• 検索結果がありません。

転換期における人間性論について ; 1 : とくにルネサンス・ヒュ-マニズムとマキャヴェリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "転換期における人間性論について ; 1 : とくにルネサンス・ヒュ-マニズムとマキャヴェリ"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)転換期 にお け る人 間性論 につ いて (I) 一 と くにル ネサ ンス. 士. ヒュー マニズム とマ キ ャヴ ェ リー. 武. 夏. 男. 西洋近代史 におけ る 3つ の高峰 と して,ル ネサ ンス (the Renaissance), 啓蒙主 義運動 (the Enlightenient),フ ラ ンス革命 (the French Rev01u‐. tion)な どがあげ られ るが,そ の最 初 の 出発点 と しての ル ネサ ンス は先 ず. ,. 文芸復興又 は学芸復興 とい う形 で 古典 古代 の文化遺産 を最 も豊 か に継承 して い たイタ リアか ら 出発 した こと につ いて は, す で に一 般 によ く 知 られ て い る。 しか しこの ル ネサ ンスが何時 ごろか らは じまったか ,ま た何時 ごろは っ き り と終 わ ったか ,ル ネサ ンス は 中世 との間 に断絶 があ ったか,そ れ とも連 続 が あ ったか,古 代 の復活 はル ネサ ンス とど う関連 して い たか な どの歴史 学 上 の問題 をめ ぐって ,い わゆ る「 ル ネサ ンス概念論争」 が ブル クハ ル ト. (J.. Burckhardt,1818∼ 97)の 傑作『 イタ リアにおけるル ネサ ンスの文化』 (Die Kultur der Renaissance in ltalien.1860)の 公刊以来 ,百 余年 の間論議 し 続 け られてき, しかも今 日も終わ って いない。 ここで改 めて,こ の論争 の経過 を追究す ることは興 味あ る問題であるが. ,. 本稿 の論 旨の上か らも,ま た紙数 の制限上 か らもここで は,ブ ル クハル トの ル ネサ ンス観を主 としてその瞥見 にとどめることとし,時 間的,場 所的 にほ ぼ14世 紀か ら16世 紀 にか けてのイタ リア・ル ネサ ンスに限定 し,と くに中世 か ら近代へ の過渡的転換期 におけるル ネサ ンス・ ヒューマズム と転換的人間. (ObergangSmensch)と しての マキ ャ ヴ ェ リ (Machiavelli,Niccolδ di Bernardo dei,1469〔 F10renz〕 ∼ 1527〔 Floreュ z〕 )と における人間および.

(2) ゴθδ. 転換期 における人間性論について (1). 人間性 の模索 について若干考究 したい。 もとより,ル ネサ ンスは極めて複雑多様 な現象で,そ れを単一 な要素又 は 傾向 において単純化 して統一的に言い表わす ことはむずか しい。 しか し強 い てそれをダ ンテ (Ao Dante,1265∼ 1321)か らマキ ャヴ ェ リ (Machiavelll, 1469∼ 1527)へ の 1線 をもって 考察す ると, その初期 のダ ンテでは中世 的宗. 教性 と近代的人間性 との交錯が認 め られ,そ の後時代 の進展 とともに,中 期 のペ トラル カ (Petrarca,Francesco,1304∼ 74)か らボッカッチオ (BOCCa‐. ccio,Giovanni,1313∼ 75)に 至 って人間的傾向が著 しくな り, 15世 紀か ら 16世 紀 にか けてその頂点 に達 し,末 期では現実主義の傾向が強まって いった。. この末期を代表 していたのが マキ ャノ ェ リで,彼 はイタ リア・ フ ィ レンツェ 芸術 のきび しい写実精神 (VeriSmus)と 一脈 相通ず る冷酷非情 なまでに厳 粛 な現実主義 (Realismus)に 徹底 していたが, なおかつ古典的理想主 義 (Klassische ldealismus)を 保持す るとい う一見 矛盾 した複雑な精神構造を 展示 していた,と み られ る。. 1. もともと,ル ネサ ンス (the Renaissance)と い う言葉 の 由来 す ると ころ. ,. またその本来 的 な 意味 につ いて 探索 して行 くと, この言葉 を最 初 「 再生」. (Renasci)と ぃ うラテ ン語 か らイタ リア語 の「 再生」 (Rinascita)に 導 き 出 したのは,イ タ リア・ ル ネサ ンス末期 の美術史家. GiOrgio,1511∼ 1574)で. G.ヴ ァザ ー リ. (Vasari,. ,彼 は この言葉 を「 美術 の再 生」 とい う意味 の もと. に美術史概念 と して使用 していた。 す なわ ち,彼 はル ネサ ンス を一 定 の時代 を画 す る歴 史 的事 象 と してみ ,と くに古代 ギ リシア・ロー マ の 「 美術再生」とい う意味 に理 解 して いた。 そ して彼 は13世 紀 イタ リアのチ マ ブー エ (Cimabue,. G10vanni,1240∼ 1302)と ジ ョッ トー (GiOtt(di BOndOne,1266∼ 1337)と に 「 古典美術 の再生」 が は じま り, ミケ ラ ンジェ ロ(Michelangelo,BuOnarrOti, 1475∼ 1564)の 時代 に至 って完成 された, とい うので あ った。 したが って. ,.

(3) 吉 武. 夏 男. ゴθ/. ル ネサ ンス とい う言葉 の源泉 はイタ リア語 の「再 生」 (Rinascita)に 基 づ き. ,. ヴ ァザ ー リが ル ネサ ンス像 の原型 を創 出 した, といい うる。 しか しそ の 後. ,. 彼 が ル ネサ ンス を理解 して いたよ うな狭 い視野 に立 つ美術史概 念 を,文 化 の あ らゆ る領域 にまた が る広範 な文化概念 にまで 拡張 し,さ らにル ネサ ンス を 歴 史概念 として総 合的 に把握 したのが,ほ か な らぬブル クハ ル トで あ ったの で あ る。 ブル クハ ル トはフ ラ ンス の歴 史家 J.ミ シュ レ (MiChelet,Jules, 1798∼ 182)の 大著 『 フランス史』 (HiStOire de France,17vols,1833∼. 67)に おける歴史学上の概念やルネサ ンスの標語 としての「世界の発見,人 間 の 発 見 」 (La d6couverte du monde,La d6couverte de L'homme)と. い. うテーゼを継承発展 させた。すなわ ち, ミシュレは『 フ ランス史』 の第 7巻 『 16世 紀 フランス史 =ル ネサ ンス』 (HiStOire de France au seiziё me siさ cle.. Renaissance)に おいて,ル ネサ ンス とい う言葉 を 「 古代学芸 の復活」 (La renovation des 6tudes de L'antiquit6)と ぃ う意味で理解 していたが,そ の序論 の第 1章 において,「 世界 の発見, 人間の発見」 をル ネサ ンス概念 の 核心 とし,そ の時人間は自己自身を発見 した, とい うのであった。 ブル クハ ル トはこの ミシュレの言葉 と基本概念 とを継承 し,ル ネサ ンス という言葉を. ,. 単 に「 古代学芸 の復活」 にとどめず,芸 術,政 治,社 会,文 化な どの領域 に 亘 っての国民生活全般 の一大革新運動を意味す るものと解 した。 とくにブル クハ ル トの ル ネサ ンス観は,「 世界 と人間の発見」 (Die Entdeckung der. Welt und des Menschen)と い う標語 の もとに,近 代世界 の成立,近 代的人 間 の 自己発見 こそ人間本来 の諸 々の力 とその可能性 とを確信 し,中 世的 な封 建主義 と普遍主義 とを打破 り,そ れか ら自己を解放 せ しめたとい う意味 をも って いた。そ して彼 は個人主 義 (Indi宙 dualismus)と 現実主義 (Realismus) とにル ネサ ンスの本質をとらえ, ここには じめて,彼 は近代個人主義お よび 近代 文化 の原型の成立をみたのであった。 このよ うに して,ブ ル クハル トは 大体,中 世人 の冥蒙 ・野蛮 と非個人性 とを軽視す るとともに,ル ネサ ンスは 非個人的な中世的世界か ら離脱 したところには じまる,と な した。すなわち. ,. ブル クハ ル トが「 中世においては,人 間は自己を, 種族,国 民,党 派,団 体,家 族.

(4) ゴθ8. 転換期における人間性論につ いて (1). と して ,あ るいはそのほ か何 らかの一般 的な範疇 と してのみ意識 して いた。イタ リア. ではじ めて,こ のヴェールが消え去った云2」 とぃぅょぅに, 彼は近代ヨーロッ パ の長子 と してのイタ リアに於 いて は じめて 醒. 3し. ,人 間 は 自己の 自律 的個性 に覚. , 自己の種 族若 しくは国家か ら独立 した個人 と して 自己固有 の価値 を も. つ存在 と して 自覚 した。 そ して それ と同時 に,個 性 的 な精神存在 と しての人 間 自 らの 自覚 は,人 間を取巻 く世界 との関係 にお いて 自己をみ ,ま た現世 の 世俗 的 な事 柄 を客観 的 に考 え, 自 ら処 理 す ることので きる 自己の能力を認識 しは じめた,と 考察 した。 その場合 ,こ の世俗 的 関心 と並 んで ,精 神的個人 (Geistiges lndi宙. duum)と. しての人 間的 自覚 が高 まり, こ う した 自覚 は現. 世随 喜 の精神 (DiesseitsfrOhe Geist)に 並 んで ,こ れ まで支配 した 中世的 精神 とは別 個 に,イ タ リア ・ル ネサ ンス にお いて は じめて成 立 した と ころの. ,. 1つ の新 しい精神生活 の原 理 とな った, と した。 しか して, この新 しい精神 原 理 とは,こ れ まで の一 切 の東縛 が完全 に断 ち切 られて ,13世 紀末以来 の イ タ リア にお こ った個人主 義 (Indi宙 dualismus)を 基調 とす るもので あ った。 この こ とについ て , ブル クハ ル トは「 この時代 は先ず第 1に , 個人主義を強力 に 発展 させる。ついでそれは個人主義を,あ らゆる段階における個性的なものの極めて 熱烈な,極 めて多面的な認識に導 く。人格の発展は自己および他人における人格の認 2). 識 に結びついている云 々」 とぃ ぅよ うに,ル ネサ ンス時代 は, これ まで の 中世 封建社会 にお け る身分 制度 ,そ れ によ る出生 とい う自発 的事実 に対 して ,人 間 の個性 的能力 を重視 し,そ の 自由な発揮 に努 め, と くにその人 格 の最高 の 段 階 に お ける人 間 の 理 想 と して,「 独特 な人 間」 (I'uomO singolare),「 無 二 の人 間」 (I'uomO unico),「 普遍 的人 間」 (I'uomO universale)の 形成 ・完 成 を 目指 し,す ぐれ た数 々の文化 的業績 を残 した。 この よ うに,ル ネサ ンス を 中世 的 な封建主 義 と普遍主 義 とに対 す る個人主 義 の勝利 と して 確信 して い た ブル クハ ル トは,人 間個性 の 自律 的発展 こそ が,真 の文化 に通 ず る唯 一 の J.Burckhardt;Die Kultur der Renaissance in ltalien,Alfred Krё ner Verlag, Leipzig,Ⅱ ,1,s.123. J.Burckhardt;a.a.0。 ,Ⅳ ,4,S.284..

