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保育の視覚表現(II)

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(1)

保 育 の 視 覚表現

Visualistic Expression on Chnd_care

(2)

はじめに 保育者の養成校の教員が

,学

生 に表現の視覚的問題 について

,な

にをどれだけどう伝 えたら良 いのか

,保

育者 として過不足のない「視覚表現への専門知識」 とはどこまでなのか

,ま

た保育者 はそれを保育のなかで どう生か し

,ど

う考えていったら良いか

,造

形表現

,視

覚表現 になるべ く 保育者 も楽 しみなが らチャレンジ出来るよう

,保

育の造形

,視

覚表現の土台

,基

礎 となる部分 に ついて考えてい く。言つてみれば

,造

形的な理論

,あ

るいは視覚的な理論 と保育技能 との結びつ き

,繋

が りとなっているようなものについて

,例

をあげなが ら論 じてい く。 色彩学

,造

形原理・造形心理学

,あ

るいは具体的にペープサー ト

,パ

ネルシアター

,エ

プロン シアターなどの視覚表現技術の考え方や

,演

出方法

,絵

,紙

芝居 などの視覚表現

,環

境構成 と しての壁面など保育に直接関連 して くると思われるものを取 り上げる。 今回は視知覚 と認知の問題 などを

,主

にパネルシアターを例 として挙げなが ら考察する。

2.紐

帯 昔の話で恐縮だが

,図

画工作の授業や造形的表現の授業の組み立ては

,そ

れにあたる教員によ って様 々であった印象が深い。何年か前 までは

,教

員が 日本画の畑の出身であれば日本画の

,ま

た油彩画の出身者であれば

,油

彩画の基礎教育 を念頭 においてその指導計画がなされていた例 を 何件 も聞いていた。具体的に言えば

,先

生の出身が洋画畑であれば「デ ッサ ン」である。保育科 の学生は

,養

成校で「石膏デ ッサ ン」 を学んだ。なかには相当な時間をそれに費や していた学校 もあった。絵の基礎 は「デ ッサ ン」であるか ら「デ ッサ ンが出来ればなんで も出来る。」 という発 想である。そ してその事 は

,半

分あたつているように今 も思 えないではない。その目的が必ず し も「保育者」 を目指 しているわけでなければ

,で

ある。 音楽については

,ま

るで門外漢なので専門的な事はなにも述べ られないが

,少

な くとも養成校 として始 まった初期の段階では

,多

くの養成校の保育科の音楽教育は「 ピアノ」であ り「クラッ シック」が基礎である, という思いが どこかにあつたように推察するのである。そ して

,こ

のこ とも半分は確かに正解 なのだろうと腑 に落ちるところがある。 また

,こ

れ とは別の「授業方法」 を取っている養成校 も多 くあったと思 う。造形で言えば「子 どもの造形あそびや

,保

育技能の具体的理解」 を重視するような考えかたである。スタンピング や ドロッピング

,視

覚表現ではペープサー ト

,手

作 りの紙芝居

,な

ど。 また手作 リオモチャや粘 土の造形

,少

し準備や配慮がいるが フィンガーペインテイングなどである。 どちらに しても

,ひ

とつはそこで育つ保育者が何 を目的として (保育観), どんな内容の ものを 用意で きるか (実践), という問題であろうし

,ま

た養成校 (教員

)は

「どんな」保育者を育てよ うとしているのか という

,理

念 と思想の問題 なのだろう。 また同様 に何年か前

,大

学の授業 を現場 につなげてい く「応用力」が最近の学生には足 りない 一-30-―

(3)

との心配を日にする先生 もいたようにと記憶 している。たとえば「基礎の ビアノ技術 (バイエル など)」 が「幼稚園での ビアノ」 にうまく繋がっていかない。「石膏デッサ ン」が子 どもとの「造 形遊 び」 に生かせない

