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万葉歌の黄葉 ―花の散るのを惜しむ表現―

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万葉歌の黄葉

1花の散るのを惜しむ表現1

﹃万北粢﹄中には様々な柚物が登場し、詠じられている。その中 でも花を歌ったものでは、その美しさを賞賛したり、散るのを階し む歌が多く、蚕逃も花と同様に美しさを称えられ、散るのを惜 しまれている。そのように花や苗葉は、﹁散るのが惜しい﹂七献ま れるのが一般的であるのに対し、﹁散ってもよい﹂と表現され尋 異ともいぇる歌が﹃万心至中に数首みられるのである。その﹁散っ てもよい﹂と詠まれる歌は、﹁栃﹂・璽ぎ・﹁卯の花﹂を詠んだ歌 であり、この三種類の稙物を、叉だ歌以外にはそのような歌はみら 0 ーナし ﹁梅﹂・﹁芭半 7夘の花﹂だけ、﹁散ってもよい﹂と詠まれる点 に注日し、なぜそのように詠まれるようになったのか、これらの柚 物それぞれにみられる特徴的注格を捉え、こうした表現か成立した 背県を探っていきたい。 また、﹁栃﹂・﹁肱ざはともに他の植物歌とは異なり、﹁散る祭 美しい﹂とする歌か存在し、そこに新た六美高誠が構築されている ことかうかかえる。この新たな表現が生み出される前捉となったの はじめに 時に が、前述した﹁散ってもよい﹂七詠まれた歌ではないかと考える。 ﹁散ってもよい﹂という表現が、いかに﹁散る様が美しい﹂という 表現へと展開されていったのか、その理由を検討し、散り乱れる様 相を盛りを過ぎた器苫み工詠まれた歌と相対するように登場し た、散りゆく様も美しく、それも盛りの状態であると"美する歌の 成立について当室τ試みたい。

﹁散ってもよい﹂と詠まれる歌は、﹃万北水集﹄中、﹁椛﹂四首、﹁黄 柴﹂二首、﹁卯の花﹂一首にみられる。次に挙げる﹁栴﹂を﹁散っ てもよい﹂七詠んだ三首仕・他・ Bは、契轟に詠まれた歌である と考えられる。 囲﹁梅﹂ 住梅花鼠ご,十二首併せて序 天平二年正月十三日に、帥老の宅に萃まりて、御萎を小べた

一、﹃万葉集﹄中の﹁散ってもよい﹂と詠まれた植物歌

り 初界の令河にして、気淑く風利ぐ。杭は鏡前の粉を披 一Ⅱ一

(2)

き、蘭は斑後の香を薫らす。加以、曙の嶺に雲移り、松は羅を 掛けて盖を傾け、タの岫に●籍び、鳥はうすものに劉ぢられて ^^^^。一^^^一^^^^、^^^^佐^る。 ここに天ミ誓し地を坐にし、膝を促け觸を飛ばす。戸と一 室の裏に忘れ、衿を煙.器外に開く。次熊に自ら放し、決然に 均ら足りぬ。 もし翰苑にあらずは、何を以てか怖をのべむ。舗はくはリ締 の篇を紀せ、古と今と夫れ何か異ならむ。則柳を献して、判か ^^一、^を^^9、^L。 (五1八三) この一首は、﹂予にあるように、天平二年正打十二Uに、崟十府の 肺の邸宅で開かれた栴花の纂で詠まれたものである。八一五番歌か ら八四六番歌までの二十二首に開・纂から突︽效稔といった流れを みることができ、先に詠まれた歌を順に受けて歌縦ぐ形となって いる。山に挙げた八一工番歌をその流れの中で位識づけるとすれ ぱ、盛り上がりをみせる妾の真っ只小に位趨し、満開の桁の花を靜 んだ歌であると推し量ることができる。充足したル希ちを、表すた め、﹁宵やぎと椛の花とを折って髪に挿し、楽しく飲んだその後は よし

栴との花を折りかさし飲みての後は散りぬとも

笠沙弥 散ってもよい。﹂つまり、満開の怖の花を愛で、酒を飲み、、高き なく楽しんだことを際立たせるため、﹁散りぬともよし﹂と強い表 現で結んでいるのである。 他大伴坂上郎女の歌一首 酒杯に梅の花浮かべ よし (八1一分六) ②は、 ﹁杯に柳の花を浮かべて親しい者述で飲んだ後は散っても よい。﹂という歌,芋ある。②の歌を仂佛させるものとして挙げら れるのが、仕で触れた椛花安の後に逃加された四首に含まれる次 の歌である。 後に怖の歌に追和する四首