(5) 吉. 武. ゴθ9. 夏 男. も ので あ る,と い う思 想 を長 く持 ち つ づ けて い った。 な お さ らに ,ブ ル クハ ル トは ル ネサ ンス と古典 古代 との 関連 につ いて ,次 の よ うに い う,「 ィタ リア人が一般 に非常 に古代 に熱 中 したのは14世 紀をもって は じまる。 しか し教養が中世の想像力の世界か ら脱 け出そうと欲 しは して も,単 なる経 験だけで直ち に 自発的,精 神的世界 の認識 に到達す ることはできなか った。それには 指導者を必要 とした。そ してあ らゆる精神領域 に亘 って豊富 な客観的 自明の真理を も って古典古代が指導者 として現 われたのである。人 々は古代か ら形式 と素材 とを,感 謝 と嘆賞 とをもって受 けとり,そ れはしば らくの間,か の教養 の主な 内容 とな った云 3). 々」 と。 か く,彼 は 14・. 5世 紀 に お いて 演 じた古 典 古代 の指 導 的役 割 を重 視. した。 しか しブル クハ ル トが ル ネサ ンス に お け る古 典 古代 の 復 興 の意 味 を 強 調 したか ら とい って ,古 代 復 興 が直 ち にル ネサ ンス を生 起 せ じめ た とは 考 え な か った。 す なわ ち, ブル クハ ル トが「 たとえ古代がな くとも,こ れまで述べて 来 たよ うな情勢 は国民を揺 り動か し,そ して これを成熟 させた ことであろ う。又次に 述べ るであろう新 しい精神的傾 向 につ いて もその大部は古代な しに十分考え うるであ 4). ろう云 々」 と述 べ るよ うに,彼 に とって ,ル ネサ ンス は単 に古典古代文化 の 復興 で なか ったのみ な らず ,イ タ リア人 自 らの新生 (Nova Vita)に 関 る間 題 で あ った。 と くにブル クハ ル トが 古典古代 を憧憬 したのは,そ こに 中世的 ―キ リス ト教世界 に 歪 曲 され ない生地 の ままの 明 るい 自然 で 真美 な古典 的人 間 と文化 とが 自由奔放 に躍動 していた とみ たか らに外 な らな い。か くして. ,. ブル クハ ル トは,ル ネサ ンス にお け る古典 古代 を重視 す るとと もに,そ れ と 対 照的 に 中世 との つな が りを軽視 したため,ル ネサ ンス は砂漠 の まん 中 に突 如 開花 した花 の よ うに,す ば ら しい孤立現象 (Isolated Phenome■ On)と し 6). て,そ の まま存 続 しつづ け,ル ネサ ンス と中世 との 間 に 1つ の 断絶 が画 され る結果 とな ったので あ る。 したが って ,ブ ル クハ ル トの ル ネサ ンス観 は,中 世 か らル ネサ ンスヘ の不 断 の推移 の歴 史過程 を軽視 し,ル ネサ ンス にお け る Burclふ ardti a.a.O., Ⅲ ,1,S.165。 Burckhardt;a.a.0。 ,Ⅲ ,1,s.161.. 3). J。. 4). J.. 5). F. Chabod; RIlachiavelli and the Renaissance, lLondon, P。. 211.

(6) ゴゴθ. 転換期 における人間性論 について (1). 個人主 義 や現実 主義 な どの 出現 の一 面 を近代性 と して強調 し過 ぎた ことは ル ネサ ンスの全 き把握 とはい い難 い ことは い うまで もな いが, これ らの 問題 ,. を 出発点 と して,ル ネサ ンス研究 が種 々の立場か ら触発 されて い ったo. 2 上述 のよ うな ブル クハル トのル ネサ ンス観 に対す る批判的研究 について 若干考察す ると,先 ず,K.ブ ール ダ ッハ (K.Burdach,1859∼ 1936)の 『 宗 ,. 教改革 0ル ネサ ンス 0人 文主義』 (RefOrmation‐ Renaissance‐ Humanismus, Berlin und Leipzig,1926)が あげ られ る。彼 はルネサ ンスの Renasci(再 生),Regeneration(復 活),Nova. Vita(新 生), RenOvatio(更 新 )な ど. の観念を,宗 教改革 の Reformatio(改 革)と ともに,中 世後期 の神秘主義 的宗教観念 として同意義 に解 し,ル ネサ ンス と宗教改革 とは少な くとも根源 6). において同一 の精神 的源泉 か ら生 じた もの,と 考 えた。 と くに彼 は ル ネサ ン スの起 源 を中世 キ リス ト教 的 な情 感 に発源す るもので あ ると し,ル ネサ ンス の「再 生」 とい う言葉 を キ リス ト教 的理想 に相応 した形 で 自己を改造 す ると い う意味 に解 した。 したが って,ブ ール ダ ッハ において は,ル ネサ ンスの成 立 はキ リス ト教 との対 立 よ りは,む しろ力 に満 ちあふれ た宗教 の復興 に 由来 した もので あ り,成 立期 にお け るル ネサ ンス はキ リス ト教 的な もので あ る. ,. とされた。 そ して彼 は宗 教 的根底 か らの人間 の再生 とい う積極 的な宗教運 動 また は神秘宗教 的な 自己更新 運 動 を,少 な くともル ネサ ンスの初期的現象 で あ る,と 指 摘 した ので あ る。か く,ブ ール ダ ッハ はル ネサ ンスの「 文芸 の再 生」 の概念 を人間 の「 内的再生 」 とい う宗教 的観念か ら導 き出 し,ル ネサ ン ス oヒ ュー マニズムが宗教 的起源 に発 し,そ の運 動を宗教 的運動 で あ った と ニ す る見解 を示唆 した。 しか しこの見解 は,ル ネサ ンス・ ヒューマ ス トの人 間主義的 で 自然 主義的,現 世 的性格 ・態度 との間 に大 きな隔 た りが潜 んで い. 6)K.Burdach;Reformation―. Renaissance― Humanismus,Berlin und Leipzig,S.31.. 7)K.Burdach;a.a.0。 ,S.83..

(7) 吉. 武 夏 男. ゴゴゴ. るので なか ろ うか ,と 考 え られ る。. なおブール ダ ッハ とほぼ同時代 に,よ く相似た例 として,H.ト ーデ (Henry. ThOde,1857∼ 1920)の『 ア ッシジのフランシス とイタ リア・ル ネサ ンスの 芸術 の発端』 (Franz von Assisi und die Anfange des Kunst der. Renaissance in ltalien,Berlin:GrOte,1885)が あげ られ る。そこで トー デも美術,さ らには文化一般 の発展が「主観的内面性」 とよばれ る非合理 的 ・神秘的宗教性 の展開 と不可分な ことを主張 していた。 しか しこの主張は. ,. ブール ダ ッハ の見解 と同 じよ うな欠落 の潜 んでいることはい うまでもない。 さらにも う 1つ 注 目すべ きものは,ブ ル クハル トのル ネサ ンス観 における 経済的要因の欠如 に対す る社会経済史的視点か らの批判である。たとえば. ,. A.マ ル ティ ン (Alfred vOn Martin,1882∼ )の『 ル ネサ ンス の社会学』 (Die SOzi010gie der Renaissance,1932, Ferdinand Enke in Stuttgart)に. お. け るル ネサ ンス の精神史 ,思 想 史 または文化史 の社会学 的考察が あげ られ る。 彼は. M.ゥ ェー バ ー (Weber,Max,1842∼ 1913)の 「 理想型 」 (Idealtypus). に 由来 す る類型 的概念 に基 づ き,常 に あ る時代 の精神が社会 によ って どのよ うに制約 されて い るか ,そ の精神 の社会的機能 は どんな ものか とい う問 い を 初期資本主義 の歴 史 に照応 させ つつ 出発 した。 そ して ル ネサ ンス の類型学 的 意義 は,ル ネサ ンスが 中世 か ら近代 へ の社会文化 的移行 の最 初 の段 階, した が って典 型 的な近代初期 の段 階を あ らわ して い る,と い う点 に あ ると して い る。その場合 ,ル ネサ ンス,と くにブル ジ ョア ジーの 中心 都市 フ ィ レンツェ の社会 的 ,経 済 的,政 治的,文 化 的支配者層 は ブル ジ ョア ジーで あ ると規 定 し,社 会 的意味 で の典型 的な もの と して ブル ジ ョア文化 の傾 向 (中 世 の封建 的文化 と現代 のプ ロ レタ リア文化 との 中間的性格 の もの), す ぐれて近代 的 傾 向が最 も鋭 くあ らわれて い ることを指摘す る。 か くして ,マ ル テ ィ ンはル ネサ ンスの社会学 的研究 によ って,最 初 の近 代文化 の典型 的 な諸事象 に着 目 し, 1回 限 りの歴 史過程 の解 明 に とどま らず ,あ らゆ る文化 の, したが って 8) Ao Martin;Die Soziologie der Renaissance,1932,Stuttgart,S.2-3.. ,. ,.

