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日中翻訳―談話言語学の視点から -「天声人語」(2018.7.11)の中国語訳を例に- 利用統計を見る

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2018.7.11)の中国語訳を例に-著者

続 三義

著者別名

XU Sanyi

雑誌名

アジア文化研究所研究年報

55

ページ

110-119

発行年

2021-01

URL

http://doi.org/10.34428/00012450

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日中翻訳―談話言語学の視点から

──「天声人語」

(2018.7.11)の中国語訳を例に──

続   三 義

キーワード:日中翻訳,談話言語学,文組,文際関係 0 .初めに  筆者はこれまで朝日新聞のコラム欄「天声人 語」の中国語訳についていくつかの論文を書い て論じてきた。ここで取り上げる「天声人語・ ジャンプ創刊50年」(2018.7.11)の中国語訳(朝 日新聞中文網2018.8.5 以下「訳文」とする) については,すでに「日中翻訳――『天声人語』 (2018.7.11)の中国語訳について…『日中言語対 照研究論集……(21)…』……2019年」で論じている。 その際,主に語彙を中心に,並びに翻訳におけ る「定」「不定」,目的語の明確化,主体の明確 化,そして,事実確認,事象確認などについて 論じた。しかし,文章表現,ここでいう「談話 言語学」の視点からは論及できなかった。  本文では,「訳文」の第 4 段落と最終段落の 中国語訳を,談話言語学の視点から分析し,日 中翻訳について論じる。それに先立ち,談話言 語学における超文統一体の 1 つである「文組」 という概念を取り入れ,文で構成される文組間 における文と文の意味関係を紹介し,そのうえ 「訳文」の問題点を指摘し,そして翻訳案を示す。 1 .談話言語学の「文組」  王福祥『中国語談話言語学概論』(2008)では, 関係概念を次のように規定している。  言語コミュニケーションの最も基本的な 単位は文である。文は言語学の研究対象で ある。伝統的なシンタックス論は文の構成 部分と各構成部分を接続する文法手段およ び文の構造=意味のパターンを研究する。 構造主義文法は文の抽象的な構造形式を研 究する。変形生成文法は文の表層構造と深 層構造を分析し,文の生成と転換の法則を 探求する。  談話言語学の研究対象は文ではなく,文 より大きい言語のコミュニケーション単位 である。文組は文より大きい超文コミュニ ケーション単位の 1 つである。  文組は 2 つ以上の発話から成る単位であ り,内容的には特定の論理関係があり,構 造的には特定の文法的な結び付きのある超 文コミュニケーション単位である。  文組は意味と構造の面で 1 つの統一体な のである。(王福祥2008. p.269)  文組における「文際関係」については,次の ように規定している。  文際関係は連貫性談話の中の文と文との 意味的・構造的な結び付きをさす。文際関 係は超文関係とも言う。談話言語学は文際 関係の問題を研究することに端を発してい る。文際関係の研究は連貫性談話を分析す るための基礎である。(王福祥2008.………p.275)  さらに,「文際関係のパターン」を次のよう

