支点を必要とするのである。時間を考へる場合にも戸その支点である所の﹁実体の持続性﹂がなければならないので ある。種子は、過未から断絶されているのであるから、此の持続性の意味を持ち得ない。有部は、此の警論に於ける 流れの支点たる、岸や、河床に当るものとして、﹁実有﹂の鰯念を分析しているのである。 霊魂の問題は、古くして新しい問題であって、今に始まつたことではない。其れは古来の難問の一つである。古代 に掻ける霊魂論として有名なるものとしては、アリストテレスの蕊魂論、一プ・アニマであるが、之は彼の晩年の著作 であって、初期の作としては、エウープモスなる蕊魂諭があり、この初期と晩年の著作の比較が、プラトンとアリスト テレスとの思想の比較にもなり、アリストテレスの思想の発展を知る上にも興味ある問題と言わざるを得ない。 周知の如くアリストテレスは十七・八歳にしてプラトンのアカープメイアに入り、プラトンの残するまで二十年間の長 とも無意義ではないと思う。 科学と信仰との関係の混乱等種々なる問題が提脳されて居る有様である。斯る意味に於て蕊魂不滅の問題を取扱うこ 戦後戦死者や未帰還者の生だしい問題に直面せる現代人には、蕊魂或は心霊科学の研究が弱く要求され、そこには
霊魂不滅の問題
ノ波多野邇敏
一 、一 一 霊魂論エウ︽プモスの表題はアリストテレスの友人キプロス人のエウープモスの名前を採ったものである。何故に友人 の名前を対話篇の表題としたかということが、戦後の戦死者の蕊を弔う現代人の気持とアリストテレスの気持と共遥 なるものがあるのである。二千三百年を隔て上も人情には変りがないものがある。よくア.リストテレスは冷酷の論理 学者で師に弓をひいた等と言はれるが、箏説上反対の立場をとらざるを得なくなった場合にも、師プラトンに対する 尊敬の念は失わなかった。叉友情にも厚かったことが友人ェウデモスの名前をとって対話篇の表題としたことからも 想 より若き時代の彼の思想、過渡期の思想を明かにすることが最近の研究によって得られたのであって、そこに彼の思 あったのであるが、其等は不幸にも散逸して今日完全なる形に擬ては伝わらず断片として残っている。此等の断片に 者の編纂によるものと見られているが、アカデメイア時代と、晩年学園を創立せる時代との中間の過渡期にも著作が テレスの著作として完全なる形に於て今日傳わっているものは大体晩年のリュケイオンに於ける講義の草稿で後の学 トン的立場を採り、アカデメイアの学徒として強い自愛を有して居た時代もあったことが当然考免られる。アリスト トンと反対の立場を取るに至ったのであるが、長い間プラトンに師事し其影響を受ける所も大であって、最初はプラ い間其門下に在ったのであるから、アカデメイアを去った時は四十歳近くであった。アリストテレスば晩年にはプラ の 発 展 を 明 か に し 、 プ ラ ト ン と の 関 係 を 窺 う こ と が 出 来 る の で あ り 、 蕊 魂 問 題 も こ 入 に 見 出 さ れ る の で あ る 。 初期のアカデメイア時代に鴎する著作の主なろものとしてはエウデエスやプロトレプチコス等があり、鯉魂論エゥ デモスはプラトンの対話篇にならって対話の形で書かれている。過渡期の作としては。ヘリ・フィロソフィァス等があ る 。 〆 104
’ 〆 窺われると思う。然らば其は如何なる意味であるか。 故郷から追放されたプラトン学徒たるエウデモスはテッサリアを族行中重病に罹ってフエライに於て医者に見放さ れたのであるが、そこで彼の病床の夢枕に眉目秀麗なる少年が現われて、予言をした。即ち彼は間もなく恢復するで t あらうと、叉其後数日にしてフェライの借王アレクサンド厄スは非業の最後を遂げるであらうが、エウデモスは五年 後には再び故郷に帰えることが脳来るであらうと予言をしたのである。アリストテレスは序文に於てとの矛一と矛二 の予言が直ちに実現されたことを述べている。即ちエウデモ↓︿は全快し信王は其後間もなく彼の后の兄弟に依って殺 されたのである。