,と

いうような教員側のジレンマで もあったと思 う。そこで童謡が弾ける, こどもと歌が歌 える学生 を

,デ

ッサ ンよりも楽 しいオモチャ作 りを

,と

いう流れになって来たの か も知れない。 学校での「理論」 と保育の場での「実践」 を結ぶ

,紐

帯のようなものをつ くるための「応用力」 あるいは「臨床知 (実践知)」 (clinical knowledge)① などを

,な

んとか学生に身に付 けて もらい たい

,と

い う有 る意味でおごった考えが

,結

果 としては短絡的に「す ぐに現場 に使 えるものを」 「こどもが喜ぶ ものを」 といつの間にか安易 に

,イ

ンスタン トに繋いで考えてはいまいか

,と

考え ないで もない。 図画工作や造形的表現は「保育技能」の教科 目である。つまりは演習の形 を多 く取 って授業計 画が されている。先 に述べたように

,善

し悪 しを別 にして時代か ら見て「ペープサー トが新鮮 さ を失 って見 えればパ ネルシアターを」 とい う取 り上げ方 を してきた様 に思 うのである。 しか し, 時代 はまた古ぼけた印象 になっている「ペープサー ト」 を

,も

う一度見直そうとしているような 気配が

,阿

部恵

,ほ

かの著作物などか らほのかに感 じられる。 これ らを考え合わせてい くとき

,時

代や流行が変わっても

,そ

の変遷 に流れない単純な基礎の 理論

,造

形や視覚表現の核 となっているデザインの基礎理論 もまた

,見

直 され

,取

り上げられて 良いように思 うのである。その基礎理論の見直 しや再確認が理論 としてではな く

,方

法 として, 紐帯 を太 くしてい くことのヒン トにな りは しまいか

,と

考えるのである。

3.大

きさとはなにか 電気店 にい くと

,大

型のテ レビジ ョンが ところせ ましとばか りに並んでいる。画面映像の追力 や臨場感が違 うのだろう。 また日本の美術展 に足 を運べば

,100号 ,200号

といつた大作が並んで いる。むか し山本直純 (作曲家

,保

育関係では「 こぶたぬ きつねこ」の作詞

,作

曲で著名

)の

や つていた「大 きいことは

,い

いことだ。」 という

CMで

はないが

,テ

レビも冷蔵庫 もみんな大 きさ を目指 したのである。 このこととの関係はむろん無いだろうが

,保

育のほうで も「大型絵本」 な どとい うのがある。 昔,「ちび くろさんぼ」 という絵本が「差別用語」の問題で発行禁止になったことがある。男の 子が傘 をさして

,ジ

ャングルにい くと虎にであうというような,「子 ども向け」の絵本で

,作

者は その絵 も描いている。 しか し

,こ

こで「発禁」の問題 を述べ るつ もりもない し

,内

容やその評価 について意見があるわけで もない。その本の大 きさについて語ろうとしているのである。 この原書 を比較的忠実に再現 したと思われる「復刻版」が径書房 より出版 されている。「ちび く ろさんぼのおはな し」 はずいぶん と「小 さな」絵本 (縦幅13cm×横幅

8cm)で

ある。役者あ とが

(4)

きによればこの大 きさは,「 1899年にイギ リスで

,ヘ

レンの希望 どお り

,子

どもの手のなかにお さまる小 さなサイズの絵本『ちび くろさんぼ』 として出版 されました。」 とある。作者のヘ レン・ バナーマ ン婦人は100年ほど前

,夫

とともに

,当

時イギ リスの植民地だった

,イ

ン ドの奥地で伝 染病予防の仕事 をしていたのだ という。 しか し暑 さになれないヘ レンの子 どもたちは

,夏

のあい だだけ高原 に移 らなければ健康が保てず

,ヘ

レンは離れて暮 らす子 どもたちをはげますために, 毎週のように絵手紙 をお くった。そ うした多 くの絵手紙のなかに

,こ

のヘ レンが作 った手作 り絵 本があつた というはな しである。作者ヘ レンの「子 どもたちの小 さな手に

,ち

ゃんと収 まるよう に」 との思いか らこの大 きさになったとのことで②ある。「 こどもがちゃん と持てる大 きさ」。 こ のヘ レンの ような発想が

,保

育 にかかわる上では

,根

源的で大切な物事の考え方なのか も知れな い。 すこし話がそれたが

,学

生にパネルシアターを作 らせるとき

,お

お くの学生は教科書の指示 と は違って「絵人形」 を小 さく作ろうとする。理由は「小 さくかわいい作品を子どもたちに見ても らいたい」 という事ではない。大 きさを間違えた