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に分析している。  文と文との連接情況によって,文際関係 を直接関係と間接関係に分けることができ る。(王福祥2008. p.278)  そして,「直接関係」には並列関係(主語が 2 つ),省略関係(後続文の主語が省略),分解 関係(後続文は前文の側面),問答関係などの パターンがあるとし,「間接関係」については, 「間隔関係とも言う。この関係は 3 つ以上の文 からなる超文統一体の中にしか現れない。いわ ゆる間隔関係は第 1 文と第 3 文が密切な関係に あるが,第 2 文によって離されていることを言 う。第 2 文には插入の役割があり,第 1 文の意 味を補充・説明する。」(王福祥2008. p.290) としている。  「文際関係」に関する意味による分類につい て,「超文統一体の中で,前後の文が意味上連 貫していて,事物と事物,現象と現象の密切な 結び付きを直接反映している。文際意味関係に は次の何類かがある。(王福祥2008. p.291)」 と述べ,「承接関係,説明関係,累加関係,総 合分析関係,因果関係,逆説関係」などを挙げ ている。  つまり,言語研究においては,ただ 1 つの文 では,それなりの意味が伝わるが,あくまでも 断片的な意味でしかない。そして,より複雑な 意味を伝えるためには,より大きい言語単位が 必要となる。そして,ここでは主に「文組」と いう概念のもとに論じていきたいが,その「文 組」の中のそれぞれの文は,無関係な文の連続 ではなく,必ずある関係で結ばれているもので ある。その関係を無視したり,注意しなかった りすると,意味の繋がらない文の連続になり, まとまりのない意味の文の集まりになってしま う。  本論では,談話言語学における「文組」の概 念を利用して,文のつながりを分析しようとす るものである。初めての試みなので,色々なと ころで不備が出るかもしれない。ご批判を承り たいものである。 2 .具体的な分析 2 .1  「天声人語」最初の 3 段落と第 4 段落  文脈を理解してもらうために,「天声人語」 最初の 3 段落の原文と,第 4 段落の原文と「訳 文」を挙げることにしよう。  最初の 3 段落  当時,少年漫画の世界では,「少年マガ ジン」と「少年サンデー」が双璧であった。 両誌に描いているような大御所の作家たち はあまりに忙しく,執筆を頼んでも断られ てしまう。後発の「少年ジャンプ」は創刊 の前から,壁にぶつかった▼苦肉の策とし て中堅そして新人の作家に頼る。そんな提 案が若手編集者らから出ると,編集長は驚 いて言った。「多少の方針変更なんてもの じゃない,きみたちの言っているのは 百八十度の革命みたいなものだよ」。長く ジャンプに携わった西村繁男氏の著書にあ る▼常識外れだった策は当たった。一時 653万部に達し,お化け雑誌となる。そん な少年ジャンプがきょう,創刊50年を迎え た。発掘し,世に出した新人や若手は数知 れない  第 4 段落の原文と「訳文」  すぐに浮かぶのは「ドラゴンボール」の 鳥山明氏や「キャプテン翼」の高橋陽一氏 らか。筆者は昔,コンタロウ氏の野球ギャ グ漫画「 1・2 のアッホ!!」が好きだった。 「友情,努力,勝利」がジャンプのモットー だが,それを笑い飛ばすような作風が小気 味よかった  首先想到的会是《龙珠》的鸟山明和《足 球小将》的高桥阳一等人吧。笔者以前就很 喜欢高階光幸的棒球搞笑漫画《1 · 2 笨蛋!…!》