時に紀元前三五九年である。今や五年後には才三の予言も亦実現されて故郷キプロスに再び帰える ことが出来るようになることを追放者エウデモスは熱烈に希望していたのである。此期間は丁度シラクスから追放さ れたヂオンのアテナイ滞在期に当る。当時ヂオンはアカデメイァの保護の下に義勇団を募集し、そこに集った人倉は ヂオンの租国の潤立の爲めに生命を投出した人方であった。多くの若き哲学の学徒も、ヂオンが今や実現しようとし たプラトンの政治的理想に感激して、其計画に加盟したのである。其中にエウデモスも居たのである。所がエウデモ スはこのシラクスの濁立戦雲のために戦死してし主つたのである。其は丁度彼の夢から五年後︵三五四︶のことであ った。是に於てアカデメイアに於ては、夢の斯ろ不意の実現を解鐸して、祁が霊魂の永遠の故郷への復帰を予言した
のであって、地上の故郷への復帰を予言したのでは無いと解緯したのである。・
斯様にアリストテレスは、彼の親愛なる友人の記憶を永遠に伝え且叉悲歎の中に慰籍を求めんとした此対話篇の序 文に於てエウデモスの夢の物語を述べている。之は霊魂は天国から来るものであり、其は未来に於て天国に復帰する 不滅のものであるというプラトン説の眞実なること溺赫自ら証明したものであるということを示さんがために書かれ F Jたのである。之が蕊魂不滅の問題を中心としたエウデモスなる形而上学的対話篇の侃発点となったのである。思想的 にはプラトンのフアイドンに茨ける死の準備と現世逃避の思想とが若きアリストテレスの此書に復活されている。フ ァイドンが牢獄に比した所の、肉体の姪桔の下に於ける蕊魂の地上の生活は、アリストテレスでは霊魂の永遠の故郷 から追放された時代となって居る。その天国に於ける安全と平和への憧僚が如何に熱烈であったかということは、異 郷に在って、故郷の空を眺めて居る追放者の描写に於て現われている。エゥデモスは弔慰書であったのである。其は 大体に於てプラトンのフアイドンに倣えるものであるが、ブラトシがフアイドンに於て完成した生と死との価値の転 換に関する燃ゆるが如き信仰が、この場合に於ては眞の弔慰の意味を含んでいる。エウデモスに於けるアリストテレ ー スの立場は斯る来世の信仰と其に伴う世界観と霊魂観とに基いている。其故に新プーズトンと学派の人度はエウデモス とフアイドンとをプラトンの溌魂不滅論に関する同価値の資料として用いたのである。 一 一 一 、 然らば其内容は如何。アリストテレスは、プラトンがフアイドンに於てなせるが如く、エウデモスに於ても醗魂不 滅に反対した唯物論の見解を先づ論駁している。唯物論者の主張は霊魂は肉体の調和に外ならず、霊魂は物質的元素 の総和ではないが其等正しい結合の産物として生ぜるものであると云うのである。斯る唯物論者の説に対して二つの 反證が挙げられている。先づ矛一には、調和には或物即ち不調和が対立して居るが、霊魂には何物をも対立して居ら $ 、 ない。其故に霊魂は調和ではないのである。 この場合雨概念の同一ならざることが徴表の不同なることによって論證されている。其故にそこには特性の同一な ることは対象の同一なることを証明するという重要なる認識が假定されている。と上で比較の徴表として役立つ特性 106
は、霊魂と調和という概念に反対対立を形成する形式論理的可能性である。之は元は調和の場合にのみ可能なること が 証 明 さ れ 、 即 ち 調 和 に 対 し て 不 調 和 た る も の が 考 え ら れ る 。 之 に 反 し て 鯉 魂 は 斯 る 対 立 を 持 た な い の で あ る 。 一 般 に適切なる二霞論法を使用するアリストテレスが、と上に雨概念の同一ならざることを反対対立を用いて論証を試み て 居 る こ と は 一 見 不 可 解 に 恩 は れ る が 、 然 し 彼 の 範 聴 論 淀 参 照 す れ ば こ の こ と は 明 か に な る で あ ら う 。 即 ち 実 体 は 反 対対立を許さぬものである。