rinは 次 のよ うに述 べ てい る一― `The laws of Nature,as revealed in the elelnents of earth,■ the all―. re,wind and water,are. powerful agents of this tale.Never before in English flction(and. only once in Shakespeare)had the elements been made the agents of a human drama。 '(Tん ιBη 滋お :“ The Creat市 e Work"〔 Writers&their Work, 1974〕. , p.45.).
(10) プ ロンテ姉妹 の生涯 (2). 126. す べ て を呑 み込む寂蓼 もあ る。 しか し大 いな る自然 は ,小 さな人 間 の 憎 しみ や醜 い情 念を も抱 く暖か さを も秘 めて いて ,悪 魔的な ヒース ク リッフの所業 と微妙 な調和を な し ,読 者 はそのためにかえ って強烈な印象を与え られ るの で あ る。 F嵐 が丘』 は ,あ る面で は ヒース ク リッフの復讐 を描 いた ものだが ,彼 が 復讐 す るの は ,彼 が虐待 され ,キ ャサ リンの本源的 な愛 が挫折 させ られ るか らで あ る。 彼 はそれ らの両 者 に対す る復讐 と して ,つ ま り彼を 阻害 した もの を取 り除 くために ,彼 らの 財産をか ちとり ,つ いには死 に至 らせ るので あ る。 彼 は究極 の と ころ ,悪 鬼 で も怪物 で もな く,む しろ愛 の根源的な姿な ので あ る。 エ ミリに と って 愛 は ,本 質 的に怖 ろ しい危 険 な もので あ り ,怖 ろ しくな い 愛 は真 の愛 とは言 えない。 F嵐 が丘』 とい う Jヽ 説 は ,「 音 にみ ち て い ま 18). す一一 それ は嵐や疾 風 の音 です一一 」 と述 べ た批評家 もあ るが ,こ の小説 は 嵐 の 吹 きす さぶ荒野を舞台 と して ,嵐 や 疾風 のよ うに熾烈 な愛が ,す さま じ い 音を 立てて全篇 にみな ぎ って い る。 そ して この小説を読む人 々に ,愛 す る ヽ と心 との真 の 結 び つ きとは何を意味す と は本 当はどのよ うな ことなのか ,′ と る のか一一 そ うい った人 間 につ いて の最 も根本 の 問題を 問 いつづ け ,我 々人 間 の存在 にひそむ本 質 的な悲 しさ ,そ して複 雑 な美 しさに思 いを 致 させ て く れ る。 なぜ な ら F嵐 が丘』 は,究 極的には愛を賛美 した小説 に外な らな いか らで あ る。. ブ ロ ン テの 愛. 4). Fジ ェイ ン・ エ ア』 は ,父 母 に死 なれた薄幸 の少女が 自 らの 生涯を語 る形. を と り ,す べ てが激 情 的な ヒロイ ンの心 に 映 じたままが書かれて い る主 観的 な小説 で あ る。物 語 は10才 の 孤児 ジェイ ンが ,引 き取 られて い る伯母 とその. Sげ 18)Cf.Eo M.Forster,Aψ ιε″ Co。 ,1949),. p.134:`Wttι ん`r力. tん. ノ (POcket θNθ υι. Edition;Edward Arnold&. 「 g二酵む んι Sis nHed with sound一 ‐ storrrl and rush― η. ing、 vind― a sound inore important than words and thoughts。. '.
