ミツバチ科学21(1):35-39 HoneybeeScience(2000)
ニホ ンミツバチの自然巣 とその生活
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一 自然巣
と分蜂-1998年 8月 12日,甲子園球場 に- チの大 群が現れた.高校野球83年 の歴史の中で も初 めての出来事であると翌 日の各紙は報 じた. 新聞に掲載 された写真か らはセイヨウ ミツバ チかこホンミツバチかはっきりしないので,無 理を言 って撮影 された写真を見せて もらった. その写真には腹部の白い縞模様がはっきりと写 っていた.甲子園球場に現れたハチはニホンミ ツバチである可能性が高 いと思われる. 伝統的な養蜂により細 々と山間地でその飼育 が続 けられて きたニホン ミツパテは山間地の過 疎化 によ って,その種 の存続 さえ懸念 された (岡田,1985,1990;松浦,1988).ところが, 近年,市街地で観察 され,その数が増加 してい ると考え られている (丹羽,1988;菅原,1996, 1997,1998;佐々木,1999). 市街地の ミツバチは有害昆虫 とされ,各蒋の 環境衛生課の職員や駆除業者の手 によって駆除 され,実際どれだけの二ホンミツバチが生息 し ているか も明 らかではない. ここでは大阪府東北部の各市 (枚方,寝屋川, 守 口,四条畷)に寄せ られた駆除依頼の情報 と, 「ニホ ンミツバチ」 とい うホームページを作 り 情報の提供を呼び掛 けて得 た情報をもとに直接 観察 したニホ ンミツパテの生活を示す. 自然巣の営巣場所 表1は,1994年 か ら 1999年 8月 まで に観 察 した合計101個の自然巣の営巣場所 を示す. 市衝地 (主 に大阪府東北部)では,お墓の納骨 空間での営巣が一番多い. これは屋根裏などに 比べて発見されやすいことが原因 と考え られる が,一方,納骨空間がハ チにとって好都合な営 巣場所であるといえる. 35菅原
道夫
ス ィー レイ (1985)は,セイヨウ ミツバチが 好む自然巣の営巣場所の性質を示 した.1) 全 体の容積 15-802,2)出入 口は南向 き,3)入 口の大 きさは75cm2以下 などである. ニホンミツバチはスィー レイの示 したセイヨ ウ ミツバチより多様な場所に営巣できる.営巣 場所の容積 は,
「屋根裏」の10002以上か ら「巻 き線の芯の中」の3A未満 まで見 られた.入 口の 方角は好みが見 られず,入 口の大 きさは多 くの 場合オオスズメバチが侵入で きない幅1cm 未 満であった. 松浦 (1969)が示 したようにニホンミツバチ の営巣規模 は営巣場所の広 さに関係 し屋根裏 に 作 られた巣では1002を超えるもの も見 られた (菅原,1997). 自然巣 の密度 観察 した多 くの巣 は,一つ-つ単独で離れて 存在 した.その密度 はス ィー レイ (1985)がセ イヨウ ミツバチで示 したと同様,ほぼ1コロニ ー /km2であった. 表 1 二ホンミツバチの自然巣の営巣場所 営巣場所 数 墓の納骨空間 民家 ・社殿の屋根裏 ブロックの隙間 樹洞の中 民家 ・納屋の床下 木の枝などの開放空間 排水パイプの中 巻の芯の中 物置の下駄箱 社殿内 32 17 13 13 日 10 1 1 1 2の用水路 (図 1)に沿 ったブ ロックの内部 には約 100mに12個 の巣が見 られた. 宅地 開発がな された時,水 はけを良 くす るため幅2m,深 さ 1.5mのU字型 の水路が掘 られ,水路 の片側 に 幅2mの道路が設 け られた.水路が深 いため入 ることがで きないよ うに,橋 に丈夫 な フェ ンス が設置 された.道路か ら25cmの ブロックを3 枚積 み上 げた上 に宅地が作 られ,- チの巣 はそ の ブロックの隙間の中に作 られていた (図2). これ らの巣 は,秋 にな るとオオスズメバ チの 攻撃 を受 けた. ブロ ックの隙間がオオスズメバ チが侵入 で きる幅 1cm以上 あ ると,巣 は秋 を 越 えて存在 で きず,冬 にはハチの姿 は見 られな くな った.結果的 に春 を迎 え られた巣 は4個 だ けであ った. しか し,次の年 には分蜂群 が新 し い巣 を作 り, また12個 に復活 した. これ ら二つの例 は,市街地 において も条件が
開放空間に作 られた巣
セイ ヨウ ミツバチ と同 じよ うに二ホ ン ミツパ テ も自然状態で は木 の うろのよ うな閉鎖空間 に 巣 を作 る (ス ィ- レイ, 1985;Sasakieta1., 1995).そ して, この行動特性が両種が寒 い温 帯地域 に分布 を広 げる助 けにな った と考 え られ て いる. 開放空間 に巣が作 られ ることは例外的で多 く の場 合小形 巣 で長 続 き しな い と思 われ て きた (岡田,1990).ところが,表 1に示す よ うに, こ れ ま で 観 察 した101個 の 巣 の 中 で10個 (9.9%)の開放空間 に作 られ た巣が見 られた.義 2はそれ ら10個 の巣 の作 られた場所 を示す. 特 に,No.
