「型の教育」試論
An Essay on Education Based upon "Form"
阿部茂
ShigeruABE
本稿では,「型」という,一定の規範性・拘束性をもった外的な形式とその模倣が,人間の形成に 関わってどのような意味をもちうるのか,その意義について展望するための,いくつかの予備的な考 察を行った.特に,文章表現の問題をめぐって,本居宣長の歌論・『古事記』研究の方法を手がかり として,一定の「型」を体得することが,歴史的な古人との「対話」においてどのような意義をもつ か,世界を認識し了解するうえで,個々人にとっては既成のものとして外的に準備された理解の「型」 がどのような意味をもっているか,模倣性が強いといわれる日本人の,その模倣の基盤にある心性は どのようなものか,といった点について考察した. キーワード:型,外的形式,規範性,外面,内面,模倣1 はじめに
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)といえぱ,日本の 伝統的文化を深い共感的態度で鋭く観察した,先駆的な 欧米人の代表であり,彼の燗眼を以てする観察には未だ に刮目すべきものが少なくないように思う.たとえば, 彼が島根県の松江尋常中学校で教鞭を執っていた折りに 書き留めた次のような回想が,筆者に教育における「型」 というものを考えさせる契機となった. 彼は,週に一回,生徒たちに適宜なテーマを与えて英 文を綴らせるのだが,彼らの書く文章には一定のパター ンが存在しているという.たとえば,「月」という題を 与えられると,即座に次のような文章がでてくる. 月ハ悲シメル人ニハ悲シク見工,幸福ナ人ニハ愉 快二見エル.月ハ旅行スル人二故郷ヲ思ハセテ懐郷 病ヲ起サセル.故二逆賊北条ノタメ隠岐二流サレタ 後醍醐天皇ハ海岸デ月光ヲ見テ「月ハッレナシ」ト 叫ビ給ウタ. 月光ハ美醜貴賎ヲ善ク照ラス.コノ美ハシキ月光 ハ我,汝ノ物デナク,一切平等凡テノ人ノ物デアル. 月ヲ見ル時,ソノ満テ又鋏クルハ凡テノ物ノ頂上 ハ又ソノ降下ノ始マリデアル事ノ道理ヲ示シテ居ル ト思ハネバナラナイ1). 八雲はこのような文章に出会って,「日本の教育法に 全く通じない人なら,何人でも以上の作文を見て,それ 教育学教室 に思想と想像の多少の斬新な力を示して居ると思ふであ らう.」と予想しながら,「しかし事実はさうではない.」 と言い切っている.なんとなれば「私は同じ題の他の三 十の作文に於て同じ思想及び比喩を見出した.実際中学 生の同じ題の作文が如何程多数でも,必ずその思想感情 に於て甚だ相似て居る」からである.彼の観察によれば, 「概して日本の学生は,想像の方面に於ては殆ど独創力 を表はしてゐない.その想像は数百年前,幾分は支那に 於て,幾分は日本に於て,彼の為に既に作つてあるので ある.」というのだ.そして,日本の学生について,「少 年時代から彼らは古文学に見出される最も美はしい思想 や比喩を記憶するやうに教へられて居る.」と解説して いる2). ただし,八雲はこのような現象の起こることを必ずし も否定的に見ているわけではないようだ.彼は,そうし た作文に現れる発想の型を,「個人の性格ではなく国民 的感情又は或種の集合的感情の現れたる物として又別種 の興味がある」と感じているからである3). 八雲のこれを記したのは,明治二十四年のことである が,この時代の十数歳の少年にあっても,規範的な文章 表現の「型」の模倣とその繰り返しによって文章のなか に自ずからに現れる発想の定型ともいうべきものとが存 したことが窺える. 翻ってみるに,中世から近世に亙って,日本において は,特に文武の芸の世界において,一定の身体的動作へ の習熟を通して,集合的無意識の次元に定型化された行 為の範型に同調し,もって精神を鍛錬し,行為と思考の 様式を築き上げる,という「型の教育」ともいうべき思想が形成されてきた4).「型」は,一面においては,人間 の行動に機能的合理性や美的性格を与えるとともに,他 面においては,人間の精神を拘束し,抑圧する5).その ため,「型」の模倣(稽古)については,賛否両様の評 価が存しよう.否,共通の価値観を戴かない「私民」へ と人間が細分化されていくなかで,人々は,閉鎖的な私 的領域において自己実現を企図するようになったのにと もない,既成の枠組みのなかで用意されていた価値やも のの見方はさほど重要とも魅力的とも感じられなくなり, もっと個性的な「自分らしさ」の実現が求められる,そ の際合理的ではないが自分にとっては確実なものに思わ れる内発的な感覚(好きか嫌いか,面白いかつまらない か)が拠り所として重視される,というのが,一般的な 意識のなかで進行している事態であろう5).そうした意 識においては,「型」などといった外的な形式は,個や 個性を圧殺する輌以外の何者でもあるまい. しかし,つとに,明治から大正への時代の推移のなか に「型」の喪失(修行をともなって得られる漢学的素養 の消失と個人的教養の興隆)を見て取った唐木順三氏の 次のような指摘に耳を傾ける必要はないだろうか. 我々は自己の形を失つた.型と性格とを失つた.形 無しになつた.歴史をして真に歴史たらしめるもの は現在の緊張した力である.主体の行為である.歴 史は単に事実として過去に転がつてゐるものではな い.我々に呼びかけ,我々がこれに応ずるとき歴史 の糸がピンと張る.この緊張なきところには歴史は ない.ところでこの緊張を可能ならしむるものは形, 型ではないか.或は形と型を形成しようとする意志 ではないか7). 「型」というものの導きなしに歴史と語らおうとするこ とは,いわば地図も磁石もなしに自分の五感だけを頼り に奥深い歴史の森に分け入ろうとするようなものであり, 結局のところ,歴史との対話と対決を遮断され,個人的 な生の刹那に腸踏することしかできなくなるのではなか ろうか. 本稿では,以上のような問題意識にたって,「型」の 教育ともいうべき考え方の特質を考察したい.ただし, 「型」の概念やその思想の日本における展開については, 既に源了圓氏の詳細な研究がある8)ので,本稿では,よ り一般的に,一定の規範性・拘束性をもった外的形式と その模倣を通じての思考・行動の様式の体得という問題 について考察を進め,もってその現代的意義と課題を探 るための予備的な問題提示を試みたいと思う.