栃の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮かべ

こそ ^一に云ふ、^いた。つらに^を川収らすな酒に浮か、^こそ^ (五1八五己 酒に櫓の花を浮かべる風流が重視されているこの歌と同様に②の 歌でも、柚ガ畊いている状態か、散っている伏態かよりも、酒に栴 の花を浮かべて飲む県乢に埀きが避かれ、﹁杯に杭の花を浮かべて 親しい岩達で飲む﹂ことができたならぱ、散ってもよい七詠まれて いる。 山と②の歌はそれぞれどちらも桁の花の艦お時に花を楽しむこ とと引き換えにしても惜しくないほどの御ル悼望みであると明硫 に示すために﹁散りぬともよし﹂という表現を有効に利用している のである。 得冬十二月十二日、歌野所の諸の王・臣子条丈葛井迎既成の家 に染ひて宴する歌二首 比来、 西獅艦りに興り、古歳斬に晩れぬ。瑚に、戈に古Mを

思ふどち飲みて後は散りぬとも

丁1・. H 柳

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-12-尽くし、同じく古歌を唄ふべし。故に、この趣倫して、軌ち 古曲二節を献る。果乢懲丸の士、俺にこの集へる中にあらば、 争ひて念を発し、心々に古体に和せよ。

我がやどの桁咲きたりと告1らぱ来七叉に似たり

散りぬともよし ③の歌もa ・他の歌とほぼ同崎期に詠まれた{ミげの歌である。 ﹁我か家のうめが咲きましたと知らせたらお越しくださいと言った ようなものである。もう散ってもよい。﹂この歌では、目的が一哉 できるΠ処がついたと同時に、杭の花の役割は終わったとでもいう ように﹁散りぬともよし﹂と突き放しているのである。 ④花を詠む

来て兄べき人もあらなくに我家なる愉の初花散りぬ

ともよし (十1二三二八) ﹁見に来てくれそうな人もいないから、我が家で咲く、祢の初花よ 散ってもよい。﹂と詠む④の歌は③の歌とは異なり、望みがかなう 可能性が低いことがわかると、﹁散りぬともよし﹂と結び、投げや りともとれる一織を示すのである。 このように怡、⑭では邸お結果の予測がつくと、その強い思い をあらわすかのように﹁散りぬともよし﹂と思い切った表現をもつ て歌われている。 成り行きまかせ、大胆ともとれる﹁散ってもよい﹂という表現に つぃて林倫氏(注1)は、司散りぬともよし﹄という表現は他の花 され、日本在来の花ではないからこのよう六衾現が官人層にょって 作り出され、一つの刑として硴立していったのであろうと論じられ ている 次に、﹁散ってもよい﹂と詠まれた﹁結至三首についてみてい きたい。 ■﹁苗里

^奈良山をにほはす革来手折り来て今夜かざしつ散ら

にはなされていない梅にのみ与えられた特殊な表現であった。﹂と ぱ散るとも 右の一首、三手代人名 (八1一五八八) ここにみぇる二手代人名については諸説あり、未詳であることか ら作歌年代を正硴に特定することはできない。墜怠は、﹁奈良山を 彩るもみじを乎折ってきて今夜かんざしにした。もう散ってもよ い。﹂であり、目的が述成され、充足感を得られた後は、先に挙げ た栫の花を勢だ歌と同じように﹁散ってもよい﹂七詠まれ、得ら れた充足感がさらに強訓されているのである。 ⑥露繊に

あへる鞭水を手折り来て妹はかざしつ

るとも

右の一肖、奈池課呂

(八1一五八九) 秦計一碍呂についても米詐である。②の歌は、忍路が楓いたもみ じを手折ってきて、あの人のかん、ざしにした。後は散ってもよい。﹂ と、﹁苛至を歌った⑤の歌と似た内容の歌となっている。﹁苛至 を歌うこの二首はともに、﹁散ってもよい﹂と強い表現を用いるこ とで、さらに印象を、深くしているのである。 ノ、 0 、、_"ノ 後

(4)

