」をめぐる語りとカーストの形成に関する一考察 :
インド・タール沙漠地域に暮らすジョーギーを対象
として
著者
中野 歩美
雑誌名
関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review
of the institute for advanced social research
号
10
ページ
19-32
発行年
2013-10-31
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1
.はじめに
北西インド・ラージャスターン州からパーキスターン東部のスィンド州にかけて、世界有数の沙 漠のひとつ、タール沙漠が広がっている。そのちょうど中心、ラージャスターン州の西端にジャイ サルメール県は位置している。インドとパーキスターンの国境に面する同県は、人口約 67 万人 (2011 年国勢調査)とインドにおいては比較的小さな県だが、街のシンボルである城塞をはじめと して、ゴールド・シティといわれる美しい街並みや砂丘など、毎年多くの観光客で賑わう。 街の中心部を離れれば、そこには半砂漠地帯の乾いた大地が際限なく続く。年間降水量は平均 300ミリリットル以下、夏期には最高気温が摂氏 45 度を超え、冬期には最低気温が 3∼10 度まで 下がるというタール沙漠の厳しい生活環境にあって、ジャイサルメール県人口の約 85 パーセント は、そうした僻地1)で生活を営んでいる。 ────────────── 1)ここでの僻地とは、単に郊外の過疎地域を指すのではなく、インド政府が定める行政用語 rural area の訳 語として用いている。インド政府は、センサスの区割りにおいて(1)人口 5000 人以下、(2)人口密度が 400/平方キロメートル以下、かつ(3)就労人口の 25% 以上が農業労働に従事している、という 3 つ !「移動民」をめぐる語りとカーストの形成に関する一考察
−インド・タール沙漠地域に暮らすジョーギーを対象として−
中 野 歩 美
(関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程) 要 旨 インド・ラージャスターン州の西端ジャイサルメール県に、ジョーギー と呼ばれる人びとが暮らしている。「物乞いカースト」、「出家ヨーガ行者(あるいはナー ト派の信徒)」、「ジプシーの祖先」など、当地のジョーギーを修飾する語りは複雑に入り 組んでいる。本稿は、これらの錯綜した集団表象が埋め込まれた歴史的文脈の一端を、19 世紀イギリス植民地期におけるジョーギーのカースト化の過程に遡及することで明らかに するものである。導入としてジョーギーに対する「ジプシー」表象を取り上げ、現地にお けるジョーギー蔑視の鍵としての「土地所有の有無」の問題を議論する。その後、彼らを めぐる「土地を持たない下層民」という現地の集団表象に着眼し、その成り立ちを植民地 期に遡るジョーギーの「カースト化」と「ナート派の二分化」のプロセスの中に跡付け る。本稿は、錯綜した集団表象が立ち現れてきたその過程の検討を通じて、現在を生きる ジョーギーという集団の輪郭を浮かび上がらせるものである。 キーワード インド、ラージャスターン州、ジョーギー、ナート派、カーストそこに暮らすコミュニティのひとつに、ジョー ギーと呼ばれる人びとがいる。ジョーギーは、中 世の北インドで圧倒的な人気を誇ったナート派 (Nath Sampraday )を信仰する人びととされる。 後述するように、最近ではジプシー2)のインド起 源説やヨーガの流行によって、彼らの名は世界的 に知られるようになった。 インド国内外において名の通った存在とはい え、ジョーギーというのがどのような人びとか、 という問いに答えるのは決して簡単ではない。と いうのも、ジョーギーは人びとからひとつの「カ ースト」として認識されているが、その指標とな るはずの「伝統的職業」に関しては、シヴァ派の 寺院の司祭、薬売り、かご作り職人、機織り職 人、蛇つかい、物乞いなどさまざまに言及される。彼らの社会的地位についても、周囲から尊敬を 集めるものから最下層民とみなされるものまでまったく両極端に語られるのである。 本稿は、植民地期におけるジョーギーというカーストの構築過程の考察を通じて、彼らを説明し ようとする雑多な集団表象が埋め込まれた歴史的文脈の解明を試みるものである。はじめにジョー ギーが「ジプシー」という語で語られるようになった経緯にふれ、海外の旅行客と、現地の他のコ ミュニティの人びととの間にみられる「ジプシー」の語用をめぐる微妙なズレを指摘する。そのズ レの鍵となるのが「移動」、より正確には土地所有の有無というファクターである。これを糸口と して、ジョーギーをめぐる移動民(「土地を持たない下層民」)としての集団表象の形成過程へと検 討を進める。具体的には、植民地期におけるナート派信徒の「カースト化」とナート派の「二分 化」を議論の焦点とし、このプロセスが今日の錯綜したジョーギー表象の根幹に横たわっているこ とを論じる。