ll 表現における「型」について
本居宣長を手がかりに
1 歌と心 我々が住まうこの世界に存在する事物やそこに生起す る事象について,それをどう感ずるかということについ ては,個々人の内発的な感覚に基づいて千差万別であり, 通有的な基準などは存在しないというのが,一般的な常 識かもしれない.たしかに,虚空にかかる満月の影を眺 めて,そこに己れの感情を映し出す鏡を見出したり人の 世の栄枯盛衰を象徴する姿を見てとる必然性は,なんら 存在しないかもしれない.しかし,そのような表現の 「型」のないところで,個々人の内発的な感覚は,歴史 的な対話の可能性をいかほどもちうるのだろうか.この ことを考えるうえできわめて示唆に富む議論が,本居宣 長の歌論のなかにある. 宣長は,和歌について,「歌は物をあはれとおもふに したがひて.よき事もあしき事も.只その心のまSによ みいつるわざにて.これは道ならぬ事.それはあるまじ き事と.心にえりとSのふるは本意にあらず.9)」とし て,歌の本質は,「物のあなれをしる」という点にあり, 歌を評価する基準はこの「物のあはれ」の浅さ深さとい う点以外にはなく,道徳的な善悪是非の判断を混入させ てはならないとして,和歌の道徳的な観点からの批評を 敢然と排した.その彼の歌論のなかに次のような一節が ある.『源氏物語』は古人の「物のあはれをしる」心の 深さを理解する最も好適な書であることを強調するくだ りである. ……物語の中のあらゆる事,人々のしわざ,人々の 心をよくよく推察し心得るときは,いにしへの風儀 ( な (きすがtaし 人情をしる事,たなこSろをさすかことし,花見る ときの心はかやうの物.月みる心はかやうの物.春 の心はかやうかやう秋の心はかやうかやう,郭公を きSたる心はかやうの物.恋するときの思ひはかや ( わぬ さ うかやうの物.あはぬつらさはかやうの物.あふう ( しく れしさはかやうの心と,くはしくかきあらはしたれ (みがコ ( く は,それをわか心にことことくひきあてて推察し, (べ (ば げにさもあるへき事といふ意味をよく心得れは,そ れが物の哀をしりたるにて,今歌よむとき大なる益 ある事也,10)…… 文学の自立性を説いたと,一般的には評されることの 多い宣長にして,月を見るそのときの心のあり方はどの ようなものであるかを古人から学べば,それが「ものの あはれをしる」ことになり歌を詠むうえで有益だなどと いう,規範への随従を強いるもののいい方が出てくるの は,いかにも認しいことかもしれない11).宣長にとって,歌を詠むことと「物のあはれを知る」こととの間にはど のような関係があったのか,ということを考えてみる. 「物のあはれをしる」ということを,宣長は次のよう に説明している. ……たとへば.うれしかるべき事にあひて.うれし ( えコ く思ふは.そのうれしかるべき事の心をわきまへし る故にうれしき也.又かなしかるべき事にあひて. かなしく思ふは.そのかなしかるべきことの心をわ きまへしる故にかなしき也.されば事にふれてその うれしくかなしき事の心をわきまへしるを.物のあ はれをしるといふ也12). 「物のあはれをしる」ということは,人間がこの世の なかでさまざまな「事」に出会ったときに,その「事の 心」を味わい,その意味をかみしめ,それに共感するこ と,というふうに考えてよかろう13). この「事の心」に共感する人間は,表現の形態を求め ずにはいない.そこに生まれるものが歌である. さてさやうに.せんかたなく物のあはれなる事ふか ヒ きときは.さてやみなんとすれども.心のうちにこ めては.やみがたくしのびがたし.これを物のあは れにたへぬとはいふ也.さてさやうに堪がたきとき は.をのずから其おもひあまる事を.言のはにいひ いつる物也.かくのごとくあはれにたへずして.を ナガ ヒキ アヤ のずからほころび出ることばは.必ず長く延て文あ るもの也.これがやがて歌也14). ただし,ここで注意しなければならないことがある. 世界のさまざまな「事」とそれを弁える人間の心とは, それぞれ別個に存在するわけではないということである. しかじかの本質をもったことがらが人間に接触すれば, その人間にはしかじかの心が生じ,そこにしかじかの歌 が詠じられる,というわけではない.人間の心に出会わ れて,あるいはうれしいと,あるいは悲しいと感じられ 意味づけられるものが「事の心」であり,逆に,「事」 にふれてそのように感じ意味づける感情の動きこそが, 「物のあはれをしる」人間の心なのである. (9わば 猶くはしくいはは,世中にありとしある事のさまさ まを,目に見るにつけ耳にきくにつけ,身にふるS ヒガの) (ag) につけて,其ようつの事を心にあぢはへて,そのよ うつの事の心をわか心にわきまへしる,是事の心を しる也,物の心をしる也,物の哀をしる也,……又 (xえ 人のおもきうれへにあひて,いたくかなしむを見聞 しぼる て,さこそかなしからめとをしはかるは,かなしか $ca) るへき事をしるゆへ也,そのかなしかるへき事事の 心をしりて,さこそかなしからむと,わか心にもを しはかりて感するが物の哀也,そのかなしかるへき ( れコ いはれをしるときは,感ぜじと思ひけちても,自然 ( トびべ き ) C とも としのひかたき心有て,いや共感ぜねばならぬやう になる,是人情也,物の哀しらぬ人は何共思はぬ, 其かなしかるへき事の心をわきまへぬ故に,いかほ と人のかなしむを見ても聞てもわか心にはすこしも あつからぬ故に,さこそと感する心なし15}, この言表は,「事の心」と「物のあはれをしる」心とが 相互的な関係にあることを物語っている.