-13-卯の花では、 -U ■﹁卯の花﹂

佐伯山卯の花持ちしかなしきが手をし取りてぱ

(七1三五九) ﹁佐伯山の卯の花を持っていた愛しい人の乎さえ握れたら、 花は 散ってもよい。﹂と詠まれるこの歌も﹁栫﹂や亙来﹂において、﹁散っ てもよい﹂と献まれた歌と同じ性格を持ち、迷成感の大きさが﹁散っ てもよい﹂という表現にょって示されている。 ﹁柚﹂・璽芭﹁卯の花﹂の他にもかざしにされたり、愛でられ る枯物は存在するが、﹁散ってもよい﹂と歌われるのはこの工つの 植物に限定される。なぜ、この三つの杣物だけこのように歌われる のか、また、﹁散ってもよい﹂という表現からさらなる表現の広が りをみせるのかを﹁Mぎから順にみていきたい。 散 るとも ﹁散ってもよい﹂七献まれている。 ﹃万彼至では﹁もみじ﹂を題材に歌が詠まれる時、﹁ル業﹂と 表記され、﹁紅葉﹂と釜ルされるものは、次に挙げた一首しか有在 しない。 口轄水を献む

妹かりと蠣に鞍槌きて 4駒Ⅱうち越え来れば紅派散り

つつ ニ、中国の詩文と﹁黄葉﹂ 零ルされたものは、わずか一例、しかし、平安朝になると﹁紅ぎ

﹁偕至に取って代わり、県でも五来﹂と四れるの稲で

が ある。これについては、小島氏倫(注2)が定説となっている。 ﹁﹃妹がりと1﹄(二二0 こを除けば、璽来﹂むんどその全部を 占めるかは、漢詩類を見れぱ自ら明かになるものと思はれる。一体、 ﹁もみぢ﹂に当る﹁赤葉﹂瓦来﹂の例は六朝より初聖で尋にも

例はあまり多くない。乱下旨禄水紅発一兆何(梁・簡文希

秒晩^'^発岸草方蹴翻"枯^梁・何遜、答丘長史^桂密炉花

白、梨疎鷲水紅(唐・王勃冬郊行望)など、乏しい例のひと

﹃万葉染﹄では﹁黄ぎと記されたものは八十八例、﹁紅葉﹂と つであるが、大部分はやはり﹁詰至である。この一般に通行する 中国の例がそのまま万葉集にも採用されたのではなからうか。︻中 略︼﹁瓢水﹂の例は、盛唐頃より次第に多く用ゐられるやうになる ^^倍^Ⅱ一^^^塗^カ^^^伊^壯剥、^ム洲ヰゾ日^早"^^笄^ 葉下、岸總郵化開﹂)、その例の多い﹁白氏文架﹂伝来以後のわが平 '翁畏詩文染に、﹁黄菜﹂にかはっ工亙来﹂が次第に垪加する のは、この考へを助ける傍証となるであらう﹂この指摘からわかる ように、蚕逃という零乢は、漢籍の影糾であることは明硫であり、 ﹁もみじ﹂を題材とした歌の表現而でも、その噂郭をうけている可 北鞭は恋じ高いと想定できるのである。この想定のもと、渙籍に 揣力れた﹁秋のーしに江日してしく 黒木条﹄に斯"を与えたとされている﹃文選﹄に、秋の移ろい を詠ん益牙ある。 ⑧ ﹃文選﹄巻四五﹁秋加刑﹂泌武帝 "末北帯して雁南に歸る 秋風起こりて京一飛ぶ 佳人を捕さへて 蘭に秀でたる有り菊に屶しき冷り トーニ一 0 イヒ 、』.ーノ

(5)

ー]4-忘るる能はず 櫻加を泛かべて汾河を濟り 乱ポ波を"勿ぐ 簾鼓.光りて棹歌を發す 少壯幾時ぞ老ゆるを奈何せん ﹁耿風辞﹂は秋伶木が色を変え、散りゆく様、祭の極みから、 憂いへと変化していく気持ちと浴さを失い、老いていく悲しみをう まく玉ねあわせている作品である。この﹁耿風蔀﹂に代表されるよ

うに、秋の誘の推移と﹁老い﹂後きを詠むのが漢牙主流とも

いぇるスタイルとなっている。それに対してH本では、 9 ﹃懐風藻﹄ 力三仁Ⅲ乢.に上L^・呂に肌止'倦0 劃^U、洛くし^^ド州^く^^、^^^くし^四嬰^^し。^^^^ 弊必たり、一条尋冷して奪六す ゛小県 たり、一券に在りて、 山に登り水に醐み、博に鰯らんとする定夫一るが若し。 ※雲旦散﹄,、にもこの計は記城されている。 ^.^切^^^う^^^引^^心を^^L^^^に^^うと、﹂ろ^^ると^う 指摘は、 契沖の﹃万菜代鼎一以来のものである。この他に、一難 の詩文では、秋急しむものが多くみられる。汰§げる⑪﹁九辯﹂ は秋の悲哀を述べた最初の作品といわれ、功﹁秋興鳳﹂にもあるよ うに、この獄黒哀の念は文学作品上で脈々と受ナ毬がれていく。 囲秋を悲しむ詩,父 ⑪