2
.インドのジプシーとは誰か
2. 1 海外の旅行客のジプシー像 筆者が初めてジョーギーに出会ったのは、2010 年、博士前期課程に在籍していた夏のことであ る。かねてよりジプシー(ロマ)と呼ばれる人びとに興味を持っていた筆者は、18 世紀末に提唱 され、さまざまな批判を浴びながらも 200 年以上たった今なお定説とされているジプシーのインド 起源説3)について、その起源とされるインド北西部でどのような認識がなされているのか──より ────────────── ! の条件を満たしている地域を僻地としている。 2)早くて 3 世紀、遅くとも 10 世紀には、北西インドからヨーロッパ方面へ移動したとされる人びとの総称。 その呼称に関してはさまざまな議論があるが(水谷 2006)、現地ではジプシーという呼称が広く浸透して いるため、本稿では、人権保護の観点から世界ロマ会議で提唱された「ロマ」という名称ではなく、あえ てオリエンタリズム的表象とより強い結びつきをもつジプシーという表記をそのまま用いている。 図 1 インド地図率直にいえば、ジプシーとされる人びとが現在もインドに存在するのか──を確かめようと、イン ド北西部のラージャスターン州へと向かったのである。 当初、現地でジプシーという言葉が通じるのかさえ危ぶんでいた筆者の懸念は、見事に杞憂に終 わった。というのも、筆者が訪れたジャイサルメール県は、今ではジプシーの発祥地として世界中 にその名が知られており、それを利用した著しい観光化の途上にあったからである。だが次第に、 このジプシーという言葉をめぐって、ある種のズレが存在していることに気付き始めた。それはす なわち、ジプシーという言葉が指す対象が、現地の人びとと海外からの旅行客との間で異なってい るということである4)。 はじめに、海外の旅行客が抱く一般的なジプシー像、つまり西洋でステレオタイプ化されている ジプシー像を確認しておきたい。現在のジプシー像の特質を概略すれば、「外見上のインド人らし さ」、「移動生活」、「芸能(歌、踊り、楽器の演奏など)」の 3 点に集約される5)。この 3 点にはそ れぞれ次のような由縁がある。外見上のインド人らしさと移動生活という点は、ジプシーとはイン ドからヨーロッパへ移動してきたインドの下層民の一団である、という 18 世紀末に提唱されたイ ンド起源説が大きく関係している6)。また、19 世紀に入ると、ジプシーはそれまでの盗人や殺人犯 というネガティヴなイメージから、自由奔放にその日暮らしを続けるロマンチックな他者として、 西洋文学や歌劇に登場するようになり、そこで築かれたイメージが今日もなおその影響を残してい る。3 点目の芸能に関しては、特に 21 世紀の現在において前面に浮かび上がっているものである。 「ジプシー・ミュージック」7)というものがワールド・ミュージックの中でも確固たる地位を築き、 種々のメディアを通じて音楽や踊りが、世界中に散らばったジプシーたちのアイデンティティとし て語られているのである。 こうしたステレオタイプ的なイメージを抱いてインドにやってくる旅行客にとっては、特に 3 点 目の芸能が「ジプシー探し」の主な指標となる。というのも、西洋で分かりやすいジプシーの指標 とされる黒髪や黒い瞳、浅黒い肌といったいわゆるインド人らしさは現地インドではほとんど無効 となるし、定住化がすすむ現在、観光に訪れたひとびとが移動生活を続ける人びとと遭遇すること は容易ではないからだ。 この芸能という点において、ジャイサルメール県をはじめラージャスターン州には、蛇つかいや 踊りで知られるカールベーリアー、楽器を演奏し儀礼歌をうたうマーンガニヤールやランガー、巨 大な布絵を用いた英雄や神話の絵ときで有名なボーパなど、数多くの芸能集団が存在することで知 ────────────── 3)ドイツの歴史学者、ハインリッヒ・グレルマンが、18 世紀後半から指摘され始めていたロマニー語とイン ドの言語との結びつきに関するさまざまな指摘をまとめた著書(1787)の中で提唱した。詳しくはフレー ザー([1992]1995=2002)を参照。 4)南インドでジプシーとされるヴァギリの人びとについて民族誌を記した岩谷は、著書の中で、現地の人び とにもジプシーという語が広く浸透していると述べている。しかし彼女もまた、西洋のノスタルジックな ジプシーイメージとヴァギリ自身の持つジプシーイメージとに大きな隔たりがあることを報告している (岩谷 2009 : 69−70)。 5)イギリスのジプシーに関する民族誌を著したオークリーは、イギリス政府が「本物のジプシー」を認定す る基準として、「インド人らしさ」や「音楽の演奏」という基準を置いていることに対して批判を述べて いる。詳しくはオークリー(Okley 1983=1986)を参照。 6)グレルマンの功績とその評価については、フレーザー(Frazer 1992=2002)、水谷(2006)に詳しい。 7)詳しくは、関口(2005)を参照。
