症例提示 西尾 徹助手(外科学 2) 症 例:I. Y. 50 歳,女性 ID 162-617-3 主 訴:下腹部痛 現病歴:平成 6 年 7 月頃より 2 週間に 1 回ぐら いの頻度で,冷汗を伴い数時間持続する下腹 部痛があったが,翌日には症状が消失してい たため医療機関は受診しなかった。平成 6 年 12 月下旬より嘔吐を伴い,非常に強い下腹 部痛となったため,平成 7 年 1 月 21 日,松 山市内の医療機関を受診,同院内科にて大腸 ポリポーシスの診断で手術をすすめられた が,結腸の大部分を切除しなければならない と説明され,本人が手術を躊躇していた。平 成 7 年 2 月 13 日にイレウス症状強くなり緊 急手術施行。下行結腸に閉塞部を認め,同部 を 部 分 切 除 し た 。 ま た 術 中 所 見 で は P0H1N2M +(左副腎),出生地が山梨であ るため以後の加療は山梨で受けたいとの本人 の希望により紹介され当科を受診した。 既往歴: 16 歳 虫垂切除術 患者背景:アルコール:機会飲酒,タバコ: 80 本/日,22 年間 入院時現症:身長 160.9 cm,体重 45.5 kg,体 温 35.4°C,脈拍 78/min,腹部,平坦,軟, 圧痛(−),抵抗(−),腫瘤等触知せず。中 下腹部正中,右側腹部に手術痕を認める。リ ンパ節 両側頚部,鎖骨上窩,鎖骨下窩,腋 窩,鼠頚部とも触知せず。心音,呼吸音は異 常なし。 入 院 時 検 査 所 見 :《 血 液 》 W B C 3 5 0 0 / u l , RBC 3.69 × 106/ul, Hb 12.4 g/dl, Plt 211 × 第 15 回山梨医科大学 CPC 記録 日時:平成 10 年 4 月 22 日(水)午後 5 時 15 分∼ 7 時 場所:臨床講堂大講義室 司会:多田祐輔教授(外科学 2),川生 明教授(病理学2)
初診より 2 年 5 ヵ月にて癌死にいたった
家族性大腸ポリポーシス
要 旨:患者は 50 歳,女性。家族歴では父 67 歳,大腸癌で死亡,母 30 歳代で癌死,同胞 3 人中 1 人が 45 歳で大腸癌死している。3 年前,下腹部痛で発病,大腸ポリポーシスと診断され,2 ヵ 月後イレウスに対する緊急手術を受け,下行結腸閉塞部を切除,続いて 1 年前に S 状結腸,肝部 分切除を受け,家族性ポリポーシスを伴う腺癌と肝転移を診断された。その後肝転移が再発し, 肝不全を呈して死亡した。解剖所見では残存大腸に限局して多数の過形成性および腺腫性ポリー プが密生し,その 1 箇所に微小な高分化腺癌を認めた。肝,肺,横隔膜,リンパ節に転移を認め たが,それらは組織型から前回切除された腺癌の転移と推測された。p. 53 の免疫染色を行った結 果,過形成巣,腺腫の部分は陰性で腺癌のみ陽性を示し,p. 53 検出の有用性が示唆された。 家族歴: ● ■ 30 歳代癌死亡 67 歳大腸癌死亡 ■ □ ○ 45 歳大腸癌死亡 45 歳健常 42 歳不明 ◎ □ ○ ○ 不明 不明103/ul, TP 6.4 g/dl, T.Bili 0.4 mg/dl, ALP 205 IU/l, LAP 52 IU/l, LDH 237 IU/l, AST 15 IU/l, ALT 81 IU/l, BUN 12 mg/dl, CRE 0.60 mg/dl, Na 139 mEq/l, K 4.4 mEq/l, Cl 101 mEq/l, Amy 691 IU/l, CRP 0.3 mg/dl, CEA 7.0 ng/m l。 画 像:胸腹部 X 線所見;異常所見無し。注 腸造影所見;全結腸にわたり多数(1000 個 以上)のポリープを認めた。