宗益﹁九辯﹂第一段{杢

咋^mこⅡμ^より^( U仁けて¥も耿を迎ふ。今U砂の淵の上に、遺g千午こ流ら ふ。 四にみられるように、 W小をもとに夏から秋へと移る季節の推移 を献んだものしか見光らない。一万゛至の﹁もみじ﹂を題材に した歌でも、情条と﹁老い﹂を詠んだ歌はみられないのである。 ﹁老い﹂を越え、﹁秋﹂と死を結ぴつけた深貼の例としては、亥 の死の恋しみを詠んだ匝L詩﹂緊げられる。

田﹁袖匙と死

﹃文洪竺二匝L詩﹂潘安仁

袿ルとして冬オ碑し・処"者は勿心ち逃勿す 之の子響永に ,加し^切は永く幽鞆す 利ψに1力兇く於よしめん 獣樂極まりて く三舟のハ介、催は開く八石の洲。葬典たひて初めて変を送り、 湾川するも亦何の益かあらん

側挽とし而命を恭み

心を廻らして初役に反る 瑜を望みて共の人を思ひ室 に入りて歴し所を想ふ 帆屏には秀栃たる延く翰墨に 餘跡あり 流芳は米だ獣むに及ぱず遺推は猶を壁に在 慢況として或は存するか如く周遅として仲へて驚 り 易す 彼の林に輸うつ鳥の雙棲せるもの一朝にして隻 なるが如く

被の川張ぐ魚の目を比べしもの中路に

析たるるが如し 春癒は葬に緑りて來たり於溜は笈を 永け工淌る

釜ハせること何れの塒にか忘れん沈き

Hに盈砧す ﹂ル幾はくは貯に哀ふること有りて荏缶を ぱ猶ほ雌つ呼けんこと 悲しいかな、秋の気たるや ・-15-イ、

(6)

﹁文選﹄﹁秋興賦﹂潘安仁(はんあんじん) 忌として、苧木尋所して奪六し、惨岼とし了牙に存りて山に 登り水に臨みて倚に姉らんとするを送るガむしと。 また、一懐鼎蔭においてもこの耿の悲哀の念かみてとれる竹口川 が存在する。 玲一抄虫N仇 ^^、:、^吉^^^^^^美L^^部,,^カ^Hり^コ^河^^司^ 聨る。吾。并せて予。 ^^^^一^^に加^ひしより、^^^打^て材ま^。^を,^^ て獨り坐ゑ葺のタ、楊急一けて長く氾しぶ搖落の獄。琴誘 のハ諭一く扣肌り、町南の曳援くに由も仙小し 槻観してきたように、小国忠文では、散り落ちる"水と時の排 移を重一ね介わせたり、そこから死をイメージしたり、勘木如所の怜 景をみて耿ナ驫しむというものが多数を占めるのである。 黄菜と祠様に二化﹂も季節の移ろいとともに散っていく。その花 においても小倒詩では轆水と似た傾向をうかかうことができる。先 畢げた﹃玉台新詠﹄では、発の詩は詔化﹂・﹁花落﹂,﹁誠世 という鄭栞を含む計だけでも二十二首以上あり、きの﹁並嬌饒邑 では、眺りを過ぎたことにょり、男に忘れられた女綴きが奔倫 花にょせて歌われている。美人は美しく咲く花に例えられると岡時 に老いた姿を萎えた花に例えられることが多いのも特微であり、右 名なものでは、﹃楚辞﹄屈原の作品であるといわれている﹁N孜﹂ 善きかな木玉の否にUく、悲しきかな、秋のル希るや、.獺 が挙げられる。そのような落花に人生のあっけなさを見る詩は六朝 だけでもおびただしい^にのぼる。 しかし、日本において、漢結と同状況をみることはできないので ある。このことに関連し、服塑党李氏(注3)は、﹃万葉終赤上 四七、巻二亘五、二玉<、三七、二0七、二0八、.-0九、 赤﹂九一ヒ九六稲歌を取り上げられ、﹁人麻Eに先行する我回の洋 懐^陳の中の北楊水は、その用例か乏しいし小なる耿の県物