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日中翻訳―談話言語学の視点から──「天声人語」(2018.7.11)の中国語訳を例に── (日文为 :…1· 2 のアッホ!…!)。虽然“友情, 努力,胜利”是《少年JUMP》的宗旨,但 这种一笑而过的作品风格也令人心情痛快。  「天声人語」の最初の 3 段落を見れば,次の ようなことが分かる。最初の段落は「少年ジャ ンプ」の創業, 2 番目の段落は漫画誌の創業方 針の転換,そして, 3 段落目はそれによって収 められた成果などがそれぞれ述べられている。 これを受けて,第 4 段落はその具体例を挙げ, そのモットーを示すことになる。 2 .2  第 4 段落の「訳文」の表現の一般問題  これから,第 4 段落の「訳文」について述べ るが,まずいくつかの具体的な表現問題を見て みよう。 (1…)首先想到的会是《龙珠》的鸟山明和《足球 小将》的高桥阳一等人吧。  この「訳文」は基本的に原文「すぐに浮かぶ のは『ドラゴンボール』の鳥山明氏や『キャプ テン翼』の高橋陽一氏らか」の語順を利用して いる。  まず,原文では「か」という不確定・疑問を 表す助詞が用いられている。意味的には中国語 の“~吧”で表現しても間違いではない。しか し,この“~吧”はあまりにも口語的な表現で あるので,ここでは不適切である。それから, 日本語は名詞述語(ここでは「か」が用いられ ているが,「高橋陽一氏らか」は名詞述語と認 められる)であるが,「訳文」では“是~吧”と, 動詞“是”を用いた文形式である。中国語訳で “是”動詞文を使って全然問題はないが,時には, 中国語の表現を中国語らしい表現にするため に,“是”動詞文よりも,一般動詞文を使う方 が良い場合も多々ある。ここでも,中国語とし て“首先会想到《龙珠》的鸟山明和《足球小将》 的高桥阳一等人”と“想到”を主動詞として使っ て,一般動詞文にしてもいささか問題はないだ ろう。これは,日本語の「すぐに『ドラゴンボー ル』の鳥山明氏や『キャプテン翼』の高橋陽一 氏らが浮かぶだろう」に当たるので,中国語と しては,“想到的会是~吧”よりは簡潔であろう。  もう 1 つの角度から見れば,原文の「すぐに 浮かぶのは『ドラゴンボール』の鳥山明氏や 『キャプテン翼』の高橋陽一氏らか」には,動 作主体はなかった。そういう意味では,日本語 としては,「~のは~だ」の名詞文でよかった かもしれない。もし文中に主動詞を使ったら, 動作の主体や動作の及ぶ目的語などの出現も求 められるだろう。そうすると,非常に複雑な文 になってしまう。その意味で,日本語文として は,主体の無い,客観的な表現の名詞文を使っ たほうが便利である。対して,中国語では,動 作主体は出てこなくても,主動詞を使って表現 することができる。 (2…)笔者以前就很喜欢高階光幸的棒球搞笑漫画 《1 · 2 笨蛋!…!》(日文为 : 1· 2 のアッホ!…!)。  この「訳文」では,まず用字の問題がある。 朝日新聞中文網でどうしてここだけ,人物の名 前に繁体字を使っているのか分からないが,中 国語表記としては,“高階光幸”ではなく,“高 阶光幸”と簡体字の“阶”を用いるべきである。  次に,原文では,筆者の昔の経験を述べ,意 味的には, 1 文目で挙げられた漫画家とその作 品に追加情報を補っている。別にその経験は早 い時期だったかどうか,その経験は今でも効果 があるかどうかに関しては言及していない。し かし,「訳文」では,副詞“就”を使っている。 中国語の副詞“就”は,出来事が早い時期に起 きており,そしてその効果は今でも影響が続く といったニュアンスを持っている。原文は,筆 者の過去の経験を客観的に述べているだけで, その経験が,時期的に早いあるいは今でもその 効果があるということなど示唆していないの で,「訳文」の“就”は余分である。  さらに,「訳文」では,“喜欢”で日本語の「好 き」を訳している。中国語の“喜欢”の目的語 は,普通動詞連語が多い。したがって,ここで はやはり直接名詞目的語を用いず,動詞を使っ た“喜欢/爱・看/读”「愛読/読むのが好きだ」