たとえば,想 う人と会えずにうちしずむ人の姿を見ても,会えぬつら さを己が身に知らぬ人は,あるいはそれを己が身のうえ よそ に寄えることのできない人は,その憂いに何らか心を動 かすことはないだろうし,また会えぬという「事」は, 悲しみやつらさとして感じとられぬかぎり,「事」とし ての意味をもってその人に迫ってくることもないだろう. っまり,「物のあはれをしる」ということは,ことがら と人間との関わり,その関係性の意味や情趣を味解する ということである.この関係性の受けとめ方が,歌とい う表現の形態へと析出してくるのである16). 宣長にとってみれば,この関係性をわきまえるその感 受的な力は,古人においてこそ最も優れていた. (いにしえ 古へと今と月花をめつる心をくらべて見よ,今の人 (いか はいかほと風雅を好む人とても,むかしの歌又は物 Cなど (をつる 語なとのやうには深くめつる事なし,いにしへの歌 や物語を見るに,月花をめつる心の深き事,又それ (すじ (など につけて思ふすちを感してものの哀をしれる事なと, 今とは雲泥のたがひ也,今の人は一わたりこそ花は おもしろし,月は哀也とも見るへけれ,深く心に く むる しまわらず そむるほとの事はさらになし,これらを古今かはらず といふへけむや17), 人間と事物・事象との関係性への共感の仕方は,古人 においてこそ最も規範的・模範的な形で存在していた, と宣長は考える.時代の変転の中で,この古人のわきま えも忘れ去られようとしている.しかし,かといって, 古人と今人との心の疎通は,絶えてありえなくなったの ではなく,古人の心を追体験し対話することもあながち 不可能なことではない. ヒトゴコロ コト さて此.人情のいにしへと異なる事おほきも.時代 りEわり のならはしにひかれて.いつとなくうつりかはりき ぬる物なれば.今の人も又此道〔歌の道〕にいりて. フル あけくれ古き集〔歌集〕ども又は物語ぶみなどをも てあそびつS.その心ばへをよくよくあぢはひて. ヲノレ 己もそのさまによみならひ.ひたすら古へに心をそ カサ ヒト めて年月を重ぬれば.まのあたり古へ人を友として. (ffじ らい ぷ まじらひむつぶもおなじ事にて.おのつからそのお ミヤピ もむきにうっりっSまことの雅やかなる心もいでき ミヤビ ( に (とも て.今むげに雅をしらぬ人はことにおもしろし共見 ぬ月雪にもこころとまりて.あはれとおもはるSや
うになりもてゆく事おほし18). 古い歌集や物語などを味読して,「物のあはれをしる」 雅やかな古人の心のあり方に想いを馳せつつ,自らも実 践的に歌を詠ずれば,自らのうちにも雅やかな心が生じ, 古人と対座しているかのように親しく語らうことも可能 となるというわけである. さて,その際に忘れてならないことは,言辞という外 ココロ コトバ 的な形式を似せることである.「意も言もともに古への をまねびて.いつかたもみやびやかならん事をもとむる ココロ (コト,9 中にも.まつ意をむねとすべきか.又詞を先とせむか.19)」 との問いに,宣長は一やや常識に反して一次のよう に答えている. さてこの意と詞とは.昔よりとりどりにさだめて. いつれをさきともいひがたき事なるが.まつ意を (9 ピ に むねとせよといはんはげにと聞えて.たれも一わた (あり) りさも有ぬべき事と思ふべけれど.今一たζ偲ふに. なを歌は詞をさきとすべきわざになん有ける.其故 ミヤピ イヤシ は俗き意を雅やかなる詞にはよみがたき物なれば. ミヤビ ( ずから 詞をだにも雅やかにとSのふれば.をのつからいや しき意はまじらず.又意はさしも深からねど.詞の ヒカ めでたきに引れては.あはれにすぐれたる歌つねに おほかれど.詞わろくてよきはなき物也.さればい (おいてピわばコ つれとなき中に.しひていはば猶詞をむねとはすべ かりける20). 真情のままを重視するという考えは,一応もっともに聞 こえるが,よく考え直せば雅やかに言葉を選び整えるこ との方が大切だと,宣長は言う.雅やかな言辞に馴致さ れて心もまた雅やかなものになっていく.こうして自ら 雅やかな心をもちえてこそはじめて古人の雅やかなる心 との対話も可能になるわけである.その意味で,「物事 のそれぞれに応じた感動や共感の適切な対応の仕方,つ まりそういった共感の『型』『形式』ともいうべきもの を古人に倣ってこちらが身につけることが要求されてい る」ともいわれるのである21). 