詩災

でしかない。秋のあわれはむしろ打に、霧に、雁にょせて詠じられ ている。平安朝の﹃文華秀堤染﹄や﹃木朝文粋﹄に至って、ようや く華やかなそして川條とした紅芋靴来か詠じられている。しかしそ れも直接に人生の哀しみを托したものでは遂にない様である。︻小 略︼万枇水集のもみじは、人麻吊が人の世の別れの悲しみを寄せてう たうまでは、もっぱら耿の讐呆として4署せられ、待ちのぞまれ、 色あせ剖収るを惜しまれている。^小略^作者^人麻吊^の哀感をそ のままに映したもみじの美しさは窯削絶後のものである。その村な もみじは蚕葉﹂の用字が海彼からの舶来であっても、彼の国にも いまだなく、次期にかけて栄えるH本の漢詩にも遂に見ることの雌 いものでさえある。﹂と論じ、われている。 塚木縱子氏(注4)は、﹁轆水は見る刈象として歌われているが、 死の帝羅と重ねられたものではない。些来を死と屯ね合わせた最初 の歌人は人麻呂である。というよりも、黄葉と死と結びつける感性 は人麻呂のものであったというべきであろう。人麻呂の歌には、花 の散る"京に死を重ねたものは一首もない。しかるに、糊霜水の散る県 に死を発見し、歌った。﹂ と述べられている。 ⑫

(7)

-16-春・秋という季節、赤の花・秋に対するΠ木と中国の観念の差を 川祝せず、春の花ではなく、秋の薫来でなくてはイメージを禦何力 をもつて伝えることができないと紗"した結果が、死と北峯を重ね 合わせて歌う人麻吊の挽歌であったのではないだろうか。 これまでみてきたように零ルから、他の題材よりも一鷲の膨郭が 強いと想像できる﹃万菜茨の﹁もみじ﹂であるが、﹁もみじ﹂を 題材にした歌で、導帖にみられるような秋の弊厶をテーマにしたも のは全くみられない。 蚕ぎという用字からうかがえるように、零ルの上では鞭都の ψ郭か強くみぇるが、﹃万一釜﹄の﹁もみじ﹂を題材とした歌に表 現而で蛙欝の澎好を強くみることはできない。反対に一僻にみら れる表現にとらわれず、白在に﹁もみじ﹂の恬券ら発した﹁想い﹂ を表現していくのである。 囲﹁粘至を詠むその他の万一黍歌 ⑭犬皇、内大腰償朝臣に、詔して、春山の万花の艷と秋山の千 一券彩とを競ひ憐れびしめたま、詳に、額田王、歌を以て判る 歌

冬こもり春さり来れぱ鳴かざりし,曾来鳴きぬ咲か

、ざりし花も咲けれど山をしみ入りても取らず慕休み

すが、山が茂っているので、入ってとりもせず、草が烋ので、手 にとってもみません。秋山の木の小¥兒て倫{色く色づいたのは、 手にとってめでます。青いのはそのままにして映きます。その上発 けが残念です。秋山か良いと忠います。私は。﹂と、美という観点 から優劣をつけ、色づいた木の梦ど乎に取り、賞美できる秋が赤よ りもいいとして額田王は新しい価価観を提尓している。 また、'水を詠んだ歌で﹁かざし﹂・﹁乎折る﹂と歌う祭小ノなく ないことも注目すべき特徴である。 ^橘朝臣奈良麻四条安を斜ぶ砂卜一首

乎折らずて散りなぱ惜しと我が思ひし秋の結靈τかざ

取りても見ず秋山の木の蓼七見ては芭学ぱ取りてそ

しのふヨHきをば冊きてノ唖くそこし堤めし秋山そ我は

様々な花か咲き乱れる春山と色とりどりの木案で彩られた秋山 とどちらがより情趣§むかと闇われ、﹁祥がやってくると、 鳴い ていなかった鳥も来て嶋きます。咲いていなかった花も咲いていま しつるかも これは橘朝卵徐阜^長か開いた{^において主催者である本人に よって詠まれた天平期の歌で、﹁手折らずに散ったら惜しいとかね がね思っていた秋のもみじを髪にさせました。﹂と、北鞭水の見ごろ に宴を開くことができた喜びを、﹁乎折ることができた﹂・﹁かざし にできた﹂とうまく表している。