(8) 転換期 における人間性論 について (1). ゴゴ2. こと,こ れ また現在 のわれわれ文化 の理解 に とって も重要 な認識 を導 き 出す マル テ ィ ンの社 が彼 の終始変 わ らぬ一 貫 的 な導 きの星で あ った。 このよ うな に 会学 的認識 は,ル ネサ ンス時代 にお け る社会 的 ,経 済 的発展 の姿 を類型 的 ンス文化 の生 き 鮮 明 に浮 かび上 が らせ て い るが , ここで問題 な のは,ル ネサ に 生 き と した創造 的活動 の過程 を社会的,経 済 的変化 か ら類型的 ,抽 象的 説 る。 明 しつ くす ことがで きるか とい う問題 が残 されて い るよ うに考 え られ ンス観 は ハ 以上 の 2, 3の 例示 にみ られ たよ うに,ブ ル ク ル トの ル ネサ ,. そ れ ぞれの歴 史研 究 に基 づ いて ,幾 多 の修 正 を受 けつつ も,今 日もなお依 然 に と して基本的 で 古典 的な ル ネサ ンス観 と して本質 的 に生命 を維持 し,現 在 9). な お 生 き て い る。. ヨー ロ しか し ここで肝要 な のは,ル ネサ ンスの新 しい人間的 自覚 ,と くに ・復活 の ッパ 最 初 の 近 代 的人間 と して の イタ リア人 の 形成 と古典古代 再 生 の とい う媒介 によ って , 質 的 に 変化 発展 して い った 再 生 の事実 その も , 新 しい精 神的傾 向, したが って , その文化創造 力 の働 きを ,マ イネ ッケ (Fr.. Meinecke,1862-1954)の い う創造 的鏡i(SChaffender Spiegel)に よ って が 2つ の時代 の 解 明 しつ くす ことで はなか ろ うか。 その場 合 ,マ イネ ッケ 「 ぃ ぅ過 渡 的転換期 には新 相闘 う戦場 」 (ZWeier zeiten Schlachtgebiet)と して で しき生命 の成長 と相並 ん で ,古 き生命 の潜在 も計 りがた い形 同時存 在 い るとい う歴 史事実 の客観 的把握 に努 め る ことが大切だ ,と 思 われ る。. 3. の 4, ブル クハ ル トが『 イタ リアにおけ るル ネサ ンスの文化』第 3篇 中 第 6,11章 において,副 次的 に しか取 り扱 って いないとみ られ るル ネサ ンス ついて考察 ヒューマニズム (HumaniSm,Humanismus,Humanisme)に 0. 9) A.P.D'Entrevis; An lntroduction to≫ > FoChabod's `Machiaveni and the Renaissance'≪ ,OXfOrd,P.Xl. > SCha■ ender lo) :Fr.Meinecke; Persё nlichkeit und geschichtliche Welt: In》. Spiegel≪ ,Stuttgart,S.26。.

(9) 吉. ゴゴ3. 武 夏 男. す ると, この「 ヒュー マニ ズム」 とい う用語 は,ル ネサ ンス とその古 典研 究 との 関連 の もとに理解 されて きた。 そ して この「 ヒュー マニ ズ ム」 の基 礎的 概念 と しての人 間性. (Humanity,Humanitat,Humanit6)の 語源 は元来. ,. ラテ ン語 の「 フマニ タ ス」 (Humanitas)と い う語 に 由来 し,こ の語 は,た とえ ば,ロ ーマの文人 キケ ロ (Cicer。 ,Marcus Tullius,lo6∼ 43 Boc.)を 中 心 とす るグループに よ って使用 されて いた。 この ラテ ン語 の「 フマニ タ ス」 は,ロ ー マ において ギ リシア 的教養 に対 す る欲求 が広範 に あ らわれ は じめた 時代 に成 立 した。 キヶ 口が「 ゎれわれは,わ れわれの徳をローマから,教 養をギ リ シアか ら採 り入れなければならないJP」 とぃ ぅょ ぅに,こ の語 はギ リシア的人 間 の 内面的高 さか ら隔 た ること遠 い上 に,教 養 の乏 しさを認 めた ロー マ人 が ギ リシア 的人間 の うち に見 出 した高度 な教 養 の あ る人 間性 の総体 を意味 して い た。 す なわ ち, ロー マ人 が「 フマニ タ ス」 (Humanitas)と 呼 ん だ ものは. ,. ギ リシア語 のパ イデ ィアー (Paideia)│こ 近 い意味 の もので ,そ れ は高級 な 文芸 の仕込 み によ って洗 練 され た教養豊 かな人 間性 とい う意味を もって いた。 キケ ロが「 われわれはみな人間と呼ばれているが,わ れわれのうち,教 養 にふさわし い学問によって教養を身につけた人びとだけが人間なのであるJ?」. とい ぅょ ぅに. ,. 「 フマニ タス」 とい う語 とその概念 は,キ ケ ロ的意味 にお け る「極 めて教 養 あ る」 とい う意 味 で 用 い られて い た。 そ して この概念 を基 礎 と した ヒュー マ ニ ズム はすで に,そ の創始者 と して のキ ケ ロにお いて, と くに人文主義 とも い うべ き意 味を もって いた。 この点 ,ル ネサ ンス時代 の人文主義 はキケ ロ学 派 の時代 で ,キ ケ ロの研 究 と模倣 とが広 く行 なわれて いた。 その場合 , この 人文主義的教 養 は 自由 または文 芸 教育 のための 自由学科. (arteS liberales). を前提 に して文学 , 修辞学 , 歴 史学 , 法学 , 哲学 の 5学 科 を 内容 と して い た。 これ らの科 目の研究 は, ラテ ン語 と, ラテ ン語 よ り少 な いギ リシア語 の 代表 的 な古代著作 の講読 と解釈 とをふ くむ もの と解 されて いた。 しか して. 11)A.グ. ,. ゥィ ン著小林雅夫訳 『 古典 ヒューマニズムの形成一キケ ロか らクィ ンティ リアヌスまでの ローマ教育―』昭和49年 ,97頁 。 12)A.グ ゥィ ン著 小林雅夫訳 同掲書99頁 。.

(10) ゴゴイ. 転換期 における人間性論 について (1). 14世 紀 のイ タ リア ・ ヒューマ ニ ス トは, このキ ケ ロ的意味 におけ る「 フマニ タ ス」 とい う概念 を継承 し, 15世 紀前半 で は,「 フマ ニ タ ス研究」 (Studia. humanitatis)は , 明確 に限定 された 1群 の学 問分野 , す なわ ち,文 法学. ,. 修辞学 ,歴 史学 ,詩 学 ,道 徳哲学 を意味す るに至 った。 したが って ,ル ネサ ンス人文 主義 は,そ れ 自身 1つ の哲学体 系 で はな く,む しろ文化的 ,文 芸 的. ,. 教育 的運動 で あ り,本 質 的 には総体 的 に文芸 とい い うる 1群 の科 日で あ ったo ル ネサ ンス ・ ヒュー マ ニ ス トは それ に特別 の 関心 を示 し, この研究分野 を強 調 し発展 させ た。 この意 味 の フマニ タス研究 は,16世 紀 お よび それ以後 の学 校組織 にも影響を与 え,そ の影響 は今 日も依然 と して人文学 または人文科学. (the Humanities)と い う表現 に見 出 され る。 この よ うに して ,中 世 キ リス ト教 の取 り扱 う神 ・神性 ・神学 につ いての知 識 内容を意味す る 「 Divinitas」. に代わ るべ き新 しい名称 の学 問領域 ,す な. わ ち,人 間 の 自然 的現実 か ら向上 して,人 間 を高 尚 にす る研究 ,或 は人間 に ふ さゎ しい研究 と して の「 フマ ニ タ ス研究」 が重 視 され た。 そ して古典 学者 と して のル ネサ ンス ・ ヒュー マ ニ ス トは,ギ リシア, と くに ラテ ンの 古典 を ・ル ネサ ンスの 深 くまた広 く研究 し,そ の 向上 に貢献 した。 ここにイタ リア 人 文 主義的 ヒュー マ ニ ズム は発源 して い るが,そ こに もっと人 間的な学 問 と 呼 ばれ て い る人文学 (the Humanities)と い う学 問 の復興 ,ま たそれ によ る ヒュー マニズ ムの王 国 の実現 が意 図 されて いた。 この ことにつ いて,ブ ル クハ ル トは「 ここで何よりも先ず, 力強い14世 紀 の文化そのものが, 必然的に人文 主義の完全な勝利 に向かって押 し進んだ こと,イ タ リアの偉大な人 々がかえって,15 14). 世紀 のとめどない古代への衝動 に門戸を開いたことなど」を確認 して い る。 もちろ ん ,ル ネサ ンスにおけ る古典 の復興 とその研究 の昂揚 とは,古 典研究 を通 し て 古代 に学 び,古 代人 の よ うに考 え,感 じ,書 くとい う ことだ けで な く,ブ ル クハ ル トのい う「 人間 の発見」 と結 びつ いて 1つ で あ った。 す なわ ち,古 代 の 古典 は,キ リス ト教以前 の人間 と 自然 とにつ いて の真実 の記録 と して,. 13)P.0.ク. リステ ラー著. 渡辺守道訳「 ル ネサ ンスの思想』1977年 ,11頁 。. 14)J.BurCkhardt;a.ao O。 ,Ⅲ ,4,S,187..