2
,4
,7
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8
(図3
)
は開放空間の巣 と して は困難 な冬 を越 した. これ らに共通 してい え ることは, いずれ も市街地 の中心部 に形成 さ 衰 2 開放空間の自然巣 住所 場所 存在期間 大きさ(cm) 巣板数 観察 年月 1 大阪府貝塚市二色の浜 公園 ヒマラヤスギの枝 2 大阪市城東区天王田 民家の庭 ツツジの枝 3 大阪市中央区 大阪城公園 クスの枝 4 大阪市東住吉区北田辺 JR阪和線高架の裏 5 大阪府島本町2 民家の二階のひさし 6 大阪府枚方市養父丘2 民家の二階のひさし 7 京都市北区紫野 茶室の待合のひさし 8 大阪市北区 新御堂筋線高架の裏 9 大阪市北区 新御堂筋線高架の裏 10 川西市南花屋敷 民家の軒下 1か月 25×25 4 97.ll.6 9か月 40×40 10 98.1.27 6か月 30×40 8 98.6.7 1年以上 50×40 半月 15×15 半月 15×15 1年半 30×50 1年以上 50以上 ? 40以上 4か月 40×39 >10 98.9.5 3 98.9.25 4 98.ll.5 11 98.10.23 ? 99.7.14 ? 99.714 >10 99.8.2 獲 獲 亡 亡 准 檀 徒 続 続 続 捕 捕 逃 逃 捕 捕 捕 継 継 継37
図 3 開放空間の巣 ()内は衰 2の巣番号 を示す
左より大阪市城乗区 (No.2),京都市北区 (No.4),京都市北区 (No.7),大阪市北区 (No.8) れていることである. これ らの場所では, ミツ バチの天敵であるオオスズメバチの攻撃がみ ら れないことが巣が存続 した理由であろう. コ ミツパテやオオ ミツパテのような熱帯に生 息す る種 は開放空間に巣 を作 る.二ホンミツバ チにもそれ らの熱帯 に生息す る種の もっ行動特 性が残 っているのか も知れない. 巣の構築 ニホンミツバチの自然巣は,普通,数枚か ら 十数枚 の巣板か ら作 られている.巣板 の大 き さ,数は営巣空間の広 さ,巣を作 ってか らの時 間,群の勢 いで決まる.屋根裏の巣では長さ 80 cmx幅 40cm もの巣板 に出会 ったこともあ っ た (図 4). 分蜂直後の巣坂上 には,貯蜜域,花粉域,働 き蜂の育児域,雄蜂の育児域,そ して下部 に王 台がみ られる. セイ ヨウ ミツバチと同 じようにニホ ンミツパ テで も働 き蜂の育児域を持っ巣板の下部 に雄蜂 図 4 枚方市牧野 民家の屋根裏の巨大な巣 の育 児域 が で き る と記 され て いた (坂 上, 1959). しか し,営巣空間が十分広 い屋根裏の ような場所にで きた自然巣では,一番外側の巣 板 は雄蜂の育児域だけを持 ち(図5左),中心部 の巣板 は働 きバチの育児域 を持っ(図5中).営 巣空間が狭 いお墓などでは,一枚の巣坂上 に二 種の育児域が見 られることもあった (図5右). 王台は外側の巣板 にも内側の巣板にも見 られた.