,あ

るいは大 きくコピーするのが面倒だ。大 き いと

Pペ

ーパーも使 うし

,制

作 も面倒だということらしい。 もちろん

,ハ

ンドパネルの作品のようにやや小 さく作る物や

,鑑

賞者の人数

,演

じる部屋の大 きさなど,「絵人形」の大 きさを決定づける要素はた くさん有ると思われるが,「普通に」子 ども にパネルシアターを見て貰おうとするとき

,そ

の大きさの基準 として考えられるのは

,私

は「母 親の顔の大 きさ」だと考えている。 人間が生まれて何をはじめて目にするか解 らないが

,生

まれたての時には

,ほ

ぼ世界が見えて いないように聞 く。赤ちゃんが注視をしているようなそぶ りをするのは

,生

後一ケ月頃

,日

で後 を追う様になるのが (追視

)生

後ニケ月位

,大

人に近い視力 (1.0)を持つのは

3歳

ぐらいからだ という話である。つまり

,乳

幼児がやがて,「それ」が「それ」あることを認識するのには有る程 度の時間がかかるのだという。それならば,「子 どもが最初に認識するもの」が母親の顔であろう と考えるのは乱暴な推論ではないと思う。子どもの絵の発達から考えても

,多

くの (ほとんどの) 子 どもは「頭足人」を描 く課程を経て発達 している。「顔」は認識される物 としていかに重要な要 素であるかがこのことからも理解できる。「頭足人」には顔から直接

,手

と足が伸びている。たい がいの場合細い棒のような手足である。足は足首から下を表現 しているかのように

,ち

いさな 「まる」がつけられることも多い。面白いのは,「耳」がつけられていることが多いことである。 「顔」「手」「足」「耳」 という人体の部位が

,子

どもがはじめて「図式的」に人間を表現する (認 識を具体化する

)時

の表現要素である。不思議だが人間の胴体部分に関してこどもは描かない。 人体で一番の大 きい部分である。それを子 どもは描かない。子 どもは興味

,関

心が「 トルソー (胴体)」 0こは無いらしい。胴体が無 くて頭に直接

,手

足 と

,な

ぜだか耳がついている。「頭足人」 の由来 (由縁

)で

ある。「耳」については「見ると聞 く」 という五感の認識 と関係が想像出来そう ―-32-一

(5)

だが

,こ

こでは「視覚と大 きさの認識」についてもう少 し考察を進めていく事とする。 図式期が もうすこし発達すると

,家

族だの飼っているポチだのが描けるようになる。その時家 族の絵を描 くような場合では

,お

母さんが中心 となる。あとは「いもうと」だの「犬のポチ」だ のが周 りに描かれる。影の薄いお父さんなどは後から隅つこの余白に思い出したかのように小 さ く表現 される。だれかに「あら

,お

とうさんは?」 などと言われて思い出したのである。こども は「好 きなもの」 を真ん中に大 きく描 く。あとは興味のあるものを書 き足 してい く。このように 子 どもの表現を辿つてみると,「母親の顔」は子 どもにとつていかに関心の深いものかが見えてく るのである。それは「ものの大 きさ」のある基準 としても