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と訳した方が良いだろう。 (3…) 虽 然“ 友 情、 努 力、 胜 利 ” 是《 少 年 JUMP》的宗旨,但这种一笑而过的作品风格 也令人心情痛快  この段落の 3 つの文の中で,一番問題になる のは,この 3 番目の文である。詳しい分析は後 でもう一度するが,ここでは特に原文の「それ を」という言葉をどう扱っているのかを見てみ たい。  まず,原文の「それ」は何を指しているのだ ろうか。言うまでもなく,前の分文「『友情, 努力,勝利』がジャンプのモットーだが」で示 された「ジャンプのモットー」なのである。し かし,「訳文」では,“这种一笑而过的作品风格” (この種の笑って過ごすような作風)として, “这”という指示代名詞を出してはいるが,こ れを“作品风格”を限定するのに用いている。 原文の「笑い飛ばす」の目的語としては訳出さ れていない。下で述べるが,この 3 番目の文の 問題は,全部この「それを」に対する理解の相 違からきているのである。 2 .3  第 4 段落の全体の意味   2 .1 の締めくくりの部分で,すでにちょっ と触れてはいるが,ここでは詳しく見てみたい。  最初の文の「すぐに浮かぶのは『ドラゴンボー ル』の鳥山明氏や『キャプテン翼』の高橋陽一 氏らか」は,前段落の最後の文「発掘し,世に 出した新人や若手は数知れない」を受けての発 話である。段落的には違うものの,意味的には 繋がりがある。「発掘し,世に出した新人や若 手は数知れない」の文には,「新人や若手」が 主語である。そして,第 4 段落の最初の文「す ぐに浮かぶのは『ドラゴンボール』の鳥山明氏 や『キャプテン翼』の高橋陽一氏らか」は,「す ぐに浮かぶの」が主語である。そうすれば,文 構造的に考えれば, 2 つの文は並列関係にある と理解できる。そして,意味的には,前文は「少 年ジャンプ」の成果としての「新人や若手が数 知れない」ことについて述べているが,後文は, 具体的な人物名とその著作などを挙げ,その成 果を具体化した文である。この 2 文は,説明関 係にあると理解できる。  そして第 4 段落の 1 と 2 文となると, 2 つの 文は,別々の主語なので,文構造では並列関係 にある。そして,意味的には, 1 文目が「少年 ジャンプ」の 2 人の漫画家と作品を挙げている のに加えて, 2 文目はもう 1 人の名前とその作 品を挙げている。そういう意味では,この 2 つ の文は,意味的には累加関係にあると理解でき よう。  角度を変えてみれば,原文の 1 文目には「だ れもが」という隠れた主体がある。それを受け て, 2 文目は作者自身が主語となっているが, 昔の体験を挙げ,前 3 段落で示したテーマ―― 「少年ジャンプ」の収めた成果をもう 1 つの側 面で補足している。そういう意味でも,この 2 つの文が累加関係にあることが分かる。しかし, 前述のように, 2 番目の「訳文」では,“就” という副詞を用いて,自分の行動が早い時間に 行われたことを強調する意味合いが表に出てし まっているので, 1 文目との対照的役割を果た せなくなっている。原文は, 1 と 2 文で, 3 人 の漫画家とその作品を挙げる意味合いなのだ が,“就”があると,この第 2 文は第 1 文から 切り離されてしまう。文際関係が成り立たなく なる。  前述のように, 1 と 2 文は,「少年ジャンプ」 の 3 人の漫画家とその作品を挙げて,「少年ジャ ンプ」の特徴を示唆している。そして,それを 受けた 3 番目の文は,「少年ジャンプ」のモッ トーを示しながら,それを笑い飛ばす作風の良 さを語っている。この 3 番目の文は,主語は省 略されているが,「小気味よかった」の主体は 筆者と考えられる。そういう意味で,前の 2 文 とは,文構造的には並列関係にある。しかし, 意味的には総合分析(分析総合= 1 文と 2 文が 分析で, 3 文が総合)の関係にある。というの は,前の 2 文が,具体的に漫画家とその作品を 示し, 3 番目の文が,抽象的にそのモットーを