(11) 吉. ゴゴ5. 武 夏 男. 歪 め られ ない純粋 な人 間性 や 自然 の本然 の姿 に帰 え る道で あ り,そ の よ うな 「 フマニ タ ス研究」 は同時 に,人 間 の発見 , 自覚 お よび個性 の 自律 ,そ して 人 間的 な人間形成 に通ず る唯一 の道 で あ る, とされ た。 か くして ,イ タ リア ・ル ネサ ンス の ヒュー マニ ス トは,「 フマニ タ ス研究」 を通 じて 人格 と して の人 間お よびその個性 ,ま た人 間品位 に対 して基本的関心 を示 し,人 間精神 の形成 と強化お よび個人 と して の人 間 の確立 に大 いに貢献 し, 1つ の偉 大 な 業績 を もた らしたので あ る。. 4 次 に,上 に指摘 したイタ リアの人文主義的 ヒュー マニ ズムの雰 囲気 のなか で成 長 した マ キ ャヴ ェ リは,内 外 の情勢 の変 化 とともに,如 何 に人間 の生 き 方 を模 索 して い ったか,若 千究 明 して行 きたい。 彼 は1469年 5月 3日. ,フ ィ レンッェの あ ま り豊 かで ない貴族 の 出で ,法 律家 の父 を もつ 家 に生れ た。 彼. の若年 時代 は,盛 期 ル ネサ ンス の人文主義的 ヒュー マニ ズムの盛ん な時期 で. ,. 若 い頃 か らラテ ン語 を学んで い たが,ギ リシア語 は読 めず ,当 時 の ヒュー マ ニ ス トと して の十分 な条件 を具 え るにいた らなか った。 しか し は早 彼 くか ら 人 文主義的雰 囲気 の 中で,古 代 ローマの歴史家 リウ ィウス (Li宙 us,Titus, 59 Be C。. ∼ A.D.17)や ポ リュ ビオ ス (PolybiOs,205∼ 123 BoC。. )ら を親 し. く自分 の 関心 の 的 と し は じめて い た。 この マ キ ャヴ ェ リの 若年 ・青年時代 当時 のイ タ リアの政治 ,社 会 的背景 をみ ると,15世 紀後半 の イタ リアは国民 的独立 を享有 し, 相 互 に分 を守 って い た所 の, ナポ リ王 , 教会 国家 , ミラ ノ公 , ヴ ェネ ツ ィア 共和 国, フ ィ レンッェ共和 国 の 5ケ 国体系 の勢力均 衡. (Equilibrium)と , フ ィ レンツェの ロ レンッ ォ ・ デ・ メデ ィチ (Lorenz0 de Medici,1449∼ 92)の 力量 とによ って平和 を享愛 して い た1 ところが,1492年,ロ レンッ ォ・ デ ・ メデ ィチの病没 は,諸 国家間 の勢力 均衡 の保障 の糸 を断 ち切 ったため,イ タ リアは内憂 外 患 に襲 われ るにいた っ 15)J.R.Hale;h/1achiavelh and Renaissance ltaly,P。. 14。.

(12) ゴゴδ. 転換llllに おける人間性論 について (1). た。 ことに1494年 ,フ ラ ンス王 チ ャール ズ 8世 (Charies VIH,在 位 ,1470 ∼ 98)の イタ リア遠征以来 の情勢 は,フ ラ ンス,ス ペ イ ンな どの諸列強 の圧 倒的圧 力 によ って禅沌 た る混乱 と難渋 を極 め,政 治的 には無政府状態 に近 い つ 状 況 に陥 り,文 化的 には ル ネ サ ンス はイタ リアを去 って,西 欧諸 国 に う り は じめ るとともに,人 文 主義的 ヒューマ ニ ズム も没落期 に入 るよ うにな って い った。時恰 も,地 理上 の発見以来 の世界情況 は, ヨー ロ ッパ の歴 史的,社 へ で 会 的 ,経 済的生活 の 中心 が地 中海岸 か ら大西 洋岸 と移動 した一大変革期 あ り,ル ネサ ンスの故郷 イタ リアか ら西 欧諸 国へ とめ ま ぐる しい重心 の転変 が行 なわれ,イ タ リア諸都市 の地 中海 ・東邦貿易 による経済活動 も西 欧諸 国 との競争 にお いて , その圏外 に 押 し出され ると い う情況下 にあ った。 また 当時 イタ リア国 内 の社会 的現実 は一般 に腐敗 碩廃 が甚 しく,道 徳 的感覚 が麻 痺 して いたため,法 外 に公徳心 (PubliC Sprit)を 喪失 して いた。 このよ う な歴 史的状況 の もとで ,こ れ まで の宗教 的秩序 は崩壊 し,ル ネサ ンスにお け る人 間能力 に対 す る信頼 や人文主義的 な古典 的調和 と 自由秩序 の世界 は褪 色 す るとともに,イ タ リア ・ ル ネ サ ンス運動 の傾 向 は文芸 的天才 よ りも,現 実 ヒ ーマ 政治 の力量 。才腕 に人 間的価値 を求 め るよ うにな った。 この政治的 ュ ニ ズム ともい うべ き傾 向を代表 して いたのが マ キ ャヴ ェ リで ,彼 は現実 の人 間 と政治 の と らえか たの探求 において, これ まで のキ リス ト教 的お よび人文 主義的方法 の伝統 を継承 して いたにかかわ らず ,そ れ らに と らわれ ることな く, 新 たな批判 的方法 と して 現実 主義的思考 の方法. (Realistic Mode of. Thought:Realistische Denkweise)に よ って ,苛 酷 な まで深 くかつ鋭 く この と らえ 人 間 と政治 の現実性 (Reality:Realitat)を と らえ よ うと した。 て かたは, ことに1512年 ,メ デ ィチ家復帰 によ るフ ィ レンッ ェの政変 によ っ. ,. 彼 が不運 にもそれ まで の14年 間 (1498∼ 1512)に 亘 る共和政府書 記 官兼 外交 と闘 官 の地位 を解 任 されて以来 ,フ ィ レンツ ェ郊外 で 自 らの不運 お よび失意 う惨 めな浪人生活 中,不 断 の読書 と思 索 とを 集 中 して述 作 した諸作品 のなか 16) Co NI・ Ady;Lorenzo dei NIedici and Renaissance ltaly,P。. 138..

(13) 吉 武 夏 男. ゴゴ /. で展開された。すなわち, そのうち, 2つ の主著『君主論』(II Principe: The Prince,1512∼ 13)と , Fテ ィ トウ・ リウィウス初篇10巻 論議』(『 ロー マ史論』)Discorsi sopra la prima deca di TitO Livio:The discOurses On the■ rst decade of Titus Li宙 us,1513∼ 17), そして最後の大作『 フ. ィレンッェ史』(IStOric FiOrentine,8 volS,152o∼ 25)な どにおいて, たと えば,F君 主論』 第 7章 において, 典型的なルネサンスの僣主とされるチェ ーザ レ 0ボ ル ジ ァ (CeSare BOrgia,1475∼. 1507)の よ うなル ネサ ンス的人. 間 (Renaissancemensch)を 代表 し, 後世 マ キ ャヴ ェ リ的人 間 と称 せ られ 17). る 1つ の人間像 を浮 き彫 りに した。 と くに この よ うな人 間像 は,ル ネ サ ンス 末期 にお け る数 多 くの専制君主 や僣主 ,廷 臣達 或 は傭 兵 隊長 な どに認 め られ 彼等 は善悪 に拘 わ るところな く人 間活力. ,. (Virtt)を 徹底 的 に発揮 した。 マ. キ ャヴ ェ リは このよ うな 自由奔放 な人 間像 に興 味 と関心 とを注 ぐとともに. ,. 期待 も して いた。 この ことにつ いて , ブル クハ ル トは,『 イタ リアにお け る ル ネサ ンスの文化』 において , イタ リア ・ ル ネサ ンス にお け る 精神的個人. (Geistiges lndividuum)と い う古典的人間像 とともに,マ キ ャヴ ェ リ的人 間像 を力説 した ので あ る。 か くみ ると,マ キ ャヴ ェ リの人 間 と政治の と らえ かたは,主 体 的 には ル ネサ ンス末期 の イ タ リアの政治的,社 会 的現実態 に対 す る彼 自身 の経験 と観察 とに深 く由来 した もので あ り,客 観的 には古代 ロー マ の歴 史家 リウィウ スや ポ リュ ビオ ス,古 典学者 のキ ケ ロな どの示 唆 に負 う ところが少 な くな い。 ただ重要 な点 と して,そ れ は現 にあ るが ままな人 間的 諸事物 に対す る積極 的 な関心 と興 味 とによ るところが大 きか った,と いえ る。 ここにお いて ,マ キ ャヴ ェ リは先 ず ,旧 来 の キ リス ト教批判 の 中で ,表 明 されて い るよ うに,中 世的 キ リス ト教 が極 めて一面 的 に精神主義化 し,人 間 の感覚 的一 自然 的衝動 (Sinnlich― nattrlicher Trieb)を 価値 な きもの と し て蔑視 していたので あ るが,マ キ ャヴ ェ リは この キ リス ト教倫 理 か ら全 く自 17) K.Burdach;ReformatiOn― Renaissance― Humanismus,S,90. 18)J.BurCkhardt;ae a.0。 ,Ⅱ ,1,S.194。 19)MaChiavelli;Discorsi,I,11,12..

(14) ゴゴ8. 転換期における人間性論について (1). 由に,生 の ままな人間 自然 の力 の肯定を前提 として, 自然的人間の感覚的一 20). 精神的 な全体力 を再 び正 当な もの と して認 め よ うと した。 そ して彼 はキ リス ト教 的 な考 え方 か ら離 れ て,ル ネサ ンスの現世 的,異 教 的世界観 の立 場 か ら 古代 ローマ の生活諸 理想 , と くに人 間活力 (Virtt)の 思想 を理想 と して. ,. 祖 国 イタ リアの政治的,社 会 的再生 のため,人 間活力 のみ ちた共和 国 (Virtt‐. Republik)を 浪 漫的 に憧憬 して いた。 なお さ らに また,マ キ ャヴ ェ リはル ネサ ンス・ ヒュー マニ ズムの流れ の上 に立 ちなが らも, 数多 くの ヒュー マニス ト達 のよ うに,「 フマ ニ タス研究」 に熱意 を感 じ,古 典 的文芸 を感謝 と嘆賞 とを も って受 け と り,美 的人文 的教 養 の 向上 ・充実 に努 めたよ うな彼 らの生活感情乃 至生活態度 に余 り気 を留 め なか った。む しろ マ キ ャヴ ェ リが古代 ロー マ を讃美 したのは, ヒュー マニ ス ト達 にお け るよ うに,血 の気 のない修辞 学 的教師的感激 を伴 うた単 な る学 問 的, 文学 的復活. (b10SS gelehrte und literaische Auferstehung mit. blutloser rhetorisher Schulmeisterbegeisterung)の ゆ ゑで はなか った。 それ ど ころか ,マ キ ャヴ ェ リの主 な関心事 は,彼 に とって絶望 的 にみえ た 当 時 イタ リア の没落 に瀕 した 自国民族 の政治的再生 や衰退 した公 共組識 の再 生. ,. そ して イタ リア の 自由 と独立 ,祖 国 の救済 (SalvatiOn of his fatherland) とい う愛 国的 な理念 で あ り,そ の再 生 の理 念 の成 立根拠 を古代 の 自由共和政 の ローマに求 めた。 この点 ,マ キ ャヴ ェ リはなお ル ネサ ンスの 古典主義 を脱 脚 す るに いた らなか った,と いい うる。 しか しこの イタ リアの政 治的,社 会 的再生 のため,彼 が人間活力 (Virtt)を 讃美 し,そ の徹底 的 な発揮 を熱望 す る余 り,そ の余 りにも強 い能動的実践性 のゆ え に,か え って人 間性 の擁護 に背反 し,ア ンテ ィ・ ヒュー マ ニ チ ックな相貌 を呈 す るに いた った こ とは否 ニ めな い。 しか しそ の反面 ,そ のよ うな相貌 によ って,か え って ヒューマ ズ ムが もつ 自然 で生 な人間的側面 がな まな ま しく,虚 飾 な く赤裸 々に描 き出 さ 20) Fr.Meinecke;Die ldee der Staatsrason in der neueren Geschichte(Friedrich h/1einecke Werke・ Band I),S.36. 21)Leo Strauss;Introduction to≫ `ThOughts on Machiavelll'≪ ,P。. 10。.