横行結腸の脾曲 付近に前回手術時の吻合部と思われるやや狭 窄した部分を認めた。また S 状結腸の中央付 近に 1 型の癌を思わせる陰影を認めた。【図 1】C.T.所見;肝左葉外側区に転移と思われ る直径 4 cm の low density area を認めた。ま た左副腎にも転移を思わせる直径 2 cm の low density area を認めた。【図 2】結腸ファ イバー所見;全結腸にわたり多数の Ip から Isp 型のポリープを認めた。注腸造影で指摘 された S 状結腸中央に,発赤の強い 1 型の腫 瘍を認め,同部からの生検で adeno ca.の診 断を得た。【図 3】 入院後経過:平成 7 年 8 月 11 日肝外側区域切 除術,左副腎切除術,S 状結腸切除術施行。 術中所見 P0H1N0M +(左副腎)病理組織検 査 Moderately differentiated tubular adeno-carcinoma with familial polyposis and liver metastasis m,n0,aw-,ow-. Adenoma of adrenal gland 平成 7 年 8 月 30 日 C.T.で少なくとも 2 個の 肝移転を確認。 平成 7 年 9 月 18 日 転院。 平成 7 年 9 月 25 日 転院先の病院より退院。 以後ときどき腹痛あるものの当科外来 通院していた。 平成 8 年 1 月初旬 腹痛の増強および食事の 摂取量の低下あり。 図 1
平成 8 年 1 月 20 日 勝沼町立病院に入院。 平成 8 年 4 月 30 日 同院退院。以後当科外来 通院し,バスガイドとしての勤務も可 能だった。 平成 8 年 8 月中旬 微熱および右季肋下に肝 を触知するようになった。 平成 8 年 11 月 11 日 疼痛のコントロール目的 に勝沼町立病院に入院。 図 2 図 3
平成 8 年 11 月下旬 同院退院。再度当科外来 通院していた。 平成 9 年 1 月 14 日 嘔 吐 頻 回 と な り 当 科 入 院。以後除痛,IVH 等による栄養管 理等対症療法行っていた。 平成 9 年 7 月 25 日 午前 6 時 48 分死亡確認 検査値分析 尾崎由基男教授(臨床検査医学) 患者の検査データについてのコメントは特に ないが,最近サイクロオキシゲナーゼと大腸癌 の発生についての検討が進んでいるのでそれを 紹介したい。 アラキドン酸よりプロスタグランディンが形 成される経路にはサイクロオキシゲナーゼとい う酵素が重要な役割を果たしている。この酵素 は現在心筋梗塞の予防に広く使用されているア スピリンのターゲットである。以前より,アス ピリンを服用しているアメリカ人に大腸癌の発 生が少ないことが報告されていたが,その機序 は不明であった。最近,サイクロオキシゲナー ゼ に は 2 種 類 の 亜 種 が 有 る こ と ( C O X - I , COX-II),COX-I はほとんどの組織にはじめか ら発現しているが COX-II は炎症などの刺激に より発現することが明らかにされた。APC ノ ックアウトマウスはヒト家族性大腸ポリポーシ スのモデルと考えられているが,このマウスに 特異的 COX-II 阻害剤を投与すると大腸癌の発 生が抑制された。また APC ノックアウトマウ スに COX-II のノックアウトを加えたマウスで は同様に大腸癌が発生しなかった。これらのこ とより,COX-II が大腸癌の発生に重要な役割 を果たすことが示唆されている。 病理所見と診断 平川京子大学院生(病理学 1) <病理所見> (剖検番号 1191)死後 3 時間で剖検 A 肉眼所見 1.