(11) 和 知 誠之助. 127. 子 供 た ちに虐待 され るところか ら始 ま る。 それを不 当だ と反抗す るジ ェイ ン lld手 を焼 いた 伯母 は ,ジ. ェイ ンを慈善学校 に追 いや る。 その学校 の責任者 が. ま た 冷 酷な偽善家 で ,ジ ェイ ンは再 び憤 りと屈辱 の 日々を送 るが ,寛 容 な女 校 長 の理解 と ,作 者 の 姉を もとに した と言 われ る一人 の 生徒 のや さ しさとに 救 われ る。 やがて 19才 にな った ジェイ ンは自活 の道を 家庭教 師 の 職に求 め. ,. 大 邸宅 にや とわれ ,そ この主人が若 い 頃 フラ ンスで 遊蕩 の生活を送 って 女優 との間 にで きた女 の 子を教 え る こ とにな る。 ま もな くジェイ ンは主人 ロチ ェ ス タ ー氏 と互 いに激 しく愛 し合 い結婚を約束す る。 しか し結婚式を挙 げ る教 会 で ,ロ チ ェス タ ー に は気 の狂 った 妻が あ り ,邸 にか くされ て い ることがわ か る。 ジェイ ンは ロチ ェス タ ー に深 い愛を感 じなが らも ,彼 の 嘆願を振 り切 って 邸を飛 び出 し ,数 日の放浪 のの ち飢 え と疲 労 の果 てに ,あ る家 の前 で 倒 れ 助 け られ る。 その家 は彼 女 のい とこの牧 師 の家 だ とわか り ,そ の うち に東 洋 へ 伝道 に旅立 つ 牧 師 は ,ジ ェイ ンに妻 にな って 同行す る こ とを頼む。 ジェ イ ンは神 へ の奉仕 に意義を認 め ,時 躇 のの ち ,ま さに承諾 しよ うとす る時. ,. ど こか らともな く「 ジェイ ン.′ ジェイ ンノ」 と呼ぶ 声を 聞 く。彼女 は急 いで 以 前 の 邸を訪 れ ,気 狂 いの 妻が邸 に火を放 って 自 らも焼 け死 んだ ことを知 る。 そ して火事によ って 不具 にな った ロチ ェスターを見 つ けて 結婚す る。 以 上が Fジ ェイ ン・ エ ア』 の物語 の概 略 だが ,そ れ は シンデ レラ物 語 に類 似 した少女物語だ とか ,逃 避小説だ と言 われ る こ ともあ るが ,け っ して そ う だ と言 い切 ることはで きな い。 ジェイ ンが最 後 に結婚す る時 の ロチ ェス タ ー は 不具 で ある。 彼女 は遅 しい男 にい くら財産が あ って も ,見 下 されて い る時 ll■. ,激 しい愛を感 じて も結婚 しよ うとせず ,情 婦 にな ることを求 め る ロチ ェ. ス タ ー に対 して 次 のよ うに叫 ぶ一一「 …… あなた はわた しを 自動人 形一― 感 情 のない機械 だ とお考 えで すか …… あた しが貧 し く身分が低 くて醜 くて ち っ ぱ けだ か らとい って ,魂 も心 もな い とお考 えな ので すか ?一 一 間違 って い ら しゃい ます。 あた しはあなた と同 じだ け魂を持 って い ます。 同 じだ け心を持. っています !」. 19). 19)`Do you think l a■ l an automaton?一―a machine without feelings?.
(12) 」 28. ブロンテ姉妹の生涯 (2). ジェイ ンの この反抗的 と も思 え る自己主 張 に は大 きな歴史的意義が あ る。 それ は物質 よ りも精神 に大 きな価値をお く姿勢で あ り ,人 間を社会的地位や 容 貌な どの外面 的な ものや女性 で あ ることによ って 評価を変 え ることな く. ,. 個性を尊重 しよ うとす る考 え方 で あ る。今 か ら 150年 ぐらい前 の19世 紀 前半 で は ,イ ギ リスにおいて も女性 はまだ 男性 よ り低 く見 られて お り ,ジ ェイ ン のよ うな名 もな く貧 し くて美 し くもな い少女 が ,こ のよ うに身分 の上 の男性 に 向か って敢然 と自己の個性 の尊厳性を主 張す ることは ,ま こ とに驚 くべ き こ とだ った。 それだ け に当時 の人 々の 中 には ,こ の小説を非難す る人 も多か 20). ったが ,. この考 え方 に共鳴す る人 もよ り多 くお り ,イ ギ リスにお け る個 性. 尊重 ,女 性を男性 と平等 に見 る気 風 の促進 に ,こ の小説 は大 きな働 きを した ので あ る。 『 ジェイ ン・ エ ア』 の持 つ そ うした歴史的意義 はきわめて大 きいが ,そ れ とは別 に シ ャー ロ ッ ト 0ブ ロ ンテとい う一 女性 の 妥協を許 さない ,ま た悲 痛 な 魂 の表現 と して の面 も見落 と して はな らな い。 シ ャー ロ ッ トは人並 す ぐれ た才能 の持主だ ったが ,彼 女を取 り巻 く環境 は ,彼 女 に卓越 した才能を発揮 す る場を与 えなか った。 それ は彼 女 が女性だ ったた めで もあ り ,貧 しい牧 師 の 娘 で ,し か も母 を幼 時 に失 な って一家の主 婦 がわ りと して の 義務 と責任 を強 く感 じて いたた めで もあ る。