(15) 吉 武 夏 男. L". れ ることともな り,こ の意 味 で,マ キ ャヴ ェ リはル ネサ ンス末期 の ヒュー マ ニ ズムを最 もよ く代表 して い た特異 な精神史的立 場 に立 つ ヒュー マ ニ ス トで あ った,と いい うるよ うに思 う。. 5 上 に述 べ たよ うに,マ キ ャヴ ェ リは政治的 に失脚 して以 来 ,惨 たん た る浪 々 の生活を強 い られ なが ら述作 した諸作品 の随所 において, 自 らの運命 に挑戦 す る闘魂 を閃 かせて い た。 この個人 的動機 の上 に,イ タ リアの 自由 と独立 と に対 す る彼 の現実 的関心 が加 わ って ,マ キ ャヴ ェ リは人 間 の運命 (FOrtuna) と人 間活力 (Virtt)と のたた か いの理 説 を構成 したので あ る。 この理 説 こ そが マ キ ャヴ ェ リの教説 の基盤 を形成 して い た,と いい ぅるよ うに思 う。 そ こで,す で に指摘 したよ うに,こ れ までの一 切 の東縛 が 断 ち切 られ たあ との混乱 と 不安 のなかで 個人主義が発展 しなが らも, なお近 代社会 お よび 近 代 国家 の仕組 みが は っき りと構築 され るまで にいた って い ない とい う歴史 的状況 の もとで, 神 か ら遠去 りつつ あ った 人 間 はただ 自己 自身 と, 自然 が 彼 に賦与 した個 性 的諸力 とをのみ頼 りに しつ'づ け,そ れ によ って この 自然 の あ らゆ る運 命 の力 と闘 うとい う状況 の もとにおかれて い た。 マ キ ャヴ ェ リは 数多 くのル ネサ ンス人 とひ と しく, ヒュー マニ ズ ムの立 場 か ら人 間 の力 の偉 大 な ことを確信 し,あ る程度 まで人 間 は運 命 と闘 い,そ れを克服 して進 む こ とが 出来 ると主 張 していた。 ル ネサ ンス末期 の不 安 な時代 を 背景 と して い た マ キ ャヴ ェ リは, 人 間 と運 命 との 関係 にお いて, 人 間 は人 間活力 (Virtt) によ って運 命 (FOrtuna)に 対抗 し得 ると した。 こ とに,マ キ ャヴ ェ リは 自 らの ロー マ史研究 の労作「 リウ ィウス論」 の 中 で, ローマの 強大 さの真 因を 運 命 にではな く,人 間活力 の うち に認 め,恰 も左様 に,祖 国 イタ リアにお け る人 間活力 の復活 ・創造 お よび展 開を 自己の政治的理想 と し,そ れを もって イタ リアの政治的,社 会 的再生 に資 したい と念願 して い た,と み られ る。 こ の よ うな問題状況 の もとで,マ キ ャヴ ェ リは先 ず , 自 らの諸作品 の 中 で,運.

(16) 転換期 における人間性論 について (1). ゴ2θ. 命 を人格化 し,そ れ は移 り気 で 陰険,計 り難 い生命 の要素 を もった像 と して の みな らず ,人 間的感情 と属性 とを具 えた存在 と して表 現 して いた。 マ キ ャ 間の心を盲にするのは, 自分の書 ヴ ェ リは『 リウ ィ ウ ス論』 の 中 で,「 運命がメ、 いた筋書 に外れた ことをさせたくないと思 うときである云 々」 と述 べ ,彼 は運 命 は 一種 の魔 神的な力 を有 す るとな し,人 間 は運 命 の波 に乗 るは易 くとも, これ に逆 らうは難 い,こ とを述 べ なが らも,人 間 は希望 を もち,そ の身 の上 が ど ん な であ ろ うと,ふ りかか る災 いに苦 しめ られ よ うとも,断 じてわが 身を見 限 って はな らぬ もので あ ることを力説 しよ うと した。 ところが,『 君主論』 で は,マ キ ャヴ ェ リは 人 間 の行為 に対 す る 支配権 を. >FOrtuna足. と. >. Virぬ ≪ とに分 けて考察 し,次 のよ うにい う,「 私として気のつかないでもない ことながら,多 くの場合,世 の中の物事が運命と神とに支配されていて,人 間はその 先見の明をもって してもこれを思 い通 りすることも出来ず,む しろどんな対策も講 じ られないよ うに決め られているものだ,と 昔も今も同じよ うにそ う考えている。そこ でかような ことにひどく心を悩まさず,万 事をあげて偶然の左右するに委せてお くの が当然だとい うことにな って くる。 こうした考えがとりわけ当今の時世 に一段と深 く 信 じられているのも,ひ との思いもつかないようなはげしい有為転変の姿を,今 まで にまた, これか ら後も日毎に見せつけられるか らである。 これに考え及ぼす毎に,私 23). も幾分か そのひとたちの意見に傾 くのである云 々」 と。 か く,マ キ ャノ ェ リは人 間 の Virtこ. の 偉 大 な こ とを一 面 認 め なが ら,そ. れ が全 然運 命 に 打 克 つ も の とは 考 え ず ,時 折 り暗 い 気 分 に 陥 った ので あ る。 そ して マ キ ャヴ ェ リは「 そうはいうものの,も とよりわれわれの 自由意志 はな くな っていないのだか ら,運 命 も私 たちの所業の半 ばまで は これを左右 しようが,残 りの 半 ば或 はそれよりも少な い部分を私 たちの支配 に任せているとい うのが真実 でなけれ ばな らない云. と述 べ , 彼 は ,. Fortunaは. わ れ わ れ の 行 動 の半 分 を 支 配 す. るに過 ぎな いの "」 で ,他 の 半 分 或 は それ よ りほん の 僅 か少 な いだ け の もの を. Fortunaは. ,. わ れ わ れ の 手 に 任 せ た の で あ る, と した。 そ こで ,マ キ ャヴ ェ. 22)Machiavelh;Discorsi,Ⅱ ,29. 23) Machiavelli;Principe,Kap.25。. 24)Machiavelli;a.a.0。 ,Kape 25..

(17) 吉. 武. 夏. 男. ゴ2ゴ. りは運 命 の女神を次 の よ うな破壊 的 な河 川 の 1つ にた とえ て ,上 述 の箇 所 に お いて 次 のよ うな方策 を打 ち出 した。す なわ ち,「 それが堤を切 って流れると きにはあらゆる人はその猛威に屈服 し, どんな ことをして もこれを防 ぎ止めることは 出来ない。ところが,穏 やかな 日和に人間が土手や堰を築いて備えを固め,後 に水嵩 を増 しても,或 はじ河 によって水を導いたりして,危 害を与えないようにすることが 出来ない こともない云 々」と。 か くして ,マ キ ャヴ ェ リは,運 命 が思 う存分勢 威 を振 る うの は人間 の 押 え るか とい う. Virttが 欠 けて い るためだ と し,い か に運命 を取 り. Virttの 課 題性 格 を明 らか に しよ うと した ので あ る。 そ こ. で ,彼 は,運 命 の神 は女神で あ るか ら,運 命 は人間 によ って完全 に征服 されな くとも,懐 柔 され得 る神で あ る, と考 えた。 そ して彼 は,上 述 の箇所 で引 き続 る き次 の よ うにい う,「 女人は冷静な男子よりも,む しろ冒険的な熱烈な愛を有す 男子 に好意をもつ ものであるが,運 命もまた然りで ある云 々」 と。か く,マ キ ャヴ ェ リが ,運 命 を もって 冒険的 な人間性 を慕 い好 む もので あ るとせず にお られ なか った究極 の立 場 は,彼 の時代 の端侃す べ か らざる冒険 的性格 と,彼 自身 の能動的 ,意 志 的な人 間性 を物語 るもの とみ る ことがで きる。 これ まで も し ば しば指摘 した よ うに,マ キ ャヴ ェ リによれ ば,弱 気 な人間 は運命 に支配 さ れ るか ら,運 命 を征 服す るため には人間 の強気 が肝要 で あ り,そ の強気 な人 間 の 向 か うみず は最高 の聰 明 さと合理 的計算性 とに組 み合わ されて いな けれ ばな らな い もので あ った。 とい うの は,ど んな運命 の状態 も,そ れ に適応 し マ た特殊 な方法 や 人間 の変 通 自在 な性 格 を要求 す るか らで あ った。 こ う した キ ャヴ ェ リの 着想 と洞 察 とには,運 命 に対す る人間 の力 の闘争 があ くまで一 貫 した原理 と して強調 され てお り,マ キ ャノ ェ リを して ます ます力強 く運 命 を統御す る志を深 く懐 かせ るに いた った ので あ る。 次 に,マ キ ャヴ ェ リにお け る運命 (Fortuna)に 対す る人間活力 (Virtt) につ いて の思 想 を考究 して行 くと,彼 のい う Virtt は彼独 自の最高 の人生 諸価値 の集 中的表現 で あ ったが,彼 はそれ に広範 な倫 理 的諸特性 を付与 して. いる。たとえば,マ キャヴェ リは『 君主論』 の中で 「同郷の市民たちを虐殺 し たり,味 方を裏切ったり,信 義もなく,慈 悲心も宗教心もないことを Virttと 呼ぶ.