られている(生明 1990 : 20;小西 2008 : 114−8)。つまり、これらの民俗芸能に従事する人びとこ そ、海外から訪れた西洋の旅行客にとってもっともアクセスしやすいジプシー表象の担い手とな る。換言すれば、当地の雑多なコミュニティが西洋から持ち込まれたジプシー表象によって切り取 られ、「インドのジプシー」という単一のカテゴリーに集約されるのである8)。 2. 2 現地の文脈におけるジプシー 観光振興の文脈でジプシーの語が現地でも広く用いられていることは先に触れた。だが、西洋か ら「逆輸入」されたジプシー表象と、現地に暮らす人びとが用いるジプシー表象には、微妙なズレ が生じている。このズレへの着目が、本論考の主眼であるジョーギーをめぐる集団表象の歴史的構 築プロセスの検討への入り口となる。 現地の人びとの間にはジプシーという語を侮蔑的なニュアンスで、かつ、より厳密にジョーギー という特定の人びとに対して用いる傾向が顕著にみられる。彼らにとって「ジプシー」とは、マー ンガニヤールでもボーパでもなく、ジョーギーなのである。しかしながら、ジョーギーの職種は人 によってさまざまに語られるように、彼らは必ずしも芸能に携わっているわけではない。 彼らにとっての「ジプシー」表象を知るための糸口は、調査協力者として紹介を受けた RP との 会話に見出すことができる。RP は、ラージャスターン州で 2 番目に大きな部族9)コミュニティ、 ビールの 30 代の男性で、筆者の調査協力者のひとりである。彼に初めてあった際、どのような研 究がしたいのかを尋ねられた筆者は、この地域でジプシーと呼ばれる人びとについて研究したいと 告げた。それに対し、RP は「お安い御用」と言わんばかりに快諾した後、次のように続けたので ある。 でも知っているかい、僕の祖父よりも前の時代は、僕たちも「ジプシー」だったんだよ。 〔驚く筆者に対して〕いいかい、ビールは昔、森の中に住んでいたんだ。そこでは森の中を移 動しながら狩りをして生活していたんだ10)。 RPが自分たちも「ジプシーであった」と述べたことは幾分驚きでもあったが、ここで着目した いのは、何をもってジプシーと語るか、という点である。RP はこのあと「ジプシー」であったこ ろのビールの暮らしを、森の中の移動と狩りに結びつけて語り続けた。狩りについていえば、RP は現在も狩りを日常的におこなっているため、「ジプシー」と強く結びついているのは、森の中の 移動生活の方であるといってよい。端的に述べれば、現地の人びとのジプシーの意味論においては ────────────── 8)彼らはすでに同州においてもっとも重要な観光資源のひとつとなっており、ある意味で、戦略的にジプシ ー表象を取り込んでいるともいえる。本稿では詳しく触れないが、こうしたインドのジプシー表象を強化 ・再生産する媒体としてメディアの存在が重要な役割を果たしたことは言うまでもない。詳しくは小西 (2008)、中野(2012)を参照。 9)ビールは同州において「指定部族」にあたる。指定部族とは、既出した指定カーストと並んで、州ごとに 設けられた保護・優遇政策の枠組みのこと。選定基準として、文化的独自性、社会経済的後進性、隔絶度 の高い居住、の三点が置かれている。 10)会話記録は、2010 年 8 月 26 日のフィールドノーツによる。
「移動」という要素が中核に据えられている。 しかしこの点には、少々注意が必要である。現地の人びとはジプシーの語を特定的にジョーギー たちに用いているものの、現在ジョーギーの多くは定住生活を送っているからである。移動生活を おこなっているジョーギーでさえ、ほとんどが拠点となる集落を持っており、こうした現状を当地 に暮らすビールの人びとは十分承知している。付言すれば、実はビールたち自身も、ジョーギーと さほど変わらぬある種の移動生活を営んでいる。多くのビールは農業もしくは牧畜業に従事してい るが、農地や牧草地が住居の近くにあるとは限らず、季節的に村から離れて移動生活を送るビール も少なくないのである。 移動(あるいは季節的な移動)生活という点だけみれば、ビールとジョーギーの間にそれほどの 違いはない。にもかかわらず、ジャイサルメールにおいては、ジョーギーという特定の人びとが移 動生活者として強力にラベリングされている。つまりここには、単なる移動を超えた要素が介在し ているのである。 