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日中翻訳―談話言語学の視点から──「天声人語」(2018.7.11)の中国語訳を例に── 示して,この段落を締めくくっているのである。  視点を変えれば, 3 文目を筆者個人の過去の 体験談と見ることもできる。そうすると, 2 文 目と 3 文目は,文構造的には並列関係にあるが, 意味的には, 2 文目で示した「好きだった」こ との原因を 3 文目で説明しているので, 2 つの 文は,説明関係(因果関係ともいえるかもしれ ない――倒置の因果関係。 2 文目は結果, 3 文 目は原因)にある,と言えよう。でも,あくま でもここでいう「モットー」は「少年ジャンプ」 に関するものであって,別に「 1・2 のアッホ!!」 に限定したものではないので,この分析には, いささか合理性が欠けるだろう。 1 つの考えと してここにとどめたい。 2 .4   3 番目の文とその「訳文」  ここで 3 番目の文とその「訳文」をもう一度 見てみたい。  まず,「訳文」は“虽然 ‘友情、努力、胜利‘ 是 《少年JUMP》的宗旨,但这种一笑而过的作品 风格也令人心情痛快。”となっているが,結論 から先に述べるとすれば,この「訳文」は意味 のよく分からない文である。もしこれを日本語 に訳しなおすと,次のようになるだろう。  「友情,努力,勝利」はジャンプのモットー だが,この種の笑って過ごすような作風も 小気味よかった。  「訳文」の問題は,上でも触れたように,原 文の「それを笑い飛ばす」という言葉の意味が 理解できていなかったことに由来している。そ れを「この種の笑って過ごす」と理解してしまっ ている。にもかかわらず,「訳文」の問題は, おそらくこの 3 文目の 2 つの分文の間に用いら れた逆接助詞の「が」に関する理解にあるのか もしれない。  確かに,この文には「が」という逆接と思わ せる接続助詞が用いられ,あたかも前後 2 つの 分文の間では逆説的な関係が成り立っているか のように思わせる述べ方をしている。しかし, ここの「が」は,前後 2 つの分文の間の逆説的 関係を表していない。というのは,「『友情,努 力,勝利』がジャンプのモットー」であること と,「それを笑い飛ばすような作風が小気味よ かった」こととの間には,逆説的な関係が成り 立たないからである。言葉には端折るところが あるが,逆接助詞の「が」に呼応しているのは, 2 番目の分文の述語にあたる「小気味よかった」 ではなく,むしろ,その前の「それを笑い飛ば す」である。つまり,「『友情,努力,勝利』が ジャンプのモットーだが,漫画(の作風)は, それを笑い飛ばしている」というように,この 2 つの事柄の間で,逆説関係が成り立っている のである。  「訳文」を見ていると,“虽然~但”という接 続詞を使って,この文をひとまとまりの逆接構 文として作りあげている。上述のように,ここ の原文が言いたいのは,「友情,努力,勝利がジャ ンプのモットー」であるが,「少年ジャンプ」 の漫画はそのモットーを「笑い飛ばすような作 風」である。そして,その作風は,筆者には「小 気味よかった」のである。  ここでほかの視点から, 3 番目の文の前半の 原文とその「訳文」を見てみよう。原文は「~ が~だ」の形を取っている。日本語表現におい て,普通「~が~だ」文では,「~が」が新情 報を示すのに対して,「~だ」の部分は,旧情 報を示すことになる。ここでは,「~が」で新 情報としての「友情,努力,勝利」を出し,「~ だ」で「ジャンプ」という旧情報を出している。 これに対して,「訳文」の“‘友情、努力、胜利‘ 是 《少年JUMP》的宗旨”は,いきなり“友情、 努力、胜利”という新情報のはずのものを主語 にして示している。中国語の“是”文は,普通 旧情報が先に出て,新情報は後に出てくる。文 の新情報と旧情報の出現順序を考慮に入れれ ば,言うまでもなく,「ジャンプ」は旧情報で, 「友情,努力,勝利」は新情報である。したがっ て,正しい中国語の表現としては,旧情報を先