(18) ゴ22. 転換期における人 間性論について (1). ことはできない云 々」 と述 べ るよ うに ,彼 は Virtt の徳 目と して慈悲 深 い と か,律 気 だ とか,人 情 味 に富 んでい るとか,真 心 があ るとか ,信 心深 い とか 等 々の 5つ の美徳 をかか げたが,な かで も,最 後 の美徳 で あ る宗教的信仰 の 欠 くべ か らざることにつ いて,痛 切 な見 解 を吐 露 して いた。 この Virtこ つ いて,イ ギ リスの歴史家 バ ー ド. に. (L.A.Burd)は ,マ キ ャヴ ェ リの Virut. は 自由 (Liberty),勇 気 (Courage),愛 想 (A∬ ability),純 情 (Purity),善 良 な性 質 (G00d― nature),真 摯 (Earnestness),真 心 (Truthfulness),狡 猾 で ない こ と (Guilelessness),信 心 深 い こ と (DevOutness)等 々の美徳 を 合 ん だ点 において極 めて人 間的,道 徳 的性質 を具 えた もの と して い る。 したが って, これ らの諸点 を考 え合わ せ ると,マ キ ャヴ ェ リは 自 らの Virtと. の思. 想 の 中へ , あえて道 徳 的 に悪 い 行 動方法の諸特質 を 直接 と りいれ るよ うな こ とを全 く考 えていなか った, とみ られ る。 しか し一 面 , マ イネ ッケが 指 摘す るよ うに,マ キ ャヴ ェ リの Virtt は根源 的 に 1つ の 自然 的―動的概念 (Naturhafte― dynamischer Begri∬ )で ,あ る程 度 野性 (Wildheit:ferocia). を も好 んで包括 して いた ことは否定 で きないが,純 ル ネサ ンス的 に考 え られ て い るもので あ った。す なわ ち,マ キ ャヴ ェ リの Virtと は調整 され ない 自然 力 (Naturkraft)に とどまるべ き性 質 の もので な く,秩 序 づ け られた Virtt. (Virti ordinata),つ ま り,合 理 的か つ合 目的的 に指導 され た支配者 の力 と 市民 の徳性 (Herrscherkraft u.Burgertugend)に まで高 め られ るべ きもの で あ った。 その場合 ,そ の根源 的 な Virtと はす ぐれた偉人 や市 民 の具備 し た Virttで ,そ の創造 力 によ って人 間 の平均水準 (Durchschnittsniveau) を高 め るものだ,と され,と くに マ キ ャヴ ェ リの Virttは 力 ・力量 ,な か で も力量を発 揮 して成 功 を収 め るとい う こ とを も包括 して いた。 同時 に また マ キ ャヴ ェ リは,た とえば,そ のよ うに行動 したアガ トク レス (Agathokles, 25) Machiaveni;Principe,Kap.8。. 26) L.A.Burd;Cambridge MOdern History,vol.. I. Machiaveni, P。 209.. 27) Fr.Meinecke; lDie ldee der Staatsrason in der. neueren Geschichte(Friedrich. Meinecke Werke・ Band I),S. 41..

(19) ゴ23. 吉 武 夏 男. Bo C.361∼ 289)の うち に, 真 の Virttお よび魂 の偉大 さ,す なわ ち,す ぐれ た支配者 の諸徳性 を認 め,成 功 を収 めた僣 主 の典 型 と した。 さ らに,マ キ ャヴ ェ リはチ ェーザ レ 0ボ ル ジア (CeSare BOrgia,1475∼ 1507)に つ い て『 君 主論 』 の 中 で,彼 のす ぐれた Virtこ. のおか げ で権 力 の座 に昇 った君. 主 と して叙述 し,そ こで,マ キ ャヴ ェ リは力量を発揮 し成 功 を収 めた ところ の,ボ ル ジアの Virtと. を十分高 く評価す るのであ った。. か くみ ると,マ キ ャヴ ェ リの Virtt の倫 理 的領域 は, 1個 の,そ れ 自身 独立 した世界 で あ り,一 般 の道 徳 的領域 と並 存 して は いたが,彼 に とって は. ,. それ は人 間的創造 の最高 の課 題 た る政治生活 (ViVere p01itico)の 生 の源泉 で あ ったか ら,一 段 と高 次 な世界 にほか な らな い,と 考 え られ て いた。 それ ゆ え に こそ,Virtと はその 目的を達成す るため には,普 通 の道徳 的世界 に干 渉 し侵害 す ることを も許容 され る ことがで きた のであ った。 その場合 , こ う した侵害 や違犯 (Obergrige u.む berschreitung)は. ,マ キ ャヴ ェ リの判 断 に. よれ ば,ど こまで も非 道徳 的 な ものであ り,ま た決 して それ 自身 では Virtt とはな らなか った。 したが って,マ キ ャヴ ェ リの思 想世界 にお け る最 もはげ しい分裂性 が,新 たに彼 が発見 した ところの Virtと お よび Virttに よ って 。 生気 を与 え られ た国 家 の倫 理 領域 と旧来 か らの 古 い宗教 道徳領域 との間 に 生 じて きた。 その場合 ,マ キ ャヴ ェ リは社会 ・ 国家 の基底 と して の宗教 ・道 徳 お よび法 の普 遍的妥 当性 を無条件 的 に固持 しつつ も, これ まで 久 しい 間. ,. 中世 の社会 ・ 国家を専 ら圧倒的 に支配 して いた ところの,上 の 3個 の客観 的 勢 力 は,中 世社会 の崩壊 とともに,す で に最早今 日の人 間生活 に通用 しな い ことを認 識 して いた。 と くに政治的現実 主義 の立 場 か ら,彼 は政治的な力 を 宗教 ,道 徳 ,法 に優越 させ ,国 家 の政治的現実 行動 において ,高 度 な合 目的 性 と合 理性 とを 冷厳苛酷 に要 求す る ことによ って ,上 述 の 3個 の力 に対 して 重大 な脅威 を与 えた。 もちろん ,マ キ ャヴ ェ リは,当 時生成 しつつ あ った近 代 国家 にお け る内面 的 な不信仰 や不道徳性 な どの腐蝕 的 な内的矛盾 を,最 も 深刻 にか つ 悲痛 の情 を もって 感 じとって いた。 これを歴 史的 にみ ると,マ キ.

(20) ゴ2イ. 転換期 にお ける人間性論につ いて (1). ャヴ ェ リは中世 にお け るあ らゆ る非 政治的 障碍 か ら政治領域 を解放 す ると共 に,完 全 な世 俗 的, 自律 的権力 と しての理 念 を意 識 的 に把握 した最 初 の思 想 家 の 1人 とな った とい う ことがで きるで あろ う。 ことに,マ キ ャヴ ェ リは現 世 随喜 の精神 が 横溢 したル ネサ ンス時代 において,中 世 的― キ リス ト教 的 生 活諸理 想 の道徳的 ,宗 教的統 一 帯 が分裂 した とき,新 たな政治 的現実主義 と 理想主 義 との極 めて矛盾撞着 した思想 精神を もって ,当 時 の イタ リア の現実 的地盤 か ら国家理性 (StaatSrason,Raison d'Etat,Reason of the state) に つ いての デ モー ニ ッシュな思想 を告 知 した最 初 の思 想家 で あ った, といい うるで あ ろ う。 この点 において,彼 は ル ネサ ンスか ら出て,そ の限界 を こえ. ,. ル ネサ ンスを近代 的方 向へ 押 し進 め るとい う,過 渡 的転換期 の思 想 を展 開 し て いた, とい う ことがで きよ う。. 6 上 に指摘 したよ うに, マ キ ャノ ェ リ にお け る人間活力. (Virtふ. )は 運命. (Fortuna)を 克 服 して邁進す る気概 に満 ち,そ れ に打 ち勝 つ 使命を もって い たのに対 して,運 命 は移 り気 で 陰気 ,一 種 の魔 神的 な力 を もって いた。 それ ゆえ,Virttは 運 命 を支配 す るため には,あ らゆ る手段 ・方策 を講ず るに十 分 な内面 的権利 を もつ とい うのが マ キ ャヴ ェ リの意見 であ った。 それ によれ ば, マ キ ャヴ ェ リが「盛運に恵まれるものは,よ く己れの行いを時勢に適応させ. ,. 29). 常に自然の勢 いの赴 くままに事を行なうひとたちである云 々」とい うよ うに,政 治 的支配者 は運 命 の動 きを よ く洞察 して , これ に対抗 す るため に手段 を 瞬 間 の 要求 にたえず適応 させ ,政 策 も し くは原則 をそ の時 その時 の要 求 に応 じて 今 まで とは逆 の手 を も打 ち うる力量 を もつべ きだ ,と い うのであ った。 したが って ,マ キ ャヴ ェ リの理 説 は前景 にお いて は,二 元論 (Dualismus)の よ う にみえ るが, その 背景 と 本質 的核 心 において は, 一 切 の生 命諸力 を 自然力. (Naturkraft)た らしめ よ うとす る素朴 な一元論 (Monismus)に 発源 して.

(21) 吉. ゴ25. 武 夏 男. いた, とみ られ る。 そ こで,マ キ ャヴ ェ リにお け る運 命 に対す る人間の力 の闘争 につ いての理 説 と関連 して ,彼 の人 間 と政治 の と らえ方 につ いて考究 して い くと,元 来平 民派 に属 して いた マ キ ャヴ ェ リは,F君 主論 』 や『 リウ ィウ ス論』 において. ,. 政治 の社会的基盤 を一般人民 に置 き,政 治的支配者 た るものは人民を尊 重 し なけれ ばな らな い とい う人民尊重論 を主張 して いた。 そ して彼 は治め るもの と治め られ るもの との間 の 国家統治体 系 において ,政 治的支配者 は中世 的宗 教 ・道徳 ・法 に依拠 す ることな く,一 般人民 に 目を 向け,そ れを基礎 と しな けれ ばな らぬ と主張 した ことは,ま さに近代史的意義 を もった もの とい う こ とがで きよ う。 だが,そ の 際 ,重 要 な ことは,マ キ ャヴ ェ リが一般人民 を構 成 して い る人間 の 自然的本性 を, ど うと らえ て いたか とい う ことであ る。 そ の人 間性論 の第 1の 特色 は,人 間 自然 の本質 を 際限 のない欲望 の体系 と して と らえ て い ることで ,た とえば,マ キ ャヴ ェ リが『 リウ ィウ ス論』 の 中 で. ,. 32). 「人間はつぎか らつぎへ と野望を追求 してやまないものである云 々」とい うよ うに. ,. 人間 は限 りのない欲望 を原動力 と して野心 や貧欲 を実現 しよ うとす る存在 で あ る,と みて いた。 なお また彼 は人 間 の現実 の一 面 を醜悪 な世界 と して鋭 く 快 出 した。 つ ま り, マ キ ャヴ ェ リにお け る現実 的人間 とは, 野心. (Ambi‐. tiOn),貪 欲 (Avarice),私 欲 (SeliSh desire),利 己性 (Egoism),忘 恩 (Ingratitudc),吝 音 (Stinginess),色 欲 (Lust)な どに傾 く性 向を もち. ,. その振 舞 は反社会 的 か つ無 政対主義 的 で あ る。 しか もそ の よ うな人間 自然 の 本性 は到底沿革 され得 な い,と い う悲観主義 的 な人 間観 に根差 して い るもの であ った。 したが って ,マ キ ャヴ ェ リの人 間性把握 は,人 間 とは本来 ,凡 俗 な被造物 で あ り,そ れ は低劣 に して憐む べ き素材 (Matcrial)か ら作 られ て い るとい う,厳 粛苛酷 な根本認 識 に基 づ いた もので あ った。 しか しマ キ ャヴ ェ リが「人間は完全無欠な聖人でいることもできないものであ り,か といって,人 間 30)Machiavelli;Principe,Kap.9,19. 31)h/1aChiavelli;Discorsi,Ⅲ ,23. 32)M[achiavelh,Discorsi,Ⅱ. ,46..