彼女 はその現 実を勇気を も って 耐 え忍んだ。 し か し胸 の うちに は現 実を打破 した い との想 いが溢 れて いた に相 違 な い。 現 実 で は吐 け 回の な い想 いを耐 え忍んで いただ け に ,彼 女 はそれを仮空 の世界 に ,ま るで火 山 の爆発 のよ うにはげ し く爆発 させ た とは考 え られな いだ ろ う you think,because l am poor,obscure, plain and little, I am soulless and heartless? You think wrong!一 ―I have as much soul as you― and full as. '(Chap.xxHi). much heart! . 。。 ″り Rι υ″ (December,1848)に の った無署 名 の書評 (Elizabeth 20)例 えば Qα α″ι “ Rigbyに よ る もの)は Brontё 姉妹 の小説 を良俗 を破壊 しよ うとす るもの と酷評 し て ,次 のよ うに述 べ てい る一― ..whoever it be,itis a person who,with great lnental pOwers,combines a total ignorance of the habits of society, a `。. great coarseness of taste, and a heathenish doctrine of religiOn.. . .' (Tん. `Broη. sf Tん ι ″. `Crグ. ι たαJ. fセ ″ グ ι αg`,ed.Miriam. Allot,1974,p.111。. ).
(13) 129. 和 知 誠之助 か. 。. 物語 の ヒロイ ンで あ るジ ェイ ンは ,シ ャー ロ ッ トと同 じく身体 も小 さ く美 貌 で もな く財産 も持たな いが ,人 並す ぐれ た 才能 の持主 で あ る。 それ故 ヒロ イ ンは作者 自身 の投影 であ り ,こ の小説 は作者 の魂 の叫び だ と言 われ ること が よ くあ り,そ れ も当然 で あ る。 しか し一 つ 注 目す べ き相違が あ る。 現実 の シ ャー ロ ッ トに は老 いた 父 と 3 人 の弟妹が あ るのに対 し,物 語 の 中 の ジェイ ンは孤児で あ る。 孤児 は もちろ ん 孤独 だが ,そ の反 面 ,自 分独 自の生 き方が で きる。 エ ミリは父や き ょうだ い を気 にせず ,日 常 の生活 に超然 と して独 自の道 を歩んだ。 その 自己ひ と り立 つ 勇気 は ,ま こ とに強 く尊 い ものだ ったが ,姉 の シ ャー ロ ッ トにはそ う した 生 き方 は不可能 で あ る。 た とえ エ ミリに劣 らぬ強固な 自立心を持 って いた と して も ,一 家 の主婦が わ りの シ ャー ロ ッ トに はそれ は許 されな い。 彼女が幼 い 時か らその責任感を 強烈 に感 じて いた ことは ,友 人 も語 って い る通 りで あ 1し. る∫. か し シ ャー ロ ッ トに は ,同 時 に人並以上 の 才能 を持 つ との 自信 もあ っ. た。 この両者 ,す なわ ち芸術倉1造 へ の意欲 と ,家 計を収 め ねばな らな い との 義 務 感 とが ,彼 女 の胸 の 奥底 で ,ず っと熾 烈な戦 いを続 けた ので あ る。生来嫌 でた ま らなか った 家庭教 師を再 三 勤 めた り ,学 校 の経 営を計画 した こ とは. ,. 義務感 ,責 任感か ら出た もので あ る。 その試 みにす べ て失敗 した彼女 の苦 悩 は ,何 が いや して くれただ ろ うか。 何 もなか った。長 い 間彼女 をせ き立 てた 第 一の 目標がす べ て 挫 折 させ られた時 ,彼 女 が書 い た の が『 ジェイ ン・ エ ア』 で あ る。 そ こに 彼女が ,も しか りに 自分が何 の係累 もな い孤児 で あ った. 21)Roe Headの Miss Woolerの 学校 で Charlotteと 知 り合 い, その後一生 を通 じて の友 とな った Ellen Nusseyが ,当 時 の学校生活 を回想 した手記 の 中で 次 のよ うに 述く. いる 一. `She always seelmed to feel that a deep responsibility rested. upon her;that she was an object of expense to those at home, and that she must use every moment to attain the purpose for which she、. vas sent to. school,グ 。 ,to nt herself for governess life'(The Shakespeare Head Brontё .ι. ι ただ,Vol.I,p.94。 ) Tん ιLtt αηグニι. ,.