2 言葉と心 こうした宣長の考え方を支えるものは,古人を無前提 のり 的に範とする一種のイデオロギーであるが,同時に, ココロ コト コトバ アイカナ 「意と事と言とは,みな相称へる物」 つまり人間の 心と事象と言葉の相即という考え方のあったことも見逃 してはなるまい22).このことは,宣長の『古事記』の世 界の探求の方法ともなって現れる. 宣長の畢生の大著として『古事記伝』はつとに有名で あり,それは,儒教や仏教に感化される以前の日本人の 固有な,そして原初的な心情世界や倫理観を『古事記』 という文献の実証的な研究を通じて明らかにしていこう とする,宣長のライフワークの成果であったことも,周 知の通りである.彼は,「人として,人の道はいかなる こ らであるコ ものぞといふことを,しらで有べきにあらず23},」と言っ て,「道」の学問を根本とすべき事を説いたが,この フタミフミ 「道」とは,宣長にとっては「古事記書紀の二典に記さ れたる,神代上代の,もろもろの事跡のうへに備は」っ ているものであり24),とりわけ『古事記』が「道をしる 第一の古典」とされている25).では,宣長にとっての道 とは,とりわけて『古事記』に,一「儒仏などの書の やうに,其道のさまを,かやうかやうと,さして教へた ること」もない26)その『古事記』のなかに,どのよう にして探し求められるのだろうか.彼の求める「まこと の道」が『古事記』のなかに示されているものととりあ ひ えず仮定したうえで,それを宣長がいかに尋ね当てよう としているのか,その古事記研究の方法論について考察 してみよう. 宣長の方法論の特徴は,なによりも「言葉」というも のの捉え方のうちに存するだろう.彼はその師・加茂真 淵から,「古言をしらでは,古意はしられず,古意をし らでは,古の道は知リがたかるべし」という教えを受け たという27).これを宣長はどのように考えるか. コトバ ワザ ココロ まつ大かた人は,言と事と心と,そのさま大抵相か なひて,似たる物にて,たとへば心のかしこき人は ワザ いふ言のさまも,なす事のさまも,それに応じてか しこく,心のつたなき人は,いふ言のさまも,なす わざのさまも,それに応じてつたなきもの也,又男 は,思ふ心も,いふ言も,なす事も,男のさまあり, ワザ 女は,おもふ心も,いふ言も,なす事も,女のさま あり,されば時代々々の差別も,又これらのごとく にて,心も言も事も,上代の人は,上代のさま,中 古の人は,中古のさま,後世の人は,後世のさま有 て,おのおのそのいへる言となせる事と,思へる心 と,相かなひて似たる物なるを,今の世に在てその 上代の人の,言をも事をも心をも,考へしらんとす るに,そのいへりし言は,歌に伝はり,なせりし事 は,史に伝はれるを,その史も,言を以て記したれ ば,言の外ならず,心のさまも,又歌にて知ルベし, 言と事と心とは其さま相かなへるものなれば,後世 ワザ にして,古の人の,思へる心,なせる事をしりて, その世の有さまを,まさしくしるべきことは,古言 古歌にある也28), っまり,言葉と事象と心とは,人それぞれに,そのおか れた歴史的・地域的状況に応じてさまざまに異なりっっ, 相即しているわけである.もちろん,「上代の人」の 「心」や「事」は,もはや目に見える形では,「後世の人」 の前には残ってはいない.あるものはただ「言」だけで
あるが,その「言」とても,上述のように歴史的・地域 的に変遷するものであって見れば,後世における「言」 の使い方から推して上代の人々の「心」や「事」のあり 方を知ろうとすれば,それは牽強附会に陥り,それらの ものを真に理解することは不可能である.しかし,逆に 見れば,上代における言葉の用法を充分に吟味し,言葉 に込められ表現された意味を実証的に確定して,そこか ら逆措定していくならば,言葉を鍵として,これと相即 的な関係にある「心」と「事」を明らかにしていくこと ができるはずである.幸いにして,上代の人々の使った 数々の言葉は『万葉集』に遺り,彼らの行動の様は『古 事記』に記されている.もしも,『古事記』に記された ゆ 事実のなかに「まことの道」があると仮定するならば (宣長にとってこれは仮定ではなく,ア・プリオリの前 提になっているのだが),それは,『万葉集』に現れる数々 の言葉の用法によって古言に込められた古意を知り,こ の古意によって『古事記』の事実のなかに,人の踏み行 うべき「事」としての古道を探り当てるという手続きに よって,知ることができるはずである.これが,『古事 記』の世界に分け入りそこに人の道を探ろうとする宣長 の根本的な考え方である. 古道を閨明するうえでの,『古事記』と『日本書紀』 の取り扱いの違いも,この考え方に基づくものである. 宣長にとって,古道を明らかにするための主要な手がか りは『古事記』であり,『日本書紀』は一段価値の低い ものとみなされている.