,で

ある。 先におかあさんの顔は

,子

どもにとつて「ものの大 きさ」の基準になるよ

,と

学生にパネルシ アターを制作するときにア ドバイスすることを述べたが

,絵

人形を「大」「中」「小」 と想定する ときには,「大」は自分の顔 を一回 り大 きくして,「中」(標準

)は

自分の顔の大 きさ,「小」は自 分の手のひらの大 きさを目安にすると良いと思う。もっと小 さければ「赤ちゃんの手」であると か

,大

きければ「肘から指先 まで」 というように人間のからだにイメージをつないで考えてい く 事が

,案

外だいじな気がするのである。 大 きさは基本的には比較の問題である。それでは

,人

はなにを尺度 として「大 きさ」を認識 し ているのか。たとえば

,人

類の歴史から大 きさや長さの単位のことを考えてみても,「インチ」 も 「フイー ト」 も「ヤー ド」 も日本の「尺」 も皆

,人

体の部分の長さから始まっている。つまりは自 分 (人体

)を

,大

きさ小 ささを感 じる尺度にしていることがわかる。このことを考えるとき

,こ

うした考えかたもあながち不自然な発想 とも思えないのである。 イメージができないうちは仕方がないので

,書

き加えて置 くならばおおきい絵人形は

A3サ

イ ズいっぱいのもの (これ以上おおきくなると絵人形は操作が難 しくなる

),中

ぐらいの場合は

A4

サイズの

Pペ

ーパーで切 り取れるもの

,小

さいものは

A5と

いうのでも

,最

初のうちの目安 とし ては良いかも知れない。

4.視

知覚 また

,当

た り前のことだが大 きさは見る者 と演 じられる物 との距離に密接に関係 している。大 型電気店の大型テレビの視聴 コーナーでもテレビと視聴者との距離は

,ど

の店でもほぼ一致 して いた。これは視野 とサッケー ドの問題である。人間は水平方向でおよそ180度 (左右それぞれで 90度

),垂

直方向でおよそ130度 (上下それぞれで65度

)の

視野の中の対象を検出できるが

,鋭

敏 な視覚はこれよりずつと狭い範囲に限られている。絵本を読むのも

,紙

芝居を見るのも

,パ

ネル シアターを楽 しむのも皆この視知覚の働 きのなかにある。 その前に

,ま

ず「物が見える」 ということの仕組みを簡単に整理 してお く事にする。物が見え る為には

,条

件 として三つの要素が必要 となる。物を照 らす光 と見つめられる物体 と見つめる目

(6)

である。 これを視覚現象の三要素 と呼んでいる。光は電磁波の一種で

,有

る波長 を持 ったが可視 光線 となる。有 る波長 というのは

,380ナ

ノメー トル

(1ナ

ノメー トルは1メ ー トルの10億分の 1の長 さ

)か

ら780ナノメー トルの波長の ことで

,そ

れ より波長が短ければ

,紫

外線やエ ックス 線

,長

ければ赤外線や レーダー線 などになる③。携帯電話などにも電磁波は使われている。波長 は2,30cmほ どである。 この可視光線が物 に当たつて

,反

射 した色や明暗が目のなかの視細胞に知 覚 されてここである種の電気信号 (光線 インパルス

)に

変わる。 これが視神経 によつて大脳の視 覚領域 に達 して外界の映像 を知覚するののである。 ところで「 ものが見 える」 とい うプロセスはかいつ まんで云 うと以上の ようなことであるが, 絵本 を読む事や

,パ

ネルシアターを楽 しむという場合 にはさらに2つのシステムの考慮が求めら れる。つ ま り

,180度

の視野はあっても鮮明に見える範囲は中心視の範囲の中だけである。 これ が どれ位の角度の範囲か というと

,中

心嵩 (網膜の中心 にある くぼみの部分。 この周辺 に視細胞 は密集 している。

)か

ら僅かに2度の範囲になる。解 りやす くいうと

,片

目を閉 じて

,片

手 を伸ば しその親指 を立ててみる。その親指の幅が中心視 にあたる

2度

の角度 になる⑤。(話は戻 るが先ほ どの長 さの単位

,イ

ンチはこの親指の幅 に由来する。) 中心嵩 を取 り囲む傍 中心寓に映る像 はそれより鮮明 さが落ちることになる。近周辺視はさらに 解像度が悪 くなるが

,そ

れで もある程度の情報は捉 えることが出来る。たとえば

,周

辺部の対象 の動 きは

,対

象の検出をきわめて容易 にする。 このことは

,パ

ネルシアターの絵人形の登場人物 の動 きや関係の知覚、知見 に重要に関わつて くる。つ ま り鑑賞者 (子ども

)と

パ ネル との位置関 係

,パ

ネルの大 きさ

,動

く対象 (絵人形

)の

弁別

,認

知の問題 としてである。 対象 を見 るときの 目の動 きは,「サ ッケー ド」 と呼ばれている。 これは1878年にエ ミール・ジ ャヴァル (フランスの科学者

)に

よつて名付けられた。かれは

,子

どもが文章を読むとき

,目

を 小 さく跳ぶ (saccade)よ うに動か しては止め

,ま

たはかの部分 に動か しては止める事 をくり返 すのを観察する。私たちが本や絵 を見るときも

,日

の働 きは同 じようになる。私たちの注意が周 辺部の興味深い対象 に向 くと

,日

はそこに動いて止 まり

,そ

してまた…… というように

,こ

れが ヽ     ヽ ヽヽ ︱ ︱ ︱ ︰ ヽ_¨

_…

:卜,“三1_… … ´_´´・ 図

1-1

単 眼視 と両眼視 の視野 の限界 (ロバ ー ト・L・ ソル ソ

I)2a16

単眼視野

(7)