ビールをはじめとする他のコミュニティとジョーギーを分け隔てる決定的な要素のひとつ、それ は土地所有の有無である。ジョーギーは、確かに集落を構えているものの、そこは代々彼らが住ん できた土地ではなく、住居が建てられているのも村のはずれや村々の共有地である11)。 印象的なエピソードをひとつ引いておきたい。あるジョーギーの男性に聞き取りを実施した後、 その際のメモをノートに清書していたときのことである。このジョーギー男性は、30 年以上前か ら定住しており、現在では 200 頭ほどの山羊を所有する比較的裕福なジョーギーであった。筆者 は、インタビューのなかで登場したジョーギーたちの名前、県、村、村の自治組織における役割分 担、氏族神といった情報を、調査協力者 RP の 10 代後半の弟、LG と一緒に確認しながら整理し ていた。そこで LG は、筆者に対し、「ジョーギーは村の自治組織に属していないから、それを書 き写す必要はない」と主張し、それを除いた項目だけを清書したのである12)。 この出来事には、村の一員として自らを語ったジョーギーの自己認識と、村の一員とは考えてい ないビールのジョーギー認識の差異が明白に現れていた。ジプシーの語を特定的にジョーギーに適 用し蔑んでみる背景には、村に所有地があるかどうかという点が深く関わっているのである。ここ で思い浮かぶのが、「カナバドーシュ」(Khanabadosh )という現地語である。文字通りに訳すと 「肩の上の家」という意味になる。肩の上の家とは、肩に家を乗せて移動する人びと、すなわち所 有地を持たずに移動生活を送る人びとを揶揄した表現である(Randha¯wa¯ 1996 ; Robertson 1998, 2004)。現地の人びとが描く「ジプシー」像は、海外の観光客が抱くロマンチックな他者の投影と してのジプシーではなく、このカナバドーシュ的な、われわれの村の者ではない者、ある種の流浪 の者ども、といった差別的な像である。 このようにジョーギーが特定的にジプシーと名指される背景には、所有地を持たない人びとへの ────────────── 11)本稿では、複数のリネージ集団によって形成された居住地の集合を「村」とし、単一のリネージ集団によ って構成された小さな居住地の集まりを「集落」と定位している。村と集落の違いは一見ささいなものに 見えるが、現地社会を理解していくためには看過できない重要なものであり、今後も検討していかねばな らない。 12)LG は 10 代後半の学生で、心根の優しい純朴な青年である。政治的な活動や、一家が抱える対人関係のト ラブルには一切関わっていない。それ故彼のこの発言は、一層印象的であった。
見下したまなざしがある。現地の人びとに共有された「土地を持たない下層民」という集団表象こ そ、ジョーギーの被差別的状況と、今日の錯綜する種々の集団表象の形成過程を読み解いていく手 がかりとなる。 本論を少し先取りしておきたい。「土地を持たない下層民」という表象には、ジョーギーをめぐ る相異なる二つの相貌が投影されている。ひとつには、「ナート派としてのジョーギー」、もうひと つが「カーストとしてのジョーギー」である。「土地を持たない」にはナート派としてのジョーギ ーの像が、「下層民」にはカースト・ヒエラルキーの下方に位置づけられたジョーギーの像が刻み こまれている。二つの像がねじれながらひとつに成形されたのが、イギリス植民地支配期のカース トの創造プロセスに他ならない。順を追って解きほぐしてみたい。
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.ナート派としてのジョーギー
インド亜大陸には、現在でも移動生活をおこなうコミュニティの数が 500 以上存在し、全人口の 約 7 パーセントにあたるといわれる(Randha¯wa¯ 1996 : 22;岩谷 2009 : 16)。そのうち牧畜以外の 生計手段によって生活する移動民は 1.2% であり(Robertson[1998]2004 : 3)、ジョーギーはその 中に含まれる13)。 ジョーギーの移動に関して、現在は定住生活を送っている年配のジョーギー男性が、「子どもの 頃は、聖地巡礼のために移動しながら暮らしていた」と語ってくれたことがある14)。土地を持たな いジョーギーたちの移動には、単なる生計の立て方を超えた、ある種の宗教的な含意が張り付いて いる。これを理解するためには、ナート派というものをおさえておかねばならない。 ナート派とは、シヴァ神をアディ・ナート(原初のヨーガ熟練者)とするヒンドゥー教の一派、 中でもシヴァ派と通常見なされるものである15)。その宗教理念の中心には、禁欲主義的なヨーガの 実践が据えられており、それを大成したのが、現在でもナート派の祖師として崇拝されるゴーラク ・ナートである。