外表:身長 161 cm,体重 49 kg。全身に強 い黄疸を認める。表在リンパ節は触知せず。 腹囲 93 cm と腹部膨満。全身に中等度の浮 腫。 手術瘢痕;胸骨下端から腹部にかけ 2 条。 2.体腔液:両側胸水少量。心嚢液微量。腹水 2900 cc,血性。 3.大腸:横行結腸左側約 1/2 から S 状結腸に かけて切除されている。大腸粘膜ヒダに沿っ て,最大径 2.8 cm から径 0.5 cm までの白色 ポリープが大腸全体に一面に増生している。 腸間膜リンパ節 2 ケに転移を認める。 4.肝臓(2510 g):左様外側区域を切除され ている。表面はやや凹凸不整。右葉を中心に, 最大 10 cm × 6 cm から数 mm 大までの結節 性病変を肝臓全体にわたり多数認め,非腫瘍 部はほどんど見られない。肝内転移巣から胆 嚢管,総肝管,胆嚢内腔へ直接浸潤を認める。 肝門部及び横隔膜リンパ節転移,横隔膜への リンパ行性転移を認める。下大静脈,門脈へ は腫瘍の浸潤は見られない。 5.肺(左 290 g,右 250 g):左肺臓側胸膜直 下に 3 ヵ所白色転移巣あり。両肺全葉に径 1 cm 前後の転移巣を多発性に認める。左肺 門部リンパ節転移。 6.食道,胃,小腸:腫瘍性病変は認められな い。小腸粘膜に一部軽度の出血。 7.膵臓(100 g):腫瘍浸潤は認められない。 8.脾臓(180 g):鬱血を認める。転移性病 変を認めない。 9.骨髄:赤色髄。転移性病変を認めない。 10.腎臓(左 180 g,右 120 g):黄疸軽度。左 右共に被膜剥離は容易。腎盂腎杯の拡張,転 移性病変も認めない。 11.副腎(右 6.4 g):左副腎は平成 7 年 8 月に 摘出。右副腎に 1 cm × 0.5 cm の灰白色の結 節性病変を認める。 12.心臓(270 g):著変なし 13.膀胱:著変なし 14.子宮,卵巣:著変なし 15.甲状腺(16.5 g):著変なし B 組織学所見 1.大腸:大きいポリープの 1 ヵ所にのみ粘膜 表層に限局して高分化型の腺癌が認められ た。脈管浸潤は認められない。その他のポリ
ープは全て腺腫∼過形成性ポリープであっ た。 2.肝臓:結節性病変はいずれも転移性肝癌で あった。癌は高分化型腺癌でその中心部は強 い壊死に陥っていた。結節の周囲に,癌細胞 が広範囲に浸潤しこのため肝細胞が脱落し線
図 4 (←)の Polyp に adenocarcinoma in adenoma が認められた。 その他の polyp はすべて adenoma であった。
図 5 右葉を中心として,最大 10cm × 6cm の結節性病変が多数存在し,ほとん ど非癌部は認められない。
維化が起り,亜小葉性の偽小葉を形成してい た。胆汁うっ滞が強く,小胆管,毛細胆管内 に胆汁栓,肝細胞内に胆汁沈着か多く認めら れる。門脈域を中心に,炎症も強く,リンパ 球,形質細胞浸潤が見られる。肝外門脈の外 膜に癌細胞の浸潤が見られる。静脈内浸潤, リンパ管浸潤も多数認められる。 3.肺臓:肝臓と同様に壊死傾向の強い高分子 図 6 adenocarcinoma in adenoma が粘膜内に限局し脈管浸潤もない。 × 340 図 7 生前に切除された下行結腸癌。 壊死傾向の強い高分化型腺癌の像を示す。 × 340
化型腺癌が肺胞壁に沿って増生している。細 気管支壁を破って気道内に浸潤している部位 もある。静脈内浸潤,リンパ管浸潤も多数認 められる。非腫瘍部では肺胞腔内への血漿蛋 白,フィプリンと赤血球の漏出があり反応性 肺胞内マクロファージが浸潤している。硝子 膜形成も少数見られる。 4.食道,胃,小腸:胃と小腸の粘膜面に軽い 図 8 肝転移巣。下行結腸癌と同様,壊死傾向の強い高分子型腺癌である。 × 68 図 9 肉眼像で非腫瘍部のように見える部分にも癌細胞が存在している。 × 340