鮖もみち梦ど散らまく惜しみ乎折り来て今夜かざしつ

何をか忠はむ 右の;口県犬養宿禰告男。 (八1一五八六) ⑯も⑮の歌か詠まれた宴席で泳まれた歌である。﹁もみじを故る のが惜しさに手折ってきて、こよいかざしにしました。も、?心残 りはありません。﹂と一冨れたこの歌からも、郭ポの美しい寺期に "泰を彬大できたことを﹁手折る﹂・﹁かざす﹂といった言葉から看 1一五八 ー.ー、、 、』.^ノ 〒一」ー ノ、 、、_ーノ -17ー

(8)

取できるのである。 ﹃万菜染﹄から、﹁かざす﹂ことは、その舶物の生命力を得る行 為であると岡時にその炎しさ意美すゑ牙でもあ0たことかわか るということは、すでに諸氏の説かれるところである。加えて怖 Wにみられるように﹁手折る﹂・﹁かざす﹂と歌うことは、乎折り、 かざすことができた今が最も美しい喝期、つまり﹁盛り﹂であるこ とを明祚に示しているのである。 し^し、一^^^^^^る^^^し^^、^一^^と^^十、く-U^う゛勺^^ 介いを"つ。 1<、共氏(注5)は、﹁髪に花を姉すとしう表弓を、 美永か、h翫に力けての赫力ら見しだすのはほ岫であり六判詩に 至ってょうやく登場しはじめる。ことに﹁姉花﹂の胎が多く武す るのは﹃張材邑に以められる竹口Ⅲである。それは 0照粉馴紅 机、釜、(一作﹁理﹂Y小一号(剛眺﹁鏡抵﹂﹃張新逃諾) ON弐・切噐碩而リ名化(一竹﹁一W括,獣1﹂(ヨ祁 7ーー、 斌得可隣﹂同右巻五)などのように、渕小における女凶0イ材とし て詠まれる例か大半であって、晄力偏仰にもとづいて花を挿す村為 を詠んだ作ではない。この点は和歌の﹁かざL﹂との火きな相述と いえようごと倫じられている。 商氏のいわれるように、万一讃から、つかかえる﹁かさし﹂の持っ .葆と漢竿の﹁かざし﹂の持つ意昧、果たす役W異なる。﹁手 折る﹂・﹁かざす﹂・手にその花を持つ、と曾ことで、今がその花 の盛りとする表呪は日本独肉のものといぇ、花や尊券一番良い状 一当あることをそれらのキーワードのみで、理解し、共感しあえた と芳えられる。 植物歌において、賞美されるのは、もちろん花であれぱ咲き診る 時期であり、散りゆく花を惜しんだり、散らないように願う歌がタタ 数を古める。栃・黄ル誰おいても同様の傾向がみられるガ、他の柚

物歌と異なり﹁般る券が美しい﹂とする砂ガ長存在しそこ薪

たな琴織が俳人されていることが見て取れるのである。 (四1五四下) ^の歌は、天平捌以前、紀"倒に行、¥があった際に笠朝臣企村に よって詠まれたものである。冷の歌の傍岫稔に﹁もみじが散り飛ぶ 初めに、﹁散る様が美しい﹂とル峯を胆材にして計まれ系につ いて検討を加えていく。

囲﹁Mぎ

⑰利m元年甲子の冬十打紀伊仏に幸せる時に従伐め人に則 らむがために、娘子に挑へられて作る歌一首并せて短歌 笠W臣金村

火君の行、おまにまもののふの八十伴の男と出でて

行きし愛し夫は天飛ぶや軽の道より玉たすき畝傍を

三、一方葉集一の﹁黄葉一・﹁梅﹂にみる美意識の変化

見つつぁさもよし紀伊道に入り立ちトニ山越ゆらむ君

草枕旅を宜しと思ひつつ汎はあるらむとあそそには

かつは知れどもしかすがに黙もえあらねぱ我が背子が

行きのまにまに迅はむとは千度思へどたわやの我が身

にしあれぱ道・茅問はむ答へを 1述らむすべを知ら

にと立ちてつまづく

もみち葉の散り飛ぶ見つつむつましみ我は思はず

(9)

-18-"笹をみて、川美し、かわいいとも私のことは思わず、旅もけっこ ういいものだと忠って楽しんでいることでしょう。﹂とあり、愛し く思う女性でさえ忘れさせてしまうほどの印象的な美しい以色とし て、もみじの散り飛ぶΠ松が歌の小に登場する。 ⑱肱水を泳む