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に出し,新情報を後に出すようにしなければな らない。そして, 3 文目の最初の分文は次のよ うに訳すことができる。  《少年JUMP》的宗旨为“友情、努力、 胜利”  そして,その後の分文「それを笑い飛ばすよ うな作風が小気味よかった」は,「訳文」では“这 种一笑而过的作品风格也令人心情痛快”と訳し ているが,上述のように,前文を受けたこの分 文の“这种”(「この種,このような」)はどこ から来たのか,そして何を指すのか,全く読め ないものである。原文の「『友情,努力,勝利』 がジャンプのモットーだが,それを笑い飛ばす ような作風が小気味よかった」では,まず「『友 情,努力,勝利』がジャンプのモットーだ」と, 「ジャンプのモットー」の具体的な内容を示し, そして,「それを」で,「ジャンプのモットー」 をもう一度提示し,「笑い飛ばす」の目的語を はっきりと示して,前の分文とのつながりを示 している。しかし,「訳文」の“这种一笑而过的” では,その意味が全然読み取れない。「それを 笑い飛ばす」つまり「ジャンプのモットーを笑 い飛ばす」という連語は,次のように訳すこと ができよう。  将此付之一笑  それから,「訳文」“这种一笑而过的作品风格 也令人心情痛快”には,日本語の「も」に当た る副詞“也”が使われている。この使い方も非 常に問題である。というのは,原文では,「作 風も」などという意味はないのである。すべて 「それを笑い飛ばす」という言葉の意味が理解 できなかったことから,言葉を繕えば繕うほど, 余計な言葉が加えられ,変な表現になってし まっているのである。 3 .「天声人語」の第 5 段落と最終段落  論述しやすくするため, 5 段落目の原文と, 最終段落の原文と「訳文」を挙げておこう。 ▼中沢啓治氏が被爆体験をもとに描いた 「はだしのゲン」も,ジャンプで始まった。 「かき残してください」という編集長の声 に押され,原爆に取り組んでいったと中沢 氏の著書にある。あらゆるジャンルをのみ 込む活力があった。  最終段落の原文と「訳文」  新人の発掘に血眼になるのは,いまやど の漫画誌も同じである。新しい才能を編集 者が探し,読者が求める。デジタルの波の なかでも,変わらぬ営みであろう。  拼命发掘新人是现在每本漫画杂志都在做 的事情。创新的才能,这是编辑在寻找的, 也是读者所追求的。即便是在当今电子化的 浪潮下,这也是不变的做法吧。  「天声人語」の第 5 段落は,前の 4 段落を受 けて,さらに 1 人の漫画家とその作品を紹介し ている。そして,最後の文「あらゆるジャンル をのみ込む活力があった」で,「少年ジャンプ」 の全体図を大まかに描き出している。  これを受けた最終段落は,同じく 3 つの文か らなっている。最初の文は「新人の発掘に血眼 になるのは,いまやどの漫画誌も同じである」 として,「どの漫画誌も同じことをやっている」 ことを示し, 2 番目の文は「新しい才能」とい う「新人」の具体性を明らかにする。 1 , 2 文 は,構造的には,並列の関係にあるが,意味的 には,漫画誌に編集者,読者という,累加関係 にある。そして最後の文で,その営み(新人の 発掘,才能の追求)は現在も続いているという ことを示し,文章全体を締めくくっている。文 際関係から見れば,最後の文は,主語が省略さ

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日中翻訳―談話言語学の視点から──「天声人語」(2018.7.11)の中国語訳を例に── れている。そういう意味では,構造的には,前 の文とは,省略関係にある。しかし,意味的に は,「営み」という言葉で,前の 2 文の締めく くりを示している。そういう意味で,前の 2 文 との関係は,分析総合の関係である。 1 番目の 文は漫画家の活動, 2 番目の文は編集者と読者 の活動,そして, 3 番目の文はこれらの活動を 「営み」として締めくくっているのである。  原文に対して,「訳文」を見ていると,最初 の文“拼命发掘新人是现在每本漫画杂志都在做 的事情”は「懸命に新人を発掘することはどの 漫画誌もやっていることである」という意味で, 2 番目の文“创新的才能,这是编辑在寻找的, 也是读者所追求的”は「創作の才能,これは編 集者が探しているものであり,読者も追い求め ているものである」という意味で,そして,最 後の文“即便是在当今电子化的浪潮下,这也是 不变的做法吧”は「たとえ,現今のデジタルの 波のなかでも,これは変わらぬやり方である」 という意味の表現である。この 3 つの「訳文」 の日本語訳で分かるように,いずれも名詞文で, こと,もの,そしてやり方に関する判断的な文 である。そうすれば,この 3 つの文の構造的な 関係は並列として認められても,意味的には, それぞればらばらになってしまっている。  上の分析で分かるように,原文では,最初の 文は「同じである」と,形容詞文のように見え るが,実際,これは「同じことをやっている」 という動詞文の言い替えである。そして, 2 番 目の文は,はっきりと動詞を使って,編集者と 読者の活動について言っている。そして 3 番目 の文で,雑誌社,編集者そして読者のその活動・ 行動は今になっても変わらない,つまり,今で も活動し続けているということを述べている。 対して,「訳文」では 1 文も 2 文も断定の名詞文, しかも,ことともののバラバラの表現で,そし て,3 番目の文は上述のように,「営み」を“做 法”つまり「やり方」と訳したことから, 1 , 2 文の締めくくりにならず,段落全体で論理的 に混乱を起こしている。  別の角度からもう一度この段落を見てみよ う。「訳文」の 1 文目は“拼命发掘新人是现在 每本漫画杂志都在做的事情”として,文のポイ ントは“事情”であり,2 文目は“创新的才能, 这是编辑在寻找的,也是读者所追求的”として, ポイントは“才能”である。そして 3 文目は, “即便是在当今电子化的浪潮下,这也是不变的 做法吧”として,“做法”をポイントとしている。 言葉の組み合わせから見ても,“事情”と“才能” は“做法”ではない。したがって,この 3 つの 文の意味的な関係は不明なのである。 4 .結び  「初めに」で述べているように,筆者はすで に「日中翻訳――『天声人語』(2018.7.11)の 中国語訳について…『日中言語対照研究論集…… (21)…』……2019年」で,朝日新聞中文網の「訳文」 の問題について分析している。そこでは,談話 言語学の視点から分析すると予告していなが ら,できていなかった。お詫びしたいことであ る。  この小文で,談話言語学の「文組」の概念を 取り入れ,文際関係の角度から自分なりの考え を述べてきた。初めて談話言語学の理論を用い て論じているので,こじつけ的な部分もあるか と思う。皆さまのご叱咤を承りたいものである。 <参考文献> 王福祥(2008) 中国語談話言語学概論(王福祥著・ 高橋弥守彦,続三義訳) 白帝社 2008.2 続 三 義(2019)  日 中 翻 訳 ――「 天 声 人 語 」 (2018.7.11)の中国語訳について…『日中言語対照 研究論集……(21)…』……2019年 その他の日中翻訳に関する自著は省略する