(22) 転換期 における人間性 論 について (1). ゴ2δ. はどんな悪事でも平気で犯せるというもので もない云々」 とい うよ うに,欲 望 の大 系 と しての人 間本性 に対 す る彼 の根本認識 の うち には極 めて矛盾 した と ころ の,人 間 に対 す るル ネサ ンス人 らしい愛憐 の情 と冷酷 な非情 とが錯綜 し,そ の人 間観 において不 徹底 さは免 れ なか った。 この マ キ ャヴ ェ リか ら示唆 を受 け,よ く相似 して い なが ら,な お一層徹底 したのが イギ リスの ホ ッブ ズ (Th.. HObbes,1588∼ 1679)の 人 間観 であ るが,そ の人 間 と政治 の と らえ方 におい て,人 間本性 と して の虚誇 (Vanity),競 争 (Competion),休 みな き永続 的 な力 の欲望 (A perpetual and restless desire of Power)な どの人間的欲望 や 激情 に深 く根 差 した根 本動機 か ら,人 間 は 自己保存. (Self―. preservation). のため,必 然的 に「万 人 の万人 に対す る闘 争 の状態」 (War Of every man. against every man:bellum omnium contra omnes)を 現 出す る, と説 いた。 そ して ホ ッブズは, この人 間性論 か ら自然状態 =闘 争状態→ 社会契 約 → 政治社会 =リ ヴ ィアサ ン (Le宙 athan)の 形成 とい う論 理 的 プ ロセスを導 き出 し,近 代初期 ヨー ロ ッパ の絶対主義 を理論 的 に基礎 づ け,そ の思 想的代. 弁者 となった。このことについては,す でに拙著『 マイネッケ史学の研究』 の中で指摘 した。 次 に マ キ ャヴ ェ リの人間性論 の第 2の 特色 と して ,彼 は時 ・空を超越 して 永劫 に変 わ らな い 同質 の人 間性 (Unchanging nature of man)を 確信 して いた ことで あ る。換言 す ると,マ キ ャヴ ェ リの思 想 中最 も重要 な前提 は,人. (Unchanging)と い うこ とで あ った。す なわ ち,彼 は 『 リウィウス論』の中で,「 近頃の出来事や過ぎ去った事件を調べると,た とえ都 市 や国家を異 に したと ころで,人 々の欲望や気質 は,い つの時代 で も同 じものだとい 間本性 の 同質不変性. うことが,た やす く理解 で きるで あろ う。 したがって,過 去 の事情をたんねんに検討. 33)Machiavelli;Discorsi,I,27. 34)R/1.A.Lindsay;Introduction to Habbe's Le宙. athan,Everyman's Library,No.. 691.P.19. W. Ro Sorley; A History of]English phi10sophy, Cambridge, P. 64.. 35)吉 武夏男著「 マ イネッケ史学の研究』3`16∼ 348頁 り.

(23) 吉. 武 夏 男. ゴ2/. しよ うとする人 々にとっては, どんな国家で もその将来 に起 こりそ な ことを う 予見 し て,古 代人が用いた打開策を適用す るのは,た やすいことで あろ う。またび った の り 先例 がな くとも,そ の事件に似たよ うな先例か ら新手の方策を打ち出す こともで き な いことではない云 ?」 とぃ ぅ。 また 彼 は「賢人たちの常 々い うように,世 上必 ず起 こるべ きことを察知す るには過去を省みれば足 りるのだが, これは 決 して気 ま ぐれな 無理な文言ではない。 この世 の あ らゆる物事 は時代の如何を問わず,常 に古代 のそれ と似通 ってぃ るものだか らで ある。つ まり,人 間は行動を起 こすに当って,常 に 今も 昔 も変わ らない同 じ欲望に動か されて きたので,同 じよ うな結果が起 こって くるの も 当然の ことなので ある翼 々」 とぃ ぅょ ぅに, 彼 は に 常 同質 な人 間 的 自然 ,す な わ ち ,同 じ諸 々の 欲 望 や 気 質 ,欲 情 (Desires and DispositiOns,PassiOns) を 具 え た人 間 の共 通 的本性 を 前 提 と し,過 去 の 人 間経 験 を尺 度 に して ,容 易 に歴 史 的 ,政 治 的判 断 を下 す こ とが で き る, と考 え て い た の で あ る。 さ らに第 3の 特 色 と して ,マ キ ャヴ ェ リは上 述 の 人 間性 論 と相 関連 して 模 倣. (Imitation)は 人 間本 性 で あ る とい う教 説 を主 張 して い た。 この模 倣 の. 教 説 は『 君主 論 』 に お いて ,「 わた しはなみはずれ た 偉大な人物の実例を引用 し よ うと思 うが, こんな人を引用 して も驚かないで ほ しぃ。その理 由についていえば. ,. 人間は,ほ とん ど常 に他人が踏み固めていった道を歩 き,そ の先人の行動を模倣 しつ つ前進する。 もとより,人 間は決 して完全 に先人の道を寸分違わず踏んで 行 くことも ,. また 自ら模倣す る人物 の力量 (Virta)に 到達す る こともむずか しい。 それであるか ら,賢 明な人間は,偉 人の歩 いた足跡をたずね, この上 もな く優れている人物を常 に 模倣すべ きである。それは,た とぇ 自分の力量がそ こまで到達で きな くて も,せ めて. その匂いなりともうけるために,そ うし た道に踏み込むのはよいことである ピ鷺」と. はっきりと述べ られていたよ ぅに,そ れは, とくに偉大な人物の模範 に適用 された。 この原則は『 リウィゥス論』において も,「 君主が権威を保っていく ための方策を学ぼ うと思 うな ら,別 にあれ これと苦労す るまで もな く,た だ賢君の生 涯を鑑 として己の姿勢を 正せ ばよぃの で ある。 たとえば, コ リン トのテ ィモ レオ ン. 36)Machiavelli;DiscOrd,I,39. 37)Machiavelli;DiscOrsi,Ⅲ ,43.. 38)Madliavd li;P五 ndpe,Kap.6..

(24) ゴ28. 転換期 における人間性論 について (1). なるで (TimOleOn)や シュキオ ンのア ラ トス (Aratus)お よびその他の賢君が模範と 互信頼 して満 あろう。 これ らの生涯 においては,治 める側も治め られる側も十分 に相 たちの行動 足な生活を送 っていた ことが知 られ る。したがつて, このような立派な人 のであ こ を模倣 しようとすれば,君 主の道を全 うすることなど極めて容易な ととなる る云 君」と明確 に述 べ られ て い る。 か く,マ キ ャヴ ェ リが模倣 の教説 を もっ つ て 人間本性 の 1つ と確信 す るに至 った理 由 は,人 間 は本来 ,怠 惰 か 臆 病 な い ことを好 まな い もので あ り,ま た習性 の産物 で あ るか ら,人 間 は習熟 しな ので あ し, 自 ら進 んで 開拓者 (PiOneer)と な るよ りは,む しろ随従す るも の の るとい う,自 然的本性 に因 由 して いたので あ る。 そ して彼 は,こ 模倣 教 の 1つ の一 般 原則 と して 説 を もって 人間 お よび歴史的諸生活 を解 明す るため 応用 した。 それ によれ ば,無 気 力 な一般人民 は先 人 の踏 み固め. て い った道 に. を創造 す る 随わ ざるを得 ない もので あ り,ま た歴史的傾 向 とは新 たな諸事物 ーン ことで はな く,予 見す る ことので きない未来 に前進す る代 わ りに,パ タ 41). を繰 り返 し再生産す る傾向である,と い うのであった。 最後 にその第 4の 特色 として,マ キ ャヴ ェ リが,人 間 自然 の本性 は本質的 に堕落性 (Essential depra宙 ty of human nature)を 具 えている,と 主張 に生ま した ことである。彼 は『 リウィウス論』 の中で,「 人間はどれほど善良 れつき, どんなにすばらしい教育を受けたところで,な んとやすやすと堕落 してしま 42). 々 うものか,ま たなんとが らりとその性格 が変わ って しまうものか云 」 とい う よ う に ,彼 に よれ ば ,一 切 の 人 間 的諸 事 物 はそれ 自体 の うち に堕 落 と 自滅 の 種 を ロセ ス に へ 宿 して い る,と い うの で あ った。 この 堕 落 と破 滅 の 不 可避 的 な プ な 対 して ,ひ とは どん な に抵 抗 して も永 久 に抵 抗 し切 れ な い の は ,丁 度 どん の 人 間 で もあ る寿 命 以 上 に生 き長 らえ る こ とが で きな い こ と と同 じよ うな も で あ る, と彼 は考 え た。 した が って ,マ キ ャヴ ェ リは ,個 人 的 にせ よ また集. 39)Machiavelli;Discorsi,Ⅲ ,5. 40)Lo A.Burd;Cambridge Modem History,VOl.Ic Machiavelli,P。 41)H.Butterield;The Statecraft Of Machiavelli,P.26。. 42)Machiavelll;Discord,I,42。. 203。.