加リけぱ詰梨散りつつ少なくも吾の松呼箔力らなく

こ ⑱においても﹁風か吹くともみじが散って、吾の松原は少しぱか り清らかであるわけではない。﹂ともみじが散り敷かれた吾の松原 か非俤に消らかであるとその美しさが称えられている。 ^ヤ^^^^^一^まり司^^^^、^^^^、^^^^^^、^、U

あしひきの山下光るもみち葉の散りのまがひは今Π

にもあるかも 右の一首、大使 (一五1三七00) ^の歌の菅永に死ミ兌恬した状況があることについては、小西進 氏⇔征6)にょってすでに指抽されている。﹁山すそも師くばかり のもみじの莱の散り乱れる嘘りはまさに今日であるのだなあ。﹂と 研ぎ溢まされた蟻見でもつて散り乱れるもみじの美に恂うたれた欣 である。 ⑰S⑲の﹁M至を詠んだどの歌においても散る粘乎τ否定的に 捉えるのではなく、散る様子を美しいと捉えていることがわかる。 特に⑲の歌においては師くぱかりのもみじ案が散り乱れる﹁今Π﹂ を﹁盛り﹂としていると受け取ることができるのである。 次に﹁栴﹂に関する歌をみていきたい。﹁桁一を詠んだ⑳S⑳の 歌の例からも、栴の花が散っている様が美しいと豹纖されていたこ とは明白である。 ■﹁梅﹂ ⑳花を泳む

つしかもこの夜の明けむうぐひすの木伝ひ散らす

、 し 栴の霄ルむ (一 01一八七三) ﹁いつになったらこのL孜は明けるのであろうか、うぐいすの木を 伝って散らしている鞭の花をみたい。﹂と⑳では、うぐいすと散る 怖の花の取り合わせ長をみる歌が詠まれている。 ⑳花に寄する

梅の花咲き散る倒に我行かむ汎が使ひを片待ちがて

01 全 01一九00) ﹁愉の花ガ散っている陸に私は行こう。君の使いを待っていられ なくてごと使いを待ちきれないほどの魅力的な場所として栃の花 ^^る^^^わ^て^る。 四"に、式割大紬小臣油腎山胡臣の宅にして宴する歌十五首

楡の花畉き散る春の長き日を見れども飽かぬ磯にも

あるかも ^ YH ノⅡⅡノ可^十Ⅱ川)^し上誹ノ り (二01四、き二) ここでも、﹁柳の花が散る赤の長いH、ずっと見てても飽きない 庭の荒磯風の石釧みですね。﹂と小硲らしり庭剛をさらに引き立て ノ゛一『鴫、 -19-九

(10)

る系糸として散る栃の花か右効に働いているのである。 このように散る様も美しい、盛りであるとみる新しい側佃観か ﹁埜苦﹁栴﹂を題材とした歌にみられる。散る様といぇば惜しむ といった表現パターンや皿疋観念に御一れない表現が登場するが、 他を淘汰していくのではなく、散り乱れる状態を鄭りを過ぎた状態 とみて歌、風も岡時捌にみられそこに側侃都や於桃の葛胤もみ てとれるのである。 ここで、﹁肱木﹂・﹁梅﹂以外に﹁散ってもよい﹂七1れていた 卯の花についてぢ祭を村いたい。 ﹁卯の花﹂の歌の多くは叫くほととぎすと咲き誇る卯の花を、献ん だ歌で、改るのを惜しんだり、赤の怜尿を尓す歌ばかりで、散る様 を貸只した歌はみられない。;典恐・﹁梅﹂を噺特とした歌と﹁卯 の花﹂を題材とした歌の荒異は、﹁卯の花﹂がH本古来の花、 花占 いとの関わりがぢぇられる花であるという所から生まれたと杉えら れる。花占いとの関条、深い﹁卯の花﹂(注7)は、﹁散ってもよい﹂ という太現から展開し、散る様か美しいという発恕までには至らな かったと拍祭できる。囲定観念との曾つきか他の花よりもMい 舶来の﹁栴﹂、小倒を告戴した太忍がされる﹁共来﹂であるからこそ、 そこに新しい価伯観、琴松が育まれていき、表現の広かりをみせ たのであろう。 亡していく生命を象徴し、収穫に十山結する生産力・生命力の象徴と なりえない。忠厘とのかかわりを視野にいれれぱ、黄菜は劣勢に立 たざるをえない。﹂と指抽されているように、花、特に桜などは、 レじ、 ヰイ 明ら力に'木よりも生・産との倒係が深いといぇる。し力しながら散 る桜の姿を美しいと詠む歌がわずかに芳菜染﹄にみられる。