その理由を,彼は次のように説 明する. (ソモソモコ ココロ コト コトバ ァヒカナ 抑 意と事と言とは,みな相称へる物にして,上。 代は,意も事も言も上。代,後.代は,意も事も言も カラクニ 後.代,漢国は,意も事も言も漢国なるを,書紀は, 後.代の意をもて,上。代の事を記し,漢国の言を以。, ミ ク ニ 皇国の意を記されたる故に,あひかなはざること多 かるを,此記〔古事記〕は,いさSかもさかしらを クワ 加へずて,古へより云,伝へたるまb,・に記されたれば, アヒカナヒ マコト その意も事も言も相称て,皆上。代の実なり,是。も コ トバ ムネ はら古の語言を主としたるが故ぞかし,すべて意も フミ 事も,言を以て伝。るものなれば,書はその記せる コ トバ ムネ 言辞ぞ主には有ける,29) 『古事記』は,いにしえの「意」と「事」とをそれに 「相称」った「言」で書き記しているから,そこにはい マコト にしえの「実」があるというのである.言葉というもの を,もし,実体的なものに貼り付けられた単なる信号で あると考えるならば,すなわち,信号がどうあれ,その 根本にある実体的なものは不変であると考えるのであれ ば,このような形で記と紀に差別を設けることは無意味 なことである.なぜなら,「事」というものが,誰が何 時どこで体験しても普遍的に承認されるような客観的な 意味を具備したものであるならば,それに出会う人の 「意」や「言」など問題でなく,後世の心を以て記そう と,中国の言葉で書きのこそうと,もともとの事実に違 いのあろうはずがないからである.「意」と「事」との 相互の関係性が「言」という表現の形態を求めるのだと 考えて始めて,宣長のこの議論は理解できるものとなる. これは,歌とは「事」と「心」とが出会う関係から析出 されるものだというという洞察が,さらに言葉の洞察へ と行き着いたもの,ともいえようか. 我々は,だいぶ長々と宣長に関わりすぎたかもしれな い.もちろん,宣長の洞察の深さを顕彰しようという目 的ではない.宣長にみるような歌や言葉についての捉え 方からすれば,八雲の書き留めた逸話にあるような,月 を人の心を映す鏡と見,月の盈麿iに人の世の栄枯盛衰を 象徴させるという,「型」に倣った表現の仕方は,それ はそれで,古人の体験を追体験し彼らと語らうことを可 能にするひとつの方法ではないか,ということである.
皿 認識における「型」について
われわれにとって,『古事記』に記述されていること がらが,さながらに日本人にとって拭いようのない固有 の原事実であり原観念であるという認識は既にして肯い がたいものではある3°).しかし,そこに古代人の世界の 了解の仕方,観念に映った事実を見てとることまでを完 全に否定することは,やや行き過ぎではないかと思う. 一般的にいって,神話の世界は,後世の人間にとって は,きわめて異質であり,理解の困難なものとしてある. 融通無碍な変貌,時空の超越,とめどない情念の噴出, 霊妙不可思議な力,非倫理的な思考と行動,…….しか し,それはあくまでも,後世の人々にとっての見方でし かない.神話的な世界に対して後世の見方をただ単純に 対立させてみるならば,前者はただ非合理の闇として, あるいは未熟な思考の戯れとして,見なされるしかない. しかし,「もし我々が,神話的知覚及び神話的想像の世 界を説明したいと思うならば,我々の認識及び真理の理 論的理想という観点から,両者の批判を始めてはならぬ」 のである31).人間の認識は,物理的実在を直接に対象と するのではなく,さまざまな形式のシンボルを介在させ, そのシンボルによって世界を意味づけ,了解可能なもの へといわば着色していくのである.言語神話,芸術, 宗教等は,こうした「シンボルの宇宙」の諸部分であり32), 科学といえども,そうしたシンボルの一形式にすぎない33). つまり,それらのものは,人間がその住まう世界を認識 し了解するための意味体系なのであり,それぞれ相対的 なものであって,その間に価値的な優劣はない.こうした考え方を採るときにはじめて,神話的な世界も,古代 人独特の世界了解のあり方として,その存立を認められ, 非合理の闇から救い出されよう. 世界了解の有力な手段は言語である.「言語は,その 感性的知覚の世界を分節(組織化)しようとする人間の 最初の試みである.」34)と言われるが,そのような言語 には常に,それを使用する集団の歴史的体験が蓄積され ている.言語に反映される共同主観性について,カッシー ラーは次のように指摘している. 異なった諸言語におけるもろもろの語はけっして同 義語ではありえず,厳密かつ正確に考えてみるなら, それらの語の意味は,その語によって表示される対 象の客観的特徴を列挙するだけの単純な定義によっ て囲みこまれるようなものではけっしてありえない のだ.言語的な概念形成の基礎になる綜合と分類の ひ うちにあらわれているのは,つねに意味付与の独自 な様式なのである.