ナート派は 11 世紀ごろに興り、中世の北インドにおいて絶大な人気を誇った16)。 ナート派の人びとは、「ゴーラク・ナート派のヨーガ行者(Gorakpanthi)」としても知られ、耳環 用の穴があいていたので「耳の破けたヨーガ行者(Kanphata)」とも呼ばれていた。バラモン教の ヴァルナ(階層的秩序)差別を批判したナート派の思想は、社会的地位の低い人びとを中心に受け ────────────── 13)南アジアにおける移動民研究は、牧畜民を対象としたものが大多数であったが、ルヘラ(1999)、ロバー トソン([1998]2004)、岩谷(2009)など、牧畜以外を生業とする移動民たちに関する報告も少しずつ見 られるようになった。これらの先行研究では、研究対象の移動とは、第一に生計手段と結びつくものとし て認識されてきた。たとえば岩谷は、研究対象であるヴァギリを、「商業移動民」の範疇に分類して議論 をおこなっている(岩谷 2009 : 16, 35)。しかし本文で後述するように、ジョーギーの移動は単純に生計目 的として過去にまで遡及して捉えることはできない。 14)2012 年 9 月 7 日におこなわれたジョーギー(男性、60 代)への聞き取り調査より。 15)今日ジョーギーは自らをヒンドゥー教徒と主張するが、実際にはシヴァ派、シャークタ派、バクティ信仰 などのヒンドゥー思想に加え、サハジャ乗(大乗仏教)やイスラーム教、ジャイナ教といった、南アジア で興ったさまざまな宗教運動と結びついていたとされる(Lorenzen and Muñoz[2011]2012 : x ; Gold 1992 : 38)。16)このことは、中世の最も活躍したサント(聖行者)であるカビールが、ジョーギーをヒンドゥー、ムスリ ム並ぶもうひとつの宗教集団として見なしていたことからも分かる(橋本 2002 ; Lorenzen[2011]2012)。
入れられた。また王族やブラーマンといった高位の人びとが庇護者や帰依者となった事例も存在 し、民衆から権力者まで、幅広い層に支持されていた様子をうかがうことができる17)。 今日のジョーギーとナート派の結びつきは、その名称にもみることができる。そもそもジョーギ ーという名称は、ヨーギー(ヨーガ行者)に由来するといわれ、これがジョーギーという名称へと 変化したとされている。また、ナートとは(ヨーガの)熟練者(master)を意味する言葉で、ナー ト派の修行や教義を身に付けた者に贈られる尊称である。そして今でもジョーギーの男性は、皆必 ず名前の後にナートをつけて呼ばれる。そのため研究者の間では、ヨーギーやナート、ジョーギー という言葉が同意語として互換的に用いられている。 ナート派とはいえ、確かにジョーギーが皆現世放棄の出家者というわけではない。今日の彼らの 移動生活は、他の移動生活をおこなうコミュニティと同様に生計手段の拡大という実利的な動機に 基づいている側面も強い18)。だが、それだけであれば、ジョーギーが今日のジャイサルメール周辺 で「カナバドーシュ」的な「土地なしの最下層民」として「ジプシー」の語を特定的にあてがわ れ、蔑まれるに至っていることは説明できないのである。 ここには、ジョーギーの移動をめぐるある種の集団表象の転換が存在する。すなわち、かつては ナート派の帰依者として「異人」的な意味合いを持っていた土地なしの乞食修行者が、単なる土地 を持たない貧しい乞食生活者へと変化したのである。こうした表象の転換をもたらしたのが、イギ リス植民地支配期のジョーギーのカースト化ともいえるプロセスである。ナート派の帰依者であっ た人びとが、一カースト集団として固定化されていくプロセスの中に、今日のジョーギーの下層民 化とジョーギーをめぐる集団表象の錯綜の端緒をみることができる。
4
.宗派からカーストへ
4. 1 ジョーギーの二分化 ラージャスターンに暮らすナート派の在家信者たちを対象とし、彼らの口頭伝承を記録、分析し たゴールドの研究は、ナート派としてのジョーギーと、カーストとしてのジョーギーの関係を理解 するための貴重な手がかりとなる。 ゴールドによれば、現在ナート派のジョーギーは、現世放棄者でナートの教義を継承するジョー ギーと、家庭や住居を持ち、世俗化した在家のカースト・ジョーギーに分断されており、互いにそ の違いをはっきりと認識しているという。特に、現世放棄者のジョーギーは、在家のカースト・ジ ────────────── 17)例えば現在も偉大なナートのひとりとして多くの伝説が残されているゴーピ・チャンドとその叔父バルタ リーは、ベンガル地方の王族であったが、出家してナート派の行者となったといわれている。また、マー ルワール藩王国(現在のラージャスターン州西部にあるジョードプル地方)の王マン・シンは、王位に即 しながらデーオ・ナートに師事していたことで知られている。