-34-中心視er 図

1-2

中心視

,傍

中心視

,近

周辺視 を示す円錐 (ロバー ト・L・ ソルソ

I)2C106

次々繰 り返 される事 になる。「視覚的認知」が起 こるのは

,注

視 している間である。絵 などを見る ときの注視時間は

,場

合 によって も異なるが

,平

均すると約300ミ リ秒位である。(まばたきは約 20ミ リ秒かかる。) サ ッケー ドにかかる時間はほんの一瞬である。個人差はあるが

,視

角で2度のサ ッケー ドで25 ミリ秒

,10度

で45ミ リ秒 ほどである。眼球が動 く間は像がぼやける。視る対象が興味深かつた り, わか らなかった り

,わ

か りに くかった りする場合には,300ミ リ秒 よりずつと長 く目を止める。 ま た反対 に

,興

味のある部分 を探 して、目がおお きく跳ぶ こともある。 この「注視 と跳 び (眼球運 動)」 が

,視

覚情報の処理

,知

,知

覚には (ものを視覚的に理解するのには

)重

要な仕組みにな る⑥のである。 それでは,「りんご」が「 りんご」であることを

,私

たちが視覚的に理解 しうる為には

,ど

のよ うな情報の流れが私たちの内には必要だろう。視知覚は

,ま

ず「 りんご」 を視覚的な刺激 として 認知することが最初の入 り口になる。それか ら「 りんご」 と「他の物」 とを弁別する作業を取 り, さらにその刺激 を過去の経験 に照 らして解釈するという行程 を取 る。つ まり「 りんご」 を視覚的 に受け止め「あなたはだ―れ?」 とい う認知の行為 を行い

,過

去 に経験

,理

解 をしている記憶 を 辿 つて「 りんご」だと了解するのである。認知決定の主要な三つの要素は

,感

覚器官 (目の働 き) → 知覚特性 (ものの見方

)→

認知過程 (プロセス

),で

ある0が

,こ

の視覚的認知 を考えるに は具体的に「図」 をあげてイラス トで説明する方が

,一

般 には理解 しやすい。 私たちには「視界に入っているにもかかわらず見えていない。」 ということがある。有名なもの は

,誰

もが一度はなにかの機会で 目に している筈の「ルビンの盃」だと思 うが

,こ

こでは別の例 をあげて見てみることにする。

(8)

2

齊籐 勇 Ⅱ

)2003

この図は

,絵

の題名が明かされるまでは

,多

くの人は「それ」を認知することが少ないかと思 われる。題名を知 らなければ

,水

辺に本が三本 と草

,右

下の四角い白いものというだけの認知だ けで終わる人が多いのではないか。 はじめに「ルビンの盃」 と振つてあるので

,気

がついた人もいるだろうが,「ルビンの盃」同様 に「地」 と「図」の逆転によつて見えて くる「絵」になうている。題名は「ナポレオンの亡霊」。 題名を聞 くと

,私

たちは慌てて「ナポレオン」を探 しはじめ

,立

木の間のナポレオンを捜 し出し, 画面右下の白い四角のものは

,お

墓だったのか

,と

思 うのである。 与えられた図を「良 く見てみても」理解できないが

,題

名を知れば「それ」を発見することが 出来る (ト ップダウン知覚)。 題名が分からないうちは

,大

胆な予想 (このとき予想に用いられる 知識の枠組みをスキーマという。

)を

立てて謎解 きを行うことになる。このように受動的に視覚的 刺激を受け止めるのではなく

,積

極的に意味を見つけようとすることを,「意味づけ機能」③と云 う。 この図のはなしを学生達に持ちかけると

,は

じめは面白がってもらえるが

,解

らずに怒 り出す 図

3-1.齊

籐 勇 Ⅱ

)2003

―-36-― 図

3-2

齊籐 勇 Ⅱ

)2003

(9)