分蜂 と分蜂群
松浦 (1969)は,和歌山県で観察 した結果か らニホンミツバチの分蜂時期を4月下旬か ら5 月上旬 とした.Sasakieta1.(1995)は東京 に お ける繁殖期 を4月中旬 か ら6月中旬 と報告 している. ニホンミツバチは逃亡時にも蜂球を形成す る ので,蜂球が見つか ったか らといって も分蜂群 とは限 らない.分蜂群 と特定するためには,分 蜂群が飛 びたった母群をみつけなければな らな い. これまで観察 した自然巣か らの分蜂は一番 早 い もので 4月 8日,一番遅 いもので 6月 20 日であった. 飼育 していた群では8月16日に分蜂 した例 があ るので大阪府 の東北部 での分蜂期 は4月 か ら8月までの 5か月間にも及ぶ と思われる. 表3に示すように,セイヨウ ミツバチ用の巣 箱で飼育 していた群 は, 2回の分蜂,合計4個 の分蜂群を誕生 させた. 自然の巣で も条件が許 せばこのようなことが起 こっていたと思われる さらに,表4は 4月に捕獲 した分蜂群が巣を 作 り,6月に分蜂 した事例である. これ らの例If=r叫-1 _i 図 5 大型の巣の巣板 (左:雄蜂の育児域だけが見られる端の巣板,中:働き蜂の育児域 を持つ巣板)および小型の巣の巣板 (右 は, いままで考 え られていたよ り大 きな繁殖能 力をニホ ンミツパ テが持 って いることを示す. 分蜂群 は母群 か ら出て木 の太 い枝 に蜂球 を形 成す る.蜂球 が安定すれば,多 くの場合 その形 は乳房状であ る.特製 (ステ ンレス製 の金網 を 張 り,蜂 ろ うをひいた)分蜂誘導坂上 で は半球 状 になる.表5はそれ らの蜂球 の内部温度 の測 定結果 を示す.外気温 にかかわ らず-チは コン パ ク トに集結 し内部温度 を ほぼ35℃ に保つ. セイ ヨウ ミツバチ用 の巣箱 で飼育 して いた二 ホ ン ミツパテの分蜂 の一部始終 を ビデオカメラ で撮影す ることがで きた.11時45分 に働 き蜂 が巣箱か ら飛 び出 し始 め,12時25分巣箱 の入 口に女王蜂が現れ (図 6),働 き蜂 に押 し出 され 表3 2回の分蜂が見られた例 年.月. 日 蜂の数 1999.4.26カキの木に設置された 約6000 分蜂群捕獲板に蜂球 1999.5.3 キンリョウヘンに集結 約6000 1999.7.13 カキの幹に蜂球 約4000 1999.7.23マツの木に設置された 約4000 分蜂群捕獲板に蜂球 * 10枚の巣礎が入ったセイヨウミツバチ用の 巣箱で飼育 巣箱の重量:4.26 21kg,713 30kg以上 表4 春に捕獲 した分蜂群が初夏に分蜂 1999.4.28枚方市小倉 マツの幹に集結 した分 煙群を捕牡,直系25cmの丸太をく りぬいた巣で飼育 J l 1999.6.27庭のアオガシの枝に分蜂群が集結す る.蜂の数,約5000 雄蜂と働き蜂の両方の育児域が見られる) るよ うに女 王蜂 が巣 を離 れた (12時27分). 12時35分 には, 飛 び立 っ- チ もな くな り, 2 m離 れ た ヒマ ラヤ スギの幹 に蜂球 が形成 され た. 全体 の時間 は50分, 女王蜂が巣 を離 れ る のは, 始 ま りか ら42分後, 大騒 ぎの最終段階 であ った. 近年,家庭 園芸 を愛好 す る人 が増 え て い る が, シンビジュウムの一種 であるキ ンリョウへ ンも市街地 で栽培 されてい る.一方, キ ンリョ ウへ ンの花 にはニホ ン ミツバチの分蜂群 が誘引 され 集 結 す る こ とが 知 られ て い る (福 田, 1988).大阪府東北部 で も表6に示す よ うに分 蜂群が飛来 して毎年大騒 ぎになることがある.