その他、インド北部のパンジャーブ地方で も、支配階級の王族とナート派のヨーガ行者の間に庇護関係があったことが報告されている(Lorenzen and Muñoz[2011]2012 : x ; Gold 1992 : 45)。 18)ナート派の分派であるカールベーリアー・ジョーギーの民族誌を著したロバートソンは、次のように述べ ている。「テント、キャンプ、移動式住居は未だに使用されているが、カールベーリアーはこれらを収入 拡大のための道具とみなしており、イデオロギー的な必要性やアイデンティティの構成要素であることに 起因しているわけではない」(Robertson[1998]2004 : 30)。ョーギーを、俗世の暮らしや女性の誘惑に抵抗できずに零落したナート派の修行者の子孫と見な し、蔑視している。 ここでゴールドの報告しているジョーギーの二分化こそ、イギリス植民地期におけるカーストの 創造に端を発するものだと考えられる。この二分化によって生じた高位の表象(宗教的現世放棄 者)が希薄化し、低位の表象(俗世に零落した者)がジョーギー一般に浸透した結果が、今日のジ ョーギーの蔑視という状況に結びついているということである。だが、このことを論じる前に、ゴ ールドの議論を少しだけ追っておきたい。 ナート派ジョーギーの二分化の構図を報告するゴールドだが、彼女自身の論考はむしろ二分化を 超えたジョーギーの一体性を示唆する方向に向かっている。ゴールドは、ある在家ジョーギーが披 露したナート派の伝説的な人物たちにまつわる讃歌や伝説を、200 頁を超えて翻訳、テクスト化し た。これを通じて彼女は、在家ジョーギーにも、いわゆる「正統」なナート派と同様の、むしろあ る部分ではそれよりも詳細な伝説が語り継がれてきたことを実証したのである。彼女の重厚なテク ストは、「正統」なナート派の教義にばかり注目してきたこれまでの宗教史的研究に対し、世俗化 し零落したとされるジョーギーの中にも、現世放棄者と変わらない知識や伝統が受け継がれてきた ことを説得的に示しているといえる。 これらを通じてゴールドが強く訴えようとした点は、互いに断絶した存在と認識し合って現世放 棄者のジョーギーと在家ジョーギーが、実際は必ずしも断絶した存在ではないということに他なら ない。言い換えれば、世俗的な生活を営む在家ジョーギーであったとしても、彼らのさまざまな儀 礼や生活実践の中には、ナート派との強い結び付きを見出すことができるということである。 ゴールドは、「正統」な現世放棄者の視点からは一義的に侮蔑の対象とされる在家ジョーギーの 微細な宗教的生活を、彼らの視点に立って解明した。その意味で、彼女の研究は、デュモン(Dumont [1966]1980=2001)が提示したブラーマンの儀礼的権威を中心としたトップダウン的なインド社 会の理解の仕方を避け、周縁に立たされた人びとの側からナート派という集団の理解を試みること に一定程度の成功を収めている。 だが仔細にみれば、ジョーギーの一体性を前面に押し出すゴールドの議論にも、ひとつの階層的 区分が残存している。それは、在家ジョーギー内部の中心/周縁である。ゴールドは、現世放棄者 のナートと在家ナートの二分法を解消するために、自身の在家インフォーマントたちが「正統な」 継承者に近い存在であることを主張する方策を取った。しかしこれでは、在家ジョーギーの内部 に、依然として正統性にもとづく中心と周縁という階層性が温存されたままなのである。 本稿の議論の文脈にひきつれば、ゴールドの批判する現世放棄者のジョーギーと在家カースト・ ジョーギーの二分法にせよ、彼女が温存した宗教的正統性と周縁の二分法にせよ、そもそもナート 派の信者という漠然としたジョーギーというまとまりに階層性が持ち込まれるに至ったその端緒が 問題となるといえる。これが求められるのが、イギリス植民地期におけるカーストの創造プロセス である。 4. 2 ジョーギーの「カースト化」 植民地期にイギリスによってカーストという概念が、まさに「伝統の創造」の過程を経て客体化