者 もいた。図

3-2に

は「ねことねずみ」 と答 えが返 って きて

,い

かにも保育科 らしい答 えだ と 思った りもした。図

3-1は

ダルメシアン大

,ダ

ルメシアンが向こうを向いて地面にあるエサ を 食べているところ。そう思 って見 るとなるほどダルメシアンに見えて くる。図

3-2の

方は一番 むずか しい と学生たちは口にするが

,答

えは「こちらを向いている牛」である。

5.パ

レイ ドリア パ レイ ドリア (pareidoria)と 「見立て」は「そのように

,見

える。」 と「そのように

,見

る。」 というくらいの意味の違いはあるのか も知れない。詳 しくは作者の中川李枝子氏の発想の中にあ るのだろうか ら解 らないが

,ま

あ「見立て」たのか も

,そ

の両方か も (体験 もあったのか も

)知

れない。中川氏は保育士 さん出身の作家で

,絵

本「 ぐりとぐら」や「げんこつ山の タヌキさん」 の作詞などで も保育関係の皆 さんには馴染みの深い方である。絵の方は

,柿

本幸造氏でこの方 も 名作「どうぞのいす」で著名である。「どうぞのいす」は絵本の他 に

,パ

ネルシアターの教本の方 も有名 なので

,頭

の隅か ら離れないのか も知れない。 考えてみれば

,ペ

ープサー トもパ ネルシアターも人形劇 も

,皆

「見立て」のうえに成 り立 って いる視覚表現 と言えるか も知れない。それぞれに「図 (記号)」 や「絵」や「木偶」などを,う さ ぎさんや くまさんに「見立てて」表現するか らである。 パ レイ ドリアとい うのは壁のシ ミや

,天

丼の木 目が人の顔 に見 えた りする変像のことである。 火星の地面の石が人の顔 をしているとか

,ひ

ょっとしたら「′心霊写真」 などもその例 に入るのか も知れない。人はよほ ど「顔」が好 きらしく,「点」が三つあるともう人の顔 を想起出来るよう だ。 私事 を例 に して恐縮であるが

,い

まバナナの段ボール箱のパ レイ ドリアを使 った創作活動 と教 育活動 を行 つている。 図

4

バ ナナの箱 の逆転 図

(10)

本来

,バ

ナナの箱 をひっ くり反 したものに

,意

味 など有 るはず も無い ものだが

,私

たちには人 の顔 (お面

)に

見 える。 ここでは

,空

気穴 (通気口

)は

「 目」 に

,手

掛け穴は「口」 に見えて くる のである。 この本来「用」の為だけで作 られた「顔」 は能面のように比較的無表情 に見えるので

,あ

る専 門学校の色彩学の授業で「色彩の連想・イメージ」の実技表現 として取 り扱 った。 以下,バナナの箱 を「人形」として少 し体の部分 を加 え,そ れに抽象的色彩連想 を使いなが ら, 色で感情の表現 をするためのテキス トと学生の作品である。このテキス トは,顔の部分がベースカ ラニ(基調色),背景がアソー トカラー(配合色),日,日

,腕

などの部分 にアクセン トカラー(強調 色)を 配色出来るように構成 してある。カラーコーデ イネー トの初歩のテキス トとして制作 した。 予想外 にこの「バナナの箱の顔」は

,次

に論述する「黄金比」の近似 にもなっていた。 図

5

テキス ト 出地 章道 学生作 品1 学生作 品 2 ―-38-―

(11)