⑳珂Y山の左の花は今Πも力も般り翁ふらむ見る人な

しこ 寺川眞知夫氏(注8)が、﹁革米も花も移ろいやすい美の象徴な がら、花は生厩とかかわる生命力をも象微する。しかし、革来は哀 おわりに (一 01一八六七) ⑳は﹁阿保山の松の花は今Uもまた、散り乱れているのであろう 見る人もいないのに。﹂と桜の散り乱れる様子を美しいと感じ、 か 0 誰にも加誓してもらうことなく、盛りを過ぎた桜の花を不側に思っ て詠まれた歌である。

⑳知川く槽円の辺に、徐花散りて肺らふ見む人もガも

(一 01一八六六) 伺じく⑳も﹁釧力,男く,局円辺りに桜の花力汾れるように散ってし る。染にみせたい。﹂というように、散る桜の姿を美Lいと感じ、 歌とし工献まれたものが存在するが、この冏定概念を殻すような挑 城は成功したと竺口い難い。﹃十岑条﹄においても、桜に関する歌 の大多数は散るのを備しむ歌である。配列でけ.横に焦川し、泳まれ -ye た時期でも最後になる紀賀之の桜の花を波や暫に見立てた歌四 のみが散る桜を美しい七、献んだ代表的なものとしてみられるだけで ある。対照的に熊水は散り落ちた姿ナ'にたとえられ多くの歌でそ の美しさを贅美される。歌の数からしても明らかなように、桜は黄 一詮ど散りゆく姿、散った姿を美しいと歌われることはなかった。 散る桜をル美する歌を詠むことが髪、右しなかったその根底には、日

(11)

-20-木と小国の赤と秋・桜と革采に刈する﹁捉え力﹂の述いがあるとい えるのではないだろ、つか。 本文出典 ^"^佳^^L^・:^^^^Π^ーロ^^L^以^^^田^^佃^^,^^交一.^ ^^J^・^F^允久・^^^^J/^^N^^^ 一文送﹄・・・一新杁田姿大系文避﹂丙g泉之助・凋祐次 明

市丘

-M灰区:・一"・■佃文葉乃挺条本判文一こΠムーロ舳<文当上火 ψ^^L父n ^戸川^川^^山^^古占^ 1 注 林倫氏司万菜架﹄一0一一番歌の裟現と発想1散りぬとも

よしをめぐつて1﹂令並研究丑衆﹂第二0号平成一4

一'、H) 小島愆之氏﹁万一釜の斈表現﹂(﹃上代U木文1宙斈一 小巻^書房 W和下九午子河^

服野り幸氏﹁人麻呂の一'墜上4の﹁もみち﹂の小で

1﹂亀夫沼志﹂第二'二号昭五四年三河) 塚木溢子氏﹁杣冷人麻品の死の表現1 ﹁黄逃にょせる思い

1﹂え新国文﹂第七号設七年三村)

商、^ハ兵氏^和歌の^かざし^と中国古典詩の^挿一^^^和 、^^伊^L^-L、ゴ^^^^凶^J ^^^^^^^ 2 3 6 4

小西進氏(瓦征万美張越、驫四季社平成ズカ年一

一河) このときの逃新繍使はかなり瓣吊な伏態で航海をしていて、 最初、耿に辯圃する予定であったのに、竹敷の浦で秋を迎え るといったように火四厶遅れがみられる。秋も終わりの頃の ケ^^^^力ら^^^^^^^^^^^^一小、0^刀Lくよ、つ^'^^^^ 測される。そういう器おなかでの歌である。作者はその最 雫Π{任者であったと指抽されている。 ﹁卯の花﹂と花卜Uいとの関係の深さについては折凶偏夫氏が す需及されているところである。﹁花倫﹂令折Π信夫全集 、二﹄ヰ広^ム^和社^成ヒ午三Π^ 寺川員勿夫氏﹁春耿優劣歌の表現手法﹂(﹁同志朴女子大学Π ^au-、^t 吐了 J^ローノ r^ーーヨ 5 7 8 小島 付記 本科は乎成二十一年変上代文芋会・古小記学会合同大会 (於胤院大學)における口繋北表に基づいたものです。常 上その他におきまして貴更'御教尓を賜りました諦先生方に 深副小し上げます。 (あおの・みゅき本学非常効需)

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