(14) ブロンテ姉妹の生涯 (2). 13θ. ら ,ど うな るだ ろ うか ,い や ど うす るだ ろ うか ,と い う現実 で はけ っ して許 されない情況を設 定 して ,充 実 した生活 へ の 燃 え る意欲を もつ 一人 の女 の 可 能性を探 った と して も ,そ れ は満た されない夢を追 う女 の はかない愚かなた わむれ ,少 女的 な幼 さだ と言 い切れ るであ ろ うか。『 ジェイ ン・ エ ア』 の ヒ ロ イ ンが孤児 とされて い る点 に ,作 者 シ ャー ロ ッ ト 0プ ロ ンテの ,ぎ りぎ り の 瀬戸 ぎわに押 しや られた女 と して の ,切 な い悲 痛 な叫びが 聞かれ る思 いが してな らな い。 シ ャー ロ ッ トはブ ロ ンテ姉妹 のな かで一 番人 間的で ,女 らしか った ,と 述 22). べている人 もあり,そ の通 りであろう。 しか し人間的であることは ,芸 術家 として マイナ スになることが多 い もので ,事 実『 ジェイ ン・ エア』 は「 嵐が 丘」 よ りも芸術的に劣 るとされることが多い。 しか し私は ,「 ジェイン・ エ ア』 は『 嵐が丘』 よ り芸術的に劣 っているにせよ ,な ま身の人間 ,過 ちや弱 さをのがれ られない人間の赤裸 々な悲痛な叫びとして ,そ れ独 自の価値を持 つ ことを信 じて疑わない。 とはいえ シャーロ ッ トは ,美 の追求のために妻子を捨 ててタ ヒチ島に走 っ た画家 ゴーギ ャ ンの行動を取 ろうとは思わず ,ま してや父や弟妹の死を願 っ たわけではけ っしてない。 それどころか ,彼 女 は誰よ りも肉親へ の愛情が強 く,前 述 したよ うに ,あ っとい う間に弟 と二人 の妹とを失 うと ,絶 望的な苦 しみに投げ込 まれたのである。 「孤独 に生 きる者にとって ,空 がどんなに素晴 らしい友 になるかは,あ なたにはおわか りにな らない」l彼 女 は知人に言 っ ている。また「 大 きな苦 しみが ,夕 暮が迫 り夜が歩みよ ると訪れてきます。 22)Cf。 `Of an the Brontё s,Charlotte. was at heart the most feminine。. was the most human.Of the sisters she. '(Lawrence and E.Mo Hanson,Tん ιFο π″. Bπ )″ お,OxfOrd University Press,1949, p.117.). 23)Mrs.Gaskellは ,Charlotteに 初 めて 会 った時 の 印象を 友 に書 き送 った 手紙 の一 節. を. Tん. ι. ttψ. げ. θ. ttrJο. ″た. Bra″. ιど. に. う. つ. し. て. い. る. が. ,こ. れ. は. そ. の. 一. 節. で. あ. る. 一. 一. `She(i.e.charlotte)said。 。. that l had no idea what a companion the sky became to anyone living in solitude一 more than any inaniFnate Object on earth一 rnore than the rrloors themselves。 '(OxfOrd classics,Cho xxi,p.363.).