6.か

た ち と比率 かたち (shape)は

,お

お きく分けると

2種

類 に分けられる。立体の「かたち」 と平面の「か たち」である。造形的な もので例 をあげれば

,彫

塑などである。団体の美術展 などでは,「日本 画」「洋画」「彫塑」 など

,部

屋 を分けて展示 した りするが

,あ

れ も立体 と平面の区別のひとつに なる。彫塑 というのは彫刻のことではない。「彫刻 と塑像」のことである。彫刻 というのは刻むと いう字が示す ように

,石

や木材 をノ ミなどで削って形 を探 つてい くや りかたで

,運

慶や舟越桂, 西洋では ミケランジェロなどが思い浮かぶ。塑像 とは粘土などで「かたち」 を作 り

,石

膏でそれ を型にとつて

,プ

ロンズをその型に流 して帝1作するざロダンや佐藤忠良の作品などがその例であ る。佐藤は絵本「おお きなかぶ」の挿絵で保育の世界で も著名である。 立体の形は

,視

る方向や角度 によつて空間か ら切 り取 られるコン トール (外郭線

)を

持つ。 カ メラなどで色々な角度 (アングル

)か

ら仏像 などを撮れば (立体 を平面上に移せば

)形

も表情 も 違って見える。 その立体的形 (量

)を

つけるために彫刻家は形の外部 (大理石やケヤキ

)か

らコン トールをさ ぐり

,塑

像家は内側か ら (芯を立て

,粘

土で肉付け してい くことであるべ きコン トールをさぐっ てい くのである。 近代の「造形」 はもう少 し複雑で (境界が曖味で

)保

育関係の方に馴染みの深い作者 を取 りあ げると

,た

とえば「モ ビール」(これは立体的室内環境構成の造形表現方法 として

,保

育所や家庭 で制作 された方 も居 られるか と思 う

)は ,カ

ルダーが考えたとされる近代的立体造形表現である。 平面の形は

,こ

れが描かれた もので も

,塗

られた もので も

,切

り取 られた紙 などであっても, 決定的なひとつのラインを持 ったものになる。 これをアウ トライン (輪郭線

)と

云 う。絵本 もパ ネルシアターも紙芝居 も平面のかたちをとった

,視

覚表現である。 さらに絵本

,紙

芝居 に使われ る用紙その もの も

,パ

ネルシアターの舞台その もの も有 る大 きさをそなえるかたちである。平面 の形 をシェープ (Shape)と 呼 び

,立

体の場合の形はフォーム

(Form)と

呼ばれ区別 される0。 シェープは物の表面上の限界 を持つ面の性質であ り

,平

面上の輪郭や立体形の外郭線 に囲まれた 平面上の面積

,シ

ルエ ットなどの図形である。 平面の形で矩形や螺旋 を例 にとれば

,良

く聞 く言葉 に「黄金比」 または「フィボナ ッチ数列」 あるいは「白銀比」 などが思い出 される。黄金比 とフイボナ ッチ数ダ1は近似であるので

,黄

金比 を例 に論 じるが

,こ

れは1:1.618・……の比例である。身近なところでは

,一

般的な名刺やたばこ の箱

,ク

レジッ トカー ドなどがその例 となる。矩形 としては最 も美 しい比率 として考えられてお り,「ミロのヴイーナス」や「パルテノン神殿」が有名な例 として

,取

りあげられる。実際に様々 な矩形 を並べて自分の「感覚」 を試 してみると面白い。下の矩形のなかで

,一

番「美 しい」 と思 われるのは

,ど

れだろうか。 フイボナ ッチの数列 は

,オ

ーム貝の切断面や向 日葵の種子の配列 にみ られる黄金比螺旋 をよく

(12)

6

大智 浩 Ⅲ

)1964

例 に出され説明 されるが

,こ

こでは黄金比 と自銀比 ということで話 を進めてい くことにする。 自銀比 は美 しい比率 として黄金比 と並 んで よく比較 される。法隆寺や四天王寺伽藍

,そ

の他の 日本の寺院などに使われ

,大

和比 とも呼ばれる。白銀比は

,長

方形の長手方向に半分すると相似 な自銀比の長方形になるという不思議 な性質を持 っている。「紙の形」 にはこの白銀比が使われて いる。

A3と

A4と

かいった普通の紙の形であるざ これは ドイッが規格基準 を決めた。

B判

の 方は

(B3と

B5と

かの形

)日

本の美濃紙 にその大 きさの由来がある。古 くは美濃紙が 日本の 公用紙であつた。最近では

,A版

が公用紙 になっているらしい と聞 く。比率の方は

AO判

B0

判 はそれぞれ

,1:1.4137931…

… と

1:1.4135922…

…であ りほぼ等 しくなる。自銀比は1:νワ

(1:1.414…

…でヒ トヨヒ トヨニ ヒ トミゴロ

)で

ある。また

,大

きさをみると

,B判

A判

の面 積比は

3:2と

なる。 また

,大

きさをみると

,紙

B判

A判

の面積比は

3:2と

なる。 保育の造形の上ではあまり厳密 に考 えず黄金比は

5:8,自

銀比は

5:7と

いうぐらいに考え ても

,か

えって

,と

らわれ過 ぎずに済みそうだとも思 う。 パネルシアターの基本パネルは80clll× 110cmであるか ら

1:1.375で

自銀比寄 りの比率 になって いる。ちなみに阿部恵によれば。。

,ハ

ン ドパネルは

A3判

B3判

で良い とのことだ。パネル布 自体は90cnl×120cmである。作品によっては

,こ

の中間の大 きさも欲 しいときがある。あまり

,杓

子定規 に考 えず

,各

自自由に作 って良い と思 う。 b 黄金矩形 Ⅳ

)吉

岡 徹

2000

--40-― 図

7-1

(13)