其故に斯るこ霊論法は軍に霊魂は調和にあらずという論証のみならず暗に簸魂は実体で あるということが假定されている。斯く霊魂は実体であるということが確実であったアリストテレスにとっては論敵 の虚を突く形式論理学の原理の適用によって、唯物論者の議論を攻撃するに至ったことは敢て不思議ではないことに なる。 所でプラトンとアリストテレスの雨者の証明の方法が問題である。プラトンによれば蕊魂は道徳的理性的即ち善な るものであるか、或は非道徳的非理性的即ち悪なるものかである。斯る反対の状態或は性質を蛎魂に於ける一種の秩 序及び調和として、或は不秩序及び不調和として認めたのである。其等の諸性質によって璽魂に程度の差が存在し得 るのである。故に調和或は其反対なろ不調和も亦高度に於て或は低度に於て調和的であり得る。もしも論敵の命題が 正しければ。即ち霊魂が或状態の調和に外ならぬならば調和なる概念の代りに簡単に謹魂の概念を置き換えることが 出来るであらう。而して醗魂はより多く或はより少く鯉魂であるという矛盾せる結論を得ることになるであらう。故 に調和は軍に霊魂の属性に過ぎず霊魂其者ではないことになる。斯くしてアリストテレスの証明はプラトンの改造に 外ならぬと見られるが、アリストテレスに於ては論理学者としての態度を明かに示して居る点が見られる。勿論プラ トンの論証にも論理的原理が基礎をなして居り、其原理をアリストテレス・は範辱論に於て、実体は程産上の差異を其
自身の中に許さぬのであって、或る実体は他の実体より、より多く或はより少く実体であり得ないのではなくや凡て の実体はより高度に於て或はより低度に於て実体ではあり得ないと説いている。例へぱ今人間は昔より高度に於て人 間であるということは不可能である。之に反して人間は以前より蒼白であるということは出来る。質の範嶢は其性質 上より多きこと或はより少潅きことを許すが実体の範嶢は共を許さぬ。斯る法則からプラトンの如く露魂を実体と見 倣せぱ、霊魂は程度の差を許さぬが、調和及び不調和は、一般に凡ての相対的なるもの即ち道徳と不道徳、知識と無 知識の如く、程度の差を許すことになる。故にプラトンも霊魂と調和との同一ならざることを、既に同一の論理的原 理を雨概念に適用することの不可能なることによって推論して居るのである。アリストテレス的に云えば此等雨概念 は異なれる範嶬に属するということを推論していることになる。 こ上に於てアリストテレスがプラトンの論證を改造した理由が明かになった。反対対立の存在する場合には雨極端 の中間者も存在する。其故に程度の差の段階として、より多きこと或はより少きことが存在する。ファィドンに於て 実体はより多きとと或はより少きことを許さぬという命題はエウデモスに於ては其基礎をなす命題即ち実体は如何な る反対対立をも許さずという命題に還元せられるのである。其故にアリストテレスに於ては論證が唯一の三段論注に 軍純化され、其に依ってプラトンと同一の目的に達するを得たのである。 更に唯物論者に対するオニの反証がエウデモスに於ては見られる。肉体の調和は肉体の不調和とは反対であり、肉 体の不調和は病気、虚弱、醜悪である。故に調和は、健康、強壯、美麗である。然るに蕊魂は此等の中の何れでも無 いのである。何となれば凡ての点に於て醜悪なるにも拘らずテルシテスも謹魂を有して居たからである。故に霊魂は 調和ではない。 叩 108 L