(25) 吉. 武 夏 男. ゴ29. 団的 にせ よ,人 間生 活 の進歩 や退 歩 を合法則 的 に単純 に と らえ る傾 向を は っ き りと展示 して い る。 た とえば,マ キ ャヴ ェ リは『 フ ィ レンツェ史』 の 中 で. ,. 「 この世の物事は決 して一定不変の性質をもっているのでな く,何 で も十分 の状態に 達するが早いか, もうそれ以上完全になることはできず,す ぐに下 り坂になるにきま っている。かよ うに,ひ とは幸運か ら不運に落ち,ま た不運か ら幸運 に昇 って行 く云 43). 々」 と述 べ てい るよ うに,人 間 の 内在 的欠 陥 は完 成 の状態 に到達 して も,そ. れを あ くまで長 く維持 す る こ とを 許 さない。 だか ら,ひ とは 内的な道徳的碩 廃 に追 われて以 前 の状態 へ と逆行 し, しか して 改め て循環 の過 程 を辿 りは じ め る。 それ ゆえ,世 上 の物事 は常 に合法則 的 に栄枯盛衰 の必然的変化 ,ま た 循環 と回帰 とを永劫 に繰 り返 してや まな い, とい うのが彼 の意見 の要 旨で あ る。 こ とに マ キ ャヴ ェ リの考 え方 は,ポ リュ ビオ スが基礎 づ けた歴史循環説. (Kreislaunehre)に 立脚 し,興 隆 と免れ難 い衰亡 の反復 やむ こ とのない連 続 こそ,諸 民族 と諸 国家 の運命 の繰 りひろげ る姿 で あ る,と したので あ る。 ここにおいて,上 に しば しば指摘 したよ うに,マ キ ャヴ ェ リは,統 治政策 で は人民 尊 重論を主 張 して いたにかかわ らず ,人 間性論 で は人 間性 を諸 々の 欲望 の体系 と してあ りの まま 自然主 義的 に と らえ ることによ って,一 般 に人 間を本来 ,凡 俗 な物質 的存在 と して低 く評価 し,そ の 自由 に して創造 的 な力 は認 め られなか った。 そ して 彼 は,人 間お よび歴史 の進歩 発展 を懐疑 し,今 も昔 も人 間 は同一不変 と考 えた。 したが って ,「 歴史 は繰 り返 す」 とい う彼 の歴史観 は,18世 紀啓蒙主義 者 が確信 して して いた人類永遠 の進 歩 の思 想 や 人 間お よび社会 の完成 の思想 な どを全 く理解 す るにいた って いなか った。 況 んや,そ こに は,19世 紀歴史主義 者 の個性思想 や,事 象 の 内面 よ りす る生成 と成 長 お よび発展 の秘 やかな変 化 に対 す る歴 史的感覚 の芽 生 え もみ られ なか った。 ここに,ホ ッブズ と同 じ く,近 代初期 ヨー ロ ッパ にお け る絶 対主義的 思想 家 と しての マ キ ャヴ ェ リの一 面 が うかがわれ る。 しか して,マ キ ャヴ ェ 43)R/1aChiavelli;IstOrie Fiorentine,V,. 44) Fr.Meinecke;Die Entstehung des. Band. Ⅲ ),S。 161.. 1.. Historismus(Friedrich Meinecke Werke・.

(26) ゴ3θ. 転換期における人間性論について (1). りは統 治政策 につ いて『 リウ ィウ ス論』 の 中で ,「 個人的利益ではなく, 公共 の福祉 こそ国家の隆昌をもたらすとい うことである。その公共の福祉は,た だ共和国 においてのみ尊重され ることはいうまで もない。ここではすべてのものの利益となる ことが何の妨げもな く実現 される云 々」 と述 べ,一 般 人民 を基盤 と した共和政 を. ,. 相対 的 にみて有利 で あ ると して いた こ とは 明 らか で あ るが,彼 は生 の ままの 人 間 の 自然的現 実態 を洞察 した とき,現 実的人間 の善 意や相互信頼 とい うよ りは,そ の信頼 し難 い こ とを前提 と して ,共 和国民 の 自然 的 で 何時 も変わ ら な い徳 '生 (Naturliche und unverwistliche Tugend des Republikaners) を確信す るにはほ ど遠 か った ので あ る。 そ して また彼 は共和政 を有利 で あ る と して も,そ れを下 か ら,す なわ ち,広 範 な民主主義的立場 か らよ りも,上 か ら,す なわ ち,統 治者 の立 場 か ら把握 して いた。一般 人民 の社会的要求 も 々の偉 治 め るものの立 場 か ら眺 め られ て いた。 それ ゆ え,マ キ ャヴ ェ リは個 大 な支配者 や組 織者 の力を確信 し,ま た大 いに期待 して いた とい うことがで きる。す なわ ち,彼 は個 々の偉大 な人 間が具備 した創造 的 な人 間活力 (Virtt) を根源 的 な もの と して考 え,そ の創造 力 に大 きな期待をか けて ,偉 大 な人 間 信仰 に情熱 を傾注 して いた とい う ことがで きる。 そ して それ によ る人 間活力 の創造 ・維持 ・発展 を窮極 の 目的 と して いた マ キ ャヴ ェ リは,没 落 に瀕 した 自国 民族 や国家 を, も しそれがなお可能 な場合 には,そ れ によ って再 生 させ る ことこそ,彼 の畢生 の思 想 で あ った。 その場合 ,マ キ ャヴ ェ リは イタ リア の新 しい政治的支配者 の模倣 す べ き理想 的 か つ最高 の模範 は,た とえば,古 代 にお け る偉大 な国民的解放者 で ,建 国者 で あ った モーゼ (MOSes),キ ル ス. (CyruS),ロ ムル ス (Romulus),テ セ ウス (TheSeus)な どで あ ると し,彼 は 自 らの教説 を彼等 のす ぐれ た範例 を もって は じめたので あ る。か くみ ると. ,. マ キ ャヴ ェ リは 自己の教説 を展 開す るに天 才的 な経 験的感覚 と独 創的思想 を 示 して いたが, 一面 , 彼 はなお ル ネ サ ンスの 古典 主義 (Klassizismus der. Renaissance)を 脱却す るに いた らなか った とい うことがで きるであろ う。 したが って,マ キ ャヴ ェ リの国家把握 において は,ル ネサ ンスの 古典 主 義が 45)Machiavelli;Discord,Ⅱ. ,2。.

(27) ゴ3ゴ. 吉 武 夏 男. 大支柱 とな って いた こ とは否定 で きない。 しか し主要 な点 で は,マ キ ャヴ ェ リは人 間性把握以上 に,あ るが ままな国家 の現実主義的把握 を 唱導 した。 そ して 彼 は 自己の熱情 を国家 の諸政 体 ,諸 機能 および生活 諸条件 の研究 と計量 とに 向け,も って その確実 に して実証 的 な結論を 引 き出 そ うと した。 この意 味 において,マ キ ャヴ ェ リはル ネサ ンス の 古典 的理想主義 と同時 は,と くに その合理的,経 験的 で計算的 な現実主義的要 素 を最高 度 に形成 して い たので あ る。 加 うるに,マ キ ャヴ ェ リは フ ィ レンッェ共和政府 の書記 官兼 外交 と 官 して一 般政 治 ,と くに イタ リア国 家統 治 のそれ までの成果 を余 す所 な く学 び とって い たので,国 家 の現実的 諸 問題 に対 して 冷静 な感覚 を合 理. 的か つ 計 算. 的 に十分 に働かす こ とがで きたので あ る。 と くに マ キ ャヴ ェ リの政. 治的思 惟. は『 君主論』の中で,「 わたしが物を書く気持ちとしては,理解してくれるひとた ちのお役 に立 たせたい と念 じているのだか ら,空 想的な事柄より,む し ろ物事の生 き 生 きした真実 に即 してい く方 がいいと思 われ る。それにつ けて も,今 まで大勢のひと たちは,一 度 も見た ことも,聞 いたこともないよ うな共和国や 君主国を空想 した もの で ある。ところが,現 実 にひとの営む生活の仕方 と,当 然守 らなければな らない生 活 との間には大 きな隔 た りがあるか ら,正 になさるべ き ことのために,現 にな されてい るこ すてて顧みな い人間は,そ の身 も固ま らぬ うちに早 くもその破滅を招 くもの 鬼 「 だ云々」 と克 明 に述 べ られ て い るよ うに , 彼 は現 実 と空 想 ,経 験 と観 念 ,存 在 と当為 とを は っき りと峻別 し,な か で も或 る特 定 の 原 則 を仮 しな い 定 経験 的現 実 主 義 を基 礎 と した方 法 論 的原 理 を発 見 した ので あ る。 彼 は この た な 新 原 理 を政 治 に適 用 す るに際 して は,常 に 当 に あ るべ き人 間 と国家 で は な く. ,. 現 に あ るが ま まの人 間 と国家 とを 把 握 す るよ う力 説 した の で あ る。 この た 新 な 原 理 の 発見 こ そ は,少 な くと も, ヨー ロ ッパ 精 神 史 に お け る 1つ の 転換点. (Ein Wendepunkt der eurOpaischen Geistesgeschichte)を 展 示 した も の と い って 言 い 過 ぎで は な いで あ ろ う。 また それ こ そが ,ル. ネ サ ンス末 期 に お け. 46)Machiavelh;Principe,Kap.15. 47) Fro Meinecke;Die ldee der Staatsrason(Friedrich Meinecke werke・ I),S.46.. Band.

(28) ゴ32. 転換期における人間性論について (1). るマ キ ャヴ ェ リの精神史的地位 を特異 な らしめ て いた もの とい う こ とがで き るので あろ う。.

(29)

参照

関連したドキュメント

いかなる使用の文脈においても「知る」が同じ意味論的値を持つことを認め、(2)によって

見た目 無色とう明 あわが出ている 無色とう明 無色とう明 におい なし なし つんとしたにおい つんとしたにおい 蒸発後 白い固体

特に、その応用として、 Donaldson不変量とSeiberg-Witten不変量が等しいというWittenの予想を代数

 

と判示している︒更に︑最後に︑﹁本件が同法の範囲内にないとすれば︑

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

きも活発になってきております。そういう意味では、このカーボン・プライシングとい

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から