月がギリシア語では「測るもの」 (砺のと表示され,ラテン語では「輝くもの」(luna, luc−na)と表示されるのだとすれば,ここでは同じ 一つの感性的直観がまったく異なる意味概念のもと ゆ におかれ,その意味概念によって規定されているこ とになる35). 中空にかかる月という,取り違えようのない同一の客観 的対象であっても,それにどのような意味を込めて把捉 するかは,経験を異にする人々のそれぞれの言語によっ て異ならざるをえないのである. そもそも,人間の解釈や意味づけを抜きにして客観的 に存立している世界や事実といったものは,「ひとつの 抽象」以上のものではありえず,「世界は記述・分析さ るべき対象的事実であるというよりはむしろ,解釈さる テクスチュァ ベき〈意味の織物〉としてわれわれの生の場を形づくっ ているのである」から,「解釈の枠をなす意味連関,意 味空間を鋳型として受け容れ,そこに住み込むことから われわれの体験は始まる36)Jのだと言われる.この織り なされた意味の体系は,歴史的・地域的な状況の違いに 応じてさまざまな相貌をもっているだろうが,いずれに せよ,我々の住まう〈意味の織物〉としての世界は,個々 人の体験以前に諸事象・諸事物の解釈の様式を,個人に とっては外的な形式として,すでに準備しているのであ り,まずはそれに倣うことなしには,そもそも体験とい うことが成り立たないのである.
IV 模倣について
最後に,「型」の模倣,ということについて考えてみ たい.日本人の模倣性,模倣上手ということはつとに指 摘されるところであるが,その模倣性を生み出す根本的 な心性はいかなるものであろうか.この点については, 牧田茂氏の興味深い考究がある.しばし氏の説くところ を聴くことにしよう. 日本人はこの世の諸事物・諸事象すべてに魂の内在す ることを信じてきた.それは,原始的なアニミズムの信 仰には通有のことではあろう.ただ,日本人は,遥か海 と こよ はは の彼方に魂の原郷(常世とも,批が国ともいう)がある と観じてきた.この原郷から魂がこの世にやってきて人 間や動植物に宿ることによって,はじめて人間や動植物 が生まれ成長することができる.いや,生物だけではな く,石や山,船,建物といった無生物や,さらには去来 する「時」といった無形のものにも魂が宿り,その宿る ことによってそのもの本来の作用や威力が発揮されるよ うになる. ただし,ここでいう魂というものは,我々が一般に考 える魂というものとはやや趣をことにする.我々が普通, 「魂」といった場合,それは生まれたときから身体のな かにあり,死ぬまでそこにとどまるものである.しかし, 上述の魂は,古来日本人がタマと呼び慣わしてきたもの で,自由に身体のなかにはいったり,抜け出したりする ことができるし(そのようなタマは,くしゃみをした拍 子に身体を抜け出て浮遊することもありうる),さらに は,「段々に成長もしていくし,いくつかに分割するこ ともできる,他人からもらったり,他人に分けてやった りすることもできる」というようなものである37).たと えば,お年玉ということばのもともとの意味するところ は,その年のタマということであり,その象徴としての 餅を食べるということは,「新しい年には新しい年のた めの若々しい威力ある霊魂を身につける必要があって, それは海の彼方の“魂の世界”から分割されてもたらさ れてくる」という考えのもとに行われるのだという38). このようなタマの観念を前提にしたとき,日本人の模 倣性についても,興味ある解釈が成立する. 日本人がマネブーつまり模倣という方法でものを 習ったのは,その方法が,もとのものに宿っている 魂を一番よく取入れることができると考えたからで ある.もちろん今でいう霊魂ではなくて,むかしの 言葉でタマといったものである.もとのものに宿っ ているタマを分割して,自分に取入れることができ れば,そこで初めて自分のものがもとのものと同じ 働きをする,と考えたのである.断絶してはいけな い,継承でなければならない,というのが,根本の 考え方であった39). この模倣によるタマの分有という考え方が文芸のうえに 現れたものがいわゆる本歌取りである.本歌取りとは, 「和歌,連歌などを作る際にすぐれた古歌や詩の語句,発想,趣向などを意識的に取り入れる表現技巧4町であ るが,それは盗用の技法ではない.「本歌取りによって, もとの歌に込められていたタマが新しくつくられた歌に 分割されて入りこんでくるという考え方」のうえになさ れるのだという4n. こうしてみれば,模倣とは,単に安直で受動的な借用・ 盗用というようなものではなくて,美しい原型の精神性 を共有しようとする,ある意味では主体的な営為である ということができよう.タマの信仰などというものは, 我々にとってはほとんど意識にのぼることもない,過去 の信仰かもしれない.しかし,模倣の原点にあった心性 を確認しておくことは,模倣の意義を不当に鹿めないた めにも,決して無駄ではないだろう42).