市街地のニホ ンミツバチ
大都会大阪の中心北 区堂 山町,大阪駅 のす ぐ 近 くに開放空間 に作 られたニホ ン ミツパ テの巣 が2つ も存在す る.絶滅が危倶 された ことがあ るニホ ン ミツパテが確実 に市街地 で増加 して い ると考 えなければな らない事例 である. 図 6 分蜂時飛び立っ直前の女王蜂39 表5 蜂球 (分蜂 ・逃 亡群) の温度測定 年 月 日 外気温 (oC) 蜂球最高温度 (oC) 測定時刻 備考 1 分蜂群 1999.4.20 2 分蜂群 1999.4.25 3 分蜂群 1999.4.26 4 逃亡群 1999.5.14 5 分蜂群 1999.6.27 4 4 9 7 8 3 9 6 7 3 2 1 1 2 2 35.6 16時00分 枚方市長 尾荒阪, ウメに集結 34.9 14時32分 自宅, ヒマ ラヤスギに集結 35.2 49時34分 自宅 の分 蜂群捕獲板 に集結 34.4 17時25分 守 口市大 久保町, マツに集結 35.6 15時35分 自宅, アオガ シに集結 *デ ジ タル ポ ケ ッ ト型 温度計 (H-03)で測定 表 6 キ ンリョウヘ ンに飛来 したこホ ン ミツバ チの記録 年 月 日 住所 経過 1996.5.20 1996.5.24 1996.5.27 1997.5,6 1998.4.16 1998.4.22 1998.4.27 1999.5.11 四条畷市部星 388 枚方市牧野坂卜11 枚方市楠葉 中之芝卜3 枚方市招堤元 町1-5 守 口市 日光 町 茨木市郡 山2-1 寝屋川市萱 島東3-25 枚方市船橋町 軒先 のキ ン リョウヘ ンに飛来.雨が降 り飛 び さる 庭 に置かれ たキ ン リョウへ ンに蜂球.市役所 の職員が男区除 塵 に置かれたキ ン リョウヘ ンに蜂球.市役所 の職員が首区除 ガ レー ジに置 いた鉢 に飛来.市役所 の職員が駆除 二階のベ ラ ンダに置 いた鉢 に飛乗.初 日的 3000,二 日目300 二 日目に捕獲 す るが女王蜂不在 約100の ミツバ チが庭先 のキ ンリョウへ ンに集 まる 玄関 口の鉢 に飛 来.約6000,捕獲 す る.女 王蜂存在 市役所 の職員が捕権.女王蜂存在 な ぜ , ニ ホ ン ミツバ チ が 市 街 地 で そ の分 布 を 広 げ て き た の だ ろ う. セ イ ヨ ウ ミツバ チ で の養 蜂 の衰 退 だ け で は説 明 が つ か な い. 都 市 に お け る人 の生 活 , 特 に生 き もの に対 す る姿 勢 全 体 が 影 響 して い る よ うに思 え る. 「ア シ ナ ガ バ チ さ え 駆 除 して 欲 しい と い う依 頼 が 多 くあ るの で す」と嘆 く環 境 衛 生 課 の職 員 の 言 葉 が 状 況 を 象 徴 して い る の で は な い だ ろ うか . 謝辞 ニ ホ ン ミツパ テ に 関 す る情 報 を提 供 して い た だ い た守 口市 , 四 条 畷 市 , 寝 屋 川 市 , 枚 方 市 の 環 境 衛 生 課 の 皆 さん , 特 に捕 獲 に 同 行 して い た だ い た 四 条 畷 市 役 所 の平 川 明 男 さん , 枚 方 市 役 所 の 日下 部 俊 一 さん に深 く感 謝 します . 本 研 究 の一 部 は下 中科 学 研 究 助 成 金 の 助 成 を受 け た. (〒573-1187枚方市 磯 島元 町20-1府立磯 島高校) 参考文献 岡田一次 .1985,遺伝 39 (10):58-68. 岡田一次 .1990ニホ ン ミツバチ誌 .玉川大 出版部 . 坂上曙一.1959.生態昆虫 7 (3):117-128. 佐 々木正 己.1999.ニ ホ ン ミツバ チ 北 限 のApis cerana.海浜舎.192pp.
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Yagumoklta, Moriguchi, Osaka, 570-0008 Japan.
Japanese honeybees,APis cerana japonica have extended theirhabitatinto urban area. Theauthorobservedover100feralcolonieson theirnestsites,Combsandthefateofthem in Osaka suburb area where the nestdensity is nearly 1colony/km2. Ten ofthoseferalcol -oniesbuilttheirnestsexposedtoopenairand 4 0fthem could survivefrom winterwithout anyInsulationcoveringthenests.
ThisreportalsodescribesswarmingbehavlOl■ offeralcolonies.Theswarming season ln the arealasted5monthsfrom ApriltoAugust,and somecoloniesCastswarmstwiceinayear.All thesefactsindicatethatJapanesehoneybeesa1-e stronglyproll允Csothattheyareenlargingtheir habitatandgrowingtheirpopulation in urban areawherenaturalenemleSarelimited.