されていったという事実は、ポストコロニアル研究の視座が一般化して以降、研究者の間で議論さ れてきた19)。しかしながら、そこでの議論や成果は現在の南アジア地域の人類学研究において、必 ずしも的確に言及されるものになっているとは言い難い。その理由は後にも述べるように、数世紀 にわたるイギリスのインド支配のなかで、カーストという範疇がインドの人びとのあいだにも浸透 し、自明のものとして実体化したために、現在のフィールドデータを意識的に系譜学的に相対化す ることが、研究者の間でも十分できないからである。 カーストという概念が「発見」され、実体化していく際の原動力となったのが、19 世紀後半に 始められた各都市の地誌編纂事業と国勢調査である。その特徴は、何よりもまず、カーストと宗教 へのこだわりであった。これは、インドでは宗教とカーストが個人の思考・行動を決定している、 というイギリスの基本的なインド社会認識を反映したものであった。地域ごとに不定期におこなわ れていた国勢調査は、1871 年から 72 年にかけて全国規模の国家事業となり、1941 年まで 10 年に 一度続けられた。地誌編纂事業についても、各地の人びとを「カースト」と「部族」単位で記述し た『カーストと部族 The Tribes and Castes』、『インドの人びと The People of India』などのシリー ズが次々に発刊された(藤井 2003;粟屋 1998)。 インドの人びとにしてみれば、国勢調査とは初めて公的に自らの宗教や言語、出自に関する帰属 を問うものであった。カーストという言葉はもともとインドには存在していなかったため20)、各人 が自らを示す何らかの帰属をカースト名称として自由に申告した。その中には、内婚集団名、伝説 的始祖名、伝統的職業名、自治組織の役職名、村落名など雑多なものが含まれており、さらにその ほとんどが制限を受けることなくカーストとして書き込まれていったという(藤井 2007 : 48−49)。 ジョーギーに関しても、この問題を孕んだ方法を通じてカーストとして規定されていくプロセス が進行した21)。当時の国勢調査や地誌をひも解けば、調査官たちの混乱がはっきりと浮かび上が る。たとえば 19 世紀末に地誌の調査官を務めたローズは、雑多極まりないジョーギーの「自己申 告」に直面し、その分類の困難を吐露しているが、ひとまずは禁欲主義的な修行をおこなう現世放 棄者と「それ以外の者」という区別に考えを及ばせている(Rose 1914)。 こうした区分は、既に 19 世紀後半に発刊された政府刊行物の多くに共通して導入されていたも のである。地誌のひとつとして 1868 年に政府が刊行した『インドの人びと 写真版』シリーズで は、第 4 巻と第 5 巻にそれぞれジョーギーの項目がある。第 4 巻には低カーストの蛇使いとして、 第 5 巻には厳格な禁欲主義者として、ジョーギーが掲載されている(図 2、3)。二つの巻には共通 して、「もうひとつの巻に掲載されているジョーギーと混同してはならない」という説明が付され ている。 もうひとつ挙げれば、19 世紀末に北西州とアワド州の長官を務めたクルークは、北西州の『カ ーストと部族』[1896]1975)のジョーギーの項目で、1891 年に同州でおこなわれた国勢調査を踏 まえ、そこで示された「尊敬されるジョーギー」と「その他」という区分を踏襲し、それぞれに解 ────────────── 19)例えば、Chon(1983)、Quigley([1993]1995)、藤井(2003, 2007)、関根(2004)など。 20)もともとは、ポルトガル語起源のカスタ(色)に由来する。 21)今の段階では、手元の資料で厳密に辿ることはできないが、本稿 1 節で言及したジョーギーの伝統的職業 に関する雑多な言及の背景には、種々の職業や身分に属していたナート派の信者がジョーギーとして記録 されていった経緯が深く関わっていると想像される。
説を加えている。前者に関する説明は、修行者の種類やナート派を代表する 9 人ナートについての 説明など、他の刊行物とほとんど一致し、定型化されたものとなっている。後者の「その他」につ いては、「ムスリムのジョーギー」、「サーランギー弾きのジョーギー」、「奇形の牛を飼い村人の邪 視を払うジョーギー」など、分類項目としては脆弱な細分化がなされている(Crooke[1896] 1975 : 58−61)。 いずれにせよ、19 世紀後半の国勢調査や地誌編纂の過程において、カーストとしてのジョーギ ーの分類と序列化が進行し、その方法論上の欠陥と性質から、不可避的にジョーギー内部の、半ば 無理やりな、細分化が進行したのだといえよう。 クルークの解説にみるような「その他」のジョーギーの細区分は、世紀をまたいで持続するには いかにも脆弱であった22)。その代わりに、第 5 巻の写真にみるような現世放棄者としてのジョーギ ーと、「その他」という形での不均衡な二分法が定着していくことになったのは、先述のゴールド のジョーギー内部の二分化に明らかである。この二分化に大きな副産物が伴っていたことは明らか である。それは、図 2 と 3 の中にも明瞭に見ることのできる、ジョーギー内部の高/低の階層化で ある。現世放棄者のジョーギー以外は、「その他」として、低カーストに位置付けられた。ジョー ギーの一角を構成する現世放棄者を除く大半のジョーギーは、かくして低カーストの刻印を背負っ ていくことになったのである。 ────────────── 22)それにもかかわらず、このような聞き書きをもとにしたと思われる脆弱なジョーギーの細分化は、今なお 後を絶たない。詳しくは、中野(2012)を参照。 図 2 『インドの人びと(写真版)第 4 巻』 ([1868]1987)に掲載されたジョーギー 図 3 『インドの人びと(写真版)第 5 巻』に 掲載されたジョーギー([1868]1987)