(15) 131. 和 知 誠之助. その時刻 に私た ちは食堂 に集 ま り ,話 し合 った もので した。だが今 は私 ひ と の りが坐 り ,仕 方 な く黙 り こんで い ます。 彼 らの臨 終 の 日々を思 い ,そ 苦 悶 を思 い浮かべ ず に はおれな いのです 。 彼 らの言 った こと行 な った こと ,そ れ か ら彼 らの死 の苦 しみ の 中 の顔 を ……」t,ァ ンの死後 1カ 月 ぐらいの 時. ,. 親友 にあてて書 いて い る。 シ ャー ロ ッ トは この よ うな悲 嘆 の さ中に も ,勇 気を奮 い起 こ して 次 の小 説 を書 いて い る。 それ に は Fシ ャー リー』 とい う題が つ け られ て い るが ,そ の 名 の ヒロイ ンは ,エ ミリが もし富 と社会 的地位 のあ る家 に生 まれ て いた ら こ うで あ ったで あろ うと思われ る女性 に されて い ると言 われて い る。 シ ャー ,. ロ ッ トは ここで も ,妹 が置かれた現実 の状況 を さか さまに して い るわ けだが. ,. 彼女が このよ うに想 像 の世界 に 自分 や妹を 置 いて 見 る ことは ,現 実を 耐 え忍 ぶ上で の ぎ りぎ りの方法 で はなか ったか と も思 え る。 シ ャー ロ ッ トは弟 と妹た ち の死 後 ,そ の他 に も種 々の仕事 を して い る。 そ の一 つ は ,彼 女 の小説を 出版 して くれ ,そ の後 も親交 のあ るス ミス氏によ っ 25). て ,妹 た ちの小説 を再発行 して もらった ことで あ る。 それ に 付 した 妹 た ち を偲 ぶ 序文 は貴 重 な もので あ る。 ま たそ の後 も 3度 ほど ロ ン ドン に 招 か れ て「. 6猿. か しぃ女流作家 と して 優遇 され る こと もあ った。 しか し彼女 は華 やか. な社交 がま った く苦 手 で ,い つ も間 もな く牧 師館 に立 ち帰 った。 そ こに は72 才 の 父 と78才 の女 中タ ビーだ け しか居 らず ,柱 時計 の チ クタ クの音だ けが う At that hour 24)`The great trial is when evening closes and night approaches― ― ` 一 :Now tt sit by we used to assemble in the dining― rooIIl― We used to talk一 一. I cannot help thinking of their last days一 myself一 necessarily l am silent一 ―. remembering their sutterings and what they said and did and hOW they looked in inOrtal anliction...'(Letter tO Enen Nussey,」 une 23,1849。 ) οη ο グ ん α 5`Jι ει ι んιr ωグ /1bι πS by EJJグ s S,ス gπ ιs G郷 Ogι ι 25)Wttι んιrグ ηg月 しなんι `y,ι. . Preflxed with a Biographical NIemoir of the authors by ι οη 正)ι ι απ′ И[ε ι Currer BeH. SIIlith,Elder,London,1850. この 時 Charlotteは 初 め て Thackerayと Harriet. 26)November一 December,1849。. Martineauに 会 った 。そ の 次 は 1850年 6月 で ,そ の 時 Go Ho Lewesに 会 った o次 は 1851年 5月 か ら 6月 で ,こ の 時. Thackerayの 講 演 を聞 き. ,「. 大英 博 覧 会 」を見 た 。.
(16) ブ ロンテ姉妹 の生涯 (2). 」32. つ ろに時を 刻 ん で いた。 小説家 と して 有 名にな った 彼女 の 名は ,ロ ン ドンの みな らず地方 に も知れ 27). わた り ,あ る貴族 に招 かれて湖 水地方に旅 した りす ること もあ ったが ,弟 と 妹た ちを失 った心 の傷 はいえ ることな く,彼 女を理解 して くれ る話 し相 手 も な い彼女 は ,い つ もま った くの 孤独 の 中で 暗欝 な 日々を 送 り ,健 康 もす ぐれ な い こ とが 多 く,1851年 の 冬 に は肝 臓を わづ らって 4カ 月 も寝込んで しま う ほ どだ った。 また父 もす っか り老 い衰 え ,日 もほ とん ど見 えな くな って シ ャ ー ロ ッ トの重 荷 にな った。 そ う した苦痛 と孤愁 の さなかに も彼女 は ,1852年 11月 に Fヴ ィ レ ッ ト』 を書 き上 げた。 その 表題 とな って い るヴ ィ レ ッ ト と. は ,彼 女 が 留学 した ブ リュ ッセルの 仮 名で ,こ の小説 は エ ジェ寄宿学校 での 経 験を もとに した もので あ る。最初 の長篇小説で ,出 版 の 引 き受 け手 の なか った F教 授』 も同 じ経験を もとに した ものだ が ,後 に 書 か_れ た Fヴ ィ レ ッ ト』 の方 が ,は るか に詩的な密度 の 濃厚 な作 にな って いて ,彼 女 の小説 の 中 8). で 芸 術的 に最 も優れて い るとす る人 も多 い∫. 『 ヴ ィ レ ッ ト』 は シ ャー ロ ッ トが 37才 にな る少 し前 に発表 されたが ,%の 少 し前 に彼女 の生涯 にお け る最 後 の 大 きな出来 事が起 こった。 それ は父 の牧 師補 の ニ コルズ が彼 女 に求婚 した こ とで あ る。彼女 は身体 はち っぽ けで ,け っ して 美貌 とは言 えず ,少 女 の 頃友 の一 人 か ら不器 量だ と云われた は どで. ,. 27)Sir James Kay_Shuttleworth at Windermere.. 28)例 えば George Eliotも 次 のよ う に 賞賛 して い る ― ing“ Villetteフ "a stin riore wonderful book than“. `...I have been read―. Jane Eyre。 "There is some―. thing allnost preternatural in its power.'(Letter to. ⅣIrs.Bray, February. 15,1853.) ι 29)Viι ι ι ,by Currer Ben,3V01s.Srrlith,Elder,London,」 `ι. anuary 1853.. 30)The Revo Arthur Bell Nicholls(1818-1906)。. 31)Charlotteの 親友 Mary Taylorが Mrs.Gaskellあ て に,Charlotteの Roe Head 時代 の 印象 を書 き送 った手紙 に次 のよ うに述 べ られてい る一― this til■. … It was about e l told her she was very uglyo SOrne years afterwards l told her I `。. thought l had been very ilnpertinent. She replied, `You did me a great deal of good,Polly,so don't repent of it.'(The Shakespeare Head]Brontё 二ψ α″′二ι ι ただ,V01。 I,p.9o。. ). ,rh`.