以上のエウデモスの一ろの論證の分析によって二つの結果を得た。矛一に其はアリストテレスが形而上学的なる点 に於て全然プラトンに依存して居ることである。アリストテレスの論證はフアイドンの形而上学即ち霊魂不滅論と同 一の基礎をなす。プラトンの実体の概念と露魂の概念とに基いている。アリストテレスはと上では蕊魂は実体其者を 意味していたことは、彼の追随者オリンピオド厚スも認めて居り、調和は対立的のものであるが、霧魂は然らず、何 とならば霊魂は実体であるからでありと説き、更にプロテノスも醗魂は実体であるが。調和は然らずと述べている。 所がアリストテレスの晩年の説は、之と異り、蕊魂は肉体の調和であるという唯物論的解鐸と霊魂は真の実体であ るというプラトン的解稗との中間に位して居るものと見られる。デ・アニマに於ては霊魂は自然的可能的なる生ける 肉体の円現としてのみ実体である。霊魂は肉体から分離し得べきものではない。其故に霊魂は不滅ではない。所が肉 体と結合して霊魂は有機体の形成的形相原理である。之に反してエウデモスに於ては、猶プロチノスがプラトン的の 立場から円現としての霊魂に反対して居る所のその霊魂に相当している。霊魂は実体其者であり、肉体内に宿ってい 斯る論證は直接プラトンから導き出される。プラトンは鯉魂の徳と肉体の徳を区別した。鍵魂の徳は智慧、勇気、 節制であり、肉体の徳は健康、張壯、美麗である。此等に対立して反対の性質の系列として肉体及び蕊魂の悪の系列 がある。斯様の説はプラトンが当時の医学から得た所であり、倫理学即ち羅魂の治療法を一般に医学に倣ったのであ り、医学をプラトンは真の科学と考へ、厳密なる方法の典型と考へた。プラトンの徳論は医学を手本として組立てら れた霊魂の病気と健全に関する説であり、其原理は均齊或は調和の概念である。アリストテレスがと上に採用した霊 魂と肉体との徳に関するプラトン的の論説は、アリストテレスの今日完全なる形で伝わる講義書に於ては全然見出し 得ぬものである。 1 109
一般にアリストテレスの特徴は論理学的なる点に於て認められるが、霊魂不滅の問題に於ても其がよく現われて居 る。其傾向を更に癖證法を好むことに於ても示している。アリストテレスの癖證法というのはプラトンとは異り蓋然 的にして主観的に自明なる前提に基ける論證の全体を蕊證法と呼んだのである。斯る辮證法は、嚴密なる必然的演纒 の補助的の役割をなすもので、言はぱ重甲兵と並んで輕騎兵の役目をなすものと考えられる。其は完全なる学的の精 確さを持たぬかも鈍れぬが、アリストテレスが蕊魂不滅の論證のために民族の宗教観、敬祁の風習、太古の淋話傳説 等を引用せることは意味があると思う。彼は一般に行はれて居る所説や著名な人々の説から出発して、其等に含まれ ている眞理に、哲学的にして合理的なる認識を一致せしめようと企てているが、其爲めに常識的だと評される点もあ る状態によって存在性を得るのではなく、肉体に属するより先に存在しているとプ瓦チノスは説いている。其故にア リストテレスの晩年の謹魂概念を攻撃した其同一のプロチノスがエウデモスの論証を承認していることは不思議では ない。之に反して真のアリストテレスの嶽護者アレクサンド江スやフイロボノスはエウデェスの三段論法を非難して いる。彼等に從・へぱ鯉魂には反対即ち鋏如があるから從って結局滅亡するとなすのである。斯る見解は円現の概念を 假定したもので其から生じたのである。然るに初期のアリストテレスの霊魂の特色は、或物の形相にあらずして其自 体形相即ちイドア的のものであった。其は晩年の解鐸とは異る。彼自身に於て思想の発展の事実を説明する証撚を残 している所がある。というのはデ・アニマに於て調和の説に反対せる所では初期のエウデモスモスを参照して居るが 霊魂の実体的性格による論証をそこでは黙殺している。 四 110
其はエウデモスの形而上学的理論の中へ、ミグスとセイレノスの傳説が導入されていることである。ミダスは周知 の如く彼の手に溺れる物が凡て黄金に変歩る力を耐から與へられて大に悦んだが結局其の愚潅擬るに至ったという傳 説に於て有名であるが、アリストテレスのここで問題にしたのはそのにとではない。ここではミグ王に最も善き事は 如 何 な る こ と で あ る か と 間 は れ て 、 セ イ レ ノ ス が 其 に 答 え て い る の で あ る 。 セ イ レ ノ ス の 語 る 所 は 頗 る 憂 鯵 で あ り 、 プラトン的の二元論的哲学が説かれている。セイレノス答えて曰く﹁人の子等に最も善きと.とが賦與されることは一 般に不可能である。