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.結びにかえて
ジャイサルメールのジョーギーたちをめぐる「土地を持たない下層民」という集団表象にみる蔑 視の背景には、イギリス植民地期におけるカーストの創造と、それに続くジョーギー内部の二分化 ならびに低カーストとしての囲い込みという歴史的プロセスを見通すことができる。現在の状況か ら逆算すれば、むろんこのプロセスにはカーストの実体化のプロセス(藤井 2003)、具体的にいう ならば地域の他のコミュニティによる階層性の固定化という政治的プロセスと、ジョーギー自身に よる階層の受動的な内面化プロセスが続いたものと推測される。その詳細については他稿を期さね ばならない。ここでは結びにかえて次のことを述べておきたい。 冒頭で指摘したような今日のジャイサルメール近郊におけるジョーギーをめぐる雑多で錯綜した 集団表象は、本稿でその一端を指摘した通り、植民地支配期に遡るカーストの創造プロセスから、 21世紀のワールド・ミュージック隆盛下におけるグローバルな再表象プロセスに至るまで、複数 の異なるプロセスの累積的な堆積の帰結だといえる。 このように複雑に絡まった表象を系譜学的に丁寧に解きほぐしていく作業は、ジョーギーを対象 とした人類学的研究にとって重要な前提となるはずである。西洋の旅行客のステレオタイプに惑わ されないことはできても、植民地支配期以降、現地で実体化し自明のものとされている枠組みやそ れに追随する語りを歴史的に相対化していくことは容易ではない。たとえそうだとしても、こうし た錯綜した不断の表象化プロセスの渦中にその現在を生きるジョーギーに迫るためには、この作業 は避けては通ることはできないものであろう。系譜学的な分析と生活実践の微細な記述・考察の向 こうに、現在を生きるジョーギー像が浮かびあがってくるのである。 謝辞 本稿を執筆するにあたって、ジャイサルメールで調査に協力していただいたジョーギーの家族の みなさんと、研究助手をつとめてくれたビールの兄弟に心より御礼申し上げたい。また、本稿のた めの調査は、関西学院大学先端社会研究所 2012 年度リサーチコンペの支援を受けて可能となった。 ここに記して感謝の意を表したい。 参考文献 粟屋利江,1998,『イギリス支配とインド社会』山川出版社. 生明慶二,1990,「ラージャスターンの芸能集団──沙漠の音楽誌──」藤井知昭監修『民族音楽叢書 1 職能 としての音楽』東京書籍,17−64. 岩谷彩子,2009,『夢とミメーシスの人類学──インドを生き抜く移動商業民ヴァギリ』明石書店. カビール,『ビージャック』(=2002,橋本泰元訳注『宗教詩ビージャク−インド中世民衆思想の精髄』平凡 社.) 小西公大,2008,「神と人/人と人を結びつけるもの−タール沙漠の諸芸能集団をめぐって」鈴木正崇編『神 話と芸能のインド──神を演じる人々』山川出版社,111−31. 関口義人,2005,ジプシー・ミュージックの真実−ロマ・フィールド・レポート,青土社. 関根康正,1994,「『オリエンタリズム』とインド社会人類学への試論」,『社会人類学年報 Vol.20』弘文堂,27 −61.中野歩美,2012,「インド・タール沙漠におけるジプシー化現象とジョーギーの不確定性」,熊本大学大学院社 会文化科学研究科 2011 年度修士論文. 橋本泰元,2002,「解説」,カビール,『ビージャック』(=2002,橋本泰元訳注『宗教詩ビージャク−インド中 世民衆思想の精髄』平凡社.) 藤井毅,2003,『歴史のなかのカースト−近代インドの〈自画像〉』岩波書店. ────,2007,『インド社会とカースト』山川出版社. 水谷驍,2006,『ジプシー──歴史・社会・文化』平凡社. 山下博司・宮本久義・橋本泰元,2005,『ヒンドゥー教の事典』慶済堂.
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商業雑誌
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Focusing on the Jogis in the Thar Desert Area in Rajasthan, India
NAKANO, Ayumi
(Kwansei Gakuin University)