(17) 133. 和 知 誠之助. 自分 の容姿 にひけ 目を感 じて いたが ,そ の物 静か で 品位 の あ る人柄 は ,特 徴 の あ る目や物腰全体 に輝 き出て ,自 然 と人 々を魅 きつ けた よ うで ,そ れまで に も何度 も求婚 されて い る。 「 最初 は親友 の兄 の牧 師 「 人 の牧 師. 3≧. 2決. は父を訪 ねて来 て 暫 らく滞在 した アイル ラ ン ド. 番 目は父 の副牧 師 ,Lい った具合 だが ,ど の場合 に も彼女 の方. か ら断わ って い る。 ま た求婚 された わ けで はな いが ,出 版社 の社 主 ス ミス氏 との噂 もあ った し ,ま た 出版社 の用 事 で 牧 師館を訪 れた シェイ ムズ・ テイ ラ ー が彼 女 に並 々な らぬ 好意を寄 せ た こ と もあ ったが ,そ の 好意 も進展 せず ,彼 5ヒ. が 間 もな くイ ン ドに去 って ,そ の件 もその まま に終わ った。. の よ うに好意. を寄 せ られ て も彼女 が進んで それを 受 け よ うと しなか った の は ,彼 女 が相手 の 男を不足だ と思 ったか らで はない。彼女 は完璧 な男性 を求 めた の で は な く,む しろ欠点 はあ って も自分 と融合で きる人を求 めた ので あ る。結婚生活 は共 同作業 で あ り ,互 いに相手を知 り合 い,尊 敬 し合 い,愛 し合 うのでな け れ ばな らない と考 えたか らで あ る。 とす ると ,今 度彼女 に求婚 した ニ コル ズ はど うだ ったで あろ うか。 彼 は シ ャー ロ ッ トよ リー つ 年下 で ,ダ ブ リンの大学 を 出て いたが ,た だ生真面 目で 善. 32)Ellen Nusseyの 兄 The Revo Henry Nusseyが 1839年 3月 に求婚 した。 33)An lrish Curate,the Rev.Da宙 d. Bryce。 彼 は同年求婚 し断われ , 翌年急死 した。. 34)The Rev.William Weightman。 彼 は 1839年 に Mr.Brontё の 牧 師 補 と して. Haworthに 来 ,1842年 まで 勤 めたが , 訪 れた Ellenや. ,Anneに. 明 るい性格 でみな に好 かれ , Charlotteを. も好 かれ ,殊 に Anneは 彼 に魅 かれた らしい。彼 は1842. 年 コ レラで亡 くな った。 35)」 ameS Taylorは 1851年 4月 出版社 の用事 で Haworthに 立 ち寄 り,そ の後たびた び文通 したが ,突 然 ボ ンベ イヘ 旅 立 った。 Wo G6rinは 彼 の Charlotteに 及 ぼ した 影響 を大 き く見 ,次 のよ うに記 してい る一― `The circumstances of his loss一 the distance and danger of the voyage from lndia, and the letters for which she ′ θ waited and which came no more一 became a part of the texture of VttJι ι ,. in which the loss of one lover by shipwreck and the defection of the other,. for whose letters she waited in mental agOny when the post― supplied the emotional climaxes of the tale。. 1967, pp.507-508.). hour came,. ″ ″ Bπ ι '(Cん α″οι ,Oxford, )π.