7-2

ルー ト矩形 Ⅳ

)吉

岡 徹

2000

B判 :A判

=3:2

′7矩形 資金矩形 プラ トーの矩形 ノτ 矩形 ′写 矩形 図

7-3

基本矩形 Ⅳ

)吉

岡 徹

2000

A判の比率サイズ 図

7-4 A判

,

B判

の比率サ イズ B判の比率サイズ Ⅳ

)吉

岡 徹

2000

A4 A3 A6 A5 A7 B2 B4 B3 B6 B5 B7

(14)

7.ま

とめ 視知覚

,認

知の問題 を

,出

来るだけ分か りやす く

,簡

潔にまとめたつ もりである。本稿の (I) では主に色彩の問題 について考察 を試みた。本稿では大 きさやかたちの概念 と知視覚について触 れたつ もりである。次の稿 は

,順

序 としてはレイアウ ト(視覚誘導

)と

演出の話になる予定だが, ここで一度 に取 りあげるには

,ペ

ージ数 も有る程度かか りそうなので

,無

理 をせずに次回に持 ち 越すことに した。 しか し

,最

初の稿及び本稿は,「視覚誘導」 と「演出」の考察に入るために

,必

須な基礎知識である としたことは意図 したものである。 引用 。参考文献

(1)教

育学がわかる事典 田中智志著 日本実業出版社 P。 119 2003.

(2)ち

び くろさんぼのおはな し ヘ レン・バナーマ ン著 なだ もとまさひさ訳 径書房

Pp.

60-■61 1999.

(3)色

彩検定

3級

ポイン トレッスン 森尚美著

Pp.10-13

新星出版社 2008.

(4)色

彩 大井義雄・川崎秀昭著 日本色研事業株式会社

P.5 2005.

(5)脳

は絵 をどの ように理解するか ロバー ト・L・ ソルソ著 鈴木光太郎・小林哲生共訳 新曜社

P.24 2006.

(6)前

掲書

(5)P.28

(7)イ

ラス トレー ト心理学入門 齊籐 勇著 誠信書房

P.4 2∞

3.

(8)前

掲書 (7)P。18

(9)近

代 デザ イン感覚入門 大智 浩著 春秋社 Pp。

77-78 1964.

(10)た

の しく遊ぼうパ ネルシアター 阿部 恵著 明治図書

P.17 1992

引用図版

I)脳

は絵 をどの ように理解するか ロバー ト・L・ ソルソ著 鈴木光太郎・小林哲生共訳 新 曜社 2006. Ⅱ

)イ

ラス トレー ト心理学入門 齊籐 勇著 誠信書房 2003. Ⅲ

)近

代 デザ イン感覚入門 大智 浩著 春秋社 1964. Ⅳ

)基

礎 デザ イン 吉岡 徹著 光生館

2000

注 :学 生作品1・ 2は

,水

戸 ビユーテイカレッジ

,自

土瑞穂 さんの作品。 ―-42-―

図 2  齊籐   勇   Ⅱ )2003 この図は ,絵 の題名が明かされるまでは ,多 くの人は「それ」を認知することが少ないかと思 われる。題名を知 らなければ ,水 辺に本が三本 と草 ,右 下の四角い白いものというだけの認知だ けで終わる人が多いのではないか。 はじめに「ルビンの盃」 と振つてあるので ,気 がついた人もいるだろうが ,「 ルビンの盃」同様 に「地」 と「図」の逆転によつて見えて くる「絵」になうている。題名は「ナポレオンの亡霊」。 題名を聞 くと ,私 たちは慌てて「ナポレオン」
図 6  大智   浩   Ⅲ )1964 例 に出され説明 されるが ,こ こでは黄金比 と自銀比 ということで話 を進めてい くことにする。 自銀比 は美 しい比率 として黄金比 と並 んで よく比較 される。法隆寺や四天王寺伽藍 ,そ の他の 日本の寺院などに使われ ,大 和比 とも呼ばれる。白銀比は ,長 方形の長手方向に半分すると相似 な自銀比の長方形になるという不思議 な性質を持 っている。「紙の形」 にはこの白銀比が使われて いる。 A3と か A4と かいった普通の紙の形であるざ これは ド

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