V 結びにかえて
以上,「型」とその模倣という問題について,思いつ くままにあまり脈絡もなく,いくつかの論点を述べてき た.試論であるということにかこつけて,きわめて恣意 的な羅列になってしまったことを反省したうえで,以下, 今後において考究すべき問題点について,列挙しておく. 第一.唐木氏が「型」を言う場合,それは業や修行な どの身体の修練をともなうものを考えているが43),本稿 では一般的に規範的な外的形式として「型」を考えてき た.その意味では,唐木氏の問題提起を正確に受けとめ たものとはなっていないであろう.唐木氏と問題意識を 共にしようとするのであれば,「型」の意味をより厳密 に規定して論考を再構築する必要がある. 第二.「型」の模倣は,単に借用・盗用ではなく,美 しい原型とその精神性を共有しようとする営為だと述べ た.今我々にとって,その精神性を共有すべき美しい原 型は,どこにどのような形で求められるのか.もはや我々 は,宣長のように,「古人」一神代・上代の神々や人々 をもって,日本人に固有の原心性(八雲の言葉を借りれ ば,原初の「集合的感情」ともいえようか)を持った人々 と理想化・規範化することは不可能である. 第三.「型」の模倣は,外面的なものを以て内面的な ものを統御することに,その本来の目的がある.その点 が忘れられるとどうなるか.唐木氏は次のような指摘を している. 修養とか修業とか行とかは単に内面的なもの,内面 生活,可能性としての個性にかかはるものではない. 寧ろ内面的なもの,可能的なもの,さういふ形をな さないものに,如何にして形を与へるかが問題であ つた.従つてそれは外面生活,行住坐臥の仕方,行 為の仕方,躾けを問題にする.模範的な型,規範を 権威としてそれに習はうとする.まねびならふこと が課せられる.外を通じて内へ向はうとする.そして 外から内への通路を忘れ,或は失ふとき,それは甚だ しく日常的なもの,便宜的なもの,「型の如く」とい はれるものに化する44). 形のないものに形を与え,形のあるものを以て形のない ものを制す一そのような外面から内面への働きかけを忘 れた「型」の模倣は,それこそまさしく,自由と創造性 の敵対物に転化するであろう.外から内への回路を常に 確保することは,いかにして可能か. 第四.新たな「型」の創造は,いかにして可能か.た とえば,茶道においては,「守・破・離」ということが 言われるそうである.「守」は,「型」を身につける段階, 「破」は,いったん身につけた「型」を破却する段階, 「離」は,「破」の後の時熟を経て新しい「型」が創造さ れる段階,である45).そのような創造的な展開のない 「型」の習得は,まさに,内面に通じない外面だけの物 まねに終わるであろう.そのような創造的な展開は,ど のようにして実現されるのだろうか. 社会が総じて「型」を失った現代において,第二から 第四に示したような問題点を見据えつつなお,新しい 「型」の創出を模索していくことは,我々にとって避け て通ることのできない課題であるように思われる46). 「型」の習得は過去との対話を可能とするものであり, 他方,我々が何らかの「型」を遺すことは,未来の世代 が我々と語らうことをも可能にするはずである47). 註 引用文について:引用文中,旧字は新字に改めた.ル ビ,圏点,下線は断りのないかぎり原文のままだが, 〔〕内の字句は筆者が適宜補ったものである. 1)小泉八雲「知られぬ日本の面影」,『小泉八雲全集』 第三巻(第一書房,1931),pp.577−578 2)同上,pp.578−579 3)同上,p.577 4)源了圓『型』(創文社,1989)参照 5)源了圓「型と日本文化」,源編著『型と日本文化』 (創文社,1992),p.12 6)岩見和彦「ミーイズム社会」,岡田至雄・徳岡秀雄 編著『基礎社会学』(福村出版,1986),pp.125−140 参照 7)唐木順三『新版 現代史への試み』(筑摩書房,1963, 初出は1949),p.25 8)源前掲書 いそのかみのささめごと 9)本居宣長「石上私淑言」巻二,『本居宣長全集』第 二巻(筑摩書房,1968,以下『全集』と略記),p.159 10)「紫文要領」巻下,『全集』第四巻(1969),p.11011)この点に関わっては,宣長の歌論や『古事記』研究 すめらおおみくに は,つまるところ,「皇大御国」としてのセルフ・ア イデンティティー,あるいはその自己正当化・神聖化 を神代・上代に求める,きわめてイデオロギッシュな 性格のものであるとの批判がある(子安宣邦『本居宣 長』〈岩波新書,1992>参照).あるいはまた,「人間 のあらゆる特殊な感情をすべて『もののあはれ』とい うひとつの感情に帰一させようとするその小心さにお いて,むしろ彼〔宣長〕はもともと文学から出発しな がら文学から最も遠い地点へまっしぐらに突き進んで いった人間であると見て差し支えない.」との批判も なされている(百川敬仁『内なる宣長』〈東京大学出 版会,1987>,pp.77−78).