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付録 1  天声人語(2018.7.11)と朝日新聞中文網の中国語訳(2018.8.5) ジャンプ創刊50年 《少年JUMP》创刊50周年  当時,少年漫画の世界では,「少年マガジン」 と「少年サンデー」が双璧であった。両誌に描 いているような大御所の作家たちはあまりに忙 しく,執筆を頼んでも断られてしまう。後発の 「少年ジャンプ」は創刊の前から,壁にぶつかっ た▼苦肉の策として中堅そして新人の作家に頼 る。そんな提案が若手編集者らから出ると,編 集長は驚いて言った。「多少の方針変更なんて ものじゃない,きみたちの言っているのは 百八十度の革命みたいなものだよ」。長くジャ ンプに携わった西村繁男氏の著書にある▼常識 外れだった策は当たった。一時653万部に達し, お化け雑誌となる。そんな少年ジャンプがきょ う,創刊50年を迎えた。発掘し,世に出した新 人や若手は数知れない▼すぐに浮かぶのは「ド ラゴンボール」の鳥山明氏や「キャプテン翼」 の高橋陽一氏らか。筆者は昔,コンタロウ氏の 野球ギャグ漫画「 1 ・ 2 のアッホ!!」が好き だった。「友情,努力,勝利」がジャンプのモッ トーだが,それを笑い飛ばすような作風が小気 味よかった▼中沢啓治氏が被爆体験をもとに描 いた「はだしのゲン」も,ジャンプで始まった。 「かき残してください」という編集長の声に押 され,原爆に取り組んでいったと中沢氏の著書 にある。あらゆるジャンルをのみ込む活力が あった▼新人の発掘に血眼になるのは,いまや どの漫画誌も同じである。新しい才能を編集者 が探し,読者が求める。デジタルの波のなかで も,変わらぬ営みであろう。   那 时, 在 少 年 漫 画 的 世 界 中,《 少 年 MAGAZINE》和《少年SUNDAY》堪称双杰。 在 2 本杂志中登场的泰斗级漫画家们忙得不可开 交,即便拜托他们执笔也会被拒绝。这也让后起 的《少年JUMP》从创刊前就开始四面碰壁。  于是,便想出作为苦肉计,委托中坚力量和新 人漫画家画稿。当年轻编辑们提出这一方案后, 主编对此惊叹道“这不是稍微改变方针,你们所 说的就好像是要转180度弯掀起 1 场革命似的”。 长年任职于《少年JUMP》的西村繁男在著作中, 描述了上述插曲。  颠覆常识的这个策略最终成功了。销量曾一度 达 到653万册,成为精灵杂志。这样的《少年 JUMP》,如今迎来了创刊50周年。经其发掘, 走红的新人或年轻漫画家数不胜数。  首先想到的会是《龙珠》的鸟山明和《足球小 将》的高桥阳一等人吧。笔者以前就很喜欢高階 光幸的棒球搞笑漫画《1 · 2 笨蛋!…!》(日文为 : 1· 2 のアッホ!…!)。虽然“友情、努力、胜利”是 《少年JUMP》的宗旨,但这种一笑而过的作品 风格也令人心情痛快。  此外,中泽启治以核爆受害经历为题材所描写 的《赤脚阿元》,也是从《少年JUMP》开始连载。 中泽在著作中写道,主编曾强烈要求他“请画下 来留给后人吧”,因此开始努力研究核爆问题。 那时的《少年JUMP》,具有包容全部类型漫画 的活力。  拼命发掘新人是现在每本漫画杂志都在做的事 情。创新的才能,这是编辑在寻找的,也是读者 所追求的。即便是在当今电子化的浪潮下,这也 是不变的做法吧。