(18) 」 34. ブロンテ姉妹の生涯 (2). 良 なだ けが取柄 とい う平凡 な 男 だ った。 彼 は1844年 か らそ の 時 まで 8年 あま リブ ロ ンテ氏の牧 師補を勤めて お り ,早 くか ら シ ャー ロ ッ トに魅 か れ て い た。 周 囲 の人で彼 のそぶ りが変 にな った のに気付 いた 人 もあ った が ,シ ャー ロ ッ トは彼を無視 し続 けて いたのに,突 然求婚 されたわ けで あ る。 彼女 は友 へ の手紙 の 中でその 時 の こ とを次のよ うに書 いて い る一 ―「 彼 の 様子 とい った ら一― あなたに見せ たか った わ一一 け っ して 私 は忘れ られませ ん 。 頭 のて っぺ んか ら足 の先 までぶ るぶ る震 え ,死 人 のよ うに蒼 ざめ ,声 低 く,熱 を こめて ,し か しや っとの こ とで ,彼 は見込みのな さそ うな愛 の告 白 をす ることが 男性 にいかに苦 しい もの かを ,私 に初 めて 感 じさせ たので す。 普段 はま るで彫 像 のよ うな人が ,震 え興奮 し,く た くた にな って い る 有 様 ∞) が ,私 を不思議 に も揺 り動か しま した ……」 まさに その通 り ,ニ コルズ の激 しい愛 の 告 白に ,36才 の シ ャー ロ ッ トの心 は揺 り動か された ので あ る。 しか しこれを 聞 いた 父 は 目を血走 らせ ,烈 火 の よ うに怒 り出 したので ,彼 女 は翌朝 ノーの答 えを した。 その 時 の 彼女 は ニ コ ルズ の愛 に心を 動か されたが ,父 の反対を押 し切 って まで 結婚 しよ う,と い う気持 にはな って い なか ったか らで あ る。 ニ コル ズ は絶 望の はてに教 会 の 勤 め も怠 りが ちにな り ,半 年 ほ ど して つ い に職を辞 して 他 の地 に移 った。 シ ャ ー ロ ッ トは ,い つ ま で も門に立 ちつ くして泣 いて い る彼を見送 った と言 われ て い る。 しか しこの 件は これ で終 わ りに はな らなか った。 ニ コル ズ はま もな く近 く に職を 求 め ,シ ャー ロ ッ トとひそか に相逢 うよ うにな った。 しか し彼女 は , ニ コル ズの あ とに来 た牧 師補が気 に入 らな いで 困 って い る父を見 て も ,ニ コ 36)`. . . his lnanner一 yOu can hardly realise― never can l forget it. Shaking from head to f∞ t,1∞ king deadly pale,speaking low, vehemently yet. Ⅵア ithr. dilnculty一he rnade ine forthe ttst tilne feel what it cost a man to declare affection where he doubts response. `The spectacle of one ordinarily sO statue‐ like,thus trembling,stirred,and. overcorle,gave me a kind of strange shock..。 .'(Letter to Ellen Nussey,. December 15,1852.).