彼等は決して最高なるものの本性の分前を持つことは出来ない。何となれば凡てのものにとって 最も善営ととは、生れて来ないこと︵ト・メー・ゲネスタイ︶であるからである。然し人間が生れて来た以上は、出 来 得 る 限 り 速 か に 死 す る こ と が 最 も 善 き こ と で あ る 。 之 は 人 間 に 出 来 る こ と で あ る ﹂ と 。 斯ろ民間の悟道は蕊欝なる諦めであって、最善のことは死することである。斯る素朴的なる圧世観に於ては、別の 完全なる世界即ち死後の一層高き存在への希望は肇一然鉄けている。然しアリストテレスはセイレノスの言葉の中に、 プラトン的の形而上学の根本概念を入れている。即ち卜・メー・ゲネスタイなる語は単に﹁生れない﹂という意味の みならず﹁生成消滅に心を潜めない﹂ということを意味する。プラトンは生成治減の世界に対して、之と正反対のも のとしてイデアの世界なる純粋実在を対立せしめたPあらゆる価値ある轡の、完全なろもの、絶対的なるものは実在 の世界に属し、あらゆる悪しきもの、不完全なるもの、制約されたるものは生成治滅の世界に鴎する。然し鴎年のア リストテレスの倫理学は斯る立場とは異る。アリストテレスは絶対的善を問題とせずして人間にとって最善なるもの 如何。 るが、 斯る癖證法の背後には歴史的具体的経験の特殊の理論が潜んでいると見られる。然らば彼の斯ろ意味の論法は
プラトン主義が最も明瞭にヱウデモスの中心問題をなす露魂不滅の説に於て認められる。所が晩年に於ては彼は露 魂の肉体との結合関係を謹魂論の根本問題と見倣し、蕊魂現象の精榊物理学的性質を認識した点に功績が認められる が、精赫物理学的関係の発見は先づ個人の蕊魂不滅のプラトン的信仰を動揺せしめた。アリストテレスは純粋なる理 性︵ヌース︶が肉体に対して澗立に存在すること以外には以前の確信を維持することは出来なかった。醗魂の其他の 一 切 の 機 能 例 へ ぱ 反 省 、 愛 憎 、 恐 怖 、 憤 怒 、 記 憶 等 は 、 精 赫 物 理 的 の 共 同 的 実 体 を 其 支 持 者 と し て 假 定 し て い る の で あるから、この共同的実体と共に滅亡すること比なる。蕊魂全休の不滅に関する疑問は既に早くからアリストテレス に於ては現はれている。講義書中でもプラトン的立場を示せる形而上学書の矛士悪に於ては、永遠不滅なるものを ヌースに制限し一L居る。ヌースは我友の内なる跡で、倫理学に於ける垂鵬の説や榊論に於ける思惟の思惟の説等は斯 る見解に基いている。然しプラトンのフアイドンに於ける来世の霞魂の罰と報ひの赫話は蕊魂全休の不滅を必然的に 假定しているものであって、アリストテレスのヌースに関しては其祁話は全く意味のないこととなる。所がフアィド ン の 論 證 は 全 く 霊 魂 の 永 遠 性 を 論 證 し 得 た の で あ る か ら 、 其 は 想 起 説 と 、 霊 魂 の 跡 と 同 種 な る こ と に よ る 論 證 で あ る プラトンは雨間題を厳密に区別したのではなかった。所が始めてアカデメイヤに於て之が議論となったのであって、 其からアリストテレスの後の形式が生じたのであるが、フアイドンに於ては明かに其根源的思潮が区別し得るのであ 一 対的善なる超越的実在を考えたのであって、ギリシャ人が一般に幸頑と呼ぶものを考えたのではない。絶対的善には を問題としたのである。然るにヱウープモスに於ては全然プラトンの地盤に立っている。ここでは最高価値としての絶 切 の 地 上 の 行 爲 は 関 與 せ ぬ の で あ る か ら 、 脳 来 得 る 限 り 速 か に 生 成 消 滅 の 至 窒 一 の 世 界 か ら 、 目 に 見 え ざ る 実 在 の 世界に還ることが肝要である。 112