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日中翻訳―談話言語学の視点から──「天声人語」(2018.7.11)の中国語訳を例に── 付録 2  続翻訳案 《少年JUMP》创刊50周年  当 时,《 少 年MAGAZINE》 和《 少 年 SUNDAY》乃是少年漫画界的双璧。为这 2 部杂志作画的泰斗级漫画家们忙得不可开交, 即便请他们执笔也会遭拒绝。这使得后起的《少 年JUMP》从创刊前就面临绝境。  出于无奈他们决定依靠中坚力量和新手。当 年轻编辑们提出这一方案时,主编惊叹道:“这 哪是方针的微调,你们说的简直就是180度大 转弯,掀起一场革命呀”。长年任职于《少年 JUMP》的西村繁男在其著作中记载了上述花 絮。  这一破天荒的策略大获成功。销量曾一度达 到653万册,成为巨无霸杂志。这一巨无霸《少 年JUMP》,今天迎来了创刊50周年。经她发掘, 向社会输出的新人、年轻漫画家数不胜数。  首先我们可以想到《七龙珠》的鸟山明和《足 球小将》的高桥阳一等人。笔者曾对高阶光幸 的棒球搞笑漫画《1 、2 傻瓜!…!》情有独钟。《少JUMP》的宗旨为“友情、努力、胜利”, 而将此付之一笑的漫画手笔令人颇有快哉之感。  此外,中泽启治以其遭受核爆的亲身经历为 题 材 绘 制 的《 赤 脚 阿 元 》 也 是 从《 少 年 JUMP》开始连载。他在著作中写道,在主编 “务必将这一经历画下来”的强烈要求下,他 开始全力以赴创作核爆这一主题。当时的《少 年JUMP》,具有包容各类题材的活力。  如今,各杂志社都在拼命发掘新人。编辑们 在寻找创新的才能,读者也在追求创新的才能。 即使是在数码化的浪潮中,这种状况恐怕也不 会发生变化。 (客員研究員)

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Japanese-Chinese Translations: From the Perspective of

Discourse Linguistics:

An Example of the "Vox Populi, Vox Dei" (2018.7.11)

XU Sanyi

Previously, various Chinese translations of the Asahi Shimbun column "Vox Populi,Vox Dei" have been discussed in this publication. This paper compares an August 5, 2018 Chinese translation with another one dating from July 11, 2018 about so-called “50 Years of JUMP Publication”. And it introduces the concept of sentence group, one of the super-sentence unities in discourse linguistics, introduces the relationship between sentences in sentence group, points out the problems in Japanese-Chinese Translations, and finally lists my translation proposals.

Key words: Japanese-Chinese translation discourse Linguistics sentence group relationship between sentences

参照

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