(19) 135. 和 知 誠之助. ルズ の こ とを再び持 ち出す勇気が な く,悶 々と して 病気 にな って しま った。 その年 はこ うした状態 が続 くが ,翌 1854年 1月 ,ニ コルズ は再 び ブ ロ ンテ 氏 に シ ャー ロ ッ トとの結婚を頼 んで拒絶 され るが ,シ ャー ロ ッ トはつ いに受 ロ け入れ る決心を し ,結 婚後 も父 と同居す るとの条件を つ けて 父 に頼み ,ブ ンテ氏 もや っと承諾す ることにな る。 シ ャー ロ ッ トは ,ニ コルズが彼女を大 小説家 と してで はな く,一 人 の女 と して愛 して くれ ることに心を動か された ので あ る。 1854年 6月 29日 ハ ワースの教会 で 結婚式 を挙 げ た 二人 は ,ニ コルズ の 故郷 アイル ラ ン ドに新婚旅行 に出か けた。 この結 婚 が シャー ロ ッ トに とって幸福 で あ った か ど うか は ,我 々に はわか らな いが ,友 へ の手紙 の 中 に ,「 女が妻 37). とな ることは厳粛で不思議 で ,そ して危 険 な ことで す」 と書 いて い る。ただ 言 え ることは ,彼 女 が夫 に愛情 を こめてつ くす ことに大 きな喜 びを感 じて い 8)と 「 ぃ ぅ ことで あ り ,彼 女 は平穏 で満 ち足 りた新婚 の 日 々を送 った た ょ ぅだ よ うで あ る。 その年 の 11月. ,彼 女 は夫 と散歩 に出た時 ,誘 われ るままに少 し遠 くの滝を. 見 に行 き途 中か ら激 し く降 り出 した雨 に濡 れて風邪を 引 いた。 この 時妊娠 し て いた 彼女 はそ の まま寝 こんで しま う。 翌年 にな ると病状が悪化 し,苦 しみ が 1月 か ら 3月 まで 続 き ,つ いに 3月 31日 の夜 ,姉 や妹た ちと同 じ肺結核 の ため ,短 い けれ ど永遠 に輝か しい生涯を終 えた。 この 時彼女 は39才 の 誕生 日 を あ と 1カ 月 ほ どで迎 え ると ころで ,ニ コルズ と結婚 してか ら僅か 9カ 月経 ったばか りだ った。彼女 の父 ブ ロ ンテ氏 は ,そ の 後 6年 生 き永 らえて ,84才 で この世 を去 って い る。 37)`. . . It iS a solemn and strange and perilous thing for a woman to become a wife。. '(Letter to Ellen Nussey,August 9,1854。 ). 38)Cf.`Since l came home,I have not had an unemployed moment;my life is changed indeed,to be wanted continually,to be constantly caned fOr and occupied seems so strange:yet it is a marvellously g∞ d thinge As yet I don't quite understand how some wives grow so sel■ sh. As far as rny experi― ence of rnatrilnony gOes,Ithink it tends to draw you out of and away from yourself。 '(乃 〃。 ).
(20) Z36. ブロンテ妹姉の生涯 (2). これ ま で ブ ロ ンテ姉妹 の 生涯 の概 略を辿 って きた。 それ はた とえよ うのな いほど孤独 で悲 劇 的な生涯だが ,特 に シ ャー ロ ッ トの一 生以上 に悲 愴 で 美 し い もの はあ ま りな いので はなか ろ うか。 美 しい ,と 言 ったの は ,彼 女が生涯 の どの瞬 間 において も常 に ,心 と身体のす べ てを一つ の こ とにぶ っつ けて い るか らで あ る。 何事 によ らず 一 つ の ことに 熱 中 して い る人の 姿 ほど尊 く美 し い もの はない。 また彼女 の生 涯 の 中で 特 にあわれに思 え るの は ,善 良だが平 凡 な夫 との僅か 9カ 月 ほ どの結 婚生活 に ,彼 女が幸 せを 感 じて いたよ うに思 え ることで あ る。『 ジェイ ン・ エ ア』 を は じめ ,不 朽 の 名作を い くつ か書 き 残 した大小説 家 の,一 人 の女 と して の姿を思 うと ,人 間 の,女 の悲 しさと美 しさに感動 させ られ るので あ る。 誰 の あわれみを も寄 せ つ け よ うとせ ず ,最 後 の最後 まで 毅然 と して死 の神 を迎 えた エ ミ リに とって ,愛 とは怖 ろ しい もので あ り ,一 たびそれが妨害 さ れ ると ,何 物を も破壊せず に はおかない ものだ が ,そ れ とは違 って シ ャー ロ ッ トに とって の愛 は ,清 らか であ り ,生 きた炎 で あ り ,暖 め照 らす もので あ る。 エ ミリの見 た 愛 も ,シ ャー ロ ッ トの愛 も ,ど ち らも真実であろ う。 ただ シャー ロ ッ トの描 いた愛 は ,彼 女 がそ の一 生を通 じて探 し求 め ,し か もつ い に 得 られなか った もの か もしれな い。彼女 のその あわれ さが ,彼 女 の作 品 の 欠点 につ なが って い ることは疑 い ない。 しか し私 のよ うに ,い くつ にな って も多 くの欠点 か らのがれ られな い凡人に とって は ,シ ャー ロ ッ ト・ ブ ロ ンテ とい う人間 の あわれ さが痛 いほ ど身 に しみ る思 いがす る し,彼 女 の小説 にま す ます心動か され ず に はおれな いので あ る。.
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