Q って。其がプラトンの霊魂不滅の宗教に於て合一されている。其矛一の潮流はアナクサゴラスの純粋なるヌースの説 から来ている。之は学的に思惟する理性を群聖観することに基いたものであって、才五世紀の理性論の頂点を示すも のである。第二のものは之と反対のものであって、其はオルフイク教の来世の希望と淨化の宗教に由来するのである ● 之は噴罪と淫化とを説き、其によって霊魂は来世に於て恐るべき罰を受けぬとなす信仰である。之は思辨的のもので はなく、蕊魂の本体の不滅性と澗立性の道徳的宗教的の体験である。 此矛一と矛この雨者は、プラトンに於ては表面的には統一融合されていた。斯ろ統一は其動機の類似に基くのでは なく、プラトン自身の霊魂に於ける、宗教的要求の理性的叡智と熱情との不思議なる結合に基くのである。所が其は アリストテレスの分析的頭脳によって、再び其の根源的部分に分裂されるに至ったのであるとも見られる。 アリストテレスがエウデモスに於て蕊魂全休が不滅であると説く点に於ても、プラトンの立場に接近していること は不思議ではない。情意に対して宗教的慰籍を與え得るのは実在論的見方のみであって、現世への愛着や記憶を鉄い ている非人格的の思惟する理性の永遠性等は意味がないことになる。然しアリストテレスはプラトンの想起説に対し て疑問を抱いていた。周知の如くアリストテレ系晩年の霊魂論に於ては、イデア論と蕊魂全体の不滅説と共に想起説 をも否定してしまった。然るにエウデモスに於てはまだプラトン的立場に立っていた。所が死後の生活に於ける意識 の永続性に関する蕊魂問題を既に当時提出し、其をプラトン的方法によづ解決しようと企てた。意識の永続性の問題 は結局想起説に帰省するよ晩年にはヌースの想起を否定したのであるがヱウデモスに於ては彼の世に帰った霊魂のた めに想起を保持しようと企てている。即ち彼はプラトンの想起説を、蕊魂の凡ての三つの状態、即ち前世の存在、現 世の生活、来世の生活に於ける意識の永続説に作り代へた。蕊魂があの世を想起するというプラトン説に対して、と 113
ノ Q 蕊魂不滅の信仰は古今東西種々なる形式を以て現はれ、其論証の方法も多様である。ギリシヤに於ては、オルフイ ク教が鯉魂不滅の思想を傳え、ピタゴラス教に於てもこの思想が説かれ、輪廻転生の思想も説かれたのである、之が プラトンやアリストテレスに於て前述の如く取扱はれたのである。更に近世に於てはカントは道徳上の根擦より論證 され、霊魂不滅、肺の存在、意志の自由は実践理性の要請であると論ぜられたことは周知如くのである。現代に於て も斯る問題を如何に取扱うべきかは一の課題であると考えられるのである。、昭和二十六年八月二十八日 状態に於ては何等斯る心配はない。斯くして鑿魂全体の不滅が論證されたのである。 忘却の川レーテーは軍に意識の永続性即ち記憶の一時的の中絶不明を意味する。全快即ち霊魂の肉体から解放された を想起する。肉体を離れた生活は霊魂にとっては通常の状態であり、肉体内に在る期間は重病の状態である。前世の 存在の時代からの諸印象茜忘れているが、之に反して死によってあの世に復帰した蕊魂はこの世に於ける体験や苦痛 とがあるが、病気から健康に回復せる者は病気に於て受けたものを記憶している如く、肉体内に宿れる霊魂は前世の の世を説憶するという説を立てた。之は類推によるのであって、健康の状態から病気になった者は屡左記憶を夫うこ 斯る論證は人間の知識は其処の光景の想起であるという假定の眞実なることに基いている。斯るプラトン的の教義 と共に必然的に彼の戦死せる友人エウデモスの人間不死の説が起る。プラトンは偉大なる論理的発見即ち知識の先天 性を、霊魂岬話によって證明したが、この地鑑に於て若きアリストテレスは、斯ろ思想を軍なる誉職と解することは 正当でないとして一歩先に進んでいる。アリストテレスが純粋思惟の特殊の論理的性絡を明瞭に把握し、想起を精榊 物理学的現象と認識した瞬間に於ては、ヌースから想起の能力を奪ひ、先在及び不滅の説は放棄してしまったのであ るが、実在論的なるプラトンの赫話が、雨要素即ち詩と概念とに分析される時期へは、ヱウデモスはまだ到達して居るが、実在論的なる与 らなかったのである。 ' 114