そうした批判を前にして宣 長について何か語ることには,ためらいを感ずる.し かし,宣長の思想的営為の意図を内在的に明らかにす ることを直接の目的とするのではなく,宣長がその主 観的意図を超えてはるかに我々に投げかける問題を現 在の立場で受けとめるという意味でならば,神代・上 代の人々を無前提的に理想視するイデオロギッシュな 部分を相対化しつつ,宣長の議論をより一般的な文脈 のなかで読み替えていくという操作を行ったとき,今 なお我々にとって有益な考究の手がかりをつかむこと も可能なのではないかと思う. 12)「石上私淑言」巻一,『全集』第二巻,pp.99−100 13)本山幸彦『本居宣長』(清水書院,1978),pp.119− 120,相良亨『本居宣長』(東京大学出版会,1978),p. 65 14)「石上私淑言」巻一,『全集』第二巻,p.109 15)「紫文要領」巻上,『全集』第四巻,p.57 16)子安宣邦『宣長と篤胤の世界』(中公叢書,1977), pp.44−47 17)「紫文要領」巻下,『全集』第四巻,p.103 18)「石上私淑言」巻三,『全集』第二巻,p.177 19)同上,p.178 20)同上,pp.179−180 21)小島康敬「近世思想史における『心』と『形』」,源 編著前掲書,p.125.なお,以上の宣長に関する論述 にあたっては,この小島論文がきわめて参考になった. 22)この「意と事と言とは,みな相称へる物」という考 え方に対して,子安氏は,「『語』とその『意味』と, またそれが指示する『事象』との一般的な相即がいわ れているなどと考えてはならない.ここで『意』とは 『皇国の意』とか『漢意』と宣長がいうように,ある 思想とか思想形態をもって考えた方がよいことばであ る.そこからすれば,『意と事と言とは,みな相称へ る物』ということばから浮かび上がってくるのは,む しろ時間的,空間的な規定を負った言語の相対的な姿 である.まさしくそれは,それぞれの時代のそれぞれ の国の『言語のさま』であ」り(子安前掲『本居宣 長』,p.76),その「言語のさま」とは畢寛,「漢字・ (あやコ 漢文エクリチュールに対立する美しくも文ある我が古 えの『言語のさま』である.」(同上,p.84)と述べ ている.たしかに子安氏の別挟する問題は,宣長の内 在的な理解としてまさしく正鵠を射たものであろうが, 宣長と関わる筆者の立場は註11)に述べたとおりであ る. いやまぶみ う 23)「宇比山踏」,『全集』第一巻(1968),p.9 24)同上,p.5 25)同上,p.12 26)同上,p.29 27)同上,P.17 28)同上,pp.17−18 29)「古事記伝」一之巻,『全集』第一巻,p.6 30)たとえば,『古事記』の記述のなかで「“すめらみこ と”に聖なる神としての資格を付与するプロセスに おいて,道教の神仙的な“神”の意識が介在してい た」との指摘もある(上田正昭「古代の祭礼と儀礼」, 『岩波講座・日本歴史1』〈岩波書店,1975>,p.350 参照). 31)エルンスト・カッシーラー『人間』(宮城音爾訳, 岩波書店,1953),p.111 32)同上,p.35 33)同上,p.317 34)同上,p.301 35)エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学』 〔一〕(生松敬三・木田元訳,岩波文庫,1989),p.411. 末尾の圏点は,筆者. 36)鷲田清一「科学・イデオロギー・エートス」,日本 倫理学会編『思想史の意義と方法』(以文社,1982), P.74 37)牧田茂『日本人の一生』(講談社学術文庫,1990, 初出は1965),pp.22−32. 38)牧田前掲書,pp.34−40. 39)同上,P.107 40)小学館『国語大辞典』 41)牧田前掲書,p.108 42)さらに,模倣こそ人間の自由と創造性の本源的な基 盤となるものであろうが,この点については現在の筆 者にはこれ以上の言及は難しい.加藤尚武氏は,「学 習は自由の形成であるが,先行する自由がなければ学 習の過程も成り立たない」.「学習過程には常に先行す る自由がある.子どもの発達過程で一番初めにある自
由は,『真似る』ということである.模倣の本能のな かに学習の原型がある.」と述べている.加藤『ニー 世紀への知的戦略』(筑摩書房,1987),pp.96−102参 照. 43)次の註44)に引く引用文を参照のこと. 44)唐木前掲書,p.44 45)源前掲書,pp.253−255参照. 46)源前掲書,pp.4−7 47)「ひとつひとつの言葉の由緒をたずねて吟味し,名 文をよく読み,それらの言葉の絶妙な組合せ法や美し い音の響き具合を会得し,その上でなんとかましな文 章を綴ろうと努力するとき」,あるいはそれは新たな 名文となり古典のなかに迎えられ次代に引きつがれる, かもしれない.「いま,よい文章を綴る作業は,過去 と未来をしっかりと結び合わせる仕事にほかならない」. 井上ひさし『自家製 文章読本』(新潮文庫,1987, 初出は1984),pp.12−13