炎症細胞浸潤。 5.腎臓:尿細管内に胆汁色素が見られ,尿細 管上皮が脱落。 6.副腎:好酸性の束状層が増生し過形成が見 られる。リポイドの沈着は乏しい。 C 免疫組織科学所見(図省略) 腺癌,腺腫,過形成の細胞増殖動態を見るた め MIB-1 染色と p. 53 染色を行った。腺癌は 腺腫及び過形成に比較して MIB − 1 染色陽 性 率 が 高 か っ た 。( 腺 癌 高 6 9 . 3 % , 平 均 49.8 %,腺腫高 61.1 %,平均 29.3 %,過形 成 47.3 %)腺癌細胞のみ p. 53 抗体に反応し た。 <病理診断> 1.大腸癌に対する左半結腸および肝左葉外側 区域切除後の状態 左副腎(腺腫)切除後の状態 2.大腸微小高分化型腺癌 3.転移 a.臓器転移:肝,肺,横隔膜 b.リンパ節転移;腸間膜リンパ節,肝門部 リンパ節,肺門部リンパ節 4.その他 a.両側黄疸腎 b.右副腎過形成結節 直接死因:大腸癌の肝転移による肝機能不全 発言 大井章史教授(病理 1) 私が以前に経験した家族性大腸ポリポーシス の 2 例 と , 非 遺 伝 性 ポ リ ポ ー シ ス で あ る Cronkheite-Canada 症候群の 1 例を供覧す る。 1 例目は 44 歳の男性で,13 年前に直腸の 進行癌で“pull through”operation を受け ている。切除された右結腸には無数のポリー プ が 見 ら れ る ほ か , 4.2 × 3.8 × 1.5 cm, Type 1 および 3.4 × 2.5 cm,Type 2,4.0 × 4.0 cm,Type 2 の 3 個の進行癌が認められた。 また,このかたは同時に胃の亜全摘,膵頭十 二 指 腸 切 除 術 を 受 け て お り , 胃 に 腺 腫 , Vater 乳頭部にも腺腫様病変を認めている。 2 例目は 32 歳の女性で,盲腸から直腸に かけて 2311 個のポリープが見られた。主な もの 63 個について組織学的に検索したが軽 度ないしは中等度の異型を示す腺腫のみで癌 は見つからなかった。またこの症例では頭蓋 骨と下顎骨に osteoma を疑わせる所見があ り,Gardner 症候群と診断された。学生諸君 は大腸腺腫症に中枢神経系腫瘍を伴う疾患に Turcot 症候群があることも併せて覚えてお くことが必要である。Cronkheite-Canada 症 候群は胃腸管のポリポーシスと爪甲の萎縮, 脱毛を主徴候とする疾患で非遺伝性である。 結腸には無数のポリープが見られるが組織学 的には過形成性で癌化はない。 家族性大腸ポリポーシスに関する問題点を 2 つ述べる。1 つは手術の時期である。家族 性大腸ポリポーシスでは腺腫は 50 代までに ほぼ 100 %が癌化するといわれているが,癌 のない結腸を予防的に切除することの妥当性 が討議されねばならないと思われる。もう 1 つはこの病気では大腸以外にもしばしば腺腫 様病変が発生することである。家族性大腸ポ リポーシスは染色体 5 番の長腕上にある癌抑 制遺伝子 APC(adenomatous polyposis coli) にもともと異常があって起こる常染色体性優 性遺伝疾患であり体細胞のすべてがこの異常 を有しているわけで,むしろどうして大腸に 腺腫が多発するかが不思議な点である。事実, APC を knockout させたマウスでは大腸より も小腸に severe な腺腫症がおこる事が知ら れている(Cancer Res 57, 1644–1649, 1997)。